11月 18日(月) 聖書:Ⅱコリント書1章3~7節
教会の祈り:T・HくんとT・Rくんのお誕生日おめでとうございます!
今日の祈り:八戸教会(青森県八戸市)。①無牧師の教会の歩み。②礼拝を続けるための努力。③教会員の健康が守られるように。 代表者:甲谷 裕子(かぶとや
ひろこ)
11月 19日(火) 聖書:Ⅱコリント書2章14~17節
教会の祈り:24日世界祈祷週間礼拝とバザーの導きと祝福 今日の祈り:三沢教会(青森県三沢市)。①教役者の働きと救済が守られますように。②イスラエルに平和が早く戻りますように。
アーメン。 牧師:福田 敦
11月 20日(水) 聖書:マタイ福音書5章1~12節
教会の祈り:病床や施設で生活している方々を覚えて 今日の祈り:カルバリ教会(青森県上北郡六戸町)。①一心で主を礼拝し、崇められるように。②教会の柱となる男性が送られるように。③福音伝道の祝福、魂の収穫のために。 牧師:デヴィニー・ジェームス
11月 21日(木) 聖書:マタイ福音書25章31~40節
教会の祈り:礼拝委員会・音楽チームの働き 今日の祈り:青森教会(青森県青森市)。①青森バプテスト教会の宣教の働きが前進し、幼稚園やフードバンクの働きを通して地域に仕えることでキリストの愛のみ手を届けることができますようお祈りください。
牧師:角本 尚彦(かくもと なおひこ)、協力牧師:佐々木 照正
11月 22日(金) 聖書:使徒言行録12章2~11節
教会の祈り:「聖書の学びと祈り会」に多くの方々が参加できるように 今日の祈り:函館美原教会(はこだてみはら・北海道函館市)。①開かれた柔らかな心で神さまのお働きに従っていくことができるように。②苫小牧教会との協力が祝されるように。 牧師:福田
雅祥(ふくだ まさよし)
11月 23日(土) 聖書:使徒言行録16章19~28節
教会の祈り:I・Hさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:函館教会(北海道函館市)。①み言葉と祈り、聖霊と主の愛の充満。②イスラエルの祝福と世界の平和。③会堂外壁張替及び屋根塗装工事。牧師:本多
啓示(ほんだ けいじ)
11月 24日(日) 世界バプテスト祈祷週間礼拝・教会バザー 聖書:エレミヤ書33章1~3、10~16節 <聖書の箇所から>… エレミヤは獄舎に拘留されています。しかし、どのような場所でもどのような状況でも、主のみ言葉を求める時、そして祈る時、主との絆が結ばれます。▲5節は大変辛い状況が記されていますが、「戦場」とはこのような場所ですし、それは日本でも体験したことであり、ウクライナの現実であり、忘れたり、目をそむけてはならないもの。▲「しかし」と主は語ります。「しかし、主が用意されているもの」、それは復興であり、人々のいやしであり、平和の回復であり、建て直され、讃美の歌が響く世界です。▲しかし、主の平和の実現を人間はただボーと待っていることではありません。人間がズタズタにした世界ですから、それを回復するために、神の願いを聞き受け、共に建てる働きをしなければなりません。主はそのように導こうとされるし、人はそのように歩みを変える、つまり今までの歩みから翻って歩み出すことです。▲さらに主はその恵みの約束を果たす日に備えて、「わたしはダビデの家のために正義の若枝を生え出でさせる」と語ります。この「正義の若枝」はその後、イザヤ書11章1節の「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち」という箇所等と合わせてイエス・キリストの到来と理解されるようになりました。▲しかし「公正と正義」の主は殺され、今も世界は混乱しています。そのことを思い起こしながら私どもは「翻って生きる」ことを世界の仲間と作り出していくことへと招かれています。(献)
教会の祈り:S・YくんとS・Sさんのお誕生日おめでとうございます!
今日の祈り:苫小牧教会(北海道苫小牧市)。①教会の支え手が与えられますように。②礼拝が整えられますように。③教会1人ひとりの健康が守られますように。 代務者:桜井
明、助言者:福田 雅祥(函館美原教会牧師)
【世界バプテスト祈祷週間の祈り】 エフェソ6章18節 「世界バプテスト祈祷週間のために」…諸教会・伝道所の「世界バプテスト祈祷週間」への取組みが祝されますように。私たちが共に祈りを合わせ全国の教会が繋げられ、「世界」への祈りへと広げられますように(目標額として2600万円)。
ドラ牧師坂本の聖書日課
2024年11月11日~17日
11月 11日(月) 聖書:ホセア書2章20~25節
教会の祈り:昨日転入会されたN・Mさんを感謝し、今後の歩みの祝福を願って 今日の祈り:仙台教会(宮城県仙台市)。①多くの方々の居場所になれますように。②次年度の園児募集が満たされますように。③世界に平和が訪れますように。 牧師:宇都宮
毅
11月 12日(火) 聖書:創世記2章4~9節
教会の祈り:11月24日の世界バプテスト祈祷週間礼拝の準備とバザーの準備の導き、多くの方々がバザーに参与・参加できるように。 今日の祈り:南光台(なんこうだい)教会(宮城県仙台市)。①高齢者、難病の方がたを覚えて。②災害や原発事故の被災者を覚えて。③仙台キリスト教主義学校への福音宣教。 牧師:田中
信矢(たなか しんや)
10月 13日(水) 聖書の学びと祈り会 朝10時半~、夜19時半~ 聖書:エゼキエル書18章1~4節、30~32節
教会の祈り:K・MさんとO・Yさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:仙台長命ヶ丘教会(宮城県仙台市)。①教会員の健康のために。②中高生がキリストにつながるように。③主の平和の実現のために。 牧師:金丸
真(かなまる まこと)
10月 14日(木) 奉仕日 10時半~正午 聖書:列王記下25章1~21節
教会の祈り:17日においでくださる筑波教会からの参加者と筑波教会を覚えて。 今日の祈り:大富教会(だいとみ 宮城県)。①高齢者の健康と信仰の守りのために。②子どもたちと共にある礼拝のために。③連合にある協力伝道のために。牧師:小田
衞(おだ まもる)
11月 15日(金) 聖書:エレミヤ書32章1~5節
教会の祈り:T・Sさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:秋田教会(秋田県秋田市)。①地域の中の教会、幼稚園であるように。②地域の祝福の源となるように。③教会の園、園の教会であるように。牧師:村上
悦二
11月 16日(土) 聖書:エレミヤ書32章6~15節
教会の祈り:M・Aさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:盛岡教会(岩手県盛岡市)。①年配の方々の健康が守られるように。②第4週子どもも一緒の礼拝の充実。③新来者・求道者が与えられるように。 牧師:小川
紋子(おがわ あやこ)
11月 17日(日) きたかん「相互訪問プログラム」 筑波バプテスト教会の方々を迎えて 聖書:エレミヤ書32章36~44節(参照:32章1~15節) <聖書の箇所から>… 本日は北関東地方連合(きたかん)相互訪問プログラムで、「筑波教会」の田中宣之牧師と信徒の方々が当教会で奉仕や交わりを行います。礼拝宣教はⅡコリント書8章7~9節です。▲さて、エレミヤ書、今日の箇所は亡国、自分の国、自分の故郷が失われれる状況を前にエレミヤに与えられた約束の言葉。▲その約束は31章から語られていますが、それはまさに回復、復興の預言なのです。▲何もない、すべてを失ったそのところで、失われた世界が、失われた時代、失われた者たちが、再び出会い、そして新たな世界へと招き入れられるとの約束。ここでの「救い」と「約束」のイメージは「回復」です。引き裂かれた人々が、失われた関係が、破れと痛みの中にあった人々が、再びその命を回復し、人々がつながり、喜びの歌が流れる、その回復、よみがえりの時が来る約束なのです。▲見える状況は破壊つくされ、人も動物も生きる糧も失われた状況、その時を迎えるでしょう。その時は、エレミヤの時代のみではなく、すべての歴史の中において、すべての人生の中に起こる出来事だと思います。▲その状況が起ころうとも、神は「彼らをを帰らせ、安らかに住まわせ、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。…彼らをこの時に植える、恵みを与える…そこに、建て、植えると宣言します。▲「集め」「帰らせ」「住まわせ」「幸い」「植える」「恵みを与える」「繁栄を回復する」…それらは当然未来を期待させる言葉です。▲今すぐには、完成の姿や成長した姿を見ることはできません。しかし、今、主によって見えない未来の希望が彼らを励ますのです。ここに希望があります。▲将来が見えず、恐れる心を持つあなたにも、このみ言葉が語られています。(献)
今日の祈り:鮫教会(さめ、青森県八戸市)。①牧師招聘の祈りが叶うように。②鮫の町に基督(キリスト)を伝える教会になるように。③誰でも集える教会になるように。 代表役員代務者:鈴木
勉
2024年11月4日~10日 聖書日課 きたかん特別版
11月 4日(月) 聖書:エレミヤ書24章1~7節
教会の祈り:K・Cさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:太田ビジョン伝道所(群馬県下浜田町1085-50)。①教会形成及び来年の連盟加盟。②太田市民2万2千人が救われ、日本全土に大きな復興の波が起きること。 牧師:李
姫周(リ ヒジュ) (私、坂本も以前、きたかんの「相互訪問」で訪れたことがあります。ただ、その時は車だったので、電車等での行き方はよくわかりません。「新浜公園」の近くです。韓国の方が多い教会で、絵画教室や韓国語教室も行われています。韓国のドラマや映画が好きな方、ぜひ行ってください。ちなみに、「太田市」は自動車の「スバル」関連の会社が多いです。)
11月 5日(火) 聖書:エレミヤ書30章4~7節
今日の祈り:宇都宮教会(栃木県宇都宮市京町15-24)。①教会堂大規模修繕計画のために。②高齢者や多国籍礼拝出席者が安心して教会に集うことができるように。 牧師:天野
英二 (1958年にはじまった宇都宮教会へは「宇都宮」駅からバスがたくさん出ています。車で行かれても駐車場は広いです。近くには「ロッテリア宇都宮滝谷町」や教会の前にはスーパーマーケットの「たいらや滝谷店」、気象台等もありますので、にぎやかな地域です。天野英二牧師は当、所沢教会出身牧師です。電気設備やITに詳しい方で、日本語以外でも翻訳等で礼拝参加できるようになっています。)
10月 6日(水) 聖書:エレミヤ書30章10~11節
今日の祈り:新潟主の港教会(新潟県新潟市東区下木戸2-4-12)。①伝道・教育・牧会ケア・教会財政、そして毎週の主日礼拝が、主によって豊かに祝されますように。 主任牧師:福久
織江(ふくひさ おりえ)、協力牧師:篠谷 輝俊(しのや てるとし) (この教会は日本バプテスト連盟に加盟していた2教会1伝道所が「連盟地域協働プロジェクト」を用いて合併し、新たに誕生し、新潟市東区役所の近くに教会堂ができました。明るく開放的な教会です。また、教会内にある和室はもの凄い「絵本」があります!「絵本」好きな方は一度お訪ねしてみてください。私もびっくりしました。ホームぺージも大変充実しております。教会のすぐ近くに「ウオロク」というスーパーや大きなゲームセンターがあります。)
10月 7日(木) 聖書:エレミヤ書31章1~6節
教会の祈り:教会に来る子どもたちの心と体と信仰の成長、新しい子どもたちが教会に来ることができるように。世界中の子どもたちの守り。 今日の祈り:郡山コスモス通り教会(福島県郡山市中野二丁目57)。①新しい牧師を迎えての出発のために。②地域に主の福音を力強く証ししていくことができるように。牧師:榎本
譲(えのもと ゆずる)
11月 8日(金) 聖書:エレミヤ書31章7~9節
教会の祈り:I・Mさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:あゆみの家教会(福島県福島市、礼拝場所はお問合せください)。①神さまのみもとに召された教会員の一人が言い残されたように、動かされないように、しっかりと立ち、主のわざに常に励むことができますように(Ⅰコリント書15章58節)。 牧師:渡辺
政友
11月 9日(土) 聖書:エレミヤ書31章23~26節
今日の祈り:福島主のあしあと教会(福島県福島市 現在新会堂建設中です。もう少しで竣工すると思います)。①新しい場所、新しい会堂の活動が祝されるように。②主を中心に一致して、地域の教会となるように。 牧師:大島
博幸
11月 10日(日)子ども祝福礼拝 聖書:エレミヤ書31章27~34節 <聖書の箇所から>… エレミヤ書31章の冒頭に新共同訳聖書では「新しい契約」と小見出しがついています。新約聖書も旧約聖書もその「約」とは「約束・契約」という意味です。「契約」といえば何か堅苦しい感じがしますね。インターネットでも「契約を了解しましたか?」と尋ねられますが、大体はザーとみて「ポチッ」としますね。これは結構怖いことです。また、人間関係でも社会でも契約は大事!政治は法律(契約)をつくるところです。そして、聖書の「契約」は神と人間の関係であり、その契約が如何なるものか、それを教会で学んでほしいのです。それは「愛」の契約であるがゆえに命の希望と喜びがあります。(献)
教会の祈り:T・Kさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:山形教会(山形県山形市緑町2-12-34)。①来会者の方々の信仰決心のために。②ご高齢の神の家族のお守り。③中長期計画案の導きのために。 牧師:宮田
祐亮(みやた ゆうすけ)
2024年10月28日~11月3日 北関東特別版
10月 28日(月) 聖書:創世記28章10~15節
教会の祈り:聖歌隊の働きのため、参加者が増えるように 今日の祈り:日本バプテスト連盟「部落問題特別委員会」。①石川一雄さん再審請求実現。②全国諸教会・伝道所が主体的に差別を学び、委員会が伴走できるように。 委員長:秋山
義也(瑞穂教会<名古屋市>牧師)
10月 29日(火) 聖書:イザヤ書46章10~13節
教会の祈り:T・Yさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:日本バプテスト連盟「財務委員会」。①連盟の財政課題に取り組む委員会関係者の健康のために。②次期財務委員会への引継ぎ。 委員長:梶井
義郎(八幡浜教会<愛媛県>牧師)
10月 30日(水) 聖書:イザヤ書30章18~21節
今日の祈り:日本バプテスト連盟「社会福祉事業団体連絡協議会」。①障がい者・高齢者・子どもたちが自分らしくあたりまえに暮らせる「共に生きる社会」の実現に向けて。
10月 31日(木) 聖書:詩編126編
今日の祈り:日本バプテスト連盟引退教役者の方々を覚えて。荒瀬 謙二氏(福岡県在住)、安東 巌氏(静岡県在住)
11月 1日(金) 聖書:Ⅱコリント書5章25~28節
今日の祈り:太田教会(群馬県太田市薮塚町)。①50人礼拝がかなえられますように。②高齢者の健康が守られますように。③教会の交わりが祝福されますように。 牧師:石井
努 (太田教会は東武桐生線藪塚駅より800m、徒歩約15分です。近くには飲食店等がぼちぼちとあります。教会の裏手を東武の線路が通っています。駐車場は広いので、車が便利良いでしょう。かつては「鰻屋」だった建物を改装して教会として使っています。「薮塚温泉」が近くにあり、すごくぬるぬるした肌に良い温泉です。)
11月 2日(土) 聖書:ルカ福音書24章1~12節
教会の祈り:11月の諸行事(10日子ども祝福礼拝、17日筑波教会を迎えての礼拝、24日世界バプテスト祈祷週間礼拝&バザー)の祝福 今日の祈り:前橋教会(群馬県前橋市昭和町)。①2024年度主題:「主の愛を分かち合い伝えよう」 ②地域と共に生きる教会として歩めるように。 牧師:田代 仁 (この教会は前橋市の「群馬大学医学部附属病院」の近くにあり、「大学病院入口」の信号近く、「焼肉ハウス柿の実」の先を曲がったらあります。かつては付属幼稚園も運営していましたので、子どもさんのいる方もお気軽に参加できるし、いろいろなプログラムも用意されています。駐車場もあります。何より田代牧師は北関東地方連合の「副会長」のお役を受けてくださっております!)
10月 3日(日) 聖書:エレミヤ書30章1~3、18~22節 <聖書の箇所から>… エレミヤ書30~33章は「慰めの書」と呼ばれます。エレミヤは南ユダ王国での預言活動を通して、神の裁きとしての滅びがやってくることを告げますが、それが一転してイスラエルの回復する預言をするのです。▲30章ではイスラエルの回復の姿、そして、ひとりの指導者が出ることを記し、その指導者に求められている役割は、神を民と結びつける仲保者としての役割になります。▲さらに22節では「あなたたちはわたしの民となり…」とあります。▲この時の現実はバビロン捕囚や国の荒廃、信仰が見られないような状況です。しかし、主の約束はこのような民であっても「わが民」と呼ぶ日が来るということです。▲今、厳しい現実があるかもしれません。なお、その中でこそ、自らの力に頼らず、神の導きを祈り求めていく、その先に、大いなる主の御手がありますし、今もあなたは主の御手の内にあることを覚えていただきたいのです。(献)
今日の祈り:前橋教会 沼田伝道所(通称:沼田ロマンチック街道キリスト教会)。①キリストの愛に生きる教会。②地域の人、外国人と一緒に生きる教会。③家族を大切にする教会。 牧師:奥田
稔 (群馬県沼田市久屋原町237-8にあります。沼田市はフルーツと温泉の街で、「りんご園」「ぶどう園」「いちご園」等に加え、「温泉」があります。高速道路からも近い場所。「沼田ロマンチック街道」を進み、群馬県で有名な「あおぞら焼肉」を右手に見ながら、しかし「ケーズ電機」まで行くと行きすぎです。駐車場も広くありますし、フィリピン出身の方々も多く集っております。昨年4月から開所され「開所式」に私も伺ったのですが、周囲にりんごの花が咲き乱れていた光景にとても感動しました。まだ新しい教会です、地域の方々が多く参加できますように。)
2024年10月21日~27日 聖書日課 きたかん特別版
10月 21日(月) 聖書:マタイ福音書23章37~39節
教会の祈り:22日、Tさんの葬儀のため 今日の祈り:上尾教会(埼玉県上尾市)。①今年度の標語「一人ひとりを喜び、共に生きる教会」が共有できますように。 牧師:秋山
信夫(場所はJR高崎線「上尾」駅下車し、西口のバス1番乗り場「西上尾車庫」または「西上尾第一団地」行き「大久保」下車徒歩1分とのこと。タイル外装で十字架がよく見える教会です。「アシュラム」も行っています。)
10月 22日(火) 聖書:ハバクク書2章2~4節
教会の祈り:S・Tさんの誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:筑波教会(茨城県つくば市)。①連合や県内教会と協働する教会。②教会に積極的に集うことを大切に。③喜んで捧げることができるように。 牧師:田中
宜之、(学園研究都市「つくば市」稲荷前23-2。交通機関は筑波教会のホームぺージ参照。大きな教会です。地域柄が研究者の方やその家族が多く集っています。某睡眠学者もおられます。今年は2回ウクライナから避難してきた音楽家のチャーチコンサートも行われました。)
10月 23日(水) 聖書の学びと祈り会 朝10時半~、夜19時半~ 聖書:マルコ福音書12章38~13章2節(聖書教育誌、23日と24日を入れ替えています)
今日の祈り:日立教会(茨城県日立市)。①信徒相互牧会による会衆教会をめざし10年目に感謝。②賛美礼拝、女性会再開、家庭集会、教会環境整備への祈り。 教会主事:井伊
肇 (「日立市」はいわゆる「日立」の企業城下町で、関連会社もたくさんあります。日立駅がとても素敵で、窓から太平洋が見えます。教会は少しわかりづらい場所ですが、ぜひ探して行ってください。駐車場もあります。一人でも多くの方が教会に行かれるように祈っております!)
10月 24日(木) 聖書:出エジプト記32章31~34節
今日の祈り:東海教会(茨城県那珂郡東海村)。①教会の新たな歩みが、主によって一致し、互いが尊重し合う真に開かれた教会として進められていくように。 牧師:佐藤
浩、協力牧師:諏訪 泰子 (東海教会は、住宅地の元モデルハウスでした。教会の近くに「学校法人 みぎわ幼稚園」があり、その幼稚園と共に生まれた教会です。今年5月から就任された佐藤牧師は一見、怖いように見受けられますが、実はとても優しい牧師です。)
10月 25日(金) 聖書:マタイ福音書20章25~28節
教会の祈り:U・Eさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:水戸教会(茨城県水戸市元吉田町)。①礼拝の祝福。②病のいやし・心のいやし。③悔い改めの祈り。 牧師:服部
紘司 (水戸教会はJR水戸駅北口からバス等、ホームぺージをご覧ください。大きな道路の「酒門六差路」近くで、大変広い駐車場があります。会堂も大きくすばらしい教会です。「賛美フラ」も行われているようです。)
10月 26日(土) 聖書:エゼキエル書34章1~16節
教会の祈り:明日の礼拝でハンドベル奉仕・証しをされる方々のため 今日の祈り:高崎教会(群馬県高崎市中居町)。①年度標語「私たちの献身~主よ私をお使いください~」を覚えて。②伝道開始30周年を感謝して。牧師:森
淳一 (「モスバーガー」や「高崎東消防署」の近くです。礼拝堂の内外は木材を多用し、あたたかい雰囲気で、森牧師もすばらしいお人柄。先日創立30周年記念礼拝が行われました。高崎教会の帰りにはは「スパゲッティ」や「古墳」探索がおススメ!)
10月 27日(日) 聖書:エレミヤ書23章1~6節 <聖書の箇所から>… ▲聖書では「牧者」(羊飼い)は施政者や王、宗教的指導者にも用いられます。そして「羊」は人間のことで、そのように読み替えると今も昔も変わらない政治家等指導者の姿と重なります。神さまはそのような指導者を嘆き、罰するとこのエレミヤ書では預言されます。▲また、教会で用いられる「牧師」も「牧者」と同じ意味ですが牧師が人を救うのではなく、真の救い主である主に導いていくことが大事な働きです。▲そして何より真の牧者はイエス・キリストです。イエス・キリストがどのように語り、行動したのか、それが世の牧者たちの見本であり、その姿に見倣うべきですし、そのためにイエス・キリストを深く学ぶことです。▲今日は衆議院選挙。「政府」が持つ権力はすごいものです。人を合法的に殺すこともできますし、戦争をするのも政府。恐ろしいほどの権力を国民が与えるのですから、慎重に、必ず投票しましょう。(献)
教会の祈り:本日の「信徒会」に多くの会員が参加し、教会の今後を共に祈り考えるために 今日の祈り:日本バプテスト連盟 関西地方教会連合(32教会6伝道所)。①無牧師の諸教会の必要が充たされるように。②次期役員改選のために。③教会間交流を活発にし、喜び合いたい。 会長:下川
俊也(大阪教会牧師)
2024年10月14日~20日 聖書日課 埼玉県特別版
10月 14日(月) 聖書:ローマ書6章4~11節
教会の祈り:小羊会の働きを覚えて 今日の祈り:飯能教会(埼玉県飯能市)。①キリストを喜び、語り伝える教会。②武林真智子新牧師と共に福音を語り伝える教会になれますように。 牧師:武林
真智子(10月1日に就任されました!飯能教会は所沢教会から生まれた教会です。「飯能」は「ムーミンバレーパーク」があり、ムーミンのキャラクターと宮沢湖の自然の中でのんびりと過ごせます。)
10月 15日(火) 聖書:Ⅰペトロ書4章12~19節
今日の祈り:所沢教会(埼玉県所沢市)。①10月伝道月間に新来者や求道者の参加者が与えられますように。②若年者・高齢者の主の守りと宣教のため。③平和の実現並びに地域の中で世の光・地の塩としての活動。
牧師:坂本 献、協力牧師:芦沼 光雄、中田 義直(日本バプテスト連盟常務理事)(当教会です!所沢は池袋・新宿に電車約30分で結ばれています。また市内にはドーム球場「ベルーナドーム」、KADOKAWAが展開する「ところざわサクラタウン」には「角川武蔵野ミュージアム」等があります。
10月 16日(水) 聖書:詩編51編
今日の祈り:川越教会(埼玉県川越市)。①地域の中で意味ある教会となる。②福音の喜びがいつもある教会。③お年を召した方が安心して来られる教会。 牧師:丸山
勉 (「小江戸」と呼ばれる川越市にあるこの教会は大きな道路から住宅地に入った「隠れ家」的な雰囲気!薪ストーブや大きな窓、木の香り豊かな教会は「かわいい」!ぜひお訪ねください。)
10月 17日(木) 聖書:イザヤ書44章1~8節
今日の祈り:ふじみ野教会(埼玉県富士見市)。①新しく出会う方々と共に主によって集められた「わたしたちの教会」を形作ることができるように。 牧師:山下
真実(やました まこと) (「富士見」という地名は関東に多いのですが、この教会は「富士見市」「ふじみ野東」にあります。間違いやすいです。電車では、東武東上線<池袋より急行で30分>「ふじみ野」駅東口から徒歩5~7分です!山下牧師は地域でも様々な活動に携わっておられます。)
10月 18日(金) 聖書:イザヤ書46章3~4節、8~13節
教会の祈り:M・Hさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:浦和教会(埼玉県さいたま市)。①み言葉を届け、分かち合う。②バプテスト保育園の働きのために。③戦争が一日も早く終結しますように。 牧師:廣島
尚(ひろしま たかし) (北関東の拠点教会です。JR「北浦和」駅から徒歩10分程度です。幹線道路沿いにあり、教会を母体とする「社会福祉法人 浦和ぶどうの樹 浦和バプテスト保育園」が教会に隣接してあります。多くの方々が集い、教会員の方々の様々な働きに感謝しております。)
10月 19日(土) 聖書:ルカ福音書19章41~44節
教会の祈り:明日の特別礼拝でご奉仕してくださる江原美歌子先生のため 今日の祈り:宮原教会(埼玉県さいたま市)。①伝道開始30周年、新たな祝福求め。②キリストの言葉が豊かに宿るように。③ともに成長する教会を目指して。牧師:足立
智幸 (JR高崎線「宮原」駅西口から徒歩約8分です(詳細はホームページ)。近くには「聖学院大学」等があります。来週2024年10月26日<土>11時~14時、バザーがあります。カフェ、手づくり品、リサイクル品等の販売もあるようです。ぜひお出かけください。)
10月 20日(日) 聖書:エレミヤ書10章17~24節 <聖書の箇所から>… ▲預言者は時に厳しい言葉を施政者や人々に語る必要があり、批判や時に暴力・迫害を受けます。しかし、そのような存在が世を導くためには必要なのです。それは政治でも会社組織でも、個人でも同じでしょう。もしあなたに耳が痛いことも、真実を愛でもって語ってくださる方がいれば幸いです。そして、主なる神様もあなたに「御言葉」をもって語ってくださいます。(献)
教会の祈り:継続した求道者が与えられるように 今日の祈り:大宮教会(埼玉県さいたま市)。①主が行かせたいところへ行かせてください。会わせたい人に会わせてください。主の道を遮(さえぎ)ることがありませんように。 牧師:永松
博 (JR「さいたま新都心」駅より徒歩約12分、同「大宮駅」(東口)より徒歩約20分。にぎやかな地域の狭間、住宅地の教会です。若い世代が増えている地域で心のオアシスです。悩みや生き辛さを抱えておられる方もぜひお訪ねください。)
2024年10月7日~13日 聖書日課
10月 7日(月) 聖書:エフェソ書1章4~10節
教会の祈り:新聞折込ちらしが用いられるように 今日の祈り:蓮根バプテスト教会 東京愛の伝道所(東京都板橋区)。①日本にある教会に復興が起こされるように。②聖徒たちの家族と仕事の上に、神さまの恵みがあふれるように。 牧師:朴
天海(パク チョンヘ)
10月 8日(火) 聖書:出エジプト記3章1~15節
教会の祈り:太田 強子姉 今日の祈り:志村教会(東京都板橋区)。①新しい方を招く教会。②信仰決心者が起こされるように。③地域に根ざし開かれた教会となるように。 牧師:常廣
澄子(つねひろ すみこ)、協力牧師:永田 邦夫
10月 9日(水) 聖書の学びと祈り会 10時半~、19時半~ 聖書:Ⅱペトロ書3章8~14節
今日の祈り:東京韓日教会(東京都板橋区)。①福音センターとして仕えるように。②神を礼拝する共同体になるように。③次世代のリーダーが与えられるように。 主任牧師:李
島鎮(リ ドウシン)
10月 10日(木) 聖書:エレミヤ書6章10~17節
教会の祈り:S・Cさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:赤塚教会(東京都板橋区)。①地域伝道の活性化。②次世代の育成。③教会の諸活動。 牧師:石堂
雅彦
10月 11日(金) 聖書:使徒言行録2章40節、3章17~19
教会の祈り:N・AさんとS・Kさんのお誕生日おめでとうございます!
今日の祈り:常盤台教会(東京都板橋区)。①新たなコイノニア(相互牧会)が形成され、豊かな礼拝、多様な宣教活動を行えますように。 主任牧師:友納
靖(とものう やすし)、牧師:森 崇(もり たかし)、協力牧師:渡部 信(わたべ まこと)
10月 12日(土) 聖書:列王記上19章9節、15~18節
教会の祈り:明日のジョイフルサンデーで奉仕してくださる百合丘教会のメンバーのために。 今日の祈り:朝霞教会。①世界の国と人々に、安らぎと平和が訪れますように。
10月 13日(日) 聖書:エレミヤ書6章13~17節 <聖書の箇所から>… ▲預言者エレミヤの生きた時代は紀元前627年頃から583年頃までです。▲すでに紀元前922年に統一王国は北王国イスラエルと南王国ユダに分裂しており、紀元前721年にアッシリア帝国により北王国は滅亡し、南ユダ王国まで脅威を与えますが、当時のヒゼキヤ王は預言者イザヤなどの忠告と協力を得て、その圧迫と危機を脱します。▲その後、悪王としてその名を響かせたマナセ王が55年間ユダを治めますが、その間に国は乱れ、偶像礼拝は国中に満ちあふれ、預言者たちは迫害を受けます。▲マナセ王の後、アモン王が2年間王となります。マナセ王の悪政を経験していた民は自然と新たな変化を望んだようです。▲その中で紀元前640年にヨシア王は何と8歳で王位につき、長年荒れ放題になっていたエルサレム神殿の修理を始め、その折「律法の書」が発見されたことが契機となってヨシア王の宗教改革が始まりました。▲宗教改革が始まった6年後からエレミヤは預言者活動を始め、最初は積極的に協力したようですが、時を経て中央集権的改革へ移行する傾向が出てきたときにはあまり協力しなくなったようです。▲周辺諸国ではアッシリアに変わりエジプトが勢力を北に伸ばし、一方バビロン帝国も勢力を伸ばしていきます。南ユダ王国は巨大勢力の前に力を失っていき、紀元前586年、エルサレムはバビロン帝国により陥落し、指導者や民らは捕囚民としてバビロンに連れ去られ(「バビロン捕囚」)南王国ユダも滅びました。▲そのように国が滅びていく時代をエレミヤは預言をもって批判します。▲当時の社会の有様は「・・・自分の利益をあくまで求める人は自己の願望・欲望に合わせた『偶像』(偽りの神々)を作り上げ、他者の苦しみや窮乏に無関心となり、彼らをふみにじってもためらわなくなるからです。さらに致命的なのは平和がないのに、『平和、平和』と語ることです。自分たちの現状、厳しい現実に向き合わす、言葉に対する真実さを欠き、偽りと偽善を言葉によって塗り替え、ごまかそうとしているのです(「聖書教育」誌より)。」。それらは現代とも重なりましょう。▲ではエレミヤはその民にどのように預言したのか聞いていきましょう。(献)
教会の祈り:継続した求道者が与えられるように 今日の祈り:西川口教会。①就任した牧師と信徒の協働のために。②教会共同体の求心力の向上のために。③地域に根ざした福音宣教のために。 主任牧師:朴
思郁(パク サウク)、教会学校スタッフ:戸田 浩司、教会音楽スタッフ:山嵜 美奈
2024年9月30日~10月6日聖書日課
9月 30日(月) 聖書:創世記15章13~14節
教会の祈り:CS活動と奉仕者を覚えて 今日の祈り:日本バプテスト宣教団。①神の愛に強く動かされたすべの信徒が、労苦を惜しむことなく、日本が福音を聞き救われていく業に携われますように。 代表理事:マシュー・サージェント
10月 1日(火) 聖書:出エジプト記13章17~22節
教会の祈り:10月伝道月間として多くの新来者・求道者が与えられるように 今日の祈り:大泉教会(東京都練馬区)。①地域に根ざした伝道。②高齢者、ご病気の方のために。③青少年・子どもたちの居場所づくり。 牧師:林
健一
10月 2日(水) 聖書:ヨシュア記24章32節
今日の祈り:東京北教会(東京都北区)。①地域の方々と恵みを分かち合う教会。②多様な人々と共に生きる総会。③諸教会と協働する教会。 牧師:魯 孝練(ノ
ヒョリャン)、細井 留美、協力牧師:米本 裕見子、宣教師:郭 修岩(カク シュウガン)
10月 3日(木) 聖書:詩編139編1~24節
今日の祈り:茗荷谷教会(東京都文京区)。①高齢会員の健康と集会参加のために。②来会者の定着のために。③地域社会への福音宣教のために。 牧師:平尾
輝明
10月 4日(金) 聖書:ガラテヤ書1章11~24節
今日の祈り:目白ヶ丘教会(東京都目白区)。①ご高齢の方、ご病気の方が癒されますように。②教会施設の補修が導かれますように。③付属幼稚園の保育が守られますように。 牧師:野口
哲哉、副牧師:内藤 幹子
10月 5日(土) 聖書:Ⅰテモテ4章6~16節
今日の祈り:東京ジグチョン教会(東京都新宿区)。①夏の聖書学校でまかれた福音の種が育ち、実を結ぶように。②聖徒たちが神さまの志を成し遂げるように。③9月開始した日本語礼拝の準備のために。 主任牧師:許
碩真(ホ ソクジン)、元老牧師:金 東源(キム トンウォン)、牧師:金 景鶴(キム キョンハク)、伝道師:朴 重河(パク ジュンハ)、協力宣教師:秋
淵淑(チョ ウンスク)。
10月 6日(日) 聖書:エレミヤ書1章1~10節 <聖書の箇所から>… ▲「聖書教育」誌を用いる教会学校では10~11月は「エレミヤ書」を学びます。礼拝宣教では11月に少し扱うかもしれません。▲「預言者」とは、言葉の通り「神の言葉を預かり語る者」で、「神の代言者」とも表現されます(エレミヤ書1章8節参照)。▲旧約聖書の分量の約三分の一をしめる「預言者」にはこの預言者たちの言葉と活動が記されてます。▲預言者は神に呼び出され(神のコール<呼びかけ>)を受け、神のために働く者です。その条件は、能力と才能とか話術がすぐれていることなどが条件ではありません(その点では主イエスの弟子や、キリスト者も同様)。▲エレミヤは「わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者に過ぎませんから。」(エレミヤ書1章6節)、イザヤは「わたしは汚れた唇の者」(イザヤ書6章5節)という自覚の中で主なる神が用いるのです。そして預言者が持つ唯一の権威はゆだねられている「神の言葉」のみでした(聖書には偽預言者のことも記述されます)。そして、預言者は時代の現実の真っ只中で激しく活動しました。▲エレミヤは紀元前626年に20歳の若さで神の召命を受けます(「聖書教育」では8節の『若者』は3歳から17歳を指す言葉、とありますが)。その時代はあらゆる面で混乱をきわめる南王国ユダの末期。▲南王国ユダのヨシヤ王が紀元前621年、修理中のエルサレム神殿から見つかった律法書の発見により、国内の「宗教改革」を行い、エレミヤはこの改革に賛同し協力します。しかし、ヨシア王の戦死により、この宗教改革は挫折し、迷信や異教が巻き返し、エルサレム神殿の礼拝も外面的形式的になります。エレミヤはそれを非難し迫害を受け、587年のエルサレム陥落を見、南王国が滅ぶ頃、エジプトで殉教したとされます。(献)
教会の祈り:T・Tさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:多くの病床にある方々のために。②高齢の方々のために。③キッズ・ユースミニストリーのために。 主任牧師:高木
康俊、高齢・病床者担当牧師:金香 泰誠(かねこ ひろのぶ)、牧会担当牧師:小勝 琢生(おがつ たくお)、協力牧師:片岡 順子(かたおか よりこ)、鈴木
ケン
2024年9月23日~29日
9月 23日(月) 聖書:創世記45章9~13節
教会の祈り:女性会の働きを覚えて 今日の祈り:篠崎教会(江戸川区)。①家族で礼拝に参加できるように。②新しく来られた方たちが定着できるように。③教会債務の早期完済のために。牧師:川口
通治
9月 24日(火) 聖書:創世記45章25~28節
今日の祈り:新小岩教会(葛飾区)。①福音宣教に励む教会。②みことばと祈りが中心となる教会。③世界宣教のために祈る教会。臨時牧師:川口 まな、音楽主事:川口
由子、宣教師:李ヒソック(イーヒソック)
9月 25日(水) 聖書:創世記46章1~4節
今日の祈り:東久留米教会(東久留米市)。①牧師が与えられますように。②礼拝が続けられますように。③ジョン・チャヌ音楽牧師の活動。 音楽牧師:ジョン・チャヌ
9月 26日(木) 聖書:創世記46章28~30節
今日の祈り:中部地方バプテスト連合教会。①13教会(2教会無牧師)の教会形成。②感謝!福井教会・新会堂建築開始。③教会・連合の被災地支援の取組み。会長:鈴木
直哉(名古屋市・東山教会牧師)
9月 27日(金) 聖書:創世記48章21節
教会の祈り:29日信徒会、会堂ワックスのため 今日の祈り:連盟「日韓・在日連帯特別委員会」。①「外国人住民基本法」「人種差別撤退基本法」「難民保護法」が制定されるように。②国籍やルーツの違いを認め合い、共に生きる社会が実現できるように。 委員長:村田
悦(大分教会牧師)
9月 28日(土) 聖書:創世記49章29~33節
教会の祈り:F・Cさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:連盟「総務委員会」。①諸教会に仕える働きができるように。②小委員会のICT委員会のために。③総務・ICT委員メンバーのために。委員長:壱岐
基子
9月 29日(日) 聖書:創世記50章15~26節 <聖書の箇所から>… ▲9月で「聖書教育」誌では「創世記」の学びを終え、10月~11月は「涙の預言者」と呼ばれるエレミヤ書の学びになります。▲旧約聖書の学びが続き、私としては「新約聖書」の方を増やしたらよいのにと思います。12月からは「マタイ福音書」に入ります。▲さて、エジプトに売られていったヨセフが、主の導きによってエジプトの宰相になります。それは七年の豊作の後、七年の飢饉がやってくることをファラオ(エジプト王)の夢から解き明かしたことからでした。▲その結果、エジプトは豊かな経済を持ち、もちろん「取引」があっての上ですが、周辺諸国を助けることになりました。▲ヨセフの故郷も飢饉に見舞われ、エジプトに食糧を乞うたのですが、そこで故郷の父や兄弟達と再会し、恩讐を経て和解へと導かれたことを学んできました。▲愛する息子との再会を果たした父ヤコブはエジプトのゴシュンで147年の生涯を閉じ、その遺言通りに先祖の墓に葬られます。▲エジプトの宰相の父の葬儀ですから、その葬儀等は荘厳かつ盛大だったことが50章1~14節で語られます。▲ちなみに遺体に「防腐処理」をするように命じたという一文は、なるほどミイラを残すというすぐれた文化や科学があったエジプトらしいと感じます。▲印象的なのはヨセフの兄たちが仕返しを恐れてヨセフに赦しの確認をした時に、ヨセフは「涙を流した」ということです。▲人間関係の中で「赦し・許し」を与えられても、「罪」の現実は消えないゆえ、その「赦し・許し」を信じきることができず、関係性が修復できないのもまた人間の姿です。▲人間関係で「信じてほしい」と言われても人は信じきることはできるのでしょうか?「赦し・許し」が真実となるためには、相互の関係を日々作り出していくことなしにはできないのです。▲そのような私どもに主は、「赦しの主」を信頼しつつ今日のあなたを生きていくようにと招いておられます。(献)
教会の祈り:I・Rさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:日本バプテスト女性連合。①地方連合と諸教会の女性会、女性たちの祈りと共に。②これからの女性連合が豊かに導かれますように。会長:加藤
泉、幹事:米本 裕見子(東京北教会協力牧師)
2024年9月16日~22日 聖書日課
9月 16日(月) 聖書:創世記42章1~5節
教会の祈り:西川口教会朴思郁牧師就任感謝礼拝と西川口教会の歩み 今日の祈り:千葉教会(千葉県市原市)。①教会の平常活動の充実。②祈りあう関係の深化。③教会の使命が確認できるように。牧師:元川
信治、音楽主事:澤田 ルツ子
9月 17日(火) 聖書:創世記42章6~20節前半
教会の祈り:O・Rさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:千葉教会 木更津伝道所(千葉県木更津市)。①教会組織に導かれるように。②障がい者・高齢者福祉のために。③木更津以南の伝道が進むように。 牧師:高市
和久、協力牧師:井本 義孝
9月 18日(水) 聖書:創世記42章20後半~22節
今日の祈り:千葉・若葉教会(千葉市)。①豊かな祈りと賛美に溢れた教会を。②高齢者と家族の健康のために。③30名礼拝が実現しますように。 牧師:牧瀬
博幸
9月 19日(木) 聖書:創世記42章29~38節
今日の祈り:津田沼教会(千葉県習志野市)。①教会員の霊的成長、信仰の一致。②地域に貢献できる教会へ。③経済の満たし、新会堂建築のビジョン。 牧師:大塚
恭一
9月 20日(金) 聖書:創世記44章1~17節
教会の祈り:U・Rくんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:船橋教会(千葉県船橋市)。①求道中の方が信仰決心に導かれるように。②11月20日予定の墓前礼拝の天候の守り。③クリスマス行事の準備。 牧師:松田
裕治、名誉牧師:三ツ木 茂
9月 21日(土) 聖書:創世記44章18~34節
教会の祈り:明日の壮年会歓迎会、女性会例会。それぞれの導きと活性化を願って 今日の祈り:市川大野教会(千葉県市川市)。①地域の方々の安らぎの場となれるように。②教会員の健康と信仰生活のために。③決心者、転入会者が与えられるように。 牧師:富田
愛生(とみた まなせ)
9月 22日(日) 聖書:創世記45章1~8節 <聖書の箇所から>… ▲ヨセフの兄たちは何故疑われ、獄に入れられなければならないのか理解できません。この先自分達があの変なエジプトの宰相から何をされるのかわからない。▲そのような不安のとき、自分たちの未来が暗闇に襲われてしまったとき兄たちは思い出すのです。兄たちがその過去を思い起こし、父親への不安と愛情を示します。それらの言葉を聞いたヨセフは別の部屋に行って泣きます。▲「悔いる心」、過ちは犯したくありません。人を傷つけたり、人を悲しませることはしたくありません。にもかかわらず、私たちは人を傷つけ、人を悲しませ、人を裏ぎり、人を憎み、争いをおこします。だからといってそれで仕方ないということにはなりません。▲分断され、引き裂かれたまま、人は確かな歩みを続けることはできないのですし、それをもって人は天国にまでいけると思っているのでしょうか?▲この兄たちが未来へと歩んでいくためには、自分たちの過去を認め、ゆるされなければその未来はないのです。▲そして、45章でヨセフはついに、自分の身を兄たちにあかします。▲ヨセフと兄たち、弟が抱き合って泣いた。そこに「ゆるし」がありました。和解がありました。22年の時を経て、過去の出来事に対する和解が成立したのです。▲そして、この時与えられた和解、それは罪の悔い改めを伴ってのものですが、その「ゆるし」は過去を変えるものとなるのです。そしてその悔い改めと「ゆるし」こそ未来をつくりだすものとなるのです。▲ヨセフは語ります(4~14節より)。「主よ、あなたが自分の人生にかかわり導いてくださいました。あなたが共におられたゆえ、過去に対する和解ができ、そして、あなたのゆえに、分断されていた人間を共に未来をつくる兄弟として与えてくださいました」と。▲そして、今も主は、十字架の上からわたしたちに語っておられます。あなたはわたしの示したゆるしの道を辿って歩みなさいと。▲それは十字架を負う歩みかもしれない、しかし、そこに過去は過去のままにしておくのではなく、あなたが十字架を背負っていくことによって未来が開かれていくのです。(献)
教会の祈り:O・Kさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:市川八幡教会(千葉県市川市)。①イスラエルによるガザ攻撃の停止。②日本に在留する外国人の権利保障。③困窮者支援ガンバの会の働き。 牧師:吉高
叶(よしたか かのう)
2024年9月9日~15日
9月 9日(月) 聖書:創世記40章1~8節
教会の祈り:北関東地方連合教会・伝道所の働きと伝道推進のために 今日の祈り:三鷹教会(東京都三鷹市)。①今年度の標語「ほめたたえよう 実現される神のみことばを」を掲げ、また一歩前進できるように。 牧師:秋山
献一
9月 10日(火) 聖書:ヤコブの手紙1章1~6節
今日の祈り:中野教会(中野区)。①皆が健康でありますように。②皆の賜物で奉仕できますように。③皆が集う地域に開かれた教会に。 牧師:坂元 俊郎(さかもと
しゅうんろう)、坂元 幸子
9月 11日(水)聖書の学びと祈り会 朝10時半~、夜7時半~ いずれもリモート参加可能です! 聖書:使徒言行録8章26~40節
教会の祈り:H・Nさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:大久保教会(新宿区)。①年間標語「どのような時も主に信頼して歩もう」(ヘブライ11章6節)を日々実践できるように。 牧師:河野
信一郎(かわの しんいちろう)
9月 12日(木) 聖書:創世記41章9~13節
今日の祈り:花野井教会(千葉県柏市)。①ガザ、ウクライナ等、世界の平和。②求道者の信仰決心。③ルーツや国籍を超えた社会の実現。 牧師:古賀 公一
9月 13日(金) 聖書:創世記41章14~16節
教会の祈り:平野 寿雄さん 今日の祈り:栗ヶ沢教会(千葉県松戸市)。①地域に開かれた教会となるために。②ウクライナ、ガザ地区の和平。③幼な子たちのために。 牧師:木村
一充
9月 14日(土) 聖書:創世記41章17~36節
教会の祈り:明日の「召天者記念礼拝」とご遺族を覚えて 今日の祈り:富里教会(千葉県富里市)。①ミッションステイトメント作成のために。②子どもたちの信仰成長のために。③スムーズな世代交代のために。 牧師:武井
誠司
9月 15日(日) 聖書:創世記41章37~57節 <聖書の箇所から>… ▲冤罪で捉えられたヨセフは獄中で2年ほど暮らします。その頃、エジプトの王ファラオ(パロ)が続けて二つの夢を見ます。それは41章前半に記されます。▲ファラオはこの夢にひどく心が騒ぎました。▲その時、以前、夢を解き明かしてもらって、その通りになった給仕長が、ヨセフのことを思い出し、王にヨセフを連れてくるように提案いたします。▲ヨセフはただちに、牢屋から連れ出され、ファラオの前に出ます。そして、夢の解き明かしに入るのです。「その夢はどちらも同じ夢です。7年間、大豊作がエジプトにあります。しかし、そのあと7年間、飢饉が続きます」と。▲夢を解くにあたってファラオに「神がこれからなさろうとしていることをファラオにお告げになったのです」「神がこのことを既に決定しておられ、神が間もなく実行されようとしておられるからです」。と語ります。▲ファラオはその進言を聞いて、ヨセフを国の宰相に命じ、食料を集め、備蓄するシステムをつくったのです。そのことが、後7年間の飢饉が始まっても、エジプトには食料があり、さらに周辺の国々の人々を救っていくことになったのです。▲「聖書教育」誌では「ヨセフの政策と限界」に目を留めています。確かに命を救われた人々は多かったのですが、「代価」は大きなものでした。▲多くのエジプト人や周辺の人々を奴隷として支配し、「権力者が自分やその近親に有利になるように取り計らい、差別や抑圧、搾取の構造を作り出す危険があることを、ヨセフ物語がこのような形で明かにしていることを忘れてはなりません」(松坂有佳子・平野教会牧師)。▲上記の指摘には、一部の人々の「豊かさ」がその背景に持つ「搾取」は現実に今の時代も続いていることを気付かされます。(献)
今日の祈り:茂原教会(千葉県茂原氏)。①誰もが集える教会になりますように。②こどもたちにみ言葉が根付きますように。③隣地購入と牧師招聘が実現しますように。
牧師:塩山 宗満(しおやま むねみつ)
2024年9月2日~8日 聖書日課
9月 2日(月) 聖書:マタイ福音書26章14~16節
教会の祈り:小羊会の働きと小羊メンバーを憶えて 今日の祈り:多摩みぎわ教会(東京都多摩市)。①不動産購入が円滑に進みますように。②新しい仲間が加えられるように。③質、量ともに豊かな礼拝。 牧師:石井
規之(いしい のりゆき)
9月 3日(火) 聖書:マタイ福音書27章3~10節
教会の祈り:S・Mさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:立川教会(東京都立川市)。①大川博之先生と教会員の健康。②教会学校児童科の活性化。③若い働き人が与えられるように。 牧師:文
廷翼(ムン ジョンイク)、名誉牧師:大川 博之
9月 4日(水) 聖書:詩編105編16~24節
今日の祈り:花小金井教会(東京都小平市)。①教会での交流が豊かになるように。②動画配信がさらに充実できるように。③施設などの維持管理と質の向上。 牧師:藤井
秀一、教会スタッフ:中根 淨(なかね きよし)
9月 5日(木) 聖書:使徒言行録7章1~16節
教会の祈り:K・N姉のお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:府中教会(東京都府中市)。①教会堂・牧師館建築の実現、建築献金が満たされますように。②40名礼拝をささげられますように。③長尾基詩神学生(西南学院大学神学部4年)の学びのために。 牧師:長尾
なつみ
9月 6日(金) 聖書:詩編10編
今日の祈り:調布教会(東京都調布市)。①神さまを愛し、隣人を愛する教会へ。②牧師招聘のために。③教会組織50周年、神さまへの感謝。 協力宣教師:岡田
千尋
9月 7日(土) 聖書:箴言7章1~5節
教会の祈り:明日の「長寿の恵み感謝礼拝」と長寿の方々の健康のため 今日の祈り:調布南教会(東京都調布市)。①教会の集会などをきっかけに人々の輪が広がるように。②今秋の伝道集会の講師も与えられ、昨年に続く恵みの収穫を期待します。 牧師:前田
重雄
9月 8日(日) 聖書:創世記39章1~23節 <聖書の箇所から>… ▲先週からヨセフ物語に入っています。17歳でエジプトに連れていかれたヨセフでしたが、エジプトのファラオ(パロ・王様)の宮廷の役人の家に買われます。▲聖書はこう語ります。「主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ」。▲彼はまじめに自分の仕事にとりくみ、家の財産の管理を含めて任されていったのです。ところが、ヨセフは顔も美しく、体つきも優れていた、ということもあってか、あるときから毎日のように主人の妻に言い寄られ、ついにある日、誰もいないときに彼女はヨセフの着物をつかんで「わたしの床にはいりなさい」言います。ヨセフは着物をはぎとられながらも、逃げますが、その妻は「あのヘブライ人がわたしのところにきて、いたずらしようとして、床に入ってきたので大声で叫びました、そしたら、彼はわたしの傍らに着物を残して外へ逃げていきました」▲そんなわけで、ヨセフは婦女暴行未遂の疑いで捕まえられ、獄にいれられてしまうのです。▲しかし、役人の家から監獄に場所は変わっても聖書は「主がヨセフと共におられ、恵みを施し、監守長の目にかなうよう導かれた」と。▲周りの状況は自分にとって都合がよく、他人から見ても「幸せ」のように感じられるときもあるかもしれません。その時もなおそれは自分の力や能力によるものではなく、主が共にいてくださるからだ、そのように神を恐れること、神が伴い、神が導いてくださっていることを知っていたヨセフの強さがそこにありました。▲今度はあらぬ疑いをかけられて、監獄に入れられてしまう。それは不幸なことでありました。▲人生山あり谷ありといわれますが、まさにヨセフはそのような人生を生きていったのです。しかし、その山にも谷にも主が伴われる。「わたしの人生はあなたの御手のうちにある」そのような信仰がヨセフをどんなときにも支え、励ましていったのです。(献)
教会の祈り:10月のジョイフルサンデー(13日)と特別伝道礼拝(20日)のため
今日の祈り:仙川教会(東京都三鷹市)。①地域に開かれた教会となる。②求道者に信仰決心を。③献身者が起こされますように。 牧師:山岸 明、副牧師:井馬
佐紀子(いま さきこ)
2024年8月26~9月1日
8月 26日(月) 聖書:出エジプト記20章1~17節
教会の祈り:H・Sさんのお誕生日おめでとうございます。今日の祈り:八王子めじろ台教会(東京都八王子市)。①福音に仕える豊かな教会活動のために。②武力、暴力の連鎖が止み、キリストの平和が実現するように。牧師:小河
義伸
8月 27日(火) 聖書:詩編23編1~6節
教会の祈り:少年少女会活動のため 今日の祈り:西関東地方バプテスト連合(9教会2伝道所)。①たてられている1つひとつの教会のために。②連合の働きによってお互いが新しくされるように。③無牧師教会のために。 会長:松坂
克世(静岡教会牧師)
8月 28日(水) 聖書の学びと祈り会 朝10時半~、夜7時半~ 聖書:出エジプト記20章1~17節 今日の祈り:連盟「公害問題特別委員会」。①国策を大変換し、破滅への道を走る原子力ムラの思惑が打ち砕かれますように。フクシマの痛みに寄り添いつつ、被造世界の中での役割を正しく果たせますように。 委員長:野中
宏樹(佐賀県・鳥栖教会牧師)
8月 29日(木) 聖書:創世記37章1~8節
教会の祈り:O・YさんとS・Aさんのお誕生日おめでとうございます!今日の祈り:連盟「機関紙編集委員会」。①機関紙『バプテスト』と「協力伝道カレンダー」が豊かに用いられるように。②「協力伝道ひろば(仮称)」サイト開設のために。 発行人:中田
義直(連盟常務理事、所沢教会協力牧師)
8月 30日(金) 聖書:創世記37章9~17節
教会の祈り:芦沼光雄牧師の働きと健康のため 今日の祈り:連盟「『聖書教育』実務者会」。①全国の教会と人びとに用いられるように。②執筆者の執筆作業のために。③実務者の編集作業のために。 編集人:高橋秀二郎(たかはし
ひでじろう・広島教会協力牧師)
8月 31日(土) 聖書:ルカ福音書17章20~21節
今日の祈り:連盟引退教役者の方々を覚えて。浅見祐三氏(埼玉県在住・飯能教会員)、天野和男氏(東京都在住)
9月 1日(日) 聖書:創世記37章18~36節 <聖書の箇所から>… ▲「聖書教育」誌では9月は「ヨセフ物語」を扱います。▲ブルッグマンによればヨセフ物語は「隠されている神の招き」という大きな主題の中にあります。「ヨセフ物語の語り手の持っている神学的主張は控え目であり、たいていの場合暗示されているのみである。▲にもかかわらず、物語が非凡な意図を持っていることも確認され得る。それは、歴史という偶然的な出来事の中に、隠された、気づかれることのない仕方で、神の意図が作用している、ということを主張しているのである。▲けれども神の道は、それにもかかわらず信頼され得るものであり、成就へと至るものである。…この物語の語り手は、神の摂理というものの神秘的なあり方に注目している。神の意図は、ここでは性急な行動や介入によって成就されるのではなく、むしろ自然で継続的に見える、この世的な仕方で成就されている。▲そこには信仰や応答を要求するようなものではない、というのも、主眼は神の道というものが人間の態度や行為に関わりなく働いている、とういことにあるからである。」▲ヨセフ物語を概観してみましょう(主に舟喜
信)。▲37章…「家族に仕える立場~ヨセフを巻き込む愛憎の渦」▲38章…「独立して扱われるべき奇妙な物語」。▲39章…「奴隷として使える立場~神と人とに仕える意味」。▲40章…「囚人に仕える立場~夢を解くヨセフ」。▲41章…「ファラオに仕える栄光の立場~神に教えられるヨセフ」。▲42~43章…「自分を売った者のために仕える立場~兄たちの痛みを知るヨセフ」。▲44章…「仕える忍耐と家族の変革~父の苦しみを知るユダ」。▲45章…「摂理を知る立場~同胞のための苦しみの価値」。▲46章…「摂理による移住~エジプトでの民族形成への道」。▲47章…「仕える者のリーダーシップ~ファラオの好意とヨセフの政策」。▲47章27節~48章…「約束の地を満たすべき契約の民~ヨセフの子らへの祝福」。▲49章…「贖いの歴史における契約の民の役割~ヤコブの祝福」。▲49章29節~50章…「族長の死と和解の完結~新しい苦難への序章」。 教会の祈り:H・Zさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:多摩ニュータウン・憩いの家教会(東京都)◆2024年5月12日の礼拝をもって、加盟教会としての活動を終了しました。以後、多摩ニュータウンバプテスト教会(単立)として活動します。
2024年8月19日~25日
8月 19日(月) 聖書:ルカ福音書15章11~24節
教会の祈り:青年会活動が起こされるように 今日の祈り:青梅あけぼの教会 ライフチャーチ(三鷹市)。①偉大な戒め(マタイ福音書22章37~40節)、大宣教命令(マタイ福音書28章18~20節)に忠実な教会であり続けることができるように。 牧師:大谷
信道(おおたに しんどう)
8月 20日(火) 聖書:Ⅰコリント書13章1~13節
教会の祈り:U・Rくんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:青梅あけぼの教会 恵約宣教伝道所(渋谷区)。①神の愛の内に毎日生きる。②神の愛の赦しを皆と分かち合う。③青年たちの来会と回心。 牧師:藤原
淳賀(ふじわら あつよし)
8月 21日(水) 聖書:マルコ福音書9章42~50節
今日の祈り:東京西教会(会場を借りて礼拝開催)。①礼拝場所の継続確保のために。②宣教者が引き続き与えられること。③求道者が常に与えられるように。 牧師:黒瀬
博
8月 22日(木) 聖書:詩編32編1~11節
教会の祈り:K・Tさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:東京西教会 板橋伝道所(板橋区)。①ネットにてメッセージを配信しています。多くの方の目に留まりますように。 牧師:新保
雅雄(しんぽ まさお)
8月 23日(金) 聖書:コロサイ書3章1~15節
今日の祈り:関東プレインズ教会(東京都羽村市)。①日英語礼拝です。通訳の充実のために。②付属幼稚園の働きのために。③教会員の成長と増員のために。 牧師:デイビッド・ローナン
8月 24日(土) 全国壮年大会(リモート) 聖書:マタイ福音書6章19~24節
教会の祈り:全国壮年会連合の働きと各教会・伝道所の壮年会の働きが祝されるように
今日の祈り:福生教会(東京都福生市)。①宗教法人の取得。②小羊会の再会。③若い教会員の増加。 牧師:稲見 元彦
8月 25日(日) 聖書:創世記35章1~15節 <聖書の箇所から>… ▲「聖書教育」誌「聖書の学び」より抜粋。執筆者:小河義伸(八王子めじろ台教会牧師)。▲ベテルは、ヤコブがエサウの恨みから逃れる途中に訪れた地です。そこで夢に現れた神は、ヤコブを父祖アブラハムと交わした約束の相続人とすることを告げ、ヤコブはそこに記念碑を立てて油を注ぎ、その地をベテル(神の家)と名付けました。▲父イサクと兄エサウのもとを離れて20年、ヤコブは神の恵みを受けて多くの家族そして財産を得て故郷に帰ります。▲故郷では、恐れていた兄エサウとの再会を無事に果たし、ヤコブは神の命令によって再びベテルを訪問します。神がその時ヤコブに命じたのは、その地に住み、神のための祭壇を造ることでした。▲ヤコブはベテルに向かうために、家族や一緒にいる者たちに、外国(岩波訳では「異教」)の神々を遠ざけ、身を清めて衣服を着替えるよう促します。人々は持っていた異教のすべての神々、付けていた耳飾り(宗教的なお守り)をヤコブに渡して埋め、神を礼拝するためにベテルに出発します。▲神のために祭壇を築き、神を礼拝するために異教の神々などを捨てるというのは、異なった神々が礼拝され、多様な文化がある地で生きるために、ヤコブに現れた神のみを礼拝する象徴的な行為であり、信仰共同体としての自分たちのアイデンティティを確認することであったとも考えられます。▲ベテルで神は再び、ヤコブの名をイスラエルとするように命じます。そのヤコブを通して、神がアブラハムとイサクと交わした約束を、神がなおも果たされるという約束の更新でもありました。▲その地にヤコブは石の柱で記念碑を立て、ぶどう酒を注ぎ、油を注ぎ、改めてベテル(神の家)と名付けます。ヤコブが名付けた神の家とは、異なった人たちが共に居ることができる家だったのでしょう。
今日の祈り:昭島めぐみ教会(東京都昭島市)。①賛美が豊かにされますように。②礼拝者で満たされますように。③福音が広く届けられますように。 牧師:石橋
虎之助
2024年8月12日~18日 聖書日課
8月 12日(月) 聖書:創世記4章1~16節
教会の祈り:M・Nさんのお誕生日おめでとうございます。 今日の祈り:大井教会(品川区)。①今年度主題「キリストによる再構築」。聖霊の働きを祈りつつ、「これからの教会の姿」を思い描き、話し合いを重ねています。牧師:加藤
誠
8月 13日(火) 聖書:Ⅱコリント書4章1~6節
教会の祈り:I・CさんとM・Hさんのお誕生日おめでとうございます。 今日の祈り:品川教会(品川区)。①牧師招聘のために。②牧師館、教育館建築のために。③教会が主イエスと共にあるように。音楽主事:岸本
敬子
8月 14日(水) 聖書の学びと祈り会 朝10時半~、夜7時半~ 聖書:Ⅱコリント書12章1~9節
教会の祈り:N・YさんとM・Sさんのお誕生日おめでとうございます。 今日の祈り:泉教会(世田谷区)。①教会、幼稚園の子どもたちのために。②平和憲法を活かすために。③日本一ヒマな教会をめざして。 牧師:城倉
啓、協力牧師:村上 千代
8月 15日(木) 聖書:詩編85編1~14節
教会の祈り:世界の人々の人権が守られ、様々な紛争や戦争が平和的な解決へ導かれるよう、人間に希望と力が与えられるように。 今日の祈り:恵泉教会(目黒区)。①今年度テーマ「主からの喜びを広げよう」のもと教会形成のために。②平和が実現しますように。
牧師:福永 保昭(ふくなが やすあき)、協力牧師:松見 享子
8月 16日(金) 聖書:Ⅱコリント書12章1~10節(再)
今日の祈り:幡ヶ谷教会(渋谷区)。①働き手が与えられますように。②教会堂が与えられますように。 牧師:山川 眞司
8月 17日(土) 聖書:イザヤ書57章14~21節
教会の祈り:高齢者や施設入所されている方々の歩み 今日の祈り:渋谷教会(渋谷区)。①教会員の信仰と健康が守られるように。②祈りと賛美、感謝が溢れる教会を目指して。③礼拝堂の移転・建築のために。 牧師:金
末仙(キム マルソン)、伝道師:林 雄植(イム ウンシク)
8月 18日(日) 聖書:創世記33章1~20節 <聖書の箇所から>… ▲先週のこの欄で記しました。格闘を経てヤコブは「足が不自由にされる弱さを恵みとして与えられ」「神の守りと祝福の中に歩み出す恵み」を知ったのでした。▲そしてついに兄エサウと再会します。33章4節は主イエスの「放蕩息子の譬え=待っている父の譬え」(ルカ福音書15章)と重なるものがあります。「赦し」を求める者には徹底的な「赦し」をもって走ってくるエサウは主イエスの姿を示し、ヤコブは我らの姿を示します。▲10節の「兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます」とのヤコブの言葉は32章31節の「わたしは顔と顔を合わせて神を見たのに、なお生きている」との言葉、そして我らと主との関係においても重なります。▲怒りを抱いていた兄と出会って顔を合わせても、なお生きることができるという感謝を改めて贈り物によって示したのでしょう。▲以下は「聖書教育」誌より引用します(<聖書の学び執筆:小河義伸
八王子めじろ台教会牧師>)。「再会し涙を流して喜び合った二人でしたが、果たして仲良く生活できるようになったかは、はっきりしません。その後、エサウはセイルに帰り、ヤコブはスコトへ行き自分の家を建てて生活を始めます。それぞれ神がアブラハムに約束した地にある町ですが、二つの町は相当離れています。それは仲直りしようにも、二人の間の溝はなかなか埋まらなかったことを象徴しているようでもあります。しかし距離を置いたからこそ、争うことなく、互いに神に生かされていることを認め合うことができ、父イサクが亡くなったときには共に『息子のエサウとヤコブが彼を葬った』とあるように心合わせることができたのでしょう。」。(献)
今日の祈り:青梅あけぼの教会(東京都青梅市)。①復活の力により礼拝、祈祷会、献金の聖別。②牧師、信徒の霊性の深まり、相互牧会の充実。③150名礼拝。 牧師:大谷
唯信(おおたに ただのぶ)、副牧師:森元 國文(もりもと くにふみ)
8月11日週報巻頭言「『ゲン』が語る原爆への怒り」
▲ふとしたことで「読売新聞」1995年8月5日の記事「気流で読む戦争」を目にしました。筆者は「埼玉県所沢市・漫画家中沢啓治56」とあります。漫画「はだしのゲン」の作者です。約30年前に記されたこの文章で中沢氏はこう記しております。▲「当時小学生だった私は、爆心地から1,2㌔の地点で被ばくした。幸い学校のへいのそばにいたため奇跡的に助かったが、前にいた女性は全身を熱線で焼かれて即死した。/爆風で家並みはつぶされ、街には全身の皮膚を焼かれた人々の幽霊のような行進が続いた。/私の父と姉、弟は倒れた家の下敷きになり、母が必死で助け出そうとしたが、柱はビクともしなかった。火災が起きて、弟は『お母ちゃん、熱い、熱い』と叫びながら死んでいった。その悲惨さは、とても『地獄』などという言葉で表せるようなものでなかった。/以後、私は『原爆』という言葉から目と耳をふさいで逃げ回った。あの時のせい惨な光景が目に浮かんで来るからだ。/だが、被爆後21年間生き抜いた母が死んだとき、放射能の影響か、火葬でぼろぼろになってしまった遺骨を見て、『原爆は大事な母の骨まで奪っていくのか』と怒りに震えた。この気持ちをエネルギーに、原爆をテーマにした漫画『はだしのゲン』を描き続けた。それは私の自伝で、書いてることはすべて体験したことだ。…『これから先、だれかが戦争や原爆を肯定するようなことを言っても、絶対に信じるな―』。それが原爆体験者としての私が将来に託すメッセージだ。」▲戦後79年、「大東亜共栄圏構想」の下、アジアに侵略戦争を行い、自国民にも自爆や自死を強制した歴史への批判から生まれた「平和憲法」は揺るぎ、侵略と破壊が続く世界は続いています。▲核兵器は増加し、いつでも使える準備がなされ、様々な戦争の終結を難しくしています。それもまた核兵器の持つ暴力の一つでしょう。▲昨年、ニュースで小学生の教科書から「はだしのゲン」が消えたという記事を見ました。中沢氏が命をかけて託すメッセージもこうして消されます。▲広島原爆慰霊碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の「主語」は誰なのかいつも考えます。誰がどんな顔をして「安らかに眠って下さい」と言えようかと…。▲雷鳴を聞き考える夏の夜。(献)
8月4日週報巻頭言「聖書に出てくるオリンピック」
▲パリオリンピックの熱戦が毎日続き、選手の活躍にわくわくドキドキして観戦しておられる方も多いでしょう。一選手がオリンピックに出場するまでには、日々不断な努力やアクシデントの中での絶望や希望、選手の背後にある多くのチームスタッッフやご家族の思いにも馳せ、奥深さを知ります。▲紀元前776年の第1回大会から、紀元393年の第293回大会まで、1200年近くにわたって、ギリシアのオリンピアの地で行われた祭典が古代オリンピックです。▲当初の種目は、1スタディオン(約190メートル)を走る短距離走のみ、やがて他の競技が順次付け加わり、紀元前5世紀までに競技種目が完成します。▲近代オリンピックとの最大の違いは、古代オリンピックが神々の父であるゼウスに捧げられた、宗教的祭典であったことです。▲競技の優勝者に500ドラクマ(=500デナリオンであり、労働者の500日分の報酬)という巨額の報奨金がありましたが、オリンピックの優勝者に与えられる正式の賞品は、神域に生える月桂樹の若枝(後にオリーブ)を編んで作った冠ひとつでした。金品より、栄誉そのものを与えたからこそ、オリンピックの国際的な威信は保たれたと言われます。▲紀元1世紀のパウロもオリンピックを知っており、Ⅱテモテ4章7~8節はオリンピック競技を思い描きながら語っています。▲「戦いを立派に戦いぬき」の「戦い」は競技です。競技者が正当に最善を尽くしたと語る時、勝とうが負けようが、深い満足感があるし、その言葉に我らも励まされます。▲「決められた道を走り通した」。持久力が問われる競技では、最後の最後まで心を尽くし、様々な状況の変化に対応しつつ、棄権しないで「終える」ことが大事です。▲さらに「信仰を守り通した」と語ります。ここにはオリンピック等の大会での「宣誓」が背景にあります。「選手宣誓」で「ルールに従い、正々堂々と戦います」と語ります。▲「信仰を守り通す」とは「主の道」から外れず従い、与えられた人生、時には困難や障害が伴う「道」を最後まで諦めないで、主の励まし、教会の仲間の祈りに支えられていくことなのです。▲「義の冠」、オリンピックではさきほどの「オリーブの冠」ですが、主が我らに用意してくださる冠、それは数日で枯れるものではない、永遠を約束してくださる冠であり、どのような敗者であっても、主に頼る者は皆、人生を走り終えた時に与えられるのです。(献)
2024年8月5日~8月11日
8月 5日(月) 聖書:創世記27章34~38節
教会の祈り:女性会の働き 今日の祈り:横浜JOY教会(横浜市旭区)。①外に出ていく教会となるように。②信仰決心者が与えられるように。③祈りが教会に満ち溢れますように。 牧師:山中
臨在(やまなか ともなり)、派遣牧師:石田 政美、伝道師:澤田 猛
8月 6日(火) 聖書:ヤコブ書4章1~10節
教会の祈り:非核社会の実現と今もなお原爆の苦しみの中にある方々のため 今日の祈り:横浜ニューライフ教会(横浜地都筑区)。①イスラエルと国々が祝福しあう神の民となりますように。②今年度テーマ「成長する年」の実現! 牧師:田坂
元彦、副牧師:結城 勝吾(ゆうき しょうご)
8月 7日(水) 聖書:ルカ福音書12章13~21節
今日の祈り:百合丘教会(川崎市麻生区)。①教会形成と福音宣教のために。②幼稚園の園児家族と教職員のために。③礼拝スタイルの更新のために。 牧師:川井
高雄、協力牧師:宇野 雄司、教会主事:宇野 澄江、音楽主事:宮原 叔子(みやはら よしこ)
8月 8日(木) 聖書:Ⅰコリント章15章1~11節
教会の祈り:K・Nさんのお誕生日おめでとうございます!今日の祈り:川崎教会(川崎市中原区)。①新しい時代の新しい川崎教会を目指し、互いを喜び合う教会のために。②教会に連なる1人ひとりのために。 牧師:松藤
一作(まつふじ いさく)
8月 9日(金) 聖書:ローマ書12章9~21節
教会の祈り:核兵器廃絶に向けた世界の取組みのため 今日の祈り:多摩川教会(東京都狛江市)。①祈りの家、聖霊の満ち溢れる教会。②十字架の愛と赦しに生きる教会。③世界宣教と信仰継承。 牧師:末盛
桜子(すえもり さくらこ)、音楽主事:永井 愛実(ながい まなみ)
8月 10日(土) 聖書:Ⅰコリント書10章23~31節
教会の祈り:坂本 献牧師の健康と働きのため 今日の祈り:経堂教会(世田谷区)。①地域の方々が、導かれるように。②礼拝の出席者が増えるように。③祈りが、いつもあるように。 牧師:藤原
晴彦、教会教育担当牧師:柏 雅之(かしわぎ まさゆき)
8月 11日(日) 平和祈念礼拝 聖書:創世記32章23~33節 <聖書の箇所から>… ▲伯父ラバンのもとで大変な財産を得たヤコブは、神の命令(31章3節)によって、故郷に向かって出発しますが、「凱旋」のような気持ち良いものではありません。何しろ、かつて長子の権利を騙して奪い、恨みをかった兄エサウがいるからです。▲故郷への帰還のため、ヤコブは兄が怒り襲ってくることがないようにと祈ります。そこにあるのはまさに「罪」の意識でした。▲加えてエサウが4百名のお供を連れてやってきているという話にびびります。▲ヤコブはすべての財産や連れの者達を分けることや、何度も先遣隊を送り、エサウの心をなだめようとするなど、周到な準備をし、ヤボクの渡しに到着します。▲夜間に、まず皆を先に行かせ、ヤコブは川岸に残り、その後、ヤコブは夜通し「何者か」と格闘します。昔、「ヤコブのすもう」と習ったことがあります。▲兄エサウに対する恐れは最高潮に達しています。自分の罪深さを知れば知るほど、合いたくない、再び、逃亡しようという気持ちさえそこにあったのです。▲25~31節の格闘の様子、それは彼自身の戦いであり、自分が歩み道を定める、決断するところの義なる神との格闘だったのです。▲一晩中夜を徹しての「人生をどのように進むのか」という祈りがこの箇所では神との組討という言葉に反映しているのです。和解・仲裁・平和を願う神とまだそれを完全に受け入れることのできないヤコブとの争いです。▲格闘を通して、ヤコブは神から二つの恵みと祝福を受けます。第一は新しい名によって示される自らのアイデンティティ=自分とは何かという自己理解です。「イスラエル」の意味は「神、支配したもう」「神護りたもう」という意味。▲もう一つの祝福は「足を不自由にされる」ということ。格闘を通してヤコブに与えられたものは、「神の護りの中に歩んでいく」恵みであり、そして、もう一つは新しい弱さ、足をひきづって歩かなければならないという弱さが恵みとして、神の祝福として与えられ、新しい道、和解と平和の道を歩みだしてゆくのです。(献)
教会の祈り:C・Aさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:東京第一教会(世田谷区)。①療養中の方々のいやしのために。②バプテスマ決心者のために。③幼稚園への伝道と協働のために。 牧師:高見
龍介、岡村直子
2024年7月29日~8月4日
7月 29日(月) 聖書:民数記6章22~26節
教会の祈り:壮年会の働き 今日の祈り:■連盟「国外伝道臨時委員会」。①国外伝道働き人派遣とサポート。②タイ、シンガポールとの協働。③第70回定期総会予定議案「これからの国際宣教」の審議のために。 委員長:坂元幸子(連盟宣教室長・中野教会協力牧師)■連盟「国外伝道タスクチーム」。①連盟と女性連合の協働である国外伝道が、諸教会と共に主を証しする国際宣教へと導かれますように。 委員長:西脇慎一(西南学院教会牧師)
7月 30日(火) 聖書:ヨハネ福音書1章43~51節
今日の祈り:全国壮年会連合。①神学校献金の取組みの祝福のために。②献身者が新たに起こされるように。③全国壮年会の新役員の働きのために。 会長:高良
研一(たから けんいち・恵泉教会員)*第59回全国壮年大会(西九州・WEB)8月24日(土)
7月 31日(水) 聖書:使徒言行録18章1~11節
教会の祈り:8月の教会の歩みを覚えて 今日の祈り:第62回全国青年大会。①第62回全国青年大会のために。②実行委員と講師の健康のために。③参加者が与えられるように。 実行委員長:河野
安奈(大久保教会員)。 *第62回全国青年大会(横浜市・洋光台教会)8月8日(木)~10日(土)、講師:松坂 克世(静岡教会牧師)
8月 1日(木) 聖書:創世記29章9~14節
教会の祈り:S・RさんとD・Aさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:横浜戸塚教会(横浜市戸塚区)。①信仰生活の実りと祝福。②逗子第一教会とのパートナーシップ協力伝道。②キッズ・ユース世代の守りと成長。 牧師:堀野
浩嗣、協力牧師:内田 泰亮(うちだ たいすけ)。
8月 2日(金) 聖書:創世記30章37~43節
教会の祈り:S・HさんとS・Tさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:横浜大和町教会(横浜市中区、「横浜国際バプテスト教会」を借用)。①求道者に信仰決心が与えられますように。②教会員の健康と信仰が守られますように。 牧師:鉄井
三千夫
8月 3日(土) 聖書:マルコ福音書5章21~34節
今日の祈り:横浜大和町教会 日野神明伝道所(東京都日野市)。①来年40周年に教会組織立ち上げ。②主任牧師の招聘。③地域伝道の祝福。 協力牧師:鉄井
三千夫
8月 4日(日) 聖書:創世記31章1~13節(参照31章14~54節) <聖書の箇所から>… ▲今日の箇所の前に30章を読んでおく必要もあります。ラバンおじさんの家に逃げたヤコブ。当初はラバンとの関係も良く、ラバンの娘、ラケルとの結婚を望み、一生懸命に働きます。七年間働いてついにラケルと結婚しますが、初夜にいたのはラケルの姉、レアでした。その後、ラケルも妻として迎えます。▲この頃は一夫一婦ではなく、一夫多妻とか、側女を持ち、子どもを産むということがよくありました。▲大河ドラマ等を見ると日本でも平安時代等はそうでしたね。「世継ぎ」を産むことや、「家系」を守ることが大事だったし、それはある程度大きな部族長しかできなかったことです。「子ども」は「世継ぎ」「保証」であり「働き手」でもあったわけです。ただし、「一夫多妻」は結果的に良いものをうまなかった(そりゃそうだ)こともあり、その後変化していきます。このヤコブによって生まれた子どもがイスラエル12部族へと発展していきます。▲その後、ヤコブが独立と故郷に帰ることをラバンおじさんに申し出ますが、ここで財産を巡る様々な駆け引き、というか、騙し合いが始まります。そしてラバンとの関係も悪化し、ついにヤコブはすべての財産と妻子を連れて故郷へ帰っていくのです。▲何とも良い話ではありませんが、「聖書教育」誌にもあるように、この対立する関係の中で、ラバンおじさんはヤコブたちを「ひどい目に遭わせることもできましたが、ヤコブとの対話へと導かれます。ヤコブも理不尽なラバンに怒ることがあっても対話を継続し、二人の間で互いを認め合う契約を結ぶことになります。神のお告げは、争い事があっても非難し合うのではなく、互いを認め合う対話へ、そして関係回復へと導いたことは、「対話」を止め「力」に頼る世界が学ぶことです。(献)
今日の祈り:青葉教会(横浜市青葉区)。①ジュニア科対象者への伝道。②ユース科の学びと交わりの祝福。③高齢者の集いの充実と増加。 牧師:三宅 真嗣(みやけ
しんじ)、副牧師:三宅 友子
7月21日週報巻頭言「フランスのキリスト教」
▲7月26日からパリでオリンピックが開催されます。この機に「ノートルダム寺院(教会)」でも有名なパリに行かれる方もありましょう。パリも酷暑みたいなので私は行きませんが、今日はフランスのキリスト教事情を紹介します。▲基本的にカトリックが人口の7割ですが、実際に教会に通っているのは内1割とみられます。プロテスタントは人口の1%ですが、歴史的に重要な人々を生んでおり「狭き門」で有名なジッド、哲学者リクール、映画監督ゴダール、自動車産業のシトロエン家やプジョー家等があげられます。プロテスタント各派は、「カルヴァン派」を中心に「ルター派」「聖公会」「バプテスト」等です。▲ルターらによって始まった16世紀「宗教改革」の流れはフランスにも広がりますが、歴代の国王により迫害されます。しかし、ジュネーブから祖国フランスの宣教を進めたカルヴァンらの影響により信徒が増え続けました。▲16世紀後半にはカトリックとプロテスタントの対立が宗教戦争を引き起こしますが、覚えてほしいのは、戦争を引き起こすのは君主や貴族の対立による経済問題、差別問題によるものです。▲16世紀末には王令によりプロテスタントは部分的容認を得ます。部分的とはいえ、一国一宗教が当然であった時代には画期的なことでした。▲その後も対立は続き、ルイ13世の時にも宗教戦争が勃発しております。ファシズムが台頭した20世紀にはフランスもナチスに占領され、ユダヤ人迫害が起こります。この時、同じく迫害を受けた歴史と記憶を持つプロテスタントはユダヤ人保護のために積極的な活動をいたしました。▲1960年代のカトリック第二バチカン公会議以降、カトリックとプロテスタントは和解の道を進み、現在、両者は友好的関係を持ち、宗教的立場から共同で社会にメッセージを発することが多くなっています。▲フランスでは政教分離が徹底されすぎ、若年層には常識的な宗教的知識が欠ける傾向があり(日本もそうだけど)問題とされます。また、イスラム・テロ事件の頻発によって穏健なイスラム市民(事件を起こすのは極一部の過激派)への風当りが強くなり、カトリック・プロテスタント共に共同して保護を訴えていますし、フランスのキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の代表者は折にふれて合同の会議を開いているとのこと。▲そのような背景も考えつつ五輪を観たいものです。
(献・上記内容は聖学院大学 和田光司教授<日本基督教団小金井緑町教会員>による)
2024年7月22日~28日
7月 22日(月) 聖書:エレミヤ書33章6~9節
教会の祈り:財務委員会の働き 今日の祈り:湘南台教会(神奈川県藤沢市)。①信仰と希望と愛に生きる幻の実現。②西野修平牧師と教会員の協力協働。③30名礼拝の実現。 牧師:西野
修平
7月 23日(火) 聖書:Ⅰコリント書10章14~22節
今日の祈り:藤沢教会(神奈川県藤沢市)。①生き生きとした礼拝と活動。②地域に開かれた教会。③賛美と福音が響く教会に。 牧師:伊藤 真嗣(いとう
まさつぐ)
7月 24日(水) 聖書の学びと祈り会 10時半~、19時半~
今日の祈り:横須賀長沢教会(神奈川県横須賀市)。①礼拝の形が整えられますように。②共に愛し祈れる教会となるように。③交わりが深められますように。 現在無牧師です。総務執事:根塚
幸雄
7月 25日(木) 聖書:創世記27章41~45節
今日の祈り:港南めぐみ教会(横浜市港南区)。①新体制での教会活動の進捗へ。②地域環境に沿った宣教の推進。③現状に鑑み高齢者のための教会に。牧師:古家
克務(ふるや かつむ)、協力牧師:古家 良子(ふるや りょうこ)
7月 26日(金) 聖書:列王記上8章41~43節
教会の祈り:M・Hくんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:洋光台教会(横浜市磯子区)。①教会組織50周年を感謝し、心新たに主に聴き従い、隣人と共に生き、福音を証しできるように。 主任牧師:萩原
永子(はぎわら のりこ)
7月 27日(土) 聖書:創世記35章1~7節
今日の祈り:神奈川バプテスト連合(18教会2伝道所)。①神奈川連合2024年度主題標語「それぞれのひとあしを祈る連合へ」。諸教会・伝道所それぞれのひとあしの祝福のために。 会長:犬塚
契(ふじみ教会牧師)
7月 28日(日) 聖書:創世記28章10~22節 <聖書の箇所から>… ▲ヤコブは父イサクをだまして「祝福」(ここでは具体的に長子としての相続権等)を兄エサウから奪い、エサウから命を奪われる危険を察知して母リベカの兄であるラバン伯父さんのところに逃げます。▲ベエル・シェバ、からハランは直線距離でも6百キロ程あります。その逃避行の途中のベテルでヤコブは一夜を過ごします。石を枕にして寝た時、一つの夢を見ます。▲天から地をつなぐ階段が伸び、御使いたちが昇り降りしています。そして主が傍らに立ち、語ります。その内容はこの土地を与えること、子孫が増え拡がること。何より、主があなたと共におり、どこに行っても守り、必ずこの土地に連れ帰る、主は決してあなたを見捨てないことです。▲朝、ヤコブは枕にした石を記念碑として立てます。▲この光景が歌われている讃美歌が新生讃美歌603番「主よみもとに」です。5節により「葬儀や天国への希望を歌った讃美歌」として知られますし、実際、タイタニック号沈没の時に演奏されたとか、アニメ「フランダースの犬」の最後の場面で流れました。▲しかし、葬儀のみで歌われるのはもったいないです。今日の聖書箇所を改めて考えてみましょう。ヤコブはその夜、何を考えていたことでしょう。父を騙し、財産を譲り受け、愛する母と共に暮らすという計画はすべて崩れました。伯父の家に世話になりますが、それがどんな生活かは予想できません。▲「後悔」はたくさんあります。改めて考えると「ヤコブが幸いを得る別の道」は他にもあったのです。▲ある人々は自分の計画を絶対視し、完全と考えます。しかし自らの計画は頓挫し、目的通りになりません。まさに「虜(とりこ)」になってしまうのです。▲しかし、人はその牢獄や失敗から再び新たな道を歩む可能性があります。自分の計画や考えが破綻したとき、孤独な夜を迎えた日、失望が溢れる時、そのあなたを見ておられる「主」がいます。「主があなたを見捨てない」、との言葉を信頼する時、新たな歩みが始まるのです。(献)
教会の祈り:朝霞教会礼拝支援の働きを憶えて 今日の祈り:連盟「靖国神社問題特別委員会」。①あらゆる暴力から解き放たれ、各地の戦争・紛争が終息し、差別と支配から自由にされますように。委員長:松藤
一作(まつふじ いさく・川崎教会牧師)
「夏期学校に寄せて」 7月14日週報巻頭言より
▲昨日(7月13日)から「With Jesus~つながる~」との主題で夏期学校が開催されています。この時を通じて子ども達の成長を見ることができます。小さな時を知っている子どもが司会を立派にしたり、バーベキューの準備をしっかりとする姿にとても嬉しくなります。▲「育ち合い、育て合う教会」で子どもたちも時の移ろいと共に、神様とご家族の愛、教会の交わりの中で確かに成長してゆくでしょう。▲イエスさまは身近な食物や動植物を「たとえ」として用いて神様と人間の関係をお知らせになりました。▲その中に「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」という言葉がヨハネ福音書15章5節にあります。▲ぶどうの木は当教会にもありますが、ぶどうの木は地中深くまで根を伸ばし、そして一本の枝から多くの枝が分かれて繁るところから「繁栄のシンボル」とされてきました。▲冬、枯れているようになにもない枝から、季節になると緑の若枝が無数に伸び、そこに実をつけていきます。それは幹を通して栄養や水分が枝に供給されているからです。▲私どももまた「枯れたような心」になってしまうことがあります。枯れた心は潤いのない、優しさのない心、人の気持ちの理解できない心です。心の栄養をいただきたいと願いつつ、様々な多忙や、心配や恐れの中でその余裕すら失ってしまうこともあります。▲主イエスさまは「わたしの愛にとどまりなさい」とおっしゃいました。「とどまる」とは「結ばれていきなさい」ということです。主イエスさまが人を愛され、受け入れていった心を私にもください、人を愛するという力を私にもください、その祈りに生きるつながりです。▲わが子すら時に疎ましく、憎らしく思う時もあるのです。そのような自分に気づく時、それは幸いであると思います。弱さや醜さをもった自分をさらけ出しながら、神様の助けを、力を、愛を求めることを主イエスさまは良しとして、あなたを支えてくださるでしょう。▲そして、そのような「私ども」であることを知るゆえに、共に祈り、祈られて主なる神さまに育てられていくのです。(献)
2024年7月15日~21日
7月 15日(月) 聖書:使徒言行録28章28節
教会の祈り:信徒委員会の働き 今日の祈り:大秦野教会(神奈川県秦野市)。①主日礼拝の充実と新たなチャレンジ。②会堂の維持と活用、庭のアレンジ。③若い人々の悩みを受けとめる場。牧師:日髙
龍子、協力牧師:日髙 嘉彦
7月 16日(火) 聖書:箴言19章21節
今日の祈り:ふじみ教会(神奈川県平塚市)。①礼拝共同体としての教会形成が主の憐みによって導かれますように。②信仰の継承が次世代までなされますように。 牧師:犬塚
契、協力牧師:犬塚 修、草島 豊
7月 17日(水) 聖書:イザヤ書58章6~11節
今日の祈り:綾瀬小園教会(神奈川県綾瀬市)。①新来者・求道者が与えられるように。②一人ひとりの霊肉が守られますように。③教会の経済的必要が満たされますように。 牧師:岩瀬
礼
7月 18日(木) 聖書:創世記27章1~17節
今日の祈り:相模中央教会(神奈川県大和市)。 ①年度主題「キリストに結ばれて、共に歩むわたしたち」。第二次中長期計画や空調設備更新、墓園拡張などの取組み。③座間伝道所のために。牧師:吉田
真司、音楽・子どもユース担当主事:江原 美歌子、協力牧師:斎藤 剛毅(ごうき)
7月 19日(金) 聖書:創世記12章1~9節
教会の祈り:求道者、バプテスマ決心者、転入会者が与えられるように 今日の祈り:相模中央教会 座間伝道所(神奈川県座間市)。①牧師の健康が守られますように。②礼拝参加者が加えられますように。③教会財政が守られますように。 牧師:内藤
玲緒奈
7月 20日(土) 聖書:29章8~11節 <聖書教育・毎日のみことば(中心:10節)>… 祝福は、聖書では神の義、守り、憐み、みこころにかなったすべての働きと手のわざ、喜び、善意、最上のもの、恵み、救い、そしてキリストの再臨などどの関連で表現されています。日々みことばを通してイエスと出会い、祝福をいただきましょう。
教会の祈り:C・Mさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:平塚教会(神奈川県平塚市)。①こども食堂と地域のために。②不動産の有効な活用のために。③こどもの声がする教会となるために。牧師:平野
健治
7月 21日(日)聖書:創世記27章18~29節(参照:27章1~17節) <聖書の箇所から>… ▲イサクの妻、リベカはどうしても自分の双子のうちの一方であるヤコブに夫イサクの財産等を独占させたかったようです。「溺愛」や「不平等な愛」は「愛」から逸脱する行為と考えなければなりません。▲先週は「食べ物」によって長男エサウは「長子の権利」をヤコブに譲り渡しますが、人生の日暮れを迎えたイサクもまた「食べ物」によって騙され、「長子の権利」を正式に譲り渡すのです。▲高齢者は騙されやすいと言われますが、ここで騙すのは妻であり子であるのは悲しいですね。▲リベカは策を練り、イサクがエサウに「野に行って獲物を捕り、料理をつくってきてくれ、それを食べたらわたし自身の祝福をお前に与える」と言います。ここでの「祝福」は前後関係からも財産等を正式に譲ることであると考えられます。▲エサウが野に行っている間、その話を盗み聞きしたリベカは、ヤコブに家畜を持ってこさせ、料理し、イサクに食べされるのです。▲さらに、念には念をいれて、エサウの晴れ着をヤコブに着させ、毛皮をまとい、エサウのような肌にして、目が薄くなっているイサクを騙し、エサウが戻る前に「祝福」を奪い取ったのです。▲遅れてやってきたエサウはこの顛末に悲痛な叫びをあげて激しく泣くのです。エサウの恨みは強く、父イサクが召された時には弟ヤコブを殺すことを計画いたします。その殺害計画を知った母リベカは兄の家、ラバンのところに逃がすのです。▲人間がその欲や自己実現のために計画する悪はこのように広がり、一方で自分の思いのままには、我がままな計画通りに現実が進まないことを教えてくれます。▲結果的にリベカもヤコブも嬉しい人生を歩むことができたのでしょうか?リベカも双子も幸いに生きる道が他にあったのではないでしょうか。▲人間の思考や想像力の貧しさは、今の世界に満ちる「貧しさ」と同様です。私ども、そしてこの世界は、聖書から学ばなくては幸いをつくれないのです。(献)
教会の祈り:K・Aさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:逗子第一教会(神奈川県逗子市)。①延命ではなく、新生する教会へ。②地域のコミュニティの拠点教会へ。③愛のあふれる温かい教会へ。 牧師:小平
公憲(こだいら きみのり)、協力牧師:杉野 省治
「7月の讃美歌『愛のみ神にこそ』」週報巻頭言より2024年7月7日号
▲コロナパンデミック後(とは簡単に言えませんが)、ほとんどのプログラムがコロナ前に戻り、当教会礼拝でも「月の讃美歌」を再開しています。7月は新生讃美歌434番「愛のみ神にこそ」です。▲この讃美歌は歌詞、旋律ともにゲオルク・ノイマルク(1821-81)の作品。ノイマルクはテューリンゲン地方のランゲンザルツェンの貧しい家庭に生まれ、ケーニヒスベルク大学に学び、ワイマールの宮廷図書館員、宮廷詩人として生涯を送りました。ガンバ(チェロに似た弦楽器)の奏者としても知られ、多くの讃美歌を残し、中でも広く愛唱されている名曲がこの讃美歌です。▲彼は19歳の時、ケーニヒスベルク大学への旅への途中で強盗に襲われて無一文になり、学費を稼ぐために職を探し歩いている時に、思いがけず家庭教師の仕事を与えられた時の感謝と喜びをこの讃美歌に歌ったと、自伝の中に記しています。▲この讃美歌は1657年の歌集で発表されました。その歌集で「『その重荷を主にゆだねる者を主はゆたかに支えてくださる』という言葉に基づく慰めの歌」との題が附してます。参照聖句はマタイ7章24~25節<確かなる土台>、詩編37編3~5節、23~24節<あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らい…>、詩編55編23節<あなたの重荷を主にゆだねよ/主はあなたを支えてくださる…>、詩編62編2~3節<わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。…神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔…>、ローマ書8章31~35節<…だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。…>等。▲すべての悩み苦しみを主にゆだねて、日々をの歌い、祈りつつすごすという歌詞は、多くのキリスト者に慰めを与え続けて来ました。バッハ(1685-1750)も大好きだったと見えて、カンタータ(声楽曲)の中でこのコラール(ドイツ語讃美歌)を一番多く用いていますし、オルガン曲としても数多くの作品を残しています。▲ちなみに以前の讃美歌(1954年版)304番と比較してリズムは当初の形に近くなっています。「讃美歌21」454番は原詩と同様7節まであります!「教会福音讃美歌」は「讃美歌21」の訳を用いてます。新生讃美歌は4節までの歌詞で、訳出できていない点はありますが、内容的にまとまっていると感じ、7節でなく、4節で良かったと思います。<献 なおこの讃美歌の背景については日本基督教団出版局「讃美歌21略解」(日本基督教団讃美歌委員会編)から引用しています>
2024年7月8日~14日
7月 8日(月) 聖書:ローマ書8章18~30節
教会の祈り:教育委員会の働き 今日の祈り:三島教会(静岡県)。①新来者の定着。②ゴスペルメンバーの救い。③高齢者の健康がまもられるように。 牧師:本多
英一郎
7月 9日(火) 聖書:創世記50章15~21節
今日の祈り:富士吉田教会(山梨県富士吉田市)。①年主題「主イエスのために、だれかのために」の実現。②地域に根差し、世界の友と共に。③バプテスマと転入会が与えられるように。 牧師:宮内
宏明、宮西 千晴
7月 10日(水)聖書の学びと祈り会 朝10時半~、夜19時半~
聖書:フィリピ書2章1~11節 今日の祈り:山梨教会(山梨県甲府市)。①新しい牧者が与えられるように。②新来者が導かれるように。③無牧師中の歩みが守られるように。
7月 11日(木) 聖書:創世記3章1~13節
教会の祈り:東日本大震災被災地と復興、原発事故と被害者、今後のために 今日の祈り:松本福音村教会(長野県松本市)。①全教会員が毎日Quiet
Time(静かな平穏な時、落ち着いた時、黙想の時)を過ごす。②主日の牧場の集まりを通じた霊的な交わりと成長ができますように。③学部青年部の担当伝道師が来ますように。 牧師:黄
基英(ファン キヨン)
7月 12日(金) 聖書:申命記21章15~17節
教会の祈り:夏期学校の守りと祝福 今日の祈り:松本福音村教会 座間伝道所(神奈川県座間市)。 ①希望を与える教会になりますように。②信徒の信仰生活と成長のために。③地域に福音の実があるように。 牧師:李
在浩(イ ジェホ)
7月 13日(土) 聖書:箴言29章8~11節
教会の祈り:明日のM・Mさんのバプテスマのため 今日の祈り:松本福音村教会 大和愛宣教伝道所(神奈川県大和市)。 ①礼拝後、分かち合い、祈る時間のために。②伝道の働きが徐々に進むように。③地域に用いられますように。 牧師:李
東柱(イ ドンジュ)、主事:郭 淑(カク シュク)
7月 14日(日) 聖書:創世記25章27~34節 <聖書の箇所から>… ▲アブラハム(=アブラム)はユダヤ民族の「父祖」と呼ばれます。ただし、ユダヤ人がすべてその家系にある等の思想は妄想です。その後様々な民族との関係がありますゆえに、ただ新約聖書で「アブラハムの子」と表現される時は「救われるべき子」「神の守りの中にある子」というニュアンスを含みます。▲アブラハムは突如、歴史の中に現れ、聖書にその名が記されます。唐突という感がしますが、聖書で活躍する人々の多くは「突如」現れますが、そこに神の御心があったのでしょう。▲アブラハムの子がイサクです。イサクの嫁探しの話が創世記24章に出てきます。アブラハムの僕が嫁探しをする中で、僕が祈り、道が示されます。その示された内容のように、優しく、美しいリベカと出会い、イサクの妻となり、イサクとリベカの間に双子が生まれます。▲エサウは巧みな狩人で、一方、ヤコブは穏やかな人で天幕(住居でテントのようなつくり)の近くで働き、料理も好きなようでした。父イサクは美味しい肉を狩ってくるエサウを愛し、母リベカは料理も好きなヤコブを愛したようです。▲この双子と親を巻き込む関係性が問題を引き起こします。ある日、ヤコブが煮物を作っている時に、疲れ切って腹を空かせたエサウが帰ってきます。エサウは煮物を食べさせよ、とヤコブに言います。ヤコブは策略だったのか偶然だったのかわかりませんが、その時「長子の権利を譲るなら食べさせよう」と言います。そしてエサウは長子の権利を双子の弟のヤコブに譲るのです。▲エサウは長子の権利について考えていなかったようです。長子の権利には財産受け継ぎや同時に親の扶養の義務等が伴いますが、若い時はそのようなことは余り考えません。ヤコブは双子なのに長子の権利がないことは聞かされていたかもしれません。来週の「聖書教育」誌で扱う箇所には、リベカとヤコブが結託して、父イサクを騙し、改めて長子の権利を奪い取るのです。▲ここから色々なことを思いますが、家族である、あるいは家族ゆえに憎しみや騙し合いや生まれることです。若い頃は優しかったリベカも今や一方の子を溺愛し、子を平等に扱いません。今も同じ状況が沢山見られます。その現実は神さまが介入する以外に解決はないのです。(献)
教会の祈り:S・Nさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:松本蟻ヶ崎教会(長野県松本市)。 ①キリストの平和の実現。②自分の弱さを公開できる教会。③対話をあきらめない。 牧師:齊藤
弘司
2024年7月1日~7日
7月 1日(月) 聖書:ローマ書12章1~8節
教会の祈り:K・Tさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:福井教会(福井県福井市)。①地域から待ち望まれる新会堂に。②新会堂での多様性に富む宣教。③主のたゆまぬ、み業に動かされる教会。牧師:平良
憲誠(たいら けんせい)
7月 2日(火) 聖書:Ⅰコリント書12章1~11節
教会の祈り:伝道委員会の働き 今日の祈り:富山小泉町教会(富山県富山市)。①能登地震災害支援の働きのために。②収穫のために働き手が与えられるように。③北陸3教会の協働の祝福のために。牧師:閔
丙俊(ミン ビョンジュン)
7月 3日(水) 聖書:Ⅰコリント書12章12~27節
教会の祈り:新来者の方々や求道者の方々を覚えて 今日の祈り:金沢教会(石川県金沢市)。①無牧師の教会の歩みのために。②金沢めぐみ幼稚園の働きのために。 代表役員代務者:本井
智美
7月 4日(木) 聖書:創世記25章19~23節
今日の祈り:浜松教会(静岡県浜松市)。①主にある交わりを楽しむ教会へ。②主に応答できる一人ひとりへ。③無牧師の群れに新しい牧者を。 牧師:伊藤
勝彦
7月 5日(金) 聖書:創世記25章24~27節
今日の祈り:川根教会(静岡県榛原郡<はいばらぐん>川根本町)。①教会の働きと共にあった幼稚園が過疎で休園となりました。今後の教会の歩みに主の導きをお祈りします。 牧師:松下
正巳
7月 6日(土) 聖書:創世記25章22~23節
教会の祈り:7月の教会行事(夏期学校等)に主の導きと祝福があるように 今日の祈り:清水栄光教会(静岡県静岡市)。①後任の牧師が与えられるように。②教会会計が必要を満たせるように。③教会員が力を合わせますように。 代表者:山本
幸信
7月 7日(日) 聖書:創世記25章19~26節 <聖書の箇所から>… ▲連盟「聖書教育」誌は7月~9月まで「創世記」を扱い、7~8月は創世記25章以下の「族長物語」の中に置かれる「ヤコブ」を中心とし、9月は「ヨセフ」を中心とします。▲ここで「創世記」全体の構造を見てみましょう。この構造の分け方については様々な考え方の一つであるとご理解ください。
▲「第一部」1~11章…歴史の性格と方向~贖いの歴史の枠組み。▲ここでは創造物語や人間が造られた意味、「ノアの箱舟」のことや「バベルの塔」の話等、人が共生する中での課題が語られます。
▲「第二部」12章~50章…族長の歴史~贖いの歴史の源流。▲①アブラハムの歩み(12章~20章)。突然、人間の歴史の中にアブラハム(最初は「アブラム」)が登場し、主が「わたしの示す地へ行きなさい」と語り、聞いたアブラハムの生涯は「神の約束とは何かを求める」歩みでした。
②イサクの生涯(21章~26章)。アブラハムの子「イサク」(英語表記では「アイザック」)もまた私共の人生の歩みに関わる主の御心を教えてくれます。
③ヤコブの生涯(27章~36章)。ヤコブはまさに「騙す人」でした。しかし、その策略は思ってもいない生涯へと招かれます。32章の「ヤボクの渡し」(川を渡る話)での格闘が印象的な「ペヌエル(神の顔)」、そこにおいて罪ある者が必ずたどらなければならない「赦し」を教えてくれます。
④ヨセフの生涯(37章~50章)。「夢見る人(ディドリーム ビリーバー)」ヨセフは兄弟たちによって、兄弟たちが意図していなかった運命へと導かれエジプトへ売られていきます。そしてエジプトで大臣となり、飢饉から人々を救い、最終的には、家族・兄弟らを救うことになるのです。
▲創世記のメッセージは新約聖書における主イエスのメッセージを知り学ぶ時にも有効です。7月~9月は「夏期学校」や「平和礼拝」その他いろいろなプログラムも入ります。ゆえに、主に「創世記」を扱いますが、創世記でも「聖書教育」のプログラムと違った箇所を扱うことが多いと思います。▲とても豊かな「創世記」から語るべきことを語ることができたらと思います。▲礼拝は年52回、つまり52時間(+少し延びる時を含めて55時間くらいかなぁ)ほどしかないのです。▲人生短し、急げ友ら、主に依り頼め!(献) 教会の祈り:M・Mさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:静岡教会(静岡市)。①福音に良く用いられるように。②地域と共に育ち合うように。③世界と共に平和を祈ります。牧師:松坂
克世
2024年6月24日~30日
6月 24日(月) 聖書:Ⅱテモテ書4章13節
教会の祈り:礼拝委員会の働きを覚えて 今日の祈り:各務原教会(かがみはら・岐阜県各務原市)。①遠方から来るブラジル人のために。②月に2度の長浜集会(滋賀県)の説教者のために。③日本人求道者の救いのために。 牧師:後藤
寿
6月 25日(火) 聖書:Ⅱテモテ書4章14節 今日の祈り:各務原教会 豊田伝道所(豊田市)。活動休止中。
6月 26日(水)聖書の学びと祈り会 10時半~、夜7時半~ 聖書:Ⅱテモテ書4章1~8節 教会の祈り:東京バプテスト神学校の運営・働きのため 今日の祈り:東京地方バプテスト連合(19教会2伝道所)。①協力伝道の推進(各地区牧師会と連携)。②東京バプテスト神学校の支援(受講・後援会入会促進)。 会長:篠
松次郎(常盤台教会員)
6月 27日(木) 聖書:Ⅱコリント書11章30節 今日の祈り:連盟「障がい者と教会委員会」。①生きづらさの中にある人たちと教会が出会えますように。②隣人と共に歩む知恵と力が与えられるように。 委員長:水野
英尚(みずの ひでたか、かたえ教会<福岡市>牧師)
6月 28日(金) 聖書:Ⅱコリント書12章7節 今日の祈り:連盟「伝道者養成に関する委員会」。①「伝道者養成の基本理念」が具体化するように。②教役者の働きを担う献身者が与えられるように。 委員長:西島
啓喜(帯広教会<北海道>教会員)
6月 29日(土) 聖書:Ⅱコリント書12章7節
教会の祈り:明日の礼拝で奉仕する小松澤恵さんと芦沼牧師のため 今日の祈り:■学校法人西南学院(福岡市)。①西南学院が平和を大切にし、教育を通して、人を育てることができますように。 学院長:今井
尚生 ■西南学院大学神学部/専攻科/選科/大学院(福岡市)。①正義と平和の神の国を求める教育。②教会に仕える働き手の呼び起こし。③協力伝道における教会との協働。 神学部長:才藤千津子(平尾教会<福岡市>協力牧師)
6月 30日(日)「神学校週間を覚える礼拝」Ⅱ 讃美歌と証:小松澤恵さん、宣教:芦沼牧師 聖書:(30日の礼拝宣教箇所とは異なります) コリントの信徒への手紙Ⅱ 12章1~10節 <聖書の箇所から>… ▲30日は「神学校週間を覚える礼拝」ですから、上記の宣教箇所は6月23日礼拝で扱います。▲まずは、「神学校週間」については本日の週報巻頭言を参照ください。▲本年度の神学校献金、全国目標額は2500万円ですが、目標は一度も達成したことはありません。2018年度から2千万円を下り、昨年度は1577万円でした。2500万円は連盟加盟教会・伝道所で単純に割ると、8~9万円です。しかし、その原資はお一人お一人の心込めた献金です。▲「全国壮年会連合」の「神学校週間によせて」というパンフレットに中田牧師が「『幼児洗礼を認めない』という決断をしたバプテストは、『教育』を重視します。家系や血統といったつながりではなく、『教え、伝え、学ぶ』というつながりによる信仰継承を選んだからです」と語っています。▲「幼児洗礼」はその幼児の主体的自覚的な信仰ではありません。教会はその子どもの成長に合わせて、自覚的な責任において信仰者として生きる決断をするために「教会教育」を行ったのです。▲そして、今、教会に仕える「働き人」が不足しております。献金に加えて、一人でも多くの方々が牧師や伝道者としての生き方を選択し、学ぶことができるように諸教会がバックアップするのが「神学校献金(神学生奨学金献金)」です。▲さて、今日の聖書の箇所から。1~4節に出て来る「キリストと結ばれていた一人の人」とはパウロ自身のことです。14年前に何かの体験をしたのです。それは臨死体験か、それに近い別の体験であり、その中で主と改めて出会いパウロの信仰がさらに導かれたのです。▲その信仰、それはパウロが「弱さ」の中に主の恵みを見出したことであり、主イエスの歩みとも重なります。▲「強さを誇り」とするのではなく、「弱さを誇り」とすることが主によって生きる者のプライド(個性)であり、感謝であり、恵みであり、同時に他者と心つながる道なのです。(献)
教会の祈り:神学生が増えること、「神学校献金(神学生奨学献金)」の満たし、各神学校の働きと財政の祝福。 今日の祈り:連盟引退教役者の方々を覚えて。渡部
元氏(秋田県在住)、青木 卓也氏(佐賀県在住)。
2024年6月17日~23日
6月 17日(月) 聖書:Ⅱコリント書5章15編
教会の祈り:病床や高齢の方々を覚えて 今日の祈り:南名古屋教会(名古屋市南区)。①ユースの霊性の祝福。②宣教師の働きと現地の福音前進。③2025年度、教会組織50年に立ち新たな幻に与(あずか)ること。 牧師:山川
明美、山川 高平
6月 18日(火) 聖書:Ⅱコリント書13章1~10節
今日の祈り:瑞穂教会(名古屋市瑞穂区)。①戦争終結・能登被災地復興。②外国籍の方々との礼拝形成。③石川一雄さん再審請求実現。 牧師:秋山 義也
6月 19日(水) 聖書:エフェソ書3章14~21節
今日の祈り:平針(ひらばり)教会(名古屋市天白区)。①6月16日は設立40周年記念礼拝でした。②地域に届く宣教のために。③次世代と共に育つ教会の形成のために。 牧師:谷綛
安雄
6月 20日(木) 聖書:Ⅱコリント書9章7節
今日の祈り:東山教会(名古屋市千種区)。①主に喜び仕え、福音を伝える教会。②地域に仕え憩いの家の教会となる。③戦争終結と被災地の復興を祈る。 牧師:鈴木
直哉
6月 21日(金) 聖書:Ⅱコリント書9章7~8節
今日の祈り:名古屋教会(名古屋市千種区)。①会堂建築が実現しますように。②外国人が安心して暮らせますように。③病気の方が支えられますように。 牧師:白石
久幸
6月 22日(土) 聖書:Ⅱコリント書9章6節
今日の祈り:豊橋教会(愛知県豊橋市)。①東三河地区での福音宣教のために。②み言葉と幻の共有、主にある一致。③教会員と求道者の平安と祝福。 牧師:小林
大記
6月 23日(日)「命どぅ宝の日」 聖書:コリントの信徒への手紙Ⅱ 9章1~8節 <聖書の箇所から>… ▲ここは「献金」のことがとりあげられています。「献金」という言葉は現代において旧「統一協会」で信者が莫大な献金をさせられていることや、「政治献金」等良い意味では受け取られていません。「宗教」=「高額な献金を要求させられる」というイメージがつきまとい、普通の教会や寺院等は大変迷惑を被っております。▲確かに「教会」を運営するためには「お金」が必要です。まさか現金が天から降ってくるわけではありません。基本的には教会員(=信徒)等を中心に献金がなされて運営されます。その金額や用い方については教会の総会で決定いたします。▲「会費」は決まった金額になりますが、「献金」はそれぞれ個人の経済は異なりますので、それぞれが自分で決めた金額を献金することになりますのでどうぞご安心ください。強制的な献金や高額な献金要求は一切ありません。また牧師もバプテスト教会では信徒の一人ですから、信徒の一人として献金いたします。▲初期キリスト教会も旧約聖書に出て来る神殿も「献金」で運営されています。パウロの活動費や生活費も、時には自分でテント職人をした収益で賄っていたときもありますが、やはり献金によってその活動は支えられました。また、コリント教会でも運営や、貧しい方々への援助、エルサレム教会からの献金要請に応える必要がありました。▲ただし、昔も今も、「献金を多くしたら救われる」というような、「献金」と「救い」を引き換えにすることは全くありません。そうならば、主イエス・キリストの死は虚しくなりますし、お金持ちしか救われなくなります。それらは聖書の救いとは相いれません。▲主の救いと恵みを分かち合うために「献金」しますが、主への感謝が先立つもので、「これだけ献金するから、神さま、これ位の恵みをください」というのは間違っています。それは「主を試す」ことです。▲今日の箇所にあるように、「不承不承ではなく(感謝をもって)、強制でもなく、それぞれが決めた額をささげる」のです。喜びと感謝がある時、イエスさまが1レプタという小さな献金を心から献げた女性をほめられたごとく(マルコ福音書12章41~44節)、主は喜び受け取ってくださいます。(献)
教会の祈り:「命どぅ宝」の日を覚えて。平和な世界を構築するのために。 今日の祈り:岐阜教会(岐阜県岐阜市)。①主体的な教会形成をみんなで担う。②多様性を大切にする。③周りの方々とのつながりを深める。
2024年6月10日~16日
6月 10日(月) 聖書:詩編32編
教会の祈り:小羊会の働きとメンバーの成長 今日の祈り:北山教会(京都市北区)。①高齢者や病床にある方のために。②こどもの安全、教育成長のために。③核と原子力からの脱却のために。牧師:小櫻 信
6月 11日(火) 聖書:Ⅱコリント書2章12~13節
教会の祈り:日本バプテスト病院(京都市)の医療伝道を覚えて。 今日の祈り:大津教会(滋賀県大津市)。①主に信頼し互いに愛し合いつつ歩めるように。②一人ひとりの賜物が豊かに用いられるように。③教会にミッションに沿って教会が前進するように。牧師:上田
益之
6月 12日(水) 聖書の学びと祈り会 10時半~、夜7時半~ 聖書:エフェソ書4章25~5章5節
今日の祈り:大津教会 新田辺伝道所(京都府京田辺市)。①飢え渇いた魂が導かれてくるように。②教会が経済的に祝福されるように。③礼拝に聖霊のご臨在が満ちるように。 牧師:永藤
裕幸
6月 13日(木) 聖書:Ⅱコリント書5章11~16節
今日の祈り:大津教会 須磨伝道所(神戸市須磨区)。①教会員の信仰の成長。②地域の小中高生への伝道と彼らへの救い。③青年の救いとバプテスマ。牧師:谷口
明法
6月 14日(金) 聖書:Ⅱコリント書5章17~18節
今日の祈り:びわこシャロームチャペル(滋賀県守山市)。①主イエスキリストが津々浦々まで評判になり(マルコ1章28節)、20の教会が起こりますように(マタイ18章20節)。 牧師:桶田
紀夫
6月 15日(土) 聖書:Ⅱコリント書5章19~21節
教会の祈り:新潟主の港教会15周年記念礼拝とこれからの教会の歩みを覚えて 今日の祈り:四日市教会(三重県四日市市)。①2024年度の祝福と導きのために。②礼拝から始める教会生活のために。③教会のすべての必要が満たされるように。 牧師:加藤
英治
6月 16日(日) 聖書:コリントの信徒への手紙Ⅱ 5章16~21節 <聖書の箇所から>… ▲16節の「肉に従って知る」とは元西南学院大学神学部教授の青野太潮氏によれば(岩波訳)「自己推薦をし、顔(外面)において誇るような仕方で知る」、13日の坂田牧師は「自分の正義で相手を見る」。▲ただ、「肉において(逆は『霊において』)知る」という言葉はパウロの反対者が言っている言い方を用いたと思われます(青野)。▲イエス・キリストを私たちは実際に肉ある姿では知ることができません。そして「肉において」伝えられる主イエス・キリストは「呪いの十字架上で殺された弱い(無力な)姿」です。▲しかし、その主イエスを別の見方、つまり神の意思(思い)によって見ようとするならば、その「醜さ、弱さ」の中に神の愛と救いを見ることができるのです。▲そのことに照らして考えますと、パウロもまた表面的に見れば「弱く、醜い」存在ですが、そこには「キリストの愛に駆り立てられ、キリストを伝えることへと招かれた存在」であります。▲そこで伝えようとするのは、表面的な基準で人間を判断するのではなく、いかに弱く、醜かろうとも、命の内面に触れること、命の真実、命の賜物に触れることです。▲更に、パウロのように弱く醜い姿で、恰好悪くしか生きられない者であるけれど、そのパウロはイエス・キリストに結ばれ、キリストのように新たに創造された者、よみがえった者、新しい命に生きる喜びをもって生きる者ですし、我らもそのように生きることへと招かれています。▲そして、新たにキリストに結ばれて生きる者は「和解」のために仕えるという使命があります。▲「和解」は神と人との和解の道、それを主イエスが与え、示したことを伝え、人と人が争う世界でも相互が「和解」する世界を目指し行動するのです。▲「和解の言葉」とは、イエス・キリストの愛と赦しに立ち、その事柄を人間や国内・国際の関係につなげる「道」を示します。(献)
今日の祈り:愛知新生教会(愛知県西春日井郡)。①地域に用いられる教会となる。②新来者が与えられるように。 牧師:澁谷 和美
2024年6月3日~9日
6月 3日(月) 聖書:ヨブ記7章9~16節
教会の祈り:M・Yさんのお誕生日おめでとうございます!今日の祈り:大阪中央教会 堺伝道所(大阪府堺市)。①神に対する優先順位が変わらない教会。②霊的成長が止まらない教会。③主の愛を表し、豊かに与える教会。 牧師:山口
美香
6月 4日(火) 聖書:ヘブライ書2章5~18節
教会の祈り:少年少女会の働きと全国ユースキャンプ(8月1日~3日、於:東山荘)に参加者が与えられるように。 今日の祈り:東豊中教会(大阪府豊中市)。①恵み分かち合って共に教会宣教を。②聖書・福音に立って世に基督(キリスト)を。③世界の基督者と共に主の祈り実現。 牧師:河野
浩
6月 5日(水) 聖書:ヨハネ福音書1章1~18節
今日の祈り:南千里教会(大阪府吹田市)。①世界の戦争・災害から平和の実現。②近隣で、良き証人として生きる。③「小さな群れよ、恐れるな」。 牧師:蓮池
昭雄
6月 6日(木) 奉仕日10時半~ 聖書:マタイ福音書25章31~40節
教会の祈り:S・Sさんのお誕生日おめでとうございます!今日の祈り:北大阪教会(大阪府守口市)。①高齢者や病の中にある方が守られますように。②世界中の争いが止み、災害被災者が支えられますように。 牧師:古賀
昭範
6月 7日(金) 聖書:Ⅰコリント書1章18~31節
今日の祈り:京都洛西教会(京都市)。①み言葉の学び合い。②諸活動の活発化。③地域へ伝道する教会。 牧師:李 鎭鐵(イ ジンチョル)
6月 8日(土) 聖書:Ⅰコリント書8章1~7節
今日の祈り:京都教会(京都市)。①み言葉を生きる教会として。②コロナ後の新しい歩みを目指して。③バプテスト関連施設を覚えて。 牧師:李 海勲(イ
ヘフン)
6月 9日(日)日本バプテスト病院デー(京都市) 聖書:コリントの信徒への手紙Ⅱ 2章12~17節 <聖書の箇所から>… ▲12~13節はパウロがトロアスに行ったとき、その計画は良いものに感じられました。しかしながら、パウロの思いと異なったのが、テトスに会うことができず、コリント教会のことが気になってトロアスからマケドニアに渡ったことが記されています。▲そして、続けて14節に入ると少し唐突に感じましょう。▲そこで、先週の当欄で示したボルンカムの提案が参考になります。13節から7章の5節~に続けるとなるほど、話が通じることになるのです。▲14節は「手紙A(使徒職の弁明)」ということになりますので、12~13節は全く関連なくはありませんが、別の文脈と考えたらよいと思います。▲14節は「神に感謝します」という喜びの叫びから始まります。こういう箇所はパウロの発見があるのです。▲多分、パウロは旅の中で何度かローマ軍の戦争の勝利から帰還する祝祭パレードを見たことがあるのでしょう。あるいは、それを見ながら思ったのかもしれません。▲派手で大盛り上がりのパレード(土埃の香り、祝祭の香りもあっただろう)、そのような一時の人間の戦勝、多くの犠牲があった上での勝利、しかし、そのような勝利は永遠に続くことはありません。戦には必ず悲しい結末があり、ローマもまた滅ぶのです。▲パウロは自らを重ねて考えます。自分達が苦労し、伝えているもの。そこに幾千もの人々が集い踊り叫び歌うような華やかさはありません。▲パウロたちは一人か数名の旅。しかし、パウロの目には見えています。この小さな歩みには、見えないけれども世界が求めるべき豊かな香りが広がっていることを。▲16節をリビングバイブルはこう訳します。「救われていない人々にとっては、私たちは死と滅びの恐れに満ちた香りのように思われます。
けれども、キリストを知る人々にとっては、いのちを与える香りなのです。 しかし、このような任務にふさわしい者とは、いったいどんな人でしょう。」。▲真に命が生き輝く歩み、戦争の勝利ではなく、見せ物や売り物ではなく、永遠の命の約束を受け、地上を歩み、キリストの恵みと救い、伴いを伝える者の喜びと誇りがあったのです。▲「キリストのかおり」。初夏の夕ぐれの香り、雨の香り、花の香り、それらは見えなくともその存在や時間を感じさせてくれるものです。そのようにキリストが共におられる者の香りを漂わすことができたら幸いです。その香りは「自分は本来キリストの救いにふさわしくない」と思う者にキリストが伴い、漂わすのです。(献)
今日の祈り:北白川教会(京都市)。①主のみ心がなりますように。②教会員が祝福されますように。③礼拝が祝福されますように。 牧師:軍司 康博
2024年5月27日~6月2日
5月 27日(月) 聖書:ヨハネによる福音書11章17~37節
教会の祈り:青年会活動の再開、全国青年大会(8月8日~10日、於:横浜市・洋光台キリスト教会)に参加者が与えられるように。 今日の祈り:バプテスト連盟北関東地方連合。①連合青年会の再開、ユース活動の活発化。②連合「朝霞教会」礼拝支援並びに無牧師教会支援。③協力伝道に心と祈りを合わせ、つながり共に歩む連合。 連合会長:坂本 献(所沢教会牧師)
5月 28日(火) 聖書:ローマ書12章1~2節
今日の祈り:連盟「回転資金委員会」。①諸教会・伝道所により活用される回転資金として、連盟の協力伝道に資する運用ができるように。委員長:久保田
信人(和歌山教会員)
5月 29日(水) 聖書:マタイ福音書18章15~17節
教会の祈り:H・KさんとO・Jさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:日本バプテスト連盟「監事」。①新機構2年目を迎えて連盟の働きのために。②協力伝道献金体制が整えられていきますように。主任監事:森
恭子(高崎教会員)、監事:小河 義伸(八王子めじろ台教会)
5月 30日(木) 聖書:ダニエル書3章8~25節
今日の祈り:日本バプテスト連盟医療団(京都市、総合病院 日本バプテスト病院や場老人保健施設等を運営)。①看護の手の充実のために。②さらに神さまと人に喜ばれる医療団の歩み。全人医療実践のために。 理事長:尼川
龍一、牧師・チャプレン:宮川 裕美子
5月 31日(金) 聖書:ヨハネ福音書16章25~33節
教会の祈り:6月の教会の歩みと各牧師の健康と霊性のために。今日の祈り:国際協力団体のため ■世界バプテスト連盟(BWA)■アジア太平洋バプテスト連合(APBF)■コーポラティブ・バプテスト・フェローシップ(CBF)
6月 1日(土) 聖書:ヘブライ書4章14~16節
今日の祈り:大阪中央教会(大阪市中央区)。①神に近くある年。②祝福のパイプとする聖霊共同体。③地域に仕え、伝道する教会。 牧師:咸 光玉(ハム
クァンオク)、蔡 永伊(チェ ヨンイ)、文 連子(ムン ヨンジャ)、渡辺 正、伝道師:内藤 希代
6月 2日(日) 聖書:コリントの信徒への手紙Ⅱ 1章3~11節(参考1章1~2節) <聖書の箇所から>… ▲パウロは第2回伝道旅行の途中、1年半コリントに滞在して「コリント教会」の設立と土台をつくってきました。その後、54年頃にエフェソで記されたのが「コリント信徒への手紙Ⅰ」。▲その16章でコリントへの再訪の希望を述べたパウロでありましたが、残念ながらその後、コリント教会に新たなパウロの反対者が侵入してきて、パウロの使徒職への疑問がより強くなりましたが、もちろんすべての人がそうではありません。▲その侵入者たちは「信仰者とは力強い者、優秀な者である」と自身を誇ったようですが、パウロはそれに対して「(神の)生命の体現は苦難の只中でこそ現実となる」(青野太潮)ことを語っています。▲見える力強さを誇るのは自己顕示のように見えます。それほど人間は強くあり続けることはできませんし、様々な困難や苦悩、病を背負う、いわゆる「弱さ」の中に生きざるを得ない時が多いのです。▲まさにその時、信仰が、主イエスが、十字架に架けられ給う主イエスの弱さがその人を励まし、弱さにおいて連帯してくださり、共苦してくださるゆえに、慰めと励まし、希望を受けることができるのです。そしてその「慰め」が連帯と広がるのです(1章)。▲「コリントの信徒への手紙Ⅱ」はボルンカムという神学者の仮説により5つの手紙(巻物でしたが)が合体したと考えられ、多くの支持を得ています。▲そのことに気をつけて読むと内容を深く受け止めることができましょう。またコリント教会においても、合本にすることで文書の散逸を避けることにもなったのです。(献)
①手紙A(使徒職についての弁明の書簡 2章14節~7章4節<6章14~7章1節を除く>
②手紙B(涙の書簡 10章~13章)
③手紙C(和解の書簡 1章1~2章13節、7章5~16節)
④手紙D(献金の勧めの書簡 8章)
⑤手紙E(コリントの模範と献金の勧めの書簡 9章)
今日の祈り:大阪中央教会 和歌山中央伝道所(和歌山県)。①抗がん剤治療中にいる執事の方の健康のために。②聖徒たちの礼拝回復と成長のために。③主が与えられた土地の上に教会が建てられるように。牧師:河
亨植(ハ ヒョンシク)
2024年5月20日~5月26日
5月 20日(月) 聖書:ヨハネによる福音書21章15~19節
教会の祈り:女性会の働きのため 今日の祈り:関西黎明教会(大阪府東大阪市)。①次世代の育成と信仰継承。②社会的擁護の子どもたちを、神と人から愛される養育をする里親の会の増加。②ウアレ語新約聖書翻訳献呈式(9月7日、パプアニューギニア)。 牧師:江田
治男
5月 21日(火) 聖書:使徒言行録2章36~42節
今日の祈り:東大阪教会(大阪府東大阪市)。①被災地の方が守られますように。②世界に平和が訪れますように。③福音が届きますように。牧師:柴田 良和、中村
尚子(中村牧師は当教会出身牧師です)
5月 22日(水) 聖書:Ⅱペトロ書1章3~15節
今日の祈り:シオンの丘教会(大阪府藤井寺市)。①一人ひとりが主体的に教会活動に参与し、そのぶつかりあいの中で、教会のビジョンが見出されるように。牧師:坂田
浩
5月 23日(木) 聖書:詩編23編
今日の祈り:平野教会(大阪市平野区)。①牧師招聘のために。②引退された高田進牧師の健康と今後の歩みのために。③平野教会の宣教50周年のために。
5月 24日(金) 聖書:エゼキエル書37章1~14節
今日の祈り:田辺教会(大阪市阿倍野区)。①求道者の信仰決心のために。②道から段差なく入れる会堂。③近くに駐車場を求めています。お祈りください。 牧師:喜多村
やよい
5月 25日(土) 聖書:ヨブ記19章25~27節
今日の祈り:大阪教会(大阪市天王寺区)。①今年は「まず礼拝から」を標語に、いろいろな方がたと、さらにともに礼拝できますように。 牧師:下川
俊也
5月 26日(日) 所沢教会教会組織記念礼拝 聖書:コリントの信徒への手紙Ⅰ 15章12~22節 <聖書の箇所から>… ▲イエス・キリストは十字架上で殺された後、墓に葬られました。その日が金曜で、一日目と数え、三日目の朝、墓に行った人々はイエスの遺体がなくなったことを知ります。▲「遺体泥棒説」がありますが、聖書には「番兵」が墓にいたと記されておりそれを払拭いたします。その後、主イエスはそれまでに関わった弟子たち、さらに多くの人々に復活した体をもって現れ、語られました。▲しかし、「肉なる体」は永遠に生きるものではありません。ガリラヤのかつて主イエスが山上の説教をした山で、集った者たちに「宣教命令」を語り、天に上げられます。その後、主イエスは見える肉体をもった方としては歩まれませんが、生前に約束していた「聖霊」として私どもに関わってくださいます。▲よく「イエスさまがそばにおられる」という言い回しを使いますが、丁寧に言えば「聖霊として私共に伴い、語るイエス・キリスト」ということになります。▲キリストが復活した!ということは、誰でも簡単に信じ得ないようなこと。当然それを否定する人々も初代からいました。▲ひとつの参考として言うなら、すでに死んだ方がある時、自分に語っているように思う体験をする人がいます。▲それと同じとは申しませんが、「見えないキリスト」は「私共の見えない心」に御言葉を通し、語っております。それを信じるか信じないかはあなた次第ですが、少なくとも、私は、主の語りかけを御言葉を読みながら、祈りながら何度も感じたものです。▲信仰者ではない多くの人々は愛する人が亡くなった時、天国に行った、と語ります。何を根拠に天国の存在を言うのでしょう。その人の思い込みや願いでしょうか?▲私どもは天国(御国)があること、キリストがよみがえったように、私どもはたとえ地上の肉体は消え失せても、その魂は天に行くことを御言葉にある通り信じておりますし、それは希望であり、感謝すべきことです。▲御国に招かれた時には、その様を皆さんにお伝えしたいのですけど・・・。▲「信じること」は常に「見えない」のです、約束も、未来も、でも人は「信じる」ことが明日を切り拓くことを知っているのは真実です。(献)
教会の祈り:決算総会を通して感謝があふれますように。教会がキリストの見えるからだとして福音に立ち、歩むことができるように。
今日の祈り:大阪教会 大阪旭伝道所(大阪市旭区)。①中島義和牧師は昨年から療養型の病院に入院されておられます。引き続きご加祷ください(現在活動休止中です)。牧師:中島
義和、中島 久子
2024年5月13日~5月19日
5月 13日(月) 聖書:出エジプト記3章1~10節
教会の祈り:H・Iさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:伊丹教会(兵庫県伊丹市)。①子どもたちの成長と平安。②会堂建築に向けての教会の取組み。③世界に平和が実現しますように。 牧師:内田
裕二
5月 14日(火) 聖書:ヨハネ福音書15章1~10節
今日の祈り:宝塚教会(兵庫県宝塚市)。①求道中の方々が主を信じるように。②ご高齢の方々の心身の健康のために。③ウクライナ、ガザでの停戦。牧師:南
雅夫
5月 15日(水) 聖書:Ⅰコリント書12章12~27節
教会の祈り:壮年会の働きと交わりのため。 今日の祈り:豊中教会(大阪府豊中市)。①地域にあって、仕える教会となっていくことができますように。②経済的な必要がみたされますように。牧師:今給黎
眞弓
5月 16日(木) 聖書:申命記7章6~11節
教会の祈り:N・Mさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:和歌山教会(和歌山県和歌山市)。①求道中の方がバプテスマに導かれますように。②幼児教育の働きのために。③児童発達支援事業所の働きのために。 牧師:調
みくに
5月 17日(金) 聖書:Ⅰヨハネの手紙4章16~19節
教会の祈り:S・Kさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:奈良教会(奈良県奈良市)。①付属子ども園が光を放てるように。②障がい児と家族の礼拝の祝福。③「NPO法人みぎわ」の働きのために。(障がい児特別養子縁組の架け橋、ホームホスピスの働き)。
牧師:葛西 隆憲(かさい たかのり)、伝道師:平山 利香
5月 18日(土) 聖書:エレミヤ書31章27~34節
教会の祈り:N・Yさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:奈良教会 みささぎ伝道所(奈良県)。①共に祈り、出会い、働くことができるように。②小さくされた者と共にある礼拝。③主と共に歩み、成長していけるように。④新しい拠点があたえられますように。 伝道師:岡村
ゆり
5月 19日(日) ペンテコステ礼拝(聖霊降臨祭=キリスト教会が生まれた日)
聖書:コリントの信徒への手紙Ⅰ 12章31~13章13節 <聖書の箇所から>… ▲今日はキリスト教三大祭のひとつ「ペンテコステ」。キリスト教会が公に福音を世界に向かって語り始めた日です。▲キリスト教会は人間が「このような教会をつくろう、とか、このような教義を伝えよう」等、人間が考えて始まったことではなく、まさに「神の力、神の息吹、神の風」によって人間が動かされ、始まったのです。▲最初はエルサレムでしたが、むしろエルサレムのキリスト教会は衰えていき、ユダヤ人以外の聖書で言う「異邦人」の地域(地中海沿岸~内陸)に教会が次々に誕生していったのです。▲今日読んだ聖書箇所は「愛の賛歌」と呼ばれるところで、キリスト教式結婚式でもよく読まれる箇所です。▲特に4節~7節、「わたしは忍耐強い(短気ではなく、祈り待ち続けること)、わたしは情け深い(相手を理解しようとし、背景を考え、共感しつつ、相手の最善を考える)…私は高ぶらない(人を見下したりしない)、私は礼を失せず(人格と尊厳を認め、大事にする)…」等、自分と置き換えて読んでみると、自分の愛の足りなさいを感じますし、まずはそれでよいのです。誰しも完璧な人間はいません。▲「愛」の力は、神さまから「聖霊」によって与えられるものですし、求めるものです。▲そして「愛」は「動詞」です。置いたり、飾るものではなく、その愛に生きること。愛に生きる道は、主イエスの愛に学ぶことです。▲学ぶとは「まねる」ことであり、聖書を読みながら行うことしかありません。私共は、「自分が一番大事」です。仕方ないですね。でも、それを超えて、キリストがそうなさったように、自分が損してもなお、誰かのことを愛する道があることを覚えたいと思います。▲余計なことかもしれませんが、パウロは時々、楽器を「たとえ」に用いています。1節の「騒がしいどら」「やかましいシンバル」。▲その実物を持っている牧師は日本バプテスト連盟に加盟する教会の牧師では坂本以外にはいないかもしれません(自慢)。興味のある方には無料で」お聞かせしましょう(高ぶり)。(献)
教会の祈り:聖霊の力が働き、信仰告白し、伝道する所沢教会を祈って。 今日の祈り:堺教会(大阪府堺市)。①バプテスマが与えられるように。②礼拝の充実と出席者が祝されるように。③信教の自由・政教分離の確立のために。 牧師:平良
仁志
2024年5月6日~12日
5月 6日(月) 聖書:Ⅰコリント書11章4~7節
教会の祈り:M・SさんとM・Kさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:神戸伊川教会(神戸市西区)。①教会員の健康が祝されるように。②み言葉に聴きしなやかに生きる群れに。③主の平和が世界に満ちるように。 牧師:鮫島
泰子
5月 7日(火) 聖書:マルコ福音書2章13~17節
今日の祈り:神戸西教会(神戸市垂水区)。①会堂改修を実施できることへの感謝。②伝道活動の実が与えられるように。③礼拝出席を続けられるように。牧師:松本
理
5月 8日(水) 聖書:マルコ福音書3章20~35節
今日の祈り:神戸教会(神戸市中央区)。①主イエスの平和に仕えていけるように。②教会の宣教と幼稚園の働きのために。③会堂建築を覚えて。 牧師:井形
英絵
5月 9日(木) 聖書:詩編122編1~9節
教会の祈り:財務委員会の働き 今日の祈り:神戸国際教会(兵庫県)現在活動休止中です。
5月 10日(金) 聖書:ネヘミヤ書8章9~12節
今日の祈り:浜甲子園教会(兵庫県西宮市)。①ロシア・ウクライナ戦争とイスラエル・パレスチナ戦争の早期終結。②能登半島地震の被災と被災者を覚えて。 会員代表:森山
一弘
5月 11日(土) 聖書:マタイ福音書16章13~17節
教会の祈り: ファミリーデーが喜びと感謝の中で行われるように。 今日の祈り:尼崎教会(兵庫県尼崎市)。①新しい歩みへの主の光の導きを‼ ②小中学生の皆さまの更なる来会継続。③祈りとみ言葉と賛美のさらなる充実‼ 牧師:長尾
知明
5月 12日(日) ファミリーデー 聖書:コリントの信徒への手紙Ⅰ 12章1~11節 <聖書の箇所から>… ▲「霊的な賜物」と最初にでてきます。私が知っている一部のキリスト者に「霊的」という言葉を多用する方がいまして苦言を呈したことがあります。「霊的」とは「神さまの導きによるもの、神の名にふさわしいもの」を示します。▲「賜物」とは「神からのギフト」です。「賜物ですね」と言うことがあります。これは個人の能力や努力を誉める言葉ではなく、「神さまがあなたに奉仕できる恵みをお与えくださっているのですから、自分の誇りとせず、神と教会とこの世界に対して、その奉仕を誠実に喜びをもって、畏れをもって仕えていってください」という意味です。▲私がそう言う時はこのような意味で言っておることです。▲そして「神のギフト・賜物」は自分にとって良いものとして素直に受け取れない時があります。先日曜に三浦綾子さんの言葉を紹介しましたが、神の賜物は時には病気や障害、弱さというような、一般的には「良きもの」として受け取れないものもあります。▲あなたが不信仰だから、悪い生活をしているから病気や障害を得るのではなく、神の恵みの賜物であり、その事実を受けとるときに、きっと新たな世界が広がっていくと考えます。▲3節後半に「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです」。見えない神さま、イエスさまを信じていこうとすること、十字架上で殺されたイエスはわたしの救い主です、と認めることは、人間の頭や思考だけで考えていてもわからない真実です。▲まさに「聖霊=神の働きかけ」がなければ告白できないのです。だからイエスさまや聖書の語る神様を知り、祈り、礼拝することは、人間が考えて始めたのではなく、信仰者が教会に招かれていることに深い感謝と喜び、驚きを覚えます。▲4節以降には「神の賜物」について語られます。神さまの働きのために用いられる人間の働きや奉仕にはいろいろありますが同じ神の導きです。▲解りにくいものとして「預言」がありますが、これは今でいう「説教」のようなものと理解します。「異言」とは特殊な言語のようなものが興奮を伴って語られるものですが、周りの人には意味不明なのでそれを解釈する働きがありました。▲「異言」は教会では求められません。パウロは別の箇所で、人々に解らない「異言」より、解る言葉で祈る方が益と語っていますので。▲今日の箇所と同じ12章の12節以下も読んでください。(献)
教会の祈り:Y・Hさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:神戸新生教会(神戸市東灘区)。①礼拝に集中できますように。②病に苦しむ人がいやされますように。③地域のために活動が生かされますように(ハンドベルなど)。 責任者:舟橋
恵子
2024年月29日~5月5日
4月 29日(月) 聖書:ガラテヤ書4章4~7節
今日の祈り:日本バプテスト連盟インドネシア派遣宣教師(カンボジア)の野口日宇満・野口佳奈宣教師。①ビザが継続的に更新され、連盟を通してのインドネシア宣教がさらに豊かな実を結ぶように。
4月 30日(火) 聖書:使徒言行録26章12~18節
教会の祈り:Y・Sさんのお誕生日おめでとうございます。 今日の祈り:日本バプテスト連盟国際ミッションボランティア(ルワンダ)の佐々木和之さん。 ①ルワンダの西隣り、コンゴ民主共和国東部で激化している紛争が終息し、平和への礎が築かれていくように。
5月 1日(水) 聖書:ヘブライ書12章1~3節
教会の祈り:信徒委員会の働き 今日の祈り:岡山教会(岡山市)。①「教会ビジョン」から「教会のストーリー」を経て「建築ビジョン」の練り上げへ。②年間主題「神のストーリーを味わい知る」牧師:高橋
周也
5月 2日(木) 聖書:マタイ福音書13章44~46節
教会の祈り:M・Yさんのお誕生日おめでとうございます!今日の祈り:松江教会(島根県松江市)。①松江の地に福音が伝えられますように。②会堂が与えられますように。 牧師:斎木郷次
5月 3日(金) 聖書:エレミヤ書29章4~7節
教会の祈り:日本の平和憲法が真実に生かされ、世界に影響を与えるように。 今日の祈り:鳥取教会(鳥取県鳥取市)。①次期牧師が早く与えられますように。②新来者が与えられますように。③すべてが整えられ礼拝が守られますように。
5月 4日(土) 聖書:ルカ福音書12章13~21節
教会の祈り: S・Mさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:姫路城西(じょうせい)教会(兵庫県姫路市)。①地域に開かれた世の光・地の塩に。②教会員の霊的成長と自立を。③新来者が教会につながるように。牧師:辻
眞理子
5月 5日(日) 聖書:コリントの信徒への手紙Ⅰ 11章17~26節(参照11章27~34節) <聖書の箇所から>… ▲「主の晩餐」の制定文が含まれる箇所です。「主の晩餐」(教会によっては「聖餐式」と呼ばれる場合がありますが英語では「The
Lord‘s Supper」(主の夕食)「(Holy) communion」(主の共なる集い)です。▲大前提として、初代キリスト教会の時代は「日曜が休み」ということはありません。多分、礼拝は週のある日の夕刻から、食事をしながら、その間に讃美歌や説教、祈りが行われたと考えます。コリント教会員の中にはローマ市民等仕事をしなくても生活が豊かな人もいたし、貧しさの中で仕事を一生懸命して、開会時間に遅れる人もあったのです。▲パウロの指摘は、「みんながそろって始めよう」というより、「早く、あるいは定時に来た人が先に食事等を始めて、遅れた人がやってきた時にはすでにお腹いっぱいでワインで酔っている」状況です。どの程度かわかりませんが、結果的に遅れてきた人がないがしろにされ、「どうしようもない奴だ」と見下した状況がありました。▲そのような空気は教会内に対立を生み、食事や礼拝の問題だけにとどまらなかったようです。27節の「ふさわしくないままで」、28節「自分をよく確かめた上で」とは、自分の思考・行動が他者をないがしろにしていないか、主による愛と寛容をもって歩んでいるのかと問いかけ、自らの歩みを考え、改めるようにと促しております。▲「ふさわしくないままで」を信仰者か非信仰者かと考えるのは、初期キリスト教会でも今でも「キリスト者(信仰告白者)の集い」なので、今の現実とそのまま結び合わせることはできないと思います。▲晩餐式について「フルオープン」で、そこにいる人は誰でも分かち与えるという考え方がありますが、教会の礼典であるゆえ、参加者が内容を理解した上での意思確認が大事です。▲バプテスマを受けること、それはスタートであり、難しいことではありません。しかし、本人にバプテスマを受ける意思がありながらも、家族等の反対で受けられない方に対しては別に考え、工夫することが大事でしょう。▲(献)
教会の祈り:世界のすべての子どもたちの人権と安全が守られ、等しく教育を受けられるように。 今日の祈り:明石教会(兵庫県明石市)。①新来者が与えられますように。②教会学校、おやこひろばひまわり、こどもたちの信仰の成長のために。③神の国が来ますように。平和が来ますように。 牧師:椿本
博久
2024年4月22日~28日
4月 22日(月) 聖書:マルコ福音書10章17~22節
教会の祈り:H・Sさんのお誕生日おめでとうございます。 今日の祈り:広島教会(広島市)。①すべての戦争の即時停止。平和実現。②苦しみ困窮する人と共に生きる。③具体的な活動を通して福音を伝える。牧師:播磨
聡、協力牧師:高橋 秀二郎
4月 23日(火) 聖書:ルカ福音書15章25~32節
今日の祈り:呉教会(広島県呉市)。①受浸決心者が与えられるように。②礼拝、祈り会に多くの方が来られるように。 牧師:浅海 郁典
4月 24日(水) 聖書:マタイ福音書5章38~48節
今日の祈り:緑の牧場教会(広島県東広島市)。①神さまを愛し、②自分自身を愛し、③人々を愛する教会となるために。 牧師:林 守鎮
4月 25日(木) 聖書:ヘブライ書10章32~39節
教会の祈り:伝道委員会の働き 今日の祈り:福山教会(広島県福山市)。①喜びに溢れた礼拝となりますように。②地域への伝道ができますように。③新来者が与えられますように。(無牧師)
4月 26日(金) 聖書:ローマ書8章1~17節
今日の祈り:北海道バプテスト連合(15教会)。①各教会の福音宣教の業が祝されるように。②教会間の交流と協力が積極的になされるように。 連合会長:福田
雅祥(函館美原教会牧師)
4月 27日(土) 聖書:フィリピ書2章1~18節
教会の祈り: 教育委員会の働き 今日の祈り:東北バプテスト連合(15教会)。①連合支援基金の有効利用のために。②交わりの回復と協力伝道のために。③被災支援と将来への備えのために。 連合会長:小田
衛(大富教会牧師)
4月 28日(日) 教会建築18周年記念礼拝 聖書:コリントの信徒への手紙Ⅰ 9章19~27節 <聖書の箇所から>… ▲パウロは実際には地上に生きていたイエス・キリストとは出会っていません。熱心なユダヤ教徒として、イエス・キリストを信じる人々を憎み、キリスト教会を攻撃していました。▲その中で初代キリスト教の執事であり、伝道者のような働きをしていたステファノが人々からリンチされ、殺される姿を見た(使徒言行録7章)のは、忘れ得ないことでした。▲ある時、キリスト教を迫害している中で目が見えなくなり、そのことからイエス・キリストの言葉を聴いて(使徒言行録9章)、その後、アナニアからバプテスマを授かり、キリストを宣べ伝える者となったのです。▲その後、主イエスの直接の弟子達からもイエス・キリストの教えを聞いたでしょうし、むしろ、弟子達よりも深く確かにキリストの福音を理解したのです。▲ゆえに、イエス・キリストに直接出会ったら信じられるのか、という問いに対しては「否」です。私共も直接この目でイエス・キリストを見たわけではありません。しかし御言葉により、今、イエス・キリストと出会うことができるのです。▲今日の箇所の背景として、パウロはイエス・キリストの直接の弟子ではなかったので他の使徒より低く見られ、ある人々からは「パウロは金儲けのためにイエスを伝えている」等の悪い噂が起こったのです。▲福音伝道者はその働きにより報酬を受けることは当然としつつ、パウロは少なくともコリント教会では報酬を受け取っておりません。▲報酬をもらうどころか、福音を伝え、教会をたて、人々に「奴隷のように」仕えたのだ!と語ります。▲「奴隷」という言葉の背景にはイエス・キリストが人々に徹底的に仕えた、自らの命さえ差し出した姿が響いております。▲そして、「ユダヤ人にはユダヤ人のように」「律法に支配されている人には、律法に支配されているように」という歩みは、相手を拒否することからではなく、まず、相手の立場に立ち、理解し、受け容れた上で、そこから対話を進めるということです。まず「共感する」ことから人間関係は始まるのです。▲パウロの祈り、願いは「福音のためなら、わたしはどんなことでもする」、それは「福音に共にあずかる者となるため」と語ります。▲「あずかる」という言葉は漢字では「与る」です。「分け前に与る」等と言いますが、「シェアする」ことであり、こちらの方が解りやすいです。▲「賞を得る」という表現は注意が必要です。伝道して回心者の数を競うのではなく、すべての人が共に等しくキリストにつながることを夢描いています。(献)
今日の祈り:日本バプテスト連盟理事会。①新機構2年目の歩みです。諸教会の声、祈りと課題につながり、新しい施策を検討する理事会の歩みのために。理事長:吉田
真司(相模中央教会牧師)
2024年4月15日~21日
4月 15日(月) 聖書:エフェソ書4章11~16節
教会の祈り:礼拝委員会の働き 今日の祈り:徳島教会(徳島市)。①外国籍の方たちの生活が守られますように。すべての子どもたちが愛のある環境で育まれますように。③ろう者と共なる礼拝の充実。 牧師:杉山
いずみ(当教会出身牧師)、協力牧師:杉山 修一(当教会前牧師)
4月 16日(火) 聖書:ヨハネ福音書10章3~4節、14~18節
教会の祈り:U・Yさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:丸亀城東町教会(まるがめじょうとうちょうきょうかい・香川県丸亀市)。①主の祈りを生きる教会でいたい。②まず神の国と神の義を求めたい。③人を裁くより人を大切にしたい。 牧師:山浦
良治
4月 17日(水) 聖書:Ⅱテサロニケ書1章3~4節
教会の祈り:O・Kさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:恵(めぐみ)教会(香川県高松市)。①子どもたちの信仰が守られるように。②高齢の方々の出席が守られるように。③求道者の出会いが備えられるように。 牧師:伊藤
聰
4月 18日(木) 聖書:ローマ書8章31~36節
今日の祈り:高松太田教会(香川県高松市)。①共に愛し祈れる教会となるように。②主の言葉を皆で伝道できるように。③教育・食堂館が与えられるように。 牧師:大竹
敏生
4月 19日(金) 聖書:マルコ福音書10章13~16節
今日の祈り:高松常磐町教会(香川県高松市)。①新年度からの新しい歩のために。②地域の声に耳を傾け、地域の必要に具体的に答えながら福音を伝える。
牧師:梶井 義郎(本年3月末で辞任されました)
4月 20日(土) 聖書:詩編119編137~144節
今日の祈り:広島西教会(広島市)… 広島西教会は2024年2月29日をもって閉鎖となりました。
4月 21日(日) 聖書:コリントの信徒への手紙Ⅰ 8章1~13節 <聖書の箇所から>… ▲「偶像に供えられた肉」。コリントを含む地中海沿岸はたくさんの「神殿」があり、神殿に供え物をして祈願をするのですが、「お金」は「1円」でも「500円」でも種類があります。▲日本では「御縁」にかけて「5円」を賽銭箱に入れるのがマナーと考えている人々がいますが、寺社側にとっては「5円!とんでもない、5円もらって誰も嬉しくないだろうに、5円でたくさん祈願して、お参りした後に5千円のランチを食べるなんてカミさまを何と思っているのだ」との苦情を聞いたことがあります。▲多少話がずれましたが、神殿には「お勧めする供え物」があり、場合によっては神殿が許可したものしか受付けないことがあります。▲それが神殿印の「肉の供え物」等です。▲神殿は「供え物」を高額で参拝者に販売し、供えられたものを今度は「神殿印」の(ありがたい)肉として市内で転売しました。▲そのような「神殿印がついた肉」をキリスト者は食べて良いのか、それを食べるのは偶像礼拝ではないかと考える人々もいるわけです。▲あるキリスト者は神社の中に入るだけで罪だ、偶像崇拝した、と考える人がおります。▲似たような場面で、仏教式葬儀に出席したり、香をたいてよいのかと問われることがあります。▲故人とご家族の思いを大事にして、私は葬儀に出席し、香もたきます。逆にキリスト教葬儀に出席した人が念仏を唱えたり、お線香をたくのは困ります(普通はしない)。キリスト者でなくても祈りに心合わせ、讃美歌を歌ってくださるのは寄り添う優しさであり、愛の姿であると思います。▲偶像は本来魂もない、人間が造ったものなので、心配せずに「神殿印のお肉」も食べてよいとパウロは語ります。▲神殿の肉を食べて偶像礼拝になると主張する人のことを「弱い人々」(通常は信仰が強い人のように受け取られることがある)、また「知識がない人」と語ります。▲「知識がない」のはキリストの愛と恵みの深さを知らないことです。▲「弱い人々」のことを考えて遠慮したり、後にきちんと説明することが「愛」と「自由」を受ける者の歩みというのです。▲違う意見や見解を持つ相手をすぐに拒絶、否定するのではなく、受け入れつつ共に考えていくことです。▲「自由」「愛」は自分のためではなく、共に生きるために、他者の存在や考えを受け入れつつ、対話により真理に導かれる姿勢なのです。(献)
教会の祈り:会堂の維持のため 今日の祈り:江波教会(広島市)。①新たな出会いに導かれ、決心者と奏楽者が与えられますように。②体調を崩されている方々の癒しのために。 牧師:杉本
拓哉
2024年4月8日~14日
4月 8日(月) 聖書:Ⅱコリント書8章1~9節
教会の祈り:病床や高齢の方々のため。 今日の祈り:八幡浜教会(やわたはま・愛媛県)。①一つにされ新たに歩みを進める。②主と共に生きる信仰を継承する。③地域の人々が救われるための教会。牧師:榎本謙二郎、副牧師:榎本佐智子
4月 9日(火) 聖書:エフェソ書2章14~22節
今日の祈り:松山西教会(愛媛県)。①各教会・伝道所との連帯のために。②命が守られ、はぐくまれるように。③明日を生きる希望のために。 牧師:嶋田
健治
4月 10日(水) 聖書:Ⅱコリント書5章11~21節、12章9~10節
今日の祈り:道後教会(愛媛県松山市)。①新しい教会の形を目指して取り組んでいる「五カ年計画」が主のみ心にかなうものとなりますように。 牧師:宮本
恵
4月 11日(木) 聖書:ヤコブ書4章1~12節
教会の祈り:北関東地方連合の教会・伝道所を覚えて。 今日の祈り:松山教会(愛媛県松山市)。①み言葉の種を蒔き続けよう。②皆ともに礼拝を捧げ、主を賛美しよう。 牧師:川上
敏夫
4月 12日(金) 聖書:エフェソ書3章14~21節
教会の祈り:N・Kさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:今治教会(いまばり・愛媛県今治市)。①礼拝者が増し加えられますように。②子ども集会の祝福と働き人の導き。③バプテスマ・転入会が与えられるように。 牧師:今井
朋恵、今井 謙一
4月 13日(土) 聖書:Ⅰコリント書1章26~31節
今日の祈り:今治教会 徳山伝道所(山口県周南市)。①礼拝の充実。②キリストを信じる人が与えられますように。③宣教活動の必要が満たされるように。牧師:今井
朋恵、今井 謙一
4月 14日(日) 聖書:コリントの信徒への手紙Ⅰ 3章1~9節 <聖書の箇所から>… ▲生まれたばかりのコリント教会はユダヤ教からの改宗者や聖書(旧約聖書)の歴史や内容を知らない異邦人からのキリスト者等がおり、今のように「福音書」が読めるわけではありません。▲その中でキリストの教えを語り継いでいく教会教育の難しさがあります。▲「アポロ」はアレキサンドリヤ(エジプト)生れのユダヤ人。雄弁で、旧約聖書に通じており、洗礼者ヨハネの信仰を受け継いでいたようです。▲イエス・キリストについて最初は理解できておりませんでしたが、プリスキラとアキラに教えられてイエスはメシアであることを旧約聖書から理解し、大きな働きをした伝道者となりました(使徒言行録18章24節以下参照)。▲決してアポロが企てたことではないでしょうが、コリント教会で「パウロ派」と「アポロ派」と言われるような大きく二つの集団が発生し、いろいろと不一致が起こったようです。▲「ねたみ」や「争い」とありますが、その根本の問題をパウロは「肉の人」「霊の人」の違いと説明します。▲「肉の人」とは「聖書教育」誌で「人間的な思いや常識に執着し、神さまの恵みなど眼中にない人」であり、「霊の人」とは「神さまから与えられた信仰の心が開かれ、『神の恵みとして与えられたものを知るようになった』人」、とあります。▲そこでの解決方法は、共に神を見上げ、神の畑で種を蒔き育てる働きや、建物が色々な素材や形から成っているように、目的は「神の心」の実現に一致して奉仕していくことなのです。▲「主役」は「神」であることをいつも思うことです。「主役」が「自分」だと考えるとすべておかしくなります。▲普通は自分の方法や自分の考え方は正しいと思います。でも教会においては、それらの知恵や考え方を集め、さらに祈りの中で最善の道を求めていくことが大切ですし、互いに聞き合う中で自分の思いを超えた方法が広がる素敵な場所なのです。▲加えて、意見の違いや方向性の違いがある時、その思いの「根っこ」はどこにあるのか考えることは大事です。いつも「神さまの願い」「教会の目的」が土台ですね。(献)
教会の祈り:聖歌隊の働きと隊員を覚えて。 今日の祈り:高知伊勢崎教会(高知県高知市)。①バプテスマが与えられますように。②メモリアルルームの完成のために。③地域に開かれ用いられる教会。 牧師:河野宏一(かわのこういち、当教会出身牧師)。
イースター 3月31日週報巻頭言より
「復活 ~再び起き立ち歩む道~ 」
▲「復活」に対する切望な祈りは能登半島においても、ウクライナ、パレスチナ等世界各地で、そして、この地上を歩む私どもにとってどれほどの切実な思いを持ってなされてきたでしょう。▲命のよみがえり(あるいは地域の復活、人と人の関係性の復活、そして愛する者のよみがえり)への祈り。それら死の力、奪う力に対して今、厳粛な思いを持ちつつ神によって与えられた一つひとつの命の重さを思います。▲グスタフ・マーラー(1860-1911)の交響曲2番「復活」第5楽章で合唱とアルトがこう歌います。▲「生まれ出たものは滅びなければならぬ、滅びたものはよみがえなければならぬ。おののくことをやめよ、用意せよ、生きるための用意をせよ」と。命の死は命のよみがえりと結びつき、死ぬために、生きるために用意をしていく、私たちの生が問われていると思うのです。▲また4楽章では「神様から生まれた私はまた神様のところへ行くのです…永遠の 喜びの命にまで、私を照らしてくださるに違いない」とも歌われています。▲今日、イースター(復活祭)を共にお迎えできることを感謝いたします。▲ 命の尊厳と命が喜び生きるための福音を語り続けたイエス・キリストが、主イエスを必要としない人々により、あるいは人々から邪魔者として十字架刑により処刑されました。人間は力の勝利に酔いしれます。「神をも人間は支配できるのだ」と。▲しかし、イエス・キリストは、人が閉じ込め、大きな石で蓋した墓を開き、再び、我ら人間と共に生きるためによみがえったのです。そして生きる者と死せる者の主として今も生きて我らに働いてくださるお方なのです。▲命あるものは必ず死を迎えます。それがいつか、どのような状況においてか、誰も知ることはできません。▲その限界の中で人は与えられている「今」を生きることへと招かれています。死を知りつつ、生きるために、死ぬために、私たちは畏れつつ、今日の命を受け取る日々を、永遠の命を与えてくださる主の言葉を聞きながら過ごしていきたいのです。▲加えて「復活」とはこの世を去った方々だけのことではありません。この世に命を受けながらも、生きる意味がないと思い、魂が死んだような人々にも、他者との関係性が失われた人々にも、命の喜びと希望を主が与えてくださるのも「復活」です。「永遠の命」とは神が伴う命であり、今も、そして永遠に続きます。(献)
2024年4月1日~7日
4月 1日(月) 聖書:ヨハネ福音書20章24~29節
教会の祈り:所沢教会伝道開始61年の歩み。 今日の祈り:小倉教会(北九州市)。①無牧師教会の奉仕者が祝福され、次代を担う人々が集えますように。②教会ランチが主に喜ばれますように。
4月 2日(火) 聖書:創世記2章4b~9節
教会の祈り:坂本牧師、芦沼協力牧師、中田協力牧師の健康・信仰と歩みのために。 今日の祈り:富野教会(北九州市)。①生き生きとした礼拝と活動のために。②近隣教会との協力と交わりのために。 牧師:黄
仁坤(ファン インゴン)、協力牧師:福田 昌治
4月 3日(水) 聖書:ヨハネ福音書20章30~31節
教会の祈り:日本バプテスト連盟結成記念日(1947年)。連盟事務所の働きと267教会/29伝道所のために。 今日の祈り:門司港教会(もじこう・北九州市)。①北九州門司の地で神さまから用いられる教会、また私たちでありますように。 代表役員代務者:石橋貞男
4月 4日(木) 聖書:使徒言行録章14~42節
今日の祈り:門司教会(もじ・北九州市)。①教会員の霊的成長。②幼稚園の数的成長。③リフォームが主に用いられるように。 牧師:桐原 恩恵(きりはら
めぐみ)
4月 5日(金) 聖書:使徒言行録18章24~28節
今日の祈り:下関教会(山口県)。①幼稚園と共に生き、福音を伝えられるように。②病気や高齢による礼拝出席困難者のために。 牧師:泉 選也(いずみ
えりや)
4月 6日(土) 聖書:コロサイ書3章12~17節
今日の祈り:小野田教会(山口県小野田市)。①奏楽者が与えられますように。②教会・幼稚園の改築のために。③教会学校再開のため。 牧師:佐野 太
4月 7日(日) 聖書:コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章10~18節 <聖書の箇所から>… ▲コリントという町は地図を見てよくわかるように、ギリシャの南北を結ぶ点、また、地中海の東西交通にとっても要所であり、コリントはアテネの次世代の大都市として1世紀以降も大きな役割を果たします。▲大都市であり、交易地として様々な地域から人が集まる商業や海運業、文化の賑やかさは同時に、沢山の神殿や宗教も集まるし、今の言葉で言えば「不適切」な商売も盛んにおこなわれていました。▲大体、「アクロポリス神殿」は千人の巫女が宮仕えをしていましたが、夜は巫女が売春をしていたということです。▲パウロはアテネでの宣教はうまくいかず、その後コリントで伝道します。それは使徒言行録18章に記されております。▲特にコリントで退避してきたユダヤ人アキラとプリスキラ夫婦と出会い、一緒にテント造りをしながら、まずはユダヤ教会堂からはじめ、ユダヤ人が聞いていた「メシア」は「イエス・キリスト」であると伝え、一部のユダヤ人からは反発を受けますが、会堂長等もイエスを信じていきます。▲使徒言行録18章9節にパウロに与えられた主の言葉が記されています。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だからあなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」。▲そしてパウロは約1年半滞在して、そこにコリント教会が誕生したのです。新しく生まれたキリスト教会でしたが、教会として歩み始めていく中で色々な問題が起こってきます。▲しかし、問題があることは問題ではありません。問題を通して課題が明らかになり、そこで主の御心を求めつつ、課題を超えていく中で信仰の成長や教会の使命が明らかにされていくのです。(献)
教会の祈り:バプテスマ決心者が与えられるように。 今日の祈り:防府教会(ほうふ 山口県防府市)。①地域の方々とのつながりを大切に。②教会生活を楽しむ。③学びあい、祈りあい、支えあう。牧師:山時
松江(さんとき まつえ)
2024年受難週に覚える聖書箇所
▲本日2024年3月24日から「受難週」です。イエスさまの受難週の歩みを覚え、聖書を読むガイドを記しております(所沢キリスト教会「週報」巻頭言より)。
▲日曜日…棕櫚(しゅろ)の日曜日。(パームサンデー、Palm Sunday)イエス・キリストがロバの子に乗ってエルサレムに入城し、多くの人々がイエスを新たな指導者として棕櫚の葉や自分の服を道に敷き、歓声をもって迎えた。(マタイ21:1-11、マルコ11:1-11、ルカ19:29-40、ヨハネ12:12-19)*聖書箇所は参考で、いずれかの福音書を読めばよいです。
▲月曜日…宮きよめの月曜。主イエスは神殿の境内で、神殿と結託し、犠牲の動物を高価で販売したり、献金用コインに両替する者たちを追い出した。「わたしの家は祈りの家と呼ばれるべきである」。(マタイ21:12-17、マルコ11:15-19、ルカ19:45-48)
▲火曜日…論争の火曜。様々なしるしと奇蹟を行い、神の愛に燃え、エルサレムの荒廃ぶりを嘆かれた。(マタイ21:18-19、23:37-39、マルコ11:12-14、ルカ13:34-35)
▲水曜日…ベタニアでナルドの香油をマリアから注がれる。主イエスはその行為を心からの献げものとし、また、葬りの備えと表現しました。その強い香りは凄惨な十字架上でも漂ったことでしょう。(マタイ26:6-13、マルコ14:3-9、ヨハネ12:1-8)
▲木曜日…主の晩餐。イスラエルは陰暦なので日没から金曜になります。イエスは弟子たちの足を洗い、最後の晩餐を行います。その後、オリーブ山のゲッセマネで祈っている時に逮捕される。エルサレム神殿議会での裁判では死刑、ローマ政府による裁判でピラトはイエスに罪を見出しませんが、人々が「イエスを十字架につけよ」と叫び、群衆の反乱を恐れてイエス死刑を決めました。(マタイ26:17-75、マルコ14:12-72、ルカ22:7-63)
▲金曜日…受難日。朝から自ら十字架を背負いゴルゴタの丘へ向かい、そしてはりつけにされる。15時にイエス死亡。死が確認され、十字架から降ろされ、ヨセフ議員の墓に入れられる。(マタイ27:1-61、マルコ15:1-47、ルカ22:66-23:56、ヨハネ18:28-19:38)
▲土曜日…沈黙の日。イエスの死体が盗まれないように番兵が見守る。主イエスはこの日、死の世界を歩まれ、墓の住民となりました。(マタイ27:62-66)
▲日曜日…復活。早朝、イエスの墓に行った女性たちが天使からイエスが復活したことを聞く。主イエスはエマオ途上の弟子に伴い、弟子達にその傷ついた姿を示した。(献)
2024年3月25日~31日
3月 25日(月) 聖書:ルカ福音書14章15~24節
今日の祈り:シオン山教会(北九州市・西南女学院に隣接)。①牧師が与えられますように。②今後の教会形成のために。③教会学校の充実のために。 代表役員代務者:千葉
敦子
3月 26日(火) 聖書:ゼカリヤ書9章9~10節
今日の祈り:南小倉教会(北九州市)。①みんな守られ、生き延びられますように。パレスチナでの殺戮と破壊が永遠に終わりますように。 牧師:谷本
仰
3月 27日(水) 聖書:ヨハネ福音書17章1~19節
今日の祈り:日本バプテスト南九州地方連合(21教会、7伝道所)。①連合内の教会・伝道所の福音宣教の働きと連合の活動が豊かに祝福されること。
会長:マウマウタン(国分教会牧師)
3月 28日(木) 聖書:ルカ福音書8章1~8節
今日の祈り:■日本バプテスト連盟教役者会。①教役者会の存在が一層周知されるように。②教役者会の働きが明確にされるように。③教役者の学びと交わりのために。 事務長:小櫻
信(京都市・北山教会牧師) ■女性牧師・主事の会。①献身者の性差別の現実を知り、共有する場の提供。②歴史の決断*を受け継ぎ、新たな教会形成。 *=米国南部バプテスト連盟が2000年に出した信仰宣言に対し、女性の牧師を認めるように応答したこと。
世話人代表:武林 真智子(長崎県・相浦光教会牧師)
3月 29日(金) 受難日 聖書:ヨハネ福音書19章25~30節
今日の祈り:連盟「ハラスメント対策委員会」。①問題解決に当たっている委員の働きのために。ハラスメントとは何かの知識が広がるように。委員長:城倉由布子(東京都・泉教会員)
3月 30日(土) 聖書:ヨハネ福音書19章31~42節
教会の祈り:M・Hさんのお誕生日おめでとうございます!。今日の祈り:米国南部バプテスト日本語教会連盟。①地域に根ざした宣教促進のために。②全年齢層の集う教会形成のために。③在米日本人の魂が救われるために。
3月 31日(日)イースター礼拝(復活祭) 聖書:ヨハネ福音書20章11~23節 <聖書の箇所から>… ▲「マグラダのマリア」について福音書から得られる資料はわずかです。▲ルカ8章2節では、イエスに従い自分たちの持ち物を出して奉仕した婦人たちの中にマグダラ(出身)のマリアがいます。マグダラという町はティベリアの北5.5km、ガリラヤ湖に面した小さな町。▲イエスは彼女から7つの悪霊を追い出し(ルカ8章2節等)ました。これは「全ての悪霊」を追い出したことを意味します。多分、肉体的か精神的な病気にかかっていたと考えられます。▲このマリアは日曜の朝早くイエスの葬られた墓に行き、主イエスの遺体がなくなったことに気付き、エルサレムにいた弟子達に伝え、再び墓にやってきます。彼女は「最後の別れ」をしたかったのです。▲しかし、それができません。主イエスが死んだだけではなく、遺体とも面会できない悲しみによりマリアは泣きます。その後、彼女に語りかける天使の声を聞きます。そして振り向いたそこに人が見えますが、イエスだと気づきません。▲ある人はこう語ります。「イエスはどこにいるのか、人間の常識や経験や知識では分からない。その一切をかなぐり捨て、180度方向を転換して神に帰ること。これまで見ていなかった方向に視野を向ける。そこにイエスは立っておられる」と。▲その後、主イエスが「マリア」と名前を呼ぶことによって途切れているように思われた関係性が、主イエスとマリアとの関係が回復するのです。▲「すがりつくのはよしなさい」との主イエスの言葉は、主イエスに触れることではなく、信頼、信仰の関係としての絆が結ばれることを意味いたします。そしてマリアは復活の主イエスを告げ知らせる者としてこの時以来歩み出していくのです。▲その後、隠れていた弟子達のところに主イエスは出現します。ここにおいて主イエスは裏切った弟子達を赦したし、弟子達もまた「赦し」(救いと平和)に生き、「赦し」を語る者とされていくのです。(献)
教会の祈り:主の復活の喜びと希望が世界に拡がるように。
2023年度の歩みを感謝して。 今日の祈り:連盟引退教役者の方々を覚えて。吉高國彦氏(大分県在住)、吉田晃児氏(福岡県在住)。
2024年3月18日~24日
3月 18日(月) 聖書:ヨハネ福音書16章1~15節
教会の祈り:小羊会と子どもたちのため。 今日の祈り:東八幡教会(ひがしやはた・北九州市)。①戦争反対!戦争やめろ!平和を! ②震災で被災された方々を覚えて。③子どもの自死を防ごう。
牧師:奥田 知志、石橋 誠一、協働牧師:藤田 英彦、森松 長生
3月 19日(火) 聖書:Ⅰテモテへの手紙6章11~19節
今日の祈り:八幡教会(やはた・北九州市)。①伝道のために。②紛争地の平和のために。福島の原発事故の収束のために。 牧師:久保田 理
3月 20日(水) 聖書:ヨハネ福音書17章17~19節
教会の祈り:Y・Kさん、O・Hさん、S・Mさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:高須教会(北九州市)。①礼拝に生きる教会となるように。②将来五ヵ年計画が祝福されるように。③地域に根ざす教会となるように。 牧師:三上
渡、協力牧師:山田 雄次
3月 21日(木) 聖書:ヨハネ福音書12章20~24節
教会の祈り:24日に礼拝宣教する芦沼光雄牧師のために。 今日の祈り:若松教会(北九州市)。①愛とゆるしに満ちた教会。②信仰決心者と働き人が与えられますように。③神愛幼稚園との共なる働き。 牧師:永町
友恵
3月 22日(金) 聖書:詩編22編17~19節
教会の祈り:I・Mさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:北九州教会(北九州市)。①教会員の家族一同、隣接するナオミ愛児園の関係者一同、福音を必要としている地域の方々、そして全世界の上にキリストの福音が速やかに届きますように。 牧師:斎藤
信一郎
3月 23日(土) 聖書:詩編22編17~19節
今日の祈り:小倉春ヶ丘教会(北九州市)。①会堂修繕費用が与えられますように。②30人礼拝が実現しますように。③地域に根ざした教会になるように。牧師:千葉仁志
3月 24日(日) 聖書:ヨハネ福音書19章17~30節 <聖書の箇所から>… ▲ヨハネ福音書が伝える十字架上の主イエスの姿。場所は「ゴルゴタ」で「されこうべ・頭蓋骨」の意味ですが、へブル語ゴルゴタをラテン語にすると「カルバリヤ(英語でカルバリー)」となります。英語にすると何かイメージが違いますね。▲時々、主イエスの磔刑を描いた画像で「I.N.R.I」と記してあるのを見た方がいらっしゃると思います。これは、罪状書きの頭字語(ラテン語:IESVS
NAZARENVS REX IVDAEORVM)で。「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳されます(19節)。罪状書きはピラトの皮肉であり、それを見たユダヤ人が書き換えを要求しますが、それは受け入れられません。▲十字架上で主イエスの衣服は剥がされ、それらは兵士らに分けられ、一枚織りの下着はくじ引きされますが、これは詩編22編の成就です。ちなみに「一枚織りの下着」は母マリアの手作りであったと伝承されます。▲マルコ福音書等では女たちは「遠くから」見ていたと記されますが、ヨハネは十字架のすぐ下に置かれます。実際には距離はあったと思いますが、心理的な近さが表現され、26節で「愛する弟子(ヨハネ)」にマリアを「あなたの母」と語ったのは、主イエスのマリアへの思いであり、主イエスのもとにあって、そうでなかった者が「家族」へと繋がれることが示されているのかもしれません。▲またヨハネ福音書でマリアが登場するのは、最初のしるしを行った「カナの婚礼」と、この「死の場面」であるのは印象的です。▲そして主イエスは「渇く」と語り(叫び?)、酸いぶどう酒が口もとに出されますが、これも詩編22編や同69編を想起させます。「渇く」と叫ぶの主の言葉は、今日の飲み水がない人々を代表するものであり、愛のない世界、罪なき者が殺される世界を語っており、渇くイエスを知る者は、渇いた人々が世の犠牲として、今もいることを思い起こすことへと招かれています。▲ヨハネでは主イエスの最後の言葉は「成し遂げられた」です。その言葉によって主イエスの死が目的を持っていたことを示します。その目的はヨハネ12章で語られるように「一粒の麦は、地におちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ」ためなのです。(献)
教会の祈り:H・Tさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:企救教会(きくきょうかい・北九州市)。①新年度の歩みの備え(予算総会・3月、定期総会・4月)。②病気などで療養中の方々。 牧師:原田
義也
2024年3月11日~17日
3月 11日(月) 聖書:ヨハネ福音書17章1~26節
教会の祈り:東日本大震災被災地を覚えて。原発事故の収束、復興のため。連盟「東日本震災被災地支援委員会」の働きのため。 今日の祈り:苅田教会(福岡県京都郡)。①西南女学院で学ぶ中高大学生、教職員に福音を。②近隣の人々が神さまを知って生活して行かれるように。③赤ちゃんからお年寄りまで、教会に集う人々が増やされるように。牧師:佐藤
清一、名誉牧師:鍋倉 勲、教会主事:児玉 尚文
3月 12日(火) 聖書:Ⅰヨハネの手紙5章1~5節
教会の祈り:U・Fさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:飯塚教会(福岡県飯塚市)。①バプテスマ決心者が与えられるように。②教会の伝道が進んでいきますように。③教会の会計が祝福されますように。牧師:高屋
澄夫、高屋 和子
3月 13日(水) 聖書:Ⅰテサロニケ2章1~13節
今日の祈り:直方教会(福岡県直方市)。①地域の拠り所となれるように。②北九州宣教支援センター主事を兼務する田中牧師のために。牧師:田中 伊策
3月 14日(木) 聖書:ヨハネ福音書12章27~43節
教会の祈り:青年会活動が起こされていくように。 今日の祈り:中間(なかま)教会。①会堂、牧師館の補修と維持のために。②高齢者と療養中の会員のために。③信仰の継承のために。 牧師:安部
寅彦(安部牧師は先週3月6日、85歳で召天されました)
3月 15日(金) 聖書:ヨハネ福音書1章14~18節
今日の祈り:芦屋教会(福岡県遠賀郡)。①主日礼拝に聖霊の油注ぎを。②子ども礼拝が毎週守られるように。③愛生幼稚園の祝福のために。 牧師:尹 正鉉(ユン
ジョンヒョン)
3月 16日(土) 聖書:ヨハネ福音書14章1~14節
教会の祈り:少年少女会活動が起こされるように。少年少女への招きと育成のために。
今日の祈り:折尾教会(北九州市)。①29年目阪神大震災を忘れない。②福岡・北九州地区に神さまの平安を。③はやく世界に平和が来ますように。 代務者:観音堂
勝
3月 17日(日) 聖書:ヨハネ福音書18章28~38節前半 <聖書の箇所から>… ▲主イエスは木曜(ユダヤは陰暦なので木曜日没から金曜になっています)深夜のゲッセマネ(油絞りの場)での祈祷会を行います。▲その後、ユダヤの政治と神殿の指導者達から送られた兵士や下役らがやってきてイエスを逮捕するのです。▲その一軍は大きな戦いになることを予想して武装して来ました。ペトロが剣を抜きますがすぐにイエスに諭され、静かに主イエスは大祭司、さらにローマのユダヤ総督ピラトのもとで裁判を受けますが、もちろんこのような深夜の裁判は通常有り得ないことです。▲18章15節からは大祭司の前における主イエスの裁判が行われ、同時に屋敷の中庭でもう一つの裁判が行われます。その裁判はペトロに対してであり、人々に主イエスとの関係を聞かれたペトロは「イエスを知らない」と否定します。ここにおいてペトロはそれまでの言動を覆し、主イエスを、福音を恥として隠したのです。その裁判官は鶏でした。▲一方主イエスへの裁判は続き、処刑する権限を持つ(31節)、ピラトのもとで裁判を受けます。ピラトの前でのイエスとの対話は深く、印象的です。▲主イエスは「わたしは真理について証しするために生まれ、そのために来た」と語ります。それに対してピラトは「真理とは何か」と問います。▲「真理」、それは「いつどんなときにも変わることのない、正しい物事の筋道」。それは本来シンプルなものでしょう。真理は人が共に愛し合い、喜び助け合う世界です。そのことを人間は主イエス・キリストの言葉と歩みから知ることができます。▲ところがこの「真理」は人間によって常に曲解され、「真理」でないものが「真理」とされてきているのです。ピラトはイエスによって「真理」に気づかされたと思います。ピラトは主イエスに罪がないことを正しく認めます。▲しかし、民衆の反対に合い、自分の都合により、ピラトは真理を曲げ、イエスを殺す判断をしたのです▲そのようにして「真理」は今日も殺されています。(献)
今日の祈り:枝光(えだみつ)教会(北九州市)。①宣教の業が導かれますように。②主の平和が成りますように。③カルト宗教被害者を覚えて。 牧師:岩崎
一宏
2024年3月4日~10日
3月 4日(月) 聖書:ヨハネ福音書5章1~7節
教会の祈り:Y・Sさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:古賀教会(福岡県古賀市)。①平和のあらゆる働きのために。②信仰告白作成のために。③地域4教会の宣教協力のために。 牧師:泉
清隆
3月 5日(火) 聖書:エレミヤ2章21~22節
教会の祈り:財務委員会の働き。 今日の祈り:自由ヶ丘教会(福岡県宗像市)。①牧師招聘と平日祈祷会の再開。②教会につながる者たちの健康と成長。③真の世の光を伝える教会となる。
代表役員代務者:福本 順子
3月 6日(水) 聖書:ヨハネ福音書13章1~11節
教会の祈り:N・Eさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:福間教会(福岡県福津市)。①地域の課題に寄り添えますように。②体調を落とす教会員の癒しと回復。③伝道40周年、教会組織30周年を覚えて。 牧師:近藤
浩久、協力牧師:宮崎 信義
3月 7日(木) 聖書:ヨハネ福音書1章1~14節
教会の祈り:壮年会活動のため。 今日の祈り:臼杵教会(大分県臼杵市)。①礼拝の継続と祝福。②教会員の信仰と健康。③地域との共生と宣教。 協力牧師:松永
正俊
3月 8日(金) 聖書:ヨハネ福音書14章15~24節
教会の祈り:M・Tさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:別府国際教会(大分県別府市)。①信仰の絆が深まりますように。②新しいビジョン作成のために。③国際教会としての成長。 牧師:酒井
朋宏
3月 9日(土) 聖書:ヨハネ福音書16章16~24節
教会の祈り:M・AさんとT・Cさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:大分教会(大分県大分市)。①戦争がなくなるように。②エンパシーによる教会形成。③つながっていくためのアイディアが与えられるように。 牧師:村田
悦(えつ)
3月10日(日) 聖書:ヨハネ福音書16章25~33節 <聖書の箇所から>… ▲今日の箇所だけを提示されても「困る」というのが正直な気持ちです。少なくとも14章から始まる主イエスの告別説教を読んだ上でないと25節の「これらのこと」がわからなくなります。▲「これらのこと」の一つは、主イエスがいなくなる現実です。そこにおいて、イエスへの信仰から離すような迫害や、外側だけでなく、自らイエスから離れていくことを選択することが記されています。▲子どもが危ない場所に旅出るとき、親の目から離れる場所に行く時、親は様々な注意を前もって伝えます。▲そのような注意を、「主イエスの名によって祈ること(14章13節)、「主イエスが不在になっても、弁護者(=聖霊)を送る、この霊があなたがたと共にいる(14章16~)」、「聖霊があなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い出させてくださる、わたしは平和をあなたがたに残し…(14章26節~)」、「わたしの愛にとどまりなさい(15章10節~)」、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい(15章12節~)、「わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと…(15章16節)」等の道を示しております。加えて迫害のことが15章18節から記されますし、今日の18節以下でもその響きがあります。▲主イエスから離すような力は「信仰を失わせるような力」あるいは「病や苦しみ」「困難」「人間関係」「より心ひかれるもの」「より大事にするもの」「自分により喜びを与えてくれそうなもの」「欲(金銭・名誉・性等)」と言ってよいでしょう。▲その中で常に中心をはっきりさせることが大事です。主イエスの言葉に聴き従い、主イエスに祈り、主イエスの愛によって生かされる者としての自覚、「互いに愛し合う世界をつくる信仰の道」。▲私どもは弱いことを認めなければいけません。「ひとり」になり、相談できる相手、理解できる相手がいない心は不安と孤独であり、間違った選択をする可能性があります。▲そして、主イエスもまた「父なる神が共にいる」と語ります。これはイエスに父がいるという意味ではなく、私どものために教えてくださった言葉です。▲主イエスが「わが父よ」と叫ぶことができるように、私どもにも共に主なる神、主なるイエスが共にいてくださって「助けて」と祈ることができるし、その祈りを受け止めて下さる方があることなのです。「世(のどんなこと)」にも勝利される主(=神)があなたと共にいるから、何も恐れることはない、困ったら主イエスを仰ぎ、主イエスに祈ることを教えてくださっています。(献)
教会の祈り:女性会の活動のため。 今日の祈り:豊前教会(福岡県豊前市)。①平和を実現する働きを担う。②すべての人を歓迎する教会になる。③いのちを守る働きに仕える。 牧師:本山
大輔
20241年2月26日~3月3日
2月 26日(月) 聖書:ヨハネ福音書4章41~51節
教会の祈り:信徒委員会の働き。 今日の祈り:連盟「日本バプテスト連盟宣教研究所」。①新任牧師・主事研修会(2月28日~3月2日)と参加者のために。②宣研の研究・研修・情報発信などの働きのために。③運営委員会及び宣研スタッフの働きのために。 運営委員長:白石
久幸(名古屋教会牧師)、所長:朴 思郁(パク サウク・西川口教会協力牧師)
2月 27日(火) 聖書:Ⅰヨハネ1章5~10節
教会の祈り:M・Sさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:連盟「東日本大震災被災地支援委員会」。①東京電力福島第一原発事故の収束諸作業が安全に行われ、放射線による健康被害から守られるように。 委員長:中田
義直(常務理事・所沢教会協力牧師)、現地リーダー:大島 博幸(福島主のあしあと教会牧師)
2月 28日(水) 聖書の学びと祈り会:当教会とリモート併用で19時半~20時40分頃まで。聖書:ヨハネ福音書12章36後半~43節
今日の祈り:連盟「平和宣言推進担当者会」。①パレスチナに自由と解放を。ガザ虐殺の即時停戦を。教会を積極的平和創造の器としてください。 委員長:谷本
仰(南小倉教会牧師)。 連盟「憲法改悪を許さない私たちの共同アクション」。①平和憲法を活かすことができますように。国連憲章に9条を盛り込ませることができますように。 担当理事:城倉
啓(泉教会牧師)
2月 29日(木) 聖書:イザヤ書5章1~7節
今日の祈り:連盟「新生讃美歌推進」。①「『新生讃美歌』20周年記念ヒム・フェスティバル」(3月20日)の祝福とこれからの賛美の取り組みのために。 新生讃美歌推進担当:江原
美歌子(相模中央教会 音楽・子どもユース担当主事)
3月 1日(金) 聖書:エゼキエル書19章1~11節
今日の祈り:香住ケ丘教会(かすみがおか・福岡市東区)。①一つの霊によってしっかり立つ。②私たちはキリストにあって一つ。 牧師:堀内 明、名誉牧師:藤井
健児
3月 2日(土) 聖書:ヨハネ福音書14章25~31節
教会の祈り:所沢教会3月定期総会(3月24日)の準備が進むように。 今日の祈り:東福岡教会(福岡市東区)。①新来者が教会につながるように。②高齢者・病の人のために。③幼稚園での伝道のために。 牧師:笠井
元(はじめ)、協力牧師:松見 俊(たかし)、劉 雯竹(リュウ ブンチク)
3月 3日(日) 聖書:ヨハネ福音書15章1~17節 <聖書の箇所から>… ▲「ぶどうの木」にたとえ、主イエスがご自身を説明・表現した有名な箇所です。イエス・キリストは身近な食物や動植物を「たとえ」として用い、神様と人間の関係を伝えています。▲「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」。ぶどうの木は当教会にもありますが、本来、ぶどうの木は地中深くまで根を伸ばし、そして一本の枝から多くの枝が分かれて繁るところから「繁栄のシンボル」とされてきました。▲冬、枯れているようになにもない枝から、季節になると緑の若枝が無数に伸び、そこに実をつけていく姿には毎年びっくりします。それは幹を通して栄養や水分が枝に供給されているからです。▲今、葉がないぶどうの木の姿を見ながらふと思うのは、私どももまた「枯れたような心」になってしまうことです。▲ぶどうの枝が枯れたら何の実りもありません。「枯れた心」とは潤いのない、優しさのない心、人の気持ちの理解できない心です。心の栄養をいただきたいと願いつつ、様々な多忙や、心配や恐れの中でその余裕すら失ってしまうこともあります。▲主イエスさまは「わたしの愛にとどまりなさい」とおっしゃいました。「とどまる」とは「結ばれていきなさい」ということで、今日の箇所でも「つながる」「結ぶ」と何度も使われているヨハネ福音書のキーワードの一つです。▲主イエスさまが人を愛され、受け入れていった心を私にもください、人を愛するという力を私にもください、その祈りに生きることです。わが子すら時に疎ましく、憎らしく思う時もあるのです。そのような自分に気づく時、それは幸いであると思います。弱さや醜さをもった自分をさらけ出しながら、神様の助けを、力を、愛を求めることを主イエスさまは良しとして、あなたを支えてくださるでしょう。(献)
教会の祈り:T・Mさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:西戸崎(さいとざき)教会(福岡市東区)。①信徒1人ひとりの人生に神の祝福が。②戦争のない世界、平和希求を祈る。③すべての命の尊厳が護られるように。 牧師:城
俊幸(たち としゆき)
2024年2月19日~25日
2月 19日(月) 聖書:ヨハネ福音書11章35節
教会の祈り:信徒委員会の働きを憶えて。 今日の祈り:福岡城西(じょうせい)教会(福岡市城南区)。①教会組織50周年を迎える2024年、感謝と共に新たな歴史を歩むことができるように。②世界に主の平和を。 牧師:宮井
武憲、協力牧師:寺園 喜基、名誉牧師:安藤 榮雄
2月 20日(火) 聖書:列王記上17章8~24節
今日の祈り:西南学院教会(福岡市早良区)。①礼拝の諸活動や、西南幼稚園の保育、西南学院の働きが祝福され、地域への福音宣教が拡げられますように。 主任牧師:西脇
慎一、協力牧師:踊 一郎
2月 21日(水) 聖書:使徒言行録16章25~34節
今日の祈り:鳥飼(とりかい)教会(福岡市中央区)。①新しい十字架の光が地域に輝きますように。②バプテスマ者や新入会者の祝福のために。③コロナ収束後の活力ある宣教推進のために。 牧師:三田
照雄
2月 22日(木) 聖書:ヨハネ福音書11章45~53節
教会の祈り:O・Kちゃんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:福岡教会(福岡市中央区)。①福音宣教の働きのために。②各執事の働きとそれを支える会員の祈りと奉仕が祝されるように。③世界平和のために。 牧師:小川
宏嗣
2月 23日(金) 聖書:マルコ福音書14章32~42節
今日の祈り:那珂川教会(福岡県那珂川市)。①教会が地域の方々の身近な存在となるように。②現代に生きる方に響く福音を届けるために。 牧師:籐 寿(とう
ひさし)
2月 24日(土) 聖書:ルカ福音書3章21~22節
教会の祈り:T・Tさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:博多教会(福岡市博多区)。①牧師招聘と、無牧師の信徒の一致。②『愛のうちにたつ教会(信徒1人ひとり)』となれますように。 代務者:高井
博章
2月 25日(日) 聖書:ヨハネ福音書12章27~35節後半 <聖書の箇所から>… ▲「心騒ぐ」は英語訳では「トラブルしている」とあります。▲「トラぶっている」との言葉を最近は聞きますが、まさに「もめ事・問題・紛争・障害」の中にあると言うのです。▲心引き裂かれるような主イエスの思い、それは「死」と「生きる」ことの狭間。▲完全な人間として主イエスは「死、それも不名誉な恥の十字架上での死」を恐れています。「よみがる」とわかっていても「死」の現実は恐怖でしかありません。▲一方、主イエスは逃れる道、つまり、捕まる前にエルサレムを脱出して、もうしばらく宣教に日々を費やす道を選択することも可能だったのです。▲しかし、その選択の中で、28節の「栄光が示された」とは主イエスが自らの死を受け入れた、何が起ことうとも、いかなる苦しみ痛みが襲い来るとも、それを受け入れる、そのことによって、人々を救うことへ決意されたのです。▲主イエスの覚悟の表明を人々は理解できません。「人の子があげられる」=「世を救う方(メシア)が殺される」ことです。エゼキエル7章14節前後のように、神は永遠であるのに、死ぬことはないでしょう、大体「人の子」とは誰なのか、と人々は問います。▲主イエスは「人の子」と自称しておりましたし、ここではご自身を「光」と言い換えています。▲光は暗闇(悪や暴力的な力、絶望、紛争や争い、病や死)を追いやる。光である主も一度は死の中を歩むけれど、必ず朝日のごとく、光としてよみがえる。あなたは私(=光<の力>)を信じて歩みなさい、なお、それは「今」、あなた生きているその時に信じなさい、と招くのです。▲「光の子」とは主イエスに愛され、赦され、信頼と交わりの関係に生きる歩みのことです。(献)
今日の祈り:西九州地方連合(12教会1伝道所)。①無牧師の教会と離島(五島)の教会のために。②新年度の役員の働きのために。③8月にある全国壮年大会の備えのために(2024年8月24日)。 会長:曺
銀珉(チョ ウンミン・長崎教会牧師)
2024年2月12日~2月18日
2月 12日(月) 聖書:使徒言行録3章1~10節
教会の祈り:すべての人の信教の自由が保障される世界であるように。 今日の祈り:野方教会(福岡市西区)。①教会堂建築のために。②牧師が与えられますように。③一人ひとり日々新しくされるように。 執事代表:芳司
康生
2月 13日(火) 聖書:箴言26章12節
教会の祈り:S・Tさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:伊都教会(いときょうかい、福岡市西区)。①「恵みに生きる」(年間標語)。「主の恵みに生きる群れとして「礼拝・宣教・交わり」を深め歩むことができるように。 主任牧師:下川
義明
2月 14日(水) 聖書:マタイ福音書12章1~8節
教会の祈り:教育委員会の働きを憶えて。各クラスにメンバーが与えられるように。
今日の祈り:姪浜教会(めいのはまきょうかい、福岡市西区)。①アトゥトゥミャンマー福岡の働き。②伊藤光雄協力牧師の働きを憶えて。③バプテスマ決心者の備えのために。 牧師:鈴木
牧人、協力牧師:伊藤 光雄
2月 15日(木) 聖書:マタイ福音書8章5~13節
教会の祈り:M・Hさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:かたえ教会(福岡市城南区)。①戦いのある場所に平和があるように。②悲しみに寄り添えますように。③互いの弱さを受け止められるように。 牧師:水野
英尚、協働牧師:三上 梓、伝道主事:興津 吉英
2月 16日(金) 聖書:ルカ福音書10章38~42節
教会の祈り:K・Yさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:福岡ベタニヤ村教会(福岡市早良区)。①世界に平和が訪れますように。②共に祈り合う教会としての成長。③献身者を生み出し、祈り支える。 牧師:田口
昭典
2月 17日(土) 聖書:ヨハネ福音書12章1~8節
教会の祈り:18日、相互訪問で大宮バプテスト教会に行く9名の方々のために。 今日の祈り:福岡西部教会(福岡県糸島市)。①伝道開始25周年に向けて教会のミッションを確かめる。②困窮者支援が守られる。③世界平和の実現。 牧師:麦野
達一
2月 18日(日) 聖書:ヨハネ福音書11章17~27節、35~39節 <聖書の箇所から>… ▲ベタニア村はエルサレム近郊。そこに住むマリアとマルタという姉妹、その兄弟であるラザロは福音書に度々登場します。イエスさまの弟子(弟子には色々な従い方がある)、あるいはシンパ(共感者)としてその村に生きていました。▲ある時、ラザロがひん死の病にかかり、命が危ないことを知った姉妹は人を送って主イエスにラザロのことを伝えます。▲主イエスはすぐにベタニアに行きません。そしてラザロが死んだことを知ったようです。「なぜ、間に合うように行かない!」「早く行けばよいのに」と我らは思いますが、人の命を真実に扱えるのは「神」であり「主イエス」のみです。▲「遅れたイエス、ラザロの死に間に合わなかったイエス」を姉妹はどう思ったでしょう。悲しむマリアは「あなたが間に合っていたら…」と悔しい思い、裏切られた思い、憎らしい思いを訴えます。▲主は語ります、「あなたの兄弟は復活する」。それは天国の話であり、今の現実とは思えずマルタは「それは私の慰めになりません」と語るのです。同じ言葉を主イエスはマリアからも聞きます。▲「死」は必ずやってくる、絶望と悲しみの現実として…。死の持つ痛み悲しみに主は共感し涙を流されます。▲主イエスは奇跡を起こす方としてではなく、「人の心に、痛みに共感する方」としておられます。▲人が「死」の悲しみや痛みを乗り越えるためには、その痛みに伴う存在が必要なのです。▲主は共感し、その共感からラザロをよみがえらせます。▲「よみがえったこと」が奇跡ではありません。人の苦しみに伴う神こそ、奇跡。人は必ず死にます。百回死んでよみがえってもそれは幸いではありません。▲死の痛み、悲しみ、苦しみに、共に寄り添う方がおられる~死をご自身も味わう方が~そのことを知る時、人はよみがえる、再び立ち上がることができるのです。(献) 教会の祈り:T・Yさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:西福岡のぞみ教会(福岡県糸島市)。①神の愛が地域の人々の平安を支えてくださいますように。②新来者の方々が信仰に導かれますように。 牧師:亀井
良雄、協力牧師:永山 辰原
2024年2月5日~2月11日
2月 5日(月) 聖書:Ⅱテモテへの手紙2章8~13節
教会の祈り:O・Mさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:長住教会(福岡市南区)。①伝道開始60周年(2026年5月)に向けた計画のために。②人権侵害や差別・暴力のない公正な社会の実現のために。牧師:中條譲治、中條智子
2月 6日(火) 聖書:ヨハネ福音書15章11~17節
教会の祈り:礼拝委員会の働きを憶えて。 今日の祈り:平尾教会(福岡市南区)。①「二つの会堂一つの教会」の成熟。②福音に生きる教会の使命の実現」。③主の平和が世界にあるように。牧師:奥村
献、協力牧師:青野 太潮、才藤 千津子
2月 7日(水) 聖書:イザヤ書56章1~8節
今日の祈り:福岡有田教会(福岡市早良区)。①教会堂新築のビジョン実現のために。②病にある教会員の癒しのために。③新来者・求道者の救いのために。牧師:松田
和夫
2月 8日(木) 聖書:エゼキエル書18章14~23節
教会の祈り:K・Mさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:田隈教会(福岡市早良区)。①奏楽者が与えられるように。②高齢者の健康と信仰生活のために。③教会学校の働きと継続のために。牧師:篠田
裕俊、協力牧師:坂東 資朗
2月 9日(金) 聖書:マルコ福音書7章31~37節
教会の祈り:伝道委員会の働きを憶えて。 今日の祈り:福岡国際教会(福岡市中央区)。①地域の人々、外国人に仕える教会。②主任牧師が与えられるように。③教会財政が祝福されるように。代表役員代務者:堀
義行、糸島集会担当協力牧師:木村 公一
2月 10日(土) 聖書:Ⅰペトロ書3章13~22節
教会の祈り:F・Kさんのお誕生日おめでとうございます!。 今日の祈り:福岡聖書教会(福岡市中央区)。①世界の暴力の連鎖に、主イエスさまにある最善の解決のために。②聖霊の満たし、地域と家族の救霊、信仰継承。牧師:濱中
満、名誉牧師:濱中 恒雄、伝道師:濱中 有希子
2月 11日(日) 芦沼光雄協力牧師就任感謝礼拝 聖書:ヨハネ福音書9章1~17節、35~39節(参照:9章18~34節) <聖書の箇所から>… ▲「生まれつき目の見えない人」を指して弟子が「誰が悪いことをしたからその結果、目が見えなくなったのでしょうか」と主イエスに尋ねます。「目が見えなくても」、「耳が聞こえていた人」の存在を話題にし、原因を聞いてもそれは弟子たちにほとんど関係のないことですし、当事者の前で誰が聞くでしょうか。▲そのような人間が真実に「目が見えない、人の心が見えない、思い図れない」人の姿です。この人は今までどれだけそのような冷たい言葉に心痛んできたことでしょうか。▲主イエスは、「因果応報」で考え、物事を理解する世界に向かって新たな言葉を語ります。「本人の罪の結果でも、両親の罪の結果ではない」。私ども人間は「過去」しか知りませんから、「過去」の何かを原因にしようとします。▲しかし主イエスは「神の業がこの人に現れるためである」、つまり、その苦難の現実を通して、神の働き、神の恵み、神の愛がこの人に届けられるという「未来」を語るのです。▲そして「神の業」とは、その個人個人に対して様々な生き方や考え方の変換を促すことを伴うものであり、「神の業」とは、「神と共に」、イエスと共に、喜びと希望を与えられて歩み出していくことになります。▲私どもも様々な困難や思っていない災害や病に見舞われることがあります。過去を悔いることもありましょう。自分や周囲を責めることもありましょう。でもそこに解決はありません。▲痛みや弱さ、その只中で主イエスは共にあり、あなたに新しい未来、新しい生き方、新しい考え方をしめされるでしょう。▲「シロアム」と呼ばれる池、その名称は「遣わされた者」の意味とあります。池が癒すのではなく、まだ見えなくても、主イエスの言葉を信じ実行することです。(献)
教会の祈り:S・Aさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:早良教会(福岡市早良区)。①高齢の兄弟姉妹の健康のために。②子どもたちの健やかな成長のために。③求道者に良い導きがあるように。 牧師:加山
献、名誉牧師:K・J・シャフナー、協力牧師:今村 まさゑ、協力宣教師:朱 承圭
2024年1月29日~2月4日
1月 29日(月) 聖書:ヨハネ福音書10章27~30節
教会の祈り:H・KさんとS・Aさんのお誕生日おめでとうございます。 今日の祈り:連盟「資料保存・管理委員会」。①連盟の歴史的重要資料の保存・管理が委員会と諸教会の協力で進められますように。②委員会メンバーと長尾なつみ担当職員の働きが導かれ、連盟事務所「資料保存室」が活用されていきますように。 委員長:松村
誠一(大泉教会員) ★「協力伝道週間・祈りの暦」より…連盟「理事会・監事、総会議長団」
1月 30日(火) 聖書:Ⅰコリント書15章1~11節
教会の祈り:K・Kさんのお誕生日おめでとうございます。 今日の祈り:連盟「第69回定期総会議長団」。①多くの教会が総会に出席し、協力伝道について豊かな話し合いをすることができますように。 議長:川内
裕子(かわち ひろこ) ★「協力伝道週間・祈りの暦」より…連盟「総務委員会、財政委員会」
1月 31日(水) 聖書:ルカ福音書11章5~13節
今日の祈り:日本バプテスト保育連盟。①若者と共に歩むキリスト教施設のために。②若者をキリスト教保育に送り出す。③付属施設につながる人々の救いのために。 会長:田中
秀一 ★「協力伝道週間・祈りの暦」より…連盟「地域協働委員会、研修委員会、ハラスメント対策委員会」
2月 1日(木) 聖書:ヨハネ福音書6章41~59節
教会の祈り:新旧執事会、各会によって来年度の準備が進みますように。 今日の祈り:和白教会(福岡県糟屋郡)。①み言葉に生きる教会の歩みを。②立地条件を生かし地域の方々に仕える教会形成を。③各地での震災の被災者のために。 牧師:城前
和徳(じょうまえ かずのり)、協力牧師:片山 寛、宣教師:洪 淳奎 ★「協力伝道週間・祈りの暦」より…連盟「特別委員会・臨時委員会、国外伝道」
2月 2日(金) 聖書:ルカ福音書9章21~24節
今日の祈り:小郡(おごおり)教会(福岡県小郡市)。①家族の救いと信仰の継承。②地域に根ざした宣教とその結実。 牧師:下川 睦子、教会主事:吉浦
徳美 ★「協力伝道週間・祈りの暦」より…「伝道者養成・神学部・神学校」
2月 3日(土) 聖書:ルカ福音書15章11~32節
教会の祈り:明日入会の証しをするA・Nさん。 今日の祈り:福岡新生教会(福岡市南区)。①多くの人々が救われるように。②全世界に福音が宣べ伝えられるように。③心身の癒しを求めて。 主任牧師:竹田
殉聖、牧師:竹田 耶子武、宣教師:李 聖徳、河端 真理子、ジャナク・カンデル、国際関係交流主事:張 磊、協働牧師:竹田 浩、協働伝道師:野口
和子 ★「協力伝道週間・祈りの暦」より…連盟関連事業体、国内外協力団体
2月 4日(日) 聖書:ヨハネ福音書10章7~18節 <聖書の箇所から>… ▲7節から主イエスは御自分を「羊の門」と譬えられました。「門」は出入口であり、イエスさまの時代、羊飼いは囲いをつくり、羊を寝かせ、入口には羊飼いがおり、狼等の来襲に備えたのです。そして羊たちを守るのが羊飼いであり、そして、命がけで人間を守り、生かそうとする方こそイエス・キリストなのです。▲11節からは「良い羊飼い」と主イエスは語ります。この「良い羊飼い」のたとえにはエゼキエル書34章が大変響いているので、併せて読むとよいでしょう。▲「良い羊飼い」は羊を知り、羊も羊飼いを「自分を守り、支え、導く方」と認識して、支配的ではない、相互の関係性と信頼が成立しています。▲さらに主イエスはまだ(イエスの)「囲い」(=関係性)に入っていない羊(=人間)のことを心配しており、羊(=人間)が主イエスの声(=招き)を聞き分けることを願っています。▲「羊飼い」は旧約聖書では施政者(=王等)を示すこともあります。狼がやってきたら自分を守るために逃げる羊飼い(=施政者)が多いのです。イスラエルの王も、日本の政治家も「誰の声を聞いているのか」と思うことが余りにも多いと感じます。▲今は情報が多すぎます。その中で真に「聞くべき声」に心を向けていきたいのです。(献)
教会の祈り:2月11日、芦沼光雄協力牧師就任感謝礼拝の祝福と芦沼牧師の今後の歩み。 今日の祈り:福岡新生教会 須恵伝道所(福岡県糟屋郡)。①祈りと伝道が祝福されるように。②救いが起こされるように。 牧師:竹田
進一 ★「協力伝道週間・祈りの暦」より…連盟宣教研究所、連盟事務所。
2024年1月22日~28日
1月 22日(月) 聖書:ルカ福音書16章19~31節
今日の祈り:筑紫野二日市教会 福岡南伝道所(福岡市南区)。①礼拝が継続的に守られますように。②社会的擁護の子どもたちを支える。③子ども食堂など地域の人の居場所に。牧師:有吉
光寛、伝道師:柴田 公文
1月 23日(火) 聖書:マタイ福音書7章24~28節
教会の祈り:T・Wさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:春日原教会(福岡県春日市)。①目の前の地域・日本全体・世界各地の「暴力」が止まりますように。②春日原教会がさまざまな方々の「つながりの現場」になれますように。 牧師:末松
隆夫、原田 賢
1月 24日(水)夜19時半~「聖書の学びと祈り会」 聖書:マルコ福音書10章17~27節 今日の祈り:篠栗(ささぐり)教会(福岡県糟屋郡)。①メッセージ動画配信のために。②復活した応答の時のために。③宗教法人格取得のために。 牧師:伊藤
聡
1月 25日(木) 聖書:マタイ福音書14章22~33節 今日の祈り:宇美(うみ)教会(福岡県糟屋郡)。①礼拝、祈り、対話があふれる教会。②子どもたちの笑い声があふれる教会。③身近な人から平和が拡がる教会。牧師:間村
史子
1月 26日(金) 聖書:マルコ福音書9章38~43節 今日の祈り:粕谷教会(福岡県糟屋郡)。①世界の平和が導かれるように。②粕谷教会のこれからのあゆみ。 教会主事:柳田
賢吾
1月 27日(土) 聖書:ヨハネ福音書16章12~15節
教会の祈り:明日当教会でご奉仕される大宮教会、永松博牧師(宣教)、他メンバーのため。 今日の祈り:福岡地方バプテスト連合。①2月17日「どげんすっと?宣教協力」盛会のために。②協力伝道ネットワーク構築のために。③連合諸教会の教会形成のために。 会長:踊
一郎(久留米教会牧師)
1月 28日(日) 「大宮教会の方々を迎えて~連合相互訪問プログラム~」 聖書:ヨハネ福音書6章1~15節 <聖書の箇所から>… ▲本日は礼拝宣教が大宮教会永松牧師になるため、宣教箇所はマルコによる福音書15章33~39節になります。もちろん、教会学校は上記ヨハネ福音書です。▲今日のヨハネ6章でのいわゆる「五千人の給食」の話は各福音書に掲載されています。ただヨハネが独自で伝えるのは、場所がティベリアス湖(=ガリラヤ湖)の向こう岸であること、また、パンと魚(干し魚)を持っていたのは少年であることです。▲しかしながらこの証言をヨハネが記したのは、場所に関わりなく(時には異邦人の地であるとしても)主イエスの宣教は人々の心をとらえたし、「少年」であったことの記述は「成人・弟子」に対する批判が含められ、強調されたのでしょう。▲弟子は主イエスに「人々のパン」を心配した時、まず計算をします。1デナリオンは当時の労働者の日給といわれますので、単純にいえば二百万円あっても足りない、無理です。5つのパンと魚なんて何も役にも立たない(=少年も役に立たない)、と弟子は語るのです。▲「無理」と考え、何もしないと、何も先に進みません。主イエスの思いに応えるためには、もっと考えること、様々な人々の協力を得ること等きっと色々想像できるのです。▲主イエスは5つのパンと二匹の魚を少年から受け取り、「あなたの小さなパンが多くの人を養うことを示そう」との言葉を行間から感じます。▲主イエスに差し出す時、それがどれほど小さくても、人からは「役立たず」と言われようとも、主イエスが祝福する時に、大きな恵みの、隣人に広がる出来事となるのです。(献)
教会の祈り:K・Mさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:連盟「資料保存・管理委員会」。①連盟の歴史的重要資料の保存・管理が委員会と諸教会の協力で進められますように。②委員会メンバーと長尾なつみ担当職員の働きが導かれ、連盟事務所「資料保存室」が活用されていきますように。 委員長:松村
誠一(大泉教会員) ★「協力伝道週間・祈りの暦」より… 連盟317教会・伝道所を覚えて。特に専任牧師不在の39教会、7伝道所のために。
2024年1月15日~21日
1月 15日(月) 聖書:ヨハネ黙示録19章5~10節
教会の祈り:A・Mさんのお誕生日おめでとうございます。 今日の祈り:佐賀教会 大川伝道所(福岡県大川市)。①聖霊の一致によって主に仕える。②地域の方々への福音伝道。③ホームページが有効に用いられるように。 伝道師:中村
千枝子
1月 16日(火) 聖書:Ⅰテサロニケ4章13~18節
今日の祈り:壱岐教会(長崎県壱岐市<離島>)。①教会が壱岐の島の人々と共に主をあがめますように。②島の高齢者の命と生活をお守りください。③教会の仲間を増やせますように。 牧師:飛島
孝、飛島 永子
1月 17日(水) 聖書:Ⅱペトロ書3章8~14節
教会の祈り:北関東連合教会・伝道所を覚えて。 今日の祈り:久留米荒木教会(福岡県久留米市)。①「他人事にしない」が合言葉。喜ぼう!町の仲間と始めた朝のおにぎり食堂&幼子/他国籍ごった煮礼拝。 牧師:溝上
哲朗、協力牧師:吉田 晃児、塚田 正昭、教会主事:山田 哲也
1月 18日(木) 聖書:Ⅱテサロニケ書1章5~10節
今日の祈り:久留米教会(福岡県久留米市)。①多くの人の居場所となれる教会形成。②「共に生きる」イメージの具体化。③幼稚園に園児が与えられること。 牧師:踊
真一郎、教会主事:踊 夢希
1月 19日(金) 聖書:ローマ書13章8~10節
教会の祈り:T・Mさんのお誕生日おめでとうございます。 今日の祈り:鳥栖(とす)教会(佐賀県鳥栖市)。①2025年3月着工予定の新会堂が、「多くの人の居場所となる、公民館のような」建物へと導かれますように。牧師:野中
宏樹、協力牧師:濱野 道雄(西南学院大学神学部教授)、主事:日比 亜門
1月 20日(土) 聖書:使徒言行録2章43~47節
教会の祈り:T・Lさんのお誕生日おめでとうございます。 今日の祈り:筑紫野南教会(福岡県筑紫野市)。①牧師招聘の早期実現。②教会員の霊的成長と自立。③地域への福音宣教の拡大と深耕。代表役員代務者:梅木
光男
1月 21日(日) 聖書:ヨハネ福音書4章1~26節 <聖書の箇所から>… ▲前提として、ユダヤとサマリアは元来同じ民族でありながら歴史の変遷の中で、互いに嫌悪し、当時の諺では「同じ水がめを使わない」状況でした。ユダヤの神殿はエルサレムに、サマリアの神殿はゲリジム山にありました。しかし、人が造り出してきた壁を主イエスは打ち破りサマリアを訪ねていきます。▲お昼頃、暑い時間帯に町外れにある井戸に水を汲みにくる人はいません。いるとしたら、人と会いたくない人。ところがそこに主イエスがおられたのです。▲主イエスはまず女に「水を求める者」として声をかけます。その「問いかけ」から対話が始まり、対話が深まっていきます。まさにそれは「信仰」の歩みです。▲「飲む水」は「生きた水」の話へと変化し、さらに「永遠の命に至る水」がイエス・キリストであること、そして、「まことの礼拝者として生きること」へと導かれていきます。▲その対話の中で、ユダヤ・サマリアの対立のこと、何よりこの女性が生きてきた苦しみが語られます。彼女は今まで5人の夫がいましたし、現在は別の人と連れ添っています。彼女が願ってきた、愛し、愛される関係は残念ながら、裏切られ、あるいは裏切り、まさに彼女の心と人生こそ「渇いていた」のですし、彼女の歩んできた人生を思います。▲そのような彼女に主イエスは出会い、語りかけ、「水を求める存在」から「命の水を与える存在」となるのです。▲嬉しいのは、人を避けていた彼女はこの時から、主イエスを伝える者となったことです。▲22節の「救いはユダヤ人(イエス)から来る」との言葉を聖書から消そうとしたのはドイツ・ナチスのヒットラー。聖書の言葉を消し去ろうと考える者は、自分が神のようになり、結果、自分と他者を世から消し去る者となるのです。(献)
教会の祈り:新年度の教会活動計画立案のために。 今日の祈り:筑紫野二日市教会(福岡県筑紫野市)。①信仰継承者が備えられますように。②新来者が与えられますように。③礼拝配信が活用されますように。 牧師:加来
国生、音楽責任者:加来 陽子
2024年1月8日~14日
1月 8日(月) 聖書:ヨハネ福音書12章27~36節(中心27~32節)
今日の祈り:愛浦光教会(あいのうらひかり・長崎県佐世保市)。①高齢者の集会出席の足が守られる。②教会周辺に転居された方への伝道。③教会学校の出席者の整え。 牧師:武林
真智子
1月 9日(火) 聖書:ヨハネ福音書9章1~12節
今日の祈り:佐世保教会(長崎県)。①中央公園が市民に愛され、隣接する当教会へつながりますように。②入信される方が起こされますように。 牧師:鮫島
規雄
1月 10日(水) 聖書:使徒言行録1章1~11節(中心9~11節)
教会の祈り:T・YさんとH・Tさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:嬉野教会(うれしのきょうかい・佐賀県)。①父なる神さまの恵みと愛の実感と実践。②兄弟姉妹のデボーションの充実。③処女降誕のキリストを信じる信仰。 牧師:藤野
慶一郎、伝道主事:橋爪 義行
1月 11日(木) 聖書:マルコ福音書1章14~20節
教会の祈り:東日本大震災被災地と復興。 今日の祈り:鹿島教会(佐賀県鹿島市)。①求道者が与えられるように。②神とキリストの栄光を現わすことができるように。 牧師:玉置
行
1月 12日(金) 聖書:ルカ福音書17章1~10節(中心5~10節)
教会の祈り:O・Mさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:佐賀新生教会(佐賀県佐賀市)。①河野正成牧師就任按手式早期実施。②教会の兄姉がみ言葉により勝利へ。③協力伝道を祈り、共に主につながる。 牧師:河野
正成
1月 13日(土) 聖書:ルカ福音書11章1~13節(中心9~10節)
教会の祈り:明日14日のジョイフルサンデー ゲストの山嵜美奈姉と新来者が・求道者が与えられるため。 今日の祈り:霊水(たまみず)教会(佐賀県佐賀市)。①牧師を迎えて再出発の感謝。②礼拝参加が困難な人を覚えて。③教会を離れている人を覚えて。 牧師:湯川
洋久
1月 14日(日) 「新春ジョイフルサンデー(伝道礼拝)」 聖書:ヨハネ福音書2章41~11節 <聖書の箇所から>… ▲今日の箇所は「元旦礼拝」で扱った箇所です。▲ヨハネが記す主イエスの最初の「しるし」が行われたのはガリラヤのカナで行われた主イエスの親族の結婚式でした。▲「祝宴」から主イエスの働きが始まることは印象的です。主イエスは我らの悲しみや痛み、死の現実の場面にも、そして喜びの場所にも共におられます。▲そして「礼拝」は「祝宴」です。主イエスが共に歩まれることを感謝し、主の言葉により新しい道を示され(そこに悔い改めも伴う)、喜びをもって未来へと歩み出していくのです。その礼拝、祝宴の招きをどうぞ断らないで、その恵みの席に喜び参与してほしいのです。▲「結婚式」や「結婚」という現実は、よく「信仰の歩み」と類比して考えられます。ただ「結婚」を選ばない選択もあることを理解して語っていることはご承知ください。▲「結婚」もこれから二人が共に歩み続けることを神の前に約束し、その歩みを主が導いてくださること、共に集っている方々の祈りや支え、励ましがなくては「結婚」の現実を歩めないことを表現する儀式です。▲「結婚」するといっても、相手のことを全て知り、理解しているわけでもありません。結婚後、その「愛」が危機に陥り、破綻することもあります。「結婚」という関係性を歩む中で、「愛する意思」「赦し、赦されること」「忍耐」を多くの喜びと共に学んでいくことが必要になりますが、その難しさを我らは知る者です。▲「信仰」も近いものですが、でも非なることがあります。信仰もまた神さま、イエスさまのことを十分に知らなくても歩み出していくのです。信仰はその歩みにおいて危機や困難も伴いますが、何より「ただ、一歩的に恵みをもって赦し、愛してくださる主」を信頼し歩むことです。▲主はあなたを命がけで愛してくださる、その愛を信じるのです。私共は主を捨てるような、忘れるような者である、時には主に裏切られたように思う時があるかもしれません。▲しかし、主の愛は、私共の愛を遥かに超えた方です。▲「結婚」は破綻することが起こるでしょう。我らは不完全な存在であるゆえに。しかし、「信仰」はたとえ破綻しようとも主の愛によって「よみがえる(復活する)」ことをぜひ覚えてください。(献) 教会の祈り:喜び満ちる礼拝を共につくるために。 今日の祈り:佐賀教会(佐賀県佐賀市)。①主の愛を知るものとなれますように。②自覚的信仰者として協働する者に。③求道者の決心のために。 代表役員代務者:中村
千枝子
2024年1月1日~7日
1月 1日(月) 2024年元旦礼拝 11時~正午 聖書:ルカ福音書4章16~30節(中心16~21節)
教会の祈り:この1年の教会の歩みと祝福、世界の平和実現のために。 今日の祈り:有明教会(福岡県大牟田市)。①み言葉に生かされる「キリストの弟子」の1年を。②子育てサロン、宿題会から救われる魂を。③建築の幻を。 牧師:田中
文人
1月 2日(火) 聖書:Ⅱコリント書6章1~13節(中心1~2節)
教会の祈り:礼拝の充実。 今日の祈り:大牟田教会(福岡県大牟田市)。①礼拝・各集会が祝福されるように。②教会員・ご家族が祝福されるように。③光の子幼稚園の祝福のために。 牧師:浦
肇
1月 3日(水) 聖書:ルカ福音書5章33~39節(中心38~39節)
教会の祈り:T・Yさん(特に手術後のリハビリと回復のために)。 今日の祈り:五島教会(長崎県五島市)。①求道者、受浸者が起こされるように。②地域に開かれた教会となれるように。③奏楽者が与えられるように。 牧師:中村
聖架
1月 4日(木) 聖書:ヨハネ福音書1章19~28節(中心19~23節)
教会の祈り:秦 紀代姉。 今日の祈り:多良見教会(長崎県諫早市)。①み言葉と共に、霊的成長。②子どもたちへの主の導きと祝福。③祈りを合わせ牧師をお迎えする。 代表役員代務者:松本
素代美
1月 5日(金) 聖書:ヨハネ福音書1章29~34節(中心32~34節)
教会の祈り:1月14日ジョイフルサンデー ゲストの山嵜美奈姉と新たな参加者が与えられるため。 今日の祈り:長崎教会(長崎市)。①教会内の組織改革のために。②若い世代への伝道と育成のために。③地域奉仕のために始まった「ノーザンクロス」(一般社団法人)の活動のために。 牧師:曺
銀珉(チョ ウンミン)、副牧師:田口 圭子、音楽主事:嘉手苅 夏希、教育主事:竹内 洋美
1月 6日(土) 聖書:ヨハネ福音書1章35~42節
今日の祈り:諫早教会(長崎県諫早市)。①将来を見据えた教会形成への導き。②一人ひとりがより大切にされる教会。③より活発な地域に開かれた教会へ。牧師:向山
満
1月 7日(日) 「新年主日礼拝」 聖書:ヨハネ福音書1章43~51節 <聖書の箇所から>… ▲ヨハネ福音書を連盟「聖書教育」誌では今後3月一杯まで学ぶことになります。▲ヨハネ福音書1章では「新たな創世」として「創世記」をなぞりながら、「初めに言(ロゴス→イエスへ展開)があった」から記され、最後の預言者ヨハネが主イエス・キリストを指し示し、旧約聖書の預言が成就したことを告げ、旧約と新約の橋渡しをするのです。▲興味深いのは、主イエスのバプテスマからいわゆる「公生涯」が始まっていることです。イエスさまもバプテスマを受けられました。、ゆえに主イエスの足跡を辿る私共もバプテスマを受け(もちろん、伴う信仰告白が大事、儀式が人を救うのではない)、新たな歩みが始まるのです。▲「バプテスマ」を受けるとは、聖書をすべて理解し、神のすべて信じることができた時と考える人がいますが、すべてを理解し、すべてを信じるなんて私も含めて不可能な話です。バプテスマはとにかく「信仰のスタート」です。▲その後、主イエスは共に宣教する弟子たちを招きます。39節に「午後4時」と時間がわざわざ記録されているのが面白いですね。日没から次の日になりますが、日没前でも主イエスのことが伝えられ、そして主の招きを受ける人がいます。「良きことは急げ」。▲その翌日、主イエスはフィリポと出会い、弟子として招き、フィリポはナタナエルに伝えます。ナタナエルは彼の知識により、「ナザレから良いものがでない」と思いますが、「来て、見なさい」と勧められ、そして主イエスと出会い、その時、すでに主イエスはナタナエルのことを知っておられたのです。▲つまり、私どもが主イエスを発見する前に、主イエスはあなたを知っておられるとの言葉です。▲そして主イエスを「見る」(「見る」ことはヨハネ福音書では様々に用いられる「キーワード」のひとつで、「見る」ことは「信じる」ことにつながるし、また最後には「見ないで信じる幸い」が語られる)ことから「信じること」「従うこと」へとつながります。▲どうぞ、あなたが今年、主イエスを真実に「見る」こと、そこから始まり、主との「出会い」「従うこと」「命を受ける」、さらに「永遠の命の希望」に導かれますように。(献)
教会の祈り:S・Rさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:大村古賀島教会(長崎県大村市)。①求道者の神との出会いのために。②新たな出会いが与えられるように。③相互理解という「平和」のために。牧師:川久保
拓也
2023年12月25日~31日
12月 25日(月)クリスマス 聖書:ルカ福音書2章8~21節
教会の祈り:K・Tさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:菊池シオン教会(熊本県合志市)。①教会の交わりが祝福されるように。②高齢者や病床の方々のために。③教会活動に新しい世代、この地域の方々が加えらえるように。 牧師:濱川
耕一
12月 26日(火) 聖書:ルカ福音書24章1~12節
教会の祈り:教会員の家族の方々を覚えて。 今日の祈り:大村フレンドシップ教会(福岡県大牟田市)。①世界に平和がありますように。②女性の地位が高められますように。③多くの子どもたちが来ますように。 牧師:眞柄
光久、協力牧師:福井 正躬、教会主事:叶 義文
12月 27日(水) 19時半~「歳晩 聖書の学びと祈り会」(リモートあり) 聖書:エフェソ書5章6~20節(中心8節)
今日の祈り:バプテスト北九州地方連合(27教会)。①今年度新たに北九州地方連合独自の取り組みとして開始した宣教支援センターと田中伊策主事(直方教会牧師)の歩みのために。 会長:谷本
仰(南小倉教会牧師)
12月 28日(木) 聖書:マタイ福音書25章31~40節(中心40節)
今日の祈り:連盟「性差別問題特別委員会」。①様々な分断を乗り越えて、‟神の良し”をめざし、心合わせて差別の克服に向かって進みたい。委員長:今井朋恵(今治教会牧師)
12月 29日(金) 聖書:イザヤ書53章(中心1~5節)
教会の祈り:31日礼拝宣教の中田牧師、1日宣教の坂本牧師のため。 今日の祈り:連盟「研修委員会(常設委員会)」。①委員会の働きが諸教会・伝道所の歩みを支え、キリストを共に証しするものと整えられますように。 委員長:金丸
真(仙台長命ヶ丘教会牧師)
12月 30日(土) 聖書:イザヤ書60章1~7節(中心1~3節)
教会の祈り:クリスマス行事に参加された方々が引き続き教会に来ることができるように。
今日の祈り:日本バプテスト同盟(理事長:大矢誉生)、沖縄バプテスト連盟(理事長:石原 真)、日本キリスト教協議会(NCC、議長:吉高 叶)を覚えて。
12月 31日(日) 「歳晩主日礼拝」 聖書:イザヤ書61章1~3節 <聖書の箇所から>… ▲2023年、最後の日を迎えています。23年はあなたにとってどのような年だったでしょうか?そして2024年が来ても大きな変革が世界に起こるとは余り考えられません。日付が変革を起すのではなく、この時代を生きる私たちがどのように変革されていくか、そのことにすべてがかかっています。▲さて、今日のイザヤ書60章の背景としては、バビロン帝国により捕虜となっていた人々が、新たな覇権国「ペルシャ」により帰国を許されました。▲「神殿再建」の費用もペルシャが負担するということですが、そう簡単に神殿建設は進みません。まずは人々の生活の基盤を整えることが大事だったからです。▲何より、経済的困難、政治的不安、民族同士の対立や争いは帰還者の存在が負担になってきます。▲その時代の中でイザヤは「主はわたしに油を注ぎ」と語りますが、ここでの「わたし」はイザヤ自身ではなく、メシア(=キリスト)預言です。「油を注ぐ」のは王の就任儀式を意味いたします。▲つまり、困難な時代の中に神は必ず救い主を送ってくださり、荒廃した世界を整える希望となることが「約束」として語られているのです。▲この言葉は、主イエスがナザレで安息日礼拝において、このイザヤ書を読み、「この聖書の言葉は、今日、あなたが耳にしたとき、実現した」と、イザヤ書の約束が主イエスご自身によって成就したことを語ります(ルカ福音書4章)。その後、人々はイエスの言葉に「憤慨し」、イエスを殺そうとしたとあります。▲何故か?それは主イエスがイザヤ書61章2節の「神が報復される日を告知して…」の言葉を読まなかったからです。人々は神によって「敵」と思う人々に報復が行われることを期待していました。▲しかし、主イエスは「報復」は必要としなかったのです。なぜなら「報復」は「平和が生まれる新しい時代」にふさわしくないからであり、神さまのお心ではないからです。(献)
教会の祈り:一年の歩みを感謝し、召天された方のご家族に主の恵みと励ましがあるように。主による平和の実現のため。 今日の祈り:連盟引退教役者の方々を覚えて。山下
誠也氏(埼玉県在住・川越教会員)、村中 範光氏(神奈川県在住・品川教会員)
2023年12月18日~24日
12月 18日(月) 聖書:使徒言行録16章16~34節
教会の祈り:O・Yさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:熊本南教会 羊の群れ伝伝道所(連絡先は熊本南教会)。①熊本南との合同礼拝(みことばや分級)のために。②神学生のOさんの勉強や家庭・奉仕のために。③対面で再開された家庭集会の働きが実るように。 牧師:朴
哲浩
12月 19日(火) 聖書:ルカ福音書1章5~25節
今日の祈り:東熊本教会(熊本市中央区)。①「共に」礼拝を行うための取り組みが、充実していきますように。 牧師:三上 充
12月 20日(水) 聖書:ヨハネ福音書16章25~33節
今日の祈り:東熊本教会 豊岡伝道所(熊本県合志市)。①教会財政の祝福。②療養中の方々のために。③牧師招聘のために。 代表者:工藤 信也
12月 21日(木) 聖書:ヨハネ福音書1章4~5節
教会の祈り:24年度執事にふさわしい人が選出され、引き受けてくださるように。 今日の祈り:山鹿新生教会(熊本県山鹿市)。①み言葉がしっかり語られますように。②祈りと恵みの霊を注いでください。③感謝と賛美の心で充たしてください。 牧師:船越
哲義
12月 22日(金) 聖書:ヨハネ福音書1章14節
今日の祈り:熊本愛泉教会(熊本市西区)。①早く牧師が与えられますように。②教会員の霊性の向上と健康の守護。③八代、種子島の伝道所のお守り。代表役員代務者:田中
芳樹
12月 23日(土) 聖書:ヨハネ福音書8章12~20節
教会の祈り:明日のクリスマス礼拝とイブ礼拝の奉仕者のために、参加者が多く与えられるため。
今日の祈り:熊本愛泉教会 八代伝道所(熊本県八代市)。①受けてきたお恵みに応答していく。②新来者との出会いを願い外に出かけていく。③ミャンマー、ウクライナの平和を祈り続ける。 牧師:桑原
伸良
12月 24日(日) 「クリスマス礼拝」 19時半~「クリスマスイブ キャンドルサービス」 聖書:ヨハネ福音書3章16~21節 <聖書の箇所から>… ▲連盟「聖書教育」誌では本日と1月~3月はヨハネ福音書から扱います。▲第四福音書と呼ばれる「ヨハネによる福音書」は「聖書」に組み入れられた福音書の中では一番歴史が新しいものです。紀元100年頃は様々な福音書が記されており、正典(「聖典」ではなく、基準を示す「カノン」を意味する)を定める時にヨハネ福音書は入ったのです。▲ヨハネ福音書を読む時は「キーワード」に注意して読むことを勧めています。▲まずは「世」という言葉。「世」は「神」と対照的に用いられます。「世」は「世界」や「時代」も意味しますが、「あなたの歩む世界、あるいは『あなた』」と言い換えてよいものです。▲また「滅び」と「永遠の命」も対照的に用いられます。「永遠の命」とは「死なない命」ではなく、神の前で永遠に生かされ愛される魂と言ってよいでしょう。▲それから「信じる」という言葉。「信じる」とは「信じていこうとする歩み」であり、一度信じたらその後、何も揺るぎがないことではありません。「信仰」は常に「不信仰」と「信仰」の間をさまよっているものです。▲「裁き」、はヨハネ福音書では有罪判決が神によって言い渡されることです。主イエス・キリストは「赦し」をもって我らに向き合うお方です。▲「光」もまたヨハネ福音書によく用いられるイメージで「闇」と対照的に用いられます。「光」はそのまま「光」です。「照らす」「導く」「明るい」「暖かい」「優しい」等の言葉と結ばれて用いられます。▲「独り子」もヨハネ福音書にしか記されません(多分)。関係性を示す言葉で、「独り」であること、「神の子」であることに意味があります。(献)
教会の祈り:高齢や病床、施設入所で礼拝に来られない方々にクリスマスの喜びと希望が与えられるように、世界の平和実現のために。 今日の祈り:熊本愛泉教会 種子島伝道所(鹿児島県)。①牧師が与えられますように。②沼田牧師の健康のために。 牧師:沼田
俊昭
2023年12月11日~17日
12月 11日(月) 聖書:ルカ福音書2章8~21節(中心8~11節)
教会の祈り:東日本大地震被災地の方々と復旧・復興。今日の祈り:宮崎丸山町教会(宮崎県宮崎市)。①多くの人に対応できるバリアフリーの新会堂を。②牧師の後継者が与えられるように。 牧師:金子
貢司
12月 12日(火) 聖書:マタイ福音書4章12~17節
教会の祈り:聖歌隊の働きを憶えて。今日の祈り:児湯(こゆ)教会(宮崎県西都市)。①現牧師の引退時期が近いこと。教会財政が厳しいこと。この2点を踏まえて今後の教会形成を考えています。
牧師:徳渕 敬尚
12月 13日(水)夜は「聖書の学びと祈り会」です! 聖書:イザヤ書11章1~10節
今日の祈り:高鍋伝道所(宮崎県児湯郡高鍋町)。①次世代を担う20名の信仰者が与えられますように。②教会員の信仰健康が守られますように。 牧師:児玉
一郎
12月 14日(木) 聖書:詩編46編(中心2節)
今日の祈り:延岡教会(宮崎県延岡市)。①新来者が与えられますように。②みんなの健康が守られますように。③みことばによく従えますように。 牧師:松田
良明
12月 15日(金) 聖書:詩編121編
教会の祈り:U・Yさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:天草中央教会(熊本県天草郡)。①イエスさまの弟子が増えるように。②神の力と命に満たされた教会になる。③地域に必要とされる教会となる。 牧師:南
圭生、協力牧師:松本 泰博
12月 16日(土) 聖書:ルカ福音書2章22~35節(中心25~35節)
教会の祈り:明日のファミリークリスマスの祝福、朝霞バプテスト教会での働きが祝福されるように。 今日の祈り:人吉教会(熊本県人吉市)。①人の救いのため感謝をこめひたすら祈る。②み言葉を行うものとなれるよう神の助けを祈る。③感謝して献げる。 牧師:永渕
一隆
12月 17日(日) 午後「ファミリークリスマス」 聖書:イザヤ書25章1~9節 <聖書の箇所から>… ▲「預言者は、『その日』に起こる神の勝利を賛美しています。『その日』には、強い敵が打ち倒され、苦難を負わされた貧しい者たちが回復されることを喜びます。暴力的な支配を神が終わらせる『その日』を待ち望みます。イザヤの預言は正義と公平が行われる事でした。人の強さにではなく、神に頼ることを語り続けました。抗いようのない苦難の中で、涙の中でうつむく時になお『その日』を賛美することができる源は、『あなたはわたしの神』です。」(聖書教育誌12月号p7より引用)。▲そう、この預言は、「戦闘」暴虐」「豪雨」「渇き」(ここでは人間の暴力を比喩していますが、暴力を越える渇きもやってくるのです)がこの世界からなくなり、6節以降で豊かな祝宴が語られます。それは誰もがそれぞれ自身をさらしても何も恐れることのない世界、「その日」はいつやってくるのでしょうか。▲「アドベント」を迎えています。 12月3日「週報」巻頭言に「アドベント」について記しましたが、「待つ」とは「その日」に備えて「準備」をしていくことです。▲今の世の「戦争」は「戦争の準備」が当然のようになされて実行されます。それも莫大な予算をかけて…。「平和」を願うなら「平和」を「準備」することが必要なのです。▲すべての人々の命が等しく守られること、地球環境への対応など、今、「平和」のために世界が一つとなることが大事です。▲ローマの古い諺に「汝が平和を欲するなら、戦争の備えをせよ」とあり、「平和」のための「武力行使」が当たり前になりました。しかし、それで「平和」は実現しないのです。▲カール・バルトというスイスの神学者は語りました。「汝が戦争を欲しないならば、平和の備えをせよ」。▲クリスマスを迎える、誰もがその時を嬉しい楽しい時にしたいと思うでしょう。それが実現しますように!▲そして、平和を願う我らもまた、未来を嬉しい楽しい世界にしたいと自分なりの準備を始めていくのです。(献)
今日の祈り:熊本南教会(熊本県宇土市)。①神学生の献身と共に、リーダーシップの移行が備えられるように。②次世代・分級の教師、働きがますます進められるように。③一人ひとりの信仰の成長・宣教のわざに用いられるように。 牧師:朴
哲浩
2023年12月4日~10日
12月 4日(月) 聖書:Ⅰペトロ書1章17~25節(中心24~25節)
教会の祈り:ウクライナ、イスラエルとパレスチナ(ハマス)に平和を。今日の祈り:鹿児島教会(鹿児島市)。①求道者の受浸決心のために。②認定こども園めぐみ幼稚園のために。③中山(ちゅうざん)小羊児童クラブのために。 牧師:田渕
亮
12月 5日(火) 聖書:創世記28章10~28節(中心15~16節)
今日の祈り:伊集院教会(鹿児島県日置市)。①信徒奨励、霊的成長のために。②牧師の健康のために。③無牧師の教会・伝道所のために。 主任牧師:馬渡
健太郎、協力牧師:麦野 賦
12月 6日(水) 聖書:マタイ福音書1章18~25節(中心22~23節)
教会の祈り:H・Cさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:伊集院教会 枕崎伝道所(鹿児島県枕崎市)。①礼拝、祈り会に多くの方が来られるように。②人々の魂の救いのために祈っています。 牧師:馬渡
健太郎、協力牧師:麦野 賦
12月 7日(木) 聖書:列王記下16章7~9節
教会の祈り:H・Kさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:川内(せんだい)教会(鹿児島県薩摩川内市)。①主を信じる者たちに聖書の真理が開かれますように。②主に従う者が起こされ働き人が与えられるように。 協力牧師:立島
和史
12月 8日(金) 聖書:列王記下17章1~6節
教会の祈り:K・Tさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:都城教会(宮崎県都城市)。①身近な人に伝道ができますように用いてください。②新しいCS活動の歩みが祝福されますように。協力牧師:立花
一志
12月 9日(土) 聖書:列王記下17章7~12節(中心7~8節)
教会の祈り:17日のファミリークリスマスの準備を覚えて。 今日の祈り:宮崎教会(宮崎市)。①信仰決心者が与えられるために。②高齢者の方たちのために。③みくに幼稚園の働きのために。
牧師:中條 信治、中條 邦子
12月 10日(日)アドベント第2週 聖書:イザヤ書9章1~6節(参照7章1~9節) <聖書の箇所から>… ▲南王国ユダの王アハズ(治世前735~715年)は、エルサレムにアラムと北王国イスラエルの同盟国が侵略することを聞き、動揺し、より強いアッシリアに助けを求めますが、結局はアッシリアの配下に置かれ、略奪・暴力がはびこり、田畑は荒らされ、人々は連れ去られ、民族性や言葉、文が奪われていきました。▲今の国際関係でも様々な思惑で同盟関係を築いていきますが、力がある国が結果的に支配していき、その中で苦しむのは一般市民なのです。人間は多くの犠牲の上に立つ歴史から何も学ぶことができていないのです。そこにも根源的な人間の罪を見ます。▲さて、アッシリアに蹂躙された「異邦人のガリラヤ」に預言者イザヤは「光が輝いた」と宣言します。暗闇を歩く人々にこそ、弱くされた人々にこそ、主が働かれるのです。▲神が平和をお与えになる、4節の「・・・兵士の靴、血にまみれた軍服は・・・焼き尽くされた」との言葉に、共鳴し、神が平和を与える時を願います。▲そして5節からは「メシア(=キリスト=メサイア=救世主=イエス・キリスト)」の誕生が預言されます。「生まれた」と過去形で記されますが、これは「預言者的過去」という表現で、将来起こることを、すでに実現したことのように語る表現です。▲その方は「驚くべき指導者」とありますが、よく歌ってきたヘンデルの「メサイア」では、「ワンダフルカウンセラー」、と歌っていました。「指導者」より「助言者」「共に聞き、考える方」のイメージです。▲しかし、イエス・キリストの誕生はそれからはるかに先ではないか、と思われるでしょう。しかしその「希望」が人々を奮い立たせ、そのような指導者像を求める基準となりました。▲一方、イエス・キリストが誕生したにも関わらず、今もなお暗黒ではないかと問うでしょう。先週も語りましたが、いくら主イエス・キリストが語り続けても、それを受け入れなければ「現実」は変化しないのです。▲必要なのは、「主」を「主」と認め、イエス・キリストの言葉に従う人間の態度(信仰)です。(献)
教会の祈り:K・Tさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:宮崎教会 青島伝道所(宮崎県宮崎市)。①毎週の主日礼拝のために。②青島地域の伝道のために。③高齢者の方たちのために。
2023年11月27日~12月3日
11月 27日(月) 聖書:ルカ福音書1章47~55節
教会の祈り:ウクライナ、イスラエルとパレスチナ(ハマス)に平和を。今日の祈り:連盟「ホームレス支援特別委員会」。①コロナ危機にあって困窮している人々のために。②困窮者支援を教会が宣教の業として取り組めるように。 委員長:麦野
達一(福岡西部教会牧師)
11月 28日(火) 聖書:ルカ福音書1章58~80節
教会の祈り:S・Mさんのお誕生日おめでとうございます。今日の祈り:連盟「地域協働委員会」。①諸教会・伝道所。各地方連合と協働する働き。②新たな教会・伝道所の支援とネットワークつくり。委員長:伊藤
光雄(福岡市・姪浜教会員)
11月 29日(水) 聖書:ルカ福音書2章29~32節
教会の祈り:北関東地方連合各教会・伝道所を覚えて。 今日の祈り:日本バプテストろう伝道委員会。①各教会にろう伝道の働きが広がりますように。②ろう伝道委員会が導かれ用いられますように。
委員長:宮井 武憲(福岡城西教会牧師)
11月 30日(木) 聖書:マタイ福音書4章4~7節
教会の祈り:クリスマスに向けての準備のため。 今日の祈り:連合立神学校・研修センター。東京バプテスト神学校。九州バプテスト神学校。北海道バプテスト研修センター。
12月 1日(金) 聖書:Ⅰコリント書1章22~25節
教会の祈り:新来者・求道者が与えられるように。 今日の祈り:那覇新都心教会(沖縄県)。①牧師招聘。②ミッションステートメントの再考。③沖縄を再び戦場にさせない。牧師:岡田
有右(ゆうすけ)、岡田 富美子
12月 2日(土) 聖書:イザヤ書7章1~9節
教会の祈り:病床や施設にある方がたを覚えて。 今日の祈り:西原新生教会(沖縄県中頭郡西原町)。①沖縄の地で神の国と神の義を求める。②キリストに結ばれて、日々成長する。③聖霊の火を受ける。 協力牧師:柏本
隆宏
12月 3日(日)アドベント第1週 聖書:イザヤ書7章10~14節(参照7章1~9節) <聖書の箇所から>… ▲南王国ユダの王アハズ(治世前735~715年)は、エルサレムにアラムと北王国イスラエルの同盟国が侵略することを聞き、動揺します。その中で主は預言者イザヤを遣わし「落ち着いて静かにせよ、神に信頼せよ」とアハズに伝えます。▲さらにアハズに「神にしるしを求めよ」と言います。アハズはしるしを求めないと言いますが、それは敬虔さや、神への畏れではなく、不信頼を示すものでした。そのようなアハズに主は未来を語ります。▲「しるし」は「証拠」や「サイン」の意味です。「しるし」は「明らかに示される」こともありますが、一方では「理解する人にしか理解できない」場合もあります。その辺りは解釈のポイントです。▲16節に「インマヌエル」なる方が来る前に、「二人の王」とアッシリアの話がありますが、これは1節の「レツィン」と「ペカ」であり、アッシリアによる徹底的な南王国ユダの破壊で、数年後に現実となりました。▲一方「インマヌエル」の預言は文脈で関係ないように見えますが、「国家存亡、あるいは生の危機」の中でこそ「希望としてのインマヌエル<神、我らと共におられる>」が生まれる意味と考えます。▲インマヌエルが確かな「しるし」として現実となったのはイエス・キリストの誕生と理解されています。▲ただ、忘れてはならないのは旧約聖書の時代も主なる神はいつも人々と伴おうとしていたことです。そして、今、様々な危機の中において主は、人々に「御言葉」を通して語り続けておられます。しかし、それが真実となるのは「受け取る」人間の心に依ります。▲「御言葉」を自分に関わる事柄として受け止めない限り、共におられる方と出会えないし、「御言葉」は虚しくなるのです。(献)
今日の祈り:国分教会(鹿児島県霧島市)。①開かれた地域に福音を伝え、教会の歩みが祝福されること。②ウクライナとミャンマーに平和と自由を。 牧師:マウマウタン、協力牧師:立山
泰士、協力宣教師:テモテ・ボード
2023年11月20日~26日
11月 20日(月) 聖書:エレミヤ書5章1~3節
教会の祈り:少年少女会活動が起こされていくように。今日の祈り:札幌新生教会(札幌市北区)。①牧師、教会奉仕者、教会員の祝福。②宣教50周年を感謝し、今後の導きを。③子ども食堂が地域の祝福となる。 牧師・国内宣教師:田中
満矢、牧師インターン:三浦 皇主郎、協力牧師:田中 博
11月 21日(火) 聖書:ローマ書8章26~30節
教会の祈り:ウクライナ、パレスチナとイスラエルの人々に平和と希望を。 今日の祈り:小樽教会(北海道小樽市)。①地域に開かれた地域に仕える教会に。②常に祈る教会であり続ける。③子どもたちが集う礼拝に。 牧師:エイカーズ・愛
11月 22日(水) 19時半~「聖書の学びと祈り会」 聖書:ローマ書8章31~39節
今日の祈り:帯広教会(北海道帯広市)。①伝道開始60周年の感謝とこれからの歩みの導き。②年間テーマ「仕える喜び」の実践。 牧師:川内 裕子、川内
活也
11月 23日(木) 聖書:イザヤ書7章1~9節
教会の祈り:I・Hさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:釧路教会(北海道釧路市)。①協会の基盤が強くされるように。②さらに地域に開かれた教会に前進。③滞日・在日外国人と共に歩む教会。 牧師:奥村敏夫、宣教師:マシュー・チン・メイ・マン、ダイアナ・ウォン・サン・サン
11月 24日(金) 聖書:申命記31章5~6節
教会の祈り:S・Yくんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:旭川東光教会(北海道旭川市)。①伝道の業が主に用いられ、出会いが導かれるように。②病を患っている方々の癒し。③さまざまな事情で集えない方と共なる教会として歩めるように。④地域に主イエスさまを証しできるように。 牧師:桐本
恒雄
11月 25日(土) 聖書:ヨシュア記1章5~9節
教会の祈り:N・Kさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:旭川教会(北海道旭川市)。①教会創立から68年の歩みに感謝。②大切な隣人である外国籍住民のために。③目標「一人ひとりを大切にする教会」。 牧師:田森
茂基
11月 26日(日)世界バプテスト祈祷週間礼拝 聖書:イザヤ書53章1~8節 <聖書の箇所から>… ▲「主の僕(しもべ)のうた」を扱っておりますが、今日は「苦難の僕」と呼ばれる有名なもので「主のしもべ」は、第一にはイエス・キリストであり、「メシア預言」(「メシア」=「キリスト」=「救い主」)ということです。これまでは「わたし」と語られてきましたが、53章では「彼」と変化し、「わたしたち」との表現はまさに主の僕を苦難や死へと追いやった存在であり、しかし「多くの人(=ほとんどすべて、のような意味)の過ちを担い、背いた者のために執り成しをした」ゆえに、罪の赦しと解放を、「僕を死へと追いやった」、。「わたしたち」に与えた方と表明されるのです。▲53章を読みながら、そこに「イエス・キリスト」の歩みを重ねざるを得ません。いくつかを挙げてみると、3節の「軽蔑され…」は人々に理解されず、最後は人々に嘲笑された主の姿を見ますし、「多くの痛みを負い、病を知っている」姿は、主イエスが人々の痛みや悲しみを同じように受けられたこと、当時、感染すると恐れられ誰も触れようとしなかった病の人に触れていかれた姿を思い起こします。▲4節からは「わたしたちの病を担った」とあります。この病とは、「癌」とか特定の病気以上に、人々を蝕む「絶望・妬み・強欲・怒り・憎しみ」等の「死に至る病」です。そこに必要なのは「愛」の力であり、人々の苦しみを覆い癒そうと「共感・共苦」し、伴う隣人の存在なのです。▲5節の「刺し貫かれた」姿を思い浮かべる時、涙があふれます。▲この時、このような姿で「救い」を示した主イエスが、今日、我らと共にあることを覚えます。(献)
今日の祈り:中国・四国バプテスト教会連合 ①無牧師教会を覚えて。②連合の各役員の働きを憶えて。③24年連合バプテスト大会の準備と祝福を覚えて。 会長:今井
謙一(今治教会牧師)
2023年11月13日~19日
11月 13日(月) 聖書:イザヤ書6章1~10節
教会の祈り:K・MさんとO・Yさんのお誕生日おめでとうございます!今日の祈り:苫小牧教会(北海道苫小牧市)。①働き人が起こされますように。②求道者が起こされますように。③教会員の健康が守られますように。 代務者:桜井
明、助言者:福田 雅祥(函館美原教会牧師)
11月 14日(火) 聖書:エレミヤ書1章4~8節
教会の祈り:ウクライナ、パレスチナとイスラエルの人々に平和と希望を。 今日の祈り:室蘭教会(北海道室蘭市)。①体調を崩されていつ方々の回復。②教会に示されるビジョンに向かう。③戦争、内戦の終息と平和。 牧師:吉田
尚志
11月 15日(水) 聖書:Ⅰペトロ書2章9~10節
教会の祈り:T・Sさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:平岸教会(札幌市豊平区)。①皆が健康で奉仕を続けられること。②教勢が恵まれますように。 牧師:全
皓燮
11月 16日(木) 聖書:ヨブ記2章1~10節
教会の祈り:M・Aさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:オープン・ドア・チャペル(札幌市豊平区)。①家族への伝道と救いのために。②家族の信仰生活の回復のために。③若い人々が教会に来るように。 牧師:佐々木
俊一、協力牧師:ジェームズ・E・アリソン
11月 17日(金) 聖書:ヨブ記16章18~22節
教会の祈り:T・RさんとT・Hさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:平岡ジョイフルチャペル(札幌市清田区)。①ギリシャ語・ヘブライ語聖書原典学習を軸とした「パイデイア講座」の拡充のために。 牧師:三上
章
11月 18日(土) 聖書:ヤコブ書5章7~18節
教会の祈り:青年会活動ができるように。 今日の祈り:西野教会(札幌市西区)。①アッバ(父ちゃん)への祈りを教えられました。なぜ天に在します我らの父よと祈っているのでしょう。祈りの姿勢を考え直してみましょう。 牧師:岩本
義博
11月 19日(日) 聖書:イザヤ書50章4~11節 <聖書の箇所から>… ▲「主の僕(しもべ)のうた」を扱っておりますが、今日は「主の僕の忍耐」と題されています。「主のしもべ」はこの欄で語ってきたように、第一にはイエス・キリストであり、「メシア預言」(「メシア」=「キリスト」=「救い主」)ということになります。第二には、いつも言うように、「キリストの福音に従い生きる私たち」の姿です。▲4節をリビングバイブルは「神様は私に、知恵のことばを授けました。
疲れきった人に何を言ったらいいかを教えるためです。 朝ごとに、神様は私の目を覚まし、理解力を深め、みこころを示してくださいます。」と訳しています。人が生きるために必要な言葉を必要な時に語ること、その知恵を求めたいものです。▲どこかの総理のように、時を間違え、人の心を思い違いすると不信と不安を与えることになるのです。▲8節からは第一の問い掛けがなされます。「誰がわたし<しもべ>と共に立ち」「誰がわたしを訴えるのか」と。人間は仲間や味方と思っていた人が、突然、敵のようになる場合もあります。しかし、「主なる神」はどんな時にも変わらず助けてくださるのです。▲10節からは私共に問いかけています。あなたは誰の声に従ってゆくのか、と。▲「自分で燃やす松明(たいまつ)」、それはわずか数歩先までしか照らすことができません。しかし、少なくとも「自分は未来が見えている」と思い込み、いつの間にか迷ってしまうのです。足元だけを見るのではなく、私共を導く方、主なる神の声、神の光を求め、信頼しつつ歩むことに心開いていきたいのです。▲「御名(みな)」は言い換えれば「神の力」です。正しいサインがあれば、これは間違いない本物だと言われるように、「名」が本物であれば有効なものとされるのです。(献)
教会の祈り:本日宣教される芦沼光雄兄の健康とお働きを憶えて。
今日の祈り:札幌教会(札幌市中央区)。①主イエスに励まされ、悩み喜びを持ち寄れる居場所を築いていけますように。 牧師:西本 詩生、石橋 大輔
2023年11月6日~11月12日
11月 6日(月) 聖書:使徒言行録3章1~6節
教会の祈り:女性会の働きのために。今日の祈り:鮫教会(青森県八戸市)。①教会神学生の良き学びのために。②皆が集う教会となりますように。③平和が守られますように。 代表役員代務者:鈴木
勉
11月 7日(火) 聖書:マルコ福音書1章16~20節
教会の祈り:ウクライナ、パレスチナとイスラエルの人々に平和と希望を。 今日の祈り:八戸教会(青森県八戸市)。①共に喜び共に泣き共に祈る教会。②神の栄光を現わす教会でありますように。③無牧師の中礼拝が守られますように。 代務者:甲谷
裕子
11月 8日(水) 聖書:コロサイ書1章24~29節
教会の祈り:I・Mさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:三沢教会(青森県三沢市)。①これからも福音宣教が守られますように。②教役者の健康と経済が守られますように。③ウクライナ戦争が早期に終結しますように。 牧師:福田
敦
11月 9日(木) 聖書:使徒言行録22章12~16節
教会の祈り:S・Hさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:カルバリ教会(青森県六戸町)。①信徒たちの信仰が奮い立たされるように。②奉仕者・指導者がますます起こされるように。③日本の神学校、諸団体の働きのために。 牧師:デヴィニー・ジェームス
11月10日(金) 聖書:使徒言行録26章16~18節
教会の祈り:T・Kさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:①青森教会(青森市)。①フードバンク「いのちのパン青森」の働きを通して生活困窮世帯へ必要な食品と心の絆が届けられますように。また隣地の取得がみ心なら必要が満たされ、主イエスの栄光を表す働きができますように。牧師:角本
尚彦、協力牧師:佐々木 照正
11月11日(土) 聖書:マタイ福音書28章16~20節
教会の祈り:東日本大震災被災地の復旧と未来のために。 今日の祈り:函館美原教会(函館市)。①開かれた柔らかな心で神さまのお働きに従っていくことができるように。②苫小牧教会との協力が祝されるように。 牧師:福田
雅祥
11月12日(日) 聖書:イザヤ書49章1~6節 <聖書の箇所から>… ▲「主のしもべ」については先週の当欄も参照。今、新約を知っている私たちにとって、第一にはイエス・キリストであり、第二にはイエス・キリストの福音に従い行こうとする者たち(我ら)と広げて考えてよいでしょう。▲1節の「主(なる神)は母の胎にあるわたしを呼び・・・」とありますが、イエス・キリストとの関連で言えばルカ福音書1章41節参照です。▲2節の「口を鋭い剣」「わたしを矢として」は武器ではなく、言葉と行動により、その思いが伝えられるということです。▲4節には「わたしはいたずらに(無駄に)骨折り…力を使い果たした」とその労苦がすぐには報われないこと、その働きがなかなか人々に届かないことを意味します。しかし、その「主の僕」が、国々の(希望の)光となり、捕らわれた者は解放され、闇に住む者は、安心して外に出ることができるのです。▲主イエスがこの世界にもたらせた福音、光、希望は今なお有効です。そして、主に従う者はその福音を言葉と行動で示すようにと招かれています。▲今の混沌とした、暴力と死の連鎖の世界に対し、我らも祈り続けていますが、その祈りが届かないように思えます。でも祈り続けましょう。主なる神様も、世界の誰もが小さな命が空しく殺されていくことを良しとしないのですから。▲そして、もしかしたら、あなた自身もまた、闇の中から出られない一人かもしれませんね。ぜひ、共に語らい、祈りましょう。そして礼拝しましょう。主はあなたの名前を今日、呼んでおられるから。(献)
教会の祈り:今日は「子ども祝福礼拝」です。教会の子どもたち、世界の子どもたちが愛と希望の中に歩めるように。 今日の祈り:函館教会(函館市)。①み言葉と祈り、主の愛と聖霊充満。②イスラエルの祝福と、世界の平和。③連盟・連合との連帯と協力伝道。牧師:本多
啓示
2023年10月30日~11月5日
10月30日(月) 聖書:マタイ福音書13章31~33節
教会の祈り:60周年を迎えた所沢教会の70周年に向けての歩み。今日の祈り:連盟「社会福祉事業団体連絡協議会」。①差別・抑圧され、生き難さを抱える人たちの生命と人権が尊ばれる「共に生きる社会」の実現に向けて。
10月31日(火) 聖書:ヨハネ福音書21章7~19節
教会の祈り:女性会の働きを憶えて。 今日の祈り:連盟、引退教役者の方々を覚えて。山田幸男氏(静岡県在住)、横川澄夫氏(宮崎県在住)。
11月 1日(水) 聖書:ヘブライ書11章1~3節
今日の祈り:南光台(なんこうだい)教会(仙台市)。①高齢者、難病の方がたを覚えて。②災害や原発事故の被災者を覚えて。③仙台キリスト教主義学校への福音宣教。牧師:田中
信矢
11月 2日(木) 聖書:創世記1章1~3節
今日の祈り:仙台長命ヶ丘教会(宮城県)。①教会員の健康のために。②バプテスマ決心者が起こされるように。③主の平和の実現のために。 牧師:金丸
真
11月 3日(金) 14時~大宮教会永松博牧師就任感謝礼拝 聖書:列王記下22章8~23章3節
教会の祈り:大宮教会 永松博牧師就任式と今後の歩みを覚えて。 今日の祈り:①聖書理解の多様さに心開くために。②世代も越えイエスと共に歩むために。③被災の地を忘れず今を生きるために。牧師:小田
衛
11月 4日(土) 聖書:出エジプト記3章11~14節
教会の祈り:K・Cさんのお誕生日おめでとうございます!。 今日の祈り:秋田教会(秋田市)。①地域の祝福の源となるように。②地域の教会・幼稚園となるように。③教会の園・園の教会となるように。牧師:村上
悦二
11月 5日(日) 聖書:イザヤ書42章1~9節 <聖書の箇所から>… ▲連盟「聖書教育」誌では11月、イザヤ書から「主の僕」の4つの歌を取り上げています。「僕」とは「奴隷」「家来」「服従(する者)」等の意味があります。▲「主の僕」とは一体誰のことなのかという議論は続いています。伝統的には、ルターは四つの歌とも「キリスト」について語っていると考えます。▲カルヴァンは第二の歌について「神のすべての僕たちが代表されている」と記します。また集団としての「イスラエル」と考える説もあります。▲私は「キリスト」のことと考え読んできました。「主の僕」は42章2節にあるように「わたし(主)の僕」、「わたしが支える者」という神との関係の近さがありますし、「彼の上にわたしの霊を置く」との言葉からもその特殊性を感じます。▲そして「主の僕」は「裁き」する者として語られます。▲まず「裁き」はそれぞれの言い分を聞いて「正・悪」を判断するもので、その「裁き」は人によっては失望、人によっては希望を与えるものです。▲また「裁き」とは「生き方」「政治」「義」「公儀」であり、神の真理をこの世界に教えるものです。▲「主の僕」は神が創造されたこの世界に、神の願う憐れみ深い秩序が構成されるように、命がけで生きる者であり、それは「イエス・キリスト」によって実現され、そして我らもその歩みを生きるようにと導いている言葉だと思います。▲ただし、古今東西の様々な神学者の追求ほど私は追及できてはいません。▲今日の箇所でもその政治や生き方はこの世の在り方とは全く違ったものと感じることができるでしょう。▲そして今の時代もなお、「見ることのできない目」(真実を知らない)の者、「捕らわれ人」「闇に住む者」が真に解放されていく世界がつくられること、イエス・キリストが開いたその道に追随する者を招いておられます。(献)
今日の祈り:盛岡教会(岩手県盛岡市)。①集い、語り合い、傾聴する時を。②会計の後継者が与えられるように。③会堂と牧師館のメンテナンスのために。 牧師:小川
紋子
2023年10月23日~29日
10月23日(月) 聖書:マルコ福音書10章13~16節
教会の祈り:これからの所沢教会の歩み。今日の祈り:あゆみの家教会(福島県福島市)。①教会員と教会員家族の健康のために。②教会の今後について、じっくりと話し合うことができますように。 牧師:渡辺
政友
10月24日(火) 聖書:ヨハネ福音書4章7~30節
教会の祈り:壮年会の働き。 今日の祈り:福島主のあしあと教会(福島県福島市)。①1人ひとりの信仰と健康が守られ支えられるように。②会堂建築計画が祝され、必要が満たされるように。牧師:大島
博幸
10月25日(水) 聖書:ヨハネ福音書11章28~44節
教会の祈り:U・Eさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:山形教会(山形市)。①求道中の方々への信仰決心のために。②次世代への信仰継承と伝道。③教会財政のために。 牧師:宮田
祐亮
10月26日(木) 聖書:哀歌2章11~19節
今日の祈り:仙台教会(仙台市)。①地域の方々との出会いが豊かに与えられ、教会が居場所になれますように。②幼稚園が祝され、次年度の園児募集が満たされますように。③世界中から差別や命の搾取がなくなり、共に生きる平和が訪れますように。牧師:宇都宮
毅
10月27日(金) 聖書:マタイ福音書23章37~39節
今日の祈り:バプテスト連盟関西地方教会連合。①「つながり、分かち合おう」の年間テーマのもと、顔と顔を合わせる教会間交流が豊かに行われますように。会長:下川
俊也(大阪教会牧師)
10月28日(土) 聖書:ヨハネ福音書14章6~18節
今日の祈り:連盟「部落問題特別委員会」。①狭山事件再審開始と石川一雄さん(84歳)のために。②諸教会における部落差別の学びと実現。委員長:秋山義也(名古屋市 瑞穂教会牧師)
10月29日(日)
聖書:イザヤ書40章1~8節 <聖書の箇所から>… ▲イザヤ書は紀元前8世紀から7世紀にかけてエルサレムで活動したアモツの子イザヤの預言や活動の記録をまとめたものですが、40章から55章はさきほどのアモツの子イザヤから150年ほど後に、バビロンで活躍した無名の預言者、ただし、預言者イザヤの流れの中にある者が聞き取った主の言葉が集められ、第二イザヤと呼ばれています。▲第二イザヤの時代の前にバビロンという国が強力な力を持ち、紀元前500年代に三回ユダへ遠征し、国の中枢をささえていた王族、官僚、宗教家、技術者などを捕囚して、バビロンに連れてきます。そして、ダビデ王朝は絶え、神殿は失われ、バビロンに連れていかれた、捕囚民は根無し草のようになり、やがてバビロンの文化と繁栄の中に飲み込まれ、信仰を失っていきます。▲しかし、少数の人々はダビデ王国の崩壊の意味をイザヤやエレミアの言葉を手掛かりに反省し、彼らの中に信仰の復興がおこりました。その中で、第二イザヤはユダの人々の「とが」が赦され、再び祖国に帰る日が近いことを預言したのです。その預言のひとつがこのイザヤ40章です。▲まず「慰め」があります。あなたが「慰め」を必要とするのはどのような時でしょう。時に人の「慰め」の言葉が「慰め」にならず、余計に心揺さぶられる時があります。主の「慰め」はどのように響くのでしょうか。▲「声」があります。その「声」は私共に、何をすることを求めているのでしょうか。▲さらに「声」が我らに教えます。政治や権力争いの中に苦しんだ人々、どんな権力も永遠ではありません。どんな強大な人間もまた必ず死する存在です。その中で私どもが誰を信頼し、誰に聞き従っていくのか、その「声」に誘われて、今、目を上げるのです。(献)
教会の祈り:T・Yさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:連盟「財政委員会」。①財務タスク答申への取り組みのために。②財政委員と関係者の働きと健康のために。 委員長:梶井
義郎(高松常磐町教会牧師/財務理事)
2023年10月16日~22日
10月16日(月) 聖書:出エジプト記3章1~12節
教会の祈り:財務委員会の働き。今日の祈り:太田教会(群馬県)。①高齢者の健康が守られますように。②教会の交わりが祝福されますように。③地域に開かれた教会づくり。 牧師:石井
努
10月17日(火) 聖書:マタイ福音書2章13~23節
教会の祈り:M・Hさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:前橋教会。①2023年度主題:「主にある交わりを喜ぼう」。②交わりをつくりだす教会として歩めるように。 牧師:田代
仁
10月18日(水) 聖書:ハバクク書2章1~14節
教会の祈り:新来者・求道者・バプテスマ決心者が与えられるように。 今日の祈り:前橋教会 沼田伝道所。①キリストの愛に生きる教会。②地域の人、外国人と一緒に生きる教会。③家族を大切にする教会。 牧師:奥田
稔
10月19日(木) 聖書:ヨハネ福音書7章37~39節
今日の祈り:前橋教会 太田ビジョン伝道所。①愛を分かち合える教会。②伝道を通じ弱者を救える教会。③太田市2万2千人への伝道。 牧師:李 姫周
10月20日(金) 聖書:マタイ福音書28章1~10節
今日の祈り:宇都宮教会。①感謝と喜びの礼拝をともに持てますように。②1人ひとりの健康が主に支えられた生活が守られるように。牧師:天野 英二、協力牧師:高橋
つる
10月21日(土) 聖書:エフェソ書2章14~22節
教会の祈り:杉山牧修一師の宣教とご夫妻のご健康、60周年記念礼拝に来られる予定の方々の準備のため。 今日の祈り:新潟主の港教会。①主の愛に根差し神の豊かさで満たされ、健康が支えられ、各自が使命を果たしていけますように。 牧師:福久
織江、協力牧師:篠谷 輝俊
10月22日(日)所沢キリスト教会 伝道開始60周年記念礼拝
聖書:イザヤ書27章2~6節 <聖書の箇所から>… ▲「聖書教育」誌の「聖書の学び」が良く説明されています。▲イザヤ書24章から27章までは「イザヤの黙示録」(「黙示」とは「まだ開かれていないものが開かれる」ことで、真実がすべて明らかにされる時のことを示しますがそれは部分的に預言者らによって示されます)と呼ばれます。▲24章では全世界に対する審判と崩壊が語られますが、黙示の難しい点は、それは「何を、どの時を表現しているのか」の判断が難しい点です。▲ただ、言えるのは、歴史は何度も同じような経過をたどりますので、その兆候を感じたら「未来に対して立ち上がり、準備する」必要があります。でもそれは最終でないのかもしれませんが、準備することは大事なことです。▲2節の「その日」はゆえに、いつかわかりませんが、まずは「今日」と思いつつ読むことです。しかし、「今日だ」と決めつけてもならないのです。「その日」は神のみが知り給うことゆえ。▲今日の箇所で大事なのは、「裁き」より「神の愛と救いへの誘い」です。▲5節に「わたしと和解するがよい…」と繰り返し語られています。▲神と和解すること、それは神を神と認め、神の思いに生きようとすること。▲神を礼拝し、神の言葉に聴き従うこと。▲神はあなたをどのような者であっても「赦し、愛し、神の子」としてくださいます。そのような神との和解に生きることは、同時に、人が人と和解する世界です。敵対し争う世界ではなく、共に神の国を目指す世界が期待されています。(献)
教会の祈り:S・Tさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:郡山コスモス通り教会。①久しぶりの地域に向けた伝道プログラムが豊かに用いられますように。②教会員の心身の健康がまもられるように。 牧師:蛭川
明男
☆ 伝道開始60周年記念礼拝… 10月22日(日)11時
礼拝宣教箇所:ローマ書11章33~36節「神の深慮を前にして」
2023年10月9日~15日
10月9日(月) 聖書:申命記24章14~21節
教会の祈り:信徒委員会の働き。今日の祈り:大宮教会。①「コロナ危機により露わにされた歪と傷に向き合い、集・語・分・報・弔いする教会」。②新たな牧師との協働のために。牧師:永松
博。
10月10日(火) 聖書:Ⅱコリント書12章1~10節
教会の祈り:S・Cさんのお誕生日おめでとうございます!。 今日の祈り:上尾教会。①主題「一人ひとりを喜び、共に生きる教会」に沿って、歩めますように。②キリストの平和が世界の隅々まで及びますように。牧師:秋山
信夫。
10月11日(水) 聖書:ルカ福音書18章1~14節
教会の祈り:S・KさんとN・Aさんのお誕生日おめでとうございます!。 今日の祈り:筑波教会。①全年齢層の方々が集いやすいように。②地域の方々とも協働できるように。③連合内教会との協力のために。牧師:田中
宜之、教会主事:前村 俊一
10月12日(木) 19時半~聖書の学びと祈り会です! 聖書:列王記下4章1~7節
教会の祈り:A・Yさんのお誕生日おめでとうございます!。 今日の祈り:日立教会。①教会主事按手の恵みに感謝し教会の新しい歩みが導かれるように。②求道者・信徒の家族と救いと新来者が導かれるように。 教会主事:井伊
肇
10月13日(金) 聖書:エレミヤ書9章16~23節
日の祈り:東海教会。①主のみ言葉に堅く立つ信仰生活。②礼拝・教会学校・祈り会へ積極的出席。②礼拝・伝道・牧会・教育・奉仕のチームによる教会造り。牧師:加山
彰一、協力牧師:諏訪 泰子
10月14日(土) 聖書:サムエル記下11章1~26節
今日の祈り:水戸教会。①礼拝の祝福のために。②ファミリー層への伝道のために。教会の霊的な一致のために。牧師:服部 紘司
10月15日(日) 聖書:イザヤ書5章7~10節 <聖書の箇所から>… ▲1日の礼拝宣教で「そうであってほしいのに」、「そうではないよう」な主の言葉遣いをお話しましたが、今日の「裁き」(ミシュパト)と「流血」(ミスパハ)、「正義」(ツェダカ)と「叫喚」(ツェアカ)、と対立するものを似た言葉の響きで並べることによって、印象を深くする手法が用いられています。▲今の私たちは「聖書」をすぐ手にとって読むことができるのですが、旧約時代もその後印刷技術が確立するまで、それぞれが聖書を手にすることは滅多になく、一言も聞き漏らすまいと御言葉を聴いた人々の熱心で、心に刻んだので、それぞれに深く残るのです。▲「聖書教育」誌に記されているように「ミシュパト」と「ツェダカ」は新共同訳では「裁き」と「正義」と訳されていますが、16節にも用いられている言葉が「正義」と「恵み」と訳され混乱を招く恐れがあります。▲「ミシュパト」は「規範」・「規範に即した行為やあり方」で、物事・人間相互・共同体の「秩序」まで及びます。▲「ツェダカ」は共同体の規範に則した行為と、そこから生じる救いを意味いたします。▲新約的に言えば「神の愛と恵みを知る者の歩み」と言えるでしょう。▲「公正」や「正義」、それは本来人間が相互に生きていく上での基本であるのは間違いありません。ところが、そのような「公正」や「正義」が人間により「流血」(ミスパハ)と「叫喚」(ツェアカ)に置き換えられている、それが人間の歴史であり、今も続く世界の現実です。▲今も日々、「公正」「正義」「愛」「恵みを分かつ」ことから踏み外されて起こる悲しみや痛み、苦しみが世を覆っています。▲私は「伝道」の意味がそこにあると思っていますし、まさに人が生きる「道」そして何より人々が救われる「道」を伝えていきたいのです。(献)
教会の祈り:60周年の準備の整えと60周年を皆で共に喜ぶことができるように。 今日の祈り:高崎教会。①今年度主題:「共に生きる~キリストにつながれて~」と。今年度聖句:ルカ12章32節を覚えて。 牧師:森
淳一
2023年10月2日~8日
10月2日(月) 聖書:出エジプト記1章12~20節
教会の祈り:教育委員会の働き。今日の祈り:西川口教会。①主任牧師が与えられるように。②地域に開かれた教会。③教会財政が祝福されるように。 代表役員代務者:石井
鉄也、協力牧師:朴 思郁(パク サウク・連盟宣教研究所長)。教会学校スタッフ:戸田 浩司、教会音楽スタッフ:山嵜 美奈。
10月3日(火) 聖書:ルカ福音書22章47~53節
教会の祈り:新来者・決心者が与えられるように。 今日の祈り:飯能教会。①岩波久一 元牧師の宣教の働きのために。②相応しい牧師の招聘のために。③神の愛を実践する教会のために。
10月4日(水) 聖書:申命記32章7~18節
教会の祈り:F・Mさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:所沢教会。①伝道開始60周年記念礼拝(10月22日)と関連行事。②み心に適う今度の歩み。③活発な宣教活動展開。 牧師:坂本 献、協力牧師:中田義直
10月5日(木) 聖書:詩編126編
今日の祈り:川越教会。①コロナ後の教会の歩みの一致のために。②ご高齢者の健康と送迎プランのために。③他者と地域のために祈りをあつく。 牧師:丸山
勉
10月6日(金) 聖書:ルカ福音書15章11~32節
教会の祈り:T・Tさんのお誕生日おめでとうございます。 今日の祈り:ふじみ野教会。①「ふじみ野の地」で豊かに福音を分かち合えるように。②他者に連なる一人ひとりが豊かに生き合えるように。牧師:山下
真実
10月7日(土) 聖書:サムエル記上1章8~20節
教会の祈り:N・Sさんのお誕生日おめでとうございます。 今日の祈り:浦和教会。①み言葉を多くの方に届けよう。②バプテスト保育園の働きのために。③世界の争いが止み平和が実現しますように。牧師:廣島
尚
10月8日(日) 聖書:イザヤ書5章1~6節 <聖書の箇所から>… ▲「ぶどう畑の歌」と呼ばれる悲しみの歌。この箇所を新約聖書で主イエスが改めて語っているのが、マタイ21章、マルコ12章、ルカ20章ですから重ねて読むことをお勧めします。▲ぶどう園はイスラエルの民であり、より拡げれば人間や地球とも言えましょう。▲ぶどう園にはそれを作った人がいます。新約では「主人」であり、いずれも神の働きによってです。主人(神)は、私共が新たな作業を始めようとする時のように、期待して、喜びをもって、労苦しながら準備いたします。▲しかし、それほど労苦したにも関わらず、実ったのは「酸っぱいぶどう」でした。▲私共も労苦して、心注いで、自分の働きをしようとし、期待と喜びをもって生きていきます。しかし、それらが全く思いとは逆の結果が、全く願っていなかったことが起こります。▲子育てにしても、家族の関係にしても、自分の人生においても・・・。▲「一生懸命したのに、時間とお金を注いだのに」という我らの悲しみを神ご自身も感じておられます。▲神は愛し創造した世界が、私利私欲によって踏みつぶされ、神の意思を尋ねようとしない人間への悲しみがあふれています。どうすればよいのか・・・。▲その答えは主イエスの言葉にあります。神は何度も預言者らを送り、人間が悔改め、神の道に戻ることを期待しました。でもそれら預言者達は殺されてしまいます。▲最後に、み子主イエスが「我が子なら敬ってくれるだろう」と送りますが、そのひとり子をも殺されるのです。裁かれてしかるべき人間、我ら。▲でも主イエスと神はなお、そのような我らと共に生き、なお愛を注ぎ、主の道に立ち帰ることができるように今日も呼びかけておられます。今日もあなたの心の扉を叩き続けておられるのです。▲そこにおいて、我らも「悲しみ」の中になお、主の愛を受け、裁くことではなく、愛していく道を選び取っていきたいのです。(献)
教会の祈り:60周年の準備の整えと60周年を皆で共に喜ぶことができるように。 今日の祈り:宮原教会(さいたま市北区)。①豊かなまじわりの回復のために。②伝道開始30周年に向けて。③献身者を祈り送り出し支える。 牧師:足立
智幸
2023年9月25日~10月1日
9月25日(月) 聖書:出エジプト記20章1~17節
教会の祈り:礼拝委員会の働き、「音楽チーム」の再開。今日の祈り:常盤台教会(板橋区)。①新たな複数牧会と相互牧会の充実。②世界に開かれた協力伝道に協働する教会。 牧師:友納
靖史、森 崇、協力牧師:渡部 信
9月26日(火) 聖書:使徒言行録11章19~26節
教会の祈り:伝道委員会の働き。 今日の祈り:中部地方バプテスト連合。①13教会の教会形成と福音伝道のために。②福井プロジェクトの前進・感謝!③岐阜&金沢教会(無牧師)のために。連合会長:鈴木
直哉(名古屋市・東山教会牧師)
9月27日(水)「聖書の学びと祈り会があります」19時半~約1時間、リモート併用 聖書:Ⅰコリント12章12~31節
今日の祈り:連盟「日韓・在日連帯特別委員会」。①「外国人住民基本法」「人種差別撤廃基本法」が制定されるように。②国籍やルーツの違いを認め合い、共に生きる社会が実現できるように。 委員長:村田
悦(大分教会牧師)
9月28日(木) 聖書:イザヤ書1章1~10節
教会の祈り:F・Cさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:連盟「総務委員会」。①連盟総務室に協力し、諸教会に仕える働きができますように。②5名の委員の働き、信仰、健康のために。
委員長:壱岐 基子(前橋教会員)
9月29日(金) 聖書:ヨハネ福音書1章1~18節
教会の祈り:I・Rさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:日本バプテスト女性連合。①機構改革を全国の女性たちと共に。②10月福岡での第51回総会・信徒大会の祝福(10月19~21日、西南学院大学大チャペル)。③女性連合のすべての働き人のために。会長:吉高
路(市川八幡教会員)、幹事:米本裕見子(東京北教会協力牧師)
9月30日(土) 聖書:列王記上21章1~24節
今日の祈り:日本バプテスト宣教団。①宣教師や日本のクリスチャンが、福音を分かちあうことで隣人を愛し、多くの日本人が救いへと導かれるように。代表理事:マシュー・サージェント
10月1日(日) 聖書:イザヤ書3章12~15節 <聖書の箇所から>… ▲「聖書教育」誌では10月~12月まで「イザヤ書」から学んでいきます。所沢教会の礼拝宣教においては、イザヤ書を中心としますが、「聖書教育」誌プログラムと異なる場合がありますのでご了解ください。▲イザヤ書を概観しますと、1章~39章までは「第一イザヤ」と呼ばれ、紀元前740年頃から700年頃のことを取扱っています。当時のイスラエルは神から離れ、他の神々を拝み、偶像に犠牲を捧げていました(もちろん、全ての人がそうではありません)。▲特にイスラエルの政治的指導者たちは大国と平和条約を結び、貢物をし、他宗教を受け入れます。つまり、イスラエルの伝統的宗教性を持つ倫理(道)を外れ、自国の利益を確保するために他国との連携による「安全保障」を確保しようとしますが、所詮イスラエルは小さな国、結果的には諸外国の好きなままにされてしまいます。▲その時代のゆえに、預言者イザヤは「力を捨て、神に立ち帰り、真の平和を求めよ」と語る使命を与えられるのです。▲その預言者(神の言葉・意思を預かり、人々に伝える働き)の使命は当時の政治に対立するもののゆえに、厳しいものでした。礼拝宣教では「イザヤ」その人にまず焦点をあてていきます。▲なお「ぶどう」はイスラエルの代表的農作物ですが、一本のぶどうが拡がる様子から、「ぶどう畑」は「神の畑」、「ぶどう」は「イスラエルの民(新約では主イエスに結ばれる者)」を旧新約聖書で意味いたします。(献)
今日の祈り:朝霞教会(朝霞市)。①再会の喜びが与えられますように。②子どもたちに健やかな時が与えられますように。③すべての方の健康が守られますように。
2023年9月18日~24日
9月18日(月) 聖書:Ⅰコリント書10章23~11章1節
教会の祈り:東京バプテスト神学校の学生が増えるように。今日の祈り:目白ヶ丘教会(新宿区)。①弱っている方々が癒されますように。②教会施設の補修が導かれますように。③付属幼稚園の保育が守られますように。 牧師:野口
哲哉、副牧師:内藤 幹子
9月19日(火) 聖書:箴言10章11~20節
今日の祈り:東京ジグチョン教会(新宿区)。①主の豊かな恵みと深い愛の中で、②主のみ言葉に従う毎日になり、③全民族を癒し、この世を変えるように。 主任牧師:許
碩真、元老牧師:金 東源、伝道師:金 景鶴、伝道師:朴 重河、協力宣教師:秋 淵淑
9月20日(水) 聖書:詩編139編
教会の祈り:U・Rさんの誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:蓮根教会(板橋区)。①若者への伝道のために。②キッズミニストリーのために。③高齢者伝道のために。 主任牧師:髙木
康俊、高齢・病床者担当牧師:金香 泰誠、協力牧師:片岡順子、牧会担当牧師:小勝 琢生、協力牧師:鈴木 ケン、牧会主事:中地 芳子
9月21日(木) 聖書:創世記10章1~12節
教会の祈り:60周年記念礼拝の諸準備のために(あと一か月!)。 今日の祈り:蓮根教会 東京愛の伝道所(新宿区)。①聖徒の上に治療の恵みが注がれるように。②救われる人が増えるように。③教会が光と塩の使命を果たすように。 牧師:権
赫烈
9月22日(金) 聖書:詩編14編
教会の祈り:O・Kさんのお誕生日おめでとうございます!。 今日の祈り:志村教会(板橋区)。①一人ひとりの健康と信仰のために。②地域に根ざし開かれた教会となるように。③教会建物補修のために。牧師:常廣
澄子、協力牧師:永田 邦夫
9月23日(土) 聖書:使徒言行録2章1~13節
今日の祈り:東京韓日教会(板橋区)。①宣教センターとして使命を果たす。②次世代の献身者が起こされるために。③家族の救いと健康が守られるために。 主任牧師:李
島鎮
9月24日(日) 聖書:創世記11章1~9節 <聖書の箇所から>… ▲11章1節で「世界中は同じ言葉を使って、同じように話されていた」、これは同じ言葉をもって対話し、コミュニケーションする道を神様は恵みとして与えられました。▲同じ言葉をもって人それぞれの違いを語り、同じ言葉をもっているけれども違う一人一人が対話して、その世界を造っていくことを神は期待されていたのです。▲3節「彼らはれんがをつくり、それをよく焼こう」と言い出します。れんがや、アスファルトを得、町がつくられてゆきます。技術革新は町に繁栄をもたらせました。▲そして、自分たちの技術に鼻を高くした者は次にこう言い出すのです。「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と。「バベルの塔」(バビロンタワー)建築の始まり。▲「さあ、われわれは高い塔をつくろう」と呼びかけられています。この言葉はみんなが話し合い、協力した言葉にも聞こえますが、そう思わせるのが、実は支配(ニムロデ<創世記10章参照>)の力。▲ここでの言葉は、人間が意図的に一つにされていき、それに対して誰も否とはいえないような「われわれ」であり、「同じ言葉」だった思いがいたします。ゆえに、8節の「散らされた」のは「解放」であり、今も主による「解放」が必要な時代です。(献)
今日の祈り:赤塚教会(板橋区)。①地域伝道の活性化。②次世代への伝道、育成。③教会の諸活動の再開。牧師:石堂 雅彦
2023年9月11日~17日
9月11日(月) 聖書:ローマ書8章18~30節
教会の祈り:H・Nさんのお誕生日おめでとうございます。。今日の祈り:市川八幡教会(千葉県市川市)。①改悪入管法におびえる外国人の支援ができるように。②ミャンマーをおぼえる祈祷会の広がりのために。牧師:吉高
叶
9月12日(火) 聖書:エフェソ書1章3~14節
教会の祈り:東日本大震災被災地の回復・復興のため。 今日の祈り:篠崎教会(東京都江戸川区)。①家族で礼拝に参加できますように。②新しく来られる方が定着できますように。③教会債の早期完済のために。 牧師:川口
道治
9月13日(水) 聖書:ヨハネ福音書2章1~11節
今日の祈り:新小岩教会(東京都葛飾区)。①聖書に聴き従います。②キリストのしもべになります。③新小岩から全世界に伝道します。 嘱託牧師:川口義雄、牧師インターン:川口まな、音楽主事:川口由子、宣教師:李ヒソック
9月14日(木) 聖書:創世記3章17~19節、5章29節11章
今日の祈り:東久留米教会(東久留米市)。①牧師が与えられますように。②礼拝が続けられますように。③ジョン・チャヌ音楽牧師の活動。 音楽牧師:ジョン・チャヌ
9月15日(金) 聖書:イザヤ書11章1~10節
今日の祈り:大泉教会(東京都練馬区)。①地域に根ざした伝道と、林健一牧師の働きのために。②高齢者、ご病気の方のために。③青少年のために。 牧師:林
健一
9月16日(土) 聖書:ローマ書13章8~14節
教会の祈り:召天者記念礼拝とご遺族の方々。 今日の祈り:東京北教会(東京都北区)。①地域の方々とのつながりが広がるように。②新来者、求道者の方との出会いの喜びがあふれるように。 牧師:魯
孝錬(ノ ヒョリャン)、細井 留美、協力牧師:米本裕見子、宣教師:郭 修鎮(リ ドウジン)
9月17日(日) 聖書:創世記9章18~28節 <聖書の箇所から>… ▲ノアは悪しき時代の中で行いの正しい人であったと創世記6章に記されていますが、洪水から助けられたノアとその後の時代を見ますと8章の「人が心に思うことは、幼い時から悪い」という言葉を連想いたします。▲ノアはぶどう酒造りをするのですが、ある日、酔っぱらって裸で寝ております。今でもそんな人がたまにいるじゃん、と思いますが、本来的には「自分を制御できない、他者からみても恥の姿」です。▲それを見た三人の息子の行動が記されます。最初に見た、末の息子ハムは、親のはしたない姿を見て、それを兄達に告げ口します。兄のセム、ヤフェトはそっと着物で父に衣服をかけます。この恥ずかしい姿を他の誰も見ないように配慮するのです。▲ここにも、現実の行動としての「相応しさ」が問われますし、「悪い思い」だけで動かない人間の良心も記されるのです。▲今まで、創世記で「アダムとエバ」にしろ「カインとアベル」にしろ、何を選択して歩むのか、また、間違った道と示された時にどのような行動を選択するのか、というテーマが繰り返されています。神は人間に自由をお与えになりました。その自由をどのように用いるのか、それが人間の知恵や愛、時には妬みや恨み、殺すことへと繋がっています。「自由」は同時に重い責任を担うことを我らはいつも知るべきです。▲なお、ノアの息子達、セム、ハム、ヤフェトについて、セムはイスラエル民族の最初等と言われますが、その後の民族構成は様々に交わりますので、その民族を特定し、現代とつなげることは無理です。日本人だって「八紘一宇」と表現されることがありますが、日本人が「単一民族」であるはずがありません。▲再び民族が拡がったことを伝えようとしているのです。(献)
教会の祈り:O・Rさんのお誕生日おめでとうございます。 今日の祈り:市川大野教会(千葉県市川市)。①地域のニーズに答えられるように。②一人ひとりの健康と教会生活のために。③決心者、転入者が与えられるように。 牧師:富田
愛世
2023年9月4日~10日
9月4日(月) 聖書:詩編139編
教会の祈り:60周年記念礼拝・祝会の準備のため。 今日の祈り:茂原教会(千葉県茂原市)。①さまざまな違いを持った人、外国籍の人など、誰もが集える教会になれるように。②地域に仕える教会。③隣地の取得。 牧師:塩山
宗満
9月5日(火) 聖書:コヘレトの言葉3章1~8節
教会の祈り:K・Nさんのお誕生日おめでとうございます。 今日の祈り:千葉教会(千葉県市原市)。①教会の使命が確認できるように。②奉仕の輪がさらに拡がるように。③東京連合東ブロック秋の集いへの導き。 牧師:元川
信司、協力牧師(兼教育主事):矢野 由美、音楽主事:澤田 ルツ子
9月6日(水) 聖書:マタイ福音書6章25~34節
今日の祈り:千葉教会木更津伝道所(千葉県木更津市)。①教会組織に導かれるように。②障がい者・高齢者福祉のために。③木更津以南の伝道が進むように。 牧師:高市
和久、協力牧師:井本 義孝。
9月7日(木) 聖書:創世記1章26~31節
今日の祈り:千葉・若葉教会(千葉市)。①礼拝者が恵まれ祝される教会を。②高齢者と家族の健康のために。③30名礼拝が実現しますように。 牧師:牧瀬
博幸
9月8日(金) 聖書:レビ記17章10~14節
教会の祈り:聖歌隊の働きのため。 今日の祈り:津田沼教会(千葉県津田沼市)。①新来会者、働き人、同労者が与えられるように。②30人礼拝実現のために。③ジョイフルキッズ参加者の救いのために。 牧師:大塚
恭一
9月9日(土) 聖書:イザヤ書55章1~7節
教会の祈り:吉中 進兄。 今日の祈り:船橋教会(千葉県船橋市)。①今年度のスローガン「共に祈ろう!主の福音を伝えよう」を推し進め実現させていけますように。牧師:松田
裕治、協力牧師:ンバコアジセイ パトリック、名誉牧師:三ツ木 茂
9月10日(日) 聖書:創世記9章1~17節 <聖書の箇所から>… ▲1節には「祝福と契約」と新共同訳では小見出しがついています。「祝福」は「契約」と結びつくことが大事です。主の「祝福」は2節の「ゆだねられる」は1章28節の「支配せよ」の言換えです。▲「支配」は何度も言うように、全被造物の安寧を守る「良い羊飼」いの役割であり、その中において、人は食べることも許されているのです。▲また5節の「命の賠償」は、「殺してはならない」等、十戒で示される禁止行為と結びつくものであり、神が愛し創られた「命」、神が「かたどったもの」つまり、神と心を合わせること、神と結びつく存在であるがゆえに傷つけられたり、殺されたりしてはならないのです。▲そして神は11節に「もう二度と洪水が起こって地を滅ぼすことはない」と語っています。「二度と滅ぼさない」という神の決心は、人間が神から与えられた使命を果たすことが条件です。この契約を破っていくなら再び洪水の危険があることを人は知らねばなりません。▲「祝福される者」は「祝福にふわさしい働き」が求められるのです。▲12節で神の決心と人間がその約束を忘れないように「虹」を置きます。「虹」それは「レイン・ボウ=雨の弓」。武器の「弓」ではなく希望をもたらす「虹」の約束です。▲虹は七色だと言われますが、本当は様々な色を含みます。光から分かれ、各色の間に明確な境界を引けません。▲この性質から、虹色は「多様性」や「共存」の象徴として、あるいはセクシュアリティの多様性の象徴としても用いられています。▲有名な”Over
the Rainbow”という歌がありますが、そこで虹は夢を持つ者が登りだそうとする階段のようにも語られています。▲虹は「かけ橋」、神と人の、人と人の豊かな交わりを示すと共に、「平和の約束」なのです。(献)
教会の祈り:高齢者の方々の守り(長寿の恵み感謝礼拝)。
今日の祈り:市川大野教会(千葉県市川市)。①地域のニーズに答えられるように。②一人ひとりの健康と教会生活のために。③決心者、転入者が与えられるように。 牧師:富田
愛世
2023年8月21日~27日
8月21日(月) 聖書:マタイ福音書24章36~44節
教会の祈り:60周年記念礼拝(10月22日)、関連行事の準備のため。 今日の祈り:調布教会(調布市)。①牧師招聘のために。②神さまと隣人を愛せるように。③信徒の霊性と健康の支えのために。協力宣教師:岡田
千尋
8月22日(火) 聖書:Ⅰペトロ3章18~21節
教会の祈り:K・Tさんのお誕生日おめでとうございます!。 今日の祈り:調布南教会(調布市)。①コロナ下に9名の魂加入、主に感謝。②私の方法よりも主の遣り方で。③やがて間もなく法人化です。感謝。牧師:前田
重雄
8月23日(水) 聖書:Ⅱペトロ3章1~14節
今日の祈り:仙川教会(三鷹市)。①喜びも悲しみも分かち合う教会へ。②主で結ばれる場づくりを目指して。③霊的成長をし献身者となる。 牧師:山岸
明
8月24日(木) 聖書:創世記1章24~25節
今日の祈り:三鷹教会(三鷹市)。①今年度の標語「新しい歌を 主に向かって喜び歌おう」(詩編149編)を力強く歩ませてください。 牧師:秋山 献一
8月25日(金) 聖書:詩編104編
今日の祈り:中野教会(中野区)。①牧師招聘のために。②地域への宣教のために。協力牧師:稲垣 俊也
8月26日(土) 聖書:ルカ福音書13章22~30節
教会の祈り:H・Sさんのお誕生日おめでとうございます。今日の祈り:大久保教会(新宿区)。①チャレンジの多い年度になると思われます。神の愛を身に着けて、忍耐して教会形成と宣教に励めるように。牧師:河野
信一郎、副牧師:石垣 茂夫
8月27日(日) 聖書:創世記7章1~24節 <聖書の箇所から>… ▲ノアに示された「箱舟(アーク)」造り。大きさは6章に記されていますが「1アンマ(=キュビト)」は約45センチです。▲平地での船造りは誰にも理解されず、馬鹿にされたことでしょう。しかし、ノアは確かに滅びに向かう未来に向かって示される事を精一杯行った人でした。このことは時代を超えて印象的です。▲「滅びに向かう危険」を悟った者がその信念に基づいて行動すること、それは人間の歴史の中で度々登場しておりますし、今も、それを語り、そこからの救いを求めて行動している人々がいます。それらの声を人間が聞き得るかは今日問われていることです。▲ちなみに私は、「ノア」は世界中に複数いたのだと考えますがこれは私の思いですからあまり気にしないで・・・。▲8節の箱舟に入った中に「清い動物も、清くない動物も」は大事な言葉。ここにすべての被造物が招かれているし、主の救いの考えが見られます。▲いつも言いますが「清い」「清くない」を人間は規定できないものです。▲40日40夜の大雨は破壊的な力を示す言葉です。その前後を合わせて地球環境への大変な被害が起こったのです。その原点は「世界の堕落」にあったことは言うまでもありません。▲さて、箱舟の生活を考えてみましょう。多種多様な生き物が共生しますし、限られた食糧の問題もあります。それは「地球」の縮図とも言えます。▲20日の当教会週報巻頭言で「地球環境」のことを扱っておりますので、私共、被造物全てが「箱舟」に生きる中で、どう歩むのか。そして上述したように、今、誰の、どのような声を聞いていくのかと考えます。創世記は「はじめの物語」であり「現代の物語」であり「未来の物語」なのです。(献)
今日の祈り:西関東地方バプテスト連合(9教会2伝道所)。①連合内の教会のつながりのために。②「みんな集まれ!西関東」(9月23日 1日交流会)のために。③無牧師の教会が守られるように。会長:宮西
宏明(富士吉田教会牧師)
2023年8月14日~20日
8月14日(月) 聖書:創世記26章26~33節
教会の祈り:N・YさんとN・Sさん(各誕生日)。 今日の祈り:昭島めぐみ教会(昭島市)。①賛美が豊かにされますように。②礼拝者で満たされますように。③福音が広く届けられますように。牧師:石橋
虎之助
8月15日(火) 聖書:ローマ書10章9~13節
教会の祈り:世界が平和を造り出すことができるように。 今日の祈り:八王子めじろ台教会(八王子市)。①すべての命が平和のうちに守られるように。②高齢者が平安に過ごせるように。③教会のビジョン作成のために。 牧師:小河
義伸、協力牧師:北島 靖士
8月16日(水) 聖書:出エジプト記20章22~26節
今日の祈り:多摩ニュータウン・憩いの家教会(礼拝場所は不定期です)。①教会に連なる方々の、霊・肉が守られますように。②主のお証しを立て上げることができますように。 協力牧師:津波
真勇(つは しんゆう)、代表:春木 英司
8月17日(木) 聖書:マタイ福音書15章16~20節
今日の祈り:多摩みぎわ教会(多摩市)。①教会員の健康が守られるように。②新しい仲間が加えられるように。③土地、建物の購入計画の前進。 牧師:石井
規之
8月18日(金) 聖書:エレミヤ書18章5~10節
教会の祈り:M・Jさん(誕生日)。 今日の祈り:立川教会(立川市)。教会員の健康が守られますように。②大川先生の働きが支えられるように。③若い働き人が与えられますように。牧師:文
廷翼(ムン ジョンイク)、名誉牧師:大川 博之
8月19日(土) 聖書:ヘブライ書11章1~7節
教会の祈り:夏期学校のため。 今日の祈り:花小金井教会(小平市)。①教会同士の出会いと協力。②「教会の約束」の改訂。③会堂補修のための必要。これらの課題に主の導きを。 牧師:藤井
秀一、教会スタッフ:中根 淨(なかね きよし)
8月20日(日) 聖書:創世記6章5~22節 <聖書の箇所から>… ▲「聖書教育」誌では創世記6章~9章までのいわゆる「ノアの洪水物語」を4週に分けて扱っております。▲所沢教会では27日がCSキャンプのため別箇所、9月10日は「長寿の恵み感謝礼拝」、17日は「召天者記念礼拝」なので別の箇所から宣教する予定です。▲アダムから数えてノアの時代はどれくらいの時が経ったのかは不明です。5章にはアダムは930年生きたとありますが、そのまま今の感覚では捉えられないでしょう。ただ、言えるのはすでに地球上には様々な人々がいたし、6章4節に「ネフィリム」の記述があり、「巨人」とも解釈されますが、別の民族で、かつ強い力を持っていました。▲そのように世界が多様化すること、そこには文明の発展もありましょうが、地域や民族間での争いが起こる要因にもなります。ちなみに「洪水伝説」は聖書のみならず、他地域の文献に複数出ていますので、大規模な環境変動が起こったのは確かです。▲5節に「神の後悔」「神の心の痛み」があります。神は世界を「良きもの」として創造されました。本来の目的はそうだったのですが、現実には神の思いと違った行為を人間はすすめていくのです。その「ずれ」はノアの時代で終わっていません。▲「人の悪が増し」た時、神は後悔され、心痛めるのです。それは今もなお・・・。▲「人の悪が増し」た世界にはその代償として何かが起こるのです。その徴が例えば「地球環境問題」や「ウイルス等の拡大」かもしれません。▲聖書は過去の物語ではなく、「現実への警鐘」として読まれるべきでしょう。▲その中で神はノアとその家族、他の被造物を守ることを考え、ノアに指示し、ノアはそれを実行いたします。破滅に向かう世界の中に、神のみ心を聴き取った者がいたのです。▲それは危機の時代を生きる我らへ問いかけています。(献)
教会の祈り:U・Rくん(誕生日)。 今日の祈り:府中教会(府中市)。①バプテスマが与えられますように。②教会・牧師館建替えが実現しますように。③長尾
基志神学生の学びのために。牧師:長尾 なつみ
2023年8月7日~13日
8月7日(月) 聖書:ヘブライ書12章18~24節 <聖書教育・毎日のみことば 24節より>… イエスさまの血は、アベルと同じように人間の罪のゆえに十字架という残酷な刑によって流されました。しかしその血は、殺されたことへの悲しみや恨みではなく、逆にその血を流させた私たちに和解と赦しを告げるものでした。流された主の血が今も叫んでいます。
教会の祈り:執事の働きと信仰・健康のため。 今日の祈り:青梅あけぼの教会(青梅市)。①魂の救われる教会であること。②毎日の生活が祈りと感謝、喜びであること。③相互牧会の充実。
牧師:大谷 唯信、副牧師:森元 國文
8月8日(火) 聖書:Ⅰヨハネ書4章1~21節 <聖書教育・毎日のみことば 20~21節より>… 人を憎むことは、その人を愛している神の愛を否定することになります。神と愛することと人を愛することは別のことではありません。神への愛は人への愛となって表われます。お互いに掛け替えのない存在として大切にすることが、神を愛することになります。
教会の祈り:K・Nさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:青梅あけぼの教会 ライフチャーチ(三鷹市)。①偉大な戒め(マタイ22章7-40節)、大宣教命令(マタイ28章18-20節)に忠実な教会であり続けることができるように。 牧師:大谷
信道
8月9日(水) 聖書:エフェソ書1章3~14節 <聖書教育・毎日のみことば 13~14節より>… 主を信じる者は「聖霊で証印を押されたのです」から、慌てたり不安になったりする必要はありません。聖霊は「御国を受け継ぐための保証」です。主が私たちの罪を十字架で贖って神の子としてくださいました。罪のために、もはやさすらうことはありません。
教会の祈り:核兵器廃絶のために。 今日の祈り:青梅あけぼの教会 聖約宣教伝道所(渋谷区)。①対面の交わりの回復。②学生の求道者の定着。③霊性の成長。牧師:藤原
淳賀(あつよし)
8月10日(木) 聖書:詩編133編 <聖書教育・毎日のみことば>… 立場や意見の違う兄弟であっても、「共に座っている(共に住む)」ことを喜べるのは、人間の努力だけではできません。この歌が、神殿に詣でる時に歌われたように、主の食卓を囲み、信仰において結ばれることによって、共に和合して住むことができるのです。
今日の祈り:東京西教会(事務所は昭島市)。①礼拝場所の継続確保のために。②宣教者が引き続き与えられること。③求道者が与えられるように。 協力牧師:黒瀬
博、代表執事:福田 佑次
8月11日(金) 聖書:ローマ書12章9~21節 <聖書教育・毎日のみことば 19~21節より>… 自分を苦しめる者に対して怒りや復讐心を抱くことがあるかもしれません。しかし、それでも「神の怒りに任せる」こと、それは神の正義に委ねることです。神は常に正しいことをしてくださるからです。悪には悪をもってではなく、善をもって悪に打ち勝ちましょう。
教会の祈り:C・Aさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:東京西教会 板橋伝道所(板橋区)。①子ども食堂が開設できますように。②ビデオ配信が広まるように。③20人礼拝が達成できますように。牧師:新保
雅雄
8月12日(土) 聖書:マタイ福音書18章21~35節 <聖書教育・毎日のみことば 21~22節より>… イエスさまは7の70倍、つまりどこまでも赦しなさいと言われました。赦しには限度はありません。なぜなら、主は私たちの罪をどこまでも赦してくださるのです。私たちは77倍復讐すると言ったレメクの末裔ではなく、イエスさまの末裔として選ばれているのです。
教会の祈り:M・Nさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:関東プレインズ教会(羽村市)。①日英語礼拝です。通訳の充実のために。②付属幼稚園の働きのために。③教会員の成長と増員のために。牧師:ディビッド・ローナン、執事長:熊手
祥之
8月13日(日) 聖書:創世記4章13~26節 <聖書の箇所から>… ▲弟アベルを殺し、土地を追われてさまよう者となったカインには「しるし」がつけられたことは、6日の礼拝でお話いたしました。▲その「しるし」は人間の罪を示すと共に、そのような人間をも神は守り、祝福を与えようとする「しるし」でもあったのです。▲17節からはカインのその後が記されます。エノク~イラド~イフヤエル~メトシャエル~レメクと世代が続きます。▲レメクの三人の息子は様々な働きの祖となります。ヤバルは家畜を飼う者の先祖、ユバルは家畜を飼う者の先祖、ドバル・カインは青銅や鉄の道具を扱う者の先祖となったと。▲レメクは創世記4章23~24節にあるように「カインのための復讐は七倍なら、レメクのための復讐は七十七倍」とあります。カインへの復讐は神の定めたものですが、レメクの場合は自分たち自身で行う人間の力による復讐であり、「復讐」が神の思いより拡大されていくのが人間の罪といえるでしょう。▲これについて主イエスはマタイ18章で「七の七十倍までも(際限ないという意味)赦しなさい」と語ることによって、新たな人間の生きる道を示しています。それは、主イエスがそうなさったからです。▲26節の「主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである」とは、礼拝をささげるようになったという意味です。この部分は解釈が困難な点がありますが、人が増えれば争いも増えるのです。争いは簡単に解決できませんし、様々な要因があります。その中で「人の道」としての「神の教え」を求めざるを得なかったとも考えられますし、少なくとも、神の存在が伝わっていたのは間違いありません。(献)
教会の祈り:M・HさんとI・Cさんのお誕生日おめでとうございます!今日の祈り:福生教会(福生市)。①新たな教会員が与えられるように。②献身者が与えられるように。③食事会が再開できるように。牧師:稲見
元彦
2023年7月31日~8月6日
7月31日(月) 聖書:マタイ福音書10章16~31節
教会の祈り:全国青年大会参加予定のSさんを覚えて。今日の祈り:第61回全国青年大会。①無事対面で開催されるように。②平和の考えが深まるように。③青年の教会生活を覚えて。実行委員長:長尾
基詩(西南神学生、福岡国際教会員)
8月 1日(火) 聖書:Ⅰコリント書13章1~13節
教会の祈り:S・RさんとD・Aさん(各誕生日)。 今日の祈り:大井教会(品川区)。①主題「キリストによる再構築(リコンストラクション)」を受けて、これからの教会の姿を祈り求める。主任牧師:加藤
誠
8月 2日(水) 聖書:Ⅱコリント書5章1~5節
教会の祈り:S・TくんとS・Hさん(各誕生日)。 今日の祈り:品川教会(品川区)。①教会建築のために。②信仰決心者が与えられるように。③プレヤーウォークの広がりのために。 牧師:山中
臨在、音楽主事:岸本 敬子
8月 3日(木) 聖書:歴代誌上5章1~2節
今日の祈り:泉教会(世田谷区)。①教会に連なる子どもたちのために。②教会付属幼稚園のために。③シャロームの実現のために。 牧師:城倉 啓、協力牧師:村上
千代
8月 4日(金) 聖書:ルカ福音書15章25~31節
今日の祈り:恵泉教会(目黒区)。 エフェソ書4章16節 ①共に教会形成を担う(新組織の目標を共有)。②礼拝、教会学校、めぐみ礼拝の喜びを広げる。③平和の祈り、伝道する教会を作る。 牧師:福永
保昭、協力牧師:松見 享子
8月 5日(土) 聖書:ヨハネ福音書15章11~17節
教会の祈り:猛暑の中、礼拝に来る方々が守られるように。 今日の祈り:幡ヶ谷教会(渋谷区)。①初台、幡ヶ谷地域の宣教のための働き手が与えられるように。 牧師:山川
眞司
8月 6日(日) 聖書:創世記4章1~12節 <聖書の箇所から>… ▲人類二世としてのカインとアベルですが、読み進めていくと、他にも人がいるようです。ゆえにここは、カインとアベルを人間の代表として読む方がよいでしょう。▲さて、アベルは羊を飼い、カインは農業に従事します。そして、収穫を感謝して、神の前に礼拝いたします。▲ところが、神はアベルの献げものを拒否されました。その原因は、神の前に良き物を献げることを嫌い、自分のために良いものを残していたのです。▲もし、そうでなければ、アベルは申し開きできたでしょうし、そもそも事件に発展しなかったのです。▲自分に都合良い計画がうまくいかなかった。その時、人は次の選択がいくつもあります。▲正直に語り、謝罪し、悔改める道もあります。でも自らの過ちをなかなか認めたくない時、人は一番危険な道を選ぶことがあります。その道は「これしか自分の正当性や尊厳を守る方法はない!」と決めつけ、邪魔者を排除する方法。▲つまり、自分を変えるのではなく、原因を他者に決めつけ排除することによって、謝罪も言い訳もしなくてすむので、それが一番楽だと、愚かにも考えるのです。▲カインはアベルの真面目さを憎み、競争相手と考え、そしてアベルを殺すのです。▲実は逆に大変な道を選んだのに、その時は何も見えないのです。今後の結果も未来も、自分が負う痛みや苦しみ、相手の痛み、周囲に拡がる悲しみや辛さも・・・。▲アベルの叫びを神は知っております。神はカインに「弟アベルはどこにいるのだ」と尋ねますが、カインは「知りません」と罪を重ねます。そして判決を受けた時、カインは我に戻り、自分の罪の重さを知り、今度は自分が殺されることを恐れます。▲カインは追放されます。しかしながら、主なる神はその命を保証するのです。「カインにつけられたしるし」・・・それを考えます。今、私が思うのは、その「しるし」は「主イエスの十字架」ではないのかと。人間の罪を示すと共に、赦しを示す「しるし」としての主イエスの血が流された十字架。(献)
教会の祈り:核兵器を捨て、平和をつくりだす世界。 今日の祈り:渋谷教会(渋谷区)。①教会員の健康と癒しのために。②求道者と働き人が多く与えられますように。③地域伝道と教会建築のために。宣教師:金
未仙(キム マルソン)、伝道師:林 雄植(イム ウンシク)
2023年7月24日~30日
7月24日(月) 聖書:マタイ福音書7章7~12節
教会の祈り:求道者・信仰決心者が与えられるように。今日の祈り:多摩川教会(東京都狛江市)。①祈りの家、聖霊主導の教会。②十字架の愛と赦しに生きる教会。③世界宣教と信仰継承。牧師:末盛
桜子、宣教師:久米 麗、音楽主事:永井 愛実
7月25日(火) 聖書:ローマ書14章1~9節
教会の祈り:礼拝委員会の働き。 今日の祈り:経堂教会(世田谷区)。①求めている人々が導かれる。②礼拝・諸集会が祝される。③祈りがいつもある。 牧師:藤原
晴彦
7月26日(水) 聖書:マタイ福音書18章15~20節(中心20節)
教会の祈り:M・Hくんのお誕生日おめでとうございます。 今日の祈り:東京第一教会(世田谷区)。①キリスト信頼に基づく多様な奉仕を喜ぶ。②教会内外での交わりの回復。③幼稚園関係者への伝道の機会の増加。 牧師:高見
龍介、岡村 直子
7月27日(木) 聖書:ヤコブ書1章12~15節
今日の祈り:神奈川バプテスト連合(18教会3伝道所)。①神奈川連合の2023年度標語「それぞれの一手を応援する連合へ」。諸教会の一手の祝福のために。
牧師:犬塚 契(ふじみキリスト教会牧師)
7月28日(金) 聖書:ヨハネ福音書16章26~33節 <聖書教育・毎日のみことば>… 弟子たちは「あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます」と答えています。しかしイエスは「あなたがたは世では苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」と。その主が共に苦難を負い歩んでくださいます。
今日の祈り:連盟「靖国神社特別委員会」。①あらゆる支配、抑圧、差別、紛争がなくなりますように。諸教会がこうした働きに用いられますように。牧師:松藤
一作(川崎教会牧師)
7月29日(土) 聖書:ルカ福音書15章11~32節
教会の祈り:30日に行われる日立教会井伊肇主事の按手式を覚えて。 今日の祈り: ■連盟「国外伝道臨時委員会」①国外伝道と国際協力の計画実行。②海外働き人派遣業務とサポート。③25年度以降の国際宣教につなぐ働き。 委員長:坂元
幸子(連盟宣教室長) ■連盟「これからの国外伝道検討委員会」… ①国外伝道を感謝。働き人のために。②女性連合との協働を感謝して。③これからの展望が導かれるように。 委員長:播磨
聡(広島教会牧師)
7月30日(日) 聖書:創世記3章1~24節 <聖書の箇所から>… ▲「賢い蛇」、「賢しこさ」は意味が複数。ここでは「抜け目がない」のような姿。いくら上手に喋れても「賢さ」を何に対し、どのように用いるのかを考えます。▲人間は二千年前と比べて「賢く」なったのでしょうか?あなたは幼い頃と較べて「賢く」なったのでしょうか? ▲女は正直です。素直に神の言葉を聞いていました。しかし「本当に?」と確認された時に、様々な疑念が湧くのです。「そういえば、、、」と。神と人、人と人の信頼もまた「本当?」と言われたらどう答えましょうか。▲蛇は「食べなさい」とは言ってません。「こんなに素敵だよ」とそそのかすのです。ついに女は食べるし、好意か悪意かわかりませんし、男は賢くないので、ついに食べてしまいます。▲その結果、彼らは逃げなければなりません。本来素晴らしい場所だったのに「逃げる」ことを選択せざるを得ない人間の悲劇です。それは、今を生きている私共、自分を隠さずには生きることができない我らのようです。▲隠れた者を主は探します。見つかった後の「言い訳」は興味深く、「責任転嫁」とはよく言ったものです。「悪いことは人のせい」にするのが一番楽だし、自分が納得できるのですが、それは通用しません。▲彼らを主なる神は裁き、滅ぼすことも、無関係にすることもできます。でも、神の答えはそうではありませんでした。エデンから追い出されますが、彼らを生かし、自分では用意できない「皮の衣」を着せます。それは世で彼らを「守るため」。すなわち「この世における主の救いと伴いを意味する衣」を着せるのです。(献)
今日の祈り:全国壮年会連合。①すべての壮年活動が豊かにされて。②東京で行われる全国壮年大会が主の導きと祝福にあずかれるように。会長:山田 誠一(大井教会員)
2023年7月16日~22日
7月17日(月) 聖書:申命記28章1~14節 教会の祈り:教会の子どもたちの成長。今日の祈り:横浜大和町教会(横浜市中区)。①求道中の方々に信仰が与えられますように。②教会員の方々の健康が守られますように。 牧師:鉄井
三千夫
7月18日(火) 聖書:ヨハネ福音書2章1~11節 教会の祈り:猛暑の中での高齢者の方々の守り。 今日の祈り:横浜大和町教会日野神明伝道所。①2年後の40周年には教会組織を。②信徒の霊的成長、信仰継承。③地域の人々とつながる伝道活動の祝福。 協力牧師:鉄井
三千夫
7月19日(水) 聖書:マタイ福音書4章1~11節 今日の祈り:青葉教会(横浜市青葉区)。①各小グループの交わりの祝福。②教会の信仰告白を学び確認する。③次世代を育て、共に宣教を担う。
牧師:三宅 真嗣、副牧師:三宅 友子
7月20日(木) 聖書:コヘレト4章9~12節 教会の祈り:C・Mさんのお誕生日おめでとうございます。 今日の祈り:横浜JOY教会(横浜市旭区)。①新年度の教会の福音宣教の働きのために。②今後の歩みを祈り考える1年となうように。③新しい歩みをスタートした方々のために。 牧師:坂西
恵悟、派遣牧師:石田 政美
7月21日(金) 聖書:使徒言行録10章17~33節 教会の祈り:K・Aさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:横浜ニューライフ教会(横浜市都筑区)。①副牧師就任を感謝。②三十周年記念誌を用いた伝道。③神学生の祝福。④イスラエルと祝福しあう国々に。
牧師:田坂 元彦、副牧師:結城 勝吾
7月22日(土) 聖書:ローマ書12章1~8節 教会の祈り:明日の礼拝の全ての準備のため。 今日の祈り:百合丘教会(川崎市麻生区)。①教会諸活動の本格的再開のために。②認定こども園移行初年度のために。③教会幼稚園の方々の健康のために。 牧師:川井
信雄、協力牧師:宇野 雄司、牧会主事:宇野 澄江、音楽主事:宮原 淑子
7月23日(日) 聖書:創世記2章18~25節 <聖書の箇所から>… ▲この箇所は7月9日宣教で扱った箇所(2章4b~25節)になりますし、先週の「聖書日課」でも扱っておりますので、それぞれを参考にしてください。▲神の備えた地、「エデン」での人間の働きが15節から記されておりますが、その前に10節からは四つの大河のことと、金や琥珀、ラピス・ラズリという宝石も神が用意したものと語られています。▲金や宝石は人間を魅了し、時にはそれらを巡って命を懸ける戦いになることもあります。川も宝も神の恵みの産物ですが、人間は正しく用いる知恵が必要です。▲より素晴らしいのは「命の息を吹き入れられた人間」であり、「命」のひとつひとつこそ、それぞれ豊かな価値があり、金や宝石が人間の命以上のものとされてはならないのです。▲さて、人間の働きは15節の「耕し、守る」。農業と動物関連の働きであり、それは人間の命を支え、被造物全体の安寧と繁栄を守るものです。▲そのために「許可」されていることがります。すべての木から取って食べなさい(16節)。すべてが許されていますが、「禁止」もあることを人は知らなければなりません(17節)。▲主なる神は未完成な世界に「女」をつくり、一旦完成します。先週も記しましたように「助ける者」は、相手より能力があり、また「向き合う者」「全存在的な生の同伴者」としての意味があります。▲彼らは「裸であったが、恥ずかしがりはしなかった」。「裸」は弱い姿、また、「違い」を隠さずに生きることです。強がることもなく、違いを恥ずかしいものとしてではなく、共に喜び生きる糧としていくのです。▲「人と妻」は「異なる人間は互いに」と言い換えて良いと思います(献)
教会の祈り:全国で牧師や教会の働き人が起こされていくように。 今日の祈り:川崎教会(川崎市中原区)。①みんなで共に担い合い新しい川崎教会を創り上げてゆくために。②新しい協力伝道の働きのために。 牧師:松藤
一作
「人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。」(創世記2章25節)
2023年7月10日~16日
7月10日(月) 聖書:申命記5章1~15節(中心15節) 今日の祈り:逗子第一教会(神奈川県逗子市)。①年間標語「キリストにおいて一つとなろう」。②横浜戸塚教会との協力伝道の推進。③地域に仕える教会へ。 牧師:杉野
省治
7月11日(火) 聖書:Ⅰペトロの手紙4章7~11節(中心10節) 今日の祈り:湘南台教会(神奈川県藤沢市)。①信仰と希望と愛に生きる。②無牧師の歩みが支えられるように。③早期に牧師が与えられるように。 執事代表:中島
万揮
7月12日(水) 聖書:ヨハネ福音書1章1~18節 今日の祈り:藤沢教会(神奈川県藤沢市)。①牧師と信徒との協働と教会形成。②コロナ後の新たな伝道と福音宣教。③地域に仕える教会として歩む。 牧師:伊藤
真嗣
7月13日(木) 聖書:ヨハネ福音書20章24~29節 今日の祈り:横須賀長沢教会(神奈川県横須賀市)。①家族伝道を覚えて。②求道中の方がバプテスマの決心に導かれるように。③会堂の補修・補強のために。 牧師:大須賀
真人、大須賀 綾子
7月14日(金) 聖書:申命記8章1~10節(中心2~3節) 教会の祈り:S・Nさん(誕生日おめでとうございます)。 今日の祈り: 港南めぐみ教会(横浜市港南区)。①地域に開かれた教会づくり。②新来者が来るように。③高齢者が生き生きと教会生活を。牧師:古家
良子、古家 克務
7月15日(土) 聖書:Ⅰコリント書8章42~58節(中心42~49節) 今日の祈り:洋光台教会(横浜市磯子区)。①「隣人と共に歩む」教会として。②教会の霊的な一致のために。③教会学校のさらなる充実のために。 主任牧師:萩原
永子
7月16日(日) 聖書:創世記2章4節後半~17節 <聖書の箇所から>… ▲神が人間を創造された話は二つの伝承が記されています。今日の箇所からは「主なる神は」という主語による伝承。▲先週も記したように、二つの伝承は一方を否定するものではなく、二つの伝承を通してより深く被造物の意味を理解するためです。ここでは特に「人」が創造された意味について詳しく語っています。▲主なる神は「土の塵で、人を形作った」とあります。「塵」はそれ自体は価値がないものを示します。どんな王族であろうと、そうでなかろうとも、同じ材料でできているのです。「塵」でつくられ、再び「塵」に戻るのが人間です。▲しかし、命の意味は「この鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」。「神の息」は「神の霊」です。「聖霊」は「神の風」「神の息」というのが原意です。神さまの命の息が注がれて、人は生きることができるのです。▲神の命の息を注がれて生きることは神との通じる共通項を持つことであり、ゆえに、命の息を吹き入れられた者は、その息を失わないように、常に、神の息を求め、内に入れていくことが大事です。▲それは礼拝であり、御言葉であり、祈りによって吹き入れられることです。▲さらに、主なる神は「人が独りでいるのは良くない」と考えます。神は人には他者が必要であることをご存知です。「彼に合う助ける者」とは、女性が男性の手伝いや助手としてではなく、「全存在的な生の同伴者」とされます。▲女性が生まれて、いや、それを「女性」と言わなくても、他者の存在があることによって主なる神の「創造」ははじめて完成するのです。(献)
教会の祈り:来週の「神学生を招いての礼拝」に新来者・求道者など多くの方々が参加できるように。 今日の祈り:横浜戸塚教会(横浜市戸塚区)。①礼拝堂リフォームプロジェクトのために。②内田泰亮協力牧師の按手礼の準備のために。③逗子第一教会とのパートナーシップ協力伝道のために。 牧師:堀野
浩嗣、協力牧師:内田 泰亮
「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(創世記2章7節)
2023年7月3日~9日
7月 3日(月) 聖書:ヨハネ黙示録21章1~4節
今日の祈り:松本蟻ケ崎教会(長野県松本市)。①教会の未来を担う牧師が与えられ感謝。②対面による祈祷会と家庭集会を再開できますように。③教会学校こひつじクラスの祝福。 牧師:齊藤
弘司
7月 4日(火) 聖書:創世記1章11~13節 今日の祈り:大秦野教会(神奈川県秦野市)。①教会員の生活と健康の護り。②親子ひろばにつながる方々への宣教。③会堂の維持と補修のために。 牧師:日髙
龍子、日髙 嘉彦
7月 5日(水) 聖書:創世記1章14~31節(中心:31節) 今日の祈り:ふじみ教会(神奈川県平塚市)。①教会が福音を生き、地域に知られ、礼拝者が加わり、喜びが湧きあがり、共に生きられますように。
牧師:犬塚 契(けい)、協力牧師:犬塚 修、草島 豊
7月 6日(木) 聖書:創世記45章1~15節 今日の祈り:綾瀬小園(あやせこぞの)教会(神奈川県綾瀬市)。①新来者・求道者が与えられるように。②一人ひとりの霊肉が守られますように。③教会の経済的必要が満たされるように。 牧師:岩瀬
礼(いわせ あや)
7月 7日(金) 聖書:詩編8編
教会の祈り:M・Mさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り: 相模中央教会(神奈川県大和市)。①23年度標語「心熱く主を証しする」。戦争や迫害絶えないこの時代において、命の課題、叫び、うめきに心の耳を傾けながら、主の福音(愛と希望)を証しするキリストの教会として立っていけるように。 牧師:吉田
真司、協力牧師:斎藤 剛毅、音楽・子どもユース担当主事:江原 美歌子
7月 8日(土) 聖書:ローマ書8章18~30節 今日の祈り:相模中央教会 座間伝道所(神奈川県座間市)。①礼拝出席者が増し加えられますように。②教会財政が守られますように。③入院中の会員が癒されるように。 牧師:内藤
玲緒奈(れおな)
7月 9日(日) 聖書:創世記1章26~2章4節前半 <聖書の箇所から>… ▲神が人間を創造された話は二つの伝承が記されています。今日の箇所は「神は」という主語による伝承、2章4節後半からは「主なる神は」という主語による伝承。▲どちらが正しいという議論ではなく、福音書と同じように複数の角度から神の思いを語っています。▲神が「我々」と言うのは複数ではなく、偉大さと尊厳を示す用語です。▲「かたどった」というのは外面的な形ではなく、心つながることができる存在と言う意味です。▲「かたち」はその特性を示すものであり、「似たもの」とは親子のように近い関係性です。▲「支配」はいつも言うように「被造物全体を支え、配慮する牧者としての生き方」です。世の「王」や「政治家」も本来それが仕事です。▲そしてすべてを神は祝福する、つまり、喜びが溢れ、期待が満ちています。▲祝福された存在である人間は、すべての被造物への祝福を実現し、そうあり続けることを託されているのです。▲神の命への祝福を人間はどのように受け取るべきであり、受けとるべきなのでしょうか。(献)
教会の祈り:来週の「ジョイフルサンデー」に新来者・求道者など多くの方々が参加できるように。 今日の祈り:平塚教会(神奈川県平塚市)。①地域との協働が起こされるように。②こひつじ食堂が福音宣教となるように。③子どもを大切にする教会となるように。
牧師:平野 健治
5/7 ローマ書5章1-11節 「苦難の只中で神と出会う」
「苦難を誇りとする」、パウロは他の箇所で「弱さを誇る」という言葉もあります。通常一般的に「誇り得ないこと、喜びでなく避けたいこと」を神の恵みとして語るのです。それは「逆説」。この「逆説」こそ福音の凄さと独一性。「神」は「人より強く、悪を裁く存在」と考えるのは一般的に考えられる神。しかし、キリストは人間に殺される神。十字架上で苦しみ叫ぶ方であるがゆえ、ご自身の苦しみ痛みをもって、人間の苦しみや弱さ、痛み、悲しみに連帯し、共に在る方です。「苦難が誇り」、パウロが伝道の働きの故に様々な苦しみや辛さを体験しますが、その苦難の只中で共に苦しむ方の存在に力と慰めを得たからです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 奈良キリスト教会。奈良県奈良市学園南3-14-12にあります。この教会では多分、前牧師の松原宏樹牧師が就任してから、小さい存在に目を注ぎ「附属幼稚園 リトルファンファン」を開園し、「みささぎ伝道所」がうまれ、その後、松原先生は親が育てることができない子ども、特に重い障害をもってうまれた子どもを里子として受入れ、その働きがNHKテレビで紹介されるととても注目され、その働きや各地での講演活動やもろもろで牧師職は辞められましたが、その心は牧師(といっても、私のようなつまらぬ牧師ではない)そのものでありますし、実に尊敬しております。奈良教会には近く、新しい牧師がおいでになるかもしれません。幼稚園をつくる時には、私も丁度、神戸バプテスト教会を母体とする「光の丘幼稚園」の園長も兼職していたので、少しお手伝いできたのが感謝です。障害をもつ子どもを受け入れること、ああ、そのような働きに共感する人が与えられていきますように。祈りの課題は以下です。①新しい主任牧師を迎えられるように。②祈りと学びを深めることができるように。③地域に仕えることができるように。④互いに支え合い、成長し合える教会であるように。伝道師・平山 利香
5/6 マタイ福音書11章25-30節 「疲れや重荷を持つあなたへ」
「疲れ」や「重荷」を負う日々、主があなたを休ませてあげようと語ります。しばし休み、そして再び立ち上がるのです。主はすでに「軛」(くびき・二頭の牛等を横に並ばせる道具)を負っています。その「軛」を共に担う時、その荷は軽くなります。共に担いつつ、その方に学ぶ道に私共は真の「安らぎ」を見出すのです。「柔和」とは相手の力に勝ろうとするのではなく、相手の力や思いを受け止める柔らかな心です。「謙遜」とは自分と同じ目線に立ち、共感し、共に考え、愛をもって接する姿です。どうかあなたは一人で苦しまないで、自分で全て解決しようとしないで、イエスさまと共に担ってください。それこそが「委ねる」ことであり、「信仰」と呼ばれる姿なのです。今日はM・SさんとM・Kさんのお誕生日おめでとうございます。二人のこと、お祈りしてますよ!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 和歌山バプテスト教会。和歌山県和歌山市関戸1-2-31にあります。もしかしたら「和歌山ひかり幼稚園」の方が知られているかもしれませんし、この幼稚園の卒園生もたくさんおいでになるでしょう。もう7-8年になるかなぁ、教会と幼稚園は新しい建物になりました。ぜひ、卒園生の方々、大きくなっていろんな苦労や悲しみや落ち込みがあるとき、ぜひ、心の故郷、この場所にたつ教会を訪ねてみてください。かならず、あなたのお話を聞いてくださり、一緒に考えるし、それでお金などは決して要求しません。それが教会という馬鹿正直な場所です!以前、この教会をお訪ねしたとき「和歌山ラーメン」をご馳走になりました!美味いんです、これが!また食べたいなぁ。神戸三宮にあった「和歌山ラーメン」もとても美味しかったですけど。祈りの課題は以下です。①主につながって歩めますように。②幼児教育の業が祈りの中で祝福されますように。牧師・調 みくに
5/5 Ⅰコリント書13章1-11節 「信仰と希望と愛」
「希望」とはまだ受け取っていないものであり「希望」の実現を目指して今日を生きるのです。あなたの「希望」はどんな事柄でしょう?「信仰」とは自分の努力や頑張りで得るものではなく、自らの弱さや罪、不足を見出す中で、このような自分のために命をかけて愛してくださる十字架上の主イエスを仰ぎ、ただ、主の赦しと愛に生かされている我が身を知ることです。「愛」とは主イエスのことであり、値無き私を、何の誇りも褒められるような行動もない私をもそのままの姿で「わが子、わが家族」と語ってくださることであり、その関係性を私共も学び実行することへと招かれています。13章の「愛」に自分の名前を入れてみた次に「愛」を「イエス」と読み替えてみましょう。世界の子ども達が信仰と希望と愛に育まれていきますようにと祈ります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 豊中バプテスト教会。大阪府豊中市北条町1-28-9にあります。阪急宝塚本線 服部天神駅下車、徒歩12分 です。私も一度行ったことがあります。住宅地にありますので、道路の看板をよく見てください。Facebookがあります。ただ、この教会を問題にするわけでないことをまず断っておいたうえで、この教会の牧師は前年度まで日本バプテスト連盟の理事等を歴任している方ですし、別に牧師の責任ではないのですが、少なくともFacebookを作成しているなら更新しなければいけないし、ホームページを持たないのは、昔で言えば教会の門を閉ざしているようなものです。Facebookは基本、無料ですし、、、。そのようなICTに関わる人が教会にいないのかもしれません、ぜひ、このページを読んだ誰かが、豊中バプテスト教会に行ってくださって、牧師などと相談して、できることを手助けしてくださったらと思います。日曜も午前や午後の礼拝もあるようですし、この教会の牧師のお働きは実にすばらしく、我らとしても感謝することが多いのですから。祈りの課題は以下です。①主の教会として立ち続けることができるように。②地域に根差した活動を展開していけるように。牧師・今給黎 眞弓
5/4 使徒言行録15章1-11節 「福音から外れるエルサレム教会」
異邦人キリスト者の律法順守を巡って対立や論争が起こり、いわゆるエルサレム会議が開催されます。エルサレム教会にはイエスの兄弟ヤコブ等がおりますし、その教会こそ「本家」であり、「正統」であると自負し、権力を持ちますが、内実は主イエスの福音から離れていきました。主イエスを一番知っているはずの彼らが、主イエスが廃棄した律法を再び救いの条件として持ち出すのです。さらに異邦人教会に様々に経済的支援などを要求はじめていきます。異邦人教会での喜びの証しや宣教拡大の報告がなされますが、それを喜べない人々、妬む人々が、退化した教会、腐り始めた教会にはびこるのです。自分達の違った福音理解を不当に他者に求めることは「軛」を負わせることであり、福音と反する事柄。主イエスの「愛と恵み」を喜ぶ世界が主の願う世界です。今日はS・Mさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 宝塚バプテスト教会。兵庫県宝塚市中筋山手2-7-6にあります。ホームページの案内では阪急宝塚線中山観音駅下車徒歩9分。もしくはJR宝塚線中山寺駅下車徒歩約16分。中山台へ向かう坂道をのぼり、中筋山手2丁目バス停前のY字路の分かれ目にある教会の看板を目印に、斜め左へのやや細い道を約50m。駐車場10台分あります。ということです。「中山寺」というものすごい大きな寺社があるのですが、その脇から山に上っていく感じです。さらにホームページには「小川のせせらぎと小鳥のさえずり声が聞こえる、国有林に囲まれた自然豊かな教会です。ほっこりできる環境ですので、お気軽にお立ち寄りください。」とあるように、本当に山の別荘(私は持っていませんが)のような感じです。歌劇で有名な宝塚ですが、土曜は歌劇を観て、翌日日曜は教会へどうぞ。別に日曜礼拝に行って、午後から歌劇でもよいですけど。祈りの課題は以下です。この教会の「祈りの課題」は、関西のボケ・突っ込みが入っているのかしら?と思いましたが、まぁ、家の中でこけて、入院する方々も多いので、身近に災害が起こる危険があるのでそこから守られますように、ということでしょうか。よう知らんわ!①家の中でこけることのないように。②病気やケガが早く癒されますように。③皆が元気で笑顔でいられるように。牧師・南 雅夫
5/3 マルコ福音書5章1-20節 「命の価値を訴える主イエス」
ガリラヤ湖での突風に恐れおののき、そこで自力ではなく、主イエスへの信仰(信頼)を弟子達は学びました。なぜなら、「自力」では必ず限界にぶつかるし、「人との出会い」においても自力で何とかなるものではなく、主なる神さまの力と働きに頼らなければ良き道は生まれないのです。彼らが向かう「向こう岸」は異邦人「ゲラサ人」の地域。そこで出会ったのは墓場で暮らしていた人です。「レギオン」はローマ軍部隊の意であり、戦争で自分自身か家族か恋人を傷つけられ失った人かも。精神が痛み、地域と人々から追い出された人。今も世界のあちらこちらにそのようにされた方々がどれほどいるでしょうか。さて、主はその人を癒し、解放しますが、同時に村人の豚が犠牲になります。豚が可哀そうと感じる人もいましょうが、感染症にかかった豚や鶏が何千何万と今も犠牲になっていることを覚える必要があります。その犠牲は人を守るためです。さて、地域の人々にとっては墓場の一人より豚が大事なゆえに主イエスを追い出すのでう。その姿に住民が持つ人命の価値感が問われます。時に人の価値は低いのです。とんでもない、解放された人こそ、命の恵み、命の価値の大きさを語る人になりました。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 伊丹キリスト教会。兵庫県伊丹市柏木町3-47にあります。阪急塚口駅から北へ徒歩8分で着きます。ホームページにはこう記してあります。阪急塚口駅の北出口をでて、阪急伊丹線の線路沿いを歩くと、右手に教会が見えます。「市兵衛踏切」がありますので踏切を渡ると教会に到着します。そして、電車でも右手によく教会が見えます。この教会の内田牧師は、昔も今もそうですが、腰にタオルをいつもつけていて、福岡県の「久留米弁」でしゃべりますので、ちょっとびっくりする人がいるかもしれません。絶対「久留米弁で自分はしゃべり続けるのだ、それが自分の誰にも変えられないアイデンティティだ」という表現です。まぁ、そこにこだわるのも何かの理由があるのでしょう。しかし、見た目と違って(?)(見た目でしゃべってはいけないのですが)、すごく繊細な面を持ち、共感する心、コーヒーを挽いて丁寧にいれる姿もまた内田牧師であります。祈りの課題は以下です。①高齢者の皆さまの健康と平安。②新たなビジョンに向けて。③「新たな戦前」の超克(ちょうこく・困難をのりこえ、うちかつこと)。牧師・内田 裕二
5/2 使徒言行録13章33-42節 「救いの意味を間違えた人々」
アンティオキアは地名として聖書に複数出るのはローマ帝王の名前に由来するため。今日の箇所はピシディア州でユダヤ人植民者が多かった地域です。ここのユダヤ人会堂で励ましの言葉を求められ、語られたパウロの宣教が十六節から記録されています。「律法ではなく、イエス・キリストによって義とされる」、その言葉を聞いた人々は同じことを来週も聞きたいと願った熱心さを嬉しく思います。「改宗者」は異邦人ユダヤ人達のこと。翌週、ユダヤ人達から反対が生じたのはパウロらの「人気を妬む」だけではなく、何より「神の義」の理解が違ったから。「律法」に依らない救いは、ユダヤの伝統を持たない異邦人にとって人種や歴史を超える喜びの到来と感じ取ったのです。今日はM・Yさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 神戸新生バプテスト教会。神戸市東灘区鴨子ヶ原2-12-19 確か、阪急電車を降りて、バスに乗って、初めての方は少しびっくりするようなぐるぐるした路を山の上の方に上っていきます。そして、上がった場所はとても見晴らしの良い場所で、フォトスポットとしても絶好です。さらに、ここはかつて「神戸フレンドシップハウス」があった場所、そこに、建築を志す方は必ず一度は見たほうがよいというガラスの教会堂があります。これは「神戸新生バプテスト教会」です。ホームページ等を見たら連絡できます(平日はあまり連絡がつかないかもしれないので)。祈りの課題は以下です。①主日礼拝を心ひとつに守れますように。②ハンドベルクワイアの活動のために。③フレンドシップクラスの充実を。責任者・舟橋 恵子
5/1 創世記1章1-27節 「呼びかけ、応答する関係」
創世記の最初は神が創られた世界と人間についてのメッセージを伝えます。この箇所から「進化論」を否定する人がいますが、進化論は仮説であり、それが正しいとしても「進化」も含め神の働きと考えます。何より、聖書は科学ではなく、神と人間の関係を伝えています。今日の箇所のメッセージの一つは「神は言われた」という言葉に対し応答して世界が出現し、整えられ、「良し」とされたこと。また人間は他の被造物と異なり、「神にかたどって創造された」。「かたどる」とは表面的な形ではなく、心の有様であり、神と通じ合う心を持った存在として創造されたこと、加えて神の言葉に応答する存在なのです。神への「応答」が「信仰」、「礼拝」、「生き様」なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 尼バプテスト教会。兵庫県尼崎市宮内町3-134にあります。阪神線出屋敷駅西出口から徒歩約3分という大変駅近なのでぜひ多くの方々にお気軽にこの教会に行っていただきたいと願っております。すでに昔、クリスチャンだった方等、ぜひ教会を思い出してこの教会を支えてください!祈りの課題は以下です。①潜在的クリスチャンとの出会い。②彼らと仲良くなれる我々になる。③良き挑戦、祈り直してまた挑戦。牧師・長尾
知明
4/30 ローマ書3章21-31節 「恵み、恵み、ただ恵み」
今日の箇所はそれまでの宗教といわれるもの、今、宗教と呼ばれるものとは遥かに一線を画すキリスト教の独一性が語られます。「救い」を経済と同じように、神と呼ばれる存在に沢山献金したり、厳しい修行を積んだ先にその褒美として「救い」が与えられるというのが実に一般的で分かりやすいのです。ゆえに、高額な商品が素晴らしい如く、高額な献金をすれば誰よりも素晴らしい救いが与えられるのではと考えるのです。でも、救いをお金や修行で頂くのであれば、金持ちや修行の出来る人しか救われません。主イエスの救いの信実をパウロは、そして我らは語ります。救いは行いやお金ではなく、唯、主イエスの一方的、無償の恵みであると。本日は所沢キリスト教会が今の会堂が建てられて17年の記念礼拝です。教会はもちろん、建物ではなく、信徒の集まりですが、会堂を持つことは実際の活動を続けるうえでとても有り難いことです。多くの方々の祈りによって建てられたこの会堂を大事に、そして、誰でも使いやすい、集いやすい場所としていくことを新たに覚えたいと思います。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟国際協力団体を覚えて。①世界バプテスト連盟(BWA)②アジア太平洋バプテスト連合(APBF)③(米国)コーポラティブ・バプテスト・フェローシップ(CBF)。
4/29 Ⅱコリント書5章14-21節 「新しく創造された者として」
キリストとの結びは「つながる」「とどまる」とも表現される命の連関であり、日々新たに創造される命を頂くこと。命の目標のひとつは「和解のための奉仕」。神と人が和解へと導くのはただ主イエスの赦しです。その和解を恵みとして受けた者は、人と人との和解を生む働きを「任務」として行うように主からこの世界に派遣する「使者」とされたのです。パウロはそのようなキリストの愛に駆り立てられ、神の義(赦し・恵み・愛)に生きるように語るし、私も同じ気持ちで祈ります。今日はY・Sさんのお誕生日おめでとうございます。現在、神奈川県の老人施設で生活されています。先日はお電話をいただき、お元気そうで感謝です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟国外伝道働き人を覚えて。▲野口日宇満・佳奈宣教師(インドネシア)インドネシアの諸教会の福音宣教の前進と神学校の働きのために。家族の健康。子どもたちの学びのために。▲佐々木和之 国際ミッションボランティア(ルワンダ)。ルワンダの隣国、コンゴ民主共和国の東部で続いている紛争が終息し、五十万人以上の避難民が故郷に帰還できるように。
4/28 ガラテヤ書2章11-21節 「キリストがわたしの内に」
「ケファ」とは主イエスの弟子「ペトロ」のこと。ペトロは律法を廃棄(=成就)したキリストを知りながら、ヤコブ等を恐れ異邦人に律法を守るように指導するなど相変わらずな一面もあります。そこでパウロが語るのはキリストの「まこと(信実)」は主による徹底的な「赦し」「恵み」「愛」の事実、真実、現実。キリストが私の内に、愛と祈りに貧しいこの私の内に生きておられる神の奇跡です。ある者は問います。神が赦してくださるなら、何をしても赦されるなら多いに好き勝手にしようと。否、自らの罪を知り、主の赦しを真実に受け取った者は自分と他者の「命」の尊厳と価値を知り、神の恵みを互いに喜ぶ道へと導かれるのです。今日はO・Kさんのお誕生日おめでとうございます。現在はリモートで礼拝に参加されておられます。また共に礼拝できることを祈り、楽しみにしております。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟理事会。祈りの課題は以下です。選挙を通して選ばれた12名の理事が日本バプテスト連盟の運営に携わっておられます。内女性理事は5名おられます。①新しい機構、新しい理事会が歩み出します。諸教会の声を受け、諸教会の祈りにつながる理事会の歩みのために。理事長・吉田真司(相模中央教会牧師)、常務理事・中田義直(当教会協力牧師)
4/27 イザヤ書59章 「神と我らを隔てるもの」
自分の願いが叶わない時、世界の辛く酷い現実を見て「主の手が短い、耳が鈍い」と神を批判したり、回りが悪い、誰が悪いと責任を押し付けるのは簡単。根本的なところに目を向ける必要があります。今も昔も世界は平和を求めても闇しか見えず、手探りしても見つかりません。それはみ心に背き続けた我らの罪の結果なのです。争いの原因は自分達の経済拡大や領土拡大です。宗教戦争と言われることがありますが、世界の多くの地域では同じ部族は同じ宗教で、部族が差別されて争いが始まり、その戦いに宗教が精神的支柱となるので宗教戦争のように見えます。争いの世界を変えるのは平和へと取り成す存在。主の恵みの御業に心開く者、罪を悔いる者へ主は来られます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 東北バプテスト連合。昨日は北海道地方連合でしたが、この連合は東北にある日本バプテスト連盟に加盟する15教会で構成されています。特に東日本大震災を経験した地域であり、「東日本大震災現地支援委員会」の活動が委ねられていますし、日本バプテスト連盟の諸教会では引き続き支援募金を行なっております。日本では現在、原子力発電所の60年を超えての運用や再稼働のことが話し合われていますが、もう一度、原発のメルトダウンがあれば日本は致命的な影響を受けることになります。今だ、福島原発の課題をクリアできていないのに、どうしてそのようなことを考えるのでしょうか。日本の政治の愚かさが今も続いております。祈りの課題は以下です。①新たな諸教会との交わりのために。②具体的な相互支援の発動のために。③継続的な被災地支援のために。会長・小田 衛(大富教会牧師)
4/26 詩編14編 「神などいないと嘆く世界に」
人が「神などいない」と考える理由は人々が腐敗し、自己利益のため他者を食い物にし、善を行う人がいないからこの世界に神などいないと言います。神がいたら、そのような悪い人間は神が裁き、除くはずだと思うのです。ところが、面白いことに、主なる神がこの世界を見て「神(の御心)を求める人がいない、善を行う人がいない」と語るのです。神の側では、神が律法や預言を通して神の思いを伝え、愛を示すのに、誰もそれに対して相応しく歩まないと嘆くのです。神がいないと思う者も神ご自身もこの世界を何とかしたいのです。その深い人間の溝を埋め、世界を良きものとするために、主イエスはこの世界に遣わされました。主イエス・キリストを通して世界に愛が起こされ、喜び満ちるために。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 北海道バプテスト連合。日本バプテスト連盟に加盟する教会並びにその伝道所で構成される地域連合です。北海道という広いエリアに15教会があります。なかなか集まるのは大変ですが、その大変さを超えて共に集うことは大きな励ましや力をいただきます。もちろん、コロナでしばらくは集まることができなかったのですが、再び共に集まっての集会や研修会が行なわれているようです。祈りの課題は以下です。①一つひとつの教会が守られ祝福されるように。②教会間の交流と協力が積極的になされるように。 会長・福田 雅祥(函館美原教会牧師)
4/25 Ⅰコリント書8章1-13節 「知識は、互いに愛し、共に生きるため」
「偶像に供えられた肉」は数多くあった神殿に捧げられた肉を神殿が再販して市中に出回っていたもの。キリスト者がその肉を食べても問題はありませんが、食べたことにより「偶像崇拝に加担した」と感じる人もいました。その人々を「弱い人」と表現してます。キリスト者は様々な律法や言い伝えから解放され、自由を得ております。パウロはその自由の土台である主により与えられた考え方や知識も必要でしょうが、加えて共に生きるために、愛ある思慮と配慮、態度を求めよと語ります。それが主の心です。誤解を招かないように注意深くあるべきでしょう。私が師事した新約聖書学者の青野太潮氏は二節を大事にしていました。知識で傲慢になる危険を誰でも持つから。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 浜甲子園教会。兵庫県西宮市浜甲子園3-5-23にあります。有名な「甲子園球場」の割と近くにあります。より近くには大きな団地や「灘の日本酒」の工場等もあります。私が神戸にいた時代に行きたかったけど、結局行けなかった場所がいくつもありますが、「灘の酒蔵」を巡ることもできなかった一つです。甲子園球場も一度、生で高校野球を観戦したいと思いながら行けなかったところです。さて、話を戻して、この教会は現在「信徒代表」をしている森山牧師の時代、「信徒の教会」を目指し、専任の牧師を置かないで信徒が交代で説教をしたり、教会活動を行う教会を目指すようになりました。これは英国での初期バプテスト教会のあり方を参考としております。関心のある方はぜひこの教会をお訪ねください。住宅地の中にあり、場所は分かりずらいのですが、最近はスマホが道案内してくれるので大丈夫でしょう。駐車場もあります。祈りの課題は以下です。①ロシア・ウクライナ戦争の早期終結。②浜甲子園教会の存立意義と形態の獲得。③全員参加の教会形成。会員代表・森山 一弘
4/24 ヨハネ福音書8章1-11節 「あなたはどこに立つのか」
この箇所ほど人間の醜さと美しさが描かれた場所はないと思います。当時、不倫は「石打の刑(リンチ)」にされますが、現場を押さえない限り、難しいものです。女だけが捕らえられたのは男が逃げたか、女へに対する策略があったと想定されます。「醜さ、罪深さ」は自分達こそ女性を裁く権利があると思い、石を投げようと息巻く人間の姿。「美しさ」はイエスが語った「罪のない者が石を投げよ」との言葉を自分の心を映す鏡とし、自らの罪を知り、年長者から順に立ち去った姿。そして主も女に赦しを与え、新たな人生を歩むことへ招くのです。主は「赦すこと」しか人間に許していません。ある人が「赦し」だけではだめだ、「裁き」を語らなくてはと主張しました。多分その人は「自分は人を裁いてよい人間」と神のごとく思っているのでしょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 神戸国際バプテスト教会。神戸に仕事の関係等で居住する外国の方を主な対象としてたてられた教会ですが、昨今は英語を母語とする方々で神戸在住の方々が減り、現在は活動休止中です。連絡先が必要な方は当教会までご連絡ください。
4/23 ローマ書3章9-20節 「正しい人は一人もいない」
パウロ自身もユダヤ人ですが、ユダヤ人が「神の民(選民)」とされ、異邦人に対して差別的な言動をとることを批判します。ユダヤ人のみではなく日本人含めどの民族も、自分達が世界で一番素晴らしいと思っていることが多いのです。時々、テレビ番組でも「日本人は世界に類を見ない優秀」等と言えば、テレビの人気が上がります。ロシアは酷い国ですが、日本も戦争時は醜いことを重ねました。その事実を知らない発言は外国で非難されます。パウロは旧約聖書を引用しつつ、ユダヤ人主義にならず、すべての民が罪の下にあることを指摘します。そして律法を実行することが救いでなく誰にもそれは不可能と語ります。救いはただ主イエスの恵みに依るのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 神戸バプテスト教会。神戸市中央区山本通1-7-27にあります。神戸の中心で各路線が集まる「三宮」から「北野坂」を山側に上っていき、「異人館」等が多い地域に立つ教会です。学校法人「光の丘幼稚園」の設立母体であり、敷地に幼稚園舎や園庭があります(法人に貸借)。建物は南部バプテストの教会風のコロニアルスタイルです。いろいろな写真や絵画でも描かれる美しい教会堂です。現在、専任牧師がいませんが、多分、今年の夏~秋に新しい牧師をお迎えになるはずです。それまでは信徒の方々や関西学院大学神学部の方々、月に一度は徳島教会協力牧師の杉山修一牧師が礼拝宣教を担っておられます。教会のホームページには以下のように案内されています。◎当教会は「違いの中にキリストを告白する群れ」聖書:「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカ17章21節)という言葉を大切にしています。それは、「クリスチャン」らしく一色に染められていく教会ではなく、一人一人に与えられた個性や考え、歴史を大切にすることであり、お互いの違いを認め合うことです。異なる者たちの出会い(関係性)の中で、聖書を真ん中において互いに聴き、語り合うこと。その交わりの中にイエス・キリストがおられることを大切にしています。◎とのことです。祈りの課題は以下です。①希望の主と共に歩むことができるように。②無牧師期間も福音の働きが守られますように。③新会堂建築計画のために。代表役員代務者・長瀬 睦臣
4/22 ルカ福音書18章9-17節 「主にすがる我に望みあり」
回りと比較して自分の行動の義しさを誇り、義しさを証明するため他者を裁く心が満ちた祈りは自己完結で終わります。人と較べるのは実に簡単単純です。自分が良い気持ちになろうと思えば、駄目そうな人と比較すればよいし(だからといって本当に自分より駄目かはわからない)、自分の不満を言いたければ、自分より立派な人と比較して悲嘆すればよいのです。いずれにしても良くない思考です。私も周辺の立派な牧師さんに較べたら大したことのない牧師だと思いますが、その思いをどう用いるかが大切。徴税人は自らの罪深さに気づき、主に憐みを乞う者でした。子供が祝されるのは、子供が「罪なき存在」ではなく、「誰かに頼らなければ生きられない存在」のゆえです。今日はH・Sさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 神戸西バプテスト教会。神戸市垂水区向陽3-2-3にあります。アクセスはホームページによれば「神戸市営地下鉄名谷駅から山陽バス12系統「垂水東口」行きに乗車し、「堀割」バス停下車、徒歩6分」、JR・山陽垂水東口から山陽バス11系統「学園都市駅前」行き、または12系統「名谷駅」行きに乗車し、「向陽2丁目」バス停下車、徒歩2分」、車では「第二神明」神戸・明石方面から名谷ICを出て5分ということです。この教会の松本牧師は、私も神戸教会時代、親しくさせていただきました。ホームページではこのように紹介されています。「欠けの多い牧師ですが、神さまと教会の内外の人に支えられながら、ここまで来ることができました。助け合える教会、孤独を癒してくれる教会です。ぜひいらしてください。」とのこと。松本牧師は1966年東京で生まれる。米国ニューオリンズバプテスト神学大学院を卒業後、神戸国際バプテスト教会を経て、2001年に神戸西バプテスト教会の牧師として着任、現在に至る、とのこと。素晴らしい牧師さんなのでぜひこの教会に行ってみてください。祈りの課題は以下です。①教会組織40周年の感謝とこれからの展開。②会堂改修のための祈りの結実と計画立案。③伝道活動の充実。牧師・松本 理
4/21 マタイ福音書6章25-34節 「命の寄り処」
いわゆる主イエスの「山上の説教(垂訓)」の中の言葉。「鳥は蒔かず、刈り入れもせず…」は農作業をしない鳥にも神の配慮と保護があり、「野の草は働きもせず、紡ぎもしない…」のは当時の女性の労働を反映しています。草や鳥よりなお愛される存在とされる我らを主が招きます。「何を食べよう」とか「何を着よう」とは冷蔵庫の食物やクローゼットの服を見て、「肉にしようか、魚にしようか」とか「今日はおしゃれな服」とか沢山ある中での「選択」を主は語っておりません。当時の人々が、今日の食べ物を得るのに苦労し、わずかな服で暑さも寒さにも耐えなければいけない状況で語られたことと理解しなければなりません。神様があなたを必ず支え守ってくださいます。その信仰の土台は神と共に歩み、神の願いを求めることです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 神戸伊川キリスト教会。兵庫県神戸市西区南別府1-1232-1にあります。近くにはカラオケ店やパチンコ店がありますが、ぜひ教会で讃美歌を歌い、教会でのいろいろな人との交流することが何よりだと思います。鮫島牧師は「鮫」のような怖い方ではなく、とても優しく心遣いのできる方です。この方の聖書からのお話をぜひお聴きください。祈りの課題は以下です。①世界が主の平和に導かれるように。②新来者、求道者が与えられるように。③オンライン礼拝が祝されるように。牧師・鮫島 泰子
4/20 詩編36編 「義なる神の前に自分を開くこと」
「義」という漢字は「羊」(=イエス)の下に「我」なので、まさに字が意味を表現しているようです。この詩編では「神への畏れがない人」「神に逆らう者」つまり「神の義」に生きていない人々と神の義に生きる人を対比しつつ語ります。「慈しみ」「真実」「恵みの御業(口語訳:義)」「裁き(有罪・無罪を決する)」「人も獣をも救われる」と表現されます。9節「家に滴る恵み」は「パン」等糧のこと。そして、「命の泉」「光」、それらは主イエスの恵みと私は理解します。ここで、間違えてはならないのは、自分は神の義に生きていると感謝することは良いのですが、自分の義を誇ることではなく、自分もまた主の義から離れてしまう可能性がある不完全さを知り、心を変えることであり、それを続ける日々が信仰者の日々なのです。クリスチャンなら「こうしろ」「ああしろ」とは誰も言いませんし、言うことがおかしいですね。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 明石バプテスト・キリスト教会。兵庫県明石市東朝霧丘24-29にあります。場所は山を少し上った住宅地の中にあります。わかりづらいですが、駐車場も整備されています。かつては「幼稚園」もあり、地域に根付いた教会でした。神戸淡路大震災の後、今の新しい会堂ができています。この教会の椿本牧師はながらく島根県にある「愛真高校」の教師をされていた方です。明石においでになる機会があればぜひこの教会を探して行ってみてください。祈りの課題は以下です。①新来者が与えられますように。②教会が地域に開かれ、用いられるように。③神の国が成りますように。牧師・椿本 博久
4/19 マルコ福音書3章」1-6節 「答を知っているにも関わらず」
「会堂」(シナゴーグ)はユダヤの町々村々にある礼拝や学習場所。礼拝では色々な人が聖書(旧約聖書)から話をしていました。その日の会堂では、「片手の萎えた人間」とイエスに会衆が目を注いでいます。もしイエスが病を癒せば治療行為をしたと訴え、癒さないなら愛がないと語るために。イエスは病の人を集いの中心に招きます。それまでは病気の故に「罪人」のように言われ、仕事ができないからと社会の片隅に追いやられていた人でしたから。主イエスは「安息日に許されているのは、善か悪か、命を救うことか、殺すことか」と問います(安息日は仕事することが禁じられ、病を癒すことも医療行為という仕事と考えられた)。誰もが答えを知っているのに、主を訴えることで心が満ちていて答えることを拒絶します。人々の頑固を嘆き、命がすべてに優先すると語るイエスさま、しかし人を救ったことでイエス殺害が計画されていくのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 姫路城西キリスト教会。兵庫県姫路市山野井町88にあります。姫路駅をおりたら、山側に美しい姫路城があります。「城」ブームもあり、多くの人が訪れ、姫路城界隈はいろいろな立ち寄り施設や飲食店、土産店が立ち並んでいます。お城の裏手の方にこの教会はあります。すぐ近くには確か「姫路文学館」のような建物がありました。小さなグループで礼拝されていますが、ぜひ多くの方々に来ていただきたいものです。何も知らなくても心配ありません。お気軽に行ってくださり、疑問があれば何でも聞けば教えてくれますし、一度行ったからといってもしつこい勧誘もありません。もし、あれば私まで連絡してください。祈りの課題は以下です。①聖霊の働きに、み言葉に生きる教会。②新来者、働き人が与えられますように。③信仰の継承、家族伝道のために。牧師・辻 眞理子
4/18 マルコ福音書2章13-17節 「『罪人』と誰が規定できるのか」
支配国ローマへの税金を集める徴税人や遊女、時に羊飼いを「罪人」と名付ける人々がいます。徴税人レビはきっと湖のほとりで主イエスさまの宣教を聞いていた人だと思います。その真剣なまなざしを主は感じとったゆえに、再びレビと出会うことを欲したのです。レビは主の弟子になったことを喜び仲間とお祝いしますが、やはり友達は同じ仕事仲間等です。そのような「罪人」と共に食事するイエスを「罪人」の仲間とし、排斥しようとする人々がいました。人を「罪人」と規定し、自らを「義人」の立場に置く人々こそ「罪人」であり、本来は主によって価値観を変えねばならない人々なのです。もちろん徴税人等も主イエスによって等しく価値がある人間であり、主によって赦され生かされるべき人々です。つまり、「罪人を招く」とはすべての人に対する招きなのです。神の前に全く「正しい」人はいないのです。でも主イエスさまによって「新たに生きる道」が開かれるのが希望です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 鳥取バプテスト教会。鳥取県鳥取市東町3-151にあります。一度伺ったことがあります。お城のすぐ近くで、今、城址はいろいろ整備されてすてきな観光ポイントになっています。教会も10数年前に新しくされ、広い、落ち着いた空間があります。鳥取県では唯一の日本バプテスト連盟に加盟する教会です。祈りの課題は以下です。①牧師先生が早く与えられますように。
4/17 Ⅰコリント書12章1-12節 「教会を形作るために」
「賜物」(神さまからのギフト)は人間の努力や頑張りで得られるものでなく、神から「恵み」として与えられます。「霊的」とは「神からの」との意味。まずは「信仰」もそうなのです。自分で得たように感じますが、「イエスは主」と告白するのは神様の働きかけの故です。そうでないと「恵み」も「罪」も「赦し」も理解できなくなります。また「賜物」は「ことばによる奉仕」「行いによる奉仕」等多様性と広がりを含み、分かち合われ、補完し合い、励まし合い、「全体の益」となり主の体である教会が形成されるのです。自分には「賜物」がないと言う人がいますが、決してそうではないです。あなたの働きが必ずあります!一方で自分に与えられた「賜物」を個人の手腕のように用いる人がいますが、それは教会の一致を壊します。今日はO・Kさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 松江バプテスト教会。島根県松江市東朝日町9 にあります。島根県では唯一の日本バプテスト連盟に加盟する教会です。松江駅[南口]から徒歩約7分とのことです。祈りの課題は以下です。①コロナ終息後に礼拝の場が与えられますように。②松江での福音宣教のために。牧師・斎木 郷次
4/16 ローマ書1章8-17節 「信仰の恵みを分かち合う教会」
教会学校では本日から6月末で「ローマ書」を学びます。この書はローマ教会の支援と祈りを受けてイスパニア伝道の展開を願っていたパウロが自らの信仰をローマ教会へ表明した手紙。互いの与えられている信仰によって「励まし合いたい」と語ります。自分に与えられた恵みを相手に分かち合い、自分の抱いてきた思いや経験、喜びや悲しみ、導きや試練を語るによって、励ましとなります。交わりは一方通行ではなくて、相手の思いや経験、試練、恵みを聞くことによって「励まし合う」のです。教会において、礼拝お宣教の場では「話合い」はされませんが、「教会学校」は互いの聖書の発見や喜び、疑問を分かち合う場です。聖書を真ん中にして語り合うのです。今日はU・Yさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 岡山バプテスト教会。岡山市北区田町1-7-28にあります。新幹線もとまる「岡山」駅から電車かバスか歩いていけるところです。岡山の中心地にあり、近くには美しい川が流れています。岡山教会には何度か伺ったことがありますが、岡山は温暖で、フルーツ等が美味しいく、良い温泉もあり、やはり「瀬戸内」はいいなぁと思います。長い間、故梅田環牧師がこの教会の牧師としてお働きになっていました。夏の時期になると広島原爆の被爆を受けた「机」が展示されていました。教会は米国南部バプテストの教会や日本のバプテスト連盟の教会にもよくある「コロニアルスタイル」の建物です。数年前に就任された高橋牧師は、キリスト教放送局(ラジオ・インターネット)FEBCの職員から、牧師になった方です。祈りの課題は以下です。①み言葉と祈りによる平和づくり。②全員参加のトントン(建築)。③岡山を味わい地にしみこむ共同体。牧師・高橋 周也
4/15 マルコ福音書14章66-72節 「福音を恥としたペトロ」
春の夜、主イエスの受難日、屋敷内外で二つの判決が下ります。イエスは「そうです」と答え死刑判決。ペトロは数時間前に、「自分が死ななければいけない時でも、あなたのことを知らないと言いません」との誓ったにも関わらず屋敷の外で人々から「あなたはイエスと一緒にいた人ではないか」と言われ、主イエスを「知らない」と三度否定します。ペトロは主イエスを隠し、福音を恥としました!「恥とする」のは、自分とイエスとの関係を人に知られたくなく、関係性を拒絶すること。誰でも人には言えないことを隠しもって生きています。自分の計画が恐れのために実行できない者に涙が溢れます。「イエスを恥とした者の悲しみ」を主は知っておられますし、主はペトロの裏切りを事前に知りつつ、逃れの道を用意していました。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福山バプテスト教会。広島県福山市沖野上町2-14-31にあります。1967年に始まり、1969年には「付属幼稚園」を開設しますが、1990年に閉園されました。祈りの課題は以下です。①み言葉と祈りを大切にする教会。無牧師であっても伝道のできる教会。
4/14 Ⅰコリント書1章26-31節 「誇る者は主を誇れ」
「救い」とは大変広範囲な言葉です。人は困窮した時や、欲に目がくらむ時、犯罪を犯しても、自らが救われることを願います。盗むのはお金の欲求を満たすためであり、人を傷つけたり、時に殺すのも、その人が憎い、とか、この人がいなければ自分は幸いになると思って行うのです。しかし、結局、その人を救うことになりません。一方、自らや誰かのために善行を積み、お金を積んだ先に人の救いはあるのでしょうか。善行や募金をしても、それが他者を救うことが目標でなく、自分がそれによって救いを得られると思う時、慈善や愛の心は自分の救いが目標、それでもしないよりはまし。福音の独自性、キリストによる福音は知恵や能力、家柄、地位等は問われず、無に等しいと感じる者、無力さを知る者、見下げられていると思う者に響くのです。「誇ることが何もない私をも御国へ招かれる」主の奇跡。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 緑の牧場キリスト教会。広島県東広島市西条町田口2799にあります。広島大学が東広島に移転したこともあり、特に学生の方々への伝道(もちろん全ての人に対してですが)を目指して生まれた教会と聞いたことがあります。1994年には米国バプテストのボランティアチームによって会堂が建てられました。現在は若い牧師さんで韓国で育った牧師がこの教会でお働きをされています。祈りの課題は以下です。①神の国がこの地に拡がるために。②主がセルを導いてくださいますように。③駐車場について神さまの導きがありますように。牧師・林 守鎮
4/13 フィリピ書3章5-24節 「魂の履歴書」
パウロは主イエスの福音に生き、律法からの解放を知っております。他方、主イエスの旧弟子達は主イエスが律法を廃棄(=成就)した方であるにも関わらず、異邦人クリスチャンに律法順守を求める人々からパウロは異端とされ、パウロの伝道を妨害されたのです。パウロは自分自身も、律法の中に育ち、学者に学び、厳格なファリサイ派に入り、キリスト教会を迫害した者なのだと言うのです。でも、キリストと出会った今、それらは消してしまいたいような過去だと気づいたのです。7節以降でパウロはキリストと出会い、キリストの真実によって神から義とされた喜びこそ、履歴に記し、残し、語りたいことだと言います。そして、主を信仰するのには何の学歴もテストも不要です(学びは必要ですよ)。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト呉基督(キリスト)教会。広島市呉市本通4-4-10にあります。「呉」は広島市の隣で海沿いです。造船業が盛んであり、何より「戦艦大和」をつくった場所です。今は「ヤマトミュージアム」があるようですね。きっとお魚も美味しいでしょう。神学生の時代、一度伺ったことがありますが、今は場所も移動したかもしれません。ぜひ、呉市の方々、一生懸命にお働きになっている牧師と教会を支えるためにもこの教会にお出かけください。祈りの課題は以下です。①牧師給与を増額できるように。②若者が来ますように。③バプテスマの決心者が与えられるように。牧師・浅海 郁典
4/12 フィリピ書2章1-11節 「へりくだる神」
フィリピ教会の中で一致がなく、パウロの見立てでは「利己心」や「虚栄心」によって会員の対立や方向性の違いが顕著でありました。パウロはそこで主イエスの態度から学ぶように語ります。6節以下は「キリスト賛歌」と呼ばれる当時の讃美歌の言葉と考えられます。「へりくだる」「自分を無にする」とは本来、天にいます神が、私達と同じ地上を、同じ肉体で同じ目線に立って生き、語り、仕えてくださる姿。人を無理矢理に従わせるのが「権力」、人が自ら従いたいと思うのが「権威」。主は「権威」ある方として、人々と共に歩むがゆえに我らは主をほめたたえるのです。「従順」とは「すなおに従う姿」ですが、大事なのは人間に従うのではなく、神の願いに従うことです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト広島キリスト教会。広島市中区舟入町12-7にあります。昔、連盟「中国・四国地方連合」の研修会で招かれて伺ったことがあります。昔は幼稚園もあったので、広い敷地があり、チンチン電車の走る道路沿いにあります。この教会の播磨牧師は、神学校で1年先輩になります。高校生の頃、新聞社が募集する何かに応募し、新聞社からは「ぜひ、わが社で働いてください」と言われた方で、深い洞察力にはいつも感銘受けております。でも、挫折した経験もあり、そのことがさらに深い人間理解と信仰理解になっていかれたと感じます。祈りの課題は以下です。①平和と和解のつとめに仕える。②苦しみ困窮する人と共に生きる。③具体的活動を通して福音を伝える。牧師・播磨 聡
4/11 ヨハネ福音書22章1-14節 「主イエスを見失う時」
イースターからペンテコステの間、弟子達の歩みは一途ではなく、ヨハネは故郷で再び漁をするペトロ達の姿を伝えます。ペトロ達は主イエスの招きに応えて人間を主のもとに導く漁師とされていたのに…。復活の主に会ったけれど、日常の生きることに心奪われ、主イエスが見えなくなる時、信仰が失われてしまうような時があったのです。収穫がない失望の時、あの日のように、あの朝のように主が声を掛け、「船の右側に網を打て」と命じられ、多くの収穫がありました。そこで、ペトロは「主イエス」であることがわかったのです。主は陸で炭火をおこし、命の糧を用意されています。信仰とは自分が何かをする前に、まず主が用意される食事を共にすることから始まるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 江波キリスト教会。広島市中区江波二本松1-10-26にあります。1957年に始まった教会です。広島市内は「市電(チンチン電車)が走っており、その電車によく「江波」行きがあるので、この電車に乗れば江波教会に行けるんだ、と思った記憶があります。広島市の海側にあり、現在の杉本牧師は割と若い牧師でとても期待しておりますし、ぜひ、この教会をお支えください。祈りの課題は以下です。①主の愛を江波の地で分かち合う。②教会学校の再開と充実のために。③奏楽者の育成と、教会財政の祝福。牧師・ 杉本 拓哉
4/10 マルコ福音書1章1-15節 「よみがえりの主は今日も」
復活の主は今日も我らと共に歩まれます。喜びの日も、悲しみの日も、試練の日も、神がいないと思う日々にも。「時は満ちた」は、主イエスがこの世界に、あなたのすぐ傍らにおいでになった、という意味であり、「神の国は近づいた」との主の呼びかけがあります。
主イエスは近づくのですが、主イエスは無理矢理にあなたを掴みません。近づいてくださった主の訪れを自分に関わること受け止め、自らを主の前に差し出すこと(応答)において信仰が相互的、対話的に生まれていくのです。主イエスがそうであったように、教会もおいでくださった方々を覚え、祈り、できるだけ精一杯をしますが、あとはその人の決心を待つしかありません。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 広島西キリスト教会。広島市佐伯区千同1-26-23 にあります。1989年に広島教会70周年記念事業として、広島西地区をカバーする教会として生まれました。閑静な住宅街にあり、中心道路から入り込んでいるので分かりにくい場所だったようです。残念ながら今年3月末で活動を休止しました。再び良い状況で再開できることをお祈りいたします。祈りの課題は以下です。①地域に根ざした伝道推進のために。②求道者の方々のために。③新来者が与えられますように。牧師・大建
英夫(23年3月末をもって辞任されました)
4/9 本日はイースターです! 聖書はルカ福音書24章13-35節 「信仰の復活」
主イエスの「弟子」には様々なパターンがあり、後に「使徒」と呼ばれる者の他にたくさんいました。主イエスが復活した!という話は伝わっていたようですが、そのような話は誰も信じないのが普通ですね。今日の二人の弟子もイエスが死んだので、とりあえずは自分の町に帰るのです。二人はいろいろな思い出話や、主イエスの話を思い起し話し合っていました。いつの間にか誰かがその会話に入ります。さらにその方は旧約聖書のメシア預言等(イザヤ53章等)から救世主(=メシア)について語ります。そしてついに村に着いて食事を共にした時、主イエスであることに気付き、慌ててエルサレムにUターンします。主の復活と伴いは信仰の復活、心が燃えました。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 高松常磐町キリスト教会。香川県高松市常磐町2-12-2にあります。この教会は四国地域のバプテスト教会のセンターチャーチ的存在です。パイプオルガンもありますが、残念ながらまだ伺ったことがありません。ホームページはないようですが、Facebookで礼拝や聖書の学びの動画を毎週のように配信しております。Facebookをぜひご覧ください。私はいつも「いいね!」を押していますが、なかなか観る方が少ないようでとてももったいないです。祈りの課題は以下です。①今年(2023年)12月18日に教会創立(組織)70周年を迎えます。一致して記念事業に取り組めますように。牧師・梶井 義郎
4/8 ルカ福音書23章51-56節 「墓の中に住み給う主」
イエス死刑を求めたユダヤ議員の中でイエスを深く信頼し、決議に反対した議員にはニコデモやヨセフがいました。ヨセフはピラトと交渉し、イエスの遺体を受け取り、丁寧に自分のために用意していた新しい墓に安置します。この日、主イエスは墓の住民となり、「死」の世界にもその足跡を残されました。まことに「陰府・黄泉(よみ)」と呼ばれる旧約聖書で死者が行く場所とされていたところを歩んだのです。死の世界を、死者の世界をも主の福音は語り伝えられたと思います。墓は人間の最終目的地でしょうか?主イエスは暗き墓を永遠の住まいとしません。主イエスにより「墓」の意味が変わりました。「墓」は主イエスによって死んだ魂が新たに旅立つ場となったのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 高松太田キリスト教会。香川県高松市太田下町3013-10にあります。この教会は伝道所から教会組織して、日本バプテスト連盟に加盟するということで、当時、連盟理事だったので私が伺ってみなさんの熱い気持ちと篤い信仰姿勢に心打たれました。最近は近所もいろいろな商業施設ができて賑わっている地域です。買い物のついで、というか、教会に行くついでに帰りにいろいろな商業施設で買い物もできます。この教会の大竹牧師もよく存じ上げておりますが、ご夫妻とも、とてもビッグな方です。小さい私からすればとてもうらやましいような、別にうらやましくないような…。ぜひあなたも行ってみて確かめてください。祈りの課題は以下です。①新長期ビジョンが導かれるように。②駐車場用地取得が進み、用いられるように。③続けてバプテスマ決心者が起こされるように。牧師・大竹 敏生
4/7 詩編22編 「殺される神」
主イエスが十字架上で語った言葉の一つ「我が神、なぜ私をお見捨てになるのか」という言葉を、遠藤周作や一部の神学者も主は十字架上で詩編を語り続けており、死の時が丁度22編だったとします。それは、「苦しむ神」を認めたくない思い(なお、今はこの考えを採用する学者は少ない)。しかし、主イエスには詩編を朗読する余裕などなく、まさに「捨てられた神」であり、「弱さの極み」にあったのです。地上に足を置く場所はなく、標本のように釘打たれた体。誰がこの無力な姿に、見捨てられた姿に神を見るのでしょう。しかし我らは知る。今日、罪の満ちる世界で苦しみへと追いやられ、死に向かう人々を。自らの無力の中で、苦しむ者と共におられる主を見上げ祈るのです。主は人の弱さの極みにも伴う方なのです。神が人を呪い殺すことは世界中ある話かもしれませんが、神が殺される、ことは通常では有り得ないことです。今日、キリストの受難日を覚えつつ、今、世界で、戦争や紛争、飢餓、いじめ、差別等で苦しみの中に生きる方々を覚え、お祈りいたします。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 恵(めぐみ)キリスト教会。香川県高松市上福岡町758にあります。昔、行ったことのある教会ですが、すぐ近くに「琴平電鉄」だったでしょうか、電車が走っていました。ホームページでは次のように案内されています。「私たちの教会は、子どもからお年寄りまで様々な年齢の方々が集まる教会です。毎週日曜日に20名から30名ほどで礼拝が行われており、イエスと共にある交わりを大切にしています。一緒に聖書を学び、生きている喜びや痛みを分かち合う居場所が私たちの教会にはあります。聖書のことを学んでみたい方、教会というものを知ってみたい方、またご自身の日々の悩みを違う角度から見つめてみたい方など。私たち恵キリスト教会はどのような方でも歓迎いたします。皆様がお越しになることをいつでもお待ちしています。」とのこと。更新されていないので、早く更新したほうがいいですよ。祈りの課題は以下です。①回転資金からの借り入れ完済にあたり、協力伝道の支えに感謝し、新たな展望が与えられるように。牧師・伊藤 聰
4/6 ヨハネ福音書20章24-29節 「見ないで信じることの幸い」
主イエスが復活した日、弟子達が集っていた二階部屋(主の晩餐が行われた場所)に主イエスが現れた時、不在だったトマスは仲間の言葉を信じることはできず、頑なに「見ないと信じない」と語ります。その後、一週間、弟子達は主イエスの言葉や活動を思い出し、そしてトマスが復活の主と出会うことを祈り、語り合ったでしょう。まさに信じる者も信じない者も共に話し合うことができる教会の姿です。一週間後、閉ざされた部屋、それは同時にトマスの心の姿。鍵がかかった部屋に、両手と脇腹に深い傷を負う主がトマスと出会うために、入られ、語られ、トマスは過去の自分とは異なる新しい道を歩み出します。あなたの閉ざされた心に、主が入られ、語られますように。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 丸亀城東町キリスト教会。香川県丸亀市城東町3-11-21にあります。丸亀城址の近くです。丸亀駅から昔、歩いたような記憶があります。駅前には近代美術家の猪熊さんの美術館があり、行きたいと思ったのですが、会議が終わったらもう閉じていました。また、この教会の牧師は昔、家具で有名な「大川」で家具職員をされていた方です。先日、伴侶の方を数年前亡くされたことを聞いてびっくりしました。それはそうと、ぜひこの教会に行ってみてください。日曜大工の相談もできると思います。祈りの課題は以下です。①ウクライナに早く平和が来ること。②コロナで荒れた世界への癒し。③教会の人的経済的必要の満たし。牧師・山浦 良治
4/5 使徒言行録8章26-40節 「聖書を手引きする人の存在」
宦官であったエチオピア人。信仰者としてエルサレム巡礼をした帰り道。ただし、異邦人でユダヤ教へ改宗しても、神殿では多くの差別も体験したことでしょう。帰りの馬車の中でイザヤ53~57章(昔は「巻物」です)を読んでいる中で、「苦難の僕」は誰なのかとの疑問が生まれます。そうなのです。「苦難の僕」は誰なのかは旧約聖書では解り辛い話。そこで主がフィリポを遣わされ、宦官に聖書から福音を語り、この「苦難の僕」こそ主イエス・キリストであったと、主イエスのもたらせた福音と主の受難を語ったのです。宦官は対話し、そして、主を信じ受浸します。フィリポが消えても主が共にいてくださいます。宦官は喜びの道を進むのです。なお、「宦官」は女王や王の側近として仕える者でしたが、去勢されていました。去勢されている人のことを「枯れ木」と表現する時があります。これは人権無視だよねーと思います。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 徳島キリスト教会。徳島市中昭和町1-31にあります。1956年に始まった教会です。ホームページには次のような案内があります。1956年高松バプテスト教会伝道所として伝道を開始。3月4日より主日礼拝を開始。1960年5月8日より現在の徳島市中昭和町に会堂を建築し礼拝を守ってきました。2016年11月より会堂建築を開始し、2017年6月末に完成、7月9日より新会堂での礼拝を始めました。新しい会堂が与えられ教会の歩みが新しく始まったところです。建物だけでなく、内なる信仰も新たに歩みを始めています。どうぞお気軽にお訪ねください。
<徳島キリスト教会の使命>
1、霊的安らぎを提供する教会 A Church that provides spiritual comfort
2、隣人に仕える Church Serving Neighbord
3、救われた喜びを分かち合い伝道する教会 Share the Joy of bring saved Church to evangelize
また、新しいメンバーを迎えて教会に若者が増え、国際化しています。日本語に自信のない方もお気軽にお訪ね下さい。手話通訳もはじめています。とのことです。当教会の前牧師の杉山修一氏は現在、この教会の協力牧師をされています。また、この教会の杉山いずみ牧師が来る4月23日(日)所沢教会「ジョイフルサンデー」11時~正午、ゲストとして礼拝でのお話や讃美歌の演奏をしてくださいます。ぜひおいでください!
祈りの課題は以下です。①外国籍の方たちに必要な助けが与えられるように。②すべてのこどもが愛されるように。③ろう者と共なる礼拝の充実。 牧師・杉山
いずみ、協力牧師・杉山 修一
4/4 使徒言行録7章51-8章3節 「殉教者を生まない世界」
初代教会の執事となったステファノは主イエスとその福音をよく理解し、旧約聖書から主イエスにつながる説教が記されています。主イエスが過去の預言者のように殺されたことを語る時、聞いていた人々はステファノをリンチして殺します。ステファノは主イエスと同じように「この罪を彼らに負わせないで」と祈ります。私は複雑な思いになります。ステファノは逃げても主を証しする歩みをしてほしかった。その死は御心だったのでしょうか。イエスの死は地上最後の犠牲、赦しに生きる世界の到来の告知でした。主の御心は思想信教を理由とする「差別」や「殉教」者を生まない世界を創出することであり、我らはその世界を願うのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 高知伊勢崎キリスト教会。高知市伊勢崎町3-8にあります。この教会の河野牧師は、西南学院大学神学部時代、同時期に入学、卒業した友人です。新聞にサラリーマンから牧師になった方々のことが紹介されている記事を読んで感動し、入学しようと西南学院大学に行ったところ、クリスチャンでなければ神学部(牧師コース)に入れないと言われて、その当時住んでおられた所沢教会に通うようになり、その後、西南学院大学神学部に学士入学しました。語学がとても堪能でギリシャ語、ヘブライ語は必須課目ですが、ラテン語まで勉強されていました。昨年から高知伊勢崎キリスト教会の牧師をされています。「認知症カフェ」などされているので、ぜひお近くの方、行ってみてください。教会はとても安心なところですよ!祈りの課題は以下です。①新年度の歩みのために。②全年齢層が集う教会に。若年層への伝道・信仰の継承。③地域に開かれた活動(みんなが集まれる場、認知症カフェ)が祝されるように。牧師・ 河野 宏一
4/3 ルカ福音書22章31-34,39-45節 「主イエスの二つの祈り」
「最後の晩餐」の場面での祈りとゲッセマネの二つの祈りに注目します。主イエスはこれから起こる危機に対し、ペトロの思いは「決してあなたを見捨てません」ということでしたが、主イエスはすべてをご存知でペトロが過ちを犯さないよう祈ったのではなく、ペトロがイエスを否定しても、信仰を失ったとしても、主イエスは決してペトロを見放さないことをペトロ自身が知り、新たに生きるために祈りました。もうひとつの祈りはゲッセマネでの主イエスの十字架上での死、それは「御心を受け入れる」格闘の祈りでした。主イエスはいつでも逃げることはできましたが、御心と現実のはざまを歩みつつ、困難を受け入れる覚悟と未来を神に委ねる祈りへと変わるのです。本日は「日本バプテスト連盟結成記念日」です。戦中はキリスト教会は政府によって一つの「日本基督教団」にまとめられました。戦後、バプテストの信仰に立つ教会はバプテスト主義に基づく「日本バプテスト連盟」を結成し、「日本基督教団」から離脱しました。最初は6つの教会でしたが、現在は288教会、26伝道所で構成されています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 徳山バプテスト伝道所。連絡は今治バプテスト教会(愛媛県今治市日吉町2-7-21、電話:0809-23-3776)にお願いいたします。祈りの課題は以下です。①教会を通してキリストが指し示されるように。②来会者と一緒に礼拝を。③悩める人に寄り添えるように。牧師・今井 謙一、今井 朋恵
4/2 「受難週の日々の聖句」(週報巻頭言より)
▲本日から「受難週」です。イエスさまの受難週の歩みを覚え、聖書を読むガイドです。
▲日曜日…棕櫚(しゅろ)の日曜日。(パームサンデー、Palm Sunday)イエス・キリストがロバの子に乗ってエルサレムに入城し、多くの人々がイエスを新たな指導者として棕櫚の葉や自分の服を道に敷き、歓声をもって迎えた。(マタイ21:1-11、マルコ11:1-11、ルカ19:29-40、ヨハネ12:12-19)*聖書箇所は参考で、いずれかの福音書を読めばよいです。
▲月曜日…宮きよめの月曜。主イエスは神殿の境内で、神殿と結託し、犠牲の動物を高価で販売したり、献金用コインに両替する者たちを追い出した。「わたしの家は祈りの家と呼ばれるべきである」。(マタイ21:12-17、マルコ11:15-19、ルカ19:45-48)
▲火曜日…論争の火曜。様々なしるしと奇蹟を行い、神の真理と愛を伝え、エルサレムの荒廃ぶりを嘆かれた。(マタイ21:18-19、23:37-39、マルコ11:12-14、ルカ13:34-35)
▲水曜日…ベタニアでナルドの香油をマリアから注がれる。主イエスはその行為を心からの献げものとし、また、葬りの備えと表現しました。その強い香りは凄惨な十字架上でも漂ったことでしょう。(マタイ26:6-13、マルコ14:3-9、ヨハネ12:1-8)
▲木曜日…主の晩餐。イスラエルは陰暦なので日没から金曜になります。イエスは弟子たちの足を洗い、最後の晩餐を行います。その後、オリーブ山のゲッセマネで祈っている時に逮捕される。エルサレム神殿議会での裁判では死刑、ローマ政府による裁判でピラトはイエスに罪を見出しませんが、人々が「イエスを十字架につけよ」と叫び、群衆の反乱を恐れてイエス死刑を決めました。(マタイ26:17-75、マルコ14:12-72、ルカ22:7-63)
▲金曜日…受難日。朝から自ら十字架を背負いゴルゴタの丘へ向かい、そしてはりつけにされる。15時にイエス死亡。死が確認され、十字架から降ろされ、ヨセフ議員の墓に入れられる。(マタイ27:1-61、マルコ15:1-47、ルカ22:66-23:56、ヨハネ18:28-19:38)
▲土曜日…沈黙の日。イエスの死体が盗まれないように番兵が見守る。主イエスはこの日、死の世界を歩まれ、墓の住民となりました。(マタイ27:62-66)
▲日曜日…復活。早朝、イエスの墓に行った女性たちが天使からイエスが復活したことを聞く。主イエスはエマオ途上の弟子に伴い、他の弟子達や女性たちににはその傷き、なお復活した姿を示した。(献)
4/2 ルカ福音書23章26-43節 「十字架に伴う者」
主イエスが十字架を負って悲しみの道(ドロローサ)を歩みます。「されこうべ(=カルバリ)」という刑場で主イエスを中心に両脇に二人の犯罪人が十字架に架けられます。議員達は「他人を救ったけど、自分を救えない愚か者」と馬鹿にします。自分を救うことが一番大事と考える議員こそ世の不幸を作り出す者。十字架上では隣人と主イエスとの対話がなされます。この二人の犯罪人の姿にイエスと向き合う二つの道が示されます。一人はメシア(=キリスト=救世主)なら自分を助けてみよ、と自分の罪に向き合わず、恵みだけを求める姿。もう一人の犯罪人は自分の罪を認め、なお、主に対しわたしを思い出してくださいと願う、それは信仰。そして主はあなたと共にあることを約束するのです。究極の場面、でもそこにおいても「救い」の道は開かれるのです。加えて、苦難のキリストは、苦難を通して苦難する人々と共にいまし、連帯するのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 今治バプテスト教会。愛媛県今治市中日吉町2-7-21にあります。この教会の今井牧師は神学部で共に学び、今治教会で行われた結婚式には私ども夫婦は証人代表を務めさせていただきました。それから、もう30年くらいか、今井牧師はずっと今治を離れることなく歩まれています。今井夫妻の話をすればいろいろあるのですが、いつかゆっくりと。朋恵牧師は若い頃から油絵をされていて、今も今治市の展覧会等に出品されているのではないでしょうか。謙一牧師はギターが上手で歌も上手です。なんかすごい芸術家夫婦みたいだなぁ。ともかく、人が来てほしい(できれば若い方、もちろん年齢問わず)ということで、今治市の住民でこの頁を見た人は必ず今治教会、日本基督教団ではなく、つまり「ちいろば」さんの教会ではなく、今治バプテスト教会です!祈りの課題は以下です。①若い世代の方が礼拝に。②徳山伝道所への支援の祝福。③二人の牧師への給与を等しく対応できるように。牧師・今井 謙一、今井 朋恵
4/1 ルカ福音書23章13-25節 「人を裁くのは自分を守るため」
再びピラトの元に連れていかれた主イエス、そして、祭司長と議員(ユダヤ70人議会)らに対して死刑に該当するような事実はなく釈放すると語ります。しかし、一斉にバラバを釈放し、イエスを殺せと叫びます。当然神殿側が仕組んだことです。バラバは「暴動と殺人の理由」で死刑が決まっていた政治犯だと思われます。ピラトは三度目にも釈放と告げますが、人々の声がますます強くなり、このままでは自分に対して暴動が起こることを恐れ、ついにバラバを釈放し、イエス死刑を決めたのです。このような大きな祭りの時は「恩赦」があったようです。いずれにせよ、イエスを殺す思い、それは自己保身だけです。神殿側は自分達の過ちを認めず、現状の保身を考え、ピラトも自分の立場を守るためでした。現代でも、それは政権下で施政者の保身のために、殺された人がいること、なんと悲しいことでしょうか。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 松山バプテスト教会。愛媛県松山市此花町7-13にあります。時間がある時は、それぞれの教会のホームページを覗くのですが、松山教会はとても楽しいし、情報が豊かなHPになっています。きちんと更新されています。「出来事」という欄には葬儀の様子なども見ることができます。また、松山に関する情報や切支丹遺跡なども紹介されています。1952年に始まった教会なので70年を超えた感じです。とにかく四国では女性のワトキンス宣教師の働きが大変すばらしいですね。交通機関がのっていました。道後温泉行き伊予鉄路面市内電車で勝山町駅下車⇒愛媛銀行前道路を東に向かい松山東高校手前三差路⇒右(南)20メートル、とのこと。祈りの課題は以下です。①主イエス・キリストを礼拝する交わりにあることへの感謝。牧師・川上 敏夫
3/31 ルカ福音書22章6-25節 「ヘロデ・アンティパス」
ヘロデという名は聖書に数名登場。イエス誕生の頃は「ヘロデ大王」で、ローマ支配下の中でその地域から選出された地域の「王」。昨日のピラトの下でユダヤ人として地域を治めました。ヘロデ大王の第四の妻の息子が今日登場の「ヘロデ・アンティパス」。彼はマルコ六章に記されますが、洗礼者ヨハネが自分の結婚を批判していることを聞き、ヨハネの首をはねた者であり、しかし一方ではイエスに対しては興味関心を持っていたことが解ります。ピラトはあまり関わりたくないので、ヘロデに送り、措置させるのですが、ピラトに対しても主イエスが何も語らなかったのでヘロデは兵士らと共にイエスをあざけり、ピラトに送り返します。皮肉にもこの日、悪意によりヘロデとピラトは仲良くなります。今日で22年度も終わります。コロナの影響が続き、そしてロシアのウクライナ侵攻という、世界が脅かされる年でした。新年度、世界が心合わせて平和や相互の尊厳を守ること、安心安全な世界をつくることをお祈りいたします。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟引退教役者の方々を覚えて。藤田 吉信氏(大分県在住)、三ツ木 茂氏(千葉県在住)
3/30 ルカ福音書23章66-23章5節 「ポンテオ・ピラト」
ピラト(=ポンテオ・ピラト)はローマ帝国がパレスチナに駐在させていた行政長官で「総督」とも呼ばれ、西暦26~36年までこの地位にありました。通常はカイザリヤで生活していましたが、「祭り」で人々が集まるので警備のためエルサレムに来ていました。ピラトは時に神殿内にローマの神々と偶像を刻んだ盾を持ち込む等ユダヤ人とはかなり反目していました。しかし、ユダヤ人議会には死刑(=合法的殺人)権がないため、神殿側はイエス殺害のためにピラトの力を必要としたのです。連行されたイエスはピラトの目には力ある人間には見えなかったし、ユダヤ人が殺そうとしているなら、逆にそれを邪魔することを考え、簡単には神殿側の言いなりにはなりません。今日はM・Mさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「女性牧師・主事の会」。日本バプテスト連盟に加盟する教会・伝道所の女性牧師・主事の集まりです。かつては女性牧師はあまりいませんでしたし、風潮としても「牧師は男性」という感じでした。また何も役職があるわけでもないのに、牧師の妻に対し「牧師夫人」ということで様々なこと(例えば後片付けとか、牧師に直接言いにくいことの代弁者)を依頼したり、人の都合に応じて「牧師夫人はこれをしなさい」「牧師夫人はこれをしてはならない」など勝手な思いを押し付けられることが、牧師の妻に精神的、肉体的負担を与えてきました。話を戻して、牧師は男性でなければならないということはありませんし、能力の差は性差ではなく、それぞれ個人の違いです。現在、女性牧師も増えてきましたが、きちんとお迎えする体制が整うことが重要ですね。ただし、男性でも女性でも基本は主イエスと教会に心から真剣に仕える思いと日々の努力、謙遜なしには牧師は務まりません。祈りの課題は以下です。①献身者の性差の現実にめけず、励まし合う場となる。②四月からの新体制のために。世話人代表・武林 真智子(4月~、相浦教会牧師)。
3/29 ルカ福音書22章54-63節 「ペトロの中庭での裁判」
オリーブ山のゲッセマネ(「油絞りの場所」の意)で主イエスは拘束され、弟子達は逃げ、主イエスは大祭司の家で裁判を受けます。真夜中の異例な裁判。ペトロと数名(多分)は心配し屋敷の外で様子を伺います。春とはいえ夜は冷え込み、火がたかれ、様々な関係者がおりました。そして、中庭でも裁判が起こります。ペトロに対して「お前も今、裁判を受けているイエスの仲間ではないか」と。ペトロは「私は知らない」と言います。ペトロに見覚えのある人が尋ね、ペトロのガリラヤ訛りを感じた人が再び尋ねます。そして、ペトロはイエスとの関係を拒否し、福音を恥としました。裁判長は鶏。ペトロは泣き崩れたのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「全国教役者会」。日本バプテスト連盟に加盟する教会・伝道所の牧師や副牧師、主事等で構成され、研修会等を行っています。連盟でも毎年のように全国研修会が行われ、テーマの学びに加え、第二の研修と呼ばれる様々な同労者との交流や祈りが本当に励まされたり、良い知恵や励まし、慰めをいただくのです。最近は全国規模の教役者会や牧師会が減ってきたこと、また、全国での研修会に参加したいという方が減少しております。そうして、教会間や牧師間の交流が減ると、連帯や共に歩んでいる恵みを数えることが少なくなり、それは教会にも影響いたします。コロナのこともありましたが、ぜひ全国の対面の研修会が行われることをお祈りしております。現事務長の本山氏は一生懸命にお働きをくださいました。新年度連盟理事に就任されるので、人事は変更されるかもしれません。祈りの課題は以下です。①教役者同士の交わりのために仕えることができますように。②教役者会のこれからの歩みが示されますように。③新年度に向けての体制が整いますように。 事務長・本山 大輔(豊前教会牧師)
3/28 ルカ福音書22章47-53節 「主イエスの静かな逮捕」
いよいよユダに導かれた群衆(神殿警備部隊等含む)がイエス逮捕にやってきます。誰もが乱闘が起こると想像して準備してきたのです。ユダの裏切りの合図は部隊にイエスを示す接吻でした。ペトロが剣をもって大祭司の手下を切りつけますが、主は「やめなさい」と命じます。ここで明かなのは、イエスが準備させた剣は、攻撃したり、相手を傷つける意図ではなかったことです。ゆえに主イエスは傷ついた耳を癒し、そして、暴力ではなく、言葉で語ります。そして剣や棒等の武器を持ってきたことを批判します。逮捕が正しいことなら、主イエスは毎日神殿に来ていたので正々堂々と逮捕すれば良いのに、真夜中に隠れて行われる事は常に不正。この姿に人間の闇を見ます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「財務委員会」。以下にありますように、日本バプテスト連盟機構改革に伴い、新年度より新財務委員会にその働きは移行いたします。①財務委員会より新財政委員会への丁寧な引継ぎ実施。②財務タスクチーム提言の着実な実施を期待。委員長・篠
松次郎(常盤台教会員)
3/27 ルカ福音書22章25-38節 「弟子達を守る主の思い」
ここは難しい箇所です。主イエスは過去に弟子達を町々村々に派遣した記事がルカ10章に記されており、その時は「財布も袋も履物も持っていくな」と命じ、キリストの恵みのみを持つように語っています。しかし、今回は財布も袋も、さらに剣を用意しなさいと語るのです。剣が二振りあり、主は「それで十分」(新改訳等の訳を支持)と言います。この時は危険が迫っており、この後、使徒の数倍の軍勢が武器をもってやってくるのです。12名で2つの剣等は桁外れに少ないのです。つまり、ここで主イエスは戦うことではなく、命を守りながら弟子達が逃げ延びること、そのためにお金と防具としての最低の武器を指示したのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> バプテスト南九州地方連合。日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所の全国13ブロックにわけられている地域連合の一つです。北は大牟田(福岡県)から熊本県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県までの地域で大変広いです。広いのですが、総会や連合行事などはみなさんよく集まりますし、それがとても嬉しいのです。祈りの課題は以下です。21教会7伝道所。①連合内の教会・伝道所の歩みと連合の活動が豊かになること。②主任牧師不在の教会・伝道所のために。会長・マウマウタン(国分教会牧師)
3/19 ルカ福音書20章9-19節 「愛する息子さえ送る神」
今日の箇所の前に「権威についての問答」があります。誰が許可して神殿で語っているのか、と問われた主イエスは預言者ヨハネが何の権威をもって活動したのかと逆に問います。ヨハネは神殿の許可があって宣教していたわけではなく、民衆に人気のあったヨハネを「自分勝手にやっていた」と神殿側は言えなかったのです。神殿が神や預言者と認めるから行動してよい、ではなく、その言葉や行動に人々が感動し、従う気持ちを与えることが本来の権威。今日の「ぶどう園と農夫のたとえ」は、神ご自身とイスラエルの関わりの歴史を語っています。「ある人(=神)」がこの世に送ったけれど殺された僕は預言者達であり、最後に送られた「跡取り息子」は主イエスのことです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 門司港キリスト教会。福岡県北九州市門司区清滝4-2-5にあります。門司港と海峡は挟んだ下関は今、とても注目されています。門司港界隈はレトロな町でいろいろな施設があり、多くの観光客が集まっているようです。ちなみに、「関門トンネル」というのがあり、自動車専用道と別に歩いてもトンネルを歩いて行き来できます。歴史に出て来る「壇ノ浦」もすぐそばです。祈りの課題は以下です。①壁(かべ)の無い教会、また私たちとされ、主が用いてくださいますように。代表役員代務者・石橋
貞男
3/18 Ⅰペトロの手紙2章1-10節 「神の世界へと招かれ生きる我ら」
ペトロの手紙はペトロにつながる教会で紀元80年代に記されました。「隅のかしら石」はここでは「生きた石」と表現され、ユニークですし、ペトロが主イエスから「岩(ペトロ)」と名付けられたことが響いています。そしてキリスト信徒も「生きた石」と語ります。「霊的な家」とは「教会」、さらに「神の国」の意味。一人一人が神の国を形作る存在として、固定的ではなく自由な者として教会を形成するのです。「霊的ないけにえ」は「神への感謝のささげもの」であり信徒のささげもの(お金のみではなく、働きや祈り、行動等)のこと。「聖なる祭司」は神によって招かれた者が人と神の仲介者としての使命を果たすことです。「聖なる」とは神の権威に依る、との意味で、人間の権威に依るものではありません。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 富野バプテスト教会。福岡県北九州市小倉北区上富野5-2-18にあります。この教会のメンバーである福田のぞみさんはオルガニストとして各地でのオルガンソロコンサートやコンサート(オーケストラや他の楽器との合奏もあり)、オルガニスト養成の活動をされています。西南学院や折尾女子学園等で演奏や指導をされているすごい方。教会にもパイプオルガンが設置されております。祈りの課題は以下です。①教会活動の正常化。②北九州連合の新宣教主事のために。牧師・黄 仁坤、協力牧師・福田 昌治
3/17 使徒言行録2章22-42節 「キリスト教会の宣教」
いわゆる「聖霊降臨日=ペンテコステ=キリスト教会の誕生日」のペトロの宣教。23節の「律法を知らない者たち」とはローマ政府関係者のこと。25節以下の括弧内は詩編16編や18編等から引用しています。この日エルサレムにでは「主イエス」の生き様や死に様を多くの人が知っていたと思います。そしてペトロの宣教において旧約聖書と主イエスがつながったのです。そして何より大きなことは主イエスが復活したこと、そして、主イエスによる「罪の赦し」は誰にでも与えられていることです。「賜物として聖霊を受ける」、「賜物」は神からのギフトであり、「聖霊」は神が私どもに新しい道を教え、信仰を与え、我らを生かし導く神の「愛の力」なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト小倉キリスト教会。福岡県北九州市小倉北区古船場町9-14にあります。確か、小倉駅からも歩いていけると思います。かつては「湧金幼稚園」があったと思いますが、今は廃園されているようです。ホームページではこう紹介されています。「わたしたちの教会は小倉の地で130年間、神と共に歩み続けております。礼拝は毎週日曜日の午前10時30分~11時15分に行っております。心に安らぎと希望を与えて下さる聖書の言葉を聞きに教会へお出で下さい。心から歓迎いたします。」。祈りの課題は以下です。①受浸者が主により与えられること。②療養・治療中の方の癒しのために。③教会組織120周年に向けて。牧師・山本 龍一郎
3/16 ヨハネ福音書15章1-17節 「わたしはぶどうの木」
この「ぶどうの木」の話はいつも立ち戻る箇所であり、ぜひあなたの聖書にマーキングしてください。ぶどうの木(=主イエス)につながる時に実を豊かに結ぶ。つながりは「主の言葉があなたの内に豊かにあること」であり、「祈り」によって心がつながることです。それが「主イエスの愛がとどまり」あなたに「喜びが満たされる」。さらに喜びによって「人と人が愛し合うこと」が可能になり、主イエスはあなたを「友」と呼んでくださるのです。「友のために命を捨てる」のはイエス・キリストの愛の姿。では「実を結ぶ」とはどのような実でしょうか。それは決して商売繁盛ではなく、ガラテヤ書5章にある「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」という実です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 南小倉バプテスト教会。福岡県北九州市小倉北区弁天町11-19にあります。ホームページをみると、平屋でなんとなく居酒屋さん風の感じですてき。この教会の谷本牧師は、プロのヴァイオリニストであり、特に「タンゴ」の演奏で全国をツアー等されておられます。ユニークな説教は教会の皆様にも愛されているようです。祈りの課題は以下です。①戦争とコロナの暗い時代の中、みんながつながり輝く夜空の星座のような教会になれますように。牧師・谷本
仰
3/15 詩編118編 「人が捨てたものに価値があった」
17~18節は驚きの言葉。「この人」は「(わたしは)死ぬことなく生き長らえ」、「死に渡されなかった」。それを喜び祝うことが「主の御業の日(主が造られた日)」と呼ばれます。さらに主の御業として「家を建てる者の退けた石が隅の親石となった」のは建築家が「こんな石は役に立たない」と捨てた石が、逆に家の基礎・水準となる「親石」になるのです。つまりこの詩編はイエス・キリストのことを示したメシア預言の一つとして読むことができます。人間が「捨てた者」「捨てられたような者」が世界を創る基準となるとの言葉は何と深い意味があることか。社会で捨てられた存在に目を向けること、そのことに気づく世界は新たな歴史を歩むことができます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテストシオン山教会。福岡県北九州市小倉北区下到津2-15-21にあります。名前は「しおんざん」といいます。西南女学院大学・短大・中高等のすぐ近くに教会はあり、学生や職員が教会のメンバーにはいらっしゃると思います。「下到津」は遊園地もあったりしました。また、私の母方の祖父が近くで「日本基督教団北九州復興教会」の牧師をしておりましたので、なんとなく近い存在だなぁと思っておりました。北九州市には西南女学院を卒業された方々も多いと思います。人生のさまざまな時、ぜひこの教会を訪ねてみてください。祈りの課題は以下です。①牧師辞任に伴う牧師招聘のために。②教会創立百周年を受けて新たな教会形成・宣教使命のために。牧師・伊藤 光雄
3/14 イザヤ書5章51-55節 「心込め、丹精に育てたのに」
「ぶどう」や「ぶどう畑」は食用飲用で用いられ、枝葉の拡がりから「吉祥」「繁栄」のシンボルなのはユダヤも日本も同じ。聖書でも神につながり、繁栄するイメージが多いです。この歌で肥沃な場所で丹精に育てたぶどうが象徴するのは神の民、ユダヤの姿です。「わたし」は神であり、「ぶどうの管理者」はユダヤ指導者。準備をしたのに、「酸っぱいぶどう」しか実らなかったのは、神の愛する民がその期待に応えず、良きものを生まなかったことへの批判です。心込めて大事に育てたにも関わらず、裏切られた親の心や叫びが記されているのです。それらに神の裁きが下るとありますが、聖書全体を通して知るのは、そのような罪深い者にも注がれる神の愛と恵みなのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 企救バプテスト教会。福岡県北九州市小倉南区徳力6-10-6にあります。企救は「きく」と読み、確か、モノレールの駅も近かったように思います。Facebookでは毎週の礼拝の様子がアップされています。この教会の原田牧師は38年前位から存じ上げております。互いに学生だったのですが、彼はピラミッドの前で撮った写真などを見せてくださいました。とにかく、旧約聖書にも詳しく、西南学院大学神学部や九州バプテスト神学校でもヘブライ語等を教えています。そして音楽を愛し、CDの数はものすごく、また絵本もたくさん読んでおられ、絵本から聖書の話へと導くことのできる方です。少し先輩ですが、ムーミンのようなご様子は健在です。ぜひこの教会に行ってください。2012年に新しい教会堂もできております。祈りの課題は以下です。①新年度の歩みの備え(予算総会3月、定期総会4月)。②これまでの恵みを感謝しつつ、これからの教会。牧師・原田 義也
3/13 創世記1章25-31節 「神にかたどって造られた我ら」
創世記の第一の創造物語では、神はことばとその応答によって世界を創造されたことがわかります。特に人間は「我々にかたどり、我々に似せて人を造ろう」とあり、まずこの「我々」は偉大さを示す複数形。「かたどり」は、外見のことを言うのではありません。「かたち」は例えば「心のかたち」で内面的なことを指す場合があります。つまり、神と心がつながり、共感や共苦する心が連帯するかたちなのです。外見でも人は多種多様なので、表面的なことで捉えない方がよいです。ただ、主イエスは、人の姿をとってこの世を歩んだことは実に深い意味があります。人間に与えられた使命は「神の創造世界を支配する」、支配は「全被造物の安寧を支え、配慮する」羊飼いの姿です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 小倉春ヶ丘バプテスト教会。福岡県北九州市小倉南区春ヶ丘3-3にあります。日曜の礼拝のありますが、毎週水曜日12:00~15:00のTea time @ Chapel があり、定番はポットの中で花が咲く工芸茶です。ジャスミンの香りに包まれて、ほっと一息しませんか?一度遊びにいらしてください。無料です。とホームページにありました。いいですね!祈りの課題は以下です。①会堂修繕費用が与えられますように。②30人礼拝が実現しますように。③地域に根ざした教会になるように。牧師・千葉 仁志
3/12 ルカ福音書19章28-42節 「平和の訪れをわきまえない人々」
ルカが伝える主イエス入城の様子。「ろば」入手の顛末は同じですが、叫んだの弟子達とされますし、ここではまだ入城前です。しかし神殿に向かう人は多かったし、それゆえ「弟子を黙らせよ」と言われますが、主イエスは「この人たちが黙れば、石が叫び出す」と語ります。何かの力で福音、真理が黙らされようとも、政治中枢から見れば小さな石ころのような存在、民衆が叫ぶと言うのです。そのような民衆の声が世界を変えるのは今もなお真実。大きな力が振り回される中、弱い存在、小さな存在が互いに励まし合い、語り出すことが大事なのです。そして主イエスは涙します。「平和の道、神の訪れをわきまえなかった」とは、主イエスを正しく理解できなかったこと、平和と和解を告げる主イエス・キリストを人間は殺すことになります。そして、今日もまた、主イエス・キリストはこの世界の現実を見て涙流しておられるでしょう。今日はU・Fさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 北九州キリスト教会。福岡県北九州市戸畑区中本町12-34にあります。この教会の斉藤牧師は数年前まで西川口教会牧師で、いろいろ交流をいただきました。昨年お元気な姿を拝見して嬉しかったです。とても実直真面目な方です。今、ホームページがないようですから、早くつくってほしいです。また、この教会を母体として「社会福祉法人北九州ナオミ福祉会 保育所ナオミ愛児園」がうまれています。この愛児園のお子さんやご家族が、「隣人を愛せ」という主イエスの言葉を知り、聖書や教会を知ってくださったら嬉しいですね。祈りの課題は以下です。①ナオミ愛児園の子たちに神の愛を。②新来者が増えますように。③祈祷会の再開を願って。牧師・斎藤
信一郎
3.11東日本大震災・原発事故から12年を覚えて
所沢キリスト教会 2023年3月5日週報 巻頭言「牧草」より
▲東日本大震災と原発事故が発生して今週11日、12年目を覚えます。死者は15900人。行方不明者は、2523人(22年3月発表分)という甚大な被害は今も続いていますし、原発事故を起こした原発の処理、汚染水、汚染土は解決する目途もないままに月日は流れ、増え続けています。▲先日この震災支援に関わってきた「日本バプテスト連盟現地支援委員会」による「光あれ~混沌の地に生かされて~東日本大震災から10年の証言集」が発行されました。▲283頁もの各頁には祈りや叫びや気づきや喜び、訴え、そしてそこにおいて聖書をどのように読んだかということ、様々な支援活動について記録されています。▲まだ読み切れてはいませんが、この記録は今後も必ず起こる様々な災害や事故における準備や方向性(災害が起こる前からの対応を含め)を示してくれるものだと思います。▲12年を経た今でも、放射線の影響により、例えば甲状腺癌が増えているという報告(一方では否定する報告もある)もありますし、今だ故郷に戻ることができない人々、精神的影響や経済的影響を受けている人々がおられます。▲また、所沢(並木、環境省環境調査研修所)と東京都において「原発事故の除染で生じた土の再利用」を目指し、除染土壌を持ち込み再生利用時の安全性を確認する実験が計画されています。▲昨年12月16日に現地説明会が行われましたが、参加者の地域は限定され、地域の掲示板のみの告知、報道陣は締め出して開催するなど、政治の「隠蔽体質」が問われ続けている今においても改善されていません。この課題については連合の「8・15平和礼拝」で取り扱われます。▲その他様々な課題がありますが、ここでは到底書き切れません。▲証言集「光あれ」の中での一つの祈りを紹介しつつ、3月11日に心合わせて祈りたいと願います。▲「…しかし主は、こうした混沌のすべての地にあって、『光あれ』と叫ばれます。『光あれ、こうして光があった』という圧倒的な創造の業に、私たちは希望を置きます。主よ、どうか、この混沌の地に生きる私たちの只中に、光を創造してください。主にある光が、すべての人を照らし、温めてくださいますように。そして、十字架で苦難を負い、復活された主イエスの寄り添いと慰めが、すべての命と共にありますように。」▲なお連盟「現地支援委員会」の働きは終了し、東北連合の「特別委員会(被災支援)」に引き継がれています。(献)
3/11 マルコ福音書11章1-11節 「主イエスの入城」
今日はマルコが伝えるエルサレム入城の様子で、明日はルカが伝える箇所を学びます。「ろば」の獲得はそれぞれに」記されます。まだ誰も乗ったことがない「子ろば」は経験がない存在です。小さな「ろば」が主の業に用いられることを通して、我らが小さくとも、経験がなくとも主の必要に用いられる物語として伝えられてきました。そして人々は主イエスを「ホサナ(救い給え、の意味であり、「ホザンナ」とも表記されます)」と喜びと期待をもって叫びましたし、「枝を切ってもってきた」のは「棕櫚(しゅろ)の枝」とされます。なので今も受難週に入る日曜を「パームサンデー」と言うのです。人々には主イエスに対してローマからの解放を導く者との誤解があったようです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 若松バプテスト教会。福岡県北九州市若松区栄盛川町9-1にあります。この教会の歴史は古く、1889年の設立です。ホームページではこう紹介されています。「133年の歴史がありますが、戦後、後に若松市長になり、若戸大橋の建設に貢献した、吉田敬太郎牧師が、若松バプテスト教会の基礎を作りました。」、この吉田敬太郎氏がの自叙伝が先ごろ再販されました。吉田敬太郎は軍部批判で投獄、その後、牧師、そして若松市長から北九州市誕生に尽力された方です。この本の購入を希望される方は「若松バプテスト教会」のホームページをご覧ください。西日本新聞での紹介記事もみることができます。また同教会のホームページには「戦後はこの栄盛川に教会堂を建て、そして、神愛幼稚園を生み出してきました。地元の方はどなたもご存じと思います。最近ではテレビ、映画でも取り上げられたことがあります。」ということです。とにかくこの教会と幼稚園の敷地が広くて管理は大変そうだなぁと思いますが、こんなすばらしい空間で育つ子どもは幸いだと思います。永町牧師は北関東地方連合でいろいろ親しくさせていただきました。ごくたまに北九州市まで用事で行くことがあるので、いつかお訪ねしたいと思っております。祈りの課題は以下です。①伝道の愛のわざが導かれますように。②神愛幼稚園との協働。③働き人がますます与えらますように。牧師・永町 友恵
3/10 ゼカリヤ書9章9-10節 「踏みにじられる平和」
ゼカリヤ書は8章までが預言者ゼカリヤによるもので紀元前520年代頃に記され、ゼカリヤは預言者の系譜で最後期であり、神殿再建に向けての預言を行い、515年に神殿が再建されます(第二神殿)。9章以降は神の王国の勝利を黙示文学的色彩で描き、前3~2世紀の成立と考えられます。今日の箇所は主イエスのエルサレム入城の預言。「シオン」とは第一神殿建築後のエルサレムの別称。そこに王が入りますが、王が乗るのは軍馬ではなく、農耕に用いられる「ろば」であり、平和が告げられると記されます。主イエスはろばに乘ってエルサレム入城を果たしますが、その主イエスは当時の政治的・宗教的支配者に殺されます。平和はこうして抹殺されます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト高須キリスト教会。福岡県北九州市若松区高須東3-4-5にあります。1986年に開設された割と新しい教会です。まだ行ったことがないのですが、どんな教会なのでしょう。ホームページはないようですがFacebookで礼拝の配信、その後一週間は閲覧できるようです。祈りの課題は以下です。①将来計画が祝されるように。②信仰決心者が与えられるように。③地域の教会とさらになれるように。牧師・三上 渡、協力牧師・山田 雄次
3/9 ルカ福音書21章20-24節 「エルサレム神殿の崩壊」
エルサレム神殿は紀元66年から反ローマの人々が籠城し、70年4月14日にローマ軍が攻撃開始、8月に火がつけられ月末に完全に倒壊しました。焼け残った神殿の壁の一部が、現代ユダヤ人にとっても聖地とされる「嘆きの壁」。ユダヤの人々は各地へ離散します苦難は続きます。今日の主イエスの言葉はこの状況を預言したものと考えられます。ただ主イエスはその前兆を見たならば「山に逃げよ」「地方から都に入るな」と語り、戦うのではなく、身の安全を守ることを教えています。「神の怒り」とありますが、それが主イエスの考えとは受け入れ難いものです。この頃、ローマ各地ではパウロ等によりキリスト教会が設立されています。どうして人間は暴力を止めないのでしょうか。戦争で多くの文化財的な建物やそれに付属する様々な芸術品が簡単に破壊されていくのは本当に悲しいですね。戦争は人も、文化も、繋がりも、未来も、すべて奪います。今日はM・AさんとT・Cさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 八幡バプテスト教会。福岡県北九州市八幡西区岡田町2-14にあります。黒崎駅から徒歩7~8分位で着くと思います。一昨年くらいに久しぶりに黒崎を歩いたのです。昔はデパートが複数あって、銀天街というアーケードの道があるのですが、デパートはなくなり、アーケードはシャッターが閉まっていました。八幡教会は建物が独特で、ある意味、遺産になるようなものですが、実際の使い方には問題がないのでしょうか。とはいえ、まだ北九州は70万人位が住む都市なので、八幡教会にも多くの方々が集うことをお祈りしています。祈りの課題は以下です。①伝道のために。②災害被災地の復興のために。③福島の原発事故の収束のために。牧師・久保田 理
3/8 ルカ福音書21章5-19節 「主の言葉と知恵を求めよう」
ここは神殿の崩壊の話からより広い世界的危機や終末まで意識した話をしています。このような箇所を読むと「今の時代がそうだ」と感じますが、これらのことが起こらなかった人間の歴史は一時もありませんので、短絡的な判断は危険です。危機において重要なのは「世の終わりはすぐに来ない」「あなたは守られる」ことへの信頼であり、15節のように「(主が)言葉と知恵を授ける」ことで、世界の紛争や対立、地震や飢饉、迫害から解放される道があることです。確かに現代も世界は対立し、戦争が起こり、すぐに軍備増強するという話が当然起こりますが、人間ならば、そこでこそ「言葉と知恵」を結集すべきなのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 東八幡キリスト教会。福岡県北九州市八幡東区荒生田2-1-40にあります。この教会の奥田牧師は北九州でホームレス支援のNPO法人を立ち上げ、その活動は広く知られるようになりました。NHKテレビの「プロフェッショナル」等への出演の他、著書もあります。バザーや食品配布等の活動もされています。祈りの課題は以下です。①戦争反対!戦争やめろ!平和を!②コロナで厳しい状況の方々を覚えて。③子どもの自死はイヤだ‼。牧師・奥田 知志、石橋 誠一、協働牧師・藤田 英彦、森松 長生
3/7 ルカ福音書9章51-55節 「逆らわれても暴力的解決をしない」
ここでは主イエス一行はガリラヤ地方にいて、そこからエルサレムに行くことを考えたのでしょう。サマリアを通るのが近道でありますが、ユダヤ人とサマリア人の間は犬猿の仲で、互いに非難し合う関係。主イエスは「善きサマリア人のたとえ」のように敵対視や、差別的な考えはありませんが、サマリア人から見れば同じユダヤ人である理由で入村や宿泊を断られます。その態度に怒った弟子の二人は「こんな村、焼き払いましょう」と提案しますが、当然主イエスは戒めます。それ以前に同50節に、主イエスが「逆らわない者は味方」という言葉がありますが、「逆らわれても」怒るのではなく、背後にある歴史も覚えつつ、互いに理解し合う道を教えたのかもしれません。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト枝光キリスト教会。福岡県北九州市八幡東区白川町10-36にあります。1959年の開設で、この時代は北九州市は鉄鋼等工業の町としてとても盛んでした。でも、産業が衰退した今は、なんとなく元気がありませんね。この教会の岩﨑牧師は「カルト宗教」に造詣が深く、もし、怪しい宗教に誘われたりしたら相談したらよいと思います。通常のキリスト教会は、強制的な入会や献金等行われず、教会運営も民主的に行なわれています。祈りの課題は以下です。①教会関係者の信仰と健康を覚えて。②主の平和が訪れますように。③カルト宗教被害者を覚えて。牧師・岩崎
一宏
3/6 ルカ福音書9章21-27節 「捨てることと負うこと」
主イエスの受難予告です。主イエスが排斥され、殺される、しかし、復活する、との言葉は弟子達には理解できなかったようですが、それを前提に「私に従うのか」と語るのです。「自分を捨て」は難しい言葉です。多くの理解は自分の生き方を自分本位ではなく、主が願う道を第一としていくことです。「自分の十字架」も難しいですね。多分、自分に与えられている使命と考えられますが、積極的に言えば、主の願う世界の実現のために他者を愛し、他者と協働しながら歩む道であり、簡単ではないゆえ、労苦もありますが、そのように生きている人も知ります。あるいは、自分や家族の痛みや苦労、病、悲しみを負いつつ歩むことが十字架を負うことでしょう。自分を捨てることと十字架を負うことは同じ事柄です。今日はN・Eさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 折尾キリスト教会(宗教法人名:折尾バプテスト教会)。福岡県北九州市八幡西区光明2-12-13にあります。1945年の開設で私が幼い頃育った教会です。今は無牧師になりましたが、平日にはゴスペル教室等に会場提供したり、コンサート等も行なわれているようです。「折尾」は北九州市の西で、鹿児島本線と筑豊本線が交わる駅です。ミッションの「折尾女子学院」や甲子園に最近出場した「愛真高校」、また他にも大学がいくつかあり、昔は学生の多い町でした。祈りの課題は以下です。①剣を鋤に槍を鎌に。②国は国に向かって剣を上げず。③もはや戦うことを学ばない。
3/5 ルカ福音書18章1-8節 「祈りは虚しく終わらない」
「気を落とさずに絶えず祈る」、つまり、自分の祈りや願いが神に届いていない、それどころか、願っていないことばかり起きてしまい、神にも自らにも失望し、気落ちしてしまうことがあります。それはきっと誰にでも経験がありましょう。一度、二度ではなく必死に祈ったけれども、それが現実とはならなかった。その気持ちは良く理解いたします。「祈りが少なかったから」と言えば済む問題でもありません。でも、「今」届かなったと思う祈りの先に、神が用意されている「未来」があるのです。現実ですべてが終わってしまうのではありません。主イエスが死なれた、それはある人々には絶望を与えたものです。しかし主は「死」を通し、「死」を滅ぼし、復活したのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 芦屋キリスト教会。福岡県遠賀郡芦屋町町西浜町4-19にあります。芦屋は北九州市の隣で、海に面した地域です。ボートレース場や自衛隊の航空基地があります。昔、海水浴で訪れたことがあります。また、この教会を母体とする幼稚園「学校法人 愛生幼稚園」が敷地内にあります。人口もそう増えない町ですが、お近くにお住まいの方はぜひこの教会をお訪ねしてみてください。祈りの課題は以下です。①み言葉と祈りに生きる教会を。②もう一人の人が与えられますように。③牧師と信徒が一つとなる教会形成。 牧師・尹 正鉉(ユン ジョンヒョン)
3/4 ルカ福音書22章39-46節 「共に祈り続けられない我ら」
主イエスはエルサレム滞在時、オリーブ山で毎晩の祈り会をもっていました。「いつも」の場所と時間ですが、この日は「いつも」と同じではありません。「誘惑」とは主イエスの思いから離し、反対する作用であり、そこから逃れる道は「祈る」こと。ここでの主イエスの祈りは「この杯を取りのけてほしい」。「杯」は主イエスの受難のことであり、主イエスが血を流される「死の杯」。主は逃げようと思えば逃げることはできました。しかし、苦しみながら自らの死を受け入れることが人間への救いと理解しているゆえ、悶絶するのです。汗が血の滴りのように流れたのは緊張と恐れ。主が「誘惑」(逃げることや他の道)の中で祈る時、弟子達は眠ります。共苦できない人の弱さ。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 中間バプテスト教会。福岡県中間市長津2-11-16にあります。中間は「なかま」といいます。素敵な名前。ここも筑豊ですが、北九州市に隣接したベッドタウンかと思います。今もあるのでしょうか、西鉄の「チンチン電車」が走っておりました。この教会の安部牧師はもう何十年もこの教会に仕えておられます。結構、高齢かもしれませんが、すごいですね。祈りの課題は以下です。①主日の讃美礼拝が守られますように。②礼拝参加の子どもたちの祝福とすくいのために。③会堂の補修と維持のために。牧師・安部 寅彦
3/3 ルカ福音書17章20-37節 「日々を整え歩むこと」
ここでの「神の国」は人間が支配してきた世界が終わり、新たな時代が主イエスの再臨によって開かれる時の前兆等を語っています。旧約聖書の出来事のを引用しつつ、再臨前の苦しみ、あるいは人々が自分の楽しみに明け暮れている時にそれは来るのです。ここでの主眼は現実で起こることに注意深くあること、そして、いつ再臨の日が来ても良いように日々準備しつつ歩むことなのです。ひとつひとつの言葉をここで解説できませんが、並行して考えることとして、私共の日々の生き方についてです。私共もいつ「死」が来るのか、誰も想定できません。その日にも決して慌てることがないように、日々を整える生活が大事です。37節は人の死をも利用し食い尽くす人間の姿と私は理解しております。今日はT・Mさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 直方バプテストキリスト教会。福岡県直方市頓野3895-6にあります。もう十年近く前、新しい教会堂ができました。「直方」を「のおがた」と読める人は余りいないでしょうね。ここも昨日の飯塚と同様にかつて「石炭産業」で人口が多かったところですが、今は北九州市のベッドタウンでしょうか。この教会の田中牧師は、神学校入学前から存じ上げ、牧師になってからもいろいろな奉仕を共にさせてくださった思い出があります。毎日、朝の祈りの時間を多分、ネットで配信しておられたり、田中牧師の言葉を毎日、教会の前に掲示していたり、生活が苦しい方々のための生活必需品を無料でもっていける場所をつくったり、様々な働きに感心、感謝します。先日行われた「日本バプテスト連盟定期総会」の総会牧師をされたりしています。田中牧師の「言葉」に沢山発見することがあります。祈りの課題は以下です。①地域の拠り所となれるように。②北九州宣教支援センター主事を兼務する田中牧師のために。牧師・田中伊策
3/2 ルカ福音書12章22-34節 「生きることに疲れる時」
2月18日の箇所が再び登場です。「何を食べようか、何を着ようか」との言葉は、溢れる冷蔵庫の中から夕食の献立に悩み、クローゼットにある沢山の服から選ぶという「選択」の問題ではありません。2千年前、今日の糧を得られるか否かとの現実、寒くなり着るものが不足している苦難の言葉であり、日々を生きることに困難を覚えている状況。そして、現代でもなお、食べることができない方々や着るものに窮している人々がいることを覚えなければなりません。そのような不足を数える現実の中で主の助けと支えを求めること。今は物資が豊かな時代ですが、心悩み、生きることに疲れている人がいます。「神の国」、それは神があなたに伴われる希望の世界であるゆえ、主を求めよう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 飯塚バプテスト教会。福岡県飯塚市西町6番45号にあります。飯塚は「筑豊」地域で、かつては八幡製鉄所で使う石炭の採掘で潤っていた時代があります。屑の石炭が積み重ねられた「ボタ山」という黒い山がいくつもありました。しかし、日本の産業変化と共に筑豊は人が減少しました。かつての「ボタ山」にはいつのまにか植物が育ち、「緑の山」になっているという話を聞いたことがあります。「筑豊の子どもたち」という写真集をいつも思い起します。教会では月に一度、子ども絵画教室が行なわれているようです。祈りの課題は以下です。①主にある平和が早く訪れるように。②クリスマスに受浸した人の成長。③教会の総合的なプランの具体化。牧師・高屋 澄夫、高屋 和子
3/1 ルカ福音書6章12-16節 「祈りへの招き」
主イエスが教えた「主の祈り」のルカ版。主は幾度も色々な場所でこの祈りを教えたでしょう。短くも深い「われら」の祈り。加えて主は「祈り(神への叫び、問いかけ、対話)」について語ります。人間でも執拗に頼めば何等か答えますし、なお神は祈りを聞き給い、良きものを備えるのです。「求めよ、さらば与えられん」という古い言葉で聞いたことがある方も多いでしょう。「求める」こと、「求め続ける」中で、自分が本当に求めているものを教えられます。「恋人!」と求める中で自分の思いが段々明らかにされます。なお、魚の代わりに蛇、それは干魚で長い魚のことで、蛇に似ていること、卵の代わりにさそり、という話は、さそりがくるっと丸くなった姿が卵に似ているさまなのです。言いたいのは、神は似ているけど違うものを与えたり、そんなごまかしはしないのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト苅田キリスト教会。福岡県京都郡苅田町京町2-19-7にあります。苅田は隣接する北九州市、行橋市と日常生活圏を一にし、北九州市、行橋市などから町内に通勤する人も多いそうです。日産自動車九州など多くの工場が立地するため財政力が非常に強く、自動車・セメント・電力等を中心とした臨海工業都市として発達しており、東九州自動車道苅田北九州空港インターチェンジ、国際貿易港苅田港、北九州空港と、全国的にも類を見ない陸海空の複合的な物流インフラが整備された町です。日産自動車の工場は大昔に見学したことがあります。祈りの課題は以下です。①進学のため県外に出る学生のために。②町内、隣接市町村に福音を。③町内の高齢者とその家庭に福音を。 牧師・佐藤 清一、名誉牧師・鍋倉 勲、教会主事・児玉 尚文
2/28 ルカ福音書8章37-48節 「弟子達の姿は私どもの姿」
今日の箇所は主イエスと弟子の関わりが記されます。37節からは「悪霊に取りつかれた子」を助けられなかった弟子に対し、主イエスは弟子達の信仰の無さを語ります。次に主が「人々の手に引き渡され…」と受難について弟子達に語りますが、その話を弟子達は理解できません。理由について「真実は隠されていた」、ことに加えて「怖さ」を感じてそれ以上質問しなかったとあります。「引き渡される」のは当然、当時の権力者によってですから「怖い」気持ちは理解できます。更に「弟子で誰が一番偉いか」論争が起こり、そこで主イエスは子どものように、小さく、弱い存在を受け入れる人こそが弟子にふさわしいと語ります。以上の話から信仰弱く、現実が見えない弟子の姿に、私共の信仰と姿が重なってきます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟引退教役者の方々を覚えて。平沢 茂氏(京都市在住)、藤井 健児氏(福岡市在住)
2/27 ルカ福音書6章12-16節 「使徒と弟子について」
ルカ福音書では「使徒」という言い方と「弟子」という言い方がありますが、ルカは「十二使徒」とは、最初にイエスによって選ばれた12人の弟子集団とされます。ギリシャ語では「(主から)遣わされた者」で、ルカ9章には使徒を主イエスが町々村々へ遣わしたことが記されています。ただ、使徒のリストは他の福音書との相違があること、また弟子達は色々なパターン(ずっとイエスと行動を共にする人、それぞれの地域で活動する人、また女性もいた)があります。今日の箇所では他にも弟子達がいたことが推測されます。まぁ、使徒は弟子達の中で指導的な立場とされたのですが、主イエスが祈って夜を明かしたほど人選は難しかったかもしれません。なおパウロ書簡等ではパウロはイエスとは直接出会っていませんが、使徒としての自覚がありました。今日はM・Sさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 米国南部バプテスト日本語教会連盟。①肉体と霊の健康が守られるように。②在米日本語教会の働きと祝福のために。日本バプテスト連盟教会伝道所一覧では12教会が登録されています。
2/26 ルカ福音書15章1-10節 「悔い改める必要のない人はいない」
ルカ15章の主の譬え話群は失ったものを諦めずに見出して喜ぶ「喜び三部作」。主は当時の社会から疎外している人々を「罪人呼ばわり」する人間こそ神から去り、自分が神の如く、義しく人を裁けると思っている罪人であり、悔改め(心の方向転換)すべき人々と語ります。失った一匹の羊、その一匹を探し回り見つけた時に大喜びする羊飼い。そのような羊飼いは残した九十九匹の羊も同様に愛していたでしょう。7節の「悔い改める必要のない九十九人の正しい人」は誤解されます。聖書全体を見る時、「悔い改める必要のない人」はどこにもいません。本田哲郎訳の「低みから見直しの必要を感じていない九九人のまっとう(と思い込んでいる)な人たち」が良い訳です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「臨時委員会」。➀「平和宣言推進担当者会」。②「憲法改悪を許さない私たちの共同アクション」。③「東日本大震災被災地支援委員会」。
2/25 ルカ福音書15章11-32節 「聖書に自分の姿を見出す時」
「放蕩息子のたとえ」で知られ、夏目漱石は世界で最高の短編小説と語りました。この話の中心は「待ち続け、赦しと愛をもって迎える神」です。私はこの話も幼い頃から聞いていて、青年時代、自分自身に失望していたある日、この話を思い起し、まさにここに描かれている「息子」は自分の姿だと覚え、主なる神の家、教会に再び帰ろう!と思った箇所。人は誰でも「放蕩」しようと思って人生計画をするわけではありません。夢を描きますが、自分の弱さや性格や不足、思い掛けない出来事の発生や周囲の影響等で結果的に自分の道を失ってしまうのですし、自己責任のみではありません。でも、そのようなあなたを主は待っておられます。あなたも神の愛する子どもですから。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「性差別問題特別委員会」。「性差別」をキリスト教会も行なってきたことを反省し、その課題を克服していくためにつくられた委員会です。かつては牧師は男性とされていましたが、男性だけに限る理由はなく、現在は女性牧師も増加しております。ただし、どうしても男性牧師を招聘することが多いのですが、私の感覚では牧師が男でも女でも、主と人、そして教会に仕える思いと自己絶対化しない考えが第一です。性差はありませんし、それをつくってはいけません。祈りの課題は以下です。①性暴力を始め、あらゆる暴力の根絶のために。②多様な人が安心して集える教会に資する委員会となるように。委員長・岡田富美子(那覇新都心教会牧師)
2/24 使徒言行録13章44-52節 「律法を超える福音の力」
パウロとバルナバによるアンティオキア伝道の様子。パウロはまず、その地のユダヤ人会堂を伝道の足掛かりにしていましたが評判になり、ユダヤ人以外も集まってきます。42節の「神をあがめる改宗者」とは、ユダヤ人以外、つまり異邦人でユダヤ教徒になった人々のこと。パウロが語る主イエスの福音は従来のユダヤ教の伝統を超えるゆえ、主イエスと同様、特に保守層から反発を受けます。45節で「ねたみがあったゆえ」と記されますが、正しくは福音に対する反発。律法による救いではなく、主イエスによる恵みを信じることの救い、異邦人であろうとも主は偏り見ず、救いを約束することは、まさに伝統の更新なのです。妨害がありましたが、伝道は進展します。本日はT・Tさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 西九州地方連合。「西九州地方連合は」日本バプテスト連盟に加盟する中で、長崎県、佐賀県にある教会・伝道所の地域連合です。12教会、1伝道所が構成されています。祈りの課題は以下です。①無牧師の教会のために。②全国大会を備える壮年会のために。③オンライン促進プログラムのために。会長・曺
銀珉(長崎教会牧師)
2/23 ルカ福音書19章1-10節 「ザアカイの喜び」
「ザアカイ」(日本語で言えば「清」の意味)、私も背が小さく、幼い頃から親しんだ人。彼は人気のイエスを見に行きますが、誰も中に入れてくれないので木に登りイエスを待ちます。イエスは木の下で立ち止まり、ザアカイの名を呼び、招きます。「高いところから眺めないで、降りて、自分のそのままの姿でおいで」と。ザアカイは喜び、イエスを家に招き、パーティをします。イエスの友、イエスの弟子となった喜びと悔改めの表現は「財産の半分を貧しい人々に寄付し、だまし取っていたお金を四倍にして返します」。ザアカイは今まで「お金」が人生の尺度なので、主への感謝の仕方も「お金」なのです。主への感謝を、ある人は、歌をもって、ある人は他者への愛で示し、ある人は文章をもって、ある人はドラムを演奏するのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 豊前キリスト教会。福岡県豊前市八屋1986-2にあります。かつては場所的によくなかったのですが、今は近くに道路もでき、すばらしい教会も建築されました。この教会の本山牧師がたくさん活躍しておられ、教会も元気になってきていることを嬉しく思います。豊前市出身のテレ東のニュースキャスターが、そう、大江まりこ、だったかな、いらっしゃると思います。特に教会とは関係ないと思いますが。まだ行ったことがないので、一度行ってみたい教会の一つです。祈りの課題は以下です。①すべての人を歓迎する教会になる。②人権を守るための学び、働きをなしていくことができますように。③教会創立70周年を覚えて。牧師・本山 大輔
2/22 ルカ福音書8章42b-48節 「どんな理由でも」
サンドイッチ形式で二人のイエスの出会いが絡み、語られる箇所。この女性は12年間女性病に苦しみ、お金や人間は彼女を救えません。しかし、彼女は勇気を出して人混みの中、主イエスにそっと近づきます。「イエスの服にさわったら癒されるかも」という根拠ない勝手な思い込みですが、同時に必死にすがる思いだったのです。しかし、主はその祈りの手を、彼女の体と心の痛みをご存知です。それゆえ何より、彼女を探し、女性は自分の苦しみの過去を語ります。最初は思い込みのような信仰、しかし、主イエスは彼女と対話し、人格的な交わりをすることが彼女の人間としての全人的回復になります。どんな理由でも、まず主イエスに手を伸ばしてほしいのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 大分キリスト教会。大分市城崎町2-6-22にあります。この教会が小さい頃、父が仕事でこの教会に伺った時、午後は何か研修会があったようで、母と私が、教会の近くで行なわれていた「おまつり」に行ったのです。そこに向けて歩いていた時、知らないおばちゃんが「親子でそっくりですねー」と言われたのを凄く覚えています。また、いつだったかなぁ、大分教会の礼拝で説教奉仕したことがあります。その時、大分教会に神学校の先輩がいて(その時は牧師職にはついてなかった)、秘湯の温泉に連れていってもらいました。面白い体験でした。とにかく別府は面白いところです。祈りの課題は以下です。①教会のための人間形成から、人のための人間形成へ。②教会の敷居を下げることができるように。
牧師・村田 悦
2/21 ルカ福音書5章27-32節 「『すべてを捨てる』ことの誤解」
この箇所は最近礼拝宣教でも扱いました。今日は、聖書や教会の伝統の中で用いられる「何もかも(すべて)を捨てる」という表現について。「牧師等は親や兄弟や財産も全て捨て、清貧に甘んじる生活」というイメージがカトリック修道院等の伝統と重なって用いられることがありますが、そのようなことはありません。何か凄い理想を要求いするようです。主イエスは家族を大事にしたし、私もそうです。ペトロの実家(漁師)は大きかったしそれを捨ててはいません。パウロも妻や財産を全て捨てたわけではありません。意味するのは「主に従うこと、仕えること」を第一にすることであり、それは家族を愛する道でもあります。財産や家族との縁切りや多額の献金を勧める宗教は危険です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 別府国際バプテスト教会。大分県別府市中須賀東町10組の1 にあります。別府は日本でも有数の温泉郷で、町の中にはたくさん湯気が上がっていたり、温泉を用いた「地獄」や「ラクテンチ」もありますし、そこから山に上がっていけば、ある程度距離がありますが、「湯布院」等の観光地や温泉があります。そしてこの教会は「国際」とありますが別府はという観光地を背景とした日本最大の留学生を抱える立命館アジア太平洋大学があり、その学校の教員や学生が多く参加されているようです。ぜひみなさんも行ってください。祈りの課題は以下です。①信仰の絆と交わりのために。②国際教会としてビジョンの共有。③教会墓地取得のために。
牧師・酒井 朋宏
2/20 ルカ福音書4章16-21節 「『報復』する神ではなく」
主は聖書を渡されてすぐに説教をしたようですが、事前打ち合わせはあったと思います。それより、22節は「恵み深い言葉に驚いた」、人々の反応は否定的な驚きです。一つは「あの大工ヨセフの子が偉そうに語りやがって」という差別的な言葉。もう一つはイザヤ書が読まれたのがルカが語るように19節までだったゆえだと想定します。引用しているイザヤ書61章を読めば「神が報復される日を告知して…」との言葉を主イエスは読まなかったのでしょう(聖書に「章」や「節」がついたのは16世紀半ば以降)。ローマ支配の辛酸をなめた人々はいつの日か神の「報復」を期待していました。しかし主イエスは「報復」する神を語らないのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 臼杵キリスト教会。大分県臼杵市福良187番地2にあります。大分県も北九州地方連合の一員ですが遠いですよね。臼杵はあまり知られていませんが、切支丹(=クリスチャン)が多かった時代もあり、その遺跡等を松永正俊牧師が行なっております。もちろん、切支丹は時の城主が切支丹になればその一族や家臣も切支丹になるので、どれほどの信仰であったのかは問題がありますが、その中では確かにキリストの教えを最上と考え、実践した人は必ずいたと思います。また、永松博牧師のお連れ合いは、以前、牧師をされていましたが、現在地域おこしの取組みをしたり喫茶店(または売店)のようなものを開設しておられます。小っちゃい頃を知っている方ですが、その地域で頑張っておられることを感謝してます!いつか行きたいものです。祈りの課題は以下です。①神の招き(外なる声)に聴く一歩。②更なる教会設備補修課題のために。③開かれ協力して宣教に励むために。牧師・永松 博、協力牧師・松永 正俊
2/19 ルカ福音書12章13-21節 「あなたに預けられた命」
遺産相続の争いがあります。親から譲り受け、自分で稼いだわけでないのに、権利を主張しますが、そのようなことには私も決して自由ではないですね。遺産が多ければ多いほど問題は複雑になります。主イエスは相続トラブル相談を持ち掛けられるのですが、主は財産分与の問題とはせず、「財産とは何か」「いのちとは何か」との課題に目を向けさせます。そこには、私共の命は自分では最終的にどうすることもできず、富を積んでも死んだら何も持っていくことはできません。裸で生まれ、裸で帰る存在。「児孫のために美田を買わず」は西郷隆盛の言葉。私共に与えられている賜物(たまもの…命、能力、病等全ての「恵み」)は神から貸し与えられているもの。そして、その管理を任せられているのが人生。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 福間キリスト教会。福岡県福津市津丸983-11にあります。私が西南学院大学神学部にいた何十年前は「福津市」という名前はありませんでした。福津市には「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群は、世界遺産に登録されています。宮地嶽神社も有名ですね。福岡県と大陸は近いので昔から様々に文化交流もなされていたのです。地図でいえば、福岡と大阪より韓国の方が近いですからね。この教会は大昔に行ったことがあります。祈りの課題は以下です。①バプテスト精神に立ち、主の業に励む。②喜びと感謝に満たされて、地域の灯台となる。牧師・近藤
浩久、協力牧師・宮崎 信義
2/18 ルカ福音書12章22-34節 「神の国を求めて」
ルカ福音書は「神は烏(からす)を養ってくださる」とあります。これはちょっと面白いですね。現代、烏は評判悪いけど、昔は「美しい黒」や童謡のごとく良いイメージでした。勿論、「烏」が中心点ではなく、人間に対し、評判が悪かろうが、小さかろうが、醜いと評価されようとも、神が愛し守り給うことです。「神の国」を求めなさいの「神の国」とは神の恵みと愛の中に生きること、神を喜び、他者を喜び、神と共に生きる世界のことです。「小さい群よ」と主は語ります。取るに足りない小さな我ら、小さな教会。でもそこは神が共におられる世界であるがゆえ、貧しく辛い中を歩む人々を覚えつつ自分のできることをして支えていくのです。今日、世界の辛さの中にある人々を覚えます。今日はT・Yさんのお誕生日おめでとうございます!先日「成人式」を迎えました。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 自由ヶ丘キリスト教会。福岡県宗像市青葉台1-35-1にあります。この教会は丁度、福岡市と北九州市の真ん中くらいです。「自由ヶ丘」っていろんなところにありますが、割と新しい住宅地として福岡市と北九州市どちらにも通勤する方が多いのだと思います。現在は専任牧師がいません。祈りの課題は以下です。①牧師招聘が叶えられますように。②無牧師の中の教会運営のために。③高齢者と家族の健康のために。代務者・M・Yさん
2/17 ルカ福音書12章4-7節 「一羽のすずめさえ」
まず「アサリオン」、聖書巻末には「度量衡および通貨」というのがあり、1デナリオン(一日分の賃金)の16分の一なので1200円位です。人からそれ位の価値と見られている雀さえ、神は忘れられない。ましてや、主はあなたを知っておられ、愛してくださると語ります。なおマタイ10章では「二羽の雀」。この言葉から生まれた「His Eye Is on the Sparrow」はゴスペル等でよく歌われます。日本の讃美歌集では「新聖歌」に「心くじけて」という歌詞名で収録され、折り返しは「一羽の雀に 目を注ぎ給う主は 我さえも支え給うなり 声高らかに 我は歌わん、一羽の雀さえ 主は守り給う」。今日も主はあなたに目を注がれます。かけがえのない命のゆえに。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 古賀バプテスト教会。福岡県古賀市花見南2-27-45にあります。「古賀」というのは福岡市と北九州市の中間で福岡寄り。高速道路の「古賀インターチェンジ」があり、福岡市のベッドタウンとして発展しているところです。この教会の泉牧師はよく存じ上げている先生です。もう数年も前ですが、どこかで集会に参加しておられる時、血管が破れる病気になり、ドクターヘリで運ばれ、聞いたときはとても心配してお祈りしましたが、無事、元気に今も活躍されておられます。祈りの課題は以下です。①平和のためのあらゆる働きのために。②神の宣教に教会が用いられますように。③地域4教会の宣教協力のために。牧師・泉 清隆
2/16 フィリピ書4章10-20節 「どんな状況でも」
パウロは伝道者としての生活費や移動費用、更に関係者を支える費用を必要とし、そのための献金を感謝して伝えています。でも一方で自分はどんな境遇でも対処する秘訣を持っていると語るのです。教会は非営利団体ですし、牧師の境遇は一般的に厳しく、牧師の副業や家族の仕事で家計が成り立つ人が多いのです(これは課題を含む)。私も副業していた時代は長いです。連盟加盟教会の平均収入は年約600万円で牧師費や教会の運営費管理費を支出して活動しています。通常の牧師はその状況を知った上で主に仕えます。高収入を目指すなら牧師の道に進まないが吉。でも、パウロも我らも主と教会に仕える生活は基本的に喜びであり、共に歩む教会の方々と主への感謝を常に覚えて歩む日々です。今日はK・Yさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 西戸崎キリスト教会。福岡市東区西戸崎6-2-27にあります。昔は漁村という感じでしたが、今は随分変わったでしょうね。長らく幼稚園も行なっていました。この教会の牧師もいろいろユニークな牧師ですし、そういえば、先日「讃美歌の解説本」を自費出版したと思います。お連れ合いがまたユニークな方で、私が出会った最初は、つまらなそうにタンブリンを父親のサックスに合わせて演奏していたのが印象に残っています。その後、ライター(本や雑誌に文章を書く人)として理解し、また、ゴスペルを故亀渕先生に習っていたシンガーであることを知り、私が福岡有田教会に在任時代は「ゴスペル教室」の指導者として活躍してくださいました。今は、福岡市の西の糸島に「ヘブンズガーデン」という施設を使って活動されています。「ヘブンズガーデン」なので洋風の建物かなぁと思って、一度行く機会があり、行ったら、古い日本家屋でした。そこでは宿泊者を受け入れたり、最近は「羊の毛」を使った作品をつくったり、その教室をされています。なんといろいろな才能が与えられている方でしょうか!すてきな方で、影ながら応援しています。教会の祈りの課題は以下です。①伝道活動が活発にできますように。②バンド奏楽者が加えられますように。③病床者の治癒・回復を切に祈る。牧師・城 俊幸
2/15 Ⅰコリント書16章1-4節 「任意で自由なのが献金」
「聖なる者たち」とは当時の牧師や伝道者等(使徒も含む)のことで、まだ「牧師」職はない時代。当時の教会はパウロを含め伝道者を招いて礼拝をしていました。伝道者が来てから費用を集めるのではなく、準備をしてほしいという言葉があります。エルサレム教会への献金も関係性の中で必須でした。どこの教会も直接、天からお金が降ることはなく、教会を形づくる一人一人の祈りによる任意の献金を献げることで宣教活動が進められるのは今も同じ。しかし、強制や定額ではなく個人の自由に任せられます。今日、言いたいのは税金。義務であり、金額も決まられますが、議員・公務員等は国民が厳しい中で納めていることに心に留めて仕事をしてほしいものです。今日はM・Hさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> バプテスト東福岡教会。福岡市東区馬出4-13-15にあります。福岡市営地下鉄で「箱崎宮前」駅、2番出口を上がるとすぐに特徴的な十字架塔が見えますし、すぐです。「筥崎宮」は有名で秋の「放生会」が有名。私が神学生1年目でこの教会に通っていたときは教会近くに屋台での博多ラーメン店がありました。当時は故福本幾男牧師の時代です。教会員の方に家具等をつくる工房をもっている方がおられて、ある時、スピーカ作りに興味があったころ、この工房には木材切断の機械があったので数回訪ねてバックロードホーンのスピーカーをつくりました。ただ、音があまり前に出てこないのが不満でしたね。アンプとの相性もあるのかな。この教会の松見牧師は元西南学院大学神学部の教授のお働きをされていました。劉牧師は、現在、西南学院の宗教主事をされていると思います。祈りの課題は以下です。①信仰の継承のために。②高齢者・病の人が守られますように。③幼稚園の働きのために。
牧師・笠井 元、協力牧師・松見 俊、劉 雯竹
2/14 使徒言行録4章32-37節 「共同体がより機能するために」
初期キリスト教会ではメンバーが財産等を共有していました。いわゆる理想化された「コミュニティ(共同体)」の先がけ。しかし、完全な財産の共有並びに分配は難しいのは当然であり、その後の教会には引き継がれていきませんが、精神的にはそれぞれ個人の独立性と意思を担保しつつ、「分かち合う」グループとして歩んでいます。初期バプテストも自分達を「カンパニー」=「パンを分け合う仲間」と称し、後には「会社」を意味するようにもなります。初期教会の財産共有が破綻した一つとして5章からの実例が紹介されています。アナニアとサフィラは余りに可愛そうです。彼らに問題はありますが、主にある組織がこのような犠牲を生まないことを主は願っているのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 香住ヶ丘バプテスト教会。福岡市東区香住ヶ丘4-2-14にあります。1955年に開設された教会でもう随分長い歴史を刻んできました。長らく盲目の藤井健児牧師が牧師をされていました。現在は名誉牧師とのことです。またこの教会は数年前アフガニスタンで殺害された故中村哲氏が洗礼(バプテスマ)を受け、育った教会でもあります。祈りの課題は以下です。①キリストが形づくられるように。②分かち合いを通して主に開かれる。
牧師・堀内 明、名誉牧師・藤井 健児
2/13 使徒言行録3章1-10節 「『美しの門』の下で」
エルサレム神殿入口の一つの「美しの門」は青銅の素晴らしい彫刻が飾られ、門に入る者はその立派さに神殿の力を思いますが、その門の下では障害のため仕事できない人が「置かれ」、人々の施しで生きていました。人々は彫刻には感じ入るもの、その下にある現実の苦しみに目を留めないのです。ペトロとヨハネはその現実に気づきます。二人はかつて主イエスがそうされたように、この人に目と心を向けます。そして使徒達は語ります。「我々に金銀はない」。その人はがっかりしたでしょう。しかし、ペトロは語ります。「我らが持っている信仰によって語る、主イエスの名により、あなたは立ち上がり、歩きなさい」。主イエスは信仰と希望により生きる力を注がれる方なのです。今日はS・Tさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 博多キリスト教会。福岡市博多区青木1-10-28にあります。地下鉄では福岡空港から徒歩15分とのこと。その他、博多からのバス等もあります。福岡空港はとても福岡都心に近い空港です。飛行機で福岡空港に向かうと、その日の風向きで、海側から入る時は、志賀島(「金印」が見つかったところ、また、水族館もある)や福岡タワーとその近くに広がる西南学院などが見えます。山側から入る時は、福岡市の南をくるっと廻って入ります。座席により窓から博多教会の大きな建物が見えます。ちなみに、福岡空港から博多駅(新幹線もある)まで、地下鉄で5~7分程度です。今年の春には、二本目の地下鉄が博多駅まで延伸開業されます。博多駅に着いたら、豚骨ラーメンの香がぷんぷんするけんようわかるったい。博多教会の祈りの課題は以下です。①「愛のうちに建つ教会」として健全に歩むことができますように。②教会の大規模改修が進みますように。牧師・佐味 健志
2/12 ルカ福音書8章16-18節 「主の真理を心の中心に」
「ともし火」、当時は油を入れたランプです。そして当然、ランプは暗くて見にくい場所を見やすくするし、そのように置きます。ここでの光は主イエスの語る真理です。真理は人生の暗闇や見えない未来を示し、あなたの道標となり、人との(見えない)関係性を教えてくれます。主イエスの真理を知った者は、それを隠すのでなく、それを用いて日々を歩んでいくのです。ゆえに「どう聞くべきか」という態度が求められます。便利な道具を買ったのに、それを忘れて苦労することがありますね。まず主の真理から考えることが良き道を開きます。また、真理は隠されてはいけません。闇の行いはすべて開かれると思わなければ。そして主の真理は開かれ伝えられてきたのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 那珂川キリスト教会。福岡市に隣接する那珂川市、恵子3-3-5にあります。那珂川市は、福岡市のベッドタウンとして開発が進み、新幹線の基地があることから、その基地に「南福岡駅」があり、新幹線で「博多」まであっという間に到着するのでも人気です。私が西南学院大学の神学生の頃はまだ、ひろーい土地で、免許を持っていても運転していなかった妻を連れていってこの広いところで練習をしたものでした。あの頃はオートマチック等は珍しく、ギアを入れるのが大変でしたね。この時代は私の両親も那珂川町のとなりのところに住んでおりましたこともなつかしく覚えます。この教会の籐牧師は西南学院大学のグリークラブで活躍したり、コーヒーや音楽を愛しておられる方です。もう1年位前か、福岡空港でばったりと会ったのにはびっくりでした。息子さんをお見送りにきていたようです。この教会の祈りの課題は以下です。①苦難の時代にも信仰に立つために。②地域への福音伝道の広がりのために。③数年後にできる新住宅街伝道のために。牧師・籐 寿
2/11 マルコ福音書4章21-25節 「自分がはかられたら」
前半はランプをなるべく必要なところを照らすために置くように、主イエスが語る真理も人生の必要な部分を照らすことが必要です。後半の「はかり」は解りにくいと感じる話です。私共は様々な「はかり」を持っています。それは「価値観」と言ってもよいでしょう。他人を量るのは楽だし、時に楽しいように思います。人の失敗や不足やあら捜し、衣装や「くせ」等。その「はかり」が小さい人は当然自分の「はかり」からはみ出していることに怒ったり、厳しく指摘したりします。それを逆に考えてみましょう。自分のことを「あれもだめ、これも悪い」とされたら辛い話です。豊かな大きな「はかり」は希望や生きる力を与えてくれます。今日はS・Aさんのお誕生日おめでとうございます!そして今日は「建国記念の日」とされますが、私どもは「信教の自由を守る日」として覚えています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト福岡基督(キリスト)教会。福岡市中央区荒戸2-5-16にあります。1892年の創立なので、今年、131年目の歴史を迎える教会です。敷地内には学校法人「汀(みぎわ)幼稚園」があり、長らく幼児保育をされています。この教会の小川牧師は、先日、リモートで行われた会議にも出席しておられて、何だか、武者小路実篤か、夏目漱石?のようなかつての文学者のようなお姿でした。広い会堂はとても歴史を感じる建物です。福岡市民はこの教会の横を通って山のほうにのぼっていくと存在する神社に初参りする方が多いようですが、ぜひ、その手前の福岡教会の礼拝等にもぜひご参加してください。祈りの課題は以下です。①主日礼拝、祈祷会を豊かに。②高齢者、闘病中の方々のご健康のために。③「海と空のひろば」(地域の居場所作り、食事会)の活動を通して地域とつながる。牧師・小川 宏嗣
2/10 ローマ書10章5-15節 「恋愛は失望に終わろうとも」
「神の義」とは人間に対する「神の赦し、愛、恵み、導き、祝福」等です。そのことに感謝して「ありがとう」と受け止めてそこで関係が成立するのです。2月はバレンタインデーという日本で独自に発展した「愛する思いを伝える日」がありますが、「好き」と思っているだけでは現実になりません。チョコを渡さなくても言葉で「好き」と告白して、相手も「私も好き」といえば関係がとりあえず成立します。神はあなたを愛しているよ、と語っておられるので、それに対して「私も主を愛し、共に歩んでいきます」と表明することで神とわたしの間で信仰の関係が始まるのです。恋愛は失望に終わる方がどうやら多いようですが、主を信じる者には失望はありませんし、その愛は国籍も民族も性差も関係なし!本日はF・Kさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 鳥飼バプテスト教会。福岡市中央区鳥飼1-6-17にあります。この教会の前には「那珂川」という川があり、冬には「渡り鳥」がやってきて、よくパンを投げたら「鳥」が上手につばむのを楽しくしておりました。この教会の隣接地には西南学院の幼稚園と保育園があり、うちの娘はこの保育園に入っていたので、登園時などにパンを投げていたわけです。それがこの地名「鳥飼」の由来だと私は信じております。この場所の近くにはたんさんのマンションも建ち、市民のオアシス、なんとか公園もありますね。昔、西南学院神学部の学生だった時、2年目に奉仕教会(今は「研修教会」というようですが)として通っておりました。その時は鍋倉先生の時代です。祈りの課題は以下です。①教会のミッション・ビジョンの策定。②新来者・求道者の信仰決心。③み言葉と祈りによる信仰成長。牧師・三田
照雄
2/9 ルカによる福音書12章49-53節 「分裂により真理が明らかになる」
ここはびっくりするし、同時に解釈の難しいところ。主イエスが「平和でなく分裂をもたらす」、新約全体からは特異な言葉なのでそれゆえに福音全体との繋がりを考えながら読むべきです。そして「分裂」は「途上」においては起こりやすいのです。イエスの死は弟子達もイエスから離れます。平和を求める団体がその方向性や行動を巡って分裂することもあり、夫婦や家族の分裂もありましょう。しかし、それによって、真理や真実の関係性が明らかにされるのは次のステップのための準備です。争いは良くありませんが、それが自己利益追求ではなく、相互の未来を創るものであれば再び一致が生まれるしそこに主が示すポイントがあります。なお、付け加えるなら、「分裂」は時に「憎しみ」に変わります。この「分裂」は良くないです。解決を目指すこと、解決を目指すことができるのが、神が人間に与えてくださる知恵でもありましょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 西南学院バプテスト教会。福岡市早良区西新7-5-35にあります。この教会がある一帯はほとんど「西南学院」の敷地であり、(教会は独自です)西南学院の教職員や学生達への伝道を目指して生まれた教会と思います。数年前に新しい建物になり、パイプオルガンも以前のものを改めて組み立てたと思います。昨年から協力牧師になった踊一郎先生は、もう40年位この教会の牧師をされたと思います。説教では(多分いつも)読まれた本の話をしながら聖書の話をしていくというスタイルですし、とても聞きやすい説教者であったと思います(いや、過去形ではいけませんが)。踊牧師の書斎にはきっと入りきれない本があったのだろうと思います(私もそうだけど)。昨年秋より一線を退いて、西脇牧師が就任されました。この西南学院教会の100周年に合わせたようです。西脇牧師は、私がかつて就任していた神戸バプテスト教会で牧師をされていました。まだ小さなお子さんもいらっしゃる方です。実はまだ西脇牧師の説教を聞いたことがないので、いつかは聞きたいと思っております。もしかしたらYouTubeで配信されているかもしれません。祈りの課題は以下です。①牧師就任式、創立100周年への諸教会からの祝意とお祈りを感謝します。新たな福音宣教の歩みのためにお祈りください。主任牧師・西脇
慎一、協力牧師・踊 一郎
2/8 ルカ福音書9章28-36節 「山上の変貌」
28節に「この話をしてから八日ほどたった」と語り出しています。18節以下のことであり、信仰を表明することと、主が殺されること、その主に従うことの話は従おうとする者には厳しい話がなされるところです。それが「厳しさ」で終わらないように、イエスとモーセ・エリヤ(預言者)との関わりを示すことで、イエスの神性、旧約との繋がり、イエスに聞くことの大事さが語られるのです。ここでの高い山は標高2814mのヘルモン山とされます。ペトロはイエスとモーセとエリヤの姿に驚き感動し、小屋をつくって、固定して多くの人が見たら誰もが信じると思ったのです。しかし信仰は固定した像でも、作られた神を見ることでなく、人間を創られ、愛をもって導かれる主(神さま)に日々聴く歩みです。今日はK・Mさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト福岡城西キリスト教会。福岡市城南区別府5-10-28にあります。大きな国道からはいって、少し上ったところにあります。すぐ近くに女子大学の寮があったのですが、今はどうでしょう。また、さきほどの国道のところには美味しい「うどん店」がありました。この教会についてもいろいろ話したいことはあるのですが、協力牧師の寺園先生は、九州大学の教授の後、西南学院大学神学部の教授をされた方です。私が神学生の時は九州大学の教授でしたが、西南学院大学神学部では「教義学」を教えてくださった先生です。特に「バルト」の研究者として国際的にも有名です。当時、新約神学を教えておられた青野太潮先生との対話的神学的対決がすばらしかったです。神学にはいろいろありますが、特に「教義学」と「聖書神学」は方向性が違う点があります。それぞれ神学する方向は違いますが、私は「新約聖書神学」がとても興味深く理解しましたし、いろんな疑問も随分解決したと思います。バルトについて一言いえば、バルトが「神学の最も重要なところ」を聞かれて、「主われを愛す、主は強ければ、我、弱くとも、恐れはあらじ(ない)」と子ども讃美歌を歌ったと先輩から教わりました。つい長くなった。安藤牧師のことも話したかったけれどこれも次にしますね。祈りの課題は以下です。①コロナ危機の中、共に祈り共につながる教会の歩みが守られますように。②世界の隅々にキリストの平和が届きますように。 牧師・宮井 武憲、協力牧師・寺園 喜基、名誉牧師・安藤 榮雄
2/7 ルカ福音書8章19-21節 「み言葉と愛に生きる生活」
注)「み言葉」とは漢字では「御言葉」、神の言葉ということで、聖書を指します。
ルカはこのエピソードを短く扱っています。同じような内容を扱っている他の福音書(並行箇所)、マタイ12章、マルコ3章ではより詳しく記されております。それら箇所を読めば、イエスが悪霊にとりつかれている、とか言われて連れて帰るために家族が来た状況ということがわかりますが、ルカは21節の言葉こそ大事に残すべきと考えたのでしょう。そのようにメッセージを取捨選択しなければどんどん福音書は長くなるので仕方なかったし、その選択も含めて「聖霊の導き」だったと思います。戻って、イエスの家族の思いは複雑でしょうし、何より愛する家族がイエスさまの福音宣教の邪魔をするのですが、後には母マリアもその生涯を福音を頼りに生きていくのです。「家族」とは何か、ということも考える箇所です。御言葉に生きる時、愛で繋がる家族を知ります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 西福岡のぞみキリスト教会。福岡県糸島市篠原西3-3-25にあります。この教会は1986年~ですが、町並みの中にある小さな教会というイメージがあります。しかし、地域にしっかり根をはって教会の活動をされています。今は角地に建っています。亀井牧師は個人的には知らないのですが、福岡大学大濠高校で40年以上(多分)英語の教師をされながら、日曜は牧師の働きをされてきた方です。祈りの課題は以下です。①神の愛が地域の人々の平安を支えてくださいますように。②新来者の方々が信仰に導かれますように。 牧師・亀井 良雄、永山 辰原
2/6 ルカ福音書8章4-15節 「み言葉は種」
良く知られている「種蒔きのたとえ」です。11節からは解説があります。種がどのように成長するのかは、落ちた場所が問題なのでしょうか。それは偶然にその場所だったのでしょうか?テーマは農業ではなく、人間の心に関わることです。もしその種が大事だと思えば、鳥や石地から拾い出して育てようとするでしょう。ゆえに場所の問題ではなく、種を自分が大事に育てるか否かの問題です。御言葉もそうですが、それは人の言葉や出会いでも同じです。販売で成功している人に誰もがその秘訣を尋ねます。その人はすべて教えてくれるそうです。でも一時は真似ても続かない人は続かないとのこと。受け止めた言葉、御言葉を大事に育てることが喜びの道に繋がります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福岡西部バプテスト教会。福岡県糸島市前原東3-13-63にあります。「糸島」の「糸」は元来「伊都」でもあり、伊都国は「邪馬台国」説もあります。糸島は九州大学が移転したり、海や自然が豊かなところでとても人気のある地域になりました。この教会の麦野達一牧師は、音楽大学でホルンを学び、その後、留学経験もあったと思います。ホルン吹きですね。お連れ合いの方は音楽大学でピアノか音楽教育を学び、ピアノをとても上手に弾かれます。お二人で演奏されるなんて素敵ですね。麦野牧師はFacebookではラーメン食べたり、自転車こぎをしたりの写真がよく出てきますが、西南学院大学でも一般教養の「音楽」を教授したりしております。教会堂もよく目立つ大きな建物(行ったことはないけれど)です。ぜひ、九州大学や西南学院大学の学生さんなど、別に学生でなくてもよいので、多くの方にこの教会を訪ねてほしいと思っております。ひとつ、素晴らしいエピソードを。私が神学生時代、麦野牧師が育った教会に伺ったことがあります。高校生だった麦野くんは部活(もちろん吹奏楽)のため、通常の礼拝には出れないので、日曜の朝早く、牧師であった父、麦野賦牧師と二人で礼拝をして、それから麦野達一くんは学校に行っておりました。きちんと礼拝を守る姿にとても感動した思い出があります。お連れ合いの方のいろんな話もあるけど、それはまた次回。祈りの課題は以下です。①礼拝を第一にして信仰生活を送る。②コロナ危機で困窮している人々に寄り添う。③与えられる出会いを大切にする。牧師・麦野 達一
1/22 ルカ福音書6章1-11節 「律法の目的から考える」
今日の箇所は19日にも関連して扱っています。当時の「安息日」は何歩以上歩いてはいけない、とか、料理をしてはいけない、等様々に規定されていました。「安息日に休む」解放と救いの日を、人間は細かく定義したがるのは、自らが律法違反しないことと、他人を裁く基準を必要としたのです。昔、「こんな良い田舎道で50キロ制限」と言われて反則切符を切られたこともあります。仕方ないのですが…。律法においては常にその目的があります。家畜でもエサをあげる必要がありますので、それをしないといけません。安息日の目的は何より、神様の恵みと自分の周りの人々の働きに感謝し、労をねぎらい、共に神を礼拝して、新しい一週間の力を得ることなのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福岡有田バプテスト教会。福岡市早良区有田1-35-25にあります。近くには「室住団地」があったり、幹線道路が走っています。そして私がかつて牧師として奉職していた教会です。私がいた時代、もう25年程前になりますが、その頃から新会堂建築のビジョンがあり、それまでの「つなぎ」として自分で教会の壁紙をはったり、外壁ペンキを塗ったりしておりました。福岡有田教会に日本で最初の聖書の復刻版を一枚(木版・復刻されたもの)額にいれてありますが、あれは私が教文館で買ったものです。引越した時に持って行き忘れたのね。いつか返してもらおうかなぁー。また、私の時代に始めた「ゴスペル教室」と「ドラム教室」が奇跡的に今も続いております。数年前にお招きを受けて礼拝での宣教をさせていただきましたが、ゴスペル教室に参加されていた方が教会のメンバーとなっていたりしていてとても嬉しかったです。祈りの課題は以下ですが、今の松田牧師はかつては長崎活水女学院で教師をされていた方でもあります。たまにコスプレをやっておられるようです。改めて、祈りの課題は以下です。①高齢教会員たちの生活と命の護り。②新教会堂建築ヴィジョンの実現。③求道者の方たちの救い。牧師・松田 和夫
1/21 ルカ福音書13章10-17節 「一日も早い救いを願うなら」
安息日に主イエスが会堂で教えておられる中に18年も病で腰が曲がった女性がいました。「病の霊」とありますが、当時、病は「霊」の仕業と考えられていました。ゆえに「霊に取り付かれた人」と差別的に語られ、本人は病気の痛みに加え、精神的な痛みを負っていました。主は彼女の痛みを知り、癒されます。それに対して会堂にいた人々は病人が癒されたことに腹を立て、安息日に癒しをしてはいけないと言うのです。主は、人々の前あえて、癒しを与え、彼女の解放を告知したかったし、一日も早い救いこそ、誰でも望むところでしょう。会堂で礼拝しながら、他者への愛がない人々、私共もいつもその可能性を持っているのです。今日はK・Mさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 平尾バプテスト教会。福岡市南区平和1-5-23にあります。また、同じ教会の施設として「大名クロスガーデン」が福岡市中央区大名1-12-17にあります。ホームページには「私たちの求める教会像-キリストにあって愛と自由、しなやかさとやさしさ、平和とちょっぴりの勇気、そんな教会でありたいと願っています。」と記されています。数年前かなぁ、奥村献牧師が就任されました。奥村献牧師は、私、幼い頃から知っており、小学生くらいの時は、礼拝説教を聞きながら、それを絵画で表現しておられたり、学校では「漬物クラブ」に入っていたという優れた方です。日本バプテスト連盟に加盟する教会で「献」と名がつくのは、長らく私だけでしたが、今は「奥村献」「加山献」と3名になりました。松見献も牧師になったらいいのに、と思っておりますが、いずれにせよ「献」は「荒井献」のように神学的に素晴らしい方と言いたいいのですが、名前だけじゃぁーねー。なお、協力牧師の青野太潮先生は、西南学院大学神学部で新約学の教授を長くされた方です。今なおお元気で、最近は「どう読むか、聖書の『難解な箇所』」という著作をヨベル出版社から出されました。1200円ですが、ぜひ多くの方々にお読みいただいたらと思っています。青野先生は著作が出るたびに拙者にも送ってくださるのです。心より感謝申し上げます。青野先生は岩波訳の聖書の翻訳(コリント書等)もされておられます。また才藤千津子牧師は現の西南学院大学神学部で教授をされている方です。長くなりました。祈りの課題は以下です。①二つの会堂のビジョン成熟のために。②こひつじ園ランチカフェのために。③キリストの平和が世界にあるように。主任牧師・奥村 献、牧師・森 崇、協力牧師・青野 太潮、才藤 千津子
1/20 出エジプト記20章1-12節 「取引ではない主の恵みに生きる」
18日に扱った申命記の並行箇所で「十戒」の教えです。十戒は「…してはならない」と訳されますが、実際には「…しないはず」とか「(神を知っている者は)…しないよね」との言葉であり、命令よりむしろ人の心に語りかけ、歩みの基準を伝えるもの。それでも人間は神の教えに抗う存在でありますけど。8節以下の「安息日」はすでに語ったので、七節の「主の名をみだりに唱えてはいけない」について扱います。「みだり」とは神を自分の目的のために用いようとすることです。つまり、「私はこうしたから、神はこうせよ」と神と条件交渉をするようなことです。そのような取引は信仰ではなく商売。唯、神を感謝し、相応しい自分の働きを求めるものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 長住バプテスト教会。福岡市南区長住1-8-20にあります。この教会の歴史はホームページで見ますと、「長住バプテスト教会は,福岡市南区長住にあるキリスト教の教会です。キリスト教のプロテスタント(新教)のバプテストという一派に属しています。
米国の南部バプテスト連盟から派遣された宣教師で、西南学院大学神学部のR.H.カルペッパー師の熱い祈りと奉仕で、長住団地の一室から始められた教会です。1966年6月 福岡市南区長住の長住団地の一室で礼拝開始.初代牧師R.H.カルペッパー宣教師就任(在任1974年まで)」ということです。カルペッパー宣教師のことは私も昔からよく聞いていました。中條ご夫妻とも牧師ですが、お二人はとっても仲が良くて睦まじい感じです。さらにお二人ともとても良く勉強される方ですばらしいなぁといつも思って尊敬しております。祈りの課題は以下です。①週日の生活において、キリストを紹介する歩みを。②多様な私たちが、共に生きる教会共同体に。牧師・中條
譲治、中條 智子
1/19 サムエル記上21章1-7節 「律法や安息日規定に勝るもの」
サムエル記は歴史書で最後の「士師(=さばきづさか、ユダヤ王政樹立前の宗教的・政治的リーダー)サムエルとその後の王政樹立と王達について記された文書。統一ユダヤ一代目王はサウルですが、途中で神の目に適わなくなり、次の王ダビデが用意されますが、サウルの妬みをかい、逃亡生活を続ける必要がありました。その中で空腹になったダビデはノブの祭司アヒメレクのところに行き、パンを求めます。しかし、そこには神に献げたパンしかありませんでしたが、例外的にダビデに与えたのです。その話をルカ福音書6章において、安息日に麦の穂を摘んで食べた主の弟子たちが批判された時、主イエスが律法において例外や、命を優先するために律法を広く解釈し、律法でも命と愛が優先することを教えたのです。今日はT・Mさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 須恵伝道所。福岡県糟屋郡須恵町大字旅石917-16にあります。「須恵(すえ)」は須恵土器というのを学校で習った方もいるでしょう。「邪馬台国」がどこにあったのか、それは今も議論が続いておりますが、私は九州北部だったと思っております。何より九州は大陸に近く、海も山も近いし、平野も多く、佐賀の「吉野ヶ里」遺跡をみても、かなり早期から文化が伝わってきたと思います。ついでに言いますと、大陸(中国とか韓国)はシルクロード等で東西文化の交流があり、ユダヤ教やキリスト教も紀元初めには入っていたと思われます。その影響を受けて「仏教」は元々修行によって悟りを得るのですが、キリスト教の影響で「信じる者は救われる」という大乗仏教が成立したと思いますし、ユダヤ教は、日本に入り、神道と影響し合ったと思います。とはいえ、深くは学んでいないので感想のようなものですが。戻して、祈りの課題は、①多くの魂が救われるように。②祈りと伝道が祝福されるように。牧師・竹田 進一
1/18 申命記5章12-16節 「休み方を考える」
「安息日」の意味・由来は世界創造の中で神が七日目に休まれたことを基盤にし、かつてイスラエルの民がエジプトの奴隷状況から導きだされた「神による救いと恵み」を感謝する日という意味が加わりました。奴隷(奴隷は聖書全体から見て人間がつくってはいけない制度)や家畜、寄留している外国人にも休みが与えられます。色々な休み方があります。お正月休みは何十キロという渋滞で逆に疲れるのではないかと心配します。休みが与えられる時、「どのように休むか」「休みの目的は何か」を考え、その中に神との時間(礼拝)をつくることが肝要ですね。リクリエーション(再創造)だから。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 福岡新生キリスト教会。福岡市南区三宅3-33-1にあります。先日、帰省したときに、「博多温泉」というのがあるのを発見して行ってみれば、そのすぐ近くに福岡新生教会がありました。「博多温泉」は確かに温泉で、泉質は良いと思いますが、入口から脱衣所などは「昭和の温泉」という感じです。露店風呂があり、ぬるめのお湯でゆっくりひたることができます。ほかにも南市民プールがあったり、マンション等も周辺に多い地域です。また、ミッションスクールの「福岡女学院」もこの近くにあると思います。割と規模が大きい教会です。祈りの課題は以下です。①多くの人々の救い。②世界伝道のさらなる前進。③心身の病の癒し。主任牧師・竹田 殉聖、牧師・竹田 耶子武、宣教師・李 聖徳、河端 真理子、ジャナク・カンデル、国際関係交流主事・張 磊、協働牧師・竹田 浩、協働伝道師・野口 和子
1/17 ルカ福音書14章1-6節 「安息日を安息日とするもの」
今日の箇所は安息日に律法で許されていない癒し(=医療行為)を主イエスに行わせ、訴えようとしていた人々に主イエスが安息日の真実の意味を伝えた箇所です。そして1995年のこの日、「阪神淡路大震災」が起こったことを覚えます。その時、私は宮崎にいました。神戸教会は大きな被害から守られたもの、教会や幼稚園は避難所や支援物資の提供地となり、教会の方々も「炊き出し」等を行いました。鉄道や道路も寸断された中で、22日の震災後最初の日曜は当時の加藤牧師は作業着のようなものを着て、集まった少数の方々と礼拝しました。厳しい状況で、幼稚園の職員等も泊まり込みの日々が続く中、「御言葉」に聞くことが混乱の中でこそ大事でした。心荒れ、多忙な作業の中で祈りと整えができたのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 小郡キリスト教会。福岡県小郡市稲吉1374-15にあります。西鉄小郡駅出口から徒歩約7分で着くようです。祈りの課題は以下です。①世の光、地の塩として、教会が、前進し続けるように。牧師・下川 睦子、教会主事・吉浦 徳美
1/16 創世記2章1-4節 「神が休まれる日」
聖書が伝える「創造物語」は大きく二つあります。福音書が四つあるようにこの二つの物語は補完し合うものであり、進化論や科学書でもなく、神の創られた世界と人間は如何なる存在であるかを伝えるのです。最近あるテレビで「微生物」がすべての生物の根本であるような話を興味深く観ましたが、2章7節の人は「塵(ちり)」で形づくられたとあり、まさに「塵」のように目に見えない「微生物」かなぁとも思っています。さて、今日の箇所は第七の日に神が安息したとあります。ここでの一日は今の24時間とは異なる意味がありましょうが、「休み」もまた命の日々に必要なものと語るのです。きちんと休むことが命に必要なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 和白バプテスト教会。福岡県糟屋郡新宮町三代西2-13-13にあります。教会案内として以下のようにホームページに記されています。「私たちの教会は、1981年、個人宅での家庭集会から始まりました。その後、アメリカ人宣教師と共に、福岡教会の伝道所として開拓伝道を開始しました。現在の教会堂は1996年にアメリカからきたボランティアチームによって建てられたものです。1999年に和白伝道所から、「和白バプテスト教会」として教会組織しました。」とのこと。協力牧師の片山寛先生は、最近まで西南学院大学神学部教授をされていました。祈りの課題は以下です。①み言葉に生きる教会の歩みを。②地域の方々に仕える教会形成を。③各地での地震、豪雨の被災者のために。牧師・城前和徳、協力牧師・片山 寛、教会主事・樺島瑞代、宣教師・洪 淳奎
1/15 ルカ福音書5章17-26節 「あなたの罪は赦された」
「中風」とは脳血管病で障害が出ている人。歩けなくなった人を心配した友人らが主イエスのところに連れていく、とても嬉しい光景。しかし、主イエスがいる家は人が一杯で中に入れません。「入れてほしい」と願っても誰も聞き入れなく、彼らは屋根を破って病気の人を上からつり降ろします。病気になるのは「罪」のせいと考えが一般的であったゆえに、主イエスは「赦し」の宣言と「癒し」をもってこの人と触れ合うのです。「どちらがやさしいか」という質問は難しいのですが、どちらも難しいこと。強いて言うなら病気は医者が治す可能性がありますが、「罪の赦し」は祭司が神の権威によってのみ可能です。主はどちらも恵みとして示し、祈りに応えてくださったのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 粕谷バプテスト教会。福岡県糟屋郡志免町志免2-5-25にあります。ホームページには以下のように案内がなされています。「1955年から、志免の地に聖書の御言葉の種が蒔まかれ続けて68年」
♪魂に虚しさをおぼえておられる方、聖書には、生きる指針が満載です。♪敬虔さは神の側からではなく、自己主張の投影に過ぎないことに気付いておられるでしょうか。聖霊に導かれるときのみ、自我に解放され創造主である神に信頼し、すべてを委ねることができる。一瞬でも想像主に委ねることができたなら、自己主張しなくてすむ安らぎを得られるのですが、聖霊の助け無しには委ねることさえ、できない。報いを望まず愛すことさえできない。だから、聖霊の助けを願い祈るのです。
イエスは言われた。新約聖書 ヨハネによる福音書14章16節(新共同訳)「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。」新約聖書 ヨハネによる福音書14章26節(新共同訳)弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。主イエス・キリストの御名により祈る祈りは決して虚無的ではなく、悔い改めと感謝と喜びに満たされる。
ご一緒に聖書に聴きましょう。霊的な耳を澄まして。」祈りの課題は以下です。①ぶれず、「御言葉」に立つ教会。②キリストの体なる「教会形成」。③新来者と共に癒される教会。牧師・高地京子
1/14 ルカ福音書7章36-43節 「主の愛と恵みに感謝した女性」
「罪深い女」と呼ばれていたのはその仕事か、生活状況からでしょう。そのように呼ばれることはどれほど辛いか、あるいは「あきらめ」の境地でしょうか。しかし、この女性も以前にイエスに出会い、話をし、命の価値と豊かさを示されたのだと思います。その感謝を涙と油注ぎでもって主に示すのです。それが彼女がの考えた精一杯の応答でした。回りの人はその意味がわからず、こんな女性が入ってきたことへの嫌味を主イエスに感じます。主は語ります。1デナリオンは一日分の労働者の日当にあたります。多く赦された者はそれだけ感謝も多いのが当然でしょう。この女性に起こった赦しの恵みは生き様を変えるほどだったのです。罪の赦しは祭司がとりなすことでした。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 宇美(うみ)キリスト教会。福岡県糟屋郡宇美町宇美6-1-3にあります。ホームページでは教会の成り立ちが以下のように記されています。「超教派で家庭集会が転々と続けられる中、1950年西南学院教会宇美伝道所が開設された。鉱山でにぎわっていた1959年に会堂を建築し、人があふれた。鉱山閉山後、町はさびれたが、近年宅地開発が進んでいる。1964年に志免、篠栗、宇美の伝道所が合同の伝道所として西南学院教会粕屋伝道所となり、1967年に粕屋教会として教会組織。1992年に粕屋教会の宇美伝道所として再出発。そして、2006年に宇美キリスト教会として教会組織した。2011年に新会堂を建築。」。間村牧師は福岡大学でフランス語を学び、そのあと、なんと、シンガーソングライターを目指していたとのこと!今は作詞や作曲や歌を歌っておられるのでしょうか?Facebookではいつも素敵な写真が使われていてセンスがいいなぁと感心しております。祈りの課題は以下です。①子どもたちとの出会いのために。②地域の方々との出会いのために。③すべてはキリストの栄光のために。牧師・間村
史子
1/13 ルカ福音書6章37-42節 「裁きより先にすべきこと」
人を裁くこと、特に罪人と決めつけること、それに対して主は教えられます。まずは人を裁くとは「この人は良い、この人は悪い」と判断することですが、その人がどうしてそうなのかと理解することが必要です。また、自分の価値基準は他者の価値基準と異なることをわきまえる必要があります。どうしても気になれば対話する必要がありましょうし、対話する気がなければその人のありのままを認めるべき。さらに「罪人」と決めつけるのは差別や抑圧の対象とすることです。人を真実に裁くことができるのは神だけであり、自らも罪や誤りの多い人間である認識が共に歩む基礎です。自分が他者から裁かれてそれに合点すれば良いのですが、傷を残す事が多いですね。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 篠栗キリスト教会。福岡県糟屋郡篠栗町中央2-10-3にあります。篠栗は「ささぐり」と読み、この周辺では多くの寺院があり、いくつあるのかわかりませんが、巡礼の地です。この教会の伊藤牧師とは神学部で同期に学んだ方で、とても親しみを覚えていますし、教会の地域が「ささぐり」と私の名前が入っているのでこれも親しみを覚えています。祈りの課題でここ数年「福音のオリジナル追及」」とありますが、たとえば、それぞれの福音書には伝える人と伝えたい人もあり、主イエスの言葉がそのまま完全に残っているわけではなく(ほぼ残ってはいますが)編集の手をはずしていって、元のイエスの言葉や思いを再現しようとする(「生活の座」の再現)ことでしょうが、その作業は、牧師が説教をつくるときに必ず行う作業のひとつなので、余りしっくりこないのね。ただ、主イエスの言葉や行動は当時、大変衝撃的だったのは事実です。祈りの課題は以下です。①毎週の説教ネット配信のために。②福音のオリジナルの探求のために。③讃美歌創作による伝道のために。牧師・伊藤 聡
1/12 ルカ福音書6章6-11節 「良いことと悪いことの判断」
安息日礼拝で主イエスが宣教されます。しかし、一部の人間はイエスを裁く心で集っています。一人の手が萎えた人をイエスが癒すか否か。多分そのような情報は事前にイエスに伝えられ、もし、イエスがその人を癒したなら、安息日に禁止されている治療行為を行ったと訴えるためでした。そしてイエスはあえてその人を癒そうとし、人々に問います。安息日に許されているのは何か?安息日の目的は人間の解放を喜び感謝し、休息を与えることであり、それは命の救いや善を行う備えであるとの思いです。安息日ならなお、神なるイエスは人に助けと解放を与えるために癒しをするのです。悲しいのは、病の人の痛みや苦しみに共感し、援助せず、イエスを裁く道具にする礼拝者。今日はO・Mさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト春日原キリスト教会。福岡県春日市春日原北町4-23にあります。ホームページでは以下のように案内がされています。「当教会は、1949年より春日市において伝道を開始し、1956年に教会組織を行いました。現在の会堂は、2003年に新築され、2階が礼拝堂となっています。(エレベーター、手話での応対もありますのでどなたもお気軽にお越しください。)所在地は春日市ですが、春日市・大野城市・福岡市(博多区)の市境に位置しており、また、JR「春日」駅から徒歩3分、西鉄「春日原」駅から徒歩4分と、利便性に富んでおり、各地から多くの人が礼拝に集っています。」とのこと。若い原田牧師とベテランの末松牧師のコンビで牧会がなされていますし、付属幼稚園として「恵星幼稚園」があります。祈りの課題は以下です。①教会が、神と人がつながり合う現場になれますように。②みんなが暴力から解放されますように。牧師・末松
隆夫、原田 賢
1/11 創世記4章1-16節 「世界最初の殺人事件」
創世記の最初は人間とはどのような存在かを示します。アダムとエバの子カインとアベル。二人は収穫の感謝を主に献げます。アベルは羊の中で最も良いものを吟味して主に献げます。カインは適当にあるいは、自分には良いものを残し、普通かあるいは良くないものを献げます。ところが、主はカインの献げものを良しとされませんでした。その時、カインがとるべき態度があります。多分、理由は解るので、悔改めて良きものを持ってくることができますがカインは真面目に献げたアベルを憎み、妬み、「お前がそのようなことをするから自分の悪が知られた」と思い、アベルを殺すのです。その思いは私共の内に今もあります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福岡南キリスト伝道所。福岡市南区桧原2-54-7にあります。HPにはこう案内されています。「今から100年前、アメリカ南部バプテスト派の宣教師C・K・ドージャーは27才で来日し、福岡の地に導かれて西南学院を創立しました。教育の根底にキリスト教の信仰を据え、日本バプテスト連盟がそれを支えています。私たち福岡南キリスト教会も、聖書から教えられ育てられてきました。特に生涯教育の場として、母親・父親教育、乳幼児教育、学校教育を考えながら活動をすすめています。人生のいかなる場も学びのチャンスがあります。聖書のことばに耳を傾け、知恵をいただいて共に歩み学びましょう。教会のヴィジョン「隣人と子どもたちに仕える教会」
聖句「子どもたちを来させなさい。私のところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」(マタイ19:14)
以上のように案内がなされ、未就園児童とお母さんのクラスや「子ども食堂」を行ない、地域に仕えている教会です。祈りの課題は以下です。①礼拝が休むことなく継続されること。②未就園児母と子の育児活動の応援。③ひばるん子ども食堂は地域交流場。牧師・有吉 光寛、伝道師・柴田 公文
1/10 ルカ福音書 5章27-32節 「罪人とは誰のこと?」
「徴税人」とはユダヤでローマへの税金を徴収する仕事で、計算方法で騙して私腹を肥やし、金貸しをしていた人であり、人々からはローマに魂を売った罪人と言われていました。レビはイエスと出会い、その話を聞いていましたし、その心が飢えていたゆえ、主の招きに応えます。そしてキリスト者になったパーティを開き、仲間等を集め、そこに主もおられます。人々はイエスを罪人の仲間と攻撃します。主は語ります。「罪人」とはここではラビを含みますが、よりその罪性を示すのは、自分は正しく、人を裁けると思い、人間を差別し、ラビをそのような生き方にさせていく社会や共同体のことです。病んだ世界は他者を攻撃する世界です。今日はT・YさんとH・Tさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 筑紫野二日市キリスト教会。福岡県筑紫野市塔原東4-6-11にあります。HPの案内にはこう記されています。「筑紫野二日市キリスト教会のホームページへようこそ。青い空と緑の筑紫野、北東に宝満山、南西に天拝山。「空の鳥を見よ、野の花を見よ」との聖句がぴったりのここ二日市で1985年に集会がスタートしました。聖書のみ言葉と賛美、そして祈りを大切にしています。西南学院、西南女学院、久山療育センター、京都の日本バプテスト病院と同じバプテストの精神に基づいた、正統で福音的なプロテスタント教会です。」。加来牧師はサックスをとても上手に演奏されますし、お連れ合いの陽子さんはピアノを演奏され、お二人で演奏できるってとても素敵ですね。祈りの課題は以下です。①新来者・求道者・バプテスマ受浸者が与えられますように。②信仰の継承を育成する。牧師・加来
国生、音楽責任者・加来 陽子
1/9 創世記3章8~9節 「あなたはどこにいるのか」
人を試みる者として蛇が登場します。しゃべる蛇にびっくりしてはいけません。蛇は人間心理に対する挑戦者であり、人間は信仰や良心が常に挑戦を受けるのです。蛇は「神の言ったことは本当か」「神の言うことを信じて良いのか」と問い、自分の見解を語ります。人間はそこで迷いが生じ、神が願わねことが良いことのように感じ、選び取るのです。神の意思に反抗するのはまさに原罪といえましょう。女性はその責任を楽にしようと共犯者を求めます。その結果、人間は「恥」を知りました。それまでは「隠さないで生きる」歩みでしたが、「隠す」ことを始めたのです。人との違いを隠し、自分の過ちを隠し、神の前から隠れるのです。でも、そのような人間をなお神は探しています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 筑紫野南キリスト教会。福岡県筑紫野市原田5-1-24にあります。JR鹿児島本線、原田駅から徒歩7分のところにあります。現在、専任牧師不在ですが、早く決まればいいですね。祈りの課題は以下です。①ふさわしい牧師の招聘。②地域のより多くの方々への伝道。③信仰継承と後継者育成。代表役員代務者・梅木
光男
1/8 ルカ福音書4章1-13節 「試みる者=心見る者」
主イエスの活動の始まりは悪魔のテスト。「悪魔」は「試みる者」であり、人を試み、人の弱点をついて、神から引き離す力です。第一は空腹のイエスに「この石をパンに変えよ」との試み。主は「人はパンだけではなく、神の言葉によって生きる」と要求を否定します。次は世界の権力と繁栄を与えようと試みますが、それは悪魔を礼拝する事が条件であり、「ただ主に仕えよ」と拒否します。最後は「神殿の屋根の端から飛び降りて見せて、天使が助けるのを見たら、人はお前を信じるだろう」と語ります。主イエスは奇跡的な業を見せることで人を信仰に導いてはいけないと語るのです。我らに試みがあるとすればどのようなものでしょうか。今日はY・Kさんの誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 鳥栖キリスト教会。鳥栖は「とす」と呼びます。この教会の牧師は新生讃美歌「たとえばわたしが」の作曲者ですが、この歌はもう35年程の前の作品なので、本人は少しいやがっているかもしれません。それぞれの信仰はいろいろ成長や変化ととげていきますので。協力牧師の濱野牧師は、通常は西南学院大学神学部教授をされています。世界的に有名な神学者ケーゼマンからも目をつけられ、ケーゼマンのもとで論文を書いたのではないかなぁと思います。新しい会堂を建築予定ということで、この教会の歩みを注目しお祈りしております。そういえば、最近、若い頃から存じ上げている鳥栖教会のメンバーのO・Eさんが鳥栖や福岡のライブハウスで歌を歌っているようで、いつもFBでみています。一度機会があえば、福岡のライブハウスで歌を聞きたいと思っています。祈りの課題は以下です。①3年後に計画している新会堂建築が、地域に暮らす様ざまな方々と喜びあえるものとなり、必要が満たされますように。牧師・野中 宏樹、協力牧師・濱野 道雄、主事・日比 亜門
1/7 ローマ書8章31-39節 「神の愛から引き離すものはない」
「誰ができるのか」と畳み掛けるように語るパウロ、誰もキリストの愛から引き離すことはできない!と語ります。括弧内は詩編44編23節の引用です(パウロはギリシャ語訳旧約聖書を用いていたので、へブル語→ギリシャ語→日本語とされているので訳がこのようになる)。私共人間は様々な危機と困難に囲まれています。しかし、何であろうが、主イエスが私共のために死に引き渡され、しかし、その死に勝利し、復活の命に生きています。主イエスの犠牲と赦しによって、私共もまた神に赦され、愛される者として招かれているのです。神の愛から引き離すものは何もない、ゆえに、私共は勇気をもって、信頼をもって、生きている限りこの地上を「愛し赦された者」として歩み続けていくのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 久留米キリスト教会。福岡県久留米市西町851にあります。福岡市の南の中心部が「久留米」です。九州内の交通の要所として昔から栄えていました。久留米ラーメンとか、久留米がすり、とか、久留米競輪とか、いろいろあります。この教会は某有名芸能人が育った場所でもあります。また、付設幼児園「めぐみのその」を運営しています。「踊」という名前はもともとは薩摩、鹿児島の名前みたいです。祈りの課題は以下です。①コロナ後に向けた取り組みの進展。②教会が多くの人の居場所となること。③バプテスマや転入希望が起こされること。牧師・踊
一郎、教会主事・踊 夢希
1/6 ルカ福音書23章32-43節 「カルバリ山の十字架」
「されこうべ」とは「頭蓋骨」、英語では「カルバリ」、ユダヤの処刑所。二人の犯罪人の真ん中に主イエスの十字架がたちます。犯罪人は「強盗」あるいは「政治犯」と考えられます。その十字架の上で主イエスは「彼ら(自分に死刑を決定し実行した人々)をお赦しください」と祈ります。死刑を決めた議員等も「他人を救ったのに自分を救えない」と馬鹿にしますが、そこにおいて、なんと主イエスの福音を語ったのです。通常は「自分を救う」ことが一番で、それができて他人を救えると考えます。いや、自分を救うためには他人も犠牲にすることもあります。 しかし主の福音はあなたを死から救うための死なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 久留米荒木キリスト教会。福岡県久留米市荒木町荒木1450にあります。この教会は以前、平日に寄ったことがあります。山小屋の雰囲気が柔らかく、ベンチに座るのではなく、床にみんなが好きな恰好で座ってよいようです。もちろん椅子に座って礼拝もできるでしょう。JR「荒木」駅からも近い場所だったと思います。かつては小学校の教諭をされていた方が、牧師になり、この教会で務めています。祈りの課題は以下です。①独り言の「何ともならん…」を、みんなの「なんとかしようよ!」に創り変える主イエスの飯場(はんば)たれ! 牧師・溝上 哲朗、協力牧師・吉田 晃児、塚田 正昭、教会主事・山田 哲也
1/5 ルカ福音書22章24-30節 「役職によらず皆が仕える働きへ」
弟子の間で誰が一番偉いのか、という議論が起こります。主イエス自身は弟子の中に「代表」とか「代務者」を決めておらず、弟子側とすればリーダー役を欲したのです。「社長」とか「部長」とか職務を決めることは運営や責任性の点で良いのかもしれませんが同時にそれは権力濫用や私利私欲による運営の危険があります。その点で主イエスは弟子達の個性を知りつつ、他の弟子に権力の移譲はしません。なぜなら、主イエス自身、自ら進んで「給仕する者、仕える者」であり、組織的には一番下の働きなのです。ただ、ここでは主イエスが権威の移譲、「支配権」を弟子に与えたように見えますが、その後の弟子の姿を見ればここで正式に与えられなかったとするのが適切でしょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 壱岐キリスト教会。長崎県壱岐市郷ノ浦町片原触218にあります。「壱岐」とは九州と韓国の間にある島です。まとめて「壱岐・対馬」と呼ばれます。日本と大陸の中間点として古来から要所でした。住所は長崎県ですが、行くのは福岡からフェリーやジェットホイルがでています。まだ行ったことのない場所で、一度行きたいなぁと思っています。うちの妻と娘は私の両親と遊びにいってきて羨ましかったです。お魚が美味しいのは間違いないよね。小さな島なのでキリスト教の伝道は厳しいと思います。でもぜひ、壱岐の方、この教会に行ってほしいです。祈りの課題は以下です。①壱岐に福音が行き渡りますように。②教会創立69年を感謝し、祈ります。③教会に集う人たちをお守りください。牧師・飛永 孝・飛永 永子
1/4 アモス書8章11-12節 「主の言葉に飢え渇く時」
アモスは南王国ユダで紀元前750年頃活躍した預言者。牧人であり、農業家でした。今日の箇所は「裁きの日」について語りますが、決して人類最後の終末の日の意味ではなく、危機に陥る時の世界の有様を記し、そのような事象に気づいたら悔い改め、人々が歩む道を変えることが期待されています。「飢え、それもパンではなく、主の言葉を聞くことのできない飢え」を語ります。「主の言葉」が本来世界を良きものにし、愛と配慮に満ちる世界を創るものです。しかし「主の言葉」を求めず、自己利益を追求し、他者を差別・排除・攻撃する世界へと向かう風潮を感じるなら、ますます主の言葉を告げ知らせるべきですし、我らの心も「主の言葉」に養われるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大川キリスト伝道所。福岡県大川市小保667-1にあります。「大川家具」で有名な場所ですが、福岡県なんですね。うちの近くに「大川家具」っていうのがありますが、九州の大川とはまったく関係ないとのこと。誰でも九州の「大川家具」の関係会社と思いますよね。なお、伝道所で、母教会は佐賀基督教会です。組織として独立していないのですが、やっていることは教会と変わりありません。祈りの課題は以下です。①礼拝・祈り会が聖霊の満たしの中で。大川全戸に福音を届ける。③各自賜物活かされて一致して使える。伝道師・中村 千枝子
1/3 エレミヤ書15章16、19-21節 「御言葉をむさぼり食べる」
「おせち料理」は皆さん食べたでしょうか?「豆」は「まめまめしく働く」とかそのような話と共に食べたものでした。そして新年に「御言葉」(神の言葉=聖書)は食べましたか?「聖書」は線を引いたり、メモしたり、どんどん汚すものです。御言葉が心に入り、自分のものとなり、それが喜びや希望、知恵となっていきます。「むさぼり食べる」のは苦しみの中で、支えとなる言葉を懸命に探す姿。「御言葉」に飢え渇く時があります。それは課題や問題に直面した時。「主の御心を教えてください」「主よ、今の歩みに相応しい道を備えてください」と祈る時、同時に「御言葉」を探してほしいのです。御言葉こそあなたの心を耕し、栄養を与え、あなたの豊かな実を結ばせます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 佐賀基督(キリスト)教会。佐賀県佐賀市水ノ江4-2-18にあります。1947年創立の歴史ある教会で、パイプオルガンも備えられています。現在は専任牧師不在ですが、早く良い牧師さんが来たらいいですね。祈りの課題は以下です。①紛争地域に早急な平和協定の締結。②みこころに適った牧師招聘の実現。③地域伝道の実を結ぶ活動のために。代表役員代務者・中村 千枝子
1/2 申命記8章2-6節 「あなたの歩みを振り返って」
出エジプトの旅を振り返りモーセは語ります。40年、とは長いようで短く、多くの方々がそれ以上の年数を歩んできたことでしょう。その日々には「苦難の思い出」「不足に陥った時」等もありました。でも、今日の命があるのは、その危機を乗り越えたあなたの努力かもしれませんし、家族・友人の支えかもしれませんし、何より主の伴いがあったのではないでしょうか。子どもを訓練する、とは今はあまり使わない言葉。でも多くの親は子どもの成長を考えて厳しくも優しくも関わっていきますし、その親の思いこそ神の思いでした。成長の過程で親に恨みや憎しみを持つなら、ぜひ相談してください。「人はパンだけではなく、主の言葉によって生きる」歩みを願いましょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 霊水(たまみず)キリスト教会。佐賀県佐賀市城内1-8-16 にあります。住所のように、佐賀城の堀の中にある教会で、昔行った時はわりと近くにホテルなどありました。佐賀県は平野が多く、歴史的にも「吉野ヶ里遺跡」がある住みやすい場所だと思います。JRに乗って福岡県から佐賀県に入ると全然空気が違うのです(澄み切った感じ)。祈りの課題は以下です。①専任の牧師招聘。②海外留学生の佐賀での学びと平安。③教会員一人ひとりの健康。牧師・塚田
正昭(久留米荒木教会派遣)
2023年1月1日元旦礼拝 巻頭言「2023年うさぎ年に思うこと」
▲23年は「兎(うさぎ)年」です。イスラエルはじめヨーロッパ、アジア等どこでもおなじみの動物。聖書では同じ文脈で「野兎」が2度出て(レビ11章6節、申14章7節)、「食べてはいけない動物」とされます。理由が「反すうするがひづめが分かれていない」とされますが、「兎」はそのどちらの特徴もないので、本当は別の動物を指したと考えられますので「食べてさしつかえない」ことになります。▲キリスト教会では春に兎が穴から飛び出す様子から「イースターラビット」が知られ、デザインされます。▲「兎年」は、兎には跳ねる特徴があるため、景気が上向きに跳ねる、回復すると言われます。1987年の兎年は地価の異常高騰(銀座で1坪1億超え・財テクブーム)、1999年は東海村核燃料会社で国内初の臨界事故。金融再編大展開。しまなみ海道開通。欧州に新通貨ユーロ誕生、前回の「兎年」である2011年は東日本大震災・原発事故で甚大被害、歴史的円高で一時1ドル=約75円等を記録しています。▲卯年生まれの人は、穏やかで優しく、かつ優雅。礼儀正しいので、様々な人から信頼されますが、警戒心が強い一面もあり、他人へ心を開くことに消極的。やや飽きっぽい部分があると言われますが、どう思います?▲「ことわざ」としては、「二兎を追うものは一兎をも得ず」、「兎の昼寝」は亀との競争に負けた話から油断しないこと。▲何より所沢教会は伝道開始60周年「還暦」です。跳躍の年になれば幸いですが、コロナの穴から出て、主の恵みの豊かさを告げ知らせたいものです。(献)
12/26~2023/1/1 特別版(メッセージなし)
12月26日(月) 聖書:イザヤ書9章5~6節 「平和のみどり子」
今日の祈り:鹿島教会(佐賀県)。①万人祭司の教会の実現。②離れている会員の信仰の回復。③牧師の健康が守られるように。牧師:玉置 行
12月27日(火) 聖書:ルカ福音章2章15~21節 「母の思い巡らし」
今日の祈り:バプテスト北九州地方連合。①宣教支援センターへの8年間の連盟全国支援感謝。4月からの連合独自の運営が守られますように。会長:谷本
仰(南小倉教会牧師)
12月28日(水) 聖書:ルカ福音書2章22~35節 「シメオンの祝福」
今日の祈り:連盟「ハラスメント対策委員会」。①対策委員会の取り組みのために。ハラスメントで苦しむ悩む人々に適切な解決が与えられるように。委員長:城倉
由布子(泉教会員)
12月29日(木) 聖書:ルカ福音書9章46~48節 「いちばん偉い者」
今日の祈り:日本バプテスト連盟「宣教研究所」。①新任牧師・主事研修会の準備と参加者のために。②宣研の研究・研修・情報発信等のために。③運営委員会及び宣研スタッフの働きのために。運営委員長:高橋
秀二郎(広島教会員)、所長:朴 思郁(西川口教会協力牧師)
12月30日(金) 聖書:ルカ福音書10章21~24節 「幼子のような者に」
教会の祈り:日本バプテスト連盟と北関東地方連合の働きのため。
今日の祈り:協力・友好団体を覚えて。①日本バプテスト同盟(理事長:大谷誉生)、②沖縄バプテスト連盟(理事長:渡真利 彦文)、③日本キリスト教協議会(NCC 議長:吉高
叶 <連盟 市川八幡教会牧師>)
12月31日(土) 聖書:ルカ福音書2章39~40節 「幼子の成長」
教会の祈り:1年の恵みを感謝して。
今日の祈り:連盟引退教役者の方々を覚えて。濱田 隆氏(熊本県在住)、濱中恒雄氏(福岡県在住)。
2023年1月1日(日) 聖書:ルカ福音書2章41~52節「十二歳のイエス」
教会の祈り:新年の教会と教会員、ご家族の歩みが祝福されるように。
今日の祈り:佐賀新生教会(佐賀県)。①牧師亡き後の当教会成長のために。②後継者K神学生の健康御守りのために。③タイの森田覚偉霊宣教師のために。 代表執事:河野
正成
12/25 ルカ福音書2章1-20節 「愛のない時代のクリスマス」
イエスが生まれる頃、ローマによる人口調査が行われ、人々は故郷に帰り、登録する必要があり、人の移動が多く、宿屋はどこも一杯。そのため家畜小屋でイエスが生まれました。人々の心もまた、多忙と自分の生活のことでいっぱいで、身重の夫婦を心配し配慮する余裕はありません。もちろん、その原因はローマの占領下だったこともあります。マザー・テレサは語ります。「母マリアにはイエスを産む宿すら与えられませんでした…クリスマスは小さく無力な、愛を必要とする子どものようにやってきます…もしマリアとイエスが宿を求めているとき、あなたの家庭を選ばれるでしょうか」。クリスマス2022,おめでとうございます。このページをご覧のあなたの上に、そして、世界の人々に平和と愛がありますように!新年はぜひ所沢キリスト教会においでください。今日はK・Tさんの誕生日、そしてイエスさまの誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 嬉野基督教会。「基督」は「キリスト」と読みます。古い教会では今だにこの名称を使っている教会があります。佐賀県嬉野市嬉野町下宿乙2350-22にあります。「嬉野」は名前がとても良いですね。温泉やお茶が有名ですし、私が大好きな漫画「美味しん坊」で、嬉野温泉の温泉を使用した「温泉湯豆腐」、とても美味しいです。もう70年以上の歴史を持つ教会です。私も時々、引退後はどうしようかなーと考えることが多くなりましたが、暮らしやすい地方で、バプテスト教会の近くで、教会のお手伝いしながら過ごしたいと考えることです。まぁ、実際、数年後から10数年以内で、生きており、健康がある程度守られていることが前提ですが。そう思い通りはいかないかもしれませんが、たまに考えると楽しいです。話がずれていきましたが、嬉野教会の祈りの課題は以下です。①処女降誕のキリストを信じる信仰。②聖霊により、神を父と呼ぶ信仰。③救霊のため兄弟姉妹皆共に祈り励む。牧師・藤野 慶一郎、協力宣教師・車 孝振、金 恩妃、祈祷主事・相原 和子、伝道主事・橋爪 義行
12/24 ミカ書5章1-3節 「小さき者に注がれる恵み」
ミカは紀元前8世紀、第一イザヤと同時代の預言者。社会・政治・宗教的に堕落の道をたどる神の民に対し神のさばきが来ることを告げると共に、続く神の赦しといやしを語りました。また偽りの敬虔や偽善にも立ち向かい、神の願いを告げ知らせました。エフラタとベツレヘムはいずれも地名で、小さな町からイスラエルを治める者が出るのですが、時代的にダビデ王のことではなく、キリスト預言と考えられます。「出生は永遠の昔」なので、通常の人間としては考えられません。2節は「捨てられた」とされたような人々が再び集められ、群れを養なう真実の王として、大いなる者となるのです。聖書は常に「小さい群(者)」に注がれる恵みを語っていることを感謝です。今日は「クリスマス・イブ」。この夜はたくさんの思い出がつまった日だと思います。私もいろいろ思い出すことの多い日です。どうぞ、皆様に素敵なイブが訪れますように。当教会のイブ礼拝は19時半~約1時間行われます。ZOOMでも中継しております。ただ、ZOOMは音楽には良くないので、都合のつく方は教会においでください。まだ12席ほど空きがあります。トップページをご覧ください。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 佐世保キリスト教会。長崎県佐世保市熊野町186にあります。佐世保中央公園の中にあるような教会です。こっちの教会だったけなぁ、よく絵画で題材とされる教会は、、、。残念ながらまだ行ったことのない教会です。ホームページは欲しいですね。この教会の鮫島牧師は、かつては「パチプロ」(パチンコのプロ)から転機を得て、牧師になった方です。当教会でも十数年前にお話をしてくださいました。祈りの課題は以下です。①ウィズコロナ社会の実現。②隣接する佐世保中央公園来園者が教会につながるように。③神の国の拡がりを体験。牧師・鮫島 則雄
12/23 イザヤ書11章1-10節 「主の平和を祈りつつ」
「エッサイ」とはユダヤ統一王国二代目王「ダビデ」の父で、ベツレヘムに住んでいました。イザヤ書は王国分裂後の時代なので、「エッサイ」を根(ルーツ)とする若枝とはイエス・キリストを指すと解釈されます。そしてこの方のもとで正義が行われ、平和な世界が訪れるのです。4節の「唇の勢いで…死に至らせる」とは、怖いように感じますが、主の言葉に逆らう者は、主イエスが殺すというより、自分で自分の首をしめるのです。ネットではプーチンが逃亡を準備していると伝えられますが、どうして彼が生き延びることができるでしょう。主の平和が実現しないのは主イエスを人々が求めなかったから。我らは希望を捨てずに「神の国」の実現を祈り続けます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 相浦光キリスト教会。長崎県佐世保市新田町276-2にあります。この教会は赤い玄関が印象的です。ホームページでは以下のように案内がされています。「相浦光キリスト教会は、佐世保市が誕生した百数年前に、時を同じくして開設された佐世保市中央公園の中にある佐世保キリスト教会を母教会として、1967年(昭和42年)に相浦・真申の地に伝道所として開設されました。1999年(平成11年)に相浦光キリスト教会として教会組織し、2002年11月に相浦・新田の地に新会堂を建設し、移転しました。現在この地で、教会設立理念「キリストの愛を伝える」に基づき、教会活動を続けています。」ということです。最寄り駅は「松浦鉄道」の「上相浦」駅のようです。この地域は「九十九島」という小さな島がたくさんあるところに近いですし、確か「ハウステンボス」等もあったと思います。もう20年前位か、家族と両親とでハウステンボスで遊んだあと、九十九島の見えるところに泊まったのですが、温泉がすごく良かったです!もう一度行きたいと思う場所でもあります。祈りの課題は以下です。①礼拝者として生きる日々。②高齢者の信仰が支えられるように。③東アジアの平和を祈り続ける。牧師・武林
真智子
12/22 詩編27編 「主を待ち望め」
「主はわたしの光」。今日は「冬至」です。日が短い時、今年の歩みを思い起します。コロナが引き続き、ロシアのウクライナ侵攻が始まり、物価高が襲いました。ウクライナの厳しい冬を思えば、その辛さ、いかほどでしょう。そしてクリスマスもまた暗い季節が選ばれました。闇の中でこそ光を望みますし、その闇に「光」として生まれた主イエス。その平和の光が世界に等しく輝くようにお祈りします。個人としては今日の四節を願います。そして、社会においては11節を覚えて祈ります。「平らな道」、それは平和の道です。人間の英知や政治は争いの準備を始めようとします。必要なのは「平和」の備えです。「地球規模」が叫ばれる時代、世界と協調の時代を願うのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 大村古賀島キリスト教会。長崎県大村市古賀島町300-23にあります。アクセスは大村ICから車で約8分※駐車スペースあり、JR 諏訪駅から徒歩約20分、長崎空港から徒歩約15分ということです。何十年も前に、この教会で行われた連合少年少女大会に招かれて伺ったことがあります。「大村」は湾に面した静かな地という感じですね。また、長崎空港のすぐ近くですし、近くには運転免許試験場や自衛隊の大村駐屯地があります。川久保牧師はまだ若い牧師で、埼玉県出身、神学校に行かれる前は連合での交流がありました。祈りの課題は以下です。①求道者の神との出会いのために。②一人ひとりの神との対話のために。 ③相互理解という「平和」のために。牧師・川久保 拓也
12/21 ルカ福音書13章22-30節 「生活を整えること」
「救われる人が少ないのか?」との弟子の質問に共感します。多くの人々に教会を案内し、主イエスを伝えても信仰に入る人はとても少ないのです。時に私は「伝道する力がないのでは」と牧師としての進退を悩んだ時もありました。主イエスは狭い門であることは認めつつ、その要因と結果を語ります。門を閉める時間は決まっていたでしょう。しかし、用意を整えず、他のことに時を用いて間に合わなかったのです。美味しい店で食べるために何時間も前から並ぶ様子が紹介されますが、そこまでせずとも、礼拝や主の働きを覚え、時を備え整える生活が嬉しい、安定した生活なのです。時と順番を誤った時、人がいくら後悔しても、時を取り戻すことができないのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 諫早キリスト教会。長崎県諫早市上野町17-2にあります。「上野町公園」に隣接して建てられている教会はよく絵画の風景になるようです。祈りの課題は以下です。①将来を見据えた教会形成への導き。②一人ひとりがより大切にされる教会。③地域に開かれたより活発な教会へ。牧師・向山 満
12/20 ルカ福音書9章57-62節 「優先順位を考えること」
主イエスに自分から従いたい人、あるいは主が「従いなさい」と招く人々があります。従おうとする人に「…枕する所もない」、つまり、その多忙さを語ります。その後は記されませんが、多分「ではやめます」だったのでしょう。主イエスが招いた人は「父が高齢なので、落ち着いてから」とか、家族と「いとまごい」(=別れを告げて)と断ります。まぁ、人間はよっぽどの気持ちがないと先延ばしにします。主イエスにとっては「先延ばしできない、大事なこと」で、温度差があります。でも断った人の気持ちは良く分かります。私も優先順位を日々決めて生きてますから。でも、時々、「この順番が最善なのか」と考えてみたいものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 長崎バプテスト教会。長崎市片淵1-1-4にあります。1896年創立で、先日120周年記念の礼拝等が行われました。長崎っていう町は本当に山が迫って平地が少ないのですが、その中で、町の中心に近いところにあります。アクセスは・長崎電気軌道「諏訪神社前」電停下車、地下道に降りて右へ、2Aの出口より出ると、親和銀行前に出ます。その右手、川向こうに教会が見えます。ということです。「諏訪神社」はよく聞きますね。この教会では「幼児教室光の園」や「ゴスペル活動」「ハングル語講座」等も行なわれていますし、何より特徴的なのは日曜の第二礼拝が11時02分から始まることです。その意味をこう伝えています。「1945年8月9日午前11:02、長崎市に一つの原子爆弾が投下され、7万人を超える人が死に、多くの人々がその後も放射能と被爆によって身体的、精神的、社会的そして霊的な苦痛を受けました。私たちは二度とこのような悲劇がこの地上に起きることがないように、教会は毎週日曜日の礼拝の度ごとに、まことの平和を覚えて祈ります。」この時間、「鐘」が鳴りますが、この鐘はキムさんから献げられたもの。そのことは長崎バプテスト教会のホームページをご覧ください。祈りの課題は以下です。①120周年記念の納骨堂建築・ノーザンクロス(北部伝道)のために。②教会内の組織改革のために。 委牧師・曺 銀珉、副牧師・田口 圭子、音楽主事・嘉手苅 夏希、教育主事・竹内 洋美
12/19 フィリピ書2章1-11節 「へりくだる態度」
パウロは「あなたがたに幾らかでも」と書きます。分派争いや対立がある教会に少しでも主イエスの思いがあれば、ということですが、それが教会に必ず必要なのですし、そうでなければ教会は教会となり得ません。「励まし」等いろいろ記しつつ、まさにそれはキリストの姿だったよね、とキリストに学ぶことを伝えるのです。「へりくだる」姿はキリストの姿。それは「神」である方が、私共と同じ姿で同じ地上を歩まれたこと。そして、何ら自慢することもなく、私達と同じ目線に立ち、話を聞き、慰めと励ましと力をくださったのです。「私は偉いんだ」という空気を漂わせる方があります。一方で自分を受け容れる態度で接してくださる方もあります。その時とても安心します。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 多良見キリスト教会。長崎県諫早市多良見町市布1272-45にあります。「たらみ」という名前に何となく親しみがあるのは「ゼリー」等で「たらみ」という会社をきくからですね。多分、その町にある企業なのでしょう。元々「みかん」の産地ですし。現在牧師がおりませんので、そのことを祈っておられます。代表役員代務者の松本さんは、連盟の理事や、日本バプテスト連盟に連なる教会・伝道所が支援しているインドの「プリ・キンダーガルテンスクール」の「里親の会」の世話人代表をしてくださっています。「プリ・キンダーガルテンスクール」はインド オディシャ州プリというベンガル湾の海岸都市で貧困ゆえに教育を受けることができない子どもたちの教育支援を行なっています。50名の収容人数で年齢は3歳~6歳です。当教会も里親会に月千円という金額ですが、祈って送金しております。関心のある方はこの学校のホームページ(英語)をご覧ください。教会の祈りの課題は以下です。①牧師招聘のために。②礼拝を大切にする群に。ポスト・コロナの活動のために。代表役員代務者・松本素代美
12 月12日~18日 祈りの課題 特別版
12月12日(月) 聖書:ルカ福音書11章27~28節 「幸いな人」
教会の祈り:新年度執事選挙と立てられる方々のために。今日の祈り:八代伝道所(熊本県)。①新来者が与えられますように。②信仰の喜びを分かち合い伝える教会に。③恐れずあきらめず伝道に取り組む教会に。牧師:桑原
伸良
12月13日(火) 聖書:ルカ福音章12章35~40節 「人の子を待つ幸い」
教会の祈り:新来者・求道者・決心者が与えられますように。今日の祈り:種子島伝道所(鹿児島県)。①後継者が早く与えられますように。②世界宣教のために祈り続ける教会。③沼田牧師の健康のために。 牧師:沼田
俊昭
12月14日(水) 聖書:ローマ書12章9~15節 「共に喜び、共に泣く」
今日の祈り:菊池シオン教会(熊本県)。①コロナの中での礼拝・諸集会が守られるように。②集う方々とご家族の健康が守られ、日々の必要が満たされるように。③これからの教会形成と成長のために。牧師:濱川
耕一
12月15日(木) 聖書:詩編34編2~11節 「共に主をたたえよ」
教会の祈り:U・Aさんの誕生日おめでとうございます!今日の祈り:東熊本教会(熊本県)。①「共に」礼拝を行うための取り組みが、充実し、広がっていきますように。 牧師:三上
充
12月16日(金) 聖書:詩編25編1~5節 「わたしの魂は仰ぎ望む」
今日の祈り:有明教会(福岡県)。①平日宿題会に福音を。②キリストの弟子の歩みを。③会堂建築のビジョンを。 牧師:田中 文人
12月17日(土) 聖書:サムエル記上2章1~10節 「ハンナの祈り」
教会の祈り:クリスマスの準備が整えられますように。今日の祈り:大牟田教会(福岡県)。①礼拝、集会が祝福されるように。②高齢者・病床者の守りと癒しのために。③光の子幼稚園が祝福されるように。 牧師:浦
肇
12月18日(日) 聖書:ルカ福音書1章39~56節
「マリアとエリサベト」
教会の祈り:O・Yさんの誕生日おめでとうございます!今日の祈り:五島教会(長崎県)。①求道・受浸者が与えられますように。②地域に開かれた教会となれるように。③更に教会員が与えられますように。 牧師:中村
清架
12月5日~11日 祈りの課題 特別版
12月 5日(月) 聖書:エフェソ書1章1~9節 「御子による恵み」
今日の祈り:人吉教会(熊本県)。①日々、みことばに接し、祈る。②与えられた所で主を証しする。③日々の恵みに感謝し献げる。牧師:永渕 一隆
12月 6日(火) 聖書:エフェソ1章10~14節 「救いをもたらす福音」
教会の祈り:H・Cさん(誕生日)。今日の祈り:熊本南教会(熊本県)。①地域に開かれた教会となるように。②福音を伝えるクリスマスの準備のために。③賛美チームの働きのために。 牧師:朴
哲浩
12月 7日(水) 聖書:マタイ福音書 1章18~25節 「主の天使とヨセフ」
教会の祈り:M・FさんとH・Hさん(各誕生日)。今日の祈り:羊の群れ伝道所(熊本県)。①時世代の聖書教育のために。②もっと安定して集会場所が与えられること。③各地での家庭集会の開始を目指して。牧師:朴
哲浩
12月 8日(木) 聖書:創世記 18章9~15節 「主に不可能はない」
教会の祈り:K・Tさん(誕生日)。今日の祈り:東熊本教会(熊本県)。①「共に」礼拝を行うための取り組みが、充実し、広がっていきますように。 牧師:三上
充
12月 9日(金) 聖書:ルカ福音書 18章24~30節 「神による救い」
今日の祈り:豊岡伝道所(熊本県)。①教会の歩みのために。②教会財政の祝福。③病気療養中の方々のために。 代表者:工藤 信也
12月10日(土) 聖書:ヨブ記 42章2~6節 「人の知識と神の経綸」
教会の祈り:K・Tさん(誕生日)。今日の祈り:山鹿新生教会(熊本県)。①御言葉がしっかり語られるように。②コロナ感染が終息しますように。③日本の教会が復興しますように。 牧師:船越
哲義
12月11日(日) 聖書:ルカ福音書 1章26~38節 「イエス誕生の約束」
今日の祈り:熊本愛泉教会(熊本県)。①早く牧師が与えられますように。②教会員の霊性の向上と健康の守護。③八代、種子島の伝道所の御守護。代表役員代務者・田中
芳樹
12/4 ルカ福音書1章5-25節 「沈黙の中で来るべき時を待つ」
ローマ帝国からユダヤ一帯の支配を任されたヘロデ王は紀元前37年~紀元4年まで在任。その子で同じ名前の領主ヘロデはバプテスマのヨハネを殺すことになります(ルカ3章19節以下、マルコ6章参照)。当時の神殿には24組、約2万人の祭司がいたといわれますが、実際はもっと少なかったでしょう。それでも、聖所で勤めをする当番に「くじ」で当たるのは生涯でも数少ないことでした。高齢の祭司ザカリヤは当番に当たり、緊張の中、儀式を行います。ところがそこでびっくり!天使が出てきてザカリヤに子どもが与えられる等語ります。ザカリヤはすぐに受け止め信じられなかったので、口がきけなくなります。沈黙の中で神の時を祈り、御言葉を信じ、待ち続けたのです。今日はアドベント第2週に入ります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 天草中央キリスト教会。熊本県天草郡苓北町富岡3708-1にあります。南牧師が、切支丹殉教者の記憶が残るこの場所に「教会」を建てる!とビジョンをもって始めましたが、うまくいくのかとても心配していました。でも主の導きによりその地に会堂が建てられ、35年以上を経た今も南牧師が牧師として歩まれています。「天草の乱」で知られる天草四郎等の働きは、決して切支丹弾圧に対してだけの反抗運動ではなく、聖書から学んだ「ひとりひとりの命の価値」とその平等が守られること、城主によって経済的にも苦難する人々を助ける「民主運動」であったと思います。世界中でなお「民主化」を求めては殺されていく人々をみて、ひどい政府があると思いますが、天草も同じだったのですし、私どもが得ている「民主政治」を守るために日々の私ども国民主権を政府に訴え続けることが必要です。「民主政治」はそれほど簡単に手に入るものでないことを歴史から学ぶ必要があります。祈りの課題は以下です。①キリストの弟子となれるように。②御霊の実を豊かに結べるように。③聖霊の一致が教会にあるように。牧師・南 圭生
12/3 マラキ書3章13-24節 「旧約から新約への道筋」
マラキ書は旧約聖書最後の書であり、実際には紀元前400年後半、捕囚から帰還し、神殿もでき、人々の関心は神から離れ、律法も形骸化した時代に活動した預言者マラキによりますが、マラキについてはほとんど解っていません。そのような時代で信仰の回復を語ったのです。今日の箇所でも、神に対する批判的な態度が記される一方で神を畏れ敬う人への恵みと主が愛してくださることが記されます。そして「主の日」の預言が告げ知らされ、新約へとつながります。23節以降の言葉が明日学ぶバプテスマのヨハネの父となる祭司ザカリヤへの天使ガブリエルの言葉に引用されます。ここでの「エリヤ」は大昔の人なのでまさかその「エリヤ」ではなく、預言者として出現するバプテスマのヨハネを示しています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 延岡キリスト教会。宮崎県延岡市中川原町4-5063-1にあります。「延岡」はいわゆる企業城下町です。ただ、交通の便は大変悪かったのですが今はどうでしょう。大分と宮崎の中間です。昔、宮崎にいたころ、延岡の少し南から山越えの国道があって、そこを走ったのですが、これが本当に「酷道」。軽自動車で行ったのですが、車一台しか通れないような山道が続き、舗装がされてないようなところもあり、苦労しました。ちなみに、「延岡」は「鮎」がとても美味しいですよ。「鮎寿司」が名物でしたね。祈りの課題は以下です。①コロナの中健康が守られるように。②新来者が与えられるように。③みことばによく従えるように。牧師・松田
良明
12/2 イザヤ書49章9-16節 「あなたを手のひらに刻み付ける」
「シオン」は神殿建築後のエルサレムを指しますが、広い意味でユダヤ人。特にイザヤ書等では「敗戦し、神 殿は破壊され、捕囚された民」のことであり、「飢え」や「渇き」はユダヤ人の現実。その中で牧者なる主が平和と回復を導くとの約束が語られます。十四節等は神が母親の姿として語られます。旧約は「父」的な神のイメージが強いのですが、ここでは「愛」の具現として「母」のイメージで語られています。私が若い頃よく読んだ遠藤周作は「母なる神」の姿を聖書の中に見いだし、そのありかたを日本でキリスト教を伝える大事なポイントと考えていたと考えます。「母親」はやはり特別です。ロシアやウクライナで我が子を失う悲しみや痛み、そのため権力に反抗する力はまさに「愛の痛み」なのです。そして、主なる神は母親が忘れようともなお、あなたを忘れません。「あなたを手のひらに刻みつける」。痛みを伴う愛の深さ…
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 高鍋伝道所。宮崎県児湯郡高鍋町北高鍋3242にあります。昨日も記したように、私の最初の赴任地は児湯教会で、住んだのは高鍋町でした。最初は一軒の古い家を借りてくださって住んでいました。隣の家には「牛」が飼ってあったり、大きな梅の木があって、季節には梅の実が落ちる音がすごいこと!また「薪」でお風呂を炊くと本当にお湯が柔らかいのにびっくりしました。その後、高鍋伝道所(当時は「高鍋会堂」)の境内地に牧師館を建てていただき、そこで生活いたしました。高鍋町は田舎といえば田舎ですが、とても心地よい歩みをさせていただきました。宮崎県などはそれぞれの町々村々に必ず「みそ」や「焼酎」の工房があるのですが、高鍋にあった「黒木酒造」は今や入手困難な焼酎を製造しています。いかん、つい長くなった。祈りの課題は以下です。①次世代を担う20名の信仰者が与えられますように。②教会員の健康が守られますように。牧師・児玉
一郎
12/1 使徒言行録26章12-23節 「パウロの語りから学ぶ」
今日登場するフェストゥスはローマのユダヤ州総督で、アグリッパはガリラヤ地方等の領主。ベルニケはその子。総督に会うのは有名になる一つのチャンスでした。そしてユダヤ人から訴えれているパウロについては無罪と考え、弁明の機会を与えます。パウロはその時を「証し」する時と捉え、かつてはイエスを信じる者達を迫害していたけれども、その中で主と出会い、キリストを信じ、伝道することになった歩みを語ります。ここで「天」と書いているのは「神」とか「主」と語ると見解の相違による問題が生じる可能性のゆえ。故中村哲氏がアフガニスタンで活動していた時、「天、共に在り」と語ったのは、イスラム世界であえて「主」や「神」と言わない理由(イスラム世界で「クリスマス」という言葉も控えなければなりません、また、他宗教・他民族との関係性では「クリスマス」とは言いません、別の言葉で表現する)と同じです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト児湯(こゆ)キリスト教会。この教会は「広域伝道圏伝道」といって、広い地域に3つの会堂を持ち、牧師が巡回しています。西都市南方にある「穂北会堂」境内地に牧師が居住しています。私の最初の赴任地で、私は「副牧師」として故山下俊郎牧師と歩ませていただきました。都市の教会と異なり、農業をされている方や、その関係の方々が信徒にもおられました。ここでの体験と出会いは今でも大きな宝物であり、またその出会いが続いていることを感謝しています。語り出したらきりがないので、今週は超多忙なゆえ、書きません。祈りの課題は以下ですが、特に年間主題の言葉が「新生讃美歌」の歌詞からとられているのに「やられた!」と思いましたし、感謝でしたし、素敵ですね。このアイデアは来年度、所沢教会でも候補でだしてみようかなぁ。「まぼろし示されつつ招きに応えて歩む群」との主題のもと、今後の教会について話し合っています。 牧師・徳渕 敬尚
11/30 ルカ福音書24章13-23節 「主の言葉を聞く心」
主イエス復活の日、主は生前、復活を語っていましたが、主の復活を信じられず地元に帰る二人の弟子。イエスを埋葬した墓に遺体がなく、天使が「イエスは生きている」と言った話を聞いて信じる人は居ないですよね。「天使」は「メッセンジャー」で神の言葉を取り次ぐ存在ですが(頭の輪や羽は多分ないし、どうやら成人男性?のように感じます)、私も見たことありません。この二人は天使を見たわけでも墓に行ったわけでもありません。ただ、不思議な思いはありました。そのような二人に主は近づき、共に歩き、そして、旧約の預言がイエスによって実現したことや、主の働きを語り、二人の心は熱くなりました。そしてイエスに気付いた時、その方は見えなくなりました。主は見えなくともそのように我らに御言葉を通して語ってくださるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟引退教役者を覚えて。野村 義雄氏(横浜市在住)、浜崎 英一氏(大阪府枚方市在住)
11/29 フィリピ書2章12-18節 「『従順』について考える」
この箇所の「従順」という言葉が気になります。本来は主イエスが己を低くして私共と同じ目線に立って下さり、御心を行う戦いをしつつ、十字架の道を選びとったことが「従順」なのですが、ポイントがずれていきます。多分、フィリピ教会の信徒はパウロが頼んだ奉仕をしなかったり、教会や信仰のことで反対や、不平不満を言われたり、相互に思いの食い違いがあったのでしょう。では、ここをどう読むのか。御言葉に従うと思いながら、それがなかなかできない現実があります。自分の意見が教会で通らないこともあります。神の言葉に完全に聞き従うのは無理、また、自分の考えは常に正解ではありません。主イエスを目標とし主と仲間と対話しつつ、少しずつ歩むことです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「ろう伝道委員会」。①各教会のろう伝道の働きが祝されますように。②ろう伝道委員会の働きが導かれ用いられるように。委員長・宮井 武憲(福岡城西教会牧師)
11/28 ルカ福音書1章1-4節 「ルカの働きと研究によって」
福音書著者ルカは異邦人でユダヤ教徒からキリスト教徒になった人。「医者ルカ」と呼ばれるのはコロサイ書4章1節が根拠。宛先のティオフィロはローマ帝国高官と考えられています。異邦人に向けて記されたゆえ、旧約聖書の引用は控え目なので、私共にも解りやすいのです。加えて「祈りの福音書」として祈りの場面を多く伝え、「女性の福音書」として女性が登場する物語を多く採用し、「讃美の福音書」として讃美の言葉も多く残しています。ルカが参考にした主イエスに関する文書(例えば「イエスの言葉集(Q資料)」、マルコ福音書、その他地域に残る話)を収集し、順序を立て並べ、編集したのです。その熱意ある研究と執筆によって私共は他の福音書と共にイエスの姿を知り得ることが感謝です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「専門委員会議・地区宣教主事会議」。総務、地区宣教主事、国外伝道、青少年伝道、教会音楽、賛美歌検討、『聖書教育』編集、教会教育、『バプテスト』編集。坂本牧師は「賛美歌検討委員会議」の委員をしています。
11/27 ルカ福音書4章16-30節 「主イエスの宣教を憎む人々」
主は故郷ナザレの会堂で聖書を読み、説教する働きを与えられます。その時に示されたのはイザヤ書61章です(この時代は章・節は書いていない)。主は読み、解き明かしをします。22節の「皆はイエスをほめ」は実は「困惑や怒りの感情」の言葉が本来(元々似た言葉であった)。そうでないと後の人々の憤慨や殺そうとすることにつながりません。理由は旧約の預言者が信心深いと思い込んでいるユダヤの人々のところにこなかったこと、つまり、「自分達だけが救われた者と思うな」ということであり、イザヤ書を読んだ時、上記2節の言葉「神が報復される日を告知して…」を読まなかったこと。それが人々の期待と異なったのです。今日から一週間は「世界バプテスト祈祷週間」です。また、本日から「アドベント」という、クリスマスを待ち望む期間に入ります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟「ホームレス支援特別委員会」。連盟理事会のもとに置かれている特別委員会のひとつです。祈りの課題は以下です。①コロナ危機における困窮者の暮らしの守り。②諸教会が困窮者支援に関われるように。③ホームページ作成が守られるように。委員長・麦野
達一(福岡西部教会牧師)
11/26 マタイ福音書4章12-22節 「主は協働者を探します」
主イエスの宣教の開始、「公生涯」の始まりです。主はこの働きを一人で行うことではなく、協働者を必要としました。それは学び、育てるためでもあります。ガリラヤ湖のほとりで漁をしていた二人の兄弟に「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と。私は多分、この二人はそれ以前にイエスの話を聞いていたと思います。でも主イエスの選びの基準は何だったのでしょうか。大学卒とか、品行正しいとか、雄弁だとか、律法に詳しいとか、ではありません。主と出会い、そして主の招きに応えることがただ一つの基準です。人間を「とる」は良い表現とは思いませんが、これは旧約の預言の成就(エレミヤ書16章16節)ですが、目的は「救い」です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 中国・四国バプテスト教会連合。日本バプテスト連盟加盟教会の地域連合体です。このエリアは大変広く、四国から瀬戸内海を超え、日本海まで達します。祈りの課題は以下です。①今年度主題「共に喜び、共に泣く」・中国・四国連合19教会1伝道所の宣教が共に恵まれるように。会長・梶井 義郎(高松常磐町教会牧師)
11/25 マタイ福音書4章1-17節 「試みの中で確かにされること」
主イエスの受けた「試み」。一つ目は「石をパンに変えて食べよ」。主は石をパンに変えることが、人間を助け育てるのではなく、人間がパンを分かち合う世界こそが目的であり、「人はパンで生きるものではない、神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と提案を退けます。二つ目は「神殿の屋根から飛び降り、人々の賞賛を得よ」との試み。奇跡的なこと、人が驚くパフォーマンスが伝道の成功に導くとの提案も御言葉をもって拒否します。三つ目は世の国々と繁栄を見せ、「ひれ伏してわたし(サタン=神の御心を行うことを邪魔する働き)を拝むならすべて与えよう、政治も権力もお前のものだ」との誘惑。政治権力が信仰を生むのではありません。主はその提案も退け、自らの宣教を確かにしました。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 宮崎丸山町キリスト教会。宮崎市丸山2-33にあります。住宅地の一角にありますが、すぐ前の小児科医院が有名です。私の宮崎時代、子どもの病気で宮崎市に出ることがよくあり、一日くたびれて、帰りに丸山町教会に寄って、金子ご夫妻のところで休憩したり、いろんな話をして過ごしたものです。今は貢司牧師がひとりががんばっておられます。この方は体育大学がそのような学部で学んだ方で体力はありそうです。また、ギターを弾いて讃美歌を歌ったり、とても素敵な方です。祈りの課題は以下です。①新会堂建築が実現しますように。②礼拝時に十分な感染対策が確立できますように。牧師・金子貢司
11/24 マルコ福音書1章9-20節 「主はあなたを招いておられる」
主イエスは十代の頃、父ヨハネが亡くなり、大工(内装や家具製作)の仕事を受け継ぎながら様々な律法学者や学びの団体に所属したと思われます。そして洗礼者ヨハネとの出会いは決定的でした。ヨハネよりバプテスマを受け、そこで自らに与えられた使命を完全に自覚したのです。バプテスマは私共も「入学式」と考えますが、主はその後「試み(テスト)」を受けます。内容はマタイ等参照。その試みを通して主イエスの思いが深められていきました。洗礼者ヨハネが捕らえられ、主イエスは宣教活動に入ります。「時は満ちた」は「スタートした」意で、「神の国は近づいた」のです。主イエスが人々を神の国へ招き、招きに応える者は、自らの手を主に差し出し、主と結ばれることが必要です。そこで「悔い改め」、つまり自らの体の向きが変わるのです。今日はS・Yさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 宮崎教会青島伝道所。宮崎市青島5-7-20にあります。「青島」を含む宮崎は1950~1960年代は新婚旅行のメッカとして多くの新婚カップルで賑わっていました。今は観光地としても余りさえなくなりました。そのように地域が賑わっていた時代につくられた伝道所です。礼拝の時間等は宮崎キリスト教会にお尋ねください。祈りの課題は以下です。①青島の福音伝道のために。
11/23 マルコ福音書1章1-8節 「福音、喜びの訪れ」
マルコは四福音書の中で一番古いもの。1節の「初め」は冒頭部分を指すのか、福音書全体を指すのか意見が分かれますが、十字架と死と復活を含めたものと考えます。そして、福音書にはすべて「旧約」と「新約」の橋渡し部分がありますが、マルコはイザヤ書を引用し最後の預言者、洗礼者(バプテスマの)ヨハネの活動をもって繋ぎます。ヨハネのような「悔い改め」を求める運動(リバイバル運動)は各時代に様々に起こされたようです。どの時代でもユダヤ人は常に律法に熱心であったわけではありません。「聖霊のバプテスマ」は誰でもない神自らが救いを与えることです。水でも儀式でもなく、神の愛と救いよる招き、「福音」が告げ知らされるのです。今日はI・Hさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 宮崎キリスト教会。宮崎市吉村町北原甲1405-15にあります。この教会を母体とする認定こども園「みくに幼稚園」があります。私も宮崎県が最初の赴任地でしたので、この教会は幾度も訪れました。最近は「宮崎餃子」が流行っているとのこと、私の時代にはそうではなかったのですが、色々流行もあるのですね。宮崎に行ったらまた食べたいのが「クロダイ」のお店。チキン南蛮も宮崎発祥と聞きます。祈りの課題は以下です。①信仰決心者が与えられるために。②キリストの平和の実現のために。③みくに幼稚園の働きのために。牧師・中條 信治、中條 邦子
11/22 イザヤ書60章1-7節 「起きよ、光を放て」
この聖句を読む度に背中をまっすぐにしたくなります。「闇は地を覆い、暗黒が世界を包む」のは、人間のどの時代もそうでしたし、私共は依然、闇の中に立っています。そこでの希望は「主の栄光が現れる」こと。2節の「主が輝く」は太陽が昇って万物を照らすとの言葉で、神は御自分をもはや隠しておられないことです。5節の言葉、「畏れつつも喜びに輝き…」はなんという喜びの到来の表現でしょう。「ミディアン」は士師記7章でギデオンの勝利ですが、これは人間の力に頼らず、神の力に依り頼んだことによるもの。「エファ」はミディアン族の一部族。「シェバ」は列王記上10章のいわゆる「シバの女王」。「ケダル」「ネバヨト」はアブラハムの子孫(創世記21章等参照)。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 都城キリスト教会。宮崎県都城市早鈴町2-16にあります。この教会を母体とした社会福祉法人「相愛会」には「相愛保育園」「ひめぎ保育園」があります。この教会の牧師の妻が保育の世界ではとても有名な指導者だったこともあります。とっても元気のよい保育園だったことを覚えています。祈りの課題は以下です。①協力牧師が与えられ感謝します。②毎週の礼拝が守られますように。③教会員の信仰をお守りください。協力牧師・立花
一志
11/21 イザヤ書56章1-8節 「福音の拡がり」
旧約聖書においては「血(縁・族)」の繋がりが大事にされ、異邦人に対して神殿礼拝等で制約や差別がありました。勿論、完全に民族の「血縁」を守るのは無理な話で、歴史の中で様々な民族の血が混じっております。これは「天皇」も同じで、歴史の中では大陸から皇后を迎えたこともあるので、「純血族」は幻想です。しかしイザヤ書等になると「異邦人の救い」が語られ、バビロン捕囚等を通して、民族の閉鎖性並びに神殿第一主義では歩めなくなった背景があります。3節の「宦官」は王や女王の側近として仕える者で去勢されることが多かったのです。それが「枯れ木」の意味。捕囚後、異邦人にも律法の厳守が、求められましたがこの閉鎖性は主イエスにより解放されたゆえ世界的に広がり、我らにも届きました。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 バプテスト川内(せんだい)キリスト教会。鹿児島県薩摩川内市平佐町2934-1にあります。この教会は学童保育も行なっていましたが今はどうでしょうか。祈りの課題は以下です。①互いに愛し合う。②正しくみことばを学ぶ。③み言葉を聞くだけでなく、行う。協力牧師・立島和史
11/20 ネヘミヤ記12章27-43節 「主をほめたたえて生きていこう」
エルサレム城壁の完成を祝い、式典が行われます。エルサレム周辺で生活していた人も城壁が完成したことで、生活再建へ向かいます。さらに重要なのが神との関係再建であり、礼拝再建なのです。礼拝の喜びが満ち、喜びの声は遠くまで聞こえました。それは声のみならず、様々な楽器の音であり、祈りの声であり、感謝の叫び、主を喜ぶ響きなのでした。その喜びに至るまでは、苦しみの時がありました、神を忘れて自分のことだけしか考えられない時、礼拝できない時、神を恨む日々もあったでしょう。それは私共の歩みの姿に他なりません。また完成を見届けられず、世を去った人も沢山います。それらの歴史を背負いつつ、我らは生きる限り主をほめたたえるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 枕崎バプテスト伝道所。鹿児島県枕崎市住吉町123にあります。鹿児島本土の南端、「枕崎」は漁業の町であり、何より「かつお節」が有名です。町に入ると「かつお節」の香りがした記憶があります。伊集院教会の伝道所で、かつては日曜の夕方から礼拝をしていた時期もありますが、今はどうでしょう。枕崎の方はぜひこの教会に行って、この教会の働きを支えてくだされば嬉しいです。祈りの課題は以下です。①礼拝、祈り会に多くの方々が来られるように。②市民の魂の救いのために祈っています。主任牧師・馬渡健太郎、協力牧師・麦野
賦
11/19 ヨハネ黙示録22章1-11節 「希望と救いの約束を信じて」
黙示録は1世紀のキリスト教迫害下にある教会に対し慰めと励まし、希望を記して諸教会に回覧されたもの。迫害下なので、実際の名前を書くとばれるので、ドラマ仕立てでメッセージを送りました。「黙示」とは閉ざされていた事柄が開かれるとの意味。終末を描いた文章(その内容も一部含む)より、現実の困難の中で希望と未来を語り励ますのです。特に20章から患難は終わり、「新しい天と地」と「キリストの再臨」は真に希望と喜びに満ちた世界の到来であり、これはすべて生きる者の希望です。今日の箇所では8節でヨハネが天使を拝もうとした時、たしなめられたのは「天使礼拝」への批判、加えて、秘密にせず公開することは、危機や困難の中でも救いを伝えること。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト伊集院キリスト教会。鹿児島県日置市伊集院町下谷口1520-4にあります。伊集院町は小さな町ですが、鹿児島藩主がフランシスコ・ザビエルに布教の許可を出した地でもあります。そして、この教会の幼稚園は伊集院でも歴史ある幼稚園で、多くの人材を育ててきました。「伊集院幼稚園」の園長さんは若い時代、宮崎にいたころから存じ上げている方でお元気で活躍していることを感謝です!祈りの課題は以下です。①新来者・受浸者の賦与。②伝道開始百周年記念準備のために。③霊とまことの礼拝へ百人出席。主任牧師・馬渡健太郎、協力牧師・麦野
賦
11/18 ルカ福音書24章36-53節 「復活の主との出会いと準備」
復活の主イエスは弟子達が隠れていた場所に現れます。「恐れおののいた」とありますが、幽霊!と思った以上に、裏切った自分たちへの罰を恐れていました。しかし、主は「平和があるように」、つまり「安心せよ」と赦しを語り、幽霊でないことを示すために、焼き魚を食べます。そしてエマオ途上で弟子に語ったように、聖書から、ご自身について預言されている箇所を示し、聖霊が降る日、証人として語り出す時まで待つことを語ります。その後、神殿に絶えずいて、神をほめたたえますが、他の福音書を読めば、様々な思いと行動があったことを知ります。いずれにせよ教会の誕生のために思いを整え、祈る時が必要でした。今日はI・Rさん、T・Rさん、T・Hさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト鹿児島基督(キリスト)教会。鹿児島市籠池2-23-17にあります。九州新幹線開業によって福岡-鹿児島はとても便利になりました。この教会は認定こども園「めぐみ幼稚園」の母体です。1902年からの百年以上の歴史を持つ教会です。市内「中山(ちゅうざん)町」にも児童クラブがあり、日曜の夜は礼拝が行なわれています。祈りの課題は以下です。①会堂リフォームの守りと導きのために。②求道者の守りと浸礼決断の導き。③幼稚園と学童クラブの働きと守り。師・田渕 亮
11/17 詩編148編 「こぞって主を讃美する」
「詩編」を閉じる5つの「ハレルヤ詩編」の第3番目。「主を讃美せよ」で始まり、終わるだけでなく、一旦この讃美の叫びをあげると、何度も繰り返されます。これが詩の目的であり、全被造物に対して主への讃美に加わるように手を差し伸べ招くのです。8節は他の訳では「いなずま、雹、雪、雨、風、それに霧よ、神様の指図に従え」。11節は地上の王や指導者に向けての言葉。自分が支配者と思う者は神を讃美する必要がないと思うのでしょうが、実は、自分の命も、自然に対しても無力であることを知ることが横暴な振る舞いをせずに歩む道と思います。14節の「角を上げる」の「角」は力を象徴するもので、「力強く生かす」との意。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> バプテスト国分キリスト教会。鹿児島県霧島市国分姫城3053-1にあります。いつも書くのですが、この教会の隣には公衆温泉があり、日曜は午前は礼拝、その後、午後はゆっくり温泉につかるのがベストな生活です。マウマウタン牧師はミャンマー出身の牧師で、現在のミャンマーの状況に心痛めております。ミャンマーのバプテスト教会は普通でも数百名集まるというのでびっくり!日本での伝道の難しさを知りつつ、この地に根をはって歩まれています。祈りの課題は以下です。①コロナ危機の中で教会員と教会の歩みが祝福を受けられること。②ウクライナとミャンマーに平和と自由を。牧師・マウマウタン、協力牧師・立山
泰士、協力宣教師・テモテ・ボード
11/16 詩編19編 「エルサレムの平和を創り出そう」
巡礼の歌、共に神殿へ行く喜びがあります。エルサレムこそ世界の人々の中心であり、世界の人々が結ばれる場所と歌います。賛同しますが、今を生きる我らには別の響きが聞こえます。「エルサレムの平和」。「シオニズム」という保守的な人々はエルサレムをキリスト教、あるいはユダヤ教の聖地として、支配権を主張します。しかし世界三大宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の聖地であるため、土地の支配を巡るパレスチナとの対立や戦争が続いています。背景には観光客や巡礼者による経済効果があります。エルサレムの平和を願うなら、宗教が世界をつなぐ役割として開かれた地域にすべきであり、我らはエルサレム=聖地の概念を持つ必要はありません。今日はM・Aさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 西原新生バプテスト教会。沖縄県中頭郡西原町大字内間27-2にあります。昨年、この教会の協力牧師の柏本さんのお名前を見つけたので少しここで書いたらメールをくださいました。感謝です。沖縄に平和がないとき、それは日本本土も決して平和ではありません。お働きが守れらますように。祈りの課題は以下です。①伝道開始五十周年、主に栄光を帰す。②新生の民としての原点を忘れない。③沖縄における主の平和の実現。協力牧師・柏本 隆宏
11/15 詩編48編 「死を超えてなお我らを導く方」
主は、世とそこにあるすべての国々の上に君臨される大いなる王、と告白されます。シオン(神殿建築後のエルサレムの別名)の都と神殿、城郭はあくまで主を指し示すものであり、そこにおいて、高らかな讃美をもって「礼拝」し、「主の正義」と「主の慈しみを思い描く」ことが目的。城壁も城郭も素晴らしい構造物ですが、それは決して永遠に続くものでなく、実際、崩壊と再築、そして再び崩壊するものです。ゆえに、神殿が神ではないこと、特に捕囚を経て、神は神殿に固定されず、偏在される方であるがゆえ、主が礼拝されるところに、主は共におられるのです。語り伝えるべきは、神は永遠であり、私共の限界である死を超えてなお、我らを導かれることです。今日はT・Sさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 那覇新都心キリスト教会。沖縄県那覇市銘苅3-21-46にあります。この教会のミッションステートメントは「イエスキリストにあって(1)隣人となり地域に仕える。(2)沖縄、他都道府県、アジアの平和と和解の架け橋となる。(3)キリストの平和を実現する人々を送りだす。」。バナナの木があって実がなっているようです。祈りの課題は以下です。①コロナ危機において、ミッション・ステートメントを共に生きる。②沖縄平和センター設立のビジョン。③牧師招聘。牧師・岡田 右介、岡田 富美子
11/14 ネヘミヤ記9章1-6節 「『血統』『血縁』を超える救い」
8章で伝えられている「仮庵祭」、これはユダヤの民がエジプト脱出の時、荒野で天幕(羊皮で覆うテント)に住んだ生活の中において主の守りがあったことを記念する祭りです。それが八日間続き、わずか一日を経て、雰囲気は一転し、悲嘆に満ちた「悔い改め」の儀式が行われます。異教民族との訣別というテーマはエズラ記9~10章と共通しますが、エズラでは外国女性の妻帯者が槍玉にあがりますが、ここでは異教徒全般が問題にされています。旧約聖書では「血族」が問題にされますし、これは諸外国でも日本でも「血縁」が資格や後継者において守るべきとされます(「天皇」等も)。実際には様々な民族の血が混じっているわけで、新約の時代はその束縛から解かれます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 旭川バプテスト教会。北海道旭川市8条西1丁目1-11にあります。閑静な住宅地に立つ教会のように記憶しています。HPはないようですが、facebookで毎週牧師の短いメッセージがはいっています。祈りの課題は以下です。①教会組織から77周年を感謝して。②祈祷会再開の道が拓かれるように。③先住民アイヌの権利回復のために。牧師・田森 茂基
11/13 ネヘミヤ記7章72-8章12節 「主を喜ぶことがあなたの力の源」
エルサレムの城壁再建には多くの困難がありましたが、ついに完成の時を迎えます。城壁再建はまさに生活や政治の再建でもありました。城壁完成感謝礼拝で人々が集い、まず律法書が読まれ、その解説がなされます。そしてネヘミヤとエズラによって「今日は主にささげられた聖なる日(主への感謝が満ちる日)…主を喜び祝うことこそ、あなたがたの力の源である」と語り、民は共に食事を分かち合うのです。ここの言葉こそが、ネヘミヤ記の存在の根源といっても良いでしょう。主を喜ぶ、それは自分が歩んだ人生の中に主の導きや助けを見出し、主に感謝すること。主が共にいまし、愛し、助け、励まし、導いてくださるとの認識が、明日へと歩み出す力の源なのです!今日はK・MさんとO・Yさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 旭川東光キリスト教会。北海道旭川市東光11条3丁目1-4にあります。この教会はもう15年位前に家族で伺ったことがあります。教会と牧師館が道路で隔たれていました。そして、旭山動物園にも行きました。それから数年前にはツアーで三浦綾子の小説の舞台や背景を学ぶことで行きました。有名な「塩狩峠」の現場や三浦綾子さんの住んでおられた場所、三浦綾子記念館等に行きました。いずれももう一度行きたいですね。祈りの課題は以下です。①教会周辺に福音が届きますように。②教会の礼拝に喜びが溢れますように。③高齢者の生活がささえられますように。牧師・桐本 恒雄
11/12 ルカ福音書24章13-35節 「御言葉に心燃やされる時」
主イエスの復活の日の午後。イエスの弟子だった二人は主イエスがよみがえった話は聞いたけど信じられず、地元に帰っていく途中、いつの間にか、主イエスが共に歩まれ、彼らに旧約聖書からのメシア(=キリスト)預言を説明し、その時、失望の中にあった弟子達の心は再び燃えていったのです。夕刻、食事の時、イエスがパンを裂き、彼らに渡した時、彼らの目が開け主イエスと承知しました。しかし、同時に主イエスは見えなくなってしまいました。でも彼らは喜び、エルサレムの仲間のところに向かうのです。聖書を読んで「心燃やされる時」があり、また「涙を流す時」があります。その時、主が語ってくださっているのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 釧路バプテスト教会。北海道釧路市若竹町6-16にあります。この教会の奥村牧師夫妻とは、私が神学校にいく前からいろいろお世話になり、当時、奥村牧師が就任されていた姪浜教会では奉仕神学生(今は出席神学生という)をさせていただいたり、福岡有田教会時代にはいろいろ遊んだり、教えてもらったり、紹介してもらったり、ご馳走になったり、ありがとうございました!今、釧路ではいくつかの地域に拠点をおいて奥村牧師が飛び回って礼拝や集会のご奉仕をされています。また、釧路でお会いし、美味しい食事をいただきながら楽しい話を共にしたいものです。facebookやYouTubeで説教等が配信されており、まだ閲覧する人が少ないみたいで、とりあえず「いいね」をがんばって押しています。もっと閲覧者が増えて当然なのにね。祈りの課題は以下です。①「四つの礼拝」が守られるように。②食料無料配布プロジェクトのために。③教会の復興が着実に進むように。牧師・奥村 敏夫、宣教師・マシュー・チン・メイ・マン、ダイアナ・ウォン・サン・サン
11/11 申命記26章5-11節 「神に与えられているすべてを感謝」
「嗣業の土地」、「嗣業」は「神の恵みによって与えられた」との意味で、エジプトにいたユダヤ人が母国に帰り「約束の地(カナン・乳と蜜の流れる地)」に入る時の礼拝について記されます。「このように告白せよ」とありますが、ユダヤの民の過去において神がどのように導き助けてくださったかという感謝をもって礼拝を献げるのです。「賜物」は神の恵みで、自分の努力や頑張りで得ていない事実や具体的な物品になります。個人の能力や才能を「賜物」と表現することがありますが、それらはすべて神様が与えてくださったという理解は正しいです。「寄留者」はユダヤ人以外でユダヤ人を頼って共に生活する者ですが、そのような者を除け者にしないのが礼拝。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 帯広バプテスト・キリスト教会。北海道帯広市東9条南8丁目1-3にあります。北海道には何度が行ったことがありますが、まだ帯広は未踏の地です。HPには以下のような案内があります。「「教会」も「イエス・キリスト」も皆さんにとって縁がないように思われるかもしれません。足を踏み入れずらい場所かも知れません。しかし、教会はどなたでも歓迎します。疲れた時、生きにくいと感ずる時、仕事のこと・病気のこと・人間関係・・・様々な出来事で悩むとき、どうぞお気軽に教会に足を運んでください。聖書の言葉、牧師のアドバイスでなにかヒントが与えられるかもしれません。当教会では川内裕子(かわち・ひろこ)牧師と川内活也(かわち・かつなり)牧師の二人の牧師が様々な相談に応じます。秘密は守られますので安心してお電話、メールください」とのこと。それぞれの牧師の紹介もとても面白いです。そういえば、私が福岡有田教会の牧師をしていたころ、福岡空港近くのバプテスト教会でお二人の結婚式に参加したのを思い出しました。祈りの課題は以下です。①信徒・教会が主にならい成長するように。地域プログラムが、福音の広がりに用いられるように。牧師・川内裕子・川内克也
11/10 詩編119編169-176節 「御言葉はわたしの道の光」
詩編119編は先日の「夏期学校」のテーマ聖句も含まれています。全体が「御言葉=主の教え=律法」を語っています。「タウ」は「アレフ(アルファ)」から始まる(旧約聖書が記された)ヘブライ文字22文字の最後です。すべての文字を用い、律法の包括性を示します。「律法」は本来は良きものですが、人間の解釈とその用い方によって命を失ってしまうことになりました。主イエスが語ったように律法の本質は「神を愛すること、人を愛すること」です。今日の箇所は素直に語っています。「御言葉をあるがままに理解させてください」とは、まさに素直な理解でしょうが、それは対話を重ねることが大事です。「祈り」は「叫び」でもあります。「仰せ」は「約束」との訳が良いです。今日はT・Kさんのお誕生日おめでとうございます
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 小樽バプテスト教会。北海道小樽市奥澤1-22-22にあります。小樽は名だたる観光地で、倉庫の町や繁華街からは少し離れた場所にあります。様々なSNSで情報発信されています。牧師の愛さんは、幼い頃から知っておりまして、米国で歌やピアノを学んだと思いますが、とても素晴らしい賜物をお持ちです。説教はまだ聞いたことがないのですが、YouTubeで公開されているので、観ればよいのですが。近く見ましょう。祈りの課題は以下です。①子どもたちをキリストのもとへ。②地域に仕える教会へ。③礼拝と祈祷会を引き続き大切に。牧師・エイカーズ・愛
11/9 詩編19編 「主の教えのすごさ」
すごいイマジン。天は神の栄光を物語り、昼や夜は(神の願いを)「語り伝え」応唱され、聞こえなくとも、偉大な響き、讃美の響きが世界に広がるのです。さらに世界が喜びの祝典の場所とされ、そこで伝えられるのがこのように語られる「主の教え(律法)」の素晴らしさ、尊さ、恵み深さ、望ましさが強調されます。一方「教え」を示されても人間は上手に用いないばかりか、主が願うように皆が生きたら良いのに、人は教えを裏切り反抗することにおいて世界を歩むのです。それゆえ、主の教えを賛美しつつ、詩人は「驕り」から自由を得、「言葉」もその根源である「心」も御心に適うように「贖いの主」に祈るのです。今日は今、高齢者施設にいらっしゃるS・Hさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 札幌新生キリスト教会。札幌市北区拓北7条2-1-23にあります。HPではこのように案内されています。「札幌新生キリスト教会は札幌市北部に位置し、JR学園都市線拓北駅から歩いて5分程の場所にある家庭的で暖かな雰囲気の教会です。忙しい日常を離れて、ゆっくりと穏やかな時間を教会で過ごしてみませんか?ほっとできるような時が、自分を見つめ直す時が教会にはあります!どなたでも大歓迎いたします!ぜひ、お立ち寄り下さい!」とのこと。野球部や絵本読み聞かせコンサート等の催しものが行なわれています。祈りの課題は以下です。①教会の復興。歴代誌下7章13~14。②福音書の弟子から使徒言行録の弟子へ。③新教会堂の建設。ユースパスター・田中満矢、牧師インターン・三浦皇主郎、協力主事・結城勝吾、協力牧師・田中 博
11/8 ネヘミヤ記5章1-19節 「神を畏れる政治家」
昨日は他民族からの攻撃ですが、今日の箇所は同胞の訴え。ネヘミヤが来たのはユダヤ人の捕囚解放帰国から約百年後で、その間、前任の総督と繋がる貴族・役人が権力化し、人々から搾取が行われています。権力を持つと搾取に走り私腹を肥やすのは人間の罪の本性なのです。ネヘミヤは集会を開催し、それらを戻すようにします。ネヘミヤは12年間、給与を受け取っていないことも報告します。もちろん生計について総督を含めて衣食住は保証されていますが、それ以上は受け取らないのです。それは「神が見ておられる」との畏れを持つ行為。日本の政治家を思います。税金から生活が支えられながら、なお私利私欲を求め、政治を歪めることに深い悲しみを覚えます。今日はI・Mさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 札幌バプテスト教会。札幌市中央区南22条西14丁目1-28にあります。札幌市にはいわゆる「チンチン電車」が走っていて、その「車庫」の手前の駅でおります。すぐ先には「車庫」が見えます。もう10数年前でしょうか、新しい教会堂になりました。パイプオルガンがあり、講壇の後ろはガラスで、ガラス越しに「モイヤ山」が見えます。この教会は地域の方々への食料支援等地域につながるお働きをたくさんされています。また学校法人「ひかり幼稚園」の母体でもあります。祈りの課題は以下です。①弱音を吐ける居場所として教会が用いられますように。そこで御言葉が起こされますように。牧師・西本
詩生、石橋 大輔
11/7 ネヘミヤ記4章1-17節 「共に生きる世界構築とは」
2章11節から文章が「わたしたち」となり、ペルシア王に願い、認められて総督となったネヘミヤの記録とわかります。ここは「城壁」の再建が課題。私は「神殿」が先だろうと思いますが、「城壁」で町を囲み、安全圏を確定しなければ中の工事もできないのです。鎌倉でも小田原でも城と城下町を自然の地形をも利用して要塞化するのがポイントでしたからね。今日の箇所は城壁再建を拒もうとする人々への対処が記されます。城壁外に武器を持つ戦闘員を配置し、城壁工事をする者も片手も武器を持つ中での工事。土地を巡る争いを含む歩み。今なお争いが世界各地で続くことを思うと複雑な気持ちになります。世界が互いに豊かさを保持するシステムができることを祈ります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 西野バプテスト教会。札幌市西区西野3条2丁目2-26にあります。前任牧師であった故中田昌夫牧師の時代にお伺いしたことがあります。夏の夕暮れ、でもとても爽やかな風が吹いていて、そこで美味しい天ぷらをいただきながら故中田牧師といろいろお話したことは今、とても美しい思い出です。現在の岩本牧師、説教動画を見てくださいとのこと。与えられた時数で書くコーナーなのですが、足りないのは当たり前。そこで文字表現で訴えるのだと思いましたが。祈りの課題は、①(記入欄が)短く過ぎてお伝えできないので、YouTubeで岩本義博を検索して説教動画をご覧ください。牧師・岩本
義博
11/6 ネヘミヤ記2章15-23節 「良い企てへの備え」
ネヘミヤ記は元来エズラ記と一つでしたがある時期から分離されました。ネヘミヤはユダヤ人でありながらペルシア王アルタクセルクセス1世の献酌官という王に近い側近の一人でした。エズラと共に捕囚帰還後のエルサレム城壁再建や宗教改革運動をした人です。故郷エルサレムの窮状を聞き、心痛めたネヘミヤの様子を知った王が、エレミヤの帰国並びにその後、ユダヤ地区総督の地位を与えました(1~2章)。今日の箇所はネヘミヤが最初の帰国をし、エルサレムの状況を調査した場面です。城壁再建(=町の再建)を心に決めたネヘミヤを嘲笑うのは捕囚中にエルサレム地域に入ってきた人々。連盟「聖書教育」誌では11節の「三日」に注目して黙想しています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 平岡ジョイフルチャペル。札幌市清田区里塚3条1丁目7-5にあります。この教会の三上牧師についてHPから紹介しますと、1994年3月 東京大学大学院修士課程(西洋古典学専攻)
修了(文学修士)、1997年3月 東京大学大学院博士課程(西洋古典学専攻) 単位取得満期退学、2016年3月 文学博士(筑波大学)。東大の西洋古典は多くの神学者や神学教授を輩出しているところです。そのような背景があって、「『書物としての聖書』をはじめ、『書物としての仏典』や世界の名著を
日本語訳または原語テキストで自主独立に共同学習いたします。
それによりパイデイア παιδεία (“教育・教養・文化” を意味する古典ギリシャ語) をつちかうことが私たちの願いです」とあります。「学術的に読む」という言葉になんとなくひっかかります。もちろんどのような方法で聖書を読んでかまわないし、私も批判的方法で聖書を読みながら、その先に語りかけてくる言葉を聞き取ろうとしている者ですが。祈りの課題は以下です。①日曜の「学術的聖書講話」のために。②木曜の「学術的聖書購読」のために。③ヘブライ語とギリシア語聖書購読。牧師・三上
章
11/5 ヨハネ福音書2章13-22節 「三日で神殿を建てるとは」
ヨハネは宣教活動を始めた主イエスが神殿に行ったことを記録しますし、事実でしょう。この記事で主イエスは暴力的に見えますが、当時は商人と神殿が結託して、神殿で神殿保証付きの供養物を高価販売し、神殿が利益を得ていたので、人間の宗教心を利用する商売が神殿でなされることに怒ったのです。また、そのことを支持する一般人も多かったと思います。宗教が経済と結びつくこと、特に信仰や救いが金銭で買えると思うことがおかしいのです。同時にお金が救いになるわけでもありません。18節で「しるし(=証拠)」を求める話がありますが、この「しるし」はヨハネ福音書のキーワードの一つ。神殿は救いの根拠でも永遠でもなく、主イエスにのみ救いがあります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> オープン・ドア・チャペル。札幌市豊平区福住2条7丁目12-17にあります。この教会は英語での礼拝もあるようです。ホームページでは次のように案内されています。「オープン・ドア・チャペルは国際的な信仰の家族として札幌にいてイエス・キリストの福音を実現することを目的としている教会です。見学に来てくだされば、暖かくてリラックスした「アットホーム」な雰囲気の中で賛美し、聖書を学び、そして霊的に成長できるところだと分かると思います。教会員の多くは日本人ですが、様々な文化背景をもっている人々もいます。私たちの大切な使命のひとつは(名前の通り)すべての人に開かれた教会としていることです。言語、年齢、宗教背景は何であっても、オープン・ドア・チャペルにあなたの居場所があります!オープン・ドア・チャペルに足を運んでいただき、直接お会したいと思います。お待ちしております。」。祈りの課題は以下です。➀各教会員の平安と祝福のために。②各家庭の平安と祝福のために。③各教会の平安と祝福のために。牧師:佐々木俊一、協力牧師:ジェームズ・E・アリソン
11/4 ルカ福音書2章41-52節 「神殿で三日過ごす少年イエス」
ルカは主イエスの幼少期を教えててくれます。主イエス12歳の時、神殿に行きますが、多分毎年1回は家族や親族と参拝していたでしょう。13歳の「成年」の年は3回神殿に行く習わしもあったようです。イエスの家族は通常の地域の礼拝だけではなく、エルサレム神殿に行き、祈りと献げものをすることにより、「真の神によって生きる」ことを伝えたのです。「エホバの証人(=ものみの塔)」のごとく「鞭」で子どもを打つことを推奨するなど聖書には有り得ない話。今日の箇所で感心するのは、少年イエスの質問に学者たちが丁寧に対話していることです。親はここでイエスを見失いますが、子育ての経過の中で、自分の手から離れることも親は覚えるべきです。今日はK・Cさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 平岸バプテスト教会。札幌市豊平区平岸4条2丁目1-19にあります。HPを見ようとしたら出るのは「平岸いづみキリスト教会」ばかり。早くホームページを開設したらよいなぁと思いました。全先生はここですでに25年以上はいらっしゃるのではないでしょうか。韓国出身の方々も多いようです。祈りの課題は以下です。①教勢が恵まれますように。②バプテスマを受ける人が起こされますように。③宣教師の方々と協力して伝道を進めていけますように。牧師・全 皓燮
11/3 Ⅰコリント4章1-5節 「神の恵みの管理者として」
1節の「わたしたち」は文脈上ではパウロ、アポロ、ケファ(=ペトロ)。「秘められた計画」は「秘密」ではなく、すでに同1章等で明らかにされている「すべての人を救いへ導く神の業」。管理者は指導者のみではなく、すべてのキリスト者に与えられている使命。ただし、管理者は「人の罪を裁く、あるいは赦す」決定権は持ちません。それはただ神の御手にあり、主に委ねていくことです。ただし、神の御心は「愛すこと、赦すこと、平和をつくること」なので、その御心に従って生き、そのように世界を整える働きがあります。「闇」や「隠す」という言葉が出ます。都合が良いと利用し、都合が悪くなれば隠す、子どものような政治家やプーチンが世界を守り整えることは無理!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 室蘭バプテスト・キリスト教会。室蘭市知利別町1-8-11にあります。アクセスはJR東室蘭駅から1km(徒歩13分)、バス停「東通」から100m(徒歩1分)、駐車場もありますとのこと。若い吉田牧師が活躍されています。祈りの課題は以下です。①体調を崩されている方々の癒し。②転入会式に向けての歩み。③コロナ、戦争、内戦の終息と平和。牧師・吉田
尚志
11/2 ローマ書3章9-31節 「神の義」
パウロはまず、ユダヤ人だけが「選民」として神の愛の導きにあるのではないと告げ、全ての人間は罪があるのだと語ります。最近「清め/浄め/聖め」という言葉を考えていて、人類には共通して「きよめ」を求める意思や宗教としての表現があることを感じ、「生きる」ことは誰かの犠牲の上にあるゆえに、あるいは過ちを犯すことを知っているがゆえに、人は「きよめ」を求めてきたのだと思います。その「問い」を解決するのが「主の赦し」であり「神の義」です。「義」の漢字は「我」の上に「主」があります。ところが人間は反対に、神をも自分の召使としました。そうではなく、神の愛、神の赦し、神の忍耐が我らを主の道に戻し、命の道を教えるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 苫小牧バプテスト・キリスト教会。北海道苫小牧市日吉町2-4-20にあります。苫小牧(とまこまい)は一時は産業が盛んでしたが、今は減少しているような感じがいたします。でも水もおいしいところです。教会はJR糸井駅より徒歩8分、新しい素敵な会堂ができています。今、専任牧師がおらず、函館美原教会の福田牧師が月に一度行って、礼拝や役員会や信徒会などを行ない、これから向かう道を考えておられます。祈りの課題は以下です。①求道者、働き人、牧師が与えられ、②地域に根ざし、③福音の種が広がるように。代務者・桜井 明、助言者・福田雅祥(函館美原教会牧師)
11/1 詩編33編 「平和を幻想としない道」
詩編には昨日のような嘆きも、今日の詩編のような希望と喜びに満ちた讃美もあります。いずれにせよ、詩編は基本的に人間の祈りであり、それがゆえに、様々な状況での祈りが残されているのです。私共の世界はそれぞれの思惑や計画が交わり、ぶつかり、現実が引き起こされていきます。自らの考えが完全であり、正解でもありません。その中において「御心」、つまり神の思い、神の計画があることに心を向けることがあなたを様々な囚われと迷いから自由にすると思います。16~19節はまるで現在の言葉。人間が知恵と莫大な金を使って次々と人間を殺す兵器が生まれていることにぞっとします。軍事が平和を創るなど幻想です。命を得させる主の声を聞いてほしいのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 函館キリスト教会。函館市柏木町16-38にあります。この教会には古くからの知人である方がつくられた!パイプオルガンが設置されています。どのようなものか実物を見て、音を聞きたいのですが、いつか行きたいです。それから、函館っていうのは「温泉」が町中いたるところにありましてそれもいいなぁと思います。雪もそれほどでないみたいなので、住むには良いところかも。祈りの課題は以下です。①み言葉と祈り、主の愛と聖霊充満。②イスラエルの祝福と、世界の平和。③連盟・連合との連帯と協力伝道。牧師・本多
啓示
10/31 詩編6編 「床に涙が溢れる夜」
この詩編は死が近いことを感じる病や苦悩の中で疲れ切り、主に向けられた祈り。3節の「骨は恐れ」、は日本語表現では余り見ませんが、固い部分である骨と、4節の「魂は恐れ…」と対をなし、心と体はつながるもので、双方が傷んでいます。「主よ、いつまでなのでしょう」、この辛さや痛みが数日で無くなると思えば我慢もできますが、それがわからないゆえに不安が襲い、痛む度に「もう終わりなのか」と思わざるを得ないのです。5節の「立ち帰る」の言葉は通常、人が神の前に立ち帰るのですが、ここは、神が自分に目を注ぐことを訴えます。この詩人の言葉に共感する人もいましょう。私や他人があなたの痛みを引き受けることはできませんが、ただ、あなたを覚えて主に祈りますし、共に教会も祈ります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟引退教役者の方々を覚えて。内藤 淳一郎氏(東京都在住)、鍋倉 勲氏(福岡県在住)
10月23~30日 聖書日課と祈りの課題(特別版)
10月24日(月) 聖書:哀歌2章8~12節 「エルサレムの荒廃」
今日の祈り:カルバリ教会(青森県六戸町)。①地域へキリストの愛を持って伝道する教会。②牧師・家族の霊、肉、魂の守り。③信徒がみ言葉にかたく立ち、主にある喜びを持って信仰のレースを生き抜いていけますように。 牧師:デヴィニー・ジェームス
10月25日(火) 聖書:哀歌3章16~27節 「苦渋と欠乏の中で」
今日の祈り:青森教会(青森市)。①雪害を受けた屋根の張り替え工事がスムーズに進みますように。②コロナ危機から教会員・関係者、幼稚園・関係者が守られますように。③教会の地域に福音宣教が前進しますように。 牧師:角本
尚彦、協力牧師:佐々木 昭正
10月26日(水) 聖書:ルカ福音書 21章20~24節 「エルサレム滅亡の予告」
今日の祈り:函館美原教会(函館市)。①開かれ柔らかな心で神さまのお働きに従っていくことができるように。②苫小牧教会との協力が祝されるように。牧師:福田
雅祥
10月27日(木) 聖書:ルカ福音書 21章25~28節 「解放の時が到来の約束」
今日の祈り:バプテスト連盟関西地方教会連合(32教会5伝道所)。①無牧師と休止中の群れを覚えて。②教会間協力伝道が進むように。③全世界に主の平和が満ちるように。 連合会長:鮫島
泰子(神戸伊川教会牧師)
10月28日(金) 聖書:ネヘミヤ記 1章1~3節 「エルサレムの現状」
教会の祈り:バプテスマ決心者・転入会者が与えられるように。 今日の祈り:連盟「部落問題特別委員会」。①差別のない社会であるように。②石川一雄さんの無罪が確定するように。③当委員会の働きのために。 委員長:片桐
健司(品川教会員)
10月29日(土) 聖書:ネヘミヤ記 1章4~11節 「ネヘミヤの祈り」
今日の祈り:連盟「総会役員会」。①厳しい状況を見据えつつも、集まることができなくても、希望の主に信頼し、共につながる総会になるように。議長:松坂
有佳子(青森県・八戸教会牧師)。
10月30日(日) 聖書:ネヘミヤ記 2章1~10節 「エルサレムへの想い」
教会の祈り:福永保昭牧師と恵泉教会を覚えて。 今日の祈り:連盟「社会福祉事業団体連絡協議会」。差別、抑圧され、生き難さを抱える人たちの生命と人権が尊ばれる「共に生きる社会」の実現に向けて。<事務所>福岡県大牟田市「社会福祉法人キリスト者奉仕者会」内。5団体で結成。
10/23 エズラ記8章8-23節 「エズラ達の旅立ち」
7章後半から文章が「わたし」「わたしたち」と変わり、エズラが記した文書になります。改めて、エズラがバビロンからエルサレムへ帰還する様子がここにあります。「アハワ川」とは同名の川か運河沿いに位置していたバビロンの町で場所は確定できていません。しかし、銀22トン、祭具と金は3、4トン、旅路は最終的に百日に及ぶものですから、その間の危険を考えるとまさに祈らざるを得ません。通常なら兵士を連れていきたいのですが、エズラは「神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手が差し伸べられる」と語っていた手前、断食して祈ったのです。断食は祈りに集中する姿勢です。祈りの中で「幼い子」を特に覚えているところにエズラの思いを感じます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 三沢バプテスト・キリスト教会。青森県三沢市東町2-2-2にあります。三沢市は米軍基地があった関係で米国の方々が多くおられ、その意味ではとっても開かれたしゃれな町です。この教会の福田牧師は、実は三沢市にある有名な眼科医の院長です。きっとこの教会では「心の目、信仰の目」が開かれることを伝えてくださっていると思います。祈りの課題は以下です。①ウクライナ戦争の終結のために。②経済とエネルギー不安解消のために。③信徒らがコロナに罹患しないために。牧師・福田 敦
10/22 ルカによる福音書14章15-24節 「主イエスを陥れる食事会」
この箇所はまず、主イエスが語った状況を理解することが必要。1節にあるように、この食事会はファリサイ派という「自分達は律法を守って救われている」と思っている人々の集いであり、同時に主イエスを陥れるために裕福な議員の家で行われた陰険な食事会でした。その場でまず病気の人に対するイエスの態度を調べ、七節では上席に招待を受けた者の態度を(多分、地位があり、当たり前のように上席に座るが、主イエスは上席ではなかった)見て語るのです。15節では、宴席(神の国)の招待を受けたのに、当日に様々な理由をつけて断る人々が描かれます。自分は救われていると思うけれども、他者や社会的弱者への愛や共感を伴わない議員やファリサイ派への批判。今日はS・Tさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 八戸バプテスト教会。青森県八戸市類家1-8-38にあります。facebookによる教会紹介では「八戸バプテスト教会は、国道45号線類家1丁目交差点を臨む丘の上に建つキリスト教会です。毎週日曜日小さい子どもからお年寄りまで集まって礼拝をしています。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にお越しくださいませ。聖書や賛美歌は貸出用もございます。駐車場あり。」。何と1882年に始まった教会です!すごい歴史をもった教会です。この教会の松坂牧師とは以前、福岡連合での交流があり、お嬢さんがお生まれになった時も家族で病院にいってお祝いしました。祈りの課題は以下です。①宣教140周年、歴史に学び、新しい時代に生きる群れとなっていけるように。つながってささげる礼拝の充実。牧師・松坂 有佳子
10/21 ローマ書12章1-8節 「礼拝者としての招き」
1節の「こういうわけで」はここまでパウロが語ってきた内容。それは3章23節のように「イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされる」等です。神の義と愛を自分の事柄とし、感謝を持って受け止める者の歩みを12章以下で示しています。「自分の体を神に喜ばれる生けるいけにえとして献げなさい」は、決して死をも厭わないような殉教精神、殉教覚悟で従うことではありません。「いけにえ」という言葉が激しいのですが、それは死ではなく、礼拝者として生きる道。具体的には「(日々)心を新たに…主の御心を求め自分を変えること」であり、自らが御心を世に示す一部分として奉仕であれ教えることであれ、神と人に仕える生活です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 鮫バプテスト教会。青森県八戸市鮫町忍町30にあります。以前は「鮫」「忍」等の言葉から海沿いの隠れた場所のような印象を持っておりましたが、まったく違います。JR「鮫」駅から徒歩5分です!ホームページには教会近くの名所・観光スポットが紹介されています。教会の案内にはこう記されています。「鮫バプテスト教会は八戸バプテスト教会の松田正三牧師が鮫在住の求道中のメンバーの依頼により1949年3月3日に伝道が開始されました。現在伝道開始から70年以上が経った事になります。最初の頃は教会員のお宅や八戸港湾会社の施設をお借りしたりして集会を行なっていました。1955年から現在の場所に会堂を建てて教会の活動を行なってきています。初めの頃から幼稚園の活動をしていましたが、現在は休園しています。1996年には建築後40年以上経った会堂を壊して新しく教会堂を新築しました。創設時のメンバーの多くは天の御国に凱旋しましたが、現在はその子供たちが教会の主力メンバーです。そしてそのまた子供も今は若いメンバーの主力として活躍しています。これからも先輩方の信仰を受け継ぎながらこの鮫の地で教会として立ち、主イエスキリストを証しし続けていきたいと願っています。今までがそうだったように。」とのこと。祈りの課題は以下です。①地域にキリストを伝える教会になれるように。②牧師招聘が叶えられるように。③誰でも集える教会に。代表役員代務者・鈴木 勉
10/20 エズラ記7章27-8章14節」 「主がなされることを仰ぎ見よ」
エズラ帰還にあたって王の文書には神殿に仕える者は非課税とされ、エズラに「立法」「行政」「司法」の三権が与えられています。特に「死刑」は大きな権力で、合法的に人を殺すことであり、その権利を与えることは昔もそして、今なお、真剣で大事な課題。それらの付与をエズラは「(主が)心を王にお与えになり」と告白します。まさにそれらは神の働きになしには有り得ぬことでした。榎本保郎氏は語ります。「友よ、今あなたを悩ませている問題は何か。…天を創り、地を創った神の前でもう一度それらの事を見直してみよ、すべての人を照らすまことの光の前にそれをたずさえ出てみよ…そのとき、あなたの上に主の御手がおかれていることをあなたは知るであろう」。主が栄光を示してくださいますように。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 盛岡バプテスト教会。岩手県盛岡市天神町10番14号にあります。ホームページはまだつくっていないようで残念ですが、facebookで教会のことを知ることができます。ステンドグラスの光が入ってくるとても素敵な会堂です。祈りの課題は以下です。①主のみ旨をあらわす礼拝。②求道者のバプテスマ決心。③沿岸地域を覚える。牧師・小川 紋子
10/19 詩編34編 「あなたの貧しさはどこに?」
3節の「貧しい人」、これは主イエスの言葉でマタイ5章の「貧しい人」をルカ6章では「心の貧しい人」と記し、経済的な貧しさだけではなく、経済が豊かな人でも「心」「貧しい」場合を示します。いずれにせよ人は様々に「貧しい」部分、「不足」を持ちます。その意味で自分には関係ないと読み飛ばせないところです。「豊かさ」それは、何よりどんな時にも主が共にいることを感謝し、ほめたたえ、礼拝し、讃美するところにあるのです。さらにこの詩編は自分と神との関わりを感謝し、人々に主と共に歩み道を示します。9節の「味わい、見よ…」、主の恵みを、眺めているのではなく、実際に体験してほしいのです。15節は現代、全ての人間が求めるべき言葉ですし、世界の平和こそが、自国の繁栄を生むのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 秋田バプテスト教会。秋田県秋田市泉中央3-2-1にあります。教会のホームページでは以下のように案内があります。「わたしたちの教会の歩みは、この秋田市内において1957年4月から55年にわたる教会の歴史が積み上げられてきました。その間、1963年に教会を組織し、1975年にひかり幼稚園を併設し37年にわたる幼稚園の歴史も積み上げられてきました。全国に325か所、全都道府県に加盟している教会と伝道所を持つ日本バプテスト連盟に加盟している教会です。聖書に基づく信仰を大切にし、民主的な教会運営を大事にしているプロテスタントの教会です」。また、「認定こども園 ひかり幼稚園」の母体です。数年前に幼稚園、教会ともに改築されてとても素敵な空間が拡がっています。祈りの課題は以下です。①地域の祝福の源となりますように。②地域の教会・幼稚園となりますように。③教会の園・園の教会となるように。牧師・村上 悦二
10/18 ルカによる福音書10章38-42節 「心乱れる時」
有名な姉妹(この家には多分、マリア、マルタ、ラザロの2女、1男がいたと思います)の話。自宅に主イエス一行を招き、集会をして、宿泊も提供したのでしょう。マルタは集会中も腕をふるって食事の準備をします。忙しいのに、妹のマリアは手伝いもせずイエス様の話に聞き入っています。頭に来て、そしてマリアが信頼しているイエス様に叱ってもらおうと思ってイエス様にマリアへの不満を告げます。でもイエス様は「マルタは多忙で心乱している、マリアは必要なことを選んだ」と語ります。マルタは自分の料理を精一杯することが彼女の大事な奉仕であり、、妹を叱る必要はありません。マリアにこの時必要なのは主イエスの言葉を心に満たすことでした。自分の思いや都合を人に押し付けるのではなく、人が何を求めているのか推し量ることできないのが「心乱れる」時です。今日はM・Hさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 大富キリスト教会。宮城県富谷市日吉台2-1-5にあります。仙台に近いベッドタウンだと思います。ホームページには次のような案内が記されています。「わたしたち大富(たいとみ)キリスト教会は、神の恵みにより導かれ、イエス様を主と信じる教会です。1992年に宮城県の仙台市北部に位置する富谷市に建てられました。礼拝参加する来会者は、宮城県域のプロテスタント系のミッションスクール(尚絅学院、宮城学院、東北学院など)の在校生・卒業生が多く集まっています。各集会は堅苦しくなく、アットホームな雰囲気です。どのプログラムも普段着でご参加ください、小さいお子様同伴も歓迎です。イエス様を信じている人も、そうではない方も、みな一様に歓迎します。ぜひお気軽にお立ち寄りください。」。小田牧師の趣味は図画、工作、真空管ラジオ、おもちゃの修理など多数、とのこと。おもちゃが壊れたらお訪ねしてみたらいいですよ!祈りの課題は以下です。①主に愛されている恵みを覚えて。②主にある祈りと感謝を覚えて。③コロナ下、互いの健康を覚えて。牧師・小田
衛
10/17 エズラ記7章1-26節 「諸宗教に対する態度」
エズラの帰還並びに帰還に伴う王の書簡が記されます。アルタクセルクセス王はペルシア歴代王の中に同じ名前が三人あり、その中のどの王なのかは議論があるところです。兎にも角にも王がエズラを信頼し、好意的に神殿建築に協力する態度、それが対ユダヤだけでない点に諸宗教に対する畏怖の念をみます。もし悪いことをすればペルシアに不幸が襲うという恐れもあったのでしょうが、各宗教を大事にする態度は現代的。もちろん非人道的な宗教は強く批判すべきです。ロシア正教会がプーチンの政策を支持している事に怒りを持ちます。それは政治に取り込まれた宗教の成れの果て。宗教は政治と分離し、批判的であるべき。批判的とは自身の態度を明かにした上で、是と非を根拠を明確にして明らかにする見方です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 仙台長命ヶ丘キリスト教会。仙台市泉区長命ヶ丘3-2-17にあります。かつては「仙台北教会」と言ってましたが、街の名前がとても素晴らしいゆえでしょうか、「長命ヶ丘」の名前に変更しました。長命は感謝ですね、そして主なる神さまは「永遠」へと導いてくださる方です。この教会の金丸牧師は若い頃、バンドでベースを弾いておられ、プロデビューの可能性が多いにあった方です。素敵な感性の持ち主ですし、非常勤で教えておられる学校の学生が多数教会に来ておられます。何てすばらしいことでしょう!金丸牧師の授業が学生にしっかりとわかりやすく伝えられているのだと思います。祈りの課題は以下です。①コロナの中で教会の歩みが守られますように。②暴力が人を支配することがないように。③原発事故の収束。牧師・金丸 真
10/16 エズラ記6章13-22節 「神殿完成は一つの経過点」
捕囚帰還後の神殿建設工事は様々な困難に直面しつつ、遅々とした歩みでした。途中の中断のため、神殿ができたのは定礎から20年と言われます。その間、人々生活基盤の確立や政治・経済の確立もありますし、外部からの圧力もありました。でも歴史の流れから思えば20年はそれほど長くもありません。そして民が心も体も疲弊した時には預言者が励ましの言葉を送り、遠方からの助けもありました。完成した神殿もソロモン神殿から見れば規模も見栄も劣ります。建物ができればそれでよいのでしょうか。一瞬にして壊れることもある建物の完成時もそれは経過。建物建築を通して、民が形成され、一人一人の能力が生かされ、共に喜び、共に生き、互いに祈る歩みが育まれるのが一番大事なのです。今日は、私、坂本は川越キリスト教会で礼拝のメッセージをするために行きます。所沢教会は浅見祐三牧師のお話です。浅見祐三牧師は年に3回程度メッセージをしていただいています。めったに聴けませんからぜひお楽しみに!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 南光台キリスト教会。仙台市泉区南光台5-5-5にあります。私も行ったことがある教会で、木材を用いて円(サークル)のような建物がとても教会の個性を表明しています。この建物ができたとき、お金が足りなくて、ガスはプロパンガスになったのですが、震災の時、近隣のみなさんのガス供給が止まり、この教会でお風呂や食事作り等で大変用いられたとのこと。祈りの課題は以下です。①主題「希望によって歩む」(ローマ書5章5節)。②礼拝と交わりが守られますように。③福音宣教の業が祝されますように。牧師・田中 信矢
10/15 詩編127編 「あなたの働き」
この詩編は異なる二つのテーマから成り、前半は「むなしさ」、後半は「子ら」。家を建てること、町を守ること、日常の労苦といったような努力も、その業が主の業(主の願い、主の伴い、主の導き、主の愛)と対応していないならむなしくなります。何のために家を建て、働くのか、自分の仕事が主の願いと結びついているなら、虚しくなりません。神がくださった命はそれぞれ素晴らしい可能性に満ちたものです。建築工事で汗流す人が、面倒だけどこれをしないと食えないから、と仕事するのか、この建物で歩む人のことを考えて仕事するのかで価値が異なります。後半は辛い言葉になる危険がありますが、どうか主がどんな状況でもあなたに祝福を与えてくださいますように。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト仙台基督(キリスト)教会。仙台市青葉区木町通2-1-5にあります。この教会はとても便利がよいです。仙台駅から地下鉄に乗って、なんとかという駅で降りて、地上に上がるとすぐにあります。「ルージュの教会」といわれる教会のデザイン、ぜひみてください。また、この教会には「仙台バプテスト幼稚園」を付設しており、都会の真ん中ですが、子どもたちがのびのびと育っています。この教会の牧師さんは、何と、かつて歯科医を目指し、免許ももっていたように思いますが、牧師の道を志して、ずっと牧師をされています。牧師っていう仕事は、もうかるとか考えると絶対無理です。まぁ、もうかるから歯科医になろうという人の医院には行きたくもないですけど。祈りの課題は以下です。①地域の方々の拠り所となれますように。②世界が平和になりますように。③幼稚園の働きが祝されますように。牧師・宇都宮 毅
10/14 ルカ福音書6章46-49節 「み言葉に根を張って」
主イエスが建物の土台から人生の土台を語っています。地面を深く掘り下げ、岩に基礎を据えることが丈夫な建物に必須。私共において「掘り下げる」とは、自分の命が与えられている意味を考え、その命が守られるために、主の言葉によって人生の歩み方、人や家族との関わり方、人生の目標を定めていくということでしょう。人生を掘り下げていくと、過去、このような導きがあった、ここで助けを頂いた、誤ったこともあったけど、修正できた、そのような導きや備えを改めて見いだすかもしれません。しかし、人生はまだ完成しているわけではありません。今もこれからも困難がありましょう。しかし、主イエスに自らの根を張ることがあなたに幸いと希望を与えるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 山形キリスト教会。山形県山形市緑町2-12-34にあります。この教会は当教会の前任牧師であった杉山修一牧師が昨年度?までお働きになり、その後、若手の宮田牧師が就任いたしました。杉山牧師の時代に老朽化していた教会堂を新たにしました。この教会は聖歌隊も盛んです。山形は自然豊かで、美味しいもの、美しい景色があるのですが、まだ個人的には行ったことがなく、行きたい場所のひとつです。祈りの課題は以下です。①求道者の方々の信仰決心のために。②ご高齢の方々の守りのために。③子どもたちの活動の祝福。牧師・宮田 祐亮
10/13 ゼカリヤ書6章9-15節 「遠くより協力者が与えられて」
エズラ記5章に登場する預言者ゼカリヤ(「主は覚えてくださる」の意)はハガイと同時期で、活動時期はダレイオスの2年(前520年)から始まり、再建された神殿の奉献(前516年)以後も活躍し、祭司としても働きました。今日の箇所はそれまでの八つの幻と関連し、締め括りとして、また現実の出来事として記されています。神殿建築を推進してきたゼカリヤにとって新たな帰還者達の資金的協力は大きな喜びであり、感謝でした。感謝の印として冠を与え、宣言の言葉があります。「若枝」は神殿建築を「木」に見立て、完成へと至らせることでしょうが、より大きな意味では、神の平和の計画のために神ご自身が「若枝」を用意することでキリスト預言とも感じます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 福島主のあしあとキリスト教会。現在、教会建築を目指して、土地探し等をされています。前「ふじみ野バプテスト教会」牧師であった大島牧師が就任しておられます。大島牧師のいる所にはいつも笑いが絶えないような、気さくな牧師です。また、教会にあるバンド(コンテンポラリー・ゴスペル・グループ)は自分達で作詞作曲した讃美歌をはじめ、自分達の思いを素直に歌にしており、とても素敵です。CDもありますのでぜひ教会にお問合せください。集会場所等はお問合せください。電話024-563-3222(大島)です。祈りの課題は以下です。①仮会堂での諸活動の祝福。②教会員とそのご家族の守り。③会堂建築の祝福と守り、導き。牧師・大島 博幸
10/12 エズラ記5章17-6章5節 「歴史の確認と記録を残すこと」
今日の箇所を理解するためには4章から読む必要があります。ただ、ペルシャ王の順序はクロス、カンビュセス、ダレイオス、クセルクセス、アルタクセルクセスなので、エズラ記の記録は誤りがありますが、中心は神殿建築に反対し邪魔するサマリア系の人々が、旧南ユダ族等を反逆の民、ペルシャに損害を与えると直訴したことで工事が中断。そこで主なる神は預言者二人を送ります。彼らの指導でペルシャ王の最初の意向を確認する文書をペルシャ側に送ったのです。行政でも、人間関係でも約束を交わし、その上で記録を残すことが未来への責任です。歴史は人々の心と決断、行動の積み重ねであり、勝手な変更や紛失等が真実を曲げます。存在した文書が「ない」というのは都合悪い事実を隠すこと。今日はA・Yさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> あゆみの家キリスト教会。1997年、旧福島旭町教会から分かれて歩み出した教会です。礼拝堂や土地を持っていませんが、「教会」は「(主なる神さまに)呼ばれ、集められた人々」の群れなので、礼拝堂があるとか、土地があるということは基本的には関係ありません。もちろん、集う場所としては決まった場所があるほうが良いのですが。その関係で礼拝等を行う場所は変わりますので、参加したい方はお電話してください。また、コロナ危機の中ではそれぞれの信徒の方々が牧師から来る書類を読み、自宅等で礼拝をされているようです。090-2993-7720(渡辺)です。祈りの課題は以下です。①書類を用いて行っている家庭礼拝のために。②時々集まる礼拝のために。牧師・渡辺 政友
10/11 ハガイ書2章1-9節 「預言者ハガイ」
ハガイ書は旧約聖書の終わり部分の13小預言書のひとつです。「小」は分量で決まります。ハガイは「祝祭」という意味のへブル語「ハグ」に関係し、「私の祭」「主の祭」等の意味があります。捕囚帰還時の預言者で、ハガイ書以外にエズラ記で触れられる以外はわかりません。ハガイ書は日付が特徴的で、9月24日(10節)は捕囚帰還民により神殿の基礎が据えられた日です。その前の7月の預言ですが、神殿の基礎をつくりながら、建築する人々は様々な「恐れ」があったとエズラ記三章は告げています。建物の建築においても、人生の計画においても、完成に至る前は不安や思い違い、変更等揺れ動きます。また周辺からも文句もでましょう。その時、主が「わたしはあなたがたと共にいる、恐れるな」と主が良しとされるあなたの歩みなら、主は励まされるのです。今日はS・KさんとN・Aさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 郡山コスモス通りキリスト教会。福島県郡山市中野2丁目57にあります。まだ行ったことのない教会ですが、多分、今頃、コスモスが美しく咲いているのでしょう。前牧師であった金子千嘉世牧師が召され、しばらく専任牧師が不在でしたが、今は長い牧師経験を持つ蛭川牧師が就任されています。祈りの課題は以下です。①礼拝に繋がる方が増えますように。②他で新生活を始めた方のために。③原発課題のために。牧師・蛭川 明男
10/10 エズラ記4章1-5節 「新たな計画を邪魔する人々」
「ユダ(族)とべニヤミン(族)」は旧南ユダ王国の民族。「エサル・ハドン」は北王国を滅ぼしたアッシリアの王の後継者でサマリアを中心とする旧北王国に異邦人を多く移住させ、混合種族政策をとったと言われます。旧北王国はサマリアに神殿をもっていたので、その信仰を継承していた人々が、エルサレム神殿建築に協力を申し出たのです。一見、良い話に見えますが、統一王国分裂後、新たな南北関係において国や神殿の主導権を旧北王国側が持つことを考えてのことです。新たな計画が起こる時には、反対や、この機に乗って勢力拡大しようとする人々もいます。これも今の政治と同じですね。また反対の動きは捕囚期に入った人々や旧南王国の人々を恐れてのものでした。今日はS・Cさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 新潟主の港キリスト教会。新潟市東区下木戸2-4-12にあります。教会のすぐそばは大きなスーパーマーケットがあり、便利な場所です。今はコロナでわかりませんが、平日にもいろいろ参加しやすい集まりが場所提供がなされています。旧新潟教会等2教会1伝道所が合併してうまれた教会です。中の雰囲気も素敵なので、ぜひお気軽に行ってください。祈りの課題は以下です。①新潟の地に主イエスの権威を宣言しつつ、力強く福音を伝える教会へ成長していけますように。主任牧師・福久
織江、協力牧師・篠谷 輝俊
10/9 エズラ記3章1-13節 「周囲への心遣いと心配の中で」
「民は…一人の人、のようになった」との印象深い言葉によって、神殿建築が始まり6章までの工事期間を過ごします。「第七の月」は現在の9~10月。かつての神殿があった場所に簡単な囲いや祭壇が置かれ、礼拝を始めます。「その地に住民に恐れを抱く」との言葉は捕囚期に移り住んできた住民の反対運動や捕囚から帰国した人々の中で生活が苦しい人々からの反発を恐れていたのです。「シドン人とティルス人」についての言及はそれぞれ良質の木材の供給地の人々であり、彼らへの代価や現地労働者の労賃が支払われたと記述することは後のトラブルへの対処。関係者や周囲の人々に気を使うことがどんなことでも大事です。そうしながら基礎の完成時、叫びと涙が響きます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 宇都宮キリスト教会。栃木県宇都宮市京町15-24にあります。私はこっち(北関東)に来るまでは「宇都宮」は「浦和」の隣くらいに考えていましたら、随分遠いのでびっくりでしたが、そりゃそうですね。宇都宮教会さんにはいろいろ思いがありまして、連合の教会交流プログラムで一度お訪ねしたのですが、教会のすぐ近くに幹線道路があり、ロッテリアがあります。幹線道路から入ってすぐに教会があり、教会の前はスーパーマーケットがあるというとても良い立地です。この教会の天野牧師は当教会出身牧師です。日本バプテスト連盟では「ハラスメント防止」委員会の委員として素晴らしいお働きをされています。また、電気に詳しく、料理も上手で素晴らしい牧師さんです。祈りの課題は以下です。①教会員の健康と霊性のために。②教会の働きのために。③求道者の方々の健康と救いのために。牧師・天野
英二、協力牧師・高橋 つる
10/8 詩編136編 「神に感謝せよ」
この詩編は礼拝の中で司式者の言葉に対し会衆が「慈しみはとこしえに」と交唱するもので、その伝統は現在の礼拝の「交読」に引き継がれています。ここを読みながら、現代の私共は「エジプトの初子を打った」「軍隊を投げ込んだ」「王たちを撃ち、滅ぼした」等の言葉に素直に共感できないと思いますし、当然な思いでしょう。でも、我らもまたロシア軍が滅ぼされることを願い、プーチン王が滅びることを願っているのです。それは戦争において巻き込まれ、同国民が殺されている厳しい現実の中で、自分たちの救いを願い、敵の滅びに感謝する感情とつながります。新約で、剣を捨て、暴力を拒否した主イエスに従いつつ、戦争を起こさない世界を創ることが現代の使命です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 太田ビジョンキリスト伝道所。群馬県太田市下浜田町1085-50にあります。この教会は太田市でも割と町中にあります。すぐ隣に学校がありました。一度、「教会間交流」で伺ったことがあります。牧師とその夫は韓国の方で、韓国語教室や絵画教室(牧師さんが美術学校も出ておられる)等を行なっていますが、コロナの影響はどうでしょうか。そのようなことで、教会のメンバーも韓国とつながりのある方々が多いです。祈りの課題は以下です。①愛を分かち合える教会。②伝道を通じ弱者を救える教会。③太田市民2千人への伝道。牧師・李
姫周
10/7 詩編107編1-32節 「主の恵みを想起しつつ」
歴史を回顧しつつ、繰り返す歴史に礼拝者の人生を重ね合わせ、「主に感謝せよ。主は慈しみ深く…驚くべき御業を成し遂げられる」との信仰告白が何度も語られます。4節から9節は「出エジプト記」の記事を想起させますし、23節から31節はガリラヤ湖で主イエスが乗っている船を襲う嵐の出来事(マルコ4章)を想起します。この詩編を読みながら私共は自分の人生に与えられた主の恵みを思い起すことができるでしょうか?主は何も恵みを施して下さらなかったと感じる人でも、それぞれの人生を振り返り黙想し主の導きと恵みを思い起すことができたら感謝です。そして、神様に対してのみならず、親や家族に対して感謝を探し語る今日一日でありますように。今日はN・Sさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト前橋教会。群馬県前橋市昭和町3-12-6にあります。教会のすぐ近くに「群馬大学医学部病院」があります。かつては「幼稚園」を運営しておりましたが、今はその名残があります。卒園された方々、ぜひこの教会をお訪ねください。年を経て、いろいろな苦労や辛い思いをされている方々もいらっしゃいましょう。その時、ぜひ教会に行ってみてください。この教会の礼拝堂は二階にありますが、エレベーターもあります。そして今、前牧師、現協力牧師の奥田牧師が沼田市にお住まいで、お住まいの家を教会の集会所として用いています。名前がすばらしいのよ!「沼田ロマンチック街道キリスト教会」といいます。奥田牧師は畑もやっていて今年は300キロ以上のジャガイモの収穫があったとのことです。田代牧師はまだお若い牧師です。祈りの課題は以下です。①主題:時が良くても悪くても主を宣べ伝えよう。②活動の柱:沼田伝道所開設に向けての推進。牧師・田代
仁、協力牧師・奥田 稔
10/6 コリントの信徒への手紙2 9章6-15節 「献金について②」
主イエスは貧しいやもめがその日のわずかな生活費を献げたことを誉めました。金額ではなく献金する心が大事で、金額の大小で恵みを分け隔てる我らの神ではありません。ゆえに今日の6節はパウロの言い過ぎ。「惜しんで」とは献金額を減らす計算に心使う人のこと。不承不承でなく、心で決めた額でよいのですが、献金は決めた額をまず取り分けることを勧めます。日本でも昔から仏壇等に備えるごはんは最初に取り分けるのが神さまに対する礼儀でした。そして金額の大小に関わらず、感謝をもってお献げすることです。「献金」をしすぎて、生活が破綻することはキリスト教会では聞いたことがありませんし、ノルマもありません。ノルマがある時点で「おかしい宗教」です。今日はT・Tさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト太田キリスト教会。群馬県太田市薮塚町1122-1にあります。私もこっち(北関東)に来て知ったのですが、太田市は「スバル」の工場等があるのですね。この教会は少し街はずれにありますが、かつての「鰻屋」を改装して教会にしています。教会の裏には単線の電車の線路があり、「薮塚」は温泉もあります。「薮塚温泉」のホテルで一度、北関東地方連合の「牧師・主事会」で宿泊研修をさせていただきました。祈りの課題は以下です。①祈りと支えを必要としている人たちのために。②地域と共に歩む教会として。③協力伝道を共に担う教会として。牧師・林 健一
10/5 使徒言行録4章32-37節 「献金について①」
教会では集う方々が自主的に自由額の金額を献げるので「会費」ではありません。献金は旧約聖書時代から続く伝統ですが、歴史の中では税金から宗教団体にお金が行くことがありましたし、現代日本ではそのことに危い点があり、(玉串料の支出等)政教分離の原則に反します。教会には強制的な献金はありませんし、教会の会計も教会を構成する会員皆で決議します。また多く献金したら後利益があるとか、教会の中で優遇されるなどあってはならないことです。「統一教会(協会)」はキリスト教系とされますが、内実は全くの別物であり、宗教的な営利団体。今日の箇所で財産共有の話があります。「共産主義」の原点ですが、後の諸教会には引き継がれませんでした。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 高崎バプテスト教会。群馬県高崎市中居町4-31-11にあります。前も書きましたがこの教会の森牧師は「東北学院大学」を出て「西南学院大学」で学び、東西南北をすべて制覇したという方です。キリスト教教育にも造詣が深く、日本バプテスト連盟では「聖書教育」という教会学校の参考本つくりに貢献してくださっています。とても穏やかな方です。私が群馬県にある古墳の調査をしたいとお話しましたら快く連れていってくださいました。高崎教会は「木」が豊かに使われており、豊かな空間です。祈りの課題は以下です。①年度標語「共に生きる~キリストにつながれて~」を覚えて。②お互いはキリストの体の一人ひとりとして。牧師:森 淳一
10/4 エズラ記2章36-58節 「祭儀職に関わる人々」
昨日に続く帰還者のリスト。歴代誌上23章以下に定められている分類に従って祭儀職に携わる人々の名前が挙げられています。祭司は出エジプト時代に定められたアロンの子孫、レビ人はアロンの末裔かレビ部族の成員であり、祭司の補佐役や詠唱者や門衛等の働きが与えられます。「門衛」は門番ですが、門の前で儀式等を行いました。59節からは先祖の由来が不明者の扱いが記されます。捕囚時代、辛酸をなめた者もいたし、バビロンの人と結婚した人や、バビロンとの関係の中で「バビロンに残りたい」と感じ、不満をもった人々もいて決して一色ではないのです。「ウリムとトンミム」は祭司が事の是非を判断する道具。「聖なる食べ物」とは至聖所に供えられたものです。今日はF・Mさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 水戸バプテスト教会。茨城県水戸市元吉田町2158-2にあります。水戸市の少しはずれ、でも幹線道路から入ったすぐの所に広い駐車場と広い教会堂がある教会です。古くから北関東の中心の教会の一つでした。数年前から若い牧師が就任しており、これからも楽しみな教会です。日曜日は、広い庭のあるこの教会で親も子どもさんも楽しく過ごせると思います。祈りの課題は以下です。①礼拝に主のご臨在があるように。②教会に霊的な一致があるように。③ファミリー層の方々への伝道。牧師・服部
紘司
10/3 エズラ記2章1-35節 「先達の歴史を背負いながら」
バビロンから解放された帰還者のリスト。大体、読み飛ばして良いのですが、最初に帰還した人々は共同体のアイデンティティ確立の重要な要素です。この第一陣の指導者は2節の「ゼルバベル」と「イエシュア」。ゼルバベルはダビデの家系に属し、後に彼らが新しい神殿の創設と完成において大きな役割を果たします(3章2節、4章3節、5章2節)。そしてこの名簿の名前は捕囚の時から生き残っている人は極少なく、二世、三世の人々ですが、家族の記憶、歴史を刻んできた人々です。「ファミリーヒストリー」というテレビ番組がありいろいろ先達の歩みを思い起し、その歩みがあって我らが今あることを感じます。我らも、この人々も、それぞれ先祖の歴史、苦難をと希望を背負って歩み出した人々です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東海バプテスト教会。茨城県那珂郡東海村須和間2000-1にあります。新しい住宅街の入口、かつては住宅を販売する事務所だったところを今、教会として利用しています。何より、「みぎわ幼稚園」が有名でしょう。音楽等を通した情操教育、そして、ミッションスクールとしてキリスト教を基盤とした幼稚園です。この幼稚園の母体であり、祈りで支えているのがこの教会です。前牧師が突然召されびっくりしました。そして今、前「水戸バプテスト教会」牧師であった加山彰一牧師が就任されています。加山牧師は讃美歌の作曲などもされる先生です。私には最近「水戸黄門」の顔とだぶって見えます。祈りの課題は以下です。①主日礼拝、教会学校、祈り会の充実。②成熟した信徒づくりのための訓練。③近隣の方々と教会、幼稚園の子どもたちの救い。牧師・加山
彰一、協力牧師・諏訪 泰子(学校法人「みぎわ幼稚園」園長)
10/2 エズラ喜1章1-11節 「宗教改革者エズラ」
エズラ記はネヘミヤ記と一つの書物でした、エズラは系図や出生は解りませんが、律法学者であり祭司の系統(学者とも呼ばれる)でイスラエルの民がバビロン捕囚から解放され(70年はヨシア王の死を起点)、帰還した者たちに対して祭儀上の改革をなすことであり、実際にエズラが舞台に出るのは期間後50年を経てからです。紀元前538年のペルシャ、キュロス王による解放は喜びに満ちていましたが、実際には捕囚民が帰還しても、すでに他の人々が支配しており、その中で土地を確保し、食料等の供給をして生活再建するのは大変なことでした。「エレミヤの口によって約束」はエレミヤ書25章11~、29章10節~等)。「シュシュバツァル」はペルシャの総督。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日立バプテスト教会。茨城県日立市中成沢町3-17-9にあります。こちらに来て日立市に行ったら、本当に日立という企業城下町でびっくりしました。日立バプテスト教会は一度お招きを受けて行って、礼拝のお話をさせていただきました。こじんまりした家族的な暖かい教会です。少し場所がわかりづらいですが、探していく価値はありますから、ぜひ行ってください。もし、かつてクリスチャンで今は教会に行っていない方も、ぜひこの教会で嬉しい仲間と歩み出してくださればうれしいです。祈りの課題は以下です。①教会員の家族と会友の救い。②聖霊の風を受け世に用いられる教会。石田政美・横浜JOY教会派遣牧師と高齢者の霊性と体調の守り。主事・井伊 肇
10/1 歴代誌下36章17-23節 「一番残酷な動物は人間」
「カルデヤ人」は創世記11章から名前が出ますが、ここではバビロン帝国を構成する民族と考えて良いです。また今日の記事は26日の箇所との並行箇所。また「サムエル記~列王記」と「歴代誌」は内容が重複する点がありますが、列王記の方が王等に対する批判もあります。歴代誌は神殿について等が詳しいのは、著者も時代も異なる理由で、我らは複眼で歴史を見ることができます。しかしながらバビロンによるエルサレム攻撃、若者も老人も殺され、神殿の宝物も奪われる、本当に人間こそ世で一番罪深く、残酷な動物ですし、そのような歴史を我らも引き継いでいるゆえ、倫理(主の道)が必要です。イスラエル(南ユダ国)が滅び、「安息」の時を得たとの言葉は意味深く、「繁栄」の意味も考えます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 筑波バプテスト教会。茨城県つくば市稲荷前23-2にあります。「つくば」は研究機関等が多く、その関係者や、研究のため滞在している時にこの教会に行っていたという方もおられます。先日まで高橋秀二郎牧師が就任されていましたが、年齢のことがあり、引退で広島に移りました。クリスマスは当教会の浅見祐三牧師が御用をすることになっています。ぜひつくばの方、この教会に行ってください。駐車場も広くてよいですよ。祈りの課題は以下です。①無牧師期間中も教会が守られるように。②コロナ下、高齢の教会員と家族の健康が守られるように。主事・前村 俊一
9/30 イザヤ書44章21-45章1節 「ペルシャ帝国の覇権」
「第二イザヤ」(28日当欄参照)の箇所。「思い起せ」と始まります。「思い起せ」とは捕囚の苦難の中で主への礼拝や主の導き、臨在を忘れている人々への言葉。「贖い」は本来、代価を払って買い取るとの意で、聖書では人間を赦し、解放を与え、神の愛する存在として下さることです。26節の「ユダ」は「南ユダ王国」のこと。「キュロス」への言及があります。ペルシャ帝国初代王キュロスは前539年に新バビロニヤを滅ぼし、捕囚民をそれぞれの国に帰しました。帝国は当時、世界最大でした。イスラエルの民にも帰還後の生活や神殿再建に対して寛容な政策を行いました。もちろん、キュロス王は一時の助け手でありましたが、所詮、支配者は移り変わり、永遠の支配なぞ人間にはできないのです。今日はN・Nさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟引退教役者の方々を覚えて。堤 正信氏(神奈川県在住)、友納 徳治氏(福岡市在住)
9/29 エゼキエル書40章1-5節 「どうしてこの箇所が選ばれたのだろう?」
エゼキエルは前597年、宗教指導者としてバビロンに捕囚、5年後に預言活動を始めます。彼は南王国の滅亡とエルサレムの崩壊は神の審判と預言。加えて捕囚の苦しみに生きる同胞に対し新しいイスラエルが起こる時、あなたがたは「残れる民」とされると預言しました。今日の箇所は捕囚後の、新たな神殿の幻が与えられ、告げられた箇所。「アンマ」は聖書巻末の換算表では1アンマは45センチ(=キュビト)。問題はサイズが詳細に示されている意味で、多くの議論があります。材料が示されていないのでキリスト共同体は神の地上における神殿との説に賛同ですが、でも解釈に無理な点があります。今日はI・Rくんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟宣教団。日本バプテスト連盟宣教団は米国南部バプテスト連盟が各国に宣教師等を送っている国に設置されている団体です。戦後は米国南部バプテスト連盟から何千人という宣教師が送られ、多くの日本での教会の礎となりました。祈りの課題は以下です。①心を同じくする教会と共に、日本全土へ救いの福音を伝えられるように。この使命に応えられるよう、私たちのため、また良きパートナーとなる教会が与えられるようにお祈りください。代表理事・マシュー・サージェント
9/28 イザヤ書40章1-11節 「心静め、声に耳を澄ませよ」
預言者イザヤは南王国で紀元前742年に召命を受け、約40年預言活動を行い、その活動は「第二・第三イザヤ」へと受け継がれます。変わらないのは、激動の只中で神への信頼をもって「静」を求め、時代の先に主の憐みと希望を見、真の王が与えられる「メシア預言」が記されること。39章での捕囚の預言の後、40章から捕囚期の「第二イザヤ」に入ります。ここはヘンデル曲「メサイア」で序曲のあとに最初にテナーが歌う重要な箇所でもあります。2節で「エルサレム」は女性名詞のゆえ「彼女」と記されます。「声」は見えず、触れられず、消えるもの。ゆえに心澄ませ激動の中でも、日常でも心静かに求め、心に刻むのです。今日はF・Cさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト女性連合。日本バプテスト連盟に加盟する教会の女性たちの連帯で運営されている団体です。祈りの課題は以下です。①総会議案説明・懇談会(10月15日)と、オンライン信徒大会(10月29日)の祝福。②歴史に感謝しつつ、これからの女性連合の歩みが整えられ開かれていきますように。会長・吉高 路(市川八幡教会員)、幹事・米本裕見子(東京北教会員)
9/27 エレミヤ書30章1-11節 「悲しみの預言者」
エレミヤは南王国の滅亡と捕囚の中で預言者として活動しました。後にエジプトに連れて行かれ預言者活動を行った後、エジプトで死去したと言われます。エレミヤは当時の同胞に歓迎されない抵抗ことの無益を訴え、国の滅亡と捕囚を預言するので人々から厭われましたが回復の希望も預言しています。7節の「ヤコブ」の言及は、ヤコブが苦悩の中から傷を受けながらも和解を得た(創世記32~33章参照)こと、またその苦難を通して「イスラエル」と呼ばれるようになったことから10節以降は個人ではなくイスラエル民族のことです。国の滅亡は政治の失敗であり、厳しい試練と代価を払った民に主は希望を語るのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟「日韓・在日連帯特別委員会」日本バプテスト連盟理事会のもとに設置されている「特別委員会」のひとつです。祈りの課題は以下です。①「外国人住民基本法」、「人権差別撤廃基本法」が一日も早く成立するように。②外国籍住民の良き隣人として歩めますように。委員長・松坂
克世(静岡教会牧師)
9/26 列王記下24章1-21節 「語り、触れ、立ち起こさせる方」
紀元前1020年から約百年続いたイスラエル統一王国はソロモン王の死後、南北に分裂。その後、イスラエル民族の歩みは下降線をたどり、335年後に滅亡します。その波瀾万丈の時代は列王記、歴代誌、預言書に歴史が刻まれます。北王国は超えた平地に農業が発達し、古代から交通の要所であることが外部からの攻撃を招き、先に滅びました。南王国は山岳地帯や荒れ野が広がり文化的に遅れていたことや、南側の砂漠の存在、ユダ族を中心として宗教が守られたことが長く続いた要因。しかし、時代の流れ、周辺国の影響(宗教も含む)により次々と王が交代し、戦争が続きついに紀元前五九七年、バビロンにより倒されたのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 中部地方バプテスト連合。「中部連合」は石川県、富山県、福井県、岐阜県、愛知県、三重県、各県の日本バプテスト連盟に加盟する教会・伝道所によって構成されています。13教会、1伝道所です。祈りの課題は以下です。①13教会の福音伝道と協力伝道の成長。②北陸3教会と無牧師の2教会の歩み。③連盟機構改革と連合・地域の協働。会長・鈴木直哉(東山キリスト教会牧師)
9/25 ダニエル書12章1-13節 「途上を生きる歩み」
「かつてなかったほどの苦難が来る」、どの時代も「今が終末」だと思う人がいましたが、歴史は続いてます。苦難があります、「しかし」、この「しかし」、が信仰の世界。「しかし、その時には救われるであろう。お前の民、あの書に記された人々は」と。「あの書」とは「いのちの書」「神の国籍がある者のリスト」です。ダニエルは「いつまで続くのか」と問います。「一時期、二時期」や「1290日」は神の時であり、人間には隠されているゆえ、数字に惑わされない方がよいです。「ダニエルよ、もう行きなさい」、これは「あなたの道を行きなさい」。あなたの道が、神様から離れる一歩ではなく、神様に近づく一歩を選び取っていっていくことです。主の約束を望み見つつ困難も抱えつつ、途上にある今日を歩み出すのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 上尾キリスト教会。埼玉県上尾市小泉36-66にあります。「上尾」はまだ行ったことのない場所ですが、埼玉の中心に近く、ベッドタウンとして人気の場所です。秋山牧師がもう長く牧師としていらっしゃいます。この教会では「東京バプテスト神学校」の教会共同受講などを行なったり、様々な方を招いての集会をしておられます。元気な教会というイメージがあります。また、北関東地方連合の教会音楽委員長をしておられる武さんがいらっしゃる教会で、いろいろお世話になっております。祈りの課題は以下です。①大切ないのち
誰も殺さない。②バプテスマ者が与えられるように。③献身者が与えられるように。牧師・秋山 信夫
9/24 マタイ福音書28章16-20節 「主が共におられるから」
議員ニコデモとの「夜の対話」を通して「新たに生まれる」ことを主が伝えます。それは「輪廻転生」でなく、今、生きている命を風(神の息吹)の注ぎを受けることによって新たに生き直すこと。この時、ニコデモは理解できなかったようですが、後、主イエスの隠れた弟子となりました。16~17節は「小聖書」とも呼ばれます。主イエスがこの世界を歩まれ、今もなお、あなたに語っておられます。そして主の願い、目標は「世(人間、あなた)を裁くためではなく、世が救われるためである」この言葉に私は感謝をもってすがる者です。都合悪いこと、悪を隠す世界は持続不可能。光のもとに晒されることは恥ではなく、そこに持続可能な希望の世界が生まれます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大宮バプテスト教会。埼玉県さいたま市大宮区浅間町2-214にあります。「大宮」は埼玉県内で最も人口が多く、大宮駅には新幹線も止まります。また大宮といえば、実は「盆栽の町」としても有名です。大宮教会は大宮駅から徒歩で行けますし、神社の参道を通れば、それはとても綺麗な道です。大宮教会の回りには「盆栽」を作成?販売しているお家がありますし、駅前には大規模ショッピングモールもあり、日曜は教会で礼拝をして、その後、ショッピングモールに寄れば、みんな大喜びですね。大宮教会は二階が礼拝堂ですが、エレベーターもあります。長くこの教会の牧師をされていた永町牧師が若松に行かれ、今は専任牧師がいませんが、教会員のみなさんでいろいろ力と祈りを合わせて活動しております。祈りの課題は以下です。①教会の働きを主が用いてくださいますように。②心に痛みを覚える方々のために。③世界に主の平和が来るように。
9/23 ヨハネ福音書3章1-21節 「新たに生きる~持続可能」
議員ニコデモとの「夜の対話」を通して「新たに生まれる」ことを主が伝えます。それは「輪廻転生」でなく、今、生きている命を風(神の息吹)の注ぎを受けることによって新たに生き直すこと。この時、ニコデモは理解できなかったようですが、後、主イエスの隠れた弟子となりました。16~17節は「小聖書」とも呼ばれます。主イエスがこの世界を歩まれ、今もなお、あなたに語っておられます。そして主の願い、目標は「世(人間、あなた)を裁くためではなく、世が救われるためである」この言葉に私は感謝をもってすがる者です。都合悪いこと、悪を隠す世界は持続不可能。光のもとに晒されることは恥ではなく、そこに持続可能な希望の世界が生まれます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 宮原キリスト教会。JR「宮原」駅から歩いて少しです。近くには「聖学院大学」等もあり、学生さんや若い方々も集っておられます。足立牧師は、かつてはホンダで車の内装デザイン等を担当されていました。仕事に追われる中で様々なことがあり、キリスト者、そして牧師へと導かれた方です。なお、飯能教会の足立和子牧師とは名前は一緒ですが、兄妹とかそんな関係はありません。小さな教会(建物)ですが、ぜひ多くの方々が集っていただきたいと願います。祈りの課題は以下です。①新来者の方々の定着と信仰の成長。②教会に集う方々と、ご家族の健康。③以前のような礼拝、集会、交わりの再開。牧師・足立 智幸
9/22 ヘブライ書3章7-19節 「信仰から離れる時もありますが」
ヘブライ書は旧約聖書の伝統に生きてきたクリスチャンに向けて書かれたので、旧約の引用が多く、主イエスを「大祭司」と表現します(5章)。今日の箇所は信仰を保ち続けられない時を生きる私共に語っています。信仰の道から外れる時は「反抗心で、心が頑固」だと語ります。親子関係でも反抗や自分の頑固さで争い、後に考えてみればそれほど頑固になる必要はなかったと思うこともあります。主や教会から離れて良いことがあるのかしら、と思いますが、多忙や関心の有無で離れてしまうことがありましょう。でも、離れても再び戻ってきてほしいし、それを主は望んでおられます。教会の礼拝や祈祷会で祈り、御言葉を聴くこと、それはあなたの人生を豊かにします。今日はO・Kさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト浦和キリスト教会。埼玉県さいたま市浦和区常盤7-2-14にあります。京浜東北線等で「北浦和」駅から徒歩5~7分で着きます。大きな道路沿いにあります。北関東でのセンターチャーチで第一礼拝、第二礼拝あわせて150名ほどが参加しております。また、教会附属幼稚園がありましたが、本年度より「社会福祉法人 浦和ぶどうの樹 浦和バプテスト保育園」を新たな建物ができて運営しています。この教会はロボット掃除機も活躍しております。またいろいろな団体、合唱団やブラスバンド等の練習会場として、また、コンサート会場としても利用されています。廣島牧師は同じく日大出身でかつては外資系の企業で半導体の研究開発をされていましたが、ある時から教会に行き、癒しと力を受け、西南学院大学神学部で学んだ方です。祈りの課題は以下です。①認可保育園と教会の新しい歩みに。②最も小さい者と共に歩む教会の働きに。③戦禍の中で苦しむ多くの方々のために。牧師・廣島 尚
9/21 ヨハネ黙示録3章5~15節 「黙示録を読んでみた」
「黙示」とは「隠されていたものが示される」との意で、特に「世の終わり」という、誰もまだ知りようがないことを示しますが、ヨハネの黙示録は禁教令の中、実名を出すと危険な故、ドラマ(劇やオペラ)仕立てで諸教会とキリスト者に励ましと希望のメッセージを送ったのです。ゆえに、読む人は言葉を劇の場面に置き換えることが必要。あまり細部の説明にこだわると本筋を逃す危険があります。今日の箇所では、禁教の困難の中で、誰もがその信仰を失いそうになりますが、悔改めることを促します。また、苦難の中で信仰を守り通している人を模範的に捉えています。思想信仰の自由が奪われる時は恐ろしい時代。命の自由と尊厳が守られる世界を今日、祈ります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> ふじみ野バプテスト教会。埼玉県富士見市ふじみ野東2-14-3にあります。「富士山」が見えるところには「富士見」がつく地名が多いのですが、ここはまた、「富士見市」「ふじみ野」と並んでいますので間違える人が多いでしょうね。東武東上線で「ふじみ野」だったっけ、その駅でおりたら、そこはたくさんのマンションや住宅が並ぶ地域です。幹線道路沿いにこの教会はあります。ただ、教会のすぐ横は道路が上がっているか、下がっているところ。この教会の山下牧師はまだ若手ですが、しっかりされておられる方と思います。「がんカフェ」など様々に地域とつながっていこうとされています。すばらしい!祈りの課題は以下です。①教会に連なる一人ひとりの声が互いに聴かれ、これからの教会の姿が具体的になっていくように。牧師・山下
真実
9/20 ユダの手紙17~20節 「迷い星のごとく生きつつ」
ユダ書は1章しかないので、章立てにはなっておりません。ユダは信仰の道から外そうとする存在や、信仰から外れ、裁かれる人々について記します。話の引用が「天使」のことなど「何これ?」と思うこともあります。12節等は自分達のことが言われているのかしら、とも思います。「裁き」より主による「救い」が万事において先立つものですが、教会から様々な理由で離れていく方々への心配と愛がこのような言葉になったのでしょう。17節を見ると、この文書は後期の「ユダの名による書」であるとわかります。中心は常にキリストの信仰に立ち続けること、祈り続けること。「肉によって汚れてしまった…」とありますが、キリスト者は聖なる者ではなく、完璧でもありません。ゆえに常にみ言葉を心に刻む生活を願うのです。今日はU・Rくんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト川越キリスト教会。埼玉県川越市石原町1-32-3にあります。住宅地の中にあるので、道路から入るところが迷いやすいですが、大きな道路に案内看板が出ていますので、それを見つけたらほぼ大丈夫です。教会は山小屋風のおしゃれな建物で、木材を沢山つかい、ガラスも広く、寒い時は薪ストーブがたかれます。とっても落ちつく礼拝堂ですし、オルガンも電気ですけれど良い音がします。丸山牧師はキリスト教放送局FEBCで働いておられ、その中で東京バプテスト神学校に通い、この川越教会牧師に就任されました。とっても楽しい方ですし、声が良いです。でも、私は知りました。お連れ合いの方もとても声が良くて、私はYouTubeで何か番組をつくったほうがよいと進言しました。がんばってください。それと、今年、つまり2022年、10月16日(日)、その日は「川越まつり」という人気でたくさん人が集まるイベントがあるそうですが、それに対抗して、この川越教会で、わたくし、坂本 献が礼拝のお話をいたします。多分、観光客等もたくさんおいでになるかもしれません。心配な方は教会に電話かメールをして席を確保しておいたほうがよいと思います。日本バプテスト川越キリスト教会で検索したら良いと思います。丸山牧師はその日、沼田ロマンチック街道キリスト教会でお話をされます。シャインマスカットでもお土産に買ってきてほしいなぁ。いや、冗談です。本気にしてもよいけど、、、。祈りの課題は以下です。①コロナの中、バプテスマ者が起こされ感謝。②キリストの真の癒しに共に与れるように。③教会学校の再開のために。牧師・丸山 勉
9/19 ダニエル書10章1-21節 「語り、触れ、立ち起こさせる方」
ダニエル書ではダニエルが何度も神の言葉(思い)を受け、それを語っています。ここは今までと異なり、超自然的、超人間的、だけど一人の人の存在が示されます、まさしくこの方こそ共なる神です。ここにはいくつかの段階が記されます。ダニエルがその方を見て、意識を失います。次にその方の一つの手が触れ、ダニエルを引き起こします。内容が語られつつ、ダニエルは言葉を失います。するとその方が唇に触れ、ダニエルは対話できるのです。しかしその方は怖がらせることではなく「立ち上がらせ、愛する者と呼び掛け、励ます方」なのです。こうしてダニエルは神の言葉を語る器として、主に導かれていきます。それは人間と神との出会いの段階をも示しています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 所沢キリスト教会。今日は当教会のことを全国の仲間が覚えてくださり感謝です。祈りの課題は以下です。①命の自由と尊厳を守る世界。②CS充実、福音発信と痛みの受信。③若年者伝道と高齢者の護り。牧師・坂本
献、協力牧師・浅見 祐三、中田 義直
9/18 ダニエル書9章1-19節 「悔い改めとは」
ダレイオス王は紀元前550年頃即位といわれます。この時、ダニエルが読んでいたのはエレミヤ書で13日の本欄参照。ダニエルは主の預言を頂いたもの、どう解釈し、伝えるのか考え疲れ果てていた姿が八章に記されます。主の御心を探り知るのは時に難しいことですが、ある時、御言葉を通して「合点!」と知ることもあるのです。解放の時を知り、ダニエルは「断食、荒布をまとい、灰をかぶり祈る」のは悔改めの祈りの伝統的作法です。今でもレント(受難節)に入る日にこのように悔い改めの祈りをする場合があります。「悔い改め」は「食い改め(おかわり)」ではなく、後悔でもなく、自分に向いていた、心と体の向きを神に向けることであり、新たな道の始まり。なのでとてもポジティブなことなのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 飯能バプテスト教会。埼玉県飯能市岩沢241-1にあります。当教会から入間・飯能へ新しい教会をつくろうということで、元岩波牧師と教会員の方々が15~20名分かれて始まりました。現在、飯能教会は大きな道路から狭い道を入っていくのでわかりにくい場所にあります。大きな道路にある看板を見つけてください。教会は民家を改築したもので、芝生なども植えてあります。そして飯能は今注目の場所です。ムーミン谷パークという自然豊かなテーマパークや市内にも良い場所がいっぱいあり、住んだり、子育てをするのに良い環境です。足立牧師は少しムーミンの香りがするような素敵な方です。祈りの課題は以下です。①神さまの光と福音に満ちた教会。②30名礼拝の実現。③私たちが主の平和を愛する働き人に。牧師・足立 和子
9/17 申命記7章6-11節 「常識に逆らう愛の奇跡」
「申命記」はモーセの遺言、「申命記」という言葉は漢語訳聖書からきています。7世紀にはシルクロードを通して中国までユダヤ教やキリスト教が入っており、いわゆる「仏教」の中に聖書の思想が見受けられるものがあります。今日の箇所でユダヤの民を「聖なる民(神の民)」「宝の民」とされたとあります。その理由は何か特別に優れているとか、神に喜ばしいことをした、等ではなく、「どの民よりも貧弱で、数も少ない」からというのです。ここに神の愛があります。その逆説は新約にも引き継がれ、そのメッセ―ジは「能力や力がある、美しく賞賛すべきことの有無」で評価する常識の中で、弱く小さな貧しい者を愛し給う愛の奇跡です。今日はO・Rさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 西川口キリスト教会。埼玉県戸田市喜沢1-2-13にあります。この教会は立地がとても素敵で「桜並木」の道路に沿い、建物はクローバの形のようで、礼拝堂は柔らかな円状にされています。かつては幼稚園も運営していましたので卒園生の方々はぜひ、この教会を再びお訪ねください。祈りの課題は以下です。①主任牧師招聘の学びのために。②転換期の中で、教会のすべての働きが導かれ、守られるように。代表役員代務者石井 鉄也、協力牧師・朴 思郁、教会学校スタッフ・戸田 浩司、教会音楽スタッフ・山嵜 美奈
9/16 ハバクク書2章1-4節 「神に抱けれる者」
ハバククは南ユダ王国滅亡の頃の預言者で名前の意味は「神に抱かれる者」。3章しかないので一読してみてはいかがでしょう。「歩哨」とは軍隊で、警戒・監視の任に当たること。また、その兵。4節の「幻(=神の言葉)」を「走りながらでも…」とはそれ程大事な内容ということ。この書の凄さは「神に従う人は信仰によって生きる」という言葉。この言葉がローマ書1章17節、ガラテヤ書3章11節等で引用され「信仰義認」の根拠の一つとされます。岩波訳ローマ書では「信仰によって義とされた者は生きるであろう」。つまり、「信仰」は「神の真実」であり、人間の行為に先立ち、神のみが与える救いを感謝して受け止めることが救いの唯一の道なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 朝霞キリスト教会。埼玉県朝霞市根岸257-1にあります。1947年に創立された歴史ある教会です。特に故江川博和牧師が米軍基地があった朝霞で、行き場のない、混血の子どもをかかえたお母様とお子さんを深く覚え、幼稚園の働きを始めたり、「自閉症」児童の教育について学びと実践は日本で先進的な働きをされました。現在も幼稚園の「百合学園」、自閉症児・情緒障害児幼稚園の「ヨルダン学園」が運営されています。江川博和牧師が召されたあと、教会の礼拝はごく少人数で持たれています。祈りの課題は以下です。①体と心の健康が保たれますように。②笑顔の家庭が築けますように。③子どもたちが健やかに成長しますように。現在無牧師。
9/15 列王記上8章46-61節 「ソロモン王の祈り」
ソロモン王の神殿献堂式での祈り。46節の「罪を犯さない者は一人もいません」はソロモンを含め、王も預言者も全てが主によってのみ生かされる表明であり「聖人」は有り得ません。また「人間の罪(不正、悪)の表明」に主は耳を傾け憐みを施すとの言葉は、罪や悪を隠すのが常識の世界で真に求められ、主が願う人間の歩みです。隠すことは健全で平和な世界を築けません。56節以下は圧巻です。「主の恵みの言葉は、一つとしてむなしいものはなかった」。今、あなた自身の歩みを「むなしい」と感じる方はいらっしゃるでしょうか。そのような者こそ主の言葉を聞こうではありませんか。そして「神と心を一つ」にする道を進みましょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 常盤台バプテスト教会。東京都板橋区常盤台2-3-3にあります。戦後に関東のセンターチャーチとなるように建てられました。幼稚園も長い歴史を持ち、多くの卒園生が誕生しています。規模も大きな教会でメンバーの中にはオペラ等で活躍している人も見受けられます。私が日大時代に通い始めた教会で、この教会で信仰や教会のこと、教会音楽のことなど深く学ばせていただきました。不思議と私の西南学院大学同期の仲間がこの教会の牧師になり、かつては中田義直牧師、また、現在の友納靖史牧師も同期です。祈りの課題は以下です。①新様式に基づく礼拝「信仰 being」。新たな教会教育と交わり「学び knowing」。③今可能な伝道と多様な奉仕「奉仕 doing」。 牧師・友納 靖史、協力牧師・渡部 信。
9/14 マタイ福音書6章5-15節 「赦さないと赦されないの?」
主が教えて下さった祈り。9節には「天」という距離的な「遠さ」にも関わらず、「父(アッバ・幼児語)」という近さ、親しみがあります。12節は「我らの罪(=負い目)の赦し」を求めますが、「我らも赦しました」との言葉には毎週戸惑いを感じる方もありましょう。神の赦しが無条件であり、徹底的なものと主は命をかけて示されました。順序として、自分が赦したから、赦されるのではなく、赦されたから赦しへと向かうのです。しかし、人は主の赦しを既得権のように見なし、自分の赦しを恵みと語りつつ、一方で人を赦そうとはしない(赦しは簡単でないゆえ、赦さない気持ちは理解できます)人間の狡さ、卑小さを主はご存知で「赦していない」自分を知るように招き、マタイは強調して伝えます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 赤塚バプテスト教会。東京都板橋区赤塚1-18-7にあります。ここも常盤台バプテスト教会から生まれた教会です。ホームページにはこう記されています。「日本バプテスト連盟に所属する当教会は、2019年に創立60周年を迎えました。日本バプテスト連盟に所属する当教会は、2019年に創立60周年を迎えました。初代児玉振作牧師の後を受け、2001年9月より二代目石堂雅彦牧師が就任。どなたでもおいでいただける、地域に開かれた教会となることを目指しています。はじめての方も歓迎いたします。どうぞ、お気軽においでください。」とのこと。この教会の石堂牧師は私が西南学院大学で学んでいる時に、確か2年後輩で学士入学しました。石堂牧師はこう書いています。「1965年に北陸の金沢で生まれ、父の仕事(牧師)の関係で、鹿児島、福岡、札幌と移り住みました。高校時代、イエス・キリストを救い主と信じバプテスマを受け、大学時代、ある先輩との出会いをきっかけに牧師として献身を決意し、福岡の西南学院大神学部に進学しました。卒業後は東京・板橋の常盤台バプテスト教会の副牧師、北海道の釧路キリスト教会の牧師、2001年9月から赤塚バプテスト教会の牧師としての働きをしています。」。もの静かな方との印象をもっておりますが(なので、祈りの課題も言葉数が少ないようです)、もう長くこの教会で主に仕えておられます。祈りの課題は以下です。①地域伝道の活性化。②次世代への伝道、育成。教会の諸活動の再開。牧師・石堂 雅彦
9/13 エレミヤ書29章4-14節 「災いの計画ではなく」
「涙の預言者」と呼ばれるエレミヤ。孤独でありましたが、神の真実を聞き取り、神の言葉が彼の内に燃えます。今日の箇所はバビロン捕囚の最初頃に捕囚された人々に送った内容。7節は驚くべきことに、敵地の平安を求め、祈りなさいと語ります。敗戦民として屈辱や差別を味わう中で「無理」な話と受取られますが、実は将来への布石。それは我らが望まない環境で生活すべき時にも道標となります。そして、70年後には再びエルサレムに帰還する約束が伴います。11節の言葉は当時において、また、病や心配、辛い状況に置かれて喜ばしくない歩みをせざるを得ないあなたにも力を与えます。主の計画を望み見よう。それは「平和の計画、将来と希望を与えるもの」です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東京韓日バプテスト教会。東京都板橋区板橋4-1-6 バプテストビル にあります。「バプテストビル」ってなんかすごいなぁ。名前にもあるように韓国の方々が多いかもしれません。でもぜひ礼拝に行ってみてください。祈りの課題は以下です。①福音センターとして使命を果たす。②家族の救いと健康が守られるために。③1年の間に1人が1人を伝道する。主任牧師・李 島鎮
9/12 Ⅰペトロ1章3-12節 「喜びの救いを聞き取り語ること」
主によってもたらされる「救い」がどれほど喜びと希望に満ちたものかを語ります。そしてその救いが旧約の時代から探求されていたことは多くのメシア預言から伺い知ることができます。例えば詩編22編、詩編110編やイザヤ書52~53章等。何よりここでは、宣教者・伝道者に対し「すばらしい、しかし、まだ完全には見えていない救い」を喜びをもって語ること、そしてそのために聖霊の働き、聖霊の息吹を求め、聞き取り、語ることが願われています。「天使」について現在は語られることは余りありませんが、ペトロの時代は神の言葉を伝える「天使」が生活に身近だったようです。ここでは教会の語るメッセージを神の使い(天使)も聞いていますよとの意。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 志村バプテスト教会。東京都板橋区前野町4-13-6にあります。この教会は常盤台バプテスト教会を母教会として生まれた教会で、前野町はときわ台の隣のような感じです。ホームページを見ると、十字架の塔があり、そこに時計がついていました。案内にはこうあります。「教会は乳幼児から年長者まで年代を超えて共に集まるところです。心を合わせて神様を礼拝し、聖書を学び、日々成長しながら愛に根ざす生活を追い求めます。どなたでも、お気軽にお出かけください。心より歓迎いたします。」とのこと。祈りの課題は以下です。①一人ひとりの平和のために。②地域に根ざし新来者を招く教会となるように。③バリアフリー建築のために。 牧師・常廣 澄子、協力牧師・永田 邦夫
特別版 9月5日~9月11日まとめてです
<今号は牧師休暇に伴う特別版です>
9月5日(月) 聖書:列王記上8章28節 「今日ささげる叫びと祈りを聞き届けてください」 教会の祈り:K・Nさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:大泉教会(練馬区)。①地域に根ざした伝道のために。②高齢者。ご病気の方々のために。③教会学校の働きのために。代務牧師:芦沼光雄、協力牧師:松村誠一。
9月6日(火) 聖書:エステル書3章1~6節 「ひざまずかないのが気に入らない」
教会の祈り:礼拝委員会の働き。 今日の祈り:東京北教会(北区)。①全国支援・地域協働プロジェクトの歩みの祝福、②高齢会員、弱っている会員の癒しと回復。③推薦神学生の学びと生活の守り。牧師:魯
孝練(ノ ヒョリャン)、細井留美、協力牧師:米本裕見子、宣教師:郭 修岩
9月7日(水) 聖書:エステル書 3章8~15節 「王をそそのかし、勅令を発布する」今日の祈り:茗荷谷教会(文京区)。①短縮礼拝解除と教会学校再開のために。②各会活動の交わりを深めるために。③宣教団との協働のために。 牧師:平尾
輝明。
9月8日(木) 聖書:Ⅱテモテ書 4章17節 「主が獅子の口から救われました」
今日の祈り:目白ヶ丘教会(新宿区)。①感染症下に守られていることへの感謝。②教会施設の補修が導かれるように。③付属幼稚園の保育が支えられるように。牧師:野口
哲哉、副牧師:内藤 幹子。
9月9日(金) 聖書:詩編 37編5~6節 「あなたの道を主に任せよ」
今日の祈り:東京ジグチョン教会(新宿区)。①主の知恵でコロナに備えよう。②み言葉に従い歩む日々になるように。③全民族を癒し、この世を変えるるように。 主任牧師:許
碩真(ホ ソクジン)、元老牧師:金 東源(キム トンウォン)、副牧師:柳 智仁(ユ ジイン)、伝道師:金 景鶴(キム キョンハク)、協力宣教師:秋
淵淑(チュ ヨンスク)
9月10日(土) 聖書:Ⅰテモテ 4章10節 「救い主である生ける神に希望を置く」
今日の祈り:蓮根教会(板橋区)。主任牧師:髙木 康俊、高齢・病床者担当牧師:金香 秦誠(かねこひろのぶ)、協力牧師:片岡 順子、牧会担当牧師:小勝
琢生(おがつ たくお)、協力牧師:鈴木 ケン、牧会主事:中地 芳子。
9月11日(日) 聖書:ダニエル書 6章10~29節 「獅子の洞窟の中で」
教会の祈り:H・Nさんのお誕生日おめでとうございます。 今日の祈り:東京愛の伝道所(新宿区)。 牧師:教会が復興し、この世の塩と光の使命を果たすように。②聖徒たちの信仰が成長するように。③聖徒と家族の健康のために。牧師:権
赫烈(クォン ヒョクヨル)。
9/4 ダニエル書3章1-24節 「命の尊厳を守るため」
ネブカドネツァル王は金の大きな像を礼拝するようにダニエル達にも命じますが、礼拝を拒否します。王の怒りを買い、燃え盛る炉の中に投げ込まれるのです。炉を覗き見た王は驚きます。その炉の中を四人の者が自由に歩いているのです。その四人目はまさに主と理解されてきました。人間は何と残酷な生き物でしょう。遠藤周作の「沈黙」は厳しく恐ろしい弾圧の中の切支丹を描きました。日本占領下の韓国では天皇を神と礼拝することを命じられ、礼拝しない者は殺されました。暴力的支配は人の尊厳や自由を認めません。時に親子や夫婦の中にも支配構造が生まれます。今日の物語を「英雄や神の勝利」と読むのではなく、すべての命が守られることこそ主の願いと覚えます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東久留米バプテスト教会。東京都東久留米市新川町1-16-4にあります。現在、専任牧師は不在です。この教会をお訪ねしたい方は当教会までご連絡ください。連絡先をご案内いたします。音楽牧師のジョン・チャヌ市は東京のプロオーケストラでコンサートマスターを務めたほどのヴァイオリンの名手ですが、現在はいろいろな教会でヴァイオリンやお話を通して神さまの福音を伝えておられます。CDもありますので関心ある方は検索してみてください。祈りの課題は以下です。①牧師が与えられますように。②主日礼拝が守られますように。③ジョン・チャヌ音楽牧師の活動。音楽牧師・ジョン・チャヌ
9/3 ルカによる福音書22章31-32節 「主はあなたのために」
「サタン」についてはいつも記すように「神の思いに反抗する力」であり、また「試みる者(心見る)」の意味がありますが、いずれにせよ、サタンは神の支配下におかれるべき存在です。「(神がサタンに対して)試みる事を許可された」という表現は旧約でも見ることができます。でもサタンであろうがなかろうが、私共は日々試みられていますし、試みるのは助けるためであり、地獄に落とすことではありません。ゆえに主は「試みられる、裏切る、しかし再び立たされる、そして仲間を励ます」。失敗も、過ちも私共は繰返します。ゆえに主は日々あなたのために祈ってくださっているのです。その失敗も過ちの体験も主は祝福し、あなたを誰かと共に生きるように導いて下さるのです。いや、そうしてほしいのです。今日はS・Mさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 新小岩バプテスト教会。東京都葛飾区新小岩4-11-10にあります。1950年に誕生した教会です。祈りの課題は以下です。①聖書に聴き従います。②キリストの弟子となります。③新小岩から全世界へ伝道します。牧師・川口 義雄、音楽主事・川口 由子、宣教師・李 ヒソック
9/2 イザヤ書45章18-25節 「救いについて考える」
「混沌」という言葉が二度使われています。18節は「何もない空間を創造したのではない」。19節は「空手形で約束しない」という意味。21節は前節を受けて、木にすぎない偶像神を担いで来た者はそこにどんな利益や効能があったのか、集って議論してみなさい、と語ります。そして地の果てまでのすべての人々が主を礼拝し救いを得よとの約束が告げられます。「救い」という言葉は大変広く、また受けとる人によって異なります。祈りは何を祈ってもよいのですが、お金を無駄使いして、それを神が補填するのは救いとはいえないでしょう。神によって嘘がばれなかったのも救いとはいえません。そこに正義や公平はありませんから。より根源的な生きる意味や力と喜びを与えられることなのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 篠崎キリスト教会。東京都江戸川区南篠崎町1-28-15にあります。この教会の川口牧師は「東京バプテスト神学校」でもいろいろな働きをされています。そして素晴らしいのがホームページで川口牧師の礼拝メッセージや「聖書の学びと祈り会」での「聖書研究」のメッセージが収録されていることです。信頼できる牧師なので、時々読ませていただきます。ありがとうございます。祈りの課題は以下です。①家族で礼拝に参加できるように。②若い人たちが定着できるように。牧師・川口 通治
9/1 詩編23編 「主の家にわたしは帰り」
ここで何度も扱った有名な詩。古代近東では羊飼いの役割と称号は、国や民族の指導者も意味していました。国民や民族は「羊の群れ」であり、王は羊が生活する面倒を見る役割ですし、一匹の羊を探す主イエスの姿は真実の「民に仕える王」を示します。それは牧会者の姿であり、政治家の働きです。この詩の背景には出エジプトの旅の記憶が反映されています。出エジプトの旅で民は不足なく、民は回復を与えられ、民は荒野の中で食卓が整えられたのです。この詩は葬儀の時にも用いられます。人生という旅を歩んできた人。人々は「まだ滅ぼされていない敵=死」があると思いましょう。でもその時、最後の敵に対し、痛烈な信頼の言葉、「永遠の家への導き」を我らは語るのです。今日はH・Zさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 市川八幡キリスト教会。千葉県市川市八幡2-1-10にあります。NPO法人「ガンバの会」の母体です。「ガンバの会」はホームレス者支援や生活困窮者支援等を行なっており、コロナ危機の中で多くの働きをされ、理事長の方を何度もNHK等のニュースでお見受けいたしました。教会の祈りの課題は以下です。①生活困窮者の暮らしと健康。②アトゥトゥミャンマー支援会の働き。③ウクライナ戦闘状況の収束・終結。牧師・吉高 叶
8/31 詩編32編 「主を見出せる時に」
3節から5節の告白は詩人が困窮に置かれた時。「御手が…重い」とありますが、困窮は神さまとの関係だけではないでしょう。「言葉が出せない、出してもすぐに反撃される」、「絶え間ない呻き」は自らの失敗か、他者との関係か、親のこと、子どものことかは解りません。ただ詩人は歩みの中で主の心を大事にしなかった、つまり、主の心は早期の解決を目指し、対話を繋ぎ、改めることは改めることですが、人はかたくななゆえに、相手を変えることに熱心で、自分が変わることを「損・負け」として選ばないのです。しかし心改め、自らの歩みを改めていく時、「目覚めと、行くべき道(自分がすべきこと)」を理解し、救いの喜びが伴います。「主を見出しうる間」、それは「今」主と歩むこと。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟引退教役者の方々を覚えて。中條 儀助氏(宮崎市在住)、千綿 一哉氏(京都市在住)
8/30 イザヤ書46章1-13節 「初めから終わりまで」
イザヤ書40章からはバビロン捕囚後期に記された「第二イザヤ」と呼ばれます。バビロンの神々であるベルやネボは倒れるのに、そのような神々を拝んでいる国も当然倒れると主は語ります。そして人間によってつくられた偶像と主なる神との違いを語ります。「お前たちは胎を出た時から、白髪になるまで主は担い、背負い、救い出す、なぜなら、わたしはあなたを造ったゆえ」と励ましと希望の言葉を語るのです。9節には「思い起せ、初めからのことを」は、主によって守られ支えられたこと、さらにはイスラエルの民全ての歴史を想起せよと語るのです。今、見えている現実を越え主の恵みが起こされます。「心かたくなな者」とは主の恵みを否定する我らの心です。今日はI・Yさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 学校法人「西南女学院」。福岡県北九州市小倉北区にあり、「西南女学院大学」では「保健福祉学部」「人文学部」「助産別科」、「西南女学院大学短期大学部」には「保育科」があります。また、幼稚園(シオン山幼稚園)、西南女学院中学校・高等学校からなります。バプテストの信仰から生まれたキリスト教ミッションスクールです。2022年に創立100年を迎えます。祈りの課題は以下です。①創立100周年に感謝しつつ、建学の精神「感恩奉仕」のもと平和を創り出す人材を育成できますように。院長・田中綜二、キリスト教センター長・東 彩子
8/29 イザヤ書36章1-22節 「心理戦」
この欄では何度か記しておりますが、改めて紹介すると、ヒゼキア王は南王国ユダの最後の王(紀元前597~587)。アッリシア軍に包囲され、軍使ラブ・シャケが降伏を促します。7節の「高台と聖壇を取り除いた」とは、列王記下18章4節にあるように、アシュラ像等を壊したこと。ラブ・シャケはさらにエジプトも頼りにならない、試しにユダへ2千頭の馬を与えても良いが、それでも我らの一番弱い部隊にも勝てない。さらに「お前らの神を頼っているが、何の力があろうか、他の国もそうだったし、アッシリアに従うのが一番良い道だ」と。屈辱的な言葉を聞きながらもユダの民は主の命令により押し黙ります。戦争には心理戦もあります(もちろん、様々な軍事的威嚇を含めて)。ロシアを見ているみたい。今日は、O・Yさん、S・Mくんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「障がい者と教会委員会」。①小さくされた人たちの視座から学ぶ。いのちでつながる教会であるように。③委員一人ひとりの働きのために。委員長・水野 英尚(かたえ教会牧師)
8/28 ダニエル書2章1-24節 「解決へと導くもの」
ネブカドネツァル王の見た夢を明かせと知者等を呼びます。王自身は夢の内容は語らずに、その内容と解釈を求めるので、これは通常は無理な話。実際には彼らはできませんし、それができるのは神々しかいないと語ります。その話を聞いたダニエルは「できます」と語り、まず祈ります。加えて、知者らを殺す命令を受けていたアルヨクに知者殺しを止めるように語り、王の前に出るのです。何よりダニエルは「思慮深く賢明に対応し」「仲間に相談した」とあります。暴力や殺戮を防ぐのは知恵(神の恵み)と共に生きる仲間の協働なのです。夢の解釈が詳述されていますが、何より王が納得して、次の行動に移ったことに目を向けましょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「公害問題特別委員会」。連盟理事会のもとに置かれている「特別委員会」の一つです。かつて起こった「森永ヒ素ミルク中毒事件」を契機に生まれた委員会です。祈りの課題は以下です。①原発再稼働推進の欺瞞性に気づき、脱原発への扉を開いて、被造世界の管理者の務めを正しく果たせますように。委員長・野中
宏樹(鳥栖教会牧師)
8/27 イザヤ書40章1-11節 「キング牧師の夢」
28日の「聖書教育」の箇所はネブカドネツァル王の見た不吉な夢を解釈できる者がいないので、知者や学者を皆殺しにするという話が出てきます。自分の思い通りにならない役立たずは殺す、とは否定されるべき思想です。でも今日、私共が真に見るべき夢を考えましょう。米国のバプテスト牧師故キングはワシントン広場で「私は夢を見る(I Have a Dream)」と演説しました。「私には夢がある。それは、…『すべての人間は平等に作られているということは、自明の真実であると考える』というこの国の信条を、真の意味で実現させるという夢である…あらゆる谷が高められ、あらゆる丘と山は低められ…、神の栄光が啓示され…神の栄光を共に見ることになるという夢です」。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 西関東地方連合(9教会2伝道所)で構成。静岡県、山梨県、長野県を地域としています。祈りの課題は以下です。①各教会の宣教の働きが守られますように。②連合内の教会間の交わりが深められますように。会長・宮西 宏明(富士吉田教会牧師)
8/26 列王記上8章27-43節 「神はどこに住まわれるのか」
統一王国第三代王ソロモンがダビデ王時代からの約束であった神殿を13年かけて建築し、竣工感謝礼拝でのソロモンの祈り。長い祈りですし、この祈りは教会堂等の竣工の祈りで参考にされてきました。27節の「神は…地上にお住まいになるでしょうか」。この言葉が重要。古今東西に「神殿」があります。非常に豪華な建築がある=信頼できる立派な神、と人は認識するようです。永遠に立ち続ける神殿はありません。聖書が伝える神は、我らのみすぼらしい心の中に住んで下さる方ですし、どこでも礼拝できます。ゆえに教会堂は「集う場所」であり、礼拝者がどのような心を持っているのかが大事です。39節「あなただけがすべての人の心をご存知だからです」。今日はH・Sさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 市川大野キリスト教会。千葉県市川市南大野1-11-28にあります。この教会は、当教会協力牧師であり、連盟常務理事の中田義直牧師が常務理事になる前、牧会しておられた教会です。すぐ近くに小学校があり、中田牧師はそこで「読み聞かせ」のボランティア活動をされておられてとても感心した記憶があります。祈りの課題は以下です。①地域の教会としての歩みのために。②コロナ危機の中で集会が守られる。③主にある教会として立ち続けていくために。牧師・富田 愛世
8/25 ヤコブ書1章2-21節 「疑いながらも対話によって」
ヤコブ書は特に注意深く読むべき書。2節の「試練」は「試練の実体は何か」を考えるべき。自分の失敗なのか、ハラスメントなのか、病気なのか、子どもが荒れているからか?一括りに「試練」とせず、「忍耐」だけではなく、必要な対応が必要な時があります。ヤコブが語る試練はキリスト信仰に対する誤った考え方を持つ人々から受ける試練。6節の「疑う者」は「神の働きや存在」を疑うことですが、疑って構いません。でもきちんと聖書を読みながら疑いつつ、結果的にみ言葉と対話することが大事です。完全な信頼は親子、夫婦、人間関係、社会でもあり得ぬゆえ、話し合い、理解し合うこと。13節の「誘惑は神から来ない」には納得。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト船橋教会。千葉県船橋市市場1-2-8にあります。祈りの課題は以下です。①急激な時代の変化に対応した教会の変革が主の御心にかなったものとなりますようお祈りください。牧師・松田
裕治、協力牧師・ンバコアジセイ パトリック、名誉牧師・三ツ木 茂
8/24 マタイ福音書1章18-24節 「夢を実現すること」
新約のヨセフも夢を見る人。天使(=神の言葉の伝達者)がヨセフにマリアの子を受け入れよと語ります。また、後には夢で見たお告げによりエジプトに逃避します。「夢」は眠っている時に見る夢、そこで御心が語られる時もあるのです。他方「夢」は人がまだ実現していないけれど現実したいと考え、目標とされる時もあります。どちらも将来のこと。創世記のヨセフは「夢は神からのお告げ」、それに対して行動することを王に告げます。これが「夢」の使命かも。私共が夢見るのは大事なこと。でもその夢が何をもたらそうとするのか、自分や社会に有益か、御心なのかを見極め、自分の行動と結びつく時、「主の御心の実現」となるのかもしれません。今日の夜、19時半~約1時間、教会とリモートの併用での「聖書の学びと祈り会」です。もし21日発行の「週報」をお持ちでない方は教会までメールでご連絡ください。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 津田沼キリスト教会。千葉県習志野市鷺沼4-8-9にあります。〒番号は275-0014です。ホームページの案内にはこう記されています。「小さな子どもからお年寄りまで、毎週日曜日に集まって礼拝をささげています。礼拝や教会のイベントにはいつでも参加いただけます。初めての方でも、クリスチャンでない方でも大歓迎。アットホームな教会なので、気軽にお越しください。」とのこと。京成津田沼駅から徒歩:約15分ということですが、他にもバスを使った行き方などホームページで紹介されています。祈りの課題は以下です。①50名礼拝の実現のために。②新来会者、働き人、同労者が与えらえるように。③ジョイフルキッズにつながる親子の救いのために。牧師・大塚
恭一
8/23 創世記41章1-16節 「夢解釈をするヨセフ」
父祖ヤコブの末子は兄弟から恨まれ、エジプトに売られました。そのころ、エジプトの王ファラオはひどく胸騒ぎがする夢を見ます。そして夢の解釈を様々な当時の専門家に託そうとします。「夢」で未来を知らされるという話は今でも聞きます。「夢」で未来を知ることができるかは懐疑的。でも聖書に出て来るし、世界中の物語でも登場しますので、何かの力を感じていたことに違いありません。そしてエジプトには専門家もいたようで、未来を考える方法でもありました。元々「夢見る者」とあだ名をつけられていたヨセフは夢を解釈する能力があり、牢獄でヨセフに夢解きをした経験を持つ者が王に進言し、ヨセフが王の夢を告げ、解釈し、王は納得し、新たな歴史が始まります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 千葉・若葉キリスト教会。千葉市若葉区千城台東2-28-8にあります。ホームページでは「私たちの教会は、千葉モノレールの終点千城台駅から徒歩15分の住宅街の中にあります。教会の裏手に駐車場もありますので、自家用車でもお越しいただけます。」とのこと。写真で見るととても素敵な会堂ですね。田中牧師は「筑波教会」で30年過ごされた中で神学校に通うようになったとのことです。北関東の仲間だったのですね。祈りの課題は以下です。①コロナ収束と諸活動再開のために。②み心に適う将来計画設定のために。③木更津伝道所・相互支援のために。牧師・田中 宜之
8/22 エレミヤ書27章1-22節 「戦争するな、との声あり」
今日の背景は南王国ユダの最後の王(紀元前597~587)の就任時です。ゼデキヤ王は当時の近隣諸国のエドム、モアブ、アンモン、ティルスと同盟を組んで覇権を狙うバビロン帝国に反逆・抵抗して国を守ろうとしました。しかし、その動きに主なる神は忠告します。「バビロンの覇権は神の計画である」と。ここはなかなか理解できない点があります。「神の計画」と言うよりも、ここで神が願ったのは、強敵バビロンの前に勝ち目の無い戦いをしても犠牲者が増え被害が広がることであり、それゆえの反対であり、この試練を越えて神が再建の道を示してもいるのです。戦争に勝利し得ないと思っても、「面子」(メンツ)を保つために継続し被害が莫大になった日本の姿を想起します。あと1カ月、3カ月、早い決断をしていれば沖縄地上戦も原爆もなかったかもしれません。そうして、遅れることによって自らの首をしめていったし、多くの子ども、若者の命が守られたのです。今日はK・Tさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 木更津伝道所。千葉県木更津市新田1-1-33 カサデロサ101号にあります。この教会は行ったことがありませんので、ほとんど情報を持ち得ませんが、ホームページを見ますと8月21日から木更津市朝日2-2-13で礼拝がおこなわれます。行きたい方はホームページを参照してください。木更津駅から900mで、時間は日曜14時からの礼拝になります。祈りの課題は以下です。①障がい者・高齢の人々に光を。②教会組織・会堂獲得に導きを。③木更津以南の伝道が進むように。牧師・井本 義孝、高市 和久
8/21 ダニエル書1章1-12節 「アイデンティティの危機」
ダニエル書はバビロン捕囚(15日当欄参照)中の預言や状況を伝えますが、執筆年代は捕囚から2~300年後なので名前の記述等不正確な点があります。捕囚の記録を記しつつ繰り返す歴史の中でこの文書はどの時代にも不変の希望と力となりました。捕囚民の中で優秀な者はネブカドネツァル王に召されます。しかしそれは今までのアイデンティティを否定し、信じてきたものを捨てるような良心への挑戦でした。この並列を現代史の中に置けば、大東亜戦争(太平洋戦争)の中で皇国日本は天皇崇拝が強制され、キリスト者や戦争反対者らも迫害を受け、ある人々は殺されました。朝鮮半島において酷い皇民化政策を進めたことを想起します。今日は氷川神学生を招いての礼拝、フレッシュな聖書からの学びを楽しみにしています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 千葉バプテスト教会。千葉県市原市五所1540にあります。最寄りは八幡宿駅とのこと。ホームページでは詳しく迷わないように案内がしてあります。この教会はいろいろ縁があって、二度伺っています。二度目は私が所沢に来てから特別集会の講師としてお招きをいただき伺いました。この教会は会堂がコンクリート打ち放しで、残響がとても長いのです。それは良し悪しあります。ドラムは響きが難しいかなと思っていたら随分いろいろな手を入れて音響をおさえる工夫がされていました。その時はまだ敬愛します故矢野満牧師が癌治療の中でしたが、共に礼拝できたのは本当に思い出に残っています。矢野由美協力牧師は満牧師のお連れ合いでしたが、今でも共にいろいろお働きできるのを感謝です。そして、澤田ルツ子音楽主事、音楽の賜物をいかして活動されている素敵なお方です!元川牧師はまだ会ったことがないので、あまり語れなくてごめんなさい。呼ばれたら太鼓もっていきます。祈りの課題は以下です。①人々のいのちと生活が守られますように。②礼拝・奉仕の輪が全年齢層を包摂しますように。牧師・元川
信治、協力牧師(兼教育主事)・矢野 由美、音楽主事・澤田 ルツ子
8/20 マタイ福音書4章1-11節 「持続可能な世界(SDGs)」
主イエスがバプテスマを受けた後、荒野に導かれ、悪魔の誘惑を受けます。「悪魔」は「神の心から離そうとする力(ここは『誘惑する者』と言い換え)」と私は説明しますが、もう一つの意味は「試みる者」です。「試みる」とは「心を見る」との意で困難や試練の中に現れるその人の「本質」や「素の心」が見られるのです。主イエスへの試みは「食べ物」「名声」「権力」であり、確かに人はそれらの力に弱く失敗を重ねます。今日は四節が中心箇所。パンは一時的でありすぐに消費され、次のパンが求められます。主イエスは「神の口から出る言葉で我らは生きる」。御言葉は一時的ではなく、人が生き続ける道、維持可能な道を開きます。それは神の創造世界と向き合い、分かち合う世界です。今日はU・Rくんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 茂原バプテスト教会。千葉県茂原市六ツ野3394-5にあります。私は「もはら」と今まで読んでいましたが「もばら」なんですね。まだ行ったことのない教会のひとつです。ホームページ等詳しいですが、なぜか「地図」が表示されませんでした。また「英語・スペイン語」でも見られるのは特徴的ですね。祈りの課題は以下です。①多様な人たちと一緒に礼拝ができますように。②隣地をお与えください。③次の世代の姿をお示しください。牧師・塩山 宗満
8/19 詩編73編 「ああ、自分は愚かだった…」
アサフはダビデ時代「歌うたい」として活躍し、子孫は神殿礼拝の賛美の職務を継承しました。2節等は神に逆らう人が安泰なのを見て、うらやんだ等正直な告白があります。さらに、自分は一生懸命神の前に正しく生きようとしたのに病気になった、その中で自分がうらやんだ道は一瞬にして崩れ去ることに気づきます。そこで自分を省み、主が私を導き、神が近くにあることを幸いとし、主の御業を語り伝える決心が与えられました。「ああ、自分は愚かだった」という言葉に共感。なお、常に語ることですが「神が滅ぼす」とか「神が絶たれる」との言葉を読む時、新約の主の光に照らして自らの罪深さを認識し、罪人にも救いの道が開かれたことを覚えるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 富里キリスト教会。千葉県富里市七栄171-6にあります。アクセスは京成成田駅中央口からバス住野経由八街行きで富里高校下車。進行方向の小道へ。徒歩5分とのことです。教会案内にはこう記されています。富里キリスト教会の歴史は、1978年の成田空港開港にまでさかのぼります。「国際色豊かに発展する成田・印旛地区にキリストの光を!」という日本バプテスト連盟津田沼キリスト教会の幻により、1979年津田沼キリスト教会の一家庭集会として産声を上げました。1980年にまず現在地に590坪の土地が与えられ、1984年12月に津田沼キリスト教会の伝道所として宣教が開始されました。そして1987年9月に現在の会堂が建築されました。2000年3月、日本バプテスト連盟所属の「富里キリスト教会」が誕生し、現在に至っております。とのこと。土地が広いのはすばらしい!車が便利かもしれません。牧師の趣味に「ジャンベ」とあったにで何だろうと思い、調べてみたら「ジャンベは西アフリカ起源の太鼓で、打楽器のひとつ」だそうです。私もできるかもしれません。ギターはFで行き詰まりましたので。祈りの課題は以下です。①キリストにつながり愛の実を結ぶ。②病を抱えている方の癒しを覚えて。③求道中の方々の魂の救いを覚えて。牧師・武井 誠司
8/18 詩編9編 「主の名は力、御顔は臨在」
「ムトラベン」とは「子どもの死」の意味があり、曲名を表現していると言われますが詳細不明。この詩は「感謝」から始まり、14節からは敵の攻撃に伴う苦しみの中にあって、主の救いを祈る内容に変化します。その「間」に何があったのかは読者の想像に任せる他はないようです。ちなみに9編と10編は元々一つの詩であったと推定されます。確かに近い内容が繰り返されています。この詩では「御名」、つまり神の名。そして「御顔」(神の顔)という言葉が印象的。「名」に「力」があるのは、「サイン」を記すようなものです。サインがなければ効力がないように、神の名は神の力。「顔」は臨在や「神が目を向ける」ことの表現。「御名」を讃美し、「御顔」を求める詩人の祈りです。今日はM・Jさんのお誕生日おめでとうございます。元気にお過ごしでしょうか?
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 栗ヶ沢バプテスト教会。千葉県松戸市小金原2-1-12にあります。場所は「北小金」駅 南口より(JR常磐線/東京メトロ千代田線乗入)バスがおススメのようです。ホームページには以下のように教会案内されています。 栗ヶ沢バプテスト教会は、千葉県松戸市、小金原2丁目の「あめりか楓通り」に建つ教会です。街路樹の美しい広々とした通りに、街並みにとてもマッチした佇まいをみせています。礼拝堂はコンクリート打ちっぱなしの剛健なイメージですが、教育館とホールは木造建築で柔らかく仕上がっており、芝生の中庭を取り囲むように建てられています。庭の真ん中には、初代牧師が植樹した欅の木がみごとに枝を張り、私たちの集いを包んでくれているようです。2014年2月には「温かいおもてなしと開放的な雰囲気があふれる街が誇ることができる教会建築」として、松戸景観大賞を受賞しました。栗ヶ沢教会は1969年にこの地での伝道を始め、50年が経過しました。私たちは、これからも、この街、小金原を愛し、キリストを愛し、根を張り、福音の種を蒔いていきたいと願っています。ぜひ、HPだけでなく、私たちの教会をお訪ねください。教会員一同、心よりお待ちしています。(引用終わり)「あめりか楓通り」って何か素敵!一度宣教奉仕のために伺ったことがあります。なつかしい方にも思いがけずお会いできて感謝しました。祈りの課題は以下です。①ウクライナに平和が戻るように。②バプテスマ決心者が与えられますように。③地域に根付いた教会となるように。牧師・木村 一充
8/17 サムエル記上16章1-13節 「主は心によって人を見る」
「サムエル記」とありますが、「サムエル」は王国樹立前の最後の「士師」(しし/政治的・軍事的リーダー)であり、最初の「預言者」。内容はサウル王の樹立からダビデ王の働きを語ります。初代サウル王が過ちを犯したゆえ次の王を主の言葉に従ってベツレヘムのエッサイ家に求めます。王としてふさわしい者を探し、最初は長男のエリアブに目が留まります。身長が高く、立派な姿だったからでしょう。しかし主は「私は人の目に映る点ではなく、その心を見る」と語り、エリアブを退けます。最後に末子のダビデが連れてこられた時、主は王就任の儀式としての「油注ぎ」を命じます。ダビデはまだ少年の羊飼いでしたが主はその心を見られたのです。サムエルは相変わらず表面だけを見ていたようですが。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 花野井バプテスト教会。千葉県柏市花野井103-11にあります。JR「柏」駅が最寄りのようです。ホームページにはこのように教会案内がされています。「県道我孫子関宿線、花野井入口バス停側にある三階建の教会、それが私たちの花野井バプテスト教会です。日曜の礼拝には、40~50人が集っています。顔ぶれは生まれたばかりの赤ちゃんからご年配の方々まで老若男女バラエティに富んでいていつも賑やかです。我孫子側から車で来ると、元電気屋さんの建物のため、なかなか教会だとわからずに通り過ぎてしまうかもしれませんが、十字架を目印においで下さい。日曜日は最大25台分の駐車場を確保しております。どなたでも出入り自由のオープンでアットホームな教会です」とのこと。祈りの課題は以下です。①世界の平和。②教会堂建築による地域への福音伝道。③コロナ収束(平穏な日常)。牧師・古賀公一
8/16 詩編137編 「バビロンの流れのほとり」
この詩編はバビロン捕囚時(紀元前587~538年)の詩であり、「詩編」は何度か改訂されたことを知らされます。また森有正著の「バビロンの流れのほとりにて」(1957年)は「西欧文明との接触により著者の内面にもたらされた変化を凝視した記録」とされます。バビロン捕囚の民は異文化の中に置かれ、様々な問われ方をしたでしょう。4節の言葉は切ないです。連れ去られた地でどうして母国の歌を敵に聞かせなければならないのでしょう。そのように気楽に「故郷の歌を歌え」という言葉を私共が語る時、あなたの歴史観が問われます。沖縄の方に「沖縄いいね」と簡単に語れないのと同じです。もちろん、信頼関係があれば大丈夫ですが、誰でも常に理解しておくべき背景があります。9節は嫌な言葉ですが、バビロン軍が行った蛮行が想起されています。でも仕返しは負の歴史を繰り返すことです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大久保バプテスト教会。東京都新宿区新宿7-26-22にあります。JR「新大久保駅」からまっすぐに歩いて大きな道を越えたらあります。ここはかつて「日本バプテスト連盟」の事務所があり、数度訪れたことがあります。まだ連盟事務所があった時代は、静かな住宅街を15分位歩いていきました。ところが最近の新大久保はびっくり。ここは外国か?と思うような感じですが、少し海外旅行気分にもなる街です。祈りの課題は以下です。①ウクライナとミャンマーのために。②主題「主の恵み深さを味わうため」。③礼拝と証しを大切に生きる教会に。牧師・河野 信一郎、副牧師・石垣 茂夫
8/15 歴代誌下36章5-21節 「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」
日本バプテスト連盟発行の教会学校教案・参考誌の「聖書教育」では8月21日から9月一杯「ダニエル書」を学びますが、所沢教会では行事のため2~3回程度の取り扱いです。さて、南王国ユダは新バビロニア帝国のネブカドネツァル王によりエルサレムは紀元前587年に陥落、ソロモンが建てた神殿等も破壊され、3回にわたる捕囚により主要な人々はバビロンに連行されました。その後70年後に再び旧ユダ国に戻ることができたのです。これを「バビロン捕囚」と言い、旧約聖書時代の大事な出来事です。そして今日は敗戦後77年目を迎えました。この77年、世界は様々な変化が起こりました。日本は戦争体験から「平和憲法」と民主的政治が生まれました。しかし今、その意味が問われるし、問い直されています。我らは加害者であり被害者である「原点」に立ち戻ることが大事だと思います。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 中野バプテスト教会。東京都中野区中野3-23-8にあります。1956年から始まった歴史ある教会といえましょう。協力牧師の稲垣氏はオペラ歌手としても知名ですし、著書もありますので文章も上手な方なのでしょう。祈りの課題は以下です。①求道中の方々がバプテスマへと導かれますように。②休止中の子どものための集会が再開できるように。牧師・青木 竜二、協力牧師・稲垣 俊也
8/14 マタイ5章1-12節(中心9節)「平和を実現するために」
今日は「平和祈念礼拝」です。「平和」は自転車のように、いつも平和を求めて動いていないとすぐに倒れてしまいます。私はいつもこの箇所で「消極的平和」と「積極的平和」について語ります。「消極的平和」は、単に戦争や暴力の行使が」ないこと、うわべだけ治安が保たれている状態のこと。「積極的平和」は、人間の解放と自由を実現するために、平等や社会的正義を貫徹することを基準とし、すべての人が階級や人種、国籍、皮膚の色、宗教、性差等すべての差別をこえて、等しく人間らしく生きる希望と能力を育む社会をつくることです。神学者バルトは言いました。「かつては平和を望むなら戦争の用意をせよ、だった、否、戦争を回避するために平和の準備をせよ!」。今日はN・YさんとN・Sさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 三鷹バプテスト教会。東京都三鷹市下連雀4-18-3にあります。ホームページの案内では以下のように記されています。以下引用「キリスト教を知りたい」「キリスト教を研究したい」という方が沢山おられます。私たちはそういう方々に対して「キリスト教を知りたいなら、先ず礼拝に参加してみてください」とお勧めしています。キリスト教は「観念」でもなく「心の持ちよう」でもありません。キリスト教は、この生身の体をもって、イエス・キリストを信じ、従うことです。先ず体を運んで、教会に来てみてください。そして、礼拝を体験してみてください。そうすればキリスト教がわかります。わたしたちの教会では毎日曜日。雨が降ろうと、槍が降ろうと礼拝をしています。」引用終わり。今日の上記メッセージからすれば、槍が降る前に槍が降らない世界を祈り求めることですね。槍が降る時は三鷹中、被害者続出する状況ですから。JR「三鷹駅」から徒歩で行けるようです。祈りの課題は以下です。①2022年度標語「招き合おう 神の家族に」を与えてくださった主に感謝し、歩めるように。牧師・秋山 献一
8/13 ヤコブ書3章1-18節 「上からの智恵を求めて」
ヤコブ書は全体に言葉がきつくて、読むのにつらいですが時折、良い言葉もあります。1節は「教師になってはいけません」。そう言われても教師(ここでは専門職)は必要ですし、もちろん、自分がふさわしいと思った時にそれは道から外れることを理解している教師が願われます。「唇」の話は共感。13節も厳しいけど「知恵と分別がある」と自分で言ったりして天狗になることの注意。15節の「悪魔」、意味としては「神の心から離れさせる力」ですが、まず自分自身の悪魔性を知ることが肝要。「上」とは神さまのこと。「上からの知恵」は「上智」。18節「義の実」。「義」は神が良しとすることで、祈りの中で生まれる愛や行動です。今日はM・HさんとI・Cさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 仙川バプテスト教会。東京都三鷹市中原1-24-8にあります。京王線仙川駅より徒歩13分、つつじヶ丘駅より徒歩15分です。2008年度から現在の山岸牧師が就任しております。ゴスペルフラ、ゴスペル、フードサポート、子ども食堂等様々な活動が行なわれている教会です。祈りの課題は以下です。①喜びも悲しみも分かち合い共に祈り合う。②主に結ばれる場づくり。③一人ひとりが霊的成長をし献身者となる。牧師・山岸 明
8/12 コロサイ書1章9-23節 「罪の理解なく赦しは成立しない」
「あなたがた」(=我ら)を覚えてパウロが祈り願っています。ここには「主イエス」がどのような方であり、故に我らがどのように歩むのかと語ります。この中で、例えば21節の「悪い行いによって…神に敵対していました」という言葉がどうしたら人々に届くのだろうと考えます。主イエスの「いやし」や「願いを受け入れて下さる方」、「愛の規範」は通じるかもしれません。でも「神に敵対するほど自分は悪いことをしていない」むしろ自分は「いじめられ」たし「良いことをしてきた」と捉えていましょうから、「赦し」や「和解」が他人事になります。「血による平和」も生臭くて理解厳しい話かも。いかにして喜びの福音を伝えるのか、常に悩んでおります。今日はM・Nさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 調布南キリスト教会。東京都調布市国領町5-15-31にあります。ホームページで前田牧師は以下のようにお語りになっています。「私は1978年、33歳でクリスチャンになりました。
人間嫌いの私ですから、なりたくなくて礼拝に行っておりましたら、イエスさまに見つかってしまったのです。それから10年間、教会学校や聖書の学びのリーダーなどをさせてもらっていましたが、遂に牧師の道へと押出されたのです。最高であり、最悪でした。皆さん、そんな思い、されたことあります?でもイエスさまは素晴らしい。彼に愛されない人などいない、のです。神学校、私は牧師にならないけど、今日まで面倒かけてしまったイエスさまのお顔を立てるべく、行っていたのです。思えば最悪の神学生でした。でも、イエスさまは私の心を整えてくださり、牧師にまでさせてしまわれたのです。1994年からこの教会で働かせてもらっております。世にも珍しい人間嫌いの牧師も、今ではすっかり飼いならされて、とっても人間好きな者となりました。」とのこと。ゴスペルの活動等もこの教会で行なわれているようです。祈りの課題は以下です。①コロナ危機後に向かい活動再開!②伝道養育は常に聖書が根幹。③教会法人化のために。牧師・前田
重雄
8/11 イザヤ書9章1-6節 「激動の世界に響く希望」
イザヤは南王国ユダに現れた最初の預言者。時はアッシリア国の侵略で混乱し、北王国は滅亡、南王国も何度も危機に直面していました。その混乱の中に「大いなる光」の約束、平和が来る言葉を伝えたのです。5節の「みどりご」はイエス・キリストの誕生において実現したので、「メシア預言」の一つです。イザヤの預言から六百年といえば遥かに長い気持ちがしますが、その間もここでの光景の実現を人々は描いて歩んだし、その希望は人々を支えたのです。5節の括弧内はヘンデルのオラトリオ「メサイア」でも歌われます。英語では「驚くべき指導者」は「ワンダフル!カウンセラー」。カウンセラーは「顧問・相談役」の意味ですが、原語では「(助けるため)傍らに立つ者」。今日はC・Aさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 調布バプテスト教会。東京都調布市野水1-4-3にあります。中央線武蔵境駅より西武多摩川線に乗り換え「多磨」駅下車徒歩約600mとのこと。ホームページにはその他いろいろな行き方が掲載されています。祈りの課題は以下です。①教会員の健康が守られますように。②新来者や青年が与えられるように。③長期欠席者が教会に戻られるように。牧師・文 廷翼、協力宣教師・岡田 千尋
8/10 詩編37編 「豊かな御言葉(聖書の言葉)に触れよう」
いわゆる「いろは歌」なので文章全体が長くなりますが、一貫して流れているのはどのような状況においても「いら立つな」「主に信頼し、委ねよ」「うろたえるな」「主を望みとせよ」との言葉。「無垢」(18、37節)は仏教的な言葉で「煩悩を離れて汚れがない」という意味ですが、私は「主の目に適うように祈り歩むこと」と考えます。「地を継ぐ」という言葉が何度も出てきます。これは「救い」の表現のひとつで具体的には「神の恵みによりこの地で生きながらえ、子孫も繁栄する」ような意味。私なら「神さまの恵みを受け、永遠の希望をもって自分と家族等が歩む」と表現します。この詩編の中で「いいね!」という言葉に赤線を引き、ノートに記せばなお良いです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟府中キリスト教会。東京都府中市幸町1-9-7にあります。府中駅出口5出口から徒歩約9分ということです。この教会の長尾なつみ牧師は、私が彼女が中学生の頃から知っております。西南学院大学神学部で学んでおられる時は、当時、私が就任していた「福岡有田バプテスト教会」に奉仕神学生としてきてくださって、うちの娘たちもお世話になりましたし、日曜の夜はみんなでご飯を食べに行ったり楽しかったですね。今やとってもすばらしい牧師になりました(ごめんね、何か上目線で…)。祈りの課題は以下です。①礼拝と再会した教会学校の充実。②新会堂・牧師館建築のために。③長尾基詩神学生の学びのために。牧師・長尾
なつみ
8/9 箴言12章 「心のツボを刺す箴言」
日本バプテスト連盟発行「聖書教育」誌での今日の箇所は20節だけですが、せっかくなので章全体を読みます。20節についていえば、「悪を耕す者」。英語カルチャーは「耕す」が元と聞きますが、相手を陥れ、裏切るため、悪意に同意する仲間を集め、武器を用意するのは人間の悲しいあり様。平和や相互の喜びのために汗水流して耕すことを主は願っています。良き未来を描き、固い土や頑なな心を耕すことは何と希望に満ちているでしょう。中村哲氏を思い起します。9節は「?」と思います。この場合は他の訳を見ます。最新の「聖書協会共同訳」は「軽んじられても自ら働く者は、重んじられていながらパンを欠くことにまさる」(!)。これで意味がわかりました。ヘブライ語の翻訳は本当に難しいのです。18、19節は共感。今日は長崎に原爆が落とされた日です。11時5分、この時を覚えて長崎バプテスト教会では日曜の礼拝が11時5分の鐘の音から始まります。核のない世界を祈っています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 花小金井キリスト教会。東京都小平市花小金井1-26-33にあります。「西武新宿線花小金井駅から徒歩5分です。駅北口の道をまっずぐ北へ向かい、右側にあるヤザワ電気店の手前の道を右折すると、すぐに看板が見えます。どうぞお気軽にお越し下さい。」とホームページに記載されています。会堂も新しく活気のある教会です。藤井牧師は、かつては自衛隊音楽隊でトロンボーンを吹くプロでした。親の離婚、また三浦綾子との出会いを通して、教会に行くようになったという方です。ぜひこの教会をお訪ねください。祈りの課題は以下です。①「バプテスト」の学びを深める今年度の歩みのため。②聖書を土台に、教会が常に新たにされますように。牧師・藤井 秀一、牧会スタッフ・中根淨
8/8 詩編28編 「『平和』を語る悪しき者」
「至聖所」とは神殿の一番奥で「十戒」の入った箱が置かれ、大祭司等しか入ることができません。しかし、何よりこの詩人は神に向かって祈ります。それは悪事が起こされている中で自分も組みされているのです。願っていないのにその状況に陥れられているのです。「平和のため」だと言いますが、それが真実でないことを知っています。このような事態は繰返されます。「違う」と思うのに抗うことができないのです。そして時が経て、6節からは感謝と喜びが語られるのです。そこで何がどのように起こったのかはわかりませんが、悪の計画は阻まれたのです。8節の「油注がれた者」とは王、あるいはメシア(=キリスト)を意味しますが、ここはダビデ王の経験を語り伝えています。今日はK・Nさんのお誕生日おめでとうございます
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト立川キリスト教会。東京都立川市柴崎町2-22-13にあります。専任牧師が不在のことのためか、ホームページも更新されていないようです。祈りの課題は以下です。①牧会者が与えられますように。②若い求道者が与えられますように。③高齢者の健康が支えられるように。名誉牧師・大川 博之
8/7 エフェソ書6章10~20節 「神の武具とは」②
「悪魔の策略に対抗して…血肉を相手にするものではない」。「悪魔」とは神さまの良き力に対抗し、神の思いを実現させないようにする力です。「血肉=人間」に対する争いではなく、人間を愛と平和に生きる者としてではなく、争いや妬み、憎しみ、差別へと向かわせる政治や社会制度、経済問題や差別問題等が改善されていくことが大事です。神の「武具」とありますが、そのような武具は売っておりません。武具の代わりに御言葉に生きる歩み、神さまに心から従うこと、他者を援助する余裕、誰かと友人になること、共に泣き、共に喜ぶという、イエス様に従う歩みは「丸腰」ですが、それで良いのです。祈り、愛と人権保護と相互の尊敬で世界は結ばれていくべきです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト 多摩みぎわキリスト教会。東京都多摩市連光寺6‐4‐8にあります。ホームページには「京王線聖蹟桜ヶ丘駅より06永山駅行き、または永山駅より06聖蹟桜ヶ丘行きバスにて約12分。東部団地入口下車。バス停より徒歩約5分。バスを降りたら、坂を上ってください。鉄工所の看板がありますので、そこを左に入って3軒目です。教会から送迎もできますのでご気軽にご相談ください。」とのことです。ホームページを見るとコロナ下の中、YouTube配信をされていて、立派なマランツのマイクの写真が掲載されていました。そう、マイクが良くないと、すばらしい説教も辛い説教になるのよね。祈りの課題は以下です。①新しい仲間がたくさん与えられますように。②早く集まっての礼拝ができるように。③土地、建物の購入。牧師・石井 規之、主事・斎藤 美津栄
8/6 イザヤ書59章9-21節 「神の武具とは」①
16節を他の訳は「また、だれ一人あなたがたを助ける者がなく、ただの一人も間に立とうとしないのを不思議に思いました。 そこで、ご自分の大能の力と正義をもってあなたがたを救い出そうと、割り込んで来られたのです。」と記し、主の姿を武人の姿をあてつつ、「恵の業」「救い」「熱情」等を主は身につけると記されます。「報復」「報い」は、新約聖書で主イエスにより破棄されています。私どもも「報復」を望む時があるでしょう。憎らしい者に「呪い」を神仏にかけるのが人間の姿。そこで「報復」をするなら、再び憎悪の鎖がつながれます。では「和解」の道を開くことができるのか?それが神が願い、人間ができる業なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 多摩ニュータウン・憩いの家教会。この教会は建物を持っていませんので、場所を借りて礼拝されています。参加したい方は電話 080ー7849ー6406(春木)にご連絡ください。
8/5 箴言26章(中心18~19節)「合点!と思う箇所がありますか?」
旧約聖書は3千年前の言葉、写本による違い、へブル語自体の難しさから翻訳は苦労します。今日の18~19節、口語訳「隣り人を欺いて、『わたしはただ戯れにした』という者は、燃え木または矢、または死を、投げつける気が変な人のようだ。」が良かったです。人から欺かれて、大変なショックや家族等からも酷いことを言われ、さいごに「あれは冗談だよ」と言われるたことがあり、その場合、怒りや失望、時により憎しみが生まれます。11節、我が家のトイプードルも吐いたものを再び食べるので「汚い、止めよ」と言いますが、繰り返します。そのように過ちを繰り返す人間は犬並みに愚か。いつになったら不毛な非人間的争いを止めるのでしょうか。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 八王子めじろ台バプテスト教会。東京都八王子市めじろ台2-15-2にあります。京王線めじろ台駅から徒歩8分とありますので割と便利ですね。30数年前に伺ったことがあります。その時は「平良仁志」牧師の時代でした。祈りの課題は以下です。病気・高齢の方々への癒しと守り。②長欠者の教会への復帰のために。③新会堂建築ビジョン作成のために。牧師・小河
義伸。協力牧師・北島 靖士
8/4 詩編18編17-46節 「旧約聖書で気になること」
旧約聖書を読んでいると武力的な表現、「万軍の主」や「盾」「弓」「滅ぼす」「砦」等の言葉が沢山出てきて個人的には「嫌い」です。でも「鎌倉殿の13人」ではないけど、戦国時代の争いにおいて、兄弟同士で殺したり、一族皆殺しは当然でした。聖書でもそのような歴史背景があるゆえ「神」に対する表現や「救い」の表現が「軍事による勝利」や「武器」で示されるのです。当時の「常識的な希望」が神の名を語るのに使われたのです。現代でも世界中で暴力が繰り返されています。もちろん、旧約聖書自身にはそのような軍事力を否定する言葉もあります。我が連盟もかつては「総動員伝道」等戦時の言葉が用いられたのは反省すべき点です。どのような言葉が神をふさわしく表現するのか、常に問われますし、今の時代、今の言葉で平和を考えることです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 昭島めぐみ教会。東京都昭島市郷地町2-20-5にあります。この教会の牧師は「虎之助」というので、ご高齢の方とおもっていたらとんでもない!若い牧師の方でした。祈りの課題は以下です。①子どもたちが元気に成長できるように。②教会が礼拝者で満たされるように。③福音が広く届けられますように。牧師・石橋 虎之助
8/3 イザヤ書52章1-10節 「喜びを知らせる者」
「シオン」とは神殿建築後のエルサレムの別称で、人格的・文学的な表現で「娘」と呼ばれます。「無割礼の汚れた者」とはユダヤ民族以外(ここでは特にアッシリア人、地域は現在のイラク北部ですが、歴史の中で定義は変わる)を指しますが、エルサレムを攻撃する力を表現しています。大事なのは、敵に奪われた民族が再び主によって元の場所に戻ることです。新約を知る我らは「神が我らを無償で救いへと招き入れ、神の国、神の愛の支配の中に生きる希望」と読みます。7節の「福音を伝える者の足」は、主の到来と救いを告げる者の姿。テレビやラジオが無い時代、伝令が告げる言葉を人々は期待して待っていたのです。その「喜び」を我らも持ちたいですね。さきほどの「シオン」で補足しますと、現代では「シオン主義」「シオニズム」等の言葉があり、これは保守的な立場の方々を指しています。つまり「エルサレム」はユダヤ教の場所であって、他の宗教の聖地であっても認めず、緊張が生まれています。私はエルサレムは「平和の都」という意味であり、その場所で対立や差別、戦争が生まれていくことは大変悲しいことです。そこにはそれぞれの宗教で「聖地」と呼ばれ、多くの巡礼者や観光客が来るので経済が潤うことで、覇権争いをするのです。中立地としてすべての宗教にも世界にも開かれた場所になってほしいというのが祈りです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福生バプテスト・キリスト教会。東京都福生市加美平1-24-17にあります。この教会の稲見牧師の歩みがHPにも記載されていますが、北海道酪農学園大学で学ばれ、そこがミッションスクールだったことを知らずに入り、その後、クリスチャンに導かれた方です。面白いので読んでみてください。大工が得意なようで、それは私も関心あります。祈りの課題は以下です。①3名のバプテスマが与えられること。②牧師夫妻の健康が守られますように。③礼拝堂の拡張願い。牧師・稲見
元彦
8/2 イザヤ書11章1-10節 「来りませ、平和の主」
「エッサイ」はユダヤ統一国家の二代王、ベツレヘムに住むダビデ王の父。「株(ルーツ)」とは子孫。ただこの章はメシア(救世主)預言の箇所で、真実の王の出現を預言し、その王は主イエスと理解されます。また、施政者に求められるべき姿であります。3節の「目」や「耳」は「知恵」と「識別」と結びつき、4節の「口」「唇」は「言葉」のことで「思慮」と「勇気」と結びつき、暴力に訴えないこと。6~7節等は「子ども」や「幼子」が危険から守られて平和に過ごす世界が描かれています。今、子どもが襲われ、殺される時代、暴力の時代に我々はこの箇所が現実となることを祈ります。今日はS・TくんとS・Hさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 関東プレインズ・バプテスト教会。東京都羽村市双葉町2-10-7にあります。附属幼稚園として「羽村善隣幼稚園」があります。「プレインズ」ってどういう意味かと調べてみると「平野」のことで「関東平野教会」ととてもビジョンが大きいですね。多分、米国にも「…プレインズ教会」というのがあるのですね。祈りの課題は以下です。①2022年6月、ディビッド・ローナン牧師就任。感謝。②教会員同志の交流が深められるように。③地域宣教が進められるように。牧師・ディビッド・ローナン、執事長・熊手
祥之
8/1 ローマ書13章1-12節 「権威について考える」
この箇所は課題が多いです。まず「権威」と言う時、パウロが何を想定していたかです。「すべての権威が神に由来し、従うべき」とありますが、ここでは「権威者は神に仕える者」という前提が必要だと考えます。その前提なくして全ての権威に従えということは有り得ないし、それほどパウロは愚かではありません。ただし、ここでパウロの権威者に対する姿勢は、逆らうことが良い結果をもたらさないと考えていたり、権力側に忖度した可能性はありましょう。本来「権威」は素晴らしさを認めて自ら従いたくなる存在。今の政治や政治家にどれほど権威ある人がいるでしょうか。特に現在は「神が立てた」のではなく「主権在民」であり、国民のための政治が必要とされます。今日はS・RさんとD・Aさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 板橋伝道所。東京都板橋区仲町23-17にあります。板橋区には日本バプテスト連盟に加盟する教会は他に5教会あります。ぜひお近くの教会に行ってみてください。祈りの課題は以下です。①誰でも参加できる休める教会。②20人礼拝ができるように。③隣人に関心を持てますように。牧師・新保 雅雄
7/31 エフェソ書5章1-20節 「光の子として」
「光の子として歩みなさい」、ゆえに、キリスト教主義幼稚園では「光」が付く名前が多くあります。私が園長として奉職した神戸教会を母体とする幼稚園は「光の丘幼稚園」でした。聖書には「光」のイメージが創世記から、新約に至るまで表現されています。思い起してみましょう。光の子として歩むのは「賢く(自分自身の考えだけでなく、聖書からの導きを求めて)歩む」「気を配る(愛と配慮をもった人間関係形成)」「時を用いる(神から与えられている時間の用い方)」「御心を求める」「神の心(思い)が自分の中に満ちる」「詩編や讃美歌を引用しつつ互いに主について語り合い」「礼拝する」「感謝する(神の恵みを思い計る)」ことと記されます。ちなみに十四節の括弧内は当時の讃美歌の歌詞の引用です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟引退教役者の方々を覚えて。田口昭典氏(金沢市在住、現在、金沢バプテスト教会から生まれた幼稚園の園長をされています)、田代 敬氏(さいたま市在住、東京北教会で様々な奉仕もされておられます))
7/30 使徒言行録20章25-38節 「あなたを造り上げるみ言葉」
パウロがエルサレム教会に行く前にエフェソ教会の長老(執事)達を招いて挨拶をしています。これが最後になるとの思いでパウロは語ります。特に32節の言葉に感動いたします。私自身も多くの牧会者や伝道者、先輩信徒の方々に信仰を育てて頂きました。それら多くの方々にいつも感謝しています。その人の言葉や行動、祈りに時に助けられ、時に励まされ、時にはお叱りを受けながら。そして私自身も牧師として立たせていただいています。でも、信仰や人生を真に導くのはただ「み言葉」です。「この言葉があなたがたを造り上げる」、み言葉への信頼こそ私の受けた最大の恵みです。「草は枯れ、花はしぼむ、…神の言葉はとこしえに立つ」(イザヤ書40章)。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「靖国神社問題特別委員会」。連盟理事会のもとに設置されている特別委員会です。①あらゆる紛争・暴力がなくなり、すべての人権が守られるように。教会がそのために用いられるように。委員長・松藤 一作(川崎教会牧師)
7/29 Ⅰヨハネの手紙5章13-21節 「罪を犯さざるを得ない人間」
「永遠の命」はヨハネ文書で特徴的な言葉で、「救い」の表現の一つ。「死に至る罪」と「死に至らない罪」があり、その違いについて様々な議論があります。私の結論としてはそれを定めるのは神ご自身であり、人間がそれを規定することこそ自らが神となる「死に至る罪」でしょう。そして、何よりヨハネ文書が語っているように「神の愛」によって私共は赦しを得ることを第一に考えるべきです。神の意思は罪に定めることではなく、愛と赦しにより人を救うことですから。「神から生まれた者は罪を犯しません」は、「罪を犯さないよね」との願いの言葉。「罪を犯さない」ことを求めても人は罪を犯す存在であり、だからこそ主の導きと守りを願い歩むのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 第60回全国青年大会。日本バプテスト連盟に加盟する教会・伝道所に所属または通っておられる方々の自発的な集まりで、もう60回を数えます。年一度の「大会」で実行委員会等が決まり、運営されています。今年は福岡市中央区にある「大名クロスガーデン(平尾バプテスト教会)」で対面とオンライン併用で8月11日~13日まで開催されます。当教会からも一人参加予定です。祈りの課題は以下です。①初めての対面とオンラインの併用開催での「全国青年大会」が守られるように。より多くの青年が導かれますように。実行委員長・津留崎
憲史(仙川教会員)
7/28 アモス書5章10-15節 「亡国に向かう中で」
預言者アモスは紀元前8世紀に滅亡が近づく北王国イスラエルで活動。「預言者」は神の言葉を預かり、その言葉や意思を人々に伝える働きです。北王国は、周辺民族の支配と貿易に支えられて裕福になりますが産業の変化で、国民の経済格差が拡大、兵役等の労役と重税が人々を苦しめます。アモスはその中で支配者層に対する厳しい言葉を語りました。13節の「知恵ある者は…沈黙する」の「知恵ある者」とは正しく国を導こうとする心ある者達ですが、国や国家宗教に対する批判ができない状況、つまり、言論封殺。アモスも最後には追い出されます。支配者はさらなる富を求め、苦しむのは一般庶民だし、それは亡国へ進む道。我らは現代の警告として聞くべき言葉です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 全国壮年会連合。この連合体は日本バプテスト連盟の加盟する各教会・伝道所の各「壮年会」の連動体です。働きとしては牧師・伝道者になろうとして学んでおられる方々への奨学金を担当しておりますし、そのための献金を呼び掛けて運用しています。また、年に一度は「総会と全国大会」を行なっています。祈りの課題は以下です。①8月26~27日の全国大会in北海道が祝されるように。②伝道者養成の新たなビジョンが示されるように。会長・山田 雄一(大井バプテスト教会員)
7/27 ルカ福音書7章36-50節 「罪深い人って誰?」
「罪深い女」は「遊女」と思われます。でも何か変。「遊女」を成立させる相手がおり、「遊女」へと追い込む社会的背景こそ「罪ある社会」。この女性は人々から「罪人」と呼ばれ、見下され、命に誇りを持てなかったのです。でも主イエスの話を聞き、自分の命の尊厳を見出し、彼女の命を肯定する主の「赦しの言葉」に心揺さぶられ、その感謝をもって主イエスのもとに来て香油を注ぐのです。そしてこの女性は主に従う人になりました。人々から差別され赦しに出会わなかった人は、主の赦しが新しい命と愛に生きる道となったのです。差別する人こそ自分だけは正しいと思うがゆえ、実は神の赦しが必要な「罪人」なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 神奈川バプテスト連合。神奈川県にある20教会・伝道所で構成される地域連合です。祈りの課題は以下です。①20教会・伝道所の福音宣教の祝福。②教役者とその家族、教会員一人ひとりの健康。③東京バプテスト神学校とのこれからの歩み。会長・堀野
浩嗣(横浜戸塚バプテスト教会牧師)
7/26 フィリピ書4章2-9節 「喜びがありますか?」
フィリピ書は「喜びの手紙」と呼ばれるほど「喜び」への招きが多く記される書です。4節で「喜べ、喜べ」と言います。「喜び」とは「好ましいと思う状況や、それを思い起す時に生じる感情」です。「好ましい状況」は人によって違いますし、その人自身が選択することもできます。今のあなたの状況はどうでしょうか?「喜びがある」なら幸いです。感謝です。でも「喜びなんて見つからない」時もあります。「見つからない」ならそこからどうしたら良いのかを「感謝を込めて祈りと願いをささげ」考えることです。神さまは何かアドバイスを下さるでしょう。ここでは「喜び」は「広い心」と関連付けられています。「広い心」は自分や他者や状況を広い視野で見直すことです。今日はM・Hくんのお誕生日おめでとうございます。いよいよ来春から高校生です!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東京西バプテスト教会。礼拝場所は決まっていないので、電話:042-544-6770(福田) でお尋ねください。祈りの課題は以下です。礼拝場所の継続確保のために。②宣教者が継続して与えられること。③求道者が与えられること。代表執事(郵便・事務連絡先)・福田
佑次
7/25 Ⅰヨハネの手紙4章7-21節 「神は愛なり」
ここはとても大事な箇所なので手書きで写したりするのに良いです。「神は愛なり」のゆえ、「愛」と「神」を言い換えて読むのもおすすめ。17節後半の「わたしたちもイエスのよう…」となれば良いですね。貧しくとも醜い者でも小さなイエスとして歩めたらこれ以上の幸いはどこにありましょう。「兄弟を憎む」、もちろんここの「兄弟」はすべての人との関わりにおいてです。「相手がこうしてくれたら」と私共が願うのは当然です。でも誰かが始めないことには歯車は動きませんし、「損」と思わないであなた自身が始めることです。ただし「どのように愛するのか」は神様の導き、そして主の言葉と行動に学ぶことが必要です。「欲望」を「愛」と勘違いする危険が多いからです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 恵約宣教伝道所。礼拝は日曜のみ渋谷区渋谷2-22-16 hi.b.aセンターで行なわれています。学生などを中心に礼拝が行なわれているようです。時間:毎週日曜日 11:00より。詳しい情報はホームページや以下のメール等でご連絡してください。email:info@keiyaku-senkyo.org
Facebook: http://fb.com/CovenantOfGraceChurch.org 言語: 日本語、英語(通訳)祈りの課題は以下です。①共に礼拝ができるように。②霊的に成長するように。③新来会者が与えられるように。牧師・藤原
淳賀
7/24 エフェソ書4章17-32節 「心込めた言葉と行動を」
「異邦人のように歩んではならない」の描き方に反対。キリスト者以外を「愚か」「放縦」と単純に批判できません。立派な人々もいますし、断言は真似すべきでありませんし、自分の過ち弱さとしてしか語り得ないはず。言いたいのは23~24節。25節以下は具体的で共感も反発も心に響きましょう。26節の「怒り」は「激怒」。いずれにせよ、怒りを持ち続けることは自分にも相手にも良くなく、早い解決を求める必要があります。「盗み」は実際に教会の中でも起こっていたのでしょう。二九節の「人を造り上げるのに役立つ言葉」は大事。否定する言葉の前に、祈り考えて、その人が成長できるような、心がこもった言葉を語りたいです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> ライフチャーチ。礼拝は日曜のみ、東京都三鷹市下連雀3-32-15 CCC学生会館で行なわれています。大学等が多いので学生などに向けての集会をされているように思います。HPでは以下のように案内があります。「ライフチャーチは大谷信道牧師とマーク・バスビー宣教師によって2011年10月に開設されたプロテスタントのキリスト教会です。はじめて教会に来る方、聖書に興味のある方など、どなたでも参加しやすいフレンドリーな雰囲気を大切にしています。また、海外滞在経験のある方や海外からの方が多く来られている国際性も特徴の一つです。」祈りの課題は以下です。①偉大な戒め(マタイ22章37~40節)、大宣教命令(マタイ28章18~20節)に忠実な教会であり続けることができるように。
牧師・大谷 信道
7/23 申命記15章1-11節 「共に生きるために」
「申命記」は律法書の一つでモーセの遺言とされます。ここは「同胞」であるユダヤ民の適用が前提ですが、経済的貧困者がいる時、貸し与えること、七年毎の負債免除が近づく時に不払いを恐れ、貸ししぶりをしないように記されます。「心をかたくなにしない」「手を大きく開き」「未練なく」等の言葉は苦しむ者に目が向かない我らの心を知るような言葉ですし、経済的苦しみだけではないあらゆる関係性の言葉でしょう。今、自分達は「貧しくない(与える)立場」に立ってここを読んでいると思います。しかし、自分もすべてを失う時が来るかもしれません。そのことを思いつつ、ここは同胞への言葉ですが、世界中に広がるべき考えです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 青梅バプテスト教会。東京都青梅市梅郷3-904-3にあります。「青梅」は本当に「梅」の産地らしく、特にこの教会が立つのは「梅郷」って何だか素敵ですね。青梅はそれほど遠くないので、一度行ってみたいと思います。この教会は学校法人「青梅あけぼの幼稚園」の母体でもあります。ここで育った子どもたち、ぜひ、大人になってこの教会をお訪ねください。みんな大喜びで歓迎してくださると思いますし、何か困ったことや悩んだことがあってもこの教会をお訪ねください。祈りの課題は以下です。①コロナ危機もやわらいだところで私たちも心を一新し「新しい教会を目指して」の全教会員の祈りと協力の招集。牧師・大谷唯信、副牧師・森元國文
7/22 マタイ福音書4章12-25節 「主イエスの眼差しと招き」
主イエスの伝道の始めの「悔い改めよ、天の国は近づいた」。「悔い改め」は「心と体の向きを神の方に変える」という意味。「天の国(=天国、神の国)」は神の救いがあなたのすぐ近くにきたけれど、その人自身が自らの意思で受け入れなければ繋がりません。主イエスは協働する弟子を招きます。「人間をとる漁師」はエレミヤ書16章に出て来ますが、主イエスは同じ言葉をもって、喜びと救いへの招きとしています。「人間をとる漁師」はそれで儲けるのではありません。人を生かすための働きであり、弟子の中に実際の漁師がいたのでそう表現したのです。ただ「漁師」は時々テレビでも紹介されるよう「忍耐」と「時を読むこと」、「知恵」が必要なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 渋谷バプテスト教会。東京都渋谷区桜丘町14-5-105号です。祈りの課題は以下です。①病気や治療療養中の方の癒しのために。②地域と世界宣教の働きが祝福されるように。③働き人が与えられますように。牧師・金 未仙、伝道師・林 雄植
7/21 ローマ書12章1-21節 「神さまが求める歩み」
「万民の救い」を語り、「こういうわけで」と新しい歩みをパウロは語ります。「自分の体を…献げなさい」の言葉は最近の「元 統一協会(教会)」報道ではすべて献金することが目標と報じられます。通常の宗教団体は献金を求めて活動するのではありません。神を愛し、人を愛する生活は、社会において公正で安全で、相互の人権を大切にし、平和をつくり、共に生きる社会を実現することです。それは各人の自由の中で行われますし、誰かを束縛してはその時に愛は失われています。そして何より政教分離、宗教と政治が結びつく時に双方共に腐っていくのが人間の歴史でありました。16節の「身分の低い人」との言葉は当時の社会的背景からの言葉ですが、「身分の差」をつくる社会構造をなくすことが今も課題です。今日はK・Aさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 幡ヶ谷バプテスト教会。東京都渋谷区初台1-9-7 初台T&Tビル201号にあります。この教会は渋谷教会の幡ヶ谷伝道所として1993年に礼拝を開始し、場所を移転しながら現在の場所で礼拝等の集会をされています。交通機関としては、京王初台駅から徒歩4分、小田急参宮橋駅から徒歩10分という便利な場所のようです。祈りの課題は以下です。①初台地区の福音宣教のために働き手が与えられますように。牧師・山川 眞司
7/20 ローマ書6章1-11節 「赦された者として」
聖書の「神の赦し」を語る時に思い起すのは元西南学院大学青野太潮教授の論文のひとつ。有名な「罪と罰」(ドストエフスキー)という小説から引用し「赦されるならあれもこれもしてよいのか」との言葉に「赦されていることを知る者は決してそのようなことはしない」という内容。「罪」について理解が難しいと思う人も多いでしょうし、「お前は罪人だ」とは我らは言い得えないのは、自らが罪人であるから。人間は生きている限り、悪意や妬み、他者を断罪し、馬鹿にし、裏切る思いから自由ではありません。ゆえにすべての人間は「罪」を感じるがゆえに「清め・浄め」等を宗教に求めましたと思いますし、それは世界共通のように感じます。主イエスは徹底的な神の赦しを語り、「赦された者」としての希望と真理、そして人間が歩み道を確かな形で示されたのです。今日はC・Mさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 恵泉バプテスト教会。東京都目黒区中目黒3-13-29にあります。JR等の「中目黒」駅から、少し歩いて、坂を上っていったら左手にあります。教会附属幼稚園として「めぐみ幼稚園」を運営しています。この教会の福永牧師は、神学校の少し先輩です。作詞・作曲・演奏とされる方で、日本バプテスト連盟発行の讃美歌集「新生讃美歌」にも福永牧師の曲が入っており、とても人気ですし、私どももよく歌わせていただきます。今年、2022年10月30日には当、所沢キリスト教会で特別礼拝の講師としてお招きしております。開催できますようにお祈りください。松見牧師は日本バプテスト連盟「宣教研修所」の所員として私ども「北関東地方連合牧師・主事会」の研修会等にご協力いただいたりしています。祈りの課題は以下です。①一日も早い戦争の終結のために。②み心に従う組織改革と成熟のために。③子どもの信仰が育まれますように。牧師・福永 保昭、協力牧師・松見 享子
7/19 ヨハネ福音書14章1-14節 「生きる道を選べ」
先週水曜(7月13日)にも触れた主イエスの告別説教より。主イエスが「(死なれ)あなたがたの場所を用意する」との言葉にトマスが問います。トマスは「主のためなら自ら命がけで戦うし、それで死ぬなら本望」と散り際を大事にし、天国や死後の世界は考えない人。武士精神というか、主君やお国の為には玉砕も良しとする精神構造を見ますが、その精神、死で完結する人生観はどのように形成されたのかは興味があります。トマスの「死で完結する」考えを主は訂正されます。「わたしが道、真理、命、わたしを通る(わたしが開く道により、あなたの命の意味と死の意味、命の行き先が示される)こと」を示します。死に急ぐことなく、聖霊と共に主が与えられた命を生きる道を語ったのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 泉バプテスト教会。東京都世田谷区下馬1-20-4にあります。地域では特色ある教育方針をもった「いづみ幼稚園」が知られているかもしれません。城倉牧師はとにかく色々なことに詳しいし、へブル語の本などを出版しておられます。また日本バプテスト連盟でも「機構改革」に伴う「総会・選挙改革」で大きなお働きをなさっています。村上牧師は日本バプテスト女性連合で長年幹事として働かれ、その後、栗ヶ沢教会牧師を経て、現在は「東京バプテスト神学校」の事務を担当されています。祈りの課題は以下です。①子どもたちのために。②病気の人々のいやしのために。③武力によらない平和のために。牧師・城倉
啓、協力牧師・村上 千代
7/18 詩編85編 「正義と平和の口づけ」
この詩編は三部に分かれます。最初は過去の主の恵みと導きを想起、次に現在の苦難の状況を訴えます。「なぜ」との問いは様々な危険や苦難に遭遇する我らにも生まれます。ここでの「苦悩」は具体的には示されませんが「神がいない」と感じる状況。8節と9節の「間」は決して短いものではありません。苦難の中から、神の言葉を聞き、自分の歩みに光を見出します。「平和の宣言」とは「恐れるな、私が主であり、私が平和(平安)を与える」との言葉。「愚かなふるまい」は「神が共に在るのに、それを忘れ、御言葉への信頼を失った自分達の歩み」。「栄光」は神の臨在。そして主を信頼して再び歩み出すのです。「正義と平和の口づけ」はまさに世界と主なる神さまが求めるべき命と愛の連帯です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 品川バプテスト教会。東京都品川区西品川2-12-18にあります。交通機関としては、R山手線「大崎駅」から徒歩14分、東急大井町線「下神明駅」から徒歩10分、都営浅草線「戸越駅」から徒歩12分、東急池上線「戸越銀座駅」徒歩14分とのこと。山中牧師はなんと東大で美学を学び、その後、俳優をして、その後、米国で教会音楽等を学んできた方です。作曲、演奏、指揮、役者等の才能をもった、大変尊敬している牧師の一人ですし、声がでかいので、高齢者にも優しいですね。音楽主事の岸本さんも以前より日本バプテスト連盟のいろいろな集会等でご一緒にお働きをさせていただきました。祈りの課題は以下です。近隣伝道の前進のために。②平日ミニストリーの充実。③信仰決心者が与えられるように。牧師・山中
臨在、音楽主事・岸本 敬子
7/17 エフェソ書 3章1-14節 「パウロの祈り」
「すべての家族がその名を与えられている」、別訳(リビングバイブル)では14~15節「神様のご計画の知恵深さと広大さを思う時、私はひざをかがめて、神の大家族〔その中のある者はすでに天国におり、ある者はまだ地上にいます〕の父なる方に祈ります」、これが解りやすい。「内なる人」の反対は「外なる人」でパウロは「土の器」「死すべき肉体」とも言います。「内なる人」は三つの視点から考えてみましょう。「理性」…道理によって物事を判断する心の働き。論理的、概念的な思考。「良心」…善悪・正邪を判断し、正しく行動しようとする働き。「意思」…思考と判断を行動へ移行する働き。それらを合わせた「魂」は神様と響き合い、人間を形成します。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大井バプテスト教会。東京都品川区大井5-10-12にあります。1931年の開始ですから、長い歴史を持ちますし、日本バプテスト連盟を代表する教会の一つです。交通手段として鉄道では「JR京浜東北線・東急大井町線・りんかい線 大井町駅下車 徒歩15分 JR京浜東北線 大森駅 下車 徒歩15分 京浜急行線 立会川駅 下車 徒歩12分」ということです。昨年、新しい会堂が竣工しました。設計する段階で教会に来る人が増えて(いわゆる一般のキリスト信者でない方)、少し予定より大きくなったのでしょうか?どうでしょうか? この教会の加藤誠牧師は、前、日本バプテスト連盟常務理事で、現在は日本バプテスト連盟理事長の働きを担ってくださっています。加藤牧師は北海道大学を卒業後、教員をしたのち、西南学院大学神学部で学びました。神学部では年は私より上ですが、学年は下です。はい。でも家族寮の隣に住んでおられましたのでそれ以来、親しくさせていただいていますし、いろいろお世話になりました。また、音楽主事として菊地るみ子先生がおられます。本来はピアノ専攻でしたが、指揮者、オルガニスト、ソロハンドベルと大変卓越された方です。「あけぼの幼稚園」を併設しています。祈りの課題は以下です。①新礼拝堂が与えられ感謝。私たち教会の「再構築」の時。世界の課題に向き合い、聖書に聴き、伝道に励みたい。主任牧師・加藤 誠、牧師・広木 愛、音楽主事・菊地 るみ子
7/16 イザヤ書55章 「心が渇いていませんか」
なんと喜ばしい歌。「渇きを覚える者」の渇きは心の渇き。熱中症は「渇き」を感じないまま体調が悪くなるように、私共も心の渇きを感じないで過ごしているかもしれません。その時は心がいらつき、否定感情に支配され、笑顔はありません。でも自分では気づかないのです。あなたの心は渇いてませんか。もしそうなら、御言葉を頂きましょう。主を尋ね求めましょう。御言葉の泉、御言葉の雨はあなたの心を潤わせ、蒔かれた種は芽出し、実りを得ることです。12節で描かれる情景はとても嬉しい平和の景色。この世界こそ私共が主にあって求める世界。「おどろ」は草木・いばらなどが乱れ茂っている様。「ミルトス」は「祝の木」で花は芳香を持ち、果実は鎮痛効果があります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト東京第一教会。東京都世田谷区瀬田2-11-11にあります。「瀬田」は「世田谷」の由来かもしれませんね。米国では多くの町に「第一バプテスト教会」(First Baptist Chirch)があり、とりあえず、その教会に行くとよいです。旅行者や留学生でも困ったら行ってみてください。そんなことで、東京ファースト・バプテスト・チャーチがこの教会ということでしょう。私はまだ行ったことがないのですが、神戸バプテスト教会の「光の丘幼稚園」の園長時代は、夏に日本バプテスト保育連盟の研修会があり、東京第一教会の「こひつじ幼稚園」の先生方の元気なにこやかな姿を見て印象的でした。今はどうなのでしょうか?園長でやはり雰囲気が変わったりすることがありますね。岡村直子牧師は、神学校で1~2年一緒に学んだ方ですし、神戸にいるころは、宝塚教会の牧師をされていましたので、いろいろ交流いただき感謝です!コロナでなかなか就任式ができなかったようですが、最近行われたようです。祈りの課題は以下です。
7/15 フィリピ書4章2-14節 「どんな状況でも主がおられるから」
この手紙でも「喜び」の勧めがあります。教会の二人の女性を巡っては喜べない状況があります。でも課題がある時、それは新たに人間関係や問題の発端や環境を考える機会となるのです。「思い煩っている」だけでは解決は見いだせず、そこから祈り、平和をつくる道へ歩み出すのです。9節の「わたしから学んだこと…」はパウロの自信過剰ではなく、パウロが教えた主イエスの教えとの思いからです。10節からはフィリピ教会からの支援に対する感謝が述べられています。感謝しながらも、パウロは自分の置かれた状況を受け入れ、そこで適切に暮らす術を持っています。不足があってもそれが人生を決するのではありません。必ず生きる道を主が整えて下さいます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 経堂バプテスト教会。東京都世田谷区桜1-64-30にあります。経堂教会は、「小田急線経堂駅から徒歩8分程の距離にある、世田谷のプロテスタント教会です。若い人からお年寄りまで、様々な人が集まるアットホームなキリスト教会です。1967年から開始されました」とHPに紹介されています。入口には長い階段があるのですが、裏口の方は入りやすいとのこと。祈りの課題は以下です。①地域の方々が、導かれるように。②礼拝、諸集会が祝されるように。③祈りが、いつもあるように。牧師・藤原
靖彦
7/14 Ⅰヨハネ4章1-21節 「情報リテラシーをみがくこと」
ヨハネ福音書と手紙は兄弟のような関係。4章は「愛」のシンフォニーです。まずは「愛」という言葉を数えてみましょう。1節の「どの霊も…」は大事なこと。真の神の教えと、神の教えもどきの言葉があります。その中で真実を見極める力を磨く必要があります。最近「インターネット(IT)・リテラシー」(読み書き能力)とのいう言葉を聞きます。インターネット上は真も虚も、あいまいな言葉も溢れています。間違った情報を鵜呑みにして拡散したり、誤情報に騙されることが多く、その情報が真実で適正か否かを判断する力が求められています。キリスト教関係のサイトでも危険な考えや偏り過ぎる考えが見受けられ、判断できない時は信頼できる牧師に尋ねて下さい。今日はS・Nさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 多摩川キリスト教会。東京都狛江市岩戸南4-2-5にあります。「狛江市」とは私は全然知らない場所ですが、ホームページを見ると、小田急線の「狛江」または「喜多見」が最寄りのようです。礼拝もYouTubeで配信されています。また、日本バプテスト連盟インドネシア派遣宣教師である野口日宇満氏、野口佳奈氏の支援窓口教会です。祈りの課題は以下です。①祈りの家、聖霊の満ち溢れる教会。②十字架の愛と赦しに生きる教会。③世界宣教と信仰継承。牧師・末盛
桜子、宣教師補・久米 麗
7/13 ヨハネ福音書16章1-15節 「聖霊の約束と働き」
弟子達の足を洗い、その後ユダが出て行き、ペトロの離反を予告し、14章から続く主イエスの告別説教です。「あなたがたを殺す者が神に奉仕している」とは主イエスの福音を伝える者達が誤った神理解者によって殺されること。神を真実に理解することは、命を大切にし、共に生きる世界でありも関わらず、独善的理解や神の言葉を自己利益のために利用することの警告。プーチンがキリスト者とは誰も思いませんし、彼からは何のキリストの香りは見出せません。人心の掌握のためにキリスト教を利用している以外に何がありましょう。さて、主イエスが天に昇った後の聖霊の約束を語ります。法廷用語だった「弁護者」は別の訳では「助け主」とされ元来は「あなたと共に立ち、助け守る方」。「真理の霊」であり、聖霊の働きを語っています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 川崎バプテスト教会。神奈川県川崎市中原区新城5-8-27にあります。昔、まだ現在の教会堂でない時に連盟の音楽研修会で伺ったことがあります。松藤牧師は数年前は日本バプテスト連盟の宣教部、宣教部長等をされていました。細くてカッコ良い牧師さんですよ。大事なのは牧師の宣教や牧会ですが、それはぜひあなたが行ってみてください。祈りの課題で「受信」という言葉、とてもよいなぁと思い、所沢教会の祈り(9月)にとりいれました。祈りの課題は以下です。①新しい時代の新しい川崎教会を共に建て上げよう。②交わりの充実。③仕える教会(受信の場として)。牧師・松藤 一作
7/12 Ⅰテサロニケ書5章16-28節 「喜ぶことへの招き」
「いつも喜び…」の箇所は有名ですが、反発する人も多く。「いつも喜べるわけない…」と言います。苦しみや悲しみ、痛みの多いあなたを主はご存知です。その中で「喜び」と言う表現を言い換え「希望」「感謝」「恵み」を想起することへ招いています。それらの発見のために「祈る」こと、祈りは苦しい時にまず必要です。「感謝」も必ず見つかるはずです。「喜べない時」、何が不満なのか、何が喜びを消しているのか、そのことを考える静寂の時を頂きたいものです。「霊の火」は旧約に由来し、神殿で常に火が輝いていたこと、それは神の存在を表現していたことです。「欠け」の言及についてもは「欠け」あるところに主の恵み注がれることを確認いたします。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 百合丘キリスト教会。神奈川県川崎市麻生区百合丘1-12にあります。よく名前を聞く教会で、トップページに案内している伊藤真知子さんや、私が知っている方も通っておられます。「百合丘めぐみ幼稚園」も併設しております。とにかく「百合丘」という名前が良いですね。「百合」は伝統的にイエス・キリストを表現する植物とされています。祈りの課題は以下です。①福音宣教と教会形成のために。②幼稚園の今後のために。③教会幼稚園の方々の健康と安全。牧師・川井
信雄、協力牧師・宇野 雄司、牧会主事・宇野 澄江、音楽主事・宮原 淑子
7/11 ユダの手紙 「神の愛により守られ」
ユダの手紙は礼拝でほとんど触れることがありません。17節が語るように主の弟子のユダの名を冠した後継者による百年頃の手紙と推定されます。ただし、主イエスを裏切った「ユダ」ではなく、ヤコブの兄弟であるユダですが、さきほど記したように、自分は「使徒」つまり主イエスの直弟子ではありません。旧約外典の「モーセの昇天」、「エノク書」からの引用が特徴。執筆目的としてはキリストの復活等を認めない団体とその周辺思想をもって教会を引き裂こうとする人々への忠告。そして「最も聖なる信仰をよりどころとしなさい」と語りますが、その内容は今も伝わる主イエスとその言葉への信頼です。それが神の愛によって生きる者として歩むこと、永遠の命への導きを感謝し、他の人々のことを覚え祈ること等です。「肉によって汚れた下着」は今では意味不明です。24節以下は当時の礼拝での「祝祷定文」の一つでしょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 横浜ニューライフバプテスト教会。神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎南3-18-39にあります。割と若い人が多いのじゃないかなぁと思います。祈りの課題は以下です。①イスラエルと国々の一致。②天城山荘の再建。③牧師スタッフ招聘。④神学生&卒業演習。⑤家族の救い。牧師・田坂 元彦
7月4日~7月10日 特別版
7月 4日(月) 聖書:詩編 118編22節 「退けた石が隅の親石となった」
教会の祈り:礼拝奉仕者の方々を覚えて(司式、宣教、奏楽、受付、生花、プロジェクター作成・投影、配信担当者、週報等作成・印刷等) 今日の祈り:洋光台教会(横浜市磯子区)。①隣人と共に生きる教会として。②福音に生きる群れとして。③CSが、より祝されるように。 牧師:萩原
永子。
7月 5日(火) 聖書:コロサイ書1章20節 「ただ御子によって和解させられました」
教会の祈り:信徒委員会の働き。 今日の祈り:鎌倉台伝道所(鎌倉市大船)。①早くコロナが、収束するように。②高齢者の健康が守られますように。③与えられた信仰生活を生かすように。 牧師:岡坂
建史。
7月 6日(水) 聖書:ルカ福音書 6章37節 「人を裁かなければ」
今日の祈り:横浜戸塚教会(横浜市戸塚区)。①信仰決心・バプテスマ決心者が与えられるように。②教会員としてコミットする人がさらに起こされるように。③内田泰亮協力牧師の働きを覚えて。
牧師:堀野浩嗣、協力牧師:内田泰亮
7月 7日(木) 聖書:ヨハネ福音書 13章35節 「互いに愛し合うならば」
教会の祈り:M・Mさんのお誕生日おめでとうございます。 今日の祈り:横浜大和町教会(横浜市中央区)。①求道中の方に信仰が与えられますように。②教会員の霊的・肉体的な健康が守られますように。③地域の伝道のために用いられますように。 牧師:鉄井
三千夫。
7月 8日(金) 聖書:Ⅱペトロ書 3章18節 「イエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい」 今日の祈り:日野神明伝道所(東京都日野市)。①求道者がバプテスマの恵みに与る。②子ども礼拝を通して信仰継承。③地域伝道を通して人々との関係構築。 責任者:三木
朋実。
7月 9日(土) 聖書:フィリピ書 3章20節 「わたしたちの本国は天にあります」
今日の祈り:青葉教会(横浜市青葉区)。①教会メンバー同士の交わりの充実。②家族伝道の祝福。③教会経済の守り。 牧師:三宅 真嗣、副牧師:三宅
友子。
7月10日(日) 聖書:エフェソ書 2章14~22節 「かなめ石はキリスト」
今日の祈り:横浜JOY教会(横浜市旭区)。①教会員の健康、霊性のために。②会堂に集えない方々のために。③教会の働きのために。 牧師:坂西 恵悟、名誉牧師:石田
政美、教会主事:澤田 猛
7/3 エフェソの信徒への手紙 1章1-14節 「私共への手紙として受け取る」
紀元1世紀の初期教会は「手紙」が重要な伝達手段で、リモート等ありません。加えて人の往来ですが、コロナの今も昔も制限があります。ネットでも「手紙」は丁寧に書き読みしたいです。4節の「天地創造の前…」の言葉はキリストが天地創造の前から神と共にあったことを告白しています。「聖なる者、汚れのない者」とするのは人間の努力ではなく、ただ神の意思によるものです。人間自身は自らを「聖」とできませんし、人間が「これは聖なるもの」と決めることは、人間が神となることです。「聖霊」が保証、とは解り難いですが、「私たちと共にいる」ことにおいて約束の実現です。7節の「血によって贖われ」は「主イエスの死によって」であり「血」が人の罪を贖う(あがなう・買い取るの意味から赦しの意味)のではありません。「血」はキリストの死を象徴しています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 港南めぐみキリスト教会。神奈川県横浜市港南区日野南5-33-21にあります。昔、福田雅祥牧師(現在は函館美原教会牧師)がおられた時に一度伺いました。その時はまだ新しい会堂で、住宅地の中ですが、すぐ近くには国道1号線が走るところでした。祈りの課題は以下です。①教会員の高齢化に対応できるように。②ホームページやブログによる宣教への導き。③求道者がバプテスマに至るように。牧師・古家良子、古家克務
7/2 Ⅰペトロの手紙 3章13-22節 「注意して読むべき言葉」
13節の「善いことに熱心であるなら…」は楽観的に聞こえます。この場合は「教会内」とか、ある程度、同じ方向を向いている人々の中での論です。20節のノアの箱舟と救われなかった人々への言及は、キリストが「陰府(よみ 死者の世界)」に下ったということと整合性がなく、言葉足らずですが、「キリストの復活によって(現在の)あなたがたがをも救う」との言葉はその不足を補っています。「バプテスマ」は「肉の汚れを取り除くのではなく…」は正論です。バプテスマという儀式は信仰告白が先立ち、新しい命に生きていくことを示す象徴的なものであり、儀式や水が人を救うのではありません。22節の「権威や勢力」は「世の権威」ではなく「神の権威、勢力」です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 横須賀長沢キリスト教会。神奈川県横須賀市長沢1-31-1にあります。この教会もまだ行ったことはありませんが、「ヨコスカ」のイメージは歌等で強いですね。どんな街なんでしょう。祈りの課題は以下です。①コロナが収束しますように。②信仰と健康が守られるように。③礼拝と宣教活動が守られるように。牧師・大須賀 真人、大須賀 綾子
7/1 ヘブライ書10章19-25節 「『清められる』ということ」
ヘブライ書はユダヤ人キリスト者が対象読者で、旧約の表象を用い、旧約の偉人を模範と示したり、旧約の民を反面教師として提示します。22節の「清められ」等の「きよめ」と「けがれ」は多くの宗教や人種が持つ共通の認識で、人間が生きるとは罪を犯し続けると意識されます。キリスト教の場合、それは一方的な主の赦しに根拠を置き、一度バプテスマを受けたらすべてオッケーなのではなく、日々、罪を犯さざるを得ない自分を認め、日々、御言葉と主への祈り、悔改めをもって歩むことが大事です。25節の「かの日」は終末の日ですが、それを決めるのは主のみです。我らは日々励まし合い、今日の命を赦され生きる者として神の御心に沿うように生きるのです。今日はK・Tさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 藤沢バプテスト教会。神奈川県藤沢市本鵠沼5-10-29にあります。先日、この教会の牧師として就任された伊藤牧師の就任式があり、リモートで参加させていただきました。伊藤牧師のお母様、真知子さんはフェリス女学院短期大学音楽科を卒業、その後、東京バプテスト神学校で学び、米国バージニア州プロヴィデンス・バプテスト教会日本語部協力牧師、越谷伝道所(現在はありません)、町田伝道所牧師を歴任されました。連盟の音楽関係の働きでご一緒させていただいた先生です。しかし、2018年5月乳癌ステージ4を告知され、闘病生活に、昨年2月には夫が自転車事故で頸椎損傷し、夫婦二人で介護生活になりました。夫は150日入院、その間、詩編を一編ずつメールで送ったのですが、それが所属教会の方々の助けを得て本になり、出版されました。「今日も生かされて~詩編の贈り物~一日一編」という冊子です。当教会に伊藤真知子先生のご厚意で15冊程ありますので、ご希望される方には差し上げます。話はお母様のことになりましたが、藤沢バプテスト教会の祈りの課題は以下です。①伝道開始60周年感謝と今後の伝道。②若い世代と高齢信徒のために。③湘南藤沢の地の開かれた教会に。牧師・伊藤 真嗣
6/30 ヨハネ福音書15章11-17節 「愛され、愛するために」
今日の箇所は13章からの主イエスが「愛し抜かれた」、「洗足」に続く宣教なので、全体を読むことを勧めます。12節の「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」との「大きな愛」は主イエスのみができることです。Ⅰコリント13章参照。主は誰もが生きることを望んでいますし、人が誰かのために死ななければならない状況を社会は決して作り出してはいけません。犠牲者を生み出す社会、教会はすでに神の国にふさわしくないのです。14節の「わたしの命じること」は13章14節以下、34節以下を示します。16節の「わたしがあなたがたを選んだ」、人間は自分が選んだから、自分が捨てることもできると思います。でもその選びは罪ある者、不信人な者を選ぶ主の愛に由るのです。今日、手術される敬愛するIさん、そしてご家族を覚えて祈ります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟引退教役者を覚えて。副田一郎氏(千葉県在住、NPOホームレス自立支援ガンバの会理事長)、高橋恒雄氏(東京都在住)
6/29 詩編5編 「完全でないゆえに礼拝するのです」
2節「つぶやきを聞き分けてください」とは、私共が主に不満や不公平、悩み、苦しみを訴えます。しかしその不満や苦しみが正しい訴えなのか、本来や自分の責任や思い込みでないのかと主との対話の中で示されるのです。詩人は礼拝します。しかし、常に神の前に正しく生きられるか不安を持っています。正しく生きようとしても、自分を「陥れよう」とする人々との関係の中で自由ではなく、揺らぎます。誰もが知ってか、知らずにか、神の意思に反する、悪に加担する可能性を持つのです。そのような我らであることを知るからこそ、礼拝が大事なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> ■学校法人「西南学院」。①西南学院が、神さまのみ旨に沿って教会の使命を全うし、平和を尊ぶ人を育むことができますように。 学院長・今井尚生 ■西南学院大学神学部/専攻科/大学院。①平和の神の国を求める神学教育。②教会に仕える働き手を求めて。③「新しい皮袋」となれるように。神学部長・濱野道雄 「西南学院」は福岡市にあるバプテストの精神で建てられたミッションスクールです。保育園・幼稚園、小学校・中学校・高等学校・大学・大学院等数万人の学生が学んでいます。特に大学の「神学部」並びに「神学部大学院」は日本バプテスト連盟の教派神学校として、牧師・伝道者の養成機関の働きをしています。私も西南学院大学神学部で学びました。娘たちは西南学院の保育園で育ちました。
6/28 詩編104編 「創造主に生かされる我ら」
詩人が主をたたえる、つまり礼拝します。それは主の創造の業を観察し、圧倒されたから。15節の「パン」を思う時、パンの背後に創造主、太陽、風、雨、農業者の働き、穀物の輸送者、パンを作る人の手が想起されます。その一つでも失われてはパンができませんし、それらの関わりを失わせるのは主の御心ではありません。20節の「レビヤタン」は多分想像上の海獣で「龍」のようなもの。29節は神が息を与えられることにより人や動物は生き、息吹を取り去れる時は死を意味します。生きていても神の息吹を求めない限り、人は死んだような存在です。そして、命与えられた者は主を讃美しつつ歩みます。「主に逆らう者」とは主の創造の業を破壊する者です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟「神学教育に関する委員会」。①神学生の学びのために。②バプテスト教会の形成に仕える三神学校・宣研・連盟の良き協働のために。委員長・中田 義直(連盟常務理事・所沢教会協力牧師)
6/27 Ⅱコリント2章1-6節 「人間関係が崩れた時」
悲しみに暮れるパウロ、それはコリント教会で起こり、起こっている出来事のゆえ。パウロは教会の人々に傷つけられ、侮辱され、中傷されました。それは容姿や話、使徒職への疑問にもなり、更に教会に分派争いが起きているのです。ゆえにコリント訪問の延期を決め、涙を流しながら手紙を記しました。会って解決する問題もあれば、会うことによって憎しみや怒りが倍増する事があるのもパウロは知っております。多くは一方的な誤解ですが、「怒り燃える」人々の前に行く危険を避け、「時間」の中で手紙を通して理解できるように考えたのです。問題解決にはいくつもの道があることを覚えます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「監事」。①新規程で機構改革が整えられるために理事会と各理事の働きを覚えて。②協力伝道の業が進められるように。監事・小河義伸(主任・八王子めじろ台教会牧師)、加藤英治(四日市教会牧師)、廣島 尚(浦和教会牧師)、森 恭子(高崎教会員)。
6/26 コロサイ書4章2-6節 「閉ざされた門が開かれるために」
「キリストの秘められた計画」は、「キリストの奥義」「キリストの良い知らせ」等訳されます。「キリストの福音」で良いのですが、「門が開かれる」との言葉やパウロが鎖でつながれ閉じられている、との言葉と対照され、秘められたものは明らかにされる神の現実を想起しているのです。そして「計画」はパウロ自身の歩みに留まらず、世界中に福音が、主による救いが達成されることです。そのためには協力・協働する祈りが必要ですし、それは今も要請されています。「時を用い」「人々との関わりは知恵を用い」と勧めます。「時が良くても、悪くても」必ずそこに道は開きます。知恵は、猪突猛進ではなく、対話によって導かれます。さて、今日から日本バプテスト連盟 全国壮年会連合が行なっている「神学校週間」です。私ども、日本バプテスト連盟には教派神学校として「西南学院大学神学部」、連合立神学校(夜間・通信)として「東京バプテスト神学校」、「九州バプテスト神学校」があります。いずれの神学校でも入学者が減少し、このままでは10年後に、牧師が不足すると思われます。牧師を志す人が与えられること、神学校への入学者が与えられますようにお祈りください。また、献金は主に神学生の奨学金として用いられています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東京地方バプテスト教会連合。(49教会、5伝道所)。①加盟教会伝道所の祈りの課題共有。②TBA(東京連合)宣教センタープロジェクトの充実。③全国壮年大会(東京)の準備支援。 会長・篠 松次郎(常盤台教会員)
6/25 ローマ書12章9-21節 「人間としての規範」
今日の箇所、12節は当教会の本年度(2022年度)聖句ですよ。覚えてくださったでしょうか。13節の「聖なる者」は伝道者等専ら教会に仕える「教役者」のこと。どの時代でも「儲けよう」と思う教役者は立ち続けられません。16節の「身分の低い人々と交わりなさい」は上から目線に思えますね。当時の社会にそのような身分や格差があり、奴隷もいました。そのような社会からパウロは完全に自由ではありません。しかし、当時の「交流してはならない」という意識からは脱しようとする言葉です。互いに愛し、相手を優れた者と思え、迫害者のために祈ること、復讐はしない、うぬぼれるな、敵が飢えていたら食べさせよ、平和をつくれ、等の言葉に主イエスの思いが響きます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 湘南台バプテスト教会。神奈川県藤沢市湘南台1-11-8にあります。教会はビルだということです。祈りの課題は以下です。①土地購入新会堂建築のために。②学習支援活動等地域の方々と共に。③次世代の働き人育成のために。牧師・坂元 俊郎
6/24 マタイ福音書5章13-20節 「『地の塩』、『世の光』」
ここの「塩」は死海等産出の岩塩。放っておれば、塩分は溶け出し、使いものになりません。でもここでは「あなたがた」が「地の塩」。ここをある人が「だから自分は人にしょっぱい言葉を言うのだ」と多少自慢気に話しておられ、「違う」と思ったことがあります。本来は塩で味付けされ、人が喜ぶものとなるように、世界を整え、喜ぶ働きです。「光」は隠しません。光は見えない世界を照らし、識別させ、すべてを可視化させ、真実を見て人が行動するため。もし、暗い世界で苦しみ悩む人がいるなら、その人々が明るい世界で顔を輝かせるように行動を引き起こすのが「光=良い行い」です。さらに「神の光」はあなたの暗い心の隅にも恵みの光を与えるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 逗子第一バプテスト教会。神奈川県逗子市3-3-13にあります。「逗子」ってよく聞きます。一度行ってみたい地です。この教会の杉野牧師は、公立学校の教員をされていました、たしか、社会科だったかなぁ?途中で仕事を辞め、西南学院大学神学部で学んでおられる時、私が当時赴任していた福岡有田バプテスト教会の祈祷会(日曜は北九州市の教会に行かれていた)に参加してくださいました。祈りの課題は以下です。①年間標語「キリストに根ざして成長しよう」。②教会の将来展望が開かれるように。③主の平和の実現。牧師・杉野 省治
6/23 コヘレトの言葉3章1-15節 「時を間違える我ら」
「コヘレト」とは「伝道者や集会」の意。ここに「様々な時」が記されます。神が定め(願う)時と、私共の「時」がずれたり、タイミングが悪かったり、急ぎすぎたり、遅すぎたり…。時を見極めるのは難しいゆえ、われらは「感情的」でも「打算的」でもなく、神の思いを探し、時を見極めて行動することです。ただし、「生まれる時、死ぬ時」は人間が決められない、決めてはいけないこともあります。また「黙する時」にわめき語り、「語るべき時」に逃げてします我らの姿も思い起すのではないでしょうか。「行動(語ることを含め)」の前に祈る時を持つことができるのがキリスト者です。「永遠を思う心」とは「永遠なる神を思う心」。そして時を誤り、追いやられても神が尋ね求めます。今日は「命どぅ宝」の日を覚えて祈ります。「命どぅ宝」の日について記します。
◆琉球の島々は、数百年の間、アジア諸国と貿易を行いながら平和に栄えた国でした。◆しかし1879年、日本は琉球王国を併合(琉球処分)。同化政策を行い、琉球の文化や言語を止めさせました。◆琉球王国の尚泰王が追放された時、彼が残したのが「命どぅ宝」という言葉。◆「お金やどんな所有物よりも大事なものは命である。失うと、二度と手に入らない」という意味。◆沖縄戦は、太平洋戦争末期に米軍を主体とする連合軍と日本軍との間で行われた戦いでした。◆1945年3月26日の上陸から始まり主要な戦闘は沖縄本島で行われ、約3カ月に及ぶ激しい地上戦が行われました。◆兵士のみならず一般人まで全体で20万人を超える死者が出て、県民の4人に1人、約12万人が亡くなったとされます。◆中には人々が逃れていたガマ(洞穴)で「集団自決」を迫られ、行われた悲惨な場所も多くありました。◆平和祈念公園の「平和の礎(いしじ)」には沖縄戦で命を落とした台湾や朝鮮半島など旧植民地出身者や、米英兵らの名前も刻まれています。◆6月23日は、日本軍の組織的な戦闘が終わった日とされ、沖縄県はこの日を「慰霊の日」と定めて休日にし、毎年、糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園で追悼式が行われています。この日は「命どう宝の日」とも呼ばれています。(献)
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 平塚バプテスト教会。神奈川県平塚市豊原町4-5にあります。建物はコロニアルスタイルです。特にコロナの中、「子ども食堂」等を積極的に行なっています。祈りの課題は以下です。①こどもを大切にする教会の実現。②こひつじ食堂を通じた地域協働の活性化。③共食の運動が広がるように。牧師・平野 健治
6/22 Ⅱコリント書2章12-17節 「キリストを知る知識の香り」
Ⅱコリント書は五つの手紙の集合体で、五文書が編集されて今の形になったと推定されます。13節は7章5節につながり、そこを読めば「合点」と思いましょう。14節は中心的な文書の始まりです。「キリストを知る知識の香り」、「香り」は見えないけど感じるもの。ある人の香りを印象的に覚えていて、再びその香りに出会った時、色々な思いが交差します。「キリストの香り」はきっと「信仰を思い起こさせ、その香りに再び包まれたいと感じるもの」でしょう。「香り」は旧約で献げ物を焼く香りが天に届き、その香りを神が喜ばれた」という表現もあります。「香り」を売り物にしない、誠実な歩みにキリストの香りが漂うのです。あなたはどんな香りでしょう?
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 座間・バプテストキリスト伝道所。神奈川県座間市入谷東3丁目42-10にあります。1976年から開始された教会で、伝道所なので母教会である「日本バプテスト相模中央キリスト教会」のもとにあります。行ったことのない教会です。最初は座間バプテスト教会の日本人集会から始まり、現在の内藤牧師は1991年からです。祈りの課題は以下です。①礼拝出席者が増し加えられますように。②礼拝出席者の健康が守られますように。③奏楽者のお働きが祝されますように。牧師・内藤 玲緒奈
6/21 ローマ書15章22-33節 「祈りの友になってください」
ローマ書はパウロが計画しているイズパニア(スペイン)伝道の途中でローマ教会に立ち寄り、そこで今後の伝道に対する話し合いを願い、パウロの信仰を表明しているものです。ただし、その前にエルサレム教会に行き、話し合う課題と異邦教会からの献金を届けるのですが、それが受け取られるかどうかは簡単ではありませんので、その不安も記します。30節は「聖霊が導く愛の働きによって」、「祈りの友」になってほしいと願っています。祈りの内容は、敵対者からの守り、エルサレム訪問の祝福、ローマ教会での豊かな交わりのことです。この祈りは形や対象を変えて今も祈っている事柄ですね。そして「平和の源」。神がおられるところにこそ平和があふれ、流れます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト相模中央キリスト教会。神奈川県大和市中央林間4-245-6にあります。昔、旧会堂のときに訪れたことがあります。今は立派な会堂が立ち、パイプオルガンも設置されています。なので、一度その音を聞きたいと願っています。この教会には音楽主事(音楽牧師)がおられます。私も日頃お世話になっている江原先生は日本バプテスト連盟の「教会音楽室」の室長をされています。ズームを使った「教会カフェ」や「新生賛美歌研修会」などを行なってくださっています。また吉田牧師は連盟の副理事長として現在、連盟の機構改革の働きをたくさんなしてくださっております。教会も多忙でしょうが、副理事長の働きも大変だと思いますが、ご健康が守られますように。祈りの課題は以下です。①世界の平和、コロナ危機の終息を願い、「み言葉による信仰と希望をもって、つながり歩む」(2022年度主題)。牧師・吉田 真司、音楽主事・江原美歌子
6/20 Ⅱコリント書1章3-11節 「『慰め』と『希望』のリング」
Ⅱコリント書の冒頭は筆者と宛先が記され、3節で主をほめたたえ、4節からは「慰めのリング」が語られます。苦難に際し、神が我らを慰め、その慰めはあらゆる苦難にある人々を慰める力となり、そこに生まれる希望は我らに希望を与え、礼拝へ向かうのです。それこそ「苦しみと慰めを共にする主の在り方」の実現。どうか、お一人で苦しむのではなく、我らは共に苦しみたいと願います。我らの苦しみはあなたには不十分に思えるかもしれませんが、主のみがその道を確かな希望に変えてくださるでしょう。パウロは自分の体験を語り、自分の力に依らず、神に頼むことを知ります。そして、共に祈ってくれることを要請します。祈りの要請こそ主にある交わりの恵みです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 綾瀬小園キリスト教会。神奈川県綾瀬市小園南2-18-6にあります。ここもまだ行ったことのない教会ですが、この教会の牧師さんのFacebookを見ると、色々珍しいお菓子や食べ物が紹介されています。祈りの課題は以下です。①新来者・求道者が与えられるようひ。②一人ひとりが守られますように。③経済的必要が満たされるように。牧師・岩瀬 礼
6/19 コロサイ書3章5-17節 「新しい人として生きる」
大変厳しい言葉で迫ってきます。「不潔、情欲、悪い欲望、貪欲」等の言葉は現代ではもう少し柔らかい言葉で語りかけないと理解される前に反発や拒否にあいます。より伝えるべきは十二節以下です。この言葉を結婚式で読むこともありますが、まさに様々な人間関係に生きる中での至極の目標です。それらの実行は簡単でないので、祈りつつ、神さまと教会の励ましの中で取り組んでいきたいものです。「平和」の言及は、「平和」をすぐに壊し、壊される我らだから。自分と他者との平和を維持するためには、キリストの言葉を常に宿らせ、教え合い、学び合い、讃美歌を心から歌い礼拝する歩みしかありません。「主が赦したように…」「愛はすべてを完成する絆」、今日の宝の言葉です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> ふじみキリスト教会。神奈川県平塚市真田4丁目26-8にあります。まだ行ったことのない教会ですが、犬塚計契牧師とは、昔、全国小羊会キャンプ等でご一緒にお働きをさせていただきました。ある年の「全国小羊会キャンプ」で朝の礼拝のとき、「犬」の着ぐるみを着て登場したときは感動いたしました。今年の全国少年少女大会の講師をされます。祈りの課題は以下です。①置かれた地域でふさわしい礼拝を、集められた礼拝者と心を込めて続けられますように。牧師・犬塚
契、協力牧師・犬塚 修、草島 豊
6/18 コロサイ書3章1-11節 「神の内に包まれ守られて」
コロサイ書2章6~7節にあるように「キリストと結ばれ、キリストに根を下ろして造り上げられる生活」が具体的に記されています。もちろん「具体的」なことは当時の文化や社会の中での「具体」なので、その点は今の時代状況から読み替えていく必要があります。そして今日の3章。「上にあるもの」とは「神と神の支配」を示します。3節の「あなたがたは死んだ」はバプテスマを受けることで、古い自分が死に、主と共に新しい命を頂いていくことです。「あなたがたの命は…隠されている」というのは「包まれている」という言い方や翻訳が良いです。あなたの命は今や神の愛の中に守られており、キリストが再びこの世界に来られる時、その包みも解かれるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大秦野バプテスト教会。神奈川県秦野市ひばりが丘1-15にあります。この教会の日高各牧師は、かつて連盟派遣宣教師としてタイで活動されていました。日高嘉彦牧師は、タイの神学校でへブル語等を教えたり、「タイ-へブル語辞書」を作成された方です。秦野市は行ったことがないのですが「ひばりが丘」の名前から自然も豊かな場所かなと思います。祈りの課題は以下です。①高齢者・病床者の健康の守り。②おやこ広場の子どもたちの喜び。③礼拝を通しての伝道。牧師・日高
龍子、協力牧師・日高 嘉彦
6/17 Ⅰコリント書13章1-13節 「我らが求める最高の道」
キリスト者に与えられている様々な働きが神の恵みの賜物(ギフト)として挙げられ、13章でそれらを超え、すべての人が求める「最高の道」が示されています。第一は「愛」。「誇ろうとしてわが身を死に引き渡す」は「殉教」のことが頭にあるのかもしれませんが、「殉教」してはいけません。「生きる」ことを主は求めています。ここで「どら」や「シンバル」という楽器が登場し、私はどちらも持っていて、「愛のある音」と「愛のない音」を実演できます。聞きたい方はお申し出ください。そして、愛の在り方が語られます。ここはチェックシートとして、自らを確認してほしいものです。「信仰」「希望」「愛」という神の恵みと導きを我らの中心におきましょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 松本蟻ケ崎キリスト教会。長野県松本市蟻ケ崎6-4-3にあります。1959年に生まれた歴史ある教会です。松本市の文教地区にあります。川井牧師もご高齢になられ、次の牧師を教会は祈っております。一方で、今、牧師を目指す方が大変減っているのは大変なこと。日本バプテスト連盟関係でも「西南学院大学神学部」へ入学する方は2~3名レベルですし、夜間や通信の「東京バプテスト神学校」や「九州バプテスト神学校」も入学者の獲得が難しいのです。ぜひ、牧師の道を考える人が興されますように。でもまずは教会に行ってください。祈りの課題は以下です。①次期牧師が主に導かれるように。②青少年への宣教が道開かれるように。③音楽指導者が興され賛美の群れに。牧師・川井 高雄
6/16 ガラテヤ書5章16-26節 「聖霊が結ぶ果実」
「肉と霊」。「肉」とは人間の考え方であり、特に「霊」(神の思い)と対置されます。すべて人間の考えが悪いのではなく、人間の思いや行動の中で憂慮すべきことを取り上げます。人間の考え、肉の思いの中でも霊の思いと対立するのが十九節で具体的に示されています。「酒宴」は羽目を外した宴会。「酒宴」を利用してハラスメント等が行われたのは昔も今も同じ。何より「霊の結ぶ実」、つまり、神さまが導き与えて下さる果実が22節に列挙されていますし、そこにおいて、神が望むこと、人間が目指す歩みが示されます。「肉を欲情や欲望もろとも十字架につけた」と自分は簡単に言えないですね。私共はそれらを「引きずって」しか歩めないし、そこで主の導きを求めるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大和愛宣教伝道所。神奈川県大和市大和東1-4-7 栄光堂ビル3階にあります。14日にお祈りした「松本福音村バプテスト教会」の伝道所です。祈りの課題は以下です。①主日学校教育の正常化のために。②下半期からはじまる開拓伝道計画。③新しい伝道方策のために。牧師・李 東柱、主事・郭 淑
6/15 ガラテヤ書3章26-29節 「神に大事に創られた命」
「信仰により」、ここは主語が二つ必要。「キリストが私を愛し、赦し、神の子としてくださる真理」と「私の救い主としてイエス・キリストを信ずる」ことです。その二つが結ばれる状況(呼び掛けと応答)が「信仰」なのです。「キリストを着る」表現は面白いですね。でも「脱ぐ」自由と選択もあります。脱いで、再び着ることもありましょう。「一生信じ続けなければ駄目だ」と私は申しません。さらに「ユダヤ人もギリシャ人もなく…」と語られます。国籍や皮膚の色、社会的に作られた地位、性別、それらを用いて人間は人を差別し、支配する構造をつくりました。多くは人の選択ではありません。あるのは神の創られた人間。すべてに等しい価値があります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 相模原希望伝道所。神奈川県相模原市中央区相模原2-3-16 山崎ビルA-202にあります。「伝道所」といっても活動は「教会」とほとんど変わりありません。昨日お祈りした「松本福音村バプテスト教会」の伝道所です。祈りの課題は以下です。①希望を与える教会になりますように。②信徒の信仰成長と養育のために。③主の望みが私の望みとなりますように。牧師・李 在浩
6/14 エフェソ書2章14-24節 「共に学び育つために」
キリスト教信仰は「罪深い、ありのままの自分」が受け入れられている認識から始まりますが、同時に歩みの中で信仰が育てられることが大事です。学びと祈りを深めていくことは、自らの人生を深く学ぶことになります。中途半端な、聞きかじった教えを振り回す人もいますが、それが真理なのか、違うのか見分けることが大事ですし、見分けるためにも信仰がみ言葉によって育てられる必要があるのです。また、成長は自分一人のことではなく「体」、つまり、キリストの体である教会の働きを造っていくこと、これが大事。教会、そして更なる拡がりとしての世界は結ばれ、共に成長するべきなのです。24節の「正しい清い生活」は「清貧」とか「禁酒禁煙冗談も言わない」人のようなことではなく(まぁ、禁酒禁煙は健康のためによいということですが)、キリストを土台とした歩みや言葉で、表面的な姿ではありません。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 松本福音村バプテスト教会。長野県松本市大手5-6-3にあります。「福音村」という村や住所ではありません。韓国から来られた牧師さんが中心に始まったと思います。祈りの課題は以下です。①家庭集会に大きな恵みがありますように。②聖書勉強会の活性化のために。③回転資金の返済が月々うまくできるように。牧師・黄 基英
6/13 コロサイ書2章6-19節 「宗教でない『霊的』なもの」
コロサイ書の成立は紀元60年代前半と推定されます。当時、教会にパウロが伝えた福音とは異なる教えを伝える人々がいて、その影響を排除することが必要でした。出て来るのは「哲学」(すべての哲学ではない)。「祭りや新月や安息日」の「祭り」は神殿等の宗教行事、「新月」は「星占い」(占星術)で人間の行動を誘導するもの、「安息日」はユダヤ律法を守れというもの、「天使礼拝」は「○○天使」を守護神とするようなもの。「宗教ではない『霊的』なもの」はどの時代も人の心を動かします。人間の「不安」「心配」の解決策として体系化・組織的された宗教を嫌い、特別なものを求める人の心理を突くのです。16節の「批評されてはなりません」は「さばかれてはならない」こと。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 山梨バプテスト教会。甲府市朝日5-13-12にあります。アクセスはJR甲府駅より車で約5分
(駐車場あり)※教会前の道は東→西方向への一方通行ですのでご注意下さい。山梨交通バス「朝日5丁目」バス停より徒歩2分 、とのこと。甲府駅から歩いてもいける距離で季節の良い時は歩いていくと健康にもよいと思います。おすすめのパターンは、日曜、山梨駅より歩いて教会に行って礼拝等に参加。今は昼食がないので、お弁当を持っていくか、我慢する。そして教会からすぐの「喜久乃湯温泉」でゆっくり過ごします。本当は冷泉ですが温めています。1926年創業の歴史ある銭湯です。太宰治も通ったという名湯は源泉掛け流し。カランもシャワーも全て源泉のお湯を使用しています。その後下り道なので、ゆっくりと甲府駅に向かいつつ、甲府市の名物のひとつ、焼き鳥やモツ煮、お蕎麦などを食べておうちに帰ります。佐藤牧師は、一見「怖い人」と感じるかもしれませんが、実は小心で、毎日「ファンタジー」を読んで涙しているといわれていますので、ご安心ください。現在は教会を学生さんの「勉強室」として解放しておられるようです。祈りの課題は以下です。①コロナが収束し、多くの人と会堂に集まって礼拝できるように。また、新来者が与えられるように。牧師・佐藤
浩
6/12 使徒言行録28章17-31節 「終わらない神の働き」
使徒言行録の終頁。ローマに着いたパウロは裁判されますが、証拠文書も整ってません。問題はユダヤ人のキリスト教やパウロに対する誤解であり、そのためにパウロは日々宣教します。ある人は受け入れ、ある人は信じません。この正直さが好きです。引用されているイザヤ書については九9日分を参照。31節はローマで語り続けられた、で終わります。なぜならここにおいてルカの著作目的は達成したので。しかし、現実には続きがあります。ルカもテオフィロも、私もパウロがローマで殉教したことを知っています。でも「神の働きは終わっていない」のです。パウロが受けた何千倍もの苦難を教会は与えられます。でもなお、「主の働き」は全世界と教会とあなたを通して続いているのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 富士吉田バプテスト教会。山梨県富士吉田市上吉田5-5-15にあります。この教会は富士山のふもと、そして「富士山神社」の参道に沿って立っています。広い敷地と教会堂があり、教会堂等の教会施設では教会のキャンプ等にも利用されています。ちなみに「富士急ハイランド」も近いです。私も所沢教会壮年会で伺ったことがあります。その時食べたのが「吉田うどん」。少し不思議なうどんでした。キャベツが入っていて、腰の強い麺だったと記憶しております。そろそろまた食べにいきたいなぁ。若い素敵な牧師二人です(夫婦)。祈りの課題は以下です。①主を共に礼拝し、祈り合い、地域・世界と連帯して、年主題「みんなで描こう『主にある希望』」を実現できるように。牧師・宮西 宏明・宮西 千晴
6/11 Ⅰコリント書12章1-11節 「世界を益に導く聖霊の働き」
今年はこの前の日曜、6月5日がペンテコステ(聖霊降臨祭=教会が誕生した日)でした。その折にも「聖霊」の働きを語りましたが、この箇所も「聖霊」の豊かな働きを語っています。「聖霊によらなければイエスは主と言えない」。直接会ったこともないイエスを「主」(救い主、助け主、慰め主等多様性のある表現)と告白できるなら、それは神の働きかけが必要なのです。また「霊」あるいは「聖霊」は「全体の益」となるために用いられます。それぞれ「賜物」=「神から与えられた各人の恵みによる働き」を受けています。それを主イエスの働きのため、教会の働きのために献げていくことで全体が益を受けます。そして最終的には「全体」は「全世界」を包括するものですし、その「恵み」を主は世界中の教会に与えています。本日は教会では「東日本大震災被災地」を覚えてお祈りいたします。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 三島バプテスト教会。静岡県三島市徳倉4-34-9にあります。三島は新幹線も止まります。私ども日本バプテスト連盟がもっていた研修宿泊施設「天城山荘」で総会や大会、いろいろな集会が行われたのですが、三島から「伊豆箱根鉄道駿豆線」に乗って終点「修善寺」まで行き、そこからバスにのって「天城山荘」に行っておりました。それで「三島」はよく行ったのですが、三島バプテスト教会にはまだ行ったことがありません。三島駅より車で10分、バスでの行き方もホームページを見ればよくわかります。この教会の本多牧師は長い経験を持つ方で、とても穏やかな方です。三島から伊豆箱根鉄道に乗って、次の駅ではいつも「鰻」の良い香りがするのです。ある日、こちらの「鰻」を食べました。美味しかったです!三島は「水」の町で、良い水が鰻を美味しくしているのですね。祈りの課題は以下です。①新来者の来会を祈る。②高齢者の健康と生活に主の守りを。③世界の平和とコロナの終息。牧師・本多
栄一郎
6/10 Ⅰコリント書9章1-18節 「陰口が命を奪うこともあります」
「坊主憎けりゃ袈裟(けさ)まで憎い」。何故、僧侶が憎いかと言えば、江戸幕府の「寺請制度」で寺が幕府の出先機関で汚職等があったため。パウロも陰口を言われます。伝道者として謝礼を受け、妻帯して歩いていることで陰口を叩かれたようです。そのことに対しパウロは反論いたします。現代、偽情報や悪意をもって非難する言葉が一人歩きし、時には情報被害者が生きることができなくなる報道が流れます。悲しいですね。日々、私どもの回りに流れる情報の正確さを問い、その内容は適切なのかを考えることが必要。通常の共同体では本人に直接聞き、役員会等の組織があればそこに尋ねること。そのような過程を経ない、気ままな情報発信は自由で健全な関係性を維持させません。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト静岡キリスト教会。静岡市葵区安東東2-12-39にあります。ホームページが大変充実している教会です。礼拝の様子が動画でも文章でも見ることができるし、静岡駅から教会へのバスの案内等も詳しく安心していくことができます。松坂牧師は芸人の誰かに似ているなぁ、といつも思っています。この教会では長らく幼稚園を運営しておりましたが、現在は廃園となっております。そのため駐車場は広く確保できております。駿府城の近く、落ち着いた文教地区に教会は立っています。15-6年前にお招きいただき、礼拝でのお話や教会研修会でのお話をさせていただいた思い出のある教会です。教会の近くの小さな見せで「静岡おでん」も食べました。個人的には普通のおでんが良いかなと思いますが。祈りの課題は以下です。①70周年行事(10月)のすべてが主に喜ばれるように。②礼拝に集う一人ひとりがみ言に生かされるように。③地域と共に育ち合う教会へ。 牧師・松坂 克世
6/9 イザヤ書6章1-13節 「預言者としての招き」
紀元前742年、預言者イザヤの召命(主の働きに呼ばれること)。「セラフィム」は天使のような存在。ただ聖書で常に大事なのは「姿」より「言葉」。イザヤは神の言葉を民に語るには自分は罪深く、弱い存在という認識があります。しかし、火(ここでは神の赦し、熱意、臨在の印)が唇に触れたことによって神の呼びかけに応えて生きる決意が与えられたのです。9~10節は解釈が困難な箇所のひとつ。「逆説的な頑迷預言」と言われ、なぜ、「いやされることがないように」語るのかと思うでしょう。本来は「いやされるため」だったけど、結果的に人々が悔改めなかった歴史の反映、あるいは伝承の過程での誤記。でも神の心は救いに向けられているのは間違いありません。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 清水栄光キリスト教会。静岡市清水区矢坂西町15-5にあります。住宅地の中にある教会です。この教会のホームページをのぞいてみると、駿府の切支丹のことがしるされており、以下の文章を石渡牧師が記しておりました。「牧ヶ谷の耕雲寺。静岡の街中から離れた、静かな山間にあるお寺だ。かつて、家康の家臣だった原主水(はら・もんど)は、キリシタンであることをやめなかった為、両手足の指と、足の節を切られた上、額に十字架の烙印を押されて、安倍川の川べりに捨て置かれた。そんな主水を助けて介抱したのが、耕雲寺の住職である。耕雲寺の僧侶たちによって命長らえた原主水は、不自由な体のまま江戸に出て布教し、捕えられて処刑される。耕雲寺は、悪しきキリシタンを匿った罪のゆえに廃寺。住職もまた処刑された。」。様々な思いをもってこの文書を読みました。祈りの課題は以下です。①教会員の互いの賜物を見出し、賜物を生かす教会。②教会が出会いと交わりの場として祝福されるように。③教会会計の祝福。牧師・石渡 修司
6/8 ローマ書15章1-13節 「命の根源から力を得て」
ローマ書はパウロがローマに行く前に記した手紙であり、パウロの溢れる信仰の思いが注がれています。パウロは「自分の満足を求めるのではなく、隣人の喜び」を第一としました。ここで我らは人が何のために生きるのかを教えられます。パウロの歩みに、また我らの歩みの中で我慢できないことが沢山起こります。でも怒って解決できることでもありません。その時、主と聖霊の働きによって「忍耐」することへ導き、怒りや失望の中にある時にも「慰め」(主が私の傍らにいてくださる)を与え、明日へと生きる力を注ぎます。「忍耐と慰めと希望の源」なる神は一致と礼拝へ導き、互いに受け入れる(共感と愛と祈り)世界へ誘い「喜びと平和」の道を示すのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 川根バプテスト教会。静岡県榛原郡川根本町徳山845にあります。地域では「学校法人 かわね学園 さゆり幼稚園」の方が知られているかもしれません。「川根」はかつては林業やお茶生産で栄えたところですが、現在、過疎化が進み、教会も幼稚園も大変苦労されています。ぜひ、川根周辺の方々は応援してほしいですし、教会にもぜひ行ってください。祈りの課題は以下です。①世界の平和を求める教会の祈り、主イエスが為政者たちに働きかけ、神の愛によって悔い改めさせてくださいますように‼牧師・松下 正巳
6/7 使徒言行録28章11-16節 「人生の海の嵐の中で」
冬をマルタ島で過ごし春に再出発します。「ディオスクロイ」は当時の船乗りの守護神「双子の神」、船には彫刻がついています。「プテオリ」はローマの港、。念願のローマに入りました。「兄弟たち」はその地域のキリスト者で話は尽きなかったでしょう。アッピア街道のアピイフォルムはローマから70キロ地点の町、そこから北西16キロのトレス・タベルネという町からローマ教会のメンバーが迎えにきたのです。パウロの波瀾万丈の旅は常に聖霊が導く旅であったゆえに守りの中にありましたし、何よりその旅で主は様々な人々を用いたのです。「トラベル」は「トラブル」でもあります。今、人生の旅路を振り返る時、主の導きと主にある友を備えて下さったことを感謝します。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 浜松バプテスト教会。静岡県浜松市布橋2-1-9にあります。「浜松」は楽器メーカーが多く、一度お訪ねしたい町ですが、まだ行ったことのない地です。祈りの課題は以下です。①主に仕える教会としてください。②聖霊による信仰覚醒を与えてください。③主イエスに出会う人を起こしてください。牧師・伊藤 勝彦
6/6 使徒言行録27章39-28章10節 「生かす世界と殺す世界」
パウロがローマ連行の旅は詳述されます。暴風で漂流した船は入り江を見つけ、錨も捨てて上陸を目指します。囚人が船にいたので被害を恐れて殺そうとしますが、パウロの存在で皆、助かります。人を簡単に殺すのは1世紀も21世紀も同じですね。命は虫けらのよう。二七六名が助かり、マルタ島に漂着したことがわかりました。一方、上陸した人々を温かくもてなす人々がいました。まさに人を生かす世界と人を殺す世界が同居しています。なぜ、人を殺す世界を選ぶのでしょうか?そして私共はどの世界を目指すのか?答は簡単なはずです。9節に「病人がいやされた」とあります。これは「医師の手当を受けた」の意で医師であった福音書と使徒言行録の記者ルカの医療伝道とも考えられます。今日はS・Sさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 金沢キリスト教会。石川県金沢市笠舞2-6-5にあります。数年前に新しい教会堂が建てられました。幼稚園はすでにもう20年程前に新しくされています。現在の牧師は、所沢出身の杉山望牧師です。元牧師の田口先生は「学校法人 金沢めぐみ幼稚園」の園長をされています。6月19日(日)午後はコロナでのびのびになっていた杉山望牧師の就任感謝礼拝が持たれます。祈りの課題は以下です。①カーソン&ローラ・フーシ―両フィールド・パーソネルとの協働のために。②金沢めぐみ幼稚園のために。③北陸三教会の協働・復興のために。牧師・杉山 望
5月30日~6月5日 聖書日課特別版
5月30日(月) 聖書:使徒言行録 27章39~44節 「全員無事に」
教会の祈り:礼拝奉仕者の方々を覚えて(司式、宣教、奏楽、受付、生花、プロジェクター作成・投影、配信担当者、週報等作成・印刷等) 今日の祈り:日本バプテスト連盟医療団(「日本バプテスト病院」「バプテスト老人保健施設」等・京都市)を運営。①隣人愛に基づく全人医療実践のために。②変動する医療情勢にチャレンジしていく医療団の働きの上に。 理事長:尼川
龍一、牧師・チャプレン:宮川 裕美子。
5月31日(火) 聖書:使徒言行録 28章11~16節 「ローマ到着」
今日の祈り:連盟引退教役者の方々を覚えて。杉嶋 輝静 氏(広島県在住)、杉野 榮 氏(京都府在住)。
6月1日(水) 聖書:ルカ福音書 18章31~34節 「主イエスの姿に重ねて」
教会の祈り:教会教育委員会の働き。 今日の祈り:岐阜教会(岐阜市)。①主体的な教会形成をみんなで担う。②多様性を大切にする。③周りの方々とのつながりを深める。責任者:浅野
陽子、清水 一樹、
松原 達夫
6月2日(木) 聖書:イザヤ書 6章8~10節 「預言者イザヤを通して」
教会の祈り:T・Nさん(誕生日)。 今日の祈り:各務ヶ原教会(岐阜県)。①多言語共生教会の主にある一致。②オンラインによる伝道集会のために。③礼拝における主に向かった讃美。牧師:後藤
寿
6月 3日(金) 聖書:Ⅰコリント書 9章1~12節 「キリストの福音を妨げず」
教会の祈り:M・Yさん(誕生日)。 今日の祈り:各務ヶ原教会 豊田伝道所(愛知県)。現在活動休止中です。牧師:後藤 寿
6月 4日(土) 聖書:Ⅰコリント書 12章1~3節 「聖霊によらなければ」
今日の祈り:福井教会(福井県)。①多くの人と作る新会堂建設の夢。②地域と協働の夕焼食堂・温もりカフェ。③バプテスマ決心者が与えられる。牧師:平良
憲誠
6月 5日(日) ペンテコステ(聖霊降臨祭=キリスト教会の生まれた日)
聖書:使徒言行録 28章17~31節 「聖霊は語り続ける」
今日の祈り:富山小泉町教会(富山県)。①コロナ後の新たな宣教活動のために。②疲れている方々の信仰回復のために。③み言葉を生きる教会であるように。牧師:閔
丙俊(ミン ビョンジュン)
5/28 ルカ福音書22章14-23節 「主イエスの死を覚えて」
ルカ版、最後の晩餐(主の晩餐)の様子。主イエスが「過越しの祭り」に御自分が犠牲の小羊になると語り、記念とすべく弟子達に教えます。ルカでは杯→パン→杯の順。「神の国で過越が成し遂げられる」「神の国が来るまで」は主イエスの復活の時迄と私は考えます。裂かれ分かち合われるパンは主イエスの死、そして新しい契約の血としてのぶどう酒は主イエスが流す血(=死)を意味します。席上には直後イエスを裏切るユダ、さらに弟子達は全員、主イエスとの関係を自ら断ち切る者ですが、主イエスはそのことを知りつつ、なお彼らに伝えます。その後、弟子達は誰が裏切るのか、という話から誰が一番偉いのかと論じます。それは「仕える者」と主イエスは教えるのです。そして教会でも「主の晩餐式」を行ないますが、そこで主イエス・キリストの歩みを覚え、また、従う者としての思いを新たにするのです。「主の晩餐式」は少なくとも二つの意味があります。一つは、主の歩み、主の受難を覚えながら、主に従う者として歩んでいくことを想起すること。もう一つは、主の恵みと愛を覚え、共に感謝と喜び、希望をいただくことです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「回転資金委員会」。私も経験してわかったのですが、教会や寺社等は銀行の融資が難しいことが多々あります。教会などで、昔からあるところはその土地の価値は大きいのですが、「担保」にするのは嫌がります。そのためか「回転資金」があり、低利で教会は貸付を受けることができますし、その判断や管理をするのがこの委員会になります(最終的には理事会責任ですが)。祈りの課題は以下です。①回転資金を必要とする教会の計画が整えられ、相互活用を通して伝道の喜びを分かち合えるように。委員長・二見 眞義
5/27 ルカ福音書9章10-17節 「パンを分け合う仲間」
「五千人の給食」のルカ版。「ベトサイダ」は「漁師の町」の意味でガリラヤにある町。弟子達をねぎらい、休む予定でしたが、人々は主イエスを探し求めて来たので、主イエスは御言葉を伝え、必要な人には」「癒し」を与えます。夕刻になりお腹も減ります。弟子達は集会をお開きにしましょう、と伝えます。主イエスは弟子達に「あなたがたがパンを与えよ」と言いますが、弟子達にはどう考えても無理な話。ただ、五つのパンと二匹の魚がありました。主イエスは人々をグループに分け、そして祈り、パンを裂いては弟子から人々に配ります。初代バプテストの群れは自らをカンパニー(Company)と呼びました(後にその言葉は「会社」の意味にもなりました)。それはパンを分け合う仲間。パン(御言葉・食べるパン)を分かち合う世界は神の国なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 北関東地方連合。北関東地方連合は日本バプテスト連盟に加盟している、埼玉県・茨城県・群馬県・栃木県・新潟県にある19教会と1伝道所で構成されています。距離はかなりありますが交流が盛んです。特に「牧師・主事会」が年二回行われますがほとんどの牧師や主事が参加して、研修や交流をしています。しばらくはリモートでしたが、今年度後半は共に顔を合わせて学ぶ時を祈っております。2022-23年度は私、所沢キリスト教会の坂本が会長となりました。共に地域での伝道や研修を考えていきたいと願っております。連合のホームページもあります。祈りの課題は以下ですが、これは、前会長の高崎キリスト教会牧師の森牧師が記したものです。異論ありません。①コロナ危機の中での連合の協力伝道のために。②無牧師の教会を覚えて。会長・坂本 献(所沢キリスト教会牧師)
5/26 マタイ福音書10章26-31節 「髪の毛さえ数えてくださる方」
弟子達の派遣に伴う注意を主が語っている文脈。ここで「恐れるな」という言葉が繰り返されています。「恐れ」、世で一番怖いのが「人間」。人間は都合の悪い部分は隠します。そこでどれほどの犠牲が生まれようとも。そして事実が隠蔽され辛い状況の中に生きざるを得ない方々がおられます。主は「隠されているものを明るみにせよ」と語ります。勇気が要ることですが、そこで「体は殺しても、魂を殺すことのできない者」を恐れないで、と語ります。隠蔽する社会は病的であり、権力を握っているがゆえ悪魔的です。素直に語り合える時代をつくっていきたいですね。その人間関係や社会の基礎は、ひとりひとりの命は神様が大事に創られ、愛されている存在であることです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 豊橋キリスト教会。愛知県豊橋市向山東町4-1にあります。「豊橋」は色々話を聞くのですが、まだ一度も行ったことのない土地です。有名なのは「ナザレうどん」。ナザレとはイエス・キリストの育った地方の名前です。「ナザレうどん」の家で育った人が某教会の牧師をなされています。美味しいうどんに間違いないでしょう。きっとそこには深い愛が込められていると思いますから。祈りの課題は以下です。①東三河地区での福音宣教のために。②み言葉と幻の共有、主にある一致。③教会員と求道者の平安と祝福。牧師・小林 大紀
5/25 ローマ書5章1-11節 「パウロにとっての苦難」
「苦難」は突然予期せずやってきます。原因の理解は難しく、続いている時、結末が見えないことが苦しみを増大させます。少し希望が見えてもそれは打ち消されます。苦難は、私共がいかに弱く無力な存在であることを明らかにし、私共を神に頼り、祈るように導くかもしれませんが、そう思えない時もあります。それは「あなた」自身の考え方や捉え方、結末の予測と異なる「ずれ」のゆえ。神はあなたの願い通りの結末を約束しません。でも、苦難は人によっては自分の人生を意味付け、苦難の理解が「誇り」、つまり、現在の自分を立たせ、生かしめるものと認識されます。あなたの「苦難」を教会で共に考えることができたら幸いです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト名古屋キリスト教会。名古屋市千種区今池1-6-25にあります。名古屋のセンターチャーチです。かつては「幼稚園」を行なっていましたが、今はもうありません。でも教会の幼稚園に通ったみなさんやご家族はぜひこの教会をお訪ねください。日本におけるバプテスト教会の建築スタイル「コロニアル・スタイル」を踏襲した礼拝堂ですが今後新たな建築がなされるかもしれません。「今池」は名古屋でも中心で行きやすいと思います。祈りの課題は以下です。①求道中の方が決心できますように。②病気の方々が守られますように。③教会建築ビジョンの共有のために。牧師・白石 久幸、協力牧師・池田 巍義、伝道師・西久保 健二
5/24 使徒言行録27章9-20節 「危機は忘れ得ない時となる」
船は沿岸を航行しシドンに行きます。クプロ島の島かげを航行し、ジグザクに進路をとり、ミラに入港。そこでアレキサンドリアから大量の穀物を積む、イタリアに向かう船に乗り「良き港」に到着。ユダヤ教の「断食日」とは毎年10月頃。当時、9月以降の航海は厳しく、11月には運航不能となります。「良き港」は大きな町がなかったので、パウロの助言にもかかわらずフェニクス港へ向かうのです。ところが北風の暴風により北アフリカ海岸に流され暗礁に乗る危険がありますが、太陽も星も見えず漂流状況。積荷も捨てます。詳しい記述は臨場感があります。命の危険が迫る時は一瞬一瞬、一日一日が忘れ得ない時になります。あなたにもそのような記憶があると思います。それは良い記憶なのか、それとも、二度と思い出したくない記憶なのか、それぞれでしょう。ふり返る時があれば、それはいずれにせよ、あなたの人生の学びとなっているかもしれません。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東山キリスト教会。名古屋市千種区穂波町2-50にあります。地下鉄駅を降りて、少し歩いたら着きます。鈴木牧師は福岡時代から友人で、とっても真面目な人なので、私はすぐにからかってしまいます。ドラムも少し習っていましたし、腹話術も学んでおられました。名古屋は数回行ったことがあります。「味噌煮込みうどん」は数回食べましたが、これを「美味しい」というのか否か、自分の中では結論が出ていません。うなぎの「ひつまぶし」は鈴木家でご馳走になりました。感謝です。また食べたいなぁ。あと、「きしめん」は食べましたし「スパゲッティ」も食べました。あとは「台湾ラーメン」を残しております。東山教会の祈りの課題は以下です。①60周年。み心に適った教会形成を。②教会学校再開。教会員の魂の牧会。③地域への伝道・奉仕。新会堂建築。牧師・鈴木 直哉
5/23 使徒言行録27章1-8節 「パウロを励ます人々」
パウロがローマに連行される旅はパウロの最後の伝道旅行(とは普通は言いませんが)となります。27章からは「わたしたち」との文書になります。「わたしたち」文書とそうでない文書の存在は筆者の編集がわかる点です。パウロはこの旅でも励まされることがありました。一つは皇帝直属部隊、百人隊長のユリウス。ユリウスとパウロが出会った時、優秀で長い経験者ユリウスはパウロを敬意をもって扱いました。またアリスタルコはテサロニケ教会に属するマケドニア人で新約聖書に数か所名前がでます。例えばコロサイ書4章で「わたしと一緒に捕らわれの身となっているアリスタルコ」とあります。そのような「同労者」や「賛同者」がパウロの働きを可能にしたし、それは牧師も同様です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 平針キリスト教会。名古屋市天白区向ヶ丘1-617にあります。10数年前に新しい教会堂になりました。谷綛(たにかせ)とは読みづらい字ですが、英語も堪能な方です。祈りの課題は以下です。①キリストにつながる教会として。②互いを大切にする交わりのために。③祝福を分かち合う活動のために。牧師・谷綛 安雄
5/22 使徒言行録26章19-32節 「鎖につながれながら」
聖書箇所としては今週木曜の続きでパウロのユダヤ総督の前での証言。パウロがキリストの復活を語ったところでフェストゥス総督は「お前は気がくるっている」と言います。領主アグリッパはかなり影響を受けたようです。パウロは鎖につながれていながらも、そこには主が共におられる喜びがありました。そこに集った人々は盛装し(25章)自分が最高と思う服を着ています。しかし、人は衣装ではなく、その心に何があり、何が魂の土台であるのかが問われます。人が神と共に生きる時、その姿は野の花のごとく美しいのです。結果的にパウロの無罪を確認しますが、上訴しているため、ローマへと連行されます。思わぬ形でのローマ行き。主はどう導くのでしょうか。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 瑞穂キリスト教会。名古屋市瑞穂区大喜町1-13-3にあります。この教会は35年程前、常盤台バプテスト教会の聖歌隊伝道旅行で伺った教会です。すぐ近くには商店街があり、「きしめん」を食べた記憶があります。その後、新しい教会堂が建てられましたが、最近、大規模修繕工事をしたとのこと。秋山牧師は40代?の比較的若い牧師です。祈りの課題は以下です。①子どもたち、保護者の入信のために。②大規模補修無事完了し感謝。創立60周年(2023年度)準備のために。牧師・秋山 義也
5/21 テモテへの手紙2 2章19-32節 「神の言葉も人も縛られない」
2節は多少解り辛いですね。他の訳では「なぜなら、あなたには、多くの証人の前で、私から聞いたことを、ほかの人に伝える使命があるからです。 この偉大な真理を、信頼のおける人、すなわち、自分が信じるだけでなく、人にも伝えることのできる人に教えなさい」。つまり「強い」とは、他の人の助けを得られるようにすることなのです。この時、パウロは獄中でつながれていますが、「神の言葉はつながれていない」と語ります。思い出しましょう。ナチスに捕らわれ獄中で聖書の学び会をしたボンフェッファー牧師のことを。そして、「信教の自由を守る」ことや「戦争をしない」ことは人権を守る基礎であり、人が人を縛る世界にしてはいけません。ああ、主よ、導いて下さい。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 南名古屋キリスト教会。名古屋市南区戸部町4-5-1にあります。1969年からの歴史を持つ教会で、私の印象に残っているのは、原田達夫牧師の頃、この教会は多くの牧師を生み出したということです。現在は山川親子が牧師をしておられます。祈りの課題は以下です。①教会派遣宣教師第三期の祝福。②子どもたちの礼拝生活の祝福。③家族の福音完成。牧師・山川
明美、山川 高平
5/20 ルカ福音書21章5-28節 「決して滅びない主の言葉」
「終末の徴」を主が語ります。主は「惑わされるな、戦争や暴動、地震や飢饉、疫病、それは必ず起こるが、おびえず正しく判断せよ」と言います。けれどもそのような「混乱」を利用し、いたずらに不安をあおる人々もでてくる危険も語ります。でも、我らはどんな時でも主の希望に立ち、福音に従って平和の道、いのちの道を証言するのです。そして主の約束は救いと解放なのです。また注目すべきは憎まれても戦うことではなく、暴力や軍事力に依存せず、「逃げなさい、また、身重の女性や赤ちゃんを持つ人は逃げるのに不利なので、それらの人々に安全を与えることを優先しなさい」と語っています。そして「天地(有限な世界)は滅ぶ」、しかし「主の言葉」=「救いと希望、神の平和」は滅びない、永遠です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 愛知新生キリスト教会。愛知県西春日井郡豊山町青山東栄204にあります。昨年度までは吉村知子牧師がいらっしゃいましたが、現在無牧師です。ぜひ、クリスチャンの方で今、教会につながっていない方、応援してほしいと願います。でも礼拝メッセージのYouTube配信等行なっています。ホームページを見たら、塔のようなものがあるおしゃれな教会です。祈りの課題は以下です。①新しい牧師が与えられますように。②新来者が与えられますように。③主日礼拝が守られますように。
5/19 使徒言行録26章12-18節 「罪深い人間のゆえに」
パウロは自分の消せない罪と、主との出会いを語ります。殺戮に加担した者が聞いたのは「闇へ強いられている人々に希望と命の光を与え、サタンに捕らわれている支配者を立ち帰らせ、赦しと恵みを分かち合う世界に導け」との主の願い。この願いは今、全世界が共有し、目的とするべきですし、それが「宣教」。「サタン」とは神の思い、願いに反抗し、対立する力です。断じて許せないプーチンの行動ですが、その報道を見て我々は「ひどい、動物以下」と思います。でも、日本も少なくとも百年前、東アジアを解放するとの名目で占領し、現地人を殺戮し、レイプし、子どもを殺したのです。まさに人間は罪を繰り返す存在であるからこそ、正しい倫理、福音が必要なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト四日市教会。三重県四日市市野田1-1-27にあります。三重県では唯一の日本バプテスト連盟に加盟している教会です。加藤牧師は法学を目指し学びながら、その後クリスチャンとなり牧師へと導かれました。お連れ合いの方は大学で音楽教育を学び、ピアノ等弾かれます。お嬢さんはもうずいぶん大きくなったことでしょう。ご夫妻の深い祈りを覚えます。祈りの課題は以下です。①2022年度の礼拝と働きのために。②教会の存在意義と使命が示されるように。③教会に集い関わる一人ひとりのために。牧師・加藤 英治
5/18 使徒言行録26章1-11節 「殺戮者の悔い改め」
今日はパウロがフェストゥス総督下で上訴するための取調べの様です。パウロの証言経験は幾度もありますが、内容は常に変わりありません。証言が変わるのは信頼性に欠けます。しかしパウロに真実は一つ。証言の度にパウロは苦しみつつも自らの過ちを告白しなければなりません。それはかつて熱心な律法主義者でしたが、それは誤った道であったこと、そして、キリスト者と教会を迫害し、死刑や殺戮に加担したことです。罪なき者を殺していったことを語る度にパウロは自己嫌悪と後悔があり、そのようなことを繰返さない決意と、人々にさせてはならない思いがあります。これぞ「新しい人」の歩み。間違った熱意により殺戮に加わった者に対する救いの道です。今日はN・Yさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> びわこシャロームチャペル。滋賀県守山市ふけ町300-15-5-131にあります。桶田牧師は西南学院大学神学部に同期で入学した方ですが、その時すでに年齢はかなり上でした。祈りと讃美の人です。熱心さは人一倍です。祈りの課題は以下です。①滋賀県中に主イエスキリストの福音が評判となり、主イエスの救いを大勢の方々が家受けるように、他教会と共に。牧師・桶田 紀夫
5/17 使徒言行録25章13-27節 「フェストゥス総督について」
フェリクス総督の後、フェストゥス総督に交代します。彼は2年間総督を任されますが、死亡により次の総督が立てられます。ユダヤ総督の官邸はずっとカイサリアです。「アグリッパ」はユダヤ・パレスチナの一部の地方領主で、ローマ権力によって生きることも殺されることもありました。地方領主はキリストに詳しく、パウロの再審が決まります。この時代のローマ皇帝をトップとするピラミッド構造こそ独裁政権の在り方で、上からの命令は下に向かう度、権力者の都合に合わせるし、権力がねじれて用いられ、反対者は簡単に殺されるのです。これは2千年前の話ではなく、今の世界を示しています。しかし、フェストゥスも保身第一ですし、「保身する心」が利用(悪用)されるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 須磨伝道所(ユース・ハーベスト・チャーチ)。兵庫県神戸市須磨区妙法寺トン松4-20にあります。この教会の特色は青少年にキリストの福音を伝えたいという願いから、その年齢層への伝道を大事にしていることです。どこの教会でも青少年に聖書のこと、キリストの福音のことを伝えたいと願っていますが、どうしてもポイントを青少年にのみ向けることは難しいです。そして、この青少年への教会が生まれたのは「神戸連続殺人事件」が起こったことに、深いショックを受けた谷口牧師がこの活動を始めたのです。青少年が教会に来て、聖書やイエスさまのことを知り、クリスチャンになっても、進学や就職で離れてしまう人も多いので、その点、教会を形成していく困難さがあります。ぜひ若い時に、聖書のこと、キリストのことを知ってほしいです。それはあなたの人生を深く成長させていきますから。ついでに、「妙法寺」という地名ですが、私が神戸にいたころ、神戸市私立幼稚園連盟の集まりがよくありました。幼稚園は「教会」から生まれた幼稚園もありますが、「お寺」から生まれた幼稚園も結構多いのです。「妙法寺幼稚園」の園長さんとお話をしていて「お寺と幼稚園と大変ですね」と言いますと、いや、幼稚園のある場所が「妙法寺」なのですと言われ、そうか、と思いました。祈りの課題は以下です。①小中高生の救いと信仰の成長。②大人の求道者の救いと信仰の成長。③教会員の信仰の成長。牧師・谷口
明法
5/16 使徒言行録24章24~25章12節 「フェリクス総督について」
今日の箇所の背景は先週から語っている21章の「エルサレム訪問」からの続き。パウロは結果的に二年間捕らえられました。「フェリクス総督」は紀元52~59年在位のローマのユダヤ地方総督として、治安維持等を任されています。妻の「ドルシラ」の名前が出て来るのが面白いですね。ドルシラは領主ヘロデ王(使徒12章、ヤコブを殺害、教会の迫害者)の娘です。親子で考えが同じとは言えませんが、ここでは妻を同席させることでパウロに恐怖を与えようとしたのでしょう。フェリクス自身はキリスト信仰に関心はあったようですが、むしろ妻が怖かった可能性あり。フェリクスは物事を延期する癖があります。また「金銭欲」からも不自由な捕らわれた人なのです。今日はN・MさんとS・Kさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大津バプテスト教会 新田辺伝道所。京都府京田辺市東古森85-1にあります。祈りの課題は以下です。①多くの求道者が与えられますように。②教会の経済が満たされますように。③聖霊の御臨在が礼拝に満ちるように。牧師・永藤 裕幸
5/15 使徒言行録22章30-23章11節 「口を封じる世界、対立する世界」
昨日の続き。ローマ千人隊長は真実を求め、祭司とユダヤ最高法院(議会)を開催。パウロが「神の前に良心に従って生きてきた」と語ると大祭司アナニヤ(在位45~56年)は口を打つことを命じます。真実を恐れる者は暴力で言葉を封じようとします。しかしパウロは「白く塗った壁…」と大祭司を批判します。この言葉は主イエスが律法学者等を批判した言葉(マタイ23章)と同じで、パウロは主イエスの言葉を知っていたのです。その後、パウロは議員に「死者の復活」の議論で対立するサドカイ派とファリサイ派がいるのを見て、「死者の復活の件で裁判されている」と言い、話が別問題に移り、結果、パウロは助かりました。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大津バプテスト教会。滋賀県大津市木下町9-5にあります。まだ行ったことのない教会ですが、多くの方々が集っておられます。上田牧師は神戸市の出身。大きいサイズの教会なので、地区や年齢層などにグループがあって活動されています。祈りの課題は以下ですが、「主イエスのキャラクターに似ていくように」という表現は、面白いですね。主イエスの姿、歩み、言葉にに学ぶ、等は今まで通常に言われてきた言葉ですが、少し新しい言い方です。こっちのほうが若い方々には解りやすいということなのでしょう。①一人ひとりが地の塩、世の光として用いられるように。②主イエスのキャラクターに似ていくように。③互いに愛をもって仕えていくことができるように。牧師・上田 益之
5/14 使徒言行録22章1-29節 「証しの準備をすること」
11日の続き。エルサレム教会を訪ねたパウロは騒動に遭い、ローマ軍が介入し、パウロはローマ軍千人隊長と人々の前で話を始めます。かつてキリスト教徒を迫害していたパウロがキリストに出会い、異邦人伝道へ導かれた証し。ところが、リンチされて殺されたステファノの話をした時、その行為が明らかになるのを恐れた人々はわめきます。パウロの問題を探るためにパウロをローマ軍が縛った時、パウロは自分がローマ市民であることを告げます。ローマ市民権を持つ者に軍は手を出せません。この箇所で教えられるのは「証し」(キリストとの出会い、恵みを語ること)をすること。ぜひ、あなたにしかない「証し」を語れる場を望み、また文章にすると良いですよ。15日に宣教くださる浅見祐三牧師のこともお祈りしましょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 北山バプテスト教会。京都市北区上賀茂岩ヶ垣内町37にあります。京都市の植物園の真ん前、地下鉄から上ったらすぐにある便利な教会です。若い小櫻牧師です。また、前任の牧師で、現在、関西学院大学神学部で教員をされている新約神学者の木原桂二先生も教会員としていらっしゃいます。ぜひ、京都の方々、教会の礼拝に出席し、命を創られた神さまのメッセージを聞き、そのあとは神さまが創造されたすばらしく、ユニークな植物を見て学んではいかがでしょうか。祈りの課題は以下です。①高齢者や病床にある方のために。②こどもの安全・教育成長のため。③核と原子力からの脱却のために。牧師・小櫻 信
5/13 使徒言行録1章1-11節 「聖霊の力に押し出されて」
ルカ福音書の続巻、使徒言行録は「聖霊行伝」とも言われ、主イエスが「父があなたがたに約束されたものをあなたがたに送る」(ルカ24章49節また、ヨハネ14章を参照)と約束した「聖霊」の働きによりキリスト教会の誕生と福音宣教の拡がりを伝えます。「聖霊」は神の息、神の風とも表現され、「風」は見えないけれども物体を動かすように、神の息吹が人を生かし、ヨハネ福音書にあるように、「すべてを教え、主イエスの言葉を思い起こさせる」力なのです。今日の箇所でイエスの姿は私共に全く見えなくなりました。しかし、神は見て拝む方ではなく、私共に語りかけ、私共を神様の働きのために用いようとされるのです。天を見上げ続けるのではなく、主が歩まれたこの世界に主と共に歩み出すのです。今日はH・Iさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 北白川バプテスト教会。京都市左京区北白川山ノ元町76-1にあります。昨日紹介した「日本バプテスト病院」のすぐ近くにある教会です。本来は「日本バプテスト病院」と連携した教会になってほしいのですが、現在、とても小さな規模集まりになっています(もちろん、小さいから「悪い」ことではありません。小さな集まりはじっくり聖書と向き合うことが出来ましょう)。ぜひ、日本バプテスト病院と関わりのあった方、この教会の礼拝に参加してください。祈りの課題は以下です。①教会員の健康のために。②主日礼拝が守られますように。牧師・軍司 康博
5/12 フィリピ書3章2-16節 「ソウル・サークル(命のみち)」
パウロの「ライフ・サークル」と「ソウル・サークル」が語られます。「ライフ…」は生まれや生育環境、選び取った学校や仕事、信仰等。学歴や職歴にも表現されること。もう一つが「ソウル…」。「ライフ…」では決して満たされないものがあります。学歴が優れていても、裕福な家で育っても、それが心を豊かにし、平安を与えるものとは限りません。大事なのは「魂の歩み」です。キリストが我が内におられること、かつてはキリストと教会を迫害した自分にも関わらず、主の救いにより、主の復活の恵みに生きる希望が有限な命の中に響き、パウロを立ち上がらせるのです。キリストに捕らえられ、なおキリストの歩みを求めるパウロです。真の履歴書に記されるべきのは主の救いの歩みです。今日はY・Hさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト京都教会。鴨川にそってある教会です。京都市上京区荒神口通河原町東入亀屋町122-1にあります。1951年からの伝統ある教会です。京都では「バプテスト」という名前は少し有名かもしれません。「日本バプテスト病院」というのがあり、もとは米国南部バプテスト連盟の支援によって生まれた教会があるからです。「日本バプテスト病院」には「チャプレン」という「病院付牧師」がおられ、精神的・霊的ケアを行なっています。李牧師は日本バプテスト連盟の理事会のもとにある特別委員会のひとつ「公害問題特別委員会」の委員をされています。祈りの課題は以下です。①み言葉を生きる教会として。②教会の新しい信仰告白のために。③バプテスト関連施設を覚えて。牧師・李
海勲
5/11 使徒言行録21章27-36節 「悲しい人間の姿」
誓願儀式中に騒動勃発。「トロフィモ」は異邦人で、パウロが異邦人を神殿の「異邦人の庭」を越えて連れ入れたと攻撃されます。本当はパウロを攻撃するためには何の理由でも良いのです。人を欺き、騙し、自己都合のために偽旗をつくるロシアのごとく。そしてパウロはエルサレム教会の助けもなく、引きずられ、暴力を加えられます。背景は複雑。エルサレム教会の罠、主イエスへの抵抗運動、異邦のユダヤ教会からキリスト教会に入る人がいることの怒り、あるいは政治に対する不満解消。エルサレムを管理するローマ側がは騒動が起こると罰せられるので軍隊が動きます。ローマという力の前でパウロへの暴力は止み、皮肉にもローマがパウロを助けるのです。でもそれはよくないよね。暴力の前に、できることが沢山あるはずです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 京都洛西教会。京都市中京区西ノ京馬代町16-9にあります。この教会が長く牧師をしておられた杉野榮さんは、京都におけるキリスト教の学びを長くしておられ、京都の切支丹のことなどの一人者です。切支丹が使っていた「魔境」と呼ばれる鏡(鏡を投影することで十字架等が映し出される」の再現もしておられ、私も一枚、小さいものですが。購入して持っています。祈りの課題は以下です。①霊肉共に健康で、恵まれる教会。②通常の礼拝と諸活動の回復。③伝道の実を結び、主のみ心にかなう教会。牧師・李 鎭鐵
5/10 使徒言行録21章17-26節② 「エルサレム教会が提案した取引」
昨日と同じ個所。会議で非難に続き提案がされます。それは「誓願(ナジル人の誓い)」をパウロが行うことと4人の誓願希望者の費用をパウロが負担することでした。「誓願」は30日間に亘りいろいろな儀式や修行のようなものをして、さいごには小羊を奉げたりするのです。「誓願の誓い」は多分、誓願は何かの資格を得させるもので、パウロが誓願をすることで、エルサレム教会の許可を得ていることを証明するものですが、4人分プラス自分の費用を出させます。「お前達を認めてやるから、あれをして、これだけの金を出せ」との取引です。「誓願」は福音宣教に必要のないものですが、「上から目線」とはこのこと。脅しです。しかし今でも子ども騙しのような一時的解決は多く見られます。パウロは福音のため、異邦人教会のためにその取引に応じ、耐えるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 北大阪キリスト教会。大阪府守口市大久保町2-34-14にあります。この教会の古賀牧師、「囲碁」を上手になされる方と聞いてます。そして、一本指でパソコンのキーボードを操作されるのはほぼ芸術的です。さらに驚いたのは、毎日朝3時頃起きて、活動を始められるとのこと。私には信じられません。寝るのは多分、夜8時とかなんでしょうけど。祈りの課題は以下です。①コロナ影響で休止中の子ども集会の再開。②高齢者や病の中にある方が守られますように。牧師・古賀
昭範
5/9 使徒言行録21章17-26節① 「伝統に縛られる教会」
パウロのエルサレムへの旅は、パウロ自身が予測するように、「投獄と苦難」あるいは「死」を覚悟するもの。エルサレム教会の中心である主イエスの弟子達(=使徒)との会議の核心は異邦人キリスト者の「律法問題」です。会議では儀礼的な歓迎を受け、異邦人伝道が実っている報告がされます。直後に律法問題、つまり、異邦人キリスト者に「割礼」や律法を守るように教えていないと抗議されます。この問題は以前に合議されながら、何度も出て来る課題。キリスト以前の旧約の伝統や慣習を破れない使徒達。主イエスの弟子でも難しかったのです。常にその時代で「福音」は何かを求め、福音に立つ自由を分かち合うのが主の教会。「伝統」はすべて良いとは限らないのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 南千里バプテスト教会。大阪府吹田市高野台3-10-8にあります。付近には巨大な千里ニュータウンが拡がる地域です。教会は山の上にあり、道路をずっと登っていった先に教会があります。蓮池牧師はもう大ベテランの方です。ぜひお近くの方、この教会に行ってみてください。祈りの課題は以下です。①教会近隣に住まわれる方々の救い。②クリスチャン家族の救い。③世界の平和、福音宣教への献身。
牧師・蓮池 昭雄
5/8 使徒言行録18章13-37節 「神とその恵みの言葉にゆだねて」
パウロは五旬祭(キリスト教会ではペンテコステ、旧約聖書においてはモーセが十戒をシナイ山で受けた記念日)までにエルサレムに行こうとしています。その途中でエフェソ教会の役員等を招き、証しをします。24節のパウロの決意、召命の言葉に我らも姿勢を正さずにはおれません。加えてエルサレムに行けば二度と戻ってこれない可能性を語ります。一同はこの言葉を効き悲しみがあふれます。でもパウロは語ります。「神とその恵みの言葉とにあなたがたを委ねます…」。パウロは限られた人生。でも「御言葉」は永遠で、福音は蒔かれ、育ち、人に影響を与え、広がります。信仰は人によるのではなく、神の恵みの賜物です。神の導きと御言葉の力にゆだねるパウロでした。今日は母の日。米国の教会の一信徒の祈りからはじまったものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東豊中バプテスト教会。大阪府豊中市上野東2-11-48にあります。この教会の河野牧師は1987年就任なので東豊中で長くなりました。河野牧師は、印象として、連盟総会でも、連合の総会でも必ず発言される方です。時に勘違いのような発言もありますが、時には鋭い発言もされます。総会は賛否それぞれ活発な議論がなされて、深い総会になりますので、河野牧師の言葉はとても大事なのです。また、讃美歌の作詞を心がけておられ、日本バプテスト連盟発行の「新生讃美歌」には2曲の作詞されたものが取り上げられています。397番、427番。427番は「われらの主イエスよ」と初行であり、作品名とされています。讃美歌では初行を「歌詞名」とされることが多いのですが、初行だけでみると、その作品全体の内容とは違うことも多々あります。427番は河野牧師の友に対する祈りの歌です。「われらの主イエスよ 悩める友に 変わらぬ愛の手 差し伸べたまえ われら祈りぬ 友の救いを 朝に夕べに 神を仰ぎて」。教会の祈りの課題は以下です。①礼拝・集会の継続と信徒の宣教!②礼拝の独自自治と福音宣教協力!③聖書に聴き連盟の信仰宣言に学ぶ。牧師・河野 浩
5/7 使徒言行録21章1-16節 「パウロを襲う古い律法主義」
パウロがエルサレムに向かう途中、各地で「弟子」=「クリスチャン」から「危険だから行くな」と言われます。「聖霊」と‶霊〟との二つの表現がありますが同じ神の働きです。エルサレム教会とパウロは律法を巡って初期から対立し、パウロの訴えに表面上は認めつつも絶対的反対者が指導層にいます。今回は募金を携えてきておりますが、やはり大変。エルサレムでの顛末は17節以降しばらく続きます。律法に生きてきたユダヤ主義キリスト者。自分が受けてきたことを守りたい、他者もそうすべきとの思いが深いのです。新しいぶどう酒を古い革袋に入れてしまい、破けてしまう状況がここにあります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 和歌山中央バプテスト伝道所。和歌山県和歌山市東町釘貫1-2-1にあります。昨日お祈りした「大阪中央バプテスト教会」の伝道所です。伝道所も教会とほとんど活動は同じです。まだ伺ったことのない教会です。でも「釘貫」という地名には「へぇ」と感じます。まるで主イエスが釘で十字架に釘で打ち貫かれた光景を想像しますので。祈りの課題は以下です。①聖徒たちが聖書の勉強と祈りの生活を通して霊的に成長するように。②教会の建築のため、全聖徒たちが決意献金を決めることができますように。③教会にふさわしい建物と土地が与えられますように。担任牧師・河 亨植
5/6 ローマ書15章22-29節 「感謝と喜びを土台として」
ローマ書は世界の中心地ローマの教会にイスパニア(スペイン)に行く途中でパウロが訪問することを念頭に記されました。ローマ教会で「共にいる喜びを味わう」ことが願われています。この「喜び」は本当。当教会でも他の教会に伺い、礼拝や交わりを共にすると励ましと恵みが与えられます。また、パウロはエルサレム教会に異邦人教会が喜んで献げた募金を携えていくことを語っています。「義務を果たす」という言葉が使われます。口語訳は「負債」。私なら「最初の教会への尊敬と感謝の念をもったお返し、援助」と訳します。献金や募金は義務ではなく、主の恵みに対する感謝の応答であるからです。今日はM・Sさん、M・Kさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大阪中央バプテスト教会。大阪市中央区島之内2-5-9にあります。大阪には韓国にルーツを持つ方々や韓国からおいでになった方々が割と多くおられ、主にそのような方々が集う教会ですが、もちろん、誰でも歓迎されます。ビルのような教会です。韓国語で礼拝されている思いますので、韓国に関心のある方、ぜひこの教会をお訪ねください。祈りの課題は以下です。①聖霊の力を受けイエスの証人となる。②イエスの証人となり救われる人が日々増し加えられる聖霊の共同体。牧師・威 光玉、蔡 永伊、文 連子、伝道師・崔 美敬、内藤 希代、渡辺 正
5/5/ エフェソ書2章11-22節 「平和を造るキリストの心」
昨日の続き。キリストは平和を創る方。そのために律法が廃棄されました。なぜなら律法は本来の機能を人間が用いず、「自己」ではなく「他者」を裁く道具にしたからです。そしてキリストの十字架は和解を創る方。神ご自身が人間の罪を赦すことにおいて、人間は「赦し合う」ことだけへと招かれています。相手のために命を捨て、相手の身代わりとなるような神の愛に触れ、感謝することです。「赦し」が先立つ時にもはや誰も他人の身代わり、犠牲になる必要はありません。キリストは「敵意を滅ぼす方。「敵」をつくるのは人間の「意思」である「敵意」です。どうして「敵」をつくる必要がありましょう。皆が等しく命を尊び、愛の家族として結ばれる世界が求められています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大阪旭伝道所。大阪市旭区新森4-1-5にあります。かつては「新森小路教会」がありました。現在は「平和の子保育園」となっていますが、本来は教会であり、そのことに思いがある中島牧師が礼拝を続けていました。現在、中島義和牧師は高齢で療養中のため、教会の活動は休止しています。副牧師は義和牧師の妻である中島久子牧師です。
5/4 エフェソ書2章1-10節 「わたしたちは神の作品」
エフェソ書とコロサイ書は似ている点があります。また他のパウロ書簡より後期のもの。でも記憶したい言葉が沢山でてきます。中でも今日の箇所は「キリストと共に復活させる」「信仰は恵みであり、行いに因らず神の賜物(=ギフト)」は福音の中心的内容です。10節の「キリスト・イエスにおいて造られた」は口語訳(新改訳もこれに倣い「わたしたちは神の作品であって…」が見事な訳。「作品」とする訳はそこに込められた「神の思い」にも心馳せます。美術館でも、あるいは自然の虫や動物を見る時、そのユニークさに圧倒されます。すべての人間もそれぞれ人間の評価を超えた豊かな神の作品。「善い業」とは「良い行い」より「協力して歩む」(リビングバイブル)が適切です。今日はS・Mさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト大阪教会。大阪市天王寺区茶臼山1-17にあります。JR「天王寺」から、すぐ近くの動物園を過ぎ、徒歩7分くらいで到着します。数年前、新しい教会堂になりました。「難波」も近く、にぎやかな町ですし、少し歩けば「通天閣」もあります。また、この教会の近所は「お寺」がたくさんある「寺町」の風情。下川牧師は頭がつるつるで、お坊さんと見間違うことがありますが、牧師です。下川牧師ご家族が福岡県の某教会の牧師であった頃、私の家族とご一緒に「福岡ドーム」、今は「ペイペイドーム」かな、そこでホークスの試合を見たことがあります。はじめてプロ野球を球場で観戦しました。とても親しみやすい、素敵な牧師さんです。祈りの課題は以下です。①信仰の霊的給油所である主日礼拝と祈祷会を柱に据える。②諸教会と諸活動が再開できますように。牧師・下川
俊也
5/3 使徒言行録19章1-16節 「エフェソでのパウロ」
パウロはエフェソで約3年伝道しました。エフェソ名物は「アルティミス神殿のお守り」で、旅行安全や恋愛運、仕事運等に効果があったとされます。旅も恋愛も仕事も、思い通りはならず「神頼み」する姿は昔も今も同じですが、人間がつくった「像」は神にあらず。神が創られたのが人間ですよね。エフェソには「ヨハネのバプテスマ」を受け、ある程度キリストの知識もありますが、その理解が不十分な信仰者達がいました。「主イエスの名によるバプテスマ」の他、「異言や預言」をしたとあります。「異言」とは「パラパラ」と意味不明のように聞こえる言葉をしゃべるのですが、パウロは「異言は一人の時に語るべきで、教会の徳は高めない」とあり、「異言」を求めるより「愛」を求めよと語ります。「預言」はキリストを証しするような言葉でしょう。そして、今日は「憲法記念日」です。戦後の日本が過去の歴史を見つめ直し、民主主義国家として歩むことを定めた「日本国憲法」。「憲法」は国民が政府に対して、政府がすべきこと、してはならないことを規定したものです。まずは、現行憲法を守らせることが国民の役割です。憲法を守れない政府が、新しい憲法をつくることは赦されません。「憲法」をつくるのは、税金を払っている(もちろん、理由があって税金を払えない方も大事に守るべきです。なぜなら、今は税金を支払っても、突然何かの理由であなた自身が税金を払えない状況が生じるかもしれません。他者を守ることは自らを守るのです)「主権者」である「国民」の役割ですし、我らは「主権者」として選んだ議員による国会が正しくその使命(憲法)を果たすように関与すべきなのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 田辺キリスト教会。大阪市阿倍野区播磨町2-6-12にあります。まだ行ったことのない教会です。この教会の喜多村牧師は、とても柔らかい方、そして小さなハープを演奏されます。先日の日本バプテスト連盟総会の副議長をされましたが、その関連での文章は心があふれる素敵な文章でした。祈りの課題は以下です。「井戸端」としての教会、とても素敵な言葉。この「井戸場」は誰もが楽しく語り合う場、としての意味とヨハネ福音書4章での「井戸端での主イエスとサマリアの女の出会い」のイメージが重なり合っていると思います。①福音が地域の人々に根付くように。②教会が井戸端となれるように。③段差なく入れる会堂を夢見ている。牧師・喜多村 やよい
5/2 Ⅰコリント書16章15-18節 「手紙の結び」
新約聖書、特に書簡で人の名前が出て来ると嬉しくなります。その気持ちが良く理解できるから。私も幼い頃から今に至るまで多くの信徒の働きや祈りに支えられてきたからです。17節に出て来る3名は、パウロがいたエフェソまでコリント教会の現状や課題を伝え、相談に来た方々です。1章にはステファナ家の者にはパウロが洗礼(バプテスマ)を授けたことが記されています。課題や問題が教会にも起こります。その時、きちんと相談するシステムができていることが大事です。21節にパウロが自ら挨拶を記す、というのは、パウロは目が悪かったせいもあり、ソステネが口述筆記していたのです。「主を愛さない者は…」は厳しい言葉ですが、パウロは極端に語る傾向があり、当時の指導者がよく用いる言葉。今はそのようには語りません。今日はM・Yさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 平野バプテスト教会。大阪市平野区平野東4-4-13にあります。この教会が建つ周辺は大阪の下町で「おっちゃん」や「おばちゃん」が元気なところです。奥村牧師によって今の会堂が建築された時は「ペンシルチャーチ」という建物です。狭い空間ですが、教会の熱気が溢れています。もちろん、今はコロナの影響があり、フィジカルディスタンスをうまくとって礼拝されていることでしょう。高田牧師は元「国鉄」職員から牧師になった方です。とても優しい方ですし、気兼ねなくお話できる方です。祈りの課題は以下です。①新来者の方との交わりのために。②夜回り、お年寄りなど、地域との関わりのために。 牧師・高田 進
5/1 使徒言行録18章1-17節 「恐れるな、語り続けよ」
コリントは港湾都市、物流拠点のにぎやかな都市。同時に多くの神殿とそれを支える商売や娼婦も多い所。パウロはここでアキラとプリスキラ夫妻に出会い、住まいの提供を受け、伝道します。ここでもキリストに批判的なユダヤ人による反抗や違法の訴えがなされます。ガリオンは正しく裁きますが、一方で暴力を黙認する人でした。主はパウロに「恐れるな」と語ります。それはパウロが困難や危険を強く感じていたからです。主の言葉と共に、パウロに日々協力者が与えられていきます。日々、ウクライナのことを覚え祈っていますが、ウクライナは東方教会が多いのですが、バプテスト教会は2800近くあり、30万人が礼拝に参加していたとのこと。ウクライナの仲間のことも強く祈っていきたいと願います。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 シオンの丘教会。大阪府藤井寺市藤ヶ丘1-7-12にあります。かつては「藤井寺教会」と言う名称でしたが、途中で今の名前に変更しています。一度、伺ったことがあります。初めて行ったのでよくわからなかったのです。それで「丘」というので、小高い丘の上にあるだろうと思っていたらどうもそのような丘はなかったのです。今回、どうして迷いそうになったのか検証するためにホームページを見ると3つの行き方が記されていました。もちろん、地図も見ることができます。■行きかた1(歩くの好きな方)近鉄阿部野橋駅から準急15分、藤井寺駅下車徒歩20分。■行きかた2(歩くの苦手な方)藤井寺駅南口より階段を下りてすぐの停留所から 近鉄バスに乗って3つ目の藤ヶ丘バス停下車、東側へ徒歩3分■行きかた3(自動車の方)教会に駐車スペースあります。とのこと。地図を見ると、なんと3つの前方後円墳に囲まれているような場所ではないですか。古墳好きな私とすれば、以前行ったときは準備不足でございました。坂田牧師は西南学院大学の1年先輩です。とても野性味あふれる人で、あるとき、いっしょに旅行していて、山の中で綺麗な川があったらすぐに短パン、Tシャツで川に飛び込んだのはビックリしました。また、私が福岡有田教会の牧師をしていた時、坂田せんせも近くにおられ、教会学校のお泊りキャンプのとき、坂田先生に案内してもらい、夜中、クワガタムシ等を捕獲に行きました。私は夜の山なんてとても無理なんです。お世話になりました。また、私が神戸教会時代は、丁度、坂田せんせも藤井寺におられ、一緒に釣りのできる居酒屋さんに行き、娘が魚をつまかえたことで我が家は大喜びしました。坂田家のお子さんたちも立派に成長されて、自分のことのごとく嬉しいです。祈りの課題は以下です。①一人ひとりのみ言への愛と理解が、さらに豊かにされますように。牧師・坂田 浩
4/30 マタイ福音書10章26-31節 「人を恐れないで」
「人々を恐れてはならない」。なんと励まされる言葉。人間ほど悪魔的で、残虐な動物は世にありません。そのような人間を恐れてしまいます。でも人間の悪事は必ず明らかになり、裁かれます。恐れず、でも、その悪を勇敢に世界に伝えることが大事ですし、私共は今、そのような声に耳を傾けていくのです。巨悪でも「魂を殺すことができない!」、ロシアの人々が正しく情報を得ることができますように。そして我らは巨悪の前にハエのような存在ですが、祈りと支援を続けていきたいのです。29節の「お許しがなければ」は原文にはありません。「あなたがたの父なしには…落ちることがない」。こちらの方が明快ですが、英語でも言葉を補い、「同意なしに」等加えています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 国際協力団体を覚えて。◆世界バプテスト連盟 ◆アジア太平洋バプテスト連合 ◆コーポラティブ・バプテスト・フェローシップ(米国南部バプテスト連盟から別れた団体)
4/29 使徒言行録13章44~51節 「異邦人に広がる主の救い」
アンティオキアでの宣教。ユダヤ人の反対や批判の中での言葉『』はイザヤ書42章5~7節の引用や56章参照です。今日の48節「永遠の命を…定められている人」。ここは神の救いに至る人は神に定められている、「予定説」という思想が見えます。私は「予定説」を退けます。すべての人を救うことが神の願いであり、招きです。「救われない」と神が決めていないし、「神が救うことを予定していない」とあきらめる必要は全くありません。20節の「弟子たち」は主の言葉を信じた異邦人のことです。今日はY・Sさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟派遣宣教師を覚えて。
■野口 日宇満・野口 佳奈宣教師(インドネシア)①コロナウイルスの感染が収まり、教会、神学校での宣教の働きが進むように。子どもたちの学びのために。
■嶋田 和幸・嶋田 薫宣教師(カンボジア)。①カンボジアのコロナ収束のために。②CBUオフィス教会にて、教会員が祝福の管となってゆけるように。②カンボジアでの生活、健康が守られるように。
4/28 Ⅰコリント書4章14-21節 「様々な意見と出会いから真理を見出す」
昨日の続き。「恥をかかせるためではなく」というのは、パウロの語ることが真実であるし、そのことに改めて気づき、しっかりと立ってほしいという願いです。「養育係」、それは信仰の様々な導き手。多種多様な考えを聞きながら、確かなものを選び取ることが成長です。例えば学校の教師でもそうですね。色んな先生がいます。嫌な先生も、自分のことが理解されていないと思う先生もいますし、一方でその言葉や態度に感化を受けた出会いもあります。なので色々な教師の中で、一人でも影響を受けた教師がいたら幸いです。パウロは真の神の思いに従うように考えています。「私に倣え」とか「鞭をもって行く」は言い過ぎに感じますが、それは異なる福音への危機感の表れです。今日はO・Kさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 宗教法人 日本バプテスト連盟 理事会。日本バプテスト連盟の最高議決機関は「総会」ですが、総会で選出された理事によって連盟の運営がなされていきます。現在、「機構改革」を行なっている中、機構のスリム化などを提案してくださり、また実施していく大きな働きをされています。最近はコロナのためにリモートでの理事会がほとんどになりました。私も2期4年、理事をさせていただきましたが、理事会の資料は毎回百ページを超え、厚さは3センチくらいです。それを読んだうえで、連盟事務所(さいたま市南区)で二泊三日の会議をするのです。特に二日目は朝から夜9時、10時まで会議が続きます。それを年数回。あとは常任理事会等も行なわれています。一日2千円位(二泊三日だと4千円程度)の手当が出ますが、せっかく東京近郊に来たからのだと、ちょっと家族や教会にお土産を買えばマイナスです。でも、お金のためではなく、ボランティア精神と教会の使命に立ってみんな参加します。理事の皆様のご苦労、本当に感謝いたします。祈りの課題は以下です。①「つながって共に歩む」。さらに対話を深めつつ、機構改革の具現化に向けて、創造的に取り組む一年となるように。理事長・加藤 誠(大井教会牧師)
4/27 Ⅰコリント書4章10-13節 「肉体的苦しみを馬鹿にする人々」
「わたしたちはキリストのため愚か者となっている」との言葉はパウロ達に対する一部の人々(「論敵」)の評価、言葉の引用です。その人々はコリント教会等に入ってきた「グノーシス主義者」。「グノーシス」は「知恵・知識」という意味です。詳述できませんが、彼らは主イエスの死を認めず、霊は生きていたとし、彼らの特別な知識と儀式により魂は浄化され、肉体的な罪があっても魂が浄化されている特別な人間と誇っていた人々です。主イエスの苦難や死、復活、贖いを語るパウロ達は「愚かで無駄な努力をしている」と馬鹿にされました。「いや、違う」とパウロは語ります。キリストに従う歩み、苦難の中にあっても主の恵みと力、喜びが与えられたのだ、と。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東北バプテスト連合。青森県、岩手県、秋田県、宮城県、福島県にある日本バプテスト連盟加盟教会で構成されている地域連合です。15教会が所属しています。祈りの課題は以下です。①コロナ危機からの守りのために。②新年度に向けての希望のために。③互いの信仰と交わりのために。会長・小田 衛(大富教会牧師)
4/26 ローマ書16章1-16節 「教会の素敵なひとりひとり」
パウロはローマ教会にコリント教会のメンバーを伝えます。「フェベ」は女性であり、女性達が教会の働きや活動を支えていたし、その中心人物の一人です。「プリスカとアキラ」は使徒言行録18章に最初に出てきます。ローマからユダヤ人が退去させられた後、コリントに住み、パウロと同じ天幕(テント)職人で、パウロを自宅に住まわせた他、コリント教会の創立に大きく関わり、働いた夫婦です。「エパオネト」は不明ですが、エフェソで信者になった人です。「アンドロニコとユニアス」夫妻はパウロより先にキリスト者となり、エルサレム教会との繋がりがありました。これ以上は紹介できませんが様々な背景を持った人々が教会を形成し、伝道したのです。嬉しいですね。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 北海道バプテスト連合。北海道にある日本バプテスト連盟に加盟している15教会で構成されている地域連合です。北海道はでっかいどう、なのですが、遠くとも、いろいろな集まりには積極的に集まってコミュニケーションや協力関係を築いています。祈りの課題は以下です。①一つひとつの教会が守られ、祝福されるように。②教会間の交流と協力が積極的になされるように。会長・福田 雅祥(函館美原教会牧師)
4/25 Ⅰコリント書2章1-5節 「福音を語ること」
パウロは以前コリントに来た時「衰弱し、恐れと不安の中」にあったと語ります。その前にアテネで宣教した時、パウロは当時の哲学的な表現や理屈で人を納得させようとしたのですが、その試みは失敗に終わったのです。「世の知恵」を用いて「神の知恵」を語れなかった。それは「福音」が人間の思考を遥かに凌駕するからです。世の知恵では苦しみ、人に殺される神は理解できないのです。パウロはそのことに気づき、「十字架で死んだイエス」、「その愚かさの中に神の愛と恵みがある」ことを単純に語ろうと悔改めたのです。そのパウロの話は「雄弁で説得力」が感じられないと言った人もいました。人を信仰へと結ぶのは人の力ではなく、福音の力、聖霊の働きなのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 東大阪キリスト教会。大阪市花園東町1-20-19にあります。花園競技場の割と近くです。でもまだ行ったことがない教会です。この教会の柴田牧師は神学校の1年先輩で、最初の赴任地であった「郡山静町教会」に夏期研修でお世話になった思い出があります夏でしたが、夜はとても涼しかったのが印象的でした。その後、東大阪教会に赴任されています。中村尚子牧師は当教会の出身牧師で、12歳のとき、バプテスマを受けられ、短大を出て、幼稚園教諭、その後、神学校に入学されました。確か、1年か2年後輩になります。祈りの課題は以下です。①教会につながる仲間の健康のために。②コロナで中止している活動の再開。③新しく教会に加わる方々のため。牧師・柴田 良和、中村 尚子
4/24 使徒言行録17章1-8節 「届かなかった言葉」
アテネは古代ギリシア世界で文化的達成をし、以後の西洋文明の礎となり、医師ヒポクラテス、哲学者ソクラテス(各前5世紀)等輩出しています。ローマ市民権を持つ者は日々哲学論議や文化を楽しみました。また、神話に基づく数多くの神殿がありました。アレオパゴスとは元会議場があった場所。そこに集う人々に演説(宣教)をいたします。パウロはローマ市民権を持っていますし、様々な学びを重ねていた人なのです。人々の関心はどこにあったのかわかりませんが、伝えられているのは「復活」の言葉を口にした時、人々は立ち去ったこと。しかしながら数名は信仰をいただきます。パウロにとっては失敗ですが、人の心を打つ言葉とは?と考えながら読みました。本日は当教会「会堂建築16周年記念礼拝」です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 関西黎明キリスト教会。大阪府東大阪市上小阪3-6-9にあります。21日の当欄で奈良教会の「里親」の働きを紹介しましたが、この教会の江田牧師も、ずっと前からご夫妻で里子を育てておられます。また、その運動を広めるための活動もされています。大変尊敬する牧師です。「里親」を考えておられる方は、ぜひ、お気軽に江田牧師に相談してみてはいかがでしょうか。祈りの課題は以下です。①教会の将来を担う次世代の信仰継承。②世界各地に派遣されている宣教師を覚えて。③子どもを療育するクリスチャン里親の増加。牧師・江田 治男
4/23 Ⅰコリント書15章12-28節 「キリストのよみがえり」
キリストが死者の中から復活した、ということは、教会誕生後すぐから、信じられない人が多かったのは当然です。今でもそうです。実際に復活した主を見た人のことは記されますが、それ以降、「確かに見た」という人はいないでしょう。キリスト昇天後(マタイ福音書28章等参照)は死んだ人が棺に入りそのままの姿で歩み出した、という姿での復活ではないと思います。ただ、神の業は人間の想像できないものなので、私が断言できないことです。人間の知識の枠内を超えるのが神の働きです。「復活」は「神の言葉を聴く」ことと「祈りの中」において主が存在を現わしてくださいます。今もなお、姿は見えないけど、共にあり、共に苦しみ、御言葉をもって語りかけてくださる「わが主」です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 堺キリスト教会。大阪府堺市北区中百舌鳥町3-14-12にあります。アクセスは梅田からお越しの場合:
地下鉄御堂筋線なかもず駅下車4番出口から、徒歩 約12分、難波からお越しの場合
南海高野線白鷺駅下車 徒歩 約3分という場所です。この近くは多くの古代からの遺跡というか、古墳が多く、古墳ファンの方、礼拝に出席されて、それからぜひ「古墳」巡りをしてください。日本バプテスト連盟加盟教会の中で、親子で牧師とか、兄弟(弟妹)で牧師をされているケースがあり、平良牧師のご兄弟は現在、福井キリスト教会の牧師をされています。平良仁志牧師は長い白髪をたなびかせ、大体、黒い服をまとっています。かっこいい先生です。また、「靖国神社問題特別委員会」の働きを長くされており、深く学びと探求を続けながら「信教の自由」のことを語ってくださいます。祈りの課題は以下です。①「信教の自由」が確立されるように。②主日礼拝が守られるように。③平和・人権の確立のために。牧師・平良
仁志
4/22 ヨハネ福音書4章21-26節 「まことの礼拝」
主イエスの時代、ユダヤは北と南に分かれ相互に敵対視し、神殿も北はゲリジム山、南はエルサレム。主イエスは北のサマリアで昼間、一人の女性と出会い、対話が進みます。その話は「飲む水」を巡る話から「魂を潤す水」の話へと進みます。この女性は心渇いていた女性でした。主イエスは「礼拝」、それは場所の問題ではなく、真の礼拝をすること、主イエスを礼拝することが父なる神を礼拝することであると告げます。そして礼拝に必要なのは「霊と真理」。「霊」は「魂」と言えましょうが、神とつながろうとする心であり、神を神と認識し、霊の導きにより主との対話へ向かわせます。「真理」は嘘、偽りのない心で主に魂を向けるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> みささぎ伝道所。奈良県奈良市山稜町850-6にありますが、お問合せや郵便等は昨日の祈りにあった「奈良キリスト教会」にお願いいたします。祈りの課題は以下です。①伝道所の、新しい拠点が見つかるように。②病の方、高齢の方、支えを必要としている方と共にあられるように。③祈りが、いつもあるように。伝道師・岡村
ゆり
4/21 使徒言行録17章1-26節 「み言葉によって導かれる教会」
昨日の続きで、暴動が起こったことによりテサロニケ教会の人々の働きでパウロとシラスは約80キロ離れたべレアに逃げます。ここでもさっそくユダヤ人会堂で主イエスによる福音を語ります。人々はパウロの言葉が真実かどうか旧約聖書を参照して、確かめ、学び、主を信じる者とされます。ユダヤ人も異邦人もいました。ところが、テサロニケで暴動を起こした者がべレアにもやってきたので、シラスとテモテは残り、パウロは先に逃避します。パウロがべレアにいた期間はわかりませんが、ユダヤ会堂から家の教会へと発展していったことでしょう。私共も所沢で伝道をはじめて、来年60周年を迎えます。多くの苦労と祈りを重ねつつ、主が育てて下さったのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 奈良キリスト教会。奈良県奈良市学園南3-14-12にあります。小さな附属幼稚園「リトルファンファン」を運営しています。そして、特記したいのは、「障がい児の里親」をあっせんする「NPOみぎわ」の母体であり、代表はを奈良キリスト教会の牧師である松原氏が就任しています。このNPO法人は「大切ないのちを守ります。望まない妊娠で悩んでいるあなたへ。育ての親になりたい方へ。ダウン症、障がいを持った子どもの特別養子縁組、相談。」を行うとホームページに記されています。先日NHK、Eテレの「ETV特集 おうちへ帰ろう
~障害のある赤ちゃんの特別養子縁組~」が放送され、私も見せていただきました。松原先生自らダウン症のある赤ちゃんを迎え、命を守る日々を見つめる内容でした。松原先生とご家族や教会の方々、法人関係の方々のお働きにいろいろな涙がこみあげてきました。ささやかなお手伝いがきることを祈っております。祈りの課題は以下です。①コロナ危機でも礼拝が守られますように。②高齢者の方の健康が守られますように。③附属幼稚園の運営。牧師・松原
宏樹、伝道師・平山 利香
4/20 使徒言行録17章1-9節 「苦しみの中にも建てられる教会」
使徒言行録にパウロらの3回の伝道旅行が記されます。「旅行」とは言え、数年に亘る旅、一箇所の長期滞在や、途中で投獄させられたり…。パウロは異邦人伝道を目指し使徒会議(15章)の決議を受け、第二次旅行に出発。意見の対立があり、バルナバとマルコは別行程をとります。伝道旅行は聖書巻末の地図を参照。今日は17章が日課として与えられています。パウロはまず各地のユダヤ人会堂で話をし、旧約聖書をもとに、約束されたメシア、主イエスの福音を語り、ユダヤ人や異邦人もキリスト者になり、協力者も与えられます。同時にユダヤ人からの反発や暴動も起こります。苦しみの中に教会は芽生え、育つのです。ヤソンはローマ書16章にも登場します。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 和歌山バプテスト教会。和歌山県和歌山市関戸1-2-31にあります。1958年から始まった教会ですが、地域の方々には「ひかり幼稚園」の方が馴染み深いかもしれません。2年程前だったかなぁ、新しい教会堂と幼稚園舎が完成しました。調牧師はお父様がかつてこの教会の牧師として就任されていた時代があります。和歌山は気候も良く、自然も豊かな場所で、「和歌山アドベンチャーワールド」はイルカショーはもちろん、なんと、ジャイアントパンダが7頭もいます。上野より、和歌山でゆっくりパンダをご覧になったらすばらしい思い出になると思います。私も家族と共に行ったことがあります。その時は、白浜温泉に泊まりました。古い町並みを散歩している途中で食べた「かき氷」、これがふわっとしたかき氷で大変感動いたしました。教会の祈りの課題は以下です。①子どもの奉仕による礼拝のために。②バプテスマ決心者が与えられるように。③キリスト教保育の働きのために。牧師・調 みくに
4/19 ローマの信徒への手紙 1章1-15節 「主に呼ばれた励まし合う仲間」
聖書の言葉の中に一般的に解りづらい言葉が多々あり、その中の一つが「召され」です。「呼ばれ」「招かれて」という言葉がいいです。「僕(しもべ)」もそうです。「弟子」とか、「協働者」、がよいですが、「主に仕える者」です。でも最初の自己紹介は私共も用いたいです。5節の「恵みを受けて使徒とされた」。「恵み」とは相応しくない者、弱き者、罪人の頭のような者であっても、なお、主が愛し、用いてくださることです。12節の「信仰によって励まし合いたい」。一方が励ますのではなく、相互の励まし合い、それは御言葉を分かち、祈りや証しや共なる礼拝や讃美を通してなされます。教会、地方連合、連盟、世界中すべての教会が互いに励まし合う中で主が用いるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 豊中バプテスト教会。大阪府豊中市北条町1-28-9にあります。阪急宝塚本線 服部天神駅下車、徒歩12分です。住宅地の中にある教会です。阪神大震災で被害を受け、全国の支援もいただき、現在の教会堂ができています。1962年から始まった60年近い歴史を持つ教会です。今給黎牧師は、神学校の少し先輩です。鹿児島で「今給黎」といえばいろんな有名な人もいるようです。祈りの課題は以下です。①福音を喜び、福音に生きる群となっていくことができるように。②経済的な必要が満たされるように。牧師・今給黎
眞弓
4/18 Ⅰコリント15章1-11節 「聞いて信じたパウロ」
3節の「最も大切なこと」は岩波訳では「第一に(最初に)私も受け継いだことを伝えた」とされます。このことは「使徒信条」にも言えることですが、ここで主イエスの語り行った福音の内容や働きが記されず、「死と復活」だけが記されます。もちろん、ここの文脈は「死と復活」であるからですが。なので、「最も大切」といえば誤解が生じるのです。ここは「信仰告白定型」とも呼ばれますが、「主イエスはこのように歩んだ」という告白も当然残っていたと思います。そして、パウロは「月足らずで生まれたようなは「未熟児のごとく」であり、キリスト教会を迫害した者であるにも関わらず、復活の主は現れたのです。でも、実際は「見た」のではなく「聞く」ことによってでした。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 宝塚バプテスト教会。兵庫県宝塚市中筋山手2-7-6にあります。ホームページを見ると阪急宝塚線中山観音駅下車徒歩9分とあります。「中山寺」はとても大きな寺社で、特に「初詣」では人があふれるほどです。そんな人混みに行かないで、ちょつと山手の方にあるけばこの教会があります。「小川のせせらぎと小鳥のさえずり声が聞こえる、国有林に囲まれた自然豊かな教会です。ほっこりできる環境ですので、お気軽にお立ち寄りください。」と案内がありますように、最初は場所が解りづらいのですが、覚えれば、本当に静かな環境で礼拝できます。「宝塚」は「宝塚歌劇団」が有名ですね。遠くの人はその公演にあわせて、近くの方は、心のオアシスである教会で落ち着き、聖書のお話を聴けばとても良いですよ。祈りの課題は以下です。①新しい方が信仰を持てるように。②食事をしながらの交わり再開。③皆さんの健康と笑顔があるように。牧師・南
雅夫
4/17 2022年イースター マルコ福音書16章1-8節 「ミステリと云う勿れ」
安息日は土曜の日没で終わり、日曜の朝、主イエスの御遺体と最後の別れに来た女性たち。しかし、墓で見たのは天使、聞いたのは「イエスはよみがえった」との言葉。パニックです。「女性達は恐くて何も言えなかった」とありますが、どうしても人にしゃべりますよね。マルコ福音書の末尾が「恐ろしかったからである」で終わったのか否かは長年の論争があります。ここでマルコがペンを置いた説、残りの部分が最初の頃失われたか、誰かから盗まれ捨てられた等。先日「ミステリと言う勿れ」というドラマの最終回が解決せず終わったのがミステリーと言われます。マルコの最初の説なら、この続きは「イエスの業と言葉を知ったあなた」がこれからの人生で記すのです。今日はO・Kさんのお誕生日おめでとうございます。イースターの日に喜寿とのこと、すばらしいですね!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 伊丹キリスト教会。兵庫県伊丹市柏木町3-47にあります。阪急塚口駅の北出口をでて、阪急伊丹線の線路沿いを歩くと、右手に教会が見えます。徒歩約8分とありますが、実際はもっと近く感じます。線路のすぐそばが教会です。昔は幼稚園のようなことをやっていたので、幼い頃に通っていた方もありましょう。関西弁を絶対に習得せず、福岡の久留米弁を大きい声で話す内田牧師がユニークです。でもその姿に似合わず(?)コーヒーを上手にいれる方でもあります。どうぞお気軽にこの教会をお訪ねください。祈りの課題は以下です。①高齢者、病いの方の健康と平安。②日常生活が取り戻せますように。③新年度の歩みが導かれますように。牧師・内田 裕二
4/16 コリントの信徒への手紙 Ⅰ 1章18-32節② 「信じる世界への挑戦」
「自分の知恵で神を知ることはできない」。神の教えやキリストの言葉と働きを信じない人が多いです。特に「復活など有り得ない」と言います。神を人間の小さい「知恵」や「知識」で理解するのは無理でしょう。でも、宇宙とか、人が生きること、人の心等不思議の限りですし、「どうして自分の命」があるのか、命の意味は子孫を残すことでしょうか?その意に立つ人はその価値観で人を裁きます。「信仰」は「信頼」。人を信じないのに「神」を信じるのは難しいでしょう。しかし、神があなたを愛し、命の意味を教え、罪ある者も赦すという、神の前に立って、信じてみよう、と「始める」ことが大事。ダメならやめていいです。しつこく追いかけるようなことはありません。教会はそれぞれの「自由」をまず保証しています!今日はU・Yさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 神戸新生バプテスト教会。神戸市東灘区鴨子ヶ原2-12-19にあります。ホームページには阪急御影駅か、阪神御影駅より19番か39番「鴨子ヶ原行き」に乗り、「鴨子ヶ原2丁目」下車。バス停前が教会です。とあります。御影からバスに乗って結構登っていきます。駅と教会では少し空気も違います。ここにはかつて日本バプテスト宣教団の「神戸フレンドシップハウス」があった場所です。この跡地にガラスの美しい教会堂があります。建築を学ぶ方々がよく見学に来られます。ぜひこの教会をお訪ねください。山からの景色もとてもよいです。祈りの課題は以下です。①主のみ声に常に心と耳を傾けられますように。②病の方、弱くなっておられる方に目を向けられる私たちでありますように。③主の働き人となれますように。責任者・舟橋 恵子
4/15 コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章18-32節① 「十字架の言葉(真実)」
「十字架の言葉」は勘違いされやすい。私もイエスが十字架上で語った「七言」と考えていました。「言葉」のギリシャ語「ロゴス」は「言葉、真理、真実、事実、論理、教義…」等広い意味を持ちます。また。ヨハネ書では「ことばは神→命→光→肉(イエス)」とありますので「十字架とその歩みにおいて現わされた主イエスの真実、救いを与える教え」とするのが正しいでしょう。イエスの宣教をある人は救いとして正しく受け、ある人は否定し、その事実を殺すのでした。殺される神は愚かと考えられますが、しかし、愛され、また憎まれた神は人間が神を殺す現実を超え、よみがえったのです。その神の救いは知恵や能力によらない、神の無償の愛による救いへの招きです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 尼崎バプテスト教会。兵庫県尼崎市宮内町3-124にあります。この教会は阪神電鉄「出屋敷」駅から徒歩数分で着く、便利の良い場所にあります。広い駐車場もあります。「出屋敷」は普通しか停まらないので、そこをご用心ください。1955年から始まった歴史ある教会です。でも今は集まる人が少ないのが残念です。教会のペンキ塗りも終わったみたいで、美しくなったことでしょう。ぜひお近くの方、「尼崎バプテスト教会」の礼拝にいってみてください。祈りの課題は以下です。①礼拝・祈祷会の充実、祝福のために。②新年度への良き準備のために。③教会・牧師館の塗装工事無事完了のために。牧師・長尾
知明
4/14 ガラテヤの信徒への手紙3章1-14節 「イエスが律法の呪いを受けたゆえ」」
「物分かりの悪いガラテヤ人」とはキリスト教会に旧約律法主義の人々が入り込み、律法を守らなければ救われないという考えに影響された人々。キリストが十字架に架けられ、殺されたことについて律法では「木(=十字架)」に架けられた者は神に呪われるとあります。ならばキリストは呪われた者なのか。否、神ご自身が呪いの木に架けられることによって、律法による救いは終焉を迎え、我らのために死んで、復活されたキリストを信じ、受け容れることによるキリストと共に生きる道が新たな「救いの道」として示されたというのです。そこにおいて「救い」が異邦人を含めた全ての人間に対し、信仰によってのみ救われることを語るのです。そして「霊」は神の臨在です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 浜甲子園教会。兵庫県西宮市浜甲子園3-5-23にあります。その名の通り、「甲子園球場」が近くにあり、またこの地域は大きな集合住宅があり、教会の近くは住宅街です。また「灘の酒」は有名ですが、酒の工場などもあります。教会は、現在「会員代表」である森山さんが、この教会の牧師をしていた時、教会員が様々な働きをささげた教会形成、また、礼拝の宣教と呼ばれる、聖書からのメッセージを牧師が語るのではなく車座で一緒に聖書を読みながら思いや聞き取ったことを分かち合うような礼拝を目指しているようです。バプテスト教会として牧師のいない教会はひとつの理想としてありますが、英国国教会から独立していった最初のバプテストの在り方を、日本で行うことはとても価値あることと思います。祈りの課題は以下です。①全員参加の教会形成。②コロナ後の教会のあり様の模索。③聖書的対話集会の深化。会員代表・森山
一弘
4/13 Ⅰペトロの手紙3章18-22節 「死者の世界を歩む主イエス」
ここでの特徴は「捕らわれた霊たちのところへ行って宣教された」。ここはキリストの教えに対するよくある疑問に答えます。つまり、キリスト以前に生きていた人々や福音を終生聞かなかった人々はどうなるのかという問い。主は死者の世界「陰府(よみ)」にも歩まれ、そこで人々に救いを伝えたということです。「全ての人が救われたのか」という問いに私は答えることができませんが、主の願いは「全ての人」が救いに入ることであることは確かです。また、バプテスマについても、バプテスマという儀式が人を救うのではなく、「キリストの復活」との一言に含まれる、キリストの歩み、贖罪の死、さらに死に打ち勝つお方は人間の死を超え、私共の救いのしるしとなったのです。そしてバプテスマを受ける者は新しい歩みを決断するのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 神戸国際バプテスト教会。英語と日本語で礼拝を行なったいましたが、現在は活動休止中です。
4/12 使徒言行録2章22-36節 「神の力が注がれ、歩み出す弟子」
主イエスの復活、そして昇天後、出弟子達に聖霊の力が与えられ、初代キリスト教会の宣教が始まり、最初の宣教が記されます。途中25節からの括弧は引用であり、詩編16編等参照。そして、キリストは今、「神の右に上げられ」は神と等しいことを意味し、主イエスの約束通りに聖霊を与えられ、「キリストを証しする言葉」を語り出したのです。34節は詩編110編からの引用です。まだ記憶も新しい主イエスは十字架上の死を通して、主とされ、救い主キリストであると高らかに証言したのです。このペトロの宣教はそれまでのペトロとは別人のようです。そのように人に命の息、力が与えられたのが聖霊の働き。それは人の努力ではなく神の恵みの賜物です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 神戸バプテスト教会。神戸市中央区山本通1-7-27にあります。この教会は私が2012年度まで牧師として在任していました。神戸の中心は「三宮」で、JR,阪神、阪急、地下鉄各線が乗り入れています。三宮駅から山の方向に「北野坂」があり、それをずーっと登っていくと、「異人館通」とぶつかります。そこを右に曲がると神戸バプテスト教会です。歴史のある建物は、「異人館」と間違えて入ってくる人もいます。そして、平日ですと、北野坂を登っていく途中で元気な子どもの声が聞こえてきます。神戸教会には附属幼稚園があり、途中で学校法人となっています。園長も兼任しておりましたが、あのころ、ちっちゃな子どもたちも、中高生や成人になっていますね。みんな元気にしているかしら?神戸バプテスト教会の幼稚園「光の丘幼稚園」で学んだお子さん、ぜひ、困ったときでも、困らない時でも、教会に行けばきっと良い道が開けると思いますよ。ちなみに、神戸バプテスト教会は神戸で行われる「神戸ジャズストリート」期間、会場のひとつとなっています。コロナがあったので、しばらくやっていないかもしれません。祈りの課題は以下です。礼拝とひろばの充実と広がりのために。②教会長期計画のために。③築70年を迎えた教会堂の今後の計画のために。牧師・西脇 慎一
4/11 マルコ福音書15章42-47節 「主イエスは墓の住民となる」
主イエスの遺体を引き取った議員ヨセフについてはすべての福音書が記録していますが、ルカ福音書では「同僚の決議や行動には同意しなかった」人と記されます。議員の中でイエスを理解していた人であり、廻りが反対するのに自分が違う立場をとるのは大変な勇気と主への信頼があったと思います。ヨハネ書では同じく議員ニコデモの協力も記されます。ヨセフは自分のために用意していた横穴式の墓に主イエスの遺体を包み、墓に埋葬します。そして、いつかはここで自分も主イエスと共に葬られることを考えていたでしょう。そして墓の穴は大きな石で閉じられます。主イエスは墓の中の住民となり、死の世界にも足跡を残したのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 神戸西バプテスト教会。神戸市垂水区向陽3-2-3にあります。神戸市というのは海からすぐ山になるので、平地は少なく、坂を上り下りするのは大変です。でも健康にはよいかも。なので、この教会も少し坂を登っていかなければなりなせん。松本牧師はアメリカで生活していた時代もあり、最初は、神戸国際教会(現在は活動休止中)でお働きをされていたと思います。とてもすばらしい牧師でその落ち着きは学びになります。教会でも現在、今後の計画や祈りの課題に記されているように西神南(せいしんみなみ)地区での教会活動を模索されています。祈りの課題は以下です。①将来を見据える希望のために。②教会の「外」での出会いと福音の喜びの共有のために。西神南地区伝道と地域伝道。③教会間協力への導き。牧師・松本
理
4/10 マルコ福音書15章21-41節 「十字架上の主イエス」
シモンというキレネ人は3月29日参照。十字架上の主の最後の聞き取れた言葉としてマルコは「わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と記します。神にも人にも見捨てられた苦しみ、それは死に向き合う時の私共の思いでありましょう。でも「見捨てられたのか」と言えば、そうではなかったと考えます。ローマ軍百人隊長がイエスの傍でその死に様を見ていました。そして、「まことに神の子だ」と告白します。どうしてそのように思ったのか、聖書は十分に伝えません。ゴルゴタの丘から神殿の幕は決して見えませんので、まさに他の福音書が伝える十字架上での主の姿を見てそう示されたのです。我らもまた十字架上の主の姿と声に耳を澄ませてみましょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 神戸伊川キリスト教会。兵庫県神戸市西区南別府1-1232-1にあります。教会のすぐ近くにパチンコ屋か、カラオケ店があります。教会で過ごしたり、教会で歌ったほうがいいよ、とおススメします。祈りの課題は以下です。①皆で集まって礼拝、集会、讃美ができる日が一日も早く来るように。②新年度の諸活動が祝されるように。牧師・鮫島 泰子
4/9 ルカ福音書2章1-21節 「時を経て主と出合う」
クリスマスに読まれる箇所。野宿をしていた羊飼い達に「天に栄光、地に平和」との讃美歌が響きました。逆に言えば、神が神として礼拝されない世界は平和が脅かされる世界なのです。名も知れぬ羊飼いが神の子に世界で初めて出会う喜びを与えられました。後の羊飼いを考えます。三十年後、主イエスは宣教を始めます。でもきっと彼らの中で若かった者は再び主イエスに出会ったと思います。私は思います。幼い頃とか、中高生の頃、教会の日曜学校や幼稚園等で主イエスの話を聞いた人、心の中に聖書や教会の記憶が残っており、数十年経て、再び教会に来る方があります。主はあなたと再び出会うことを望んでおられます。そして教会は今日もそのようなあなたを待っています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 明石バプテスト・キリスト教会。兵庫県明石市東朝霧丘24-29にあります。この教会は駅からは離れており、小高い山の上、住宅地の中にあります。かつては「幼稚園」があり、地域の方々が集う場所でした。現在も広い庭があり、幼稚園入園前の子どもと親の「子育てひろば」が行なわれていましたが、現在はコロナで休止されています。1995年の「阪神・淡路大震災」で教会と牧師館が破損しましたが、連盟と諸教会の支援で建て替えられました。現在の椿本牧師は、長らく島根県のキリスト教愛真高等学校(日本で一番小さい全寮制の高校)の教師をされていました。この教会は山の上にあるので、明石海峡大橋や淡路島が見える素敵な場所です。祈りの課題は以下です。①新来者が与えられますように。②教会が地域に開かれ用いられるように。③神の国が成りますように。牧師・椿本 博久
4/8 ルカ福音書2章1-21節 「主を待ち望んだ人々」
今日の記事は主イエス生誕後、神殿で、今で言う「献児式」を行った時の様子。神殿で老シメオンがこの子こそ「救いを与える御子」と語った言葉は「シメオンの賛歌」と呼ばれます。そして母マリアに伝えます。それは「人を倒したり、立ち上がらせる、反対を受けるしるし」と。「倒す」というのは悔改めであり、人を新たに生かし、立ち上がらせることとセットです。同時に主の語る福音はある人々からは反対を受けるとはまさに受難を予言するものです。マリアは「剣で心を刺し貫かれます」。我が子が十字架に架けられる時、まさにその心は刺し貫かれたでしょう。また、老アンナもまさに待ち望んでいた救いがここに始まったことを感謝し人々に伝えたのです。」
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 姫路城西キリスト教会。兵庫県姫路市山野井町88にあります。「白鷺城」と呼ばれる大変素晴らしい「姫路城」の近くで、教会のすぐそばには「歴史資料館」か「文学館」のような建物があったと記憶しております。最近の「城郭」ブームでお城周辺もいろいろな施設ができてきました。祈りの課題は以下です。。①祈りとみ言葉に生きる喜びの教会。②新来者・求道者の救いの輪の拡がり。③コロナ危機にあっても家族伝道を。牧師・辻 眞理子
4/7 マルコ福音書8章31-38節 「自分の十字架とは」
主イエスの受難予告に対し、ペトロは「イエスが殺される」等あってはならないし、排斥される人に従ったのではない、と主イエスを戒めます。ペトロの思いは主イエスの思いと反対です。そして主は群衆と弟子達に「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と語ります。「自分を捨て」とは、自分の願いを第一にするのではなく、神の思いをまず求めよ、ということでしょう。誰でも「自分」が一番大事です。仕方ありません。でも、自分が神様をほめたたえるために、何をするべきかと考えることです。「自分の十字架」は、私も解りません。「使命」、「自分の人生」、「救いの感謝と喜び」「病等の苦しみ」等と思いますが、今も考え続けています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 鳥取バプテスト教会。鳥取市東町3-151にあります。「鳥取城」のすぐ近くにあり、落ち着いた風情のある教会堂です。鳥取城の敷地に最近はおしゃれな店もあります。1957年から始まった教会です。祈りの課題は以下です。①求道中の方々が導かれますように。②皆さま方の心と身体の健康が守られますように。③礼拝を守る方が増えますように。牧師・横濱 峰二子、協力牧師・戸川幸子
4/6 フィリピ書2章1-12節 「主の歩みから学びつつ」
パウロが獄中で記した手紙。場所はエフェソと考えられます。今日の箇所で「あなたがたに幾らかでも…あるなら」と綴ります。「あなたもキリストの救いと恵みを知っているよね?」と読者自身が、自分がどういう者であるのかをここで考えさせるのです。答えは「もちろん、知っています」。なのに今、教会で思いが一つになれず、分断し、裁き合うことが何故起こっているのかと問います。相手を優れた者と思い、自分のことだけでなく、他者のことを考えること、互いへの愛と配慮が欠けていました。そして我らの規範である主イエスの歩みから学ぶことを教えます。6節から「キリスト賛歌」と呼ばれる当時の讃美歌を引用しながら、礼拝する者の歩みを語るのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 松江バプテスト教会。島根県松江市東旭町9にあります。1956年に伝道開始された伝統のある教会です。JR松江駅から徒歩5分という便利の良い場所です。日本バプテスト連盟に加盟する教会の中で、島根県唯一の教会です。祈りの課題は以下です。①コロナ感染が終息し、通常の教会生活が戻りますように。②どんな時でも目を覚ましている教会でありますように。牧師・斎木 郷次
4/5 Ⅰテモテへの手紙6章11-21節 「若い伝道者を心配するパウロ」
老パウロが若い伝道者テモテに送った手紙とされます。テモテはキリスト教徒第二世代で、幼い頃から親の影響で教会に来ていました。ものすごい経験と戦いを歩んできたパウロにとって、若い伝道者が心配です。当時は神学校もありません。でも信仰の先輩が若輩者を教え、祈り、支える中で人が育ち、教会は広がりました。イエスの姿をピラトの前での姿で描いているのが不思議です。多分、世の権力者に向き合うことを教えたのです。政治や権力に従う時に「助かる」と思うことがありますが、「折り合い」をつけれない時もあります。何より「福音」が優先されるべきなのです。20節の「知識」と呼ばれるのは「グノーシス主義」で、主の肉体の苦しみを否定するグループです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 岡山バプテスト教会。岡山市北区田町1-7-28にあります。岡山教会へは新幹線も止まる「岡山」駅から徒歩でも大丈夫です。教会の周辺には水路があり、美しい場所だったという記憶があります。故梅田環牧師の後、高橋牧師が就任されていますが、コロナのためなかなか「就任式」が出来なかったのですが、リモートも併用して行われるとのことです。①地域とのつながりの創出と継続。②教会ビジョンの推進と新建築事業。③牧師就任感謝礼拝(リモート併用・5月8日)の備え。牧師・高橋 周也
4/4 詩編2編 「キリストを預言する詩編」
この詩編は神に立てられた王(油注がれた方)の讃美の歌ですが、主イエスの歩みと重ねるとメシア(=キリスト)預言となります。7節の「お前はわたしの子…」は詩編中唯一つ「油注がれた者」を「子」と告げていますし、主イエスがヨルダン川でバプテスマを受けた時、この言葉が響いたとマルコ一章で記されます。2節の言葉はイエス・キリストの受難と重なります。一方で、9~10節のように「鉄の杖で彼らを打ち…陶工が器を砕くように砕く」というあり方ではなく、主イエスが「打たれ、砕かれた」のです。10節からは「すべての王」への招きの言葉ですが、同時にそれは私共一人一人への言葉です。12節の「子に口づけせよ」とは、主イエスを救い主と認め、主に感謝と愛をもって応答することです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福山バプテスト教会。広島県福山市沖野上町2-14-31にあります。3月までは向山満氏が牧師をされていましたが、辞任され、現在無牧師です。①喜びの賛美に満ち溢れる教会に。②喜びを人々に分かち合える教会に。③牧師招聘のうえに。
4/3 マルコ福音書15章6-20節 「非暴力と他者への愛を貫く王」
ここはまたピラトの前の主イエス。頻繁に出て来る「ユダヤ人の王」とは、イエスは一言も自分をそのように言っていません。この言葉をある人々は「ユダヤ解放者」と考えて使いますし、権力側は時には現政治を脅かす存在と考えましたが、逮捕した以上、それは皮肉を込めた言い方です。このような呼称には多様な意味が含まれます。「王」は本来、人々を助け、守り、安寧秩序をつくる役割ですが、そのような王は滅多に出現しません。そして一般的に「王」は殴られ、殺されていく存在とは考えませんが、「主イエス」は弱さと苦しみを受けることにおいて、世の権力に蹂躙されることで「王」の姿を示しました。今、知るのは主に従う「非暴力」を貫く王が必要であり、その人によって導かれる「救い」なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 緑の牧場キリスト教会。広島県東広島市西条町田口2799にあります。この教会も地名ではなく「緑の牧場」というあたたかい教会の個性を出している名前です。広島大学が移転したことに伴い、生まれた教会だと認識しています。1991年から酒井敬仁牧師が就任されていました。今年の3月末で酒井牧師は辞任され、4月より林(イム)牧師が就任されたとのことです。酒井牧師が富山教会(伝道所)にいらっしゃった頃、数名で訪問させていただきました。以前にも書いたのですが、酒井夫妻となる前、お付き合いされていることからの「交換日記」のノートが何冊もあり、まだ独身だった私はただ「すごいなぁ」と感心していました。いろいろな思いや、感想を言葉にしていくことは事柄を深めていきますね。もし、若い方がこの文章を読んでくださっていたら、ぜひ、多くの小説を読んで様ざまな「人間の心」に触れてほしいし、それは人格形成に大事です。もちろん、実際にいろんな人々と出会うことも大事ですが、出会う人は限られていきますが、その出会いのためにも多くの小説等に出会ってほしいです。なんだか、話が変わってきました。酒井牧師はこれからどうされるのかしら?さて、祈りの課題は以下です。①4月1日から牧師となられた林守鎮(イム スジン)先生とご家族、教会の上にさらなる父のお導きがありますように。牧師・酒井敬仁(2022年3月末辞任)
4/2 ルカ福音書23章1-25節 「暴力を生む悪意の共感」
ここに出て来る「ヘロデ」は主イエス降誕時代の「ヘロデ大王」の子の一人で、洗礼者ヨハネを殺した者と同一。ガリラヤの領主で、8節にも「イエスを見て非常に喜んだ」とありますが、心の中には洗礼者ヨハネやイエスに対する関心が深かったのす。ただ、主がヘロデに対し何も答えなかったので、兵士らとイエスに対し暴力を振るいます。そして再びピラト(28日参照)の前に送られます。印象的なのは「この日、ヘロデとピラトは仲良くなった」。仲良くなるのは「共感」が一つの柱ですが、人は「悪意的共感・他者への攻撃性」でも仲良くなります。共通の敵を決め、仲良くなるのは、集団の醜さ。ハラスメントでもそこに組する者がいます。何を求めているのでしょうか。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト呉キリスト教会。広島県呉市本通4-4-10にあります。広島市より海沿いで、造船等が盛んで、かつては「戦艦大和」を作った工場もありました。あれだけの船をつくるのに、どれほどの悲しみや痛みが注がれたことでしょうか。今のロシア侵攻の姿、愛を注ぎ、育てられた青年が一瞬で、しかも数千という人が殺されるのは本当に耐えきれません。戦争を美化することが誰にできましょうか。祈りの課題は以下です。①牧師給与を増額できるように。②礼拝出席者がもっと増えるように。③バプテスマの決心者が与えられますように。牧師・浅海 郁典
22-4/1 マルコ福音書11章1-11節 「シンパにもいろいろあるけど」
主イエスのエルサレム入城。ここで「葉の付いた枝」は「棕櫚(しゅろ)」でイースター前週日曜、受難週に入る日を「棕櫚の日曜(パームサンデー)」と言います。主イエスの言動は各地で話題になっており、ユダヤ三大祭の一つ「過越祭」にエルサレムに来たことでローマ支配下にある人々は「打倒ローマ」を期待して主イエスを歓迎したのです。「ホサナ」は「今、救ってください」という内容ですが実際は「バンザイ」のような感嘆詞。日没までにはエルサレムから約3キロの「ベタニア村(「貧しい者の家」の意)」に戻り、通います。そこにもイエス一行を宿泊、もてなす共感者(シンパ)がいたのです。共感者の広がりが主イエスの力と恵みであり、教会の働きの大事なものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト広島キリスト教会。広島市中区舟入町12-7にあります。広島市内を走る「チンチン電車」を降りてすぐの道沿いにあります。昔、この教会で行われた研修会でお話をしたとき、教会のすぐ裏手にビジネスホテルがあり、とても便利!と思ったことでした。広島には名物もいろいろありますが、「お好み焼き」はやっぱり美味しかったですね。播磨牧師とは西南学院大学神学部時代からの付き合いです。鹿児島教会にいらっしゃる時、遊びにいったとき、丁度、桜島が噴火していて火山灰が本当に細かく目に入ってくるのは驚きました。播磨牧師は大変鋭い感覚をお持ちの方で広島でもさまざまにご活躍されていると思います。祈りの課題は以下です。①平和と和解のつとめに仕える。②苦しみ困窮する人々と共に生きる。③具体的活動を通して福音を伝える。牧師・播磨
聡
3/31 マタイ福音書27章15-26節 「人の決断は何によるのか」
ピラト総督については28日分参照。バラバ・イエスはヨハネ書では「強盗」と記されますが、実際はローマ帝国に歯向かった政治犯です。そうでないと、人々の共感を得るはずはありません。マタイが伝える特徴はピラトの妻が主イエスの夢を見て苦しんだと語っていること。マタイは「夢(のお告げ)」に関心を持って忘れずに記録します(マタイ1章等参照)。ピラトはバラバの方が危険と思い、恩赦する気はなかったのですが、人々が熱狂的になり、「メシアと呼ばれるイエスを殺せ」と激しく訴えるのを見て、暴動を恐れて、イエスの死刑を決断します。さらに「私の責任ではない」と予防線をはります。政治家でも学者でも我らでも、自らの決断を最終的に、何によって決めるのか、それが曖昧であり、また責任逃れをすることが重大事件を生むのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟引退教役者の方々を覚えて。清水康弘氏(兵庫県在住)、菅原理之氏(長野県在住)
3/30 イザヤ書53章1-12節 「主イエスの姿を示す預言」
「苦難の僕(しもべ)」と呼ばれる、キリスト預言。主イエスの姿と重なるところばかりでイザヤ書がイエスの生誕五百年前に記されたことを思うと鳥肌がたちます。1節の「見るべき面影はなく、輝かしい風格も…ない」。確かに絵画では後光が描かれますが実際はなく、聖書にはイエスの顔が魅力的だったなど一切記されません。主イエスが受けた「傷」、それが我らを「癒す」。まさに我らを愛のゆえに赦し、共に傷つきながらもなお生きようにされたキリストの心です。なのに、今もなお、傷つけあう人間の世界、それはどれほど主イエスの傷を深くしているでしょうか。「背いた者」をも救い愛する主を知る時、人は「傷つける」世界ではなく、「愛する」世界を目指すのです。今日はM・Mさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟「天城山荘」。①天城山荘が新たな形で用いられ、祝福されるように。②天城山荘関わってきた連盟の歴代各位に感謝。委員長・内藤 崇
3/29 マルコ福音書15章21-32節 「負わされた十字架」
シモンというキレネ人。祭りにやって来て、偶然その場にいました。そして「黒人」であったため、その差別的感覚を利用され、十字架担ぎを命じられます。しかし、ゴルゴタの丘の主イエスと出会い、後に家族はクリスチャンになります(ローマ書16章13節参照)。そして主イエスは他の罪人二人と共に十字架に釘付けされます。その釘は太さが1センチ以上のものです。出血が長時間続く悲惨な刑。十字架の下では人々がイエスを侮辱します。この光景について詩編22編も必ず読んでください。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 「全国教役者会」。①それぞれの地に遣わされた教役者をつなぐ役割を担う。②教役者たちとともに作る研修会の実施。③教役者会の安定運営のために。事務長・本山 大輔(豊前教会牧師)
「女性牧師・主事の会」。①献身者の性差によらず賜物が用いられるように。②発足後22年、互いに励まし合う会としての活動継続。世話人代表・今給黎 眞弓(豊中教会牧師)
3/28 マルコ福音書15章1-5節 「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」
ピラトはローマ帝国がパレスチナに駐在させていた五代目の行政長官、総督(在位紀元26~36年)。神殿の中にローマの神々と偶像を刻んだ盾をつるしたり、神殿のための税金を水道建設に当てたり、ルカ13章に報告される神殿近くでガリラヤ人達を殺害したりとユダヤとその信仰を敵対視していました。「使徒信条」でその名が記されています。ユダヤ議会には「死刑(合法的殺人)」の権利がないため、ユダヤ人は通常敵対視する権力も利用します。ピラトは主イエスに対して尋問しますが、主は何も答えません。通常ならば弁明するので、ピラトは驚きます。そしてピラトはイエスを死刑にする理由を見つけられませんがこの機会を利用して自分の身を守るのです。「使徒信条」を時々、絶対化しているような方がありますが、「使徒信条」は「信仰告白」であり、常に見直されるものです。ピラトに関する言及は不十分です。ピラトを語るなら、当時の主イエスを理解し、認めなかった人々についても触れるべきでしょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「財務委員会」。①連盟機構改革に連動した財政計画の立案協力。②教役者退職金・年金制度運営のための諸問題解決。 委員長・篠 松次郎
3/27 マルコ福音書14章66-72節 「主イエスの言葉が届かない我ら」
この箇所は今回、それぞれの福音書から読んできました。それぞれ表現や報告に多少の違いがあるにせよ、この夜の出来事は後にペトロが初代教会の代表の一人になっても語り継がれていったし、ペトロ自身も自らの弱さと、そのペトロをに注がれた主の愛を語ったことでしょう。今日は別の面から見ますと、主イエスは例えばマルコ14章27節以下で、「あなたがたは皆(弟子たちは)つまずく」、「復活した後(つまり殺されること)先にガリラヤに行く」と語っています。その時の弟子は自分がつまずくことも、イエスが殺されることもない、と思っているのです。主イエスの警告の言葉を受け止められず、自分の思いのみに固執するのは、私共すべてにあてはまるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 南九州地方連合。この地域連合は、北は福岡県大牟田市、南は種子島から沖縄に至る21教会、7伝道所で構成されています。私も宮崎時代はこの連合にいました。集まるのには距離は遠いのですが、でもそうして集まる時の恵みは本当に嬉しかったです。祈りの課題は以下です。①連合内の教会・伝道所のために。②沖縄にある教会のために。③次年度の働きのために。会長・中條 信治(宮崎教会牧師)
3/26 ヨハネ福音書18章15-27節 「言葉が消される時」
サンドイッチ状に大祭司の家の外の話、真ん中で家の中での話を伝えます。外での話はこれまで伝えてきたように、ペトロが「イエスの弟子ではないか」と言われ、三度打ち消した話です。一方、大祭司の家では対話がなされます。主イエスは何も隠すことはありません。多くの人々に語ってきたし、その内容は聞いた者は知っている。「悪いことを言ったならそれを証明せよ」と主イエスは語ります。そのような主イエスは平手打ちをくらいます。言葉で話し合うことができるけれども、自分にまずい点があれば、対話を止め、暴力を用い、その人を封じるのです。言葉で心を通い合わせることが人間には恵みとして与えられているのです。言葉が消される時、暴力がはびこるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 江波キリスト教会。「江波」というのは、広島市に行ってら「チンチン電車」が走っており、「江波」行き、というのをたくさん見ます。その電車を見ながら、これに乗ったら「江波教会」に行けるんだ、と思った記憶があります。広島市の海側です。杉本牧師は北関東連合出身の方でとても親しく感じます。祈りの課題は以下です。江波地域(約4000軒)にトラクトを配布します。主の福音が隣人に届き、主ご自身が出会われますように。牧師・杉本
拓哉
3/25 ルカ福音書22章54-62節 「主が振り向いた」
22日と昨日の箇所のルカ版。春の寒い夜、薪の光と温かさに人が集っています。ある女中がペトロを「じっと見つめ」た。それは疑念を持つまなざし。そして「イエスの仲間じゃないのか」との言葉に自らと主イエスとの関係性を否定します。「イエスのことなどさっぱりわからない」と言っている時、鶏が鳴く。それは、イエスとの関係を自ら切った者へ有罪を告げる声です。61節に「主は振り向いてペトロを見つめられた」。この時、主イエスが館を出る時だったのか、それはわかりません。しかし、主の心はペトロにつながり、ペトロは確かに主のまなざしを感じたのです。もし、自分が、家族や友人からも「お前なんて知らない、関係ない」と言われたらどうでしょうか。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 広島西キリスト教会。広島市佐伯区千同1-26-23にあります。広島市内ですが、まだ行ったことのない教会です。「広島」は瀬戸内海に面し、気候も温暖で良い場所のように思います。そし何より「原爆が落とされた町」です。今もなお、「核兵器」を持つことを誇り、脅しに使う国があります。その悲惨さを学ばなければなりませんし、日本は核兵器、原子力等から脱皮するように世界に働きかける役割があるはずですが。広島出身の総理大臣はもっと平和憲法や体験としての核問題を語る世界のリーダーとなってほしいと思います。祈りの課題は以下です。①地域に根ざした伝道推進のために。②求道中の方々の救いのために。③教会学校と成人科の充実のために。牧師・大建
英夫
3/24 マタイ福音書26章69-75節 「頭で考えるのは簡単」
22日の箇所のマタイ版。ペトロの心は燃えています。剣もあるし、もし主イエスに何かあったら、自分が出て行って「助さん、格さん」のごとく、戦ってイエスを助け出そうと。出来もしないことを考えるのが人間。剣を出すどころが、女中に「あなたも捕まったイエスと一緒にいた人じゃない?」と問われ、「違う」と打ち消します。さらにもう一人から、そしてある人が「お前はガリラヤ弁だし、イエスと一緒に行動していたじゃないか」と言われた時、「呪いの言葉」を口にしたとのです。「呪いの言葉」とはまさしく「イエスなんて呪われ殺されたらいいんだ!」という内容。もし、自分がその場にいたらすでに逃げていたでしょう。主イエスは人に捨てられ、孤独で死に向かいます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 高松常磐町キリスト教会。高松市常磐町1-26-23にあります。この教会は町の中心部にありますが、残念ながら行ったことのない教会です。パイプオルガンが設置されています。当教会の礼拝等をFacebookに出していますが、いつも「いいね」をしてくださるのが高松常磐町教会の方です。この方は当教会以外にも他のバプテスト教会の情報にも「いいね」をつけています。私も「高松常磐町教会」の様子がアップされたらとりあえず「いいね」をつけています。ただ、礼拝のメッセージ等は「いいね」だけでは表現できないことが多いです。でも「いいね」してくださると誰が見てくれたのか解るのが感謝です。話が飛びましたが、祈りの課題は以下です。①教会創立70周年記念事業―天に宝を積む。次の世代の為、私達ができること、残せるもの―の前進。牧師・梶井
義郎
3/23 ペトロの手紙Ⅰ 2章21-25節 「主イエスに学ぶ」
18節からは「召し使いたちへの勧め」とあり、教会員男性で「召し使い」をしている人から相談があったのでしょう。「うちのご主人はとても厳しすぎる」とか不満を語ったのだと思います。ペトロは愛と誠意をもって働きをしなさいと語るのです。召し使いでなくとも、ある人と上司等の関係も結果同様ですね。そして社会的な地位の上下関係でも。平等な人間関係でも同様だといえましょう。ペトロはどんな状況でもイエスをに学び、主を見上げようと言います。キリストが「ののしり返さず」「人を脅さず…」と。世の中には「言われたら、十倍言い返す」と考える人、心や体に少し傷を受けた(ここは誤解しないでください。「少し」と判断するのは他人で、本人は人から見たら「小さい」と思われ、本人の苦しみが理解されない時がありますが、本人が「辛い」と思ったら「辛い」のです。人の受けた傷を他人は勝手に解釈してはいけません、そのように思っています。)だけでリベンジに燃える人もいます。時に幼稚な対応を見ることがあります。嫌な上司なら、その背景には何があるのか考えたり、大人なら、「おかしいこと」「非常識なこと」とその理由をきちんと話すべきです。色々相談したらと思います。主イエスのようになれないけど、主の歩みを見習いたいものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 高松太田キリスト教会。香川県高松市太田下町3013-10にあります。この教会が伝道所という組織から「教会」へと独立し、日本バプテスト連盟に加盟する時、連盟理事として訪問させていただき、お話を聞かせていただきました。そのような関係があったことで昨年、立派な記念誌を送ってくださいました。教会組織をした10年前、このあたりは地域開発がされて、大きなショッピングモール等ができるとのことでした。ぜひ、高松の方、一度、高松太田教会に行ってみてください。とにかく、牧師が大きいです。会えばすぐわかると思います。祈りの課題は以下です。①新長期ヴィジョンの作成。②駐車場用地の取得。③求道中の方々のバプテスマ。 牧師・大竹 敏生
3/22 マルコ福音書14章53-64節 「二つの裁判」
主イエスがゲッセマネで神殿警備隊等に逮捕され、大祭司邸でユダヤ最高法院の異常な深夜の裁判を受けます。しかしイエスを訴える証言が食い違います。業を煮やした大祭司は「お前はほむべき方(=「神」の言換え表現)の子、メシア(=救世主、キリスト)なのか」と問います。主イエスは詩編110編とダニエル書7章13~14節の言葉で答えます。そして大祭司は「メシア」だと認めたのは神への冒涜だと死刑を言い渡します。「死刑囚」と決まったら人々は唾を吐きかけ、暴力を振るいます。立場が変われば、イエスは人間以下の扱い。死刑(合法的殺人と言われる)はローマの承認が必要で次の場所へ送られます。一方、庭ではペトロも民衆から裁判されます。そこでの証言は「イエスを知らない」と三度関係を拒否。裁判長は鶏でした。今日はI・Mさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 恵キリスト教会。香川県高松市上福岡町778にあります。この教会も昔、行ったことがあります。すぐ近くに伊予鉄道(?)の線路が走っています。教会の名前は多くの教会がつける地域名ではなく、キリスト信仰の中心のひとつである「恵み」に由来します。それも良いと思いますが、言う時には結局「高松市の恵教会」と言いますが。祈りの課題は以下です。①礼拝と交わりの充実のため、トーンチャイムを用いた取り組みと讃美が実現しますように。牧師・伊藤 聰
3/21 マルコ福音書14章43-52節 「死を受け入れる苦しみと葛藤」
オリーブ山の「ゲッセマネ(油絞りの意)」(新共同訳では「ゲツセマネ」)で主イエスは心絞り祈ります。これから迎える死、それを受け入れることは簡単ではありません。「よみがえる」ことを知っていても、自分の命がなくなること、苦しみの深さを前にできることなら取り去ってほしい、と祈りながら、最後は御心が行われるようにと「死」を受け入れる覚悟をするのです。主イエスは役者ではありません。死の陰の谷を歩む恐怖がありました。そして神殿警備隊がやってきます。「こいつがイエスだ」と示す死の合図は、ユダの接吻。一人ペトロが剣を振り回しますが、すぐにイエスに止められます。悪事は闇の中で行われます。「聖書の言葉の実現」とは詩編22編のこと。裸で逃げた弟子は多分マルコです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 丸亀城東町キリスト教会。香川県丸亀市城東町3-11-21にあります。昔、行ったことがあります。丸亀駅前から歩いていったのですが、途中に有名な画家の美術館もありまして、時間があれば立ち寄りたかったです。丸亀城跡の近くです。山浦牧師は、牧師になる前は家具職員をされていて、そんなことで、教会の備品・家具作成もされておられます。もう丸亀も20年を越えるのではないでしょうか。祈りの課題は以下です。①神の光に照らされて聖書を読む。②神の光に照らされて世界を見る。③曖昧なものは曖昧なまま見たい。牧師・山浦 良治
3/7~3/13 特別版(メッセージなし)
3月14日(月) 聖書:詩編 42編2~6節 「なぜ、うなだれるのか」
教会の祈り:ロシア軍のウクライナ侵攻停止とウクライナの人々の守り。 今日の祈り:松山西教会(愛媛県)。①牧師招聘準備が整い、与えられますように。②ハンドベルでの地域伝道。③来会できない方へのアウトリーチ。 代表役員:城前
正志。
3月15日(火) 聖書:ゼカリヤ書 13章7~9節 「羊の群れは散らされる」
今日の祈り:道後教会(愛媛県)。①老いと向き合う方々が健やかに生活できますように。②医療・看護・介護に関わる方々の健康が守られますように。 牧師:宮本
恵
3月16日(水) 聖書:マルコ福音書 16章1~8節 「あなたがたより先にガリラヤへ」
今日の祈り:松山教会(愛媛県)。①福音の種を蒔き続けよう。②求道されておられる方々のバプテスマ決心のために。 牧師:川上 敏夫
3月17日(木) 聖書:ローマ書 7章13~25節 「わたしは肉の人」
今日の祈り:今治教会(愛媛県)。①礼拝者が増し加えられるように。②地域の人々・子どもたちへの伝道。③教会メンバーの体調の守り。
牧師:今井 朋恵、今井 謙一
3月18日(金) 聖書:ローマ書 8章12~17節 「アッバ、父よ」
今日の祈り:徳島伝道所(山口県、母教会は今治教会)。①コロナの収束。②教会メンバーの信仰・平安が与えられるように。③共に礼拝する人々が与えられるように。協力牧師:今井
朋恵、今井 謙一
3月19日(土) 聖書:ヨハネ福音書 14章25~31節 「さあ、立て、出かけよう」
今日の祈り:高知伊勢崎教会(高知県)。①牧師就任感謝と教会の歩みのため。②信仰と健康が守られるように。③地域に開かれた教会の働きのために。
牧師:河野 宏一(22年3月1日より就任、当教会出身牧師)
3月20日(日) 聖書:マルコ福音書 14章27~42節 「心は燃えていても」
教会の祈り:Y・Kさん、O・Hさん、S・Mさんのお誕生日を覚えてお祈りいたします。今日の祈り:徳島教会(徳島県)。①闘病中、介護、療養中の方を覚えて。②転入会者。バプテスマを受けられた方たちとの歩み。③孤独や貧困、暴力に苦しむ人たちのために。 牧師:杉山
いずみ(当教会出身牧師)
3/13 マルコ福音書14章10-26節 「最後の晩餐」
いわゆる「最後の晩餐」の記事。解放を記念する「過越祭」(=除酵祭)の食事の時、主イエスは「裏切る者がいる」と語ります。この思いは「裏切りの決意を変えてほしい」ということでしょう。しかし弟子達の誰もが「まさか自分のことでは」と思ったのは、誰もがその思いを抱いたことがあったからです。加えて言うなら、主イエスはもし逃げようと思えば逃げる機会は何度もありました。そしてパンが裂かれ分かち合い、ぶどう酒を回し飲みすることによって、自らの肉が裂かれ、血を流すこと、それが犠牲による救いの約束の印と語るのですが、多分、この時は誰も理解していません。「神の国で新たに飲む」は主が再び共に歩む時、つまり復活後と考えています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 八幡浜バプテスト教会。愛媛県八幡浜市広瀬2-2-12にあります。この教会とは、神学生の時に衝撃的な出会いでした。この地域は戦後、女性宣教師が各地が回って教会が生まれたのです。漁業の町、みかんの町で、夕方になるとどの店も閉まってしまいます。そして海が美しく、覗くと、石鯛が泳いでいるのが見えるほど。当時の岡田牧師(現在は引退)が岬の町々を訪れては、子どもを集めて「紙芝居」等を用い、福音を伝えようとされていました。その姿は印象的で、伝道者の姿としていつも思い起しています。祈りの課題は以下です。①礼拝者が、祝され恵まれる教会。②主に仕え、信仰を継承する教会。③地域に親しまれ、救われる教会。牧師・榎本
謙二郎、副牧師・榎本 佐智子
3/12 マルコ福音書14章1-11節 「イエスの死に向けての準備」
イエスの殺害計画に挟まれて一人の女性が主イエスに香油を注ぐ記事が記されます。ナルドの香油はヒマラヤの植物から抽出した成分をオイルに溶かしたものです。この女性は他の福音書でも紹介されていますが、イエスと出会っていた女性であり、香油を注ぐということに深い意味があります。ユダヤで「油を注がれる」ことは王の就任式の儀式であり、まさに主イエスは「真の王」、そして「救い主(キリスト)」として油が注がれたのです。就任式であり、同時に埋葬の儀式の先取り。回りの人々はその思いを理解できず、「もったいない」と言います。主イエスに対する奉仕は、その感謝と恵みを知らない者には理解できないのです。強いナルドの香りはゴルゴタの丘んも薫ったでしょう。今日はU・Fさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 防府バプテスト教会。山口県防府市栄町2-2-27にあります。防府はいわゆる瀬戸内工業地帯の一画で、瀬戸内海に面した温暖なところです。新幹線で通過していましたが、まだ行ったことがない町です。祈りの課題は以下です。①ひとりひとりが証し人となる。②地域に必要とされる」教会になる。③新年度の活動計画が祝されますように。牧師・山時 松江
3/11 ヨハネ福音書13章21-30節 「裏切る思い」
ヨハネ福音書では「最後の晩餐」と呼ばれる主イエスがパンとワインを弟子達と分かち合ったことよりも、主の「洗足」を大事に伝えてくれます。この13章で「悪魔がユダに入り」裏切りをさせたとあります。ただ「悪魔」が入ったからだと「悪魔」の責任に帰してはいけません。ユダが考え、ユダの責任で行ったことです。ユダはイエスが殺されるまでの状況とは考えていなかったようです。そして、ユダは「イエスを裏切る」=「イエスの居場所を神殿側に伝える」ことを止めようと思えば止めることができたし、主はそのことをユダに促しています。ユダが伝えなくてもイエスは捕まったでしょう。そしてユダだけでなく、共に食事した仲間は皆、イエスから逃げたのです。さて、今日は「3・11」を覚えます。11年前のあの日、私は神戸バプテスト教会の牧師と教会から生まれた「光の丘幼稚園」の園長をしておりました。数日後に控えた卒園式、そして修了式を控えていました。幼稚園は午前中保育になっており、教会で仕事をしていて、少しコーヒータイムをとろうと牧師館に戻って、テレビをつけてみると、仙台空港に津波が押し寄せてくる映像が流されており、何か大変なことになったと知りました。すぐに職員室に連絡し、その後、日本の日々が異常な空気になりました。卒園式の日はとても寒く雪がちらちらと降っておりました。3月は神戸教会の60周年記念礼拝が予定されていましたが、そこに全く祝祭の雰囲気はなく、受難の主イエスの姿と我らの状況を重ねて宣教したことを思い出します。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 小野田バプテスト教会。山口県山陽小野田市稲荷町3-25にあります。学校法人「小野田めぐみ幼稚園」の母体です。祈りの課題は以下です。①奏楽者が与えられれますように。②教会学校が復活できますように。③教会・幼稚園の増築のために。牧師・佐野
太
3/10 出エジプト記12章1-14節 「過越しの祭」
ユダヤ三大祭りの一つ「過越祭」の由来。春に出エジプトを記念する祭で、除酵祭(ルカ福音書参照)と併合されました。かつてエジプト脱出前、小羊の血が家の門柱と鴨居に塗られた家は主の災いが「過ぎ越し、守られ」、急な旅立ちのため、発酵させないパンをつくりました。イスラエルが奴隷状況から解放されたこと、神の偉大な救いを想起して「過越祭」が行われたのです。主イエスがエルサレム入城したのはこの「過越祭」の頃で、エルサレムには多くの巡礼者がいました。主イエスと弟子達も過越しの食事をした後、ユダに導かれた神殿警備隊により主イエスは逮捕され、処刑されるのです。十字架で血を流され殺された主イエス。新約における唯一の人々の罪を赦す「犠牲」「贖い」となったのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 下関バプテスト教会。山口県下関市上田中町2-7-11にあります。学校法人「めぐみ幼稚園」の母体です。祈りの課題は以下です。①幼稚園と共に生き、福音を伝えられるように。②病気や高齢による礼拝出席困難者のために。牧師・泉 選也
3/9 マルコ福音書12章38-44節② 「ささげる心」
「軽い音」ですが彼女の献金は心深いもの。「生活費全部」は「いのち」とも訳されます。彼女の一日分の生活費を献げたことは大きな犠牲でしたが、感謝が満ちています。献金は金額だけで比較評価されません。収入がそれぞれ異なるから。女性の献金を主イエスは喜ばれ、信仰者のあるべき姿と言ったのです。でもその話を、やもめが立ち去ってから語っています。そこで彼女を誉めたら「献げた思い」に水をさすことになるから。神さまが知っておられたら良いのです。大きな音で献げる人は周りの賞賛を受けたらそれで良いのです。私は幾人もこの「やもめ」のように精いっぱい献げる人に出会ってきたことを感謝して思い起します。今日はM・AさんとT・Cさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 門司バプテスト教会。北九州市門司区老松町7-3にあります。1891年創立の古い教会です。私の亡父がバプテスマを受けた教会でもあります。祈りの課題は以下です。①切原恩恵牧師の後継者の牧師が与えられること。教会員から牧師になる人が現れることを祈っています。牧師・桐原
恩恵
3/8 マルコ福音書12章38~44節① 「賽銭箱の前で」
当時の律法学者は裁判官の役割もしておりました。人を裁く力を持っている時、傲慢になる人がいます。律法学者は「ラビ」と呼びかけられます。それは「わたしの偉大なる方」の意味であり、会堂でも会衆を見る特別な場所に座っていたのです。その後、主イエス一行は賽銭箱に行き、献金を献げたでしょう。賽銭箱は寺社のものを思い出しますが、当時は銅製のラッパ状で献金目的(例えば「神殿で用いる食料のため、改修費用のため等」)に分けて13本ありました。、また、紙幣ではなく、当時は全て金属で、多くのお金を入れると凄い音が響いたのです。一人の貧しいやもめが二枚のレプトン銀貨を献げます。「レプトン」は「薄い」との意味で、まさに軽い音が鳴りました。(つづく)
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 門司港キリスト教会。北九州市門司区清滝4-2-5にあります。「門司港」は九州最北端の駅があり、最近は一帯がレトロな町として人気があります。関門海峡をはさみ、眺めもとても良いところです。祈りの課題は以下です。①門司(もじ)の地で主に仕え、他者に仕え、すべての人と共に生きる教会でありますように。代表役員代務者・石橋
貞男
3/7 マルコ福音書12章28-34節 「神への愛=人への愛」
律法学者の一人が主に尋ねます。「一番大事な掟は何でしょうか」と。律法は余りにも多くて、それらに気を向けている時にその中心がわからなくなるのです。主イエスは「聞け(シェマー)イスラエルよ」との申命記六章四節を引用して語ります。ここの「心、精神、思い」はそれぞれ異なるものではなく、三つ合わせて、「全身全霊」「生き歩むすべてで」との意味。さらに主はレビ記19章18節の言葉を用います。ただ18節にある言葉「民」(=同国人)を除くことによって、同国人や異邦人という境界線を引かないのです。イエスの独自性は二つの戒めを結び、表裏一体で提示したこと。ゆえに「神を愛することは、人を愛すること」となのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 富野バプテスト教会。北九州市小倉北区上富野5-2-18にあります。この教会のメンバーにオルガニストして著名な方がいらっしゃって、教会にもパイプオルガンが設置されています。大昔、45年位前に訪れたことがあります。祈りの課題は以下です。①コロナ危機が早く収束するように。②コロナ危機をすべての教会が無事に乗り越えることができるように。牧師・黄
仁坤、協力牧師・福田 昌治
3/6 マルコ福音書12章18-27節 「死後は誰と共にありたいですか」
悲しい「質問のための質問」。3月2日に扱った「ラビラート婚」を題材に、妻を迎えた長男が死に、次々と弟と結婚するが子は産まれず、女も死んだ。復活の時、この女は誰の妻なのか、と。こんな想定、誰が考えましょう。もし実際に起こっても、そこに生じる悲しみや屈辱という人間性を無視した問い。主は語ります。復活の後は生きていた時の人間関係がそのままではない(神に願えばその関係を天国でも続けられましょう。天国でも夫とずっといっしょにありたいと思う方もいれば、天国ではもう夫とはいたくないという方もありますね)。これが第一。続けて大事な真理を語ります。「神は生きている者の神」。大昔に死んだアブラハム等が生きている時、神は彼らの友であった。彼らが死んでもなお、神との関係は維持されているゆえ神の前に生きており、死後も神の愛に委ねることへの招きです。今日はN・Eさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト小倉キリスト教会。北九州市小倉北区古船場町9-14にあります。小倉駅からちょっと遠いですが歩いていける距離です。かつては「湧金幼稚園」が附属幼稚園としてありました。祈りの課題は以下です。①御言葉が大胆に語られますように。②困窮者支援の働きの継続のために。③求道者の信仰決心のために。牧師・山本龍一郎
3/5 マルコ福音書12章13-17節 「神のものは神に」
エルサレム入城後、主イエスは日々神殿で様々な議論を重ねます。イエスを陥れようとする悪意のある質問もあります。ここではローマ皇帝に税金を納めるのは聖書的に正しいことか?との質問。当時の貨幣にはローマ皇帝の肖像がほられ、高い税金をユダヤ支配者である皇帝に納めることに、経済的、精神的辛さがユダヤ人にあり、何度も革命や主権の回復を願ってもローマ軍が侵攻し犠牲と悲しみしか残らない歴史の中です。ゆえに「ローマに納めるな」と言えば民衆の人気を得るでしょうが、主イエスは「皇帝(カエサル)のものは皇帝に、神のものは神に」と語ります。国家に税金は払う、しかし、信仰と良心においてあなたは自由との誇りを持ち、生きよとのことなのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 南小倉バプテスト教会。北九州市小倉北区弁天町11-19にあります。「南小倉」ですが「小倉北区」にあります。この教会の谷本牧師は、ヴァイオリニストであり、特に「タンゴ」の演奏でCDを複数発行し、また全国各地でのコンサートを続けておられますが、コロナ危機の中で思うような活動ができていないかもしれません。常にユニークな聖書の読み方や教会の在り方を考えていらっしゃる方と思います。祈りの課題は以下です。①みんながつながりあって、今日を生きられますように。教会がそのために働くことができますように。牧師・谷本
仰
3/4 出エジプト記3章11-21節 「神はモーセを招く」
神が働きを委託したいとの願いに対し、モーセは「若い頃まで王宮で育ったけれど、殺人を犯した者。同胞にも嫌われた者。今の安定した生活を壊したくない。何より自分は言葉も下手で人々を導く力などない、そのような私がなぜ?」と戸惑います。履歴を見れば、他に良い人がいるんじゃないの、と誰しも思いましょう。「私はその委託にふさわしくない者」が「私は何者でしょう」の意味。神も「わたしは何者か」と語ります。それは「わたしはある」、それは「初めから、わたしがあったから世界があり、わたしはこれからもあり続ける」ような意味。なぜモーセが選ばれたのか、理由は不明。主はモーセを選び、あなたを選び、主は共にあり、御心を現実化したいのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテストシオン山教会。北九州市小倉北区下到津2-15-21にあります。この教会は「学校法人 西南女学院」に隣接し、西南女学院の教員や学生を受け入れる教会としての使命があります。また「社会福祉法人 シオンの丘 愛の園保育園 小規模保育所 こひつじ幼稚園」の母体でもあります。「シオン」とは、旧約聖書でよく用いられる言葉で、神殿建設された後の「エルサレム」の別名です。「山」はこの教会が少し山を登ったようなところにあるからでしょうか。伊藤牧師はなんでしょう、何でもきちんとこなす方です。でもそれがとても安定的で、大事なことですね。祈りの課題は以下です。①キリストにつながり共に生きる。②2022年7月教会創立100周年記念行事、事業、記念誌発行のために。牧師・伊藤 光雄
3/3 出エジプト記3章1-10節 「主は人々の痛みと叫びを知る方」
かつて兄弟から恨まれ、エジプトに連れていかれたモーセ。エジプト人がユダヤ人を奴隷化するのを見てエジプト人を殺し、逃亡した者。しかし、主はモーセをエジプトにいるユダヤ人を救い、解放するために用いようと考え、モーセに呼びかけます(=召命、コーリング)。ユニークなのは、主はモーセの好奇心をご存知で、燃えてもなくならない柴(小枝の集合体)を不思議に思い、主の前に導くのです。神の自己紹介があります。それはモーセも聞いていた「アブラハム…ヤコブの神」。その神はどのような方なのか。それはイスラエルの民の叫びを聞き、痛みを知り、圧迫を知り、乳と蜜の流れる豊かな地に連れ出し、解放を与える方なのです。モーセは同胞の痛みを忘れていましたが、主は決して忘れないのです。今日はT・Mさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 企救(きく)バプテスト教会。北九州市小倉南区徳力6-10-6にあります。この教会の原田牧師は、私が学生時代に常盤台バプテスト教会で共に歩んだ先輩です。ムーミンのような風貌で、優しくも厳しい方です。ヘブライ語や旧約聖書にも大変詳しい方で、九州バプテスト神学校で「ヘブライ語(=へブル語)」の教授もされています。それから、クラシックを中心とするCDや絵本の数は莫大で「絵本と聖書の話」など素晴らしくされる方です。もうこの教会で35年程いらっしゃるでしょうか。祈りの課題は以下です。①新しい年度の歩みの整え(3月予算総会、4月定期総会)。②病気療養中の方々とその家族。牧師・原田 義也
3/2 申命記25章5-10節 「古い契約に従う必要はない」
ここを読んでビックリする人も多いでしょう。「ラビラート婚(=ラビラト婚=レビレト婚=もらい婚)」といわれ、最初の婚姻で結ばれた両親族集団の紐帯を維持し続けることです。ユダヤ、パンジャブ、モンゴル族、チベット民族などで一般的ですし、日本でも例があります。申命記での問題はそれを拒否する人は男女とも厳しく侮辱的かつ差別的な扱いを受けるのこと。結婚というものが家と家、民族と民族の結びつきに関わる考え方に対して「個」を大事にすべきと新約聖書は教え、主イエスも旧約での律法をすべて有効とはしておりません。今度の日曜の礼拝宣教でも多少取扱います。現代では結婚式でも「○○家と○○家」としないのは良いです。恋愛も結婚も責任ある個人の自由です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 小倉春ケ丘バプテスト教会。北九州市小倉南区春ヶ丘3-3にあります。この教会のことを詳しく存じ上げませんが、JR小倉駅(新幹線もとまる)からモノレールに乗っていくのかしら、と思います。祈りの課題は以下です。①会堂修繕費用が与えられますように。②30人礼拝が実現しますように。③地域に根差した教会になるように。牧師・千葉 仁志
3/1 ヨハネ福音書6章22-40節 「命のパン」
五千人の給食に続く記事です。人々が主イエスを求めているのは「パン」を得たいためだ、主イエスは批判的に語りつつ、より深い対話へと導いていきます。そして「朽ちる食べ物ではなく、永遠の命に至る食べ物」を求め、そのために歩むように促します。「永遠の命」は単に死後も永遠に神の前に生きること以上に、生きる者の「救い」を示し、「主の御言葉と主の命と愛に支えられて歩むこと」を意味します。「人の子(=イエス)は神であり、人の子が与える食べ物(=御言葉と主の命)」を得よと語った時、人々はその証拠を求めます。主イエスは「神のパンは天から降り、人々に命を与える」と語りますが、人々は理解できません。それは主の死を通して明らかにされます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 北九州キリスト教会。北九州市戸畑区中本町12-34にあります。また、この教会は「社会福祉法人 北九州ナオミ福祉会 保育所 ナオミ愛児園」の母体です。牧師の斎藤信一郎先生は前、西川口教会牧師としてお交わりをいただきました。お働きが祝されますようにお祈りいたします。祈りの課題は以下です。①伝道の力が強められるように。②西南女学院との関係の深まりを。③ナオミ愛児園の働きの祝福を。牧師・斎藤
信一郎
2/28 使徒言行録223章1-11節 「情けない議員や施政者」
パウロがユダヤ人達から訴えられ、ユダヤ最高法院で裁判を受けます。時の大祭司アナニヤは在位45年~56年。パウロは議員に復活等を認めないサドカイ派と復活等を認めるファリサイ派がいるのを知り、問題を広げ、「復活」の有無で裁判されていると訴えます。すると元々仲が悪い二つの派は「復活があるか否か」との話で論争が始まります。パウロの見事な作戦ですが、大体、パウロの発言で裁判になるのは異例で、むしろ「最高法院の決議を経て殺されたイエス」の影響を恐れていたからこそ、何が理由を探して捕らえたのです。現体制を守ったり、現体制の力を拡大させるために「でっちあげ」や「力」で抑え込む、そこで戦争が始まり、人が殺されていく人間の罪は今も変わらないことに啞然とします。ロシアのウクライナ侵攻・武力行使に反対し、即刻撤退を求めます。また、ロシアに協力しようとする中国に対しても非難いたします。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟引退教役者の方々を覚えて。斎藤 剛毅氏(神奈川県在住)、佐藤徹丞氏(大分県在住)
2/27 マルコ福音書11章12-26節 「理不尽な求めをする世界に対して」
解釈困難な箇所。葉は茂っているいちじくの木が主イエスの怒りを買い、枯れてしまう。この意味はイスラエルの象徴として多用されるいちじくに実りがない、つまり、神の思いに適っていない神殿はじめ、人々の姿です。それが間に挟まれた神殿浄めといわれることに示されるように人々の信仰を商売や利益目的に利用していることへ怒りです。解釈を困難にしているのは「いちじくの(実を結ぶ)季節ではなかったからである」との言葉。イエスのわがままで枯れたと考えればひどい話です。でもそれは主イエスの行動全体と整合性がなくなります。そしてこの話の末は「赦しなさい」との言葉。主イエスが例となって示したいちじくを枯らすようなひどい世界に「赦し」と「復活」を伝える話と考えます。ここでは十分話ができませんが、またいつか礼拝でする時もありましょう。今度の日曜は「離婚」に関わる箇所を扱います。今日はM・Sさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 米国南部バプテスト日本語教会連盟(12教会)。①教会での礼拝が再開できるように。②福音の光を照らす群れとなるように。③神の愛に生きる教会となるように。
2/26 マルコ福音書11章1-11節 「子ろばに乗った平和の王」
主イエスがエルサレム入城される際、「小ろば」をご自身が準備し、そのろばに乗って入られます。すでにイエス・キリストに対する民衆の期待も大きく「ホサナ」の歓声で迎えられます。子ろばに乗るのはゼカリヤ書九章の成就で、「平和の王」を意味します。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟「臨時委員会」
■「平和宣言推進担当者会…改定された「平和に関する信仰的宣言」が、諸教会にいて豊かに用いられ活かされますように。委員長・谷本 仰(南小倉教会牧師)
■「憲法改悪を許さない私たちの共同アクション担当者会…①平和憲法9条が守られますように。②これからの運動の展開の導きのために。委員長・林 健一(太田教会牧師)。
■「東日本大震災被災地支援委員会…今なお、地震・津波・原発事故によって、さまざまな痛みの中におられる方々を覚えて。委員長・中田義直(連盟常務理事)、事務局長・大城戸一彦。
■「東日本大震災現地支援委員会」…今年度で現地支援委員会が終了し、来年度から東北連合で引きついでいく働きが守られますように。委員長・金丸 真(仙台長命ヶ丘教会牧師)
2/25 マルコ福音書4章26-32節 「成長する種から学ぶ」
「神の国」とは「神の支配」、つまり神の御心が示される世界、神の心と願い、働きは如何なるものかを示します。今日の箇所ではまず、人間の無力を語ります。農夫が種を成長させるのではありません。努力はしますが、種から芽、茎、収穫へと至るのは「神秘」としか言いようがありません。人間は「無」から種を創り出すことはできず、神の働きとしか言えないのです。また植物の成長は不断です。前へと向かって、日々僅かですが成長するのです(ただし、成長の概念には「老化」や「死」も含まれます)。また種は時にはコンクリートや石をも打ち破る可能性を持ちます。そして「種」は成長し、他の被造物にも安らぎと家を与えるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟「性差別問題特別委員会」①一人ひとりの性が尊重されるように。②SNS上でも深刻な性暴力の根絶。③公開学習会(講師:大藪順子さん)のために。委員長・岡田
富美子(那覇新都心教会牧師)
2/24 Ⅰヨハネの手紙5章13-15節 「祈る前に、そして祈りつつ考える」
ヨハネ文書で多用される「永遠の命」。たとえ、肉は滅んでも、主の前に生きる命のこと。しかし、その言葉が我らの中で語られる時、より現実的には「救い」とその拡がりを表現します。命を感謝し、喜び、平和に生きることの導き(救い)は、自己のみならず、他者との関わりの中で具現されます。ここで「なるほど」と思うのは「祈りを神が聞き入れてくださる」、しかし、その祈りは「御心に適う祈りである」こと。祈りは自己都合、自分勝手な願いをしてしまうことがあります。例えば「天気を良くしてください」、確かにそうですが、それが御心かどうかは不明。「あの人がいなくなったら」との祈りも、まずその人との関係性が問われるし、祈りの前に為すべきことがあるのです。今日はT・Tさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 西九州地方連合(12教会1伝道所)。①コロナ危機でもますます協力伝道を。②加盟教会の財政が守られるように。③無牧師教会を覚えて。 会長・藤野 慶一郎(嬉野教会牧師)
2/23 ルカ福音書13章6-9節 「主の愛によって」
主の譬え話。読む度に希望と励ましを与えられます。ぶどうは露地栽培で、いちじくとセットで植えられ、どちらも大切な農作物。「いちじく」が実をつける時期になってはや三年、実りがありません。地主は園丁に「土地がもったいない、切り倒せ」と命じます。しかし園丁は実を結ぶための努力をするので、一年待ってほしいと願います。もちろん特別な「いちじく」であったわけでもなく、替わりの木を移植するのが合理的なのです。でもここは「譬え話」。この園丁こそ主イエスの姿であり、主イエスに学ぼうとする私共の姿です。「石の上にも三年(石でも三年座っていれば暖まる)」と言われますが、愛という肥料、丁寧な付き合いと忍耐が実のりへと向かわせるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 若松バプテスト教会。北九州市若松区高須東3-4-5にあります。この教会は1889年の創立で、日本バプテスト連盟加盟教会でも本当の初期の教会です。衆議院議員、若松市市長をされた吉田敬太郎氏が1949年からこの教会の牧師をされていました。著書に「汝復讐するなかれ」があり、当教会にも5冊ほどありますので希望者には定価1000円でおわけいたします。「神愛幼稚園」というものすごく広い園庭、ものすごく長い廊下のあるすばらしい幼稚園です。園長先生も知っている方です。そして、現在の永町牧師は大宮教会を辞して若松教会2年程前に就任しています。Facebookには「食べたもの」とか教会の記事等がしるしてあります。「共なる恵み」というお名前のすばらしい先生です(ジェンダーでは男性と思われます。ぜひ若松教会に行ってください。北九州市にはミッションスクールの「西南女学院」もあり、そちらの卒業生の方々も多いと思います。教会はあなたのおいでになるのを心から歓迎して待っております。祈りの課題は以下です。新たなるヴィジョンが与えられますように。②神愛幼稚園の働きの祝福。③若い方々が集えますように。牧師・永町
友恵
2/22 イザヤ書56章1-8節 「信仰の条件」
ここで旧約から新約に至る中での大事な御言葉が語られます。まずは「異邦人」。それまでは「ユダヤ人」だけが救われるのであり、異邦人で旧約聖書信仰を願う人には多くの制限がありました。しかし、主の救いは「国籍」や「血統」ではなく「信仰による」と語られます。さらに「宦官」とは去勢された男子で宮廷や貴族の家に仕えた者。 中国のほか朝鮮、オリエント諸国、ローマ、イスラム諸国にもみられます。それら去勢された人々もユダヤ律法の中では救いに入ることができないと言われていました。しかし彼らもまた信仰によって救いを得られると語られるのです。このことは示唆的で「神を信仰すること」は神への態度以外は全く無条件であることです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト高須キリスト教会。北九州市若松区高須東3-4-5にあります。この教会はまだ行ったことのない教会のひとつで、1986年から始まっています。祈りの課題は以下です。①将来計画が祝されるように。②コロナ後の活動が祝されるように。③求道者が決心に導かれるように。牧師・三上
渡、協力牧師・山田 雄次
2/21 ルカ福音書13章1-5節 「事故・事件の再発防止のために」
訴えられた時、何より「仲直り」を求めよとの話に続いて、一つのニュースが伝えられます。それは「ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜた」こと。これは説明しないとわからない話ですね。多くの学者が推測するのは、エルサレムの水道建設に神殿が費用負担することにガリラヤ人等の一部が反対し、武装蜂起したことに対しピラト側兵士が反対者を殺害等をした事件。併せて主イエスは「シロアムタワー建設中の事故で死傷者が出た」ことにも触れます。主イエスは「それら事件・事故は彼らが罪深いから、と個人のせいにしてはいけない、その原因を探り、どのような方法を採用するのが最善なのか、それを考えなければ同じことが起こる、それが(主の御心を求める)『悔改め』」だと語るのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 八幡バプテスト教会。北九州市八幡西区岡田町2-14にあります。北九州市の副都心「黒崎」駅前から大通りをまっすぐ歩いて、少し丘をのぼったところにあります。北九州市が工業都市として栄えていた時代と較べ、今やシャッター通りが連なる地域になりました。それでもシャッター通りに住居や新たな店舗をつくる試みもなされていることをテレビで知りました。八幡教会もそのような地域と同じように、昔から時間がとまっているような感じがいたしますが、久保田牧師のお働きが祝されますようにお祈りいたします。祈りの課題は以下です。①伝道のために。②災害被災地の復興のために。③福島の原発事故後の収束のために。牧師・久保田 理
2/20 マルコ福音書9章14-29節 「祈り続ける中で祈りは深化する」
主イエスと3名の弟子が山に登っている時、麓では癒しをできなかった弟子をめぐって言い合いのようになっていました。主は「なんと信仰のない時代なのか」、これは弟子たちに語られた言葉です。信仰がないとは、29節から考えて、弟子たちに祈りがなかった、それが失敗の原因であると語ります。16日にも記したように、弟子たちは、「自分たちには出来る」という自信は過信であり、自分たちの栄光と、誇りのための祈りでした。それは祈りがないことより、祈りの目的が違っていたのです。自分の力を信じることであり、イエスに聞く祈りにならなかった。「神をほめたたえる」ために、私共の祈りも、祈り続ける中で聖霊の働きにより祈りが変化することも知りましょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> バプテスト光キリスト教会。北九州市八幡西区里中2-5-5にあります。と言っても、以下「祈りの課題」」にありますように、もうすぐ、2月末日をもって閉鎖されます。祈りの課題:①今月末日の教会解散と教会員の新たな出発のために。②解散に伴う清算人(5名)の働きのために。(2月27日解散礼拝、28日に解散)
2/19 マルコ福音書9章2-13節 「新しい約束に促され」
「山上の変貌」と呼ばれる箇所。主イエスは高い山に3名の弟子と登り、その時、主イエスの姿が真白に輝き、旧約聖書に登場したモーセやエリヤと語り合うのです。あまりの光景に圧倒されたペトロは、主イエスの偉大さを示すものと考え、小屋をつくり、その光景を固定し、多くの人々が見たら主イエスこそ救い主と宣伝できると考えたのです。ただマルコは「非常に恐れていた」とペトロを擁護しています。そこで天からの声が響きます。「これはわたしの愛する子、これに聞け」。次の瞬間、その光景は幻の如く消え去り、いつもの主イエスだけが共におります。その後、主は死と復活のことを語ります。それはあの輝きと正反対。でも「これに聞け」、主に聞き歩む道への促し。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 東八幡キリスト教会。北九州市八幡東区荒生田2-1-40にあります。何よりこの教会の奥田牧師はホームレス者支援の働きでNHKテレビで紹介されたり、本もいくつか執筆されています。新しい会堂は写真でしか見たことはないのですが、とても「思い」のある建築です。祈りの課題は以下です。①コロナで厳しい状況の方を覚えて。②子どもの自死を防げ。③東八幡教会も役立てるように。牧師・奥田 知志、石橋 誠一、協働牧師・藤田 英彦、森松 長生
2/18 ヘブライ書12章1-13節 「主の忍耐によって」
ヘブライ書は「こうせねばならぬ」という強い語調と意思があり、「そこまでは…」と感じる自分があります。「あなたがたは罪と戦って血を流すまで抵抗したことはありません」と言われると、認めざるを得ません。弱くて、すぐに逃げ出したくなる自分。でもそんな私を「気力を失い疲れ果ててしまわないように…忍耐された」、その愛と忍耐でもって自分も守られ、導いてくださったのです。親に鍛えられない子があろうか、とありますが、私の親は優しかったです。厳しく鍛えられていたら、牧師になろうと思わなかったです。今、心配なのは親が鍛えるどころか、子を殺すこと。先日の事件では親も虐待を受けて育ち「愛」を知らないとのこと。「愛」で育まれることが大事です。今日はT・Yさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト枝光キリスト教会。北九州市八幡東区白川町10-36にあります。この教会の岩崎牧師は「カルト宗教」に詳しく、特に学生等が「カルト宗教」に誘いこまれることがあり、「おかしいな」と感じたら、ぜひ当教会や枝光教会にご連絡してください。祈りの課題は以下です。①コロナ危機に宣教が進みますように。➁連盟職員・連合の働きを覚えて。③カルト被害者とその家族を覚えて。牧師:岩﨑 一宏
2/17 エフェソ書6章10-20節 「平和の福音を告げる」
「悪魔」とは神の思いや考えに対抗する力です。誰しも我が内にいつも在るものですし、私共はそれほど自由でありません。それは「あなた」という存在の一部ですから。また、神の心に反する事柄との戦いは個人攻撃ではなく、そうさせている思想や環境、教育、社会システムに対するものです。それらを改革するのは大変ですし、無力さを覚えますが、でも「諦めない」ことです。連合の集会で聞いた、沖縄で辺野古基地建設に反対する老齢の女性は個人の利益ではなく、未来のために「諦めないで戦う」と語る言葉を知り、励まされました。なぜ「沖縄」?なぜ「辺野古」でなければいけないのか?そもそも米軍基地とは?辺野古に何兆もの莫大な投資をしなければ日本の未来や平和が描けないのでしょうか。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 折尾キリスト教会(宗教法人名前:折尾バプテスト教会)。北九州市八幡西区光明2-12-13にあります。この教会が私が生まれ、少年時代までいたところです。地盤が低く、洪水の被害にあったこともありましたが、庭(境内地)は広く、いろいろ遊んでいました。小さい頃までは隣の家で「みつばち」を飼っており、私もよくみつばちに刺された記憶があります。でも蜂蜜ももらっていました。庭には「いちじく」の木があってとって食べたり、「フキ」がたくさんあって、春に、母が収穫して煮て食べたのをなつかしく思い出します。教会は今もほとんど昔のまま建っています。祈りの課題は以下です。①イエスによる救い。②聖霊による救い。③父なる神による救い。牧師・内村 茂
2/16 マタイ福音書17章14-20節 「信仰の内実」
息子の病気を悩む親が主イエスのところに来ます。「信仰がない」と叱られたのは弟子達です。「よこしま」とは「道理から外れていること」。弟子の失敗はからし種(マスタード粒程小さい)ほどの「信仰」が無いということ。どういう意味でしょう?「信仰がない」と聞くとドキッとします。では信仰があれば、何でも可能でしょうか。難しい問いです。つまりその「信仰」の内実が問われるのです。弟子達に必要だった「信仰の内実」は何か?と考えます。それが「道理に外れていた」と主は言われるのです。それは「自分」の自信や誇りを高めるための「信仰」だったのかも。弟子達は「癒してやる」と考え、親子に対する共感や愛情、心込めた祈りがなかったのかもしれません。今日はK・Yさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 芦屋キリスト教会。福岡県遠賀郡芦屋町西浜町4-19にあります。「芦屋」は多分、北九州市に隣接するところで、海が近かったり、自衛隊基地があります。地域では「愛生幼稚園」の方がなじみがあるかもしれません。祈りの課題は以下です。①み言葉と祈りに生きる教会。②新来者・求道者に信仰が与えられるように。③愛生幼稚園の祝福のために。牧師・尹 正鉉
2/15 マタイ福音書13章51-58節 「出会いを妨げるもの」
この箇所は2月6日の当教会礼拝でほぼ同じ内容のマルコ書から話しましたが、今日は51節からです。マタイでは「天国」や「神の国」を「天の国」と記すのは、「神」の名をみだりに使用しないという慣習に従ったもの。ここのポイントは「新しいもの=主イエス以降」、「古いもの=旧約」ということ。主イエスは故郷で語ります。人々は自分たちの知識や経験をはるかに凌駕してい主の話を聞きますが、その驚き、凄いと思う知恵や奇跡が、ここでは主イエスへの信仰に結びつかないのです。幼い頃やイエスの家族を知っているという古い知識、資格や社会的地位が無いという知識がイエスを拒絶することに導きますし、我らも「過去の知識」が出会いを妨げることを覚えます。今日はM・Hさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 中間バプテスト教会。福岡県中間市長津2-11-16にあります。「なかま」と読み、とても良い名前の地ですね。阿部牧師はこの地でもう40~50年お働きになっていると思います。私の父はよく知っていたようです。北九州と中間を結ぶ西鉄電車(いわゆるチンチン電車)が走っていたような気がします。祈りの課題は以下です。①高齢信徒の方のために。②次世代に信仰の継承がなされますように。③会堂の補修と維持のために。牧師・安部
寅彦
2/14 マタイ福音書9章27-31節 「見えなくとも求め続ける」
マタイ9章では「癒し」の具体的な話が続きますが、「人々が打ちひしがれている」(36節)のは肉体的のみではなく、心や魂も含まれ、ここに登場していない人々も主のいやしを受けたことを思います。さて、今日の二人の盲人は主イエスを目の当たりに見ることはできませんが、耳で福音を聞き、目が開けられる前から主を「救い導いてくださる方」と信じていました。でも主イエスはまるで背を向けるかのように家に入りますが、なお彼らは家の中にまで来て主を求めます。ここは彼らの熱心さを強調しているのです。「願い止まない」姿に我らも学ぶ必要があるからです。祈りが聞かれない時もなお祈り続けることを。「知らせてはいけない」のは肉体的な「いやし」だけに注目が集まるのを避ける意図があります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 直方バプテストキリスト教会。福岡県直方市頓野3895-6にあります。「ちょくほう」ではなく「のうがた」と読み、北九州、八幡製鉄所に炭を提供する拠点として戦前・戦後は栄えた場所です。しかし、1960年代後半から製鉄所が千葉等に移動して以来、人口が減少していきました。石炭の使えないものを「ボタ」と言い、私が幼い頃、「ボタ山」があるのを見ました。今は草木が生え、黒い山ではなくなっているようです。今の筑豊の姿も見てみたいと思っています。直方教会の田中牧師はかつて連盟少年少女大会などでご一緒に働きをさせていただきました。田中ご夫妻はとても歌が上手な方です。素敵な讃美歌が直方教会から流れていることでしょう。祈りの課題は以下です。①地域の拠り所となる教会。②苦しむ人に寄り添える教会。③平和を求め続ける教会。牧師・田中 伊策
2/12 マタイ福音書16章13-20節 「教会の土台」
ペトロの信仰告白と呼ばれる箇所です。「信仰告白」とはイエスを私の救い主と語ることです。実際はもっと多様な言葉や表現を用いて「イエス」は私にとって「どのような存在か」を示すこと。大事なのは、他の人がこう言っている、ではなく「あなた」に問われていることです。主イエスはペトロ(=「岩」という意味)に対し「この岩の上にわたしの教会を建てる」と言います。「岩の上に」とは、「主を救い主と信仰告白」であり、「使徒達の宣教によって」との意味があります。そしてその教会に「天の国の鍵」を与えます。「地上でつなぐ、解く」ことが天とつながっているとのことで、教会が人を赦す、裁く、権威と考えられますが、その委託は簡単なものではありません。ゆえにその行使は相当な吟味が必要ですし、本来「できない」ことを認めねばなりません。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト苅田キリスト教会。福岡県京都郡苅田町京町2-19-7にあります。この地は日産の工場ができてから人目をひくようになりました。といってももう50年位前かな。祈りの課題は以下です。①進学のため県外に出る多くの学生のために。②青少年に福音を伝えたい。③高齢者とその家庭に福音を。牧師・佐藤清一、名誉牧師・鍋倉勲、教会主事・児玉尚文
2/11 ヨハネ福音書1章35-42節 「神の小羊、主イエス」
主イエスが洗礼者ヨハネからバプテスマを受けた翌日、歩いてくる主イエスを見て「見よ、神の小羊」と言い、ヨハネの弟子はイエスの弟子になります。主イエスは彼らに「何を求めているのか」と聞き、「どこに泊まっておられるのですか」と答えます。変な対話で通常は解りづらいかも。ヨハネ福音書を読むのはかなり想像力が必要。ただ「泊まる(共にいる、つながる)」はヨハネ福音書の鍵語。繰り返される「見つめた」や「会った」もヨハネ書では意味深い言葉。「スケープゴート」(犠牲の羊〈山羊〉)という言葉があります。「身代りの犠牲」ですが、主イエスはまさに犠牲の小羊として人間の(罪の)身代わりとされます。ヨハネ書はここで主の死も示すのです。深いですね。今日はS・Aくんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 豊前キリスト教会。福岡県豊前市八屋1686-2にあります。豊前は北九州市と大分県の間くらいかなあ。アナウンサーの大江麻理子が豊前市の出身のようです。この教会は1953年に誕生した教会です。長い間、この地での伝道は難しかったり、厳しい状況もあったようです。現在の本山牧師が就任されて、教会が元気になってきました。つまり集まる方々が増え、新しい牧師館と会堂ができたとのこと!感謝です。本山牧師は西南学院で講師もされておられます。たのもしい牧師です!祈りの課題は以下です。①すべての人を歓迎する教会になる。②伝道開始70周年に向けての準備が進みますように。③新会堂の献堂式ができますように。牧師・本山 大輔
2/10 イザヤ書61章1-11節 「主イエスの最初の宣教」
この箇所はイザヤ書の中でも新約との関係で重要。「油を注ぐ」とは「王の就任」で行われることで、「油注がれた者」は「王」あるいは「メシア(救い主)」とされます。王やメシアが何をするのかが記され、それがまさに「主イエス」の働きを意味します。ルカ福音書4章で主イエスが最初に会堂で話をされたのがこの箇所であり、ここで主イエスの心を明らかにしたのです。ここからはルカ書を参照してほしいのですが、ルカ書は混乱しています。つまり人々はイエスの言葉をほめた、素晴らしいと言った、にもかかわらず、「ヨセフの子」と差別的に言われ、人々はその後、憤慨し、殺されそうになるのです。何があったのでしょうか。それは「報復」と言わなかったことです。今日はF・Kさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 大分キリスト教会。大分市城崎町2-6-22にあります。この教会には、かなり幼い頃に一度、そして宮崎にいる時に一度、福岡にいる時に一度と行った記憶があります。まぁ、それくらいの記憶しかないのですが、また一度ゆっくりと行きたいものです。大分は魚がおいしいはずです。祈りの課題は以下です。①会衆賛美や愛餐会などを再開したい。②地域に開かれた教会になりたい。③賜物を発揮できる教会になりたい。牧師・村田 悦
2/9 マルコ福音書8章22-26節 「主イエスに引かれて」
「ベトサイダ」は「漁師の家」の意味。ここで一人の盲人を心配する人々が癒しを求めてやってきます。そして主イエスはこの盲人の手をとって村の外に向かいますが、この時、主は彼と色々な話をしたでしょう。この箇所を読む度に感動を覚えます。信仰、それは我らに先が見えなくとも、共なる主が我の手をとり歩んでくださること。主は目にご自身の唾をつけ、祈ります。そして尋ねます。「何か見えるか」と。その後も数度、尋ねられます。盲人は少しずつ見えるようになります。「木のようなもの」、さらにそれが「動いているように」見えます。信仰とは主イエスと共に対話を重ね、主が私のことを祈り、「見るべきもの」が見えてくることであり、開かれた目で見たのは何より愛する主イエスの顔であったのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 別府国際バプテスト教会。大分県別府市中須賀東組10組の1にあります。「国際」という名前がついていますが、別府には立命館アジア太平洋大学(APU)が2000年に開校し、この大学は世界中から多くの(日本の大学の中では一番多い)留学生が学んでいます。ただ、コロナ危機の現在の状況はよくわかりません。そのようなことで、海外からの留学生や教員・職員の中にクリスチャンの方もおられ、そのような方々も集っているとのこと。それゆえ「国際」なのです。「別府」は温泉で有名ですが、まだ行ったことのない方はぜひ行ってみてください。別府市内にはいたるところから蒸気がわき、種類も違う温泉の数には圧倒されます。別府には「地獄」もありましたが、「ラクテンチ」もありました。猿で有名な高崎山もおすすめです。祈りの課題は以下です。。①遠方、海外出身者への配慮と祈り。②新しい礼拝形式の模索。③一人ひとりの健康。牧師・酒井 朋宏
2/8 マルコ福音書8章11-21節 「証拠を求めるのは何のため?」
「しるし」は「証拠」。主が真に神の子や預言者なのか、証拠を求める人々に主は辟易としています。「証拠」を求めるのは「不信」があるから。人間が信じられないようなことをしたら「神」なのでしょうか?「証拠」を求めるのは「信じたくない」理由探し。何の証拠を見たら人々はイエスを神と信じるのでしょうか?でもそこから信仰の対話が始まります。14節からの「パン種」の話。「パン種」とはイースト菌のような酵母のこと。ファリサイ派のパン種は、彼らの発する「イエス非難」が広がることに注意することであり、「偽情報」が拡散され、人々がその情報に乗りやすいことを語ります、でも主イエスはわずかなパンが飢えた人々を満たす働きこそ大事と伝えます。今日はK・Mさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 臼杵キリスト教会。大分県臼杵市大字福良187番地2にあります。この教会は1951年創立の古い教会です。臼杵は大分県と宮崎県の間にある感じです。産業も少なく、人口も減っている地域でしょう。しかし、臼杵で育った現協力牧師の松永牧師がもう10年以上前かなぁ、この教会の牧師になりました。今は、お嬢さんとそのお連れ合いが一緒で、お連れ合いの方が牧師をされています。お嬢さんは、私が神学校時代、家族寮の下の部屋に住んでいてとても可愛いお嬢さんでした。その方が、西南学院大学神学部で学び、連盟事務所での働きなどをされ、今は臼杵でお店を出しています。元牧師がやっている店ということで地方紙にも紹介されたそうです。先日、地震があり、古い教会堂なので心配しておりましたが、被害はなかったとのこと「耐えた」とFacebookに投稿されていて感謝しました。松永牧師はかつて建築マンで、小柄ですが、声はでかく、勢いのある方でした。なつかしいなぁ。それから、臼杵にも切支丹の遺跡があり、松永牧師はその紹介などの活動もされています。祈りの課題は以下です。①この地で新たな出会い直すために。②使命を見出し仕え合う喜びの共有。③教会、牧師館、擁壁等設備の補修。牧師・永松 博、協力牧師・松永 正俊
2/7 ルカ福音書12章35-40節 「食前の祈りから考える」
マルコ6章には5千人の給食の記事がありますが、ここは違う話。クリスチャンは「食前の祈り」をするのが普通で、幼い頃は外食の時にも「食前の祈り」をされるのが恥ずかしいものでした。食前の祈りの根拠が今日の箇所かもしれません。「祈り」を生活の折々にするのは大事です。でも常に食前の祈りをする必要はありません。「ご飯」以外に、日々の活動の始めや終わり等、祈る機会はたくさんありましょう。一方で、「食事が与えられている」ことは決して「当たり前」でないことも覚えます。一粒のお米の背後に、生産者の働き、天気や水という神の恵みがあり、一匹の魚でも「いのち」を頂く有難さを覚えますし、日々の糧を得られない人々も覚えていきたいものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 福間キリスト教会。福岡県福津市津丸983-11にあります。この教会には神学校の先輩だった播磨先生(現:広島教会牧師)が最初に赴任した教会で、そのころお伺いしたことがあります。現在の牧師の田宮先生は、昔、姪浜教会でご一緒していました。その後、何度がお会いする機会がありましたが、ある日、牧師さんになったのでびっくりしましたが、とても嬉しかったです。ギター片手に歌を歌うときもあります。もうすぐ引退の年?びっくりです。祈りの課題は以下です。①次期牧師招聘ができますように。②地域への伝道が進みますように。③コロナ危機からの回復のために。牧師・田宮
宏介、協力牧師・宮崎 信義
2/6 マルコ福音書13章32-37節 「目を覚まして過去と未来を見る」
今週学んできたように、戦争や自然災害を「世界の滅び」や「再臨」と結びつけるのは危険です。「目を覚ましていなさい」。それは、災害の原因がどこにあり、どうすれば災害から守られる方策を探ることであり、災害時に備えた国際的な救助・援助体制を構築することです。また、災害にも人災的側面があるので、リスクを減らすこと。「戦争」は「自然災害」が要因になることもありますが、何より経済の問題です。力や軍事力による覇権争いは悲しいですね。争いの起こる原因は「経済」と書きましたが、その裏には差別や不平等があります。人権が守られ、少数者の権利が認められ、教育や医療が整った社会基盤の整備を国際的にすること。その理想を国家や社会は目指すのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 自由ヶ丘キリスト教会。「自由ヶ丘」という名前は多分、日本中、たくさんあると思います。ここは福岡県宗像市青葉台1-35-1にあります。「自由ヶ丘」という地名ではないのですね。97年に始まった新しい教会です。宗像市は歴史的な遺産もたくさんある場所です。そして、今は福岡市と北九州市の中間にあるベッドタウンとして発展している地域と思われます。協力牧師の福本順子先生は、私が東福岡教会で神学生として奉仕・研修している教会の牧師のお連れ合いで、女性連合の会長等もなさっていたと思います。祈りの課題は以下です。①み言葉を宣べ伝え、共に福音にあずかる。②教会創立25周年記念に向けて。③皆さまの健康と生活が守られることを。牧師・諸岡 寛、協力牧師・福本 順子
2/5 マタイ福音書13章28-31節 「主の言葉は決して滅びないゆえ」
主イエスは一連の「終末(救いの日、再臨)」が来ることと、注意すべきこと、その時は誰にもわからないので、しっかりと主イエスの言葉に聴き歩むことを語った後、それを「ぶどうの木」になぞらえて語ります。「終末の徴」は昔から、時代が不安定になる度に、その恐怖を増やそうと、あるいは、「こうすれば救われる」というような情報を流し、特定の宗教に誘ったりすることは、どの時代にも繰り返されました。「阪神淡路大震災」でも「神戸」は「神」の「戸」が「開かれた」「崩された」と解釈し、災害を運命や呪いだと、まるでその人々が真実を知っているかの如く人々を惑します。我々がなすべきことは災害時の愛による連帯、そして戦争が起こらない社会を実現することなのです。今日はO・Mさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 古賀バプテスト教会。福岡県古賀市花見南2-27-45にあります。まだ、行ったことのない教会ですが、先日、Facebookに写真が掲載されており、とても新しい素敵な教会でした。この教会の泉牧師とは長いつきあいにもなりますが、前教会時代に大動脈解離をされ、救急ヘリコプターで運ばれました。私共、とても心配しましたが、今は元気そうに過ごされています。娘さんにもドラム教えていたことがあったけどもう忘れただろうなぁ。祈りの課題は以下です。①平和のためのあらゆる働きのため。②主日礼拝を共に守れますように。③神の宣教に教会が用いられますように。牧師・泉 清隆
2/4 マルコ福音書13章14-27節 「救いの日に至るまで」
昨日の続き。「憎むべき破壊者」と記し、「読者は悟れ」と注釈があります。これは紀元70年のエルサレム神殿の破壊を意味するように記されたと思われ、この注記は主の言葉に遡りません。主イエスは国や民族、あるいはキリスト者に起こる危険について様々な注意喚起をしています。それは「逃げなさい」であり、「冬ならばより準備しなさい」とのことです。ただ、それより先に「主が苦難の時を縮めることを祈ること」ですし、その時は「誰にもわからない」(32節)ので世間の動きに注意し、偽メシアが登場しますが、惑わされないようにすることです。ただ「苦難の時」や「偽メシア」の出現はどの時代にも起こったものです。24、25節は旧約聖書からの引用。「再臨」は救いの日なので、恐れることはありません。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 西戸崎キリスト教会。福岡市東区西戸崎6-2-27にあります。「西戸崎」は私が知っている時代は漁村のようなのんびりした場所でしたが、今は随分変化したことでしょう。この教会の城牧師は大変頭が良い方です。いくつかの本も出版されていると思います。すごいのは、西南学院大学神学部を卒業されて、神奈川のとある教会の牧師をされておられ、西南学院大学神学部の教授をされていた青野太潮教授がリタイアされるので、その前にと、大学院に入り直し、学んだという方です。お連れ合いの「かく」さんの方をよく存じておりますが、ライター(執筆家)や糸島での「ヘブンズ・ガーデン」の働き、かつては福岡有田教会でのゴスペルのご指導をお願いしておりました。数年前、「ヘブンズ・ガーデン」にはじめてお邪魔したのですが、名前から考えて「洋風」なものを想像していたら、何と、古民家を使っていました。祈りの課題は以下です。①安心して礼拝・賛美・交わりを。②交わりの食卓を夢見て。③病者に癒しを、困難に慰めを。牧師・城 俊幸
2/3 マルコ福音書13章14-27節 「危機の時にも惑わされず」
弟子達が立派な神殿に感嘆しますが、主は「どんなに素晴らしい建築でも永遠ではなく、壊される時が来る」と語ります。その後、弟子が「それはいつで、どんな兆候があるのか」と尋ねます。エルサレムも何度も破壊と復興を繰り返していますので、切実な質問であり、その質問は我らの心の中にも常に置かれている不安の一つと言えましょう。また、戦争においては思想・信条・信仰の統一化が図られることも考えられています。主は弟子の質問を「終末の時」と捉え、まず「人に惑わされるな」と語ります。危機は情報が錯綜し、人々を扇動する偽情報があふれますから。また、争いは人間の歴史に常ですが、聖霊の助けを得て「耐え忍び」、「生きる」ことを目指せと語るのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> バプテスト東福岡教会。福岡市東区前出4-13-15にあります。つい最近、この教会のことを書いた気がします。もしかしたら以前のが間違えていたかもしれません。協力牧師の松見先生は、西南学院大学神学部の教授をされていました。その前は日本バプテスト連盟宣教研究所の初代の所長として活躍されました。様ざまな研修を提供してくださり感謝です。松見先生の説教集が出版されたら嬉しいのですが。祈りの課題は以下です。①バプテスマが与えられますように。②高齢者・病の人が守られますように。③幼稚園の働きのために。牧師・笠井
元、協力牧師・松見 俊、劉 雯竹
2/2 ローマの信徒への手紙 13章8-14節 「初心に戻って」
「眠りから覚めるべき時」は「再臨が近い今」。再臨の時は信仰に入った日より近づいているのは確かなので、改めて促します。信仰に入った時は新たな気持ちで「キリスト者として生きていくぞ!」と思うのですが、段々時が経つと、最初の思いを忘れ、救いを頂いた感動も薄れ、祈りを失い、御言葉(聖書)は棚の上に放りっぱなしになるのです。これはどうしたものかと思います。そのためには、礼拝(または「聖書の学びと祈り会」コロナで休止中)に出席することが一つ。それから教会の奉仕を通して教会との(=神様)との繋がりを保つこと。また、今はコロナで行っておりませんが、教会学校のリーダー等で人に伝えるために自ら聖書を学ぶことです。肉に心を使うとは、主が喜ぶことに心を使うようにとの願いです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 香住ヶ丘バプテスト教会。福岡市東区香住ヶ丘4-2-14にあります。この香住ヶ丘教会、長らく盲人である藤井健児牧師が牧師として就任されており、現在は名誉牧師となっています。この教会で西南学院中高に通っていた故中村哲医師(ペシャワール会)が洗礼(バプテスマ)を受けたのです。この教会ではじめてのバプテスマ式が行われたとのこと。その後、中村氏は九州大学医学部で学び、その後、アフガニスタンでの活動が始まりました。アフガニスタンで感染症を防ぐためにまずは「靴(あるいはサンダル)」つくりから始まり、人々の病を防ぐ根本的なこととして、用水路をつくり、まさに医者でありながら靴や重機を使うようになったのです。中村哲医師のことは去る12月24日のクリスマスイブ礼拝でお話させていただきました。祈りの課題は以下です。①礼拝をかたちづくる者となる。牧師・堀内
明、名誉牧師・藤井 健児
2/1 ルカ福音書12章41-48節 「いのちを豊かに生きる」
昨日の続きです。「主人=主イエス」が不在の時の人間の歩み。主人がいつ戻ってきてもよいように準備されれば、強盗等の被害にも遭いにくいのでより安全です。「再臨」とはいつ来るのか、それは遥か先かもしれませんので、この譬えを考える時、私共の日常生活とから考えていくのが良いです。私共に必ずやってくる「死」について、それは随分先だと思っていますが、その保証はありません。いつ自分が召されても、いついなくなっても良い準備をすることが肝要。家族に、教会に、関係する社会に対し関係書類や伝達すべきことを整えること、それが「死を覚える歩み(メメント・モリ)」で、その整えがその人に与えられている人生を豊かに、日々が大事な日々とされます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 博多キリスト教会。福岡市博多区青木1-10-28にあります。福岡空港に大変近く、ときどき、飛行機で福岡空港の離着陸時に、うすいグリーンの屋根の大きな教会堂を見ることができます。でも実際は空港から歩いていったことがないのでどれほど近いのかはわかりません。祈りの課題は以下です。①愛のうちに立つ教会として歩めるように。②来年から51年目の教会のために。牧師・佐味 健志、名誉牧師・川内 研二
1/31 ルカ福音書12章35-40節 「主が見ていないので」
「主人が不在の時」の譬話はいくつか見受けられます。この話は主イエスが見える形でいなくなった時(つまりキリスト昇天後)に僕(しもべ=我ら)がどんな時に主人が戻ってきて良いように準備を整えることへの招きです。キリストが戻る時は、「再臨(さいりん)」と言われ、初代キリスト教会では「すぐに来る」と考えられていました。しかし、人々の救いのためにその「時」は延びています。子どもの頃、両親がいないと好き勝手に遊び散らかし、親が帰ってきたら大目玉ということがあります。夫婦のどちらかがいないと「チャンス」と思って掃除を丁寧にする人もいれば一人で高級食材を食べようという人もいます。「いない」「見ていない」時をどう生きるのか、そこで人の通常見えない部分があからさまになります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟引退教役者の方々を覚えて。児玉 振作氏(東京都在住)、是澤 達也氏(埼玉県在住)
1/30 マルコ福音書7章24-30節 「女性の願いを受け入れる主」
昨日の箇所も参照。病気の幼い娘を持つ女性が主の噂を聞いて熱心に求めます。主は「今はすごく疲れているので後で」と断ります。でも娘が何より大事で急ぎたいのが親心。女性は言います。「お疲れでしょう。でも食卓からこぼれるようなわずかな恵みで十分です」と。主は彼女のユーモアと熱心さ、信頼に応えてくださいます。この時を逃せば、主に出会う機会は無いかもしれないのです。私共、主イエスのことを「誰か」に伝えるのは「いつか」と思いますし、心疲れている時は家族や人のことを構うこともできなくなります。自分の信仰を家族や他者に伝えることができる「時」を願いましょう。同時に私共は神でなく、弱き罪人であり限界ある存在と思うことが大事。今日はK・Kさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト保育連盟。①幼な子と保育者の救いのために。②保護者に子育ての喜びと安心を。③若者をキリスト教保育に送り出す。会長・田中 秀一(シオン山教会員)
1/29 マタイ福音書15章21-28節 「マタイとマルコを比較して読む」
この箇所は明日読むマルコ福音書と同じ内容を伝えますが伝承される中で変化があります。マタイで「主が何も答えなかった」とあります。マルコでは「誰にも気づかれないようにしていた」という内容が「答えなかった」と言い換えられたと思います。「気づかれないように」したのはその時、主イエスが大変疲れていたと考えられます。多忙の中で主イエスは一人祈る時間を大事にしておりましたが、そうできる状況でなかったと思います。マタイの「イスラエルの失われた羊のところにしか遣わされていない」の言葉はマルコにはありませんが内容的に含みます。ただ、主は異邦の地で宣教を行っておりますので、ここは「イスラエルの失われた羊のところにしか遣わされていない」ことはごく限定的な話。そうして比較すればこの箇所が伝える意味が浮き上ってきます。今日はH・KさんとS・Aちゃんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連合立等神学校・研修センター。「東京バプテスト神学校」「九州バプテスト神学校」「北海道バプテスト研修センター」を覚えて。
1/28 ローマの信徒への手紙10章5-13節 「神の前にあらゆる方法で告白」
主の救いはすべての人々に開かれています。9節「口でイエスは主であると公に言い表し…」の「公」が気になり調べると「公」と書くのは新共同訳のみ。「口」は原典にありますが「口」は広く解釈すべき。なぜなら「口で告白できない人」がいますので、「口」でなく「しぐさ」や「文字」でもそれは良しなのです。「公」とわざわざ記した場合、概念が難しくなります。下手をすれば「公」=「国家」と解釈され「信仰」を国が判断できることになればおかしいです。「公」は「教会」の意味で使ったと思いますが、「教会」もまた罪を犯す存在であり、「公」は文字として入れず、徹底的に神の前での告白であり、教会はそれぞれの信仰が聖書に基づくならば、共に喜ぶのです(もちろん判断が難しい時もあります)。今日はK・Mさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「資料保存・管理委員会」。日本バプテスト連盟に関わる様々な資料の収集や保管、データ化をすすめている委員会です。いつぞやも古いラジオ福音放送のテープがでてきてどうしようか等が理事会の会議で話されたとのこと。祈りの課題は以下です。①委員一人ひとりの働きにより連盟の重要資料の保存が進められますように。②連盟の重要書類の保存・管理作業にあたっている長尾なつみ職員の働きが主によって守られますように。委員長・松村 誠一(大泉教会員)
1/27 ローマの信徒への手紙9章1-5節 「キリスト者としての祈り」
この箇所でパウロはユダヤ人がイエス・キリストを拒絶したこと(もちろん、主イエスを救い主として信じたユダヤ人も多数います)について説明します。しかしその感情は怒りではなく、悲しみであり、「同胞」を覚えるのです。今まで、同胞に苦しめられ、暴力や被害を受けたにも関わらず。同胞が救いを得なければ自分自身はどうなっても良いという親のような「愛」。1節の「良心も聖霊によって証ししている」とは解りづらいですね。嘘でないことはキリストも聖霊も知っている、との内容になります。ただ神様から認証の印等付けられませんので、証明はパウロ自身がその名にふさわしく歩むことです。主イエスの思いにふさわしい行動をとる歩み、それがキリスト者の唯一の印。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福岡地方バプテスト連合。福岡市とその周辺(久留米市等も含む)のバプテスト教会で構成されている「教会連合」です。39教会、2伝道所が加盟しています。西南学院がある地元ということで学院との連携が行われています。祈りの課題は以下です。①近さを生かした協力伝道の推進。②既成教会支援の新たな制度の確立。③諸教会の礼拝と集う方々の守り。会長・踊 一郎(久留米教会牧師)
1/26 マタイ福音書11章20-24節 「主イエスの悲しみ」
難しい箇所です。「町々が悔改めなかった」。コラジンとベトサイダ、数度福音書に登場します(マルコ8章等)が特別にそのような出来事の記録は四福音書にありません。それはすべての主イエスの活動が福音書に記録されていないからですが、いずれにせよ理由不明。人々から「無視された」と考える人もいます。主の宣教に無関心な人も大勢いました。教会も主イエスに関心を持ってもらいたいと宣伝しますが、人はなかな来てくれません。利益・金銭を求める団体でないので、宣伝にも金をかけられません。どうしたらよいのでしょう。今日の主イエスの言葉は「厳しい」と思いましょうが、「不幸だ」という言葉は怒りや憎悪でなく「悲しみ」です。決定した裁きではなく、主の心からの祈りであったのは間違いありません。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 那珂川キリスト教会。福岡県那珂川市恵子3-3-5にあります。「那珂川市」は福岡市に隣接し、新幹線の基地がある関係で、博多駅から那珂川まで新幹線が安い料金で乗れますし、その他、便利が良いので人口が増えている地域です。この教会の籐牧師は、コーヒー通の方で、昔からコーヒーにこだわりがあり、今も見つけた店で、豆を煎って購入されています。その他オーディオや音楽もお好きで、配線のケーブルを自分でつくっておられ、「すごいなぁ」と思っていましたが、最近はされないようです。チェンバロ(?)が教会にあったと思ったのですが、故障して今は使えないとのこと。祈りの課題は以下です。①地域の方々に福音を届けるために。②新来者・決心者が与えられるために。③キリストの体なる教会形成のために。牧師・籐 寿
1/25 マタイ福音書4章23-25節 「病で悩む人に対して」
北イスラエルに位置するガリラヤを主イエスが巡り、その反響によりイスラエル南部やヨルダン川東から大多くの人々が主イエスを目指して集まってきたし、それに対して主イエスが対応したことが伝えられています。地名については多くの聖書の巻末に「地図」が掲載されていますし、時間があれば現代の地図と見比べてみるのは意味あることです。集まってきた人々の多くが病気です。医療が発達した現在も、二千年前も同じ。でも大事なのは「病気治癒」と人間の幸いはイコールでないこと。もちろん、病気が良くなり、仕事等ができるのは幸いです。でも「幸い」とは人間関係をつくること、差別や暴力ではなく、互いを愛し、、認め合う、嬉しい命をつくりだすところです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト福岡基督(キリスト)教会。福岡市中央区荒戸2-5-16にあります。教会の前の道を海側に登っていくとなんとかという神社があり、初詣の時などは渋滞するほどなので、教会で「お汁粉」でも販売したらいいのに、と思ったほどです。教会の名前が「基督」と漢字で書かれていますが、それは設立が1892年と古いためです。登記を変更すればカタカナにできると思いますが、そこは歴史をこめているのかなぁと思います。古い建物ですが、なんとなく風格も感じます。祈りの課題は以下です。①コロナ危機の中、希望を語る。②いのちに奉仕する教会となる。③主日礼拝の在り方を問い直し行う。牧師・小川
宏嗣
1/24 マルコ福音書6章45-52節 「逆風こそ順風」
ここは先週17日の箇所と似ていますが違うもの。ここでは主イエスは舟に乗らず山で祈っています。つまり、主イエスがいない現実であり、それはより我らの生活に近いものです。しかし主は遠くから見ておられ、弟子達が舟で進むことができない状況を知り、彼らの舟へ向かいます。弟子が「幽霊」と思ったのも無理はありません。主は「幽霊」ではなく、悩むあなたの近くに来られ、言葉を掛け、恐れから解放し、平安を与える方として、今日も生きておられます。あなたは、生き悩む中で聖書を読む時、祈る時、「幽霊」ではない、主イエスとの人格的な交わりを知るでしょう。人生に「逆風」と思われる時があります。しかし、主にあって逆風こそ順風(ケルケゴール)です。本日はT・Kさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 鳥飼バプテスト教会。福岡市中央区鳥飼1-6-17にあります。この教会を囲むように、西南学院の幼稚園、保育園が建っています。私が福岡時代、娘たちが保育園でお世話になりました。他にも同じバプテスト連盟の牧師さんのお子さんが数名通っておりました。子どもを送るついでに、鳥飼教会には良い印刷機がありましたので福岡有田教会のちらしや伝道新聞などを印刷させていただいたものです。鳥飼教会はもう歴史のある教会です。いつも申し上げますが、教会のすぐ前が「那珂川」という川で、冬はたくさん渡り鳥がやってきます。パンを小さく切ったものを投げると鳥が上手に食べるので、子どもと一緒に投げたりしておりました。ついでにいえば、さらに遡る西南学院神学部で学んでいる時代、2年目は鳥飼教会で奉仕・研修神学生として通いました。当時は鍋倉牧師でした。さて、祈りの課題は以下です。①コロナ危機での生活困窮者のお守り。②病める人たちの癒しと回復。③求道者の信仰決心と宣教推進。牧師・三田
照雄
1/23 マルコ福音書6章30-44節 「人を生かす食卓」
今日の箇所の前、14節から「ヘロデ家の食卓」(ヘロデ…ヘロデ・アンテパス。ヘロデ大王の第4の妻の息子。ローマ帝国から委託を受けたガリラヤとペレヤの国主。異母兄ヘロデ・ピリポの妻と通じ,後彼女と結婚した。マタ14章,マコ6章,ルカ3章,9:7,13:31,23:7‐12などに出てくる「ヘロデ」とはこの人物のこと)の話に続いて「人里離れた場でのイエスの食卓」が対比されており、「人を殺すか、人を生かすか」とのテーマがあります。ヘロデ王の晩さん会の特別メニューは「娘の妖艶なダンスと洗礼者ヨハネの生首」、主イエスのメニューはまず「御言葉」。人々は何より主の言葉を聞こうと、求め集まったし、人々の心の飢えに主は応えます。時間が経ち、弟子達自身も腹が減ったのでしょう。夕方近くになり、解散することを主に願います。理由が「食事」だったので、主は弟子が用意しなさいと言います。弟子達はびっくり。「こんな多くの人々にどうして食事を持ってこれようか、金もないし」。でも弟子には確かにあったのです。貧しい食事が…。そして主は貧しい食事を用い、恵み豊かな食事を正しく配分するのです。今日はT・Wさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 西南学院バプテスト教会。西南学院大学の附属ではなく、大変関係が深い独立した教会です。場所としても学院の敷地の一画にあるような感じ。教会の方々には西南学院大学の教員や職員、学生が多いです。数年前に新しい会堂になり、パイプオルガンも設置されています。この教会の踊牧師は、ものすごい読書家です。毎回の説教に最近読んだ本から聖書の御言葉につなげるというスタイルをとっております。優れた説教者であるといつも思っております。祈りの課題は以下です。①2022年12月4日、創立百年を迎えます。主の導きのうちに準備し、新たな献身表明の時となりますように。牧師・踊 一郎
1/22 マルコ福音書6章6b~13節 「各地に遣わされた弟子の働き」
主イエスが弟子を二人組で遣わします。「汚れた霊に対する権能」。「汚れた霊」は、人にとりつく良くない力であり、「神さまの思いや願いに反抗するもの」で具体的には病気や心身の不調、時にそれに伴う対人、社会への適応不全。当時、理由が解らない病は「汚れた霊」にとりつかれたと表現されました。使徒はそのような力から解放する権利能力を与えられます。杖と履物、下着のみ持っていくのは、全く「何も持たない者」として、ただ、神の恵みにより生きる者として歩むため。当時、貧しさの故「持たない者」は珍しくありませんでした。受け容れない者や関わりたくない者とも当然出会います。それはそれであきらめることです。「ある家に入る」とは「我が家に来てほしい」と招かれた時の場合のことです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト福岡城西キリスト教会。福岡市城南区別府5-10-28にあります。大きな道路から少し上に登っていくのですが、その下の道路に美味しいうどん屋さんがありました。宮井牧師は、かつてC国で宣教師としてのお働きをされた方です。協力牧師の寺園牧師は、長らく九州大学、また西南学院大学で教授をされていた方であり、「バルト神学」で国内、国際的に大きな働きをされた方です。いわゆる「教会教義学」の大家であり、聖書神学の青野太潮先生との神学的バトルも見ごたえのあるものでした。私は「聖書神学」の方がすっきりと理解しやすく、教義学はあんまりなじめなかったです。別に寺園先生が悪いわけではありません。祈りの課題は以下です。①キリストの恵みに応える教会として歩むものに。②祈り祈られる教会の交わりが豊かにされるように。牧師・宮井
武憲、協力牧師・寺園 喜基、名誉牧師・安藤 榮雄
1/21 詩編23編 「生き返る魂」
「詩編23編」はこの欄で何度も扱っています。今日は一つの言葉から。3節の「魂を生き返らせる」。「魂」は「心の中の心」、辞書的には「生きものの体の中に宿って、心の働きをつかさどると考えられるもの」。特に聖書では「神さまと結ばれる部分」かな。では「魂が死ぬ」とは、動く気力も失せ、渇き、神の言葉も人の言葉も届かないような状況。でも、それで終わりではなく「生き返る」可能性があります。青草、憩いの水、人生の中ではそれはどこでしょう。私はまず主の建てられた教会と信じます、教会で神の言葉と皆の祈りに支えられ、励まされ、命の水なる神の息吹に触れ。神の計画に気づく歩みの中、自分自身(魂)を取り戻し、立ち上がっていくのです。今日はK・Mさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 西福岡のぞみキリスト教会。福岡県糸島市篠原西3-3-25にあります。昨日も記したように「糸島」は今、福岡でとても人気のある地域です。ぜひお訪ねしてみてください。祈りの課題は以下です。①神の愛が地域の人々の平安を支えてくださいますように。②新来者の方々が信仰に導かれますように。牧師・亀井 良雄、協力牧師・永山 辰原
1/20 エゼキエル書34章11-23節 「国の指導者の資質」
「牧者」とは「羊飼い」のことです。聖書やユダヤ世界では、「羊」(弱いので群れをなすが、目も頭も悪いので、すぐに迷ってしまう)を見ながら「人間のようだ」と思い、「羊」を人に、「羊飼い」を王や政治家、宗教家にたとえてきました。悪い王の政治では国民は進むべき道が見えず、食料難や同国民や他国民から略奪など増えます。今の世界の国々を見ても、政治リーダーの考えや資質により国が瞬く間に破壊されているのを知ります。しかし、良き羊飼いなる指導者の登場を聖書は語るのです。23節にあるように「一人の牧者=ダビデ」を起こすと。勿論、ダビデ王はエゼキエルからは昔の王様。ここではメシア(=救い主)なる牧者、つまり主イエスの登場を示すのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福岡西部バプテスト教会。福岡県糸島市前原東3-13-63にあります。「糸島」は自然も豊かでありながら、福岡中心へのアクセスも良く、福岡近郊で人気のある場所です。1999年から始まった教会です。この教会の麦野牧師は玉川大学等でホルンを専攻したプロです。今は西南学院大学でも講師として「音楽」を教えておられます。お連れ合いの方(かえちゃん)もまたプロのピアニストで、お二人で演奏することも多いですね。また、麦野牧師のFBを見ますと、福岡のラーメン店のことや、自転車でどこそこを走ったということがたくさんでてきます。サッカーも好きな牧師でもあり、ぜひお気軽に福岡西部教会に行ってみてください。祈りの課題は以下です。①礼拝と教会活動が守られるように。②コロナ危機で苦しむ人々と共に歩めるように。③新たな出会いが与えられるように。牧師・麦野 達一
1/19 マルコ福音書5章35-43節 「主は遅刻しないので」
主は癒された女を探します。「主の救い」は体の癒しよりむしろ、主イエスとの交わりに生きること。彼女は自らの痛みと悲しみの歴史を語り、人々はその証しを聞きます。でも一人、彼女の癒しを喜べない人がいます。それがヤイロ。「早くしろ!」との言葉が喉元まで出たその時、ヤイロの娘の死亡が伝えられるのです。「遅かった」、ヤイロはイエスと女性に対する怒りや失望、虚しさが溢れます。ああ、それは人の喜びを自分のこととできない人の悲しみですが、自分の娘の命は何にも変えられないものです。主イエスは語ります。「死は眠りの仲間。そして、主の御心は必ず起こる」ことを。主は葬儀の準備がされている部屋に入り、祈ります。その時、12歳の少女は起き上がり(=復活し)ます。命の喜びがそこから広がります。今日はT・Mさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福岡ベタニヤ村教会。福岡市早良区南庄5-4-37にあります。「ベタニヤ」とはエルサレム近郊の村の名前で、意味は「貧しい者達の家」。表記によっては「ベタニア」と記される場合があります。日本バプテスト連盟に加盟する教会の名前は多くがその「土地、地域」の名前がついていますが、この教会がそうでないのは意味があります。40数年前、福岡市内のバプテスト教会の若い方々がよりピュアなバプテスト教会を目指して、それまでの教会から出て新たな教会をつくったのです。なので場所は二次的なものだったのです。専任牧師を持たない教会として始まったと覚えていますが(間違っていたらすみません)、その後、専任牧師の招聘や、土地を取得して現在の建物ができています。福岡市の西区と早良区をわける川の岸辺(もちろん岸辺というより、ちゃんと堤防があります)にあります。協力牧師のバークレー先生は西南学院大学の教授です。いつも蝶ネクタイをつけていますが、それも意味があるそうですが、聞きそびれてしまいました。祈りの課題は以下です。①よき牧者が与えられますように。②無牧師の教会が導かれますように。③コロナ危機が早々収まるように。協力牧師・G・W・バークレー、水野 英尚
1/18 マルコ福音書5章21-35節 「祈りの手を主は受けてくださる」
今日と明日、「聖書 新共同訳」で「ヤイロの娘とイエスの服に触れる女」と小見出しがある箇所を学びます。ヤイロの話と一人の女性の話がサンドイッチされています。会堂長ヤイロは娘の危機に主イエスに来て、祈ってほしいと願い、主は共に向かいます。そこにイエスの評判を聞いた女性が登場します。彼女は12年間女性病が治らず、医者は誰も応えることができません。女性病は「血が止まらない」=「不浄」とされ、人々との接触が制限、差別を受けていました。悲しみの女性がイエスの服の端でも触れば癒されるかも、と思い込みで主に癒しを求め、隠れてその手を差し出します。多くの人がイエスを触っております。でも、主は隠れた祈りの手に気づきこの女性を癒されました。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 かたえキリスト教会。福岡市城南区片江1-11-7にあります。この教会は昔、一度だけ立ち寄ったことがあります。建物がユニークでとても素敵な空間ができていたのを思い出します。「シェアハウス」を運営されているようですね。どのようにされているのか関心を持ちます。祈りの課題は以下です。①シェアハウス「はたけの家」の生活が整いますように。格差による困難な中にある人にイエスさまの光を。牧師・土生
幸子、教会主事・興津 吉英
1/17 マルコ福音書4章35-41節 「主イエスが共におられるのに」
主イエスの宣教が続く中で、主はガリラヤ湖の向こう岸に向かいます。主の弟子には元ガリラヤ湖の漁師もいましたので安心です。ところが、ガリラヤ湖独特の突風・嵐がふきすさびます。皆、水を船外に出したり、船のかじ取りで必死。ところが艫(とも・船尾)で主は寝ています。そこには平安がありました。弟子達は怒り半分で主イエスを起こし、手伝うように求めます。そして主が命じられると嵐は凪になります。主は弟子達に「なぜ怖がるのか」と語ります。怒られたのは人生の危機を自らの経験・知識で乗り越えようとしたこと。それらは大事ですが、完全ではありません。そうではなく、共におられる主イエスに願うことが最初。その体験をもって次の出会いへ進むのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 姪浜バプテスト教会。福岡市西区姪の浜4-22-9にあります。というか、福岡市営地下鉄の「姪浜」を降りて、海側の大きな道をいくとすぐにあります。姪浜教会は私が西南学院大学神学部で学部を終え、最終学年の専攻科の時、丁度、奥村敏夫牧師が姪浜教会牧師に就任したのに合わせて奉仕・研修神学生とした歩みました。当時はまだ、漁が盛んな田舎という感じでしたが、その後、地下鉄駅ができ、周辺が整備され大変にぎやかになりました。奥村牧師時代に現在の一階が駐車場、3階に礼拝堂という立派な建物ができました。さて、神学生時代、姪浜教会は礼拝出席者も少なく、20名前後だったのですが、奥村牧師の積極的なお働き、それから、お連れ合いの方の素晴らしい働きもあり、次々と人が増えていきました。奥村牧師より教会の運営や牧師としての働き方を学びましたし、奥村牧師夫妻やご家族と一緒に美味しいものを食べたり楽しいところに連れていっていただきました。現在の鈴木牧師は絵が上手で、最近では連盟定期総会のポスターを描いておられます。また、今日は阪神淡路大震災を覚えます。私が神戸教会牧師に就任したのは震災後10年目を数える年でした。まだ「言葉にならない」経験、体験をお持ちの方が多く、ボランティアで支援等に参加した方々の思いと、実際の被災者の思いの違いなど深く思い知りました。姪浜教会の祈りの課題は以下です。①コロナ危機の中、み心にかなう歩みをすることができるように。②ミャンマーの痛みを覚えて。③姪浜教会の信仰告白作成のために。牧師・鈴木 牧人
1/16 マルコ福音書3章31-35節 「主イエスとその家族」
イエスの母マリア。彼女は神の子イエスの誕生で偉大な母として関わり、イエスを教え育てました。イエスの宣教活動を人々から「イエスは気がふれた」等言われ(21節参照)、深く傷ついたでしょう。そして連れ帰るためにやってきます。人が多かったので、多分、弟子の一人が話している主のもとに来て告げます。主イエスは母、兄弟とは誰のことだ、と語り、「神の御心を行う人こそ、わたしの母、兄弟なのだ」と語ります。イエスは家族を大事にし、愛しています。そうでなければ結婚式を祝福し、十字架上で母の面倒を願うことは有り得ません。でもここは、「主」として、人の言葉や批判を聞き動くのではなく、御心を求めて共に歩み動く繋がり、生き方の豊かさを語るのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 伊都キリスト教会。福岡市西区今宿東1-30-68にあります。JRの「今宿」駅が近く、昔(いつも昔ですみません)は田んぼの中に目立つ教会で、友納牧師(板橋区の「常盤台バプテスト教会」の友納牧師の父)がアパートの一室から始めた教会です。ここも九州大学の移転や福岡市の人口増加の影響で、今は違う風情かなと思います。祈りの課題は以下です。①恵みに憩う(年間標語)。主のみことばに導かれ、ひとりひとりの存在を大切にする教会として歩むことができるように。主任牧師・下川 義明
1/15 マルコ福音書3章20-30節 「主の赦しの否定は赦されない」
ベルゼブル」とは「蠅の王」という意味があり、「地方神」の名のひとつ。イエスの評判を聞いて、エルサレムから調査団がきます。彼らのイエス評価は「あれは異教の神にとりつかれている」とこっぴどく批判します。それに対して主イエスは「悪霊の頭が悪霊を追い出すことはない」と語りつつ、大切なメッセージを伝えます。人間の罪や神を冒涜する言葉さえも神は赦す。しかし、その神の赦しを否定すること、神がすべてを知り、赦す方であることを否定することは決して赦されない」との話です。律法学者は律法解釈をもって人を赦すこと、罰することができると思っています。でも完全でない人間は、他者を罰することは赦されないのです。主の赦しに感謝して、赦され、赦して生きる歩みだけなのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> バプテスト野方キリスト教会。福岡市西区戸切2-9-39にあります。長らく泉清隆牧師がおられた教会で、福岡時代はたまに出入りしたり勉強会をしたりしておりました。20数年前はのどかな畑や田んぼの中にある教会でしたが、あのあたりも開発が進み、今は大分、風景が変わっていると思います。福岡有田教会から車で10分もかからないところでしたから。福岡市内のバプテスト教会はとても多く、幸せな場所です。祈りの課題は以下です。①教会堂建築とコロナ後の新しい一歩のために、教会員が心をひとつにして祈り歩めますように。牧師・宮田祐亮
1/14 マルコ福音書6章1-6節 「『つなずく』時はこんな時」
主イエスが故郷の会堂で聖書を教えます。多くの人が驚きますが、驚きも色々。大工で、マリアの子で(父ヨセフは既に召天)、その兄弟は…」。そんな人が何故こんな話や業ができるのかと、信じなかった、というか蔑む心を持ってしかイエスと向き合えなかったのです。外面的なレッテルで人を判断すること、例えば○○人とかの国籍、学歴、衣服、外見ですでに受け入れる気が失せてしまう時があるのです。「つまずく」のは自分の願いや思い、考えと現実が異なる時に起こります。自分の考えを絶対化し、自分の願い通りにいかないと「つまずく」のですから簡単。自分で勝手につまずいたのに、相手のせいにするのはさらにひどい話。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 早良キリスト教会。福岡市早良区重留7-8-20にあります。この教会は、西南学院大学で教授をされていたシャフナー師に長い祈りの結実としての教会です。とてもすてきな教会建物です。そして加山献牧師は、「献」という名のついた日本バプテスト連盟加盟教会の牧師では第二号です。もうすこししたら第三号が登場しましょう。加山献氏はまだ若い方で、米国で音楽を学んだ方です。現在、茨城県の「東海バプテスト教会」牧師をされている加山牧師の息子さんになります。また、この教会の近くには以前、「卵」の自動販売機がありましたが、今はどうでしょうか。歩いて少しのところには福岡のうどん屋さんの定番のひとつ「牧のうどん」があります。店でうどんを製麺してゆでて提供されています。「牧のうどん」は福岡時代よくお世話になったうどん屋で、時間が経つと、麺がスープを吸って大きくなります。なので追加スープをみんな頼みます。無料です。日曜の午後は神学生や青年を連れて私の家族で「牧のうどん」に行くこともありました。とても楽しかった思い出の一つです。祈りの課題は以下です。①高齢の方、特に病の中にある方のために。②コロナの一日も早い収束のために。③求道者が決心に導かれますように。牧師・加山 献、名誉牧師・K・J・シャフナー、協力牧師・今村 まさゑ、協力宣教師・朱 承圭
1/13 エフェソ書2章14-22節 「神の家族として生きる世界」
「二つのものを一つにし」の二つとはユダヤ人と異邦人(それ以外)です。「敵意」という壁を壊し、律法を廃棄して、両者が神の働きによって一つに結ばれてキリストの体を形造るのです。「敵意」は他者を「敵」とする意思や心です。争い合い、競い合って強い者だけが残る世界ではなく、「敵」をつくらないで「仲間・友」として他者を受け入れる心。「律法」は律法を守る者(救われる者)と守れない者(救われない者)に人間が神のごとく裁くために用いられ、人間が裁きから解放されるために律法は廃棄されました。主イエスが語り行い示した「愛」によって人々同士が関わり、異なる者が共に生きる世界こそが「神の家族」なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福岡聖書キリスト教会(バイブルチャーチ・フクオカ)。福岡市中央区笹丘1-36-30にあります。祈りの課題は以下です。①礼拝、み言葉、祈りによる一致と成長。②信仰継承、次世代への伝道。③教会と兄姉の働きの守りと祝福。牧師・浜中
満、名誉牧師・浜中 恒雄、伝道師・浜中 有希子
1/12 創世記9章9-19節 「約束の虹」
「ノアの箱舟」で有名な「洪水伝承」。その前に神は創造した世界、特に人間が使命を忘れ、「人の悪が増し、常に思い計るのが悪いこと」を「後悔し、心痛め」、改めて作り直すことを考えます。神は全能であり、人を創られるのですが、一方で神がコントロールできないのが人間でありました。「悔いる神」は親のような神の姿です。「作り直す」にあたり、正しいと思われるノアの一族を選び、箱舟を造らせ、動物達を入れることによって再創造がなされました。それは悲しみと苦しみを伴うものであるがゆえに、神は「もう二度と洪水によって世界を滅ぼさない」と約束し、その契約のしるし(シンボル)として「虹」を天にかけました。「虹」を見て神の救いと願いを覚えるために。今日はO・Mさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福岡国際キリスト教会。福岡市中央区大名1-12-45にあります。「国際教会」ということでバイリンガルでの礼拝がされていると思います。場所も福岡市内中心部、天神に近いところです。また、福岡市の周辺、糸島市川原516で「糸島集会」が行われています。祈りの課題は以下です。①神さま良し、三方良しの教会形成。②糸島集会のために。③QT(静寂の時)の再開・継続のために。牧師・篠原 健治、糸島集会担当協力牧師・木村 公一
1/11 マルコ福音書3章13-19節 「主イエスから呼ばれた者」
主イエスの弟子の中で特に「使徒」(「派遣された者」「働きの委任を受けた者」強いて言えば「全権大使」)の選出場面。「弟子」と異なる点があり、特にここでは三つの役割が記されています。あえて「使徒」と言わず「弟子」と表現される場合もあります。主イエスの「弟子」は12名に限らず、また従い方も様々です。人数よりむしろ「イスラエル12部族」に合わせたグループ名と私は理解しております。「雷の子達」と主イエスからあだ名をつけられた兄弟はすぐにカッとなって怒ったり、声が大きかったからでしょう。あなたに主イエスはどんな「あだ名」を付けられるでしょうか?イスカリオテのユダの名もあります。でも他の者も皆イエスを裏切ったのです。主の選びの深さがここにあります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 田隈バプテスト教会。福岡市早良区野芥16-13にあります。近くの方は「光の園幼稚舎」という幼稚園(無認可)があったのをご存じだと思います。数年前に長らくの働きを終えて廃園となりました。また、地下鉄駅が近くにできたり、大きなショッピングセンターができたりと立地としてはとても良くなりました。現在は専任牧師はいませんが、西南学院の中高で「聖書科」を教えておられる坂東氏が協力牧師をされています。祈りの課題は以下です。①相応しい牧師が与えられるように。②入会した兄姉の霊性が守られるように。③教会員の健康が守られるように。協力牧師・坂東 資朗、教会主事・篠田 裕俊
1/10 マルコ福音書2章23-28節 「本来は人を救う働きだった律法」
ユダヤ教「安息日」規定、意味としては、主の救いを想起し感謝すること、人や動物も休みをとるため。しかし時を経て「休み」の規定が複雑化します。歩くのは何百mまで良いとか、調理の方法等。この日、弟子が麦の穂を摘んで食べたのは「収穫」という仕事をしたと訴えられます。もちろん悪意のある解釈です。主イエスはサムエル記上21章を引き合いにして掟でも例外が認められることを示します(サムエル記では祭司名は「アヒメレク」)。更に大事なこととして「安息日は人のために定められた」と告げます。律法や規則に縛られるではなく、その掟の目的と意味を考えることです。律法を表面的に理解し、人を裁くために利用しては本末転倒。律法は人を救う働き(階段の手すりのようなもの)が本来です。今日はT・Yさん、H・Tさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福岡有田バプテスト教会。福岡市早良区有田1-35-25にあります。Facebookをされています。何しろこの教会は私が牧師として就任していた教会で大変思いが強い教会です。最初の年、クリスマスイブ礼拝(キャンドルサービス)に教会員の聖歌隊より一般の参加者が少なかったことに驚きまして「これはいかん」等と思いつつ、自らニュースペーパーをつくり、鳥飼教会で印刷していただき、それを地域内にポスティングしていきました。運動も、地域を知ることも兼ねてです。また私の次代に開始した「ドラム教室」と「ゴスペル教室」は20年以上経った今も継続されており本当に不思議だし、奇跡のようですし、その折、その折に人が建てられていったことを覚え感謝です。また、福岡時代はホテル日航福岡で結婚式司式の少しを担っていました。結婚後に何かあったらご相談ください。祈りの課題に「新会堂建築」とあります。私がいた時、すでに建物の傷みや元々材料が悪く、床は一枚の板で、その下は土という大変古典的な建物でした。10~15年は持たせようと壁紙を貼ったり、会堂の壁のペンキ塗りなどいたしました。建築の夢が叶いますように!現在の松田牧師はもう10年近くになりますが、その前が西南学院大学神学部で学び、その前は長崎の活水女学院で国語(確か)の教師をされていた方です。文学に造詣が深い方だとみております。祈りの課題は以下です。①病の中にある教会員の癒し。②教会堂建築のビジョン実現。③新来者、求道者の救い。牧師・松田 和夫
1/9 マルコ福音書2章13-17節 「罪人とは誰のこと?」
徴税人(5日参照)の一人、レビが座っているのを見て主イエスが「わたしに従いなさい」と招きます。多分、これ以前にレビは主イエスの話を聞いたり、何か相談したと私は思います。でも通常は人々に嫌われていた徴税人に主イエスから声を掛けるのは有り得ないようなことでした。レビはイエスの弟子となり(今で言えばクリスチャンになった)、パーティーを開きます。レビの友達は同じく社会で嫌われていた人々です。その姿を見て、一緒に食事するのはイエスも徴税人の仲間だと言われます。それを知った主イエスの言葉が17節。主イエスの愛と赦しが必要なのは「病人」や「罪人と呼ばれていた人々」。実はファリサイ派の人もまた人を断罪する、神の前に愛なき罪人なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 平尾バプテスト教会。福岡市南区平和1-5-23にあります。ここは大体名前がすばらしい。「平和」という地名です。協力牧師の青野太潮氏は、元西南学院大学神学部教員であり、「新約聖書神学」の世界では大変有名な方です。私も青野教授から多くのことを学ばせていただきました。新約聖書神学ではまるで「重箱の隅を楊枝でほじくるようだ」と言われますが、青野教授の話はたいがい、「腑に落ちる」もので、私にとっては信仰的にもありがたかったものです。著書もたくさん出されているのでぜひお読みください。そして、青野先生は、本を出版すると私のような落ちこぼれにも本を送ってくださいます。思いやりのある方ですし、すばらしい点を数え上げたらきりがありません。同じく協力牧師の才藤千津子牧師は、現在、西南学院大学神学部で教鞭をとっておられます、割と最近なので私はまだ講義を伺ったことがないのが残念です。祈りの課題は以下です。①平尾/大名会堂における宣教活動の展開。②コロナ危機における地域貢献。③牧師招聘委員会の働きを覚えて。牧師・森 崇、協力牧師・青野 太潮、才藤 千津子
1/8 マルコ福音書2章1-12節 「主イエスに出会うために」
主イエスの活動はシナゴーグ(3日参照)や屋外、また招いてくれた家で集会を開催する等で展開されました。主イエスの噂は拡がり、行く先々に人々が集まったのです。今日出て来る「中風」は脳梗塞等の後遺症で麻痺が残った方。友人らが主イエスに祈っていただきたいと協力して連れてきますが、すでに家は人でいっぱい。そこで、友人らは屋根に穴を開け病人を釣り降ろすのです。その友人を願う思いとイエスへの信頼を主は大変喜ばれました。集まっていた人々がイエスに出会う邪魔になり、また主の「赦し」を喜べない人もいるのは悲しい現実です。主は「彼らの信仰を見た」、そこには病人も含まれます。「あなたの罪は赦される」のは「赦された」と同じ意味合いです。今日はY・Kさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 長住バプテスト教会。これは「ながずみ」と読みます。福岡市南区長住1-8-20にあります。この教会の中條牧師夫妻はお二人とも大変尊敬しております。譲治牧師の読書量のすごさは連盟内で10位以内でしょう。そして、本を読んで気に入ったところを旅行するという方です。智子牧師は聡明で冷静で連盟の副理事長などもされておられます。ある時、連盟事務所で同じ会議に出席して、会議のあと、お皿洗いをしていると「坂本先生、洗剤使いすぎ」と怒られたこともあります、すみません。天城山荘で行われた総会の時、同じ教会の人は大体並んで座るのですが、お二人も並んで座って、毎日会っている夫妻でありましょうが、お二人で話が尽きないみたいで休憩中はずっとしゃべっています。とっても仲良くてすばらしいですね。祈りの課題は以下です。①誰もが安心して集える教会に。②多様な声が響き合う連盟に。③公正と正義が実現する社会に。牧師・中條
譲治、中條 智子
1/7 マルコ福音書10章17-22節 「あなたはどこに立っているのか」
「永遠の命(=人生の救いと永遠に至る希望)を受けるにはどうしたらよいのか」と尋ねた人。主イエスは十戒から選んで答えます。でもその人は「そんなこと解ってやっています」と応じます。主イエスが深い愛をもって語ったのは「貧しい人々に施しなさい」とのこと。主の牧会(信仰への導き)は人それぞれに異なります。主はこの人が多くの財産を背景に、自らの救いのみを求める心をご存じでした。「持っている物を売り払い…」との言葉はこの人の急所を突いたのです。この人の関心は自分のことや自分の富のことであり、共に生きる生活なのに社会のシステムの中で苦しむ人々への関心はなかったのです。自分の救い、自分の安定のみを第一と考える人は十戒を表面的な言葉としか捉えていなかったのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 須恵伝道所(通称:須恵キリスト教会)。福岡県糟屋郡須恵町大字旅石917-16にあります。「須恵」と聞けば「須恵土器」を思い起す方もありましょう。福岡県は大陸が近く古くから様々な文化が発展してきた地域ですので、いろいろ残っています。この教会もあまり知らないのですが、祈りの課題は以下です。とってもシンプルですね。①多くの魂が救われるように。②伝道が前進していくように。 牧師・竹田 進一
1/6 Ⅰテモテへの手紙1章12-20節 「どんな人だったのでしょう」
若い伝道者テモテにパウロが記した手紙とされます。「主イエスは罪人を救うために来た」と語り、自分こそ罪人の中でも最たる者と言います。「ヒメナイとフィレト」はⅡテモテ2章にも語られ、「復活がもう起こった」と主張した人々。主イエスの復活ではなく、キリスト者の死後の復活。それが何を意味するのか解りません。教会に混乱を与えたのは事実でしょう。パウロが、彼らは挫折し、神を冒涜したからサタンに引き渡したというのは良い指導ではないと感じます。信仰者でも間違った教えに引きずられることもある「罪人」でしかないので、パウロさん、別のアプローチはなかったのしょうか。ただ生きていると、「赦せない」ような事が起こるものですし、それから誰も自由ではありません。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 福岡新生キリスト教会。福岡市南区三宅3-33-1にあります。この「三宅」のあたりはミッションスクールである「福岡女学院」があったり、私が福岡帰省時に時折行く「博多温泉」、「市民プール」等が近くにあります。「博多温泉」はいい湯であるとは思うのですが、建物等が「昭和」の雰囲気で今の若い方は余り行きたがらないかもしれません。多くの方々が集っておられる教会です。祈りの課題は以下です。①多くの失われた魂が救われるように。②世界宣教のさらなる前進。③心身の病の癒しのために。主任牧師・竹田 殉聖、牧師・竹田 耶子武、宣教師・李 聖徳、国際関係交流主事・張 磊、協働牧師・竹田 浩、協働伝道師:野口 和子、宣教師補・河端 真理子、宣教師補・ジャナク・カンデル
1/5 ルカ福音書18章9-14節 「人と較べる必要はないのに」
ファリサイ派とは律法を厳格に解釈し、忠実に実行しようとしたグループです。自分達の正しさを誇りとするのは良いのですが、律法を守らない、守ることのできない人々を批判し、見下していました。徴税人は同胞からローマに渡す税金を集める役割で、同胞からは「ローマに魂を売り渡した者」と嫌われていました。主イエスのたとえではファリサイ派の傲慢な祈りと徴税人の心からの悔い改めを伴う祈りが比較され、神が受け入れたのは徴税人の祈りであったと語ります。何でも誰かと較べて、自分の優位性を語る人がおります。元々比較する人は自分よりできていない人なので、自己満足で終わります。逆に悲観的になりたい時はより「優れた」人と較べてみて、「私はあの人のようにできない」と悲劇のヒロインになることもできます。それでは何も進歩はありません。信仰も、学びも、生き様も、他者と較べる必要はないのです。今日はI・Hさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 小郡キリスト教会。福岡県小郡(おごおり)市稲吉1374-15にあります。1972年に伝道開始された教会ですから今年、50年という記念の年になります。個人的には余り知らない教会です。祈りの課題は以下です。①伝道開始五十年を迎えます。感謝とさらなる前進のために。牧師・下川 睦子、教会主事・吉浦 徳美
1/4 マルコ福音書1章40-45節 「メシアの秘密」
「御心ならば、つまり、主が私を赦し愛してくださるならば」と病人が主イエスに祈り願い、主はその求めに応じます。その後、「(主が癒したことを)誰にも知らせるな」と言います。このことは後、何度も主イエスは命じています。なぜ隠すのか?これは「メシアの秘密」というテーマで論じられ、まだ最終的な答えが出ていない課題です。その問いに対し「癒しのみに人々が注目して、より深い主の救いが薄れる危険がある」、あるいは「沈黙命令は福音書記者の創作」とか、「秘密にも関わらず、その驚きは人々により語り伝えられたことの主張」等あり、より深い考察や意見もありますがこの欄で簡単には紹介できません。それぞれ考えてみてください。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 和白バプテスト教会。福岡県糟屋郡新宮町三代西2-13-13にあります。かつて「和白」といえば海岸があって「潮干狩り」ができたのですが、今はどうでしょうか。祈りの課題は以下です。①み言葉に生きる教会の歩みを。②地域の方々に仕える教会形成を。③各地の地震、豪雨の被災地のために。協力牧師の片山氏は西南学院大学神学部教員をされています。牧師・城前 和徳、協力牧師・片山寛、教会主事・樺島 瑞代、宣教師・洪 淳奎
1/3 マルコ福音書1章35-39節 「祈りなく生きることはできない」
主イエスは祈りなく生きることができないこと、人々に出会うためにまずが自分が神と出会う必要があることを。知っておられたし、そのことを私共に教えられます。もし祈りがイエスにとって必要なら、私共にとってもどれほど必要なことでありましょうか。そして朝早くから人々がイエスとの出会いを求め、御言葉を求めてやってきます。そして主はガリラヤの諸会堂(シナゴーグ、地域の礼拝の場所であり、人々が様々に集うため、あるいは子どもへの教育施設としても用いられた)を巡回するのです。マルコ福音書では短く記されますが、数週間、あるいは数カ月を要しました。主イエスはみ言葉により人々を救いの道を伝え、病や苦しむ人々には必要な癒しを与えるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 粕谷バプテスト教会。福岡県糟屋郡志免町志免2-5-25にあります。Facsbookでよく見るのですが、折々に教会にお花が咲きそれがアップされています。優しい雰囲気の教会です。祈りの課題は以下です。①地域に開かれた教会へ。②教会の子どもたちに平安と霊的な守りを。③皆が集えるよう一日も早いコロナ終息を。牧師・高地 京子
1/2 マルコ福音書1章4~20節 「あなたの手を伸ばして」
主イエスの呼び掛け。「時は満ちた」、神の時、約束されていた救い主が今、この世界に来られたこと。「神の国」(神の愛と恵みの支配、主が共にいる世界)が「近づいた」のは、心と体を伸ばし感謝と喜びを持って受け止める「応答」を必要とします。そうしない限りは、いくら近づいても、自分の命、自分の人生には結ばれません。「悔い改め」とは体の向き、人生の向きを神様、イエス様の方へ向けることです。そして主イエスは共に活動し、学ぶ者としての「弟子」を招きます。聖書にはイエスが漁師のそばに行って「ついて来なさい」との言葉しかありませんが、本当は漁師もイエスの話を聞いていたり、そこでの対話があったはずです。ただそれをすべて書いていると大変です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 宇美キリスト教会。福岡県糟屋郡宇美町宇美6-1-3にあります。いつも書くのですが、昔、西岸学院大学神学部時代、1年目は「東福岡バプテスト教会」で奉仕(研修)神学生として歩んでおりました。夜の祈祷会の後、当時の東福岡バプテスト教会附属幼稚園の先生が出席されたので、帰りに送ることになりました。「うみ」に行くんです、というのに、指示される方向は「山」の方で、なんだかおかしいな、大丈夫かしらと思っていたら、「宇美」は山の方向にあるのでした。東福岡教会は地下鉄の駅を上がってすぐのところでとても便利が良いところにあります。12月の第一日曜は「福岡国際マラソン」が行われ、教会のすぐ前の国道3号線を通るので、みんなで応援にいったものです。マラソンランナーの速さにはびっくりしました。あの速さで2時間以上走り続けるのは人間業ではないなぁ、と思いました。宇美教会の祈りの課題は以下です。①地域に根差した宣教活動のために。②求道者の方がキリストに結ばれ共に成長する教会形成のため。牧師・渡邊
一雄、教会主事・間村 史子
1/1 マルコ福音書1章1-13節 「新年の歩みを祈りつつ」
新年おめでとうございます。引き続くコロナ危機ですが、あなたの上に主の幸いと主の導きをお祈りします。この年も「福音」(救いと喜びの訪れ、知らせ)をどんな時でも受け止めることができますように。日曜の聖書箇所は連盟「聖書教育」誌を用いてマルコ福音書から扱います。マルコ書は四福音書の中は最初に記されたもの(紀元60~70年台)。ただし、すでに主イエスの死からは20数年経っていることは考慮すべきです。マルコは主イエスの家族等知っておりますが、降誕等は気にしていません。主イエスが福音を世に伝えた「公生涯」、それはバプテスマから始まり、それから誘惑があります。私共もまた様々なことがありましょうが、御言葉に依り歩む新年です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 篠栗キリスト教会。福岡県糟屋郡篠栗町中央2丁目10-3にあります。「篠栗」は福岡における「お遍路さん」の地域で近辺にはたくさんのお寺等があります。福岡県には我が日本バプテスト連盟加盟の教会が多いので、西南学院大学を起点として諸教会を巡るツアーができるかもしれません。篠栗(ささぐり)教会の祈りの課題は以下です。①毎週の説教のネット配信のために。②福音のオリジナルの探求のために。③讃美歌創作を通してのリバイバル。牧師・伊藤 聡
12/31 ヨハネ福音書15章11-13節 「主があなたを選び導いたのです」
「あなたが選んだのではなく、わたしがあなたを選んだ」との言葉。人間関係においては「自分があなたを選んだ」と言うのは傲慢ですね。自分が選んだなら、自分で捨てることもできると思うのです。でも「選ぶ」ことは同時に「選ばれた」と思わなければ良い関係は築けません。「出会い」がそうです。「出会った」ことは奇跡でもあり、その出会いを神様が導いてくださったと感じる時に、豊かな、深い物語が始まるのです。イエス様は「わたしがあなたを選んだ」と語ります。誰でも選ぶ時は理由があります。「気が合う」とか「自然体で話せた」とか。でもイエス様の選びは「弁が立つ」とか「学歴がある」「役立つ得意分野がある」等ではありません。すぐに裏切り、弱く、罪多い者であるにも関わらず、主はあなたを招き、導いている、そのことを受けとめ、あなたも応えてほしいのです。コロナで始まり、コロナで終わった1年でしたが、2022年、あなたにとって良き年となりますようにお祈りいたします。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟引退教役者の方々を覚えて。黒瀬 博氏(東京都在住)、古川 良男氏(神奈川県在住)
12/30 マタイ福音書22章1-14節 「選ぶ人が少ないのが悲しい」
主の「たとえ」の一つ。「たとえ」は神様とか、神の働き等、私共には見えづらい事柄を表現しますが、「たとえ」は「謎」という意味もあり、解釈が難しい場合があります。今日の箇所は王が招待した人々は他の都合があるからと断り、ならば、と誰でも集めた話。福音が主イエスによってもたらされていたのに、その招きに価値を見いださない律法学者等に向けた話です。そして、それまでの歴史の中で律法学者等から「あいつらは救われる資格がない」と言われていた人々がその祝いに入るのです。「礼服」の話は多分、自分が招かれたことに感謝や、驚きを持たず、相応しい歩みをしなかった人と考えられます。「選ばれる人は少ない」、それは神様の意思ではなく、人間の側の「選び」の問題。チャンスを逃さないのようにしてほしいのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 合同プログラム等を行っている「日本バプテスト同盟」(理事長・大矢誉生)、「沖縄バプテスト連盟」(理事長・渡真利彦文)、日本キリスト教協議会(議長・吉高 叶)各団体を覚えて。
12/29 使徒言行録4章5-22節 「無学で普通の人の働き」
イエス・キリストが十字架刑で殺され、しかしよみがえり、天に昇った後、ペンテコステに聖霊が注がれ、キリスト教会が活動開始します。かつて主イエスに怒られ、主イエスを裏切った弟子達は人が変わったかのように福音を堂々と語ります。ユダヤ議会の議員や政治家等は、自分達が殺したイエスの後継者であると恐れ、主イエスの福音を語ることを禁じようとします。しかしもはやそれはできません。指導者が驚いたのはペトロとヨハネの姿。「大胆」は聖霊によって与えられた信仰の姿。そして「無学な普通さ」には嬉しくなります。大学を出ていないと牧師や伝道者になれないわけではありません。主はむしろ、弱く、貧しく、何の取柄もない人を豊かに用いるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 宣教研究所。①新任牧師・主事研修会の準備と参加者のために。②宣研の働き(研究・研修・情報発信)のために。③運営委員会及び宣研スタッフの働きのために。 運営委員長・高橋 秀二郎(筑波教会牧師)、所長・朴 思郁(西川口教会協力牧師)
12/28 ルカ福音書3章15-38節 「主イエスの青年時代は?」
どの福音書でも主イエスの青年時代に触れません。もちろん、公生涯に入ってからの働きが大切ではありますが。でも、色々と想像はいたします。物心ついてから、旧約聖書(律法と預言書)はシナゴーグや各地の「師」と呼ばれる人から学んだでしょう。ガリラヤで異文化や異宗教と出会い、ローマ支配の中で苦しむ者、病む者、残された者と出会ったのは間違いありません。父ヨセフは早く召されたので大工(家具職人、家は石造りだった)の仕事もしたでしょう。そして洗礼者ヨハネにも影響を受け、バプテスマを受けたのです。ルカ2章には神殿で学者達に話を聞いたり、質問していた12歳のイエスの姿がありますが、少年の問いにもしっかり向き合う人々に私共のすべきことも示されます。少年少女~から青年時代はとても短く、そして物事を理解したり、新たな事柄に出会ったりするとても大事な時期です。そのような時期にぜひキリスト教や聖書、教会に出会っていただければ本当に幸いなことだと思います。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「ハラスメント対策委員会」。①諸教会、関連団体においてハラスメント防止への意識が高まり、被害者を生み出すことがないように。委員長・城倉 由布子(泉教会員)
12/27 イザヤ書8章16-9章6節 「主イエスが育ったガリラヤ」
「ガリラヤ」は「周辺」という意味があり、イスラエル北部です。その中でもガリラヤ南部はガリラヤ湖があり、穀倉地帯である豊かな地域です。それゆえ、王国分裂後、紀元前732年アッシリアによって征服され、捕囚されます。その後は時代の覇者による支配下に置かれ、人種は多様化し、様々な宗教を含む混合文化が形成されたのです。ゆえに南王国から見れば「異邦人のガリラヤ」と言われ、元々は同じ国であったのが、相互に敵対するほどになりました。しかしそのガリラヤで主イエスは育ち、宣教を開始したのもガリラヤでした。「ミディアンの日」は士師記7章にあるように、ギデオンが率いる300名がミディアン軍に対し「混乱作戦」で勝利を収めたことに由来します。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> バプテスト北九州地方連合。①北九州宣教支援センターが全国支援終了の来年度末まで守られ、連合の活性化と教会強化が進みますように。会長・谷本 仰(南小倉教会牧師)
12/26 ヨハネ福音書1章29-34節 「主の恵みを感謝して」
ヨハネと主イエスがここに出会います。ヨハネは一目見て「この方こそ、世の罪を取り除く神の小羊」と語ります。「小羊」と聞くとユダヤ人はただちに犠牲の小羊の血を鴨居に塗り、災いが通り過ぎた(=救われた)ことと結びついたでしょう。ヨハネが行った「水のバプテスマ」は徴であり、信仰のスタートであり、礼典が人を救うのではありません。主イエスが聖霊によるバプテスマを授けるとは、神の救いを与えるとの意味。主イエスの十字架上での死によってなされた罪の贖いが救いであり、主に感謝して受け止め、生きていくことが信仰者の歩みです。新しい年に向けて歩み出す今、改めて主の犠牲と救いを思い返したいものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト春日原キリスト教会。福岡県春日市春日原北町4-23にあります。福岡市のすぐ隣りになります。1949年に始まり、多くの牧師を生み出した教会でもあります。附属幼稚園「恵星幼稚園」を運営しています。末松牧師は前任の佐賀県佐賀市「霊水(たまみず)教会」時代、当時「姪浜バプテスト教会」牧師であった奥村牧師と共に親しくさせていただきました。「釣り」も得意な先生ですし、とても物腰が低く、優しい方です。春日原教会では若い原田牧師を招聘し、複数牧師の体制をつくりました。これからも楽しみな教会です。祈りの課題は以下です。①常に主イエスに従って歩めるように。②世界の「小さくされている者」と伴って歩めるように。③幼稚園を通した地域との歩みのために。牧師・末松 隆夫、原田 賢
12/25 ヨハネ福音書1章19-28節 「消える声、殺す声」
バプテスマのヨハネは自らを「メシア=救世主=キリスト」ではないと表明します。ヨハネは自らを「声」と表現しました。「声」は形として残りませんし、見えません。しかしその響きは人々の心に届く可能性を持ちます。そしてヨハネの声は「来るべき方」を指します。自分達が人を救うのではなく、真の救い主を指し示すのです。後にヨハネはマルコ福音書6章で伝えられているように、領主ヘロデにより斬首されます。それは踊りをみせた妻へロディアの娘サロメに対し「何でも望むものを与えよう」と口走ったことでヨハネ斬首がなされるのです。人間の「声」は時に人を殺すのです。人を生かす方こそ私共は語り続けるのです。今日はK・Tさんのお誕生日おめでとうございます!そしてクリスマスおめでとうございます。主なる神様の愛と恵み、平和が世界にありますように。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福岡南キリスト伝道所。福岡市南区桧原2-54-7にあります。2003年に筑紫野二日市教会を母教会として誕生した教会です。まだ若い教会、と言えます。祈りの課題は以下です。①礼拝が継続的に守られますように。②自主保育「もりのたね」の活動のため。③一般社団法人アガペヴィレッジの子どもたちのため。牧師・有吉
光寛、伝道師・柴田 公文
12/24 マタイ福音書3章1-12節 「最後の預言者、バプテスマのヨハネ」
洗礼者ヨハネはルカ1章に記されるマリアの親類エリサベトの子であり、主イエスより半年程早く生まれ、成人した後、ヨハネはリバイバル(信仰復興)運動をします。当時、ユダヤ人が皆熱心な信仰者であったわけではなく、信仰から離れている人々に「悔い改め=人生の方向を神に向けて生きる」ことを教え、その徴としてバプテスマを行いました。ヨハネは野性的で禁欲的で、信仰者と思っている人々にも「蝮(まむし)の子ら」と厳しく迫ります。「蝮」とは、創世記3章でエバを唆(そそのか)し「禁断の木の実」を食べさせた「蛇」のことです。そして、「良い実を結ばない木」は切られると伝える姿勢は主イエスとはかなり違います。しかし、ヨハネは真実に人を生かす方を指し示す役割でした。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 筑紫野二日市キリスト教会。福岡県筑紫野市塔原東4-6-11にあります。この教会の加来牧師は、「パン屑牧師」こと加来国生(同姓同名)が祖父であり、父はサキソフォーンを奏く牧師、加来剛希でした。大学卒業後、15年間関東にて不動産会社に勤務し、その後、献身して西南学院大学神学部で学び牧師になりました。お連れ合いの方はピアノが素晴らしい方です。祈りの課題は以下です。①年間主題「御言を宣べ伝えなさい」の実践。②み言による救い。③交わりの充実。④信仰継承者の育成。牧師・加来 国生、音楽責任者・加来 陽子
12/23 イザヤ書40章1-11節 「高きは低く、低くきは高く」
ヘンデル「メサイア」の序曲に続く1~3曲目。“Comfort ye,comfort ye my people”で始まるのが今日の箇所。「慰め」とは強い方(Fort)が共(com)におられること。そして3節から「荒れ野に道を備え…谷は身を起こし、山と丘は身を低くせよ…」とあります。これは土木工事の命令ではなく、人々が同じ所に立つこと。命が貴重であり、命が神にあって平等に扱われる世界にこそ、主の栄光が現れる、つまり、主が希望する世界です。別の言葉で言えば、高い者は低くされ、低い者は高くされるのです。今、失業や離婚により収入が減った人の子どもが教育面でも不利を被っています。それらが是正されることが政治家と市民が共にすべきであり、それが平和を生み出す一歩。明日はクリスマスイブです。もし何も予定がなかったら19時半~20時半の当教会のキャンドルサービスにおいでください。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 筑紫野南キリスト教会。福岡県筑紫野市原田5-1-24にあります。2001年に始まった新しい教会です。といってももう20年か。年をとるものですね。祈りの課題は以下です。①牧師招聘が早く叶うように。②教会員の霊的成長と次世代育成。③地域社会への福音伝道。代表役員代務者・梅木
幸子
12/22 Ⅰテモテ書1章12-17節 「『罪人』なんて関係ないという人へ」
テモテは初代キリスト教第二世代に属す者で牧師・伝道師の働きをしていました。先輩のパウロが個人に充てた手紙ですが、パウロと違って気が弱かったり、立ち位置がぐらついていた時もありました。その点、我らも同様であり、参考になる手紙です。「罪人を救うために主イエスが来た」、との言葉は今も昔も逆説の響きがあります。「正しい人、信仰深い人は救われる」というのが世間一般の神論であり順接です。わかりやすい。でもこれでは真に、誰も救われません。パウロ自身の体験を基に語っているように「神を冒涜し、迫害する者…」が神の救いに入れられていく不思議な逆説の世界なのです。問題は人間が自らを「罪人」と思わないこと。実はそれが一番の罪なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 鳥栖キリスト教会。佐賀県鳥栖市元町1255-1にあります。鳥栖は「とす」と読み、「サガントス」というサッカーチームがありましたかね。この教会の野中牧師とは私が西南学院大学神学部で学びだした後、親しくさせていただいています。野中さんの作詞作曲で「たとえばわたしが」があります。とても親しまれ、うたわれている曲ですが、楽譜となり印刷されたらそこで固定されてしまいます。野中さんの中では「たとえばわたしが」は変化し、成長し、開かれていってます。固定されるのはバプテストの信仰からいえばあまりよくないことでもあります。協力牧師をされている濱野牧師は、西南学院大学神学部教授です。タイセンという世界的な神学者から学んだ方です。祈りの課題は以下です。①4年後に計画している新会堂建築が、地域に暮らす様ざまな方々と喜び合えるものとなり、必要が満たされますように。牧師・野中 宏樹、協力牧師・濱野 道雄
12/21 ヨハネ福音書1章43-51節 「先入観なく出会うこと」
フィリポとナタナエルが主イエスの弟子になる場面です。ナタナエルは「ナザレ(地名)から良いものはでない」と語りますが、フィリポは「来て、見なさいよ」と誘うのです。「先入観」というのは曲者で宗教とかキリスト教は余り良いイメージを持たれていないのが今の現実と感じます。また自らも「先入観」で「あの人の家族はこうだった」等の情報に左右されて真に向き合うことができなかったこともあります。先入観とか、他の人の価値判断は参考になりますが、時には誤った出会いをする可能性があります。まず、その人自身の思いや言葉を共に交わすことです。主はすでにあなたを知っておられます。「いちじくの木の下」とは「黙想や祈り」の場所を意味します。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 久留米キリスト教会。福岡県久留米市西町851にあります。幼児園「めぐみのその」が付設されております。私が宮崎県の児湯教会の牧師をしていた頃、吉田晃児牧師に率いられて久留米教会の若い方々を中心に、ワークキャンプにおいでくださり、教会の壁のペンキ塗りなどをしてくださいました。もう35年前ほどの話ですが、とっても楽しい交流をいただいて感謝でした。祈りの課題は以下です。①皆元気に今を乗り越えられるように。②協議中のコロナ後の試みのために。③決心や転入会が与えられるように。牧師・踊 真一郎、教会主事・踊 夢希
12/20 使徒言行録8章26-40節 「聖書を分かち合う教会」
「宦官」(かんがん)というのは馴染みがないのですが、去勢された男子で王宮や貴族に仕えた者です。彼のいた国のように女王に仕える場合は多かったかもしれません。一方この宦官は異邦人でユダヤ教信仰者であり、エルサレムでの祭りに参加した帰りです。ユダヤ(旧約時代)は異邦人の宦官は差別を受けていました。この時、宦官が読んでいたのはイザヤ書53~56章であり、彼の疑問は53章での「捨てられた人」はイザヤなのか、歴史上の人物なのか分からなかったのです。フィリポはここで示されている者こそ「イエス・キリスト」であると語ったのです。聖書は一人で読んでも難しく「手引きする人」のいる教会で読むことが大事です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 久留米荒木キリスト教会。福岡県久留米市荒木町荒木1450にあります。いちどお訪ねしたことがありますが、木材をたっぷり使った温かさがあり、椅子もありますが、基本は木の床に座って礼拝をしているようで、面白いです。前牧師であった吉田晃児さんは、他の人や他の教会がやらないことをやろうというとてもユニークな方でしたし、その着眼点には急所をついた、教えられることがたくさんある方でした。今は、元小学校教員であった溝上牧師です。祈りの課題は以下です。①助け助けられ、愉快な主の旅を地域の人と共に!私の体を主の進入口として存分に用いてもらおう! 牧師・溝上 哲朗、協力牧師・吉田 晃児、塚田 正昭、教会主事・山田 哲也
12/19 ヨハネ福音書 1章1-18節 「恵と真理なるキリスト」
今日、所沢教会では「クリスマス礼拝」です。第四福音書の冒頭、旧約と新約を橋渡しする「ロゴス讃歌」と言われます。「ロゴス」は「ことば」という意味ですが、新共同訳では「言」一文字で「ことば」と表記します。「言葉」ではなく、世界を創造し、愛と意思と力、そして命に溢れた神ご自身は「言葉」という表現は不十分なゆえ。「言」は「神」であり、「言」に「命」があり、「言」は「光」であり、「言」は「肉体を伴い」、私共、「人間」の間に「宿った=住まわれた」のがイエス・キリスト。「暗闇=世=民=人間」はその光を理解できなかったのですが、「恵と真理」という「光」の現実がイエス・キリストを通して現わされました。「神の子どもとなる資格」、それは光として来られ、語れたキリストを信じていく、その一点のみで、血縁でも、知識でも、能力でも、お金でもありません。この光をぜひあなたも受け取っていただきたいと願っています。その時、あなたは真実に「クリスマス」を知るでしょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 壱岐キリスト教会。長崎県壱岐市郷ノ浦町方原触218にあります。九州と韓国というか、大陸の間には「壱岐」と「対馬」という島があります。福岡・佐賀などは大阪・東京よりもよほど大陸が近いので大昔より行き来がありました。壱岐という島は高速船で行けばかなり近いところです。この「島」での伝道は困難もあると思いますが、お祈りいたします。祈りの課題は以下です。①病を負う高齢者会員を力づけ給え。②地域と共に育つ教会へと祈ります。③教会の自立へ!連帯支援に感謝!牧師・飛永 孝、飛永 永子
12/18 Ⅰヨハネの手紙 5章13-21節 「罪を知る者のクリスマス」
ヨハネ文書で多用される「永遠の命」は、第一義的には「神の愛によって地上の命を終えてもなお、神の国(天国)へ招かれ、神と共に生きる」ことですが、それを「神の救い」「神の恵み」と言い換えてよいでしょう。なぜなら「死んだあとのこと」等は今、求めなくて良いと思う人々が多いゆえに。「神の救い」は今、この世を苦しみ悩みながら生きる私と共に主が共にいてくださる(インマヌエル)現実を生きることす。18節「神から生まれた者は罪を犯さない」。神の愛を知っていると言っても罪を犯す私共です。道を誤り、行うこと、語ることを間違えてしまします。世のせいと転嫁してはいけません。何より罪を知らなければ神の愛、恵、赦しを理解できないのです。今日はO・Yさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大川キリスト伝道所。福岡県大川市小保667-1にあります。家具生産で有名な「大川市」は佐賀県だと思っていたら福岡県でした。伝道所、といっても、独立していない教会であり、内容は「教会」の働きと変わりありません。何かうまい言い方がないかなぁと思います。祈りの課題は以下です。①30名礼拝の実現のために。②大川市全戸に福音を伝える。高齢者・病の人が癒されるように。伝道師・中村千枝子
12/17 Ⅰヨハネの手紙 4章7-12節 「君は愛するために生まれた」
Ⅰヨハネ書はヨハネ福音書の記者か、同じグループの後継者の記録であり、ヨハネ福音書の言葉が凄く響いています。今日の箇所だけで「愛」が15回用いられていますし、主イエスを私共が表現する時、「愛なる神」が重要な言葉です。「愛すること」は愛である主イエスに学び続けることであり、それが人生の一つの目標です。神の愛は「人が愛し合って、共感し、支え合って生きる」ための基礎です。主の教えから離れての「愛」は自己中心的な真似事であり、人に喜びや希望を与えないものであり、自分勝手な愛の押し付けや、見返りを期待することは「愛」ではなく、もはや「取引」です。「愛」という漢字は「受」の中に「心」で「心」を受けること、「心」が真ん中。「恋」は「心」が下にあるので「下心」かな?
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 佐賀基督(キリスト)教会。1947年創立の歴史ある教会です。パイプオルガンがあり、邦楽器での讃美歌演奏グループ等もありました。大変勢いがあり、多くの方々が集っていらっしゃる教会というイメージがあります。現在、牧師が不在で良き牧師が就任されますようにお祈りいたします。祈りの課題は以下です。①相応しい牧師の招聘ができるように。②自覚的信仰者になれますように。③高齢・病の人が慰め癒されるように。
12/16 Ⅰヨハネの手紙 4章1-6節 「確かな『霊』を見分ける」
Ⅰヨハネが記された時代も、今も、「霊の祟り」や「悪霊にとりつかれた話」「霊的現象」、「木や山や人形等に霊がいる話」は耳にしますし、文明の進歩は「正体不明な事柄」への興味も増すようです。1節の「霊」は八百万の霊と言うより、「私が伝えるいるものだけが神の教えである!」「私の体験こそ他の人と根本的に異なる神の霊による体験である」と言うキリスト者か、その周囲の言葉でしょう。(結果的に)偽預言者は「私が神から聞いた、このようなことをすればより救いになる」と言う人々。「自分の得ているもの」「自分の信仰のあり方」を自ら神のように絶対的なものと公言する人には注意が必要。本当に神様の御心がそこにあるのか、醒めた目と聖書(特に福音書)の視点から考えること。霊を見分ける」ことが必要なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 霊水(たまみず)キリスト教会。佐賀県佐賀市城内1-8-16にあります。住所のように、佐賀城の区域内にある教会です。周囲も大変落ち着いた風情があります。以前、末松牧師が就任されていた時特別伝道集会の講師としてご奉仕させていただいたことがあります。現在は臨時的に塚田牧師が就任されています。塚田牧師には大変お世話になっておりますね。祈りの課題は以下です。①常駐牧師が与えられますように。②ミャンマー学生の祖国の平安。③礼拝を守るため、毎週全員の声を聞く。牧師・塚田 正昭(久留米荒木教会派遣)
12/15 ヘブライ書2章5-18節 「試練を受けられた神」
「天使たちより低い者とされた」とは「人となった(=血と肉を備えている)主イエス」を示します。「天使」が度々登場しますが、ヘブライ書が記された背景に「天使信仰」があった影響ですが、「天使」が人を救うのではありません。言いたいのは主イエスが「アブラハムの子孫」、つまり広く言えば人間を救ったと語ります。また、旧約聖書では「大祭司」が神との間で「罪の赦しの執り成し」をしますが、主イエスご自身が「罪の赦し」の犠牲となってくださったという点で、大祭司をはるかに凌駕するのです。そして主イエス、つまり神ご自身が「試練を受けた」と記します。神は試練を受けない、神は苦しまないと思うのが普通。しかし、神ご自身が死の苦しみを受けたことが私どもの苦しみに主が伴う徴なのです。今日はU・Yさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 キリスト教 佐賀新生教会。佐賀県佐賀市大村4-5-83にあります。この教会について私はほとんど知らないのですが、現在、専任牧師不在ということでお祈りいたします。日本のキリスト教界では神学校と呼ばれる牧師養成機関に入学する人が減少し、結果、牧師が少なくなっております。特にこれから5~10年先が不安視されています。牧師という神様の福音を伝えるお仕事は、若い方だけでなく、40歳代や50歳代から神学校に入学して、牧師となる方々も多いものです。ぜひその働きを多くの方々と共に祈って頂きたいと思います。私もあと5年位で定年にはなるのですが、もちろん定年は一律に決まっているわけではありません。祈りの課題は以下です。①牧師亡き後の教会発展のために。②タイの森田覚偉霊(サムエル)宣教師のために。③コロナウイルス感染の収束のために。代表執事・河野 正成
12/14 ヨハネ福音書19章22-37節 「十字架の主イエス」
十字架上の主イエス。悲しむ母マリアを気遣い、弟子に今後のことを依頼します。そして十字架の下で共に主を仰ぐ者は家族とされるのです。「ヒソプ」とはシソ科の植物で葉に傷をつけるとそこから香る雑草で聖書によく登場します(「オレガノ」に近い)。「渇く」との言葉や十字架に至る状況が旧約聖書の成就であるのは詩編22編参照。ヨハネが伝える主イエスの最後の言葉は「成し遂げられた」。口語訳の「すべてが終わった」、新改訳の「完了した」より、主イエスの死に目的があったことを示す新共同訳が良いです。ここで主イエスの生涯は終わり。しかし聖書では「終わり」は同時に「始まり」です。死があり「復活」があることで主は我らと共に在まし、我らもまた、永遠を知る者とされたのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 鹿島キリスト教会。佐賀県鹿島市高津原557番地6にあります。もう20数年位前になるでしょうか。この教会が火災になり、そのお見舞いで伺ったことがあります。お城の中というか、その近くにある教会でした。今はどうなっているのかと気にかかっている教会の一つです。祈りの課題は以下です。①コロナ感染の終息。②キリストの弟子として成長。③万人祭司の自覚。牧師・玉置 行
12/13 ヨハネ福音書8章12-20節 「神しか知らない世界」
「証し」という言葉。教会では「神が私にくださった恵み」を自分の言葉で語ること。自分を宣伝するのではありません。「証し」は通常ではあまり使われませんが、「愛している証(証明)」として何かを差し上げる意味等で使われます(最近のPOPの中にこのような言葉使いがありました)。ここは「証言」であり、当時、裁判等では二人以上の証言が合わなくては採用されません。今日の箇所で主イエスが自分を「世の光」と言っても、自分で自分の証言は有り得ないのです。主イエスは「父なる神も同じく証しをする」と語りますが、人々には通じません。重要と思うのは「私はどこから来て、どこに行くのか知っている」点。あなたの命がどこから来て、どこに行くのかは創造主しか知らない事柄です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 嬉野基督(キリスト)教会。佐賀県嬉野市嬉野町下宿乙2350-22にあります。「嬉野」はとっても喜ばしい名前ですね。嬉野温泉や嬉野茶で有名で、この教会の近くにも多くの温泉旅館やホテルがあります。大昔には温泉のお風呂を借りてバプテスマ式を行ったと聞いております。この教会は本年の水害の復旧のお手伝いを他教派の教会と一緒にされていました。祈りの課題は以下です。①処女降誕のキリストを信じる信仰。②父なる神様の恵と愛の実感と実践。②兄弟姉妹のデボーションの充実。牧師・藤野
慶一郎、協力宣教師・車 孝振、金 恩妃、祈祷主事・相原 和子、伝道主事・橋爪 義行
12/6~12/12 特別版(メッセージなし)
12月 6日(月) 聖書:創世記 35章16~20節 「エフラタ近くのラケルの記念碑」
教会の祈り:H・Cさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:日本バプテスト連盟 五島キリスト教会(長崎県五島市)。 ①求道者、受浸者が起こされるように。②地域に開かれた教会となれるように。③教会を共に支えてくださる方が必要。牧師:中村
聖架
12月 7日(火) 聖書:サムエル記上 17章12~16節 「エフラタ人のダビデ」
教会の祈り:M・FさんとH・Gさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:多良見キリスト教会(長崎県諫早市)。①牧師招聘のための祈りを合わせる。②バプテスマ決心者の準備のために。③礼拝が整えられるために。代表役員代務者:松本素代美
12月 8日(水) 聖書:民数記 24章15~19節 「ヤコブのひとつの星」
教会の祈り:K・Tさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:長崎バプテスト教会(長崎県)。①教会に来るのが困難な方々の信仰が守られますように。②創立120周年(2022年)記念事業のために。③納骨堂建て替えのために。牧師:曺
銀珉、教会主事:田口圭子、音楽主事:嘉手苅 夏希、教育主事:竹内洋美
12月 9日(木) 聖書:マタイ福音書 2章1~6節 「メシア誕生の地ベツレヘム」
教会の祈り:(略) 今日の祈り:日本バプテスト連盟 諫早キリスト教会(長崎県)。①牧師交代期を迎えています。牧師招聘委員会の働きのために。③アドベント・クリスマス諸行事のために。牧師:河野
宏一(当教会出身牧師)
12月10日(金) 聖書:ルカ福音書2章1~10節 「飼い葉桶の中のメシア」
教会の祈り:K・Tさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:日本バプテスト連盟 大村古賀島キリスト教会(長崎県大村市)。①求道者の神との出会いのために。②新しい人の教会への招きのために。③コロナ禍からの回復のために。牧師:川久保
拓也
12月11日(土) 聖書:ミカ書 2章1~20節 「敵は我々を包囲した」
教会の祈り: (略) 今日の祈り:相浦光キリスト教会(あいのうらひかり・長崎県佐世保市)。①コロナ下で「主の平安に生きる」共同体として。②お逢いできない方々を覚えて「祈りのカレンダー」の活用。牧師:武林
真智子
12月12日(日) 聖書:ミカ書 5章1~5節 「彼こそ、まさしく平和」
教会の祈り: (略) 今日の祈り:日本バプテスト連盟 佐世保キリスト教会(長崎県佐世保市)。①コロナウイルスの一日も早い収束宣言。②休眠会員の目覚め。③物心両面の必要が満たされるように。牧師:鮫島
則雄
12/5 詩編60編 「栄枯盛衰の中で」
1節にある「ゆり」(の調べ)。「ゆり」は古い辞書では女性的な美しさを象徴する)とされますが。「あかしのゆり」「第八の調べ」「さとしはゆりの花」等様々な訳があり、解釈が定まっていないもののひとつ。九節の地名はそれぞれイスラエルの地域、10節の三つの地名(部族・国名)はいつもイスラエルを苦しめていた周辺国。弱かったイスラエルでしたが「兜」とか「采配」とその素晴らしさをほめます。旧約時代の多くは戦国時代。勝利した翌日には滅ぼされる等、安定した勢力が続くことは皆無といってよいでしょう。日本やアジアの歴史もそうです。千年の歴史で見れば、栄枯盛衰、諸行無常。変わりゆく歴史の中に主の導きを求める我らなのです。弱く小さく変化に翻弄される我らは主の導きを祈るのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大牟田バプテスト教会。福岡県大牟田市古町1-3にあります。この教会は1911年の始まりなので、110歳の教会です。かつての大牟田は製鉄のための石炭産業で大変潤い、勢いがあったのです。しかし、今、産業構造も変わり、もはや「にぎやかな街」とはいえなくなりました。学校法人「光の子幼稚園」の母体です。にぎやかな時代、この教会や幼稚園に通われた方も多いでしょう。教会は新しくなっていますが、今でもみなさんを優しく迎えてくださいます。ぜひお訪ねしてみてください。この教会の浦牧師、名前が漢字二文字でかっこいいなぁと思います。祈りの課題は以下です。①主題「神を見上げよう」の実践。②コロナ禍の収束のために。③教会と幼稚園の働きのために。牧師・浦 肇
12/4 詩編59編 「『絶やせ』など言わないでください」
背景として1節に示されているのはサムエル記上19章9節以下の話。ダビデがサウル王の傍らで竪琴を演奏していた時、サウルは急に槍を投げ、ダビデを殺そうとして、ダビデは逃げます。家では使者が見張っているので、ダビデの妻が窓からダビデをつり降ろし、逃げたのです。サウルは別の箇所でも指摘されるように、精神的な患いであったのでしょう。その背景を知って読むと詩に含まれる恐ろしい言葉も幾分は理解できるでしょう。新共同訳12節の「彼らを殺してしまわないで」の「彼ら」とは誰かはっきりしません。口語訳は他訳と同様に「憤りをもって彼らを…滅ぼしてください。そうすれば地のはてまで、人々は神がヤコブを治められることを知るに至るでしょう」。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 有明キリスト教会。福岡県大牟田市南船津町2-2-5にあります。この教会の田中牧師は「サリドマイド」により目が見えなくなりました。しかし、音楽の才能があり、ピアノを素晴らしく演奏されます。私が福岡の教会にいる頃に交流があり、福岡有田バプテスト教会での特別集会でもご奉仕くださいました。ピアノの演奏と大変聡明な聖書の解き明かしに感銘を受けました。お子様も大きくなったことでしょう。音楽はやっていらっしゃるかしら?祈りの課題は以下です。①コロナの中でも主の栄光を。②「宿題会」を通して救われる魂を。③会堂リフォーム、建築に導きを。牧師・田中
文人
12/3 詩編58編 「旧約の限界」
地上には不法があります。しかし、政治にも裁判にも、近い社会の中でもそれを裁く「公正」さがない、そのジレンマ(板挟み)をもって語られる詩編。結びではこのジレンマを持ちつつ、詩人はその中でこそ主に従い生きる決意をします。4・5節の「母の胎にある時から汚らわしい」は言い過ぎ。生まれる前から汚れた命などどうして主が創りましょう。九節等は受け入れがたく真似すべき祈りではありません。11節の「報復を見て喜ぶ」は主イエスの「報復ではなく和解を求めること」「隣人を自分にように愛せ」等の新しい契約に照らし合わせて考えるべきです。旧約聖書は限界があるからこそ、主イエスの新たな掟が必要なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 大牟田フレンドシップキリスト教会。福岡県大牟田市七浦町74-6にあります。この教会は社会福祉法人である「キリスト者奉仕会」(大牟田恵愛園、恵愛ワークセンター、ハーツ、たんぽぽ、つくしんぼ<グループホーム等>を運営)との関わりがあり、牧師がチャプレンをされています。祈りの課題は以下です。①神の愛の教会でありますように。②障がいのある人の尊厳と尊重を。③高齢者の健康が守られますように。 牧師・真柄 光久、協力牧師・福井 正躬、教会主事・叶 義文
12/2 詩編57編 「愛の勝利」
6節と12節の「リフレイン」で前後が分けられ、前半は神へ助けを求め、後半は、神が避けどころであり、救いを受けた感謝が歌われます。1節に「ダビデが洞窟にいたとき」が背景とあります。サムエル記上24章を読みましょう。ダビデが洞窟に隠れている時、丁度サウル王が入り、用を足します(臭かった?)、ダビデは王を捕らえるチャンスでしたが、サウルの上着を少し切り取り、その後、布をサウルに示して和解するように示すのです。その時、サウルは泣いてダビデに王位を譲ることを語るのです。この章は本当に感動的です。まさに「落ち込んだのは彼ら自身」。まさに愛の勝利。我らもまた「心確かに」、主を讃美するのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 菊池シオンキリスト教会。熊本県合志町幾久富1866-330にあります。祈りの課題は以下です。①コロナの中での礼拝・諸活動が守られるように。②集う方々とご家族の健康が守られ、日々の必要が満たされるように。③これからの教会形成と成長のために。 牧師・濱川 耕一
12/1 詩編56編 「涙の革袋」
1節の「はるかな沈黙の鳩」は不思議な語で、解釈されて「聖所から遠く離れた人々のため」とも解されます。素直に読めばダビデがガトの王の家臣に捕らえられた時(サムエル上21章)と結びつけられた状況でしょう。6節のより良い訳と思うのは「彼らはいつでも私のことばをねじ曲げ、どうしたら私を傷つけることができるかと考えています」。9節はいつも感動を持って読む箇所です。私共の涙(さまざまな理由がありましょう)、それをそのままではなく、主の革袋に蓄えておられる、それは、その涙を大事なものとして、受け取って下さること。その悲しみを知り給う主は「歓喜の涙」へと導き、「命の光の中」に招かれます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 種子島バプテスト伝道所。鹿児島県稲毛郡中種子町納官1571-5にあります。私も南九州の教会にいる時、伝道隊の一員として伺ったことがあります。小さな島で多くの苦労をしながら伝道されている姿はいつも記憶に残っています。種子島にはロケット発射基地があり、その関係者が時折礼拝に出席されているそうです。全都道府県に教会があるのは感謝なことです。祈りの課題は以下です。①黎明宣教会の世界宣教への祈りと献金の継続ができますように。②牧師の後継者が一日も早く与えられますように。③牧師の健康が守られ支えられますように。牧師・沼田 俊昭
11/30 詩編55編 「昔も今も変わらない苦しみ」
最近はSNSによる攻撃やハラスメントのため、苦しむ人々が多いのですが、四千年前も災いをふりかかせようとする人々により苦しむ人があり、都市であるほど不法や争い、搾取と詐欺が多かったのです。人間の本質は変わらないのです。10節の「彼らの下は分裂を引き起こしています」は他のほとんどの訳では「彼らの言葉を混乱させ、分裂させてください」となります。悪意で繋がる人々を解放させるのは「言葉の混乱」。「バベルの塔」の記事を思い起させます。「翼があったら現実から逃げ去ることができるのに」との言葉はまるで現代人の言葉のようです。何と人間はむごいのでしょうか。翼を得ることはできませんが、我らの苦難の中からの祈り、叫びは主に届くのです。「あなたの重荷を主にゆだねよ」。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟引退教役者の方々を覚えて。川内 研二氏(福岡県在住)、桐本 恒雄氏(北海道在住)
11/29 詩編54編 「祈りに耳を傾けてください」
簡潔な「救いを求める個人の祈り」。2節の注釈にあるように、ダビデが神から王として選ばれたにも関わらず、王位にしがみつくサウル王はダビデ殺害を企み、ダビデは苦しい逃亡生活をします。サムエル記上23章にサウルと組するジフの人々が「ダビデはホレシャの要害にいます…王の手に彼を引き渡すのは我々の仕事です」とサウルに伝え、サウルがダビデを捕らえようとしますが、この時は成し遂げられませんでした。この状況のゆえ、7節の「あなたのまことに従って彼らを絶やしてください」との受け入れ難い言葉がでるのです。一方でダビデは決してサウルを殺そうとしない人でもあります。これは究極的危険時の祈りです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「ろう伝道委員会」。「ろう者」に関わり、また教会の働きを支援する委員会です。祈りの課題は以下です。①来年こそ、ろう者修養会が開催できますように。②各教会のろう伝道の働きが祝され、共に歩むことができますように。委員長・宮井
武憲(福岡城西教会牧師)
11/28 詩編53編 「命のはかりを持つ」
「この詩編はどこかで読んだような」と思った方は素晴らしい!実は53編は14編とほとんど同じ。異なるのは「主」を「神」と言い換えている点と6節後半。「マハラト」とは楽器の名と解されますが意味不明。「神を知らない」者。それは命を神の創造と理解し、死への畏れや悲しみを考える「命の価値」、何を、誰を基準として善悪を考えるかという「思考のはかり」を持つ者が「神を知る者」。幼い頃から適切に学ぶことが大事です。加えて私どもは口では神と呼んだりしますが、生活の中で神の存在を認めているのか、と問われれば真に心もとないですね。週一時間程度の礼拝は最低献げていきたいですね。そして今日から「世界バプテスト祈祷週間」そして「アドベント」(待降節)です。今日の礼拝からキャンドルの一本目が灯されます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟の「専門委員・地区宣教主事」を覚えてお祈りいたします。「総務」「地区宣教主事」「国外伝道」「青少年伝道」「教会音楽」「賛美歌検討」「『聖書教育』編集」「教会教育」「『バプテスト』編集、各働き。
11/27 詩編52編 「滅びの力に依存しない」
この詩編はサムエル記上21~22章、特に21章9節~参照のエドム人ドエグがサウルのもとに来て、サウルから逃げたダビデがノブの祭司エヒメレクに助けを求めにいったことを告げ、サウルが祭司85名とその家族をドエグ等に殺させた悲惨な出来事が背景。それゆえ、「悪事を誇る、力ある者」とはドエグまたはサウルのことなのです。この詩を通してイスラエルの歴史とその中に起こった過ちを教え、自分達の中にある、「嘘、力、富など自分を滅ぼすものを神とする考え」に傾かないよう伝えます。「神の家にあるオリーブの木」は、神殿礼拝とそこで与えられる導きに生きる源を得るような神との関係に根差したあり方を表明するのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「ホームレス支援委員会」。連盟理事会の下に総会決議を受けて設置されている特別委員会です。祈りの課題は以下です。①諸教会における支援の取り組み。②信仰の事柄として困窮者と関われるように。③オンライン会議が用いられるように。委員長・麦野
達一(福岡西部教会牧師)
11/26 詩編51編 「主が求める砕かれた心」
この詩編は「自らの罪を知った者」の祈り。「罪を知る」ことが「救い」の扉。6節の「あなた(神)のみに罪を犯した」という言葉は誤解されますが、旧約聖書には「人が他者を傷つけることなしに罪を犯し得るという考えは全くない(メイズ)」ので、神に対して罪を犯すとはすでに被害者がいるのです。実際、ダビデも自らが犯した罪に気づいた時「わたしは主に罪を犯した」と語っています(サムエル下12章13節)。そして詩人は「清い心の創造」と「新しい霊」を求めます。「創造」は聖書では神のみが出来得る働き。「清い心」と「新しい霊」は神に向かって開かれ、方向づけられた思い、意思です。この「創造」を受け入れることが新しい生であり、祝福と希望の道なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 中国・四国バプテスト教会連合。一般には「中四国地方連合」といいます。四国から瀬戸内海を超え、日本海に達する広いエリアに19教会と1伝道所で構成されています。祈りの課題は以下です。①クリスマスへ向けてのお互いの宣教が恵まれるように。②お互いの助け合いのために。③連合役員会のために。会長・梶井義郎(高松常磐町教会牧師
11/25 詩編50編 「信仰者の歩み」
この詩編では、神が人々を集めて、裁判をする光景から始まります。内容は、人間の神との向き合い方であり、礼拝者としての歩みです。第一は「捧げもの」について、神が求めているのは動物犠牲ではなく、「告白」であり、「感謝」なのです。「告白」は他の訳では「誓い」ともありますが、神への讃美であり、信頼を表明し、神の言葉に従う思いを捧げるのです。第二は「日々の生き様」。そのことへの批判が17~20節にあります。信仰とは立派な捧げものとしたとか、聖書を何時間も学び覚えたということではなく、唇に主への感謝と讃美があふれ、歩みが神の目に義とされることを選びとること。51編の「神の求めるいけにえは打ち砕かれた魂」との表明につながります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 八代バプテスト伝道所。熊本県八代市井揚町3217-1にあります。祈りの課題は以下です。①教会員の信仰健康が守られますように。②み言葉に聴き、神の愛を伝える群れに。③祈り支え合う群れに。
牧師・桑原 伸良
11/24 詩編49編 「裸で生まれ、裸で死ぬこと」
主題は「命を失うこと、保こと」。私も年を重ねて思うのは、深い知識や深い信仰に教えられた師匠が高齢になり、深い対話ができないこと。悲しいと思いますが、それは自分の近い将来の姿。詩人は語ります。「人は兄弟をも贖えない」、つまり、一人の人の罪を代わって負うこともできない。たとえ弁償を支払っても、様々な心の傷は残ります。また「死ぬときは、何ひとつ携えない」。そう、人は裸で生まれ、裸で死に、名誉も記憶も長くは残らないのです。もちろん、先達の学びや教えのバトンは受け継がれていくでしょうが。十五節、「神はわたしの魂を贖い…」、地上の歩みを終える時、魂は主の前に迎えられ、また新たに歩み出すのを楽しみにし、今日の働きを心から行うのです。今日はS・Yくんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト熊本愛泉教会。熊本市西区谷尾崎町88-8にあります。日本バプテスト連盟加盟の10程の教会等で構成されている「新生グループ」の中心的な教会です。熊本といえば「くまモン」が有名ですね。あるとき、わたし、くまモンが一人(?)寂しく海岸に立っていたのを見て、人気者として歩み続けなければならない辛さを感じました。そのうち写真で公開したいものです。祈りの課題は以下です。①信徒一人ひとりの健康が守られますように。②子どもたちの信仰の成長、後継者育成。③コロナの終息と世界の平和。牧師・濱田 修三
11/23 詩編48編 「エルサレムについて考える」
「シオン」はソロモンによる神殿建築後のエルサレムの別称。ダビデの町を「神の都」と詩人が語るのは、地上的なものを天上のものと関連づけるのですが、「神の都」=「エルサレム」と理解してはいけません。現在、「シオニズム」という考えは超保守的で、エルサレムはユダヤ教(時にキリスト教)だけが本来の所有と考え、他の宗教の介入をさせない思想。三大宗教の聖地なのですが独善的思想です。非寛容な考えが対立や争いを生み出します。裏から見れば、世界中から多くの人々が巡礼や観光で来るので、経済は潤うのです。「エルサレム」は「神の平和」(エル・シャローム)ですが、平和共生を願いますし、キリスト教は「聖地」と理解しません。キリストは偏在され、神殿に住まわないから(もちろん「聖地旅行」のように、一般的な言葉としては使いますが、本質を理解しておく必要があるのです。)。今日はI・Hさんのお誕生日おめでとうございます!また、本日は我ら「北関東地方連合」の仲間である「水戸バプテスト教会」で、服部牧師の就任式が行われます。教会とリモートを用いたハイブリッドで行われ、私は所沢からリモートで参加したします。おめでとうございます!これからの歩みが祝されますように。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 山鹿新生キリスト教会。熊本県山鹿市市中222-1にあります。船越牧師も多分、随分な年齢になっていらっしゃると思います。娘さんを存じ上げておりますが、ご家族皆さまのご健康と幸いをお祈りいたします。山鹿市には面白い踊りがあり、女性が提灯を頭につけて踊る、というかパレードをします。何となく素敵だなぁ。祈りの課題は以下です。①礼拝ごとにみ言葉が語られますように。②いつも喜んで奉仕できますように。③家族ごとに礼拝が守られますように。牧師・船越 哲義
11/22 詩編47編 「すべての者が招かれています」
主を「王」と讃える「賛歌」。この詩編はユダヤ教伝承では新年の幕開けに吹き鳴らされるトランペットの音の前に七回神殿で歌われ、初代教会では主イエスの昇天を讃美するために用いられました。10節の新共同訳は良くない。「自由な人々」は通常、「貴き者」や「諸国の代表」という訳です。「地の盾」とは軍事力であり、「全地の平和を支える神」との理解がふさわしい。口語訳10節は「もろもろの民の君たちはつどい来て、アブラハムの神の民となる。地のもろもろの盾は神のものである。神は大いにあがめられる」。「神の民」は、民族や国家的なアイデンティティではなく、主の愛の支配を信じ、認めることで結び付けられた人々のこと。「ヤコブ」や「アブラハム」は信仰の父祖であり、「主を信じる者」の言換えです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト東熊本キリスト教会 豊岡キリスト伝道所。熊本県合志町豊岡1900-5にあります。熊本市のベッドタウンにあります。昔、特別伝道集会のご奉仕のため伺ったことがありますが、そのころはまだ、近くには畑が広がっていましたが、今は随分変化したことだろうと思います。祈りの課題は以下です。①教会の歩みのために。②教会財政の祝福。③病気療養中の方々のために。代表者・工藤 信也
11/21 詩編46編 「神はわがやぐら」
この詩編はルター作詞作曲の讃美歌「神はわがやぐら」(新生讃美歌538番)の聖書的根拠です。「アラモト調」とは音楽を示す言葉ですが不明。この詩編は三つに分かれ、はじめに、究極的な恐れが襲おうとも神への信頼は変わらない、次に神の都は揺らぐことがない、そして、主が完全な平和を作り出すことです。壮大であり、確信に満ちた堂々たる歌です。そして「地」という言葉が神の前に相対化され、地というものに根拠を置いてはならないことが示されています。「地が溶ける」とは「液状になる」という意味ですがあんまりしっくりきません。でも地震の体験の反映かもしれません。11節の「力を捨てよ」は口語訳では「静まって、わたしこそ神であることを知れ」で、二つの訳を合わせればイメージが広がります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト東熊本キリスト教会。熊本市中央区水前寺4-31-22にあります。かつて、一度訪れたことがありますが、「カルチャー教室等」を行う文化センターのような施設があったのを覚えています。以前、この教会に「三上」という牧師がおりましたが、現在の牧師とは何も関係ないようです。祈りの課題は以下です。①「共に」礼拝を行うための取り組みが、ますます充実していきますように。 牧師・三上 充
11/20 詩編45編 「結婚式を思い起こしつつ」
この詩編は特異です。王(勇士)と他の国から迎えられた王妃の結婚式の進行で構成され、華麗な雰囲気を反映しています。結婚式を想像して読めばよいです。なるほど「愛の歌」ですね。9節の「ミルラ」は「没薬」のことで三賢人の宝物を思い起こします(エジプトでミイラをつくるとき、腐敗防止のために沢山用いられたので「ミイラ」)。「アロエ」は親しみがありますね。小さい頃、怪我をしたらアロエの汁などをつけられていました。「シナモン」は「肉桂」。料理をされる方には欠かせません。ただ、「これって神への祈り?」と感じる方もいるでしょう。神は8節、18節(「あなたの名」を神とすれば)のみで登場します。でも結婚の導きと恵みは神の尽きない祝福に基があるとの信仰が基。また契約である「結婚」は、主によるイスラエルの選びと叙述され、新約聖書では花婿キリストと花嫁なる教会とも描かれ、それは愛と約束による神と人との交わり・関係です。「結婚」を決意するとき、もちろん、相手のすべてを理解している訳でもなく、「愛し、愛されている」と信じ、約束をします。そのように、神様をすべて理解できなくとも、その愛を信じ、信頼するところから信仰ははじまります。男女の中では、結婚して、はじめて見えてくる相手のことや、愛なんてなかったんだ、と思ったり、愛しているつもりだったのに、裏切られたとのことで、離婚される方も多いです。でも、神様を信頼して神と共に生きる歩みを始めてみませんか?
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 羊の群れキリスト伝道所。熊本南キリスト教会の伝道所で、熊本市中央区の本山町で集会を行っていますが、参加したい方はぜひお問合せください。電話:090-7986-5006です。祈りの課題は以下です。①病と不安にある方々への平安。②イエスさまとのより深い交わり。③「神の家族」の深化と広がり。牧師・朴
哲浩
11/19 詩編44編 「神は眠っておられるのか」
詩編の中で最初の「救いを求める共同体(「我ら」)の祈り」。讃美歌でも「わたしは主を愛する」等の個人的な歌が多いのですが、信仰は個人的であり、同時に「共に生きる中で育まれ、共に祈られる」共同体の信仰です。信仰を個人的な事柄に留めないことが教会の担う働きの一つなのです。この詩は救いの歴史の回顧から始めて、信仰の告白、信頼の表明、そして、現在の苦しみの現実が対比され、向けられている敵意が描かれます。さらに共同体の誠実さを主張し、再び苦難を語り、嘆願と訴えをもって閉じられます。「なぜ眠っておられるのですか」との神への問いはユニーク。通常、信仰が眠るのは人間。我らもまた信仰を、御心を神に対して眠ることなく求めたいものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 熊本南キリスト教会。熊本県宇土市新小路町101-1にあります。「宇土市」は通過したことはありますが、まだ行ってない場所です。祈りの課題は以下です。①コロナ禍の礼拝・みことばの奇跡のために。②県内の協力宣教の輪が広げられるように。③地域の生涯学習プログラムの準備や実施のために。牧師・朴 哲浩
11/18 詩編42-43編 「鹿のように」
42編と43編は合わせて一つの祈りと理解されます。「マスキール」をルターは「教示する歌」「教える歌」と訳しますが、現代、多くの学者の研究では不明確とされます。「鹿のように」という讃美歌(「谷川の流れを慕う鹿のように~」)があり、その元の詩編です。「神よ…わたしの魂はあなたを求め…命の神に、わたしの魂は渇く」との言葉は、体が水なしには生きれないように、魂は神なしには生きれないのです。しかし、ほとんどの人は、この渇きが生を妨げ、生を左右していることを理解しません。この詩の素晴らしさは「何を欠いているのか」を知っている点。7節の「ヨルダンの地から…」は詩人の祈りがヨルダン川を遡ってイスラエル最北の山に通じるように、神へと遡る文学的表現。9節、「夜、主の歌がわたしと共にある」、そう願います。今日は、I・Rさん、T・Hくん、T・Rさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 人吉キリスト教会。熊本県人吉市五日町81にあります。人吉市は山に囲まれ、球磨川が流れるとても美しいところです。人吉教会はその町でも古い場所に建っています。すぐ近くには温泉があり、入ったこともありました。今年、人吉等球磨川流域で大規模な水害が発生しましたが、人吉教会には被害がなかったとのことですが、被害を受けた方々を覚えてお祈りいたします。祈りの課題は以下です。①日々、希望を持って祈る。②みことばを伝える。③感謝して主に献げる。 牧師・永渕 一隆
11/17 詩編41編 「共に主をほめたたえよう」
この詩によって教えられることは、貧しく乏しい者、弱い者を思いやることが御心に叶ったことであるということ。更に神はそのような方であり、主の民はそれに習うのです。御心に叶わない者の歩みが5~10節に語られます。そして、主なる神が詩人を再び立ち直らせ(=復活)ることを願います。「見返す」という言葉は良いとは思いませんが、その心は私共も持つものです。この詩を新約から読むならば、ヨハネ福音書13章に主イエスに対するユダの裏切りは10節の詩人の言葉の成就であり、主イエス自身もその苦しみ、拒絶を深く味わったのです。14節の主への讃美は、「御前に立つことが赦された者達の感謝」として、会衆(教会)は共に主をほめたたえるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 天草中央キリスト教会。熊本県天草郡苓北町富岡3708-1にあります。天草は歴史的にカトリック教会が多く、プロテスタント教会はこの地域では珍しいと思います。「殉教の地」で南牧師が、教会を建て、もう25年程になりましょうか。「切支丹迫害」の歴史を学びたい方は、まずこの南牧師を訪ねたらと思います。祈りの課題は以下です。①イエスさまの弟子を生み出す教会。②明確な新生体験を伴う聖徒となる。③いやしと解放と聖霊の一致の教会。牧師・南 圭生
11/16 詩編40編 「あなたを信頼します」
まずこの人は感謝の報告から始めています。「ラハブ」とは偶像神の一つと思えますが時には象徴的に「エジプト」を意味することもあります。詩人は神の恵みや導きを感謝し、喜びをもってそのことを証ししてきたことを表明します(8節の「巻物」は多様な解釈があります)。ところが、13節から現在の苦難の状況を祈っています。ここでの「罪」は何かの過ちを犯したゆえですが、そのことによって、人々から攻撃にさらされて、多くの仕打ちを受け、心挫け、先行きが見えない状況からの解放を祈っています。17節は主を喜び、主を崇めることができるようにと祈りますが、他者への祈りであり、自分自身を含めての祈りです。18節の「貧しい」は経済的面もありますし、「心弱く、力ない状況」でもあります。今日はM・Aさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 延岡キリスト教会。宮崎県延岡市中川原町4-5063-1にあります。延岡というのは企業城下町です。なので、その産業によって町も変化します。とにかく陸の孤島のような感じで、九州の中央である福岡から九州で一番遠いですね。高速道路もできたかしら?空港も大分に行くか、宮崎に行くか、です。でも住むには良いところと思います。祈りの課題は以下です。①コロナ感染症の早期収束。②新来者が与えられますように。③互いに祈り合う教会。牧師・松田 良明
11/15 詩編39編 「揺れる心の中で」
一風変わった詩。想像するに、この人は病気であり、死が近いのを感じています。そして、病気になったのは神の罰だと捉えています。理由がある病気等なかなかありませんから。もう誰とも話したくないのです。でも心には様々な思いが溢れてきます。自分の人生、何の意味があろうか、努力してもすべては空しい。その中でやはり神様しか自分を助ける存在はないと思いますが、心は変わります。もう自分を痛みつけるのをやめてほしい、と言いつつ、やはり求めるのは神。「祈りを聞いてほしい、涙に沈黙しないでほしい」と。14節は「私を見つめないで、死ぬ前に喜びを与えてください」。誰もがこのような祈りをする時があるかも。この祈りもまた、聖書に記されます。今日はT・Sさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 高鍋伝道所。宮崎県児湯郡高鍋町北高鍋3242にあります。10号線、右は高鍋駅、左は町という交差点のすぐ入ったところにあります。昨日もお話しましたように、私が神学校を出て最初に赴任したのが、児湯教会であり、高鍋町に住んでいました。最初は教会員の持ち家、ものすごく古い家で、広い家でそれなりに楽しかったです。庭には大きな梅の木があり、初夏になると、ポト、ポトと梅の実が落ちる音がしていました。お風呂が薪(まき)でも湧かせることがわかり、農家の方に頼んで薪を譲り受け、蒔き割りをして、お風呂を炊いていたこともあります。薪で沸かしたお風呂は水がとても柔らかくなり、とても感動しました。さすがに、蒔き割りがそれほど続きませんでした。高鍋時代は、町でやっている油絵教室にも通いました。石井秀隣先生の指導でした。一枚の花びらでも描くのが大変で、時間がかかるものでした。石井先生にある時、「抽象画はよくわかない」とお話すると「いや、人間が描こうとしているものを、人間は理解できる」ようなことを教えられたのはいつも思い起こします。人間を理解しようと努めること、その心をいつも持ちたいと思っています。高鍋や近郊にお住まいの方、ぜひ、高鍋伝道所の礼拝に行ってください。とにかく駐車場は広いです!エンジンのついた草刈り機でよく雑草を刈っていたのも良い思い出です。高鍋伝道所の祈りの課題は以下です。①次世代を担う20名の信仰者が与えられますように。②コロナ感染が一刻も早く収束しますように。牧師・児玉 一郎
11/14 詩編36編 「病の中で主を呼ぶ」
病気、しかも疫病を患い苦しむ人の祈り。「病」には臨床的現象と人格的経験という少なくとも二つの面があります。病が癒さることでは済まない痛みを持ち続けることがあります。病は家族・友人という内なる輪から疎外させ、外なる輪は、病を弱さにつけこむ機会とします。そして、この人は病を「主の怒り」と考えています。それ以外の理由しか考えられないのですが、同時に最後の頼みの綱は神であるゆえに「主よ、見捨てないでください」と祈ります。さあ、我らも、苦難 の中、主イエスを呼ぼう。病で隔離されていた人が遠くから呼ぶ声を聞き癒す主。病の人に「誰か罪を犯したから病気になったのではない、神の業がこの人に現れるためである」と語る主に委ねよう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト児湯キリスト教会。宮崎県西都市南方2676-6にあります。「児湯(こゆ)」は、その周辺が「児湯郡」だったのですが、その中で「西都市」が独立しましたが、名前はそのまま受け継いでいます。西都市内に「児湯教会」と「三財会堂」があります。「追分会堂」も児湯郡新富町にありましたが、現在は活動していません。何しろ、私が神学校を卒業して、最初に赴任したのが、この児湯教会です。副牧師として、高鍋に居を定め、歩みました。そして、主任牧師であった故山下俊郎牧師より多くのことを学ばせていただきました。本当にありがたい、貴重な時でしたし、今も続く多くの出会いを感謝しています。宮崎で生れた最初の子どもが生後わずかで召され、今、児湯教会のお墓に入れさせていただいています。西都市南方にある昔は「穂北会堂」といっていた会堂が中心ですが、すぐその近くに「うなぎ屋さん」があります。昔も今も大人気の店で、休日は宮崎市等から遠いにもかかわらず、多くの人が押し寄せます。先代はこの「児湯教会」の会員でした。うなぎだけでなく、お米も、漬物も、味噌汁(名前をわすれたけど、少し違う)も美味しい店です。今は高鍋町出身の徳渕牧師が就任しておられます。祈りの課題は以下です。①コロナの状況は厳しいですが、インマヌエルの主に望みを見て、一人ひとりが歩むことができますように。牧師・徳渕 敬尚
11/13 詩編37編 「人生の指針は?」
「何を生きるべき指針とするのか」を示す牧会的詩編と言われますが、詩というより「箴言」のような教訓・格言・勧告を示しています。短い文言であるゆえに、単純化され、勧善懲悪的で白黒はっきりしており、「揺らぎ」まで表現できません。もちろん読者は「あれか、これか」のような単純な世界には生きておりませんので「間」を読み込む必要があります。「地を継ぐ」は、神の恵みと祝福を次世代にわたって頂くようなことであり、「救い」の表現の一つです。「無垢な人」とは「完全な人」ですが、むしろ神の意思を願い求め行動することです。5節の「あなたの道を主にまかせよ…」、23節~24節「主は人の一歩一歩を定め…」、37節の「平和な人には未来がある」等含蓄深い信仰の言葉を感謝し受けとめます。今日はK・MさんとO・Yさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 宮崎丸山町キリスト教会。宮崎市丸山2-33にあります。この教会では、1987年頃、故金子千嘉世牧師が就任され、その後、結婚を機に金子貢司牧師も牧師として就任されました。私が宮崎県にいる頃、子どもに病気があり、毎週のように宮崎市内の病院に連れていっていました。病院で疲れ切り、帰りは金子家によって楽しく美味しい時を何度もいただきました。いろいろお世話になったので、丸山町教会の小さな看板をつくったこともあります。数年前、千嘉世牧師は、東日本大震災のこともあり、郡山で牧師をされていましたが、癌になり、若くして召されました。貢司牧師の辛さ、悲しみを思います。ぜひ、宮崎の方、丸山町教会に行ってください。祈りの課題は以下です。①新しい会堂と牧師館を建てることができますように。牧師・金子 貢司
11/12 詩編36編 「命の泉は主イエスから」
「旧約聖書中で最も素晴らしい言葉のいくつかがここにある」と言われます。2節の「彼の前に、神への恐れはない」はパウロがローマ書3章18節で引用しています。8節~11節は「翼の陰」「滴る恵み」「甘美な流れ」等印象的な言葉。「命の泉」はヨハネ四章の主の言葉「わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」、また黙示録7章「玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである」を思い起こします。11節の「心のまっすぐな人」は別訳の「御心にかなった歩みをしようとする人々」が良い。所沢教会は「泉町」にあり感謝。昔は「雉熊」(きじくま)と呼ばれる地名でしたが、この町で、命の水の泉を証しする教会として歩み続けることができますように。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 青島伝道所。宮崎市青島5-7-20にある、宮崎キリスト教会の伝道所です。1950年代から1960年代、青島はハネムーンのメッカで、結婚式をして、宮崎・青島に新婚旅行に行くのが夢であったようです。そして70年代くらいまでは観光地として、とても賑わいました。「鬼の洗濯岩」やら「鵜戸神宮」で土の玉を投げた記憶がある方も多いでしょう。今は当時の賑わいもなく、青島近くは人も減りました。なので青島伝道所もなかなか人が集まらずご苦労されていると思います。青島からさらに南に下っていくと、クロダイ(ちぬ)を焼いたり、味噌汁に入れたりして提供する店がありました。ものすごく美味しくて、宮崎に住んでいる時は、ドライブがてら行くのが楽しみでした。お客さんが来たらお連れするのですが、故戸上牧師をご案内したときも大変喜ばれ、魚をおかわりしていました。今はどうなっているでしょうか?さて、祈りの課題は以下です。①主日礼拝の充実。地域への伝道。
11/11 詩編35編 「苦しみの中にあるあなたへ」
長大な「救いを求める祈り」。旧約時代でも現在も様々な痛み、生き辛さ、悲しみを持っている人が多いのです。そのような方々がこの詩を読み、そして、詩編の言葉を自分の状況に置き替え、自分の言葉で改めてこの詩編を書き記してみてほしいと思います。この詩編にある「敵」を裁く言葉は強烈でもありますが、それ以上に、その人の苦しみは大きいのです。あなたの正しさ、誠実さ、私共はあなたの側に立ちたいと願います。18節の「優れた会衆、偉大な民の中」との言葉に違和感を覚え調べるとほとんどの訳は「大いなる会衆」や「大きな集い」であり、ニュアンスとしては「多くの人々の前でもおじけづくことなく感謝と讃美をささげる」ということです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 宮崎キリスト教会。宮崎市吉村町北町甲1405-15にあります。またこの教会を母体とする、幼保連携型認定こども園「みくに幼稚園」(学校法人)があります。「みくに」とは「神さまの国」、つまり、神さまの愛と恵みに満ちた世界、という意味です。私も宮崎県で暮らしていたこともあり、何度も訪れた教会です。先日テレビを見ていたら「宮崎県」は住民の幸福度が日本の中で大変高いとのこと。人も気候も温暖で、海も山もあるすてきなところですからね。たまには「台風」もやってきますが、それは、自然も人間も同じでしょうか。祈りの課題は以下です。①高齢者の方のために。②受浸者が与えられるように。③みくに幼稚園のために。
牧師・中條 信治、中條 邦子
11/10 詩編34編 「どのようなときも」
1節のダビデが狂気の人を装ったとの実話はサムエル記上21章にでてきます。ただ、本当はアビメレクではなく、「ガトの王、アキシュ」。2節の「どのようなときも、わたしは主をたたえ…賛美を歌う」、それができたらよいですね。私は緊張する時、聖句や讃美歌を思い起こし祈ります。私はF1という自動車競技を見るのが好きなのですが、ホンダエンジンに乗るガスリー選手がいつもレース前に十字を切って祈りを捧げる姿に共に祈る気持ちになります。20節の「主に従う人には災いが重なる」との言葉に驚く人もありましょうが、信仰者でもそうでない人も変わりありません。ここで詩人が言いたいのは「(しかし)主はすべてから救い出す」こと。さあ、「味わい、見よ、主の恵み深さを」。今日はT・Kさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 都城キリスト教会。宮崎県都城市早鈴町2-16にあります。都城は宮崎県での内陸の山の中です。この教会を母体とする保育園を二つ運営されています。「三つ子の魂百まで」と言われますが、幼児期に「神さまの存在を知り、祈ること、神さまの愛を知ること」それはその人の生涯にも多くの影響を与えていくと思います。卒園生や保護者の方々が教会に行ってくださると嬉しいですね。祈りの課題は以下です。①牧師をお与えください。②コロナ禍にあって礼拝が守られますように。③教会と相愛会(社会福祉法人・保育園二園運営)が共に歩んでいけますように。
11/9 詩編33編 「望み待つ心」
1節の「正しい人」は、「主に従おうとする人」。「主に従う」ことは常に現在進行形であり、結果として「主に従い得ない」時もありましょうが、そこから再び「主に従おう」と歩みを始めるのです。ゆえに「新しい歌」は新たに作詞作曲されたものではなく、「新たな心」をもって、主に従い歩む者の歌であり、古い歌でも新たな思いで歌う時に「新しい歌」。詩人の讃美は神の働きを創造の初めから思い起こし、ひとりひとりをご覧になり、目を留められる主に向かいます。「主を待つ」。「待つ」とは何もしないで待つのではなく、大事なお客さんが来る前に相手の喜ぶ顔を想像しながら心こめて準備すること、人に対しても神様の御計画にせよ、そのような思いで待つのです。今日はS・Hさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 バプテスト川内(せんだい)キリスト教会。鹿児島県薩摩川内市平佐町2934-1にあります。この教会では施設を利用して「学童保育」等を行っています。九州新幹線ができてから、福岡から熊本や鹿児島が大変近くなりました。川内川には「河童」も住んでいると噂されます。さて、祈りの課題は以下です。①主の深く大きな恵みを信じ受け入れ成長し、それぞれの家族・隣人に証しをする群れとなるように。協力牧師・立島
和史
11/8 詩編32編 「罪の告白が新たな道へ」
「なんと幸いなこと」で始まるのは詩編1編と同様であり、マタイ5章からの「山上の説教」と合せて我らは聞くことができます。3節の「わたしは黙し続けて」と5節の「わたしは言いました」との対照にこの詩の豊かさがあります。何かの過ちを犯してしまい、その過ちを認めることを拒み、暴露されないように用心深くすると、それは実は自分と相手を蝕み、傷つけるのです。この沈黙はアダムが神の御前から身を隠したのと同じ。しかし、その扉を開き、勇気を出して自らの非を認める時、神の前に赦しを得、そして人間の関係においても、新たな関係が構築される可能性が開かれます9節の「分別のない馬やらばのようなふるまい」、人は時に動物以下の動物にもなってしまうのです。今日はI・Mさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 枕崎バプテスト伝道所。九州本土の最南端にある教会。枕崎教会もお訪ねしたことがあります。カツオがよく獲れ、「かつおぶし」の工場が多かった記憶があります。人口っも少ない地域で、母教会の伊集院教会から長い時間をかけて日曜の午後(夕方)に礼拝を続けられております。祈りの課題は以下です。①礼拝、祈り会に多くの方が来られるように。②駐車場が与えられるように。主任牧師・馬渡
健太郎、協力牧師・麦野 賦
11/7 詩編31編 「あなたの御手の中で」
この詩編はルカ福音書に記される主イエスの生涯最後の祈りで6節を用いて以来、特別な意味を持ち、31編は主イエスの受難を注解するものとなりました。また、今、この詩編が苦難や老化で弱さを抱かざるを得ない人々にとっても「私の歌」とされるでしょう。印象に残る言葉として16節の「ふさわしい時」、これは「わたしの時はあなたの御手のうちにあります」とも訳されます。わたしの運命は神の御手の内にある、との意味で、死ぬことと、生きることに属する言葉です。秋、蒔かれた種は芽を出し、時に寒さや強風を体験しつつ、春に花を咲かせるように、人の歩みもまた良い時、悪い時、様々にやってきます。「耐え忍び、主を待ち望む」日々が守られますように。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト伊集院キリスト教会。鹿児島県日置市伊集院町下谷口1520-4にあります。伊集院という町は小さな町ですが、それゆえ、この教会と幼稚園の存在は誰しも知っていると思います。この教会を母体とする伊集院幼稚園、現在の園長さんは青年時代から知っている方でご活躍を嬉しく思います。伊集院の近くにはキリスト教の布教が最初に許可されたという歴史的な場所もあります。祈りの課題は以下です。①教会学校・地区集会の充実。②枕崎伝道所の教会形成を目指して。③幼稚園等の働きによる地域伝道。主任牧師・馬渡
健太郎、協力牧師・麦野 賦
11/6 詩編30編 「泣きながら夜を過ごした人」
「神殿奉献」や「神殿清め(今の教会はそのようなことは行いません)」で歌われた讃美歌。冒頭の「主をあがめます」がこの歌の目的。主による救出への感謝、つまり神のみ旨による慈しみにより喜びへと変えられたことを感謝し、信仰者にこの讃美に加わるように呼びかけています。7~11節は、かつての苦しみと、その中でなされた祈りを引用し、嘆きを祝いに変え、沈黙を讃美に変えてくださった方が、主に他ならないことを告白するのです。6節の「泣きながら夜を過ごす人にも喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる」、12節「わたしの嘆きを踊りに変え、荒布(悔い改め祈る時の服)を脱がせ、喜びを帯としてくださった」との言葉は希望を教えてくれます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト鹿児島基督(キリスト)教会。鹿児島市鴨池2-23-17にあります。鹿児島市内はいわゆる「銭湯」はほとんど温泉です。もちろん温泉という素晴らしい恵みがありますが、同時に、桜島の噴火による火山灰等の被害もあります。鹿児島教会を母体とする「幼保連携型 認定こども園 めぐみ幼稚園」と隣接しています。また市内の中山町には児童クラブを運営し、その場所で日曜の夜に礼拝が持たれています。田渕牧師は、西南学院大学神学部で同期で学んだ方で、常にすべてを真面目に取り組む方です。祈りの課題は以下です。①病気療養中のいやしと守りのために。②求道の方の導きと決断のために。③会堂の建設の守りと導きのために。牧師・田渕 亮
11/5 詩編29編 「主をほめたたえよ」
「主に帰せよ」。「帰する」とは日本語では「あるところに落ち着く。最後にはそうなる」や「信仰するようになる。帰依する」の意味がありますが、英語では Give unto the LORD,で、「主をほめたたえよ」です。「神の子らよ」は「天の諸々の被造物(あるいは「天使ら」)」への呼びかけで、詩人が見ているのは「宇宙的な神殿」なのです。なので、この詩は壮大な「頌栄(ほめたたえる歌)」(メイズ)であり、小さな世界で悩む者が世界的規模での神の働きへ目を向けるのです。何億年という悠久の時、海山に生きる大小豊かな生物を見る時、自分の小ささを笑ってしまうようなもの。9節で「神殿」の者も共に声をあげ、平和を祈ります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> バプテスト国分キリスト教会。鹿児島県霧島市国分姫城3053-1にあります。いつも書くのですが、この教会の隣は温泉入浴施設がありまして、教会が心の糧をいただいて、温泉で体を休めるというすばらしい日曜が過ごせます。マウマウタン牧師はミャンマーの出身で現在のミャンマーの状況について辛い思いで日々祈っておられます。また、マウマウタン牧師はミャンマーのキリスト教会の牧師の息子さんで、その教会は礼拝が100名以上もいるとのこと!難しい日本での宣教にもう20年以上仕えていらっしゃいます。前回の日本バプテスト連盟定期総会では総会牧師のお働きもされました。祈りの課題は以下です。①コロナの早期収束と教会員・教会の歩みが恵みの内に導かれること。②ミャンマーの人々に平和と自由を。牧師・マウマウタン、協力牧師・立山
泰士、協力宣教師・テモテ・ボード
11/4 詩編26編 「歌をささげる」
「主よ、あなたを呼び求めます」と始まるこの詩編。「至聖所」とは神殿の一番奥、大祭司等しか入れない場所。でも6節からは祈りと願いが受け入れられ、感謝が溢れています。「歌をささげて感謝する」との歌はどのような讃美歌だったのでしょう。そして感謝を独り占めするのではなく、「民」すべてに広がることを祈っています。辛い時は「自分だけに苦難が来る」と思っていたかもしれません。でもその目と心を周辺に注ぐ時に、自分と同じような、あるいは、自分より遥かに深い痛みを持っている人々がいることに心開かれ、祈るのです。この視点を頂くことが恵みを更に深いものに導くのです。「嗣業」とは「神から譲り受けた土地や恵み、時には愛する人々」を言います。今日はK・Cさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 西原新生バプテスト教会。沖縄県中頭郡西原町内間27-2にあります。長くこの教会を最初の時代からつくってきた牧師が召され、どうなるでしょうと案じておりましたら、本年、割と若い牧師が就任されました。この方が神学生だった時、当時、私が就任していた神戸バプテスト教会で夏期研修をされたことを思い起こします。主の導きをお祈りしますし、どうかじっくり腰を落ち着けて歩まれますように願います。祈りの課題は以下です。①新生の民としての原点の再確認。②伝道に熱くなる教会の形成。③沖縄における主の平和の実現。
牧師・柏本 隆宏
11/3 詩編26編 「自分は完全で正しい?」
「裁きを望む」とは、今、不当に提訴されたか、悪意のある虚言で傷ついている状況。困難な状況に陥ることが想定されている中で、この詩人は自らの正しさを訴えています。しかし「わたしは完全であり、主を信頼し、よろめいたことがない」との言葉がファイサイ派の祈りにように聞こえ、主イエスやパウロから学んだことと矛盾するように感じます。詩人は自分の正しさに自信があるように見えますが、それは自分の思い込みでしかないのかも。「自分は何も間違ってはいない」と思っての行動も様々な人間との関係性では自分が思うように人は思っていないのかもしれません。自信こそ分断を招いているかも。そう感じた詩編です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 那覇新都心キリスト教会。連盟加盟教会を覚えての祈り、再び南に戻りました。この教会は那覇市銘苅3-21-48にあります。沖縄は何度か行ったことはありますが、沖縄にある日本バプテスト連盟の教会はお訪ねしたことはありません。沖縄県には「沖縄バプテスト連盟」があり、先日の教役者研修会は、我が「日本バプテスト連盟」と「沖縄バプテスト連盟」「日本バプテスト同盟」の三団体で合同で行われました。私は所用があり、参加できず残念でした。岡田牧師夫妻、お二人で「お笑いコンビ」を素敵にされる方です。また、岡田牧師夫妻を通して私共も沖縄の置かれている状況をお聞きし、祈ることができます。祈りの課題は以下です。①コロナ危機において教会の豊かな交わり。②コロナ危機においてミッションステートメントを共に読む。③コロナ危機において沖縄に立つ教会の福音宣教。牧師・岡田 有右、岡田 富美子
11/2 詩編25編 「主よ、教えてください」
この詩人は自らの貧しさ、労苦、罪を知る中にあります。その中で「教えてください」「導いてください」「引き出してください」との祈りが響いています。「…こうしてください」「ああしてください」「助けてください」と祈ることは多いのですが、その中で「教えてください」という願いは大事。それは謙虚であり、「教えてください」と言われたら多くの人は喜んで教えてくださるでしょう。もちろん教えられて後、取り組むこと、努力し、同じ過ちを繰り返さないようにすることは「学ぶ人」には当然です。何より「神さま」について「イエスさま」について「聖書について」学び続ける私共であり、人生を学び続け、変え続けたいものです。主に応えつつ学び歩む我らですから。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 旭川バプテスト教会。旭川市8条西1丁目11にあります。昨日も記しましたが、旭川を訪れた時、この教会にも立ち寄りました。住宅地の入口にある教会です。でも、窓ガラスが薄く1枚しかないので、冬は大変だろうなぁと思いました。雪が多い地方の教会、教会は面積が多いところがあるので(特に地方では)雪かきなどご苦労が多いと思います。祈りの課題は以下です。①教会組織から66年の歩みに感謝して。②ワクチン接種の是非が教会にも社会にも分断を生まないように。牧師・田森
茂基
11/1 詩編24編 「心を開き、主を迎えよう」
この詩編では冒頭で主が創造された世界とその所有者は主であると告げます。私共が住んでいる土地も、何より自分の命も、またたとえ自分の子どもの命さえ、それは「主から預けられているもの」です。自分の好きなようにしてよいのではなく、神の創造と願いにふさわしく整えていくのです。私共は完全ではありませんが四節でその目指す生き様を押しています。7節以降の「城門よ、頭を上げよ」。これは勝利の王が入城の際、人々が歓喜して門を開く様子。エルサレムの城門を開くことですが、もう一つの意味があります。真の創造者、「命の主」である救い主を心の扉を開いて迎えることです。私の心の中心に主を喜び迎えましょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 旭川東光キリスト教会。旭川市東光11条3丁目1-4にあります。この教会は松坂牧師の時代に一度行ったことがあり、家族で牧師館に泊めてもらいました。大きな道路をはさんで、教会と牧師館が立っています。旭川はなんといっても故三浦綾子氏が生活していたところで、市民にはキリスト教会は近い感覚でしょうか?そこまではないかなぁ。祈りの課題は以下です。①礼拝によって主イエスさまが先立ち導いてくださるように。②み言葉によって一人ひとりの信仰が養われますように。③聖霊による交わりを通して主を証しできますように。 代表代務者・藤原 直之
10/31 詩編21編 「王の役割、民の祈り」
この詩は王の即位式や、任期更新時の礼拝で用いられ、他の詩編と異なる調子があります。この時、王も民も「王が何者であり、何を所有し、何をすべきか」を確認します。王の人格は神を讃美し、神に信頼し、神に望みを置区ことに依り、神とのつながりの中で初めて王として歩み得るのです。ゆえに主の祝福が必要です。今日は衆議院選挙等が行われます。「国民のために働く内閣」と余りにも当たり前のことを掲げた前政権には驚きましたし、それ以前は誰を見て政治を行ったいたのでしょうか。実は「国家」は最大の犯罪者です。政治の過ちでどれほどの人々が殺され、傷を受けたことでしょう。「三権分立」が守られ、墨塗りではなくすべてを明らかにして、国民全ての人が益を受ける政治が求められています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟「引退教役者」の方々を覚えて。金子純雄(福岡県福津市在住)、金子 敬(東京都在住)
10/30 詩編20編 「馬でも戦車でもなく、主の御名を」
戦いに臨み、王と民が共に祝福を願う「王の歌」。3節は悩んだ箇所。「あなたの供え物をことごとく心に留め」は、「あなた(神)への供え物」ならわかるけど、そうではない。つまり、ここでの「あなた」は「王」であり、王が行う戦争前の祭儀に際し、王の祈りが実現するように民が声と心を併せて祈っているのです。8節は人生の様々な戦いにおいても重要な言葉。「戦車や馬を誇る」(軍備、道具、最新機器)のではなく「主の御名を唱える」(神の声に聴き、まず主をほめたたえる)ことです。6節の「旗を掲げることができるように」、との言葉については国の勢力拡張や植民地支配、一国の経済的利益のための戦争は主イエスによって全く否定されたことを覚えるべきです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「社会福祉事業団連絡協議会」。①差別・抑圧され生き難さを抱える一人ひとりに寄り添うことができる、地域社会の実現に向けて。「心身障碍者施設」「高齢者施設」等運営団体で構成されています。
10/29 詩編19編 「我が心が御前に置かれますように」
「創造主の働き」「比類なき主の教え」「人に不可欠な神の赦しと守り」と展開されます。創造された世界は私共を包み、響きや声が神の栄光を示します。ローマ書1章20節も併せてお読みください。太陽が人々を温めるように、主の教えが人を導くのかが示されています。「律法」「定め」「命令」「戒め」「主の裁き」はすべて主なる神が人間と関わる道です。その教えに導かれる者は「魂を生き返らせ」「知恵を与え」「喜びを与え」「光を与える」のです。第三部での「知らずに犯した過ち、隠れた罪」の言及に詩人の誠実さが見えます。悪気がなくても、時にその言葉は他者にダメージや恐怖、孤独を与える可能性があるゆえ、「心」と「言葉」が主の前に置かれるように祈るのです。今日はT・Yさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「総会役員会」。日本バプテスト連盟(宗教法人)では毎年総会を開催しております。コロナのため、今年度も引き続き「書面表決」の総会となります。祈りの課題は以下です。①総会役員会と事務局の十分な準備のために。②最善の総会決議により新しい歩みへと進むように。 議長・大島
博幸(福島主のあしあと教会牧師)
10/28 詩編18編 「恵みを数えたら長くなりました」
「『主は生きておられる!』この歓喜、感謝に満ちた叫びこそ、18編の神学的頂点(メイズ)」。「ケルブ」は天的存在の象徴で一般に手足を持つ有翼の像として表現された「ケルビム」の単数形。サウルはイスラエルの初代王。次王として主が立てたダビデはサウルから耐え難い苦しみを受けます。悪意、敵意、誤解等をダビデは耐え忍ぶのですが、それは「自分の主君であるサウル王に仕える」との人柄、「わたしはあなたを王とする」との主への信頼が力となったのです。長い詩編ですが、神への感謝を数えたらそうなったのです。26節~27節には「慈しむ人を慈しむ」との言葉は当たり前のようですが、実際の人間はそうありません。また「貧しい民を救い上げる」は神の愛の見本。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟「部落問題特別委員会」。日本バプテスト連盟の理事会のもとに置かれている課題解消を目指す特別委員会の一つです。祈りの課題は以下です。①私の内にある差別の心と向き合えるように。②石川一雄さんの無罪が確定するように。③当委員会の働きのために。 委員長・片桐 健司(品川教会員)
10/27 詩編17編 「あなたに呼び求めます」
この詩編を読むと「自分には何ひとつ汚れたことはない」との自信過剰の人かしら、と思いますが、そう語らなければならない状況が9~12節。思っていない困難、それも殺されそうな力が襲い、助けを求め祈るのです。「私は特段悪いことをしていないのに、釣り合わない苦しみを背負っている」と訴えているなら、私共もそう言いたくなる時があります。怒りや誤解も受けていますが、主が、そのような力を撃って、自分の身の潔白が示されることも祈っています。特に攻撃が子どもや子孫にも続くことを恐れていますから、なおその願いは強くなるのです。自分だけでなく、子どもに危険や不幸を残したくないとの祈りに共感します。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> バプテスト連盟関西地方教会連合。32教会、5伝道所で構成されています。神戸教会在任時は連合の多くの交流があり嬉しく感謝しております。祈りの課題は以下です。①新しい連合の形の模索に主の導きを。②重荷を負う教会・伝道所を覚えて。③コロナ下での礼拝が守られるように。会長・鮫島
泰子(神戸伊川教会牧師)
10/26 詩編16編 「向き合うつつ私の隣にも」
「ミクタム」は一説ではアッカド語の「覆う」に由来し「罪を覆う、贖う」こと。全体としては感謝と証しの詩です。5節の「分」はいつも良い訳がないかなぁと思いますが、「分け前」とか「その人の持っている身分や能力。身の程」です。ただ主がわたしの分け前ではおかしいので、「主は自らにも恵みを注いでくださる」ような意味になりましょう。8節は「主に相対し」また「主は右にいまし」とあります。「相対する」のは「対立」ではなく「向き合う」こと、でも同時に「右」にいますとは、親しさや助け手であることです。親しい人は横に座るのです。「幸い」とはその人の環境によるのではなく、他者との関係性であると言われるゆえ。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 釧路キリスト教会。北海道釧路市若竹町6-16にあります。「釧路」といえば、この地出身の牧師を知っておりまして、「釧路湿原」にはいつか行きたいと思っております。そして奥村牧師をご紹介するのは大変嬉しく楽しいことです。奥村牧師との最初の出会いは奥村牧師が連盟宣教部主事時代、私が行っていた常盤台教会の「青年週間」の講師として来られた時からです。その後、姪浜教会の牧師に就任された折には、私が神学部の最終年で姪浜教会で奉仕神学生として学びました。そのころの姪浜教会は福岡の漁村に近い町で今とは大違いです。奥村牧師の説教をいつもメモして学びましたし、奥村牧師のフットワークの軽さ、熱心さ、おしゃべりの上手さは本当に素晴らしいものです。その後、宮崎を経て(宮崎時代には、高鍋教会に十字架をたてるプロジェクトなどを行ってくださいました)、姪浜に近い福岡有田バプテスト教会に就任してからは、しょっちゅうご夫妻と私共夫妻でご飯食べたり、ゲームをしたり、仕事を紹介してもらったりで大変お世話になりました。釧路教会でも様々に活躍されてとても嬉しく思っております。そういえば、当、所沢教会での私の就任式でも宣教をしてくださいました。祈りの課題は以下です。①四つの礼拝が守られますように。②5人の入会決心者の歩みのために。③コロナ危機で働く医療従事者のために。 牧師・奥村敏夫、宣教師・マシュー・チン・メイ・マン、ダイアナ・ウォン・サン・サン
10/25 詩編15編 「誰が救いにふさわしい?」
「神の幕屋(=テント、住まい)」で神と共にあり、「聖なる山」(=神が臨在される世界)に住むことができるのはどのような人か?との問いで始まる教育的な詩です。このような伝統は、現在の讃美歌においても、主に感謝し、証しする歌詞もあれば、苦難の訴えもあり、信仰の道を教える歌詞があるようなものです。ここで記されている「ふさわしさ」は多分、誰でも納得できるもの。ただ、「利息を取らない」のは銀行等にお勤めの方は困りましょうが、銀行等は相互の納得と契約の上での職務なので除外です。より問題は「完全で正しいか」ということ。特に新約において「人間は決して完全でないにもかかわらず、主は赦しと愛で救ってくださる」ことに感謝すべきでしょう。今日はU・Eさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 帯広バプテスト・キリスト教会。北海道帯広市東9条南8丁目1-3にあります。帯広教会のホームページは充実しています。教会の案内はこのように記してあります。「『教会』も『イエス・キリスト』も皆さんにとって縁がないように思われるかもしれません。足を踏み入れずらい場所かも知れません。しかし、教会はどなたでも歓迎します。疲れた時、生きにくいと感ずる時、仕事のこと・病気のこと・人間関係・・・様々な出来事で悩むとき、どうぞお気軽に教会に足を運んでください。聖書の言葉、牧師のアドバイスでなにかヒントが与えられるかもしれません。」。ゆったりとした駐車スペースもあるとのことです。裕子牧師は日本語というか、文語等に詳しく讃美歌検討委員会でお世話になりました。博多教会で行われた結婚式にも家族で行った思い出があります。祈りの課題は以下です。①コロナ状況下でも今年度テーマ「伝道する教会」として歩む。②地域に根ざした教会として歩む。牧師・川内裕子、川内 活也
10/24 詩編16編 「詩編と新約とのつながり」
この詩編はパウロがローマ書3章10~12節で引用している点で重要です。ちなみにこのローマ書の新共同訳では「悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない」です。印象が違うように感じる原因は旧約聖書はへブル語で記されています。でもパウロはギリシャ語訳聖書(70人訳と言われる)を使っていたゆえです。聖書をへブル語から日本語に訳すのと、英語から日本語に訳した場合、異なる印象を持つことがあります。ゆえに、牧師等(聖書の専門家)はヘブル語、ギリシャ語(新約)を学ぶ必要があります。でも悲しいかな私はヘブル語ほぼ落第生。難しいの…。1節の「神を知らぬ者」は直訳では「愚か者は…」ですが、「神を知らない」=「愚か」とするのは問題です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 小樽バプテスト教会。小樽市奥沢1-22-22にあります。この教会にも松田牧師の時代にお訪ねしたことがあります。とても広い駐車場が印象的でしたが、それはまた、雪の多い地域のゆえ、雪かきの大変さを示します。エイカーズ・愛牧師は幼い頃から知っております。米国で教会音楽等を専門に学ばれた方です。ホームページや他のSNSで発信しています。小樽は観光の町でコロナで受けた被害も大きかったでしょうが、これからの回復をお祈りしています。祈りの課題は以下です。①神の愛を受け地域に仕える教会へ。②すべての人が安心して礼拝できるために。③常に喜び絶えず祈りすべて感謝する。牧師・エイカーズ・愛
10/23 詩編13編 「主に向かって歌います」
「嘆き」が「祈り」へ、そして「信仰告白」へと変化します。「いつまで」と繰り返す叫びを、私共も経験します。パンデミックのように「先が見えない、答が見えない、光が見えない」辛い時。時に人は意地悪です。「動揺させ」「苦しみを見て喜び」「死んでしまえ」とまで言われているように思えます。私は昔は人を苦しめて喜ぶことなど有り得ないと思っていました。でも、非がないにも関わらず、実際に起こることを経験しました。悪意ある人間より我が家のトイプーちゃんの方が正直で立派。罪があるのは人間のみ、それゆえに主イエスの導き、赦しが必要なのです。6節の「報いてくださった」は新共同訳。他訳の「主がわたしを豊かにあしらわれた」が良い訳と思います。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 札幌新生キリスト教会。札幌市北区拓北7条2-1-23にあります。ホームページの紹介ではこうあります。「JR学園都市線拓北駅から徒歩5分。家庭的であたたかな雰囲気の教会です。忙しい日々を離れて、ゆっくりと穏やかな時間を教会で過ごしてみませんか。どなたでも大歓迎いたします。」。また田中満矢牧師はこう記しています。「ナイトdeライトのドラマーでもあり、札幌新生キリスト教会のユースパスターである田中満矢による月一ラジオです。リスナーの悩み相談や聖書のメッセージなどをお届けします。」。祈りの課題は以下です。①使命継承、次世代の祝福!②シオンの回復(教会のリバイバル)詩編102編17~23節。③福音書の弟子から使徒言行録の弟子へ躍進を祈る。牧師・田中 博、ユースパスター・田中 満矢、伝道師・小原 輝樹
10/22 詩編12編 「偽りの言葉が満ちる昔も今も」
悪が社会に蔓延し、かつて信仰を共にした仲間もほとんどいない状況を背景としています。3節の「滑らかな唇」は新共同訳です。他の訳では「へつらう(人の気に入るように語り、お世辞を言う)唇」。つまり虚言、偽りだけの人間関係。にも関わらず自分の語る言葉だけが真実であると言う人々が満ちる世界を主が断ち切ることを祈るのです。その祈りに対して主は「苦しみ呻く者のために立ち上がる」と語ります。世の言葉と逆に、主の言葉は真実な言葉、虚ろな言葉でなく、練り上げられ精錬された信頼すべき言葉であると世界と神を対比しつつ語ります。人が人を見下し、軽べつすることが当たり前のような時代。旧約の時代も、現代も、主は我らを正しく愛し守ってくださる方なのです。今日はS・Tさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 札幌バプテスト教会。札幌市中央区南22条西14丁目1-28にあります。この教会は何度か訪れたことがあります。市内電車に揺られて、電車の車庫に近い場所、「モイワ山」が講壇のうしろ、ガラスを通してよく見えます。また学校法人「ひかり幼稚園」の母体です。ホームページの案内には次のようにあります。「教会は、イエス・キリストによって招かれたすべての人々が集い、共に礼拝ををささげる「礼拝共同体」です。そこにはあらゆる年代・立場・職業の人たちが共に集い、様々な活動に取り組んでいます。私たちの教会は特に教会音楽が豊かで、パイプオルガンに合わせて讃美歌を歌い、聖歌隊による合唱も毎週行われています。音楽に興味があるという方も、どうぞおいでください。もちろんクリスチャンでない方でも、礼拝は参加できます。聖書・讃美歌などは貸し出していますので、何も持たずにお越し下さい(礼拝の中で、席上献金がありますが任意です)。皆さんのお越しを心よりお待ちしています!」。「若者応援プロジェクト」や「お弁当分かち合いプロジェクト」等、コロナ禍で様々な活動を展開している素敵な教会です。祈りの課題は以下です。①‶ばらばら〟でも励まし合う主の群れでありますように。②コロナ後を見据えた歩みのために。牧師・西本
詩生、石橋 大輔
10/21 詩編11編 「主はわたしの避けどころ」
信頼の詩。1節の神が守護者との告白が全体の基調。1節後半からの括弧内は他者の言葉。私共も「教会行って何になるの?」とか「神なんているわけないじゃん!」とか他者に言われます(他者がキリスト者であっても、なくても)。ここは何かの社会的な危機が迫っている状況で「逃げよ、暴力や力を誇示する者が迫っているから、逃げるしか道はないんだ」と言われているのです。3節の「世の秩序が覆っている」は新共同訳ですが、多くの翻訳は「拠り所や基が取り壊される」という訳です。「心のまっすぐな人」は「主に逆らう者」の逆。詩人はそれらの声に反し、「逃げるのが唯一の解決ではない、主を信じていこう」と決意するのです。逃げても、主からは逃げないのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 西野バプテスト教会。札幌市西区西野3条2丁目2-26にあります。かつて、現、所沢教会協力牧師のお父様の中田昌夫牧師がおられた時、伺ったことがあります。8月の夕暮れですが、涼しい風が吹いていて、たくさんの美味しい天ぷらを頂きながらお話に花が咲いた思い出は私の大事な1ページです。その後、岩本牧師が就任されました。岩本牧師の思いが以下の「祈りの課題」にもあります。どのように感じられましょうか。①既存の教会を海外からの宣教標的にされないために基督教を根本から問い直す激変をイエスの福音は教会に求めています。牧師・岩本 義博
10/20 詩編10編 「貧しい者の祈り」
九
9編と10編は統一性があると考えられ、元来一つの詩と考えられています。「苦難の時に隠れている神」、聖書信仰の歴史の中で常にテーマであり「隠れているようであり、しかし、共にいる神」であると告白され続けてきました。この詩の特徴として「貧しい者」との自己理解、自己表現があります。「貧しい」とは、財産や金銭にとぼしく、生活が苦しいこともありますが、「心貧しい」、つまり、愛や情熱や生きる希望や生きる気力の乏しい状況でもあります。信仰がなくなりそうな時も「貧しい」と表現されます。「貧しさ」を多角的に考える時、「豊かさ」とは何かと考えますし、我々もまた貧しいことを知ります。16節の「異邦の民」はここでは「貧しさ」の要因の一つであり、人を「貧しさ」に向かわせる力全般です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 平岡ジョイフルチャペル。札幌市清田区里塚3条1丁目7-5にあります。教会紹介ではこのように記されています。「日本バプテスト連盟につらなる,カルチャー(教養,文化,芸術)を尊重するキリスト教会です。1963年に札幌市白石で創設。1991年に平岡の現在地に移転しました。閑静な住宅街に位置しており、近くには平岡公園梅林やイオンモール札幌平岡があります。小さなお子さまも歓迎いたします。どうぞ安心してご一緒においでください。」。三上牧師は大学教授と兼任されていたり、本を出版されている方で、様々な「学びの会」がプログラムされています。祈りの課題は以下です。①聖書のギリシア語・ヘブライ語原典の自主独立な学習により、地域社会のお役に立つこと。牧師・三上 章
10/19 詩編9編 「むなしい戦争」
「 ムトラベン」とは「子どもの死」の意味と考えられていますが詳細は不明。「アルファベットによる詩」は「いろは歌」。詩人は救出されたことの感謝と主を讃美する言葉を続けます。「敵の滅びや、町の記憶が消された」との言葉は、現代では非人道的に見えますが、戦国時代のこと。日本でも戦国時代は、敵を打ち破る時に城などすべてを破壊し、一族皆殺しにしたことがありました。それは報復を恐れてのことでありました。もちろん、新約において、あるいは現代では有り得てならないことです。そして、この詩にある「虐げられた人」「流された血」「死の門」等は戦争というものが敵味方共に多くの犠牲を生み出し、「思い上がり」の結末であることを知らせてくれます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> オープンドアチャペル。札幌市豊平区福住2条7丁目12-17にあります。ホームページの挨拶にはこうあります。「オープン・ドア・チャペルは国際的な信仰の家族として札幌にいてイエス・キリストの福音を実現することを目的としている教会です。見学に来てくだされば、暖かくてリラックスした「アットホーム」な雰囲気の中で賛美し、聖書を学び、そして霊的に成長できるところだと分かると思います。教会員の多くは日本人ですが、様々な文化背景をもっている人々もいます。私たちの大切な使命のひとつは(名前の通り)すべての人に開かれた教会としていることです。言語、年齢、宗教背景は何であっても、オープン・ドア・チャペルにあなたの居場所があります!オープン・ドア・チャペルに足を運んでいただき、直接お会したいと思います。お待ちしております。 」 英語礼拝も行われているようです。アクセスは以下です。地下鉄・バスご利用の場合:地下鉄東豊線『福住駅』下車、3番出口よりバスターミナルへ、中央バス4番乗り場で、福76、福84、真104、真105に乗車、「福住2条7丁目」停留所前下車。祈りの課題は以下です。①コロナ禍における守りのために。②コロナ禍の宣教のために。③コロナ後の宣教のために。 牧師・佐々木 俊一、協力牧師・ジェームズ・E・アリソン
10/18 詩編8編 「神を知る子どもたち」
「ギティト」は地名の「ガテ」に由来する楽器または歌の調子と思われます。最初と最後に同じフレーズが繰り返される構造。3節は、マタイ21章で主イエスが神殿境内で商売していた人々の台等を倒し、追い出した様子(「神殿浄め」などとも言われます)を見て、子ども達が大人のおかしさを直感、「ホサナ(なんて素晴らしい!の意)」と叫び、大人が憤慨した時に、この句を用いて主イエスが語っています。「世界の異常さ、おかしさ」の被害を受けるのは、まず子どもであり、社会的弱者。彼らは「力」を持ちませんが、それゆえに彼らの叫びを聞く社会が大事なのです。6節は人は神以上の存在でなく、被造物であること。「治める」ことは「治められる存在」にとって益を生み出すものであることが記されています。今日はM・Hさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 平岸バプテスト教会。札幌市豊平区平岸4条2丁目1-19にあります。facebookでは毎週の講壇を飾る美しい花が紹介されています。礼拝時、講壇に花を飾る習慣はほとんど日本だけかもしれません。でも神さまが造られた美しい花々を飾る心はとてもすばらしいと思います。所沢教会でも「お花」を講壇に毎週飾っています。平岸バプテスト教会の祈りの課題は以下です。①常に感謝の気持ちで生活すること。②地域社会への福音伝道のために。③献身者のイシンボム兄が二〇二二年西南学院大学神学部神学科に入学できますように。牧師・全 皓燮
10/11~10/17 10月特別版
10月11日(月) 聖書:詩編 50編8~15節 「すべては主のもの」
教会の祈り:S・KさんとN・Aさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:三沢教会(青森県三沢市東町2-2-2)。①コロナ禍での教役者の経済のために。②信徒がコロナに感染しませんように。③今後も宣教の働きが進みますように。 牧師:福田
敦
10月12日(火) 聖書:ヨハネ福音書 4章23~24節 「まことの礼拝を求めて」
教会の祈り:A・Yさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:カルバリ教会(青森県六戸町小松ヶ丘3-77-1082)。①より熱心に、効果的に伝道できるように。②長老と執事がさらに与えられるように。③一致一心で聖書的な教会を目指して続けるように。 牧師:デヴィニー・ジェームス
10月13日(水) 聖書:出エジプト記 20章1~7節 「みだりに主の御名を唱えるな」
今日の祈り:青森教会(青森市青柳2-2-10)附属幼稚園:王恵幼稚園。①病にある方、治療療養中の方の癒し。②試練や困難にある方に平安。③一人ひとりが新しい信仰の決心に。
牧師:角本 尚彦、協力牧師:佐々木 昭正
10月14日(木) 聖書:ヨブ記 28章20~28節 「主を畏れ敬うこと、それが知恵」
今日の祈り:函館美原教会(函館市美原2-41-8)。①開かれた柔らかな心で神さまのお働きに従っていくことができるように。②苫小牧教会との協力が祝されるように。牧師:福田
雅祥(まさよし)
10月15日(金) 聖書:民数記 6章22~26節 「主の御顔による祝福」
今日の祈り:函館教会(函館市柏木町16-38)。①み言葉と祈り、主の愛と聖霊充満。②イスラエルの祝福と世界の平和。③連合、連盟における連帯と協力。牧師:本多
啓示
10月16日(土) 聖書:アモス書 5章4~6節 「主を求めよ、そして生きよ」
教会の祈り:K・Hさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:苫小牧(とまこまい)教会(北海道苫小牧市日吉町2-4-10)。①無牧師の中で教会が守られ力強く福音を宣べ伝えられるように。②函館美原教会との協力関係が祝されるように。 代務者:桜井
明、助言者:福田雅祥子(函館美原教会牧師)。
10月17日(日) 聖書:詩編24編1~10節 「すべては主のもの」
今日の祈り:室蘭教会(北海道室蘭市知利別町1-8-11)。①体調を崩している方々の回復。②バプテスマ準備クラスのために。③コロナの収束と教会変革のため。 牧師:吉田
尚志
10/10 詩編7編 「敵の滅びを祈る時」
「シガヨン」は音楽用語、他にアッカド語に関連して「悲しみの歌」「挽歌」との説あり。「クシュ」はダビデ王との関連で聖書に出ませんが、失われた伝承に因る可能性もあり。「避けどころ」は不安と恐れの只中にあって神にその生を委ねる信仰の業を表現する言葉で詩編では一般的な言葉です。主に対する信頼の根拠は「弱い者の側に味方として立ってくださること」「主の正しさ」「心とはらわたを調べて判断を下す方」であるから。詩編で出て来る「敵への報復や敵を滅ぼすことへの祈り」は「ひどい!そこまで祈らなくてもいいし、もっと相手を許せよ」と私共は思います。それが「現場」と「周囲」の違い。「あいつが死んだらよいのに」と幾度か思ったことがある私共ではないでしょうか。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 八戸バプテスト教会。青森県八戸市類家1-8-38にあります。青森県には「一戸」~「九戸」までありましたでしょうか。以前、「日本人のお名前」というテレビで扱っており、興味深く見ました。創立140年になる歴史ある教会です。この教会にはまだ行ったことはないのですが、松坂牧師は女性ですが、私などと同じくPK(パスターズ キッズ)で、お父様とも何度もお会いしたことがありました。福岡時代は娘たちが松坂さんのお子さんと同じ保育園に通っていました。松坂さん家の一番下の娘さんが生れた時には、赤ちゃんを見にいきました。もうすっかり立派になって、今年は日本バプテスト女性連合の奨学生にもなっておられました。フェイスブックではこのように紹介されていました。「八戸バプテスト教会は、国道45号線類家1丁目交差点を臨む丘の上に建つキリスト教会です。毎週日曜日小さい子どもからお年寄りまで集まって礼拝をしています。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にお越しくださいませ。聖書や賛美歌は貸出用もございます。」。祈りの課題は以下です。①主題「祈りをつなぐ、祈りでつながる」。②宣教一四〇年、小さくとも時代の中で主を証しする群れに。牧師・松坂
有佳子
10/9 詩編6編 「嘆き疲れた夜」
1節の「第八調」はメロディの種類。この詩編作者を想像しましょう。死を待つほどの重病の方と思えますし、社会の中で、また家庭の中で大変ひどい仕打ちを受け、苦しみあえぐ人のようにも思えます。身近に死を感じています。毎晩、涙が溢れ、それほど老けていないのに、体調がひどく悪いのです。「いつまでこの苦しみが続くのか」と思い、恨みは病気や他者にも向かいます。「解決」はこの詩に見られません、現実は変化していないのです。あなただったらこの人に何と声を掛けましょう。下手な慰めは怒りを買うかもしれません。でもこのような場面に立つ可能性は誰にでもあります。でも、この人の唯一つの希望、それは嘆きや辛さを訴える方がおられる、という事実。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 鮫バプテスト教会。青森県八戸市鮫町忍町30にあります。鮫「さめ」という名前から、寒風引きすさぶ漁村をイメージしておりましたがとってもにぎやかな魚の町でした。青森はお魚、せんべい汁等自然の恵み豊かなところですね。祈りの課題は以下です。①牧師招聘が一日も早く叶うように。②地域にキリストの福音を証しする。③祈りとみ言葉に親しむ教会になる。代表役員代務者・鈴木 勉
10/8 詩編5編 「つぶやく時」
2節、新共同訳では「つぶやきを聞き分けてください」とあり、このような訳は他にありませんが、面白いと思いました。「つぶやき」、それを他の人が聞いたら「お前が悪いからそうなるのだ」とか「そんなつぶやき、他人は普通、そんなことでつぶやきません」等言われそう。でも「つぶやき」、どうしてつぶやかざるを得なくなったのか、本当の問題はどこにあるのか、主に尋ね求めることは必要ですし、主は「つぶやき」も黙って聞いてくださいます。詩人にとっての主は「悪しき者」、そして「悪」とは何かを知っておられる方であるとの信頼を込めて祈るのです。「御名」は名前ですが、「その方自身の力」を表現するものです。「水戸黄門」と聞けば、とたんに争いが終わってみんなひざまずくようなものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 盛岡バプテスト教会。岩手県盛岡市天神町10-14にあります。講壇のうしろにあるステンドグラス、そして高い天井に、木材が適所に配置された素敵な教会堂です。盛岡も1~2回行ったことがありますが、教会はまだ行ったことがありません。盛岡三大麺、盛岡冷麺、わんこそば、じゃじゃ麺ですが、一応三つとも制覇しております。でも昔のことなので。また食べたいなぁ。祈りの課題は以下です。①高齢者も子どもも互いに喜べる礼拝。②地域に開かれた教会。③世界に主の平和が訪れますように。牧師・小川 紋子
10/7 詩編4編 「尊厳が傷つけられた時」
この詩編は偽証によってもたらされた苦しみの時の祈り。古代イスラエルでも「尊厳」や「誉」は重要で、尊厳が奪われるのは、肉体的傷よりも深い傷を受けることもあります。昨今、フェイク(嘘)情報、ハラスメント(嫌がらせ)の発信で傷つけられ、命さえ奪われるのです。偽情報発信者は何が楽しくてそのようなことをするのでしょう。SNSだけではなく、「虚偽情報」はすぐに拡散し、たちまち苦難に入ります。「言う方」は気軽、でも「受ける方」は深刻。その時、真実を知る主に依り頼むことが大事です。そして主が与えてくださるもの、通常は食料やワインでしょうが、詩人は飲食に飽き足りることで得られる喜びより遥かに大きい「主にある平安」を得たのです。今日はN・Sさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 秋田バプテスト教会。秋田県秋田市泉中央3-2-1にあります。1957年に始まった歴史ある教会です。また、この教会を母体とする「学校法人 認定こども園
ひかり幼稚園」があります。小さな子どもの時に、イエスさまのことを学ぶこと、祈りをすること、それらの良い経験は生涯にわたって心の通奏低音となります。ぜひ、この幼稚園で育ったお子さんやその保護者の方々、ぜひ、数十年ぶりでも大丈夫です。教会に行ってみてください。この教会の村上牧師は、かつては銀行マンでしたが、早期退職?して牧師として歩んでおられます。祈りの課題は以下です。①恵みと感謝に溢れますように。②ひとつの体になりますように。③新しい証が加えられますように。
牧師・村上 悦二、協力牧師・渡部 元
10/6 詩編3編 「うなだれる日に」
ダビデがその子アブサロムから逃れた時、とはダビデ王の第三王子であり、超美顔のアブサロムが反逆した事件(サムエル記下15章等)の折の詩とされています。ダビデ王はすぐれた王でしたが、一方で弱さや、困難、苦しみ、悩みも続く人生でした。その点では私共も同じです。幾度もうなだれる時がありますが、しかし、主がおられ、支えられたから、再び立ち上がることができたのです。夜、眠ります。でも眠れない夜があり、翌朝目覚めるかどうかは誰も知り得ません。しかし、新たな一日が与えられたら感謝し、どんな困難な中にも主が守られることを祈りましょう。そして主への祈りは、個人的な事柄にとどめるのではなく、世界の人々の幸いをも祈るのです。今日はT・Tさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 大富キリスト教会。「大富」は「たいとみ」と読みます、宮城県富谷市日吉台2-1-5にあります。ホームページには以下のような言葉があります。「1992年に宮城県の仙台市北部に位置する富谷市に建てられました。礼拝参加する来会者は、宮城県域のプロテスタント系のミッションスクール(尚絅学院、宮城学院、東北学院など)の在校生・卒業生が多く集まっています。
各集会は堅苦しくなく、アットホームな雰囲気です。どのプログラムも普段着でご参加ください、小さいお子様同伴も歓迎です。」。この教会の小田牧師はアメリカでも学んだ方です。祈りの課題は以下です。①主の平和にある教会として生きる。②主イエスに導く教会として歩む。③礼拝に生かされ、共に証しする教会。牧師・小田
衛
10/5 詩編2編 「主を避けどころとする幸い」
本来は1編と2編は「幸い」の言葉ではさまれ、つながっています。2編では「神的王」「メシア(油注がれた者)」「御子(子)」等福音書でのイエスを現わす称号が凝縮しており、「メシア預言」とも言えます。故に七節の「お前はわたしの子…」は主イエスのバプテスマの時、天からの声が響いた時の言葉です(マルコ1章11節等)。3節の言葉は地上の支配者や人々が「神の支配や神の思いなど関係ない!」との内容です。では、まだ主イエスを知らない人々はここでの「子」をどう解釈したのか。それは「(ユダヤの)王」の即位式等でも読まれたのですが、実際にはここで記されるような王は誕生しませんでした。しかし、「主を避けどころ」とすることはどの時代でも共通します。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 仙台長命ヶ丘キリスト教会。仙台市泉区長命ヶ丘3-2-17にあります。「長命ヶ丘」とはすばらしい名前で、御長命の方がたくさんいらっしゃるのでしょう。この教会の金丸牧師は、お若い頃から教会に通われていました。その後、音楽に目覚め、ベースやドラムを演奏し、ある時はプロにも誘われたということです。「イケメン」の牧師でもあります。そこは絶対負けちゃうな(私が勝るものは何もないな、、、)。金丸牧師が福岡有田バプテスト教会から、仙台長命ヶ丘教会に異動する少し前に東日本大震災が起こり、当時金丸牧師がいた地域の「福岡地方バプテスト連合」ではトラックか何かを持たせて仙台に送ったと記憶しております。現在でも金丸牧師は「連盟現地震災対策委員会」の働きをされておられます。祈りの課題は以下です。①教会や教育館のリフォームのため。②新型コロナの収束。③被災者の歩み、原発事故の収束のために。牧師・金丸
真
10/4 詩編1編 「幸いへの道しるべ」
「詩編という書物は祝福をもって書き出されている。…この詩の入口で我々は、人生とはどう生きるかにかかっているのだという教えに出会わせられる。…この一編はここにあって、我々を、祝福された生へのいざないの書として全体を読み、かつ用いることへと招いているのである」(メイズ)。こうあるように「なんという幸い!」は主イエスの山上の説教の最初につながり、新たな契約での祝福の道が語られるのです(マタイ5章以下)。「主の教えを昼も夜も口ずさむ」。「ツイッター」は「口ずさむ、鳥のさえずり」からきた言葉ですが、スマホでツイッターを読むように、御言葉を読むのが大事です。「繁栄」とは単にお金が儲かるとか、健康等の価値観を超えた「幸い」です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 南光台キリスト教会。仙台市泉区南光台5-5-5にあります。住宅地の中にとても広がりと光のある素敵な礼拝堂があります。この建物ができた時、予算の問題でガスはプロパンガスになったそうです。しかし、東日本大震災の時は、それが役に立ち、近所の方々が避難したり、お湯を供給できたということです。祈りの課題は以下です。①礼拝の継続(コロナ危機)。②教会員、来会者の健康の守り。③東日本大震災現地支援委員会記念誌作成のため。牧師・田中 信矢
10/3 詩編19編 「わたしの贖い主よ」
10月から11月は「聖書教育」誌で「詩編」を扱い、当教会の礼拝宣教でも「詩編」を扱うことが増えます。今日は詩編19編。アディソン詩とハイドン曲(オラトリオ「天地創造」から)の新生讃美歌123番は19編を基礎とします。この詩編は最後の「主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ」との信仰告白的な結びに至るまでに、「創造主の創造の御業」、「比類なき主の教え」「人に不可欠な神の赦しと守り」で構成されています。13節の「知らずに犯した過ち、隠れた罪…」への言及は「律法を守り切れない人間の弱さ」を知っています。14節の「驕り」とは「いい気になること」「思い上がり」です。そして「口の言葉」(行動)「心の思い」(願い)が御旨(主にふさわしい)に叶うようにとの言葉に共感します。なお「贖い」とは、元来はある人が背負っている負債を別の人がすべて肩代わりして、その人は負債から解放されることを言いますが、それから転じて、人間の背負いきれないような罪を神さまがすべて引き受けてくださり、赦しと解放、そして新たな道を生きるようにしてくださることを言います。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト仙台基督(キリスト)教会。仙台市青葉区木町通り2-1-5にあります。仙台駅から地下鉄に乗って「木町」だったかなぁ、そこで降りて地上に上がるとすぐにこの教会があります。「ルージュの教会」ともいわれます。また、「仙台バプテスト教会幼稚園」を運営しております。町の中心部にあり、行きやすい教会です。今年の春から、岐阜教会の牧師をされていた宇都宮牧師が新たに就任されました。この方はもともと歯医者になる学びをしておりましたが、キリスト教と出会い、牧師の道が示された方です。「歯医者の道を絶って牧師になる!」もったいないなぁと思う方もおられましょうが、真に健やかな道は福音に生きることなのです。祈りの課題は以下です。①福音を宣べ伝えられますように。②互いに仕えられますように。③力を合わせて働けますように。牧師・宇都宮 毅
10/2 ハバクク書2章1-31節 「信仰に依り頼み生きる」
ハバクク書は12小預言書の中にあります。紀元前6世紀、北王国を滅ぼしたアッシリアや強国であったエジプトが衰退し、新たな覇者としてのバビロニア帝国の動きが強まり、その影響を受けた南王国ユダの危機の時に活動した預言者ハバクク(意味は「神に抱かれる者」)の預言と祈りです。ハバクク書は1章から「預言者の嘆き」と「主の答え」が繰り返されます。「嘆き」の言葉は我らも共感する「どうして?」という叫びです。ぜひ「主の答え」を味わってほしいものです。4節の「神に従う人は信仰によって生きる」という言葉は後にパウロがローマ書の主題としました。4節は口語訳では「見よ、その魂の正しくない者は衰える。しかし義人はその信仰によって生きる。」
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 山形キリスト教会。山形市緑町2-12-34にあります。昨年、新しい教会堂が完成し、先ごろ「献堂式」が行われました。杉山牧師は当、所沢キリスト教会の前任牧師です。所沢に引き続き山形でも教会建築を行い、大きな苦労をされたことと思います。祈りの課題にありますように、今年度中に次期山形教会牧師を招聘し、御自身はリタイアされるとのことです。リタイアした時には一度、所沢教会にもおいでいただきたいなぁと考えております。山形はまだ行ったことのない場所ですが、「さくらんぼう」を一生に一度、たらふく食べたいと思い、いつか行きたいです。祈りの課題は以下です。①杉山修一牧師の引退と次期牧師の招聘。②施設や自宅で療養生活を送る方々の平安。③若者たちへの伝道。牧師・杉山 修
10/1 創世記1章14-19節 「神の創造世界に生きる私共」
創世記1章の神の創造、神が創造されたものは神ご自身が「良しとされた」のです。そして太陽の輝きにより朝が始まり、月の出現において夜の闇の中での光となりました。ゆえに「太陽」や「月」が神とされることもありますが、ほめたたえられるべきは創造主の恵みの業に他なりません。今世紀に入り、地球温暖化による豪雨、高温、超大型台風などの異常気象が顕著となってきました。それは人間が与えられた使命である「被造物の支配(「支え」「配慮」する牧者としての使命)」を誤解し、開発という名のむさぼりである罪を犯してきた我らの歩みの大きな問題・課題。神が創造された世界を持続的に守ることを思わざるを得ません。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 主のあしあとキリスト教会。現在、新たな会堂を建てる場所を探しながら準備をしています。大島牧師は体も大きく、思いやりのある方です。神学生の時代、2年間、共に学びました。そのころから「人マネ」が上手でみんなを笑わせてくださる方です。教会では新しく会堂を建てる準備と、教会の歩みを覚え祈ることを願って教会のオリジナルCDを発行しました。温かいメッセージがつまったCDです。このような人材がいらっしゃることもとても素晴らしいですね。祈りの課題は以下です。①旧旭町教会の敷地売却が進み、新しい拠点を得ることができるように。②礼拝と諸活動が祝されますように。牧師・大島 博幸
9/30 ローマ書1章14~21節 「信仰は聞くことから」
「主の御名を呼び求める者はだれでも救われる」と語った後、主の御名(名は働きを示す)がすべての人々に伝わっていないことを考慮します。「良い知らせ(=福音)」を伝える者の美しい働きをイザヤ書52章7節の引用で伝えます。そして次にイザヤ書53章「苦難の僕」の一節を引用します。「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか」の言葉は、イザヤを通して語られた言葉を信じなかった人々のことを自らの体験と重ね合わせて嘆きます。それゆえに「信仰は聞くことから」始まると告げ、神の福音はかつても、今も、語り告げられていること、そして、ぜひ「聞きとり、従う道に進むこと」をパウロは祈り、全世界に向けられた福音を伝えるのですし、我らもまた「聞き従う」ことへと招かれています。今日はN・Nさん(ネパール在住)の誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟引退教役者の方々を覚えて。岡田 久氏(さいたま市在住)、加藤 亨氏(川越市在住)。
9/29 ローマ書1章18-23節 「自らの信仰を顧みつつ」
パウロは「真理の働き」=「神の働き」を妨げる人々に対し神は怒りを現わされる、と語ります。ここでは「怒る神」を恐れることを主眼とせず、「神の愛を知りその御心に沿う歩みを」を中心に考えるべきです。同時にこれは神を認めない者に対しても、神を知る教会のメンバーにも語られていることを忘れてはなりません。21節の「むなしい思い」とは「内容がなく、無益であり、事実無根」の考えのこと。また己が知恵に思い上がり、他の意見(御言葉に対しても)に心開かない姿です。そして(人が造った神である)偶像等、見えるものにのみ信頼を置くこと等すべてが神の働きを妨げ、結果的に「自分が正しい=自分が神」となるのです。今日はI・Rさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト宣教団。米国南部バプテスト連盟が多くの国々へ宣教師の派遣や宣教協力をするための部門の日本担当のグループです。特に戦後すぐに多くの宣教師が日本に派遣され、同時に教会土地や建物等を米国南部バプテストの信徒たちの献金によってささげられました。①日本全国の教会がキリストの姿のように豊かに成長し、全信徒が福音を備え、弟子作りをすることによって、日本全国に福音が届き、信じる機会がさらに与えられるように。代表理事・リチャード・オオウエ
9/28 エゼキエル書47章21-23節 「寄留外国人への配慮」
寄留する外国人に対する配慮が記されています。外国人居留者に対して嗣業(しぎょう=神によって与えられた主に土地、財産、思想)として割り与えることを命じています。つまり、外国人にも土地を無償で与えること、基本的に土地は本来「神の所有」との考えです。このことは現代においても示唆的です。日本人は特にアジア人や難民に対して受け入れる範囲が狭いと指摘されます。彼らの文化や常識が違うからと言われますが、それ以上に互いに歩みより、話し合い、共生することなしには実は日本の未来も開かれないのです。他民族との共生社会、何より個々の人間として出会うことが求められています。今日はF・Cさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト女性連合。①会員と『世の光』購読減による財政危機の解決。②書面総会と役員選挙(12月20日)、WEB信徒総会(10月23日)を覚えて。③役員・実行委員とスタッフの働きを覚えて。会長・吉高 路(市川八幡教会員)、幹事・米本 裕見子(東京北教会協力牧師)
9/27 エゼキエル書47章1-12節 「神の命の水に生かされる」
エゼキエル書40章から48章では、イスラエルに告げられた救いの約束の完成した姿としての新しい神殿の幻が語られています。47章では神殿から湧き出る水が、やがて川となり、大きな流れとなり、その川は汚れた水をきれいにし、水のほとりには大きな木が繁り、果実は食用に、葉は薬用となります。水は「命の水」であり、人に命と恵みを与えるものとなります。それは人が神の恵みの中で満たされた命を生きる徴なのです。榎本保郎牧師は「この神の啓示は、今、聖書となって、世界の果てまで神の恵みが広がること、信仰の遺産の川は枯れることなく、人々をうるおす」と記します。なお一アンマは約45センチです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「日韓・在日連帯特別委員会」。①「外国人住民基本法」、「人種差別撤廃基本法」が一日も早く成立するように。②外国籍潤也民の良き隣人として歩めますように。委員長・松坂
克世(静岡教会牧師)
9/20-9/26 聖書日課特別版
9月20日(月) 聖書:エゼキエル書 37章15~28節 「永遠の契約を結ぶ」
今日の祈り:前橋教会。①年間主題:誰にでも開かれた礼拝。②沼田集会所の2年後の伝道所開設。③回転資金・教会債返済のために。牧師:田代 仁、協力牧師:奥田
稔
9月21日(火) 聖書:エゼキエル書 39章22~29節 「主なる神を知るために」
今日の祈り:太田ビジョン伝道所。①神の愛、隣人の愛を実践する教会。②日本を自然災害から守る祈り。③太田市2万2千人への伝道。牧師:李 姫周
9月22日(水) 聖書:エゼキエル書 40章1~5節 「新しい神殿の幻」
教会の祈り:O・Kさんのお誕生日おめでとうございます。 今日の祈り:宇都宮教会。①「闇の中に輝く光を目指して」一年間歩めるように。②神の栄光のために祈り働くことができるように。 牧師:天野
英二、協力牧師:高橋 つる
9月23日(木) 聖書:エゼキエル書 44章23~27節 「汚れたものと清いものの区別」
今日の祈り:新潟主の港教会。①み言葉に導かれ、互いに愛し合い、栄光の主に向かってさらに前進していく教会となりますように。牧師:福久 織江、協力牧師:篠谷
輝俊
9月24日(金) 聖書:Ⅱコリント 2章14~17節 「神に献げられた良い香りとして」
今日の祈り:郡山コスモス通り教会。①主の日の礼拝が守られて感謝。②牧師が与えられて感謝。③新来者が与えられて感謝。牧師:蛭川 明男(洋光台教会派遣)
9月25日(土) 聖書:ヨハネ黙示録 21章22~22章5節 「神の栄光のなかで」
今日の祈り:あゆみの家教会。①新型コロナウイルスの感染リスクを冷静に見極めながら、集まる礼拝や祈祷会の数を適切に増やしたり減らしたりすることができますように。 牧師:渡辺
政友
9月26日(日) 聖書:エゼキエル書 43章1~12節 「真の神殿の幻」
今日の祈り:中部地方バプテスト連合。①13教会の教会形成と伝道の働き。②福井教会復興を要とした協力伝道。③岐阜教会(無牧師)の歩みのために。
会長:鈴木 直哉(東山教会<名古屋市>牧師)
9/19 エゼキエル書37章1-14節 「ドライ・ボーンズ」
この光景はアフロ・アメリカン・スピリチャル(「黒人霊歌」と呼ばれていたが、現在は「黒人」という言葉は差別的な言葉として用いない)の歌。歌ではエゼキエルが骨をつなげたようですが、実際につなげたのは主なる神です。谷に置かれ枯れた骨、しかし、主なる神が息を吹き込むと段々と肉体ができてくるのです。ここでの「骨」は絶望し、生きる気力を失ったイスラエルの人々を意味します。でも、骨のようになった者でも、神が命の息を吹き込むと生き、歩み出すのです。アメリカのアフリカ人は奴隷として厳しい生活をしていました。彼らは枯れた骨が生きる姿に自らの命の自由と回復を重ねて歌ったのです。枯れた心、希望のない時、主の霊の注ぎを求めましょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト太田キリスト教会。群馬県太田市薮塚町1122-1にあります。私も北関東に来て知ったのですが、「太田市」は自動車等の「スバル」の工場などがあるのですね。太田教会は市内中心部から少しはずれますが、周辺に水田が広がり、鉄道単線がうらにある場所です。なんと教会の隣には「ペットのための温泉」がありました。人間は、車ですぐ近くにある「やぶ塚温泉」がよいですよ。かつての「うなぎ屋」を改装して教会にしております。なので、二階には和室広間があります。2017年に伝道所から教会になった新しい教会です。林牧師も、人としていろいろな苦労や痛みを知っておられる大変落ち着いた先生です。いや、こうやってみると日本バプテスト連盟に加盟している教会の牧師さんたちも随分すばらしい方が多いです。ここでわざわざ所沢教会の話はしなくっていいです。祈りの課題は以下です。①ウイルスが終息し、教会生活が戻りますように。②祈りと支えを必要としている人たちのために。③これ連・理事会の働きのために。牧師・林 健一
9/18 創世記1章1-31節 「初めの話」
旧約の最初のページ。神の創造の業とそこで神と被造物との関係、そして被造物の意味が示されます。神の創造のパターンは神が「光あれ」というように「呼びかけ」、そして応答として出現するのです。それを見て神が「良し」とし、名前をつけます。「良し」とは御心に叶った存在であったから。なお最初の「光」は「太陽」ではない光と闇です。ただし人間は別です。「御自分にかたどった」。「かたどる」のは外観ではなく、その心を受け、心通う存在です(「かたち」は精神的意味も含む)。人間の働きは「支配」。これもいつも語るように、「支え、配慮する」牧者としての姿であり搾取する支配ではありません。また一日は我らが考える24時間ではなく、「一日は千年万年のごとく」という神の時の流れです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 高崎キリスト教会。群馬県高崎市中居町4-31-11にあります。この教会は、木材の雰囲気がとても良い会堂です。何度もお訪ねした教会です。私が勉強している「古墳研究」の時には泊まらせていただきましたし、温泉にも連れていってくださいました(高崎市には古墳ができたあと、噴火による火山灰がつもり、現状のまま保存されているものがあります)。そして森牧師は、現在、北関東地方連合の会長であり、私は副会長としてお仕えしていますが、とても尊敬する牧師です。森牧師のことをしゃべりはじめたらいろいろ話は尽きないのですが、とても人格者です。そして、森牧師は東北学院大学で学び、さらに西南学院大学で学んだ方で、最近気づいたのですが、これで日本の「東西南北」を制したことになります。すばらしい。いや、それだけ神学を極めつつある方です。あと2年は会長をやってほしかったのですが。はい、気を取り直して祈りの課題をお伝えいたしましょう。①「共に生きる~キリストにつながれて~」(今年度主題)。コロナの中で改めて教会とは何かを考えています。牧師・森
淳一
9/17 ヨハネ福音書1章1-18節 「愛の思いが行動になる時」
「ロゴス(言)讃歌」と呼ばれる第四福音書の冒頭は旧約と新約の架け橋。「言」(ことば)はここでいくつかの対象を持ちますが、イエスを示し、神の意思を示しますし、「命」を持つことは「動的」なものです。そして神の思い(恵み・真理・愛)が「言」に「肉体」を創造し、主イエスとなり、「光」として暗闇の世界に輝く。さらに「わたしたちの間に宿られた」。「宿られた」は「共に生きる」ことです。「言が肉となる」。それは私共の日々でも大事です。いくら言葉で「愛している」「大事だよ」「あれをします」と言っても、現実の行動が起こされないとそれは「肉」とならないのです。神さまに対しても、家族や人々に対しても「言葉」を現実にしたいものです。でもその言葉が愛に溢れていないと神の心から離れます。今日はO・Rさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 水戸バプテスト教会。茨城県水戸市元吉田町2158-2にあります。かつては市内中心部にありましたが、少し中央から離れたところに広い駐車場や会堂、教育館、納骨堂が完備された教会になりました。近くに五差路がありまして、そこから入るとすぐにあります。昨年2020年4月より新しく若い服部牧師が就任されています。コロナのため「牧師就任式」が対外的な行事としてできなかったのですが、11月23日にリモートを兼用して行われるとのこと。楽しみにしております。水戸教会には数度行ったことがあります。いつぞや、わらにくるまれた納豆を買ってきて食べましたが、香りもよく「さすが」と思いました。行きたいのは梅で有名な「偕楽園」ですね。祈りの課題は以下です。①礼拝の祝福のために。②地域の方々の救いのために。③経済的な必要が満たされるように。牧師・服部 紘司
9/16 イザヤ書45章11-25節 「創造~初心に戻る」
15節の「御自分を隠される神」。本来は素晴らしい働きをした人が表に出ますが、神はそうされないとの意味であり、転じて「不思議なことをされる」とも訳されます。ただし、19節では「語る」ことでは隠れないとあります。ここで「見る宗教」ではなく「聞く宗教」と教えられ、21節には我らと対話を求める主の姿があります。ゆえに「聞く」ことのみならず「対話的宗教」なのであり、そのことがイエス・キリストに強く表れています。「創造された方は誰?」との質問は大事です。初めである創造を思う時、「初めの思い」へと心動きます。私どもが何かの働きを続ける中で「初心」に戻り、心新たに向き合うように、神様の「初心」、想像の意味に思いを馳せたいのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東海バプテスト教会。茨城県那珂郡東海村須和間2000-1にあります。地元では学校法人「みぎわ幼稚園」の教会として知られているかもしれません。今は幼稚園の近くの住宅地にかつては「展示場」であった家を購入し、改装して教会として利用しています。2~3年程前に前任牧師が急逝され、とても辛く悲しい時を過ごしました。そして、昨年より、丁度、水戸教会を辞められた加山牧師が就任されました。よかったです。加山牧師はみぎわ幼稚園のチャプレンとしても奉仕されています。加山牧師は、私が20年程前にいた「福岡有田バプテスト教会」の牧師をされていたこともあり昔からよく存じ上げています。作曲をされる方で随所に日本的な感覚を感じさせる(よな抜きのような)作品を書かれています。新生讃美歌にもいくつか加山牧師の作曲が入っております。祈りの課題は以下です。①堅固なキリストの体なる教会を造る。②主日礼拝、教会学校、祈り会の充実。③信仰訓練と近隣・幼稚園伝道に励む。牧師・加山 彰一、協力牧師・諏訪 泰子
9/15 イザヤ書26章12-21節 「平和を待ち望む者へ」
今日の箇所の背景はバビロンに戦争で敗れ、支配された苦難の現実です。13~14節は訳と解釈が難しいのです。「あなた以外の支配者」は「あなた以外の神々」、「それら神々がもう生きることもない」と訳すと筋が通ります。本当は「主」のみを礼拝すべきであるのに、苦難が起こると再び他の神々を礼拝する我らの罪が16節に記されます。19節の「死者」や「塵の中に住まう者」は、実際の死人というよりも、真の生きる神との関係を切ってしまったが故に暗闇にある者たちのこと。ゆえに神の働きを待ち続けようと促します。神の裁き(=救い)の日、人間が神ならぬものを神とした結果、どれほどの血が流されたのか、主が人の罪、過ちを明らかに示します。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日立バプテスト教会。茨城県日立市中成沢町3-17-9にあります。「日立市」はその名の通り大きな電機関係の企業である「日立」の工場や研究所がたくさんあります。調べてみたわけではないのですが、洗濯機や冷蔵庫もほとんど「日立」ではないかと思うほどです。その関係で教会のメンバーの中にも「日立」関連の会社でお勤めの方や、かつてお勤めになっていた方がおられます。数年前に日曜礼拝の宣教を依頼され日曜の朝早く車ででかけたのですが、高速と日立市内に入ってすごい渋滞があり、1時間ほど遅れてしまいました。本当に申し訳ない思い出です。小さな教会で現在、専任牧師はいませんが、井伊さんが教会主事としていろいろな働きを担っておられます。井伊さんもいい人ですよ。そういえば、こちらに来たころ井伊さんを伊井さんと書いて間違いを指摘されました。ごめんなさいです。あれからは間違えていないと思います。祈りの課題は以下です。①ライブ礼拝がますます用いられ、家族と求道者の救いがなりますように。②横浜JOY教会と連合の支援に感謝。教会主事・井伊 肇
9/14 詩編104編 「神の息吹によって」
9月5日の当教会礼拝で歌った新生讃美歌13番「ほめまつれ 主なる神」。その讃美歌詞の元がこの詩編です。讃美歌では全てを歌い切ることはできません(讃美歌も6節まであったので半分にしました)。この詩編は「わたしの魂よ、主をたたえよ」との言葉で囲まれ、主の創造の業の不思議と秩序、そしてすべての生き物は神がその息を送ることで生き、息が絶えればすべて塵に帰ると歌います。この事実を知る時、詩人は「命」を神によって与えられていることの不思議と恵み、唯一無二の価値を思い、主を賛美せずにはおれなくなるのです。26節の「レビヤタン」は「龍」のような(多分、想像上の)巨大海獣。33節の「長らえる限り」は「我が息がある限り」。35節の「主に逆らう者」は「神が創造された世界を壊す者」の意です。このすばらしいバランスでできている世界と環境を壊すことは、実は人間自ら滅んでいくことを覚えなければいけません。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 筑波バプテスト教会。茨城県つくば市稲荷前23-2にあります。「つくば」は大学やいろいろな研究機関が多く集まっている都市です。そのため教会にこられる方も、一時的(数年~10年とか)に研究のためにという方も多く、以前、「転勤する人が多いんだよ」と高橋牧師が嘆いていました。広さもある会堂を持ち、数年前には駐車場もより広くなりました。高橋牧師は常盤台教会出身の先輩牧師です。そんなことでいろいろなじみがある先生です。祈りの課題は以下です。①病気療養高齢の教会員と家族のために。②教会出席を自粛している方々とのつながりのために。牧師・高橋
秀二郎
9/13 創世記2章4-25節 「命の息を吹き込まれて」
創世記1~2章で二つの創造物語が記されます。神の創造の業を誰が見たのか?と言う方もありますが、ここは神と被造物との関係性を二つの伝承を用いて伝えています。2章では人を創造するのに「土の塵」が材料です。「塵」は価値ないものを示しますが、宇宙の星々も「塵」が集まって始まったという学者の推測を聞くと「塵」も積もればすごいです。でも、「塵」は「塵」。そこに主が「命の息」を吹き込むことによって「生きる者」になります。「生きる」は「息」からきています。そして聖書では神の息を「神の霊」「神の風」、あるいは「聖霊」とも表現されます。神の息を吹き入れられて我々は独自の命の音を奏でるのです。18節の「彼に合う助ける者」。「助ける者」という訳より「向き合う存在」とも訳すことができ、こちらの方が良いですね。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 上尾キリスト教会。埼玉県上尾市小泉36-66にあります。上尾というのは10年前まではどこにあるのか知らなくて、随分山の中かなぁと思っていましたら、埼玉中央部に近く結構な都会でした。この教会の秋山牧師はもう30年以上(もしかしたら50年?)はこの教会にいらっしゃるのではないでしょうか。北関東「三山」(さんざん)のお一人に数えられるというお方です。でもすごく気さくな先生です。祈りの課題は以下です。①開拓50周年に感謝!②今年度の主題「主と共に歩む」を共有。③求道者が信仰に導かれますように。牧師・秋山 信夫
9/12 エゼキエル書36章25-38節 「清められるとは?」
22節からは、罪を犯し神の前に汚れたわざを行って滅びるばかりのイスラエルに対する、神の愛のみこころが記され、エゼキエル書の中でも圧巻とされるところです。「清める(浄める)」とは一般に人が宗教に求めるものですが、そこで何が願われているのでしょう。よく言う「パワーをもらう」のもその一つかもしれません。聖書が語る神の「清め」は具体的です。「新しい心」と「新しい霊」は8日分「聖書日課」を参照。さらに「肉の心」。「石の心」と対語なので「柔らかな心」。固い心は自己中心的で他者の心や神の心を受け入れないものでその反対です。「(神の)裁きを守り行う」とは「神の道を守ること」。そして何より、我らを神の民として愛し導き、必要な命の糧が満たされるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大宮バプテスト教会。さいたま市大宮区浅間町2-214にあります。発展著しい「大宮」駅から徒歩10~15分程度です。大規模な商業施設もありますし、落ち着いた緑で覆われた「参道」を歩いていけば教会に近づけます。近くには「盆栽町」といわれる「盆栽」を生業としている家もたくさんあります。日曜礼拝に参加して、帰りの楽しみが沢山あります。大宮教会は礼拝堂が二階にありますが、エレベーター完備です。この教会の牧師は2年程前に就任された左右田牧師。声が大きくて堂々とした体格ですが、聖書に対する感覚はとっても美しい方です。ちょっと意外だねーと思ったこともあります。お連れ合いの方は西南学院大学神学部で1年ほどご一緒に学んだ方です。祈りの課題は以下です。①リモート礼拝、集会充実のため。②ネット環境のない在宅礼拝の方々と「礼拝において一つ」共有のために。牧師・左右田 理
9/11 エゼキエル書36章1-12節 「『希望』という名のあなた」
イスラエルの復興についての預言。イスラエルはバビロンによって滅ぼされ、ひん死の中です。復興等考えられない状況にある人々にとって何が希望となったのでしょう。それはただ「神の言葉」だけなのです。私共も様々に「希望」を抱きます。それが現実になったこともありましょうし、現実になってもそれが本来の「希望」と違い「こんなはずではなかった」と思うことも多々ですね。人間の「希望」は決して幸いな道とは限らないのです。ではどこに「希望」を置けば良いのでしょう。私共はお金やモノばかりを期待したのかもしれません。いや、人間に対する希望も覆された人生であったかもしれません。「希望」、真の希望の根拠を見いだす時、命の転換点となります。今日はH・Nさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 宮原キリスト教会。さいたま市北区日進町3-785にあります。JR高崎線、宮原駅から徒歩7分。近くに「聖学院大学」などもあります。この教会の足立牧師は長らく本田技研工業で車のデザイン設計等に携わっていました。多忙な生活の中で家族の問題も起こり、そこから教会に通うようになり、東京バプテスト神学校に通い、現教会の牧師となりました。ちっちゃいホンダのスポーツカーに乗っています。教会は住宅をリフォームしたような感じです、家庭的な雰囲気のある教会です。ゴスペルバンド等も行っております。祈りの課題は以下です。①安心して礼拝集会ができますように。②教会に集う方々とご家族の健康。③新来者の方々の定着と信仰の成長。牧師・足立 智幸
9/10 コヘレト3章1-17節 「限界ある人間と永遠なる神」
「コヘレト」は口語訳では「伝道者」とされていますが「集会で語る者」の意。「すべて空しい」から始まる書は決して空しく終わりません。秋の一日、ぜひ読んで下さい。二節以下の「様々な時」をあなたの人生の時と重ね、「生まれた日」、「死ぬ日」のこと、「泣いた時」「笑った時」等を振り返りつつ、その時どのような思いだったのか考えましょう。それらは確かに「定められ、逃れられなかった」こともあったでしょう。でもどうすれば幸いに命を生きていくのかも学んだ事と思います。その学びから限界ある者が「永遠」を望みつつ歩んでいくのです。11節前半を口語訳では「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた」。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト浦和キリスト教会。さいたま市浦和区常盤7-2-14にあります。JR北浦和駅から歩いて10分くらいです。「浦和バプテスト幼稚舎」という保育施設を運営されておりましたが、現在、「認定こども園」に移行し、新園舎の建築が始まっております。近くにはたくさんのマンションもあり、「北浦和」は人気の住宅地のようです。日本バプテスト連盟としてはこの「浦和キリスト教会」が北関東最初の拠点で、当教会も浦和キリスト教会を母教会となって伝道所としてはじまりました。浦和教会の廣島牧師は、半導体の研究をされており、米国にいる時、妻が教会に通い出し、その後、日本に帰国してから、心の飢え渇きに気づき、御自身もクリスチャンとなりました。それから牧師になる思いが与えられ、西南学院大学神学部に学士入学、卒業後は福岡キリスト教会牧師、花小金井教会牧師を経て現、浦和教会牧師をされています。廣島先生は私の宣教を聞いても、良い点をお話しになり、言い足りなかった点など優しく教えてくださる方で、とっても尊敬しております。会社員時代からコーラスをやっており、歌も大変お上手です。私と同じ日大出身でもあります。祈りの課題は以下です。①教会に来たくても来られない方々を覚えて。②認可保育園開園準備のために。③仮園舎での保育が守られるように。牧師・廣島 尚
9/9 ヨハネ黙示録21章1-8節 「見えぬ未来の中で」
「黙示」の意味は隠されていることが開かれることです。特にヨハネの黙示録が記された時代、キリスト教会は迫害の中にあり、キリスト者と教会は苦難の中で信仰を守ろうとします。でも今後がわからない、未来が見えない時。それらの人々に向けて記された手紙がこの黙示録。実名や政治批判等を書いて見つかればすぐにアウトなので別の名前で記されます。内容は苦難の中にある人々への希望、そして、主の守りと導きが必ずあること。今、宗教的迫害はなくても、この世で生きる中での不安や恐れを我らも持ちます。その時、キリストに目を向け、主が用意してくださる未来を待ち望むのです。新しい天と地、神自ら人と共にいます、その日を望みつつ、なお、主が今も共に在り、支えてくださることを感謝しましょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> ふじみ野バプテスト教会。埼玉県富士見市ふじみ野東2-14-3にあります。東武東上線「ふじみ野」東口を出て徒歩約6~7分です。この周辺は住宅やマンション等がたくさんあります。この教会の山下牧師は割りと若い牧師でいろいろなことにチャレンジをしています。礼拝や集会をリモート会議システムを使って行っており、双方向を生かして、離れていてもいろいろな話ができているとのことです。コロナが落ち着いてきたらぜひこの教会に行ってみてください。祈りの課題は以下です。①与えられている恵み(教会堂・出会い)を大切に覚えつつ、豊かに用いていくことができるように。牧師・山下 真実
9/8 詩編51編 「新しい心と新しい霊」
この詩編は「自らの罪を知った者」の祈り。「罪を知る」ことが「救い」の扉。六節の「あなた(神)のみに罪を犯した」という言葉は誤解されますが、旧約聖書には「人が他者を傷つけることなしに罪を犯し得るという考えは全くない(メイズ)」ので、神に対して罪を犯すとはすでに被害者がいる前提です。実際、ダビデも自らが犯した罪に気づいた時「わたしは主に罪を犯した」と語っています(サムエル下12章13節)。そして詩人は「清い心の創造」と「新しい霊」を求めます。「創造」は聖書では神のみが出来得る働き。「清い心」と「新しい霊」は神に向かって開かれ、方向づけられた思い、意思です。この「創造」を受け入れることが新しい生であり、祝福と希望の道なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト川越キリスト教会。埼玉県川越市石原町1-32-3にあります。この「川越教会」もうちの隣りの教会という感じで親しくさせていただいています。ここも道路からの進入路が狭いのでご用心。看板を見てはいったら大丈夫です。そうすると、山小屋のような薪ストーブの煙突、解放的な窓と扉が印象的な雰囲気の良い教会です。オルガンも良い音を響かせています。丸山牧師は、長くFEBCというキリスト教ラジオ放送局の働きをされる中で「東京バプテスト神学校」に通われ、卒業後、川越教会の牧師となりました。私にとっては優しく、信頼できるお兄ちゃんのような牧師です。祈りの課題は以下です。①イエスさまの福音をはっきり伝えていく。②再開した祈り会が恵まれるように。③高齢者、また礼拝から離れている方々のために。牧師・丸山 勉
9/7 エレミヤ書24章1-7節 「何が見えますか?」
エレミヤはエゼキエルとほぼ同時期に活動した預言者です。聖書ではぶどうや麦と共に「いちじく」の話もよく出て来るのはイスラエルでよく植えられ、生でも乾燥でも食されること、広がる姿が「繁栄」を示すシンボルとなったからです。ここで「悪いいちじく」はバビロン支配の中でエルサレムに残った者等とされます。通常はエルサレムに残った人は神に守られていると思われますが、バビロンに連れていかれた人々が今は苦しみにあるけれども、神の祝福を受けるというのです。また良いいちじくは「初なりのような」とあり、初穂という意味。つまり、最初の捕囚という犠牲を受けた民への回復の約束と考えられますが、調べ考えても意味を悟るのに難しい箇所です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 所沢キリスト教会。今日は感謝なことに日本中のバプテスト連盟に加盟する教会が当教会を覚えてくださる日です。一年に一度くらいです。教会のことはこのホームページを見ておられる方はよくわかっていてくださると思います。自分で言うのはなんですが、信徒の方々がすばらしい教会です。それから、私がこの教会に来てから、折々につくった作品がありますのでどうぞ見てください。磁石が使える掲示板(本来は押しピンでとめるのですが、私は非力なもので磁石が使えるようにしたかった)や紙芝居が入る書棚(紙芝居サイズの本棚がないので、紙芝居がどんどん傷んでしまうのが可愛そうで作成)、受付カウンターテーブル(もともとは食事をするようなテーブルでしたが、高さが低いこと、受付の方が冬、寒そうなので、足元を閉じ、電気ストーブが入るようにしました)、オーディオ用棚(オルガンのアンプや低音用スピーカーが入る棚、どれも重いので大きさをあわせてしっかりした厚みのある板でつくりました)など、必要に応じてつくりました。1年でひとつできたらよいほうです。わたし、コンクリートも打てます。これらは宮崎県の児湯教会にいる時に教会員であった大久保さんという方からいろいろ学んだものです。電気の接続や電動工具の使い方も学びました。農家の方ですが、農閑期に小屋等をつくっている方でしたから。祈りの課題は以下です。①全活動再開へ心合わせ、コロナ体験をこれからの宣教に活かす。②高齢者の守り。③疲れた人、若い人を招く。牧師・坂本
献、協力牧師・浅見 祐三、中田 義直
9/6 エゼキエル書34章22-31節 「来るべきキリスト」
「一人の牧者を起こす」。その者は正義を行い、民の面倒を見る指導者であり、神ご自身の選びのしもべです。ではその牧者とは誰か?ということになります。ダビデは過去の存在(幼い頃羊飼いであり、サウルの次の王としてイスラエルを導いた。エゼキエルより約400年前)。ここでの牧者はメシア(=キリスト)預言であり、イエス・キリストのこと。エゼキエルの時代より随分先ですが、希望を持ち続けたのです。同時にここで示される「王の姿」は後の指導者像としての基準になったと思いますが「私がここに記されている救世主だ」という偽物も出てきます。ただ「自分が救い主だ」という人は大体偽物です。真の王、主イエスの歩みを見れば本物は何かを理解できます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 飯能バプテスト教会。埼玉県飯能市岩沢241-1にあります。当教会の隣の教会、という感じで親しくさせていただいております。飯能はムーミンの故郷を日本にもってきた「ムーミンバレーパーク」(埼玉県飯能市宮沢327-6)がある町です。宮沢湖の周辺にあります。宮沢湖の近くには以前日帰り温泉があったので何度か行ったことがあります。しかし、ムーミン谷は行ったことがないのです。入園券が前売り大人が2300円、1デーパスは4000円です。生きているうちに一度は行っておきたいものです。私も子どもの頃、はっきりと覚えていませんが、スナフキンにはいろいろ影響受けましたね。さて、飯能教会の話に戻ると、道路からの入口が狭くてわかりにくいのですが、看板を見つけたら大丈夫です。教会はおしゃれな民家を改造したもので、芝生があったりします。芝生や植木の手入れを教会のおじさんたちが頑張ってやっています。足立牧師は「天然」な方ですがご安心ください。ぜひ、お近くの方、飯能教会に行ってみてください!祈りの課題は以下です。①コロナにめけずに主に感謝し光の中を生きる。②世界中に主の平安を。私たちもお手伝いできますように。牧師・足立
和子
9/5 エゼキエル書34章1-16節 「あなたを養い導く方」
イスラエルの牧者とはイスラエルを導く王等政治的指導者、祭司等の宗教的指導者。彼らに対する主の厳しい言葉を十節まで具体的に示します。その後、「神自らが牧者として導く」ことが語られます。十二節の「雲と密雲」は雲が幾重にも重なり暗さが支配することでバビロン捕囚を指します。そして真の牧者は「探し、導き、救う」方です。「探す」のは大事だから、必要だから探すのです。そして良き牧草地に導き、養うのです。「養う」は漢字で「羊」を「食す」と書きますが、羊を食べる牧者ではなく、生命・生活が維持できるようにする働き。「養」は「扶養」「養生」「休養」「修養」「養成」「教養」「療養」「供養」等から意味を考えましょう。今日はK・Nさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 西川口キリスト教会。埼玉県戸田市喜沢1-2-13にあります。JR西川口駅より徒歩で10分もかからないくらいでしょうか。「四つ葉」をイメージした素敵な会堂は「さくら並木」に沿って建っています。かつては幼稚園もありました。現在、専任牧師はいませんが、早く決まったらいいなぁと祈り願っております。「教会音楽スタッフ」の山嵜先生はピアノもオルガンも素晴らしくできる先生で、当教会で何度もオルガンやピアノの演奏をしてくださっています。祈りの課題は以下です。①会えない中でのつながりのために。②ネット利用礼拝の充実のために。③牧師招聘委員会の働きのために。代表役員代務者・石井 鉄也、協力牧師・朴 思郁、教会学校スタッフ・戸田 浩司、教会音楽スタッフ・山嵜 美奈
9/4 詩編98編 「公平に裁かれる主」
「新しい歌を主に向かって歌え」との呼び掛け。「新しい歌」は新曲だけではなく、古い歌でも「新たな心」で歌うこと。その理由は主が驚くべき御業をなされたから。その響きは全地が喜び叫び、あらゆる楽器をもって演奏されます。賛美はすべての被造物である動物や海にも及びます。なぜなら人間が創造主に感謝する時、地球環境をも是正される時です。そして「主が来られる時」。それは「裁き」の時です。「裁き」と言えば多くの人々は不安になりましょう。でも「裁きや裁判」によって無実が証明され、行動が認められることもあるのです。主は公正に世界を見ておられ、正悪を判断するゆえ、御心に従おうとする者には幸いなのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 朝霞キリスト教会。埼玉県朝霞市根岸257-1にあります。百合学園(幼稚園)、ヨルダン学園(自閉症児・情緒障害児幼稚園)の運営母体となっています。ここまでの記述は「日本バプテスト連盟 教会・伝道所一覧」2021年版によります。この教会で長く牧師をされた江川牧師は今年召天されました。朝霞にはかつて米軍キャンプがあり、アメリカ人と結婚したり、お子様が生まれた方の中に、夫は帰国したものの日本に取り残される母子もあり、そのような方々と子どもたちの教育に心を尽くされました。その後、「自閉症児」といわれるお子様の教育にも深く取り組まれ、その働きは保育に関わる世界では知られておりますし、もっと広く紹介されるべきであったと思っています。また、「朝霞市9条の会」にも関わり、平和について活動されてこられました。祈りの課題は以下です。①天と地を創造され、命を与えてくださった神の愛に感謝できますように。(2月15日江川博和牧師召天、三日前の最後の説教より)②これからも、たくさんの子どもたちと交わりが保てますように。
9/3 ルカ福音書1章46-56節 「マリアの信仰と祈り」
「マグニフィカト」と呼ばれるマリアの賛歌。「マグ」は「大きい」という意味で「神を自らの中で大きい存在とする」ことが「主をあがめること」です。「はしため(端た女)」は身分の低い女や召使いですが、ここはふさわしくない者が主の選びの中に置かれた畏れと驚きの言葉。この歌(信仰告白)に旧約聖書の言葉が引用され、「権力ある者が引き降ろされ、身分の低い者を高くあげる」という社会的・政治的な発言が印象的。ローマ支配での苦しみに加え、「女性は出しゃばるな、政治的な話をするな」という時代に社会変革や今の不平等・差別的な現実に課題を覚えるマリアの言葉は現代にも響きます。そのようなマリアの言葉に主イエスも幼い頃から聞き学んだでしょう。今日はS・Mさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 常盤台バプテスト教会。東京都板橋区常盤台2-3-3にあります。バプテスト教会として日本でも中心的な働きをになってきた教会です。何より私が大学生時代から通い、多くの仲間、友人と出会った教会であり、信仰的にも大きな学びをいただいた教会です。私が行った頃は、松村秀一牧師から戸上信義牧師に交代する時期でした。当時の音楽主事であった岩阪憲和先生からはかけがえのない学びをさせていただきました。結婚式も戸上牧師の司式で行わせていただきました。3月の末だったのに季節はずれの大雪となりました。常盤台教会での仲間の中で今もそれぞれの場所で活躍されている方が多く、本当に感謝しております。現在の友納牧師とは、西南学院大学神学部で同級生で親しくさせていただき、今もお会いすると本当に楽しくお話できます。友納牧師はどうぞ健康が守られますように!祈りの課題は以下です。①離散した主の民が再び共に集い、神を賛美礼拝し、学び、仕える日を待ち望む信仰を与えてください。牧師・友納
靖史、協力牧師・渡部 信
9/2 Ⅱコリント12章1-10節 「後遺症に苦しんだパウロ」
パウロが14年前の秘めていてほとんど誰にも語っていなかった出来事を語ります。この出来事はパウロの生涯でよく知られていない空白の時期の頃。「楽園まで引き上げられ」等の言葉から想像するに、祈りや断食等で自らが求めたことではありません。「人が口にするのを許されない言葉」を耳にしたことはパウロの中でこの事実は自分でまだ言葉にできない内容。さらにこの後、「思い上がらないように」なることを学んだという点で、病か事故によってひん死の苦しみを負う中での経験だと思われます。それは後遺症を伴い、「とげ」のように痛みがくる後遺症が時折パウロを苦しめ、働きを中断することもあったようです。パウロは弱さを抱きましたが、弱さの中で働く神の力を知る恵みの機会となったのです。神の力は人の弱さの中でこそ十分に発揮することを知りました。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 赤塚バプテスト教会。東京都板橋区赤塚1-18-7にあります。石堂牧師は、学年は違いますが、西南学院大学神学部で共に学んだ仲間です。落ち着いた優しい方です。一時病にも苦しまれましたが元気にされていると感謝いたします。祈りの課題は以下です。①地域伝道の活性化。②次世代への伝道、育成。③教会の諸活動の再開。牧師・石堂 雅彦、名誉牧師・児玉 振作
9/1 ヨハネ福音書10章1-18節 「命をかける羊飼い」
ヨハネ福音書で特徴的なのは主イエスがご自分を「羊の門」とか「門」とか「良い羊飼い」と譬えて語った言葉が記録されていること。他にも「道」「真理」「命」「復活」「命のパン」「世の光」「まことのぶどうの木」等あります。14節で主は「わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている」と語ります。主と私共の関係性がここで改めて確認されます。羊飼いがそれぞれの羊に名をつけ、呼びますが、多くの場合、その名はその羊の特徴をあらわすもので「くり毛足」とか「黒耳」とか「のんびり」とか。主は私共をどんな名前で呼んでくださるのでしょうか。そして良い羊飼いは羊のために命を捨てる。これは通常の羊飼いを超えた主の私共への愛の極みの姿です。今日はH・Cさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東京韓日バプテスト教会。東京都板橋区板橋4-1-6 バプテストビル にあります。韓国の方と日本の方が多い教会だと思います。祈りの課題は以下です。①クリスチャンホーム形成のために。②パンデミックの中、主のみ言葉に立つ。③イエス・キリストの福音が日本全国へ。主任牧師・李 島鎮
8/31 マタイ福音書9章27-37節 「愛は共感する」
35節以下で主イエスの初期の活動がまとめられ、弟子の派遣(派遣された弟子は使徒)につながります。人々の姿は「飼い主がいない…弱り、疲れ果て」とあります。「飼い主がいない羊」は当時多く用いられた表現。羊は力弱いために「群れ」で行動し、目も頭も悪いので単独ではすぐに迷う姿は人間のようだと考えられたのです。36節の「深く憐れまれた」という言葉は深い共感を示す言葉。神学部時代、小林洋一教授が体験談として、教授前の牧師時代、信徒の方の悩み等を聞いたあと「お腹が悪くなるような思いになった」とお話になり、感銘を受けました。真剣に人の話を聞き、共に考えるのは体力が必要です。主イエスはどれほど心と体を痛めつつ、なお、共に在ることを望んだことでしょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟引退教役者の方々を覚えて。大谷 恵護氏(神奈川県横浜市在住)、大沼 上氏(福岡県宗像市在住)。
8/30 詩編23編 「良き羊飼い」
有名な詩編で暗誦している方も多いはずですし、様々なメディアでも使われています。例えば、映画「エレファント・マン」で、エレファント・マンが23編を暗誦(覚えていた文章等を語る)するところを主人公が目撃し、正常な知能を持っていると知ります。また「ER緊急救命室」では、医療ミスを犯したベントンが教会で23編を暗誦する、等。ここでは主の姿が記されていますが、リーダーの姿(牧師、教師等)としてあるべき姿も教えられるものです。4節の「鞭」や「杖」は羊飼いが持つ道具で、羊を打つためではなく、羊を襲う動物との闘いに使うのです。5節の「香油を注ぐ」のは大事な客人をもてなす様子です。六節の「生涯」は「とこしえ」(口語訳)「いつまでも」(新改訳)が良いですね。今日はI・Yさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 学校法人「西南女学院」。福岡県北九州市小倉北区井堀にあります。西南女学院は、西南女学院大学「保健福祉学部」「人文学部」「助産別科」、西南女学院大学短期大学部「保育科」、西南女学院中学校・高等学校、短期大学付属「シオン山幼稚園」があります。2022年に創立100年を迎える学校です。祈りの課題は以下です。①学生・生徒・園児の健康のため。②地域諸教会との良き協働のため。③100周年記念行事準備のために。院長・田中 綜二、キリスト教センター長・東 彩子
8/29 エゼキエル書33章10-20節 「主の前に立ち帰ろう」
「(主の前に)立ち帰れ」。聖書はどの時代のどの人々にも語り続けます。しかし、立ち帰る所を知らず、聞き流されるのです。神さまの呼び掛けを聞き、聖書や教会との出会いから帰るところが見つかるかもしれません。「聖書教育」にこう書かれていました。「主は、人の思いを遥かに超えて憐みと慈しみに満ちた方。『わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ…』。取るに足りない罪人の私。その命を掌に救い上げては心から『どうしてお前は死んで良いだろうか』と私が生きることを願ってくださる、主はそのような方なのです」。今日はO・Yさん、S・Mくんの誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「障がい者と教会委員会」。祈りの課題…①障がいを理由とした「命の選別」がされないように。②「多様性」を喜び、そこから学ぶことができるように。③障がい者と教会委員会と委員一人ひとりの働きのために。 委員長・水野 英尚(福岡ベタニヤ村教会 協力牧師)
8/28 エゼキエル書33章30-33節 「破滅の中で人が求めること」
エルサレム陥落報告が届きます。エゼキエル等が捕囚された後の第二、第三捕囚を伴う攻撃での破壊を示します。その出来事の後に、人々は破滅の痛みと苦しみの中からエゼキエルにその意味を求めると主は語ります。しかし、いくら神の御心を語っても人々には届かないと。徹底的な破滅の中でも人々は真実と真理を見極めようとせず、短期的な利益や生活のことしか頭にないのです。人間関係でも仕事でも生活でも一度破綻したから、ならば心を入れ替えて歩み直せばと思うのですが、中には何度も同じ道を繰り返す人もいます。そのような方々を非難できません。私も同じような者だから。でも、そこで神と出会う道を知ってほしいのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「公害問題特別委員会」。祈りの課題…①核汚染水の海洋放出や、老朽原発の運転延長に象徴される無責任な原子力行政が糺(ただ)され、脱原発社会が実現しますように。委員長・野中
宏樹(鳥栖教会牧師)
8/27 エゼキエル書18章1-9節 「見張りの役割」
預言者は「見張り」の役割でもあります。危険や問題化する出来事を察知して人々に対策・対応を告げ促します。「見張り」は今の時代でも重要です。きちんと法や基本原則に従って事が進められているかを調べる役割。監査とか監事等の働きですが、その人々が見張りをしてくれることはありがたいし、全体が守られることになります。しかし見張りが自己都合や利益を優先すると崩れてしまいます。例えば政府に対しても第三者的外部団体や野党が大事なのです。そして、あなた自身が確かな道を歩むために「御言葉」を「見張り」にするのです。なお2節に「主が剣を送る」という言葉は人間の罪や過ちも含め、最終的にはすべてが主の導きであると自ら解釈する言葉です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 西関東地方バプテスト連合(9教会、2伝道所)。祈りの課題…①各教会の宣教のみ業が豊かに実を結びますように。②連合内の教会の交わりが深められますように。会長・宮西 宏明(富士吉田教会牧師)
8/26 ルカ福音書15章11-32節 「我に帰るとき」
主イエスの「待っている父」の譬え。「放蕩息子」の次男が登場しますが、誰も好んで放蕩しようとはしません。彼なりの人生設計をし、成功しようと試みるのですが、人間関係は思ったように構築できず、さらに天災によって外国で豚を世話する仕事をします。豚の餌を食べたいと思った時、彼は「我に帰った」。自分に戻ったとは変な話ですが、この時、自分の歩みが結果的に的外れだったと気づくのです。そして満身創痍の身で故郷を目指します。「悔い改め」「立ち帰る」「我に帰る」、それは自分の歩みを見つめ直して、人生の方向を変えること、そして真の父である神のもとへ帰るのです。それが新たな出発。そして、父なる神はあなたを心配しながら待っています。今日も…。今日はH・Sさんのお誕生日おめでとうございます1
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 志村バプテスト教会。東京都板橋区前野町4-13-6にあります。緊急事態宣言が発出されている今、ホームページにはこう記されていました。「緊急事態宣言に伴い、教会活動(礼拝、祈祷会、教会学校、第一・第二ハンドベル練習、午後の学び等)を休止することといたしました」。祈りの課題は以下です。①コロナ禍の収束のために。②地域に根差し新来者を招く教会となるように。③バリアフリー実現のために。牧師・常廣
澄子、協力牧師・永田 邦夫
8/25 イザヤ書53章 「主の受けた傷によって」
「苦難のしもべ」の詩と呼ばれるキリスト預言の一つ。この箇所がまさにイエス・キリストを指し示していたとイエス・キリストが殺された後に理解できたのです。J・エレクソンさんは17歳の時、ダイビング中に首の骨を折り、気がついた時、四肢麻痺になりました。人生の意味と生きる希望を失った彼女にある日友人が言いました。「イエスさまもあなたと同じ四肢麻痺だったの」と。十字架上で体の自由もなく、恐怖と無力の中にあった主イエス。それ以降彼女は生きる慰めと励ましを主から得て、口で絵を描くことで多くの人々を励ましました。北森嘉蔵氏は言います。「イエスは御自身の痛みをもって我々人間の傷を癒し給う神である」。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東京愛のバプテスト伝道所。東京都新宿区下落合2-6-21 下落合サンプロビル3階。母教会は「蓮根バプテスト教会」です。祈りの課題は以下です。①聖徒たちが新型コロナウイルスから守られるように。②聖徒の信仰が成長するように。③聖霊さまに満たされ、福音が力強く伝えられるように。牧師・権
赫烈
8/24 哀歌3章22-33節 「主の憐みは尽きない」
先週語ったように「哀歌」はへブル語の「エーカー」(ああ、悲しい)の言葉で始められ、五つの歌があり、今日の聖句も愛されてきました。24節の「受ける分」とは、英語訳で"The Lord is my portion,"。「主がわたしの分け前」はおかしいので、むしろ、「主は私を主の愛のつながりの中においてくださる」。29節の「塵に口をつける」とは顔をうつむけて、「あなたに従います」という態度。新生讃美歌59番に今日の聖句が響いています。「主のまことは満ち溢れて、朝ごとに新たなり 良きもので満たしたもう 大いなるかな わが主よ」。先日のOさんの結婚式で新婦の愛唱歌として歌われていました。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 蓮根バプテスト教会。東京都板橋区蓮根2-31-10にあります。「れんこん」と読まないで「はすね」と読みます。地下鉄の駅からも近いと思います。祈りの課題は以下です。①病床にある人々の回復のために。②医療従事者が支えられますように。③オンライン礼拝の充実のために。主任牧師・高木 康俊、高齢・病床者担当牧師・金子 泰誠、協力牧師・片岡 順子、牧会担当牧師・小勝 啄生、協力牧師・鈴木 ケン、牧会主事・中地 芳子
8/23 エゼキエル書16章1-22節
ここでの「エルサレム」はユダ王国を含むイスラエルの民の歴史であり、そこに関わってきた神の姿が表現されています。7節等の「裸」は自分を守るものが何も無い姿。8節の「衣を広げてお前に掛け」とは結婚を求める行為で、相互の契約により共に生きる存在とされたこと。そのような関係でありながらイスラエルの民は偶像礼拝を行うことによって、その契約を自ら裏切ったことが述べられます。神と人の関係は親子のようであり、夫婦のようです。親が子どもを育てるのに寝る時間を惜しみ、愛を注いで必要を満たし精いっぱい尽くすのです。そのような親の愛を思い起こし感謝すること、そして主なる神に感謝したいのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 東京ジグチョン教会。新宿区百人町1-9-3にあります。祈りの課題は以下です。①主の至上命令に従う教会と、②み言葉の深さを味わう聖徒となり、③また、聖徒の信仰が守られるように。 主任牧師・許 碩真、元老牧師・金 東源、副牧師・柳 智仁、伝道師・金 景鶴、協力宣教師・秋 淵淑
8/22 エゼキエル書18章21-32節 「主に立ち帰って、生きよ」
エゼキエル18章の「罪を犯した本人が死ぬ」等の言葉は、肉体の死を意味するのではなく、喜びや感謝、希望にあふれた命のこと。21節では「悪人であっても…必ず生きる」とあります。つまり、悪いことを行った、それで終わりなのでなく、立ち帰って(翻って)生きる道があるのです。なぜなら主なる神さまは人が生きることを渇望するから。自分の命が嬉しくない時、生きている意味がわからない時、自分に価値がないと思う時、その時は誰でも一度は訪れます。その時、ぜひ教会にいらっしゃい。あなたの人生を一緒に考えながら、「新しい心と新しい霊」をもって歩み出す道を支える思いをもっています。今日はK・Tさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテストキリスト教目白ヶ丘教会。東京都新宿区下落合2-15-11にあります。JR山手線、「目白」で電車をおりて、地上にあがって左に行って、少し歩いてまた左に行ったらあります。途中で道路の真ん中に「大きな木」があったらもうすぐです。駅から徒歩5~7分という感じ。閑静な住宅街にある教会は1911年に始まった歴史ある教会です。また附属幼稚園として「目白ヶ丘幼稚園」も運営しており、平日は子どもたちのにぎやかな声が聞こえます。パイプオルガンも設置され、コロナ禍でない時はオルガンコンサート等も行われていました。日本バプテスト連盟関係のいろいろな集まりがある時にも使わせていただいています。祈りの課題は以下です。①重症化リスクが高い人々が感染症から守られますように。②感染症対応で働く人々、困窮している人々を覚えて。③教会と付属幼稚園の宣教の働きが力づけられますように。牧師・野口
哲哉、副牧師・内藤 幹子
8/21 エゼキエル書18章10-20節 「いつまで親のせいにするの?」
昨日の続きの箇所です。「正義と恵みの業」はこんなこと、とリストが並べられます。13節でこのような悪事を続ける人は死ぬし、その死の責任は彼にあると語られます。ここでの「死」は肉体的な「死」より「魂が死ぬ」ような意味です。そしてこの文脈での中心は、自分に悪いことが起こった場合、反論や言い訳として「親がこんな人間だったから、親の悪い影響を受けたのだ」と言うことです。人が何か良くないことをすれば、責任に対する自分への負担を減らすために理由を捜します。「親」のせいにするのが一番手っ取り早いのです。でも、成人した人はもう親のせいにしないで、と思います。理想的、完璧な親はどこにもいないし、一人の人間として罪も過ちも間違いも犯さざるを得ないのです。その弱さを誰でも持っていることを知ってください。あなたは自らの道を定め、愛を知り歩んでください。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 茗荷谷キリスト教会。東京都文京区大塚1-1-18にあります。地下鉄「丸の内線」の「茗荷谷」駅で下車して地上にあがったら数十秒で着きます。とても便利な教会です。この教会は昔「学生センター」があり、私は大学受験のために上京した時に泊まったことがあります。テレビもなくてつまんないな、と思いましたが、こんな学生は落ちますよね。現在は「東京バプテスト神学校」の学舎として平日は利用されています。パイプオルガンもある教会です。祈りの課題は以下です。①集会と交わりの多様性と充実。②教会員の心身の健康と信仰生活。③新たな地域伝道の活性化。牧師・平尾
輝明
8/20 エゼキエル書18章1-9節 「親の罪が子に影響する?」
イスラエルの諺である「先祖が酸いぶどうを食べれば、子孫の歯が浮く」とは、「先祖の罪により、子孫が罰を受ける」という意味。ある仏教系宗教団体では「因縁は、長男、長女に受け継がれ、多くは長男が問題を抱えている家庭が多い」と言います。弟妹が少ない時代なので、思い当たる人が多いのは当たり前だし、多分半分以上の家庭では大小親子トラブルが生じるていのも当然ですよね。そしてこの団体は人間の恨みを晴らす呪いを「代行」するのだと。でも聖書は語ります。「すべての命はわたしのもの」であり、親の罪が子に受け継がれはしません。もちろん性格等遺伝的要素はありましょうが、それだけで自分の善し悪しを決め、それにあなたが左右される必要はありません。あなたは誰のものでもない神さまが創られたいのちを生きていくのです。今日はU・Rくんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 東京北キリスト教会。現在新会堂を建築中です。いろいろな国籍や多様な背景を持つ方々が集っているし多文化共生をめざす教会です。お問合せは電話03(3598)6077まで。祈りの課題は以下です。①地域協働プロジェクトと新会堂建築。②キリストの体としての教会形成。③魯孝錬牧師の回復。牧師・魯 孝錬、副牧師・細井 留美、協力牧師・米本 裕見子、宣教師・郭 修岩。
8/19 イザヤ書55章 「渇いている者よ、来たれ」
イザヤ55章は聖書の中でも「宝石のような言葉」の一つ。しるしをつけ折々に読みたい箇所。3節の「魂に命を得よ」。あなたの魂は喜びや希望でいきいきとしているでしょうか?主を尋ね求め、愛と赦しの主によってあなたの道を求めましょう。12節以下はなんと素敵な光景でしょう。「おどろ」とは「棘」と書きますが、草木や茨などが乱れ茂っている様や場所」です。「ミルトス」は、「祝いの木」と呼ばれ祭儀でも使用されます。パレスチナ地方の川辺に多い常緑の灌木で、高さは数米にも成長。葉や花が芳香を放ち、果実は鎮痛効果があります。13節の「これ」は10節以下全体を指します。「渇く者」「銀を持たない者」、皆来るがよい。ヨハネ福音書4章、7章37節以下も併せてお読みください。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大泉バプテスト教会。東京都練馬区東大泉6-42-30にあります。同じ西武鉄道沿線ですが、私はまだ一度も行ったことがないのです。いつか行きたいですね。祈りの課題は以下です。①ご高齢者、施設入所者のために。②コロナ感染症の収束のために。③今年度の伝道の働きのために。代務牧師・松村誠一、木村牧師は8月より千葉県の栗ヶ沢教会牧師として就任されました。
8/18 申命記30章1-14節 「常に主の前に戻ろう」
モーセがイスラエルと共に歩んだ歴史、それは「祝福」であり、同時に人々が神に背き招いた「呪い」の歩みでした。歴史を知り、これからどうすれば祝福を受ける歩みになるのかとモーセは訴えます。それは恵みを与えてくださる主の前に立ち帰り、魂を尽くして御声に聞き従うことです。十一節でモーセは「それは難しすぎるものでもなく、及ばないものでない」と語ります。神さまを信じて歩む、それは決して難しいことではありません。まずは(コロナ下以外)日曜に教会で御言葉を学び、礼拝すること。他の用事があれば、水曜の祈祷会に参加する、それも無理なら家で御言葉を開き、祈りの時を持つ。人の心は弱いので、主に立ち帰る時を常に持ち続けたいのです。今日はM・Jさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東久留米バプテスト教会。東京都東久留米市新川町1-16-4にあります。ただし、今専任牧師がいませんので、お問合せは042(425)6933,または 090(2647)3121(いずれも白沢)までご連絡ください。音楽牧師のジョン・チャヌ氏はヴァイオリニストと活動し、東京のオーケストラのコンサート・マスターをされていたと思います。今は音楽を用いた伝道をされています。もちろんコンサート活動もされていますし、CDも出されていますので、ぜひ検索してみてください。祈りの課題は以下です。①牧師が与えられますように。②ジョン・チャヌ音楽牧師のために。③主日礼拝が守られますように。音楽主事・ジョン・チャヌ
8/17 哀歌5章6-22節 「『哀しみ』は今も続く」
「 哀歌」はへブル語の「エーカー」(ああ、悲しい)の言葉をもって始められ、五つの歌が入っています。エレミヤの書と言われますが、最近は時代を異にする三人の無名詩人の作とされます。国力拡大を目指して戦争に向かい敗北し、どれだけの痛みや苦しみを負うたのか、この歌は切々と悲しみ訴えます。21節で主への祈りがあり、でも22節では希望を失い、あきらめに陥る言葉が続きます。「どうしてこうなったのか」、でも、わかっているのです。勝利を夢見て戦争に加担した自らの過ちを。日本ではいまだ、戦争で殺された人々の遺骨は返らず、家族を自らの国家によって殺された悲しみがなお響きます。戦争を後悔する人々の声に耳を澄ませていきたいものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 新小岩バプテスト教会。東京都葛飾区新小岩4-11-10にあります。かつては附属幼稚園もありましたが、今はないようです。川口牧師ご夫妻は音楽がとても出来る方です。きっと豊かな讃美歌が教会でなされているでしょう。祈りの課題は以下です。①聖書に聞き従います。②キリストの弟子になります。③新小岩から全世界に伝道します。牧師・川口 義雄、音楽主事・川口 由子、宣教師・李 ヒソック
8/16 エレミヤ書31章27-34節 「自らを相手のために変える」
神との約束、関係性を人間が自ら崩し、神の怒りを招きます。28節には「彼らを抜き…破壊し、滅ぼし…」との厳しい思いが表われています。しかし、神はご自身の考えを変えることのできる方。「変わる」ことこそ、全能の徴であり、その動機は「愛」です。「相手が変わらないないから自分も変わらない」我慢闘争をする人間。でも相手が変わるのを待っていてもあまり希望はありません。それを打開するのが「自らが変わる」こと。でも大変ですし「損」なこと。でも誰かが変わらないと現実はそのまま。そして自分が相手のためにと変わっても、相手は何も変わらない現実に打ちのめされることも。ただ、主なる神は、あなたが生きるために、自ら変わることを選び取ってくださったのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 篠崎キリスト教会。東京都江戸区南篠崎町1-28-15にあります。この教会はとてもホームページが充実しています。川口先生は東京バプテスト神学校での働きもなされていて昨年は大変お世話になりました。川口先生とは共通の趣味もあり感謝です。祈りの課題は以下です。①苦難の中でも喜んでいく。②コロナ禍の中にある隣人のために。③若い人たちの成長と救い。
牧師・川口 通治
8/15 エゼキエル書13章8-16節 「1945年8月15日」
「平和がないのに、彼らが『平和』だと言ってわたしの民を惑わす」。これは歴史の中において、そして今においても繰り返されています。偽物の平和は漆喰の上塗りのようなもので、雨風だけでも剥がれ落ちると主は語るのです。その時にすべての不真実が明らかにされるのです。まさに土台のない家なのか、土台が主に結ばれているのか今日も問われています。今日、敗戦76年を覚えて「平和祈念礼拝」を行い、祈ります。「主よ、あなたの平和をもたらす道具として、私をお使いください。憎しみのあるところには愛を…慰められることを求めるよりは慰めることを、理解されることよりは、理解することを、愛されるよりは、愛することを求める心をお与えください」(アシジのフランシスコ)。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 市川八幡キリスト教会。千葉県市川市八幡2-1-10にあります。この教会の活動から始まったNPO法人「ガンバの会」はホームレス者支援をはじめとして様々に地域社会と関わった働きをしています。法人理事長はコロナ関連のニュースでNHKをはじめとして、時々取材を受けて出演されておられ、なんか昔のイメージとは違うなぁと思ったりしましたが、年をとったからかなぁ?私も昔出会った人と再開してもわからないかもしれません。また吉高牧師は前の連盟常務理事をされ、今、日本キリスト教協議会の議長をされています。すばらしい感性をもった先生です。祈りの課題は以下です。①ミャンマー国軍によるCDM(市民不服従運動)弾圧の即刻停止。②新コロナによる困窮者支援。ガンバの会の働き。牧師・吉高 叶
8/14 エゼキエル書13章8-16節 「主を知ることを求めよう」
17節の「人の子」とはエゼキエルを含む主の言葉を求める者のこと。18節の「呪術のひも」「呪術の頭巾」とはいずれも占いの道具、占いを受ける者がかぶるベールのようなものとされます。時代が悪くなる時に人々は魔術的な力に頼ろうとするのですが、動揺する人々の弱点につけ込み、私欲を満たす人々がいたのです。しかし20節以降で主なる神の救いと希望が語られます。御心に反する時代の中でなお人々を迷わせ、生きるべき人を殺す世界を解放し、命を得る真の道を主は備えています。「もはやお前たちがむなしい幻を見ることも占いをすることもなくなる」。むなしい幻とは何かを知り、主なる神さまを知る者として歩むことへの招き。今日はN・YさんとN・Sさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 市川大野キリスト教会。千葉県市川市南大野1-11-28にあります。この教会の前牧師が当教会協力牧師の中田義直先生です。中田牧師が在任時代に伺ったことがあります。住宅地ですが、すぐ近くに小学校もあり、中田牧師はこの小学校で「読み聞かせ」のボランティアをされていました。ステーキ「けん」に生れてはじめて連れていってもらった時も中田牧師夫妻にお世話になりました。現在は富田牧師です。昔、私が日大の学生の頃、常盤台教会で東京バプテスト神学校音楽科の講義が岩阪先生によって行われていた時、私も聴講生として参加しました。その時のもう一人の学生が、まだ若い富田愛世さんでした。彼は本科だったと思います。「愛世」でなんと読むのか、ぜひこの教会の礼拝などに参加した時に聞いてみてください。祈りの課題は以下です。①コロナ危機が終息して、子どもたちが教会に来られるように。②福音の光を地域に証しするために。牧師・富田 愛世
8/13 エゼキエル書13章1-7節 「殺される預言者」
偽りの預言者に対する厳しい言葉。偽預言者は自分の霊(=本人の「心」)に赴くままに語り、「主の言葉」を求めません。危険の発端となる「破れ口」に登って修復せず、安全を確保する「石垣」を築きません。預言者を現代に置き換えると、宗教者であり、学者や政治家と言えましょう。まずは自戒すべき言葉。そして76年前を想起しつつ考えたこと。あの時代「破れ口」に立った学者や政治家は確かにいましたが、体制を批判する者は「非国民」として逮捕、殺害された時もありました。戦争に向かう時はまず自国の反対者を潰すのです。「反対」が封殺される時、すでに愚かな戦いが始まっています。今日はI・CさんとM・Hさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト船橋教会。千葉県船橋市市場1-2-8にあります。「市場」という地名に「へぇー、何の市場があるんだろう」といつも思っています。この教会の松田牧師は、かつて宮崎県で松田牧師は宮崎市内、私は西都市と高鍋町での教会で牧師をしており、そのころいろいろと交流いただきました。双子ちゃんももう30歳くらいになったのかなぁ。また船橋教会はゴスペルクワイアもあります。コロナで影響を受けていましょうが、関心のある方はぜひお訪ねしてください。また、協力牧師がいらっしゃいますが、「う、何とお読みするのだろう」と思ったことです。多分「アジセイ先生」と呼ばれているのかな?祈りの課題は以下です。①コロナ禍でも、希望する将来を語る教会でありますように。②教会学校の変革と委員会の改編のために。
牧師・松田 裕治、名誉牧師・三ツ木 茂、協力牧師・ンバコアジセイパトリック
8/12 エフェソ書2章11-22節 「平和、敵意が滅ぼされる」
キリストの平和、対立していたものが共に生きることに導かれる。そのために「敵意」という壁を滅ぼしたとあります。注意すべきは「敵」を滅ぼすのではなく「敵意」です。「意」は「こころ、きもち、思い、考え」です。つまり「敵」として対立し、攻撃し、憎み、恨む「こころや考え」が滅ぼされるのです。そのプロセスにおいてはまず、神が「敵意」を捨て、愛のゆえに自らが犠牲となり、人が生きるために決意し、行動されたこと。十五節の「双方」とは「神自身」と「律法」を捨て新たな人、キリストをなられたことです。そのような主の愛が人に働きかけ、聖霊によって、すべての人が「敵意」というものから解放されて、神に近づき、平和を実現する者へと導かれます。今日はM・Nさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 津田沼キリスト教会。千葉県習志野市鷺沼4-8-9にあります。「津田沼」というのはよく聞く地名ですが、私はまだ行ったことのない場所です。さらにこの教会は「鷺沼」と沼重ねですね。沼は水を供給したり、沼の作物がとれたり大事な場所だったのですが、今はどうでしょう。祈りの課題は以下です。①ビジョンと働きのために。②福音の種まきがなされる群れへと。③新来会者、働き人、同労者が与えられますように。牧師・大塚 恭一
8/11 ミカ書3章5-12節 「御用学者・御用預言者」
預言者ミカはイザヤと同じ時代、紀元前8世紀に南王国ユダで活動しました。国境に近い農村の農民であった人間が受けた預言という点で貴重です。ここには偽預言者への警告の言葉があります。預言者の真偽を判断するのは、預言者が経済的利益を受ける人には都合の良い言葉を伝え、そうでない人には戦争を宣言する、つまり「敵」と見なした言葉を発することでわかるのです。神さまに仕えないで、権力に仕える、いわゆる「御用学者」のようなもの。そして多くの人々(特に政治的指導者)は御用預言者を求めますが、「先見者」「託宣を告げる者」(いずれも「預言者」と同じ意味)には当然、神は答えを与えず、真実は告げられないということです。更に「主が我々の中にいる」と嘘を語り、最後には都が滅ぶのです。今日はC・Aさんのお誕生日おめでとうございます。コロナのためにお会いできないのが本当に残念です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 千葉・若葉キリスト教会。千葉県千葉市若葉区千城台東2-28-8にあります。確か千葉モノレールの最後の駅から近かったように思います。モノレールで皆さんこの教会に行ってみてください。もちろんコロナが落ち着いてからになりますが。祈りの課題は以下です。①コロナ禍収束と諸活動再開のために。②地域連携と木更津伝道所のために。③家族と共に礼拝ができますように。牧師・田中 宣之
8/10 エレミヤ書6章13-17節 「過去からも識者からも学ばない人」
「平和がないのに『平和』と言う」、との言葉の深さに驚きます。「危険」であるのに「大丈夫」と現実を直視しないで楽観的な情報やメッセージを伝えて「今」だけを乗り切ろうとする時、すでに「つまづき」が始まっています。16節の言葉は更に圧巻されます。「さまざまな道、昔からの道に問いかけよ」。それは過去から学ぶことの促しであり、多面的に各専門家や世界各地からの発信から問いかけを受けて、安全な未来を決めていくことです。しかし、人は言うのです。「そんなことはしない」、つまり過去に学ぶことや多面的な意見を聞くことを拒否し、自分の都合で決めるのです。なお主は「見張りを立てよ」と語りますがそれも拒否する。今の政権のあり方に合致するのでびっくりです。菅さんはぜひ聖書を読んで真の指導者であり、真の牧者としての歩みを目指してほしいものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 木更津伝道所。千葉県木更津市新田1-1-33 カサデロサ101号。井本牧師は確か福祉関係のお働きをしながら同時に教会の牧師としての歩みを続けられてきた先生です。それは困難で多忙なことであったと思いますが、牧師のあり方としてそのような道を実践し、行動してきたことに深い感銘を覚えます。高市牧師は以前は連盟「聖書教育」誌の編集に携わっておられた方です。深い聖書知識をお持ちの方です。祈りの課題は以下です。①自給開拓伝道が拡大しますように。②多大に扶(たす)け合う伝道体制の構築。③自給伝道者が多数起こされること。牧師・井本 義孝、高市 和久
8/9 創世記1章1-29節 「異常なのは気象か人間か」
創世記1~2章は天地創造を語りつつ、神が「人」をどのような思いで創造されたかという大事なメッセージがあります。特に28節で神が人間に委託された使命は「神が『良し』とされた世界を支配する」こと。ここでの「支配」は「被造世界を支え、配慮し、持続可能な世界をつくる牧者としての働き」です。ところが人間は自己利益を追求、環境が維持されず、森林伐採や二酸化炭素排出等による温暖化を招き、原爆や放射能汚染、廃プラによる環境破壊を繰り返し、今の現実を迎えています。結果的に人間第一の「支配」は自らの首を絞めています。多くの自然災害の背景に「人災」があります。長崎原爆投下を覚えつつ、異常気象の中で自らの罪を考える今日です。なお、長崎バプテスト教会では礼拝の開始時間が11時02分と、原爆が投下された時刻を刻むように始まります(コロナのため、現在は時間が変更されています)。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 千葉バプテスト教会。千葉県市原市五所1540にあります。この教会はコンクリート打ち放しのとても素敵な会堂です。20年位前にお訪ねしたときは、音が響きすぎでピアノとかドラムは難しいなぁと感じていたのですが、その後、いろいろ音響の面で改善があり、数年前にお伺いしたときは「響き」はきちんと抑えられていました。その時、子どもさんたちや中高生の方もいらっしゃて元気な教会という印象でした。牧師に加え、教育主事と音楽主事が置かれているすばらしい教会です。祈りの課題は以下です。①人々のいのちと生活がまもられますように。②伝道開始五十周年への感謝と今後の導き。 牧師・元川 信治、協力牧師兼教育主事・矢野 由美、音楽主事・澤田 ルツ子
8/8 エゼキエル書8章1-18節 「第6年6月5日」
エゼキエルが同じ捕囚民指導者との会合時に「神が示す幻」を見ます。それはエルサレム神殿で偶像崇拝を行い、異教を信じ、従うエルサレムの指導者の姿等でした。何とイスラエルの70名の長老が「獣礼拝」を行っています。「偶像礼拝」は悪いことと長老も知っていましたが理由もあります。それは「主はもう我らを見ていない、この地と我らを捨てた、だから他の神を信じるのだ」と。問題が起こる時、「相手が悪い」と誰でも思いたいのです。「相手が自分を捨てたから、私も捨てる」。それが真実なら関係解消も有り得ます。でも、相手の思いを確かに確認したのでしょうか?自分の思いを実現するために、あえて誤解しているのかも。真の神はあなたを決して見捨てません。今日はK・Nさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 茂原バプテスト教会。千葉県茂原市六ツ野3394-5にあります。まだ行ったことのない教会です。千葉県は海に囲まれて自然豊かな良いところですね。一度、千葉の海近くでお魚を食べる機会があって、ここはまた行きたいと思っています。祈りの課題は以下です。①隣地をお与えください。②多様な新来者を送ってください。③地域の人々に仕え、交わりを深めます。牧師・塩山
宗満
8/7 エゼキエル書7章1-27節 「罰を恐れて信じるのではなく」
今日の箇所は「神の裁き」の日の描写として「恐怖」を感じる方もありましょう。「裁き」がどれほど恐ろしいか、それはまた「死後の裁き」と繋がります。「こんなことしていると地獄に落ちる」ような。でも覚えてほしいのは、旧約の次にある新約(神と人の新たな契約)では裁きのメッセージではなく、「赦し」のメッセージが中心です。「裁き」を強調して「裁きを受けないために信仰する」ことは本質からずれます。主の愛と赦しを信じ歩む生活が、喜びと希望を与えるのです。小聖書といわれるヨハネ福音書3章16節以下に主イエスが来られた目的が書かれています。それは「一人も滅びないため、世(=あなた)が救われるため」なのです。恐怖で伝道するのでなく、主の伝道は愛が根拠です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 富里キリスト教会。千葉県富里市七栄171-6にあります。昨年から新しい牧師が就任しています。祈りの課題は以下です。①一人ひとりの健康が守られるように。②子どもたちの信仰成長のために。③主イエスの愛で愛し合えますように。牧師・武井 誠司
8/6 出エジプト記34章1-16節 「熱情の神」
主なる神はご自身を「熱情」と語りました。「熱情」は口語訳では「ねたむ神」。「ねたみ」は、私共のことを本気で、燃えるような思いで愛しておられるしるしです。「熱情」は多くの英訳では「ジェラシー」ですが、本当は「パッション」が良いなぁと思います。パッションは「熱情」であり「受難」も意味するから。今日は広島原爆投下を覚える日。日本バプテスト連盟広島キリスト教会の播磨牧師は語ります。「広島原爆死没者慰霊碑には『安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから』と刻まれています。『過ち』とは、原爆投下を行った『過ち』でしょうか、それとも戦争を行った『過ち』なのでしょうか。自らの加害者性を自覚しつつ、すべての人々が、憎しみを乗り越えて、戦争という『過ち』を繰り返さない決意を持ちたいと願います」(「バプテスト」誌。21年8月号より)。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 栗ヶ沢バプテスト教会。千葉県松戸市小金原2-1-12にあります。私は以前、一度お伺いして宣教奉仕させていただきました。建物が木の香りですばらしかったこと、なつかしい方にもお会いできたことを思い出します。現在は無牧師ですが、近く新しい牧師が就任される予定です。祈りの課題は以下です。①コロナ下牧師不在期間の礼拝継続。②次期牧師招聘決議感謝と教会形成。③幼子の成長と青少年の仲間づくり。
8/5 エレミヤ書17章1-8節 「命の水を得よ」
「祭壇の角」とは神殿(含む幕屋神殿)の全焼のいけにえの祭壇および香の祭壇の四隅にある青銅製の突起の部分です。そこに罪が刻み込まれるとは、赦されないような罪だということ。その罪の内容が「アシュラ像」礼拝。カナンで礼拝されていた女神を「我が神」として礼拝していたことです。「嗣業」とは神が与えてくださった恵み(信仰や思想、時には土地等も含む)。裁きの言葉に続いて「祝福」も語られます。8節は詩編1編を想起させます。「水のほとりに植えられた木」、水がないと植物も人間も命を失ってしまいます。特に日差しが強く暑い時期はあっという間です。体のための「水」の必要性は今、よく理解できますね。さらに命を潤す「神の恵みの水」=「御言葉」を思い起こす日々でありたいものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 花野井バプテスト教会。千葉県柏市花野井103-11にあります。柏市というところも行ったことのない場所です。当教会員のメンバーと花野井教会のメンバーとのつながりで、花野井教会の数名が、教会堂建築を考えていて当教会を見学に来られたことがあります。良い会堂ができますように。祈りの課題は以下です。①世界の協力(コロナ収束、平和、環境)。②地域社会への福音伝道。③新会堂建築。 牧師・古賀 公一
8/4 コロサイ書3章1-11節 「偶像礼拝とは?」
「上にあるもの」とは「神が備えてくださる恵みや、希望、私たちを生かす霊の働きです。「偶像礼拝」について「神社の鳥居」をくぐったら偶像礼拝しただとか、お線香をあげるのは偶像礼拝だと保守的な信仰者が語ることがあります。神社に行ったり(参拝はしない)、葬儀等で線香をあげるのは、故人に対する礼儀や文化の学びとして行って差し支えありません。キリスト教葬儀に来る人も祈りに心合わせ、讃美歌を歌ってくださるのです。真の神、真の救いは主なる神にあることが確固な礎としてあれば、他宗教に対して寛容であるはず。むしろ、偶像とは他宗教との関わり以上に人間を蝕むのは5節~9節にある「みだらな行動」「貪欲」「悪意」「そしり」(悪口・根拠なき非難)等です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大久保バプテスト教会。新宿区新宿7-26-22にあります。この教会のある場所にはかつて「連盟事務所」がありました。むかーしの話ですが、新大久保駅を降りて、静かな住宅が並ぶ通りを15分か、20分歩いて連盟事務所に行ったことがあります。その後、バブルの時代に教会を残した土地を売却して、現在の南浦和に事務所(バプテスト会館)を建てました。その後、新大久保はびっくりするような変容で、今や韓国等アジアのお店が立ち並ぶようになりました。祈りの課題は以下です。①今年度標語:主の業に常に励もう~危機で得た恵みに立つ教会~Ⅰコリント15章58節。②守られ、祝されるように。牧師・河野 信一郎、副牧師・石垣 茂夫
8/3 エゼキエル書5章5-13節 「神が愛したあなたであったのに」
5節から6節で「この都を国々の中に置き、その周りを諸国が取り巻くようにした」のはエルサレムの軍事的包囲ではなく、神はエルサレムを世界の中心とし、イスラエルの人々を特別に愛し、恵み注がれる民としたことです。にも関わらず、神に対する態度は周囲の外国より悪く、神の定めや律法に従わなかった、と語ります。預言者が神から受ける歴史理解は、あくまで「神との関係性」であり、「攻めた国が悪い」「軍事力が弱かった」等より重要であるのです。10節では「お前」=「イスラエルの民」は親がその子を食べる…等は実際のことではなく、親子の関係が愛ではなく、自己利益のために親や子を食い尽くすほど利用することです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 中野バプテスト教会。中野区中中野2-23-8にあります。昔は「中野サンプラザ」というホールがあって何度か行ったことがあります。中野はいろいろ面白い場所だと聞いています。いつかぶらっと行きたいですね。ただ、中野教会には行ったことはありません。協力牧師の稲垣氏は声楽家であり、新国立劇場の「こけら落とし公演」でも出演されたり、オペラの世界でもとても有名な方です。キリスト教関係でも「オペラな世界」だったかなぁ、著書も出されています。お連れ合いの方も同じくすばらしい声楽家です。祈りの課題は以下です。①コロナ禍にある中で、連盟の諸教会の福音宣教の働きが主によって支えられるように。②バプテスマを受けられた方々の信仰の歩みのために。牧師・青木
竜二、協力牧師・稲垣 俊也
8/2 エゼキエル書3章1-15節 「信頼の糸が切られた世界へ」
5節等で「不可解な言語や難しい言葉を語る民ではなく」という言葉が繰り返されます。岩波訳では「言語不可解、発音不明瞭の民」。つまり、バビロンの人に語るのではない、ということ。何故そう語るのか。それはもしバビロンの人に語ったら聞き従うけれど、言葉が通じるイスラエルの民は聞こうとしない、と皮肉を込めた言葉で批判するのです。幸いを招く大事な言葉が理解されても、時に人は頑なに拒みます。理解が生の変革に結びつかないのです。それは今の社会や家庭の中でも繰り返されます。何故でしょうか?そこに「信頼」の糸が切れているから。その糸をつなげることがエゼキエルの使命です。今日はS・TくんとS・Hさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 三鷹バプテスト教会。「三鷹の鳥を見たか」の三鷹市です。教会は東京都三鷹市下連雀4-18-3にあります。三鷹は大学等が多いところで「下連雀」は動物病院の医師を目指していた友人が住んでいたことを思い起こします。祈りの課題は以下です。①どんな時も、私たちを照らしてくださる神さまの光に希望をいただいています。今年度の標語は「恐れるな、語り続けよ、主イエスが共にいる」です(使徒言行録18章)。諸教会のお祈りに感謝します。 牧師・秋山 献一
8/1 エゼキエル書2章1~3章3節 「第30年4月4日」
「召命」(=「召し」)は30日当欄参照。神の声が聴こえるとは幻聴のようですが、実際の多くは「心に響く声」。多くのクリスチャンは体験しますが、それは証明できません。その声が真に神からの呼び掛けであったのかどうかは、その人自身の生き様が証拠となります。エゼキエルは祭司でしたが、次に預言者として、人々に神の言葉、神の思い、願いを伝える器となるのです。「神はこう言われた」といってもこれも証明できない話。でも聞き取った言葉が人々に受け入れられないとしてもそのまま伝えるのです。エゼキエルは命の糧として「巻物」を食べます。それは人々の嘆きや呻き。それが「甘かった」、呻きが「蜜」になる。そこに主が引き起こす「恵み」が予期されます。今日はS・RさんとD・Aさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 仙川キリスト教会。三鷹市中原1-24-8にあります。祈りの課題は以下です。①ビジョンに向かって歩む。②地域と共に歩む教会へ。③求道者に信仰決心者を。牧師・山岸 明
7/31 エゼキエル書1章22-28節 「ここにも主が伴われる」
昨日の続きの箇所です。エゼキエルは二つの啓示、「神の栄光を表す輝く御座の車に乗られる方の幻」と二章の「言葉による啓示」を受けます。幻の内容はここで語り得ません。榎本保郎氏の「一日一章」から紹介します。「自分の住んでいる世界ではまったく神を認めることができないような屈辱に満ちた生活であっても、その上を神の力がおおっている。…主の手が彼の上にあって、エゼキエルを抱き、強めてくださる…どんなときにも私の上に神の手がおかれていると信じ得るほどさいわいなことはない…神がこのような私をも愛してくださることに慰めの基を見いだし、力を、泉を、源を見いだすことに私たちの信仰がある。…その所に立つとき、今日の時代においても預言者として生きていくことができる」。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 引退教役者の方々を覚えて。上門 治氏(京都市在住)、上田 展生氏(福岡県古賀市在住)。
7/30 エゼキエル書1章1-12節 「エゼキエルに示された幻」
預言者エゼキエルは南王国ユダの滅亡前後にエレミヤに続いて活動しました。エレミヤと同じくエルサレム神殿で祭司をしていましたが、前597年の第1回捕囚の時に王たちと共にバビロンに連れていかれ、その5年後に召命(神の言葉を取り次ぐ者として神からの呼びかけ)を受け、以後20年程活動しました。屈辱的な捕囚体験の中で、信仰を疑い、精神的肉体的に苦境に立つ人々に悔い改めを促し、さらに慰めと回復の希望を語る器となったのです。場所はバビロンの捕囚人居住地区。「30年」は不明ですが歴史的にはヨアキン王が捕囚になった前597年の5年後の前592年。1章の様々な幻は詳述できませんが、大事なのは「主の語りかけ」を聞くこと(28節)です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟「靖国神社問題特別委員会」。①信教の自由・政教分離の原則を求める各地の訴訟(即位の礼・大嘗祭違憲訴訟、戦争法違憲訴訟など)を覚えて。 六名の委員で構成、活動しています。なお「特別委員会」は「共に解決していくべき課題に対応・学び・発信等を行う委員会」で総会で承認され理事会のもとに設置される委員会です。
7/29 ヨハネ黙示録10章1-11節 「福音を伝える喜びと苦しみ」
「黙示」とは「秘められていたものが開かれる」意味で、人間の知識等では悟り得ない(神の)真理が示されること(7節)。小さな巻物について最初は「受け取れ」と言われ、その後、自分で「下さい」と願わなければなりません。神の啓示は自分から進んで受け取る必要があります。「巻物を食べよ」と言われ、食べると「蜜のように甘く、腹には苦い」。その意味は多様な解釈がありますが、語るなら、「福音は人に喜びと希望を与えるもの」。しかし「神の使信を伝えることは簡単に理解を得られず、ゆえに苦しみが伴い、福音に逆らう者に対するさばきの可能性も含まれる」ということ。そして福音を伝える者は社会の痛みや悲しみ、苦しみを共有するという内容も含まれます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 第59回全国青年大会。①参加者が与えられるように。②気持ちを一つに集えるように。③青年大会を担う仲間が与えられるように。実行委員長・H・Mさん(浦和教会員)
7/28 詩編137編 「バビロンの流れのほとり」
この詩は特定の時と場所を示します。バビロン連合軍エドム人の前に陥落した時のエルサレム。そして捕囚された人々がバビロン居住区で生活する時のこと。捕囚の地で嘲りを受け「琴があるなら歌を歌え」と命令されたのは、かつての神殿音楽家。でも、この時、どうして讃美歌を歌うことができましょうか。無理やりに賛美を歌わなければならないなら、琴を奏でる手は萎え、その口は上顎にはり付く方がマシだと語ります。讃美できない時があり、悔しさや悲しみを異教の地で数えるしかない日々。その民の叫びは、今も「難民・棄民」とされる人々の叫びとして世界で響いています。最後の節は悲しすぎますが、イスラエルの民が受けた(体験した)暴力の反映です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟全国壮年会連合。日本バプテスト連盟に加盟する教会・伝道所の壮年会が加盟しています。主な働きは神学校に学ぶ学生の奨学金支援とその事務です。年に一度は総会・大会が行われます。祈りの課題は以下です。①コロナ下でも全国壮年の活動が豊かにされて。②全国壮年大会(福岡)に主の導きと祝福を祈って。会長・山田
誠一(大井教会員)
7/27 詩編79編 「耐え難い困難の中で」
この詩編はバビロンによるエルサレム陥落が背景と考えられます。ならば、詩編はダビデ時代のものと考えると時代が違うと思いましょうが、数百年の歴史の流れの中で詩編に入れ替えや編集が加わるのは「生きた信仰」であるゆえに当然なことです。この詩編は耐え難い困難な時にささげられた「主の民の祈り」です。敵に対する怒りや報復を願う祈りを今、我らは「正しい」と言えませんが、愛する者や故郷を奪われた者の側に立つ時、誰が「ひどい祈り」と言えるでしょうか。ああ、でも、無力な民は絶望の淵に立ち、悔い改めの思いを伝え、なお「わたしたちはあなたの民、あなたの羊の群れ」であることを覚え、信頼して、感謝をささげる「その時」を待ち望むのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 神奈川バプテスト連合。①連合の18教会、2伝道所の福音宣教の働きのために。②新年度の連合の協力伝道の働きと連合役員会の働きのために。会長・堀野浩嗣(横浜戸塚教会牧師)
7/26 列王記下24章8-20節 「国が亡びる時」
南王国ユダ(北王国は紀元前721年にアッシリアにより滅亡)の王、ヨアキンの王就任は前598年。ネブカドネツァルを王とするバビロン国がエルサレム侵攻し、ヨアキンと王族や有力者、並びに宝物を奪いバビロンに捕囚します。そしてヨアキンのおじマタンヤはゼデキアと名を改めさせられ傀儡(かいらい=操り人形)政権を与えられます。強大な国の間で小民族イスラエルは激流にもまれる小舟でしかありません。ヨアキンは18歳という若さで王になったのですが、前王ヨアキムの時代、前600年頃が最初のバビロン侵攻です。聖書は前500年半ばの王マナセの悪政を指摘します。社会正義や人間が軽んじられ、信仰が形骸化する時、国は滅びへと向かうのです。今日はM・Hくんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 調布南キリスト教会。調布市国領町5-15-31にあります。この教会に在籍されているKさんは連盟の「祈りのこよみ」に従って毎日、それぞれの教会にお葉書をいただいておりましたが、どうでしょう、お元気にされているかしら。祈りの課題は以下です。①一日も早いコロナの収束を。②困難の時こそ主は臨在され給う。③今だからこその教会活性化を。牧師・前田
重雄
7月19日(月)~25日(日)特別版、聖書箇所と祈りの課題のみ
7月19日(月) 聖書:ヤコブ 4章1~12節 「主が高めてくださる」 今日の祈り:八王子めじろ台教会(八王子市)。①感染症下、特に高齢者の健康が守られるように。②教会の働きを通して、地域との新たなつながりができるように。
牧師:小河 義伸、協力牧師:北島 靖士。
7月20日(火) 聖書:エレミヤ書 20章7~9節 「わたしの負けです」
教会の祈り:C・Mさん(誕生日)。 今日の祈り:多摩ニュータウン・憩いの家教会。①主の教会が皆の魂の上に建て上げられますように。③世界中の病の人々が癒されますように。協力牧師:津波
真勇(つは しんゆう)。
7月21日(水) 聖書:ヨブ記 7章9~16節 「放っておいてください」
教会の祈り:K・Aさん(誕生日)。 今日の祈り:多摩みぎわ教会。①豊かな礼拝を守る。②受浸者がおこされるように。③子ども、若者の声がする教会。 牧師:石井
規之、主事:斎藤 美津栄
7月22日(木) 聖書:ローマ書5章1~5節 「希望に生きるために」
今日の祈り:立川教会(立川市)。①コロナ禍にあっても、しっかりと主の証しを。②信仰を次に継げるように。牧師:大川 博之
7月23日(金) 聖書:マタイ福音書 5章33~37節 「然り、然り、否、否」
今日の祈り:花小金井教会(小平市)。①毎週の礼拝が守られますように。②ネットを用いた宣教活動の充実。③互いの交わりと支えのために。牧師:藤井
秀一、牧会スタッフ:中根 淨
7月24日(土) 聖書:ヤコブ書 4章13~5章6節 「主の御心を求めて」
今日の祈り:府中教会(府中市)。①ライブ配信(家庭)礼拝と分級(2回)礼拝が守られるように。②長尾基詩神学生の学びのために。③新会堂・牧師館建築のために。 牧師:長尾なつみ、協力牧師:間渕
善彦。
7月25日(日) 聖書:ヤコブ書 5章7~20節 「主が来られるときまで」
今日の祈り:調布教会(調布市)。①教会員の健康が守られるように。②新来者や青年が与えられるように。③長期欠席者が教会に戻られるように。
牧師:文 廷翼(ムン ジョンイク)、協力宣教師:岡田 千尋
7/18 ヤコブ書3章13-18節 「上から出た知恵」
「上からの知恵」で思い出すのは上智大学。上智大学の名は「上(神さま)」からの「智恵」の意味です。学校案内では「人を望ましい人間へと高める最上の叡智…叡智こそ本学が学生に与えようとする究極のもの」とあります。日本バプテスト連盟発行季刊誌「聖書教育」誌にこう記してありました。「『教会は聖域』どころか、教会こそこの世の縮図であり、キリスト者は罪人のサンプルなのです…み言葉に促されても動かず、柔和な行いも立派な生き方もできていないのが私たち。でもそんな自分を駄目とも嫌いとも思いません。イエスさまがそんな私のそのままを『よい作品』と言ってくださるからです」。そう、ここに慰めと希望があります。今日の箇所を読みつつ改めてヤコブ書は主イエスの言葉が沢山響いており、指し示している「いのちの言葉」を聞き取りたいものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 昭島めぐみ教会。東京都昭島市郷地町2-20-5にあります。私の妻の両親が一時通っていた教会で、話はよく聞いていましたが、まだ伺ったことがありません。現在の石橋牧師は「虎之助」という名前で印象としては高齢かなぁと思っていましたが。1980年生まれの割に若い牧師さんでした。「めぐみゴスペルクワイア」の活動もされていますが、コロナのため活動休止中です。祈りの課題は以下です。①福音がわかりやすく伝わる。②賛美と祈りが豊かになる。③家族が救われる。牧師・石橋 虎之助
7/17 ヤコブ書3章13-18節 「どの口が言っているの?」
ここでの「下を制御せよ」の話、ヤコブさんはすごく力を入れて語っていますね。でも「舌」の制御は難しいのは今も昔も。「言った、言わない」、「傷ついた、ハラスメントされた」。時には「人生を焼き尽くす」のです。言葉で失敗した経験を誰でもお持ちでしょう。「教師」はより語る機会が多いし責任があるので特に注意を促しています。菅総理が繰り返す「安心・安全な大会実現」は誰も本気の言葉とは思っていません。9節の「同じ口から賛美と呪いが出て来る」との言葉は本当にそうですね。主をほめたたえ、感謝する言葉や讃美歌を歌う時に、先週、自らがどのような言葉を語ってきたのを思い起こしたいものです。そうしながらも、私どもには主にあって可能性があります。主よ、我が心と言葉をきよめてください。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福生バプテスト・キリスト教会。東京都福生市上美平1-24-17にあります。この教会は「ステンドグラスの教会」と言われ、大きなステンドグラスがあるようです。稲見牧師は元々「ニップン」で豚の飼料を研究開発していましたが、40代後半で牧師になる道へ導かれました。Facebookを見ると、大工も趣味とされているようです。祈りの課題は以下です。①コロナ禍の早期収束。②各個教会の健全な働き。③牧師育成。牧師・稲見 元彦
7/16 マタイ福音書5章1-16節 「祝福がありますように」
「幸い」と語る主イエス。「幸い」は「Blessed are the poor in spirit, / for theirs is the kingdom of heaven.」(3節)と英訳されます。「祝福」が「幸い」なのです。「祝福」の呼び掛けをじっくり読んでください。「柔和な人」。「柔道」がどうして「柔らかい」のか疑問だった時がありますが、相手の力を受け止めていくからですね。「柔道」はそうして相手に勝つのですが「柔和」は、相手を受け止め、その中で平和を実現することなのです。私が常に語るのは「悲しむ人の幸い」、それは決して人間は言い得ぬ言葉。「(神の)義のために迫害される」。これについては思想信条や宗教により差別や迫害がない平和な社会を実現することが最初です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 関東プレインズバプテスト教会。東京都羽村市双葉町2-10-7にあります。米軍基地がある関係で設立された教会だと聞いています。「プレインズ」」とは一体どんな意味だろうと疑問に思っていましたらなんと「平野」ということで、関東平野教会、というものすごくビッグな名前です!現在は無牧師となっています。また「羽村善隣幼稚園」を運営しています。祈りの課題は以下です。①牧師を召喚中です。主が遣わしてくださるように。②国際色豊かな教会です。一致を持ち互いのために祈れるように。③善隣幼稚園のミニストリーのために。 執事長・熊手 祥之
7/15 Ⅰヨハネの手紙 2章1-6節 「主に従い、主に学びつつ」
ヨハネの手紙の目的の一つは「罪を犯さないようになるため」。同時に「罪を犯さざるを得ない人間」を知るゆえに、「弁護者」なるキリストがいると語っています。この言葉は「横に(味方として)立つ者」「友人のために自分の存在を貸す者」等と定義され、訳としては「慰め主」「仲保者」「援助者」等とされます。ではなぜ、そのような保証・保険を記しているのかということが注目すべき点。それは「神の掟」を守ることに取り組むためなのです。掟とその罰を恐れるがゆえに、自由や愛が制限されてはなりません。掟を恐れて傷ついた旅人を放置した話を主イエスはしました。共なるキリストに従い、キリストの歩みに学ぶこと。不確かで不完全な私どもですが、従う歩みを主の守りの中でチャレンジするのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 板橋伝道所。東京都板橋区仲町23-17にあります。祈りの課題は以下です。①コロナより守られますように。②礼拝が守られますように。③高齢者の健康のために。牧師・新保 雅雄
7/14 箴言9章7-12節 「知恵を人生の土台として」
「箴言」は王国時代の若者を育てる教訓集です。特に「知恵」を得ることが願われています。「知恵」とは偏差値の問題ではなく、「恵み」と「知る」生き方であり、「恵み」とは人間の力ではなく神が与えてくださっている事柄です。「不遜」とは「思い上がってへりくだる気持ちがない」こと。八節で「不遜な者を叱るな」。叱っても無駄な時ってありますね。でも「知恵」を知る人はその「叱り」を自らの成長に用いることができます。私も百度以上叱られたけど、後には「ありがたい」ことだと感じます。その時は嫌ですけどね。「主を畏れることは知恵の初め」。この言葉が箴言の主題。「初め」はスタートの意味もありますが、「基礎」「土台」の意味があります。大事は人生の「基礎」。今日はS・Nさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東京西バプテスト教会。礼拝はいろいろな場所を借りて行っているようです。参加希望される方は 042-544-6770(福田)まで連絡してみてください。祈りの課題は以下です。①教会員の健康が守られるように。②礼拝出席者が与えられるように。③集会所が続けて与えられるように。代表執事・福田
7/13 ヨハネ福音書13章31-35節 「主が愛し抜かれたからこそ」
この箇所は主イエスが洗足をされた場面に続くところです。13章1節にあるように「主はこの上なく愛し抜かれた」ことが土台です。主イエスが、一人一人の埃まみれの足をその手でお洗いになる。御言葉を体験するために私も実際に何度が行ったことがあります。本当に不思議な、そして恥ずかしくも温かい気持ちになります。主イエスの洗足はその後すぐに主イエスを渡すために出て行ったユダにも行われました。その時のユダの気持ちはどのようなものだったのでしょうか。いや、その後、弟子は「イエスとは何の関わりもない」と主イエスとの関係を否定します。でも、主イエスの愛はそれぞれの中に深く染み入り、主の愛のゆえに再び立ち上がることができたのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 恵約宣教(けいやくせんきょう)伝道所。礼拝は日曜のみ、渋谷区渋谷2-22-16 hi-b-aセンターで行われています。 参加されたい方は info@keiyaku-senkyo.org にメールしてみてください。祈りの課題は以下です。①コロナ禍の中、信徒の心がつながること。②信徒の日々の生活と心が守られること。③霊性が整えられること。牧師・藤原 淳賀
7/12 ヤコブ書2章14-26節 「行いへと導く信仰」
23節等、アブラハムは信仰によって義とされたとパウロ等は語るのに、義とされたのは「行いによる」とは真逆のように思えます。ヤコブは「行い」により信仰が完成されたとも語ります。ヤコブが言いたいこと。例えば「愛している」と言いながら全く行動が伴わないようなことです。信仰は応答であり、信仰や祈り、御言葉を知ることは、行動へとつながるのは当然なのです。でも、主の言葉を聞きつつ、行動が少ないと批判されたら何も言い訳もできない自分を感じます。ドラム教室でも、もう少し練習すれば各段に上手になると言っても、そうできない人もいます。信仰においても動けない自らを知りながらも主の励ましの声を聞きましょう。あなたに与えられた課題を祈りつつ。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> ライフチャーチ。礼拝は三鷹市下連雀3-32-15 CCC学生会館で日曜のみ行っています。礼拝に参加したい方は 080-1268-4308(大谷)までご連絡ください。祈りの課題は以下です。①偉大な戒め(マタイ22章37~40節)、大宣教命令(マタイ28章18~20節)に忠実な教会で在り続けることができるように。牧師・大谷 信道
7/11 ヤコブ書2章1-17節 「分け隔てする私共の心」
ここでの最初のたとえを現代で言えば人種、皮膚の色、性別、言語、宗教、政治的もしくはその他の意見、国籍、民族もしくは社会的出身、資産、障害の有無、出生やその他の社会的地位で差別をしないということです。日本の教会でもかつては牧師は男性、既婚者であるべきという風潮がありました。変化は進みつつありましょう。いずれにせよ、福音は神さまが創造された多様であり、かつ唯一である「個」に等しい価値があることを覚えることです。ヤコブは「あなたも貧しい人であった」と言います。ここでの「貧しさ」は経済的側面だけではなく、「心の貧しさ」(差別し、愛なき心)をも語っています。「分け隔て」は「さばき」すること。人が人を裁くことを主は悲しみます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 青梅あけぼの教会。東京都青梅市梅郷3-904-3にあります。梅の郷、という住所名で梅の木がたくさんあるのでしょうか。また学校法人「青梅あけぼの幼稚園」の母体でもあります。「青梅」など東京都でも行ったことはないけど、行ってみたい所です。「高尾山」等も一度は行きたいなぁと思います。祈りの課題は以下です。①コロナを恵みとし救い、祈り、罪の赦し、勝利の力を確信し、喜びと感謝で輝く主の証人となろう。アーメン。 牧師・大谷 唯信、副牧師・森元 國文
7/10 エレミヤ書17章9-18節 「しゃこはお好きですか」
預言者エレミヤに響く神の言葉と祈り。「人々の心は…とらえ難く病んでいる。その心を知るのは主」。主の「報い」は悪いことをすれば罰する単純な報いではありません。そうでないと聖書を正しく理解できないでしょう。11節の「しゃこ」。しゃこは時に自分の産んだものではない卵も含め一度に20個以上の卵を抱くことがあることから当時の格言で「人のものを盗む」意味。18節で自分を迫害する者が打ち砕かれますように、という言葉。その言葉を「ひどい言葉」と思う方もありましょう。確かに敵が砕かれるのを望むのは「敵をも愛せ」との言葉と乖離があります。ただ、自分の愛する家族を殺された者が天使のごとく簡単に赦しますと言えない人間の心を知るべきです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 渋谷バプテスト教会。東京都渋谷区桜丘町14-5-105号です。もともと英語教会の日本語部が独立して始まったという記憶があります。祈りの課題は以下です。①福音宣教の働きのために。②教会員家族の救いと弟子訓練のために。③コロナ感染の早期収束。牧師・金 末仙、伝道師・林 雄植
7/9 詩編107編 「恵み深い主に感謝せよ」
世界中で歌われるリンカルト作詞の讃美歌(新生85番)はこの詩編の精神を汲んでいると言われます。そして礼拝を背景とするこの詩編は「主に贖われた者」である礼拝者がどのような歩みをした者であったか、そしてなぜ、今、礼拝へ集っているのかと伝えます。その礼拝者の歩みとそこに伴った苦難等には様々な違いはありますが、一致するのはただ主によって助け出され、導かれ、渇いた魂が潤い、飢えた魂が良きもので満たされたとの体験です。今度の日曜日、一人の方が当教会に結婚に伴う転居があり当教会に入会します。彼女が自分自身を語る時、こう記しました。「神様は私達の願う通り、また目に見える形ではなかったとしても、私の人生に生きてはたらきました。希望は失望に終わることはありません」。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 幡ヶ谷バプテスト教会。東京都渋谷区本町1-60-3 味の花ビル1F にあります。この教会については余り知らないのですが、今は味の花ビルの一部を借りているのでしょうか。都内で場所を借りると費用がそれだけでも大変です。良い会堂移転先が見つかるようにお祈りいたします。祈りの課題は以下です。①新しい会堂移転先が与えられ、宣教ができますように。牧師・山川
眞司
7/8 マタイ福音書23章1-36節 「自らを御言葉の前に映し出せ」
この章は主イエスが厳しく律法学者やファリサイ派を批判しています。ここで「先生」と呼ばれてはならないとあることから「自分を先生と呼ぶな」という方がいます。その気持ちは分かりますが、大事なのは「呼び方」ではなく、その人の生き方です。通常「先生」とか「社長」と呼ぶのは気楽で便利な挨拶なのです。「誓い」は保証を神以外のものに置くことです。また目に見える献げものをしても、生き方がよろしくない指導者がいました。更に「白く塗った墓」の話等の前に我が心は鋭く刺されるような思いがいたします。「記念碑」を立てること、それで免罪符を得るわけではないし、この批判は実に現代的。これら主の言葉を他者を裁く道具とせず、自らの鏡にすべき。今日はT・Kさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 恵泉バプテスト教会。東京都目黒区中目黒3-13-29にあります。中目黒駅からちょっと歩いて丘をのぼった途中にあります。この教会も幼稚園「めぐみ幼稚園」を併設しています。福永牧師は新生讃美歌の中にも作詞作曲した作品が入っておりとても多くの方々から愛されています。当教会のゲストをお招きする礼拝で、福永牧師を約束しておりますが、コロナのためずーっと延期されています。収束してくれれば2022年1月にお招きできればと思っています。祈りの課題は以下です。①会堂とネットの礼拝が祝されますように。②教会組織の検討のために。③協力伝道の交わりが広がるように。牧師・福永
保昭、協力牧師・松見 享子
7/7 マタイ福音書22章34-40節 「神を愛すること、人を」愛すること」
ファリサイ派とサドカイ派、通常は仲良くないのですが、イエスを葬り去りたいところは一致します。律法の中で一番重要な教えをイエスに尋ねます。ここでどんな答えを期待していたのか分かりかねますが、多くの学者は主イエスこそ「神への愛」と「隣人への愛」を結び付けた最初の方であったと考えています。そして、二つが分離し難く結ばれる点に、それまでにない真理が浮き上がるのです。主イエスの言葉は申命記5章5節とレビ記19章18節に基づきます(章節は本来ありません)。「心を尽くし、精神を尽くし…」は「心全体、魂全体、思い全体」であり、それらが異なった働きをするというより、総合的な人間としての歩みであり、隣人への愛が神への愛を全うするのです。本日はM・Mさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 泉バプテスト教会。東京都世田谷区下馬1-20-4にあります。この教会附属の「いづみ幼稚園」はかつて葛生先生が指導され、特色ある幼稚園と聞いております。この4月から前「栗ヶ沢教会」牧師であった、村上千代牧師が協力牧師として就任されています。城倉先生はへブル語がすばらしい他、いろいろユニークな知識と関心をもった面白い牧師です。祈りの課題は以下です。①幼稚園に連なる子どもたちのために。②バプテストの教会を形づくるために。③世界の贖いと個人の救霊のために。牧師・城倉 啓、協力牧師・村上 千代
7/6 マタイ福音書5章17-26節 「律法を完成させるのは」
マタイ5章~7章の「山上の説教」はまさに新しい律法が主イエスによって示された箇所です。律法を守る、ということを律法学者やファリサイ派は表面的にしか捉えられず、本質を見誤り、なのに自分が完全に守っていると自負し、守れない人々を差別していたのです。主イエスは律法の本質を伝え、その厳しさも伝えますが、同時に律法を守り得ない人々を赦しと愛で包みつつ、なお、新しい使命と約束に生きるようにと導かれるのです。人間が「義(正しい)」に生きることができないことを知ること、しかし、主はなお罪深い私共を「義」としてくださることにおいて、律法は完成されるのです。その完成は人間の行為によるのではなく、主の恵みの業でしかありません。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 品川バプテスト教会。東京都品川区西品川2-12-18にあります。この教会の山中牧師もよく存じ上げています。若い頃は役者としてテレビに出演していたこともあります。元々、音楽の才能もあり、米国で教会音楽を学んだと記憶しております。音楽主事の岸本先生も昔からご一緒に奉仕をさせていただきました。すばらしく音楽ができる方々がおられ、これから楽しみですね。祈りの課題は以下です。①中長期の教会ビジョンのために。②新来者が多く与えられるように。③高齢者の方々をおぼえて。牧師・山中
臨在、音楽主事・岸本 敬子
7/5 申命記7章6-15節 「あなたを宝の民とする」
「申命記」はエジプトで苦しみの中にあったイスラエル人をカナンの地へと導いたモーセの遺言。もう一度、歴史を振り返り、人々と神の関わりを想起しています。この箇所には「主が心を引かれ」「選び」「御自分の宝の民とされた」とあります。夫婦でも結婚する前は「心引かれ、自分の宝」と思っていても長い年月を経て、「目にも入らない」ことがありますね。どうしたらよいでのしょう。でも、主なる神は四十年の関わりの中でなお、その眼差しは変わらず、「弱く、貧しい者」だからこそ愛を注いだのです。その関係性の中での「戒めと掟と法を守れ」。それらは決して難しいことではないし、民が「守らぬ」ゆえに何度も語るのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大井バプテスト教会。東京都品川区大井5-10-12にあります。1931年からの歴史を持つ教会であり、「あけぼの幼稚園」を運営しています。現在、古い礼拝堂が壊され、今年の夏くらいに新しい教会堂が竣工する見こみです。加藤牧師は現、日本バプテスト連盟理事長を担ってくださっています。神学校時代は隣の部屋にいたこともあり、いろいろ書きたいこともありますが、昨年書きすぎたので。音楽主事の菊地先生は「一人ハンドベル」の巨匠です。祈りの課題は以下です。①新しい礼拝堂で教会の歩みに主の伴いを祈りつつ、主が出会わせてくださる隣り人との共なる礼拝を喜ぶ私たちとされて。主任牧師・加藤 誠、牧師・広木 愛、音楽主事・菊地 るみ子
7/4 ヤコブ書1章19-27節 「『怒りの種』を溜めないで」
「聞くのに早く」、それは「背景を早く理解する」こと。ある人の言葉を聞いて、何故この人はこのような言葉を吐くのか、その背後を理解することです。「話すのに遅く」、それは、すぐに表面的に捕らえて言葉を返すこと。それでは言葉が響き合いませんし、相手は「理解されてもらえなかった」と感じるでしょう。「怒るのに遅く」、すぐに怒る時。タイミングもありましょうし、心がすでに荒れているので何でも「怒り」と結びつきます。「怒る」前に、人の心を理解し、何が今大事な言葉なのか、より相手の心を理解するためにどのような言葉が必要なのかと探し、言葉にすることが大事なのです。自分の心に「怒りの種」を溜めるのでなく、主の言葉、「愛の種」を満たしましょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト東京第一教会。世田谷区瀬田2-11-11にあります。米国では多くの町に「ファースト・バプテストチャーチ」というのがあり、それにならった命名ですね。岡村直子牧師はシンガポール日本語教会牧師(宣教師)を経て、宝塚教会時代は同じ神戸地区で親しくさせていただきましたし、神学校では少し下の学年に入ってきた方です。また、この教会を母体とする「こひつじ幼稚園」があります。バプテスト保育連盟で「こひつじ幼稚園」の先生方とも接する機会がありましたがどても元気でわくわくするような保育を実践されていました。祈りの課題は以下です。①教会とこひつじ幼稚園の協働。②療養中の方々のいやしと復帰。③求道中の方々の信仰告白と受浸。牧師・高見龍介、岡村直子、伝道主事・山本弘夫
7/3 ヤコブ書1章1-11節 「試練や試みの中で」
ヤコブ書は行為を重んじるということで宗教改革者ルターからは「わらの書簡」と決めつけられましたが、背景を理解して読むと、現代にも訴える内容を持っています。宛先で「十二部族」とありますが、これは「ユダヤ人」という意味で、ユダヤ人キリスト者(を含む)教会へとのこと。2節から見ると手紙の相手は「試練を受けており」「(知恵を欠き)心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人」そして「疑う人」「貧しい人」です。その状態にある人々を想定して読むことです。そこで「忍耐して」「神に祈り求め」、試練の中から喜びが生まれることを示します。そして教会員の中に経済的格差があるゆえに、貧しい者は高められ、豊かな人は欲望に引かれないように勧めます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 経堂バプテスト教会。世田谷区桜1-64-30にあります。ここもまだ行ったこともない教会です。昨年位から新しい牧師が就任したようです。祈りの課題は以下です。①地域の方々が、導かれるように。②礼拝、諸集会が、祝されるように。③祈りが、いつもあるように。牧師・藤原
靖彦
7/2 サムエル記上3章1-14節 「『語ること』と『聞くこと』」
エリは契約の箱が保管されていたシロの聖所の指導的祭司であり、サムエルはここで学び成長します。祈るサムエルの絵画はとても愛されています。ある夜、サムエルに主の呼びかけがあります。そのことでエリは対応を教えました。祈りには「しもべはお話します。主よお聞きください」というのと「しもべは聞きます。主よお話ください」の二つ。「祈り」は主とのコミュニケーションであり、「聞く」ことと「語る」双方向が必要です。「語る」を一とすれば「聞く」は二倍必要です。「祈り」といえばすぐに「語ること」を考えますが、「神さまの御心を求め聞こうとする祈り」も大事にしてほしいのです。これは神さまとの関係だけでなく、家族や他者との関係でも同じですよ。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 多摩川キリスト教会。東京都狛江市岩戸南4-2-5にあります。祈りの課題は以下です。①祈りの家、聖霊の満ち溢れる教会。②十字架の愛と赦しに生きる教会。③世界宣教と信仰継承。牧師・末盛
桜子、宣教師補・久米 麗
7/1 ローマ書4章1-12節 「『新しい人』として」
「福音」と「律法」の問題は初期キリスト教会の大きな課題でした。それは「救い」の道はどこにあるのか、という普遍的な問いにもなります。「救い」とは「憎しみ怒りではなく、平和と愛が満ちる心であり、その心をすべての被造物に実現しようとする人間の在り方」です。その道を主イエスから示され、主イエスのように歩むことがキリスト者の歩みです。もはや律法は主イエスによって「廃棄」され「成就」し「福音」が世界を覆うのです。ここでは律法成立前の父祖アブラハムの信仰及び律法成立後の詩編32編を引用しています。「福音に生きる者」、それが「新しい人」だとパウロが語りました。そして「赦し」を知った者は「赦し」に生きるのです。今日はK・Tさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 川崎バプテスト教会。神奈川県川崎市中原区新城5-8-27にあります。昔、日本バプテスト連盟の教会音楽研修会がこの教会で行われ、行ったことがあります。まだ古い会堂でした。丁度、春だったかな、ホテルの空きが少ないということで、狭い部屋に男性講師陣が詰めて泊まることになり、これはさすがにつらかったことが印象に残っています(私は環境が変わるとただでさえも眠りに入りずらいのです。なので出来得る限りはシングル希望なのです。どこでもすぐに眠れる人もいて本当にうらやましいです!)。もう20数年前かな。「讃美歌言葉クイズ」で讃美歌にあることばの課題を提示させていただいたのでした。川崎教会ではこの春から新しい牧師が就任いたしました。前連盟宣教部長だった松藤先生です。どうぞご近所のみなさん、この教会に行ってみてください。祈りの課題は以下です。①松藤一作牧師との新しい教会形成。②礼拝の継続、祈祷会・CSの再開。③ミッション・ビジョンの具体化。牧師・松藤 一作
6/30 ローマ書3章21-31節 「人を生かす言葉、人を生かす主」
「義とする」とは神の前にふさわしく正しい者とされることです。しかしその基準は世の基準とは異なり、本来は罪多く、神の前にふさわしくない者が、ただ、主イエスの赦しを受けとることによって義とされます。人間の力ではどんな人でも神の前に義とされません。完全完璧な人間等どこにもいないからです。まして律法を完全に守ることは誰もできなかったのです。ただ、主の愛と憐みにすがる以外に人間が神の前に立つ道はありません。「人間は完全ではない」ことが希望です。「完全」を求める人や親がいるかもしれません。しかしその期待に応えようとすればするほど人は生きることが喜びにならないのです。「完全でなくてもよい。お前は大事な私の愛する子」と招いてくださる主こそが人を喜び生かすのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟引退教役者の方々を覚えて。
井置利男氏(埼玉県在住・浦和教会員)。井置先生は若い頃、日本キリスト教団讃美歌の歌詞応募に友人と共作した歌詞を出しました。それが有名な「ああ主のひとみ」です。井置先生は生涯を牧師として歩まれ、他にも讃美歌歌詞を書いています。日本バプテスト連盟発行の「新生讃美歌」には井置先生作詞の「主よ おことばをください」(#132)、「空暗く波荒れくるうガリラヤに」(#441)です。以前、神戸教会牧師として就任していた時期、井置先生がお一人、無牧師の教会の支援で牧師をされていました。それで特別伝道礼拝にお招きしたことを思い起こします。
岩波 久一氏(埼玉県在住・飯能教会員、元当教会牧師)。記しておりますように、当教会の二代目の牧師として長年歩んでくださった先生です。地域の働きとしてPTA会長などもなされ、今でも町の人から「岩波先生お元気ですか」と尋ねられます。私は昨年夏にお会いしましたがとてもお元気そうでした。
6/29 ガラテヤ書1章11-24節 「パウロの怒り」
「ガラテヤ書」はパウロが54年頃に記した手紙です。通常は冒頭の挨拶の後に感謝等を記すのですが、この書は極めて厳しい言葉が続きます。その背景にはガラテヤ教会でパウロの使徒性の疑いやユダヤ律法を守ることをガラテヤ教会の人々に強く訴える人々がいたからです。そこで今日の箇所ではパウロの使徒性や福音の真実を語っています。何よりも主イエスの福音が曲げられ、古い律法の実行という信仰は主イエスによって新しく生まれたパウロにとって許し難いことでした。パウロの怒りに我らの背筋ものびますね。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> ●学校法人「西南学院」(福岡市)。①子どもたちが神さまと出会うことができますように。②神さまの働きの器として西南が用いられますように。院長・今井
尚生。
●西南学院大学神学部/専攻科/大学院。①み心に適う神学教育ができるように。②献身者との新しい出会いを求めて。③伝道者養成の新しい展開、協力のために。神学部長・濱野
道雄。
6/28 マタイ福音書13章53-58節 「主イエスの兄弟ヤコブ」
「ヤコブの手紙」を学ぶにあたって。著者ヤコブは主イエスの弟であり、主イエスの昇天後はエルサレム教会の中心の一人として活躍しましたが西暦62年に殉教の死を遂げます。一方で神学者によってはこの手紙が書かれたのは百年頃が想定されます。後の世代の執筆であったとしても、使徒ヤコブの思いや主張(もちろん、その源泉は主イエスからですが)が響いています。その中でもヤコブ書では、当時の一部の人々が貧しい人々を踏み台にしてでも富の蓄積と地位の向上に奔走し、教会においても指導的な地位を占めようとする人々を批判していますし、弱い側にある人、痛む人への共感とその立場からの発言はまさに初代教会で「義人ヤコブ」と言われた由縁です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 「『神学教育』に関する委員会」。①神学生の学びのため。②神学教育に関わる三つの神学校・宣研・連盟の良き協働のために。③献身者が起こされるように。委員長・中田義直(常務理事)
6/21-6/27 聖書箇所と祈りの課題のみ 特別
6月21日(月) 聖書:ヨハネ一 5章1~5節 「世に打つ勝つ信仰」 今日の祈り:日野神明伝道所(東京都)。①信徒の家族の救い。②伝道所から教会への成長。③地域伝道(4月から始まった絵本コミュニティ館)の祝福。 責任者:三木
朋実。
6月22日(火) 聖書:ヨハネ福音書 16章25~33節 「主の勝利にあずかる」
今日の祈り:青葉教会(神奈川県)。①オンライン礼拝、祈り会の祝福。②教会員家族への伝道アプローチ。③新しく選出された役員会の一致。牧師:三宅
真嗣、副牧師:三宅 友子。
6月23日(水) 聖書:ヨハネ一 1章29~34節 「世の罪を取り除く神の小羊」
今日の祈り:横浜JOY教会(神奈川県)。①福音宣教の働きのために。②病や弱さの中にいる方々のために。③教会員一人ひとりのために。 牧師:坂西
恵悟、派遣牧師:石田 政美。
6月24日(木) 聖書:ヨハネ福音書19章31~37節 「流れ出た血と水」
今日の祈り:横浜ニューライフ教会(神奈川県)。①30周年を迎える教会の聖霊による再生と刷新。②牧師スタッフの招聘。③イスラエルと国々が祝福しあい一つに。 牧師:田坂
元彦
6月25日(金) 聖書:ヨハネ福音書 14章7~14節 「主の名によって願う」
今日の祈り:百合丘教会(神奈川県)。①教会員の健康と安全が守られる。②幼稚園が守られる。③コロナの中で伝道が守られる。
牧師:川井 高雄、協力牧師:宇野 雄司、教会主事:宇野 澄江、音楽主事:宮原 淑子。
6月26日(土) 聖書:ヨハネ一 5章16~21節 「主こそ真実の神、永遠の命」
今日の祈り:東京地方バプテスト連合。①新設の宣教センター(石井則之主事・多摩みぎわ教会)が整えられて用いられますように。②東京北教会の地域協働進捗感謝。
会長:内藤 崇(目白ヶ丘教会員)。
6月27日(日) 聖書:ヨハネ一 5章6~15節 「永遠の命 イエス・キリスト」
今日の祈り:日本バプテスト連盟 監事。①諸教会・伝道所が励まされる連盟機構改革のために。②協力伝道献金体制を目指し、連盟財政が整えられるように。
監事:小河義伸(主任監事、八王子めじろ台教会牧師)、加藤英治(四日市教会牧師)、廣島 尚(浦和教会牧師)、森 恭子(高崎教会会員)。
6/20 Ⅰヨハネ4章7-21節 「愛のシンフォニー」
「愛」という言葉が何度使われているか数えてみましょう。そして神は愛、神から遣わされた愛、その愛とつながり、その愛がとどまり、私たちが生きることになります。その愛は価値なき者にも注がれるのです。親であれ、子を愛し続けるには限界があります。さらに愛は霊の働きとして私共を動かそうとします。愛はその人に「愛する力」を与えようとします。愛は広がることで完全を目指すのです。18節の「愛には恐れがない」。この意味は「こんなことをすれば神に嫌われてしまう」とか「神を審判者」と考える必要がない、ということです。自分を受け入れてくださることを知っている時に安心があります。その安心が心にあれば、あなたの顔に真実の輝きが増しましょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 横浜大和町キリスト教会。この教会はほとんど知らないのです。集会場所については以下の電話でご確認ください。090-4829-6692(鉄井)まで。祈りの課題は以下です。①コロナ下でも礼拝を続けていくことができるように。②コロナを通して、人々の心が神様に向くようになりますように。 牧師・鉄井 三千夫
6/19 Ⅰヨハネ4章1-6節 「超人的な神ではなく」
この手紙が記された時代に「グノーシス主義」と呼ばれる人々が教会に入ってきました。彼らはキリストが人間と等しい肉体を持って歩まれたことを否定、死の現実を知らない霊的存在だと宣伝し、当然「復活」も認めません。彼らがヨハネの言う「反キリスト」「偽預言者」「神に属さない人」です。教会はそのような形で外部からの攻撃を受けてきました。もしキリストが霊的存在なら主の「涙」も「痛み」も真実の共感のないお芝居になります。主は私共の痛みや辛さを、ご自身体験されているからこそ、私共の心に寄り添うことが深くできるのです。神さまと言えば超人的存在を求められるのでしょうが、主イエスは共に叫び、苦しみの中において私共とつながり続ける方です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 横浜戸塚バプテスト教会。横浜市戸塚区矢部町251にあります。この教会の堀野牧師は、高校生の時、連盟の全国少年少女大会の夜の集会ですばらしい司会をされていました。その後、神学校で学ばれました。大学生の頃は神戸市のミッションスクールで「聖書」の授業などしておりましね。神戸教会で行われた結婚式を今でも思い出しますよ。祈りの課題は以下です。①コロナウイルスからの癒しと終息のために。②聖書信仰を日々の生活の土台にできるように。③求道者の救いのために。牧師・堀野 浩嗣
6/18 ヨハネ福音書15章11-17節 「選び、選ばれ、共に友として」
「友のために自分の命を捨てること」が最大の愛と主は語りますが、それはただ主イエスのみができること。そして主は私を「友」と呼んで下さるのです。まるで同期生や幼馴染のように、会ったらすぐあだ名で言うような。そして主は「あなたが私を選んだのではなく、私があなたを選んだ」と語ります。「選んだ」方は自分が決断したと思います。自分で選んだのだから、自分で捨てることもできると思います。でも本来は「選び、選ばれた」関係でしょう。ただ違うのは、主が選んだ基準。自分に都合が良いとか、見かけが良い、とか、何かを持っているとかの条件で主は選ぶのではありません。醜い心、汚れた心を持つ、ふさわしくない者を主は「お前が我が友だ」と招くのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 鎌倉台伝道所。神奈川県鎌倉市大船6-9-29 ミスノビル302にあります。洋光台キリスト教会の伝道所として活動をされています。祈りの課題は以下です。①コロナの終息を主に願い祈ります。②集う教会の姿を取り戻すために。③高齢者の健康が守られますように。牧師・岡坂 建史
6/17 Ⅰコリント12章31~13章46節 「愛の讃歌」
「愛の讃歌」と呼ばれる箇所。ここはキリスト教式の結婚式でよく読まれます。打楽器が登場しますが、愛のない「どら」や「シンバル」の演奏は得意。「愛」の音を出すには丁寧さと心込めた優しさが必要。4節以下のところは自分に問いながら読むべき。決して人を量る材料にしてはなりません。「忍耐強さ」、投げ出さず、向き合う心。「情け深い」、他者に共感し、共に喜び悲しむ心。「高ぶらない」、思い上がらないで人と同じ目線で見る心。「ねたまない」、人と較べて文句を言う心。「自慢しない」、他者に支えられて生きていることを知っている心。「礼を失しない」、常に「ありがとう」等、感謝を表す心。「自己利益を求めない」、自分だけが楽や得になる道を捜さない。「恨まない」、恨んでも自分に良いことは何もなし…。自らの不足を恥じる箇所。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 洋光台キリスト教会。神奈川県横浜市磯子区栗木1-22-3 にあります。3階か4階建ての大きな教会です。それゆえに「祈りの課題」にあるように、大きな修繕もしなければなりませんね。もう10数年前に特別礼拝でお呼ばれして伺いました。みなさんお元気でしょうか。祈りの課題は以下です。①大規模修繕のために。②隣り人と共に生きる歩みであるように。③IMV(日本バプテスト連盟インターナショナル ミッションボランティア宣教師:ルワンダ派遣)佐々木和之さんの働きのために。主任牧師・萩原 永子、協力牧師・蛭川 明男
6/16 ローマ書5章1-11節 「苦難と忍耐、練達と希望の道」
神との平和を得ているなら、苦難から解放される、と思うかもしれません。しかしパウロは苦難をも誇りにすると言います。現実の人間の生は様々な問題をはらみ、苦しみを避けることはできません。心乱れ、弱さと疲れの中に置かれる時があります。しかし、主によってゴールが示され、苦難や患難から逃げ出すことではなく、打ち勝っていく、つまり、それをも喜びをもって受け止める可能性があるのです。それを可能にするのは「神の愛」が聖霊を通して与えられるから。でも人に「お前は乗り越えろ」とは決して言えず、その人自身が祈りの中で受け止めるものなのでしょう。パウロの言葉を驚愕の思いで読む私自身です。苦難は人を成長させるとは限りませんが、苦難の経験抜きに人の成長はないのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 港南めぐみキリスト教会。神奈川県横浜市港南区日野南5-23-21にあります。新しい会堂ができてしばらくした後に伺ったことがあります。国道1号線等も近い住宅街にあります。この教会もご夫妻で牧師として就任されています。祈りの課題は以下です。①若い人々の礼拝参加。②教会諸集会、活動の回復。③教会財政の安定。牧師・古家 良子、古家 克務
6/15 Ⅰヨハネ3章19節~24節 「愛の限界を知ることから」
行動の伴わない信仰は有り得ないし、信仰がその人の生き様に影響を与えないことも有り得ないことです。でも同時にキリスト者の歩みや行動が常に正しいとは限りません。悲しいけれど自らの限界や罪の多さを認めることが必要です。なぜなら人間の不完全さを主はご存じですし、そのような足りない人間のために主は歩んでくださったのです。キリスト者の行動は「愛」が基準になります。でも私共は「愛」を誤解し、「押し付け」や「自己満足」に陥ることが多いのです。そしてそのような欺瞞に満ちた自分を知るところからしか人間は歩み出せません。一人の人さえ神様のごとく愛せない自分。そこで主を呼び求め、自らの最善の愛が出来事となるように祈りたいものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 横須賀長沢キリスト教会。神奈川県横須賀市長沢1-31-1にあります。横須賀といえば今や「海軍カレー」が有名ですが、きっとよりすばらしい命の糧がこの教会にはあります。真人牧師は、私が大学生時代の時、教会を走り回っていた小さなお子さんでしたが、とっても立派になられて感謝です。ご夫妻共々牧師をされています。祈りの課題は以下です。①コロナ終息のために。②信仰と健康が守られますように。③福音が広められますように。牧師・大須賀
真人、大須賀 綾子
6/14 Ⅰヨハネ2章28~3章10節 「注意して受けとるべき箇所」
「罪を犯さないように」、「罪を犯す者は悪魔に属します」、「罪を犯すことは法を犯す」と記されます。この辺りは信仰というより、道徳的な一般論に「悪いことしたら神様から罰を受ける」ような「脅し」を加えており、良くないメッセージの伝え方になっています。まず4節の「法」は大変に広い倫理です。人間の作った「法律」ではありません。なぜならその「法律」自体が神の御心に反する場合があるから。また「罪を犯す」人を「悪魔の子」と単純に呼ぶことは危険です。そのような単純な区分が差別を生み、教会が自己都合で裁き、過ちを犯すのです。「福音」の輝きがメッキのチープな輝きになっている感があります。この箇所で目を向けるとすれば「今すでに神の子とされている」認識が歩みを整えるということ。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 藤沢バプテスト教会。神奈川県藤沢市本鷺沼5-10-29にあります。この教会の坂元幸子先生、以前、ご一緒に小羊会キャンプのご奉仕をさせていただいた時には、どちらも「さかもと」なので、坂元牧師は「元祖」、私は「本家」にしましょうなど、みんなで話したことは楽しい思い出。坂元幸子牧師は米国でキリスト教教育学を学んだ方でもあります。そのようなこともあり、現在、「東京バプテスト神学校」の校長をなさっています。祈りの課題は以下です。①入学進学する子どもたち、若者たちのために。②高齢者、独居者、ホーム在住者のために。③藤沢教会の未来とビジョンのために。 牧師・坂元 幸子
6/13 1ヨハネ2章1-17節 「主イエスが歩まれたように」
聖書といえ、「手紙」は記者と相手との関係、具体的な状況があり、ゆえに記者が問題にしていたことを推測する必要があります。4節で「神を知っている」という人が、ふさわしい行動をせず、他の人々に混乱や影響を与えていることを指摘しています。7節以降でまず「愛する者たち」との呼び掛けはどんな怒りがあっても、思い直して、神が愛しておられる方々と心静かに筆を進めたのです。そして「新しい掟」、古くて新しい掟とあります。それはヨハネ福音書13章34節の主の言葉。旧約にある点では「古い」、しかし、主イエスの生涯を通して、新たな標準が示されました。愛し合うのは、まず主が私共を愛されたこと。キリストを知るまで真実の愛を知らなかったのです。
さて、今日は「花の日礼拝」です。「花の日」について…
◆毎年6月第2日曜日は「花の日」礼拝として守っています。◆「花の日」は今から165年前の1856年、米国マサチューセッツ州チェルシィ市にある教会のレオナルド牧師の提案が起源とされます。 ◆その教会で6月のある日曜日に子どもたちや少年少女(ユース)のために特別なプログラムをつくり、子ども中心の集会を行ったのです。それが拡がり、1866年にはアメリカのメソジスト教会年度総会において、6月第2日曜日を「子どもの日」として 少年少女たちの宗教教育を強調する日として教会行事に加えることが決議されました。◆同時に、6月は「ジューン ブライダル」のように多くの花の咲く季節であることから、信徒が各々花を持ち寄って教会堂を飾り、礼拝後、その花を子どもたちに持たせて病院を訪問させ、病人を見舞い、警察署や社会施設を慰問したそうです。◆これらのことを通して、子どもたちに社会の繋がりや病院や施設にいる方がたのことを知り、学び、奉仕と感謝を学ばせるものとして行われたのです。その後、「花の日」と呼ばれ、キリスト教プロテスタントの日本宣教と共に日本に持ち込まれました。◆私も小学生の頃、この日にお花を持っていったのですが、覚えているのは踏切の遮断機をおろす人の所に行ったことです。◆ただ日本で6月といえば昔、「お花」は「アジサイ」ばかりになりますし、雨が多いので5月頃に行うところもあります。◆ ある教会では風船に花の種、そして手紙と御言葉のカードを添えて空に放ち、それを拾った方から手紙が返ってきたり、電話があったそうです。面白い試みであると感じました(ただし環境の面で問題)。◆「花の日」は(他の行事と同様)律法的に考えるのではなく、中心は、教会が子どもたちに 聖書の精神(=信仰)を伝えることです。◆所沢教会が「子どもたちを育てる教会」としてイエス様のお言葉を学び、伝える働きができるように覚えてお祈りください。今年は従来の形ではできませんが、来年の構想も練っていきましょう。(献)
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 湘南台バプテスト教会。神奈川県藤沢市湘南台1-11-8にあります。ここもまだ行ったことがありません。祈りの課題は以下です。隣接地取得と新会堂のビジョン。②次世代が育つように。③新来者・求道者が与えられるように。牧師・坂元
俊郎
6/12 Ⅰヨハネ2章18-27節 「主の教えを学び続けること」
「初めから聞いていたこと」。それは主イエスの福音を聞き、感謝と希望を持ってキリスト者として歩み出した頃です。その後、時に疑いを持つこともあり、ならばより深く学べば良いのですが、「反キリスト」のような教えに出会うことがあるのです。ここではイエスの「メシア性」を否定する、つまり、イエスは預言者に過ぎないとか、逆にイエスは肉体を持たない霊のような存在なので復活もなかった、等の新宗教のような主張をする者です。例えば「エホバの証人(ものみの塔)」はイエスの神性を認めません。さらに彼らの使う聖書は「英語」という歴史的に新しい言語が原典。そのような信仰に引きずられてしまうようなことがあるのできちんと学び続けることが大事です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 逗子第一バプテスト教会。神奈川県逗子市逗子3-3-13 にあります。この教会もまだ訪れたことのない教会です。杉野牧師は、私が福岡有田教会で牧師在任中、水曜の「聖書の学びと祈り会」や「礼拝」にも折々に讃歌してくださっていました。もともとは中学校か高校の教師でしたが、早期退職をされ、西南学院大学神学部で学び、平塚教会牧師を経て逗子第一バプテスト教会牧師に就任されています。祈りの課題は以下です。①年間標語「キリストに向かって成長しよう」。②コロナ危機が一日も早く収束を。③教会財政の確立。牧師:杉野 省治
6/11 ヨハネ福音書15章1-10節 「主に結ばれるとき」
有名な「ぶどうの木の譬え」。当教会に「ぶどう」があり、生きた教材です。冬は枯れたようになりますが、今、葉っぱが拡がります。幹と繋がる時、葉は拡がり、実を結び、その果実は人を喜ばせます。ぶどうは地中深く根を伸ばし、たとえ荒れて痩せて乾いた地のでも、低く暗い場所から水分と栄養を吸い上げて枝に伝え、実を結ばせるのです。その姿はさながら、十字架の苦しみと絶望、渇きのどん底からいのちの水をもたらせた主イエスそのものです。主イエスにつながっていなければ、真の潤いもいのちもない、と聖書は語るのです。そして、私共は棒ではありません。主はむりやりにあなたを繋げることはできません。ただ、あなたが求める時、愛は注がれるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 平塚バプテスト教会。神奈川県平塚市豊原町4-5にあります。数年前から平野牧師という割りと若い牧師に交代しました。コロナ危機の中で「こども食堂」を教会で行うなど、地域に根ざした活動をされています。祈りの課題は以下です。①ことも食堂による地域交流。②主日礼拝が新たにされるように。③教会に新しい未来が開かれるように。牧師・平野 健治
6/10 Ⅰヨハネの手紙 3章11-18節 「福音を見つめなければ」
新約聖書における3章16節は有名な言葉が時折見つかります。もちろん章節番号は後に付けられたので原文にありませんし、原文は段落等もありません。15節の「憎む者は人殺し」は主イエスの言葉、マタイ5章21節以下の「他人に『愚か者』と言う者は火の地獄に投げ込まれる」等が響いています。間違えてはならないのは、「地獄に投げ込まれるから言わない」ではなく、「仲直り」や「和解」の道を目指すことです。主イエスは「殺人していないから罪はない」と言う者に、「あなたは心の中で殺人してないか?その根があるのでは?」と深く問うているのです。ヨハネの手紙は言葉が強いです。「命を捨てるべきだ」、の「べきだ」は用い方で福音から外れる危険ありです。主イエスは「命を捨てることではなく、命を大事に生きること」を教えてくださったはずです。もし「命を捨てること」を主イエスが推奨するなら、十字架には弟子たちも並んでかけられていたことでしょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 座間・バプテストキリスト伝道所。神奈川県座間市入谷東3-42-10にあります。1976年から伝道所としての活動が始まっております。私はまだあまり知らない教会の一つです。もう長い間、伝道所として歩んでいますので、ぜひ、お近くの方、この教会に行ってくだされば幸いです。祈りの課題は以下です。①礼拝参加者が増し加えられますように。②礼拝参加者の健康が守られますように。③奏楽者のお働きが祝されますように。牧師:内藤玲於奈
6/9 ヨハネ福音書13章31-35節 「今だ守れないただ一つの掟」
まず「栄光を受けた」との言葉が解り難いですね。ここは逆説的な言葉です。「人の子」は新約聖書におけるメシア(救い主)の称号。「栄光」はすでに始まっている受難とそれに続く「死」と「復活」を言うのです。いわゆる輝かしい誉に満ちた栄光ではなく、屈辱と苦しみを味わい、「死ぬ」ことが「神の栄光」の表現なのです。いや、世界がいう「栄光」もその背景には数多くの「苦しみ」があるものです。苦しみの主こそが、苦しみつつ子どもを育てる母親に、苦しみつつ平和のために生きる人に「栄光あれ」と主は語ってくださるのです。そして旧約聖書は多くの「律法(掟)」がありますが、新たな主の掟は一つ。「互いに」、「愛せ」。まだ成し得ない人間の課題です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト相模中央キリスト教会。神奈川県大和市中央林間4-24-6にあります。この教会は比較的大きな教会(人数も会堂も)でパイプオルガンが設置されています。吉田牧師は現在、日本バプテスト連盟の副理事長として、今、進められている「機構改革」の大きな働きを担っておられます。とっても端正な方、ハンサムで真面目な方です。YouTubeで礼拝の様子など見ることができるかもしれません。また、音楽主事をされている江原美歌子さんは、もう35年くらいのお付き合いがあります。その名前の通り「美しい声をもって賛美歌を歌われる方」です。日本バプテスト連盟の教会音楽室長として、私ら、江原先輩にはいろいろご指導いただいております。来年か、さ来年には当教会の集会でお招きしたいとも思っています。また、東京バプテスト神学校で「教会音楽科」の指導にもあたっておられます。祈りの課題は以下です。「ともに主を賛美するときを待ち望む」(今年度主題)皆共に会堂に集まれる時を待ち望みつつ歩んでいきます。牧師・吉田 真司、音楽主事・江原 美歌子
6/8 ヨハネ福音書14章25-31節 「平和はつくりだしていくもの」
昨日の続き。「平和」を与える。その根拠は聖霊によってキリストの言葉が想起されることによってです。以前は「平安」とも訳されていますが、いずれにせよ私の中に、私共の中に暴力的、破壊的ではない、命の恵みを喜び感謝する世界こそ、キリストの願う世界です。ゆえに「心騒がせる、おびえる」必要はないのです。そして「平和」の実現の歩みとして自ら、そしてただイエス・キリストのみが犠牲の道へ「さあ、立て。ここから出かけよう」と歩み出されたのです。そして「平和」は「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」とのマタイ福音書5章の主の言葉を想起させます。「平和」は自動的ではなく実行し、つくりだしていくものなのです。そう、自転車のように、平和へと動かし続けないと世界はすぐに倒れてしまいます。みんなで平和の車輪を動かしたいものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 綾瀬小園キリスト教会。神奈川県綾瀬市小園南2-18-6にあります。この教会の岩瀬牧師は、連盟事務所に行って、女性連合にご挨拶に行くとよくお会いできていました。今はコロナでしばらく連盟事務所も訪れることができませんが。礼拝の「礼」の時ですが、結構間違えて「札」さんとか書かれると仰っていました。それ以来、私も注意するようになりました。はい。祈りの課題は以下です。①新来者・求道者が与えられますように。②地域に根ざす伝道。③み言葉に親しみ祈る教会に。牧師・岩瀬
礼
6/7 ヨハネ福音書14章15-24節 「聖霊の豊かな働き
この箇所から16章15節までキリスト教教理である「三位一体」(さんみいったい)を伝えます。聖霊が「弁護者」(横にいて自分を助けてくれる)と呼ばれ、四度も「その方」と紹介されるのは「聖霊」が単なる霊力ではなく人格であり、自ら「来る」「出る」方。この点で榊原康夫氏は「私たちの熱烈な呼びかけ次第で聖霊の賜物(恵み)を左右できるかのように振舞う信仰体質ではなく、聖霊の主権的な御意思と自由な働きを畏れて従う静かな信仰を求めたい」との言葉が印象的。真理の御霊」とは主イエスが「わたしは道、真理、命、わたしを通らなければ父のもとにいくことはできない」のでキリストに道案内するのが「真理の御霊」と同氏は語ります。「聖霊」は豊かな働きをもって私共を導いてくれるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> ふじみキリスト教会。神奈川県平塚市真田4-26-8にあります。「ふじみ」って良い名前ですね。犬塚契牧師が今、おられます。割と昔から知っている方で、切り口がいつも私のような凡人と変わっていてなんとなく面白い先生。昔は「全国小羊会キャンプ」で着ぐるみをきて登場したこと、いつまでも忘れません。祈りの課題は以下です。①地域の祈り場として静かなインパクトを。②礼拝が続けて守られ、渇く魂に慰めが与えられますように。 牧師・犬塚 契、協力牧師・犬塚 修、草島 豊
6/5 ヨハネ福音書8章12-20節 「どこから来て、どこへ行くのか」
さて何が言いたいのか?と思う方もいましょう。主が「わたしは世の光」と言ったことが発端。当時、「光」は「神」と言い換えられており、気に障ったのです。そして主に対し「自分だけの証言は裁判でも無効だ」と非難されます。当時も裁判は自分以外の証人が必要でした。しかし世で主イエスしか言えないのが「父と共にいる」との言葉。「また、自分がどこから来て、どこに行くのかを知っている」ことは実はご自身が神である証明です。私共は、どこから自分の命が来たのかを知っているでしょうか。親であるのはそうでしょう。しかし、どうして自分がここに生き、考え、歩んでいるのかは神秘です。どこに行くかも知らないのです。「天国」と言っても、それを証明できません。今日はN・Mさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 松本蟻ケ崎キリスト教会。長野県松本市蟻ケ崎6-4-3にあります。確か、昨年に新しい教会堂ができました。ただコロナのために「おひろめ」はできていないようです。どこの教会でも礼拝には「讃美歌」が欠かせませんが、伴奏してくださる方が必要なのです。そして、伴奏ができる人は少ないので、結果、伴奏者がいないので、PC伴奏などで行っている教会も少なくありません。少しでも弾ける人、ぜひ教会を助けてください。祈りの課題は以下です。①会堂建築後、内なる主の宮建設を。②指導者が与えられ賛美する教会に。③コロナ禍でも諸集会が導かれるように。牧師・川井 高雄
6/6 1 ヨハネ1章1-10節 「主に交わり、光の中へ」
「ヨハネの手紙」は聖書に三書ありますが、全部で9頁!すぐに読めますよ。読破しましょう。著者はヨハネ福音書と同一か同じ伝統に属す人で、確かに言葉使いが似ていると感じましょう。そして「命の言」とはイエス・キリストであり、福音であり、「永遠の命」と言い換えられます。教会では交流(人と人、神と人)を「交わり」と普通に言うのですが、時々、聖書を知らない人から誤解されそうで気を付けます。心の通い合い、人との繋がり、共に生きることへと主は招いておられます。それは神ご自身が「父・子・聖霊」の交わりに生きていることを根拠とします。「繋がり」が大事と、災害やコロナを通して我らは学びました。何より、主があなたと繋がってくださいます。今日はS・Sさんの誕生日です。10歳の誕生日(丁度、ペンテコステ)にバプテスマを受けたとのことです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大秦野バプテスト教会。神奈川県秦野市ひばりヶ丘1-15にあります。この教会の牧師夫妻はかつて日本バプテスト連盟派遣宣教師として「タイ」で活動され、特に神学校で旧約を教えておられました(嘉彦師)。祈りの課題は以下です。①教会組織70周年記念礼拝(秋予定)。②教会員の健康と礼拝出席。③子ども礼拝、親子ひろば。牧師・日高
龍子、協力牧師・日高 嘉彦
6/4 Ⅰコリント書1章1-9節 「主が呼び集めた人々と共に」
挨拶に出てくるコリントの元会堂長ソステネ。使徒言行録18章でユダヤ人達がパウロを総督ガリオに訴えますが総督は取り合わず。その後、ギリシャ人(反ユダヤ感情)に捕えられ、リンチを受けた人。多分、彼はその後、キリスト者となりました。手紙の挨拶部分だけでも大変面白いのですが、「キリストの名を呼び求めているすべての人」は信仰者の姿。「イエスさま」と感謝し、求め、祈るのがキリスト者です。そのキリスト者は「召されて聖なる者とされた人々」に呼びかけます。「召された」とは主イエスが呼び出し、キリスト者へと導かれた人々。呼び求める者は同時に呼びかけられる人々です。その交わりの中心に主がいますし、キリストにより人々が結ばれるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大和愛宣教伝道所。神奈川県大和市大和東1-4-7 栄光堂ビル3階にあります。2日にお祈りした「松本福音村バプテスト教会」の伝道所です。祈りの課題は以下です。①主日礼拝に人数が加わること。②教会学校と家庭集会のリバイバル。③下半期の開拓伝道のために。牧師・李 東柱、主事・郭 淑
6/3 ルカ福音書 24章36-49節 「心の目が開かれる時」
よみがえった主イエスは弟子達が隠れている部屋に「安心しなさい」と入り、語ります。亡霊でないことを示すためにその手足を見、触るようにと勧め、さらに魚を食べます。それ以上に大切なことは「聖書を悟らせる」ことであり、それは「心の目」を開かなくては悟り得ないのです。肉体をもった方とは天に昇った後、出会うことはできません。しかし、聖書の言葉が真実であると理解することが時を超え、場所を超え、福音が伝わるために欠かせないのです。真の主イエスとの出会いは、見て触ることではなく、心の目が開かれることなのです。46節の三日後の復活は旧約聖書ホセア書6章1節以下に記され、悔い改め(へりくだり)と救いはイザヤ書57章等参照、必見。今日はM・Yさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 相模原希望伝道所。神奈川県相模原市中央区相模原2-3-16 山崎ビルA202に所在しています。2日に祈った「松本福音村バプテスト教会」の伝道所です。祈りの課題は以下です。①将来と希望を与える教会になるように。②信徒たちの信仰成長と養育のために。③聖霊様が働く教会になるように。牧師・李 在浩
6/2 ヨハネ福音書3章1-21節 「あなたが救われるために」
コロナ関連の報道でWHO(国際保健機関)が登場する時、マークに「杖に蛇が巻き付いている」のが印象的です。この由来は民数記21章で毒蛇が人々をかみ、死者が出た時、モーセが祈り、告げられたように、青銅の蛇を旗竿につけ、それを見た人は蛇にかまれても命を得たとの話、またはギリシャ神話の医神アスクレピオスが抱えている蛇との説があります。いずれにせよ、コロナからの救いを世界の人々と共に祈ります。14節で主イエスはモーセが上げた蛇を示しつつ、真の救い(人間が愛され生きる道)は主イエスによって与えられることを語り、その救いは「死を超えて永遠なもの」なのです。夜の闇の中に来た議員ニコデモは光を見出しました。今日はT・Nさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 松本福音村バプテスト教会。長野県松本市大手5-6-3にあります。2004年から始まった教会です。韓国出身の方がこの地で伝道をはじめ、古い建物をみんなや西関東地方連合加盟教会等の協力も得て、立派な会堂が出来ていく様子を日本バプテスト連盟の総会時に紹介され、印象に残っています。面白い名前ですね。まだ行ったことはないのですが、今、神奈川県相模原市と大和市に伝道所を開設しています。祈りの課題は以下です。①すべての聖徒が毎日聖書を読んで祈る時間を持つように。②毎週月曜日、路傍伝道を通じて福音が宣べ伝わるように。③回転資金の返済が毎月よくできるように(月15万)。牧師・黄 基英
6/1 イザヤ書2章1-6節 「終わりの日まで希望を抱いて」
「終わりの日」と出てきますが、聖書で「終わりの日」は単に「終末=完成の日」のみを意味するのではなく、「終わり」は「主にある希望の日」であり、その日を目指しつつ歩む「今」に焦点と課題があります。並行して考えるのは人間に地上の生の終わりがありますが、その「終わり」は決して否定的・悲観的ではありません。主によって与えられる「新しい命」を待望しつつ、なお、今の命を感謝と希望を持って歩むことへと招かれています。その期間の私共の歩みは「戦うことを学ばない」、つまり「共に喜び、平和に生きることを学ぶ」ことです。エルサレムから爆弾が打ち上げられることを主は願っておりません。なお4節はニューヨークの国連本部の国連広場にこの言葉が刻まれています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 山梨バプテスト教会。山梨県甲府市朝日5-13-12にあります。一年ぶりに山梨教会を祈り、紹介できること嬉しいです。この教会の佐藤牧師は、見かけは体も大きくて、短髪、誰もが「あんまり近づいてはいけない人間、怖そう」と感じるのですが、実際は「のみの心臓」であり、すごく楽しい方です。所沢に来て、佐藤牧師が山梨に行く前に訪ねてくださり、私も山梨に2回行きました。佐藤牧師は本はたくさん持っておられ(読んでいるかどうかはわからない)、本棚を見ていたら「ファンタジー」の本がいくつかあったので「これ誰が読むの?」と聞いたら「私です」というので、あまりの不釣り合いに2~3時間は笑っていました。本棚の隣に「網走刑務所」の看板がありまして(網走での過去があったかもしれません)どちらかというと、「網走刑務所」の方がイメージしやすい方です。でも、いまや子どもなどにファンタジーの読み聞かせをされているのでしょうか?結構子どもはビビるのではないかと思います。本当に優しい方、連盟の東日本大震災現地担当者の働きをされていたこともあり、今でも毎年のように被災地を訪ねておられます。そして、甲府は「鶏料理」、特に「焼き鳥」「もつ煮」が美味しいところ。さらにどんな店にも山梨ワインが置いてあるのに感心しました。また甲府教会のすぐそばにある鉱泉など語りたいことはたくさんあります。3時間は佐藤牧師と山梨について語ることができます。預言者的の働きや、関西地方連合三人目の「浩」など奇異な話もあります。しばらく伺っていないのでコロナ後にはお訪ねさせていただきます。祈りの課題は以下です。①絵本の読み聞かせが用いられて子どもや若い人が礼拝につながり、全年齢層が集まる礼拝となるように。牧師・佐藤 浩
5/31 ヨハネ福音書1章1-18節 「ことばが命となる」
ヨハネ福音書の冒頭は「ロゴス讃歌」と呼ばれます。「ロゴス」は言葉、真理、概念、思想、事柄そのもの、等の広い意味と多くの派生する言葉があります。新共同訳聖書では「言」と漢字一文字で特殊な使い方です。聖書では「言=(この世に誕生する前の)主イエス」を示し、主イエス誕生後では「福音」を示します。「言が肉となる」のは、約束の実現です。私共が「愛する」と言っても、それが行動にならず言葉で終わってしまったら言葉は現実にならない。しかし、(神の)言葉(思い、願い)が具体的に「命」(光・恵み・真理)として現実に生じたのが主イエス・キリストなのです。それを「宿られた」とヨハネは語ります。「わたしたちの間」は「わたしたちと共に」であり、「わたしたちの内に」でもあり、「関わり」「繋がり・結びつき」という関係性です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟引退牧師を覚えて。安藤榮雄氏(福岡県在住)、安藤榮二氏(埼玉県在住)。このお二人は兄弟であり、日本バプテスト連盟の歩みの中に大きな足跡を残しているし、今もなお活躍されています。
5/30 使徒言行録16章25-40節 「人生の危機が感謝に変わる夜」
聖書箇所は昨日の続きです。パウロとシラスは獄中で祈り、讃美の声が響き、他の囚人も聞いています。そこに地震が起こり、獄の戸が開かれます。看守は囚人が逃げたと思い、自害しようとした時、パウロらが声を掛けます。看守の運命、閉ざされたと思った自分の命が、新たに開かれました。看守はパウロらを自宅に招き、そして色々な話があり、看守は二人の傷を洗います。自分を命へ、救いへ導いてくれた二人の傷、それは、主イエスが自分の救いのために流された血潮と重なって理解されたでしょう。そして家族皆がバプテスマを受けました。「主イエスを信じなさい…家族も救われる」。あなたが主とあなたの家族を感謝し喜ぶ心を、主はいとわれません。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 一般財団法人 日本バプテスト連盟医療団。京都市では知っている方も多いと思います。「総合病院 日本バプテスト病院」「バプテスト老人保健施設」「バプテスト居宅介護支援事業所」「バプテスト訪問介護ステーション しおん」を運営しています。以前は「看護学校」がありましたが、数年前に休止しています。なお、チャプレンとは「病院付牧師」です。学校付牧師も「チャプレン」と呼ばれます。病院の中にはチャペルや院内礼拝が行われています。魂に配慮した治療を行っています。①隣人愛に基づく全人医療実践のために。②変動する医療情勢にチャレンジしていく医療団の働きの上に。理事長・尼川龍一、牧師・チャプレン・宮川裕美子
5/29 使徒言行録16章11-24節 「主があなたの心を開かれるように」
パウロはフィリピに到着します。「神をあがめるリディアという婦人」。彼女は異邦人でユダヤ教に改宗していた人です。そしてキリスト者になりますが、それはパウロの手腕ではなく「主は心を開かれた」ゆえ。「心開く」のは神の働きです。そして福音が当初から(立場が弱い)女性の主体的決断によって選び取られたことも注目。その後、「女奴隷」の心を解放されますが、それにより儲け口を失った人々から訴えられ、パウロとシラスは獄に入れられます。でも、その中でも、彼らの心は天に開かれ、祈りと讃美が満ちていました。今日はH・Kさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> ▲連盟国際ミッションボランティア 佐々木和之氏(ルワンダ)。①ルワンダの人々の和解と共生への歩みが前進するように。②新型コロナウイルス感染から守られるように。
▲連盟アジアミッションコーディネーター 伊藤 世里江氏(シンガポール バプテスト日本語教会牧師)。①ミャンマーの軍事政権による暴力に反対し、市民の命と生活、信仰の自由が守られるように
5/28 使徒言行録28章11-30節 「引き継がれる使徒言行録」
「使徒言行録」の末尾。ローマでの2年間、何の妨げもなく福音を語り続けたことで終わります。しかし、著者であるルカも献呈の相手のテオフィロも、パウロがローマで殉教した(殺された)ことを知っています。どうしてパウロの死を書かなかったのか。なぜなら使徒言行録はパウロの死によって閉じられるのではありません。聖霊は、二千年前も今も確かに働いています。ルカは単なる歴史を著述するのではなく、ルカは「聖霊の働き」を書いています。そして聖霊はあなたや私のような人々の中に、そして世界中の教会を通して具体的な形をとり、今もなお働きが継続されているのです。その「神の歴史」の中へあなたは招かれ、死で閉ざされない福音を生きていくのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「回転資金委員会」。宗教法人は広い土地があっても、改築等のために銀行からお金を借りるのはなかなか難しいのです。銀行の側から言えば、貸付金返済が滞っても土地等を差し押さえできないから、と聞いたことがあります。そのような事情があってか、日本バプテスト連盟では「回転資金」が大変整っておりますし、そのように道を開いた先達を心から感謝しています。この「回転資金」の運営をしているのが「回転資金委員会」です。祈りの課題は以下です。①回転資金活用の願いに寄り添えるように。②教会施設を必要とする群れに、協力伝道の共助が届くように。 委員長・F・Sさん(浦和教会員)
5/27 使徒言行録22章6-29節 「『証し』を語る恵み、聞く恵み」
「パウロ、自分の回心を話す」と新共同訳では小見出しがついています。教会では「証し」(あかし)ということがよくなされます。自分の体験談を語るのですが、目的は「主をほめたたえること」。その点、通常の体験談と異なります。色々な人が信仰へ導かれた話や、キリスト者になって、様々なことが起こりますが、その時、どう祈ったとか、祈られたとか、主が御言葉を通して語ってくださったこと等を分かち合うのです。これらの話を聞くと本当に豊かで嬉しくなります。また、ユダヤ以外の異邦の地で宣教することはパウロ自身の体験では「無理」と感じたのですが、かつてキリスト者を迫害した者が、全く反対の道へと導くのは人知や常識を超えた主なる神さまの業なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> バプテスト連盟北関東地方連合。バプテスト連盟に加盟している教会は全国に315教会くらいあります。そして13の地方連合が地域のつながりとして形成されています。日本バプテスト連盟と各地方連合は上下関係ではなく、それぞれ独立・自治されています。「北関東地方連合」は私ら所沢キリスト教会も加盟しております。20教会と1伝道所で構成されています。ちなみに北関東地方連合の副会長を所沢教会牧師の坂本牧師が、連合壮年会会長には大場さんが就任しています。連合としての交わりは強く、特に年2回行われる「牧師・主事研修会」には都合の悪い方を除いてほとんどの牧師・主事が参加しています。通常は一泊で行うのですが、コロナ危機においてはリモートで時間を短縮して行われています。祈りの課題は以下です。①コロナ危機の中、諸教会の働きが守られますように。②連合総会を終えて、新年度の連合の働きが導かれますように。会長:森 淳一氏(高崎バプテスト教会牧師)
5/26 使徒言行録18章1-11節 「クリスチャンが生まれる幸い」
コリントでパウロはテント職人もしていました。このテント(「幕屋」とも表記される)はキャンプでおなじみの三角の小さいものではなく、つなげて大きい施設にするのです。そして安息日(土曜)にはユダヤ人会堂でキリストを宣教しますが、多くの反発を受けます。「でも」、反発がすべてではありません。会堂の隣の住民や、会堂管理運営者家族がキリスト者になり、多くの人々も続きます。今、日本でクリスチャンになる人は、日本バプテスト連盟加盟の1教会平均でいえば年1名位と困難な時代。すごく大変です。このままでは20年を待たずに多くの教会が消滅するのではという危機も覚えます。すごくインスタントに、あるいは強い姿勢で伝道すればクリスチャンになる方増えるかもしれませんが、私共は個人が決断すること、ただしく理解することを大事にしています。その中で「この町にわたしの民が大勢いる」との言葉に期待し宣教を続けるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 富士吉田バプテスト教会。静岡県富士吉田市上吉田5-5-15にあります。富士吉田市は富士山の裾野にあり、「湧水」や「吉田うどん」「富士急ハイランド」等が有名です。富士吉田教会のすぐ近くは富士山神社(?)の参道になっているようです。この教会も広い敷地を持ち、他教会の方々等が宿泊できるような準備もあります。現在、割と若い牧師夫妻がお働きをされています。祈りの課題は以下です。①心をつなぐ礼拝が捧げられるように。②主にある希望を持てるように。③福音が地域に伝えられるように。牧師・宮西 宏明、宮西 千晴
5/25 エフェソ書5章15-20節 「互いに喜び、歌いつつ歩む」
15節の「愚かな者」、岩波訳の「知恵なき者のようにではなく…」が良い。「知恵」は漢字の如く「恵みを知る者」の故。「時」、一瞬に過ぎ去る時、戻ることのできない時。主の恵みを知り、喜び生きる「時」の積み重ねを願いたいですね。19節の「語り合い、歌いなさい」と招く「詩編」は「詩編」の言葉に音楽がついたユダヤ教伝統歌が継承されているもの。「賛歌」は「ヒュムノス」で「頌栄」(三位一体の主を讃美)が原意です。当時の讃美歌ですね。「霊的な歌」は広い信仰的な歌とされます。参考として「聖歌」(1969年版)では大きくこの三部から構成されています。「語り合う」は主にある相互の横の交わり、そして縦の交わりとして心から主に向かい讃美するのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 三島バプテスト教会。静岡県三島市掛倉4-34-9にあります。三島は日本バプテスト連盟の研修施設である「天城山荘」に行く時に乗り換えするのですが。残念ながら「三島教会」は行ったことがないのです。三島は水が清らかで、その水で育った(?)うなぎが有名。三島駅の隣駅の「三島広小路」という駅のすぐそばに「うなぎ屋」があり、いつも良い香りがするのです。あるとき、立ち寄って頂きました。美味しかったですよ。さて、戻して、三島教会の祈りの課題は以下です。「ゴスペル」を歌うクラスもあるようです。すばらしい! ①遠方の方々の送迎体制の整備。②新来者・他行会員と共なる礼拝。③若者、ゴスペルメンバーへの伝道。牧師・本多
英一郎
5/24 イザヤ書61章 「打ち砕かれた心を包む方」
イザヤ書61章は新約との関わりで大事な箇所。いつも言いますが、この箇所から主イエスが会堂で最初の説教をしました(ルカ4章)。その後の人々の反響は「イエスに驚きほめた」、から後に「人々は憤慨した」とあります。実は「ほめた」と「怒った」は原語が似ていて「怒った」が文脈としてつながります。それは主イエスが「報復の日」を語らなかったことと、人々の信仰姿勢を批判したゆえです。しかしこの箇所こそ主イエスの宣教とメシア性を正しく語ります。また「暗い心に代えて賛美の衣」や「恵みの晴れ着」等の希望の言葉に喜びが生まれます。主が来られるところ、主が来られる心に嘆きは喜びに変わる。ああ、主よ、今日も主が伴いくださいますように。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト静岡キリスト教会。静岡市葵区安東2-12-39にあります。駿府城の近くで文教地区、静かなたたずまいの中にあります。広大な敷地がありますが、かつては附属幼稚園がありました。幼稚園はなくなっても教会は礼拝をしておりますので、お気軽にお訪ねください。昨年度まで原田攝生牧師が就任されていましたが、今年度から松坂克世牧師が就任しています。松坂牧師はいつも思うのはある芸人さんにそっくりだということです。皆さんも一度会えばすぐにわかると思います。祈りの課題は以下です。①年度主題に沿った活動の祝福。②新しく迎えた牧師との宣教の祝福。③日々主を神として仰ぐ生活の祝福。牧師・松坂
克世
5/23 使徒言行録16章6-15節 「この幻を見るまえに」
「マケドニア」は聖書巻末の「パウロのローマへの旅」と題されている地図にあります。今でも有名ですが、幾度も破壊や創造を繰り返した町。この箇所には聖霊やイエスの霊がその計画を許さず、別の計画をたてたことが記されています。もちろん主ご自身の語り掛けもありましょうが、他の理由(政治・気象・人々の反対等)で計画通りに進めなくなったのでしょう。私どももそのように、予定を変えなくてはいけないことが生じます。でも、「予定は絶対」ではありませんし、「予定」を守るために、もしかしたら大事なことを見失っていることがあります。その時、状況を見定めたり、情報を集めたり、立ち止まって人と神の声を聴く。その時、それまで聞けなかった人間の「叫び」が聞こえるかも。「計画」は変更してよいのです。それが命に直結するならば特に。オリンピックも考えるべきというか、「やる」と言う以上は準備をすすめるので、早い決断が必要だと思います。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 清水キリスト教会。静岡市清水区矢坂西町15-6にあります。「清水」といえばお魚がおいしい、漁港をすぐに思い浮かべる私ですが、清水区って広いですね。祈りの課題は以下です。①コロナ収束、礼拝後集会活動回復、介護施設訪問、地域交流回復。②教会会計が満たされるように。牧師・石渡
修司
5/22 使徒言行録16章1-5節 「いろんな人がいろいろ用いられて」
テモテは二十歳の頃、パウロの第二回伝道旅行で同行者として選ばれました。父はギリシヤ人、母はユダヤ人で、祖母ロイス、母ユニケより信仰を受け、幼い時から聖書教育を受けました。そして教会の指導者になりますが、「まだ若くて使いもんにならん」とか言われますし、パウロからは「おめーも30過ぎでいい大人だろ、もっと進歩、成長せよ」と言われます。肉体的にも精神的にも弱さを抱えていたようです。一方で、パウロはどこから見ても「この人は凄い」と思わせられます。でも教会は、いろんな人がいろいろ用いられていくのです。こんな私だけど、信徒の方々や仲間に支えられて、今を迎えています。それは唯、主の恵み。明日はペンテコステ礼拝です。例年なら「聖歌隊」による讃美歌演奏等がありますが、コロナのためにささやかに。ペンテコステについては下記にしるします。
「 ペンテコステ ~教会の生まれた日 」
◆明日はキリスト教三大祭り(礼拝)の一つであるペンテコステ(聖霊降臨日)です。ペン
テコステとはギリシャ語で50日目を示し、主イエスが復活されてから50日目(7週×7
の翌日)です。 ▲ 旧約聖書では出エジプトの時、エジプトで小羊の血を鴨居に塗っていた家には「災い」が通り過ぎます(この伝統がシルクロードから中国、そして日本へ伝わり「鳥
居」になったという説あり)。 ▲ その後、エジプトでの厳しい生活から脱出した民は50日目にモーセを通してシナイ山で「十戒」が与えられた日として覚えてきました。
▲ 新約の時代になり、主イエスが十 字架で血を流して殺されたのが「過越しの祭り」の時と重なり、そこで神の小羊、主イエスの死による「人間の罪の贖い」がなされたという理解が生まれます。▲
そしてイエスの「よみがえり・復活」から50日目にイエスの弟子たち、イエスに従ってきた女性たち、イエスの家族がエルサレムのある家の二階(アパ・ルーム)に集まり、心を一つにして祈っている人々が「聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した」とあるように、キリストの言葉、キリストの業を語り出す群れ、「教会」が誕生したのです。その有様を聖書は生き生きと語っています。
▲ 聖霊は「神の息」、「神の風」の意味であり、例えば、笛に息が注がれる時に、その音を響かせるように、神の命の息が人間に吹きこまれるのがペンテコステであり、聖霊は「イエスは主である」という信仰告白を人間に与え、人間はその見えない風に動かされ、歩み出す力が与えられます。
▲ 隠れ、閉ざされていた弟子たちが、世界に向かって、意味不明の言葉ではなく、和解の言葉、赦しの言葉を国や民族の違いを超えて語りだしたのです。
▲ その日からキリスト教会はイエス・キリストの言葉を大事にし、言葉を生きる教会としての歩みが始 まりました。 ▲ 聖霊は、主イエスの言葉を想起させ、我らと共にうめき、伴い、万事を益となるように共に働く方であり、その命に私共も生かされ、教会をたてていくのです。(献)
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 川根バプテスト教会。浜松市中区市橋2-1-9にあります。かわね学園さゆり幼稚園の母体でもあります。祈りの課題は以下です。①半世紀にわたり地域に仕えてきた「さゆり幼稚園」(現園児2名)がその使命を最後まで果たせるように。②自然豊かな山の中にある幼稚園で生活する園児たちが畏敬の念を持って成長するように。③牧師と園長と保育者のために。牧師・松下 正巳
5/21 使徒言行録15章36-42節 「過ちや失敗も主の導きの中で変わるよ」
37節の「マルコと呼ばれるヨハネ」はバルナバのいとこであり、父親は早く亡くなりました。使徒言行録13章でパウロの伝道旅行に同行。しかし、急にエルサレムに帰ったのでパウロは怒り心頭。それがあっての今日の話。パウロは「あの若造はだめだ」と別行動をとることにします。でもこういう話ってすごく共感します。「あの人に何を任せられようか」と言われたこともあるし、自分でも自己嫌悪に陥ることがあります。パウロさんやバルナバさんほど私なぞ立派ではありません。でもね、それでいいの。失敗し、時に叱られ、こっぴどく言われ、でもそこで自分自身を育てることもできますし、できない人もいますね。あなたはどちら?。後にパウロはⅡテモテ4章11節で「わたしの務めをよく助けてくれたマルコ」と語るのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 浜松バプテスト教会。静岡県浜松市中区布橋2-1-9にあります。浜松といえば、楽器製造が盛んなところだし、楽器メーカーの職員等で構成される楽団もすばらしいところがあります。でも浜松はいつも通過点で、この町もいつか行きたい。行きたいところいっぱいあります。祈りの課題は以下です。①み言葉に応答するキリストの教会へ! ②一人ひとりの信仰にパラダイムシフトを! ③聖霊により、救われる魂を! 牧師・伊藤 勝彦
5/20 ルカ福音書24章36-49節 「心に目はあるのでしょうか」
エマオに向かった主イエス弟子二人が急いでエルサレムの二階家に戻ります。そして主もその場所に伴い、食事をし、弟子たちに語りかけられます。イースターからペンテコステの期間に、このように何度もよみがえりの主は姿を現してくださいました。そして、主イエスの歩みが旧約聖書に記されていることを語り、それを理解する「心の目」を開かせたのです。それは31節に「二人の目が開け」と同じ意味です。「心の目」。「星の王子様」はいつも引用するので、別の言葉で考えてみます。「打算や欲で物事を見ることでなく、心を澄まし、真理を受け入れる心、肉眼には見えないその背後にある真理を大事にする心」でしょうか。あなたは「心の目」を自分の言葉でどう表現しますか。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 金沢キリスト教会。金沢市笠舞2-6-5にあります。一時期、幼稚園も「やめようか」という時代もありましたが。前任の田口牧師が「金沢めぐみ幼稚園」をとてもすばらしい幼稚園にしていきました。さらに、古かった礼拝堂も新たにされ、そして昨年より若い杉山望牧師が就任いたしました。杉山望牧師は当教会の出身牧師です。所沢中学も通っていました。野球少年で「しゃべらない」人といわれていたそうですが、そのような人は心の中に深く「言葉をたくわえていく」のです。私も子どもの頃は「しゃべらない子」でした。話を戻して、金沢はやっぱりお魚ですね。金沢に美味しいお魚食べにいきたいです。コロナも早く収束を祈ります。祈りの課題は以下です。①神の国を指し示す教会となるように。②幼稚園の働きが祝福されるように。③福井教会の復興のために。牧師:杉山 望
5/19 ローマ書8章1-11節 「キリストがあなたに宿り給う」
パウロは「肉」と「霊」との対比を語ることがあります。「肉」は(限界がある)人間の常識、考え、哲学、倫理等。「霊」は(創り主であり、人を救いへと導き給う)神の思い、願い、意思、決意です。8節の「肉の思いは死」は「?」と感じるかも。これは「人間は他者を殺すことによって自ら生きようとする」と私なら言い換えます。「殺される」のは故赤木氏であり、ミャンマー市民であり、少数民族等、強いと思い込んでいる愚か者が弱者を「殺す」のです。でも「霊」である「神」の思いは「命と平和(に生きることへの導き)」です。キリストは罪がないのに殺された。でも「命と平和」の主は死に打ち勝ち、よみがえり、私どもの内に霊として共に生きてくださるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 富山小泉町キリスト教会。富山市堀川小泉町68にあります。この教会は私が大学生の頃、訪れたことがあり、それ以降もいろいろな関わりがあります。昔から存じ上げている方もおられますし、私が神戸時代にクリスチャンになって結婚された方の結婚式をこの富山小泉町教会で司式させていただきました。富山にすてきな電車もあって、いつかまた乗りたいなと思っております。富山の名産は「ます寿司」ですね。間に「ます」がサンドイッチされていたらいいのに、といつも思っております。祈りの課題は以下です。①高齢者の健康が守られるように。②新執事の働きが祝福されるように。③コロナ危機下での伝道のために。牧師・閔 丙俊
5/18 ヨハネ福音書20章19-23節 「赦すことだけが平和を造り出す」
主イエス復活日の夕方、主は恐れ隠れていた弟子達の家に入ります。先日も記しましたが、弟子達はイエスを裏切ったので、恐れと喜びのパニック。捨てた自分の大事な人が登場したら大変ですよね。主は裏切った弟子達を叱りません。むしろ、主の福音=平和の福音を伝える使命を与え、「聖霊を受けなさい」と語ります。これは「神の愛と恵みによって生き、福音を伝える使者となれ」とのことです。その中での大きな働きは「赦し」の働きです。世界で起こる対立、争い、事件。その中で「赦し」こそが世界を正しく導き、平和を造り出す基礎になります。「赦さなければ、そのまま」。でも弟子達は主に赦されて生きる。その者は「赦す」道しか選び取れるはずはありません。今日はN・Yさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 福井キリスト教会。福井市町屋3-20-1にあります。この教会は1958年からの歩みを数えますが、特にここ10年程、集う人が減少してきました。もちろん、人が減ったらいけない、ということではありません。いろいろな要因があり、誰が悪いかと捜す必要もありません。ただひとつのことは、教会を構成する教会員が、その時の教会を喜び、状況を受けとめ、感謝をもって礼拝や学びが続けられていたか、ということにもなります。さて、この福井教会は数年、無牧師の状況が続いていましたが、昨年より平良憲誠牧師が就任されて、新たな教会づくりが始まっています。ぜひ、福井市やその近郊にいらっしゃる方、ぜひ、新たにされているこの教会に参与してください!祈りの課題は以下です。①全戸支援・地域協働プロジェクトの応募採用。②子どもと一緒の礼拝づくり。③バプテスマが与えられますように。牧師・平良 憲誠
5/17 ヨハネ福音書3章1-21節 「今、主の風が吹いている」
ヨハネ福音書は理解が難しいことがあります。ニコデモ議員は律法を厳格に守っていきている人、しかし、「何か足らない、救いの喜びがない」ことを感じていたのです。主イエスに関心を持ち、夜にこそっと主イエスに尋ねます。「どうしたら自らの救いを喜び確信できるのだろうか」と。しかし、主の「新しく生まれなければ」との言葉にがっかり。主は風(=聖霊、神の働き)の話をしつつ、救いは自分の努力じゃないよ。風はどこへ行くのかもわからない。 神の働きも 次はだれに、この天からの命が与えられるか、まるでわからない、しかし「独り子である神(=イエス)が今ここで証言しているゆえにその言葉を受け入れよ」とのことです。まさに見える風「主イエス」に聞くことであり、そこに救いがあります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 豊田伝道所。1997年11月に設立されましたが、現在活動休止中です。祈りの課題は以下。集会所の準備のための奉仕者を必要としています。牧師・後藤 寿(母教会牧師)
5/16 使徒言行録15章1-21節 「ただ主イエスの恵みにより」
キリスト教会はユダヤ教会と異なり、異邦(海外)伝道が最初から行われています。根拠は主イエスが積極的に異邦の地を訪ね歩んだ態度や、マタイ28章の「宣教命令」、ペンテコステの記述等にあります。ところが、ユダヤ教から改宗した人が異邦人キリスト者にもユダヤ律法を守ることを要求し、異邦人キリスト教会に混乱を与えます。律法問題の解決のためにエルサレム教会へパウロや異邦人信者が向かいます。「フェニキアとサマリア地方を通った」との歩みに主イエスの歩んだ道が重なります。教会会議が開催され、パウロの話に説得力がありました。律法について「先祖もわたしたちも守れなかったこと」。まさに律法は救いの道ではなく、裁きの道具になっていたのです。律法が救いなら主イエスはこの世に来られる必要はありませんでした。今日はN・Mさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 各務原バプテスト教会。(かかみがはら・岐阜県)。この地はトヨタ自動車関連の工場が多く、ブラジルなどからやってきた労働者が多く、その方々の中から生れていった教会です。でも産業でいろいろな変化がありますので心配いたします。祈りの課題は以下です。①多言語共生教会の主にある一致。②オンラインによる伝道集会のために。③礼拝における主に向かった讃美。牧師・後藤
寿
5/15 使徒言行録15章22-35節 「共に歩むために」
順番で言えば、明日の箇所の後の話です。エルサレム教会は主イエスの直接の弟子等が活動し、「本山」的な場所です(もちろん「本山」とは考えていません)。割礼問題も一区切りし、異邦伝道における理解を確認して決議を伝えるために、エルサレム教会から二人が選任されました。内容には「偶像にささげられたものを食べない」等ありました。当時の地中海沿岸諸国には多くの神殿があり、神殿に捧げられた肉等が「神殿ブランド」で販売されていました(なので神殿は大変に利益を受けていた)。32節に「預言する者であった」との「預言」は今でいえば説教等をしたことです。他宗教との関わりについて言えば、現代では互いに忌み嫌うのではなく、敵と見なすのではなく、対話し理解する関係性が主の心と信じています。神社に行こうが、神社の饅頭を食べようが、そこで礼拝することはありませんがキリスト信仰は常にどんな相手であれ、敬い、真剣に心開く態度です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 岐阜バプテスト教会。岐阜県岐阜市西駒爪町21にあります。この教会では今年3月まで宇都宮牧師が就任されていました。歯医者になるための勉強をし、その大学にも行かれていましたが、キリスト教と出会い、牧師となる道へと導かれた先生です。多分、一年内にはどちらかの教会の牧師に就任されると思います。祈りの課題は以下です。「バプテストとして立つ」。
5/14 使徒言行録14章10-28節 「出会いと歩みを共に喜ぶ教会」
パウロ達の伝道旅行の描写。リストラの町でパウロは石を投げられ気絶したこともありました。そして、来た道を戻りつつ、各地で生まれたキリスト者や教会を訪ね、助言し祈るひと時は、パウロ達も、生まれたばかりの教会にも嬉しいことでした。そして「彼らをその信ずる主に任せた」。ずっと一緒に居れるわけではありません。互いに心配もあります。でも主イエスが共におられる限りは大丈夫!主がそれぞれを導かれるのです。出発地点であったアンティオキアに戻った時、皆の喜びは如何ほどだったでしょう。「この町でこんなことがあり、あの町でこんな人がクリスチャンになった」との話は本当に嬉しいものです。喜びの証しは伝道の最初から教会に響いていました。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 豊橋キリスト教会。愛知県豊橋市向山東町4-1にあります。「豊橋」はいつも通過地点で通り過ぎます。豊橋といえば「ナザレうどん」と言われます。この珍しい名前は聖書に出てくる地名からとられています。ぜひ愛知県の皆さんの方、ご賞味ください(コロナが終息してからですよ)。祈りの課題は以下です。①コロナ禍の地域の守りと平安。②教会員と家族、求道者の健康。③東三河地区での福音宣教のために。牧師:小林大記
5/13 ローマ書15章1-13節 「異なる者が共に主に招かれて」
3節は解り辛いです。括弧内は詩編69編10節後半の引用ですが、リビングバイブルでは「キリストも、自分を喜ばせようとはなさいませんでした。 『彼が来られたのは、実に、敵対する者たちの侮辱を受けて苦しむためであった』と、詩篇の作者が言っているとおりです」。1節でパウロは「強い人」という言葉を使っていますが、「強い人」「弱い人」、どちらにもパウロは自己を見て表現します。大事なのは強きも弱きも「互いに担い合い、心を合わせること」です。その根拠は、主は人を差別しない、異なる者が主に招かれていること。ユダヤ人も異邦人も、強かろうが弱かろうが、すべて神の招きの中にあり、喜びと平和へ導かれるのです。「異邦人」という言葉が聖書によく登場しますが、1979年、「異邦人」という歌をうたって大ヒットした久保田早紀さんをウィキでみると、「久米 小百合(くめ さゆり、旧姓:久保田、1958年5月11日 )は、日本の歌手、シンガーソングライター、キリスト教音楽家、日本バプテスト連盟加盟教会の教会員である。東京バプテスト神学校神学科修了1979年から1984年までは久保田 早紀(くぼた さき)として活動していた。」とあります。数年前には「所沢市民クリスマス」でのゲストとしてお招きしたことがあります。はい、これはついでの情報でした。今日はH・Iさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト名古屋キリスト教会。名古屋市千種区今池1-6-25にあります。かつては附属幼稚園も運営していました。もう何十年も行っていませんが、古くからの「コロニアルスタイル」の会堂です。しかし老朽化も進み、新しい教会堂をビジョンとして祈っておられるようです。祈りの課題は以下です。①病気の方の体と心が守られるように。②決心者が起こされるように。③教会建築のビジョンが共有できるように。牧師・白石 久幸、協力牧師・池田 巍義、伝道師・西久保 健二
5/12 アモス書9章7-15節 「異邦人の救いの約束」
アモスは「重荷を負う者」という意味で紀元前7世紀の北王国ヤロブアム王時代の預言者。ベツレヘムの南東の町テコアで牧者といちじく桑を栽培していました。この時代の北王国は物質的な繁栄を誇り、主に仕えることがないがしろにされていました。そこで「主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇き」が民自身を滅ぼしていくことを語り(8章11節)、人々をふるいにかける(9章9節)との言葉によって人々が主の前に悔い改めへと導こうとします。そして神と人、人と人の命の回復と復興を希望として語るのです。12節の「エドムの生き残り」、これは「エドム」がイスラエルのライバルである民族であり、異邦人との意味であり、使徒15章16節以下で引用されています。旧約聖書を新約聖書で引用されている場合、少し違うなぁと思われるでしょう。旧約聖書はへブル語で記され、現在の聖書はへブル語から日本語に訳されています。新約聖書で旧約聖書が引用される時は、当時の旧約聖書ギリシャ語訳(70人訳とも呼ばれます)を引用しており、そのギリシャ語から日本語に訳されているのでほぼ意味は同じですが、少し違った印象をもつのです。「翻訳」は常に限界があります。今日はY・Hさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東山キリスト教会。名古屋市千種区穂波町2-50にあります。親しい鈴木牧師が就任されています。地下鉄駅からもとても近い教会です。鈴木牧師は以前は福岡市の早良教会の牧師でした。とっても真面目な方です。フェイスブックにも「聖書のおはなし」を記されています。祈りの課題は以下です。①日々礼拝を捧げられる恵みに感謝。②伝道開始60周年に向けての準備。③コロナ収束と被災地の回復・復興。牧師・鈴木 直哉
5/11 使徒言行録13章13-52節 「新たな革袋を用意せよ」
アンティオキアでのパウロの伝道。パウロの異邦(海外)伝道はまず、各地のユダヤ人会堂を足掛かりとしました。最初の対象がユダヤ人なので、旧約聖書の歴史から主イエスの死と復活、救いへと話をします。パウロが語る「福音」に多くの人々が感銘を受け、噂が広まり、ユダヤ系でない人々も多く集まります。しかし一方で新たな福音に対し、古い律法に生きる人々は、心を開かず、恐れや不安、妬み、過去への執着から、パウロ達を「口汚くののしり」反対し、迫害し、追い出すのです。新たな時代、変化に対して心開かない人々の存在は常にあります。「それまでの考えやシステムが人間の尊厳や自由を奪ってきた」ならば、そのことを見つめ、自らを改めるべきなのです。なお、地名がでてきた時、聖書の巻末に地図が載っていますのでそれを見たら「なるほど」と思います。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 平針キリスト教会。名古屋市天白区向が丘1-617にあります。この教会の牧師は以前は関西の教会で歩まれ、現在はこの教会です。日本バプテスト連盟関係のいろいろな集会によく参加されておられる姿が印象的でした。祈りの課題は以下です。①キリストの体としての歩みのために。②礼拝両輪(来会・自宅)のために。③地域に根ざした福音宣教のために。牧師・谷綛 安雄
5/10 ガラテヤ書2章1-10節 「真理を曲げる世界」
ガラテヤ教会はパウロが伝道して始まった教会。後にユダヤ主義キリスト者が入り、パウロの使徒職に異議を唱え、パウロの宣べ伝えた信仰義認の教理を非難し、律法を守ることが救いを得るために必要だと教え、教会に混乱が生じました。現状を知ったパウロが悲しみと怒りをもって記した手紙です。パウロは律法を守る義務はないと確認された議論の経過を提示します。決議が崩され、真実が嘘に換えられる。成人の社会では起こり得てはならないこと。しかし今もそれが繰り返されます。森友事件で「赤木ファイル」の存在を政府側が認めたとのニュースが流れました。特定の人間の利益のために、どれほどの命や尊厳が奪われてきたのでしょうか。怒りと悲しみを覚える日。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 瑞穂キリスト教会。名古屋市瑞穂区大富町1-13-3にあります。この教会はもう30数年前に訪れたことがあります。今は新しい教会堂になっています。教会から少し歩くとけっこうな繁華街があり、そこで名古屋名物「きしめん」を食べました。「名古屋メシ」でまだ食べていないのが「台湾ラーメン」です。それはさておき、この教会の秋山牧師は北関東で育った方です。ご兄弟も牧師をされていますが(お父様もですが)、いつもどっちが兄かどっちが弟かわからなくなります。今だに見分けがつけずごめんなさい。祈りの課題は以下です。「福井教会」はその歴史の中で信徒が減り、建物も老朽化し、今後のことをが心配されていましたが、昨年より新たに牧師が就任しています。この福井教会との交流やお手伝いをするのが「GoTo福井教会キャンペーン」です。①「GoTo福井教会キャンペーン」や子育て世代レクチームなど、できる伝道と出会いを楽しめるように。牧師・秋山 義也
5/9 使徒言行録11章19-26節 「キリスト者と呼ばれて」
キリスト教会がユダヤ内外で迫害を受けますが、そのことがより世界伝道へと結ばれていきます。その状況を受けて現地調査としてバルナバがアンティオキアに派遣されます。アンティオキアは地中海に面する現在のトルコ領です。そしてこの地でサウロ(=パウロ)と共に伝道や教会形成を行ったのです。そしてキリスト教を信仰する者達は「クリスチャン(=キリスト者=切支丹)と区別され社会で認識されたのです。紀元一世紀の教会は、海外に伝道する群れであり、伝道は同時に海外の状況を聞いて祈りと共に支援する集まりであったのです。アガボはエルサレム教会員でその預言はクラウディウスの時代(紀元46年前後)に的中。使徒言行録21章にも登場しています。
今日は5月第2日曜で母の日です。母の日は教会で始まったので、その由来を少し。▲米国、ヴァージニア州のある教会で長い間、教会学校で教えておられたジャービスという婦人がいました。▲ある日曜、教会学校の子どもたちに「あなたの父と母を敬え」いう聖書の言葉を教えた後、「お母さんの愛に心から感謝する方法を考えてくだい」と勧めました。その時、ジャービスさんの娘、アンナはお母さんの話を感慨深く聞いていました。▲それからしばらくして、ジャービスさんは天に召されます。アンナはお母さんが好きだったカーネーションをたくさん飾ってお母さんを偲んだのです。このことが列席者一同に感銘を与え、その話に心を動かされたジョン・ワナメーカー(有名な百貨店王)が1908年5月の第二日曜に、母親に感謝する会を、カーネーションを飾って盛大に行ったのです。▲アンナ自身は商売に利用されるのを嫌い、その後、当時のウィルソン大統領に「母性をたえる日」提唱、1914年に「母の日」が制定されました。▲母の日、自分の親のことを思い起す時でもあり、その思い出の中には嬉しい記憶もあれば、嫌だった記憶もあるかもしれません。時に多くの反発を抱き、時に受け入れがたい思いや恨みさえも沸き起こった日もあったことでしょう。▲しかし、あなたを産んで育ててくれた、神様が下さった世界で唯一人の存在。その姿を思い浮かべながら、母親として、喜び、悲しみ、苦労し、時代を生きた一人の人間として、強さと弱さをもつその生き様を覚え、感謝の思いを持つことができれば何と幸いなことでしょう。▲「春は軒の雨、秋は庭の露、母はなみだ乾く間なく、祈ると知らずや(祈っていたことを知ますか)」(1954年版「讃美歌」510番)。
当教会では本年度より「母の日」「父の日」+αで、教会の家族、神さまにあって兄弟姉妹とされている私たちと考え5月第2日曜は「ファミリーデー」としてそれぞれを喜び感謝し、共に幸いを主に祈る日としています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 南名古屋キリスト教会。名古屋市南区戸部町4-5-1にあります。この教会の牧師は2名おられますが、親子の関係で親子牧師です。割りと若い方が多い教会という印象を持っていましたが今はどうでしょう。高平牧師は音楽等にも堪能でエネルギッシュな方です。むかーし、少年少女大会等でお見受けしました。祈りの課題は以下です。①教会派遣宣教師の働きの祝福。②コロナ禍の礼拝の祝福。③決心者のバプテスマ実現6名。牧師・山川
明美、山川 高平
5/8 使徒言行録11章1-18節 「新しい風が吹いているのに」
初代教会の宣教がユダヤ以外に広まる時の問題が「律法」です。本来は主イエス自身が新たな律法ですが、弟子達や、律法の中で生きてきた人々の誤った「常識」では依然ユダヤ教の範囲であり、主イエス前の理解である「異邦人はユダヤ人と同じ律法を守らなければ救われない」と意識してました。ペトロが異邦伝道を行いましたが律法を強制していないことで問題となり、ペトロは自らの見た幻と見解を示します。そして救いはすべての人に与えられるとの言葉にエルサレム教会も主を讃美しますが、この問題は後にも何度も発生します。人は自分が行ってきたことを人にもさせたいのです。でもそれは古い愚かな考え。「昔はこうだった」等の(自分だけ)常識の押し付けは今や世界の禁句。「昔はこうだった」「私の時はこうだった」と言いながら、新たな考えを否定する場合がありますが、「常識」は常に変わっていることを覚えなければいけません。変化の多い時代への対応が求められますし、その根底には「個人のそれぞれの人格や思想を大事にする」思いがあります。そして、「変化しない」原則もあることも押さえる必要があります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 愛知新生キリスト教会。愛知県春日井市豊山町青山東栄204にあります。しばらく専任牧師がいなかったのですが、今は新たな牧師が就任したようです。祈りの課題は以下です。①キリストを頭とする教会形成。②礼拝説教ユーチューブ配信。③新型コロナウイルスの終息。牧師:吉村 和子
5/7 ヨハネ福音書7章32-39節 「誤解する私共の心」
ファリサイ派とは厳格的原理的な律法主義者でその態度を主イエスは度々批判しています。彼らと宗教的政治的指導者達が結束してイエス逮捕のため下役を遣わした話。ここは主イエスの言葉が理解されず、誤解していることを伝えています。主が「私を捜しても見つからない…」とはご自身が天に昇ることを語ったのですが、下役達はユダヤを離れると考え、国外逃亡する前に早く何とかしなくてはと考えたのでしょう。その「誤解」、それはこの時だけではなく、主イエスの宣教すべてに対して誤解し、真理を見出さず、この世から追い出してしまう人間の姿を描いているのです。「誤解」は人間関係にもつきもの、私共は常に「誤解」する危険を持つ者と承知したいものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト四日市教会。日本バプテスト連盟に加盟する教会で、一県一教会というところがいくつかありますが、三重県で日本バプテスト連盟に加盟する唯一の教会です。四日市市野田1丁目1-27にあります。三重県は多分、私も行ったことがないと思います。「鈴鹿サーキット」があるので、いつかは行きたいなぁと思っています。この教会の加藤牧師は法学部出身で頭の良い方。いつも大汗をかきながら何事も真剣に取り組んでいる姿を印象的に覚えております。祈りの課題は以下です。①感染対策をしつつの礼拝継続。②2021年度の計画・活動のために。③助けを求めて来られる方々のために。牧師:加藤 英治
5/6 Ⅰペトロ書4章12-19節 「信仰が歩みを整えるように」
主イエスの弟子、ペトロ著とされる二つの手紙が残っています。苦難の時にも主が伴ってくださること、身を慎み、善い行いをすることの勧めがよく見られます。潔く正しい行動と言われると「信仰は行動によって救われることじゃないでしょ」と言いたくなりますが、ペトロ自身、行動が伴わなかったことを顧みての言葉なのです。15節等を見ますと良くない行動として「人殺し、泥棒…」等とあり、紀元1年の世界状況はかなりすさんでいたことも想像できます。そのような実例があったからこそ記しているのです。また、苦しみについての言及もまた、最後は逆さ十字架に架けられたペトロの歩みが背景にあることも覚えます。今日はM・SさんとM・Kさんのお誕生日おめでとうございます。昨年に教会で成人のお祝いをした方々です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> びわこシャロームチャペル。滋賀県守山町ふけ町300-15-5-131にあります。この教会の桶田牧師は、西南学院大学神学部に同期で入学した方ですが、その時、私は20代、桶田さんは40~50才だったように感じるのですが、いつまでも若く活発な先生です。神学生の時代、いつも讃美歌を歌いつつ歩き、学生の早天祈祷会や夜の祈祷会などを自主的にされていました。祈りの課題は以下です。①「主イエスキリスト以外に救いがない」ことを滋賀県内にふれまわっています。御祷援ください。牧師:桶田 紀夫
5/5 使徒言行録9章26-31節 「信徒の働きによって」
「バルナバ」は「慰めの子」という意味。その名の初出は使徒言行録六章で、初代キリスト教会の最初の「執事」として選出されました。バルナバは一信徒ですが、11章で「立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた」と紹介される人。時にパウロの弁護者として、時に他の教会に遣わされる代表として、パウロは同労者として何度も感謝をもって記しています。また、時にはパウロと対立することもありました。ここにおいて初代教会で多くの信徒が活躍したことが想像できますし、牧師・伝道者の減少が言われていますが、同時に教会を支える信徒の働きも重要なのです。牧師は信徒がいなければ成り立たないし、同労者、協働者である信徒。所沢教会にもたくさんおられることを感謝しています。時折、信徒と牧師を対立的に考えたりする人がいます。牧師はその働きを教会が委託して、牧師となりますし、一般的な言葉で言えば、教会が雇用している職員となります。いずれにしても、牧師と信徒の関係では上下関係はなく、信徒から選出された役員と様々なことを考え決議します。牧師も信徒も何より共通のビジョンを持つ仲間です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 須磨伝道所(ユース・ハーベスト・チャーチ)。神戸市須磨区妙法寺トン松4-20にあります。この伝道所(教会)は神戸で1997年(平成9年)に神戸市須磨区で発生した当時14歳の中学生による連続殺傷事件、「神戸連続児童殺傷事件」の発生にショックを受けた谷口牧師が、若い方々の魂のケア、居場所、成長、主の愛を知って歩むことができるように、と特に若い方々を対象に始まった教会です。ご自身の留学体験もあり、英語を教えつつ、また、青少年への伝道を行っています。もちろん、成人の方々や保護者の方々も参加を歓迎しています。その志を知った時、本当に感動しました。このような専門性のある分野を設定して関わる教会もすこしずつですが増えていますね。祈りの課題は以下です。①教会土地建物無事取得感謝。②地域の小中高生への伝道と教育。③大人の求道者の救い。牧師・谷口 明法
5/4 使徒言行録4章32-37節 「それぞれが持ち寄って」
昨日に引き続き初代教会の様子が記され、改めて「財産の共有」に触れています。このことが「(正しい)共産主義」の発端でありましょう。何よりこの目標は「貧しい者」、つまり今の言葉で言う「貧富の格差解消」が願われていたのです。主イエスに従ってきた人、主イエスが出会った人々の中に社会的・経済的弱者が沢山いましたし、それらの人々と主イエスの出会いを見てきた弟子が具体的な実践として行ったのです。昨日も指摘したように、受ける方はまだ良いのですが、富裕層にとってすべての財産を献げることは厳しいのは当然です。5章での話があるように全てではなく、一部を献げた人がほとんどという気がします。後には「自分が決めた金額を献げる」ことになるのは自然ですし、それが聖書の教えにもかないます。そして、このことは社会から広くお金を集め、皆が教育や医療、社会的サービスを受けることの基盤でもあります。でもお金を集める人や運営団体は運営の透明性や正当性において高い倫理基準が求められます。今日はS・Mさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 新田辺伝道所。京都市京田辺市東古森85-1にありますが、連絡は永藤牧師0774-62-7541までお願いします。祈りの課題は以下です。①京田辺7万人の救いのために。②教会の経済的必要の満たしのために。③聖霊の御臨在が礼拝に満ちるように。牧師・永藤 裕。
5/3 使徒言行録2章37-47節 「初代教会の様子」
ペンテコステに誕生したキリスト教会の様子。3000人がバプテスマを受けたとあります、当然、使徒たちは「主イエスによる救いと主イエスの福音」についてペンテコステまでに共に学んでおります、一日に何度も生まれたてのクリスチャンに礼拝等を通して伝えたでしょう。当時の熱気が伝わってきます。42節に教会が行ったこととして「使徒の教え」、内容は主イエスの福音です。「交わり」はただ交流したと言うよりも、今の教会学校に近い「救いの証し」や「食事を共にする交流」、「パンを裂くこと」は主イエスが最後の晩餐で伝えたことを想起・記念して行いました。「祈ること」。今の教会とほぼ同じですね。また45節にある「財産等の共有」はある意味理想的ですが、後まで続けられなかったようです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大津バプテスト教会。滋賀県大津市木下町9-5にあります。大きなサイズの教会ですが、その中で誰もが忘れられないように小さなグループをつくっているとお聞きしたことがあります。1956年に誕生日した教会です。祈りの課題は以下です。①一人ひとり、地の塩として用いられるように。②互いに相手を気遣うことができるように。牧師・上田益之
4/26-5/2 特別版(聖書箇所と祈りの課題のみ)
今週は牧師休暇に伴う特別版になります。
4月26日(月) 聖書:使徒言行録7章54~8章3節 「教会を荒らす者サウル」
教会の祈り: 病床・施設にある方々を覚えて。 今日の祈り:北海道バプテスト連合。①北海道の地に16の教会が立てられたことを感謝して。②諸教会の主日礼拝が護られるように。 会長:福田
雅祥(函館美原教会牧師)。
4月27日(火) 聖書:使徒言行録22章12~18節 「わたしたちの先祖の神による選び」
今日の祈り:東北バプテスト連合。①震災より10年となる被災地のために。②コロナを見据え福音に生きるために。③互いの違いを喜び分かち合うために。 会長:小田
衛(大富教会牧師)。
4月28日(水) 聖書:使徒言行録26章12~18節「主の証人パウロ」
教会の祈り: O・Kさんのお誕生日おめでとうございます! 今日の祈り:日本バプテスト連盟理事会。①これからの協力伝道のあり方を共に考え、共に担う祈りをさらに深めていく。 理事長:加藤
誠(大井教会牧師)。
4月29日(木) 聖書:ローマ書9章19~24節「憐れみの器として」
教会の祈り: Y・Sさんのお誕生日おめでとうございます。 今日の祈り:連盟派遣宣教師を覚えて ■ 野口日宇満・野口加奈宣教師(インドネシア)、①新型コロナウイルスの感染が収まり、インドネシアに住むすべての方たちに福音が届けられるように。■
嶋田和幸・嶋田薫宣教師(カンボジア)①コロナ危機の中、教会員の健康と生活が」守られるように。②「子どもかた子どもへの伝道」が導かれるように。
4月30日(金) 聖書:Ⅱコリント4章1~7節「福音の光を納めた土の器」
今日の祈り:世界バプテスト連盟(BWA)、アジア太平洋バプテスト連合(APBF)、コーポラティブ・バプテスト・フェローシップ(CBF)各団体のため。
5月 1日(土) 聖書:使徒言行録8章26~40節「手引きしてくれる人がいなければ」
教会の祈り: 北関東地方連合各教会・伝道所を覚えて。 今日の祈り:北白川教会(京都市)。①教会員の健康が守られますように。②教会員の信仰が守られますように。③教会が守られますように。牧師:軍司
康博。
5月 2日(日) 聖書:使徒言行録9章1~19節前半「サウル、サウル」
教会の祈り: M・Yさんのお誕生日おめでとうございます。今日の祈り:北山教会(京都市)。①こどもの安全・教育成長のため。②核と原子力からの脱却のために。③牧師就任式のために。牧師:小櫻
信。
4/25 マタイ福音書18章15-20節 「人と共に教会を立てるために」
信仰とは個人の選び取りであり、内心を誰にも強制されてはいけません。しかし、同時に信仰の歩みには他者が必要です。自分一人の教会はなく、主の交わりと共なる仲間があって教会は教会とされます。ここでは教会や社会でのトラブルに対する処方箋がありますが、「聞き入れない時」のことは他の主の言葉を参照に注意して読むべきです。十八節の「つなぐ」とは「赦すこと、和解すること」であり、「解く」とは「赦さないで関係を切ること」となります。しかし、「切ること」についてはそれが天(=神)とつながっているゆえに簡単勝手ではなく、深く御心に立たなければ、教会がかつて「裁く機能」を有し、「裁き」の中で過ちを犯した歴史を繰り返す危険があります。たとえ二人でも三人でも主を中心とした交わりなのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト京都教会。京都市上京区荒神口通川原町東入亀屋町122-1にあります。川沿いにある教会で、京都にある「日本バプテスト病院」とも深いつながりを目指す教会です。付近にはたくさんの観光スポットがありますので、コロナ終息後に京都教会での礼拝参加を含めた京都ツアーを考えてみてください。祈りの課題は以下です。①み言葉を生きる教会として。②教会の新しいあり方を覚えて。③バプテスト関連施設を覚えて。牧師・李 海勲
4/24 フィリピ書2章1-11節 「人間の行動の根源」
「 キリスト賛歌」を含む大事な箇所。前半では「相互性」、愛、心、思いは一方的ではなく、それが通い合うことです。「わたしの喜びを満たしてほしい」は何かパウロがそれで喜ぶために、ということではなく、パウロもフィリピ教会も互いに喜ぶことになるのです。「利己心」や「虚栄心」ではなく、との言葉に教えられます。人間の行動は常に何かの目標を持ちますが、気づいていないかもしれませんが、その行動によって最終的に自分への利益誘導や、恩を売るようなこと、自慢心、賞賛される期待が隠れていることもあるのです。「相手を自分より優れた者と考える」ことが差別やハラスメントをなくす道です。それらの根拠はただ一つ、主イエスの歩みや言葉に学ぶことです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 京都洛西教会。京都市中央区西ノ京馬代町16-9にあります。前任牧師であった杉野栄牧師は、教会のキリシタン(=クリスチャン、切支丹)や隠れキリシタンの研究家であり、キリスト教が仏教や神道に与えた影響、切支丹等の宗教差別などのお話を興味深く聞かせていただいたことがあります。今、新しい牧師が就任され、この教会も新たな歴史へと進んでいくことでしょう。祈りの課題は以下です。①牧師館の建築が予算で安全に終了する。②教会員の健康と幸せな信仰生活。③家族と地域に伝道する教会になる。 牧師・李 鎭鐡
4/23 ヨハネ福音書20章19-23節 「赦された者が赦す者に」
主イエスが復活された日曜。弟子たちはイエスの弟子だったことで逮捕を恐れ隠れています。実はもう一つの恐れがありました。それは主イエスを見限り、逃げた裏切りに対する神の罰。そこに主が入って来ます。弟子達は大変だ、怒られる!「ごめんなさい、申し訳ない」と伏して謝るべきですが、突然であり、また主は「安心しなさい」と入ってきたので実に混乱する思いだったでしょう。しかし、確かに主イエスは弟子達を赦し、愛の確かさのゆえに弟子達の心も和らぎます。そして主に赦された者として、主はあなたがたも赦しに生きよと語ります。それは人間的な感情を超えて、主の息、聖霊の力によって、赦し合う世界をつくる招きであり、主を殺した者も赦していく敵をも愛することです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 北大阪キリスト教会。大阪府守口市大久保町2-34-14にあります。この教会の牧師の古賀先生、以前にも書いたのですが、超朝型人間です。起床は朝3時ころ、寝るのは夜8時とか9時なのでしょうか。いや、実は私は本当は朝5時起床をしたいなぁと思いながら、なかなかできません。ただし、日曜は5時頃から起きてやっていることが普通です。戻すと、古賀先生もひょうひょうとしたように見えます。「碁」が上手いとの噂を聴いたことがあります。祈りの課題は以下です。①コロナの早期収束と医療従事者が守られますように。②高齢者や病の中にある方が守られますように。牧師・古賀 昭範
4/22 マタイ福音書16章13-20節 「天の国の鍵を持つ畏れと責任」
ペトロの信仰告白「あなたはキリスト(=メシア=救世主)」に対して、主はその信仰を与えたのは神の働き、聖霊によると伝えます。後、「この岩の上に教会を建てる」と主は語りますが、それはペトロと言う人間ではなく、聖霊によって信仰告白へと導く神の働きによって、という意味で、神が人を用いて教会の業を導いていくのです。ただ信仰により教会は「天の国の鍵」を与えられます。「天の国の鍵」とは神の国への招きであり、広くは救いを意味します。教会の地上での働きと権威、教会が救いを宣言することは、神の働きによるものです。神が、人に救う力を与えたと誤解してはいけません。教会の働き・礼典は神の働きへの参与であるゆえ、真に深い畏れが必要です。今日はH・Sさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 南千里バプテスト教会。大阪府吹田市高野台3-10-8にあります。近くには千里ニュータウンという巨大な団地があります。最寄りの駅は南千里(阪急千里線)です。駅からは徒歩17分のところにあります。最寄りのバス停は玉川幼稚園前とのこと。万博公園なども近いです。一度行ったことがありますが、小高い山に登っていったその行きどまりのあたりです。長い牧師としての経験を持つ蓮池牧師が就任されています。祈りの課題は以下です。①教会が「世の光」として輝くように。②地域の方々が導かれるように。③「御言に聞く」教会・信徒。牧師:蓮池昭雄
4/21 マタイ福音書18章9~14節 「人と較べて祈らないで」
ここもまた主イエスが祈りについて教えています。二人の人の祈りがでています。第一の人は「私はあのような人々でない」と他者を否定することにより自分の義さを表明しています。そして、通りに出て祈ることにより、その祈りの相手は神ではなく、周りの人に対するもの、自己アピールです。この人が願っているのは周りの人から「立派な人ですね」と誉め言葉をもらえばすむこと。大体ね、自分を表現する時、「私はAさんのようでなく、Bさんのような人間ではない(どちらも否定的)」と語ることがあります。わざわざ人を持ち出さないでもあなたがどんな人か周りは知っていますから。一方の人の祈りは自らの罪を主に向かって吐露し、その心を神は受け取られます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東豊中バプテスト教会。大阪府豊中市上野東2-11-48にあります。東豊中教会も行ったことのない教会です。この教会の河野牧師は「ひょうひょう」としていて総会でも必ず質問や意見をされます。時々、大事なことを教えられます。また、新生讃美歌にもいくつかの「歌詞」が掲載されています。祈りの課題は以下です。①共に試練と宣教を共有し祈り励む。②災害と次代の教会形成に備える。③十字架復活経験全世界教会と味わう。牧師・河野 浩
4/20 マタイ福音書18章1-5節 「祈り続けよう」
「気を落とさずに絶えず祈ること」を教えるためにとマタイが注釈つけています。多分誤解されることを恐れたのでしょう。主イエスは「神を畏れず、人を人とも思わない裁判官」を登場させます。ある「やもめ」が裁判を要求しますが、社会的弱者の側に立つような人ではありません。しかし、毎日やって来てうるさいので裁判をした、という話。力点は「まして神は」ということ。神は我らの祈りを聞いてくださる方なのです。ある事柄に対して、人は一度や二度三度はお祈りするかもしれません。でも、心込めて毎日、祈り続けるようなことをしたことはないかもしれませんね。一つのことを祈り続ける時、共に自らの心が変えられ、祈りの内容や深みが変わるのも祈りの力です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 和歌山中央バプテスト伝道所。和歌山市東釘貫丁1-2-1にあります。昨日お祈りした、大阪中央バプテスト教会の伝道所です。その伝道所が活動を続け、「教会」となります。内容は伝道所も教会も同じです。祈りの課題は以下です。①今年、50名の聖徒が礼拝を捧げますように。➁全聖徒が礼拝勉強を通して霊的に成長されますように。③2年後に教会建築できますように。担任牧師:河 亭植
4/19 ダニエル書9章1-9節 「われらと祈る拡がり」
ダニエル書を記したダニエルは南王国末期ヨアキム王の第3年に捕囚(捕虜・紀元前600年頃)としてバビロンに連行され、バビロンの地で主の言葉を求め伝え、帰還を祈る預言者です。彼がエレミヤ書を読んでいると25章11~14節参照)に捕囚とエルサレムの廃墟は70年であると知り、喜びと期待、悔い改めの心を持ち、人々のためにとりなしの祈りをします。「とりなし」とは「人と人の間に入って良き方向へと導くこと」です。この祈りの中には「わたしたち」とか「わたし」という言葉が何度も出てきます。この時、ダニエルは民を代表して祈るのであり、自分の祈りもただ「わたし」のみでなく「われら」として、世界の一人として責任を持ち祈りたいものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大阪中央バプテスト教会。大阪市中央区島之内2-5-9にあります。日本で居住する韓国の方々が中心ですが、もちろん日本人もいます。牧師が3名、伝道師が3名という大きな教会です。祈りの課題は以下です。大阪中央教会(大阪府)。①起きて、光を放つ年。②暗闇の都市のため祈りと伝道養育。③奉仕を通して弟子とする光の共同体。牧師・威 光玉、葵 永尹、文 連子。伝道師:崔 美敬、内藤希代、渡辺 正
4/18 マタイ福音書5章1-12節 「幸い、悲しむ者」
主イエスの「山上の説教」は宝のような言葉が伝えられます。その冒頭で「八つの幸い」(11節を含めると9回)が告げられます。かつては岩波文庫で「山上の垂訓」との題で売られていました。時と場所を超え、今もなお多くの人々に影響を与えている言葉です。フランクという作曲家は「至福」というオラトリオを作曲しました。今週月曜の「聖書日課」もルカ版を少し扱っております。「幸い」は人々が求めて止まないもの。それは同時に「幸いでない」ことに満ちている人間の存在をあぶりだします。時に逆説で語られる「幸い」はじっくり読んでいただきたいものです。私がこの箇所を語る時に言うのは「悲しむ者は幸い」と語れるのは歴史上ただ一人、主イエスだけです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大阪旭伝道所。大阪市旭区新森7-1-5の「平和の子保育園」内で活動されています。ここはかつて「新森小路教会」がありましたが今は「保育園」が残っています。中島義和牧師、中島久子牧師が、伝道所としての礼拝を守っておられましたが、高齢になられ、今は活動中止して、メンバーの方々は「大阪教会」の礼拝に参加されているとのことです。良き先輩牧師である中島牧師の健康をお祈りいたします。
4/17 マタイ福音書4章23-25節 「人々との出会いの中で」
主イエスの公生涯は始まりにバプテスマを受け、荒野での試みがあり、活動を始め、弟子を 招き、さらにガリラヤ地方を歩んでいきます。町々村々において、一見平和でのどかな場所に見えても、そこに暮らす人々は様々な痛みや病を持っています。主イエスはそのような人々と同じ目線で出会い、聴き、語り、祈り、いやしを必要とする人にはいやしを行いました。主イエスはそこで人間の悲しみ、生きる辛さ、病の力を深く知っていき、そこで主の心に愛の炎が燃えます。我らはこの時代のように家を訪問して回ることはいたしませんが、痛みや悲しみの中にある方々を教会は招きます。主はその出会いを通して、まさに5章からの宝石のような言葉が紡ぎ出されるのです。今日はO・Kさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト大阪教会。大阪市天王寺区茶臼山町1-17にあります。JRでは「天王寺」、近鉄南大阪線では「阿倍野橋」、この駅はほとんど隣り合っていますが、たまにこういうことが大阪にはあります。大体、「大阪」駅と「梅田」駅もほとんど同じなのに戸惑ったことが何度ありましたか。この地域は動物園があったり、高さ日本一の「あべのハルカス」がある、ミナミの中心です。加えてこの周辺はお寺が多いこと!大阪教会には関西時代に何度も訪れました。今は新しい会堂ができてすばらしいです。教会での用事を済ませて、駅に向かう間、「串カツ」やそのた多くの飲食店が並んでいるところを通りましてつい「誘惑」に負けてしまう私でした。さらに、この教会の下川牧師も神学校時代からの友人ですが、頭に毛がなく(あるいはなくしたのか)、お寺さんの多い町なので、お会いしたらつい、私も合掌してしまうんです。どの宗教でも宗教者は反社会的なごく一部を除いて尊敬をもっております。祈りの課題は以下です。①礼拝と祈祷会が守られますように。②高齢者・病床の方が守られるように。③求道者・決心者のために。牧師・下川
俊也
4/16 フィリピ書4章1-9節 「感情的になる前に」
フィリピ教会のエポディアとシンティケという女性信徒。最初期から熱心に教会活動に参与した方々。ところが何かの原因で教会と対立や不和が生じ、困ったことになりました。パウロはこの二人に対して教会と一致して活動するように勧め、教会に対しても彼女らを尊敬と愛をもって受け入れることを勧めます。今の教会でも世の様々なグループの中でも、メンバー皆が一緒に喜べない状態が生じますね。人間は「喜ぶこと」も「怒ること」も「悲しむこと」も選び取ることができます。もちろん、愛する者との別れ等、選び取れない状況もありますが、日常の多くの感情はその人の選び取り(ただ、中には「選び取ることもなく、怒りや相手を攻めることにスィッチが必ず入る方もいます)。感情のみに支配されず、どのような態度がふさわしいのかと祈り行動することが大事です。今日はU・Yさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 田辺キリスト教会。大阪市阿倍野区播磨町2-6-12にあります。この教会にはまだ行ったことがありません。喜多村牧師は小さなハープを演奏され、なんか素敵な雰囲気をもった方です。祈りの課題は以下です。①求道者のバプテスマ決心のために。②高齢者地域の弱者に仕える教会。③新しい教会集会場の幻を求めて。牧師:喜多村やよい
4/15 詩編96編 「新しい歌を歌おう」
読むたびに励まされる詩です。「新しい歌」とは新しく作詞作曲された歌ではなく「主によって新たに生きる愛と恵みを見出した魂の歌」であり、古い歌でも構いません。その歌は、自らの心だけではなく、自分以外の人々に向かって神の救いを証し、伝えるのです。さらにその喜びは海や森に生きる動植物にも拡がる、つまり、動植物は人間との運命共同体でありますから。末にある「主は世界(=世界を管理委託されている人間)を裁くために来られる」。「裁く」といえば私どもはすぐに「自分の悪しきことが裁かれる」と考え、否定的な思いになりますが「裁き」は正悪をきちんと定めることであり、「裁き」によって救われることもあるし、何より主の裁きは「赦し」であると覚えたいのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 平野バプテスト教会。大阪市平野区平野東4-4-13にあります。この教会は現釧路教会の奥村牧師の時に、会堂が建てられました。各階が12~14畳くらいの狭いところに二階か三階ありました。「ペンシル教会」ともいわれていました。大阪の下町で大阪らしいあったかさがある地域です。高田牧師が就任しております。きっとよく地域に溶け込んでおられると想像しています。祈りの課題は以下です。①教会堂が与えられるように。②キリストの体としての教会形成。③差別分断を自らの課題として宣教を。牧師:高田 進
4/14 イザヤ書30章15-26節 「主を待ち望む幸い」
南王国ユダに現れた最初の預言者イザヤは紀元前742年に活動を始めます。時代は巨大国アッシリアの侵攻により北王国は滅び。南王国も危機の時代。その「激動」の只中において主に対する信仰による「静」を語ったのです。例えば十五節。「主に心向け、揺れ動く心を平静にし、主に信頼して自らがなすべきことを祈り求める」こと。不安や心配、恐れで我らの心は不安定になるし、不安定な心はただ一時的一方的な知らせに影響を受けます。でもそこで主を待ち望むのです。19節「泣くことはない」、「主は応えてくださる」、そしてあなたの歩むべき道を示してくださるのです。なお28節の月の光や太陽の光の言及は、天地異変が生じることではなく、喜びや希望の表現です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 シオンの丘教会。大阪府藤井寺市藤ヶ丘4-4-12にあります。はじめて伺った時、「シオンの丘」というので低い山や丘のようなところを探しましたが、一面、平野。いろいろ苦労して到着しましたら住宅地の中でした。この教会の坂田牧師とは神学校時代からのお付き合いがあります。ある時、神学生のグループで演奏活動をしていた時、四国の山の中に川があり、「綺麗だね」など話しておりましたら、坂田さんはそこに飛び込み、泳ぎ始めたのです。野生児ですね。福岡の教会にいる時は、丁度、坂田牧師も福岡にいましたので、お願いして、キャンプの時、夜、カブトムシやクワガタムシを採りにいく、リーダーとしてお願いいたしました。私は虫の類は怖い人なので。いろいろありがとうございます。最近の年賀状では庭にトナカイが写ってました。クリスマス用に飼育しているのかしら?さて、祈りの課題は以下です。①一人ひとりがイエスさまとより親しくなれるように。②今の自分に求められていることを見出せるように。牧師・坂田 浩
4/13 詩編33編 「主を礼拝する理由」
この詩は主を信頼に値する方として描き出し、人々に主を信頼し、希望することへ教え励まします。そして讃美歌は主への感謝により、美しい響きを時に醜く、非人間的な世界に高らかに告げるのです。そして、我らが何故神を讃美するのか、その理由が語られます。12節の「国」は日本国とか、米国と考えてはいけません。そのような国は歴史でも地域でも限定的であり、むしろ「人々の集い」の意味。「嗣業」とは「神が恵みとして与えたもの」という意味ですし、「恵」とは人間の能力や力では得ることができない事柄です。そして人を救うのは軍事力ではなく、人数の多さでもなく、一人一人に目を注ぐ神の愛なのです。21節「御名」、名前は「存在」をあらわします。。我らは主を求めよう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 東大阪キリスト教会。大阪府東大阪市花園東町1-20-19にあります。この教会の柴田牧師は西南学院大学神学部(神学校)の一つか二つ先輩です。また中村牧師はやはり同神学部の一つか二つ下の学年で入ってきました。そして何より、中村牧師は当、所沢教会から送り出した牧師です。お二人の働きをお祈りしております。祈りの課題は以下です。①コロナ禍の一日も早い収束を。②全国の困難な教会を覚えて。③社会的に困難な人たちを覚えて。牧師・柴田 良和、中村 尚子
4/11 マタイ福音書28章16-20節 「主から与えられるミッション」
天使の言葉を聞いた弟子達は彼らの出発点であるガリラヤに集います。「山」は多分「山上の説教(5章~)」をされた場所です。ひれ伏し礼拝した者もいれば、復活を疑って信じない人もいた、との言葉に逆に信ぴょう性を持ちます。そして「使命(ミッション)」を与えます。第一にキリストに従うように伝え、そのしるしとしてバプテスマを行えという伝道。第二にキリストの言葉を教えよ、という教育。伝道は教育を含み、教育は伝道を含みます。そしてどんな時でも、どんな場所にも「主が共にいる」約束が伴うのです。「世の終わり」とは直訳すれば「すべての日々」です。「権能」とはある事柄について権利を主張し、行使できる能力であり、それは「救い」のために用いられるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 堺キリスト教会。大阪府堺市北区中百舌鳥町6-1040-44にあります。確か「中百舌鳥」駅から近かったと思います。このあたりは「中百舌鳥」の天皇陵遺跡群が近い場所です。この教会の平良牧師は「信教の自由」を訴え、日本バプテスト連盟靖国神社問題特別委員会の働きを長年なされています。その先生の足元に天皇陵とされる遺跡があるのは象徴的だなぁと思っています。宮内庁はそれら遺跡の調査を全面的に認めて真実を発掘してほしいと願います。祈りの課題は以下です。①「信教の自由・政教分離」の確立のために。②主日礼拝が守られるように。③コロナ被害者が支えられるように。牧師・平良 仁志
4/12 ルカ福音書6章20-26節 「逆説にこそ真理あり」
マタイ5章以下の「山上の説教」にあたる話をルカが記しますが、主イエスは似た話を各地でするのは当然です。主イエスの語った福音の中心の一つとして「逆説」での発言があります。対する「順接」は一般的に認識される事柄。「貧しい人々は辛く苦しいよね」は順接。主イエスの福音の凄さは「貧しい人々は幸い」と語る点。私どもは「そうですよね」と簡単に同意できません。「どうして俺たちが幸いなのだ!自分たちは幸いから取り残された者なのだ」と反発する人もいましょう。ただ、この逆説こそが主イエスのみが語れる真理。「貧しい」は経済的な貧しさもあり、精神的な貧しさもあります。反発から対話、そして主イエスと共に歩むことが真の「幸い」の始まりなのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 関西黎明キリスト教会。大阪府東大阪市上小阪3-6-9にあります。毎回記すのですが、この教会の江田牧師は「里親」として育児する人がいない子どもを引き受け育てる働きをされています。何人もの子どもを預かり、牧師家族会等の時にはそのお子さんもお連れしておりました。その働きに心から尊敬しております。どうぞ心ある方々がそのような働きをされますように。関心のある方はこの教会に連絡してみてもよいと思いますよ。祈りの課題は以下です。①コロナ禍にある信徒の鍛錬。②世界各地に派遣されている宣教師。③社会的養護の子どもを養育する里親の増加。牧師・江田 治男
4/10 使徒言行録1章3-11節 「主の恵み、地の果てまで」
復活の主が何度も弟子達に会った記録があります。ここでは「イスラエルの建て直しはいつか?」と尋ねています。以前は「復興」という言葉が使われていて亡き祖父が戦後、教会を起こす時「北九州復興教会」と名付けたのを幼い私も「良い名前」と感じておりました。そして、主の「復興」はエルサレムやイスラエルに限らず、地の果てに至る、と語るのです。一つの地域の復興は全世界の復興とつながっているのです。それはフクシマの復興は全世界の平和や安全と関わっていると言い得るでしょう。「証人」、主が語って下さったことを聞いた証人として弟子達、私たちはこの世界へ遣わされるし、その働きに聖霊の導きが伴うのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> みささぎ伝道所。奈良教会の伝道所です。奈良市陵町850-6ですが、郵便等は昨日記した奈良教会に送ってください。この教会は地域よりも宣教テーマが先立ち生まれた教会です。祈りの課題は以下です。①祝福を願い、共に祈り、共に働くことができますように。②病の方、高齢の方、支えを必要としている方と共にあれるように。③祈りがいつも、伝道所にあるように。伝道師・岡村 ゆり
4/9 ヨハネ福音書20章24-29節 「見ないと信じられないのか?」
主の弟子トマス。彼の聖書での発言としてヨハネ11章では「イエス様と一緒に死んで本望」と語り、14章では「永遠の命への道などわかりません」との発言があります。潔い死が大事、永遠の命なんて知るものか、という人柄がわかります。トマスは弟子達の前に復活された主が来られた時、その場にいません。そして、主がよみがえるなど、自分で確かめなくては信じられるものか、と語るのです。ヨハネ福音書のキーワードである「見ること」にこだわるトマス。しかしそのような者の前に主イエスは現れ、傷ついた釘跡に指を入れてみよ、と語ります。もはやトマスは確かめる必要はありません。そして泣き崩れるトマスを通して我々に」「見ないで信じる幸い」を告げるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 奈良キリスト教会。奈良市学園南3-14-12にあります。10年以上前から小さな附属幼稚園「リトルファンファン」の働きをされています。その関係で伺ったことがあり、近くに美味しいレストランがありました。その時は「奈良」に来るのもめったとないことだし、と思い、一泊して奈良の大仏など古寺散策をいたしました。あんまり関係ないこと書きましたね。そーいえば「せんとくん」という奈良のキャラクター、カッコいいですね。祈りの課題は以下です。①コロナの中でのウェブ礼拝の守り。②目的主導型の教会形成。③みささぎ伝道所の守り。牧師・松原 宏樹、伝道師・平山 利香
4/8 マタイ福音書27章3-10節 「ユダについて」
先週も扱った箇所。今日は特に9節をみます。「預言者エレミヤの言葉の実現」とありますが、むしろゼカリヤ書11章4節以降の反映なので、ゼカリヤ書を読んでください。「悪い羊飼い」の話で、「銀30シュケル(現在約5万位?)で羊を売った話」や「鋳物師に投げ与えよ」「ユダ(族)とイスラエルの兄弟の契りを無効にした」等の言葉があります。マタイの解釈が入り、ユダの自死を旧約聖書の預言の成就とすることでユダにイエス殺害の原因を負わせようとします。解釈が難しいところです。主イエス殺害の原因は「ユダ」だけにするのではなく、「神を殺す」、「私」を含めた人間の罪なのです。また「自死」について私は「罪」や「悪いこと」とする見解に反対いたします。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 和歌山バプテスト教会。和歌山市関戸1-2-31にあります。長く幼稚園をされていて、数年前に学校法人となりました。そして最近には新しい園舎もできたようです。みくに先生が牧師と園長を兼任されています。その方の夫がその働きを支えておられます。春は卒園、入園と大変忙しい時期ですね。お祈りいたします。祈りの課題は以下です。①共に祈り支え合う教会。②コロナの収束と医療現場のために。③幼稚園の働きと先生方のために。牧師:調 みくに
4/7 マタイ福音書26章31-35節 「つまずいてもいいんだよ」
主イエスの「最後の晩餐」が行われた席で主は弟子達に「今夜、あなたがたは皆、私につまずく」と語ります。ペトロ以下、皆が「決してつまずきません」と誓います。主イエスにつまずく。どのような時に起こるのでしょう。弟子達はイエス逮捕により自分達の身の危険を恐れたと考えますし、他の思いもあったでしょう。時々、「私はつまずいた。教会をやめる、信仰をやめる」という方がおられます。その理由は「人(牧師や信徒)につまずいた(幻滅した)」、「他の事で忙しくなった」「家人の反対で」等ありましょう。でもその心の奥底には「自らつまずく原因を探している」こともあります。弟子はつまずきを超え再び主につながります。ぜひあなたも再び教会に来てください。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 豊中バプテスト教会。大阪府豊中市北城町1-28-9にあります。最寄りの駅から徒歩10-15分くらいかかったと思います。住宅地の中でわかりにくいのですが、割りと大きな道路に看板がありまして、それですぐにわかりました。阪神淡路大震災の被害を受け、修復されたのですが、また、ずいぶん時が流れ修復の必要があるようです。ぜひご近所の方、ぜひ応援してください。祈りの課題は以下です。①会堂補修の必要が満たされるように。②助けられることを喜び、助ける一歩を踏み出す教会になれるように。牧師・今給黎
眞弓
4/6 マタイ福音書4章18-22節 「主のリクルート活動」
主イエスが弟子を招きます。ここでは四人の弟子が従っていきます。彼らは漁師でした。そして以前に主イエスの話を聞いていたと思いますし、一つの言葉だけではなく、そこに主の様々な語り掛けがあったと思います。いずれにせよ、短い時間で彼らは決心して従います。漁師から人を救いの網へと導く新たな働きを始めます。では主イエスの選出基準は何でしょうか。学歴、家系、能力ではありません。それらを主は求めません。ただ一点「従っていこう」という思いだけです。クリスチャンになることもそうです。聖書を全て読んだとか、教えを全て理解した等が必須なら誰もキリスト者になれません。とにかく始めること。もう駄目だと思ったそれはその時に考えたら良いのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 宝塚バプテスト教会。兵庫県宝塚市中筋山手2-7-6にあります。阪急宝塚線中山観音駅北出口より徒歩約8分。JR中山寺駅北出口より北西に徒歩約15分です。駅を出ると「中山寺」という大変大きなお寺さんがあり、初詣などは多くの人々が訪れます。そこの脇を通って山を登っていきます。途中に看板があり、左手の細い道をくだっていけば教会があります。教会の周囲は森、です。この4月より新しい牧師をお迎えして、新たなスタートをきります。ぜひこの機会に教会に行ってみてください。大昔、教会に行った経験をお持ちの方、そうでなくても自分がつながる教会があることはとても嬉しいことです。安心です。祈りの課題は以下です。①新しく着任した牧師と信徒の協働による牧会。②地域や他の教会との連携が祝されますように。牧師・南 雅夫
4/5 マタイ福音書4章1-11節 「どう読むか、聖書」
主イエスがバプテスマを受けた後、荒野で試みに会う箇所。ここは1月にも礼拝で扱った箇所です。今日学びたいのは、主イエスを試みる者が旧約聖書の言葉を引用して問うことに対して主イエスも旧約聖書から反論している点です。ここは聖書をどのように読むのかという視点を教えられます。聖書のある箇所を自分の都合良いように用いることもできます。その時、聖書の文脈や解釈、また、他の聖書との関連を見て、それが正しいか否かを判断する必要があるのです。「木を見て森を見ず」ことでは恣意的な解釈になる危険があるのです。「…ただ主に仕えよ」とは申命記6章12節の引用になります。そして「神学」とはそのような議論を積み重ねていくことです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 伊丹キリスト教会。兵庫県伊丹市柏木町3-47にあります。阪急塚口駅から北へ徒歩8分です。阪急塚口駅の北出口をでて、阪急伊丹線の線路沿いを歩くと、右手に教会が見えます。「市兵衛踏切」がありますので踏切を渡ると教会に到着します。電車からも見えます。この教会の内田牧師は、九州・久留米の出身で、いまだに「久留米弁」が抜けないというか、抜く気はないようです。ある意味個性的な人で、びっくりする人もいるかもしれませんが、気遣いのある優しい方ですから大丈夫だと思います。コーヒーへのこだわりもあり、美味しいコーヒーをいれてくださるでしょうか。祈りの課題は以下です。①宝塚教会・南 雅夫師(当教会出身、新任牧師)のこれからの働き。②2021年度の教会の歩み。③一人暮らしの高齢者の皆様の健康と平安。牧師・内田 裕二
4/4 マタイ福音書28章1-15節 「再びあなたと共に生きるために」 2021年イースター
安息日の土曜は仕事や日常行動もほとんどできないので、日曜の朝早く二人の女性が墓にやってきます。マルコ書等では「香油を塗り、最後の別れ」をするためでした。ところが地震が起こり、墓の入り口の大きな石が転がり、番兵等は気を失うような有様です。天使(神のメッセンジャー)が主イエスのよみがえりを告げ、ガリラヤに行くように指示します。「恐れながらも、大いに喜び」と複雑な気分をもって、弟子達に伝えに歩み出します。するとそこに主イエスがたって、まるでいつもの朝にように「おはよう」と声を掛けます。春の朝の光が優しく彼女らを照らします。主イエスはよみがえった、それは神を追い出す人間の計画を虚しいものとし、人間を襲う死の力に打ち勝ち、再び我らと共に歩むために!イースター(主イエスの復活祭)おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 神戸新生バプテスト教会。神戸市東灘区鴨子ヶ原2-12-19にあります。バスに乗って六甲山系の山をくねくね曲がったところにあります。山の中腹ですが、団地や住宅等がたくさんあります。何より、眺望がとても良いところです。かつて「日本バプテスト宣教団(米国南部バプテスト連盟)」の施設があり、英会話教室等も行われていた場所に、建てられた教会です。建築がとても素晴らしく、多くの建築家や学生が見学に訪れます。素敵な礼拝堂でぜひ聖書の話を聞いてみませんか?祈りの課題は以下です。①主日礼拝、祈祷会、諸集会が豊かに祝されるように。②すべての命が守られるように。責任者・船橋 恵子
4/3 マタイ福音書27章57-66節 「墓の中を歩む主イエス」
57節の「ヨセフ」は最高議会議員で、イエスの死に反対したかもしれませんが、少数派。勇気を出したヨセフが主を自らの墓に運び入れたのが最大限の感謝でした。金曜の日没から安息日の土曜になるので、慌てて夕刻、墓に主イエスを納めたのです。そして祭司長とファリサイ派は番兵を置き、見張らせます。弟子がイエスの遺体を盗むことを警戒したのです。この日、主イエスは墓にその足跡を残されました。それはまさしく、命が失われた者たちが行く場所である黄泉(よみ、陰府)にも主は歩まれ、救いの恵みを伝えたと思います。人は死んだら、何も持っていけません。裸で生まれ、裸で帰ります。しかし、何も持たぬ者にこそ、主の救いと永遠の命が与えられます。
さて、今日は「日本バプテスト連盟」結成記念日です。日本が戦時の中、キリスト教会はすべての教派が強制的にまとめられ「日本基督教団」となりました(正式な名称でないかもしれません)。それは政府の統治のためです。戦後になり、元々バプテスト教会(「浸礼派」とも呼ばれた)が政府の政策から離れる意味を含めて、16の教会が集まり、新しく「日本バプテスト連盟」を結成いたしましたのが、1947年4月3日のことでした。その歩みに対して米国南部バプテスト連盟の支援があったことも忘れてはなりません。そして米国は戦時中は「敵国」でありましたが、日本の伝道のために多くの宣教師の派遣や資金的な援助がなされました。現在は米国からの支援ではなく日本連盟だけで運営されています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 尼崎バプテスト教会。兵庫県尼崎市宮内町3-134にあります。阪神「出屋敷」から徒歩5分くらいでつくとても便利な場所にあります。場所は良いのですが、なかなか参加者が少なく苦労されています。今はよく知っている長尾牧師が就任されています。ぜひ近い方々や「阪神線」沿線にお住まいの方はこの教会に行ってほしいなと思います。祈りの課題は以下です。①讃美と祈りとみ言(ことば)の充実。②新来者、バプテスマ者が与えられる。③適切な教会財政が整えられる。牧師・長尾 知明
4/2 マタイ福音書27章32-44節 「血潮したたる、主のみかしら」
主イエスは刑場であるゴルゴタの丘に連れていかれます。ゴルゴタとは「されこうべ」「頭蓋骨」の意で、英語では「カルバリ」。そこで飲まされようとしたのが多少は鎮痛にもなる物質が入った苦いぶどう酒。そして両手首と足に太い釘が刺されます。ほとんどの人はその痛みで気を失います。この光景は詩編22編やイザヤ53章を思い起こすもので、ぜひ合わせてお読みください。「ユダヤ人の王」との罪状書き、「他人を救ったのに自分を救えない」との侮辱。しかし、皮肉なことにこれは真実でした。人を救うために生きたのに殺されるキリスト、真の王、愛と恵みによる王として立つべき者こそ、主イエスでした。受難日を覚え、御言葉を読み、新生讃美歌221番「血しおしたたる」の歌詞を読むか、静かに歌い、祈りの時を持ちましょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 浜甲子園教会。兵庫県西宮市浜甲子園3-5-23にあります。有名な「甲子園球場」の近くです。春の甲子園大会も行われておりました。神戸在住時代に行きたかったところに、この「甲子園球場」や「灘の酒蔵巡り」等がありますが、多忙な日々で結局は行けませんでした。さて、「浜甲子園教会」は住宅地の中にあり、とても解りづらいので、電話等で調べるのが一番。駐車場もあります。この教会は「信徒の教会」を目指し、教会で行う礼拝や礼典も信徒でやっていくという姿勢です。つまり、牧師がいなくては教会が成立しないわけではなく、信徒の方々で行うことも全く問題ありません。教会が自ら決めることです。しかし、信徒みなさんで礼典を含めて教会運営を行うのは、理想的ですが、なかなか難しい点があります。前牧師であって、その方向へと導いていった(もちろんそれは教会の合意があって行われたこと)森山牧師が、現在は「会員代表」となっています。やっぱり前牧師がいると何かのときには、前牧師が出動するのであり、森山前牧師がそこからいなくなった時からが真実のチャレンジが始まるのだと思います。とても関心をもって教会の歩みをみています。このシステムが本当にできていけば、これから牧師が少ない時代、それぞれの教会が規模が小さくなっている中で良き見本になると思います。祈りの課題は以下です。①会員全員参加の教会形成。②新型コロナ感染拡大の終息。③コロナ後の存立意義と活動の探求。信徒代表・森山一弘
4/1 マタイ福音書27章11-31節 「政治に殺される人々」
ローマ支配下にあるユダヤ最高議会は合法的殺人の権利、つまり「死刑」できません。政治的な権力だけが合法的殺人である「死刑」ができますし、その権力を政府に与えることは市民との信頼がない限りしてはなりません。死刑を求めローマ政府総督に人々は訴えます。しかし、権力者が正しいとは限らないのが悔しく、悲しい世界の実態。ピラトは正当にもイエスに罪を認めません。しかし、正義に生き切れないのがピラト。人々がイエス処刑を望む力、その力が自分に影響すること、つまり、民衆の暴動を恐れ、自己保身のために、正義を曲げ、挙句の果てに「私には責任ない」と決裁者であるにも関わらず、責任放棄するような為政者により冤罪が確定していきます。怖いのが、今も二千年前と政治が変わっていない点。権力に殺された人々の悲しみが今日も広がっています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 神戸国際バプテスト教会。神戸の外国人の方々に向けて英語で礼拝されていました。最近は神戸から撤退した外国資本の会社も減りました。現在は活動を休止しております。
3/31 マタイ福音書27章3-10節 「我が心にもいるユダ」
ユダを語るにはここでは余りにもスペースがないのですが…。ユダはイエスの居場所を反対勢力に伝えました。金目当てではなく、イエスに対する挑戦、テストでした。その心は主イエスは改革のため必ず蜂起してほしいとの願い、つまり自分の願う主イエスとして歩ませようとしたのです。でも何事も起こらず、イエスは静かに逮捕されます。イエスを売り渡すとは、イエスを自分の思いのままに動かそうとすることであり、その心は常に私共も持っております。「こんなに祈ったのに」「こんなに仕えたのに」自分の願いと違う事態になれば「神など要らぬ」と思うのです。ユダは自らを裁かなくてよかったと思います。ユダも他の弟子も我らも何も変わりませんし、その我らのために主は執り成し、祈ってくださいます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟引退教役者の方々を覚えて。荒瀬 謙二氏(福岡県在住)、安東 巌氏(静岡県在住)。
3/30 マタイ福音書27章69-75節 「何もできない自分」
主イエスが最高議会サンヘドリンで裁判を受ける外庭でペトロの裁判が行われます。「あなたもイエスの仲間では」と言われたペトロは「知らない」と関係を拒否します。頭の中にはイエスを助け出す勇敢な姿が描かれても、現実はそうならない。時流に飲まれ、自分を消すペトロ。誰がペトロを非難できましょうか。私も現実の中で、何も抵抗、反対できず、我が身を守ろうと自らの心を拒否する弱き者でしかありません。自分の無力さを知り、激しく泣くしかできないペトロは全く私自身の姿であります。「呪いの言葉」とは「私が嘘をついているなら、呪われてもよい」と言いながら主イエスを拒否したことです。ペトロの裁判官は「鶏」。「お前は確かに主を知らないと言った」と判決を下しました。我らもまたその判決を受けるのです。今日はM・Mさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連合立等神学校・研修センター。①東京バプテスト神学校(会場は「茗荷谷」で夜間と通信での授業があります)。②九州バプテスト神学校(会場は福岡市中心にあり、夜間と通信での授業があります)。③北海道バプテスト研修センター。
3/29 マタイ福音書27章57-68節 「暴力を受ける神」
ユダヤ最高議会での深夜の異常な裁判。主イエスが死刑にされる理由は全くないのです。権力はなんでも理由をつけます。今、ミャンマーの事態を思い起こします。スーチー氏は理由なく捕らえられ、軍政権は反対する者を容赦なく逮捕、監禁、殺害しています。何かしたいけれど、できない歯がゆさと怒り、悲しみを覚えます。主イエスはつばを吐きかけられ、暴力を受けている、その姿にミャンマー市民が重なります。主イエスは暴力を受ける人として、人間の異常さを世に示す者として抑圧される側に今もおられるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> バプテスト連盟 全国教役者会…①教役者が助け合うための働きを担うことができますように。②新型コロナウイルスの収束を願って。③諸教会・伝道所の教役者の方々のお働きが守られますように。事務長・本山大輔(豊前教会牧師) バプテスト連盟 「女性牧師・主事の会」…①ひとりひとりの賜物がいかされますように。②互いに励まし合う場をつくりだしていけるように。事務局・今給黎眞弓(豊中教会牧師)
3月22日~28日特別版(聖書箇所と連盟の祈りの課題のみ)
3月22日(月) 聖書:マルコ福音書15章21~32節 「ルフォスの父シモン」
教会の祈り: I・Mさんのお誕生日おめでとうございます。 今日の祈り:姫路城西教会(兵庫県)。①コロナの早期終息と教会員の健康。②求道者が与えられるように。③教会の信仰告白作成の祝福を。 牧師:辻
眞理子。
3月23日(火) 聖書:ローマ書16章13節 「主に結ばれたルフォスとその母」
今日の祈り:明石教会(兵庫県)。①高齢の方々の健康が支えられますように。②新来者が与えられますように。③世界に平和がきますように。 牧師:椿本
博久。
3月24日(水) 聖書:マタイ福音書20章20~28節「ゼベタイの息子たちの母」
今日の祈り:神戸伊川教会(兵庫県)。①痛み重荷に配慮し合える関係作り。②教会員の霊肉共の備えと健全。③コロナ終息、全世界の癒しと慰め。 牧師:鮫島
泰子。
3月25日(木) 聖書:詩編22編1~22編「なぜわたしをお見捨てになるのか」
今日の祈り:神戸西教会(兵庫県)。①コンテンポラリー礼拝と英語国際集会への新たな取り組みのために。②中断している“開拓”伝道の今後の方向性のために。
牧師:松本 理(おさむ)
3月26日(金) 聖書:マタイ福音書27章15~26節「群衆の愚かさ」
今日の祈り:神戸教会(兵庫県)。①礼拝とひろばの充実と拡がりのために。②中断している教会の長期計画のために。③築68年を経た教会堂の今後の計画のために。 牧師:西脇
慎一。
3月27日(土) 聖書:マタイ福音書27章27~31節「まことの王を求めて」
今日の祈り:日本バプテスト南九州地方連合。①連合内の教会・伝道所のために。②連合の活動が豊かになるために。③沖縄にある教会のために。
会長:中條 信治(宮崎教会牧師)。
3月28日(日) 聖書:マタイ福音書27章27~31節「十字架上の神の子」
今日の祈り:連盟財務委員会。①連盟の機構改革と連動した財務改革の推進。②教役者退職金制度の安定運営のための見直し。
委員長:中條 智子(長住教会牧師)。
3/21 マタイ福音書26章36-46節 「御心のままに」
オリーブ山、ゲッセマネ(油絞り)という場所で主イエス地上最後の祈祷会が行われます。主は「この杯(=十字架の苦しみと死)をわたしから過ぎ去らせてください」と祈ります。主イエスは死んでもすぐ生き返る舞台役者ではありません。もし、別の方法があれば、と願うのです。この姿が私どもに迫ります。苦しみを前にして、我らも何度も祈ったことがありましょう。主イエスも我らと同じ苦しみを受けておられます。誰も逃げることはできないし、逃げる時に敗北が宣言されます。そして主は「御心のままに」との委ねる祈りに変わり、すべてを委ねた者の自由と平安と力強さがあります。マリアの祈り、主の祈り、御心に委ねる祈りができるのが究極の希望なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 鳥取バプテスト教会。鳥取市東町3-151にあります。この教会は島根城のすぐ近くです。島根城跡(?)のある素敵な施設やレストランに関西の連盟牧師仲間と行きました。教会もすてきな雰囲気ある教会です。どちらかというと、「和」の雰囲気があります。とっても落ち着くと思います。ぜひ鳥取の皆さん、この教会をお訪ねください。祈りの課題は以下です。①求道中の方々が導かれますように。②心合わせて皆共に祈れますように。③礼拝を守れる方が増えますように。 牧師・横濱 峰二子、協力牧師・戸川 幸子
3/20 ヨハネ福音書16章25-33節 「主が共におられるゆえに」
昨日の続き。30節で弟子達は主イエスが神の御許から来たとの告白をいたします。でも彼らが再び「知らない」と裏切ることを知っていますが、弟子達は叱責されません。むしろ今後弟子達も受ける苦難の数々を心配されていますし、17章では彼らが守られることを祈っています。そして「わたしは既に世に勝っていると語ります。ある人はこう語ります。「この世の支配、この世の権力、この世の悪魔的な勢力、この世の不条理、ニヒリズム(虚無主義)を招く勢力、すなわち、この世に悲惨をもたらす、神に敵対する全ての勢力の有限性を、十字架と復活の出来事は示した…それゆえに、それらの勢力を私たちが何ら恐れることはない。」世界に主の永遠の愛が注がれるのです。今日はY・Kさん、O・Hさん、S・Mさん、3名のメンバーの誕生日です。おめでとうございます!春分の日です。仏教では春分と秋分の日は昼と夜が同じ時間なので、その間に天国(?)への道が開けるという話を聞いたことがあります。キリスト教では、春分の日を過ぎた満月の日のあとの最初の日曜がイースター(復活祭)になります。二千年前のイスラエルでは、春分の日近くに「過ぎ越しの祭り」という大きな祭り(礼拝)が行われていたのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 松江バプテスト教会。島根県松江市東朝日町9にあります。島根県にも日本バプテスト連盟に加盟している教会はひとつだけです。日本海側もまた風情ある場所がたくさんありますね。大体、大昔は日本海側の方が発展していたのですよね。島根県もゆっくり訪れたいですね。まだ行きたいところがいっぱいあります。祈りの課題は以下です。①コロナ終息と礼拝再開のために。②会堂建築のために。牧師・斎木 郷次
3/19 ヨハネ福音書16章16-24節 「主イエスの死は新たな始まり」
主イエスが洗足された夜の大事な告別説教の一部です。ヨハネ書のキーワード「見る」こと「見えないこと」が伝えられます。弟子達にはその意味が解っていません。でも主イエスは妊婦の出産の苦しみが出産後には命を頂いた喜びにあふれるように、主イエスは苦難と死の後に再び弟子達の前に現れるとの言葉です。24節は「わたしの名によって願わなかった」という言葉が引っ掛かりますが、大事なのは「今までは」つまり、「これから」主イエスの名によって願う新たな関係性の指摘です。復活と聖霊降臨により、また、誰も奪い去ることのできない主イエスの臨在により、祈る前から私どもの心を知っておられる主によって我らは「喜びで満たされる」のです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 岡山バプテスト教会。岡山県岡山市北区田町1-7-28にあります。岡山駅から歩いていったことがあります。近くに川と緑があふれる通りがあるあたりです。それほど遠いとは感じませんでした。広い敷地の中に教会堂が建ち、廻りには車がたくさん置かれていました。もう少し、会堂廻りを整備したらとっても綺麗なのに、と思っていましたが、それはもう十数年前の話なので今はまた変わっているかもしれません。この教会の牧師を長くされていた梅田環先生が召され、しばらくの間、牧師不在でしたが、この4月より新しい牧師が就任されると聞いています。おめでとうございます。祈りの課題は以下です。①自律した信徒の群れになる。②連盟や連合の活動と協働する宣教。③「3・11」を考える宣教活動。
3/18 ヘブライ書5章1-10節 「大祭司主イエス」
ヘブライ書はユダヤ人に向けた宣教であり「大祭司イエス」と語っています。「メルキデゼク」とは創世記14章、詩編110編に登場する「永遠の大祭司」として登場し、それに等しいことを語ります。しかし大祭司でありつつも、主イエスはその働きの貫徹のために「叫び、涙を流し、祈りをささげた」のです。その姿は「大祭司」という名前にふさわしくない弱い姿と表現します。そのようにして御心を行っていったのです。確かに主イエスは十字架を前に逃亡することも、反旗を振ることもできました。しかし、人間の罪をあがなう、ここでいう大祭司として身代わりの羊となったのです。ヘブライ書ではそのことを覚え信仰者として御心に従う歩みをする促しを語ります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福山バプテスト教会。広島県福山市沖野上町2-14-31にあります。福山はまだ行ったことのない土地のひとつです。でも瀬戸内海に面し、穏やかな町なのだろうと想像します。新幹線の窓から福山城が見えたような気もいたします。いつか歩きたいなぁ。祈りの課題は以下です。①喜びの賛美に満ち溢れる教会に。②喜びを人々に分かち合える教会に。③喜びと憩いの内に集える新会堂を。牧師:向山 満
3/17 Ⅰテサロニケ5章1-11節 「闇に入る人の愚かさ」
主イエスが再び来る「再臨」が、1世紀の初代教会においてはすぐ来るという認識でしたが、その遅延と共に人々の心に緊張がなくなった信徒に対し、あなたがたは暗闇にいる存在ではなく、光の子、昼の存在だと語ります。最近、総務省の違法接待が表面化していますが、昼間に公的な会議として話し合えば良いのです。闇は正常な力を失わせ、魅力的なのです。人を正しい道から外れさせる力、神が良しとしない道から外れさせる力は結果的に自らの破壊と関係性の破滅へと招き、責任が問われ、人生を棒に振る様です。官僚であれ、議員であれ、牧師であれ、まさに弱く愚かな存在です。ゆえに準備と心構えが必要。信仰と愛を胸当てにし、救いの希望を鎧とし、何より常に主イエスが共にいて見ておられることを覚えたいものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 緑の牧場キリスト教会。広島県東広島市西条町田口2799にあります。時々、地域の名前がついていない教会があります。地域よりもその教会の特色を表しているようです。この教会は広島大学のキャンパスに近く、学生等若い方々をお招きしたい思いがあふれています。以前にも書きましたが、この教会の酒井牧師、確か「教育学部」を出ておられたと思います。その後、牧師になる思いが与えられて西南学院大学神学部で学ばれました。私が、日大の学生時代、酒井牧師は富山教会の牧師としておられ、その教会をお訪ねしたのでした。そこで目にしたのは酒井牧師が結婚される前からの交換日記のようなもので、その分量がすごく、すごく互いに思い合っているのだなぁと、とても羨ましく、そして愛情の深さに教えられたものです。私などは爪の垢を煎じて飲まなければいけない存在だと思いました。祈りの課題は以下です。①礼拝や集会が守られますように。②地域と共に歩む教会で在り続けられますように。牧師・酒井 敬仁
3/16 ローマ書7章13-25節 「パウロの深い悩み」
ローマ書はパウロ最後の文献の一つで、全体を意識しながら丁寧に読む必要があり、読み込むのに時間がかかります。パウロは幼い頃から旧約聖書の律法を学び律法を正しく行うことによって「救い」(「救い」の意味は広く、幸い、希望、人生の拠り所、安心の基盤、等展開される)を得られると思い、ユダヤの東大と呼ばれるガブリエル先生のところで学び、実行しました。ところが、律法を完全に守ることはできないのです。律法を知りつつ、体が求めるのは律法から離れることばかり。「神を愛する、人を愛する」ことを目指せば目指すほど、結局は自己愛に完結しているのではとの思いに陥り、自らを「惨め」と語るのです。真実に人に救いを与える存在をパウロは求め、与えられたのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト呉基督教会。広島県呉市本通4-4-10にあります。「呉」という町は瀬戸内の入り江に囲まれたところにあり、この地形が天然の要塞となり、日本軍が注目して「戦艦大和」等の軍艦を、後には造船の町として発展しました。現在は少しさびれつつある、という感じがいたします。この教会は1910年の創立なので百年を超える歴史を持っています。でも、現在、教会に集う方が減っておられ(これはほとんどの地域や教会で課題ですが)、祈りの課題の「牧師給与を増額できるように」というのは心からの叫びであると感じました。牧師は多くの場合給与は低く、もちろん、お金が基準で歩むのではなく、どこでも神さまの御用のためにその人生を用いたいと思っている方がほとんどです。でも生きるためにはお金も必要なのはあたりまえ。どうか、呉に近いかた、呉教会をお訪ねして、そこでなされている伝道の働きを助けてください。祈りの課題は以下です。①牧師給与を増額できるように。②礼拝出席者がもっと増えるように。③バプテスマの決心者が与えられるように。牧師・浅海 郁典
3/15 マタイ福音書17章1-8節 「記念館を作ろうと思ったペトロ」
「山上の変貌」と呼ばれる箇所。主イエスと三人の弟子が高い山に登り、そこで主イエスの顔が太陽のように輝き、服は光のごとく白くなったのです。さらにモーセとエリヤが登場します。モーセも十戒授与のあと顔が輝き、エリヤもまたホレブ山で神の静かな細い声を聞いた者として。ペトロはこの奇跡的な光景に驚き、小屋をつくり飾れば、誰もが来たくなる名所になると思い発言します。人間はそのような神々しい像を見たらすぐにお参りをしようとするからです。しかし、神を固定することは人間にできません。大事なのは「わたしの愛する子、わたしの心に適う者」との神の声です。これはバプテスマの時に主に響いた声ですが、もう一度、弟子にも示されたのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト広島キリスト教会。広島市中区舟入町12-7にあります。昨日もお伝えした広島市内のチンチン電車の駅がすぐそばにあります。大きな道路に面し、広い駐車場もあります。また、被爆地に立つ教会として教会員の中にも被爆を体験した方がおられ、平和を語り継ぐ使命を大事にしている教会です。この教会の牧師さんも神学部で一緒に学んだ先輩です。素晴らしい先生なので、何でも相談されたらよいと思います。祈りの課題は以下です。①感染収束、通常の礼拝再開。②核兵器禁止条約への日本の批准。③神の愛と平和が地に満ちるように。牧師・播磨
聡
3/14 マタイ福音書25章31-46節 「小さい者のひとりに」
40節「わたしにしてくれたことなのである」の部分を英語にすると《You did it to me》。マザー・テレサはこの五つの単語からなる言葉を「五本の指の福音」と呼び、指折りしながら人々に伝えました。そして「飢えている人に食事を用意するのは、イエス・キリストに、食事を差し上げているのです。らい病の人の足をさするのは、イエス・キリストの足をさすっていることになるのです」と常々語っておられました。「靴屋のマルチン」という物語もそのことを伝えています。「小さい者」、それは希望を失っているあなた自身かもしれません。「小さい者」、それは「小さくされている者、弱さの中に生きざるを得ない人々」であり、「十字架上でもだえ苦しみ乾く主イエス」なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 江波キリスト教会。広島県広島市中区江波二本松1-10-26にあります。広島市内にはいわゆる「チンチン電車」が走っており、「江波行き」というのがあって、それを見ながら、これに乗れば江波教会に行けるのかなと思っていました。残念ながらまだ行ったことがないのです。このたび新しい若い牧師さんが就任されました!祈りの課題は以下です。①4月29日の杉本牧師就任式・按手式のために。②コロナウイルスの収束のために。③若者も集える教会へ。牧師・杉本 拓哉
3/13 マタイ福音書28章16-20節 「主は疑う者にも近寄って」
マタイ書の最後は「大宣教命令」。場所は主イエスが宣教を始めたガリラヤ。「山」はマタイでは教会と読み替えて良い言葉ですし、5章からの「山上の説教」の山と同じかもしれません。復活の主との出会いにおいて「疑う者もいた」とあります。それも教会の姿。「疑いなき信仰」を主は求めておられません。人の弱さも疑いも不信、罪も知りつつ主は「近寄って」こられます。この言葉一つに主の愛と赦しを深く感じます。「権能」とはその力を行使することですが、力の行使の土台にあるのは主の愛と恵み、慰め、救いの実現であり、主が「良し」とすることを行うことです。そして主の教えられたことを告げ知らせ、バプテスマ(信仰告白)へと導く教会の使命が示されました。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 広島西キリスト教会。広島市佐伯区千同1-26-23にあります。まだ訪れたことのない教会のひとつです。祈りの課題は以下です。①地域に根ざした伝道推進のために。②求道中の方々の救いのために。③教会学校と成人科の充実のために。牧師・大建 英夫
3/12 マタイ福音書19章23-32節 「神だけができる救い」
29節は大変難しい。「わたしの名(=主の働き、栄光)のために家、父母…を捨てた者は…報いを受ける」。それはできないと思いますし、それが絶対条件なら、私は牧師を続けられません。この話の前に「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方が易しい」と主が語り、「では誰も救われない」と反発する弟子に「それ(救い)は人間にできることではない、神は何でもできる」との文脈で答が見えます。「家や父母を捨てよ」、いや、主イエスは残される母を心配し、弟子に託しています。弟子も家族を大事にした姿が伝わってきます。「それらは人間にはできない」、福音は人間の力で得られるものではなく、ただ、主の恵みの業であることを伝えているのです。今日はU・Fさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 高松常磐町キリスト教会。香川県高松市常磐町2-12-2にあります。この教会もフェイスブックで礼拝や聖書研究のお話などが公開しています。パイプオルガンが響く教会です。祈りの中に「聖徒」という言葉がでてきますが、バプテストではあまり「聖徒」とは使いません。「聖」とされるのは「神さまのみ」ができることであり、人がこの人々は「聖」それ以外の人は「聖でない」とは判断できないのです。ただ、神さまが愛してやまない民だとして「聖徒」ということもありますが、誰がその基準を設けるのかは問題です。もちろん聖書の中にキリスト者のことを「聖徒」と呼ぶ例はあります。祈りの課題は以下です。①教会の宝である高齢の聖徒の祝福。②来年度教会総会への備のために。③子どもたちの祝福と救い。牧師・梶井 義郎
3/11 マタイ福音書10章40-42節 「主イエスを受け入れる人は」
まず「あなたがた」とは誰?と考えます。並行するマルコ9章では「子どもを真ん中に立たせた」であり、文の流れでは「弟子」であり、また「小さな者」と言い換えられます。偉大な方を受け入れるのは普通ですから、人が目に留めないような存在、弱く、小さくされている存在、飢え乾いている存在を受け入れることが、主イエスを受け入れること。そう考えれば福音の世界が広がります。金や権力や力のある人に人はすり寄っていきます。でも主イエスを受け入れる人は、世の小さく弱い存在に心を留めるのです。今日、東日本大震災から十年。あの日の衝撃は忘れ得ません。その時、私は神戸教会の牧師で、教会二階の牧師室におりました。神戸でも揺れたところはありますが、私は全く揺れを感じませんでした。途中、喉が乾いて、牧師館に戻って、ふとテレビをつけたら、仙台空港が水没している映像を見て、地震のことを知りました。すぐに幼稚園の職員室に内線で伝えました。卒園式が近づく中で職員は心込めて準備をされている真っ最中でした。その後、被災地に支援に行く人に集められた食材やお金を託したりしたのですが、しばらくして、その方が神戸に帰ってきたとき、被災地に行ったショックのせいか、全く表情が違っていたことに私も衝撃を受けました。被災地に行ってこの世とも思えない現実に出会った方は全く魂が抜けたような生ける屍のような姿だったのです。3.11を過ぎ、丁度、神戸バプテスト教会の60周年記念礼拝を迎えましたが、そこに全く祝祭的な雰囲気はなく、私は「十字架上で苦しむ主イエス」の姿を語るのが精いっぱいでした。そして、今なお、苦しみ、痛み、乾く方々の存在を自分のことのように覚え、考え、祈ります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東日本大震災被災地の完全な復興がなされるように。教会は「高松太田キリスト教会」を覚えます。この教会は香川県高松市太田下町3013-10にあります。伝道所から教会組織をする手続きのため、当時の日本バプテスト連盟理事としてお伺いしました。これからショッピングセンター等ができて開発が進む場所と聞いています。壮年の方々がとても元気に教会のことを考え活動されている姿が印象的でした。そして、この教会の牧師さんご夫妻。私と神学校が重なっていることもあり、よく知っております。ご夫妻ともとてもビッグな方々です。敏生さんはお話が面白く、いっしょにいれば飽きません。ぜひ、高松太田教会をどなたでもお訪ねください。祈りの課題は以下です。①30周年感謝と新ヴィジョン構築。②求道者の方々のバプテスマ決心。③駐車場用地の取得。牧師・大竹敏生
3/10 詩編16編7節 「いつも心に置きたい詩編」
「ミクタム」の意味は不明ですが、「贖われた者の讃美」等と考えられています。この詩編を通して素直な信仰が歌われています。五節の「わたしに与えられた分」は「相続する財産」ですが、「恵みにより与えられた宝」等の訳がよいでしょう。8節の「わたしは絶えず主に相対してます」は、対立的ではなく、「主が前にいる」、より良いのは「わたしはいつも主を思っている」。新改訳三版、口語訳での「主を前に置く」は「置物」のような感じがしますね。また、直後に「右にいる」ともあるので「主を思う」が最良かな。人間でも仲が良い人とは「私の横に来て」と言うものなのです。主イエスが横に座ってくださる、素敵な様子です。この詩編をいつも脇に置きたいですね。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 恵キリスト教会。香川県高松市上福岡町758にあります。近くを「琴電」と呼ばれる電車が走っていたような記憶があります。香川は「うどん県」といわれるほど、県民は一日2~3回はうどんを食べておられるようです。祈りの課題は以下です。①地域に開かれた教会となるように。②求道者の学びが導かれるように。③高齢、療養中の方々のために。牧師・伊藤 聡
3/9 マタイ福音書13章34-35節 「『たとえ』で語る意味」
13章は主イエスの多くの「たとえ話」が続く中で注解的に入っている箇所。括弧内の言葉は旧約聖書ギリシャ語訳(七十人訳)なのでへブル語原本から訳した新共同訳詩編72編2節と印象が違います。しかし「箴言」にも多くのたとえがありますのでなるほどと思います。なぜ「たとえ」で語るのか。つまり、天の国(=天国=神の国=神の愛と恵みが支配する世界)は、人に見えないので、この世の有様を用い説明するのです。例えば、「象」を知らない人に説明する時、相手が知る情報から説明せざるを得ません。特徴的なのは「天の国」は私共が知っていること、通常の理解と違う展開をしますし、そこに福音の鍵、凄さがあります。今日はM・AさんとT・Cさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 丸亀城東町キリスト教会。香川県丸亀市城東町3-11-21にあります。この教会は一度訪れたことがあります。丸亀駅から歩いて行った気がします。駅の近くには現代の作家による美術館もあって、「行きたいな」と思いつつ時間がなく、教会に急ぎました。そしてこの教会の牧師はまた面白いです。かつては家具職人であり、ウッドベースを演奏したりもします。ぜひ、行ってみてください。教会っていうのは、いろんなユニークな人もたくさんいて楽しいですよ。祈りの課題は以下です。①互いの思いを聴き合うこと。②自分の思いを大切にすること。③自分のことばで語り合うこと。牧師・山浦 良治
3/8 マタイ福音書25章14-30節 「神さまが与えている恵み」
タラントンとは通貨の単位で1日の日当の六千倍なので、日当を単純に1万円(1デナリオン)とすれば六千万円なので、委託された額は少ない人でも大変大きな金額。この「タラントン」が英語「タラント」=才能、に変化しますし、「タレント」は和製英語ですが能力がある人を指します。聖書では金額のことのみならず神の恵みとして与えられていること(賜物)、と考えてよいでしょう。三番目の人は神様(=主人)から頂いた賜物を隠しておいて使わなかったのです。まず感謝よりも主人への不信があり、失敗を恐れて隠す、見えないものにしたことが問題なのです。神さまは一人一人に必ず命と様々な力を与えておられ、それをどのように用いるのかという心を問うています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 徳島キリスト教会。徳島県徳島市中昭和町1-31にあります。この教会の牧師は所沢教会出身の杉山いずみ牧師です。お父様も牧師であり、いずみさんが小さい頃にいらした教会に牧師として就任することになったのです。数年前、とても素敵な教会堂ができています。若い(?)牧師さんをぜひ徳島の方々応援してください。多くの拡がりをもつ杉山いずみ先生です。祈りの課題は以下です。①高齢者も安心して礼拝に集えるように。②病気療養中の方たちのために。③新来者の信仰生活のために。牧師・杉山
いずみ
3/7 マタイ福音書25章1-13節 「整え、準備する歩み」
「天の国」は「神の国」「天国」と同じ意味で、現在と彼方、両方に関わる事柄。花婿を迎えて祝祭を待つ女性達。花婿の到着が遅れた結果、愚かとされる女性は備えての油を用意していなかったため、急いで買いに行っている間に祝宴の扉が閉じられたのです。「油断」の語源でしょうか?自分の死や終末を考えることがあります。自分に今、「死」がやってきたら大変!教会等に残す資料整理もできてないし、どこに何があるのかも解らず、教会や家族等に迷惑をかけてしまいます。備えていない愚かな人になります。終末を覚えるとは、今日の歩みを大事に過ごし、自分の死にも向き合いつつ整えていくことです。愚かな僕を主よ、お守りください。また、この観点を世界へ広げると世界が向き合うべきことも見えてくるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 高知伊勢崎キリスト教会。高知市伊勢崎町3-8にあります。昔は幼稚園も併設されていました。現在は無牧師の状況です。ぜひ応援してください。祈りの課題は以下です。①礼拝教会活動が守られるように。②無牧師の中での働きが守られ、新しい牧師が与えられるように。
3/6 マタイ福音書24章32-51節 「終末を考えることは、今を生きること」
昨日に引き続く箇所。「いちじくの木の譬え」は世の動きを見極めつつ日々を歩むこと。世界は良き方向にせよ、悪しき方向にせよ動いています。「もう世の終わり、生きていても意味がない」等と悲観することはありません。神の時まで世界は滅ぶことなく、ただ一つ滅びることのない神の言葉を信頼し、日々の糧、日々の羅針盤として歩むことです。人間は誰も終末を知り得ません。その日が来た時、畑に二人いれば、一人は神のもとへと招かれ、一人は滅びの中に残されることは確率の話ではなく、その時あなたは「残る」と考えるのか「残らない」と考えるでしょうか。いずれにせよ、今の時をどのように生きるのか、という人生の課題です。今日はN・Eさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 徳山バプテスト伝道所。山口県徳山市にあります。問い合わせや連絡は今治バプテスト教会(電話:0898-35-3776)にお願いいたします。人が減り、厳しい状況にあります。祈りの課題は以下です。①教会を通しキリストが指し示されるように。②来会者と一緒に礼拝できるように。③悩める人に寄り添えるように。協力牧師・今井 謙一、今井 朋恵、支援者・宝田 豊(ノーステキサス日本語教会対外伝道牧師)
3/5 マタイ福音書24章32-51節 「命を守れ、終りの日まで」
昨日に続く主イエスの再臨(再び主イエスが来られる日=終末)の話。福音書記者が「読者よ悟れ」と付加した「憎むべき破壊者が聖なる場所に立つ」とは紀元70年のローマ軍による神殿蹂躙を指しての記者の警告ですが、それは決定的な終末ではありません。主はキリスト者等に対し(しかし同時にすべての人に対して)、迫害や危険や困難が襲っても逃げて救われるように教えています。そして「偽メシア」、それは「この国や世界を救う」と言いつつ、自己利益しか考えない宗教者や政治家を指します。でもどんな苦しみと困難も終わりの時が必ずやってきます。天体異変の話は旧約の引用です。そして主が来り給う日、救いのラッパが鳴り、真実の愛と喜びの日の到来するのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 今治バプテスト教会。愛媛県今治市中日吉町2-7-21にあります。この教会ではご夫妻で牧師に就任されています。神学部時代からよく存じ上げております。はや30年以上、今治教会の牧師をされています。謙一牧師はギターが上手、歌も上手でよく一緒に演奏したこともありました。朋恵先生は山口県の有名な(?)女学校出身で実は油絵等も書き、愛媛県内の展覧会にも出されているようです。大昔、今治教会をお訪ねさせていただき、瀬戸内海のすばらしい「鯛」をご馳走になりました。いつかまた行きたいです。祈りの課題は以下です。①コロナウイルス感染拡大の収束。②イエスに従う歩みへの導きと助け。③地域の子どもと人々の守りと祝福。牧師・今井謙一、今井朋恵
3/4 マタイ福音書24章1-14節 「終末を覚える日々こそ」
神殿の崩壊の予告と終末について語る主イエスの言葉。ここを読めば、もしかしたら今が終末の時!」と感じる人は二千年の歴史の中に常にいました。決して今が特別な時ではなく、「偽メシア、戦争、飢饉や地震、憎み合う世界、不安、愛が冷える時」はどの時代もそうでした。「いつ終末が来るのか」を人は決して知り得ません。しかしこのような時代を過ごしながら、そして、このような時代だからこそ、主の言葉を求め、全世界に伝え(14節)、主の導きを求めつつ祈ることが「耐え忍ぶ」生き方であり、「終末時」を生きる道なのです。このことをもっと自分に近づけて考えてみると、人は地上の命の終わりがあります。その時がいつかは誰も知り得ません。でも生かされている今日この日を神の恵みの日と覚え、祈り、福音を伝える日としたいのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 松山バプテスト教会。愛媛県松山市此花町7-13にあります。この教会にはまだ行ったことがないのですが、この教会も「八幡浜教会」で紹介した女性宣教師ワトキンスによって始められた集会から教会となりました。ワトキンス宣教師の働きは本当に驚くべき、そして感謝なものでした。故郷を遠く離れた日本で、日本語を学び、まさに村々町々を歩きつつ伝道されたのです。祈りの課題は以下です。①福音の種を蒔き続けよう。牧師・川上 敏夫
3/3 マタイ福音書10章16節 「蛇と鳩の両面性を持ちつつ」
この箇所は最近宣教でも取り上げた主イエスによる使徒派遣の言葉。キング牧師は「蛇のような賢さとは神の義を求める強い意志のことであり、鳩のような素直さとは、やさしい心のことである。往々にして意志が強いと言われる人はやさしさに欠け、やさしいと言われる人は意志の強さに欠ける」と、なるほど、と思います。多分、神の求める賢さとは、理解・判断が的確で早いこと、感覚が鋭いということであり、相手の心や意志がどこからきているのかを知る心でしょう。一方の素直さは純真や従順とも訳されますが、事柄に対して、あるいは人に対して、まっすぐに向き合うこと、人の評価や価値観に左右されることなく、向き合う力ということと考えてよいでしょう。今日はT・Mさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト道後キリスト教会。愛媛県松山市東野5丁目甲898-48にあります。「道後」といえば温泉が有名ですが、教会は住宅地の中にあり、温泉は車等で行くのでしょう。この教会にもかつて訪れたことがあります。この教会の宮本牧師は、同期ではありませんがご一緒に西南学院大学神学部で学びました。現在、連盟理事もされています。またお連れ合いの方はカウンセラーとして学校等で働きをなされています。祈りの課題は以下です。①療養中の教会員の健康回復を覚えて。②礼拝出席が困難な教会員を覚えて。③コロナ感染症の早期収束を覚えて。牧師・宮本 恵
3/2 ルカ福音書17章20-25節 「今、救いと恵みの日」
「神の国はどこにあるのか」との問いに対する主イエスの言葉。「神の国=天国」とは神の臨在や神の支配を、今は実現してないけれどいつか来る日とファリサイ派は考えていました。「神の国」は今、主イエスがいらっしゃることにおいて生起し、また地上の命を終えてもなお神と共に生きる世界の約束です。「あなたがたの間に」との主の言葉は解釈が困難な言葉ですが、まず「心の内部」という意味ではありません。岩波訳の注記が良い解説です。「『あなたたちの現実の只中』との訳は『現実のど真ん中』と解し、一つ一つの現実が、神の国、神の臨在、支配の活ける『譬』そのものである。それは心の眼を開かぬ限り、客観的に『観察』してわかるものではない。」
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 松山西キリスト教会。愛媛県松山市久万ノ台1498-3にあります。この教会で牧師として歩んでこられたシェラ―・ロバート牧師は、お父様が宣教師として来日され、神戸教会等でお働きになった方です。その関わりからシェラ―牧師Jrとお出会いさせていただきました。しかし、2-3年前に突然逝去され、その後、無牧師となっています。祈りの課題は以下です。①主の導きのもと牧師招聘の歩みが進んでいきますように。②主と共に今、この時代を歩むことができますように。代表者・城前 正志
3/1 ルカ福音書12章35-40節 「レントを過ごす日々」
今年の教会暦では2月17日から「受難節(四旬節)」に入りました。初日を「灰の水曜日」と呼び、悔い改めの祈りを行い、その後イースターの前日まで続く期間は、主イエスが十字架と死に至る苦難の道を思い起こすのです。「四旬」というのは「四十(日)」という意味です。なお、日曜は主の復活を祝う日なので除外されています。伝統的にこの期間に断食や学び(バプテスマの準備等も含む)、祈り、慈善が推奨されますが、好物を絶って祈りの時を持つなどそれぞれ個人が思う方法で主イエスの受難を思い起こすのです。東日本大震災やコロナのことを覚え、祈りやできる事を考えるのも良いでしょう。今日の箇所はいつ主が来ても良いよう日々を整えることへの招きです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 八幡浜バプテスト教会。愛媛県八幡浜市広瀬2-2-12にあります。八幡浜は愛媛でも端っこで、漁業と農業(みかん等)の町です。神学生の時代に夏期奉仕で訪れたことがありますが、海がすごくきれいで、海岸から下を見れば、石鯛等が泳いでいるのが見えて、網ですくえるのではないかと感じるほどでした。一方で人口は減っている地区であり、この地域を最初に伝道された女性宣教師がいらっしゃったころとは随分状況が違っているでしょう。そのような地域で伝道される牧師夫妻と出会い、深く感動したことを今なお覚えています。祈りの課題は以下です。①礼拝参加者が祝され恵まれる教会。②信仰を継承し、主と共に生きる教会。③地域の人々が救われるための教会。牧師・榎本 謙二郎、副牧師・榎本 佐智子
2/22-28 特別版(聖書箇所と祈りの課題のみ)
2月22日(月) 聖書:ゼカリヤ9章9~10節 「小ろばに乗る王」
教会の祈り: 北関東地方連合諸教会と27日の連合定期総会のため。 今日の祈り:小野田教会(山口県)。①奏楽者が与えられますように。②教会学校が復活できますように。③教会・幼稚園の建築のために。 牧師:佐野
太。
2月23日(火) 聖書:詩編118編22~29節 「祝福あれ、ホサナ」
今日の祈り:防府教会(山口県)。①子どもたちの生活環境が整えられますように。②与えられている協力者と共に働き、喜びを分かち合う。 牧師:山時
松江。
2月24日(水) 聖書:イザヤ書62章10~12節「御救いの行進」
教会の祈り: T・Tさんのお誕生日おめでとうございます。今日の祈り:西九州地方連合。①コロナ下も、協力伝道の推進を。②加盟各教会で礼拝が守られるように。③加盟諸教会の財政が守られるように。 会長:藤野
慶一郎(嬉野教会牧師)
2月25日(木) 聖書:Ⅰペトロ2章23~25節「魂の牧者のもとへ」
今日の祈り:①連盟「性差別問題特別委員会」。①無意識の偏見、差別心に気づけるように。②我が身に引き寄せ想像できるように。③ひとつ行動に移せるように。 委員長:岡田
富美子(那覇新都心教会牧師)。
2月26日(金) 聖書:ヨハネ福音書1章43~51節「ナザレの人イエスとの出合い」
今日の祈り:連盟臨時委員会。「平和宣言推進担当者会」「憲法改悪を許さない私たちの共同アクション担当者会」「東日本大震災被災地支援委員会」「現地支援委員会」。
2月27日(土) 聖書:マタイ福音書21章12~17節「ダビデの子にホサナ」
教会の祈り: M・Sさんのお誕生日おめでとうございます。 今日の祈り:米国南部バプテスト日本語教会連盟。①コロナ禍で礼拝が守られるように。②教会員の健康が守られるように。③教会が人々の希望となれるように。
2月28日(日) 聖書:マタイ福音書21章1~11節「柔和なお方」
今日の祈り:連盟引退教役者の方々を覚えて。明石初恵氏(長崎県在住)、天野和男氏(東京都在住)。
2/21 マタイ福音書16章13-28節 「主イエスに指図する弟子」
今まで何度も読みながら解釈が難しいと思う箇所。ペトロの信仰告白があり、その信仰の上に教会が建てられることが語られます。そのペトロが何と、主イエスが「自分が権力により殺され、復活する」話をした時に「そんなことは言ってはなりません。殺されるような人をどうして救い主を思うでしょうか」と主をいさめます。それでは伝道もできない、自分も死にたくないと思ったのは当然かも。でもそのように「自分が信じられる神はこのような神である」とその信仰を主に押し付けることがサタンの働きになるのです。「自分を捨て」とはまさに自分の思い通りに人や世界を動かしたいという欲求を捨てること、「十字架を背負い」とは昨日、一昨日の箇所を参考にしながら考えたいものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 下関バプテスト教会。山口県下関市上田中町2-7-11にあります。「下関」は関門海峡の本州側になります。「ふぐ」料理が有名です。ふぐは身が固いので薄く切って食べるのですね。本格的なコースは食べたことがありません。「ニモ」もふぐ科です。祈りの課題は以下です。幼稚園と共に生き、福音を伝えられるように。②教会の働きに参与しやすいシステムを作れるように。牧師・泉
選也
2/20 ローマ書2章1-16節 「人を裁くことができるのか」
「人を裁く」ということ。「裁く」ことは善悪理非を定めることで、人間は人間を真に正しく裁くことはできません。「裁き」は神の領域です。なのに、人は自らのみを正しいとし、裁く権利を持っているように思うのです。「裁き」より神の愛と憐みが人を立ち直らせることができるのです。また、今日の箇所だけ読むと善行を積めば救われるという「行いによる救い」が書かれているように思いますが、ローマ書等の書簡は全体で読まなければその真意を見失います。ローマ書は「ただ信仰による救い」を高々と掲げている信仰書です。そしてここでは「異邦人は救われない」と力説するユダヤ人に対して、「神は人間を差別しない」ことの表明が大事で、その導入が2章にあります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 門司バプテスト教会。福岡県北九州市門司区老松町7-3にあります。1891年創立の歴史のある教会です。「幸幼稚園」を運営されています。祈りの課題は以下です。①教会に連なる人たちの健康の祝福。②幸(さいわい)幼稚園が神さまに守られるように。③教会を支える人が与えられますように。牧師・桐原 恩恵
2/19 マタイ福音書10章34-39節 「あなたが背負う十字架」
この箇所は実は余り扱いたくない、難しいところです。まず「剣」の話。分裂させるために来たとの言葉は主の言葉や行為と矛盾します。ただこれは、福音の持つ価値観と世の価値観があからさまになるということです。経済や武力を誇る世界と福音は結ばれないことを覚えたいものです。また、家族との関係についても、主イエスは結婚式を祝福し、親の愛に深く共鳴しています。この言葉も矛盾します。ここはミカ書7章6節が引用されているので必ず参照してください。ミカ書7章7節とのつながりが六節になります。そして、この部分は「弟子の派遣」に関わることとして、福音宣教者の苦悩と考えられます。「十字架を負って」、この十字架とは何か、それは迫害、犠牲、救い、使命など考えられます。あなたはどう考えるでしょうか。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 門司港キリスト教会。福岡県北九州市門司区清滝4-2-5にあります。門司港は関門海峡と接して本州が良く見えます。門司と下関の間は人が歩けるトンネル、車のトンネル、橋などで結ばれています。今、門司港はレトロな町として人気のあるスポットになりました。お向かいの下関にも水族館や新鮮な魚の市場などがあります。祈りの課題は以下です。①与えられ、それぞれ異なった賜物をもって、主に仕える教会に。代表役員代務者・石橋 貞男
2/18 ヨハネ福音書1章35-42節 「行き交うまなざし」
ヨハネ福音書では「見た」という言葉が信仰のキーワード(鍵語)の一つです。それは「見ないと信じられない」という人々が多かったゆえですが、今も同じです。今日の箇所は主イエスが弟子を招くところ。洗礼者ヨハネの弟子が主イエスに「どこに泊まっているのですか」と質問したのは少しずれている感がありますが、「泊まる、留まる」もまたヨハネ福音書の信仰キーワードの一つ。それは今後主イエスにつながっていくことを意味します。さらに「見た」という言葉が何度も繰り返され、「見る」ことが「信じること、つながること、従うこと」へ進みます。主イエスと弟子達との視線を結んでいくと「見る」という行為がより高い関係性(名を呼ぶ、名を与える)につながります。今日はT・Yさんのお誕生日おめでとうございます。誕生日を控えて大学も決まりとても嬉しいですね!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 富野バプテスト教会。福岡県北九州市小倉北区上富野5-2-18にあります。この教会も長い歴史を持つ教会です。大昔に行ったことがあります。この教会にはパイプオルガンがあり、同時にすばらしい、西日本でも最高といわれるオルガニストもいらっしゃいます。オルガンのことはこの方に聞けばよくわかります。でも気さくな方ですよ。一度、当教会のオルガン(パイプオルガンではなく、電気式オルガンですが)を演奏していただきたいと思いつつ、九州からお招きするのはなかなか難しいのですよ。でも、いつか。祈りの課題は以下です。①コロナ禍の早期鎮静のために。②教会の礼拝と教会員の健康が守られますように。牧師・黄 仁坤、協力牧師・福田 昌治
2/17 マタイ福音書14章22-33節 「主を呼ぼう」
主イエスは弟子達を先に船に乗せ、ご自分はひとりの祈祷会を持ちます。主イエスと離れた弟子達は逆風のため、漕いでもなかなか船は進みません。この船は逆風の中に歩む教会としても理解されてきました。ここで弟子達が祈ることをしたら話は違ったかもしれませんが、元漁師を含む弟子達は自分の力のみを頼りました。きっと主イエスは、主を求めるようにと近づきますが、祈っていない弟子はイエスと思わず「幽霊だ」と叫びます。イエスを求めていたら決して間違うことはなかったでしょう。ペトロは水の上を歩いて主に近づきたいと思い、「来なさい」と言われて歩みだします。しかし強い風に気が付いて溺れそうになるのです。逆風や強い風、困難な時まず主を呼ぼう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト小倉キリスト教会。福岡県北九州市小倉北区古船場町9-14にあります。新幹線駅もある小倉駅から少し遠いけど歩いても行ける距離です。かつては「湧金幼稚園」もありました。祈りの課題は以下です。①地域の人々の生活が守られますように。②礼拝での奉仕者が与えられますように。③主のみ心に適う教会形成の実現。牧師・山本 龍一郎
2/16 ルカ福音書9章18-20節 「ひとりで祈る主イエス」
昨日と同じ内容をルカが伝えます。異なる点があるのは、一つの事件の記事が各新聞社で多少異なって報じられることが参考になります。聖書ではその違いが多面的な証言として理解されます。最初の言葉「主がひとりで祈っていた」。主は多忙な中で「ひとり」で「祈る」ことがその歩みを守ったのです。私達は「イエスさま」に祈ります。主イエスはご自身が神であるので祈る必要がないように思いますが、「御心」を行うために深い祈りの時を要しました。軽率に行動する我らに主イエスは改めて祈ることを教えるのです。さて、ペトロの信仰告白が記されます。イエスとは誰か?ペトロは正しく答えました。しかしそれが終わりではなくイエスを求める歩みへの新たな招きです。今日はK・Yさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 南小倉バプテスト教会。福岡県北九州市小倉北区弁天町11-19にあります。この教会の牧師である谷本牧師はとっても素敵でユニークなキャラクターをお持ちです。牧師のかたわら、「タンゴ」を演奏するヴァイオリニストとして全国で多くのコンサートをされています。神戸時代は、近くのライブハウスで演奏するので、ということで来るたびに聞きにいっておりました。幼稚園でも一度演奏していただいたことがあります。また、そのユニークさは教会の活動にもあり、このコロナ危機の中で「どうぞのつくえ」を置いて、誰かがマスクや何やらを置いて、必要な人がもらっていく、その人、あるいはまた誰かが何かを置いていくという取り組みはマスコミで紹介され、学校の授業でも紹介されたとのことです。祈りの課題は以下です。①つながりを失って孤立し、いのちの危機に瀕している方々のために。教会が希望の網となるために。牧師・谷本 仰
2/15 マルコ福音書8章22-30節 「少しずつ見えてくる」
主イエスは盲人の手を引き、村の外に行く途中では様々な話がなされたことでしょう。そして主イエスによって盲人は少しずつ見えるようになります。その後に続く弟子達との対話。「人々はわたしのことを何者だと言っているのか」と尋ねた主に弟子は「洗礼者ヨハネ」「(旧約聖書に出てくる預言者)エリヤ」「預言者のひとり」等と答えます。そして主は「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と尋ねます。私はイエスをどのような存在であると思うのか、その認識(信じる内容)が主との関係の中では「信仰告白」となります。あなたは主イエスを何と呼ぶのか。「主」は「救い主」「助け主」「伴い主」等の表現に広がります。主と共に歩みつつ確かな方を段々見出していくのです。今日はM・Hさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテストシオン山教会。福岡県北九州市小倉北区下到津2-15-21にあります。この教会は学校法人「西南女学院」というバプテストの精神に基づいて開学された学校の隣りにあります。西南女学院は大学、短期大学、中学校、高等学校、幼稚園がある学校です。私も福岡県にいる時は何度か礼拝(チャペル)でのお話をさせていただきました。西南女学院はもともと、北九州でもおしゃれで優秀な方が行くような感じでした。ただ、最近は北九州市自体が人口減少や経済基盤の脆弱化が進み、生徒さんが集まるのが難しくなっているようです。この学校の隣にあるのが、シオン山教会。この教会は二つの保育園の母体です。「下到津」(しもいとうず)という住所ですが、近くに到津遊園地?到津動物園?の施設があり、ここにいくカップルはますます仲良くなるとか聞いたことがあります。祈りの課題は以下です。①コロナ危機下の教会生活のために。②愛の園・こひつじ両保育園での生活と安全のために。③使命に立って歩む新年度に向けて。牧師・伊藤光雄
2/14 マタイ福音書11章2-19節 「問い、問われつつ」
一読してもすぐに解りづらい箇所。まず、洗礼者ヨハネの問いがあります。牢獄にいて、もしイエスが救い主なら、私はここに居続けないで良いのに、との思いがあるのです。ヨハネにはイザヤ書と共にイエスの言葉や活動が知らされます。「つまずかない人は幸いである」とは「わたしを信じ続けなさい、どんな状況でも」ということです。そして、主イエスが洗礼者ヨハネに対する「彼こそエリヤ(再び来ると旧約聖書で記されていた)であり、預言者である」と告げ知らせます。17節の言葉は当時の子どもの歌と言われます。主イエスの悲しみです。主イエスが人に福音を告げ、共に生きることへと招きます。でも人々は「どうでもよい」と去っていくし、その時、イエスに対しても「だめなやつ」と言い残すのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 企救(きく)バプテスト教会。福岡県北九州市小倉南区徳力6-10-6にあります。「徳力団地」という大きな団地の周辺にあります。この教会の原田牧師は私と同じ出身教会で、よく存じあげております。体形(?)や雰囲気が「ムーミン」に似ている方です。この方のCDはものすごい量で、さらに「絵本」の蔵書並びにその知識は深く、絵本から聖書の話へとつなげていく方で、素晴らしい才能をお持ちの方です。またへブル語にも堪能(へブル語が堪能な方はギリシャ語も大変詳しいことが多い)で、九州バプテスト神学校や西南学院大学神学部でも非常勤で教えておられました、あるいは教えておられます。祈りの課題は以下です。①年度主題 ~二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである ~。牧師・原田 義也
2/13 マタイ福音書16章1-12節 「愛の証拠を見せよ」
主イエスを試すため「神である、あるいは、神の子としての証明」を見せよと人々が来ます。「しるし」とは「サイン」。私共も「自分を愛している証拠」を見せよと言い、その証拠としてバレンタインチョコをつくっている人がいるかもしれません。「証拠」を欲するのは、「疑い」があるから。愛を疑い、関係性を疑い、真実を疑う私共。疑うことは悪いことではありません。でも「見えない心」で結ばれる人と人、人と神の関係性の証拠をどこに見つけましょう。親が一生懸命に子育てしているのに、子はその思いを理解できず、「愛されていない」と文句ばかり言います。自分が感動した絵画でも作者のサインがなかったら無価値なのでしょうか。そのようなことを考え、読みました。今日はS・Tさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 小倉春ケ丘バプテスト教会。福岡県北九州市小倉南区春ケ丘3-3にあります。祈りの課題は以下です。①会堂修理費用が与えられるように。②皆の心がワンチームになるように。③地域に根差した教会になるように。代表執事・高松 由希子
2/12 マラキ書3章6-24節 「何か悪いことしましたっけ?」
旧約最後の書である書の「マラキ」は「わたしの使者」の意味で匿名の預言者とも言われます。捕囚後の神殿再建後に神の祝福がなかった理由等を対話(討論)形式で記します。7節では「立ち帰れ」と語る神に「どうしたらよいのだ(私達は何も間違っていないのに)」と言い張る民の姿。13節以下では、「神に対しひどいことを語っている」と語る時には「神を敬っても何も良いことはない。俺たちは『高慢こそ幸い』と言おう」等の姿を描き示します。でも十六節では神を信じる者たちが「神の記録の書」に私どものすべての言葉が記され残るのだと語り合い、そのような人々が神の宝の民となると記されます。そして預言者エリヤの再来を告げ、旧約66巻が閉じられます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 北九州キリスト教会。福岡県北九州市戸畑区中本町12-34にあります。この教会は社会福祉法人「北九州ナオミ福祉会」を生み出した母体であり、「保育所 ナオミ愛児園」との関わりがあります。祈りの課題は以下です。①主任牧師が与えられるように。②ナオミ愛児園が祝福されるように。③コロナが終息に向かうように。協力牧師・鬼塚 諌、四月より斎藤信一郎主任牧師(元 西川口教会牧師)就任。
2/11 イザヤ書61章1-11節 「嘆く人々は慰められる日」
イザヤ書は40~55章を「第二イザヤ」、56~66章を「第三イザヤ」と分け、捕囚期後半の預言とされるのが現代、普通になりました。。今日の箇所はルカ4章で主イエスが故郷ナザレの会堂で手渡された預言書の中で選び、宣教した箇所です。それはまさに「油注がれ(た者)=キリスト」であり、自らをメシア=キリスト=約束された救い主、旧約聖書の実現と語ります。しかし、主は一文を削除しました。それが2節の「神が報復される日を告知して」という言葉。会堂にいた人々は「我らを苦しめる奴らに神が報復し、ぶっ潰す」と期待した言葉がなかったのです。その後、怒った人々はイエスを崖から突き落とそうとします。さて、今日を私共は「信教の自由を守る日」と呼びます。皇国思想が引き起した誤った歴史を繰り返さないように。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 若松バプテスト教会。福岡県北九州市若松区栄盛川町9-1にあります。1889年の創立で、日本バプテスト連盟に加盟する中でも一番古いくらいの歴史を持つ教会です。それだけ多くの物語を持つ教会で、かつて北九州市の市長だった吉田けいたろう(すいません、字を忘れました)が牧師でありました。また、「神愛幼稚園」の母体でもあります。この幼稚園の敷地はものすごく広く、こんなすばらしい環境で育つ子どもさんは幸せだなぁと思いました。現在の永町牧師は、2年位前まで大宮教会の牧師であったので、親しくさせていただきました。礼拝堂も大きいのですが、どうぞ多くの人々が集う教会となりますように。祈りの課題は以下です。①礼拝・祈り会・教会学校の充実。②伝道が導かれますように。③神愛幼稚園の活動の祝福。牧師・永町 友恵
2/10 イザヤ書35章1-9節 「嘆きと悲しみが逃げ去る日」
昨日のイザヤ書は厳しく辛い状況が描かれ、胸苦しくなります。そのような時代が来ないようにと思う一方、その事態はすでにやって来ているのかとも思います。今、我らは主に深く祈りたいものです。イザヤは暗いトンネルの彼方に一筋の希望を見ているがゆえに語ります。それは真の王、キリスト(救い主)の希望。35章はイザヤ預言のクライマックス。神の支配の中で自然と人類とが救い出され、永遠の平和の園が実現する約束です。「レバノン」はパレスチナ北部の山脈で森林植物の産地です。「カルメル」は尾根上の山で姿と緑の豊かさで知られる山、「シャロン」は緑豊かな平原で家畜の飼育に適し、肥沃な土地。今、我らも「嘆きと悲しみが逃げ去る」日を待望します。今日はF・Kさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト高須キリスト教会。福岡県北九州市若松区高須東3-4-5にあります。1986年から始まった教会で、実はまだあまり知りません。祈りの課題は以下です。地域に開かれた教会となるように。②バプテスマが起こされるように。③コロナが終息するように。牧師・三上
渡、協力牧師・山田 雄次
2/9 イザヤ書26章1-21節 「苦難の中で主を待ち望め」
イザヤ(第一イザヤ)は紀元前8世紀、北王国の滅亡する中、同じく危機にあった南ユダで神の言葉を語った予言者。イザヤは危機の中で落ち着いて「聖なる神」に信頼することを語り、時には裸足でデモをしながら神に立ち帰る呼びかけをしました。今日の箇所でも「主に信頼すること」「死の世界がよみがえること」「主による解決」を待つことが記されています。気になったのは16節の「まじないを唱える」(新共同訳)。他の訳では「祈ってつぶやく」「うめきの声をあげる」です。「まじない」とは「神仏その他不可思議なものの威力を借りて、災いや病気などを起こしたり、また除いたりする術」。つまり「呻きのような祈り」という意味か?結論は出ませんが、そのようなうめきもまた喜びに変えられるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 八幡バプテスト教会。福岡県北九州市八幡西区岡田町2-14にあります。この教会はJR等で「黒崎」駅から徒歩7~8分程度です。「黒崎」という町はかつてはデパートや大規模な商店、商店街等がたくさんあった町です。先日、所用があり、黒崎の町を歩いたらびっくりしました。デパートや大規模商店もなくなり、商店街はシャッターばかり。歩いている人も少なく、かつての面影はありません。八幡バプテスト教会は1905年に設立した歴史ある教会です。まだ建物も昔のままで、まるで時代スリップした感じさえします。この教会の久保田牧師、北九州市は人口減少しているとはいえ、もともとは百万人都市。お働きが祝されることを祈っています。祈りの課題は以下です。①伝道のために。②災害被災地の復興のために。③福島の原発事故の収束のために。 牧師・久保田 理
2/8 マタイ福音書14章1-21節 「二つの食卓」
この章前半では二つの食卓が対比されるようにつなげられます。領主ヘロデ(ヘロデ・アンティパス)は、ヘロデ大王の第四の妻の子です。ヘロデ一族はローマ支配下のユダヤで紀元前37年~紀元14年頃まで「王」として君臨しました。なので、数名のヘロデが聖書に登場します。今日のヘロデは異母兄の妻を奪ったことを洗礼者ヨハネが糾弾し、そのことに怒ったヘロデが牢獄に入れます。そしてヘロデの誕生日に見事な舞を踊った娘に褒美を与える時、彼女は母親と相談して洗礼者ヨハネの首をご馳走にしたのです。ヘロデは権力と自己保全と名誉のために死の食卓を用意するのです。対する主イエスの食卓は、人を癒し、み言葉をパンとして与え、飢えた者すべてに配られる恵みの食卓なのです。今日はK・Mさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> バプテスト光キリスト教会。福岡県北九州市八幡西区里中2-5-5にあります。祈りの課題は以下です。①コロナ危機で闘病中の方、医療従事者の癒しと健康のために。②入院中の教会員の健康回復と教会復帰のために。現在、活動が休止されている可能性があるので、行く予定のある方は、093-613-0297に連絡してください。
2/7 マタイ福音書10章26-31節 「恐れるべきことは」
「人々を恐れる」、そこに様々な状況が想定されます。意見の違い、分断の世界、あるいは自分の秘密を知っている人々、自分を陥れようとする人々。あなたにとって「恐れる人」はどのような存在でしょうか。恐れることなく、常に同じ目線で話せる人々は友であり、仲間です。そのような状況が引き裂かれる時、誰かが間違っていますし、秘密や隠し事が多くなります。真実が常に明示される世界、密室や秘密をつくらないことが「恐れる人々」を生まない世界です。「体は殺しても魂を殺すことができない」、殺人は解決手段ではない。魂の叫びに心向ける社会は。殺すことでなく命を喜ぶ社会。そして、主はあなたに今日も目を注がれています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 東八幡キリスト教会。福岡県北九州市八幡東区荒生田2-1-40にあります。この教会から始められた働きとして生活困窮者や社会からの孤立状態にある人々の生活再建を支援してる認定NPO法人の活動をするNPO法人「抱僕」があり、奥田牧師は理事長を兼ねております。この働きはNHK等で何度もとりあげられました。広く活動が行われているので、ぜひうかがってみたり、協力されてはいかがでしょうか。祈りの課題は以下です。①すべての人のための教会になる。②「ホーム」を失った人とつながる。③教会に来れない人ともつながる。 牧師・奥田 知志、石橋 誠一、協働牧師・藤田 英彦、森松 長生
2/6 ルカ福音書12章4-21節 「悪口を言われても友、仲間」
4節冒頭に「友人であるあなたがたに言っておく」。ここは共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)で唯一、弟子達を「友」と呼んでいる箇所です。慈しみをもって大事なことを伝えたのです。「1アサリオン」はデナリオンの16分の1。1デナリを1万円とすれば、二アサリオンは1200円位。値段の問題以上に、雀一羽さえ神は忘れず、あなたがたの髪の毛まで数えられているのです。量が少ないとか多いとかの話ではありません。詩的な美しさを持つ言葉は人々の心を打ったことでしょう。8節では「仲間」と主が呼んでくださいます。10節の「人の子」は主イエスのこと。主イエスの悪口をたとえ言っても赦される、しかし神の完全な赦しを否定することは赦されないのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト枝光キリスト教会。福岡県北九州市八幡東区白川町10-36にあります。この教会の岩崎牧師は「カルト宗教」に造詣が深く、様々な発信や活動を行っております。大学などで「変な宗教」(あるいは宗教でないように近づいてくる)で心配したらご相談をお勧めします。祈りの課題は以下です。①病気療養中の方々を覚えて。②福音に根ざした教会となるために。③カルト宗教被害者の方々を覚えて。牧師・岩崎一宏
2/5 Ⅱコリント5章11-21節 「新たな『あなた』を生きる」
パウロがコリント教会に向けて書いた手紙です。手紙は「相手の主張」への返答も含まれるので常に対話の相手がいることを考えながら読むことが大事です。今日の言葉の背景にはパウロに対する妬みや誤解があります。「あいつは正気ではない」とも言われていたようですが、尋常でないキリストの愛と救い、復活を訴えるパウロは常に本気です。16節の「肉に従って知ろうとはしない」は「人間の評判や外見の良し悪し、人間的な基準でもって量り知ることを止めよう」ということ。だって、十字架上で苦しみ叫ぶ方を誰が神だと思うでしょうか。しかし、その苦しみが自分のため、神との和解のための自分の身代わりであったことを受け止める時、新たな「あなた」の創造(クリエーション)が始まるのです。今日はO・Mさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 折尾キリスト教会。福岡県北九州市八幡西区光明2-12-13にあります。「折尾」は「おりお」と呼びます。折尾駅から徒歩5-7分位と近いです。「折尾」はいくつかの大学・短大等があり、学園都市といわれます。折尾教会はとても美しい会堂を持ちます。今や珍しい「ハモンドオルガン」が設置され、ゴスペルでも利用されているようです。祈りの課題は以下ですが、これは見事だと思いました。①イエスの恵み。②父なる神の愛。③聖霊の交わり。牧師・内村 茂
2/4 ローマ書11章27-42節 「神の愛に接ぎ木される」
旧約の時代、「異邦人」は救われない存在(ただし、ユダヤ人になれば可) とされますが、主イエスによる新しい約束は「全ての民の救い」。ユダヤ人の反発を招くところです。今日の箇所では異邦人の救いを「接ぎ木」のたとえを用いて説明します。「接ぎ木」は園芸の世界でも悪いことではなく、「接ぎ木」によって植物はより元気で良き実りが生じるのです。そう語りながらユダヤ人に対しても神の恵みと愛にふさわしく生きるように促しています。あなた方の中で、こんな親に育てられた、こんな悪い環境で育てられた、と自分の成育歴を悲しみ、怒る方もありましょう。辛かったと思います。でも、主に出会い、あなたの人生を主の愛に「接ぎ木」することができるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 芦屋キリスト教会。福岡県遠賀郡芦屋町西浜町4-19にあります。1947年開始なので歴史のある教会です。学校法人「愛生幼稚園」の母体です。祈りの課題は以下です。み言葉に生きる教会になるように。②病や療養中の方の上に主の回復を。③「ワクワク教会学校」のために。牧師・尹 正鉉
2/3 申命記31章1-8節 「立春に祈る」
今日は節分と思っていたら、なんと124年振りに節分は2日、今日が「立春」です。「立春」は一年で一番寒い時ですが、底を迎え、春へ出で立つ日。新たな季節を迎える際「厄払い」する光景がありますが、我らは主に向かい、祈りと讃美を献げましょう。今日の箇所はモーセの言葉が終わり、ヨシュアへの任務委譲の話。モーセは「ヨルダン川を渡ることはできない」、つまり「終わり」の宣告を受け止め、次の世代へと働きを委託します。でもそれは孤独の戦いではなく、主が常に先立ち、共に歩まれるゆえに恐れることはないと励まし、また、そのことを忘れないようにとの思いです。「滅ぼす」等の言葉は辛い言葉ですが、戦国時代であり、旧約の限界があります。新約での約束は「平和を造り出すこと」です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 中間バプテスト教会。この教会は福岡県中間市長津2-11-16にあります。「中間」は「ちゅうかん」ではなく「なかま」と呼びます。「なかま」っていい言葉ですね。祈りの課題は以下です。①聖霊に励まされて歩む教会。②礼拝を通して主と出会えるように。③常にみ言葉から養われる群れへ。牧師・安部 寅彦。
2/2 申命記10章12-22節 「日々心に刻みたい言葉」
「申命記」はいつも語るようにモーセの遺言です。12節は朝ごとの心に刻みたい言葉。「畏れ」とは、「真に尊い、力あるものと認め、その前で礼儀を失わず、心確かにし尊敬し、その方に自らが従っていこうとする態度」です。「信仰」と言い換えても良いですね。「心の包皮」、「包皮」はユダヤで産まれた男子の「おちんちん」の皮の先端を切り取ること(清潔にして衛生を守る作用もある)ですが、見かけではなく、心から主に従っていきなさいとの意味です。17節以下は高い倫理観に立ち、国や政治の在り方を教えます。特に社会的弱者である孤児、寡婦、寄留の外国人等に対する教えは今なお求めるべきことです。今の日本政治は弱者に厳しいという愛なき世界です。豊かさを愛の実践として分かち合うべき。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 直方バプテスト・キリスト教会。「直方」はちょくほうではなく、「のおがた」と読みます。福岡県直方市頓野3895-6にあります。数年前に新しい教会堂が建てられています。この教会の田中牧師とは35年程前から知っており、一緒にコンサートをしたこともあります。歌が上手(ご夫妻とも大学聖歌隊に所属されていた)な方です。その後もいろいろな研修会での奉仕など共にさせていただきました。祈りの課題は以下です。①地域の拠り所となる教会。②沖縄や被災地に寄り添う。③牧師と共に福音を喜び伝える。牧師・田中伊策
2/1 マタイ福音書10章16-31節 「蛇のごとく、鳩のごとく」
主イエスの弟子派遣時の「はなむけ」の言葉であり、伝道を祈る者への言葉。「蛇のように賢く、鳩のように素直に」との言葉は有名ですが、蛇や鳩と日常出会わないし、話したこともないので「?」と思います。「鳩」は古代より「柔和、無邪気、平和」のイメージがあり、「素直」は「混じりけのない」意味で、多くの誘惑が満ちる世界において「悪に混じらない」ことです。「蛇」は聖書で時に「悪魔やサタン、試みる者」として登場して、良いイメージはありませんが、その「賢さ」に注目されたのです。ただしその用い方です。「賢い」は「分別ある、思慮深い、注意深い」との意味があり、善悪を正しく判断し、思慮深い行動が求められているのです。正反対な存在を使い、その両面を大事にする勧めです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 飯塚バプテスト教会。福岡県飯塚市西町6-45にあります。飯塚はかつては石炭等鉄鋼関連産業で賑やかなところでしたが、今はどうなっているのでしょう。祈りの課題は以下です。①コロナ終息とワクチンの開発。②教会の歩みを意思決定していく。③絵画教室とブログが継続するように。牧師・高屋 澄夫、高屋 和子
1/31 マタイ福音書9章35-10章15節 「宣教派遣される弟子へ」
主イエスの宣教活動が始まり、一人ひとりと出会い、その必要に応えつつ、人々の中に「精神的・肉体的・社会的・宗教的な飢えや渇き、弱さ、絶望」が満ちていることを見、共感しますが、それはすでに主や弟子達の時間的・肉体的な限界を超えていきます。そしてまず「祈ること」をお示しになります。教会もいろいろと人材不足がありますがそれを嘆いて終わるのではなく、祈ることを始めなくてはなりません。さらに主イエスの活動を見てきた弟子達を伝道者として派遣いたします。「天の国」は「神の国」と同じ言葉です。派遣にあたって主イエスはマニュアルを示します。サマリアや異邦人のところに行くな、とは弟子達の様々な能力が及ばないからであり、嫌っているわけではありません。。受け入れない人もいますのでその対応も教えます。「改心するまで帰らない」などはありません。教会は来る者拒まず、去る者追わずです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟引退教役者の方々を覚えて。吉高國彦氏(大分県在住)、青木卓也氏(佐賀県在住)
1/30 イザヤ書57章14-21節 「へりくだった方との出会い」
「へりくだる」とは自分自身や自分の物、行為を低くした態度をとること。世間で評価が高く、普段にはお会いできないような方が、私のそばに来て親しく話しかけてくれたことが何度もあったことを思い起こします。びっくりしたし、その方のことをもっと知りたいと思いましたし、学びました。逆に偉そうな態度で見下されるように感じさせた方とも何度もお会いしました。でもその姿に、可愛そうなほどの虚勢や不安さを感じました。心開かない人とはこういう人なのだと学びました。主イエスはまさに「へりくだり」。神であるのに、私共と同じ高さで親しく語ってくださるのです。その主の「へりくだり」こそ貪欲で背き続ける者をも、いやし、休ませることができるのです。今日はK・Kさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「保育連盟」。この団体は、日本バプテスト連盟を構成する教会で、幼稚園や保育園の運営、また母体として運営にも関わる教会の集まりです。私も某幼稚園園長時代にはいつも夏に行われていた「研修会」に参加しておりました。幼児からイエスさまのことや、キリスト教的視点や温かい人間完成を経験することは、今なおとても大事なことです。祈りの課題は以下です。①幼な子と保育者の救いのために。②保護者に子育ての喜びと安心を。③若者をキリスト教保育に送り出す。 会長・田中 秀一。
1/29 サムエル記4章27-42節 「人生の歩みの背後に」」
サムエル記はサウル、ダビデの時代を扱いますが、着眼点が一味変わっています。ダビデは過去にナバルの牧場の警備をしたようです。ダビデがある時、困窮し、ナバルにその時の報酬を求めます。ところがナバルはならず者で、「ダビデ等知らぬ、奴隷か」と無視します。このことをダビデの従者がナバルの妻、アビガイルに知らせると、妻はすぐに十分すぎる食料等を用意し、ダビデに面会し、失礼を詫びるのでした。そのような話ですが、さて、この物語が何を伝えたいのか、と考えます。有能な妻?ダビデの名声の拡がり?26節の「主が生きておられ、主が守ってくださった」という言葉が肝でしょう。知らせが伝えられ、相応しい行動をもって主の導きを感謝することです。今日はH・KさんとS・Aちゃんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「天城山荘」。天城山荘は静岡県伊豆市湯ヶ島2860-1にあります。三島から電車に乗って「修善寺」に。そこから東海バスに乗って25分くらいです。広い敷地に、宿泊施設や大・中・小のチャペル、体育館、バス・トイレが付いた洋室等設備が整っています。主に教会関係の団体やミッションスクール、塾の講習会等で利用されてきました。コロナのため、今は一部での営業になっております。ただ、これからこの施設を用いていけるのか、老朽化や人材、利用者数現等の問題が多々あり、日本バプテスト連盟全体で考えている時です。学校の部活等も利用していただきたいところです。祈りの課題は以下です。①キリストの香りがする職場文化へ。②エキュメニカル協力伝道の中心へ。③事業として整えられ、持続可能へ。所長代行・内藤 崇。
1/28 ヨハネ福音書4章27-42節 「拡がり、深まる対話」
サマリアの女との真昼の出会い。水の話から始まり、永遠の命に至る水、まことの礼拝へと展開し、乾いた地に水が染み入るように女性は魂を取り戻します。弟子達が戻り、女は喜びの余り「水がめ」を忘れ、町に戻り、イエスのことを語り伝えます。次に「食べ物」の話が始まります。女と同様、弟子達も最初から理解できません。主は「魂の食物」から話を深めていきます。「種を蒔く人と刈り取る人」の話は解り難いように感じますが、主の救いの言葉を語る者、信仰へと導いていく道、それぞれ様々な人の関わりがあるのです。今、蒔いた種、いつの日か、誰によってか恵みの出来事を収穫する日が来るのです。今日はK・Mさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「資料保存・管理委員会」。祈りの課題は以下です。①連盟の重要書類の保存作業にあたっている石垣茂夫委員の働きが主によって守られますように。②委員一人ひとりの働きにより、連盟の重書類の保存作業が進められますように。委員長・松村
誠一(品川教会協力牧師)
1/27 イザヤ書55章 「魂に命を得よ」
私も愛唱する箇所です。1節の招きから印象的です。魂の糧にならないものにどれほど迷わされているでしょうか。主の救いの道は金銀で買えるものではなく、求めれば与えられます。3節の「魂に命を得よ」、その「命」は自らにとって何のことか考えるべきもの。6節の「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに」、それは「今」でしょ。そして神に立ち返る時、主は豊かに赦してくださる。「赦し」とは神の前に立つ私どもを無条件で、受け容れてくださる表現です。10節以降においては雨が大地を潤し、そこから芽が息吹くように、神の言葉が私どもの魂に注がれる時、新たな芽吹きが起こります。「ミルトス」は芳香ある植物で果実は鎮痛効果があり、祝祭で用いる「祝いの木」です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福岡地方バプテスト連合。福岡市とその周辺をエリアとする日本バプテスト連盟に所属する39教会・2伝道所で構成される連合体です。福岡市は西南学院大学があることもあり、市内にはほとんど面で教会や伝道所があります。祈りの課題は以下です。①新型コロナウイルスの終息。②2月13日の第3回「どげんすっと?宣教協力」のために。会長・加来
国生(筑紫野二日市教会牧師)
1/26 ヨハネ福音書10章7-18節 「主の門への招き」
ヨハネ福音書では主イエスがご自身を「私は…である」の表現で使命と働きをたとえた箇所が多くあります。今日の箇所には「門」「良い羊飼い」。「門」は「入門」「笑う門(かど)に福来る」「門出」「一門」等思い浮かべますが、それは新たな世界への招きです。主イエスはその門へ招き、そこに入ろうとする悪しき者と戦うのです。そして「良い羊飼い」は羊を世話し、その必要を満たします。そして羊飼いと羊の関係性を「互いに知っている」と表現します。それは「心が通っていること」であり、「弱さも不安も主が知っていること」です。「知っている」からこそ、必要な手当てができます。更に主は「まだ入るべき羊がいる」と語ります。その主の招きが今日もなされています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト苅田キリスト教会。福岡県京都郡苅田町京町2-19-7にあります。「苅田」は日産自動車の九州工場ができてから盛んな町になりました。大昔に工場見学に行ったことがあります。今はどうなんでしょう?神学部の学生時代にもお訪ねしたことがあります。祈りの課題は以下です。①隣接する市町村の人びと、西南女学院の学生生徒、教職員、並びに保護者(家族)が神に結ばれるように。牧師・佐藤清一、名誉牧師・鍋倉勲、教会主事・児玉尚文
1/25 エゼキエル書34章1-16節 「指導者の堕落がもたらすもの」
南王国ユダで祭司の家系に育ったエゼキエル、その名は「神が強めてくださる」という意。彼は国の滅亡とバビロン捕囚という時代に神の言葉を語る預言者として活動しました。国の滅亡の背景に共通するのは指導者の堕落。「牧者」である政治的・宗教的指導者が国民より自らの利益を優先したのです。この指摘は現代にも当てはまります。「国民のための政府」と当たり前のことを掲げた菅政権と与党は自分のメンツや利益誘導をした結果、国民は混乱しています。バイデン大統領は就任演説で語りました。「歴史と信念と理性が道を示してくれます。連帯の道を。私たちはお互いを敵対する相手ではなく、隣人として見ることができます」。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 豊前キリスト教会。福岡県豊前市八屋1686-2にあります。この教会は1953年からの歴史を持つのですが、場所的にもいろいろな課題を抱えていた教会です。しかし、現牧師が就任して、先生の様々な働きが祝されて、人々が集う教会として成長しています。これからの成長が楽しみな教会です。また本山牧師は日本バプテスト連盟教役者会の事務長のお働きをされています。神戸教会時代に共に歩んだこともあり、豊前教会の働きが祝されていることを嬉しく思います。祈りの課題は以下です。①痛みの中にある人々と共に生きることができますように。②すべての人を歓迎する教会になる。③人間が人間らしく生きることを拒むものへの抵抗。牧師:本山大輔
1/22-24 聖書日課と祈りの課題(特別版2)
1月22日(金) 聖書:イザヤ書53章1~5節「病と痛みを担われる方」
今日の祈り:臼杵教会(大分県)。①教会に対する神の呼びかけ(使命)に聴くことができるように。②宣教開始70周年記念式典の祝福。
牧師:永松 博、協力牧師:松永正俊。
1月23日(土) 聖書:マタイ福音書7章24~29節「権威ある者として」
教会の祈り: T・Wさん(誕生日)。 今日の祈り:別府国際教会(大分県)。①主イエスにつながり続ける。②互いの違いを受け入れる教会形成。牧師:酒井朋宏
1月24日(日) 聖書:マタイ福音書8章1~17節「イエスの望み」
今日の祈り:大分教会(大分県)。①教会組織70周年を感謝。②これからの教会の使命が与えられるように。③共に生きる社会形成に参与できるように。牧師:村田 悦。
1/18-1/21 聖書箇所と祈りの課題(特別版です)
1月18日(月) 聖書:マタイ4章23~25節 「ありとあらゆる病気と患い」
教会の祈り: 女性会の働きを覚えて。 今日の祈り:西戸崎(さいとざき)教会(福岡市)。①子どもも一緒の礼拝が祝されるように。②この時期、礼拝に与る恵みに感謝。③全世界の教会が守られますように。 牧師:城 俊幸。
1月19日(火) 聖書:レビ記13章45~46節 「わたしは汚れた者です」
教会の祈り: T・Mさん(誕生日)。 今日の祈り:古賀教会(福岡県)。①災害復旧とウイルス収束のために。②すべての人々と共に礼拝をささげるために。③キリストによる平和と和解の福音を伝えるために。 牧師:泉 清隆。
1月20日(水) 聖書:レビ記14章1~9節「清めの儀式を受けて」
今日の祈り:自由ヶ丘教会(福岡県)。①求めて探し門を叩いて開かれん!②新たな宣教!教会員と共に前進!③コロナ終息で牧師就任式を開催!
主任牧師:諸岡 寛、協力牧師:福本順子。
1月21日(木) 聖書:マルコ福音書7章31~37節「主の御手を置いてください」
教会の祈り: K・Mさん(誕生日)。 今日の祈り:福間教会(福岡市)。①一日も早いコロナ感染症収束を。②高齢者の方々の救いのために。③求道者の方々の救いのために。
牧師:田宮宏介、協力牧師:宮崎信義。
1/17 マタイ福音書5章17-20節 「旧約の廃棄と成就」
「律法と預言(者)」は旧約聖書の内容。「廃止」も「成就」も主イエスにとっては同じ意味合い。主イエスによって新たな神と人間との契約ができたのです。でも主イエスにはかつての律法も本来的な目的から見れば大事なもの。しかし、人間が勘違いして、律法の根本的な内容である人が神との関係においても人間同士の関係においても健康的な世界をつくるべきものを、律法の言葉尻だけ捕らえ「守った」「守らない」と人間が裁くために律法を用い、本来あるべき神と人への愛や支えあうこと、弱者を助ける等の意味を失わせてしまったからです。律法の一点一画、へブル語は「点」「はね」がないと全く異なる意味になるのです。日本語でも同様。「義」は「神が求める正しさ」です。本日は「阪神淡路大震災」を覚えます。建物等は復旧しても、心の傷はいつまでも癒されないことがあります。それらの方々を覚えて祈ります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> バプテスト東福岡教会。福岡市東区馬出4-13-15にあります。地下鉄の駅を上がったらすぐにあります。敷地内には「東福岡幼稚園」もあります。この教会は私が西南学院大学神学部の学生時代に一年通わせていただきました。とてもレトロな建物は今も健在でしょうか。教会から一本隔てた大きな道は「福岡国際マラソン」のコースで12月、ちょうど、礼拝が終わったころに、選手の方々が走っていて「速いなぁ」と感心したことでした。あの速さが32キロ以上走る等本当にびっくりしました。祈りの課題は以下です。①バプテスマ・求道者が与えられるように。②高齢者が元気に過ごせるように。③幼稚園での伝道のために。牧師・笠井 元、協力牧師・松見 俊、劉 雯竹
1/16 マタイ福音書5章12-14節 「地の塩、世の光として」
「山上の説教」と呼ばれる主イエスの宣教であり、いつも初心に立ち戻る言葉の数々。「地の塩」は「海の塩」ではない岩塩ですが、放置すると塩味が抜けていきます。もちろん、「しょっぱさ」ではなく、美味しくすること、つまり喜びや感謝に向かわせる役割です。「光」を隠す人はいません。光は周りを照らすことでその役割を果たします。キリスト者に求められる使命として読めば、時に気落ちします。でも何よりはここでイエスさまの歩みと働きが表明されています。「行為」による信仰はあり得ませんので、主イエスからみ言葉を頂く私共がその塩と光と世界と分け合うことへの招きです。人がホッとするような言葉や行動、人を温かく包むことができたらいいですね。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 香住ヶ丘バプテスト教会。福岡市東区香住ヶ丘4-2-14にあります。1955年の開設です。この教会は昨年、ペシャワールで銃撃され亡くなった中村哲氏が洗礼を受けた教会です。現在、協力牧師の藤井牧師が長らく牧師としてお働きになりましたが、藤井牧師は目が見えない、というハンディを背負いながらも生涯をイエス・キリストの福音を伝えるために用いておられる先生です。祈りの課題は以下です。①礼拝に共にあずかる。②苦難をキリストにあって受けとめる。③自分に頼らず主に信頼する。牧師・堀内 明、名誉牧師・藤井 健児
1/15 ホセア書6章1-6節 「繁栄がもたらせたもの」
ホセアは北王国滅亡の少し前、前723年頃から北王国で活動した預言者であり、旧約預言文書中、北王国の預言者による自国民への唯一の現存する文書です。この6章の最初の呼び掛けは印象的です。三日目には立ち上がらせてくださるとの言葉にはキリストの姿も見えます。北王国が滅亡へと進む時代、貿易、経済、文化が復興し、急速に繁栄がもたらされます。それは上流階級の形成を伴い、貧富の差が生じ、裕福層による抑圧、搾取が社会的隔たりを大きくしました。偶像礼拝が広がり、人々の信仰や道徳が悪化しました。「発展」という言葉は単純な良い言葉ではありません。その時代に「神の愛」が広がり、神を真に知る道を願ったホセア。現代にもつながる事柄です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 博多キリスト教会。福岡市博多区青木1-10-28にあります。この教会は福岡空港近くの少し山を登ったところにあり、飛行機で福岡空港を離着陸する時に、美しい会堂が見えることがあります。祈りの課題は以下です。①コロナ禍にあって、精神的、物質的、霊的に苦しんでいる方々の回復のために。牧師・佐味
健志、協力牧師・川内研二
1/14 マタイ福音書12章1-8節 「人を裁く心」
旧約聖書にある「安息日規定」は様々あり、安息日に、ある歩数以上歩いてはならないとか、料理や仕事をしてはいけない等あります。しかし、規則には目的があり、本来は安息日を喜び感謝するため。今、コロナ感染拡大で「罰則規定」を盛込む話があります。「罰則」で制御するのは状況を整えた最後の話。政府は以前にやるべきこと、語るべきことが沢山あるはずです。人間は犬猫ではないので。最近でも「コロナ警察」と呼ばれる存在が明らかになっていますが何か間違っています。話を戻して、弟子達が小麦の穂を摘んだのを「禁じられている収穫した」と訴える人々がいました。まさに目的は安息日を喜ぶためではなく人を非難するため。汚点を探す人の心は悲しいもの。安息日であろうと主は飢える人を配慮します。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 那珂川キリスト教会。福岡県那珂川市恵子3-3-5にあります。那珂川市は福岡市に隣接し、ベッドタウンとして発展してきました。新幹線の車両基地があり、そこには「南福岡」駅があります。博多から南福岡まで新幹線が使え、とても便利です。この教会の籐牧師は昔からコーヒーがお好きで、コーヒーのことは籐先生に相談すればよいです。一度、ご自宅にあるとても良質のオーディオも聞かせていただいたことがあります。祈りの課題は以下です。①地域の方々との出会い。②福音を届けていく働き。③キリストを頭とした教会形成。牧師・籐 寿
1/13 マタイ福音書5章21-26節 「貧しい心でしかない我ら」
殺人者は刑法により裁きを受けますが、主イエスは「腹を立て」ること、そこから「ばか」「愚か者」と言うことも裁きを受けると語ります。それではやってられないよ、と言いたくなりますが、主イエスは人の罪の根源を照らし、人間が持つ心の醜さ、貧しさを知ってほしいと願っています。もちろん、「ばか」と言う時の言い方や心の状況があり、「言葉じり」の問題ではありません。「あなたってほんとうにおばかさん」と言われる時に悪意はないでしょう。でも「ばか」と人格を否定されていく時に、その痛みはその人自身が生きていけない辛さになるのです。刃物で人を刺さなくても、言葉が人を殺す現実を知っています。人と共に歩み、人を大事にしたいし、私どももそう扱われたいですよね。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト福岡基督教会。福岡市中央区荒戸2-5-16にあります。1892年10月に開始された大変歴史ある教会です。また敷地内には学校法人汀幼稚園があります。この福岡教会に廣島牧師が在任の頃、よくお訪ねいたしました。教会の入り口にイングリッシュガーデンのような雰囲気をかもしておりましたが今はどうでしょう。この教会はある寺?の参道にあり、お正月や花見の頃はたくさんの人が教会を横に見ながら参道を登っていってました。祈りの課題は以下です。①コロナ危機の中、他者と共に生きる教会であるように。②7月豪雨災害で被災された方々のために、支援活動のために。牧師・小川 宏嗣
1/12 出エジプト記34章27-35節 「神の言葉を刻むモーセ」
モーセがシナイ山で「十戒」が神の指で記された板を頂きましたが、山の麓で民が金の雄牛像を造り、礼拝する姿を怒り、板を砕いて人々に飲ませました。そのため、二度目は「十戒」をモーセは心込めて、石の板に一文字一文字を記したのです。その後、モーセの顔が輝いていたとあります。ミケランジェロが造ったモーセ像には「角」があります。これは彼が使った聖書に誤訳があり、「光が輝いていた」のを「角があった」と訳されたため。聖書を読むのはもちろんですが、私はよく聖書の言葉を手書きで写していました。割に最近まで、まず聖書を記し、そこに辞典や注解書の言葉を加えて説教の準備をしていました。時にはモーセのように、心込めて自ら記すと良いですよ。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 鳥飼バプテスト教会。福岡市中央区鳥飼1-6-17にあります。この教会も西南学院と縁が深く、教会の裏手にはかつての学生寮があり、教会の横には西南学院の幼稚園や保育園があります。私の娘たちはこの西南の保育園に通わせていただきました。この教会の前には川があり、ある時期になるとたくさんの鳥がやってきます。子どもを朝、保育園に送る時、パンなどを持っていって鳥に投げると鳥が上手にパンをくわえていくのが面白かった思い出です。これが「鳥飼」の名前の由来かも。また、鳥飼教会は私が神学生の時、一年間、奉仕神学生(当時はそう呼ばれていた)をしておりました。ずっと会堂建築のビジョンがありましたが、できたのかしら?祈りの課題は以下です。①バプテスマ者の成長と求道者の決心。②教会のミッション・ビジョンの作成。③み言葉と祈りと聖霊による前進。牧師・三田 照雄
1/11 ルカ福音書10章25-37節 「答は知っているけど」
主イエスの有名な譬え話です。私どもは「答」を知っています。しかし、その「答」と行動が結びつかない所が実に難しい。理由がいっぱいあるのはよく解ります。夢のようなことを想定してもそれは無理。さらに展開の中で思っていなかったことが生じることもあります。状況は刻刻と変わりますので。自分が行うべきことを定めつつ、神の御心を求めることでしかありません。でも「お前はどうするのか?」と尋ねた主の顔は優しかったと思います。神からの「問いかけ」を受けながら、自分の歩みが相応しいものになったら良いですね。また、ルカ福音書では次の「マリタとマリア」の話をつなげています。神の言葉に耳を傾ける時、行動を起こす時、「時を誤らず」歩みたいものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 西南学院バプテスト教会。福岡市早良区西新7-5-35にあります。その名前の通り、西南学院の建物が並ぶ中にありますが、もちろん独立した組織です。西南学院大学の職員や学生が多く参加されておられます。最近、新しい会堂ができ、パイプオルガンも設置されています。すぐ裏には「西南幼稚園」もあります。踊牧師はいつでも本を読んでおられるような先生で、礼拝のお話でも読まれたご本から聖書につなげた話をされます。祈りの課題は以下です。①教会員の健康が守られるように。②医療従事者が守られるように。③毎週の礼拝が祝されるように。牧師・踊 一郎
1/10 マタイ福音書4章1-11節 「荒野神学校」
バプテスマの後、主イエスは荒野へ送り出されます。しかし主イエスご自身が希望されたように記されています。主イエスが伝道を開始する準備としての「神学校」がまさに悪魔(=サタン、試みる者、神から引き離そうとする人格的な力)との対話する世界でした。私も行った神学校での学びも自らの信仰が様々な角度から掘り起こされ、信仰が確認され、この世界で福音をどのように語るのか、また、福音とは何かと祈り学ぶ時でした。時にはそれまでの信仰が浅く軽薄であるがゆえに壊され、再び建てるような時期です。まさに「心見られる(試みられる)」時なのです。主イエスは何を伝えるべきか、試みの中で確かにされ「御言葉」こそがすべてに打ち勝つ力と証したのです。今日はT・Yさん、H・Tさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト福岡城西キリスト教会。福岡市城南区別府5-10-28にあります。近くには大学等もあり、人の多いところです。協力牧師をされている寺園先生は九州大学、西南学院大学で教授として歩まれ、特にバルト神学を中心とされています。先生のお働きは多くの方々に感化を与えておられます。祈りの課題は以下です。①主日礼拝、祈祷会、諸集会が祝されるように。②教会活動の新たな歩みが導かれるように。牧師・宮井武憲、協力牧師・寺園喜基、名誉牧師・安藤榮雄
1/9 マルコ福音書1章12-14節 「バプテスマの後、荒野へ」
マルコ福音書では最後の預言者であり主イエスの到来を告げるヨハネの活動で旧約とつなぎ、主イエスがバプテスマを受けることによって新たな「福音」の世界の扉が開かれていきます。10節と12節で「〝霊〟」とあり、「聖霊」と何か違うのかと思いますが、「霊(新改訳では「御霊」)」は「聖霊」より古い言い方で、「霊」といわれていましたが、後によりはっきりと「聖」が加えられたので内容は同じです。マルコのあとのマタイ等は「聖霊」と記しております。イザヤ書等では(神の)霊が注がれる存在がメシア(=キリスト)の到来を示すものでした。そしてバプテスマを受けた後に、荒野に送られます。荒野でテストされてから、バプテスマではなく、バプテスマ後に荒野に送り出されるのです。「サタン」とは「試みる者」でもあり、その荒野の中で主イエスがこの世界でなすべき宣教が確かにされるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 西福岡のぞみキリスト教会。長く「伝道所」として活動しておりましたが、2019年に教会組織をされました。割りと最近の「バプテスト」誌か、「世の光」誌で紹介されていたと思うのですが、すぐには出ませんであんまり詳しいことは語ることができません。Mさんが教会のメンバーでいらっしゃったけど、今もお元気でしょうか。祈りの課題は以下です。神の愛が地域の人々の平安を支えてくださいますように。②新来者が信仰に導かれますように。協力牧師・亀井 良雄(プリントでは漢字を間違えていました)
1/8 マタイ福音書6章5-15節 「『誘惑』といいうもの」
主イエスが「祈り」を教えた箇所です。特に13節「誘惑に遭わせず」よりお話しましょう。「誘惑」とは基本、神の心から離れさせていくものです。「誘惑する人」と出会わないように、との祈りは、私共の心はすぐに誘惑に負けるからです。他方、私は正しい者で誘惑する人が来ない限りは大丈夫、と言える人は殆どいません。むしろ「誘惑」したい、されたいと思うのが人間の常かもしれません。誘惑には色々ありましょう。勉強したいのに「遊ぼう」という誘惑があり、ある人を「騙そう」、問題を「誤魔化そう」とする誘惑もあり、「誘惑されたから」と自分がしたかったことをうまく人のせいにすることもあり。常に自分の立ち位置を制御するための祈りが「誘惑に遭わせず~」の祈りなのです。「誘惑」は必ず良くない結果を招くと知っているのに人間には魅力的なのです。今日はY・Kさんのお誕生日です。特にご健康をお祈りしています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福岡西部バプテスト教会。福岡県糸島市前原東3-13-63にあります。「糸島」という福岡市より西にある地域は、今とても人気です。九州大学の移転があったり、自然も豊かな割りに都市部へも行きやすいのです。この教会の麦野牧師は玉川大学音楽学科でホルンを専攻した音楽家です。連盟の音楽関係でもいろいろお付き合いをいただいております。フェイスブックを見ますと、自転車で走り回ったり(ママチャリではなく本格的なロードバイク)、ラーメンを探検したり、サッカーが大好きでもあり、連盟の「ホームレス支援委員会」の委員長であり、西南学院大学でも教鞭をとったりと各方面で大活躍しています。ちなみにご伴侶の方もピアノで音楽大学を卒業された方です。2021年もご夫妻の活躍をお祈りしております。祈りの課題は以下です。①コロナ禍にあるすべての命が守られるように。②教会に連なる人々の守り。③生活困窮者の方々の守り。牧師・麦野 達一
1/7 詩編91編 「翼の下にかばってくださる」
私の聖書の91編には「なかい」とメモしており、そうだ、これは仲井さんという方の好きな聖句だと思いだしました。長らくお会いしておりませんが、ひと時、幸いを祈ることでした。聖書に線を引いたり、メモすると後日役に立つことがあります。それはさておき、この詩編は人生を襲うすべての避け所として主を受け入れるように励ますことで、信仰者の信頼を育む教師の働きをしていると言われます。そして構造が優れています。個人的に「あなた」と直接呼ぶスタイルの3~13節、神の一人称で宣言されるスタイルの14~16節と分けられ、最初に主題が提示されています。「神は避けどころ」が優しく豊かなイメージで展開されるこの詩は主イエスも引用しました。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福岡ベタニヤ村教。福岡市早良区南庄5-4-37にあります。「ベタニヤ村」とは聖書に登場する町ですが、もちろん、福岡市に」そのような場所はなく、ある時期の教会の青年たちが新たな思いでつくり、独立した教会になりました。ゆえに「地名」がついていない理由があるのです。「白魚」がよくとれる大きな川沿いにあります。教会の会計を担当していたある方が銀行で「ベニヤ板教会」と呼ばれたとお話しておられました。協力牧師のバークレー牧師は西南学院大学神学部の教授であり院長等も歴任されていたと思います。私が有田教会の牧師時代は川沿いが散歩コースでベタニヤ村教会をいつもながめていました(もちろん、行ったことも沢山あります)。祈りの課題は以下です。①コロナ感染症の一刻も早い収束と、専任牧師不在の中で教会の歩みが整えられますように。協力牧師・ギャリー・W・バークレー、水野 英尚
1/6 申命記6章4-15節 「正しく聞き取ること」
「シェマー イスラエル(イスラエルよ聞け!)」の箇所。聖書の伝える神さまは「聞くこと」「語ること」との関係抜きには有り得ず、「対話的宗教」と私は呼んでいます。そして、「聞くこと」と「行動」の結びつきが大事です。コミュニケーションの欠如が総理大臣にも垣間見えます。聞いても行動しないこと(無視、あるいは本来の求めとは異なる対応)がコロナでも浮き彫りにされました。神から聞いたこと、神の行動に対して私どもが何を語り、どう行動するのか、それが「信仰」と表現できます。「聞き間違え」や「考え違い」が多いですね。きちんと理解していないと思ったら必ず確認することですし、当然、その関係性の質が問われます。正しく聞き取る心を願う一年です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 かたえキリスト教会。福岡市城南区片江1-11-7にあります。「かたえ」は聖書的には「傍らにいます主」をイメージさせ、とてもこの名前がよいですね。讃美歌にも「まぶねのかたえに我、立ちて」などもありました。小さいけれど、とても落ち着く素敵な会堂です。祈りの課題は以下です。①高齢の方々の平安と希望。②現在の困難さを転じて教会の新しい形(むしろ本来のあり方)を見出す。牧師・土生
幸子、伝道主事・興津 吉英
1/5 申命記6章16-25節 「御利益信仰?」
「マサ(試み)」は出エジプト記17章参照。水がなくなり、モーセが主に祈り、岩から水が流れ出たことを振り返ります。「神を試みる」とは、「これだけしたら、神様は報いを下さいますね」と取引をする祈りや考え方です。「これ位のことをすれば当然報いを頂くだろう」と人は他者や友人、家族との関わりの中で計算することがあります。ところが、予想に反して、何もなかったり、想像以上のものを頂いたりして恐縮することもありますね。まぁ、計算高く勝手な思い込みで動かない方が良いし、見返りを期待しない方が幸いです。これを神様に対してする人がいます。それが「御利益信仰」であり、神を自分の召使のように考えることであり、それは「信仰」とは呼べません。今日はI・Hさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 姪浜バプテスト教会。「姪浜」は炭鉱があったり、漁村のような場所でしたが、福岡市地下鉄の西の最終地点である駅があります。ここから先はJRが唐津方向に乗り入れしております。駅を出て、海側にまっすぐな道があり、駅から歩いて30秒で姪浜教会に到着します。大変便利の良い立地で、博多駅からも20分位で着いたと思います。礼拝堂は三階ですが、エレベーターもあったと思います。この界隈はすごく発展しました。ぜひ多くの方々には礼拝に参加していただきたいと願います。祈りの課題は以下です。①コロナの下、み心にかなう歩みをすることができるように。②教会諸活動の早期再開のために。③教会の申告告白作成のために。牧師・鈴木 牧人
1/4 申命記8章1-10節 「主の御手に支えられて」
「書初め」は遺言を書くのだと聞いたことがあります。申命記はモーセの遺言。指導者として歩んできた体験から改めて語ります。時にその言葉は父親が遺す言葉のような響きがあります。私どもは時に「自分だけこんな苦労や厳しさが与えられた」と思いますが、親も先達も同じように苦しみつつ歩んだのです。民と共に歩んだモーセも苦しみや飢えも共に味わった40年でした。「大変な歩みだったね、でもね」とモーセは語ります。「40年着るものも、食べ物も、最終的に守られてきた、神は時に試練をお与えになるが、でも、神はあなたを守り育てた」と。日々の歩みの中で不満ややりきれない思いが一杯になります。でも、もう一歩踏み込んで主の下さった恵みを数えたいのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 伊都キリスト教会。福岡市西区今宿東1丁目30-68にあります。多分、電車から会堂がよく見えたと思います。昔は教会の周りは畑ばっかりでしたが、今は九州大学の移転などもあり、都市化しているのではないかと想像します。祈りの課題は以下です。①コロナ早期終息と礼拝の完全回復。②各被災地の方々の霊的癒しと復興。③牧師招聘と地域への福音伝道。協力牧師・早川 寛
1/3 マタイ福音書3章13-17節 「バプテスマはスタート」
主イエスのバプテスマからいわゆる主イエスの「公生涯」が始まります。「バプテスマ(洗礼)」を受けることをゴールと考えている人がいますが、そうではなく、入学のようなスタートなのです。聖書がもう少し解ったり、全部読まなければ受けられない、状況がよくなったら受けるというのでは、いつまでも無理、それは屁理屈。クリスチャン(キリスト者)になることは、結婚にも類比されます。結婚でも相手のすべてを知ってから等は有り得ません。人と出会って結婚しようとすること、神と出会って自らの「神」と呼ばせていただき、キリストと結ばれること。いずれも、今持っている「信頼と愛」を基盤とする「賭け」であり、結婚生活を通して、助け合い、互いに愛し、思いが成長していくように、クリスチャンになって、より聖書を深く知っていけるものです。そして、神様とあなたの関係性をこれから礼拝、祈り、学びを通してつくりだしていくのです。結婚にも「離婚」がありますようにもし「信じられなくなった」ならその時考えたら良い。神さまは人格的な方であり、対話しつつ歩むのです。人は裏切ることもある、しかし、主なる神は「決して裏切らない」と約束してくださいます。17節はイザヤ書42章の言葉が現実になったことを示します。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> バプテスト野方キリスト教会。福岡市西区戸切2-9-39にあります。長い間、泉牧師が就任されていましたが、最近、新しい牧師が就任されました。福岡市地下鉄南線(?)ができて随分便利になったと思います。祈りの課題は以下です。①新会堂建築のために。②み言葉と祈りによる霊的成長。③求道者の決心とさらなる伝道。牧師・宮田 祐亮
1/2 イザヤ書42章1-9節 「あなたに遣わされる主の僕」
メシア預言の一つです。遣わされる主の僕の姿が描かれています。3節の「傷ついた葦」、葦は細くて弱いもので、それが傷つき、もうすぐに折れそうです。そのような人間に対し、なすべきことは弱い部分を守り支え、大切にすること。「暗くなる灯心」とは、油がなくなり、消えようとする光を切なく思い、油を加えるなどの心込めた所作。そうして、しょんぼりしている人を元気づけ、もうだめだとあきらめる者を励ますのです。また、叫んだり、争うのでもなく静かに語る。そして闇に住む人を救い出す、とは人間の命と尊厳の回復を意味します。こういう人が身近にいたら嬉しいですね。主はそのようにあなたに伴って下さるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 早良キリスト教会。福岡市早良区重留7-8-20にあります。立派なそして素敵な会堂です。この教会の成立とその後の歩みは宣教師であり、西南学院大学教員として歩まれたシャフナー牧師の働きが大きいものでした。もちろん、お一人ではなく、そこから輪が広がり、今も成長しています。この教会の加山献牧師、私は昔から知っておりますが、日本バプテスト連盟を構成する教会・伝道所の中で「献」と名前がついている牧師は連盟発足以来、私だけでしたが、加山先生は二代目「献」、三代目もここ数年のうちに誕生することでしょう。祈りの課題は以下です。①高齢の方、病の中にある方のために。②子どもたちの健やかな成長のために。③求道者が決心に導かれますように。牧師・加山 献、名誉牧師・K・J・シャフナー、協力牧師・今村まさゑ、協力宣教師・朱 承圭
1/1 ヨハネ福音書1章19-28節 「新しい心をいただこう」
新年あけましておめでとうございます。2021年、あなたはどのような年を主に願い求めましょうか。新年と言っても、昨日買った肉や野菜も古くなり、トシもとり、しわやシミも増えてきます。でも、新たにできるのはあなたの心。主によって日々感動し、祈り、希望を与えられる心を携え歩みたいものです。「主を待ち望む者は日々新たにされる」との通り。ヨハネの周りに新たな心を頂きたいと人々が集い、バプテスマを受けていました。水の洗礼はヨハネのみでなく、ヨハネ以前にも多くの信仰改革者が行っていました。ヨハネの素晴らしさは「私はメシアではない」と語るところ。「自分こそメシア」ではなく、確かなものを見つめていました。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福岡聖書キリスト教会。福岡市中央区笹岡1-36-30にあります。祈りの課題は以下です。①各被災地の復興、回復、霊的癒し。②地域宣教の拡大と信仰継承のために。③信仰の成長と聖霊による教会の前進。牧師・浜中 満、名誉牧師。浜中恒雄、伝道師・浜中 有希子
12/31 詩編2編7-12節 「幸いな道を歩むために」
詩編1編と2編は元々は続けられる同じ詩だと考えられます。「何と幸い」で導入、2編末で再び「何と幸い」で囲みます。「幸い」とは何?といつも考えますね。その基準がはっきりしていると、余計なことに心煩わすこともなくなりましょうが、日々、間違え、迷うような一年でもありました。「幸い」は1編にあるように「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ」こと。「口ずさむ」のは「ツィッター」みたい。他者の攻撃やうそを口ずさむのではなく、主の言葉を口ずさみたいものです。12節の「手に口づけせよ」は実は解釈が難しいところです。口語訳は「その足に口づけ」、新改訳は「御子に口づけ」、新共同訳は「子に口づけ」。「主に口づけ」が一番しっくりしますが、「足に口づけ」、つまり自らの汚れている部分に口づけする説も説得力があります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟引退教役者を覚えて。山下誠也氏(現在、埼玉県 川越教会会員)、横川澄夫氏(現在、宮崎県 高鍋教会<伝道所>員)
12/30 ルカ福音書3章1-20節 「信仰は個人の選び取り」
ルカが伝える洗礼者ヨハネの宣教。「我々の父はアブラハム」という言い方は、ユダヤ人であり、神の選ばれた民であり、救われる民である、との自覚。しかしユダヤ人だから、先祖がアブラハムだから神の救いを頂ける条件とはなりません。各人がそれぞれ神との関係に生き、神の御心を求めて歩むことです。親がそうだったから、子がキリスト信仰を持つわけではありません。信仰は各人が選び取っていくもの。そのために幼い時からの宗教教育が大事にされます。私もキリスト者三代目です。確かに影響を受けています。でも、信仰が選び取りであることは何と自由なことでしょう。そして、今、キリスト者として聖書を知り、教会に関わることの喜びを深く感謝しています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟と友好や協力関係にある団体を覚えます。特に「日本バプテスト同盟」「沖縄バプテスト連盟」とは合同牧師・教役者会などの開催も行っております。日本バプテスト同盟(理事長・藤井勇次、沖縄バプテスト連盟(理事長・渡真利彦文)、日本キリスト教協議会(NCC 議長・渡部 信)
12/29 マルコ福音書1章1-8節 「福音の道標として」
マルコは「福音」を洗礼者ヨハネから伝えます。その姿は野武士か仙人のよう(どちらも見たことはないけど)。「野蜜」とは木の蜜です。イザヤ書に出てくる預言の実現としてのヨハネになります。ヨハネは「救い主を指し示す」働きです。「自分が人を救う」ことはできません。しかし、「この方にこそ救いがある」と指し示す存在も大事なのです。山で「道標」が間違った方向を指せば、人は迷います。不確かな時代は多くの「道標」が「こうすれば良い、これを買えば幸いになる」と人々を誘います。この時代にキリストを証し、指し示していきたいものです。また、「水」は人に救いを与えられず、「聖霊」なる神の働きが人を救うのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 宣教研究所。祈りの課題は以下です。①コロナ危機の中、時宜にかなった宣研の働きのために。②新任牧師・主事研修会の参加者とその準備のために。③運営委員会、宣研スタッフの働きのために。運営委員長・高橋
秀二郎、所長・朴 思郁
12/28 マタイ福音書3章1-12節 「洗礼者ヨハネの呼びかけ」
洗礼者ヨハネは祭司ザカリアと妻エリサベトの子。高齢だった夫婦に与えられた子で、主イエスに先立ち、道を整える役割です。ヨハネは成人して「悔い改めのバプテスマ」を伝えます。当時のユダヤ人は幼い頃から宗教教育も受けていますが、だからと言って皆が熱心な信仰者ではありません。神のことを忘れ、信仰から遠ざかる人も多いわけで、そのような人々に再び信仰を持つ働きかけをし、新生のしるしとしてヨルダン川でバプテスマを授けました。「蝮(まむし)の子らよ」との「蝮」は創世記3章でエバに「善悪を知る木の実」を食べるように仕向けた蛇のこと。信仰はバプテスマを受けたことだけでなく、日々求め続けるものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟「ホームレス支援委員会」。連盟理事会のもとに置かれている特別委員会の一つです。祈りの課題は以下です。①コロナ禍にあって困窮の中におられる方の生活が守られるように。②諸教会が困窮・孤立者の「隣人」となれるように。委員長・麦野
達一(福岡西部教会牧師)
12/27 マタイ福音書2章13-23節 「エピファニー(公現日)」
占星術の学者達が来たのが1月6日とされ4世紀ころより「公現日(エピファニー)」と呼ばれます。この日でクリスマスシーズンが終わります。今日の箇所はヘロデ王のところに学者が再び戻らなかったことからの疑い、「新しい王」の誕生に不安を抱き、ベツレヘム周辺でこの頃に生まれた男子を殺させたとあります。ただし、この命令は発布されたかもしれませんが、歴史的な調査の結果、実際には行われなかったと考えられています。そうであってほしいと願います。ヨセフ一家は夢のお告げを聞き、エジプトに逃げます。その後、再びナザレに戻ったのです。ヨセフは自分で考え結論を出す人でしたが、キリスト誕生において、神の声を聞き歩む人になりました。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> バプテスト北九州地方連合。北九州市とその周辺、山口県や大分県も含む、28教会で構成されている連合体です。北九州は戦前・戦中・戦後25年程は鉄鋼業やそれに使う石炭産業等で多くの人がいましたが、その後、産業が変わり人口は減っています。また、筑豊等の地域を含みます。土門拳の「筑豊の子どもたち」が撮影されたのもこの地域です。祈りの課題は以下です。①コロナ禍にあって諸教会の礼拝・伝道が護られますように。②「地域協働プロジェクト」が実を結びますように。会長・山﨑克明(富野教会員)。
12/26 ルカ福音書1章67-79節 「新たなクリスマスの始まり」
「神は飢えている人、病める人、裸の人、家のない人の仲間になっておられます。飢えといってもパンがないためだけでなく、愛、思いやり、誰かの『あなた』でありたいことの飢えなのです。また裸といっても服がないだけのことではなく、見ず知らずという理由だけで優しい心遣いを示してもらえない意味での裸であり、家がないというのは、石で造った家だけでなく、自分を招き、受け容れてくれる人を持たないゆえの家なしです」(マザー・テレサ)。「人の目は上へ上と向かうけれども、神さまの目は下へ下へと注がれる(アグネス・チャン)」。クリスマス、主イエスをあなたの心に迎える日。真のクリスマスは今日から始まるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福岡国際キリスト教会。福岡市中央区大名1-12-45にあります。福岡市中央区大名は、天神等が近く、多くの人々が行き交う場所です。「国際教会」とあるように、外国語の方々にも対応されている教会です。祈りの課題は以下です。①神さま良し、三方良しの教会形成。②糸島集会(主幹・木村公一牧師)のために。③礼拝を聖別し、選び取っていけるように。 主任牧師・篠原 健治、糸島集会担当協力牧師・木村 公一
12/25 ルカ福音書2章1-20節 「Merry Christmas 2020」
今日はクリスマス。イエスが生まれた日は実は不明。四世紀の教会が救い主が生まれるなら一番暗い冬至の頃がふさわしいと決まったのです。イエスさまが生まれた時代、当時はローマの支配下で人々は重税や支配下の苦しみの中に生きていました。妊婦なのに強制された旅路を歩むマリアとヨセフ。若い夫婦に泊まる宿屋もなく、イエスさまが生まれたのは家畜小屋でした。「もしイエス様が金持ちの家にお生まれなさったんだったら、羊飼いたちはイエス様をたずねていくことができなかった」(ニカラグアの農夫)。「神はベツレヘムの家畜小屋の、あの小さな幼な子になられたことであり、私の心に住むほどにまで小さくなって下さった。それほどに私どもに身近な存在となられた」(カール・バルト)。家畜小屋にお生まれなさったイエスさまが、私たちの貧しい心にも共に歩んでくださいます。そのことを受け入れる時、あなたにとっての真実なクリスマスを迎えることになるでしょう。今日はK・Tさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 田隈バプテスト教会。福岡市早良区野芥1-6-13にあります。長い間、教会附属の幼児教育施設としての「光の園幼稚舎」を運営しておりましたが、1-2年前に働きを終えました。今は、その施設を「障がい」者の関連施設を運営するNPO法人が使っておられるようです。この夏まで田中伊策牧師がおられましたが、北九州圏の「直方教会」に異動されました。協力牧師の坂東牧師は西南学院中学で「聖書科」を教えるなどの働きをされています。彼は私と神学部同期入学です。私など多くの人は学士入学が多いのですが。坂東さんは1年次から入学という神学部かつ牧師コース(?)では珍しい存在でした。祈りの課題は以下です。①無牧師教会の働きが守られるように。②教会員の健康が守られるように。③教会学校の働きが守られるように。協力牧師・坂東 資朗
12/24 ヨハネ福音書1章43-51節 「人をラベルで判断しない」
フィリポが主の弟子になります。フィリポが友人(?)ナタナエル(バルトロマイと同一と考えられる)に主に出会ったと感動して話すと、「ナザレ出身で大した者などいない」と(多分)嘲笑します。「ガリラヤの町ナザレ」は割と新しい土地で特筆するようなものがない場所。大体「ガリラヤ」は方言もあり、時に差別されていたようです。今日の要点は私共が自分の常識や知識のみで「あの町はだめ、この人もしょうがない」と判断することへの批判です。出身地とか血液型とか、姿とか、学歴等で人を判断し、決めつける危険を私共は持っています。ラベルで人を判断するより「直接に会って話をする」ことが大事。教会も自分の目で、耳で確かめようと、数回来れば深い人生の宝のある所だと知ると思います。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福岡有田バプテスト教会。福岡市早良区有田1-35-25にあります。何よりこの教会は私が8年程牧師として歩ませていただいた教会です。「有田」といえば、多くの方が「佐賀県」ですか?とか「和歌山県」ですか?といわれますが、福岡市早良区で、西新というターミナルへバスに乗れば20分くらいでしょうか。私は同じく西新にある西南学院大学には時折、自転車で行ってました。そして、有田教会は場所がわかりずらいのです。バス道から2本ほど中に入った住宅地にあり、周辺は一方通行道が多いのです。ちらしを見て礼拝に参加されようとした方がさんざん迷って、礼拝後に訪れたこともありました。私が在任中に始めた「ゴスペル教室」や「ドラム教室」が今なお続いていることに驚き感謝しております。私が異動した後、金丸 真牧師、そして、現在の松田牧師になります。この教会とメンバーの方々、近隣の方々との思い出はたくさんあります。いくつか紹介すると、私が有田教会の屋根に上って、修理をしておりますと、近くの中学の生徒が教室かベランダから見ていて「おっさん、がんばれー」と大声で声をかけてもらったのは大変うれしかったです。私が就任した時は礼拝人数も10人を切る時もありました。しかし、近くに大きな団地もあり、沢山の方々が住んでおられますので、自分で新聞タイプのチラシを作製し、印刷し、数千枚を配っておりました。もちろん、すぐに人が来るというわけではありませんが、周知されましたし、ゴスペル教室もすぐに10数名の参加者が与えられました。今なおとても大好きな教会です。祈りの課題は以下です。①教会堂の改築・新築の幻。②求道者の救い。③高齢の教会員の命と信仰が守られますように。牧師・松田和夫
12/23 エレミヤ書31章15-17節 「我らに希望を語る王」
「ラマ」とはエルサレム北方八キロにある町。「ラケル」は創世記35章にありますが、昨日出てきたヤコブの子ヨセフとその弟ベニヤミンの母で、ベニヤミンが難産でそのため亡くなった人です。「ラマ」に「ラケル」の墓があったと考える人もいますが、墓の繋がりで考えなくてよいと思います。つまり、戦争や病等、奪われた命の悲しみの響きを伝えているのです。「慰めを拒む」のは、むしろどのような慰めの言葉も慰めにならない状況。母であれ、父であれ、夫であれ妻であれ、死の力が人を襲う時、涙があふれます。その状況において、主が語られるのが大事。苦しみを知り給う主は、希望の未来を示します。この31章は新約を預言する旧約の最高峰とも言われます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 平尾バプテスト教会。福岡市南区平和1-5-23にあります。1956年から始まったすでに歴史のある教会です。かつて宣教師がいらっしゃる頃、「タモリ」が教会にも通っていたようです。協力牧師の青野太潮牧師は長らく西南学院大学神学部の教授として「新約学」を教えておられ、私も多くのことを学ばせていただきました。本を出版したら私ども、卒業生にも送ってくださいます。先週、青野先生よりこのたびヨベル新書から出版された「どう読むか、新約聖書」を送っていただきました。青野先生は1994年に朝日選書(朝日新聞社)から同名の本を出版されておられ、同じものかと思いましたら、違うもので、東京バプテスト神学校の公開講座の原稿をもとに記されたものです。税抜き1100円という安い価格で世界的な新約聖書学者の講義を読むことができるなんてとてもすごい話です。併せてお話しますと、青野先生のお連れ合いである詔子先生はオルガニストであり、同時に子どもたち(いわゆる「障がい」をもつ子どもたち)へ音楽を使った教育などを実践されておられして、神学生時代は少しお手伝いをさせていただきました。本年3月まで、主任牧師として平良先生がおられましたが、平良先生は、現在、来会者がほとんどいなくて心配されていた「福井キリスト教会」牧師に就任されました。ちなみに協力牧師の才藤千津子牧師は現在、西南学院大学神学部教員として活躍されておられます。祈りの課題は以下です。①平尾/大名会堂における宣教活動。②コロナ禍における教会の地域貢献。③牧師招聘委員会の働き。牧師・森
崇、協力牧師・青野太潮、才藤千津子
12/22 イザヤ書11章1-5節 「理想が現実にならない世界」
今日の箇所はメシア(=キリスト、救世主)預言の一つです。エッサイとはユダ族オベデの子で、エッサイの八番目の末子がダビデ王となります。「エッサイの子」という表現はサウル王によれば軽蔑の言葉として、より伝統的には尊敬をもって、神の祝福にあずかって理想の王国建設をなし遂げたダビデの働きや、ダビデ的な働きについて意味深く使用されています。「エッサイの株」はダビデの血統に続く子孫から、優れた王、つまり「救世主」が誕生するのです。その具体はイエス・キリストを意味します。ここにあげられる事柄は世の王や指導者、政治家等にも共通するものです。ここの理想に誰もが共感しますが、なぜか、そのように生きた政治家や王は稀なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 長住バプテスト教会。福岡市南区長住1-8-20にあります。この教会の中條牧師夫妻はとっても仲が良くて素敵なご夫妻だと思っています。私はある時、連盟事務所で皿などを洗っていたら智子先生から「洗剤使いすぎ」と怒られましたが、譲治先生も時折、怒られるみたいです。いや、でも「怒る」と言っても優しく怒ってくださいますので、どなたもご安心ください。ちなみに譲治先生の読書量にはいつも驚かせられます。祈りの課題は以下です。①クリスマスの喜びの拡がりを。②神学生たちの学びと研鑽のため。③ルワンダの和解と平和に学ぶ。牧師・中條
譲治、中條 智子
12/21 出エジプト記1章1-5節 「命の尊厳を守るため」
エジプトでヨセフが宰相として活躍し、飢饉に苦しむ家族をエジプトに招いてからイスラエル人(=ヘブライ人)は寄留の民として生きていました。しかし外国人が増えることは嫌われます。自分たちの国ではなくなる気がするのでしょう。そこで残酷にもへブル人の男児が誕生したなら殺せとの命令が王から出ます。助産婦のシフラとプアは助産婦組合(?)の代表かもしれません。彼女たちは命令を受けますが実行しません。それは命への尊厳、生まれた命への畏れ(=神への畏れ)があったのです。すべての命は守られ愛されるもの、それが信念でした。コロナ禍の中、看護師や医者が命を守るために必死に頑張ってくださっています。今の政治家はエジプト王のごとく命への尊厳より自分の支持率が一番です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 須恵伝道所(通称:須恵キリスト教会)。福岡県糟屋郡須恵町大字旅石917-16 にあります。「須恵」といえば「須恵土器」の印象がありますが、ここなのかなぁ。まぁ、福岡県にはいろいろあるし、佐賀県等も近いですから。祈りの課題は以下です。①多くの魂が救われるように。②祈りと伝道が祝福されるように。牧師・竹田 進一
12/19 ルカ2章1-20節 「黙して時を待つ」
主イエスの誕生に先立ち、バプテスマのヨハネ誕生物語が記されます。祭司ザカリア、数千人の祭司がエルサレム神殿におり「聖所で祈る役割」は生涯に一度あるかないかです。ザカリア一人、聖所で礼典を行っている時に、神のメッセンジャー(天使)のお告げがあります。それは夫婦共高齢であるのに、子どもが生まれ、その子は「神の心」を人々に知らせる最後の預言者であり、新たな時代を告げる者となること。ザカリアは驚き、口がきけなくなりました。黙って神の時を待つようにと。後のヨハネ誕生は「老人のクリスマス」と呼ばれます。寒い静かな夜。黙し、神の思いに心向けましょう。明日はクリスマス礼拝です。今年はコロナでいつものような礼拝ができませんが、場所は離れていても共に喜び、新年へと希望を持って歩む時にしたいものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 小郡キリスト教会。福岡県小郡市稲吉1374-15にあります。祈りの課題は以下です。①コロナ影響下における次年度の教会の歩みのために。②次世代を担う信仰者が与えられるように。③長年教会を担ってこられた方々の祝福のために。牧師・下川 睦子、教会主事・下川 義明、教会主事・吉浦 徳美
12/18 ルカ1章45-55節 「大きくすべきもの」
「マリアの賛歌(マニフィカート)」です。マニフィカートは賛歌の最初の言葉「メガリューノー」(ギリシャ語)からで、「大きくする」という意味から派生して、「ほめたたえる、尊敬する、目に見えるようにはっきりさせる、身をもって表わす」等の意味になります。「メガ…」はよく使われますね。神さまを大きな存在とし、神さまがなさることを偉大なことなのだと受け取る心がマリアにありました。この賛歌には「身分が低くされている者が主によって引き上げられる」との革命的な内容も含まれています。「飢えた者を良い物で満たす」どの言葉も現代につながる祈りを深く思います。イエスさまはこのような母の歌を聞いて育ったのです。私共も子どもたちに伝える大事なメッセージがありますし、クリスマスって何?と聞かれたらその意味を何度でも伝えたいですね。今日はO・Yさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 和白バプテスト教会。福岡県糟屋郡新宮町三代西2-13-13にあります。「和白」はむかーしは「貝掘り」などもできましたが今は随分埋め立てられました。しかし、このあたりは潮の香も風によって漂ってきます。協力牧師の片山牧師は西南学院大学の教授をされています。祈りの課題は以下です。①み言葉に生きる教会の歩みを。②地域の方々に仕える教会形成を。③東日本をはじめとする被災者を覚えて。牧師・城前 和徳、協力牧師・片山 寛、教会主事・樺島 瑞代
12/17 マタイ27章32-44節 「Black Lives Matter」
主イエス、処刑の日。ここで「シモンという名のキレネ人」はアフリカの人。人が沢山いる中で、あえて黒人を十字架運びに徴用されたのは「差別意識」のゆえ。この一年を振り返るとブラック・ライヴズ・マター(英Black Lives Matter、黒人の命の尊厳を!、より広義の思いは「すべての人間の尊厳を大事にしよう」)の響きがありました。その言葉自体は2013年に黒人少年が白人警察官に銃で撃たれたことに始まりますが、今年、一気に広がったのは実は悲しいことでした。社会の様々なゆがみ(価値観・人間関係・経済等)が生じるところで一番弱いのが端っこ、つまり社会的弱者や少数者。そこにこそ、政治の関心や援助が必要です。戻して、シモンは自分が負わされた十字架を主イエスが負ったことに真理を見出しキリスト者となりました。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 粕屋バプテスト教会。福岡県糟屋郡志免町志免2-5-25にあります。1955年に開設された歴史ある教会です。高地牧師が心こめて教会の内外の運営をされています。祈りの課題は以下です。①医療関係者のお働きのために。②教会の子どもたちの成長のために。③新来者の方々の定着を。牧師・高地
京子
12/16 ミカ書5章1-3節 「大事な知らせなのに」
預言者ミカは紀元前8世紀の南ユダでイザヤとほぼ同時代に預言活動しました。「預言」は神のメッセージを受け、人々に伝える役割ですが、時に政治を批判することもある厳しい働きです。「預言」の中には未来に関する「予言」の言葉も含まれます。この箇所は「メシア預言」であり、「エフラタ部族」というイスラエルの最小部族から生まれること。そして「ベツレヘム(「パンの家」の意)」はダビデ王の出生地であり、そこで「救い主」が生まれ、その方は永遠の昔からおられること(=神)が告げられます。東方の博士達、あるいはエルサレムで「王の誕生」を聞いた者はミカ書を拠り所としたのです、しかしそのニュースを聞いても何もしない人は主と出会わなかったのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 宇美キリスト教会。福岡県糟屋郡宇美町宇美6-1-3にあります。「宇美」は「うみ」と呼びます。前にも書きましたが、神学生の頃、夜の集会が終わって、車で送りましょうとなりました。そしたらその方が「うみ」なんです、と言いまして、福岡は海も近いし、北に行くのかなぁと思っていたら山の方に案内されるのです。山の方なのにうみか、と感心しました。福岡市は海も近いし、山もすぐそばで自然に親しみやすい場所です。牧場だって、水族館だって車に乗ればすぐに行けます。山を越えたら佐賀県なのですが、その途中にとても良い温泉がありました。さて、祈りの課題は以下です。①子どもたちが集まる教会になる。②奉仕者が与えられるように。③教会の交わりが豊かになるように。 牧師・渡邊 一雄
12/15 エゼキエル書34章1-10、23-31節 「真の牧者に耳を傾ける」
イスラエルでは政治的宗教的指導者を「牧者」と言います。国や部族のリーダーで「王」とその体制等も当然「牧者」になります。悪しき王に対する告発もあり、真の王の姿も描かれます。この基準は現代の政治世界においても有効です。23節に「わが僕ダビデ」と出ますが、エゼキエルの時代、当然、ダビデ王は過去の人。ゆえに、ここは「来るべき真実の王(=つまり救い主)」のことです。ですからここに「メシア預言」がなされ、イエス・キリストの誕生につながるのです。そして主イエス自身もエゼキエル書を引用しておられ、真実の王と表現しています。「平和の契約」しかし、それは頑な人間により阻まれています。いくら素晴らしい王であれ、人々が聞き従わなければ実現しないのです。主は平和実現のために語り続けておられます。今日はU・Yさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 篠栗キリスト教会。福岡県糟屋郡篠栗町篠栗4904-1にあります。「篠栗」は「ささぐり」と呼びます。わたしの名前と似ていたので、親近感を持っております。このあたりは寺社が多く、巡礼する方々がたくさんおられましたが、今は住宅地が増えておりまして、昔の風情はないかもしれません。この教会の伊藤牧師は西南学院大学神学部での同期生です。私が昔、「海外教会学校」というのに参加して、カルフォルニアに滞在しておりました。その時のアルバムを見たら、なんと、伊藤牧師が小学生か中学生で参加していたのにびっくりしました。伊藤牧師は関東の神学校を出た後に、西南に入られた方です。祈りの課題は以下です。①ガーデニング伝道が実るように。②創作讃美礼拝が実るように。③メッセージが会衆に届くように。牧師・伊藤 聡
12/14 詩編148編 「主を讃美せよ」
詩編は巻末になり「ハレルヤ、主を讃美せよ」との言葉が溢れてきます。「主を讃美する」、「主をほめたたえる」、なぜそうするのか。それはかけがえのない「あなた」という存在を創り、導き、永遠に守られるからです。いや、「私はこんなに辛くて主を讃えられない」という方もいらっしゃいます。悲しみや怒りも主に訴えましょう。涙もまたあなたの祈りと受け止められるから。悲しみ抜くその中に主は寄り添ってくださるし、必ず希望を与えてくださいます。あきらめないで、主を求めよう。ベートーヴェン第九交響曲で歌われるように「星空の上に神を求めよ、星の彼方に必ず神は住みたもう」。いや、今、空の彼方ではなく、あなたと共にいらっしゃるから。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト春日原キリスト教会。福岡県春日市原北町4-23にあります。1949年の開始なので随分長い歴史を持ちます。教会附属の幼稚園「恵星幼稚園」も運営しています。キリスト教の幼稚園(ミッションスクール、もちろん幼稚園、小学校、中高大などあり)ではクリスマスには「ページェント」と呼ばれるイエス・キリスト降誕劇をいたします。せりふだけではなく、時には歌も入ります。マリアさん、ヨセフさん、博士、羊飼い、天使、羊、宿屋などそれぞれの役割を演じた経験のある方も多いでしょう。今年のクリスマス、なかなかコロナが強く、簡単にはと思いますが、教会のクリスマス礼拝に参加したり、当教会のような中継でクリスマスのことをもう一度思い巡らせてはいかがでしょうか。末松牧師はわたしが福岡有田教会牧師の頃は、佐賀県の教会の牧師でしたが、奥村牧師らと共にいろいろ楽しい時間を過ごしました。とても温厚な末松牧師です。牧師と幼稚園園長の兼任はものすごく大変なのですが、末松先生の健康も守られますように。祈りの課題は以下です。①「春日原教会の使命」の実行。②協働牧会の実現に向けての具体化。③神の家族として共に祈りと礼拝を。牧師・末松 隆夫、教会主事・八幡 正弘
12/13 マタイ福音書1章18-25節 「神の言葉を受け入れた人」
ルカ福音書はマリアへの受胎告知が記され、マタイはマリアの婚約者であった家具職人ヨセフへの受胎告知を記します。ヨセフはマリアの妊娠を聞き、「表ざたにせず」、つまり、裁判を行わないで、離縁することを考えていました。たとえ、「寝取られた男」とか「無責任な男」と呼ばれようとしても。悩みの中、天使がヨセフにマリアの受胎のこと、それは旧約聖書の預言の成就であること、聖霊の働きであることを説明いたします。実はヨセフは聖書の中では一言もしゃべっていません。ただ、神の言葉を受け止め、信じ、委ね、行動した人と記録されます。実際は色々しゃべっていたと思います。イエスの父として家族を守り、子を育てた人。「男は黙って神に聞け」がヨセフの口癖だったかも…。以下想像ですが、マリアいわく「父ちゃんはね、毎日何回も『男は黙って』とうるさくって少しは静かにしほしいわ。ほら、イエスちゃんがうるさいってまた泣いているよ」、てな話は決してあり得ない話です。これは別の家の話だな。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福岡南キリスト伝道所。福岡市南区桧原2-54-7にあります。2003年に開設されました。有吉牧師は長らく幼児教育の現場で園長等として働いてこられた方(今は二足のわらじ?)です。祈りの課題は以下です。①礼拝奉仕者が整えられますように。②高齢者の皆さんが健康であること。③子どもたちの命が守られますように。牧師・有吉光寛、伝道師・柴田公文
12/12 マタイ福音書28章16-20節 「主イエスに派遣される群れ」
マタイ書の最後、主は5~7章で「山に登って語られた(山上の説教)」場所に招き、弟子達の派遣が行われます。異なるのは、この時、主イエスは十字架上で死なれ、復活された方としてここにいることです。集った者の中には「疑う者もいた」。この方が主イエスなのかどうか疑っていたのです。しかし、疑う者も派遣され、疑う歩みの中から、何度も復活の主と出会っていくのです。ここは「大宣教命令」と呼ばれます。主イエスの語った福音を「すべての人」に伝える伝道、バプテスマを授ける礼典、そして教育です。クリスチャンは「信者」という表現より「弟子」が良いですね。主イエスから学び、主の足跡を歩む。そこに「主がいつも共にいる」との約束が伴います。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 筑紫野二日市教会。福岡県筑紫野市塔原東4-6-11にあります。この教会の加来牧師は、やはり牧師であったお父様と同じようにサクソフォンを演奏されます。お連れ合いはピアノの専門でご夫妻で演奏なさるのはとても素敵ですね。祈りの課題は以下です。①み言葉による養いと霊的成長。②新来者・求道者の増加。③受浸準備者が与えられるように。牧師・加来
国生、音楽責任者・加来 陽子
12/11 イザヤ書8章5~15節 「まず神の国と神の義を」
ここは一読しただけでは意味が解らず、わたしも文献を調べることになります。アハズ王がアッシリアと手を結ぶことを考えていましが、一部が謀反を起こし、レツィンとマルヤ(いずれも国名)と手を結ぶことが起こるのです。それにより「シロアの水」(エルサレムの民に必要な水で、それは通常ゆるやかに流れるのです)が、それが激流のように流れるのはレツィンとマルヤに対抗するアッシリアによってエルサレムが政治・軍事的に大打撃を受ける危険を告げています。8節の「インマヌエル」は。その事態に「本来は神が共にいますのにそれを忘れているからこうなるのだ」ということでしょう。何より人の力、他国に求めるより前にまず神の働きを求めることが語られます。今日は「東日本大震災」被災地のことを覚えます。まだまだ汚染水が次々と出てくる状況、特に放射能についてはほとんど何も対策を打つことができない状況です。故郷に戻ることができない方々、コロナで一年帰郷できないことも大変ですが、いずれにせよ、政府はどこに立っているのかと日々疑問が生じます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 筑紫野南キリスト教会。福岡県筑紫野市原田5-1-24にあります。福岡市圏域で住宅や産業がいろいろあります。2001年に始まった比較的若い教会です。祈りの課題は以下です。①地域伝道の核としての教会再構築。②信徒の自立化と多様化する教会へ。③牧師招聘のための諸準備の推進。代表役員代務者・梅木 光男
12/10 イザヤ書7章10-17節 「主との関わりを避ける王」
アハズ王は北王国の王とダマスコの王(16節の「二人の王」)から反アッシリア同盟参加に誘われますが、その申し出を拒否した結果、両国の連合軍がエルサレムを包囲します。アハズ王が城内にたてこもり、意気消沈していた時、預言者イザヤが現れ、彼を励ました箇所。しかしアハズ王は助言に従って神に信頼しようとはせず(12節「主を煩わせるようにしない」)アッシリアに貢物を贈って援助を求め、南ユダ王国は一時的に救出されますが多くの代償を払うことになります。今日の箇所では「インマヌエル預言」が語られます。つまり、神を求めない王や時代に対し、真の王を求めよ、その王が必ず来るから。その真実の意味は時を超え、主イエス誕生に開花いたします。今日はK・Tさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 鳥栖キリスト教会。佐賀県鳥栖市元町1255-1にあります。「鳥栖」は「とす」と読み、サッカー「サガントス」のホームです。この教会の野中牧師は多くの讃美歌を作詞・作曲されています。有名なのが「たとえばわたしが」というもので、国内の複数の讃美歌集でも掲載されています。ただし、本人としては40年近い時を経た曲で、「もう一人歩き」しているとのことを聞いたことがあります。「信仰」やその「告白」については時を経れば変わるこはおおいにあります。より深さや広さがでてくるのです。祈りの課題は以下です。①5年後の教会建築を覚えて、②困難な中を歩んでいる青年たちを覚えて。③すべての核技術がとじられますように。牧師・野中 宏樹
12/9 アモス書5章1-8節 「あなたは生きよ」
預言者アモスは南王国ユダで紀元前750年頃活動しました。彼の名は「重荷を負う者」の意。元来は羊飼いであり、桑の木の栽培者でした。「悲しみの歌」と題されているように、イスラエルがバビロン帝国に敗北することが歌われています。イスラエルの敗北の要因、それは主の御心を求め、御心に生きようとしなかったゆえです。その悲しみの歌を繰り返し歌いたくありません。そのゆえに「わたしを求めよ、そして生きよ」との励ましの声が聞こえます。「生きる」、ただそれは生物的に生きているのではありません。与えられた人生を受け止め、喜び、主を愛し、讃美しつつ、人々と関わる歩み。今日、あなたはどう生きますか。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 久留米キリスト教会。久留米市西町851にあります。この教会は付設の幼児園「めぐみのその」を運営しています。久留米は松田聖子や吉田羊の生まれた地、チェッカーズなんてもいましたね。福岡県の南端、久留米にぜひお出かけください。祈りの課題は以下です。①コロナをチャンスに変える教会形成。②洗礼・転入の申し出が与えられること。③みんなでまたご飯食べれるように。牧師・踊 真一郎、教会主事・踊 夢希
12/8 イザヤ書43章1-7節 「あなたは高価で貴い」
「ヤコブ」や「イスラエル」は第一にはイスラエルの民ですが、神の招きと愛に導かれるべき私共人類への言葉。「創造者」はその愛と責任において被造物の幸いを願い、責任をもって関わるお方。その思いが「名を呼ぶ」「共にいる」「神の目に高価であり、貴い」との言葉に響きます。「クシュとセバ」はエチオピアとエジプトのこと。「身代わりとして人を与え」は後にイエス・キリストのことと理解されていきます。「国々を~魂の代わりとする」は「おまえを生かすために他の者が犠牲になった。 おまえのいのちを買い戻すため、他の者のいのちで取り引きした」との訳が良いです。「わたしの目には、あなたは高価で尊い」との言葉に感謝。今日はK・Tさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 久留米荒木キリスト教会・福岡県久留米市荒本町荒木1450にあります。この教会は山小屋のような雰囲気が漂い、会堂には椅子ではなく、木の床に座るのが通常のスタイルのよう。座るのがつらい方には椅子も用意されています。溝上牧師は以前、小学校の教員をしておられたと聞いたことがあります。祈りの課題を見ても、その温かさと柔らかさが伝わります。祈りの課題は以下です。①地域にあってしんどさの持っていきどころになりたいな。一人ひとりが誰かの居場所でありたいな。牧師・溝上 哲朗、協力牧師・吉田 晃児、塚田 正昭、教会主事・山田 哲也
12/7 申命記22章22-29節 「性を正しく用いるために」
性的暴力や性的関係についての掟。現代と比べると厳しいですね。人が生きる上での性の用い方、結婚という契約を聖書は大事にしております。アンジャッシュの渡部建氏の会見の様子が伝えられていますが、この掟ではほとんど死刑!また、性暴力といえば過日、ジャーナリストの伊藤詩織さんが受けた暴力、その事件を勇気を持って告発したことへの誹謗中傷等は看過できません。性的なトラブルは真偽が証明しにくい点があるゆえ、常に弱い立場に立って考える必要があります。同時に、性的な問題はその背景に人間関係の問題やひずみ、時には病もあるので包括的な観点、また私共自身の中に潜む危険や問題も考えるべきでしょう。今日はM・FさんとHさん、お誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 壱岐キリスト教会。長崎県壱岐市郷ノ浦町片原触218にあります。ここはもちろん朝鮮半島と九州の間にある島です。まだ行ったことはないのですが、自然が豊かでもちろんお魚が美味しいところです。韓国からの旅行者も多いと聞きます。この地での伝道は困難なのですが、今、牧師の夫婦が宣教されています。祈りの課題は以下です。①教会組織から六七年を感謝して。②新入会員を守り育ててください。③地域との交わりがより強まるように。牧師・飛永 孝、飛永 永子
12/6 マタイ福音書1章1-17節 「新約と旧約をつなぐ言葉」
アドベント第二週を迎えました。新約聖書の各福音書は冒頭で旧約と新約をつなぐ言葉を入れてます。ユダヤ人に向けて記されたマタイ福音書は「系図」で新旧をつなぎました。「系図」には途中に抜けている人もありますが、マタイに抜けは大事ではないのです。十四代ずつ歴史を区切っていることに意思があります。なお、当時、ダビデに血筋がつながる、という人はたくさんいました。今でいう伊藤さんみたいなもの。この系図の中で一番大事なのは、当時の系図では入らない女性の名前を印象的に記していることです。それら女性の名前は昨日まで語ってきました。そこに生きた女性、彼女を取り巻く男性社会、そこに「聖さ」はありません。欲望、権力、戦争、差別、時には人間のはかない愛。罪で満ちた人間の歩みを提示しつつ、この世界にこそ、主イエスが来られる必然があったと語るのです。今日はH・Cさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大川キリスト伝道所。福岡県大川市小保667-1にあります。「大川」といえば、家具の生産地としてとても有名です。その背景には木材が豊かな産地が拡がっているからです。所沢教会から歩いて10分くらいの所に「大川家具」という店があります。福岡県の「大川」と関係あるのかと思っていましたが、そうではありませんでした。さて、この教会の祈りの課題は以下です。①豊かな礼拝と祈祷会と交わり。②良き知らせを伝える。③故人のデボーションの充実。牧師・中村
千枝子
12/5 ルカ福音書1章26-38節 「主を受け入れた人」
ダビンチ等も記した多くの絵画で知られる「受胎告知」の場面です。マリアはどこにでもいる、結婚を待ち、わくわくしている女性。なぜ、マリアだったのか、それは誰にもわかりません。しかし、主は何も特別な人でないマリアに、そしてあなたに言葉をかけ、主イエスと共に生きることへと招くのです。天使の言葉はマリアにとって嬉しくない話です。聖霊によって神の子を身ごもる!とうてい受け入れられない内容です、通常なら天使ガブちゃんは塩をかけられて追い出されるところです。その対話は聖書では短く見えますが、数時間、あるいは数日のことかもしれません。そして親族エリサベツの話を聞き、旧約聖書の言葉を思い起こしながらマリアは受け入れる決意をします。クリスマス、それは神の決意に応える人間の決意が必要でした。そして、私共もクリスマスに起こった神の決意にどのように応えていきましょうか。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 佐賀基督(キリスト)教会。佐賀県佐賀市水之江4-2-18にあります。ここは大きな教会でパイプオルガンも設置されています。かつては邦楽チームの演奏もなされていましたが、今はどうなのでしょう。祈りの課題は以下です。①み霊と真理によって礼拝する教会。②み言葉を学ぶ家庭。③隣に伝道する群れ。牧師・余 信鎬(ヨ シノ)
12/4 Ⅱサムエル12章1-15節 「消せない過去」
今日の箇所を始めて読む方は11章から読んでください。ダビデの政権の安定期、戦にダビデは出ず、王宮に残ります。春の夕方、散歩をしていると部下ウリヤの妻が沐浴する姿を見、気に入り、そして権力を使ってその女性を招き床を共にします。その後、妊娠が発覚し、ダビデは証拠隠滅に努めます。最後にウリヤはダビデの命令で最前線に送られ、戦死させられ、その後、ダビデはウリヤの妻を迎えるのです。一つの快楽が罪なき者二人が殺されることになるのです。しかし、主はそのことを見過ごしません。預言者ナタンが送られ、ダビデの罪を示します。他者の罪、過ちはよく見えるのです。しかし、自らの罪、過ちは見えないのです。ゆえに王といえども、主は罪を知らせます。次に生まれたのがソロモンでした。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 霊水キリスト教会。「霊水」は「たまみず」と読みます。佐賀県佐賀市城内1-8-16にあります。かつて、特別伝道集会の講師としてお訪ねしたことがあります。JRで福岡から乗り、佐賀に入ると全然空気が違うというか、農村の香りがします。それはとても気持ちがよいものでした。祈りの課題は以下です。①主を喜び、主に喜ばれる群れに。牧師・塚田
正昭(久留米荒木教会派遣)
12/3 ルツ記1章1-22節 「愛の絆、ボアズとルツ」
ルツは異邦モアブの女性。士師時代(前1390~1044年頃)に起こった飢饉により、ベツレヘムから逃れてきたエリメレクとナオミ夫妻の子マフロンとルツが結婚しますが、義父エリメレクと夫に先立たれます。モアブに残り再婚を勧める義母に対しルツは神に対する信仰を告白し、ナオミと共にベツレヘムに行きます。ベツレヘムでルツは落ち穂拾いの生活をする中、エリメレクの親族のボアズと知り合い、彼から親切を受け、その後、ボアズとルツは結婚。エッサイの父であるオベデを産みます。エッサイからダビデが生れます。日本では天皇の血筋に外国人が入ることが嫌われますが、実際は大陸から迎えた皇后もいたのです。純粋な日本人等はどこにもいません。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 佐賀新生教会。佐賀県佐賀市大財4-5-8にあります。祈りの課題は以下です。①牧師亡き後も教会が祝されるために。②後援者の神学生の学びの祝福のために。③タイの森田覚偉霊(サムエル)宣教師のために。
12/2 ヨシュア記2章1-24節 「イスラエルを守ったラハブ」
モーセの死後、ヨシュアがイスラエルの民を率い、エリコという城壁で囲まれた町への襲撃を画します。まず二人のスパイが送られ、エリコのラハブという遊女の家にかくまってもらいます。そしてラハブは情報を伝え、スパイを探しにきた人に嘘の証言をして守り、活動を助けました。ラハブ家族はエリコの中で差別と悲惨の中に生きた者たちであり、イスラエルの民に対する共感がありました。そして、イスラエルがエリコに侵入したとき、自らの家族が守られるように約束をしたのです。新たな社会への希望があったのです。そしてエリコ侵入と陥落後、ラハブ家族は助けられます。この外国人ラハブも主イエスの系図の中に記され、ルツの夫ボアズの母となるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 鹿島キリスト教会。佐賀県鹿島市大字高津原557-6にあります。鹿島の城内か、すぐ近くにありました。祈りの課題は以下です。①教会員の健康維持と回復のために、②求道者が与えられるように。③主の弟子として整えられるように。牧師・玉置 行
12/1 創世記38章1-30節 「苦しみと痛みの中から」
ユダは結婚し、三児を得ます。長子エルはタマルと結婚後エルは召天。次に弟がタマルと結婚するのですが、弟は従わず、その後召天。次には三男シェラと結婚ですが、成人までタマルは実家に戻ります。その後シェラが成人してもユダは何の連絡もしません。寡婦のままで待ち続けなくてはいけないタマルは経済的にも精神的にも激しい痛みを持ちます。ついに、タマルは遊女の姿をとり、自らを隠し、義父であるユダと一夜を過ごし、妊娠します。タマルの妊娠を知ったユダは「嫁が不倫をした、殺せ」と命じますが、その相手は自分。ユダの行動、責任放棄、弱い立場の女性の苦しみと行動、その歴史が主イエスの系図に加わります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 嬉野基督教会。佐賀県嬉野市嬉野町下宿乙2350-22にあります。基督は「キリスト」と読みます。嬉野は温泉で有名な地で、この教会の近くにも温泉のあるホテルや旅館がたくさんあります。昔、加来牧師という方がいらっしゃったころ、洗礼(バプテスマ式)を旅館の温泉で行ったとか聞いたことがあります。今は新しい会堂と広い駐車場があります。教会に行って礼拝して、帰りに温泉というのはいいですね。もちろん、今はコロナ禍にあり、やっているかどうかお尋ねしてください。祈りの課題は以下です。①処女降誕のキリストを信じる信仰。②兄弟姉妹のデボーションの充実。③父なる神さまの恵みと愛の実感と実践。牧師・藤野 慶一郎、協力宣教師・車 孝振、金 恩妃
11/30 創世記22章6-18節 「主の山に備えあり」
父祖アブラハムに対し、神が一人子のイサクをささげよ、との物語です。21章12節で神は「アブラハムの子孫はイサクによって伝えられる」という神の約束にも関わらずイサクを殺せと命じる、神の自己矛盾と言われますが、1節にあるように「神は試された」のです。「試み」とは「心・見る」という意味。私もまた、死や病の中にある人やその家族を前にして、その意味を言葉では説明できなく、理解し難い苦しみの現実の中に立つ方の前に言葉を失います。強いられた現実に立ち尽くす人間の痛み苦しみを、アブラハムは代表します。神は私たちを不可解な現実に招く神、試みる神。しかし、試みる神はさいごには備える神なのです。神の約束と命令、試みと備えの「はざま」に我らの生があるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 引退教役者の方々を覚えて。宮地慶信氏(岡山県在住)、村中範光氏(神奈川県在住)。
11/26-29 特別版 聖書箇所と祈りのみ
11月26日(木) 聖書:ガラテヤ書4章1~7節「神の子とされるために」
今日の祈り:中国・四国バプテスト教会連合。①集会困難でも心はつながるように。②距離があっても祈り合えるように。③協力して伝道できるように。会長:播磨
聡(広島教会牧師)。
11月27日(金) 聖書:マタイ福音書7章7~12節「求める人は受ける」
今日の祈り:連盟「部落問題特別委員会」。①コロナ禍で弱者、高齢者が守られるように。②石川一雄さんの無罪が確定するように。③当委員会の働きのために。委員長:片桐
健司(品川教会会員)。
11月28日(土) 聖書:マタイ福音書6章5~8節「願う前からすべてをご存じの神」
今日の祈り:連盟「専門委員・地区宣教主事」。総務、地区宣教主事、国外伝道、青少年伝道、教会音楽、賛美歌検討、『聖書教育』編集、教会教育、『バプテスト』誌編集、各委員会の働きを覚えて。
11月29日(日) 聖書:マタイ福音書6章9~13節「だから、こう祈りなさい」
教会の祈り: 所沢教会での「世界バプテスト祈祷週間」への取り組み。 今日の祈り:日本バプテストろう伝道委員会。①今年中止になった「ろう者修養会」が来年は開催できますように。②諸教会・伝道所のろう伝道の働きが祝されますように。委員長:宮井武憲(福岡城西教会牧師)。
11/23-25 特別版 聖書箇所と祈りのみ
11月23日(月) 聖書:ルカ福音書11章1~4節「祈りを教えてください」
教会の祈り: I・Hさんの誕生日おめでとうございます!。今日の祈り:大村古賀島教会(長崎県)。①痛みを負っている方々のために。②一人ひとりの神との対話のために。③相互理解という「平和」のために。牧師:川久保
拓也。
11月24日(火) 聖書:詩編69編26~30節「あなたは、わたしの父」
教会の祈り: S・Yくんのお誕生日おめでとうございます!。今日の祈り:相浦光教会(あいうのうらひかり・長崎県)。①コロナ禍に共に主の平安に生きる。②み言葉と証を分かち合う礼拝。③近隣の方々へとキリストの愛を伝える。 牧師:武林
真智子。
11月25日(水) 聖書:マルコ福音書14章32~42節「アッバ、父よ」
今日の祈り:佐世保教会(長崎県)。①一日も早いコロナ禍の収束と、教会活動の回復。②感謝の心を養おう~罪赦された喜びを胸に~。牧師:鮫島 則雄。
11/22 コヘレト12章9-14節 「『あとがき』は面白い」
今日の箇所は後に編集者によって付加された「あとがき」です。考えるに8節で終われば「すべては空しい」なので、誤解せぬように記されたのです。「突き棒や釘」、それは「知恵が深まれば悩みも深まり、知識が増せば痛みも深まる」こと。でもそれは人間が人間と成り得る過程です。ひとつ、付け加えれば「空しい」はただ、うつろ、空虚ではなく、「空(そら)」という、何もないようだけど、無限に広がる可能性をもった世界である、とも考えられます。「ただひとりの牧者」とはコヘレトのことですが、新約を知っている私共はここを「主イエス」と読んでいくのです。「学びすぎれば体が疲れる」はユーモアであり、私は、時に体を伸ばし、自然の中を歩き、草花や鳥を見てごらん」との言葉と感じます。13節の結論「神を畏れ…」、「畏れ」とはもちろん恐怖ではなく、「大事に向き合う」こと。「裁き」は有罪だけではなく、喜びと感謝にあふれた「無罪解放」もあります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 諫早キリスト教会。長崎県諫早市上野町17-2にあります。小高い丘に登る途中にあります。近くの景色ともなじんで、子どもたちなどがよくスケッチをしているそうです。この教会の河野牧師は、当、所沢キリスト教会出身の牧師であり、西南学院大学では私と同期です。ただし、河野牧師は大学卒業後、生協の職員等を経験し、新聞に出た「サラリーマンから牧師になった方々」の記事を見て、牧師を目指し、教会にはじめて行ったという方です。祈りの課題は以下です。①新型コロナ肺炎の収束。②長期入院・療養中の方々の平安。③教会活動、特にクリスマス行事が守られますように。 牧師・河野 宏一
11/21 Ⅱコリント5章11-21節 「主に結ばれた者として」
ここは「和解」という言葉が重要。「和解」は、主の一方的な愛により我らの罪が赦され、主の恵みにより新しい命を生きること。「和解」は「主の死による出来事」です。「和解」は両者の関係性が再び繋がることです。人が主イエスの死を、自分の罪の赦しのための犠牲であったと感謝して受け取る時に絆が繋がります。それが「新たに創造される」ことであり、「キリストと結ばれる」ことであり、主の言葉で言えば、「ぶどうの幹と枝」の関係になります。そして新たに創造された者の働き、ぶどうの実は、この「和解」を世界に伝えることなのです。「分断」と「自己愛」「差別」にの中でうめく世界へと語り掛けるのですし、そうありたいと願います。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 長崎バプテスト教会。長崎市片淵1-1-4にあります。現在、新型コロナウィルス感染拡大を防止するためにいくつかの取り組みをして、礼拝をささげています。礼拝は9:30、11:02の2回です。(礼拝時間45分程度)11時2分というのは、長崎教会がずっと続けてきた常の礼拝の開始時間です。これは地上で二つ目の原子爆弾が長崎に落とされた時刻で、そのことを忘れず、伝えるようにとこの時間に礼拝が始まるようにしておられるのです。市電の駅にも近い場所です。この教会には何度が訪れていますが、友納牧師がいらっしゃる頃、お伺いし、長崎名物の「長崎ちゃんぽん」がとても大きなお皿にのって登場しました。なつかしい、嬉しい思い出です。長崎教会ではいろいろな活動がなされています。「幼児教室」や「ゴスペル教室」などです。祈りの課題は以下です。①北部伝道集会ノーザンクロスのために。②ビジョン(アジアのアンティオキア教会)のために。③コロナ危機を助け合って乗り越えることができますように。牧師・曺銀珉、教会主事・田口圭子、音楽主事・嘉手苅夏希、教会主事・竹内洋美。
11/20 ローマ書8章16-30節 「我らがうめくとき」
ローマ書を読み解くのは大変です。パウロの信仰が集大成されております。かいつまんで語るなら、まず「苦しみ」の問題です。パウロは苦しみを無意味なもの、宿命的なものと考えず、キリストの苦しみに参与すること(17節)と共に、聖霊によってはじめられた新しい存在、新しい世界の実現の「産みの苦しみ」と理解しました。その「うめき」に神自身も共に苦しみ伴ってくださるのです。また「被造物」は人間以外で神が造られた一切を指します。人間は世界を管理することを使命とされましたが、人間の罪によって管理ではなく、欲望のまま奪い取ってきたのです。人間が新たに生きる時、世界はよみがえるのです。20節は我らを励まし、希望へと生かす言葉です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 多良見キリスト教会。長崎県諫早市多良見町市布1272-45にあります。「たらみ」といえばスーパー等でも売っているゼリー等が有名です。また、長崎市のベッドタウンとしても発展しつつあります。祈りの課題は以下です。①牧師が与えられますように。②教会員の信仰が強められますように。③礼拝を大切にする教会であるように。代表役員代務者・松本素代美
11/19 ルカ福音書10章25-42節 「聖書をどう読むか」
ここには大きく二つの内容があります。有名な「善きサマリア人のたとえ」、そして「マルタとマリア」。ここにある主イエスの基準は「その人(自分、あるいは他者)にとって一番必要であり、大事なことは何かを考え、実行すること」です。「隣人を自分のように愛する」道への標がここにあります。26節で主イエスは「あなたは律法(聖書)をどう読んでいるのか」と尋ねます。かつてある講義で私が、教会ができる(許可されていること)のは「赦し」だけだと語った時(もちろん、赦しは「罪の自覚」と「畏れ」の中でしか受け取られません)、「少しは裁きも語るのが必要だ」と感じた方がありました。この時、その人は自分が「赦す立場」だと勘違いしております。「裁くことができるのは神様だけであり、自分が裁けると思う時、人は神の立場に立っているのです。私共は神に赦されてしか生きられないのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 五島キリスト教会。長崎県五島市木場町524番地にあります。富江町にあった「富江キリスト教会」と木場町にあった「福江バプテスト伝道所」が合併して生まれました。長い間、明石初恵牧師がピアノを教えたりして伝道してきました。五島市では多分、唯一のプロテスタント教会です。最近より若い中村聖架牧師が就任されました。祈りの課題は以下です。①求道者が与えられますように。➁受浸者が起こされますように。③地域に開かれた教会としての成長。牧師・中村 聖架
11/18 詩編23編 「魂を生き返らせる主」
この詩編は時間と場所を超えて世界中の人々が愛唱しています。ある家にこの詩が掲げられていて、「知らない人は『ぬし』と読むの」と話しておられた方を思い起こします。「主(しゅ)」という言葉は一般では余り使いません。「主人」とか「主体」等、他の言葉と組み合わされます。聖書が語る「主」も「救い主」「助け主」「導きの主」「愛の主」等と組み合わされたらわかりやすいです。「主」は神、あるいはイエス・キリストのこと。でもその方は、主人でありながら私共に仕える方であり、「主人」でありながら、私共と同じ目線に立ち、伴って下さる方です。最後の言葉は「わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう」が良いです(口語訳)。今日はI・Rさん、T・Hくん、T・Rくんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大牟田バプテスト教会。大牟田市古町1-3にあります。かつて大牟田が石炭産業等で賑わっていた時代にできたのがこの教会です。同じく長い歴史を持つ、幼稚園、現在は幼稚園型認定こども園光の子幼稚園(学校法人)の母体であります。祈りの課題は以下です。①教会創立110年を感謝して。②コロナ禍での教会の守りと祝福。③新園舎建築が守られますように。牧師・浦
肇
11/17 申命記6章10-15節 「美しく枯葉散る頃」
今、自分がこの状況で生きている、そのことに対して誰もが「こうやって頑張った、苦労した、我慢した」ということは沢山ありましょう。本当に偉い!と思います。一方で「こんなひどいことをされた、親や家族や友人は何も助けてくれなかったので今、こんなひどい状況にいる」と思っている方もまた沢山おりましょう。大体、良き結果は自分の頑張り、悪いことは人のせい、とするのが普通なのです。でも、それで終わっていたら自らの成長を終わらせてしまうことかも。秋の柔らかな日差しの中で、自分に与えられたこと、決してすべてを自分の努力で得たわけではないこと、自分がどのように対応すれば良かったのかと考える時間を持ちたいものですね。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 有明キリスト教会。福岡県大牟田市南船津町2-2-5にあります。この教会の田中牧師は薬害により盲人となられました。しかし、ピアノを見事に演奏される方で、一緒に演奏させていただいたこともあります。福岡有田教会在任時代には特別伝道礼拝でお招きしたことがあります。田中先生のピアノ演奏と聖書のお話をしてくださったこと、とても良い礼拝をいただきました。不思議なことに私の子どもがかつて「福岡市こども病院」に入院していた時に看護師としていらっしゃったのが、田中先生のお連れ合いでした。祈りの課題は以下です。①キリストの弟子の歩みを。②コロナを機に本質に立ち返って。③七月豪雨被災地にキリストの愛を。牧師・田中
文人
11/16 申命記6章1-9節 「聴くこと、応えること」
4節の「聞け、イスラエルよ」以下の言葉はまさに聖書の神様は「聞く方」として語り、私共がその言葉に応答していく「対話を求める神」であることを意味します。聖書の神は「見る」方ではなく、「聞く方」。そのことが讃美歌が大事にされていくこととつながります。またこの言葉は主イエスがマルコ12章等で「最も重要な教え」として示し、「聞き、行う」者へと招いています。7節では子ども達に教えること、つまり教会学校の働きになります。8節にこの言葉を「額に付け」とあり、実際、ユダヤの人はこの言葉が入った紙を小箱に入れて額につけていますが、額に付けて、良しとするなら、「見る」宗教と変わりありません。今日はM・Aさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 大牟田フレンドシップキリスト教会。福岡県大牟田市七浦町74-6にあります。「キリスト者奉仕会」等とのつながりが深く、「障がい」を持っておられる方々の参加も多いと聞いています。祈りの課題は以下です。①礼拝・祈り会・教会学校の充実。②神の愛に根ざした豊かな交わり。③家庭及び地域に繋がる教会学校。牧師・金子
敬、協力牧師・福井正躬、教会主事・叶 義文
11/15 コヘレトの言葉11章9-12章8節 「『若い日』、それは『今日』」
9節以下の「若者よ」への呼びかけは共感します。私は今思うのは、若い時にもっと色々なことにチャレンジし、学び、遊びをしておけばよかった、ボーとしていることが多かったので。若い人は反社会的なことをしてはなりませんが、恋や仲間との時間、多くの出会い、それは多文化や他者、文学、芸術、歴史等を通して広範囲にたくさんつくってほしいと思います。そして12章1節は「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」でしたが、新共同訳では「青春の日々にこそ…」になりました。我が町の自治会長は「八十過ぎても常に青春」と言っておりますが、「青春」が終わったと思う人は希望がなくなります。「若い日」といえば、八十を過ようが、今日は、明日より若いのです。ゆえに、今日、主の救いに与ることへの招きです。今日はT・Sさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 菊地シオンキリスト教会。熊本県合志町幾久富1866-330にあります。犬童さんというクリスチャンの方が運営されていた保育園で礼拝が始まり、伝道開始されました。記憶によれば故矢野牧師のお連れ合いのお母さまがとても熱心に活動されて礎が築かれたということだったと思います。祈りの課題は以下です。①教会に集う方々とその家族の健康のために。②コロナ危機の中での教会員の信仰生活のために。牧師・濱川
耕一
11/14 申命記8章1-11節 「『苦しみ』を考える」
2節後半の「こうして主はあなたを試し…」は「あなたがたが謙そんになり、神様の命令にどうこたえるようになるか、はたして心から従うようになるかどうか試されたのです」との訳が良いです。またこの言葉は民と共に歩いたモーセの解釈であります。試みる(心見る)ために苦しみを与えるのが神様の思いではありません。自分の「苦しみ」とは一体何かということは、人により幅がありましょう。でも「苦しみ」は苦しみのまま終わりません。そのことを信じていきたいし、「苦しみ」が「感謝」や「成長」を促すこともあります。「苦しみ」は常に人間を成長させるとは限りません。しかし、苦しむことなく、人間は成長しないのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 種子島バプテスト伝道所。鹿児島県熊毛郡中種子町納官1571-5にあります。種子島、といえば鉄砲伝来の地、そしてJAXAの宇宙ロケット発射場がある島です。かつて、25年位前でしょうか。宮崎にいる頃、南九州地方連合の伝道チームで行ったことがありますが、今でもその光景は心に残っています。鹿児島からフェリーに乗って、結構時間がかかりました。種子島教会はとても小さな教会です。そこで牧師が花を売ったり、牧師の妻は習字を教えたりしつつ、島にまさに「へばりついて」伝道している姿に感銘を受けました。もちろん、小さな島ですし、若い方々も少ないし、大体、人口も少なく、伝道が厳しい中に敢えて身を置いておられたのです。私たちは「映画会」を行い、チラシを配布して短い2泊ぐらいでしたが奉仕させていただきました。そのような様々な地域で日々、まさに、貧しくも伝道されている方々との出会いにより自分自身が育てられてきたのです。祈りの課題は以下です。①世界宣教への祈りと献金の継続ができますように。②牧師の後継者が一日も早く与えられますように。③牧師の健康が守られ、支えられますように。 牧師・沼田 俊昭
11/13 出エジプト記20章8-21節 「聖別すること」
「聖別」という言葉。「聖」は神様が所有され使う(時間や空間も含む)の意味で、「聖」の判断をするのは神様のみ。「別」は特別に他のものと分け、混ざらないようにする、との意味があります。「聖別しましょう」と人間が語るとき、神様のため(実は人間の命のため)に別の用途とは切り離して準備し、用いるということです。旧約聖書では「土曜」が「安息日」として礼拝のため用います。礼拝のために備えをし、準備をし、迎えるのです。新約では主の復活された日曜が礼拝の日となりました。礼拝のために牧師・信徒は準備し、祈り、整えていきます。大事な日を大事に迎える心。それが一週間の流れをつくるのです。今日はK・MさんとO・Yさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 八代バプテスト伝道所。熊本愛泉教会の伝道所です。熊本県八代市井揚町3217-1にあります。八代市はミカン、夏みかん、海産物の産地として有名ですね。祈りの課題は以下です。①諸事情で礼拝に来れない方々との礼拝の実現。②コロナ禍の中で教会員の信仰と交わりが守られますように。③たえず「神我らと共にいます」を共有できますように。牧師・桑原 伸良
11/12 Ⅰテサロニケ5章16-28節 「感謝から生まれる幸い」
「いつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝」との有名な言葉。昨日も語ったように、このような勧めは、人間に喜び、祈り、感謝が少ないからであり、喜びや感謝すべきことを見つけよう、行動と行動の間に祈りをしよう、ということ。「文句」ばかりを言う人に対し、みんなはこの人は「文句」が好きだから「文句」で共通する話題を提供します。「感謝」の人には感謝が集まります。感謝の言葉が増えればきっと笑顔になります。「感謝」が見つからない人はご相談ください。いつも言いますが、私は葬儀に関わることが多いのですが、亡くなってから、家族友人が沢山の感謝の言葉を御遺体に語り掛けます。感謝の言葉をを故人が生きている時に語って下さったらその方も幸いだったでしょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト熊本愛泉教会。熊本市西区矢尾崎町88-8にあります。日本バプテスト連盟に加盟する教会の中で「愛泉グループ」と言うような繋がりをもった集まりがあります。その中で中心的な活動をしてきた教会です。祈りの課題は以下です。①病の方、療養中の方々の上に主のお守りと回復を。②会堂、牧師館の雨漏り補修工事の守り。③被災地の復興とコロナの早い終息を。牧師・濱田 修三
11/11 フィリピ書4章4-9節 「喜んでばかりいられるか」
フィリピ書は「喜びの手紙」と言われます。たまに誤解する人がいて、「いつも喜んでばかりいられるか」と反発する方がいます。私共に喜びが少なく、嘆きや苦しみがあるからこそ、この勧めがあるのです。「喜び」という宝は隠れています。表面にある石ころばかりに目をとられ、時につまずきます。でも「宝」は石を除いた土の中に埋まっており、それを見つけること。5節の「広い心」は良い訳。従来は「寛容」と訳されていました。「寛容」とは「自己絶対化」の反対です。「寛容な宗教、思想」は自分達だけが絶対と思わず、他の宗教や思想にも開かれ、共に生きようとする態度。また「寛容」は究極的には敵をも愛すること。反対者を追い出す政治家等は資格なしです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 山鹿新生キリスト教会。熊本県山鹿市中222-1にあります。「山鹿」は頭に提灯をのせて踊る「山鹿祭り」という珍しい踊りをしていました。頭に光を載せるのはいいですね!祈りの課題は以下です。①コロナの害祈り合わせて勝利せん。②教会の核となるべく家族の救い。③将来を信じて子どもたちの救いを祈る。 牧師・船越 哲義
11/10 イザヤ書65章17-25節 「真実の平和の姿」
イザヤ書の最後の部分(58~66章)は創造者なる神と被造者なる人間(世界)との間の関係の回復の預言です。神の贖罪契約の成就の結果として、創造契約(創世記1~2章)に基づく関係の回復。つまり栄光に輝く終末における真の平和に向けてのプログラムが啓示されます。真の平和の完成は主権者なる神によって可能となりますが、その基本となるのは人間が主なる神の前に謙虚に贖罪と恵みを求め、それにあずかり、神の民として歩むことです。この神の国のイメージは今を生きる者の希望であり、人間が希求すべきものです。争いや憎しみが連鎖する世界の中で、希望の光が灯します。17節の「初め…者はない」は新しい天地が素晴らしすぎてもはや思い出すこともないとの意味です。今日はT・Kさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 豊岡キリスト伝道所。熊本県合志町豊岡1900-5にあります。20数年前に特別集会の奉仕のために伺ったことがあります。まだそのころは教会の周辺には畑などが拡がっておりましたが、熊本市のベッドタウンとしての開発が進められているとのことです。祈りの課題は以下です。①教会の歩みのために。②教会財政の祝福。③病気療養中の方々のために。代表者・工藤 信也
11/9 申命記12章8-12節 「礼拝の心がけ」
「申命記」はモーセの遺言として、主から受けた様々な掟を伝えています。ここでは約束の地に入った時になすべき礼拝が示されています。8節の言葉は礼拝を主が定める場所で行うことが求められています。旧約においては特に、人間の都合や好みで礼拝場所を決めることではなく、主が定めることとされます。それは礼拝が重要であるにも関わらず、人が大事にしないことが多いから。さらに礼拝は「主に感謝し、喜び祝う」拡がりの中に置かれます。家族から始まり、経済的基盤を持たないレビ人も奴隷も配慮されています。ある人は「様々な弱さや障害を持つ人々を常に自らの内に含む、礼拝共同体のあるべき姿を指し示し、配慮なき真の礼拝はない」と語ります。今日はS・Hさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト東熊本キリスト教会。熊本市中央区水前寺4-31-22にあります。いわゆる「水前寺公園」の近くでしょう。以前の熊本地震の時は協力牧師の保田井先生ご夫妻は、高齢にも関わらず車の中で数日過ごされたとのことでした。祈りの課題は以下です。①「共に」礼拝に参加するための取り組みがさらに充実していきますように。牧師・三上
充、協力牧師・保田井 健
11/8 コヘレトの言葉11章1-6節 「分かち合うことへの招き」
1、2節は宝の言葉。「あなたのパンを水の上に投げよ…」。「投げよ」とは「分かち合う」こと。すべてを自分のものとしないで、誰かと分かち合う精神。それは個人レベルではなく、社会でも国際でも有効なことです。もちろん、投げても、自分に戻ってくることはないかもしれません。「戻り」(リターン)の益のみを考えると単なる投資になります。どのように実を結ぶのか、まさに私どもは人体の仕組みや自然の仕組みをほとんど知らないように、あなたが分かち合ったパンがどのように用いられ、どのような物語を生むのかはわかりません。でも、一つ、確かなのは、「蒔くとき、分かち合うとき」個人と世界の可能性が拡がることです。それを思いつつ、今日の私に与えられた働きを為すのです。今日はI・Mさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 羊の群れキリスト伝道所。この教会は、熊本市中央区本山町集会場を会場として行われているようですが、お出かけになる時は、開催時間等を含めてご連絡してくださいとのこと。電話番号は090-7986-5006です。昨日お祈りした宇土市にある熊本南キリスト教会の伝道所ですが、人口の多い熊本市での活動を祈っておられるようです。祈りの課題は以下です。①家族としての教会形成の実現を。②リーダーを立てあげることができるように。③子どもの礼拝ができる環境をお与えください。牧師・朴 哲浩
11/7 コヘレトの言葉9章11-12節 「私共がすべきこと」
この箇所を読みながら「そうだねー」と相槌をうちます。「時」に乗るか、乗れないか。うまく時流に乗ってそれで社会的に賞賛を浴び、褒め称えられる人もいますし、いくら才能があっても、チャンスや出会いがなく、多くの人々から知られずに終わることもあります。しかし、どんな時でも人間の可能性を他者が奪わないことが大事です。長野県上田市に戦没画学生慰霊美術館「無言館」があります。戦争のためかりだされ、若くして命を奪われた画学生らの絵が飾られています。戦争は画才や様々な能力がある持つ若人の将来を奪い、未来と文化の芽を抜いたのです。音楽家でも、学者でも、優れた才能が戦争やテロで奪われてよいはずがありません。世界中の誰にも平等に学習の機会、発表の機会をつくることが、未来を創り出すことの一歩なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 熊本南キリスト教会。熊本県宇土市新小路町101-1にあります。祈りの課題は以下です。①礼拝・交わりが祝されるように(午前中に変更)。②来年からの放課後児童クラブの準備のために。③地域に生きる教会活動のために。 牧師・朴 哲浩
11/6 コヘレトの言葉9章1-14節 「神がお与えになった命」
ここでは「命」が限りあるものとして肯定的に受け取ることを促しています。「純白の衣」は祭りの装いであり、気持ちを新たにするイメージです。「香油」も同じような意味。9節の「空しい」は、人の一生は短く、過ぎ去りやすい、との意味であり、それゆえに、愛する妻と楽しく過ごすことを大事にするのです。「妻」は多少意訳で本来は「女」のこと。しかし、ただ人生を享楽的に過ごすことだけを勧めているのではなく、10節にあるように、「何事でも手をつけたことを熱心にする」とあります。どんな働きでも働き自体は「尊い」ものです。掃除であれ、配達であれ、研究であれ、それぞれ深く、社会に必要な意味ある働きなのです(社会もきちんと評価すべきです)。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 人吉キリスト教会。熊本県人吉市五日町81にあります。人吉は。山の中ですが、川魚料理や温泉、焼酎で有名です。教会は古い町並みの中にあり、教会のすぐそばには公衆の温泉浴場があります。かつて南九州にいる時は、会議等のあとに、温泉に入って帰りました。先の大水害では教会は被害がありませんでしたが、周辺では大きな被害が出ました。自然の豊かな場所ですが、同時に自然の厳しさを思う場所です。被害を受けたところが復興できますように。祈りの課題は以下です。熊本豪雨の人吉・球磨(くま)の大水害で被災した兄弟姉妹のすべてが守られますように。牧師・永渕 一隆
11/5 ルカ福音書16章1-9節 「あなたを探す神」
「悔い改める一人の罪人」を主が喜ぶ、とそれぞれまとめられますが、少しおかしいと思いませんか?「一匹の羊」、確かに自ら迷ったかもしれません。一生懸命に戻ろうとしたかもしれません。でも本人(羊)の努力を超えて、「見つけるまで探し回る」方のことが肝心ですし、主題です。。「銀貨一枚を無くした女」、「銀貨」は自分で歩き回りませんから、何かで見失った。でも念を入れて探し、見つかったら、友達などを招いてパーティをするのです。普通はそこまでしません。逆にお金がかかるかも。つまり、中心は神の前から外れた、何かの理由で失せた者は大事なゆえに神さまが必死で探すこと、その尋常ではない愛の姿がここで描かれているのです。なお、「悔い改め」とは「神の方へ向きを変える」ことです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 天草中央キリスト教会。熊本県天草郡苓北町富岡3708-1にあります。この教会はかつての切支丹(キリシタン=クリスチャン)迫害、殉教の地であることを覚えて南牧師により始まった教会です。建物は広く、観光や研修で宿泊できるようなことも想定されています。祈りの課題は以下です。①成熟したクリスチャンを目指す。②皆が神のみこころに従う教会。③主の弟子となり身を結び栄光となる。牧師・南 圭生
11/4 詩編139編 「すべてを知り給う方」
この詩編は「人間とは、神の現実に囲い込まれたものとの人間理解を反映し…祈りの古典でもある(メイズ)」と言われます。私も愛唱する詩編の一つです。どんな解説より、自らの口で味わうことが第一です。8節の「陰府」(よみ)は旧約で死者が行くとされた場所です。新約では「陰府」を主イエスは歩み、神の国、天国とされました。14節の「恐ろしい力」は訳が良くないですね。「その腕前は天下一品」等の訳(リビング・バイブル)はより自然かな。23節の「私を試し」は、たとえば、親が気分の悪そうな子どもを見て、その子の頭に手を置いて熱を調べたり、「どんあ感じ?」と質問をして、その状況を知るようなことです。心配し、悩みを知る時に、その心にも伴ってくださるのです。最後の言葉は私共の日々の祈りです。今日はK・Cさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 延岡キリスト教会。宮崎県延岡市中川原町4-5063-1にあります。九州の経済的中心は福岡で、福岡から一番遠いのが延岡です。電車でも車でも一番遠いのです。この町は旭化成の企業城下町でもあります。この地にある延岡教会。ぜひ覚えてください。祈りの課題は以下です。①新来者・求道者に仕える教会。②互いに祈り支え合う教会。③心身ともにいやされる教会。
牧師・松田 良明
11/3 ミカ書5章1-5節 「メシア預言」
預言者ミカは紀元前8世紀、北王国イスラエルが滅亡(紀元前721年)する中で、南王国ユダでイザヤ等と共に活動しました。「エフラタのベツレヘム」は同名の町と区別するためですが、もちろんダビデ王の出生地。その小さな氏族の中から救い主(=メシア=キリスト)が誕生するというメシア預言です。5章の後半を見れば、その姿は後のイエス・キリストとはかなり違いますが、ここで語られている、地上の人々が求めるメシア像と、この地を数百年後に歩んだ主イエスの違いこそが、主イエスによって語られる平和の福音として輝くのです。「小さな」氏族から「偉大」が出現する。これが逆説。故に主イエスの福音は「撃ち殺し、怒り、復讐」ではなく、「愛と恵みと平和」をもって世界を救うことなのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 高鍋伝道所。宮崎県児湯郡高鍋町北高鍋3242にあります。高鍋というのは太平洋に面した宮崎県にあります。かつては高鍋にお城もありました。この町出身者として、有名?なのが、現、児湯教会牧師の徳渕先生、それから今井美樹など。「百年の孤独」という今はなかなか手に入らない焼酎の会社があるのも高鍋です。昨日記したように、神学校を卒業したての20代の私の最初の赴任地は児湯教会であり、住居は高鍋でした。教会員がもっておられた古い屋敷を借りて住んでいましたが、裏には牛小屋があり、庭には大きな梅の木があり、時期になると梅の落ちる音が響いていました。当時、2万人ほどの小さな町でした。小さな町ゆえに、顔なじみの方もできてきました。そして、不思議にも、高鍋町出身の方が、今、所沢教会のメンバーとしておいでになります。その方の義兄とも高鍋ではお付き合いがありました。高鍋教会は10号線から入ってすぐのところです。私がいた時代に、福岡の姪浜教会から伝道応援があり、高鍋教会の庭に十字架の塔をいっしょにたてました。今も見えるかしら。高鍋については書けば、きりがありませんのでここらで。祈りの課題は以下です。①コロナ感染が収束しますように。②20名の礼拝出席となりますように。③教会員の健康と祝福のために。牧師・児玉 一郎
11/2 箴言31章10-31節 「主を畏れること」
「マサの王レムエル」、「マサ」はパレスチナ東方のアラビヤの地域でイシュマエルの子孫が住んでいたとされ、その地の王「レムエル」は伝統的にはソロモンを指しますが、象徴的な名前とも言われます。この章の1節からは「王」の在り方が語られ、引き続き、王の妻の在り方が語られます。「理想的な妻」のようですが、「王」の在り方より言葉が多いのは、「妻」の役割が大事ということであり、「妻」によって「夫」の生き様が影響されることも多いのですね。もちろん、ここを読んで妻は「かくあれ」と誰かが命令するならこれらの言葉は死んでしまいます。一人の女性が生きる歩みの参考とすれば「励まし」になります。そして、最後に箴言のテーマ「主を畏れることの幸い」が繰り返されます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 児湯(こゆ)キリスト教会。宮崎県西都市南方2676-6にあります。また、「三財会堂」が西都市下三財3389にあります。この教会は私が西南学院大学神学部を卒業して最初の赴任地になります。主任牧師の故山下俊郎牧師と一緒に、私は副牧師として歩みだしました。あまりにも多くの出会いや思い出があり、ここでは書ききれないほどです。今日はあまり時間がないので失礼しますが、日本の食を支える農村中心の場所にある教会というのは、特に日本バプテスト連盟の中では少ないものです。私がいたころ、まだ若かった方々が今も執事(役員)等として働かれているお姿を3年程前に伺った時に見せていただき本当にうれしかったです。祈りの課題は以下です。①今年度の年間主題は「教会創立50周年~喜びつつ、感謝を込めて~」です。共にお祈りください。牧師・徳渕 敬尚
10月30-11月1日 特別版(祈りの課題のみ)
10月30日(金) 聖書:ローマ書11章33~36節「神の富と知恵と知識」
今日の祈り:連盟関係「社会福祉事業団連絡協議会」。①障がい者・高齢者・子どもたちの生命と人権が尊ばれる「共に生きる社会」の実現に向けて。事務局:社会福祉法人キリスト者奉仕会
10月31日(土) 聖書:コヘレトの言葉8章1~7節「ふさわしい時を求めて」
今日の祈り:連盟引退教役者の方々を覚えて。松倉治氏(9月3日召天、88歳)。三ツ木茂氏(千葉県在住)
11月1日(日) 聖書:コヘレトの言葉8章8~17節「なお、そこで生きる」
今日の祈り:宮崎丸山町教会(宮崎県)。①約束の教会堂建築をワクワクして待望できるように。牧師:金子貢司。
10月26-29日 特別版(祈りの課題のみ)
10月26日(月) 聖書:ヨブ記40章1~5節「口に手を置くヨブ」
今日の祈り:宮崎教会青島伝道所(宮崎県)。①青島伝道が持続できますように。
10月27日(火) 聖書:マタイ福音書6章25~34節「まず神の国と神の義を求めよ」
今日の祈り:バプテスト連盟関西地方教会連合(32教会5伝道所)。①つながりを一層強め祈り合う連合に。②無牧師、休止中の群れを覚えて。③一刻も早いコロナ災禍の終息を。連合会長:鮫島泰子(神戸伊川教会牧師)。
10月28日(水) 聖書:ヨブ記21章22~34節「誰が裁くのか」
今日の祈り:連盟「日韓・在日連帯特別委員会」。①「外国人住民基本法」が一日も早く成立しますように。②さまざまな自然災害においてすべての人たちに必要な助けが届くように。委員長:松坂克也(八戸教会員)。
10月29日(木) 聖書:ローマ書2章1~16節「神の憐みによる裁き」
教会の祈り: T・Yさん姉(誕生日) 今日の祈り:連盟「総会役員会」。①安心して参加できる総会の開催。②諸教会の代議員の参加と交わり。③的確な議事進行と十分な協議。議長:平尾輝明(茗荷谷教会牧師)、副議長:山田洋子(広島教会員)、書記:秋山義也(瑞穂教会<名古屋市>牧師)。
10/25 コヘレトの言葉7章15-22節 「バランスをとりつつ」
コヘレトは「善人が善のゆえに滅び」「悪人が悪のゆえに長らえることもある」と、誰もが感じる理不尽を訴えます。その上で「善人すぎるな、賢すぎるな」「悪事をすごすな、愚かすぎるな」との言葉は極端に走ることなく、良きバランスをとりなさいと語ります。18節ではそのバランスということが「一つのことをつかんでも、もう一方を放さない」との言葉の意味。「神を畏れ敬う」ことで、どちらをも成し遂げる、とありますが、神を畏れ敬い成し遂げることは結局神の御心に叶う道なのです。「人の言うことをいちいち気にするな」、あなたも人を呪った時もあった、それは人間の思慮なき言葉は本質的に真実ではないからです。だから気にしなくてよいのだと私は解釈します。今日はU・Eさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 宮崎キリスト教会。宮崎市吉村町北原甲1405-15にあります。すでに長い歴史を持つ教会で、教会が母体として誕生した「みくに幼稚園」は今、幼保連携型認定こども園として多くのお子さんが集っています。祈りの課題は以下です。①バプテスマ決心者が与えられるために。②高齢の方々のために。③みくに幼稚園の働きのために。牧師・中條
信治、中條 邦子
10/24 コヘレトの言葉7章23-29節 「まっすぐに歩めば良いけど」
真の賢者になろうとコヘレトは探し求めたと語ります。ところが、見出したのは何と「女」(あるいは妻とも訳せる)。これはおかしい!と多くの女性は思うでしょうし、私も「おかしい」と同感。「罠」や「網」、「枷」をもって男を騙したり、悪の道へ引き込むというのですが、それは「男」が求めるゆえに成立するのです。一方だけを悪とは言えません。28節の言葉は「良い女」は見つからなかったとありますが、さきほどの「女」と併せて、「知恵」を女と擬人化し、「真の賢者ないし知恵との出会いは稀である」との意味だと、岩波訳には注釈があり、それなら理解できるでしょう。「神は人間をまっすぐ(=素直)に造られた」にも関わらず人間は「複雑な考え」(理屈)を語り、わざわざ斜めな道を歩むとのこと。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 都城キリスト教会。宮崎県都城市早鈴町2-16にあります。特にこの地域で、都城教会が母体として始まった「社会福祉法人 相愛会 総会ひめぎ保育園」は長年の伝統を持ち、とても良い保育をされています。ぜひ卒園された方々、教会もお訪ねください。祈りの課題は以下です。①牧師招聘のために。②教会から生まれた社会福祉法人「相愛会」(保育園等運営)のために。③主日礼拝・祈祷会の恵みと教会員の祝福。
10/23 コヘレトの言葉7章1-14節 「順境の時、逆境の時」
ここも翻訳が難しい箇所があります。14節「順境の日には幸いを味わい、逆境の日にはよく考えよ。これもあれも、神のなさること。後のことを人に分からせないためである」。「順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。神は人に将来どういう事があるかを、知らせないために、彼とこれとを等しく造られたのである。」「順境の時には、できるだけ楽しみなさい。 逆境が訪れたら、神様は与えると同時に取り上げる方だと知りなさい。 こうしてすべての人が、この世ではあらゆるものが空しいと悟るのです。」なるほど。良い時、悪い時、人の未来や知り得ぬもののゆえに、それぞれ与えられている時を大事に受け取ってゆくことの勧め、私はそのようにここを読みました。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 川内キリスト教会。鹿児島県薩摩川内市平佐町2934-1にあります。「川内」は「せんだい」と読みます。「カルチャーセンター」が付設されており、放課後の学童保育も行われていたと思います。市内には「川内川」が流れ、昔聞いた話では「河童」がいるそうです。祈りの課題は以下です。①聖書理解が深められて、主の恵みを喜びながら毎日を過ごせるように。②働き人が起こされるように。協力牧師・立島 和史
10/22 コヘレトの言葉6章1-12節
2節でコヘレトが語る不幸、ここは難しい箇所です。「ある人の望むところは何も欠けず豊かだった」のに神は「彼がそれを享受することを許さなかった」との点。ここは訳により異なります。「外国人がそれを楽しんだ(奪われた?)」「見ず知らずの人が楽しむ」「楽しむための健康が与えられなかった」等。なるほど、でも「他の人が喜んだならいいのでは」と思いますが、見ず知らずの人に奪われたら不幸なのでしょう。3節以下の長寿の人の話も、何をもって「不幸」と判断するのかと感じます。大事なのは12節で、「幸福」とは何かと問われても誰も答えを見いだせないし、人間は将来を予測できない者であり、一時の幸いや不幸で人生すべてを捉えてはならないとのこと。今日はS・Tさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 枕崎バプテスト伝道所。鹿児島県枕崎市住吉町123にあります。漁業やかつお節生産で有名です。祈りの課題は以下です。①牧師、奏楽者が与えられるように。②礼拝、祈り会に多くの方が来られるように。③駐車場が与えられるように。協力牧師・麦野 賦
10/21 コヘレトの言葉 5章12-19節 「数えてみよ主の恵み」
今日の箇所を16節までの前半とそれ以下を後半としましょう。前半で富があっても用い方で失敗する例を告げ、結局いくら富を得ても、富のためにあくせくして労苦しても、人間は裸で帰る。それが不幸だ、と語りますが、確かにそれは人生の目的を誤ったことかもしれません。一方、後半では、今、与えられているものに感謝し、喜ぶ生き方を示しています。「人が受けるべき神からの分け前」として頂いたものがきっと沢山あるからです。19節の「思い返すことはない」は16節との対比で悩みや怒り等を思い返さないということ。「あれがない、これがない」と不満で満ちる我らに、「いや、あなたに与えられている神の恵みや賜物を見つめ直しなさい」と主は語ります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト伊集院キリスト教会。鹿児島県日置市伊集院町下谷口1520-4にあります。小さな町で、この教会と幼稚園は格別に愛されています。会堂と幼稚園も割りと最近建て替えられています。祈りの課題は以下です。①主任牧師招聘のために。②青少年育成のために。③教会学校、地区集会の充実。 協力牧師・麦野 賦、代表役員代務者・五反田 靖子
10/20 詩編14編 「主は避けどころ」
この詩人を取り巻く状況、それは社会状況や政治において、神ならぬ者を神とし、弱者や異論者を排除し、むしろ食い物にしている中で痛みや辛さを負う人々の祈りです。主題は、神に逆らう悪人にとって賢く見えるものが、実は愚かなことであり、主に頼ることの愚かさが、真の知恵とのこと。この詩編は後にパウロがローマ書13章10~18節で引用しているゆえに重要なものです。ローマ帆を読むと印象が違うよう感じますが、パウロが使っていたのは旧約聖書のヘブライ語をギリシャ語に訳した当時の「七十人訳聖書(セプトゥアギンタ、紀元前3世紀中頃~)」を使っているためです。8節の言葉の「貧しい人々」は痛みを負わされた者。今の日本を含む世界の政治状況を鑑み、祈りを共にします。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト鹿児島基督教会。基督は「キリスト」とふりがなが必要ですね。鹿児島市鴨池2-23-17にあります。この教会の働きから生まれた認定こども園「めぐみ幼稚園」や市内中山町の「中山小羊学童クラブ」の母体でもあります。この教会の田渕牧師は年齢は私よりかなり上ですが、神学校では同期で学びました。「真面目」に「くそ」がついたような先生です。連盟総会では多くの意見を発言する方ですが、最近は、すでに報告されていることを尋ねたり、的外れな発言をしたり、少し年をとったのかな?まだまだ元気で頑張ってください。お連れ合いはプロのピアニストです。祈りの課題は以下です。①新会堂建築の守りとお導き。②こども園、中山(ちゅうざん)小羊クラブの守り。③新来者、教会員、求道者の守り。牧師・田渕 亮
10/19 箴言21章17-31節 「知恵を得る道」
17節や19節は「ガッテン!」と感じる人もいるでしょう。20節、22節の「知恵ある者」、この「知恵」こそ箴言が伝えているものです。「知恵」とは「物事の道理を判断し処理していく心の働き。物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力」であり、学びや経験を通して培われるものです。加えて、聖書が語る「知恵」は「神を認め、知り、問う」ことがプラスされます。自分の結論の前に「神がこれを良しとするか」と尋ねることでしょう。また「知恵」は言葉の通り「恵みを知ること」。「恵」は人間の力ではなく与えられているもの。神の恵みを知ることがその心を豊かにします。30節の「知恵」は神なき「知恵」の意味。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> バプテスト国分キリスト教会。鹿児島県霧島市国分姫城3053-1にあります。マウマウタン牧師はミャンマー出身でお父様も当地の牧師であったのです。ミャンマーの教会は大きいところが多く、マウマウタン牧師の育った教会は100名以上集まっていたのではないでしょうか。この教会は薩摩ビール園の近く、京湯温泉のすぐ隣というなかなか良い立地です。教会で礼拝して心新たにして、温泉で体もほぐして帰れるなんてすばらしいですね。祈りの課題は以下です。①教会員のさらなる信仰の成長を。②青少年が教会につながるように。③地域に心を開いて証できる教会。牧師・マウマウタン、協力牧師・立山泰士、協力宣教師・テモテ・ボード
10/18 コヘレトの言葉4章1-12節 「三つよりの糸」
虐げられている人がいます、その叫びが聞こえてきます。その涙が流れない世界の日は一日もないでしょう。どうしようもない悲しみや怒りを思います。また競争心は時には良いのですが、それが妬みや憎しみで終わることも多い現実。コヘレトはそのような現実の中で「ひとりよりもふたりが良い」と語ります。自分と共に歩み、一方が倒れたら一方が助け起こす、寒さの中でも体を寄せ温まるのは身体だけではなく心も。そのような人間関係を持てたら幸いでしょうし、結婚する一つの意味です。でもね、その関係が壊れることも多いのです。関係は常に動的であり、創り続けることが大事です。そして「ふたり」ではない「三つよりの糸」。それはあなたと誰かと、そして主イエスが共におられることです。今日はM・Hさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 西原新生バプテスト教会。沖縄県中頭郡西原町字内間27-2にあります。1972年に伝道開始されました。長年寺澤征一牧師が活動されておられましたが、本年度より無牧師となっています。後任牧師が与えられますように祈ります。祈りの課題は以下です。①神と隣人を愛することの実行。②毎週の礼拝と牧師招聘の準備。③沖縄における主の平和の実現。
10/17 コヘレトの言葉9章1-6節 「いのちの意味」
過去や将来を考えないで、現在の瞬間を充実させて生きればよい、一時的な快楽を求めようとする考え方を「刹那主義」と言います。良いことをしようが、悪いことをしようが、どうせ人は死ぬし、死人のことはもはや誰も考えないとコヘレトは言います。「天国」や「地獄」と言っても、その存在を証明した人もいないのですから。そう考えると生きている意味は、今を楽しむということになります。それらの言葉にどう向き合いましょう。コヘレトは語ります。「自分はやがて死ぬこと」は知っていると。確かに限りある命、それゆえに命は、はかなくも唯一であり、命をどのように歩むのかと言う時、「誰かのために、世のために」用いることが与えられている役割なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 那覇新都心キリスト教会。沖縄県那覇市銘苅3-21-46にあります。沖縄県では沖縄の日本返還前から教会が多く、特にバプテスト関係では「沖縄バプテスト連盟」が主軸です。日本バプテスト連盟の多くの教会は沖縄が負わされている痛みになるべく連帯しようと祈っております。その意味での「新都心教会」です。祈りの課題は以下です。①コロナ影響下における教会の歩み。②教会学校を通してのみ言葉の深まり。③西原新生バプテスト教会を覚えて。牧師・岡田 有右、岡田 富美子
10/16 コヘレトの言葉3章18-22節 「人生、好きに生きるのさ」
「神が人間を試される」の「試される」とは「吟味する」とも訳され、試練や死をもって人間に有限性を教えているとのこと。動物の霊と人間の霊は死んだら行く場所が異なる、との言葉は当時の思想を反映しています。人間と動物の違いで私が思っているのは、動物は罪を犯さないことです。罪があるのは、人間だけ。神に赦されなければならないのは人間だけです。コヘレトはどうせ、いつかは死ぬのだから、自分の仕事に生きがい(「自分の業」、「生きがい」は読み込み過ぎかもしれません)をもって、人生を楽しもう、と。まぁ、こういう考えは解りますが、好きな仕事をして、楽しく生きる、そこには社会や隣人や家族との関係性が見えません。「自分の楽しみ」は他者を苦しめている可能性を思うこと、あなたの「仕事」の価値とは何?と考えたいのです。今日はK・Hさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 旭川バプテスト教会。旭川市8条西1丁目1-11にあります。ここも立ち寄ったことがありますが、旭川という寒い土地なのに、ガラスは薄い板ガラス1枚でびっくりしました。会堂がかなり古くなり、雪にもずいぶんやられているという印象でした。なんとか、新しい会堂ができたらいいですね。祈りの課題は以下です。①教会組織から65年を感謝して。②主日に礼拝できる幸いに感謝して。③旭川に避難移住された方々のために。牧師・田森 茂基
10/15 ヨブ記3章20-26節 「見よ、十字上の主イエスを」
語り尽くせない苦しみ、何故!と思い、「因果応報」では説明できない現実があります。音楽の世界では「不協和音」で終わり、解決しないまま閉じられることで「不安」や「苦難」を語ることを思い起こしていました。人生はそれほど単純ではないし、そのような人生に向き合う聖書は「厚い」のです。ただ、私ができるとしたら、億万のお金を与えることではなく(できっこないが)、「共に苦しみ、共に悲しむ」ことしかありません。と言っても相手の苦しみをすべて受け取るのは不可能です。「ごめんなさい」もうこれ以上は理解できないのです、としか言えません。語り得るとしたら十字架上の主イエスしかいないのです。人々の罵声を浴び、鞭うたれ十字架上で死に給う方。イエス・キリスト。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 旭川東光キリスト教会。旭川市東光11条3丁目1-4にあります。一度、神戸にいる時、家族で伺ったことがあります。その時は旭山動物園にも行きました。大人が多くてびっくり。東光教会には松坂牧師さんたちがいたころです。保育園つながりもあったし。ゆかこ先生が朝のパンを前夜つくっているのには感激しました。現在は牧師がいません。祈りの課題は以下です。①礼拝によって主イエスが先立ち導いてくださるように。②み言葉によって一人ひとりの信仰が養われますように。③聖霊による交わりを通して主を証しできますように。代務者・藤原 直之
10/14 ヨブ記3章11-19節 「苦しみとは」
「苦難が真に苦難としての圧力を持つのはそれが未解決としての性格を維持する時である。いわゆる『やり場のない』苦しみのみが真実の苦難である」(北森嘉蔵)。「解決しない問題」を今、持つ方がいましょう。私自身もその問いを持ちつつ、誰かの苦難を聞く時には自分の無力さしか感じ得ない時があります。故に「逃げて」しまう。当人は「逃げられない」苦しみを抱いているのに…。「神の沈黙」、遠藤周作に共感を抱き読んだ問いは四十年経た今も完全な解決を得ていません。榎本保昭牧師は語ります。「今、私たちの最も悲しいことは、苦しみをぶつけていく神をさえ持たないことである。暗闇の中で叫ぶ相手を知らないことである」と。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 釧路キリスト教会。釧路市若竹町6-16にあります。この教会の奥村牧師夫妻には昔からお世話になっており、西南学院大学神学部の神学生の時は、当時、奥村牧師がいらっしゃった福岡市の姪浜バプテスト教会で奉仕神学生として多くを学ばせていただきましたし、福岡有田教会時代には、姪浜が近かったのでいろいろ楽しい時を過ごさせていただきました。何より、奥村先生ご夫妻についていくと「美味しい物」を食べることができます。いつか釧路にも伺いたいと思っています。釧路湿原というのにも行ってみたいし。奥村牧師は釧路で四か所の礼拝をもっていらっしゃるみたいで本当にバイタリティ溢れる、尊敬する牧師です。祈りの課題は以下です。。①「四つの礼拝」が進展するように。②着任の新宣教師の働きのために。③世界中のコロナで苦しむ方々のために。牧師・奥村敏夫、宣教師・マシュー・チン・メイ・マン、ダイアナ・ウォン・サン・サン
10/13 ヨブ記3章1-10節 「生まれぬ方がよかった」
「ヨブ記」、後世に大きな影響を与えた書物。それは人間が問う「苦しみはなぜあるのか」「神は正しい方なのか」等の重要な課題に向き合っているからです。「宗教」はまさにこのことを問うし、問われるのです。そしてこの書物は実話というより、物語として語るもの。ヨブは義人であり、成功者でした。しかし、ある日、天災や病気でほとんどを失い、自身も病の中に立ちます。1章においてヨブは「裸で母の胎から出た、裸でそこに帰ろう」と現実を受け入れます。しかし妻に「神を呪って死ぬ方がましでしょう」と言われ、その後心配した友人達との対話が始まります。そしてヨブは自らを呪い、その痛みを語りだすのです。私も実はヨブ記をまだ理解し得ないものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 帯広バプテスト・キリスト教会。帯広市東9条南6丁目1-3にあります。帯広はまだ一度も伺ったことのない場所です。この教会の川内先生お二人は以前は九州の川内にいた川内牧師でした。裕子牧師は文学に詳しく、私は、日本語、特に「文語」等わからないことが多く、讃美歌検討委員会で裕子牧師に多くのアドバイスをいただきました。その成果は日本バプテスト連盟が出版した「新生讃美歌ブックレット」を見てください。祈りの課題は以下です。①コロナ影響下での地域に根ざした教会の働き。礼拝に出席できない方を含めた教会形成。牧師・川内
裕子、川内 活也
10/12 創世記2章6-25節 「助ける者」
人間の創造が記されています。人は土や塵などで創られますが、「生きる」のは神様から「命の息」を吹き入れられてからです。「息」は神の霊であり、神との交わりに生きることを示します。最初に「男」を創りますが、「独りでは良くない」と感じ、「彼に合う助ける者」を創ります。それが「女」ですが、助手ではなく、「彼の前にある存在、彼に向き合うような存在」という意味であり、「全存在的な生の同伴者」です。「助ける者」は実はその人より優れていないと助けることはできませんし、「助ける者」は神様の働きです。この箇所から男が女より優れているとは言えませんし、むしろ、女を創ることによって不完全だった世界は完成したし、なお主の創造の業は続きます。今日はA・Yさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 小樽バプテスト教会。小樽市奥沢1-22-22にあります。小樽は観光地として有名ですね。かつては「ニシン漁」が盛んで「ニシン御殿」もあったり日本銀行もあったのですね。私も二度ほど小樽に行ったことがあります。お寿司が美味しいと評判の場所ですのでまたいつか行きたいけど、まぁ、そんなに簡単には行けませんけど。この教会の愛先生は小学生の頃から知っております。米国で教会音楽の学びもされた方で、帰国されてすごく上手になった(もともとすばらしかったのですが)ことに感謝しました。祈りの課題は以下です。①「文書伝道」のために。②「地域とのつながり」を行えるように。③「子どもへの伝道」が祝されますように。牧師・エイカーズ愛
10/11 コヘレトの言葉3章1-17節 「私の時、神の時」
この箇所は去る9月13日の当教会「召天者記念礼拝」で宣教しました。フェイスブックで録画公開中。「私どもは愚かにも『時』を間違えてしまうのです。あの時、一緒に笑ってあげればよかったのに、逆に怒り、黙して見守ればよいのに、自分の思いを一方的に語り続け、愛すべき時に、そうできず、憎しみの感情をきびしく相手に向けた時があるのです。それが人間の不完全さであり、未熟さです。コヘレトが本当に語りたいこと、それは私ども人間の、不完全な未熟な後悔すべきことの多い我らの歩みに対して神の時や神の歴史があるということなのです」。そう、あなたは主に目を向けよう。今日はS・KさんとN・Aさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 札幌新生キリスト教会。札幌市北区拓北7条2-1-23にあります。この教会のことは私、あまり知らないのでホームページを見てみましょうかな。「受浸者」というのは、バプテスマを受ける方、つまりは洗礼を受けてクリスチャンになる方のことです。祈りの課題は以下です。①2020年度、受浸者が与えられるように。②新会堂のビジョンが実現するように。③黎明宣教会の働きの祝福。 牧師・田中 博、ユースパスター・田中 満矢、伝道師・小原 輝樹
10/10 コヘレトの言葉5章1-6節 「誓いのはかなさ」
1節の「神の前で口数を少なくせよ」とは、神に軽はずみな約束や、あせって練られていない祈りをするなという意味。主イエスの言葉(マタイ6章5節以下を参照)で「くどくどと述べてはならない…言葉数が多ければ(祈りが)聞き入れられる…」とあり、「くどくどの祈り」は神を操作して自分たちの言いつけ通りに動くことを期待した祈りであり、言葉数が多いほど立派な祈りで天に届くという誤った考え方を批判しています。3節の「願をかけたら誓いを果たせ」は、基本的に信頼されていないので、いろいろな誓いをして信じてもらおうとする態度です。すぐに「絶対こうします!」「神に誓って必ず返しますから」と言いますからね。でも、結果、できないのが人間(もちろんきちんとされる方はありましょう)。ゆえに主は「誓ってはならない」とマタイ5章で語ります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 札幌バプテスト教会。札幌市中央区南22条西14丁目1-26にあります。札幌には市内電車が走っていて、終点に車両基地の近くにあり、モヤイ山のふもとになります。この教会の正面、つまり講壇側のうしろはガラスでモヤイ山や季節の風景を見ることができます。この教会には何度となく行ったことがあります。また、学校法人「ひかり幼稚園」の母体です。聖歌隊もすばらしいですよ。祈りの課題は以下です。①さまざまな苦しみの中にある方々のために。②リビングホープ教会と共なる歩みのために。③連盟事務所スタッフが守られますように。牧師・石橋 大輔
10/9 コヘレトの言葉2章12-26節 「ネガティヴの先に」
昨日の続き。コヘレトの思索は続きます。知恵があっても、結果、愚者に起こることは賢者にも起こり、同じく死ぬのだ、と。労苦して得た財産は苦労も知らない子孫に与えるしかないのだ。ああ、何のため生き、労苦し、頑張ったのか、すべて空しい。ネガティヴさに共感する人は多いでしょう。コヘレトは次に語ります。「魂を満足させること…神の手からいただくもの」。この24~26節はリビングバイブルが解りやすいので引用します。「そこで私は、食べたり飲んだり…仕事を楽しむこと以外に生きがいはない、と判断しました。…このような楽しみさえ神様の御手から来る…神様のお世話にならなければ、だれも食べたり楽しんだりはできないからです」。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> リビングホープ・バプテスト教会。札幌市東区北23条東14丁目4-1にあります。現在、専任牧師はいらっしゃいませんが、札幌バプテスト教会との連携で運営が行われているようです。祈りの課題は以下です。①札幌教会との共なる歩みが整えられ、地域に拓かれた教会となるためのビジョンが与えられますように。代表代行・定免 直未
10/8 コヘレトの言葉2章1-11節 「風を追うように」
コヘレト(伝道者・人々の前で語る者)は「快楽を求め」たが空しく、「酒や愚行に身を任せる」ことが幸福だと思い行動した。さらにあらゆる事業に成功。「セレブ」になれたのです。この「わたし」はソロモン王であるとも伝えられますが、好むものは手にしますが、愚かではなく「知恵」があったからそれらを得ました。セレブ生活を夢見て励む人もいましょう。でもそうして積み上げてきたすべてについてある日、気づくのは「すべて空しく、風を追うようなものであった」と。「風を追う」とは追い続けても自分の手に確かなものとならないこと。主イエスが「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」と語った言葉に真実があります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 西野バプテスト教会。札幌市西区西野3条2丁目2-26にあります。この教会には前牧師の中田昌男氏がいらっしゃる頃に伺ったことがあります。平日でした。夕刻に中田牧師のお連れ合いがおいしい天ぷらをあげてくださって、秋の夕べを楽しみました。祈りの課題は以下です。①この時代、さまざまな情報が錯綜する中にあっても、連盟の教会が、世間の潮流に流されず、イエスが伝えてくださった福音に目覚めて、福音を曲げずにしっかりと歩めますように。牧師・岩本 義博
10/7 箴言16章1-9節 「心柔らかくして」
今日も「箴言」から。1節、リビングバイブルでは「人は計画を立てますが、その結果を決めるのは神様です」。4節での「逆らう者をも、災いの日のために造られる」は、難しい箇所。神が「逆らう者」をわざわざ造るのでしょうか。それは神の御心と思えないですよね。「逆らう者」(他訳では「悪者」「悪しき者」)は、神は人間に自由を与えていますので、当然、逆らう者や悪者もでてくるのです。ゆえにこの言葉は「神に造られたあなたはどのように生きていくのか」という人間への問いかけ(滅びのために生きるのか否か)と考えるべきでしょう。9節は口語訳と共に読めばより深く理解できます。口語訳では「人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である」。今日はN・Sさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 平岡ジョイフルチャペル。札幌市清田区里塚3条1丁目7-5にあります。祈りの課題で「聖書原典」にもとづく教会、とあります。「聖書原典」は旧約聖書はへブル語、新約聖書はギリシャ語で記されています。それをそれぞれの国の言葉に翻訳するのですが、この教会では日本語訳に対して不十分、あるいは適切な翻訳がなされていないので、自分の教会で原典を忠実に翻訳しているのでしょうか。「翻訳」は実に大切で難しい作業であり、完全な翻訳は有り得ず、原典がわからなくても、日本語の最低5~6種類ある翻訳を見比べて考えることは大事です。「翻訳」には当然「解釈」が入りますので、この教会が「聖書原典」にもとづく、という意味がよくわかりません。「聖書」にもとづくなら、まだわかりますし、どの教会も「聖書にもとづく」歩みをしていると思います。何か原典研究を通して、今までにない、聖書の読み方や解釈を発見したのでしょうか。とても気になりました。祈りの課題は以下です。①イエスをもっと知る教会になる。②聖書原典にもとづく教会になる。③地域に貢献する教会になる。牧師・三上 章
10/6 箴言9章7-12節 「秋の夜長は箴言を」
「箴言」(しんげん)とはいつも語るように、心のツボを刺す言葉です。格言集なのでどこから読んでも良いので、あなたの心にはまる言葉を探して、来年のカレンダーにここからの聖句を入れたり、自分の「箴言集」を作るのは秋の夜長に有益ですよ。今日の箇所でもいろいろ感じましょう。8節は「叱る」ことで、知恵ある人は「叱られる」意味を悟り、その人自身が成長します。「(正しく)叱る」人がいるのは幸いです。「叱られる」ことにただ反発し、その人を嫌うことでは周りの人もあなたを見放すでしょう。10節は「箴言」の主題。「畏れる」とは、神の言葉を信頼し、尊敬し、心開かれて対話する態度です。11節の「命の日々」が増すのは「日にち」よりその「命の質」と考える方が適切ですね。今日はT・Tさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> オープン・ドア・チャペル。札幌市豊平区福住2条7丁目12-17にあります。祈りの課題は以下です。①より成熟した教会としての歩み。②共に礼拝と祈りを保てるように。③スモールグループ活動のために。 牧師・佐々木俊一、協力牧師・ジェームズ・E・アリソン
10/5 創世記1章24-2章3節 「神の創造の思い」
世界の「創造物語」です。ここにある一日、二日とは、今、私共が思う一日ではなく、「順番」を示唆し、時は神の時です。ゆえに、一日は千年・万年のごとくです。ここで大事なのは世界とは何か、人間とは何か、という神のメッセージです。神の造られた世界は良いものであり、その支配(配慮し支え被造物の安寧を守る働き)を人間に託されました。二六節の「我々」は神が沢山いた、ということではなく、尊厳を示す「我々」です。「かたどり」は神の外面的な姿を人間にもあてはめた、というより、内面的な内容が強いものです。実際には「かたち」は「心・精神」を表現することがあり、神様の思いを知り、心通わせる存在であり、愛や喜びを持つ存在として造られたことです。人間はその使命を改めて感じるべきです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 平岸バプテスト教会。札幌市豊平区平岸4条2丁目1-19にあります。もう20数年、全牧師が在任されています。祈りの課題は以下です。①祈り会の参加者増加。②神学生が起こされますように。③奏楽者が与えられますように。牧師・全 皓燮
10/4 コヘレトの言葉1章1-18節 「風を追うような日々に」
「コヘレト」とは「人を集める者」の意味から「集会で語る者」、つまり「伝道者の言葉」等と訳す可能性がありますが、新共同訳では解釈抜きで記します。「空しい、空しい、すべて空しい」と始めるこの書は印象的です。もちろん、すべて「空」が真実なら聖書の一巻に入らなかったでしょう。でもここにある無力感は我らの心にある一部屋です。考えてみれば、私共の人生というもの、何ができるというのでしょう。愛しても愛されず、努力をしても実りは一時で消え去ります。有名大学に行こうが、所詮、ただの紙切れ。そのように感じる人はぜひ教会に来てください。あなたを待っている人がいます。「日は昇り、日は沈む」。でもその「日」は驚くべき奇跡の「日」なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 室蘭バプテスト・キリスト教会。北海道室蘭市知利別町1-8-11にあります。ここもかつては工場等が多い町でした。今はどんな感じなのでしょう。祈りの課題は以下です。①体調を崩されている方々の回復。②バプテスマを控えた方々の準備。③神からの使命に応答できるように。牧師・吉田 尚志
10/3 ヨハネ福音書3章1-17節 「神の息吹が心に抜けて」
4章の「昼の対話」の前、「夜の対話」です。議員であるニコデモが隠れて主イエスのところにやってきます。2節の「しるし」はサイン、証拠等の意味で、主イエスが語っている内容や、神殿での騒動です。ニコデモは自分の歩みに自信を持っていた一方で満たされぬ不安や心配、救いの確信を持てなかったのです。主イエスは「新たに生まれなさい」と語ります。その意味は、自分で自分の人生はすべてコントロールできない。神の霊、神の息吹、神の心を広く受け、神に愛されている者として、神の愛に生きる者として歩みなさいということです。議員としての地位と権力を正しく用い得ない苦しみも問い直されたのです。その夜から、ニコデモの歩みは変わったのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 苫小牧バプテスト・キリスト教会。「苫小牧」という地はかつて工業が発展していましたが、今はどうなのでしょうか。教会は苫小牧市日吉町2-4-20にあります。現在、専任牧師はいらっしゃいませんが、もちろん教会は牧師があって存在するのではなく、主イエスの歩みにならおうとする方々が集められて教会は形成されていくのです。祈りの課題は以下です。①コロナ禍が早く収束し、②無牧師の中、主の礼拝が守られ、③新会堂が用いられますように。代務者・桜井
明
10/2 詩編39編 「この人への答えは?」
この詩人は「空しさ」を感じています。「空」なのは自分の心。どうして空っぽになったの?良き、と思ってしたことが逆に自らを危険にさせ、人々からの評価を得られず、拒否される現実を感じています。反省して、人には語らないと思っても、心の中には不満や不安や痛み悲しみが巻き上がります。そして、彼は主なる神に尋ね求めます。自分はどうしたらよいのか、何が自分に喜び、平安を与えるのか、人生とは何なのか、生きている価値はあるのか、と。詩人に共感する人は多いと思います。詩人は祈りつつも、まだ答えは得ていません。14節の「目をそらせ」は自分の罪は見ないでという意味。この人はどうなるのでしょう。この詩人があなたにこのようにお話したらあなたは何と答えますか?
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 函館キリスト教会。函館市柏木町16-38にあります。確か、この教会には小さなパイプオルガンがあった気がいたします。実際には「パイプオルガン」とは言わないようですが。牧師ご夫妻ともとても音楽が上手な方と聞いております。ただ本多牧師の「エルサレム」発言はここではでは本意がわからず、多少気になる点です。エルサレムは世界三大宗教の拠点であり、多くの人々が巡礼に訪れる地です。ただこの場所をキリスト教のみの聖地とするという考え方を持っている人がおります。決してキリスト教が独占するのではなく、より開かれた用い方と考え方が「平和」の基盤であってほしいのです。もちろん、ユダヤ人撲滅をしようとしたナチス時代のこと、より古くは十字軍のこと、現代の問題等、歴史的に様々な課題がありますので単純な話ではありません。今、私は何か論じるためにはまだ勉強も必要だと思いました。函館教会の祈りの課題は以下です。①み言葉と祈り、主の愛と聖霊充満。②イスラエルの祝福と世界の平和。③連合、連盟における連帯と協力。牧師・本多 啓示
10/1 列王記5章1-33節 「キング・ソロモン」
列王記上下は北イスラエル、南ユダの諸王について、在位年数、短評、王の死、王位の継承等記されています。列王記上はダビデ王の晩年とソロモン王、続いて王国の分裂の記録が記されます。ソロモン王は素晴らしい神殿を建て、豪華な宮殿を建てます。そしてソロモンの権力は最大になり、軍事力を強めます。またソロモンの類稀な知恵や洞察力が記されます。しかしこれほどの人間であってもそれは救いの保証となりません。神の前に大切なのは豪華な神殿等を建立することではなく、何より神の前に正しく歩むことでした。これを怠る時、その業績に人々が驚嘆しようとも、主はそれを「良し」としないのです。ソロモン王はこの点で過ちを犯し、王朝は滅ぶのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 函館美原キリスト教会。函館市美原2-41-8にあります。函館はとても素敵な町です。まだ十分堪能する機会はありませんが、ゆっくりと訪れたい町です。この教会には一度行ったことがあります。教会もまだ綺麗でしたし、何より函館市内にはたくさんの温泉があり、いわゆる「銭湯」でも温泉なのにはびっくりしました。祈りの課題は以下です。①神さまのお働きに対して、開かれた柔らかな心をもって、お互いに従っていくことができるように。牧師・福田 雅祥
9/30 出エジプト記33章18-23節 「あなたの栄光」
「あなたの栄光をお示しください」。モーセにとって神の栄光とは、神の顔/臨在が雲などに包まれずに見えるということです。神が人々に見えたら人々はもはや不信はなくなると思ったのです。ただし、後に主イエスが語っているように、神を見たから、人間が神を完全に信じること等はないのです。神はモーセに対して自身の栄光を示すとしても「岩の裂け目に入れ、主の手で顔を覆う」ので見ることはできないと語ります。つまり、これはキリスト教の本質でもありますが、人と神の関係は「見ること」ではなく「聞くこと」であり、「聞く」ことは「語ること」とつながります。神は「御言葉」をもって語り、人は「祈り」として神に語り、自らの口で神を「わが神」として告白し、讃美する関係性なのです。今日はN・Nさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 引退教役者の方々を覚えて。藤田吉信氏(大分県在住)、牧野銈伊氏(石川県在住)
9/29 出エジプト記33章12-17節 「主の選びの民とする」
「幕屋」(まくや)とは羊の皮を利用したテント。でも小さい三角のテントを想像してはいけません。移動式礼拝所にも使い、運動会用の数倍以上。モーセはその中で神と「顔と顔を合わせ」、「友と語るように」親密な時を過ごします。モーセはその親しさを祈りの格闘によって得たのです。そして今日の箇所の強調点は神がモーセを「選ぶ」ことや「好意を示す」という言葉が多用され、神がモーセを改めて民の指導者としたことの表明です。十四節の「同行」はモーセの個人的関係と感じ、改めて「あなたの民」と共に歩むことを確認します。神は民の罪にも関わらず「神の選びの民」と約束されます。今日はI・Rくんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト宣教団。この団体は戦後、米国南部バプテスト連盟の宣教師派遣等のために米国南部バプテスト連盟によりつくられました。多い時には2~300名の宣教師が日本に派遣されていました。その活動は大きな影響を与えました。祈りの課題は以下です。①宣教師と日本の信徒が福音のもとにひとつとされ、日本と世界の失われた魂のために遣わされていけるように。②日本人の宣教師がさらに世界に送り出されるように。代表理事・マシュー・サージェント
9/28 出エジプト記32章15-24節 「言い訳ばかりの人」
「金の偶像事件」再び。モーセが怒り、牛の像を火で焼き、粉々に砕き、水の上にまき散らし、人々に飲ませました。金は人体に影響しませんが、怒りの凄さにびっくりします。同時に人間の気ままで畏れを知らない姿は今も変わりないと感じます。さらにアロンが問題。本来は人々の悪行を止める役割なのに。アロンは「人々がそう願うから」と言い訳します。言い訳上手な人間。アロンだって本当はモーセと主なる神を捨てたのです。さらにアロンは像がまるで勝手に火から出てきたような言い方をします。本当なら凄いけど、人間が造る以外に誰が造りましょう。自分の責任をなるべく回避することに躍起な姿。悲しい我らの現実です。今日はF・Cさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟女性連合。全国の日本バプテスト連盟に加盟する教会の女性会(昔は「婦人会」と言っていました)が加盟して活動しています。世界バプテスト女性連合との連帯もあり、特に「世界バプテスト祈祷週間」の活動や「世の光」という機関紙を発行しています。祈りの課題は以下です。①全国女性会の祈りと働きを覚えて。②文書決議による女性連合総会が守られるように。③役員、実行委員、事務局の働き。会長・吉高路(市川八幡教会員)、幹事・米本裕見子(東京北教会協力牧師)
9/27 出エジプト記32章1-14節 「とりなす方によって」
「神のみを神とし、愛に生きる人間関係」という「十戒」をモーセが与えられた時、皮肉にもふもとでは同時に、人々は不安からか金を集め、金の雄牛像を作り、神とします。真の神は怒ります。聖書の神は感情を持ち、考えを変えることができる方であり、人間の思い通りになる方ではありません。生きた熱情なる存在なのです。モーセと直接の子孫のみ助けてあとは滅ぼすと語る神に対し、モーセは民のことを思い、そしてその民はモーセを何度も困らせ、対立した人々でしたが、なお、その助けと赦しを乞い祈るのです。とりなすこと、破れた関係を繕い、その橋渡しをどうするのか。それは政治にも、私共にも求められていることです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「公害問題特別委員会」。日本バプテスト連盟では理事会のもと、特別な課題(永続的ではない課題)への宣教課題を学び、伝え、行動するための特別委員会が総会の承認を得て設置されています。この「公害問題特別委員会」は過去、森永ヒ素ミルク事件を契機に始まりました。しかし、水俣や原発課題、アジアとの関係での公害輸出のことなど、次から次に事柄が起こるのです。祈りの課題等は以下です。①福島原発事故で分断された方々に主のとりなしがありますように。②日本を含めた東アジアの脱原発の協力の働きが進められますように。委員長・野中宏樹(鳥栖教会牧師)
9/26 使徒言行録7章37-53節 「負の歴史に向き合うこと」
ステファノの宣教はここで何度も取り上げています。ステファノはイスラエルの歴史(主にアブラハムと出エジプト記)を俯瞰し、歴史を共有します。その歴史とは神の言葉と導きに対しイスラエルの民は反抗し、預言者を殺してきた歴史です。しかし負の歴史を聞くことは愉快ではありません。できれば聞きたくな、忘れたいのです。それは私共も同じで、過ちや失敗したことを言われて良い思いはいたしません。でも、負の歴史、失敗の歴史に目を向けることが人間の進歩や成長につながるのです。そして預言者を殺した過去と、主イエスを殺した現在が重なった時、人々は罪を認識していないゆえ怒ります。負の歴史に向き合う時、怒るのか、それとも命の糧とするのか、いつも問われることです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 中部地方バプテスト連合。①コロナ禍でも諸教会が守られるように。②新しい歩みに生きる教会のために。③協力と財政について祈りと協議を。会長・加藤英治(四日市教会牧師)
9/25 詩編106編1-27節 「破れが繕われて」
礼拝における讃美と告白。神を礼拝するとは、神を認め、主の働きを感謝し、信頼して祈ることであり、もう一つ大事なことは神の前に立つ自分を顧み、反省し、悔い改めて(=心と体の向きを変えること)いく歩みを決意し献げること。人はここで自らの歩みを振り返ります。時に「不正を行い、主に逆らい」、時に「み言葉を信じ、讃美の歌をうたった」者、時に「神の計画を待たず、欲望に燃え、神を試みた(神を道具のように試す)」者です。そして、「鋳た像」を礼拝するのです。モーセは「破れ」を担った。人には「破れ」を取り繕う存在が必要です。そしてあなたの破れを繕う方が主イエスなのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 青森バプテスト教会。青森市青柳2-2-10にあります。「王恵幼稚園」を運営しております。当教会にはこの教会と幼稚園で育った方がおいでになります。「祈りの課題」は「バプテスト」誌より「この時数でお願い」と言われて、なんとかその時数にあわせるために多くの教会は苦労していると思います。祈りの課題、たくさんありますし、少しでも詳しく記せばすぐに時数を超えてしまいます。ですが、この教会からの祈りのリクエストは時数をどう考えたのか、思いはたくさんあります。同時に、ルールは守るのは必要です。。少し気になった点です。祈りの課題は以下です。①病にある方、治療・療養中の方々の主にある癒しと回復を。②試練や困難にある方々が主にある平安と希望により守られますように。③一人ひとりが主にあって新しい信仰決心が与えられますように。牧師・角本
尚彦、協力牧師・佐々木 昭正
9/24 列王記上12章25-33節 「新しい時代のシンボル」
100年続いたイスラエル統一王国は紀元前922年のソロモン王の死後、その子レハベアムが南部エルサレムで即位しますが、北部の人々はそれを拒否し、エフライム部族出身のヤロブアムを王として、ここで着た王国ユダと南王国イスラエルの二つに分裂しました。なお北部の方が肥えた平地や交通の要所として良き場所でした。今日の箇所ではヤロブアムが自分の支配権を守るために、人々が南部のエルサレムに行くことや、南部の影響を排除するために、新しい神を造ります。今の言葉で言えば、「内心」、つまり心を支配するのです。見えない神ではなく、「金の子牛像」は新たなシンボルとして人々の心を向かわせます。知るべきはあなたにとって「偶像」とは何か、ということです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> カルバリバプテスト教会。青森県上北郡六戸町小松ヶ丘3-77-1082にあります。「カルバリ」とは主イエスが十字架に架けられた山(丘)の名前です。もともと「がいこつ山」ですが、「カルバリ」になるとイメージが異なってきますね。この教会は三沢に米軍基地があり、その関係者でつくられた教会です。途中から日本語での礼拝も行われています。現在は「六戸町」ですが、かつての「十和田伝道所」を引き継ぐ形で私の義父である民家牧師が六戸に移転させ、その後、カルバリ教会がそこを使用するようになったようです。祈りの課題は以下です。①ウイルスの終焉が早く来ますように。②教会が強められ伝道に進むように。③信徒たちの信仰が強められるように。牧師・マシュー・ミラー
9/23 申命記9章8-22節 「とりなしの祈り」
ホレブ山(=シナイ山)でモーセが「神の指」で記された「十戒」の板を受け取ります。その間四十日四十夜。ふもとにいた人々はモーセが帰ってこないことに疑念や心配を抱きます。待ち続けることができない人間の弱さ。そして、新しい指導者、新しい神を造ります。民は自らの宝を差し出して「金の小牛像」を鋳造し、その前で歌い、踊り、礼拝(お祭り)します。そこにモーセが戻る。人々の表情いかに。モーセは板を砕き、再び四十日四十夜主の前にひれ伏し祈るのでした。そしてモーセは「執り成しの祈り」をするのです。壊れた関係を修復するために全力を尽くすのが「とりなす」こと。背く者、反抗する者のために祈ること、その祈りに私どもは今日も生かされています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 三沢バプテスト・キリスト教会。青森県三沢市東町2-2-2にあります。この教会の福田牧師は平日は眼科医として多くの患者を診て、日曜は牧師として魂の救いや癒しを願い宣教活動されています。ぜひ、眼が癒された方々、教会に行って主なる神様と出会うことができますように。祈りの課題は以下です。①新型コロナ時代での宣教活動のために。②牧師先生方の牧会と経済自立のために。③信徒の皆様の教会生活継続のために。牧師・福田 敦
9/22 出エジプト記3章14-21節 「富を得たけれども」
主に21~22節です。神はファラオとの抗争の結末を期待をもって予想し、語っています。さいごにはイスラエル人はエジプト人の好意を得、出発に際して彼らから高価なものを集めるだろうと。「好意を得る」のは「これもあれもあげますからさっさと出て行ってください」という好意です。しかし、ここでの本来的な意味は、イスラエル人たちは奴隷労働の報酬を受け取る、さらに決して全てではありませんが、富むエジプト人と貧しいイスラエル人の地位が逆転するのです。犠牲者が勝利者となる瞬間です。でも「分捕りもの」であるのは同じ。ここで得た「富」がどのように使われるのが大きな問いなのです。「分捕りもの」は実は我が身を滅ぼす材料になるのです。今日はO・Kさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 八戸バプテスト教会。青森県八戸市類町1-8-38にあります。青森県には「一戸」「二戸」という地名がありここは「八戸」です。松坂牧師はメッセージがとても素敵な方です。福岡におられる時、西南学院のさみどり保育園で子どもが一緒に行っていました。そのような保護者つながりで、福岡有田教会にいるとき、バーベキューをしたこともありました。懐かしい思い出です。そう考えると年をとったものです。八戸教会は1879年の創立ですから、連盟につながる教会としては大変古い方です。祈りの課題は以下です。①主題「日々御言葉と共に歩もう」。②宣教140年に向かい、時代の中で主を証しして歩む群れに。牧師・松坂
有佳子
9/21 創世記6章1-8節 「悲観する神」
まず「ネフィリム」という言葉。一般的には「巨人(超人)」、時には異星人等と言われますが「わからない」ものです。ただ、聖書での印象は悪いです。神が造られた世界は「良かった」のに、歴史を重ねて「悪」が増します。人間の心と神の心の分断が起こりました。人間は悩みません、しかし神は悩むのです。そして、神は世界を創り直すこと、再創造を計画します。しかし、それは「神の失敗」を認めることでもあります。ここで神は怒ってなく、心を痛めています。神は憤っているのではなく、悲観にくれ、敵対者ではなく、被造物の味方として命をつなぐことを考えています。そしてこの「再創造」は人間を覚醒させ、神の心に従い生きることを今も訴えているのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 鮫バプテスト教会。青森県八戸市鮫町忍町30にあります。「鮫(さめ)」という名前にびっくりしますが、鮫がよく取れる場所なのでしょう。きっと魚が美味しいのは間違いなく一度行きたい場所でもあります。祈りの課題は以下です。①牧師招聘が一日も早く叶うように。②地域にキリストの福音を証しする。③祈りとみ言葉に親しむ教会になる。 代表役員代務者・鈴木 勉
9/20 出エジプト記20章1-17節 「主に愛されたゆえに」
神の戒め「十戒」です。ここを読む時に注意すべきは「~してはならない」は「(主によって救われ、導かれたゆえに)~するはずがない」という言葉です。一方的な命令でないのです。四節の「像」は人間の都合で人間がつくりだす「神」のこと。「主の名をみだりに唱えてはならない」の「みだり」とは、例えば、他人の信頼を得るために「神さまに誓って~しません」とか、自分が神のように「あなたのしていることは神さまが絶対許しません」など、神の名を自分の意見主張のために用いることです。また「安息日」は一旦、仕事を止める時です。働き続けるのではなく、休息と礼拝が必要なのです。後半の人間関係における戒めは誰も「違う」とは言い得ないものです。今日はU・Rくんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 盛岡バプテスト教会。岩手県盛岡市天神町10-14にあります。盛岡は二度ほど訪れたことがありますが、残念ながら教会には行ったことがありません。盛岡三大麺の中で「わんこそば」「冷麺」は食べました。自然の豊かな良い地域ですね。祈りの課題は以下です。①礼拝・交わりが祝福されますように。②高齢の方々の健康と生活のために。③沿岸地域を覚え続ける。牧師・小川
紋子
9/19 出エジプト記19章10-25節 「神の言葉が与えられる」
シナイ山で三日目に主が民の見ている前で主が降り、モーセに語ることが示されます。そして境界線を引き、民が歩む場所を限定させます。そして三日目に、雷鳴と稲妻と厚い雲が出現し、角笛の音が響き、火の中に主は降り、山全体が激しく震えるのです。そしてモーセを頂上に迎えます。神の顕現はただ「凄いなぁ」と感じる箇所です。しかし、様々な自然現象に目を留めるのは的外れになります。大事なのは「神の言葉」が人々に与えられること。このことが新約聖書では使徒言行録のいわゆる「ペンテコステ」に再現されていきます。それはエルサレムで、強い風のような音がし、人々の心が火のごとく燃え、主イエスによる救いを語りだした教会の誕生なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 秋田バプテスト教会。秋田市泉中央3-2-1にあります。何より認定子ども園「ひかり幼稚園」の母体です。このたび、園舎の改築に伴い、礼拝堂も改築されたようです。この教会の村上牧師はかつては銀行マンでしたが、リタイアよりかなり前から東京バプテスト神学校に通われ、今は牧師として、園長として活躍されています。牧師と園長の兼任はとても大変ですが、子どもを愛するイエスさまのことを幼い頃に知っていただきたいですね。祈りの課題は以下です。①新礼拝堂、新園舎が用いられるように。②新しいつながりが拡がるように。③主イエスの光がこの地に輝くように。 牧師・村上 悦二、協力牧師・渡部 元
9/18 出エジプト記19章1-18節 「わたしの宝の民」
シナイ半島南部には2千~3千m級の山が三つ連なり、その中の一つがシナイ山(別名・ホレブ山)と考えられています。その山のひとつにはカタリナ修道院があり、そこから19世紀に「シナイ写本」という聖書写本が発見されましたが、もちろんモーセの時代ではなくもっと新しいものです。また「シナイ山」は火山という説もあります。モーセらはいよいよシナイ山に登ろうといたします。そこで「契約」を与えられるのです。「神の声に聴き従うことと契約を守ること」は同義です。それは新しい生き方への招きであり、神の民とされていく道標であります。4節の「鷲の翼に乗せて」との言葉が印象的。新生讃美歌100番、友人の葬儀の時に記された祈りの詩です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 大富キリスト教会。宮城県富谷市日吉台2-1-5にあります。仙台のベッドタウンとして発展している地域です。おしゃれな教会堂です。祈りの課題は以下です。①主にある新しい教会作りのために。②高齢者と共にある礼拝のために。③子どもたちが活きる教会として。牧師・小田 衛
9/17 レビ記19章1-18節 「主の御心を求める歩み」
「聖なる者となれ」との呼び掛けがあります。「聖」とは人間が決めることはできません。ゆえに人がこの人は「聖なる人」等と判断できないのです。「聖」とは神が良しとすることであり、その基準は神の判断です。ゆえに神の御心を求める歩み方を目標としますし、その歩み方は聖書に幾千も記されています。今日の箇所で印象的なのは「穀物や果実」を刈り尽さず、経済的困窮にある方々のためにとり置いておくこと。また「障がい」を持つ方々への対応等とても今日的です。「心の中で兄弟を憎んではならない」。この「兄弟」とは「他者」との意味。人を憎む以前に、気に障ることは話し合って解決を求めるのです。「隣人を愛しなさい」は愛の薄い私どもへのチャレンジの言葉です。今日はO・Rさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 仙台長命ヶ丘キリスト教会。仙台市泉区長命ヶ丘3-2-17にあります。「長命ヶ丘」とは何と素敵な名前でしょう。みなさん長生きされているのだと思います。この教会の金丸牧師は、かつてはバンドのベーシストとしてならした方であり、お話も面白いですよ。前任地が福岡有田バプテスト教会でした、そして、今度は仙台に異動となった時、東日本大震災が起こりました。大変な中でのスタートだったと思います。現在も続く日本バプテスト連盟「東日本大震災現地対策委員会」のお働きも続けておられます。確か、仙台は金丸牧師の故郷だったように記憶しています。祈りの課題は以下です。①将来のために今なすべきことを見極め、実行できるように。②被災者の歩み、原発事故の収束のために。牧師・金丸 真
9/16 申命記5章1-22節 「聞くこと、応答すること」
「十戒」は今日の箇所と、出エジプト記20章にあります。「十戒」を一度に学ぶのは難しく、この欄で分けて学びます。一節で「イスラエルよ、聞け」とあります。旧約でも新約においても「主」(しゅ)は旧約聖書の神の固有名、元来の意味は『彼は生じさせる』で、すべての命の根源であり、救いの出来事を起こす方です。そして、「聞く」宗教です。つまり、「見る」ことではなく、「神の言葉を聞く」こと、そして「聞く」ことは「語る」ことと結びつきます。「聞く」「語る」との対話が神との関係なのです。「語る」ことは感謝や応答の讃美歌へともつながります。それを表現するのが礼拝であり、「み言葉」と応答の「讃美」、それらをつなげる「祈り」があるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 南光台キリスト教会。仙台市泉区南光台5-5-5にあります。住宅地の中で、素敵な礼拝堂がお迎えしてくれます。東日本大震災の時には地域の避難所としても用いられました。祈りの課題は以下です。①教会員・求道者が守られますように。②コロナ危機で困難にある方を覚えて。③被災地(9年目)にある方々を覚えて。牧師・田中 伸矢
9/15 民数記4章5-14節 「掟の意味、守り、伝えること」
「十戒」の目標がここに示されています。「法」や「掟」は必ず目的があります。日本国憲法前文では「主権在民」等の記述、さらに「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」とあります。これらが日本国籍を有する者は常に立ち返る言葉です。そして十戒においても、「諸国の民に…知恵と良識が示され…賢明な民である」ことが知らされますし、何よりイスラエルの民がこの神の掟を守り、伝えていくことが大事なのです。しかし時を経て、掟を忘れ、守らない、あるいは解釈を広げ本来の意味から逸脱することが結果的に民の滅びを招くのです。これは日本も同じです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト仙台基督教会。仙台市青葉区木町通2-1-5にあります。地下鉄駅を上がったらすぐにある教会でとても賑やかな場所です。また「仙台バプテスト教会幼稚園」を併設しています。もう10年以上前でしょうか、新しい教会堂ができました。「ルージュの教会」と呼ばれる。建築作品としてなかなか意欲的な建物になっていますが、使い辛さの点は多少あるかなと思っています。仙台教会にもお訪ねしたことがあります。仙台駅で海鮮のお弁当を買っていきました。せっかくだと思い松島にも行った私でしたが、残念ながら青葉城に行ってないのが気がかりです。また行きたいと思います。祈りの課題は以下です。①新しい牧会体制が整うように。②病気や高齢の方の健康のために。③青少年との出会い・伝道のために。牧師・小河
義伸
9/14 出エジプト記34章27-35節 「モーセの輝き」
イスラエルの民を導くにあたり、主なる神は「十戒」という戒めを与えます。その後、モーセは主の戒めが記された板を持ち下山します。その時、モーセの顔を輝いていた(光を放っていた)とあります。ミケランジェロのモーセ像にはモーセの頭に「つの」がありますが、これは実はミケランジェロが参考にした旧約ラテン語訳が翻訳を間違えたのです。その聖書を読んだミケランジェロは「つの」をつけました。レプリカが神戸六甲山YMCAにあり、幼稚園のキャンプではいつも説明しておりました。どれだけ輝いていたのかと思います。でも神との出会いは人の顔を輝かせるのです。私もいつも輝いていたいですね。油で光るのではなく、主の希望によってですよ。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 山形キリスト教会。山形県山形市緑町2-12-34にあります。昨年末に新しい教会堂が完成いたしました。そして何より、この教会の杉山牧師は所沢キリスト教会の前任牧師です。それほど大きな教会ではないということですが、聖歌隊活動等を盛んにされています(ただし、今はコロナの影響があるかもしれません)。また、杉山牧師が「花や草のしおり」を作成されるのが上手な方で、その教室なども行われていました。ぜひ、新しい会堂に多くの方が行ってくれたらいいなぁと願っております。祈りの課題は以下です。①新会堂が福音宣教に用いられるように。②コロナ後の教会活動の再構築のために。③バプテスマ者が起こされるように。 牧師・杉山 修一
9/13 出エジプト記18章13-26節 「一人では負いきれないから」
昨日の続き。翌朝、エトロは人々が並び、モーセに裁判してもらうのを待っているのを見てびっくり。その裁判はケガをさせられたとか、食事の分配のこととか、広範囲です。エトロはそれは良くない、信頼する人物を集団毎に配置することを提案します。その条件は、神を畏れる人。神を畏れるとは、自己中心ではなく、自分が神のように人を従わせるのではなく、神様が何を期待しているのかを考える有能、謙虚さ。単に頭が良いことではないのです。そして、不正な利得を憎み、信頼に値する人物。そう定義すると「とても私には役員は無理」と言います。それは私も同じ。一人で決断するのではなく、各人、弱さがあるゆえに祈り、心合わせて協議し、決断していくのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 福島主のあしあとキリスト教会。数年前に始まった新しい教会です。まだ固定した集会場所がないのでお問い合わせください。電話は024-563-3222です。ちなみに牧師は福島市野田町におられます。昨年オリジナルCDができました。とても歌詞も曲も素晴らしいものです。当教会でも支援をかねて販売しております。残り3枚です。一枚千円です。このお金は新しい会堂等をつくるために用いられます。若い方も多いようで、ぜひ、多くの方々がこの教会に集うことができますように!祈りの課題は以下です。①主日礼拝と祈祷会の充実。②新しい教会活動拠点の取得。③今後の教会活動のための整え。牧師・大島
博幸
9/12 出エジプト記18章1-12節 「感謝と喜びの夜」
モーセが逃亡した先のミディアンで出会ったのが後の妻の父となる祭司レウエル。聖書では名前が「エトロ」と変更しています。名前等については史料により変化すること多々。リアルタイムで記録していませんから。イスラエルの民がエジプトを脱出したことを聞き、エトロとモーセ妻子がやってきます。話がとても盛り上がったことがわかりますし、感謝の礼拝をささげます。大事なのはこの次の話。集団が一つの組織としてまとめられていく大事さです。当教会では執事(役員)を選挙します。会員は選挙することにおいて、その結果に対して責任を持ち、選ばれた方々に協力して、共に教会をたてていくのです。そして、毎年少しづつ執事会が若返っているのは感謝です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> あゆみの家キリスト教会。集会場所は固定された場所を持ちませんので、参加されたい方は 電話090-2993-7720にご連絡ください。福島市内で活動されているようです。渡辺牧師は聖書のほとんどの箇所を暗記しているのではないかといわれる人だと聞いたことがあります。あまりいないタイプの牧師です、ユニークであるとの意味ですよ。祈りの課題は以下です。コロナウイルスの感染リスクを見極めながら慎重にゆっくりと平常の教会活動に戻っていくことができますように。牧師・渡辺 政友
9/11 ルカ福音書18章1-8節 「祈り続けることへの招き」
「やもめと裁判官」のたとえとして主イエスが語った箇所です。当時の裁判官には金にならないような裁判はしないという人がいたようです。あるやもめが裁判官に訴えますが、裁判官にとっては大きな事件ではなかったので相手にしません。ところがやもめが毎日毎晩のようにやって来ては「裁判してほしい」と頼むので、ついにそのうるささに耐えかねて裁判をするという話。ここで語ろうとしているのは、世の裁判官はそうかもしれないけど、神は訴える者に対してその声を聞き、速やかに裁くとのことです。祈り続けること。私どもは数度祈って諦めているのです。それで諦めがつくならそれでよし。あなたにとって真に大事なことをこそ祈り続けましょう。今日はH・Nさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 郡山コスモス通りキリスト教会。福島県郡山市中野2-57にあります。とっても素敵な名前がついている教会。前牧師の金子千嘉世牧師は、東日本大震災のことで当時、副理事長として多くの支援をされ、後、コスモス通り教会牧師に就任されました。しかし、その後、癌のため、召天されました。いつも感動的なメッセージをされる方でしたし、私所任地の宮崎時代、多くのお世話になりました。郡山を一時離れて宮崎で闘病されている時にお伺いしていろんな話に花が咲いたのでしたが、それが最後となりました。コスモス通り教会の痛みや悲しみを深く思います。コロナ禍で難しい点がありますが、早期に新たな牧師が就任されることを祈ってやみません。祈りの課題は以下です。①無牧師の中での礼拝が守られるように。②長期欠席者のために。③心や身体に弱さを覚えている方のために。
9/10 士師記4章1-24節 「み言葉のみに頼ること」
「士師」(しし)とは王国樹立前のイスラエルで指導者として神が立てた人です。その働きは生涯というより、課題が生じた特定の時期です。士師としてギデオンやサムソン等が有名で、デボラは女性士師として活躍しました。イスラエルはカナン王ヤビンの支配下で苦しみ、そこで主は士師デボラを送り、デボラはバラクにヤビン軍との戦いを求めます。結果的にヤビン軍は撤退するのですが、その間の劇的な話が記されています。バラクについて榎本保郎先生は「『あなたが一緒ならば行きます』と言った言葉の中に人に寄り頼もう、見ゆるものにその確かさを求めようとするバラクの思いが明白である。信仰とは、神のお言葉以外の何ものにも頼らないこと」と記します。主の助けをどんな時にも祈ろう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 新潟主の港キリスト教会。新潟市東区下木戸2-4-12にあります。この教会は新潟にあった2教会と1伝道所が合併してできた教会です。場所は幹線道路に面し、隣りには大きなスーバーか薬局がありました。平日のプログラムもよくやっておられますが、これもコロナ感染の関係でお問い合わせしてください。祈りの課題は以下です。①神を愛することをすべての動機とし、一人ひとりが教会生活を共に大切にしていくことができますように。 牧師・福久 織江、協力牧師・篠谷 輝俊
9/9 歴代誌下19章1-11節 「主のために裁くこと」
歴代誌はバビロン捕囚に至るイスラエルの王の歴史が綴られていますが、八月の中田牧師の宣教にあったように、こちらは王の罪、過ちにあまり触れない、強者側の歴史観です。「先見者」は旧約聖書で22回用いられており、「預言者」とほぼ同意です。ヨシャファトは南王国ユダの四代王(紀元前873年~)。彼の功績として各町に裁判官を立て、運用において、不正も偏見も収賄もないようにしたことです。「主のために裁く」とは主の御心に沿うように裁くことであり、すべてを知り給う主への畏れなしには人は人を裁けません。同時に、「主に関する事項」は祭司長が行うことによって民事と宗教的事項を分けたことで強い宗教的な力が民事に入らないようにしたのでしょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 宇都宮キリスト教会。栃木県宇都宮市京町15-24にあります。大きな道、角にはロッテリアがあるところを曲がって中規模のスーパーマーケットに面して建っている教会。わかりやすいし、買い物にも便利です。駐車場ももちろんあります。栃木県唯一の日本バプテスト連盟に所属する教会です。礼拝堂は二階ですが、たしか、エレベーターもあったと思います。何せ、この教会の天野牧師は当教会の出身牧師であり、前連合会長であり、連盟でも多くのお働きをされています。料理やケーキ作りがお好きなようで、FBにはよく作られたケーキの写真等がアップされています。昨年度、「相互訪問プロジェクト」で当教会からも数名が伺いました。そして、特別なカレーライスを御馳走になり、そのあと、教会に割りと近い宇都宮餃子の店に行きました。日曜の14時頃でしたが、結構待ちました。でも、念願の宇都宮餃子を食べることができて、まんぞく、いや、宇都宮教会の皆さんとご一緒に共に礼拝と交流ができたのはとても嬉しかったです!祈りの課題は以下です。①新型ウイルス感染症が収束して安心な礼拝ができますように。②栃木県にもう一つのバプテスト教会を!牧師・天野 英二、協力牧師・高橋 つる
9/8 申命記1章9~18節 「裁判は神に属すること」
集団の中では常に課題が生じ、課題に対し適切な対応、並びに今後同じことが起こらないように法整備することが重要。紀元前1500年頃に法治集団が形成されていたことは素晴らしく、さらにその内容は現代の課題と重なります。民族や地位によらず、正しく、偏りなく、人の顔色を見るのではない裁判。今、政治が仕切り直される時、国会や検察庁にも必要な言葉です。「裁判は神に属すること」、つまり、正悪を定め、処分決定は本来的には神の働きなのです。裁判官は人の命を預かり、真実を見極め判断する、実に重い働きです。神の働きを代理するゆえ、裁判官は深い見識が必要。しかし、「冤罪」とされる裁判、あるいは平等でない裁判があることは社会の未成熟さを示します。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 太田ビジョン伝道所。群馬県太田市下浜田町1085-50にあります。某学校の近くのビルの一部を借りて礼拝等を行っています。韓国出身の方々が多く、元気な教会です。今はコロナ影響でどうかわかりませんが、地域に向かって、韓国語講座や絵画教室(李牧師は芸術大学も出身されている)も行っています。新しいビジョンをもって歩んでおられる教会です。祈りの課題は以下です。①愛を分かち合える教会。②伝道を通じ弱者を救える教会。③太田市二万二千人への伝道。牧師・李 姫周。
9/7 民数記11章10-17節 「組織をつくること」
イスラエルの民がカナンを目指して歩む旅には多くの困難が伴います。何より日々の糧の確保が重要です。主は「マナ」を与えます。「こくのあるクリーム風」は美味しそうですが人々は、「肉が食いたい」と言い、きゅうりやメロンがエジプトでは食べられたと不満が募ります。モーセは課題の度に祈る人でした。食料の問題ですが、まず主は組織を整えるようにいたします。次々に出てくる多くの課題を共に考え、祈り、対応する70名を立てるのです。もちろん、組織をつくることだけではなく、その組織が運用されるために誰かの「一強」でも「派閥争い」でもなく、主に祈りつつ共通の課題を民の立場にたって運用することです。それにより集団の心の向きが変わるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト前橋教会。前橋市昭和町3-12-6にあります。群馬大学医学部のすぐ前と言う感じでとてもわかりやすいし、駐車場がたくさん、礼拝堂が二階ですが、エレベーターもありますのでご安心ください。かつては幼稚園もありましたので、その名残を見ることもできます。ハンドベルの演奏や、少し珍しい国産のオルガンが設置されています。今年度から新たに田代牧師が北海道から異動され、前橋教会の牧師に就任されました。コロナの影響でまだ就任式もできずですが、もちろん、教会内では就任式を行っております。祈りの課題は以下です。①年間テーマ:「共に祈りを合わせて」。②中長期計画の策定と借入金返済。③沼田集会所の毎週の礼拝と働きのために。 牧師・田代 仁、協力牧師・奥田 稔
9/3-9/6 特別版
9月 3日(木) 聖書:列王記上8章10-13節 「主の栄光の充満」。今日はS・Mさんのお誕生日おめでとうございます!
今日の祈り:東海バプテスト教会。茨城県那珂郡東海村諏訪間2000-1にあります。近くに「学校法人みぎわ幼稚園」があり、この幼稚園の母体です。住宅地のわかりやすいところにあります。多くの卒園児がいますので、ぜひ卒園した方々、この教会に行ってください。①新任牧師と共に新たな教会形成に励む。②礼拝・教会学校・祈り会への積極的出席。③各委員会・各会の活性化と近隣伝道の展開。牧師:加山彰一、協力牧師:諏訪泰子
9月 4日(金) 聖書:出エジプト記13章1-10節 「主の教えを口ずさむ」
今日の祈り:水戸バプテスト教会。水戸市元吉田町2158-2にあります。五差路からはいっていったらすぐにあります。かつては町中にありましたが、将来を見込んで広い土地を得、駐車場もたくさんありますので安心です。会堂やクラスがたくさん準備されています。本年度から新しく若い牧師先生が就任されています!教会の祈りは以下です。①感染症から守られるように。②礼拝が祝福されるように。③教会が一致して歩めるように。牧師:服部紘司
9月 5日(土) 聖書:出エジプト記13章11-16節 「小羊による贖い」。今日はK・Nさんのお誕生日おめでとうございます!
今日の祈り:日本バプテスト連盟高崎キリスト教会。群馬県高崎市中居町4-31-11にあります。近くにマクドナルドもあり、多分、地元の人はよくわかると思います。この教会は木が豊かに使われ、気持ちが落ち着く礼拝堂です。森牧師は東北学院大学と西南学院大学で学ばれた俊才で、なんでも真面目に取り組むすばらしい方です。今は北関東地方連合の会長をされています。高崎というのは新幹線もとまるし、今やスパゲティーの名店がたくさんあります。さらに、古墳が昔のまま出土し、考古学ファンの方にも人気があります。私も古墳調査で高崎を訪れ、森先生ご夫妻にはおいしい夕食や温泉に連れていっていただき、教会で泊まらせていただきました。御恩は一生忘れないつもりです。祈りの課題は以下です。①今年度の標語と聖句を覚えて、標語「共に生きる~キリストにつながれて~」、聖句:Ⅰコリント12章27節。牧師:森
淳一
9月 6日(日) 聖書:出エジプト記13章17-22節 「神の導き・荒れ野の道」
今日の祈り:日本バプテスト太田キリスト教会。群馬県太田市薮塚町1122-1にあります。この教会は数年前、伝道所から独立して教会になりました。昔、「うなぎ屋」さんだったところを改造して教会として利用しています。なので、二階には和室の大広間があります。うなぎの臭いがかつてはありましたが、最近はそのようなにおいはしません。太田市はスバルの工場などがあるので、スバルに関係する方も多いし、外国人の方々も多い地域です。それから、教会から車で少しいけば「薮塚温泉」というホテルもあります。田園地帯なので駐車場もたくさんあります。祈りの課題は以下です。①ウイルスが終息し、教会生活が戻りますように。②地域社会に福音が語られますように。③30名礼拝が与えられますように。牧師:林
健一
8/31~9/2 特別版
牧師休暇に伴い、今週はメッセージなしの特別版でお送りいたします。
8月31日(月) 聖書:出エジプト記12章29-42節 「主は寝ずの番をされた」
今日の祈り:連盟引退教役者の方々を覚えて。福本幾男氏(福岡県在住)、藤井健児氏(福岡県在住)。福本先生はかつて、東福岡バプテスト教会の牧師をされていた時、研修神学生としてお世話になりました。とっても腰の低い先生で、かつお話が面白い方です。藤井先生は長年「香住ヶ丘バプテスト教会」の牧師をされました。盲目というハンディをかかえておられますが、その働きは豊かでした。故中村哲医師(ペシャワール会)の洗礼(バプテスマ)を導いた方です。
9月1日(火) 聖書:創世記50章22-26節 「ヨセフの遺骨を携えて」
今日の祈り:筑波教会(茨城県)。茨城県つくば市稲荷前23-2にあります。つくば市の研究機関等でお勤めの方が多く、来られても数年間で引っ越しされていくのだと嘆かれていました。でも礼拝出席者も多い教会です。祈りの課題は以下です。①教会員とその家族とこの地域の方々の命と健康のために。②牧会委員会の働きのために。牧師:高橋秀二郎
9月2日(水) 聖書:ヨシュア記24章32節 「ヨセフの遺骨の埋葬」
今日の祈り:日立教会(茨城県)。茨城県日立市中成沢町3-17-9にあります。この教会には一度お招きを受けて礼拝で奉仕させていただきました。この町って「日立」関連の研究所や工場など、なるほどこれが企業城下町か、と思いました。日立教会は専任牧師を置かないで教会員がそれぞれ働きを担っておられます。ぜひ、日立市にお住まいの皆さん、この教会に行って、教会をたてる働きをしてほしいと思います。祈りの課題は以下。信徒相互牧会による会衆教会を目指して、①神の家族としての家族伝道への祈り。②横浜JOY教会と連合の支援に感謝。教会主事:井伊
肇
8/30 出エジプト記12章21-28節 「歴史に学び続けるため」
その夜、エジプト中が叫びます。「撃つ」(ナガフ)は「疫病」と語源を共にする言葉で、感染病のように広がったのでしょう。もちろん、血を塗っていない場合はへブル人の家も災いが及びます。そしてこの時、やっとファラオはイスラエル人の解放に同意し、その知らせが伝えられ、慌てて、エジプトから出発していくのです。「負け」を認めることは指導者が能力無しとされますが、早い決断をすれば多くの民を救う役割も果たせるのです。それは敗戦を認めた七五年前の日本と同じ。誰のための政治なのか、政治家は国民を守る代表であることを常に意識すべきです。8月は特に戦争に思い巡らせる時でした。さて私どもは歴史から学ぶことができているのでしょうか?
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 学校法人「西南女学院」。福岡県北九州市小倉にあるバプテストの精神でたてられたミッションスクールです。西南女学院大学には「保健福祉学部」(看護学科、福祉学科、栄養学科)、「人文学部」(英語学科、観光文化学科)、「助産別科」があり、短期大学部には「保育科」があります。またシオン山幼稚園、西南女学院中学校・高等学校で構成されています。北九州では女子教育の名門でしたが、北九州市の産業地盤の変化と共に苦戦しているようです。ぜひこのすてきな学校で学んでいただきたいと思います。私も昔、何度かチャペルでお話させていただきました。祈りの課題は以下です。①入信者が与えられますように。②百周年記念と募金事業のために。③地域の諸教会が祝されるように。院長・田中綜二、キリスト教センター長・東彩子
9/29 出エジプト記12章1-20節 「犠牲と救い」
「主の過越」は主の災いの通過。この月を「正月」との言葉は新たな歴史の開始を意味し、新たな出発の準備が丁寧に記されます。一つは小羊の血をヒソプ(しそ科の雑草)で家の玄関の柱と鴨居に塗る。すぐに旅立つことができるような用意をし、第二に酵母を入れないパンと苦菜食べること。さらにこれらのことを救いの記念として今後も祭り(=礼拝)として行うことの指示がなされます。そして小羊の血が塗られた家は災いが過ぎ越すのです。これは後に神社の鳥居との関連を指摘する説もあります。新約の時代、この箇所を読む時、「過越祭」に十字架で殺された犠牲の主イエスを想起せずにはおられません。今日はO・Yさん、S・Mくんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟「障がい者と教会委員会」。この委員会も日本バプテスト連盟理事会のもとに設置されている特別委員会です。教会や社会のバリアフリーへの取り組みや命の尊厳の保証などを発信し、また諸教会に伝えてくださっています。①障がいの有無ではなく、命の尊厳が守られるように。②「弱さ」を排除せず、そこから出会うことができるように。③当委員会と委員一人ひとりの働きのために。委員長・水野英尚。
9/28 出エジプト記11章1-11節 「犠牲が生まれない世界を」
イスラエルの民解放を願うモーセらに対してファラオは耳を貸しません。いわゆる「十災」を通して交渉しますが、ファラオの態度は変わらず、ついに最後の災いが始まります。この箇所は読むに堪えがたいとも感じる箇所です。まずは「どうして幼い命が奪われるのか」との問いが生まれましょう。他の方法はなかったのか、と感じます。しかし、一方ではファラオはイスラエルの民の尊厳を奪い、命を脅かし、子どもを殺したのですから「目には目」との考えもできます。また、ファラオは何度も危機を教えられながら頑なに解放しなかったことがより大きな災害を招くことでもあります。旧約の限界と主イエスの到来を願う箇所です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟「靖国神社問題特別委員会」。連盟理事会のもとに設置されている特別委員会の一つです。靖国神社はその成立と現在に至る立場は民主主義国家として課題が多いものです。いわゆる「戦犯」が合祀されており、このことで今は天皇も参拝をやめています。一方政治家の「公式参拝」が過去の侵略行為を肯定するものとして批判を受けています。また、「公式参拝」は特定の宗教団体に対して公金を支出してはならないとの憲法を否定することになります。その他、本人や家族の意思で合肥を拒否できない、とか、合祀されているのは軍人のみであること、そこにおける課題など問題ばかりです。祈りの課題は以下です。①「信教の自由・政教分離」の確立のために。②「即位の礼・大嘗祭」違憲訴訟の支援。③憲法改悪(緊急事態条項他)阻止。委員長・
平良 仁志(堺教会牧師)
8/27 詩編105編 「語り伝えること」
この詩編もイスラエルの歴史、特に族長時代からエジプト脱出の歴史を回顧し、主に感謝をささげるようにと促します。11節の「嗣業」とは神から譲り受けた恵みです。こうして何度も礼拝において、民族の歴史を回顧し、人間の罪や弱さにも関わらず導く主を讃美するのです。そして主を讃美する時には我らの心に「悔い改め」がなければ口先だけの信仰になります。私が小学生の頃、牧師だった父が特伝の看板を何枚も墨で書いておりました。わたしは尋ねたのです「なぜ特伝をするのか?」と。すると父は「新しい方が教会に来られるように、また、教会の人の信仰が豊かになる」等を話してくれました。子どもの質問を大事に聞き、大事に答えることが大人の役割です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 西関東地方バプテスト連合。西関東は静岡・長野・山梨の3県にある日本バプテスト連盟に加盟する教会とその伝道所で構成されています。11教会・伝道所の集まりですが、小さいほどまた交わり(交流)がよく、温かになされます。祈りの課題は以下です。①西関東連合9教会2伝道所の宣教の業の豊かな結実。②コロナ禍で厳しい状況にある方々に主の守りと平安。 会長・原田攝生(静岡教会牧師)
8/26 詩編8編30-72節 「親の愛、羊飼いとしての愛」
43節「ツォアン」はエジプトの古代都市でナイル三角洲北東部メンザレ湖南岸。51節「ハム」はエジプトのこと。この詩では引き続き、イスラエルの歴史を語りますが、イスラエルの歴史を語ることは同時に神の歴史を語ることなのです。39節の「人間は肉にすぎず…帰らない風」、そして神を侮るような者。しかし、その民を「羊飼い」として導いて下さったのです。時に神を探し求め、時に神を裏切る民は、私どもの姿です。40節「どれほど彼らは荒れ野で神に反抗し、砂漠で御心を痛めた」。ここに親の愛の姿としての神が示されています。子どもを育てるとは自らの心を痛めることも度々。親の在り様を聖書から学んでほしいのです。そして、あなたも神の子。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 上尾キリスト教会。上尾市小泉39-66にあります。「上尾」という地名はあまり知らなくて、埼玉県に来てはじめてわかりました。とても発展している町で駅前も整っているようです。実はまだ行ったことがなくて、いつかはお訪ねしたいです。この教会の秋山牧師は上尾教会で多分25年以上牧師をされています。昔は「北関三山」といって、何のことかと思ったら、杉山、加山、秋山と「山」がついており、さらにそれぞれ長い間、北関東連合で活躍されているし、されておられた牧師たちです。祈りの課題は以下です。①安心して礼拝が捧げられますように。②希望の福音を伝えられますように。社会に開かれた教会となりますように。牧師・秋山 信夫
8/25 詩編78編 「失敗を伝えてほしいの」
昨日に続いて「語り伝える」こと。歴史認識の違い、これは日韓でもどのような歴史の中にもあります。都合の良いこと、誇りたいことは残し、まずい部分や自らの過ちを消したいのが人間です。ゆえに歴史は複数を調べなければその姿は見えません。そして歴史を語る意味は八節にあります。歴史は姿形を変えて繰り返しますので、過ちを繰り返さないために歴史から学ぶことが大事なのです。今日の詩編ではイスラエルの歴史を顧み、そこで民の罪や、欲望のままに生きた姿を描きます。同時に、そのような民を愛し導き、時には怒り給う主の姿を。今日学ぶこと、国家のみではなく、家庭でも、親が子に自分が失敗したこと、間違ったことを語ることが真の教育になります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大宮バプテスト教会。さいたま市大宮区浅間町2-214にあります。この教会はとても場所が良いです。大宮駅を出て、すてきな参道を歩いて、大きな通りに出て、もうちょっとして、少し中に入るとあります。礼拝堂は二階ですが、ここもエレベーターがありますからご高齢の方も安心です。この教会の左右田牧師、名前を読むのが難しいようですが、こちらのほうが詐欺などに会いにくいでしょう。左右田先生ご夫妻ともむかーしから知っております。左右田先生は大きな声でしゃべり、そしてよく食べよく飲む、そして実に楽しい先生です。長年、八王子の教会の牧師でしたが、一昨年から同じ連合での仲間となりました。祈りの課題は以下です。①新型コロナ感染に際し、新たな教会形成、近隣伝道のために。②教会に集う人々とその家族の健康のために。牧師・左右田 理
8/24 申命記6章16-25節 「教えの意味を伝える」
聖書にある主の戒めや律法が何のため、どんな意味があるのかと将来聞かれた時の想定問答。様々は規則や法規には必ず理由があり、意味を知ることが重要です。時には校則等で「意味ない」と感じるものもありましょう。できた当時には意味があったもので、必要によって変えること、定期的な見直しをすべきなのです。16節の「主を試す」とは、「自分がこうしたから、神さまこうしてください」と神を道具にすること。そして語り継ぐことについて、私どもは「何故、礼拝するのか?讃美歌を歌うのか?主の晩餐をするのか?バプテスマをするのか?クリスマスとは?」等、聞かれたら答えることができるように、そうでなくても、その意味を聖書から学び伝えていきたいですね。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 宮原キリスト教会。さいたま市北区日進町9-785にあります。ここらあたりは、ミッションスクールの「聖学院大学」等があります。学生さんにはたくさんきてほしいですね。小っちゃな会堂ですが、バンド活動なども熱心にされたり、教会をオープンにした集まり等もあります。今はコロナであまりできないかもしれませんが、感染収束後はぜひお訪ねください。埼玉県は世界の「ホンダ」の関連会社も多いのですが、この教会の牧師はかつてホンダで車の内装デザイン等をしていたとのこと。実は私は若い頃からF1を見るのが好きで、セナプロ時代やセナが事故で亡くなった時のテレビも見ていました。今もF!、特にホンダを応援しております。戻して、この教会の祈りの課題は以下です。①以前のような礼拝と教会学校の再会。②教会に集う方々の健康のみまもり。③新来者の方々の定着と信仰の成長。 牧師・足立 智幸
8/23 出エジプト記6章28-7章7節 「心合わせて主の御心を実現する」
モーセとアロン、そして多分ミリアムは預言者、祭司として集団指導体制をつくったとも言えます。30節の「唇に割礼のない者」、割礼はユダヤ人男性が生まれた時に受ける儀式です。つまり、しゃべるのが上手くないこととヘブライ語を十分に語れないとの二重の意味があります。そのモーセをカバーするのがアロンであり、通訳として言葉を届け、仲裁しますし、同時に神の言葉を語る者としての深い洞察力と責任をもった働きです。ミリアムは音楽を通して人々の思いを神へ向けることがその働きでした。それぞれが働き、それぞれの賜物を生かして神の御心を伝える努力をするのは、私共の教会と同じです。我らが心合わせなければ主のみ旨は実現しないのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト浦和キリスト教会。京浜東北線の「北浦和」から徒歩10分もかかりません。道路沿いにビルのように建っています。住所はさいたま市浦和区常盤7-2-14です。北関東で中心的な教会で、礼拝出席者も大変多いです。礼拝堂は二階にありますが、エレベーターもあります。会場も広いので連合の集まり等にも用いられています。附属幼稚園がありますが、現在、社会福祉法人の保育施設として変更準備をされています。来年度には新しい幼児保育施設ができるかも。この教会の廣島牧師は、以前、福岡教会の廣島牧師であった時からお交わりを与えられています。同じ日大出身ですが、実力の伴う理工学部で「半導体」の研究をされておりました。あるとき、「半導体」とは何ぞ、と聞きますと、「電流を半分導く部品」とのことでした。わかったような、いまだにわかりません。米国で仕事をされている時にクリスチャンになりました。会社の合唱団体におりましたから、歌もうまいです。コロコロっとした美しい伴侶の方とはこの合唱団体で出会ったとか、どうだとか、出会いは様々ですなぁ。それから、浦和教会は合唱団や音楽サークル等にも会場を貸し出しております。祈りの課題は以下です。①宣教開始70年信仰告白証集のために。②幼稚舎の働きのために。③すべてのいのちが大切にされるように。
8/22 出エジプト記6章13節 「思い通りにいかない世界で」
ファラオとの交渉はより重労働へと向かわせ、イスラエルの民はモーセに対して詰め寄ります。「こんなはずじゃなったでしょう」と。まぁ、戦略がなかったことは確かです。交渉においては常にいくつものシュミレーションを用意しておかねばなりません。しかし、モーセは祈ることができました。モーセが民の思いを代弁する、そして主と対話する、まさにそれが祭司の使命でもあります。そしてモーセは主から伝えられたことを民に語りますが、重労働を課せられ疲れた民は意欲が出ません。モーセにとっては「こうなるだろう」ということが次々とひっくり返されていくのです。それは私共の現実の姿。しかし、なお、その中で主の言葉を信じ続け、祈り続けるのです。今日はK・Tさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> ふじみ野バプテスト教会。埼玉県富士見市ふじみ野2-14-3にあります。東武東上線「ふじみ野」から徒歩10分もかかりません。道路沿いに素敵な会堂がたっています。この教会の山下牧師は、割りと若く、かつては小学校の教員をされていたと思います。音楽やPCにも詳しい方です。若い牧師の説教をぜひ聞きにいってください。所沢教会、坂本からの紹介といえば、いいですよ。いや、どうかな。それはさておき、祈りの課題は以下です。①会堂と家庭で行われる礼拝が共なるひとつの礼拝となるように。②それぞれの日常が守られるように。牧師・山下 真実
8/21 出エジプト記5章1-6章1節 「主とは何者だ」
エジプト王にイスラエル民の解放を目指してモーセとアロンによる交渉が始まります。まずは礼拝するために一週間程の解放を願います。しかし、そんな話は進まないどころか、ファラオは逆により厳しい政策を行います。「主とはいったい何者なのだ」とファラオは問いますが、知らないのは当然です。ファラオはエジプトでは神に等しい存在であり、それ以外の神等は関係ないのです。かつて、日曜だけは礼拝に行かせてくださいと願う妻に対して、家事もできてない、あれもできていない、礼拝に行く時間があったらもう少し家のことをしっかりやれ」と言う夫の話を聞いたことを思い出しました。知らないものは価値がないと思う人間はまだたくさんおりますね。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト川越キリスト教会。川越市石原町1-32-3にあります。道路から少し入ったところにあるのでわかりにくいのですが、「隠れ家」のように住宅地に素敵な山小屋風(なんと暖炉もある!)の建物があります。細い道に入るところの、大きな道路に「案内看板」があります。この教会の丸山牧師は長年キリスト教放送局FEBCで努められ(今も週何度か通っています、つまり二足のわらじ、というか、まさか「わらじ」は履かないので「二足の靴」)、牧師職をされています。とても声が良い方です。まとまりのある教会、ぜひ皆さんも日曜にお出かけください。祈りの課題は以下です。①近隣の方々と主の祝福に与る教会。②十年後のことを祈り共に考えていく。③高齢者のご健康と子どもたちの成長。牧師・丸山 勉
8/20 詩編6編 「平和と愛に向けての戦い」
「神よ立ち上がってください」(本来は希求文)と戦士としての神への祈りで始まります。戦士である神の勝利と支配がこの詩の根底に流れ、ファラオの軍勢から救い出された主を讃える出エジプト記15章と類似しています。ただ「戦士」以上に、この詩で歌われるのは社会的弱者への配慮であり、恵みを与え、日々、人々を担い、救われ、死から解き放つ方です。「戦う神」のモチーフは新約ではそれほど重要ではなくなっています。神をどう告白するのかは、その時代の歴史認識や世相が反映するからです。17節は口語訳が良かったです。「峰かさなるもろもろの山よ、何ゆえ神がすまいにと望まれた山をねたみ見るのか。まことに主はとこしえにそこに住まわれる」。今日はU・Rくんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 所沢キリスト教会。今日は当教会を全国の方々が覚えて祈ってくださることを感謝いたします。この地で57年、これからも地域の方々に愛され、神さまと共に歩む希望を語り継ぐ教会として歩んでいきます。ぜひ、教会の礼拝にご参加ください。安心・安全・愛が満つる教会です。祈りの課題は以下です。①コロナ感染と向き合い、学び、祈り、痛みに連帯。②求道者・決心者が与えられるように。③活動再構築のため。牧師・坂本
献、協力牧師・浅見勇三、中田義直
8/19 申命記34章1-12節 「顔と顔を合わせて」
申命記はモーセの遺言ですが、5節以下は申命記の編集者が記した言葉です。モーセは激動の歴史を歩み、民を導きながらも主が約束された地、カナンを前にして召天します。この時のモーセの心情を想像しつつ、作者自らの歩みと信仰を重ねつつ記された詞が新生讃美歌430番「しずけき祈り」です。3節で「そびゆるピスガの山の高嶺より、ふるさと眺めてのぼりゆく日」とあります。故郷には帰ることができない、ある意味、その人生は自らの目標に到達できなかった、しかし天の故郷に帰るという最上の幸いを詠うのです。なお「祈りの時はいと楽し」とありますが「楽しい」のスゥイートは「甘い」「楽しい」より、ここでは「(死の恐れも超えるような)深い喜び」。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 飯能バプテスト教会。埼玉県飯能市岩沢241-1にあります。場所は住宅地の奥まった場所にあり、道も狭いのですが、看板が出ていますのでそれを参考に行ってください。おしゃれな住宅を今、教会堂として使っています。教会員の方々のご奉仕により、芝生の庭や、植木の管理、おイモまで植わっています。数年前より足立牧師が就任され、ほんわかした教会の雰囲気に感じられます。今はコロナで休止されていると思いますが、いろいろなプログラムがあり、お子様向けのプログラムもあります。親子で来て礼拝のあとは芝生の庭で遊ぶことができますよ。まだ大変小規模な教会なので、みなさん一緒に協力してください!祈りの課題は以下です。①たとえ隔週礼拝が続いても主イエスキリストの愛に生きる教会。②コロナ感染症が収束しますように。
牧師・足立 和子
8/18 出エジプト記4章18-31節 「難しい箇所です」
今日の箇所には不可解な点が二か所。一つは「主がファラオの心をかたくなにする」こと。何故?と思いますね。「逆だろ」と感じます。この点は聖書が「神が歴史を導いている」姿勢で後日に記されており、ファラオも主が導いていたと最終的に理解して記述されたと考えられます。もう一つは24節の「主は…彼を殺そうとした」こと。この「彼」がモーセか、モーセの長子なのかはっきりしません。「長子」と考えるなら、ここで妻ツィポラ(「鳥」の意味)がイスラエルの歴史を知り、その危機を救うことをした「仲介者」としての役割を紹介していると思われます。また、「彼」をモーセとすれば、今後何度も起こる命の危機に対するテストとも考えられます。多くの神学者も悩む箇所です。今日はM・Jさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 西川口教会。戸田市喜沢1-2-13にあります。「さくら並木」にたつ教会です。もう10年以上前になりますが、素敵な新会堂ができています。クローバーか何かのデザインですし、木材も多用された会堂です。連合の集まりでもよく使用させていただいています。西川口から徒歩7-8分で行くことができます。讃美歌の世界では有名な「ああ主のひとみ、まなざしを」を作詞された井置牧師が長年牧師として活躍されました。また、かつては幼稚園も運営しておりましたが、現在は廃園されています。現在は主任牧師不在ですが、朴思郁牧師(連盟宣教研究所所長)が協力牧師としてお働きをされています。祈りの課題は以下です。①すべての医療従事者を覚えて。②コロナ危機における教会員の信仰生活のために。③未来へ続く教会形成のために。協力牧師・朴 思郁(宣教研究所所長)
8/17 出エジプト記4章10-17節 「共に担う存在を与える主」
主なる神はモーセをリーダーとして選び招きますが、モーセはなかなか引き受けません。モーセは「自分は口が重く、弁も立ちません」と。教会の奉仕でも、当方が能力ありと考え、お願いする場合がありますが、応えてくださらない時もあり、その理由は様々です。まぁ、私も少年時代は他人の前でしゃべるのは苦手でした(今も苦手ですが)。でも主は力を与えて下さるし、加えて新たな提案をします。兄アロンは雄弁なので、一緒に力を合わせてやればよいと。静かな人、おしゃべりな人、人前が苦手な人、それぞれです。でも異なった能力、不足を互いに補いあうのが教会。自分一人ではなく、主はあなたを助ける者があることを教えてくださるのです。だから恐れないで。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 朝霞キリスト教会。朝霞市根岸257-1にあります。この教会で何十年も牧師としてたてられている江川博和牧師は90歳を超えてなお、日々その働きをされています。江川牧師の長年の活動には特筆すべきものがたくさんあります。戦後、朝霞には米軍基地がありました。そして、日本人妻と結婚した米軍関係の中で、最終的に母子を残し捨てて、米国に帰られる方もあり、そのようなお子さん、多くは経済的困窮の中にありましたが、それらの子どもたちを幼稚園で引き受けていきました。また、「自閉症児・情緒障害」の子どもたちに早くから目を向け、学びをし、専門的に受け入れる施設をつくりました。これは日本でも大変先進的な取り組みであり、全国から注目されました。また「9条の会」の地域での代表者となり、平和を訴えたのです。幼稚園には当然、近所に住まわれている方々のお子さんもきます。卒園生の中には故本田美奈子さんもおられ、本田さんが闘病生活の中で"Amazing Grace"を歌ったのがCDにも入っておりますが、本田さんの中に、子どものことから親しんだ讃美歌や祈り、平和をつくる願いを強く覚えて「ミスサイゴン」等に出演されたその、通奏低音として幼児期の聖書やイエスさまとの出会いがあったと思います。そのような教育や社会貢献の功績はこれからも注目されていくでしょう。一方で教育や「しょうがい」者、困窮者に関わることはそれだけで大きな力が必要で、教会形成としては後手になってきたことは否めません。もっと共に担ってくださる人材を求めていけばよかったと思いますが、何より江川牧師のお働きを大変尊敬している私です。祈りの課題は以下です。①高齢者の方々のすこやかな生活を。②白百合保育園の用事の成長のために。③自閉症児、障害児の施設のために。 牧師・江川 博和
8/16 出エジプト記3章1-15節 「心配しないで、大丈夫!」
「神の山ホレブ」は神との出会いの場所のひとつ。羊の群れが通常と異なり荒野の先へ向かいます。そこに「柴」(「おじいさんが柴刈りに」の柴と同じ燃料にする木の枝々)が燃えているのに火が尽きないのが不思議で、主との出会いの場が設定されます。廻り道や興味や不思議と思う事柄を通して人は神と出会うのです。そして神との対話が始まります。モーセはエジプトの窮状を知っております。でも、自分には関係ないと思っていました。いや、そうではない、モーセの二つのアイデンティティが仲介役としてふさわしいのです。でもモーセは「そのような働きに不十分、不適格」と感じ、断わります。でも神が共におられ、神があなたを必要として主の働きへ招いています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 常盤台バプテスト教会。板橋区常盤台2-3-3にあります。東武東上線「ときわ台」下車4~5分以内で着きます。とても便利です。この教会は日本バプテスト連盟の歴史の中でも初期の教会で、この教会から多くの教会も生まれていきました。長らく故松村秀一氏が牧師をされていました。ここの欄で何度も記しますように、この教会が私の母教会です。日大時代に常盤台教会に通いだし、多くの仲間や学び、刺激を受けた教会です。丁度、松村牧師から戸上牧師に替わる時期で、この頃、音楽牧師として岩阪憲和氏がおられました。岩阪氏は、東京芸大からドイツで声楽を学びお堅い方かなと思っておりましたら、ある日曜の教会学校礼拝のようなところで軽やかなゴスペルフォーク(かつてこう言われていた)をピアノ伴奏で歌っておられる姿に全く印象が変わりました。伝統的な教会音楽ではなく、新しい独自の教会音楽を模索されていた先生です。ゆえに「メサイア」も日本語訳で歌ったり、作曲にも取り組んでおられました。多くの薫陶を頂き、同時に育ててくださった先生と常盤台教会でした。現在の友納牧師は西南学院大学神学部の同期入学で、今でも親しくさせていただいております。長崎教会から常盤台教会に招聘され、長崎から東京に行く途中、神戸にも立ち寄ってくださいました。なかなかご多忙でゆっくりお会いすることができないのが残念。常盤台教会の祈りの課題は以下です。①教会創立70年。時の課題を諸教会と共に乗り越え、主と地域に仕える信仰・知恵が注がれますように。牧師・友納 靖史、協力牧師・渡部 信
8/15 出エジプト記3章16-22節 「愛をもって導く方に」
イスラエルの民を助け出そうとする主なる神とモーセの対話の後半部。ここで神は「仕打ちされる民を顧み、苦しみを見る」お方。苦しみをそのまま放っておかず、故郷への旅路へと導くのです。そのために「こう言いなさい、こうしなさい」と具体的な言葉をもって教える姿に神の愛の在り方がわかります。人の苦しみを顧みない時代、見てみぬふりをする時代。助ける道を考え、そのために具体的な指示をすることに真に親の愛情を感じます。一方のモーセは「なぜ私がそれをしないといけないのか(今の俺は平安なのに)。こうなったらどうするのだ」と文句と反抗の応答。それは何だか自分の姿みたい。人の道、倫理は常に「真実を見て、考え、助ける方策を行うこと」です。そのモデルは聖書にあるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 赤塚バプテスト教会。板橋区赤塚1-18-7にあります。この教会の石堂牧師は牧師の息子さんであり(PK)西南学院大学神学部では1~2年下で入ってきました。ものしずかな方という印象です。ご健康が守られて善き働きができますようにお祈りしています。教会の祈りの課題は以下です。①地域伝道の活性化。②教会学校の充実。③次世代への伝道・育成。牧師・石堂雅彦、名誉牧師・児玉振作
8/14 使徒言行録7章30-36節 「75年」
ステファノの宣教は「殉教しない、させない社会」と題し8月1日の聖書日課で扱っています。「死の美化」は死者に対する責任を別の方向に向けさせ、原因をつきとめさせなくし、遺族の心を騙し取ること。「殉教者」を出す教会は教会ではない!それは戦争にも言えます。軍人のみが入れる「靖国神社」を創設し、お国を守る(=国体=天皇体制)ために死んだ者、殺した者を神と崇めることを通して、死の責任を免れようとした日本があるのです。特に「特攻」は人間自ら飛行機や魚雷と共に敵に突っ込むという世界的にも有り得ない戦術です。国家は国民を味方と言えども殺したのです。世界から見れば「野蛮で気の狂った国民」なのは当然のことでした。今日はN・Yさん、N・Sさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東京韓日バプテスト教会。板橋区板橋4-1-6 バプテストビルにあります。「バプテストビル」一度行ってみたいですね。祈りの課題は以下です。①宣教センターとして用いられるために。②次世代の献身者が起こされるように。③多くの方々に主の福音を伝えるために。 牧師・李 島鎮
8/13 ヨハネ福音書8章21-30節 「主を知るために」
「アブラハムが生まれる前から『わたしはある』」と主イエスが語ります。「わたしはある」というのは、モーセが神から働きを命じられた時、主なる神は「わたしはある」と言う者である、と答えられました。この出エジプト記の記述とヨハネ福音書での主イエスの言葉を関連してとらえ訳しているのは新共同訳からです。ここでの内容は、弟子達の無理解、しかし、主イエスの語ったことは自分の考えではなく、父から伝えられたこと、十字架刑に処せられる時に(人の子を上げた時)に、その意味が理解されるのだ、と言う内容です。主イエスとはいったい何者か、それはイエスの生き様、死と復活を通して理解されるのです。今日はM・Hさん、I・Cさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 志村バプテスト教会。板橋区前野町4-13-6にあります。昔、一度行ったことがあります。平日だったもので、広い会堂だなという印象でした。それは随分昔のこと。祈りの課題は以下です。①地域の人を招く開かれた教会に。②求道者が決心に導かれるように。③バリアフリーの実現のために。牧師・常廣 澄子、協力牧師・永田 邦夫
8/12 ミカ書6章1-8節 「へりくだり神と共に歩む」
ミカは紀元前8世紀、南王国でイザヤ等と同時代に活動した預言者です。ミカはペリシテに近い農村モレンテの身分の低い農民出身という点で特筆すべきです。例えばイザヤ等は高い地位にあった人ですが、一方で農民や庶民などが預言者と召されています。預言者であれ、主の弟子であれ、私どもキリスト者もその身分や学歴は問われません。ただ、神があなたを選び出し、用いようとするのです。ミカ書4章3節はイザヤと共に平和への道を示します。五章にはキリスト(=メシア)預言もあります。今日の箇所の8節は私が、牧師就任式等でプレゼントする言葉ですが、その時、自らも初心に帰り、改めて自らの働きを乞い願うのです。今日はM・Nさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 蓮根バプテスト教会 東京愛のバプテスト伝道所・新宿区下落合2-6-21 下落合サンプロビル3Fにあります。祈りの課題は以下です。①聖書信仰に立つ教会になりますように。②健康な信徒の交わりが豊かになりますように。③聖霊の満たしを体験する共同体となりますように。牧師・権
赫烈
8/11 申命記26章5-15節 「神との関係性の中で」
「信仰告白」とは自分と神との関係を語るもの。「神」はどのような方であり、自分(達)はどのような存在であり、そしてどう歩んでいきたいのかと語ります。クリスチャンになる時は「信仰告白」が必要です。神との出会い、その神は自分にとってどういう方かと語るのです。何か飾る必要はありません。素直に記せば、きっとそこに多くの恵みの導きを知るでしょう。今日の箇所で印象的なのは「寄留者」であったという自覚です。寄留者は自分の土地等を持たず、誰かのもとに歩む生活であり、不安定で弱いもの。自らの民が寄留者であったことを想起するゆえに、自分達の中にいる寄留者や社会的弱者への配慮が願われるのです。今日はC・Aさんのお誕生日を覚えてお祈りいたします。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 蓮根バプテスト教会。板橋区蓮根2-31-10にあります。板橋区坂下1-40-2にある「誠志会病院」との関係が深く、この病院ではミッション病院として、キリスト教や聖書の集まりもあります。もちろん自由参加なのは当然ですよ。クリスチャン看護師も募集しております。祈りの課題は以下です。①病床にある方々の回復のために。②連盟の諸教会が守られるように。③全国の教役者が強められるように。主任牧師・高木康俊、高齢・病床者担当牧師・金香泰誠、協力牧師・片岡順子、主事・中地芳子
8/10 出エジプト記2章11-25節 「自分は何者なのか」
3歳から王宮での生活を始めたモーセ。成長の中で自分の中にあるヘブライ人とエジプト人という対立する二つのアイデンティティを知ります。しかし、同胞と思うヘブライ人にも敵視され、ファラオはモーセの素性を知りモーセを殺そうとし、逃げます。ミディアンはアブラハムに由来しますが、長い歴史の中ではユダヤとは平和も争いもありました。また、ホレブ山(=シナイ山)に近かったようです。ただ、この地に住んだことは生活の安定、そして、ユダヤの歴史や祭儀等を学ぶ機会になりました。そして常に問われたのは「自分は誰なのか?」ということ。それは常に人間への問いです。例えば「日本人」とは何なのでしょうか。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 東京ジグチョン教会。新宿区百人町1-9-3にあります。韓国の方々が多い教会です。祈りの課題は以下です。①神の栄光が満ちる礼拝に。②初代教会のように神の国の福音を宣べ伝える教会に。③世界宣教のために執り成しの祈りを続けられる教会に。主任牧師・許 碩真、他多数の教役者。
8/9 出エジプト記1章15-2章10節 「命を守る知恵と抵抗」
今日は長崎での原爆投下を想起する日。75年経た今もなお苦しみが続いています。敗戦決断が半年でも早かったら救われた命の数は莫大です。国民を守らない国家に存在理由はありません。しかし、現代は選挙の責任を国民自ら問われるし、問われないといけません。今日の箇所は女性が活躍いたします。助産婦(の代表者)、ミリアム、ファラオの王女、王女に仕える者たち。権力に逆らい、命を守るために働いた女性達。聖書の中には女性の活躍が沢山みることができます。もちろん、男性だから、女性だから、ではなく、「何が大事か」と正しく判断する社会、その基準は命が守られること。今日は平和祈念礼拝です。川を命を奪う場所にするのか、命を救う場所にするのか、それは私共が真実に人間か否かという問いと同じです。長崎教会の礼拝は毎週、原爆の投下時刻に鐘がなり、開始されます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテストキリスト教目白ヶ丘教会。新宿区下落合2-15-11にあります。新宿だけど、目白駅を出て、左に曲がり、少し行ってまた左に行って、道路の真ん中に大きな木がある横を通ってすこしいけば、左手に歴史ある会堂、その右には幼稚園舎等の建物が見えます。すでに110年の歴史がある教会です。幼稚園も併設されており、素敵な先生方が保育にあたっています。野口牧師は、以前、連盟宣教部長として連盟事務所で働かれていた方です。副牧師の内藤先生は、哲学や歴史に詳しく大学で教えられていますが、他にもピアノを弾かれたりすてきな先生。好きな芸能人のことをFBにも書かれておられますが、「へぇ」と思いつつ読んでおります。この教会の祈りの課題は以下です。①世界が病から癒されますように。②教会と付属幼稚園の働きを覚えて。③連盟と東京連合、天城山荘を覚えて。牧師:野口哲哉、副牧師:内藤幹子
8/8 ヘブライ書11章23-34節 「信仰によって生き死にした人々」
ヘブライ書はヘブル人(=ユダヤ人)に向けて記され、旧約聖書と新約を結びつけ証しする働きがありあす。11章1節は有名な「信仰とは」から始まり、「信仰によって生きた人」の歩みを伝えます。「信仰」の定義をあなたはどうお考えになるでしょう。ここでは、救いと喜びの希望を持ち続け、神の存在の事実を味わいつつ歩むということでしょうか。何より「信仰」とは動的なものであり、生き方です。神さまが導いてくださることに心開き、状況により祈り、感謝し、対話する生活です。そして「信仰」はこの世だけで終結するものでもありませんし、苦難や死を超えていく中にも信仰は生き続けるのです。一方で敵対者の死や滅びを批判的に現代の言葉として主イエスから聞くべきです。今日はK・Hさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 茗荷谷キリスト教会。東京都文京区大塚1-1-8にあります。何より地下鉄丸の内線の「茗荷谷」を降りたら2分ほどで行けるような便利な場所です。かつては「学生センター」を併設していて、私が大学受験のため、東京に行く機会が何度かあったのですが、一度はこの「学生センター」に宿泊させていただきました。我が、所沢教会の中田牧師が神学校を出てから最初の赴任地が茗荷谷教会の副牧師でした。その後、専任牧師となったのです。また、「東京バプテスト神学校」の事務局や校舎としても一部お借りしています。祈りの課題は以下です。①教会員の交わりが深くなるように。②集会以外でも地域伝道できるように。③必要が満たされますように。牧師・平尾 輝明、協力牧師・内藤 淳一郎
8/7 出エジプト記15章1-21節 「ミリアムの働き」
民数記26章によれば、モーセの父はアムラム、母はヨケベト。長女ミリアム、長男アロン、末子がモーセです。ミリアムは「マリヤ」と同じ名前。伝統的に祭司職をするレビの家系です。ミリアムは機転がきく子ですが、時にはモーセをねたんで 病気になることもあります。今日の20節では「女預言者」とありますから宗教的リーダーでもあります。ここでは「小太鼓」の伴奏で歌ったと記されますが、伝統的には「タンバリン」です。3バプテストの合同牧師研修会でバプテスト同盟のある女性牧師がタンバリンダンスで歌を歌い、そこで歴史から消された女性としてミリアムを伝えていたのが印象的でした。21節の歌や踊り、喜びの讃美歌を心に思い描きます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 東京北キリスト教会。東京都北区赤羽2-64-15-201にあります。この教会では「地域協働支援プログラム」で多文化・多言語での教会としての在り方を目指すパイロット教会に選ばれ、今、土地の取得を行い、多分、来年度終わりには新しい会堂ができる予定です。その折には場所も変更されます。今は貸室で礼拝を行っております。新し目標に向かって、希望もあり、同時に多くの困難もあると思いますが、教会の皆さんが心合わせ、歩みが進められますように。日本バプテスト連盟に加盟するすべての教会が応援しておりますし、新たな教会のモデルが示されることを期待しています。祈りの課題は以下です。①様々な方々が集う礼拝の実現。②地域に開かれた会堂の建築。③魯牧師の快復と復帰。 牧師・魯 孝錬、副牧師・細井留美、協力牧師・米本裕見子
8/6 出エジプト記1章15-21節 「その時、歴史は動いた」
所沢教会の礼拝では8月と9月、「出エジプト記」から学んでいます(除く「平和祈念礼拝」)。出エジプト記は、エジプトにおける奴隷の苦しみから、神様がイスラエルの民を救い出し、エジプトを脱出させて下さったことを語っていきます。「出エジプト記」とは考えてみればおかしい言葉ですが、英語ではこれをExodus(エクソダス)と言い、ギリシャ語に遡る言葉で「外へ」と「道」という言葉の組み合わせ。「脱出」しなければいけない境遇を体験した方はあまりいないでしょうが、家族や暴力から「脱出」したい人は多いのです。今日の箇所に名が刻まれる二人の助産師。命を奪おうとする世界に命を守り通そうとする働きと知恵に感謝です。歴史を学ぶ時、小さな無力な人々の存在への注目こそが人間の未来を拓くのです。今日、広島に原爆が投下されて75年目を数えます。今、世界が目指すべき「脱出」のひとつは核兵器からの脱出です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大泉バプテスト教会。東京都練馬区東大泉6-42-30にあります。この教会の木村牧師は出身教会であるT教会の少し先輩です。東大で学ばれた俊才ですが、牧師の道を目指して西南学院大学神学部で学ばれました。専任牧師をしていない時代のありましたが、大泉教会の前任牧師であった松村誠一牧師が異動後、大泉教会の主任牧師として活躍されています。教会主事の大野氏は仕事をしながら東京バプテスト神学校で学ばれ、そのころ、当教会の「神学校週間」で二度お話をしてくださいました。「主事」とは、教会の世界では「主(=イエス・キリスト)の宣教に関わるお仕事」の略だと思います。つまり、何でもやらないといけないの。でも悲壮感はなく、喜びをもってなされる働きです。祈りの課題は以下です。新年度の教会の歩みの上に。②求道者、決心者の信仰のために。③新型ウイルスの終息のために。牧師・木村
一充、教会主事・大野 夏希
8/5 箴言16章1-9節 「今日の運勢よりみ言葉を」
箴言はいつも言うように心のツボを刺し、健康にする言葉。1節は人間の計画と神の答えは異なることがあるということ。新共同訳は他の訳と違いがありますね。2節は「精神」とありますが、多くは「たましい」と訳します。リビングバイブルでは「自分が正しいと思うのは簡単です。 しかし、神様は納得なさいません」。5節は新共同訳だけが「子孫は罪なしとされない」と訳し、他の訳では「この人は罰を免れない」とあります。7節は他の訳では「和らぎ」とあり、「和解」より素敵。8節もいろいろ違いがあります。リビングバイブルが面白いです。「人をだましてぼろもうけするより、わずかずつでも正直にかせぐほうがましです」。9節は日々思い起こすべき言葉です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東久留米バプテスト教会。東京都東久留米市1-16-4にあります。住宅街の少し奥まったところにあります。今、専任牧師はおりませんが、音楽牧師としてジョン・チャヌ牧師がおられます。少し調べたら、多くのオーケストラで時にコンサートマスター、またソリストとして活躍。多くのCDも出されている素晴らしい音楽家です。おしゃべりも上手で、ある書き込みには「ジョン・チャヌはコンサートの前にバイオリンの調子より、自分の喉の調子を整えている」とありました。ぜひ音楽を志している方、所沢教会に来てもいいのですが、東久留米キリスト教会にも行ってみてください。祈りの課題は以下です。①牧師が与えられますように。②ジョン・チャヌ音楽牧師の活動。③礼拝が継続されますように。音楽牧師・ジョン・チャヌ
8/4 コヘレト12章1-14節 「明日より若い今日」
「コヘレト」とは「語る人」「伝道者」「(言葉等を)集める人(9~10節)」という意味ですが、以前は「伝道の書」と訳されていました。「伝道」とあるのに、どうも伝道向きではないと感じる人も多く、語源に不明な点が多いので新共同訳はそのまま「コヘレト」。1節は有名。口語訳では「あなたの若い日に」とありました。青少年を深く意識した書かもしれませんが、「若い日」の訳が良い。「若い日」とは、明日でなく今日であり、五年先ではなく今日です。主の救いを覚え、感謝する時が早くて何の問題がありましょう。生涯をかけ、人生の知恵や良き生き様を求めたコヘレトは「学びすぎれば体が疲れる」と。疲れるほど学んだ結論は「神を畏れ、その戒めを守れ」です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 新小岩キリスト教会。葛飾区新小岩4-11-10にあります。1950年から始まった大変歴史ある教会です。かつては幼稚園も併設されていたと思いますが、今はないようです。川口牧師は音楽の才能があり、音楽を教会でも大事にしておられるようです。祈りの課題は以下です。①聖書に聴き従います。②キリストの弟子となります。③新小岩から全世界に伝道します。牧師・川口義雄、音楽主事・川口由子、宣教師・李 ヒソック
8/3 申命記6章1-26節 「熱情の神」
「申命記」はモーセの遺言。「重ねて命じる」との意味があります。4節の「聞け」はへブル語では「シェマー」。聖書の神は「見る」神ではなく「聞く」お方です。「聞く」ことは「語る」ことと結びつきます。夫婦でも親子でも「自分が言いたいのに聞いてくれない」と感じている人が多いと聞きますが、神さまに心の耳を向けることが主を忘れないことです。15節の「熱情の神」、口語訳や新改訳等は「ねたむ神」、リビングバイブルは「嫉妬深い方」。ここは新共同訳が良いです。そして「ねたみ」は色々あります。自分にないものを人が持っている(モノや家族や能力)ゆえにねたむことがありますが、ここの「ねたみ」は神の「深い愛」の表現です。愛が深いから、裏切られるのが辛いのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 篠崎キリスト教会。江戸川区南篠崎町1-28-15にあります。この教会のホームページはすごいのです。水曜の聖書研究から、日曜宣教のすべてがアップされていて、内容的にも参考になることが多いのです。この教会の川口牧師は東京バプテスト神学校でのお働きをされています。また、この教会には行ったことがないのですが、講壇のうしろがガラスになっていて緑の木々が見えます。また、会堂も木材骨格を見せるような設計ですばらしいなぁと感じております。篠崎教会の祈りの課題は以下です。①真理はあなたを自由にする。②違いを受容し、喜び合う教会。③多言語、多文化の方との共なる礼拝。牧師・川口 通治
8/2 出エジプト記1章1-14節 「民族差別は今も続きます」
8月の日曜は主に「出エジプト記」から学びます。飢饉を機にエジプトに住み着いたユダヤ人は隔離されたような形で暮らしました。時が経って、エジプト在住のユダヤ人が増え、社会的にも力を持ってきたことに対しエジプト政府は強制労働を与える等でユダヤ人の力と影響を失わせようとしました。不安な時代は差別や強制が蔓延します。この箇所は現代日本や米国の姿を見ているようです。悲しくも聖書の時代と現代の人間の精神性はほとんど変わらない。ゆえに聖書は今も語り続けるのです。聖書にピラミッドの話は出てきません。ピラミッド建設は国民が喜んで積極的に参加したという説がありますが私はその認識を疑問視しています。すべての時代がそうではなかっただろうという意味です。今日はS・TくんとS・Hさんのお誕生日おめでとうございます!これからも神様の守りと愛の中に成長していきますように!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 市川八幡キリスト教会。市川市八幡2-1-10にあります。この教会の宣教の働きからホームレス者支援が起こり、現在はNPO法人「市川ガンバの会」に発展し、市川八幡教会はその働きに参与しております。先日、朝のNHKニュースを見ていますとコロナ下でのホームレス者や生活困窮者の状況や対応にういて「ガンバの会」の副田会長がインタビューされていました。2回くらい別の日に違う内容で放送されておりました。当教会もささやかですが、生活支援物資をガンバの会に送らせていただいております。タオルや歯ブラシ、日用品等は教会に常時、箱を用意しております。でも現金で支援される方は一番?歓迎されると思います。これについても受け付けております。昨年から、前。日本バプテスト連盟常務理事であった吉高牧師が就任されています。吉高牧師はあらゆることに才能があり、オルガンも学び、書を書き、その発言は考え抜かれたもので多いに刺激を与えてくれるものでした。個人的にいえば、組織の中央である意味保守的に活動するより、外野からいろんな知恵や励まし、応援を送る方が向いているなと思っています。かく言う私は、わき役や裏方が好きですし、それが向いているのかなぁと思っております。さて、市川八幡教会の祈りの課題は以下です。①日本社会の歪みの中で、人の痛みを知り、寄り添う宣教ができるように。②困窮者支援のガンバの会と共に。牧師・吉高 叶
8/1 使徒言行録7章1-29節 「殉教しない、させない社会」
キリスト教会の誕生後、最初の殉教者になったステファノの説教です。ここでまず、ステファノを美化してはいけません。本来、主の弟子であったペトロ達が対立を生む構造に対して策を持てなかったことが問題であり、「信仰のために殺される」ことがない社会を創ることがステファノの死に対して責任を持つことであり、「殉教者」を出すことは人間と社会の敗北です。8月は国のため、国体を守るためにと殺された人々に深く思いを馳せる時です。戦争においては敵とされる人々より、自国民が多く殺されるのです。ステファノの説教は旧約の歴史を概観し、その歴史の上に主イエスが来られたことを語ります。同じ歴史の上に歩んできたことを共有したかったのです。今日はS・Lさん、D・Aさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 市川大野キリスト教会。市川市南大野1-11-28にあります。この教会の前任牧師は、現在、当教会協力牧師であり、日本バプテスト連盟常務理事をつとめている中田牧師でした。近所に小学校もあり、中田牧師は小学校で「読み聞かせ」のボランティアをされておられ、とてもすごいと感謝しました。さすが玉川の教育出身です。何度か寄せてもらったり、会堂のうしろの親子室のようなところで泊めていただいたこともあります。市川って、とても遠く感じるのですが、武蔵野線では市川から連盟事務所のある南浦和をこえて、新秋津でおりて、西武線に乗り換えたら所沢なのです。市川から新秋津まで何分かかるんだろう。さて、市川大野教会はこのたび、富田愛世牧師が就任いたしました。「愛世」は聖書の登場人物の名前です。彼とは、むかし、大学生だったころ、東京バプテスト神学校の授業が板橋の常盤台教会で行われていて、私も受講しました。その時の先生は岩阪憲和先生。生徒は私と富田くんの二人だったのです。それで知り合いました。そのころ、今もそうかなー、お髭をはやし、ギターやドラムをたたくのが富田くんでした。富田牧師が北海道にいらっしゃる時、お訪ねしたことがあります。そしたら夕食のおかずに「ホッケ」という魚が出たのですが、私は「ほっけの開き」しか知らなかったのに、なんと!丸焼きで出てきたの。感動しました。ちなみに、そのとき、ほっけをだしてくれた富田牧師のお連れ合いは、私が日大時代に通っていたT教会で、青年会長をされておられた方です。東京バプテスト神学校にも通われ、教会教育のお働きをよくされています。つい最近からは日本バプテスト連盟の「教会教育室長」を非常勤でされています。お働き期待してます。だから、青年時代は、この会長のもと、今の中田牧師も私めも「会長さま、何でもいたします」とお仕えしていましたが、すみません、役立たずでした。富田ご夫妻についてはまだまだ語ることがたくさんあるのですが、またの機会に。祈りの課題は以下です。①コロナウイルス終息のため。②共に礼拝できる恵みに感謝。③主イエスを求め祈る群れとして。牧師・富田愛世
7/31 エレミヤ書23章1-8節 「共に良き羊飼いであるように」
「 災い」。ここでは国を導く政治家や宗教者のこと。彼らは「群れを散らし、追い払い、顧みなかった」。まるで今のコロナ下における政治状況を言っているように思います。ただ、政治に不満を述べて終わりではありません。この場所は。どんな集団でも、一つの方向性を決めること、決断すること、その時、哲学や、キリスト者なら神学(聖書)が土台です。時にぶれても、再び中心(それは常に固定しているわけでもないことも重要)に戻る集団であることが大事です。先日リモートで行われたのきたかん(北関東地方連合)牧師・主事会ではこの時代にどのようなメッセージを告げることができるのか、教会はどのような宣教をするのかと考えました。本当に自らの言葉が見えない状況ですが、でも同時に、そのような時は繰り返し起こってくることでもあります。ただバプテスト教会は共に考え、祈り、行動する教会として、互いに良き牧者として、牧師も、執事も、メンバーも御言葉と祈りでつながり教会をたてるのであり、そこに希望を抱く者です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 引退教役者の方々を覚えて。日隈光男氏(東京都在住)、福島 勇氏(東京都在住)。
7/30 創世記47章27-32節 「帰天の時」
ヨセフの父イスラエル(=ヤコブ)は故郷遠いエジプトで最期を迎えます。「手を腿の間に入れ」の「腿」は生殖器の象徴で、同じ様子が24章2節にあり、このようなことは通常では有り得ないこと。なので特別に大事な願いをする時の姿勢です。ここの内容は先祖と妻が埋葬された墓に入れてほしいとのこと。「先祖の墓に入る」ことは地上での関係性や繋がりを死後も続けるということで、世界中、割と共通に見られることです。ただ、そのことが嬉しいのか、辛いのか、個人の人生が反映します。特に「家」の墓に入ってしまうことを選ばない人が増えてきました。たとえば「嫁」として厳しい中で歩んできた方等は「墓も一緒なんてとんでもない」という例は多くあります。以前流行った歌で「私はお墓にいません」とあり、「それはおかしい、ずっと墓にいると思ってきたのに」と某新聞に投書がありました。私は「神の国」(天国)に命は招かれ、帰ると思います。当教会は墓地を運営しております。基本的には教会員とそのメンバーしか入れませんので、何か商売していることではありません。教会員とご家族は入ることができます。もちろん、お一人だけでも構いません。でも、墓に住まうのではないというのが聖書から聞く命の行き先です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「セクシュアル・ハラスメント相談・防止委員会」。昨今、様々な形で「セクシュアル・ハラスメント」の事例が見受けられます。それはたとえクリスチャンであれ、牧師であれ、誰でもそのことを行ってしまう、あるいはハラスメントを受けてしまうことがあります。その被害や加害は第二次被害や第三次被害と広がってしまう危険が多いものです。その相談窓口を連盟理事会は総会決議により設置しております。もちろん秘密は守られます。思い悩まないで、ご相談ください。この委員会からの祈りの課題は以下です。①パワーを悪用したハラスメントに対する意識が高まり、二次被害を含む加害者を起こさない環境が整えられるように。
7/29 創世記46章28-34節 「再会」
「イスラエル」とも呼ばれるヨセフの父「ヤコブ」との再会。当時、中近東では大飢饉があり、エジプトを飢饉から救った官房ヨセフは家族をエジプトに招きます。「ゴシェン」はエジプト、ナイル川河口付近だと推定されますが、詳細は不明。ここでの父子の再会は放蕩息子の帰還(ルカ福音書)のような深い感情の響き合いがあります。この箇所を読むと、「別離と再会」という聖書の中で何度も繰り返されてきた事柄、そして、世界に今もある「別離」した人々、させられた人々を思い起こします。「再会」という深いテーマは「死の恐れ」も付随する内容であり、人生の歩みをも左右する事柄。ヨセフの家族が「羊飼い」であることをエジプト人に隠せという話からは今も続く色々な世界の現実を考えます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 第58回バプテスト全国青年大会。この集まりは、日本バプテスト連盟に加盟する教会(+伝道所)の青年(20歳前後から49歳くらいかな)の自主的な集まりで、毎年天城山荘で「大会」を行い、そこで次の実行委員が決まる、という形で続いてきたものです。本年も静岡県「天城山荘」で開催予定でしたが、ご存じのコロナ影響で、今年はリモートで開催されます。もし、参加してみたい、という方があれば当教会にご連絡ください。でも必ず一か月くらいは礼拝に出席するなどしてください。祈りの課題は以下です。①各教会の青年一人ひとりの信仰がそれぞれの形で守られるように。②これからの青年大会のために。実行委員長・内藤 潤(栗ヶ沢教会員)
7/28 創世記42章1-13節 「あなたならどうする?」
「出エジプト記」を連盟「聖書教育」誌で8月と9月に学びます。「出エジプト」の前に創世記37章からの「ヨセフ物語」は是非読んで下さい。トーマス・マンの「ヨセフとその兄弟たち」はまさにこの話。ヨセフは「夢見る者」とも呼ばれます。「夢見る者」は夢により苦境に立ち、夢により人々を救うことになるのです。「夢」を見ても、それをどのように考え、用いるのか考えさせられます。「夢」は何か美しいことのように思いますが、その「夢」が本来、何を目指しているのかを考えたいですね。でも夢はたくさん持ってください。今日の箇所はかつてヨセフを追い出した兄弟との再会ですが、「嘘」や「恨み」や「赦し」や「愛」の感情が響く箇所。あなたはどう感じますか?
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟全国壮年会連合。この組織は日本バプテスト連盟に加盟する教会(+伝道所)の壮年の集まりです。主な働きはこれから牧師や伝道者になろうとする人を教育する「神学校」を支えることですが、何より「奨学金制度」を運営していることがすばらしいです。牧師になろうと思う人は10代ではあまりいません。大学生になったり、実社会に出て、その後に、牧師になる道が与えられることが多いのです。そして、たとえば日本バプテスト連盟の教派神学校である西南学院大学神学部で学ぶとなると、学費が必要ですし、それまでの仕事はできなくなります。でも、ご安心を!日本バプテスト連盟の奨学金制度は大変整っており、西南学院大学への入学金や学費は一定の条件を満たせばすべて支援されます。生活費も貸与があり、数年間、きちんと学ぶことができるのです。この制度は私も大変助かりました。神学生は基本、貧乏ですが、奨学金や教会からの援助金、あとはバイト等をして学ぶことができるのです。ただ、今の大問題は牧師になろうとする人が少ないのです。これから、高齢になり、引退される方は多くなるのに、神学校の卒業生が少ない。西南学院大学神学部の牧師コースにはこの2年度ほどほとんど入学者がいないという危機です。牧師になる道は、それは神さまの語りかけが必要ですが、何歳からでも可能です。60歳過ぎて神学部に入学する方も何名もおります。そのような方の「あるある話」は、「おれ、新入学生なのに、教授に間違えられた」というもの。西南学院で若い方々と一緒に神学を学んでみませんか!一応、牧師コースへの入学は3年以上のバプテスト教会での信仰経験が必要なことと、もちろん試験もありますが、私が優しく指導いたします。
それから、「全国壮年会連合」は毎年、夏季に総会を行うのですが、今年はコロナ感染拡大の影響で書面議決となりました。祈りの課題は以下です。①このような中でも、神学生支援の神学校献金が祝されるよう、全壮年の信仰と働きが強められますように。会長・山田
誠一(大井教会員)
7/27 詩編105編1-26節 「歩みの回顧」
この詩編はイスラエルのアブラハムから出エジプトまでの主の導きの歴史を想起するように促します。ただし、自らの歴史認識は自己批判的ではありません。この時になされた礼拝のテーマが違ったからです。歴史での人間の罪は別の聖書の箇所から学ぶことができます。さて、歴史は常に「勝者」の記述であり、敗者の痛みや叫び、記憶は忘れ去られます。私どもが歩んできた百年の中にも忘れてはいけない日が多くあります。「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ。これはドイツ(プロシア)の宰相ビスマルクの言葉です。賢い人は先人たちの様々な経験(=歴史)から学ぶが、愚かな者は自らの狭い体験からしか学ばない、との意味。そして私どもは日曜、主の言葉と業を想起し、主にある世界と命の意味を考え、心新たにするのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 神奈川バプテスト連合。神奈川県に所在する日本バプテスト連盟に加盟している教会・伝道所で構成される団体です。神奈川には18教会、3伝道所があります。祈りの課題は以下です。①各部、委員会等の働きが用いられ、協力伝道の業が力強く進められるように。②無牧師の教会を覚えて。会長・蛭川明男(洋光台教会協力牧師)
7/26 Ⅰテサロニケ3章1-18節 「気になる言葉がありまして」
今日の箇所を読んで気になるのが「怠惰な生活をしている者」。「働かないで好き勝手な生活をしている」人々のようです。この言葉が悪用されないように祈ります。そして逆に「夜昼大変苦労して働いた」人が模範になれば大変です。この世界では働きたくても向く仕事がなかったり、様々な理由で働くこと、働き続けることができない状況に追い込まれる人々がいます。大変苦労して働いて健康や人間関係を崩してしまう人々がおります。その背景を考え、みんなが喜びを持って生きる社会の形成を考えていきたいし、その方策を政治に訴えていくことも大事です。一番苦しんでいるのは本人であり、ご家族であることを理解することから平和は始まるのです。今日はM・Hくんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト船橋教会。千葉県船橋市市場1-2-8にあります。「市場」という地名が面白いですね。この教会ではバイリンガルの教会学校や英会話教室、歌声教室、三浦綾子読書会、ペン字教室など幅広い活動がなされているようですし、ゴスペルをやっている話も聞いたことがあります。外国籍の方々にも配慮され、集うことができるように考えられています。この教会の松田牧師は、私が宮崎県の高鍋に住んでいたころ、宮崎教会の牧師をされておられ、親しくさせていただきました。松田先生のおうちには双子のお子さんがいて、大変そうでしたが、楽しくされていたようです。もう双子さんも20歳後半か30代にになるのでしょうか。びっくりします。松田牧師は宮崎のあと、北海道の小樽におられ、その後船橋です。小樽におられた時、北海道で行われたバプテスト全国教役者研修会の前後に行ったことがあり、礼拝宣教したような、してないような、記憶があります。小樽は教会の敷地が広く、雪の時は大変だと思いました。千葉って、近そうなんだけど、行く機会は少ないですね。協力牧師の先生が就任されたようですが、名前が難しい!短縮した呼び方があるのでしょうね。「アジサイ先生」とか「パトリック先生」とか。船橋教会の祈りの課題は以下です。①新型コロナウイルスの感染から守られますように。②収束に向けての新しい取り組みのために。牧師・松田
裕治、名誉牧師・三ツ木 茂、協力牧師・ンバコアジセイパトリック
7/25 ローマ書16章17-24節 「常に土台を確かに」
警戒すべき人々をパウロが言及します。「不和」や「つまずき」をもたらす人々は「巧みな言葉」や「相手に媚びて機嫌をとる」形で存在すると。どうしてそんな人がと思いますし、そのように行って何の利益を求めるのかと思います。ローマ教会に他の教会やユダヤ教会等から人が入ってきた人がいたのでしょうか。最近、あるキリスト教会にどこからから入ってきた信仰が違う人々がいて、最初は熱心で信仰的と思われた人が、結果的にその教会をその人が信仰する団体のものにした、という例を聞きました。教会員が10人、20人というところもあり、その中に5名が意図をもって入ってきたら教会の乗っ取りは簡単かも。教会は常にその信仰の土台と諸教会の繋がりを確かめることが大事です。なお、日本バプテスト連盟に加盟している場合は規程により土地や建物の売却等は連盟理事会の承認が必要な場合が多いこと、周辺の教会との関係があることでセイフティネットがあり、実際に「乗っ取り」は難しいので、そのようなことはしないでください。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 津田沼キリスト教会。千葉県習志野市鷺沼4-3-9にあります。Facebookを見ると、広いお庭があり、植物を植えたり、鳥の巣箱をつくったり、「いいなぁ」と思いました。祈りの課題は以下です。①兄弟姉妹の信仰の一致のために。②地域伝道が祝されるように。③各家庭での救いの業のために。牧師・大塚
恭一
7/24 Ⅰテサロニケ4章1-12節 「迷惑をかけあって生きる教会」
ここを読むと「みだらな生活」とかあり、道徳的な面が強調されていますが、それはある意味、当時の教会や常識において「あたり前」だったことに「それは違う」と言っている内容は現代と多少違うかもしれません。また、道徳的な生活をすることはキリスト教だけの特徴ではありません。他宗教でもそのような教えは生じましょう。何よりイエス・キリストの言葉に従い生きる時に、他者や自身との良い関係が構築されるのですが、そこに祈りと決断が必要です。12節の「迷惑をかけない生活」は誤解してはいけません。教会では互いに支え合いますし、弱さや困難が起きる時、迷惑と思わないで相談してください。互いに迷惑をかけあうことで共に生きる教会なのですから。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 千葉・若葉キリスト教会。千葉市若葉区千城台東2-28-8にあります。「千城台」という場所は「千葉モノレール」の終点で、東京のベッドタウン、ニュータウンとして人が多い地域のようです。この教会の田中牧師は北関東の筑波教会や水戸教会に在籍されていたこともあります。生協の職員時代に牧師になる道が示されたとのことです。平日は仕事をしながらの牧師職をされています。祈りの課題は以下です。①ビジョンと使命の明文化のために。②地域伝道の足掛かり準備のために。③家族が共に礼拝できますように。牧師・田中 宜之
7/23 Ⅰコリント9章1-18節 「パウロも大変そう」
パウロは多くの批判を受けることがありました。まぁ、何でも人を批判するのは簡単です。そして、牧師等は基本的に信者の献金でその生活が支えられますが、本来の意味では神さまによって支えらえております。もし信者が支えてやっているのだと考えたら誰に仕えているのかが不明になります。公務員と似た点がありますが、公務員は総理はじめ、国民が選び支えていることでは明快です。パウロは肉を食べていたとか、妻と旅行したとか、謝儀で生活しているのに、とかで「あれは宗教者としてふさわしくない」といわれます。パウロは兼職伝道と考えたこともありましたが、それでは伝道に集中できない。伝道者の生活は、神様と神のたてた教会を信じる歩みなのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 千葉バプテスト教会木更津伝道所。千葉県木更津市新田1-1-33 カサデロサ101号です。この教会の井本牧師は確か記憶によると、どちらかの施設か学校でのお働きをされていながら牧師として活動されていたと思います。「祈りの課題」を見ると、菊池牧師は何か病気をされたみたいです。お祈りいたします。祈りの課題は以下です。①菊地正弘師の全快と牧会復帰。②コロナ禍が沈静化しますように。③望みの門諸施設が守られますように。牧師・井本義孝、協力牧師・菊地正弘
7/22 フィリピ書3章12-4章1節 「途上を歩む希望」
私の大好きな箇所です。12節の「それ」は「信仰の道にある目標」です。そしてパウロは「まだ途上である」と語ります。「途上」、それはまだ「未完成」であり「工事中」なのです。しかし、そこに希望があるのです。どのようになるのか、どのように導いて下さるのかを探しながら歩むのです。更に、「途上」を歩むのは「神が捕らえているから」こその道なのです。15節の「完全な者」はパウロが威張っているように感じるかもしれませんが、パウロにとって「完全」な道は「不完全」であることであり、「自分は完成されている」と語る人々への批判です。そして「自分の腹を神とする」人々への「パウロの涙」が印象的です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 千葉バプテスト教会。千葉県市原市五所1540にあります。この教会には二度伺ったことがあります。最初は、福岡有田教会にいたころ、神学生として出席奉仕してくださったKさんが千葉教会の牧師に就任されて、連盟少年少女大会のあとに伺い、礼拝で宣教させていただきました。Kさんのことが気がかりなこともあったので。千葉教会はコンクリートの箱型の建物で音がすごく響くのです。楽器は響きすぎるのではないかと思いました。千葉といったら都会のイメージがありますが、特に教会周辺は畑が点在するのどかな場所です。千葉教会は「五井」というところで、JRと小湊鉄道の駅があります。二度目に訪れたのは3年前位でしょうか。この時の牧師は故矢野満先生でした。矢野先生は長らく日本バプテスト連盟事務所で「バプテスト」誌の編集等をされておられ、昔からお世話になった先生でとても温厚な方でした。天に召された時はとても悲しかったことでした。伴侶の由美先生とも連盟関係の集会でご一緒に奉仕させていただいた先生です。特別伝道集会にお招きを受け、楽器等を車に積み込んで千葉までいきました。音響のことが心配でしたが、工夫されたり、礼拝の参加者は子どもを含めて多く、それほど心配なく奉仕できました。矢野満先生は闘病中でしたが。快く対応してくださいました。また、澤田ルツ子さん(今は同教会音楽主事)の方が音楽がとてもよくでき、この時は特伝といっても讃美歌を中心としたものでしたが、澤田先生のお働きもあり、皆さんと一緒に楽しく過ごすことができました。結構、知っている方も多く、旧約聖書神学者であった時田光彦先生とは久しぶり、また、長瀬さんと奥様のご家族など、以前から知っている方々でした。また、教会にはトンネル?を使って神奈川県から出席されている方もいました。「小湊鉄道」にもいつか乗りたいと思っております。千葉教会の帰りには、当時、千葉県にいらっしゃった中田先生ご夫妻と合流して千葉メシを食べました。「なめろう」というのがありますが、いちいち新鮮な魚をたたかないでお刺身で食べたほうが美味しいのに、と今だに納得できておりません。ここで千葉教会の祈りの課題を。①人々のいのちと生活が守られますように。②礼拝と交わりの回復と再構築がなされますように。牧師・元川信治、協力牧師(兼教育主事)・矢野由美、音楽主事・澤田ルツ子。
7/21 Ⅰコリント1章1-9節 「神は真実な方です」
パウロの手紙の冒頭部分はどの手紙も面白いです。「書き出し」とか「最初の言葉」というのは思いが詰まっていますからね。ここでの自己紹介は、私どももこう言えたらよいねと思います。宛先のコリント教会の人々についても「私どもはこのような集まりなのだ」と自己の在り方を教えてくれます。さらに感謝の言葉が続き、信仰者をつなぐ信仰告白の言葉、「神は真実な方です」と語られます。「神は真実」、その一言にパウロの深いそれまでの人生の歩みが凝縮されています。危険や困難、自らの思いと違うことが生じる時、神を疑う日、喜びの日も涙の日もありました。それは私どもの日々と同じように。でも神さまは自分の思いを超えたところで確かに自分の命を導いて下さったのです。今日はK・Aさんのお誕生日おめでとうございます!治療中のなか、礼拝を共にできるようになったことを感謝です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 茂原バプテスト教会。千葉県茂原市六ツ野3394-5にあります。「茂原」は「もばら」と読むのですね。ここも行ったことないなぁ。所沢教会の人が一度行って「ずいぶん遠かった」と言ってました。「バプテスト」誌の8月号に塩山牧師の文章が掲載されており、とても教えられました。「誰もが集まれる教会、多文化・受け入れ・地域の教会として」と題された文章の中で、「誰もが集まれる教会」はわたしたちは常にそう願っているのですが、具体的な策が少ないのも事実です。茂原教会では2014年からネットでの礼拝配信を行い、手話通訳者を通して「ろう」のご夫妻がメンバーになったこと、地域の外国人にも関わりをもっていらっしゃる姿に感銘を受けました。そのひとつひとつは実際に行うことは大変なことだからです。また塩山牧師は連盟の「障がい者と教会委員会」の中心的な委員として活動をされてきました。その委員会では「バリアフリーの会堂、聞こえない人たちへの手話通訳や筆談のためのノート、ホワイトボードなどの配慮、点字の聖書・讃美歌を用意しましょう」と訴えております。掲載されていた塩山牧師の写真は「まゆ毛」が真っ白で、かつ太いのが印象的でした。さて、茂原教会の祈りの課題は、①新型コロナウイルス感染の終息。②「誰でも一緒の礼拝」の実現。③地域とのつながりを深めること。牧師・塩山 宗満
7/20 箴言12章22-28節 「心のツボに箴言を」
箴言は竹の針で「針治療」をした如く、心のツボを刺す言葉で、短い教訓集はダビデ時代、宮廷での若者の教科書です。毎日一章読めば、一か月分です。ざっと読んで「あれ?」と思う言葉がありました。26節の「好運」。「運」とは人間の意思や努力では得られないことを指しますので、良い道へ招かれることかと理解します。別の訳では「正しい人は悪を離れ去る、しかし悪しき者は自ら道に迷う」(口語訳)、「正しい者はその友を探り出し、悪者の道は彼らを迷わせる」(新改訳3版)。随分と違うものですね。新共同訳の「神に従う」という言葉は「正しい人」は「神に従う人」という前提のもと意訳されたのだとわかります。口語訳の「自ら」という言葉は「そうだね」と共感。今日はC・Mさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 富里キリスト教会。千葉県富里市七栄171-6にあります。このたび岡田牧師は第一線を退かれ、協力牧師になられ、船井先生が牧師に就任されました。富里は行ったことがないところです。岡田牧師は約30年前、四国の八幡浜教会の牧師(初任地)をされておられ、その時に神学生として伺いました。その体験は実に大きいものでした。八幡浜は愛媛県も南の方、みかんと魚の町で、コンビニもないし、夕方6時にはすべての店が閉まってしまうというところ。過疎へと向かいつつある場所だと思います。その地ではかつて米国からの女性宣教師が伝道してその地域に教会をたてていったのです。岡田牧師は、ながーい半島(この先には原子力発電所がある)の村々を回っては子どもたちに伝道しておられたのです。子どもが少しでもいる地域に福音の種をまいている姿に伝道者魂を教えられました。そして、八幡浜の海はとても美しく、防波堤から海を見ると、石鯛が泳いでいるではありませんか。岡田牧師も車に釣竿をいつも積んでいるとのこと。魚を手でつかまえられそうですが、やはりそう簡単ではありません。教会は信徒の方も少ないのですが、ご一緒に食事した方とは今も年賀状のやり取りが続いています。岡田牧師は東京神学大学出身で西南とはあまり関わりがなかったので私ども、西南の学生との出会いをとても喜んでくれました。八幡浜、その手前にある町、いつか機会があれば行きたいと思うところです。富里の話ではなく、岡田牧師のお話で失礼いたしました。富里教会の祈りの課題は以下です。①教会の一致と北総地域への伝道拡大。②主日礼拝、祈祷会、CS、SGの充実。③新牧師を迎えての教会形成を目指して。牧師・武井誠司、協力牧師・岡田
久
7/19 Ⅱテサロニケ2章1-17節 「動揺し慌てふためく私共」
この第二の手紙は新約聖書中最古の文書の第一の手紙と対話しつつ記されているのはポイントです。今日の箇所で言いたいのは「現人神」のような「不法の者」がまだ登場していないこと、だから主イエスはまだ来ていない(再臨していない)ことです。そして登場してもキリストの力に及ばないのでキリスト者は慌てふためくことなく地道に生きよと語ります。そして「誰が不法の者か」「何が彼を抑えているものか」という詮索も慌てふためく原因となります。むしろ、誰かの言葉、何かの情報に左右され、あおられやすい私たちの罪を自省した方が健全な道と教えています。以上は「聖書教育」誌の「聖書の学び」からほぼ引用。内容深い城倉先生の学びに感謝。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 栗ヶ沢バプテスト教会。千葉県松戸市小金原2-1-12にあります。この教会には所沢に来た一年目にお呼びがあり、礼拝宣教の奉仕をさせていただいたことがあります。はじめて伺った教会ですが、会堂は木の香り豊かで、円形のイメージをもった素敵な会堂でした。説教台のマイクスタンドが残念だなぁと思いました。でももう変わっているかな。円形の建物は音が廻りすぎてしまうきらいがあるのですが、栗ヶ沢がそんなことなかったですね。その後、牧師に就任されたのが、今の村上千代牧師です。西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト女性連合幹事のお働きされ、小羊会キャンプでも私、いろいろお働きをさせていただきました。村上牧師は昨年の連盟総会にペットの犬(ずいぶん高齢なのでしょうか)を連れてきておられました。甘城山荘の入り口に犬がいるのを見て、私は「ついに天城山荘は犬の山荘長をたてたのか、これは猫駅長にも負けない対策!、さっそく挨拶もさせていただきました」。この素晴らしいアイデアにわくわくしましたが、実は村上牧師の愛犬でした。村上牧師は女性連合幹事として、世界のバプテストとの交流もあり、すぐれて世界的な視野をお持ちの方であり、とても聡明な方です。日本バプテスト連盟におられる女性教役者の方々は素晴らしい方が多々です!教会の祈りは以下です。①地域に開かれ、共生を目指す教会に。②新型コロナが収束し、皆で集って礼拝できるように。③世代を超えて信仰が引き継がれるように。牧師・村上
千代
7/18 Ⅰペトロ書5章8-11節 「悪魔的な力は我が内にも」
「悪魔」は人格を持つ存在として聖書では描かれていますが、私はむしろ自分の内にある「神に逆らい、御心に反する思い」の方が強いと思っています。自分で何か間違ったことは何でも「悪魔のささやき」のせいにされたら悪魔も辛いでしょうにと思います。「責任転魔」ですよ。我ら人間のうちにある「悪魔的な力」をコントロールできるように祈り、その可能性を与えられています。悪魔的な力が満ちている世界で、何が真の道なのかを願い、考え、連帯し、伝えることが大事。今、人権や尊厳を奪い、自分だけが正と考える悪魔的な力から私ども解放されることを祈るし、常に、自分は本当に正しいのかと自己批判する力が必要です。なお今日の箇所は信教の自由が許されない時代の響きがあります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 花野井バプテスト教会。千葉県柏市花野井103-11にあります。柏市というのはまだ未踏の地。千葉県も広いですよね。偶然、かつて当教会員であった方が花野井教会におられますが、なんと、私が学生時代にいたT教会の少年少女のメンバーつながりもありました。「へぇーそうだったんだ」と思う出会いが与えられて感謝でした。花野井教会は教会建築を考えておられ、花野井教会の数名が当教会を参考にしたいと見学に来られたこともります。どうなったでしょうか?祈りの課題は以下です。①世界の協力(コロナ収束、平和、環境)。②地域社会への福音伝道。③新会堂建築。牧師・古賀
公一
7/17 エフェソ書1章3-14節 「わたしがあなたがたを選んだ」
今日の箇所は区切りなく一息の文章。「神の選び」がテーマです。パウロは自分が伝道者になることを「自分で選んだ」とは考えませんでした。神から選ばれ、働きを委託されたと思い、そのことに生涯をかけたのです。「自分で選んだ」と思ったらパウロは違う教祖になったかもしれません。もちろんそこに主イエスの「私があなたがたを選んだ」との言葉も響いているでしょう。では非キリスト者は神に選ばれなかったのでしょうか。まず「選び」は神の自由な行為であり、それは「無きに等しい者、罪人をも選ぶ」奇跡の業。主イエスの死がすべての人のためならば、その選びは当然、すべての人に及ぶし、人間の想像を遥かに超える神の豊かな働きが必ずあると思うのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大久保バプテスト教会。新宿区新宿7-26-22にあります。この教会はかつて日本バプテスト連盟の事務所や寮がありました。昔、新大久保で降りて、まっすぐな道を進み、少し距離があるなぁと思いつつ、連盟事務所に行った記憶があります。その後、連盟事務所に行く用事はなく、連盟はこの土地を売却して今の南浦和に現在の事務所などをつくりました。数年前、大久保教会に行く用事あって行ったら、昔は閑静な場所でしたが、今や韓国やネパール等の店がいっぱいで変化に大変驚きました。また教会に小さな吹奏楽のバンドがあったりしていました。本当に多国籍の町です。河野牧師はお髭をはやしておられる先生です。この教会の祈りの課題は以下です。①標語「主の導きによって前進しよう~霊の実を結ぶ教会~」ちガラテヤ書5章22~23、25節に生きられるように。牧師・河野 信一郎、副牧師・石垣 茂夫
7/16 マルコ福音書8章31-38節 「自分を捨てるとは」
有名だけど難しい箇所。ペトロが叱られたのは「自分のメシア(救い主)像」をイエスに要求した点。難しいと思うのは「自分を捨て」との言葉。まさしくペトロのように「自分の思い通りの神、思い通りの人生」を目標とすることを捨てるのです。多くの人は自分の願う人生、自分が願うように人が動いてくれたら」と感じます。その思いを否定する必要はありませんが、自分の願うようにならないのが人生の常。そこで主イエスが私どもに願っていることを知り、学び、主が願う自分の人生を考えつつ、できることからすること。葛藤が必ずありましょう。すぐに180度変わることはできません。主イエスとの対話・交わりの中で自分の道を発見する道への招きの言葉。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 中野バプテスト教会。中野区中野2-23-8にあります。中野教会は割りと近くなのですが、今まで行ったことがない教会です。中野サンプラザにはコンサートで行ったことがあります。「中野」はいろいろ面白い場所もあるとは聞いているので、ぷらっと行ってみたい場所。協力牧師の稲垣氏はイタリア留学のころにクリスチャンになったのでしょうか。今や声楽家として数々のオペラ等に登場しています。教会音楽についての著作もあります。中野教会の祈りの課題は以下です。①ウイルス感染の収束と罹患した方々の癒しのために。②連盟の諸教会の福音宣教の働きが主によって支えられますように。牧師・青木 竜二、協力牧師・稲垣 俊也
7/15 マタイ福音書13章24-30節 「人間の可能性に期待して」
主イエスのたとえ話です。敵が麦畑に毒麦の種を植えました。すぐ抜こうとする僕に対し主人(神)は今抜いたら、良い麦も抜く可能性があるので収穫まで待とう、と言います。ポイントは「毒麦と良い麦は見分けがつきにくい」こと。この話は「たとえ」であり、主イエスの農業指南ではありません。人間の話。神の御心に適う人間か、そうでないのかの判断を今、行わないとのことです。誰でも良き歩みがあり、時には道を誤ることもあるでしょう。道を誤ったらすぐに裁きということではない、主は間違えてもまた悔い改めて歩むことを願っていますし、主の御心は滅びではない。その主の赦しと忍耐を知る時、新たな道が生まれます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 三鷹バプテスト教会。三鷹市下連雀4-18-3にあります。この教会も60年以上の歴史を持ちます。秋山献一牧師は、若い頃から知っております。ご兄弟も牧師でいまだにどちらがどちらか見分けがつきません。すみません。北関東地方連合の交流の中で育った方です。三鷹教会のホームページのトップに次の言葉がありました。●「キリスト教を知 りたい」「キリスト教を研究したい」という方が沢山おられます。私たちはそういう方々に対して「キリスト教を知りたいなら、先ず礼拝 に参加してみてください」とお勧めしています。キリスト教は「観念」でもなく「心の持ちよう」でもありません。キリスト教は、この生身の体をもって、イエス・キリストを信じ、従うことで す。先ず体を運んで、教会に来てみてください。そして、礼拝を体験してみてくだ さい。そうすればキリスト教がわかります。わたしたちの教会では毎日曜日。雨が降ろうと、槍が降ろうと礼拝をしていま す。●「槍が降る」の表現はびっくりしましたが、「木の十字架」がシンボルの教会でもあります。祈りの課題は以下です。①今年度「伝えよう、神の愛を、伝えよう、わたしのイエスを」との言葉が標語として私たちに与えられました。この素晴らしい生き方を神が新たに示してくださったことに心より感謝します。牧師・秋山 献一
7/14 マルコ福音書13章14-23節 「滅びぬ言葉を信じて」
主イエスが「注意せよ」と語ります。それは「憎むべき破壊者」が起こる時。その時は戦うのでなく「逃げなさい」。また「偽預言者」等が出現すると語ります。さらに「終末」と呼ばれる日が来ることが記されます。私が何度も語りますように「終末」とは「救いの完成」で喜びがあふれ、死も悲しみの涙も拭い去られる時。「選ばれた人たち」の表現に注意。それは人間が決められるものではないから。その基準を自ら確信して言う人間は、自分を神と同一視する危険人物。昔、クリスチャンになった、ということが保証ではありません。あなたと神さまの関係は確かに問われましょう。力点は、時の徴を見て、賢く行動することと、決して滅びぬ主の言葉を信頼すること。今日はS・Nさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 仙川キリスト教会。東京都三鷹市中原1-24-8にあります。仙川は「せんがわ」と読みます。ホームページを見ると、ゴスペル・フラ、ゴスペル・クラス、奉仕クラブなど盛んな活動をされています。もうすぐ開始から60年を迎える教会です。祈りの課題は以下です。①放課後等ディサービス「マナ」の働きが祝され、地域に用いられますように。②求道者に信仰決心を。牧師・山岸
明
7/13 ダニエル書12章1-13節 「約束された者として生きる」
紀元前578年バビロン軍に敗北し、イスラエルの人々はバビロンに連行され、母国を失った捕囚の時代を生きたダニエルが伝える言葉。「かつてなかったほどの悩みの時代。…苦難が続く」。それを世界的な戦争、地球的な環境の変化、人間の愛が冷える時代と考え、どの時代の中にも今が終末だと思う人がいました。苦難がくる、「しかし」、この「しかし」が信仰の世界。「しかし、その時には救われるであろう。お前の民、あの書に記された人々は」と。「あの書」というのは「いのちの書」「神の国籍がある者のリスト」です。7節は1+2+0・5=3・5、完全数の7の半分で、3年半との解釈もあります。多分、今の苦難はいつまでも続かない、という意味。でもその時は人間に理解できないのです。大事なのが「(終わりまでお前の道を)行きなさい」終わりを知りつつ約束された者として生きるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 調布南キリスト教会。調布市国領町5-15-31にあります。京王線布田駅南側にあります。キッズクワイアやゴスペル、英語クラスなどがあります。7月から礼拝が再開されたとのこと。祈りの課題は以下です。①一日も早いコロナからの脱出を。②礼拝と教会活動の再開。③世界の人々に主の救いと平安を。牧師・前田重雄
7/12 Ⅱテサロニケ1章1~12節 「信教の自由を考える」
ここで語られる「苦しみ」は初代キリスト教会が政治や地域から受けた迫害を示します。「政教分離」や「思想信教の自由」は今、当然の人権と思いますが、そのような自由がない時代の方が多かったし、今も家族や地域において差別されることを聞くのはびっくり。20年位前までは葬儀は家の宗教(檀家でもないし、仏教徒でもないのに)でするので(亡くなった方はクリスチャンであったにも関わらず)キリスト教での葬儀はしない、という家庭がありました。悲しかったです。結婚式は喜んでキリスト教でする方は多いのにね。今日の箇所には「信じない者は滅ぶ」と単調な救いの表現になっております。イエス・キリストの救いはもっと広く深いものであり、単純な図式は時にキリスト教が他の宗教を差別、排除する危険があることを肝に銘じ、読む必要があります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 調布バプテスト教会。東京都調布市野水1-4-3にあります。大昔、訪れた記憶があります。すごくひろーい教会という印象が残っています。現在の神戸バプテスト教会の牧師もこの教会の出身です。それから先日、当教会に、他の地域から引っ越してこられた方も、かつてこの教会に通っていたそうです。どの教会もいろいろなつながりがあって日本バプテスト連盟に加盟している教会はいいなぁ!調布と言えば高級住宅街というイメージもありますね。「調布グリーンホール」も記憶があります。調布教会、ぜひ行ってください。祈りの課題は以下です。①信仰と健康が守られますように。②地域近隣への伝道と交わり。③青年と働き人が送られるように。 牧師・文 廷翼、協力宣教師・岡田 千尋
7/11 Ⅰコリント11章23~26節 「主が来られる時まで」
「主の晩餐(式)」、主イエスが逮捕され十字架上で処刑される日(夕方から一日が始まる)の夕食で主イエスが語り、行ったことを想起し、実際に「食べ、飲む」ことを通して主の死の意味を改めて心に刻むことが教会の礼典として行われます。当教会でも毎月第一日曜の礼拝で行っておりますが、今はコロナの影響で休止しています。私は幼い頃、その様子を目にして「食べたいなぁ」と思っていました。本来は酵母を入れない固いパンで、葡萄酒も苦いもの。そして主の苦しみが救いのためであることを感謝をもって心に刻むのです。。その時、固いパン、苦い杯は恵みと救いのしるしとなるのです。この式を通し、主が再び来たり給う日まで、主の死の意味を語り伝える器となることを願うのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 府中キリスト教会。東京都府中市幸町1-9-7にあります。この教会には数年前に初めていきました。芝生があり、おしゃれな感じですが、会堂は随分古いものです。府中ジョークで「3億円あっただろ」というのがありますが、あるわけないやん。府中あたりにお住まいの方で、今、教会に行っていない方、ぜひ、府中キリスト教会に行って、今後の伝道のためにも力を貸してほしいです。この教会の牧師、なつみさんは、実は、私が学生時代に通っていたT教会で出会いました。私はその教会で中高科のリーダーや少年少女会のリーダーをしていており、なつみさんはそこでメンバーとしておられたのです。まだ中学生でした。静かで控えめで、でも芯が強い方、淡々とご自分の働きを精いっぱいされていました。文章や絵を描くのも得意でしたが、その背景にはお母さまが絵画教室をされていたことなどもあります(今日の「祈りの課題」も控えめだなぁ)。その後、日々成長され、牧師になる思いを与えられ、西南学院大学神学部に入学。丁度、そのころ、私は神学部学生寮からも近い「福岡有田バプテスト教会」の牧師をしておりましたので、福岡有田教会で神学生として多くのご奉仕を担ってくださいました。うちの娘らともよく遊んでくれました。そして神学部で出会った方と結婚。彼のラッパの音が良かったらしいですが、他にも素敵な点があったのでしょう。群馬県のM教会で行われた結婚式には、私たち夫婦は証人代表として福岡からいそいそと出かけていったのでした。それから長尾夫妻には様々な人生の歩みがあるのですが、ぞれらはぜひ府中教会に行って本人から聞いてください。なつみさんの今は、日本バプテスト連盟事務所で「聖書教育」誌の編集人の仕事(パート)と府中教会牧師の兼職をされています。個人的にはなつみさんに一度、研修会や伝道礼拝のお話でお招きしたいのですが、コロナの影響で、私の計画より1年遅れることになりそうです。府中での活躍を祈り、何かお手伝いできたらよいなぁと思っています。私は古い(いあ、歴史の重みある)会堂と牧師館にはいろいろ手をいれたほうが良いと思いますが、いや、誰でも思うでしょうね。ちなみに。「聖書教育」2020年7・8・9月号に長尾なつみさんの写真、なんと今回、他のページでは私と中田協力牧師の写真と文章も掲載されています。貴重な本だわ!在庫もあるので連盟事務所に申し込んでください。
府中教会の祈りの課題は以下です。①どんな状況であっても、教会の一人一人が礼拝につながり平安を得ることができますように。牧師・長尾 なつみ
7/10 Ⅰペトロ4章19節 「『苦しみ』について考える」
信仰があっても試練や苦しみ、他人からの非難があることに対しての返答。たまに、自分で悪いことをやって、(泥棒とか他人への余計な干渉)それに対して「非難された」等は除くべき、また前提として「きちん」とした生き方をすることと記されます。さらにより深いメッセージは、「試練や苦しみ」に会う時、喜びなさい、なぜならキリストも多くの苦しみに会ったゆえ、キリストに従う歩みができているから、と語ります。ただ、私は深い苦難に生きる人に対して簡単にそう言えない、と感じます。「苦難」はなぜあるのか、その意味を問うのが宗教。気軽な答えはなく、主と共に、そして受難者と共に自らも十字架を負うことなしには「苦難」について語り得ないのです。それができない自分の小ささ、足りなさをまた日々感じている者でもあります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 花小金井キリスト教会。東京都小平市花小金井1+26-33にあります。この教会の牧師夫妻とも昔からお付き合いがあります。藤井牧師はかつては自衛隊の音楽隊に所属し、トロンボーンを吹いていたというプロの音楽家でありました。音楽大学を出てもプロの楽団に専属するのは本当に一握り。藤井牧師は音楽大学は出ていないのにプロになるというのはすばらしいものです。青年時代に家族のことなど考えることが多く、数年の時間を経て、牧師になる道を選びました。もちろん、選ぶことの前に選ばれている主の導きがあったのです。牧師になってから、私の義父である民家(これは名前よ)が東北地方連合「開拓」伝道として、酒田市で集会をもっており、この酒田で伝道所の牧師をしておりました。しかし、高齢でもあり、志半ばで癌になり、リタイアして、私どもが当時いた神戸に転居しました。さて、酒田伝道所に自ら手を挙げてくださったのが、藤井牧師夫妻です。毎日のように更新されるSNSを見ながら祈っておりました。しかし、酒田で新たな教会をたてていくことはものすごくエネルギーが必要です。心込めて全身全霊をこめて酒田でお働きになったあと、今の花小金井教会牧師に就任されました。さて、花小金井教会は駅にも近く、会堂がとても素敵です。充実したホームページもありますので、ぜひ見てください。藤井牧師の証しも掲載されています。花小金井教会の祈りの課題は以下です。①集まることが困難な中、教会の交わりが守られますように。②主にある希望を証しし続けられますように。牧師・藤井 秀一
7/9 ルカ福音書18章1~8節 「祈り続けることへの招き」
1節はルカの説明。このような説明をつけた箇所を見ると、「なぜつけたのだろう」と考えます。私の浅はかな考えでは教会が「裁く」機能を持った時に、実際毎日やってくる人がいたら困るかしら?と思ったりします。主はユーモアをもって話をしています。世の中には「裁判官」と言え、社会的弱者である寡婦等を差別し、訴えを取り上げないヒドイ裁判官がいるよね(今もいます、政治におもねる裁判官等、でも実際、ほとんど多くの裁判官の方々は心から一生懸命にそのお働きをされていることを覚えます)。でも毎日そのオバさんが来て「裁判してほしい」と言い続けると、うるさくて寝むれないので裁判する。世の裁判官はそんなこともあるが、主なる神は我らをお見捨てにならず速やかに対応してくださる。だからこそ主に解決を委ね、祈り続けることへの招きがここにあるのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト立川キリスト教会。東京都立川市柴崎町2-22-13にあります。この教会のことは時々義父(故人)から聞いたことがありました。妻が言うには、このあたりは米軍基地があったりしてとてもピザが美味しい店があった、とのこと。なるほどねー。ピザの紹介だけですみません。いつか食べに行けたらまたリポートします。祈りの課題は以下ですが、「霊性」という言葉は、聖書や祈り、礼拝等を通して、主なる神さまと向き合い、問われ、応える心、と言ってよいでしょうか(これは坂本の解釈)。①高齢者が守られて礼拝ができますように。②教会員の霊性の向上、伝道意欲向上を祈ります。牧師・大川
博之
7/8 ルカ福音書11章1-13節 「御名を崇める、とは」
主イエスが教えて下さった祈りはシンプル。「父よ」との親しみを込めた呼びかけのあと、「御名が崇められますように」。「御名」(みな)は世界を創造し、人に命を与え、赦し、生かす神のこと。その方が崇められる、聖とされることの祈り。そこには、御名が崇められていない現実、御名が聖とされず、汚されている現実があるからです。御名が汚されるのは、神が神として、崇められず、大事にされず、人間が御名を利用する、神の名を利用することで神の名が汚されるのです。神の名が自己正当化するために用いられ、神の名による戦争が行われ、御名が汚されるのです。すべての人が主の言葉に正しく聞き従い、愛なる神の姿を実現することが「御名を崇める」ことなのです。今日はT・Sさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト多摩みぎわ教会。2018年に「伝道所」から「教会」になりました。教会になるとは、独立した教会ということです。場所は東京都多摩市連光寺6-4-8です。この教会については「バプテスト」誌、今年の5月号に詳しく紹介してあります。ピアノやギター、ドラムを用いた讃美歌も歌われ、「ゴスペルを歌う会」「ゴスペルフラ教室」「手作りの会」「だれでも食堂」「英語de聖書を読む会」「バザー」「教会農園」、シェアハウスの運営等入り口の広い、豊かな活動をなされています。また、礼拝には障がい者施設やグループホームの方々が参加されているということで、実にすごいなぁと思います。この「バプテスト」誌の教会紹介記事を書いた方(いつの間にか、髪の毛、グリーンに染めたのね)が、丘を降りる途中、「耳をすませば」の映画に流れる「カントリーロード」の一節がよぎる、と素敵に書いております。うちの所沢教会の近くにもジブリ映画の舞台となったところや、「トトロ」がいる森もあります。所沢すごいね!まだ私、「トトロ」に会ったことないです。似たようなのは時々いますが。はい、話がずれました。祈りの課題は以下です。①メンバーの家族・近隣の方の救い。②新しいメンバーの加入。③子どもが来ますように。牧師・石井
規之、主事・斎藤 美津栄
7/7 マタイ福音書26章47-56節 「剣を取る者は皆、剣で滅びる」
時は春の深夜。場所はゲツセマネという主イエスと弟子達の祈りの場所。そこにユダに率いられ、武器を持った人々がイエス逮捕にやってきます。誰もが戦になるだろう、そう簡単には主イエスを逮捕できないと思っていました。戦は接吻をスタートとし、ペトロが剣を振り回し相手の耳を落とし、騒乱になる寸前、主イエスの「剣をさやに納めなさい」との言葉が響きました。そして、やろうと思えば天使軍団を集めることができる(天使のイメージとは少し違いますが、どんな姿なのでしょう?)。しかし主イエスは暴力を用いることが解決とは思っておりませんし、何度も主イエスを捕らえる機会があったにも関わらず、闇に乗じ罪を犯す人間の不当を訴え、主はただ一人静かに人の手に渡りました。今日は「七夕」。お星さまは見えるでしょうか。そして、M・Mさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 多摩ニュータウン・憩いの家教会。礼拝場所については080(7849)6406(春木さま)にお問い合わせくださいとのことです。自前、あるいは定期的に借りる会場を持っていない、「家」の教会のようです。この教会の津波牧師、読み方は「つは」です。沖縄出身の方で、以前、著書「沖縄宣教の課題」をいただいたことがあります。日本バプテスト連盟がかつて「沖縄」を「国外」と位置付けた誤りを連盟も言葉にしておりますが、その時、派遣された調宣教師のこと等が紹介されています。沖縄から見たら日本とはどのような国なのでしょうか。そのような思いで沖縄に行かれたり、琉球王国の歴史等を見る必要があると思います。もちろん、そのようなことを課題として日本バプテスト連盟では青少年に対するプログラムがつくられたりしております。「憩いの家教会」の祈りの課題は以下です。①小さな歩みが守られますように。②弱い人の隣人になれますように。③癒しの器とされますように。協力牧師・津波 真勇
7/6 Ⅰテサロニケ4章13-18節 「死、個人の終末」
この箇所は6月末にも扱っておりますが、聖書は多様なメッセージがありますので改めて読みます。「終末」、「キリストの再臨」は神さまによる救いの完成、という希望の文脈で読むべきと何度も語ってきました。また、私共も必ず「死」を迎えます。それぞれの「終末」ですが、その先はどうなるのでしょう。特に家族や愛する者の死は、希望を失い、悲しみに立ちつくす思いになります。聖書は先に召された方と再び出会うという希望があるのが感謝です。「臨死体験」を調査した話があります。その時、臨死体験をした人が死の時に感じていた、そして多くに共通するイメージはとても穏やかなのです。草原や水があり、とても心地よい場所で、天使か神のような存在、あるいは家族や親せき等が登場し、そこで会話がなされたりするのです。それが「体験」なのか死ぬ人間に対して用意されている「脳のプログラム」なのかは明らかではありませんが、いずれにしても死の先に安息があることを祈り願うし、聖書の言葉と響くような点があると感じております(詳しk知りたい方は、キューブラー・ロスや立花隆等の著作)。でも、これは証明できないものだからね。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 八王子めじろ台バプテスト教会。東京都八王子市めじろ台2-15-2にあります。この教会は私、何十年も前、結婚して神学校に行く前に今の妻と訪れ、当時の牧師であったT牧師からいろいろなお話を聞いたり、聖書や神学の話をお聞きいたしました。年末が迫る寒い日でした。ただ、八王子めじろ台教会にもう一度行けるかどうかは自信ありません。現在、専任牧師は不在で(今の大宮教会、左右田牧師が長らくおりました)協力牧師の北島先生と信徒の方々で礼拝をされているようですが、コロナの影響いかほどでしょうか。北島牧師はかつての神戸教会の牧師であり、また、私たちの良き先輩として指導してくださった先生です。左右田牧師も面白いキャラクターで、そのうち、大宮教会のところでお話しましょう。八王子めじろ台教会の祈りの課題は以下です。①無牧師の間も教会員相互牧会による教会の前進のため。②一週も早く会堂で主日礼拝をする日が来ますように。協力牧師・北島 靖士
7/5 Ⅰテサロニケ5章1-18節 「喜ぶことができない時に」
この箇所は今週月曜にも扱っております。月曜に「『いつもそうできない』は当たり前。これは目標。宝はころがっていません。喜び祈り感謝を探すこと」と記しました。パウロは私どもが「喜び」に生きること少なく、「祈り」や「感謝」が少ないからこそ言っているのです。「喜ぶこと」を考えると「カルピス子ども劇場」で見たパレアナ(=ポリアンヌ)の言葉を思い出します。パレアナは亡くなった父の言葉を大事にしていました。牧師だった父が、ある時、とても気分が悪いときに、聖書に「喜べ」とか「感謝しなさい」という言葉を数えてみたら何百もあったって。それで、気分が悪い時に、「喜び」を探すゲームを始めたの。それは難しければ難しいほど、探すのが面白い。その「喜びを探すゲームを私もやっているの」、というようなことです。人間って、自分の思い通りにならないとすぐに怒りが湧くのね。玄関に入ったら、靴が散らかっていて怒り、部屋が汚い、勉強してないと怒るのです。その時、心を落ち着かせ、知恵を用い、言葉を考えましょう。絶対に怒るなということではありません。また「我慢」ではありません。心荒れる時にも探せば、感謝や、喜ぶことがいっぱい、きっとありますよ!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 昭島めぐみ教会。東京都昭島市郷地町2-20-5にあります。東京都は23区の周辺にたくさんの「市」があり、私はまだどこがどこだかあまり把握できていません。私の義父が、かつて通っていたことを聞いたことがあります。祈りの課題は以下です。①互いに愛することにおいて成長。②福音を地域の方々に届ける。③礼拝賛美が豊かになる。牧師・石橋虎之助
7/4 Ⅰコリント14章1-12節 「教会をつくりあげる言葉」
第一コリント書、13章で神さまが下さる恵み、その最高の道は「愛」と語られます。その後、預言と異言に触れています。「預言」とは「人に向けて語られ、人を造り上げ。励まし、慰める」言葉なので、いわゆる説教や証しの類。「異言」は霊的な高揚を通常伴い、人にわからない言葉が次々と出てくるものです。私は聞いたことがありますが、それが聖書で言う「異言」と同じかは判断できません。「聖霊派」と呼ばれる教会では大事にされていることがあります。でもパウロが教えているように、そのような言葉が出ても、内容が不明なので、教会を導く働きにはなり得ず、おうちでするべきなのです。また異言が語れたら何か人より信仰が勝っていると思うとそれは大きな勘違いです。自分が満足をすることをや、自分が何か人と異なることができることを誇るのではなく、他者にどのように仕え、歩んでいくのか、とういことが大事な神さまからのギフト(賜物)なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福生バプテスト・キリスト教会。東京都福生市加美平1-24-17にあります。この教会の稲見牧師は、私の記憶によると、かつては養豚に関わっておられたようですが、今は羊飼いになった方だと思います。Facebookを見ると稲見先生は木工などをよくされているようです。それも釘を使わないというのですから本格的です。最近は「献金箱」を作ったとありました。教会の礼拝では神さまに対する感謝の献金があるのですが、その時、袋や皿のようなものが回るのがよくある習慣。私等はもう慣れているのですが。感謝の気持ちを表明するのか、しないのか、その方法が献金なのか、どうなのか、はそれぞれの自由なのです。しかし、教会の礼拝に参加してみて、献金の袋とかお皿が回ってくるとびっくりする方もいらっしゃるでしょう。本当に自由なので、あまり気にしてほしくないのですが、「強制的」と感じる方もあるかもしれませんね。コロナで、当教会も礼拝堂に入った時に、献金箱に献金をささげたい人は入れるというようになりました。一考する余地はありましょう。その箱を稲見先生はつくられたということです。当教会では段ボールを利用した箱をある方が作ってくださいました。ずっとそうするなら作ってみようかな、とも思いますが、木でつくったら寺社の「お賽銭箱」みたいになるのかな。「お賽銭」で思い出すのは、あるお坊さんが「参拝に来る方が、ご縁なので、5円をささげて、たくさんのお願いごとをします。参拝が終わって、帰りに千円、二千円のランチを食べるバランスおかしい」みたいな話をしておりました。神さまと思うならもっと大事にしたほうがよいと思います。さて、福生教会の祈りの課題は以下です。ちなみに、「小羊」とは子どものことを指すことが多いです。①小羊会対象者が与えられるように。②求道者が信仰の決心ができるように。③70名礼拝の実現。
牧師・稲見 元彦
7/3 Ⅰコリント6章12-20節 「自由であることの目標」
「すべてのことが許されている」。クリスチャンになると「あれをするな、これをするな」と制限を加えられると思っている方があります。キリスト教ではすべてが自由です。しかし、自由とは好きなことを何でもしてよいとは誰も思いません。選ぶ自由、選ばない自由、そこで「何を目指しているのか」が問われます。つまり、「自由であることの目標」。自分や他者を痛める自由を人は選び取りません。何を食べてもよいのですが、食べすぎは体を壊します。18節をリビングバイブルは「性的な罪とは無縁になりなさいと、私が言うのは、そのためです。 これほど体に悪影響を及ぼす罪は、ほかにありません」。主に結ばれ、主が宿ってくださる命の用い方が大事なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 関東プレインズ・バプテスト教会。東京都羽村市双葉町2-10-7にあります。この教会は米軍基地等の関係で生まれた教会だと思います。なので、バイリンガルか、複数の言語で礼拝がなされているのではと思います。「関東プレインズ」の意味は「関東平野」、すごく広いですね。私は埼玉に住みだして北関東あたりを車で走ると「関東平野」は広いなぁ、と思います。また、ここの教会には「羽村善隣幼稚園」という素敵な名前をもった幼稚園があります。祈りの課題は以下です。①善隣幼稚園を通しての伝道のために。②伝道やアウトリーチが増えるため。③ビジョンと決意を妥協しないために。 牧師・ビショップ・ガイ
7/2 ローマ書12章9-20節 「今日、噛みしめたい言葉」
ここには新しい人間の生活様式が示されます。それぞれ日々噛みしめていく言葉です。16節の「身分の低い人」は誰でも気になる言葉で、身分の上下等認めることが問題と思うでしょうし、私も「嫌な言葉」。でも、実はそれぞれの心のうちには職業・生活水準・性格をもって「低い人間」と馬鹿にしている存在やその人々を定義し「付き合わない」という境界線を持っているのです。開かれた心は誰とでも愛をもって向き合おうとする豊かな心であり、すべての存在は人生の教師です。「善をもって悪に勝つ」、ここの「勝つ」は「克服する」という意味で考えたいのです。つまり「ビクトリー」ではなく「オーヴァーカム」。米国の黒人差別に対して異議を唱え、その不当性を訴えた人々が歌った「ウイ シャル オーヴァーカム」、日本語では「我らに勝利を」ですが、「勝利」という訳は良くないなぁと思っています。。「やっつける」のではなく、「敵・味方」でもない、新たな「共に生きる」関係性が築かれること。「善」とは主イエスの生き様のみ。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 板橋伝道所。板橋区仲町23-17にあります。東京西教会の伝道所です。祈りの課題は以下です。①この地から福音が消えませんように。②二十人礼拝ができますように。③隣人に関心を持てますように。牧師・新保
雅雄
7/1 使徒言行録17章1-9節 「ヤソン、その人がいたからこそ」
1節は簡単に書いてありますが、何と約160キロの距離があります。テサロニケのユダヤ会堂を訪ね、福音を伝えます。旧約聖書で示されるメシア(救い主)が主イエスと語り、現地の人々が導かれます。「ヤソン」の家がパウロ達の生活拠点でした。パウロの教えを信じた人々が多く出たことに対しユダヤ人は「ねたみ」を思い、「ならず者」を集めて騒動を起こさせます。「イエスという別の王」との言葉にローマ政府側は恐れました。「ねたみと恐れ」は人間を争うことに向かわせる。でも主にある「喜びと期待」は平和に向かわせ、そこに教会は立つのです。ローマ書16章でパウロが多くの名前をあげていますが、21節に「ヤソン」の名前もあります。伝道は多くの信徒の協力によって進むのです。今日はK・Tさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東京西バプテスト教会。この教会は場所を持たず、いろいろな会場を借りて礼拝等を行っているようです。黒瀬牧師は常盤台バプテスト教会出身なので先輩の牧師になります。祈りの課題は以下です。①礼拝場所が安定的に確保できますように。②ご高齢の方々の健康。③新来者、バプテスマ受領者が与えられること。牧師・黒瀬 博
6/30 Ⅰテサロニケ5章23-28節 「み言葉を分かち合い、広めること」
パウロの祈りで手紙が閉じられます。「聖なる者」にできるのは神さまだけ。人間が神のごとく「この人は聖なる人、この人は俗人」と言う時は危険です。そう評価するあなたは何者かと主イエスは怒るでしょう。「聖なる者」それは、イエスご自身が愛し受け入れてくださる存在。でも主イエスはこの罪深い、愚かな者をも愛し、友としてくださいますし、その交わりによって育てて下さいます。そして、パウロ自身も完全ではないゆえに、人々の祈りによって支えて頂かなければ主の御用はできません。「重んじる」とは深く祈りに覚えていくこと。そしてパウロはこの手紙が多くの人にシェアされ、拡散されることを願います。「分かち合うこと」、み言葉の共有、それが教会に与えられた働きであり、伝道の道なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟引退教役者の方々を覚えて。濱田 隆氏(熊本県在住)、濱中恒雄氏(福岡県在住)
6/29 Ⅰテサロニケ5章12-22節 「神さまからの宝物」
英国のバプテストの神学者、バークレーはここを「良き勧告の宝石」と語っています。指導者に対して、仲間に対して。「怠惰な者」とは「中途で投げだした人々」のことです。また「気落ちした人」「弱い人」や「悪をもって心を表現する人」、それらの人々も含めて教会はあり続けます。「自分はそうでないが。あの人は悪人だ」と考えるのは良くありません。なぜなら、誰でもそうなる可能性があります。16~18節はよく愛される箇所であると共に、時に嫌われる箇所。「いつも」という言葉にひっかかる人が多いのです。「そんなことできるわけがない!」と聖書に歯向かう人を知っています。でも「喜び」「祈り」「感謝」に生きる道があります。「いつもそうできない」のは当たり前。これは目標。宝はころがっていません。喜び祈り感謝を探すこと。きっと嬉しくなるよ♡
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 学校法人 西南学院。西南学院は保育園・幼稚園・小学校・中高・大学・大学院などがそろい、九州では大変有名な私学です。卒業生には、先日亡くなった中村 哲さんや芸能人等も多数おります。まぁ、私も卒業生ですが。特に神学部は日本バプテスト連盟の牧師養成機関としての役割もります。祈りの課題は以下です。①学院の子どもたちの心身の健康が守られますように。②学院の教育が御心に適ったものでありますように。院長:今井尚生
西南学院大学神学部・専攻科・大学院。「神学部」は一般の学生もいますが、牧師になりたいと思う人も来ます。特に「牧師」を目指す人が今、大変少なく大きな課題です。牧師になりたいという願いを持つ人は、10代より、ある程度社会を経験した人が多いのが特徴です、30代、40代、50代、60代の人はよくいます。もしその人がどこかの大学を出ていたら、「学士入学」制度が使えますし、高校しか行っていない人でも入ることができるクラスもあります。もちろん、クリスチャンであること、入学試験があります。そのような願いを持つ方はまずはお近くの日本バプテスト連盟に加盟している教会か、ここ、所沢キリスト教会に」おいでください。神学部部長の須藤伊知郎先生は、東大の法学部を出たあと、東大の大学院(西洋古典)で学び、留学を経て西南学院大学の教授になりました。新約聖書神学、特にマタイ福音書の専門家です。さらに、この先生は歌も上手ですが、リコーダが素晴らしいです。祈りの課題は、①献身者が神学部に送られるように。②神学生の健康が守られるように。③協力伝道を進める学びのために。神学部長:須藤伊知郎。
6/28 Ⅰテサロニケ4章13-5章11節 「世の終わりのラッパ鳴り渡る時」
主イエスが私どもの身代わりとして死の犠牲とされた、そして身代わりとしての主がよみがえったことは、私どももまた、主の復活の命にも与ることができるのです。そして、語ってきたように、当時は主が再び此の世に来る「再臨」はすぐと考えられておりました。それはまだ来ておりませんが、パウロはその様子はこんなものだろうと語るのです。
神のラッパが響く、そして「空中で雲に包まれ引き上げられ主と会う」、英語ではクラウドの中で、とあります。誰ひとりとしてその時がいつか、は知り得ませんが、心の備えをしつつ、「私どもが目覚めていても、眠っていても、主と共に生きる」。主はあなたと共に、過去も、現在も、未来も生きて下さいます。ヘンデル作曲「メサイア」でもこの「ラッパ」の音がすばらしく表現されています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「神学教育に関する委員会」。日本バプテスト連盟には理事会のもと、多くの委員会があります。この委員会は神学校等の教育について話し合う委員会です。神学校で学ぶのは何より「聖書」ですが、この世界に仕える教会や牧師は世界の状況や社会の課題(平和・人権・差別・国際・倫理等)多くのことを学ぶ必要がありますし、それを知らなくて今の時代に福音を知らせることはできないのです。もちろん、すべての社会状況を知ることも限界があります。祈りの課題は以下です。①神学生の学びと各神学校の教員、スタッフの働きのために。②これからの協力伝道に仕える三神学校・宣研・連盟の良き協働のために。委員長・中田義直(常務理事・所沢教会協力牧師)
6/27 Ⅱペトロの手紙3章8-13節 「対話的に聖書を読むこと」
第二ペトロ書について他の文書で言及されるのは2世紀後半であり、Ⅰペトロ書とも内容が異なり、いくら保守的な聖書学者でもペトロの手によらない、つまり、主イエスの弟子であり、初代教会の代表の一人であった、ペトロの名前を冠した文書と断定します。バークレーの注解書読むだけで、その評判悪さについ同情する私でもありますが…ただ、ところどころ「なるほど」と思う箇所もあります。この書は短いので読んでみたらいいですよ。今日の箇所はいわゆる主が再び来たり給う終末(=完全な救い=再臨)の遅延について語りつつ、道徳的な行動をする励ましをしています。「神の一日は人間の千年のよう」とか「終末の遅れは救いのため」等の言葉は「そうだ」と思います。聖書は、すべて飲み込まないといけないという読み方ではなく、聖書の言葉と対話しつつ読むことが大事です。「そうかなぁ」とか「おかしいな」とか「本当にそうだ!」というように。Ⅱペトロ書は突っ込みドコロも満載です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「監事」。日本バプテスト連盟の「監事」は業務や財政の監査をしていただく方々です。総会において選挙で選出されます。日本バプテスト連盟の理事会報告や総会報告等、実に詳しく、宗教法人として、また、何より、教会のあるべき姿として公明であり、ガラス張りです。誰が権力や力のある人がいて、その人の言うことは絶対叶うとか、そんな甘い世界ではありません。理事をやっているから何か有利とかそんなこともまったくないし、むしろ、理事等をすると持ち出しが多いし、そのための時間を準備するのが大変なほどです。監事の方々も最低年1週間以上はその働きのために時間をささげなくてはなりません。理事会にも必ず監事が陪席して議決をするのにきちんと規約通りになされているのか、判断がきちんとした議論の上でなされているのか、などをチェックしています。お疲れ様です。祈りの課題は以下です。①協力伝道の業が豊かに進められるように。②理事会や各委員会、連盟事務所のスタッフの働きを覚えて。監事・小河義信(主任・仙台教会牧師)、奥村妙子、平良憲誠、松本素代美
6/26 ヘブライ書13章7-16節 「主をほめたたえる生活」
ヘブライ書はへブル人(ヘブライ人=イスラエル人=ユダヤ人と考えてよいです。微妙な違いはあります)キリスト者に向けて書かれたので、旧約聖書との関連が多くあります。「食物規定」とは「豚を食べない」とか宗教的な規定です。「幕屋」と言われても若い人はわからないでしょうね。テントですが、旧約時代は羊の皮等を用い、移動式住居や礼拝所として使われました。それ以来「幕屋」が「神殿」を意味する場合があります。神殿で献げられているものは食べてはいけないものですが、ここでは主イエスの流された血の話と結びつけられています。教会は犠牲の動物を献げません。さらに地上を生きる生活の中で決められた場所だけではなく、どこでも礼拝できるのです。「賛美のいけにえをささげる」とは、生活が主をほめたたえるものにする事です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東京地方バプテスト連合。日本バプテスト連盟に加盟している教会で、それぞれの地域により13の地方連合を組織しています。連盟の下部組織ではなく、それぞれ独自の連合なのですが、ほとんどの教会がそれぞれの地域の連合に加盟しておりますし、それぞれの連合は連盟と協力関係にあります。東京地方バプテスト連合や東京都と千葉県にある教会、またそれぞれ地方連合「伝道所」単位での加盟もできますので、東京都と千葉県にある教会・伝道所で構成されています。祈りの課題は以下です。①連合の財務問題解消感謝。②東京北教会の地域協働進捗感謝。③教会の危機管理プロジェクト発足感謝。連合会長・内藤 崇(目白ヶ丘教会員)
6/25 エフェソ書6章10-20節 「新しいファッション様式」
聖書を開くとまず5節の言葉が目に留まるかも。「奴隷」は当時の常識でしたが、許されない制度であり、人間観です。気づかずに犯してしまう罪があることを知りましょう。聖書は聖霊の働きを受けて書かれますが、聞き取る人間に過ちがあることを認めなければいけません。御心を求めながらも間違いを犯してしまうのが人間なのです。「悪魔」とは神さまの御心から離す力や考えです。それは自分以外の存在と考えますが、実は私たちの中にも確かにあるものです。ここは自分で絵を書くこと。リアルでなくてよいので裸の自分の絵を書き、ここで示される武具を付け加えながら、それらは人を痛めつけたり、破壊するものではありません。「真理」や「信仰」「平和」等の働きや目標を自分の言葉で言い換えて書きましょう。危険に満ちたあなたとこの時代のゆえに。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 聖約宣教伝道所。礼拝は日曜のみ、渋谷区渋谷2-22-16、Hi-b-aセンターで行われています。祈りの課題は以下です、①皆が日々絶えず神の愛の内を歩むこと。②霊性の深まり。③日曜学校の発展。牧師・藤原 淳賀
6/24 Ⅰコリント15章50-58節 「死を考えることは今を生きること」
昨日触れた「死後」の人間の運命・道についてパウロは語ります。42節以降では「朽ちるものは(死を体験し)朽ちないものに復活する」。そして神の国(神と共にあり、神の完全な支配の中)の民とされる。一点言えば、パウロや初代教会の人々は、もう一度主イエスが来るのは「すぐ」だと思い、それが終末(=救いの世界の到来)と考えておりましたが、本来人間に時は示されません。パウロの思い込みは外れました。でも必ず、ある時、「終末」と呼ばれる時がやって来ましょう。でもそのことを語るのは、今を生きるための励ましと慰めでもあります。終わりがある、それはまた新しい世界への入り口。生きることは、死と新しい世界への整えと準備の貴重な時なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> ライフ・チャーチ。礼拝は日曜のみ、東京都三鷹市CCC学生会館2階で行われています。学生等を伝道する思いからでしょうか。祈りの課題は以下です。①偉大な戒め(マタイ福音書22章37~40節)、大宣教命令(マタイ福音書28章18~20)に忠実な教会であり続けることができるように。牧師・大谷信道
6/23 Ⅰコリント15章12-28節 「復活を論じるにはここでは短い」
主イエスの復活、「そんなことがあるわけがない」と笑われますし、だからどうなの?と言われることも。また、よみがえった主イエスは天に上ったので、今はハワイで暮らしているわけでもありません。世の中には明智光秀は死んでなかった説もありますが、必ず死にました。すべての人は「死ぬ」のは事実。では死後、どうなるのか、は誰も知らないし、理論的な説明は誰もできないわけです。主の「よみがえり」は体験として語られます。その感性が人間に与えられている不思議な奇跡かもしれません。魂に働く存在の力と言ってよいのでしょうか。ある言葉や文章、あるいは芸術的な事柄を通して、その人に必要な言葉が響くこと等、復活の一つの姿であろうと考えます。
そして今日は沖縄戦を覚える「命どぅ宝の日」です。太平洋戦争末期、昭和20年の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が犠牲になり、沖縄県民の4人に1人が命を落としました。「ガマ」と呼ばれる洞窟に避難していた人も多かったのですが、この「ガマ」において、米兵に捕まるならその前に自決をしよう、と半ば強制された自決があったり、別の「ガマ」では「生きよう」としたところもありました。沖縄の大地は焼き尽くされているような姿になったのです。沖縄県は、旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日を「慰霊の日」としています。最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園で開かれた沖縄県主催の戦没者追悼式が行われています。
この時、すでに日本軍の敗北は決定的でした。しかしそこで、有り得ない戦法である「特攻隊」等で数多くの若者が死んでいきました。武器と兵士を一度で失わせる戦法等どこにもありません。人間魚雷もしかり。今の「テロ」はこの方法を真似ているのです。そして、東南アジアから沖縄本土に入り、日本でほとんど唯一の地上戦が行われました。もう敗戦は濃厚だったのに、沖縄が本土防衛の捨て石とされました。その後、二か月を待たないで敗戦の日を迎えます。多くの才能ある若者達が、あと3か月でも、半年でも早い決断をしていたら死ななかったのです。さらに沖縄は米国の占領下に入り、今も多くの米軍基地があり、辺野古移設の問題では、県民を二つに割り、さらに今、辺野古基地の建設は軟弱地盤のため、期間もお金も想定以上になっておりますが、なお、政府の説明がありません。まぁ、いつも今の政権は「隠すのが得意」。真摯に説明しますなどの言葉だけは語りますが、どの問題にも真摯な説明はなく、忘れるのを待っているし、政府の人も忘れるのが得意です。沖縄には数度訪ねておりますが、あの美しい土地と愛すべき人々をもう政府は苦しめないでほしいと思います。かつての「琉球王国」は中国と日本の間に立ち、戦争をしたことがない国でした。薩摩藩の支配下にはいり、その時から沖縄は痛めつけられたし、今もそれが続いていること、そこに私も加担していることを深く思いたいと願います。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 青梅あけぼのキリスト教会。青梅市梅郷3-904-3にあります。また学校法人「青梅あけぼの幼稚園」の母体である教会です。祈りの課題にあるように幻を大きく(?)掲げている教会です。祈りの課題は、①牧師・信徒の信仰、霊性の深まり。②相互牧会のセルの充実と拡大。③150名礼拝、受浸者10名。牧師・大谷唯信、副牧師・森元國文
6/22 マルコ14章32-42節 「目を覚まし、祈り続けること」
主イエスが殺害される前の最後の祈祷会、ゲツセマネの祈りです。弟子たちは共に祈り続けることができず、寝込んでしまいます。主は「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい」と教えます。誘惑とは「心を迷わせ、よくないことにおびきだすこと」です。「よくない」ことはわかっています。「わかっているけど、それらが魅力的なのでよくないことを選ぶのです」。人間の弱さ脆さが露呈いたします。人から言われたと弁解する時がありますが、それはよほどの時で、自分がその道を選んだのです。わかっていることが見えなくなる、良いことと悪いことが見えなくなる。だから「目を覚まして」と主イエスは願うと共に主イエスはあなたのためにも祈っておられます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 渋谷バプテスト教会。渋谷区桜丘町14-5-105号にあります。かつての東京バプテスト教会の日本語部が独立して始まったという話を聞いたことがあります。祈りの課題は以下です。①地域への福音宣教のために。②新型コロナウイルス感染の収束のために。③教会員の信仰生活と健康が守られるように。牧師・金 未仙
6/21 Ⅰテサロニケ3章1-13節 「主に結ばれていてほしい」
テサロニケ教会が外部の伝道者等により揺れていることを心配し、パウロはテモテを派遣し、テモテから様子を聞いて書かれたのがこの手紙。「どうだった?」と聞くパウロは安心や喜びと同時に、彼らの苦難を聞き、どう励まそうかと色々考え、記したのです。まさに心が結ばれていました。8節の言葉は宝の言葉。かつてクリスチャンになった方、共に礼拝した方々。何かの折に思い出しては心配したり、気になったり。あの頃、小学生だった子はもう成人しているはずだけど、どうなっただろうか?もし東京近辺にいるなら会いたいものだと思う方がいっぱいいます。どうぞ思い出したら所沢教会に来てください。あなたが主に結ばれていることが私の命の証しなのです。
そして、今日は「父の日」です。父の日は、母の日と同じくアメリカ発祥の祝日です。誕生したきっかけは、ソノラ・スマート・ドットという女性の嘆願によるもの。ソノラの父親は軍人で、南北戦争から復員した後に男手ひとつで6人の子どもたちを育て上げています。
6人兄弟の末っ子だったソノラは父の偉業を称えようと1909年に教会の牧師に「父親へ感謝する日も作ってほしい」と嘆願します。そして1910年6月19日に、初めて父の日の式典が開催されました。しかし、それが一般に浸透するまでには実に6年もの年月がかかったといわれています。1916年の式典で、第29代アメリカ大統領であるウッドロー・ウィルソンが演説を行ったことをきっかけにして浸透していったといわれています。そして1972年、6月の第3日曜日が父の日として正式に制定されたのでした。
父の日、影がうすいのですが、父に感謝すること、そして、父は父とされていく自覚と家族との関係が大事です。「父」に失望した人もたくさんいるでしょう。まことの父のモデルは聖書の伝える神さまの姿でもあります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 幡ヶ谷バプテスト教会。渋谷区本町1-60-3 味の花ビル1F にあります。「味の花ビル」って素敵。1994年に開設された割と新しい教会です。あまり情報を持ち得ていない教会です。一度、味の花ビルに行ってみなければ。祈りの課題は以下です。①信徒各自が内在されるキリストの愛を持って隣人のために祈り、仕えていけますように。牧師・山川
眞司
6/20 Ⅰテサロニケ2章17-23節 「神の家族、神の同労者
「顔を見ないというだけで、心が離れていたわけではない」との言葉に共感いたします。私どももコロナ感染防止のために共に顔を合わせることができませんでした。しかし、先週、共に礼拝できる喜びを感謝しました。パウロはもっと長い期間でしたが、その心にはいつも教会の家族のことが満ちていたでしょう。ここでパウロが言っているように、そしてパウロは何かご機嫌をとるような人ではありませんが、テサロニケのメンバーを、神の前に立つ時にさえ「希望、喜び、誇るべき冠、誉れ」と語ります。その思いは所沢教会の牧師と召されている私も全く同じ。祈られ、支えられ、そして主が導いてくださっている教会の方々は喜び、誇り、冠、そして主の同労者です。たまに「神の労働者」と言い間違える方があります。「神の同労者」です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 恵泉バプテスト教会。目黒区中目黒3-13-29にあります。中目黒から歩いて、少し山道?学校のある坂道を登っていくと左手にあります。教会の前には「かすうどん」の店があります。10数年前に新しい会堂になりました。長らく藤田牧師が牧会されていた教会で、この教会のメンバーの方にはユニークで素敵な方もいっぱいいらっしゃいます。そして、現在の牧師は福永保昭牧師。若い頃はエレクトーンを習われていたそうですが、今やピアノ、オルガン、ギターを演奏し、多くの作曲した讃美歌はこれまた日本中で歌われております。福永先生の存在は新生讃美歌の中でも大変光っています。福永先生とはご一緒に仕事をする機会も何度も与えられ、そのたびに、先生の言葉や活動から多くの気づきを与えられて育てられてきました。先輩、感謝。また、連盟の少年少女・ユースに対するお働き、憲法9条を守ろうとするお働き、前には連盟理事として多くの働きをされてきました。
また、協力牧師をされている松見享子牧師は、連盟宣教研究所所員としてもお働きをされています。宣教研究所との協力で北関東連合牧師・主事会での貴重な学びをさせていただいております。すごく優秀な先生で、これからの研究が期待されます。お連れ合いの方は「献」さんです。日本五賢人、ではなく、バプ連五献人の一人です。恵泉教会には「献人」が以前は二人だったけど、今は一人かなぁ。偉大な特徴は「われささぐ、みなささぐ タイヘン♪」と歌えることです。すごいでしょ。祈りの課題は、①働きのすべてが主に用いられるために。②福音伝道の新たな教会体制のために。③偶像と対峙して平和を生きるために。牧師・福永保昭、協力牧師・松見享子
6/19Ⅰテサロニケ2章1-16節「神の言葉を語る畏れ」
この書は「友情の書」とも呼ばれています。テサロニケ(現在のギリシャ第2都市テッサロニキ)教会はパウロ自身が開設した教会。しかし後にパウロの反対者が入ってきて揺れた教会であり、心配したパウロはこの書を記したのです。でもこの書の中にあるパウロと信徒の交わり、パウロがどれほど信徒を愛しているのかを証しする言葉が沢山あります。牧師は信徒あっての働きであり、牧師があって信徒があるのではないのです。パウロは「自分の言葉を神の言葉として受け止めてくれた」ことを感謝しています。牧師といえども神ではなく、罪、過ちや不足に満ちています。でも伝えるのは自分のことではなく神の言葉のゆえ、誠心誠意準備します。しかし、神の言葉とされるのは祈りと聖霊の働きです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 泉バプテスト教会。世田谷区下馬1-20-4にあります。もしかしたら教会より「いづみ幼稚園」という幼稚園の方が知られているかもしれません。教育者であり牧師であった葛生先生の思想やお働きに影響された方も多いと聞いております。現在の城倉牧師はとっても面白いです。城倉先生の説教は格別というか、さまざまな視点で当方も新たに発見することが多いです。また野球や相撲にも詳しく博学な方でもあります。ユニークな素敵な先生ですよ!そうそう、城倉先生は旧約聖書にも詳しく、学者にもなれる(今からも可能性あり?)お方です、祈りの課題は以下です。①子どもたちのために。②主権者として育ち合えるように。③毎週の礼拝のために。牧師・城倉 啓
6/18 フィリピ3章12~4章1節 「共に天の故郷を目指して」
信仰の歩みはイエスキリストを目標としますが、常に途上であります。しかし、途上の歩みができるのはキリストに捕らえられている、との言葉にいつも励まされます。自分自身は捕らえられていないけど、でもキリストは私どもを捕らえていてくださるのです。さらにパウロはここで涙を流します。それは十字架(ここではキリストが示した救い)に敵対している者のゆえに。この深い愛がパウロの伝道を支えました。今もなお、「どうして」という事件が繰り返されます。その度、福音を語り続ける思いが促されます。ぜひ、あなたと出会いたい。そして、共に天の故郷へ歩みましょう。共に天の故郷へと歩む人々はパウロの喜び、誇りでしたし、そのパウロの心に共感いたします。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 品川バプテスト教会。1961年に始まり、60年近い歴史を歩んでいる教会は、品川区西品川2-12-18にあります。昨年からこの教会の牧師に就任された山中牧師。彼のことは割りと昔というか、大学生の頃から話を聞いておりました。ご両親さまとはお付き合いがありましたから。「役者」をしているということで一度、NHKの何かのテレビのさいごに「山中臨在」という名前を見て、すごいなぁと思いました。なかなか実際に出会うきっかけはなかったのですが、前職の浦和教会の牧師(後に音楽牧師)をされておられるときに同じ連合での交わりをいただきました。臨在先生は東京大学の美学を卒業され、音楽、そして舞台とマルチな才能のある方です。新生讃美歌にもいくつかの曲が掲載されております。新生讃美歌176「主は豊かであったのに」、351「教会 教会」、彼の曲はとても自然な流れで歌いやすいことはすばらしい賜物と理解しております。お話も面白く、歌って、演奏して、指揮をして、アクターであり、尊敬する方です。連合の一泊牧師会では楽しく積み木あそびをしました。一昨年の夏に当教会で礼拝のお話をしてくださいました。今まで食べられなかったアナゴが、某寿司屋で食べて、今までの先入観がくずれ、大好きになったということです。そうね、良き宣教と出会うこと、食わず嫌いの人が多いですよね。また音楽主事の岸本先生とも昔から、いろいろな奉仕をしてきました。この方もピアノや聖歌隊・ゴスペルを指導できる方です。松村先生もよく存じておりますが、また今度。品川教会では平日のプログラムが盛んで、きっとこれからも良いプログラムがなされていくことでしょう。祈りの課題は以下です。①新型肺炎感染拡大の終息のために。②大崎、戸越地域への伝道のために。③平日ミニストリーの拡大のために。牧師・山中 臨在、協力牧師・松村誠一、音楽主事・岸本 恵子
6/17 Ⅰコリント16章5-14節 「信仰も力も愛するために」
Ⅰコリント書の末尾で今後の計画を語ります。「五旬節」という言葉により初代教会からペンテコステが大事にされていたことがわかります。13節からはいくつかの願いが記されます。「目覚めていなさい」ここには主イエスの言葉が反映されています。信仰に固く立つことは、いつも主イエスの姿を見つめそこから離れないこと。男らしく、力強くあれ、は今の時代「男らしい=力強い」イメージは変化しつつあり、「男らしく」と言われても私などは力弱いのでちょっと嫌だなぁと思います。幼い頃から「女の子」のようだ、と言われてきたので、そのイメージの押し付けはいつも辛かったです。「男らしい」とか「女らしい」というステレオタイプ(固定概念)ではなく、ひとりひとりを見る視点はもっと豊かなはずです。さて、戻して、ここでパウロが意味するところは女性でも分かりましょう。それ以上に大事なのが「一切、愛をもって行う」。ここに「目覚めて、信仰に立ち、男らしく、力強い」姿は「愛」に帰結し、愛するための力なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大井バプテスト教会。品川区大井5-10-12にあり、「あけぼの幼稚園」の母体です。この「大井教会」と「常盤台教会」が戦後日本バプテスト連盟の歴史の中でリーダーシップをとる働きをしてきたものです。大井教会は何より「大谷牧師」が長らく指導されてきました。それはどの牧師でもそうですが、「良い意味でも、悪い意味でも」になります。現在は加藤誠牧師が連盟理事長の重責も担いながら牧師・園長として活躍されています。加藤牧師は年齢は私より上ですが、北海道の教員経験を経て、西南学院大学神学部(=神学校)に入学されてきました。神学校では私より一年下になります。家族寮でも隣の部屋でした。優秀な方であり、とてもバランスのとれた方です。特技は剣道、ギターも演奏され、英文書物を翻訳されたりいたします。それから、牧師はいろいろと会議が多いのですが、加藤牧師は会議で眠っているみたいなのに、実はちゃんと聞いていて的を得た発言をするので「加藤牧師は眠っていた」「いや、そう見えただけだ」と議論が起こることもありました。個人的にも大変お世話になった先生です。あとこの教会には日本バプテスト連盟教会音楽界の巨匠(?)るみ子先生がおられます。何と、通常1人がひとつかふたつのハンドベルを使って演奏するのに、一人でハンドベルをソロ演奏するのです。この技はもっと日本のテレビ等でとりあげてもいいのではないかと思っております。大井教会の方、人が多いのですから、誰か「なんでも鑑定団」、いや、間違えた、「面白珍百景」に応募してほしいものです。ピアノ、オルガン、指揮、さらに作曲もされ、特に新生讃美歌320番「輝いて生きる」は、本来「全国少年少女大会」のテーマソングとして書かれたものですが、今や、日本中、3歳の子どもから98歳の高齢者からも愛唱されています。私が50年後の出版を目指している新生讃美歌名曲百選のひとつに入れてあげましょう(偉そうに)。るみ子先生にも顔あげられません。
さて、大井教会の祈りの課題は…新会堂建築のプロセスが、キリストの体として大井の地に深く根ざし、建てられていく歩みとなるように。牧師・加藤 誠、牧師・広木 愛、音楽主事・菊地るみ子
6/16 フィリピ2章19-24節 「それぞれが削り合わされて」
「平和」を創るために「二つのものを一つにする」。複数の異なる存在が、強い力に吸収されるのではなく、それぞれの良き点を認め、包括的で高い次元へと進む意思をもってそれぞれが変わること。その過程で「敵意」の壁が見出されるし、自分だけが損しないための交渉術として「敵意の壁」をつくる人がいます。
「一つの思い」になるためには、誰もが犠牲を払い、それぞれが削り合わされ平和は生れません。大工さんが二本の木をつなぐ時、一方だけを削るのではなく、両方とも削らないと良い塩梅にならないのだそうです。
「平和」を創るために「二つのものを一つにする」。そこにおいて、主イエスが歩まれた道を思い起こすことです。主イエスはご自分が十字架にかけられることを通して平和を示されました。お一人が徹底的に犠牲を受け、敵意を滅ぼした。そして我々に平和の道を伝えたのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト東京第一教会。世田谷区瀬田2-11-11にあり、学校法人「こひつじ幼稚園」の母体でもあります。以前、教会併設の幼稚園園長をしていたとき、日本バプテスト保育連盟」の研修会に参加しておりました。「こひつじ幼稚園」の先生方がすてきに楽しく保育されている姿、とても元気で好感を持っておりました。今年度から高見龍介牧師、岡村直子牧師が就任されました。岡村直子牧師は関西にいる時も親しくさせていただき、それ以前に神学校で1年か2年一緒に学んだ仲間です。シンガポールでの連盟派遣牧師としての経験もお持ちの方です。お二人は夫妻でもありますが、活躍を祈っております。祈りの課題は以下です。①新しい牧師夫妻との歩みのために。②バプテスマ者が与えられますように。③幼稚園の働きが祝されますように。 牧師・高見龍介、岡村直子、教会主事・山本 弘夫
6/15 ローマ書14章1-12節 「自分の確信を人に押し付けない」
ここでの「信仰の弱い人」というのはむしろ我々から見れば「信仰が強いね」と思うような人々のこと。例えば菜食主義の人。思いが強ければ強いほど、菜食主義者はそうでない人を馬鹿にし、一方は菜食主義者を「迷信者」と裁くのです。自分が一生懸命になるほど自分は立派と思い、人に勧めたがります。
いずれにせよ、どちらの人も主の御心に生きようとして決断しているわけで、それは個々と神との関係性です。自分がすることが正しいので皆がすべきというのはお節介な神様みたい。七節の言葉は解り難いですが、何を食べようとも命は主のもの。「私たちには、自分の生死をかってに決める権利はなく。生きるにしろ死ぬにしろ、主に従う」ことが大事なのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 経堂バプテスト教会。世田谷区桜1-64-30にあります。祈りの課題は以下です。①地域に根差した伝道のために。②高齢者の健康が守られますように。③新来者が与えられますように。 牧師・藤原 靖彦
6/14 Ⅰテサロニケ2章1-13節 「今日は"花の日”です」
共感をもって読む今日の箇所。牧師とは「親のようであり、子のようであり、弟妹のようであり、友であり、仲間であり、教師であり、下働きする者であり…」と思います。
パウロも7節で「幼子、母のように大事に育てる」、11節には「父親のように」と語ります。そして何か誉を求めるのではなく、一人ひとりが健康(肉体的より以上に心)であり、喜び生きることが自らの喜びなのです。そして、特にバプテスト教会では、教会をつくる者が互いにいたわり、愛し、育て合うのです。6月第2日曜、教会では「花の日」です。教会の子どもたちが自分達を支えてくれる社会の方々や病気等にある方々を覚え、花を渡し感謝する日。互いを感謝する日にしたいですね。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 多摩川キリスト教会。東京都狛江市岩戸南4-2-5にあります。狛江市はまだ行ったことのない地域です。なお、この教会は連盟国外伝道インドネシア派遣宣教師である野口日宇満・野口佳奈宣教師の支援窓口教会です。祈りの課題は以下。①教会が祈りの家となるように。②魂の救い、霊肉ともなる癒しと回復、世界宣教。③信仰継承。牧師・末盛桜子、宣教師補・久米
麗
6/13 エフェソ書1章15-23節 「心の目が開かれる時」
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」とは「星の王子様」でのキツネの言葉。それよりずっと前にパウロは「心の目」で見ることを教えております。表面的に見れば、自らは弱く、愚かな、限界ばかりの姿です。でも、このような者に「希望、絶大な力、受け継ぐべき財産」が与えられるし、その主の力に囲まれています。パウロはそのことを祈り、また、私も共に祈ります。
そして「教会」にも言及いたします。教会(建物ではなく信徒の集いであり、キリストにつながる体を構成する)は、すべてにおいてすべてを満たしている、別訳では「すべてを造り、すべてを満たすキリストの霊が満ちている」。ゆえに、おじけず、恐れず、今日を歩もう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 川崎バプテスト教会。川崎市中原区新城5-9-27にあります。ずいぶん昔になりますが、連盟教会音楽研修会の会場となり、私も講師の一人として参加させていただきました。駅にも近く、新しい礼拝堂もできました。その時、私とT先生で担当したクラスの写真が見つかりましたが、その中の数名は今、牧師さんになっております。祈りの課題は以下です。①牧師招聘のために。②新しい教会形成のために。③一人ひとりが賜物を生かす働きへ。現在は無牧師ですが、20年度内には新しい牧師が招聘されるのではないかと思っております。
6/12 Ⅱコリント12章11-158節 「真面目にやっているのに」
「私は愚か者と言われている」と語ります。原因は何と「あなたたちに経済的負担をかけなかった」と語ります。意外ですね。でも時々こういうことがあるのです。教会というのは会費が決まっているわけでもなく、不当な取り立てもせず、会計は明朗。とても真面目なのです。ところが人は不思議なもので、高価な方(高額な献金や寄付金が要求される)がより真実だと感じるのですね。広い土地や立派な施設を持つ宗教団体は怪しいと思うのですけど。宗教団体は営利目的ではなく、あなたが幸いになることであり、お金で人を計る場所ではありません。自分で言うのもなんですが、教会は超良心的です!人を騙す教会はキリスト教会ではありません。真実を見てください。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 百合丘バプテスト教会。川崎市麻生区百合丘1-12にあります。この教会の牧師はあまり知らないのですが、教会員で知っている方が数名おられます。昨年所沢教会においでいただいた伊藤真知子先生。現在、がん治療をしながら力強い讃美歌を歌われます。その讃美歌は心に迫ります。コロナの期間も励ましの讃美歌を配信してくださいました。N・Eさんは若い時代、所沢教会でお過ごしになりました。独学ということですが、とても素敵にピアノやオルガンを弾いてくださいます。祈りの課題は以下です。①国内外の教会等との協力伝道。②新百合丘伝道と
教会員の健康。③めぐみ幼稚園のために。牧師・川井 信雄、協力牧師・宇野 雄司、牧会主事・宇野 澄江、音楽主事・宮原 淑子
6/11 Ⅱコリント11章1-11節 「異論にさらされつつ」
コリント教会の一部の人とパウロとの関係が崩れています。扇動者がいて、人々の中の「ある心」に火をつけるのです。誰でも完全な信頼を持ち得ないし、悪い噂に引き付けられるのが人間。パウロはあなたたちのことを我慢していると反論しますが、人々はパウロを愚か、キリストの直弟子ではない、話し方が下手、金を要求しないのは偽物だからであり、タダより高いものはないと言われます。自分がどう言われようとも、一番の問題は福音が違った形で理解されているということです。その問題点はここだけではわかりませんがキリスト者も律法を守れというユダヤ主義者、キリストの神性を否定し、死を否定するグノーシス主義者。キリスト教会は様々な異論や批判ににさらされつつも今まで続いてきています。異論や批判は真実を明らかにするために必要ですし、真実のみが残ります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 横浜ニューライフバプテスト教会。横浜市都筑区茅ケ崎南3-18-39にあります。祈りの課題は以下です。①今年度テーマ「伝道の年」家族・隣人のバプテスマを。②スタッフ招聘。③イスラエルの祝福と国々の救い。牧師・田坂元彦
6/10 Ⅱコリント2章14-17節 「キリストのフレグランス」
キリストの香りを放つ。キリストのフレグランス。「香り」で思い出すことがありますね。それは時に「夕立ちの埃くさい臭い」、あるいは「ある人を思い出す香水」「線香の香りで思い出す葬儀」「干した布団の太陽の臭い」「汗臭い青春の臭い」など。
「香り」は目に見えません。外目には変わらないように見えますが、その香りが教えてくれるのです。キリストの香りとはどんな臭いなのでしょうか。その人に会い、話をすればキリストの言葉を思い出すような、教会を思い出すような、大事なことに改めて触れたような、そのような香りでしょうか。偽物の香りもあったようです。香りに騙されてしまうのでしょう。私共は真のキリストの香りを放つことができたらいいですね。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 横浜JOYバプテスト教会。横浜市旭区善部町100-6にあります。多くの牧師等を送り出している教会です。英語が名前に入っていて若い人が多いのだと予測しますが、高齢の方も多いのでご安心ください。祈りの課題は以下です。①み言葉と祈りの生活が守られるように。②礼拝、祈り会の祝福。③地域への伝道のため。牧師・坂西
恵悟、派遣牧師・石田 政美
6/9 ヨハネ福音書8章31-47節 「自由に生きる難しさ」
主イエスは「真理はあなたがたを自由にする」と語ります。真理とはまず主イエスのことです。ところが周りにいた人々は「何をいまさら、私たちは自由だ」と語る。それに対して主イエスは「み言葉」に心開かない人は実は不自由な人間であると語ります。
自由でない人間、それはイエスを信じていると言いつつ、主イエスより自分の方が真理を得ていると思い込み、そこから離れられない人間なのです。そして、真理を見極められない者は結果的に主イエスを追い出し、殺すのです。真の自由とは主イエスの言葉を受け止めること。それは自分の過ちや考えを改めなくてはいけないのです。「信じる者」に「本当か」、と突きつけるこの箇所は厳しいですね。誰もが揺らぎます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 青葉キリスト教会。横浜市青葉区しらとり台19-7にあります。1990年に開始された比較的新しい教会です。讃美歌などが豊かにされている教会と聞いたことがあります。祈りの課題は以下です。①教会の信仰告白を継続して学ぶ。②個々人がイエス様につながる。③次世代を育て、共に宣教を担う。牧師・三宅 真嗣、三宅 友子
6/8 イザヤ書40章6-11節「主の言葉はとこしえに」
「主の風」という表現は単なる風ではなく、世界と歴史に吹き、動かすような風という意味であり、測りがたい力をここで言います。コロナウイルスや世界征服を企む風もそうでしょう。人間の征服者達は、人間の力と富が永続的であるという幻想の下に帝国を築きます。 一方ですべてを無に帰してしまう主の風は時に救いとして作用いたします。「肉なるものは皆、草に等しい」という告知は、地位と力の差異のすべてを取り除いてしまいます。すべての人間は「草」として等しい立脚点にいるのです。草は枯れ、花はしぼむ、永続的なものはない、しかし、その一時を用い心安らぐ世界をつくることも可能。草のような人間は神の言葉を聞くことへと招かれています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 横浜大和町キリスト教会。現在、固定した集会場所がありません。行ってみたい方は電話090-4829-6692にお電話してください。祈りの課題は①礼拝場所が引き続き与えられるように。②近隣の方々がみ言葉を聞きに来られるように。牧師・鉄井
三千夫
6/7 Ⅰテサロニケ1章1-10節
さて、今日から礼拝が再開されます。今、ホームページビルダーを使っておりまして、やっぱり、ワードプレスにしようかなぁと考えてはいるのですが、一つのサイトを立ち上げるのはなかなか時間がかかります。ビルダーは「予約投稿」ができないのが残念。なので、数日先までアップすることになります。上記は「聖書教育」による聖書箇所ですが、礼拝では違う箇所を扱います。第一礼拝を中継する予定です。時代は進んだものですが、いまだに人種差別や暴力での威嚇が進む世界はどうして変わらないのでしょう。いや、ゆえに変えていきたいですね。コロナ後の世界は「連帯」でありたいし、そう祈っていきます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 横浜戸塚バプテスト教会。横浜市戸塚区矢部町251にあります。この教会の堀野牧師を紹介できるのは嬉しいですね。連盟少年少女大会では彼が高3のとき、見事に司会をしておられました。関西学院大学神学部で学んでおられる時、同じく関西にいましたので、交流をいただきました。ミッションスクールで「聖書」も教えておられましたし本当にしっかりした青年であり、大人でした。すてきな伴侶にも恵まれ、これからもとても楽しみにしております!ただ祈りの課題の「終末を生きる」という言葉は気になりました。45文字なので言い尽くせないのは確かですし、確かに「終末」に向かって生きるし、今の時代に対する緊張と責任感はわかりますが、この言葉だけだと「脅す」言葉として理解される可能性がありますね。この「祈りの課題」は先も述べたように45文字という制約があるにも関わらず「あれっ」という思うことがよくあります。それで心配したりすることもあるおじさんです。祈りの課題は以下です。①終末を生きる全世界の教会のために。②戸塚駅東側での宣教が実を結ぶように。③求道者がバプテスマに導かれますように。牧師:堀野浩嗣
6/6 フィリピ3章12-21節
今日は私の誕生日♡所沢にきて8年目に入っておりますが、あれから7歳も年をとったと思うとびっくり。でも所沢教会の方々は7年前と変わらずお元気にされている方が大勢います。するべきこと、したいこと、たくさんあっての日々です。すばらしい所沢教会の方々と共に喜び楽しく仕事をさせていただけるのは何という恵みでしょう。コロナ太りで、同居のリリさんやノエルさんからは散歩につれていってあげると言われるのですが…、つい億劫で。まぁ、がんばります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 鎌倉台伝道所。鎌倉市大船6-9-29 ミズノビル302にあります。この教会の岡坂牧師は建築か設計の仕事をしながら牧師としても働いておられると記憶しております。所沢教会の前の道は「鎌倉街道」なので、ここをずっと歩いていけば鎌倉に行けるのかなぁ、といつかチャレンジすることを夢見ております。でも、本当は前の道を「教会通り」と名付けたいとずっと画策しております。祈りの課題は以下です。①高齢者の健康が守られますように。②集う人に信仰の確信を願い。③キリストにある教会形成を求め。牧師:岡坂建史
6/5 ローマ書13章8-13節
今日はN・Mさんのお誕生日おめでとうございます。高齢で一人暮らしが難しくなり、今は北海道におられます。毎日、ディサービスに通って学んでいるのが楽しいとのことです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 洋光台キリスト教会。横浜市磯区栗木1-22-3にあります。この教会は3度行ったことがあるのです。学生時代にこの教会でコンサート集会があるのですが、マイクスタンドがない、ということで、当時のT教会牧師より「坂本くん、行ってくれないか」というので、マイクスタンドを持って行きました。2度目は特別集会にお招きを受け、天城山荘にいくついでに、立ち寄り、打ち合わせ。そして次は礼拝での宣教等のご奉仕をさせていただきました。若い方々が多い印象で、そのときも若い方々との讃美歌を多くいれた集会でした。みんな元気かな?その後、面白い話があるんだけど、あんまり誰にも言えない話なので、尋ねられたらこっそり教えて差し上げます。現在の牧師は文章が上手で感覚の鋭いすばらしい方です、でもとっても優しい方です。祈りの課題は以下です。①転換期の今、み言葉に養われながら、開かれた教会として地域に根差した歩みができるように。牧師:萩原永子、協力牧師:蛭川明男
6/4 Ⅰコリント17章1-9節
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 港南めぐみキリスト教会。横浜市南区日野南5-33-21にあります。この教会は会堂が新しくなったころ、お伺いしたことがあります。そのころは宮崎にいたので、家の多さと近くを走る1号線(だったっけ)の勢いにくらくらとしました。ご近所の方々みなさん、教会にぜひ行ってください。祈りの課題は以下です。①教会員の高齢化への将来の対応。②新住民が教会に足を運ぶように。③駐車場が整えられるように。牧師:古家良子・古家克務
6/3 使徒言行録17章1-9節
本日はM・Yさんのお誕生日おめでとうございます。いつも遠いところから通ってくださり、多くのお働きを担ってくださっています。コロナが収束して再び教会に来れますように。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 横須賀長沢キリスト教会。横須賀市長沢1-31-1にあります。この教会の真人牧師は私が学生時代に通っていたT教会のとき、まだ小学生で走り回っておりましたが、今は立派に成長され何よりです。ご夫妻は東日本大震災のとき、被災地におられて多くのご苦労をされたことと思います。祈りの課題は以下です。①教会員の信仰と健康のために。②今年度の教会活動が導かれますように。③コロナ感染が終息しますように。牧師:大須賀真人・大須賀綾子
6/2 使徒言行録13章1-3節
本日はT・Nさんのお誕生日おめでとうございます。今は高齢者施設に入所されておりますが、日々の健康が守られますように。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 藤沢バプテスト教会。藤沢市本鵠沼5-10-29にあります。この教会の元祖サカモト幸子牧師は教会教育などが専門で東京バプテスト神学校などで教えておられます。祈りの課題は以下です。①「聖書教育」を中心にCSと礼拝による教会形成。②バプテスマ者が与えられるように。③高齢者・幼子・長期欠席者のために。牧師:坂元幸子
6/1 使徒言行録11章1-18節
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 湘南台バプテスト教会。藤沢市湘南台1-11-8にあります。逗子や湘南や横須賀は私あんまり行ったことないのです。鎌倉あたりにはコロナが終わったら行きたいと願っております。連盟の一部の中では、坂元先生と私を区別するのに、元祖サカモト、本家サカモトと表現される場合があります。知っていたら役立つかもしれません。祈りの課題は以下です。①コロナウイルス収束のために。②エレベーター設置のために。③高齢者の方々のために。牧師:坂元俊郎
5/31「ペンテコステ~いのちの言葉」 使徒言行録2章1~13節
本日はペンテコステ礼拝を覚えております。ペンテコステはクリスマスやイースターと並ぶキリスト教三大祭日のひとつとしてキリスト教の中で伝統的に守られてきました。キリスト教会が世界ではじめて生まれた時です。50年前後の初代教会は5旬祭、ペンテコステ礼拝をすでに特別な日として守っていたことがわかるのです。
ペンテコステはギリシャ語で第50日目を意味します。これは旧約聖書の中では7週の祭りと呼ばれていた祭りに起源を持ちます。 小麦の初穂を主にささげた日から数えて49日、7週が過ぎて穀物の集会を感謝する刈りいれの祭りでした。その後、旧約聖書の歴史の中では。出エジプトの出来事と関連づけけられるようになりました。出エジプトから50日目にイスラエルの民はシナイ山につき、いわゆる十戒を神から授けられたという日になります。その意味ではペンテコステは神の言葉が与えられた日、それが新約において新しく始まったキリスト教会の始まりの日、言葉が与えられてそこに集っていた人々が語りだした、言葉の記念日なのです。
使徒言行録では1章3節以下を見ますと、復活後のイエスが40日にわたってかつての弟子たちにあらわれたこと、そして「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく、聖霊による洗礼を授けられるからである」、また「あなたがたの上に聖霊が降るとあなたがたは力を受ける。そしてエルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土、また地の果てに至るまでわたしの証人となる」という言葉を残して天にあげられ、イエスは人の目には見えなくなったという記述がありますそしてそのあと「彼らは皆、夫人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた」
そして、そのように祈っていた民に聖霊(神の力)がくだるのです。その祈りの内容は聖霊のバプテスマ、自分達の思いや考えをこえて授けられる神の働きを待望する祈りであったと共に、彼らは主イエスの語られた言葉や業、そして十字架上で殺されてしまった、しかしその主を神が復活の命を与えたこと、それらの一連のことを、ひとつひとつ整理し、それぞれが思っていたこと、自分にとってイエス・キリストとはこのような存在であった、主はあのように、人々に関わった方、このような宣教をした方である、そのようなことを話し合いもしたことでしょう。そのような営みを通して、自分の言葉となっていくのです。
主イエス・キリストがもたらせたもの、それに対して私たちはどのように歩んでいったらよいのか、という、まさに自分たちの信じ歩んでいくべきものの指針となる信仰告白が生まれるまでの祈りの期間であったのだと思います。言い方を変えれば、今の教会学校をしていたのです。
ヨハネ福音書でイエスの告別説教でこういう言葉があります。「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊があなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起させてくださる。」とあるように、まさに聖霊がくだること、聖霊のバプテスマというのは、イエスの出来事が、自分の中で受け入れられ、イエスのもたらせた福音を自分の言葉で語りだしてゆくということであり、「信仰の言葉の記念日」なのです。そこに必ず聖霊の働きがあるし、見えない神の姿を、今直接には聞けない主イエスの言葉を、人が受け止めるとしたら、それはまさしく聖霊の働きによるものなのです。
弟子たちはその朝も祈り礼拝をしていました。「一同が一つになって集まっているとき」にシナイ山で起こったことよりはるかに重大な事件が起こったのです。
人々を神の民とする契約の更新、神ご自身に属する民を新たに召し出す出来事です。シナイ山で神の律法、十戒が与えられたとき「雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、角笛の音が鋭く鳴り響いた」「煙は炉の炎のように立ち上り、山全体が激しく震えた」と出エジプト記19章に記されていますが、新約において、新しい約束が与えられるとき「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」のです。
それが祈りの中にあった者たちを揺さぶり、彼らの中に新しい命が生きだし、新しい使命に生きるものとされた、それが神の息吹であり、神の働きでありました。
ここに教会が始まっていくのですが、それは何と響きに満ちていたことでしょう。そして「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
主の霊が与えられ、彼らは「話し出す」のです。それは「神の偉大な業」であります。 この使徒言行録2章では、炎のような舌、とありますが、舌は「ことば」と同じ意味です。ですから人々の口に火があった、炎を吹いたということではなく、いきいきとした有様が伝えられているのです。そして火は神の臨在の印ですから、何より神の業を、あかしを語りだしたといえるでしょう。それも、世界中のさまざまな言葉でそのあかしが、宣教がなされたのです。
新しい約束、新しい言葉、それは言語と民族の境界を超え、全地の民に向かって喜びの訪れをのべ伝えるものでした。この日を境に以後、将来にわたって、かつては弱く、自分の命を守るのに精一杯だった弟子たち、けれども主を裏切り、逃げていった弟子たちが「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」と聞く人の心にしみわたる言葉で語りだしたのでした。
神のことば、救いの言葉、命のことば、イエスの言葉を語りだす群れ、全世界へと伝道していく群れ、神の言葉をあずかる教会がここに誕生したのでした。
2節では「突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」。風は聖霊の働きをいいかえたものです。また神の息吹、神の息とも呼ばれます。その風は創世記に「主なる神は土の塵で人を形づくり、その鼻に息を吹きいれられた。人はこうして生きる者となった」とあるように、人が神の息、神の息吹によってその日新しく生まれたもの、新しい命に生きるものとなる、まさしく聖霊のバプテスマです。
聖霊は私たちを動かす風です。聖霊はわたしたちに言葉を与え、他者と語り合ってゆく力を与えてくださいます。
思いを分かち合い、心通わせるための言葉が、人を殺す武器となることが起こっています。言葉が通い合わない時代です。言葉が相手を喜ばせ、励ますものではなく、相手を脅したり、相手をバカにしたり、差別し、憎しみのことばがあまりにもこの世界に満ちており、相手が何を言おうとしているのか真剣に聞かない、共感されるかと思えば、否定され、同じ思いにたつことができない、その戸惑いを自分自身も常に感じる者です。でも、それが良い状況でないのは確かです。
ゆえに思いを相互に開いた心で受け止め合う言葉がほしい、イエスの語った言葉を、和解の言葉を、いのちを受け、いのちを与えることばを告げる教会に導かれることをペンテコステに願うのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟引退教役者の方々を覚えて。野村義雄氏(神奈川県在住)、浜崎英一氏(大阪府在住)
5/30 「聖霊の力③」 Ⅰコリント2章6-18節
10節からパウロは「霊」の働きについて述べています。「霊」はいわゆる三位一体の「父・子・聖霊」の「霊」です。この「霊」というのがなかなか解りづらいことがあります。どうしても「霊」といえば、「幽霊」のようなイメージを持つからでしょう。
聖霊である神、それ自身が「位格」(ペルソナ)の一つでありますが、その働きこそ特筆されるものです。聖霊は「神の息」、「神の風」の意味であり、例えば、笛に息が注がれる時に、その音を響かせるように、神の命の息が人間に吹きこまれるのがペンテコステであり、人間の生きる根源であり(創世記)、聖霊は「イエスは主である」という信仰告白を人間に与え、人間はその見えない風に動かされ、歩み出す力が与えられます。明日、5月31日は2020年のペンテコステですが、隠れ、閉ざされていた弟子たちが、世界に向かって、意味不明の言葉ではなく、和解の言葉、赦しの言葉を国や民族の違いを超えて語りだした日がペンテコステです。
その日からキリスト教会はイエス・キリストの言葉を大事にし、言葉を生きる教会としての歩みが始 まりました。聖霊は、主イエスの言葉を想起させ、我らと共にうめき、伴い、万事を益となるように共に働く方であり、その命に私共も生かされ、教会をたてていくのです。
私は常々「讃美歌」の働きの一つに「教育的側面」があることを言っております。讃美歌は告白であり、応答ですが、その言葉の中で「神はどのような方なのか」「教会とは」「クリスマスとは」、きりがありませんが、そのような教会が共有する信仰告白を歌うことによって教えるという面があるのです。
では「新生讃美歌」(日本バプテスト連盟発行)から、聖霊に関して教えている言葉を見てみましょう。
「聖霊は、救いの業を証しして、暗きに住む人々に告げ知らせる力」「迷い、もがく我らを助ける聖霊」「聖霊はわが弱き魂を主のもとに導く」「かたくなな私の心をひらき、主の御心を告げ知らせる」「幻を与え、知恵を与える聖霊」「倒れしものには安らぎを与えて、いやす方」「わが渇きをいやす、砂漠の泉」「弱き身を強くなし、愛に歩ませてくださる」「われを砕き、われを満たす聖霊」等です。
しかし、以上がすべてでもありません。より聖書の証言に近づくためには、まだ「新しい歌」が必要なテーマでありましょう。例えばガラテヤの信徒の手紙5章の「霊の結ぶ実(フルーツ)は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。」等の言葉をあなた自身の言葉で表現していくこと、そこに讃美歌が新しく生まれる可能性があります。また、聖霊は時に個人的な所有物のように考えられてきますが、よりダイナミックな教会をうみだし、語りだし、奉仕へと向かう力にも目を向けていきたいものです。
今日の箇所をもう一度見直してみましょう。聖霊の働きはここで、「神の深みのきわみを教え、判断させるもの」とあります。この世にあって、私どもは「神の真の知恵」を求めていきたいものです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟医療団。京都市で「総合病院 日本バプテスト病院」「バプテスト老人保健施設」「バプテスト居宅介護支援事業所」「バプテスト訪問開度ステーション しおん」を運営しております。祈りの課題は①隣人愛も基づく医療実践のために。②地域に提供する医療・看護・介護・福祉の質の向上のため。理事長:尼川龍一、牧師・チャプレン:宮川裕美子
5/29「聖霊の力 2」 Ⅰコリント2章6-18節③
当教会では先週から個人での礼拝や家族での礼拝に用いられたらよいと思う「礼拝ビデオ」配信を始めています。とにかく初めてのことですし、自分の姿や言葉を見聞きすることは自己嫌悪になります。「恥は我がもの、栄光は主のもの」と常に考えておりますが、イエスさまごめんなさい、という感じ。
31日配信分は、金曜に宣教と、ピアノを弾いてくださる方がこの日は大丈夫ということで、録画を予定しております。「教会通信」も発行しております。
昨日は泉町町内会の総会資料を印刷しました(この文書を書いているのは木曜午前中です)。560世帯、両面10枚プラス片面1枚、約6千枚を印刷。我らの泉町自治会長である藤澤氏も町会総会に向けて頑張ってくださいますが、資料の半分くらいはデータを持っていることもあり私が作成しております。と、やったことをアピールしました。泉町に立つ教会と町内会との良い関係の継続は、必ず良い地域とのつながりを生み出していくと考えております。そんな折、宮崎県西都市の信仰の仲間からスイートコーンが届きました。感謝です!
私が「古墳好き」であることをある時、当教会で宣教をされた高崎教会の森牧師に暴露されました、プンプン!そーいえば今、品川教会の牧師をしている臨在牧師には一緒に遊んだ積み木の話も暴露されたりしました。
「古墳好き」になったのは、宮崎にいたころ、宮崎県西都市は古墳がいたるところにあり、そこで学んだことが基礎になっております。所沢教会の方は坂本が教会境内地に「前方後円墳」をつくるのではないかと心配されている向きもありますが、まぁ、つくるなら「円墳」くらいかな。でも教会だからといって、敷地内に墓をつくるのは、いろいろな規制があり、難しいのです。お寺や教会で敷地内に墓地を持っているのは、昭和20年代にすでに墓を持っていたところだけです(あるいはよっぽど広い敷地がある)。
またつらつらと余計なことを書いてしまいました。
昨日、パウロの人間観として三種類の人間を想定されているという田川先生の言葉をお示ししました。パウロ先生がこう言っているからと真似はしなくてよいのですが、人間は人との関わりの中で、いくつかの類型を持ち、対応を考えるのが常です。たとえば「お願いすれば、思いをくみ取ってきちんとする」「返事はよいけど、あとはあまりやらない」「考えが昭和的な発想」「だいたい聞いても忘れる人」「他の人に責任転嫁する人」、これら例はそのような傾向があるということでしょうし、そう考えることがある面で「人間関係形成力」にもなります。
そのような中で、教会という交わりの中で、亡き父がよく言っていたのが「霊を見分けよ」ということでした。「霊を見分ける」こと、それはある人が話したり、提案したり、相談される時、その根源の思いがどこにあるのか。教会をたてる思いか、自分の立場を守るためか、誰かを非難したいためか、本当に伝えたい事柄は何なのか、その「言葉」の根底にある思いを知ろうとすること。教会という関わりの中では、その思いが「主イエスはそれに賛同されるだろうか」ということを考えつつ、キリストの栄光をたたえるために、キリストの光をいただいてる教会の働きはどのようなものがふさわしく、主を賛美することかと常に考えることが大事です。
そして、教会、特にバプテスト教会は、ひとりひとりの意見を大事にしますし、どの働きも教会の祈りと承認があってできるものです。個人的な奉仕は感謝して受け止めること、ただし、費用の発生が伴うものや、大きな変更は執事会で考え、判断してゆくことになります。それぞれの違いや、能力や、強さ弱さ、性格、それらを否定や、拒否するのではなく、互いに慈しみ、愛して、協力して。そして、願いはキリストの教会をたてていくこと、宣教すること、互いに喜び、育ち合っていくことなのです。今日はH・Kさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟派遣 国際ミッション・ボランティア(IMV)佐々木和之氏のルワンダでの活動を覚えて。祈りの課題は①主にある平和と和解の働きが絶えることなく続けられるように。②アフリカで新型コロナウイルスの被害が拡大しないように。
連盟 アジア・ミッション・コーディネーター(AMC)伊藤世里江牧師のシンガポールでの働きのため。祈りの課題は①コロナウイルスを恐れ過ぎず、日常生活を大切にしていけるように。③多言語での礼拝の祝福。伊藤氏はバプテスト シンガポール日本語教会牧師をされています。
5/28「聖霊の力 1」Ⅰコリント2章6-18節②
人間に真の「知恵」があったならイエス・キリストを十字架につけなかった。愚かな人間の知恵は人を殺して自分が生きようとした、自分が生きるために人(ここではキリストのことですが)を殺す、それは決して「殺人事件」に至らずとも、人間は心の中で人を殺していることがどれほどあるでしょう。でも、自分が邪魔だ、うるさい、目障り…そのようにして心の中で殺しても、その人自身がそれで幸せになるかといえば決してそうではありません。主イエスを殺すこともそうでありました。また、私どももイエス・キリストを心の中で殺しているのかもしれません。
9節の括弧内の言葉、それはイザヤ書52章15節、64章3節、65章17節の言葉をパウロなりに表現した言葉です。何度も言うように、パウロは旧約聖書七十人訳を持ち歩いていたわけではありません。記憶を頼りに語っているのです。しかし、パウロの中には確固として、旧約の預言が現実にイエス・キリストとしてあらわされたとの思いがありますし、それは私自身も同感いたします。
十字架上で人間に殺される神!それは人間の思いを遥かに超えたものでした。人間がつくる神ならば、決してそのような神にはしないでしょう。なお、この括弧内の引用について、青野先生は「イザヤ52章15節、64章3節などの反映があると思われるが、グノーシス主義者たちが用いていた二世紀のトマス福音書の語録17に類似の文言があるために、パウロの論敵たちが用いていた文書からの引用の可能性もあろう」としております。私としては時間の違いもあり、むしろパウロの言葉が逆い意味を違えて用いられたと感じます。ちなみに田川先生はと思って調べると、おう、私と同じような見解でした(ただし、田川先生は様々な書物を実際に調べているので、私の水準とは異なりますが)。
先にもう一箇所出てくる16節の括弧の言葉。青野先生の訳では「だれが主の思いを知り、主を教えるというのか」。この言葉はイザヤ書40章13節(七十人訳)の引用です。人間は教えられなくても神の霊のみが伝えるという内容です。
今日はさらにもう一点を途中まで扱いましょう。14節の「自然の人」、田川先生の説明を借りれば、「直訳は単に『生命的な人』。つまり「生まれながらの人」(口語訳)、新共同訳の『自然の人』も良い訳。パウロの人間論は、おおざっぱに言えば三種類あって、肉的な人、自然的生命の人、霊的な人である。『肉的な人』は、パウロにとっては否定的な、良くないあり方をしている人間、『肉』という原理によって支配されている人間である。その反対が『霊的な人』。それに対し『自然的生命の人』は、どちらかというと中立的であって、単に生まれてそのままの、自然的生命を生きているだけの人間。」としております。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟「回転資金委員会」。連盟の回転資金は教会の土地取得や会堂建築等の際して低利で貸し付けるものです。教会や寺社、学校等は銀行からお金を借りるのが大変難しいのです。土地等が駅近くの一等地にあっても、担保にならない。以前、理由として聞いたのは教会やお寺等が支払い出来なくなった時には土地等を取り上げると、世間から銀行が文句言われるとのことでしたが、どうなんでしょうか?そのようなこともあり、連盟内部で資金を持ち、貸付を行う制度があることは大変評価すべきことで、日本バプテスト連盟のすばらしい点のひとつです。他にも、連盟は神学生への奨学金が充実している点、みんなが心合わせて運営をになっていること、みんながとてもこのつながりを愛し、大事にしていることは、いつも嬉しく感じています。さて、この委員会の祈りの課題は、①必要を満たせる資金であるように。②老朽化の備えの一助となりますように。③教会等の祈りで歩む委員会活動に。委員長:二見眞義(浦和教会員)
5/27「真実を求めて」 Ⅰコリント2章6-18①
2章のはじめでは「知恵」で語ることができなかった、1章では「世は自分の知恵で神を知ることはできなかった」「神の知恵であるキリスト」と、「知恵」という言葉はその時々において、文脈で判断する必要があります。
今日の6節で「わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります」とあります。ここでの「知恵」は後の「神秘としての神の知恵」と展開されていますが、青野先生は。「信仰に成熟した人たち」を「完全な者たち」と訳し、注釈として「この言い方うぃ、パウロは何の留保もなしにではなく、むしろある種の批判をこめてしている」と言います。ところが対して田川健三先生は「(たとえば岩波訳など…パウロを護教しているのか、自分の陳腐な『信仰』をパウロの中に読みたがっているのか、どちらかわからないが)にとっては、自分たちの気に入らない『グノーシス的』な用語を聖者パウロが用いるなどあってはならないことなのだ…」と批判しております。田川先生は「完全な人」の言葉の規定をコンツェルマンの「信者の中のより高い水準の者」という説に賛同しています。キリストの真理を知っているような顔をして知らないコリント教会の人々への批判的な言葉か、あるいはちゃんと解っている人にはちゃんと語るのだ、とするのかということになります。私は田川先生に賛成するかな。
そしてパウロは、「隠された神の知恵としてのキリスト」、それは世界創造の前から定められていた知恵である、と。このことは例えば、ヨハネ福音書の冒頭等で「ロゴスキリスト論」で見ることができますし、探せば福音書の中にあったと記憶しております。そして、特に世界が始まる前から定められた、という文章はキリストの神性を否定する人々の存在があったと思います。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> バプテスト北関東地方連合。日本バプテスト連盟に加盟している教会・伝道所で北関東(埼玉、群馬、栃木、茨城、新潟)地域でのつながりとして連合を形成しています。当教会もこの北関東地方連合に加盟しております、21教会の連携は密で、牧師・主事研修会にもほとんどの教会・伝道所から出席されて共に学んだり、情報交換をしております。先週土曜は連合役員・委員長会がウェブ会議で行われました。20年度は多くの活動ができませんが、この機会にそれぞれの教会がウェブ会議で参加できるシステムをつくることなどが決まり、諸教会に通知し、承認を得て進める方向です。祈りの課題は以下です。①新たに連合会長に選任された森淳一会長を筆頭とした連合新体制と連合諸教会の連帯及び協働を覚えて。会長:森淳一(高崎教会牧師)
5/26「貧しき言葉が主の言葉に」 Ⅰコリント2章1-5節③
昨日、パウロの最初のコリント訪問と宣教開始にあたって、衰弱と恐れとおののきがあったことを学びました。だからと言って、コリントにやってきてその働きをしないわけにはいきません。パウロは語ります。「わたしの言葉も、わたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。
つまり、人間的な説得しようとする努力や、巧みな話術、人を感動させようとする工夫、それらを用いる力やそのように準備する力はパウロにはまったくなかったのです。パウロはただ、自分が見て、聞いて、今、支えとなっているその福音を何の装飾も余計な言い回しもなく、語ることできなかったのです。
それはパウロ自身にとっては「失敗」「準備不足」と思われ、きっとパウロは自己卑下にも陥ったことでしょう。そのような体験を師や伝道者は何度も重ねざるを得ません。
このような話を思い起こします。ある牧師が病気で休職し、しばし故郷の教会に行きました。そこで彼にはもう一つの祈りがあり、彼の兄弟を誘って、キリストの福音を知ってほしいと願っていたのです。ところが、故郷の教会はちょうど、専任の牧師はなく、ある老引退牧師が宣教にあたっていました。その内容は毎週、毎週、イエス・キリストの十字架と贖いを語るものであり、「こんな話で私の兄はさっぱりわからないだろう、もっと鼓舞され、わかりやすい話をしてほしいものだ」と休職中の牧師は思ったそうです。ところが、約一か月後、その兄は深い感動をもって、強い気持ちをもって、イエス・キリストを信じていく信仰を与えられたのです。休職中の牧師は自分の傲慢を示されたと言っていました。
別の話ですが、ある時、牧師仲間数名で「あの先生の宣教は…」という話になりました。そういう話題は牧師仲間では割と盛り上がるのです。その話をしていた中で、ある牧師がつぶやいたのです。「私は何が良い説教とか、何が悪い説教か、とか、そんな判断はもうやめたのです」と。もちろん、み言葉を語っていない説教というのではなく、みな、真剣にみ言葉を追い求める説教であるのは当然であり、その信頼は前提ですが。でも私どもはハッとしました。
人間の限りある言葉である「宣教」を主の言葉とならしめるのは、聖霊の働きでしかありません。もちろんすべての人が「良い」と感じる説教はないかもしれません。でも聖霊が働き、その言葉が、ある人の心に深く届くこともたくさんあるのです。牧師は落語家ではありません。言葉を真実に主の言葉としてくださるのが聖霊であり、さらに、もう一つは教会の祈りであります。牧師のために、求道している方のために、また教会員のための祈りがなくてはみ言葉は実を結ばないのです。聖霊と宣教と祈りが結ばれることが大事なのです。
パウロもそうでした。力ないと思う言葉でありましたが、そこに聖霊が働き、神の力が働き、まさに「主の言葉」としてコリントに集った人々に響いたのでした。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 逗子第一バプテスト教会。神奈川県逗子市逗子3-3-13にあります。昨年度から杉野牧師が就任しております。杉野牧師は神学生時代、私が牧師としておりました福岡有田教会の祈祷会に参加してくださいました。日曜は遠くの教会で学んでおりましたで、水曜は当教会で共に祈った方です。元々は中学校の教師をしておりましたが、50歳位で辞められて牧師になる思いが与えられて神学校に入学したのでした。もう長い信徒生活もありましたし、ある意味、面白いみはあまりないけど、それ以上に堅実でとても安心な神学生でした。前任の平塚教会でも良い働きをされたと思いますし、多くの苦労もされながら歩み、その経験を今の教会でいかされていると思います。祈りの課題は以下です。①「礼拝~集中と拡散~」②高齢者の信仰と健康に祝福を。③教会組織70周年、感謝。牧師:杉野省治
5/25「恐れとおののき」 Ⅰコリント2章1~5節②
パウロが最初にコリントにやってきた時のことを振り返っています。「衰弱していて、恐れにとりつかれ、ひどく不安でした」と。「衰弱していた」はガラテヤの信徒の手紙4章13節にあるように、病気であったのです。その後、マケドニア経由でコリントに来たのですが、その後遺症を引きづっていたのです。
パウロはその書簡の内容から、いくつもの病があったと推定されています。一つは「眼」の病であり、ある時から視力が大変におちてきたのです。また「偏頭痛」がありました。それが襲ってくると、もういても立ってもいられない程でした。パウロが自分に与えられた「肉体の棘」という言葉を用いておりますが、棘に刺されるような頭痛があったのです。今日の箇所にある病ははっきりはしないのですが、各地を旅行するということは、それぞれの地域での風土病や感染症、まさにコロナ感染のようなものだったのでしょう。その病を引きづってコリントにやってきた、その肉体的な病が衰弱を与えておりました。
「恐れ」と「不安」(青野先生は「おののき」と訳す)。「恐れとおののき」はパウロは他の箇所でも用いておりますし、それは私もまったく同じですし、多くの同労者も同じだと思います。
牧師がみ言葉を取り次ぐとき、それは、何より、自分の経験や体験を語ることではなく、「み言葉」つまり、神さまの言葉を人々に知らせる、ある意味、「翻訳」することになります。自分が聖書から聞いたこと、そして、大事なこととして語る時、まず、誤りを語ってはならないので、調べます。翻訳をみて、疑問が起こるときもたくさんありますので、その折はギリシャ語原文にさかのぼる必要もあります。それから、この箇所についてのさまざまな解釈を知る必要もあります。この時はいわゆる「註解書」をいくつか読みます。それから、文脈や当時の世界や、そこで語っている時の生活の座はどのようなものだったのか、と考えていきます。
バルトという神学者は「右手に聖書、左手に新聞をもって語れ」というようなことを言っております。そのみ言葉が、現在の現実の中でどのように語ろうとしているのか、それを求める時は、一つは社会情勢があり、もうひとつは、教会で出会う教会員や求道者している方、それらの言葉や祈り、相談されたこと、そのようなことをつなげながら、次第に大きな塊ができてきます。それを「発酵」させる時間が必要になります。ぶくぶくと発酵が強いものがでてきます(これはまさにスピリット)。
その発酵過程を1~2晩経て、あとは一気に書き上げるのですが、一気といえども、毎週原稿用紙でいえば10~15枚程度になります。10枚だと語る時間は25分前後、15枚になると40分前後になるので、原稿量で大体語る時間がわかります。
ゆえに礼拝の前に司会者や奏楽者と打ち合わせするときに、「今日はちょっと長くなるので、説教の終わりは12時少し過ぎになるかなー」等と言います。礼拝の終わりが遅くなるのは、「証し」や「アピール」や「特別プログラム」が入ると長くなりますし、もちろん、それを想定して用意するのですが、どうしても延びる時は延びます。
そうして、準備するのですが、さいごのさいごまで不安です。できるものなら逃げ出したいと、常に思っております。直前に言い足りぬところ、展開が悪かったことなど、気になることがでてきます。神さまの言葉を伝えるという重さに打ちのめされそうになります。
自分の教会(ちょっと言い方悪いね、私を招聘し信頼し、たててくださっている教会という言い方が正しいね)では、基本的な信頼関係がありますので、まだよいのです。
ところが、はじめての教会とか、講演会、葬儀などでは、知らない人がほとんど、特に葬儀や講演等では。誰がどのような思想や信仰をもっているのかわからないのです。中には「反キリスト教」のような思いを持っている人がおり、中には他宗教の方もいるでしょうし、中にはキリスト教関係の研究者等もおります。このときはまるで「針のむしろ」に立たされるようですし、何より「言葉が通じるだろうか」とも思います。不安や恐れ、自分の足りなさ、そしてもしかしたらすごく読み間違えをしているのではと不安になるのです。
でも、あとは主に任せるしかありません。自分の足りない、不十分な働き、薄い言葉、でもそのみ言葉の種に命を与えてくださる神さまの働きを信頼していくほかはないのです。終わったらとりあえずほっとします。比べるのには大変申し訳ないのですが、カラヤンという指揮者の弟子として学んでいた人の言葉なのですが、カラヤンはコンサートが終わり、そして、やっとゆっくり食事をするのだそうです。でもその日のコンサートの話はしたくないような雰囲気だったと言います。全力を尽くしてきて、終わった。それは個人的にはいろいろな思いがあるのでしょうが、コンサートが終わったすぐは、もうそんなことはとりあえず忘れたい、今は話題にしたくない、そうしないとゆっくりできないのですね。その本を読みながら「私も同じ」と思いましたが、もちろんカラヤン大先生とは天と地ほど違うので。
教会の皆さんによって祈り支えられ、礼拝の務めもできるのです。ただし、教会の礼拝は牧師の講演会でもなく、説教を聞く会ではなく、礼拝に集った人々が、心合わせ、祈り、讃美歌を歌い、互いの顔や心を確かめ喜び合い、み言葉に耳を傾け、そして、精いっぱいの讃美歌をささげることであり、礼拝を礼拝とするのは、教会をつくるひとりひとりの信仰なのです。人が集うこと、準備された祈りや奏楽、宣教、司会、生花、光、椅子、掃除、受付の対応、挨拶、すべてが合わさって、かみあって、礼拝が行われるのです。
そして、何より教会のメンバーは礼拝にきたお客さんではありません。教会員はみな、礼拝をつくり、礼拝へと人々を招くホストなのです。これは常に言い続けたいことであります。
はい、10時頃から初めたこの作業も、もう11時半。あとはまた明日。おなかもすいたでしょう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 平塚バプテスト教会。神奈川県平塚市豊原町4-5にあります。1947年に始まった歴史ある教会です。戦後に南部バプテスト連盟の支援でたてられたコロニアルスタイルの教会です。ここもまだ行ったことがないの。昨年から就任されている平野牧師は割りと若い先生です。「子ども食堂」等の取り組みをされています。祈りの課題は以下です。①礼拝再考:日々新しい礼拝者に。②子ども食堂:地域と共なる教会。③創立70周年:協力伝道に感謝。
5/24「福音の拡がり」 使徒言行録8章1節後半~8節 「聖書教育」と同じ個所
来週日曜、31日は「ペンテコステ」です。キリスト教の三大祭、「クリスマス」「イースター」「ペンテコステ」です。
「祭」を時々誤解している方がありますが、宗教的な儀式を「祭」と言うのです。「祭日」という言い方がありますが、日本の「祭日」は明治以降の国家神道の儀式に沿って、その精神を受け継ぐようにと定められたものが、戦後に残ったり、復活しております。ゆえに、「祝日」という言い方がふさわしいものです。
それはさておき、ペンテコステは「聖霊降臨日」と言われ、主イエスが復活し、その50日目(7×7=49、の翌日)に、聖霊が注がれ、キリストの福音を弟子たちがこの世界に向けて語りだしたという「教会の誕生日」であり、また「言葉の記念日」です。
今日の箇所は、教会がエルサレムで生まれた後の話ですが、元々、イエス・キリストは政治によって処刑された人です。その弟子たちも当然危険視されますし、そこで、教会の中には安定のために政治にすり寄る力と対抗する力(対抗文化として)があったようです。
今日の箇所にも「迫害」という言葉がありますが、主イエスの処刑に対して、民衆の力も影響したように、政治の方向性と共に、民衆の中で不法に、また不満のはけ口として、人間が元来持つ、差別的意識により、それら迫害も生まれていきました。そこにすでにユダヤ教と、新たに主イエスによって更新させられた約束との違いや対立も鮮明になってきました。
教会は「迫害」に会い、はじめての殉教者ステファノはまさにリンチ(私刑)されたのです。教会の一部の人々はエルサレムに居続けることができず、各地へと逃げていく、散らされていきます。教会の中でも親政府(=親神殿)に近づく者はエルサレムに残ることができました(もちろん、ただ権力にすがりついたという話でもなく、多くの厳しさもあります)。
そして、主なる神は「散らされた」ことは、「敗北」ではなく、福音が世界に広がってゆく契機とされたのです。そこにすでにユダヤ教の枠ではない、世界に向けられた救いを主イエス・キリストがすでに語っていたゆえであり、まさしく福音の力であります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 座間・バプテストキリスト伝道所。神奈川県座間市入谷東3-42-10にあります。1976年から開始しました。祈りの課題は以下です。①礼拝参加者が増し加えられますように。②礼拝参加者の健康が守られますように。③奏楽者が与えられますように。牧師:内藤玲緒奈
5/23「十字架につけられたままなる主」 Ⅰコリント2章1-5節①
ここでパウロは自身がコリントで伝えた事柄を重ねて伝えています。「兄弟たち」という言葉については10節の箇所を参照。「神の秘められた計画」は青野先生は「神の奥義」、田川先生は「神の秘儀」と訳します。「奥義・秘儀」いずれも「ミューステリオン(ギリシャ語)」という言葉。英語のmystery
ミステリーは、ギリシア語の「ミューステリオン」を語源としており、神の隠された秘密、人智では計り知れないことを指しています。
推理小説やテレビで「ミステリー」といえば、一つの事件が起こり、その真実を探し求める姿にわくわくするものです。そのように、神によって引き起こされた「イエス」という出来事の真実は何だったのか、と探し求めるのが神学であり、私たちにとっての信仰のあり様の一つです。なお、新共同訳での「秘められた計画」の「計画」は余計とは田川先生の指摘であり、まったくそうです。
神のミステリー、それは今までにないような形で示された、そのことは何度もここで語ってきたところです。パウロが「優れた言葉や知恵を用いなかった」というのは、今まででてきた「しるし」「知恵」等であり、イエス・キリストを理解するためには、世の知恵や経験では量ることができない内容であるがゆえです。「神を説明する」試みではなく、パウロが伝えたいのは、この世界を歩み、語り、業を示し、そして、人間によって追いやられ、十字架に張り付けたられた「愚か」(のように見える)神の姿なのです。
そして、パウロは提示いたします。2節「なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです」。「何も知るまい」というのは少しおかしく聞こえますね。「語るまい」なら問題ないのですが。このあと、その時のパウロの精神的・肉体的状況が語られていますが、その自身の弱さの中で、どんな余計な言葉もいらない、ただ、十字架にある主イエスの姿がパウロに力と希望を与えたのです。
まさしく、パウロの中に示された十字架上の主イエスの姿に、まさにパウロ自身が「釘付け」になったのです。パウロがこのことこそ、知るべきこと、そして、語るべきこととつかんだのです。「十字架につけられたキリスト」、この翻訳の問題を青野先生は生涯伝えてきました。ここは「過去形」ではありません。かつて、十字架につけられたことがある、のではありません。」
ここでのギリシャ語は「現在完了形(アオリスト)」、その時の動作が今も続いていることを示します。いや、現実としては、金曜の夕方、主イエスは十字架からおろされています。しかし、主イエスはその苦しみを続けておられる、いや、私どもが見るべき、知るべきは、(私たちと共に苦しむために)今もなお、十字架にかけられたままなるキリストの姿なのです。見るべきは、愚かにも苦しみ給う主イエス…。
明日は一日学びはお休みにして、この続きはまた月曜でも。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト相模中央キリスト教会。神奈川県東大和市中央林間4-24-6にあります。パイプオルガンが設置されている教会です。昔、古い会堂の時、訪れたことがあります。その日も会堂はいっぱいでしたが、今も多くの方々が集っていらっしゃいます。この教会の吉田牧師は、九州は、久留米のご出身。ご兄妹のことも語りたいのですが、個人情報に触れるといけないのでやめときます。とっても真面目で常に真剣で思いやりのある素晴らしい牧師であることは間違いありません。現在は連盟の副理事長として大きな働きを担ってくださっています。音楽主事の江原先生は連盟の教会音楽室室長としても多大なお働きをなさっています。私が大学生の頃、天城山荘でずっと行われたいた「連盟音楽研修会」ではじめてお出会いして、西南の神学生の時には福岡まで遊びにきてくださいました。江原先生は東京学芸大学(音楽・声楽)で学ばれた後、米国での教会音楽の学びをしています。そして、今に至ります(ずいぶんはしょりましたが)伴侶の方は映画を作成しており「ザ・思いやり予算」という映画はぜひ、各地で上映されたらと思います。この前、このご主人が「爬虫類」を飼っていて、逃げた話もお聞きしました。ずいぶんとでかいらしい。さて、この教会の祈りの課題は。①第二次中長期計画の検討と決定のために。②50周年記念誌発行と記念コンサート実施のために。③子どもと共なる礼拝に向けた新しいチャレンジのために。牧師:吉田真司、音楽主事:江原美歌子
5/22「誇る者は、主を誇れ」 Ⅰコリント1章26-31⑥
パウロはこの章の終わりの言葉「誇る者は主を誇れ」。この言葉は旧約聖書エレミヤ書9章22-23節の要約的引用とされます。2千年前、パウロと言えども、旧約聖書を持ち歩いていたわけではありません。大変高価なものですし、量も膨大です。さらに、へブル語をギリシャ語に翻訳していた「七十人訳聖書」なのです。ゆえに、パウロの記憶の中から引き出したものですが、大事な言葉をよく覚えているパウロは実にすばらしいものです。
世界最初の金属活版印刷は15世紀のグーテンベルクによります。1445年までに活版印刷技術を考案し、その機器の実用化に成功して、自ら印刷業・印刷物出版業を創設。金属活字を使った印刷術を発明したことで印刷革命が始まり、それが一般に中世で最も重要な出来事の1つとされています。
活版印刷はルネサンス、宗教改革、科学革命の発展に寄与しましたし、後に「グーテンベルク聖書」と呼ばれる最初の印刷聖書「四十二行聖書」は1455年に完成しました。約180部を印刷し、多くは紙ですが、一部は羊皮紙に印刷されたのです。こうして、技術の推進と共に「聖書」は段々一般の人も読めるようになります。
また1517年にルターは宗教改革を行いますが、ラテン語でしか許されていなかった聖書をドイツ語に訳しました。自国語で聖書を読むことができるようになる、それが目標でした。そして、今は、多くの聖書が様々な翻訳で読むことができます。教会員の中には複数持っていらっしゃる方もおられるでしょうし、私も翻訳の異なる聖書は10種類ほどあります。パソコンやスマホで読む聖書も、録音聖書もあります。そのような豊かな時代であることを感謝したいし、何より、持っているだけではなく、読むことが大事。さらには、聖書を持たない時、持てない時、み言葉を思い出すことができるように、覚えることをしてほしいです。
それはさておき、「誇る者は主を誇れ」。また「栄光は主のもの、恥は我がもの」という言葉も教会で時折聞く言葉です。「自分が何かをなしえた」、「これは自分がやったのだ」と、自分の能力を誇りたくなるようなことがあります。しかし、多くのクリスチャンにとっては、「主の働きに参与すること」がすべての行動の出発点であり、自分の働きによって、すこしでも、主をほめたたえることができたら、それが一番の幸いなのです。
最近召された藤沼昭彦先生。声楽家として、また武蔵野音楽大学の教授もされていたと記憶しています。大宮バプテスト教会員でした。この先生のある講義を聞いたことがあります。藤沼先生は、教壇で、私が讃美歌を歌うなんて、とても恐れ多い、この教壇や講壇の中に隠れて歌いたいと思っている、と語られ、実際に教壇の中に入って少し歌ったのです。その時、とても感動しましたし、忘れ得ぬ思いでした。
「自分が讃美歌を歌ってやっているんだ」「自分はこんなに歌えるのだ」という人がごくたまにいます。もし讃美歌を歌えることができたら、主の恵みを思い、ふさわしくない者がただ許されて歌わさせていただくことでしかないのです。バッハという余りにも偉大な作曲家は楽譜の最後に常に「SDG」と書き入れていました。それは「神にのみ栄光があるように」という意味です。どんな素晴らしい音楽も自分が褒め称えられることではなく、主なる神が褒め称えられ、指し示すことができるように。そうでなければバッハの働きは無なのです。
私どもの小さな業、ほとんどどんなことをしても、取るに足りないものでしかありません。でも、主のための働きが今日、できますようにと祈るのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 綾瀬小園キリスト教会。神奈川県綾瀬市小園南2-18-6にあります。1988年、ある教会の方がご自宅を教会にして始めたと記憶しております。この教会の牧師の名前は「礼」ですが、時々「札」と書かれるとのこと。「岩瀬札」ですね。「礼拝」の「礼」です。では「礼拝」での「礼」はどんな意味かというと、1
社会秩序を保ち、人間関係を円滑に維持するために守るべき、社会生活上の規範。礼儀作法・制度など。「礼にかなったやり方」「礼を失する」「礼を尽くす」2
敬意を表すために頭を下げること。おじぎ。「先生に礼をする」3 謝意を表すこと。また、その言葉。また、謝礼のために贈る金品。「本を借りた礼を言う」「世話になった人に礼をする」4
儀式。「即位の礼」、と辞書にあります。なるほど。礼先生はバプテスト会館で時々、お会いします。とても親しみやすい先生です。お近くの方、ぜひ、この教会をお訪ねください。教会の祈りの課題は①新来者・求道者が与えられますように。②地域に根差す伝道。③み言葉に親しみ祈る教会に。牧師:岩瀬
礼
5/21「義と聖と贖い」 Ⅰコリント1章26-31節⑤
30節の最初の文。直前の「あなた方が選ばれた」の言葉を受けて新共同訳では「神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり」。
ここを岩波訳(青野訳)は、「その神によってこそ、あなたがたはキリスト・イエスのうちに在る者なのである。そのキリストは、わたしたちにとって、神からの知恵、すなわち」と訳します。
田川健三は「あなた方がキリスト・イエスにあるのは、神のおかげである。キリストは神の側から、我々にとっての知恵となった」。田川の注釈として「つまり、我々にとっての知恵と言っても、肉的な知恵(此の世的な尺度、領域での知恵)ではなく、神の側から与えられる知恵。とし、新共同訳を批判し、「新共同訳は『神の側から知恵となった』を縮めて『神の知恵となり』にした。わからないものは縮めてしまえ?」と厳しく批判しています。
続く「義と聖と贖いとなられた」。「義」とはたとえば「神の義」等、多用される言葉であり、私が若い頃はあまりしっくりとしなかった言葉です。
「義」は神との正しい関係性について言う言葉です。「義」は「ただしい」とも読みます。またこの「義」は人間が決められない言葉。「神が義、つまり、神が良い」ということを人は目指しますが、それを判断するのは神だけです。一方で、神はその愛と赦しにおいて、「あなたは生きよ、おまえはおまえでオッケーだよ」と言ってくださるのも、神の義のゆえです。
つまり、私どもが神のためになしえること以上に、神が私どものためになさってくださったゆえに、キリストを通してはじめてつながれた関係性、それを神の義というのですね。
「聖」は以前にも記しましたが、「聖とすること」です。神がご自分のものとして大事にしてくださることが聖とされること。これも人間は決めることはできません。「これは大変優れているものなので、聖なるものです」と人間は決められないし、決めてはなりません。神にとって「聖なるもの」は黄金の立派な燭台とは限らず、子どもが献げた5つのパンと二匹の干魚を聖としてくださるし、神殿でやもめが献げたレプトン銅貨は金額としてはわずかなものですが、主イエスは「この貧しいやもめは誰よりもたくさん入れた」と喜び「聖」としてくださったのです。
「贖い」は、元来は経済用語で「借金や借財を、他の誰かが支払ってくれる」そのことを「贖い」と言いますが、主イエスによって罪が贖われた、人の罪を贖うのは主なる神いしかできない、それを行ってくださったのです。
なお、青野先生は「義」「聖」「贖い」のそれぞれ三つの言葉とつながりは、パウロの独自の表現としてではなく、当時、すでに一つの定型として成立していたと予想しております。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> ふじみキリスト教会。神奈川県平塚市真田4-26-8にあります。現在の牧師である犬塚契先生は、割りと若い頃から知っており、全国小羊会キャンプでは、数年一緒にスタッフをさせていただきました。ある年の小羊会キャンプの時、「おさるさん」の着ぐるみを着て登場したときは、連盟も進歩したなぁと思ったものです。そして、何より、そのぬいぐるみを着たうえでの、軽い動きに、若くてすごいなぁ、と驚嘆したものです(私も着たかったなぁ)。先日、ある印刷物で契先生が写っていたのですが、ずいぶん腹回りも増え、良い言葉では「堂々とした体格」になりまして、時の移ろいを改めて感じました。祈りの課題は以下です。①礼拝者の備えと教会の霊的雰囲気。②地域へのよきインパクトのために。③シャローム子どもの家のはたらき。牧師:犬塚
契、協力牧師:犬塚 修・草島 豊
5/20「石が叫びだす」 Ⅰコリント1章26-31節④
「知恵ある者に恥をかかせるため…力ある者に恥をかかせるため…地位ある者を無力な者とするため」という言葉について、数日前、わざわざ比較しなくとも、と記しましたが、これらの言葉は、神がこの世界に関わるときに、その秩序が変わる、人間の順位づけや、それまでの常識と思われていた世界が、新たにされるという、希望は旧約の時代から語られてきた内容であることを合わせて語ります。
そして、ここには「知恵ある者、力ある者、地位ある者」は、一般的なエリートという意味ではなく、王や政治家、宗教的指導者など、国や民族を良き方向にもっていくべき存在が第一です。多くの場合、力や権力を手にいれると、国民のための政治ではなく、私利私欲を求める政治になっていくということへの批判なのです。
思い起こしたのはマリアの賛歌「マグニフィカト」です。主イエスの母となるという告知を逡巡の時を経て受け入れたマリアの告白・歌。ルカによる福音書1章46節以下にあります。その賛歌の中でマリアは「主は思い上がる者を打ち散らし、権力のある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、餓えた人を良い物で満たし、富める者と空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐みをお忘れになりません」と。若い女性のマリア、その告白と主が行うことへの信頼は、社会変革のような言葉です。
そして、「思い上がる者、打ち散らされる者、権力ある者を引き降ろす」のは、それら政治が真剣に神の言葉と人の言葉(特に苦しむ者)の言葉を聞いていないゆえなのです。それらの言葉は預言者等でも多くあり、主なる神は、王や政治家が馬鹿にする「愚か」「無知」「無力」と言われるような人々を用いて、主の真実が行われる、という意味なのです。
国家や政治権力が、その委託されている力を正当に用いない時、主は、国家や政治権力が、騙し、追いやり、苦境にある人々によって新たにされること、それは国家や政治への警鐘であります。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大秦野バプテスト教会。神奈川県秦野市ひばりヶ丘1-15にあります。1949年の開始なので、すでに70年の歴史を持つ教会です。本年4月より日高龍子牧師が就任されました。龍子さんは、西南学院大学神学部で2年間一緒に学んだ方です。当時の印象は「のんびり、あたたかな、人を包む」ような方と感じておりました。その後、結婚された日高氏と共に、タイに連盟派遣宣教師として派遣されました。日高嘉彦宣教師はタイの神学校で旧約聖書等を教授し、龍子宣教師も神学校の働きや教会での働きをされました。今、息子さんが同じ北関東地方連合の役員としても活躍されていますが、お母さまのかつての印象をお伝えすると「いや」と印象は違う感じでしたが、タイや教会の働きの中でいろいろご苦労もされたし、お子さんはまた親子として違った印象を持つのも当然ですね。祈りの課題は以下です。①礼拝が豊かに祝福されますように。②信徒の賜物が用いられますように。③求道者が決心に導かれますように。牧師:日高龍子
5/19「人生というもの」 Ⅰコリント1章26-31節③
創世記の創造物語で人間が神との約束を忘れ、神のようになる知恵を求めた結果、神から逃げる者となり、そして、隠れ、自分を覆う服(葉っぱであったが)を着ました。そして責任転嫁する姿は自分を何かで隠さなくては不安を抱くようになりました。しかし、神の前に何ら人間的な保証を必要としません。素のまま、それは醜い姿であるかもしれませんが、そのあなたを主は選び、導き、愛し、祝福しようとしているのです。
バークレーは次のように語ります。「ブルトマン(20世紀を代表する新約聖書神学者、ドイツ)も言っているように、最も根源的な罪は自己主張、あるいは人に認められたいという欲望である。われわれは何事もなしえず、ただ神のみがすべてのことをなしたもう、という認識に立ったとき、はじめてほんとうの宗教が生まれるのだ。自分の弱さ、無知、無能、無力を知っている人間が、結局は強くて賢い人間であるというのは、生のおどろくべき真実である。自分ひとりで生きて行かれると考える人が、結局は、人生に失敗してしまうのは、経験上の事実である。」と。
うん、ちょっと考えてしまうね。根源的な罪が「自己主張、人に認められたいという欲望」?私は多分そう言わないと思う。もう少し言葉を足さないと、「自己」が失われてしまうのではないでしょうか。むしろ、「自己絶対化」という、自分と異なる意見や批判に対して聞く耳を持たず、それらを拒絶することによって、自己を絶対化してしまう、と私は言うだろうし、多分そのような意味でブルトマンは語っているのだと思います。もう一つは「人生に失敗」という言葉。人に奪われたり、失敗させられる人生はあるかもしれないし、そのようなことを起こさない世界を創り出すことを求められるが、自らの人生を失敗とすることは有り得るのか、では「成功した人生」とは何なのか、と対話しつつ考えます。「自分の人生が失敗だった」という人がいるなら、ぜひ教会に来てほしいとも思います。いっしょに考えてみたいのです。
付け足しですが、昨日「優れた人」「威厳を感じる人」等との出会いがあったことをお話しました。その時、もうひとつ、大事なことを語り忘れていました。それは、どんな人にも、痛みや悲しみ、過ちの過去があるということです。別の言葉で言えば、悲しみや痛みが、その人の人生を深くした、と言えるかもしれません。でも誰も「痛み」「悲しみ」をいただきたいと思いません。では、何故?と思います。命、祝福、苦難ということ。このことについてはまだ自分は確かに語りえないのです。あるいは、簡単に語ってはならないようにも思います。命の深さ。何と不思議な、何と稀有な、何と重い命。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 松本蟻ケ崎キリスト教会。松本市蟻ケ崎6-4-3にあります。この教会のことはあまり知りませんが、かつてこの教会の牧師をしていたJさんが「松代大本営跡(まつしろだいほんえいあと)」がすごい(いろんなニュアンスを含む)と言っておられたのを記憶しておりました。ウィキで調べると、こうあります。「太平洋戦争以前より、海岸から近く広い関東平野の端にある東京は、陸軍により防衛機能が弱いと考えられていた。そのため本土決戦を想定し海岸から離れた場所への中枢機能移転計画を進めていた。1944年7月のサイパン陥落後、本土爆撃と本土決戦が現実の問題になった。同年同月東條内閣最後の閣議で、かねてから調査されていた長野松代への皇居、大本営、その他重要政府機関の移転のための施設工事が了承された。」そして三ケ所に大変大きな地下壕がつくられていたのです。その一部は公開されています。私も一度、行ったことがあります。あの時代、すでに敗戦は決定的であったのにも関わらず、日本は何を守ろうとし、何を捨てようとしたのか。この地で働かせられた多くの人々の怒りと悲しみ、その声を聞いた、いや、迫ってくる、でもそこから逃げたような思いが今もいたします。
祈りの課題は以下です。①新会堂が今後の宣教に役立つように。②主の言葉に聴く礼拝が祝されるように。③大胆に神賛美ができるよう指導者を。牧師:川井高雄
5/18「破れ提灯」 Ⅰコリント1章26-31節②
本当は毎日、10行くらいにしたいのですが、通常よりしゃべる機会が少ないせいか、えらい、おしゃべりになっていますね。今日は、雨の土曜です。来週のために書き溜めておこうと思い、そして、雨の音がすてきなBGMになってタイプしています。今日は、町内会長とふたこと、みこと。あとは宅急便の人に話したのと、ある方に電話したけれど、不在でしたので、留守電にしゃべっただけです。あとは、うちの犬二匹といつものように多少の喧嘩をして。と思っていたら、来客があり、少しの時間しゃべりました。
いつも思い起こすのは「破れちょうちん」という言葉です。「提灯(ちょうちん)」。外側が破れた提灯、でも破れたところから、中の光があふれてきます。そのように。キリスト者も、外側は破れてしょうがなし、でもそこからイエスさまの光を輝かせたらいいんだよ、って。自分が光るのではなく、イエスさまの光を少しでも照らすことができたら、それが一番ですね。
「提灯」といえば、思い出すことがあるのです。私がまだ幼い頃、私が育った教会に、教会の名前が書いてある「提灯」がいくつかあり、クリスマスイブには、その提灯をもってキャロリングに行くのです。なんせ、イブ礼拝が終わってからなので、幼い頃は連れていってもらえなかったのです。もう行ける、と思った日には、キャロリングは、車で移動するようになりました。なんか、頭の中で、提灯をもって、歌い歩く姿に憧れをもっていたのでしょうね。
さてと、パウロは「あなたがたが、キリストに触れ、出会い、そして教会に来始めたとき、人間的にみて知恵のある者、能力のある者、家柄のよい者が多かったわけではないよね」と。その言葉がコリント教会で読まれたとき、みんなの反応はどうだったのでしょう。パウロを嫌がっていた人もいたわけですし、「何をパウロは言うか!私は違う」と反論した人もいたでしょうね。言葉にならずとも、心の中にその声が響いた人もいたことでしょう。
そして、パウロがこう言っているからには、教会の中には学歴や家柄や能力を誇っていた人がいたことでしょう。「私はこのような人とは育ちが違うの」という人が。コリント教会にはユダヤ教出身者、商売等で裕福な人、ローマ市民権を得ている社会的階層が高いとされる人々、奴隷と呼ばれるような人々。その格差や差別の思いはそう簡単に乗り越えることはできず、社会での常識が教会にも投影されていたのは当然でしょう。具体的には「晩餐式、あるいは礼拝の時の様子として」また先の箇所に出てきます。
その箇所を待たないでも、同じような内容のことを語っても、ある人の意見は無視されますが、ある人の意見は採用されるとか、何等かの役職につける人とつけない人が、その人自身を見ることではなく、社会的なレッテルで判断されていました。
私がこの箇所から感じること。そして、私が出会ってきた人たちにはいろんな人がいました。いや、本当に優れた人、威厳を感じる人、考え方がすばらしい人。でも学歴や家柄を知らなくても、肌でそのすごさを感じました。たくさんいらっしゃるのです。後で学歴や職歴や家柄を聞くこともありましたが、それほど大事ではないなぁと思ってきました。逆に東大とか、京大を出たといっても、その方の言葉や所作がよくないと思うこともあったわけです。いわゆる「ふつうのオバちゃん」の言葉や行動に教えられることもいっぱいあります。「頭が良い人」っていうのは偏差値ではなく、「賢い人」なのかなぁ、って思っています。
パウロは比較するなっていうのに、わざわざ、知恵ある者が恥をかくように、無学な人を選び…と対照的に語りますが、なんだろう、知恵があるから神さまと出会うのではなく、家柄が良いから神さまと出会うのでもないし。神の前に立つときは、すべて人間的な装飾も、レッテルもはがされるし、でも、その時に、人は純粋に輝けるのではないかなぁと思います。
今日はあと一言だけ。破れた中にこそ、光が輝く、それが主イエスの光。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大和愛宣教伝道所。この伝道所も松本福音村キリスト教会の伝道所です。神奈川県大和市大和東1-4-7 栄光堂ビル3階にあります。祈りの課題は以下です。①思いを一つにする教会になれますように。②信仰告白文をつくりあげられますように。③教会規約をつくりあげられますように。牧師:李
東柱、主事:郭 淑、協力宣教師:権 正勲
5/17「わたしの誇り」 Ⅰコリント1章26-31節
「兄弟たち」とパウロは視線を今、その目の前にはいませんが、心の中に生きているコリント教会のメンバーに目を注ぎ語ります。この時、私どもは「所沢教会のあなたがた」あるいは「坂本よ」という言葉として読んでいただきたいものです。
「あなたがたは」、当然その中にはパウロ自身もおります。パウロは時々、強気な、そして、威勢をはったような言葉を言うことがありますが、パウロは他者への批判をするときには必ず自己批判を含めているのは確かです。尊敬する青野太潮先生がいつも教えてくださったのは「自己批判抜きの(他者)批判はない」ということでした。そして、いつも自分自身、そうありたいと願っております。
「ほら、思いだしてごらん」とパウロは言います。「あなたがたは、学びをして、経験を積み、何か自分がすべてを理解しているような気でいるかもしれませんし、そうして、自分と意見の違う人を拒否し、排除しているかもしれません。自分に何かの力や知恵があるように思って、その思いこそが、確かなものだと過信して語っているのではないのですか」と。そして「はじめの時を思い出してください」と告げるのです。
「はじめの時」。そこにはいろいろな出会いがあったことでしょう。何も知らず、教えられて、学んでわかってくるのです。ある程度わかったから、もういい、という人もたくさんいます。教会、特にバプテスト教会でよいと思うのは、信徒(牧師含めて)は、平等の資格・身分であるということです。
実はね、教会でも、書道とか、柔道とかのように、「何段」とか「何級」という位をつけたらと思ったことがあるのです。一年に一度くらい試験があって、ペーパー試験と面接をして。そして「あなたはよく頑張った。信仰5段に昇進してよろしい」などと。人によっては「あなたは礼拝出席が少なかったので、今回は一段降格です」などと。
昔、ある教室で習っていたとき、グレードなるものがあり、9級とか、8級とかもらえるのです。1級あがると、月謝も上がるのです。より難しいことを教えてもらうのだから、費用も上がるのか、と思っておりましたが、そのグレードはその教室だけで通用するものでもありました。グレードを持っていなくても上手な人は世の中にはたくさんいるのです。
でも昇級を目指して頑張る人には励みとはなります。かつて出会った人で、茶道の勉強をしている人がいて、昇進するためには、先生にいくら払わないといけないとか、より立派な道具をそろえなければならないとか、お世話になった先生には盆暮れには挨拶に行き、その時はいくらか包んでいかなければならないとか…。「へぇ、そうなんだ、師範になるのは大変だね」と思っておりました。励みになるのは、確かにそういう面があると思いますが、時には歪も生まれてくるわけです。特に同じようなレベルで、進級するのに人数制限がある場合は、資格を与える人が「気に入った」とか「これだけのことをしてくれた」とかで、判断される場合は「忖度」や「裏のお金」等で判断されることもあるのです。
でも、教会はそのようなことはありませんし、あってはならないことです。もちろん、年月を重ねれば、多少は人よりわかったことがありましょう。こういう時にはこうする、という知恵も、聖書知識も増えていきます。でもそれで、自分は人よりも高い信仰者である、などとは言えないのです。知識や経験があるから立派とは単純に言いえません。もちろん、学んでほしいと思います。でも、聖書を学び、イエス・キリストのことを学べば学ぶほど、自分の愚かさや罪や弱さに気づくものですし、全く自分が偉い者のようには思わない、というか、そのような「比較」から「自由」にされていくと思っています。
教会では、一人ひとりに神さまから与えられている信仰、生きざま、祈り、奉仕、それらを「その時々」にかけがえのない、大事なものとして、慈しみ、大切にしていくのです。
教会には信仰初心者も、何十年も礼拝を続けてきた方々もおられます。何十年も礼拝を続けてきたからその人の意見はすばらしいとも単純に言えません。誰でも、判断をミスしたり、誤解したりすることはあります。その日、その時のあなたを大事にします。そして、共に学び合い、共に語り合い、それぞれに与えられている信仰や人生を感謝し、喜びあっていくことです。「違うとき」には何も恐れず、「違う」ということができたらよいし、たったひとつの目標である、イエス・キリストの姿を目指していきたいのです。
私も、そう、間違え、勘違いをし、対応を誤るような者でしかありません。ただ主の哀れみにすがるしかない者であります。でも、すごくこんな自分が嬉しいのも確かなのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 相模原希望伝道所。神奈川県相模原市中央区相模原2-3-16 山崎ビル3階 にあります。松本福音村バプテスト教会の伝道所として2016年度から活動が始まっています。祈りの課題は以下です。①将来と希望を与える教会になる。②信仰の成長と育てることのため。③み言葉と聖霊様が働く教会になる。牧師:李
在浩
5/16「力と知恵」 Ⅰコリント1章18-25節④
キリストは「神の力」「神の知恵」。「力」の行使は、人を助けたものでもあると同時に、今までどれだけの人を苦しめ、痛めてきたことでしょう。「他」よりも強い力を持つことが必要だと考えられてきました。「パワハラ」という言葉が様々に使われます。力をもって、人より優位に立ち、自分の都合に相手を従わせる方法になります。そのために、人は勉強しましょう。良い学校、良い会社に入るためには「力」を持たなければなりません。あるいは「武器」を持つことによって力を保持、あるいは優位に立つことを求めます。「力」を得るときに必要なのは「知恵」になります。つまり、「力」を何のために、何を目指して、どのように使うのか。そこに正しい知恵がなければ空しい力になるのです。自分の持っている力を、人を助け、共に生きるために用いることもできますし、一方、自分の持っている力を自己利益や他者を服従させるために使うことも行われてきました。
「知恵」があっても、それを遂行する力がなくては実現いたしません。今の世界である人々は飢え、ある人々は多くの食材を捨てています。食料や仕事や教育が等しく供給や分配されていない事実を見ます。しかし、それら課題に取り組む現実的な手段となる「力」は簡単ではありません。いくら「力」があっても、正当に、愛をもって使われないときに、人々を傷つけるものとなるのです。
「知恵」と「力」がきちんと結び合うことが大事です。コロナウイルスに対してもこのことが問われております。ウイルス拡散防止のために、休業しましょうと政治は力をもった発言をいたします。では、そのことによって生じる様々な危機についてどのような方策や税金を使うのか、その「知恵」が必要なのです。いわゆる「アベノマスク」はそのバランスを欠いた判断であったのです。
家庭でもそうです。暴力や暴言という力ではなく、愛をもって仕え、育てる心がなければ良き実りはないでしょう。
「力」と「知恵」が確かな方向性をもって、実現することが大事です。そして、神の力は十字架にかけられた主の姿。それは一切の力を拒否し、力のむごさを示し、人をゆるしていくという、「愛」においてこそ示されたのです。主イエスこそ最後の犠牲であり、暴力の終わりを指し示すものであったのです。主イエスの姿から、そして語り続けたメッセージから人は誠の生き方を学ぶべきであったし、今もそのことを教えています。
主イエスの歩みを、十字架で処刑される姿を人々は「愚か」だという、「無力」だという。神は報復することを通して正しさ、正義を実現されようとしませんでした。「愚かさ」と「無力さ」が人間の真実の姿であり、それゆえに、人は正しい知恵と正しい力を神に問い求めなければならないのです。そして「正しい」ことは主イエスの歩みにしかありません。
「知恵」を求めて行き着く先は繰り返す人間の「愚かさ」を知ることであり、「力」を求めて行き着く先は、実は「無力」であることを知ることです。でも、自ら「愚かさ」と「無力さ」に人が気づくときに、人々は何のために与えられている命であるかを知ることができるのです。
この議論はもっと深めていく必要がありましょうし、これからも考えていくことです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 松本福音村バプテスト教会。松本市大手5丁目6-3にあります。「福音村」という面白い名前がつけられています。新しい教会というイメージがありますが、2004年からのスタートですね。古い建物を購入し、連合の皆さんの協力を得て、整えていったという話を思い起こします。「松本」には立ち寄ったくらいの印象しかないのですが、「松本城」はよく覚えています。最近、ずいぶんとお城の周辺が整備されてきたようです。いつかゆっくりと行きたい場所でもあります。祈りの課題は以下です。①すべての聖徒が毎日聖書を読んで祈る時間を持つように。②毎週火曜日、路傍伝道を通じて福音が宣べ伝わるように。③回転資金の返済が毎月よくできるように(月10万円)。牧師:黄
基英
5/15 今日も連盟諸教会を覚えての祈りのみです!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 山梨バプテスト教会。山梨県甲府市旭5-13-12にあります。甲府駅からバスか、または徒歩でも行くことができます。甲府市の中では古くからの町です。この教会の佐藤牧師とは、いろいろと「くされ縁」がありまして、かつて私が少年少女リーダー研修会のスタッフをしているときに、佐藤さんが参加されて知り合いになり、その後神学校に入るという情報を聞き、私が福岡有田教会を辞することもあり、「奉仕」神学生(今は「研修教会」とか「出席神学生」という言い方みたい)として協力を依頼したのですが、「牧師になる勉強をするために来たのに、なぜ、牧師のいない教会にいかせるのだ」と、その後、ずっと言い続けております。でも仲良しかなと私は思っております。佐藤さんが福岡有田教会での最後の礼拝で、主イエスが息絶えた時、地震が起こったという箇所のメッセージをを始めた時に、「福岡地震」が本当に起こり、そのまま礼拝は中止になったという方でもあります。
神戸伊川教会時代は家族ぐるみでお付き合いもありました。佐藤牧師は、体も大きく、その姿はサンドウィッチマンの伊達さんをもう少し怖くしたような感じで、佐藤先生と一緒に歩いていると、なんかとても安心なのです。山梨教会に就任後、一人で、また夫婦で遊びに行かせていただきました。まず、すばらしいのが、教会からあるいてすぐのところに「喜久乃湯温泉」という本当は冷泉ですが、太宰も通ったという古い、味わいのある温泉があります!今はコロナのために休んでいますが、また再開されるでしょう。それから甲府は「焼き鳥」や「もつ煮込み」が有名で一緒に行ったお店の焼き鳥はとても新鮮でおいしかったです。どの飲食店にも必ずワイン、それも一升瓶のものが置いてあり、甲府はとてもワインが根付いております。
佐藤牧師の書斎をみておりますと、「網走刑務所」の木の看板があり、あんまり過去に触れてはいけないと思いますが、いろいろあったのでしょう(本人は網走に行った、ということはお話になります)。そして「ファンタジー」に関する本もあり、これは伴侶の方の本だと思ったら佐藤牧師曰く「ファンタジーが好きなんですよ」と。「えっ!佐藤さんファンタジー読むの?」とあまりに似つかわしくなく、30分ほど笑いがとまりませんでした。佐藤牧師が絵本の読み聞かせをするときっと子どもたちはびびってしまうのではないかと思いました。でも、幼い頃、いろんなタイプの人間を知ることはとても大事です。人間、見てくれで判断してはなりませぬ。
佐藤牧師はちょっと怖い印象を持たれる方もありましょうが、実はすごく慎重で、小心者です。おしゃべりも楽しく、素敵な牧師なので、山梨県の皆さん、恐れず、甲府教会の礼拝にいってみてください。小さなお子さんも可愛がってくださるでしょう。もちろん、「可愛がる」のは「てめー、態度でかいから、かわいがってやる」と暴力的なことをされることではありません。ご安心ください。愛情をもって関わってくださるという意味です。甲斐犬もおりまして、色は黒いけど、心優しき犬です。時折、ご主人のために、池で鯉をつかまえてくるらしいです。ちょっと信じられない話ですが、信玄さまの町ですからね。
おまけに、山梨県立美術館にはミレーの「種まく人」の絵があります。
祈りの課題は①教会プログラムが用いられ、近隣の方々の魂が救われ、高齢者や礼拝出席困難者の礼拝が守られるように。牧師:佐藤 浩
5/14 今日も連盟諸教会を覚えての祈りの課題のみです!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 富士吉田バプテスト教会。山梨県富士吉田市上吉田5-5-15にあります。一時期、閉鎖されていた伝道所でしたが、20年ほど前でしょうか、新たに復興した教会と覚えています。一度伺ったことがあります。富士吉田市というのは、富士山がどこでも見え、この教会は「富士山神社」(?)の目の前といっていい場所に建っています。すぐ近くに大きな鳥居があります。とても広い敷地と会堂があり、宿泊等もできるようになっています。土地が広いので雪の時のために除雪車のようなものが置いてありました。今は若い宮西両牧師が良い働きをされているようです。富士吉田市は「富士急ハイランド」があったり、観光等が盛んなので、日曜の礼拝は難しいという方もありましょう。それから紹介すべきは「吉田うどん」。麺は太く、汁の中にキャベツが入っていたと記憶します。ちょっと評価は難しいですね。改めて食べてみないと確かなことは言えません。それから、富士吉田教会の電柱広告の色使いがとっても目立つし、素敵なので、あの色使いは、当教会でも使いたいと思っております。富士吉田教会が復興してから、それぞれユニークな牧師が赴任されていきました。「祈りの課題」の言葉をみても、現在の牧師と教会の素敵な様子をみてとることができます。祈りの課題は①主イエスを基に互いに手をつなぎ、祈り合い、育ち合う関係に。②また、その輪(和)を地域に、世界に!③求道中の方々の決心。牧師:宮西宏明、宮西千晴
5/13 今日は連盟諸教会を覚えての祈りのみです!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 三島バプテスト教会。三島市徳倉4-34-9にあります。「三島」という場所は、日本バプテスト連盟に加盟している教会の方々にとってはとても馴染みがあります。宿泊研修施設として、日本バプテスト連盟が運営している「天城山荘」というのが、天城峠という、歌の舞台や小説・映画の舞台になっている峠の手前(といってもずいぶん手前」)にあり、ここで総会や研修会等開かれるので、我が人生でも平均年1、5回は訪れています。そこに行くのに、三島から電車に乗って、修善寺まで、そこからバスに乗っていくのです。「三島」駅の隣、「三島広小路」という駅の付近にはいつもおいしそうな臭いが漂っています。ある時、ついに行きました。「うなぎ」をおいしく食べました。三島は「水」がとっても良いのですね。それで、「天城山荘」にはいくのですが、三島教会はいったことがなく、ある人曰く、(前牧師に)おいしい回転寿司を紹介してもらったという話は、すぐに頭にインプットされています。所沢に来てからは、天城山荘は車で2時間~2時間30分位なので、すごく近くなった印象です。天城山荘はこのコロナ影響でほとんどお客さんがありません。ここ10年の実績を踏まえて大きな課題です。さて、三島教会の現牧師の本多先生。もう結構な年齢と思いますが、いつも若々しいですね。一昨年だっけ、西川口教会で開催された研修会でご一緒しましたが、とてもお元気で感謝いたしました。とてもにこやかな先生です。祈りの課題は以下です。①高齢者の健康が守られるように。②教会活動プログラムの充実。③伝道開始50周年行事のために。牧師:本多栄一郎
5/12 今日は連盟諸教会を覚えての祈りのみです!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト静岡キリスト教会。静岡市蕨区安東2-12-39にあります。静岡のお城の近く、文教地区にある教会です。数年前まで付属幼稚園がありました。ゆえにとても広い敷地があります。この幼稚園の存続を考えておられる時代、一度「教会幼稚園の学校法人化」にテーマでお伺いしたことがあります。当時はY牧師でした。その折、教会近くの「お菓子屋さん」のようなところで「静岡おでん」を食べさせていただきました。「いくらでも食べて良い」と太っ腹な先生でしたが、イモや黒はんぺん等「鰹節」をかけて食べるので、普通のおでんより、もっさりしておりました。
現在の牧師、原田牧師は、神学校では入れ替わりでしたが、福岡時代も親しくさせていただきました。かつては中学校の「技術」の先生をしておられましたので、そのような考え方等を学ばせていただきました。原田牧師についてはたくさん語りたいことはあるのです。今、FaceBookで毎週の説教動画をあげています(礼拝の人数も記されています)。不遜坂本はいつも素通りしております。ごめんなさい。いつの頃からか、原田牧師は羊さんのような髭をはやしておられます。福岡時代、原田牧師は礼拝宣教では必ず「ジョークを言うのだ」とそのジョークをいつも考えておられ、その出来は先生にとって重要だったようです。今はそれを貫いているのかどうか。ぜひ、静岡教会の礼拝に出席して確認してみてほしいです。
お嬢さんの「のんちゃん」、幼稚園位から知っていますが、一度、所沢教会の礼拝にご家族で出席されました。また来てよ。「のんちゃん」はとても讃美歌を上手に歌う方です。それから、思い出した。原田牧師の書斎は本も整理整頓されて、それだけでも坂本は尊敬いたします。でも、今、この期間に坂本の牧師室も少しきれいになって、足の踏む場所ができたねと某教会員に褒められました。感謝。ときたま、町内会からたまたま頂いたビール等を、牧師館にもっていくことができないで、牧師室に置きっぱなしにしていることがありますが、(大体なんでも置きっぱなしと、思われますが、事情があって、個人的には一時的にそこに仮置きしているつもり。使ったり、動かす予定があるのでわざわざそこに残している。)牧師室で飲むことは決してありません。余計などうしようもない、書かなくてもいいようなことを書きましたが、それほど、みんな読んでいないだろうと思って、独り言のように書いておりますね。いかん。時間がどんどん過ぎてゆく。静岡教会の祈りにいきましょう。①新年度主題に沿う教会形成、まことの礼拝を目指して。②収穫のために働き人が与えられるように。牧師:原田攝生
5/11「世界の壁をこえて」 Ⅰコリント1章18-25節③
「ユダヤ人であろうが、ギリシャ人であろうが」。旧約聖書の時代、つまりイエス・キリスト以前はユダヤ教でした。異邦人(外国人)でもユダヤ教になる人はおりましたが、そこにおいて、何よりユダヤ人のようになる、ことが求められながら、一方では神殿での礼拝などで外国人ユダヤ教徒は差別も受けておりましたし、それも認めなければユダヤ教徒にはなれなかったのです。
異邦人伝道(このことは、単なる言葉では済みません。紀元になっても繰り返されてきたように、「伝道」という名での戦争や占領が歴史において確かにありますので。もちろん、そのような宗教をからめた政治的経済的なことではなく、「布教」と言いましょうか、個人の信念や幻を抱いて「伝道」する人々がいたのも事実ですから。あまりそれらを十把一絡げに扱ってしまうことはできません)。
ただし、主イエスは、南ユダから見て、敵対していた北イスラエル・サマリアや周辺諸国にも足をのばしています。「そうせざるを得なかった」と記されている場合もありますが、やはり、主イエスは時に向こう岸、ゲラサ人の土地や、フェニキアに行かれたし、そこで同じように神の国の福音を宣教し、その地でも確かに異邦人クリスチャン(ここではキリストの弟子の意味)が生まれています。その事実は、主イエスの足跡をみていったパウロにも大変印象づけられたし、それがあって、パウロも異邦人伝道の幻をいただくことになったのです。加えて、特に「捕囚」以降、イザヤ等が預言した言葉も異邦人伝道を行う根拠となっております。
国境や「国際」の「際」(意味:1、とき。場合。機会。2、 物と物との接するところ)の多くは人間がつくりだしたもの。しかし、主イエスにとって、出会うべき相手、そこに何らの「際」は不必要なものでした。主イエスが主イエスとしてあるのは、ここに肝があります。主イエスの言葉は、どの時代、どの地域、どの民族でも同じように受け入れられ、あるいは拒否されていくのです。人間の心は、歴史や文化で多少の違いはあっても、うれしいものはうれしいし、悲しいものは悲しいのです。同じように感動する心、なんかすごいですね。
コロナの悲しみも、コロナで生まれる差別も、コロナで生まれる共感も、同じ。時折テレビ等で「日本人は立派」という言葉が出てきますが、そのような評価はやばいと思います。一方で諸外国の対応がすばらしく、日本の対応(特に政治)が酷い点も訴えているのに、それらすべての観点で見ないといけないのに、そのような議論は実におかしいと思います。
パウロは語ります。「ユダヤ人も、ギリシャ人も」その言葉は「世界」(もちろん、当時パウロが描いていた世界と、今の「世界」は多少異なりますが)の人々を含むものと考えております。
「召された者」、つまり主が呼び掛け、招いている人々、彼ら彼女らがどの民族に属しようが、男であろうが、女であろうが、どの社会的階層にいようが、主なる神は、そのような人間がつくりだす「差」や「際」を超えて、導こうとされています。
そして、キリストについて「愚かであるけれども」、そして「しるし」や「哲学・知恵」を凌駕する、「神の力」「神の知恵」と語り、「神の愚かさは人よりも賢く」「神の弱さは人よりも強い」と逆説でしか語りえない「真実」を語るのです。ああ、なんてすごい主の愚かさと知恵は、、、。
「神の力」と「神の知恵」についてはまた次回お話します。「聖書日課」は都合により、12日、13日、14日、15日とお休みしますが、祈りの課題は記します。さきほど、FaceBookをみていたら、コロナウイルス感染が落ち着いている地域、そこで掲載されていたのは日本バプテスト静岡キリスト教会でしたが、礼拝再開の知らせがあり、希望をいただきました。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 清水栄光キリスト教会。静岡市清水区八坂西町1-5-6にあります。「清水」といえばすぐに漁港と魚屋さんを思い出します。この教会も行ったことがないのですが、先日召された田中仁一郎牧師の時代に教会組織をしたと記憶しております。故田中先生とは昨年の秋以来、何度か礼拝をご一緒にさせていただき、いくつもの教会に関わった先生の足跡を思い、本当にいろいろなお話を伺いたかったと、残念です。尊敬し、敬愛する諸牧師がいらっしゃること、本当に宝だと思っています。多くの牧師はその与えられた現場で、日々、悩み、喜び、地道に宣教していかれた。もちろん、弱さも抱えながら。その歴史を継承していくべきと思い、しっかり立っていきたいと思います(なかなかうまくはいきませんが)。清水栄光教会の石渡牧師のお母さまが、兵庫県にいらっしゃったとのことで、お話は聞きましたが、なかなか関わりを持てず、失礼したと思っています。祈りの課題は以下です。①伝道開始55周年・教会組織20年記念感謝礼拝(7/19予定)。②家族の救いと子どもたちと一緒の礼拝。③教会会計のために。牧師:石渡修司
5/10「母の日に寄せて」 出エジプト20章1-12節、詩編131編
本日、5月第2日曜は「母の日」です。この由来は毎年、週報巻頭言で記しております。母の日の由来、それは米国、ヴァージニア州のある教会で、長い間、教会学校で教えておら れたジャービスという婦人がいました。
ある日曜日、教会学校の子どもたちに「あなたの父と母を敬え」という聖書の言葉を教えた後、子どもたちに「お母さんの愛に心から感謝する方法を考えてください」と勧めました。その時、ジャービスさんの娘、アンナはお母さんの話を感慨深く聞いていました。
それからしばらくしてジャービスさんは天に召されます。娘アンナはお母さんが好きだったカーネーションをたくさん飾ってお母さんを 偲びました。このことが列席者一同に感銘を与え、この話に心を動かされたジョン・ワナメーカー(有名な百貨店王)が1908年5月の第2日曜に母に感謝する会を、カーネーションを飾って盛大に行ったのです。
アンナ自身は商売に利用されるのを嫌い、その後、当時のウィルソン大統領に「母性をたたえる日」を提唱しました。そして1914年に「母の日」が制定されました。
母の日、自分の母親のことを思い起こす日でもあります。その思い出の中には嬉しい記憶もあれば、嫌だった記憶もあるかもしれません。でもお母さんがなくては、今のあなたはい
なかったのです。人間は神様ではないので、完璧な母親はいません。弱さや小ささ、醜さ、過ちをも抱えながら、「母」は「母」とされていきますし、神様はそういう「あなた」を慈しんでくださるでしょう。そして、あなたのお子さんに、「母」はたった一人なのです。
讃美歌(1954年版)で愛唱された「まぼろしの影をおいて」という讃美歌があります。リフレイン 折り返し で「春は軒の雨、秋は庭の露、母はなみだ乾くまなく、祈ると知らずや」と歌われます。「母」は子ども自身が知らない中で、どれほど祈り、子どものために心と時間を尽くしたことでしょう。「随分心配をかけたものだ」と今思います。この世にいようが、いまいが、母のことを覚え、祈り、感謝をする日になったら幸いです。そして、親に対して感謝すること、まだお母さまが生きているうちに、ぜひ伝えてほしいのです。召された後で、後悔しないように。
今日は「出エジプト」から「十戒」、そして詩編からお読みいたしました。心黙し、幼子が母の胸に抱かれ、心安らぐように、今日、主の恵みを覚える日でありますように。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 川根バプテスト教会。静岡県榛原郡川根本町徳山845にあります。「川根本町」は今は島田市に合併しており、人口は6千人に満たない、そして多くを森林が占める地域です。一方で、「吊り橋」や「奥大井湖上駅」「白沢温泉」「寸又橋温泉」「大井川鐡道」などテレビ等で紹介される観光地が沢山ありますし、「川根茶」も有名です。そのような地域にある教会は幼稚園(学校法人さゆり幼稚園)の母体ですが、教会員も園児も減少し、困難な状況です。「過疎地」に立つ教会について心痛めることです。祈りの課題にもその状況が強く反映しております。①地域に根ざした教会の働きができますように。②限界集落の中、み心なら幼稚園の働きの継続を。牧師:松下正巳
5/9「人間の求める知恵」 Ⅰコリント1章18-25節
昨日の文章を読み直してみると、誤解を生むようなことがあったなぁと、反省しております。私、日曜の礼拝のあともいろいろ反省すること多々でございます。
一つは、クリスチャンの神さまへの「信頼・信仰」は完全ではありません。100パーセントの信頼は決してないのです。疑うこと、不信が生まれること、よくありますし、それを「罪」や否定すべきことと考えません。これは人間関係(夫婦関係等)でも同様です。「完全ではない」、だから、大事なのは、日々、祈り、み言葉を読み、そして、教会での信仰者の交わりの中で、神さまとの関係性を常に新たにすることが必要です。疑いや不信、それをそのまま放るのではなく、育てること、それが神さまと共に生きる道ですし、人間関係でもそうです。疑い、不信が起こるとき、それはどのような理由でおこったのか、自分の思い違いや勘違いがなかったのか、言葉が分かり合えていたのか、と考え、そこでまた思いを新たにすることが大事ですね。
Ⅰコリント書に戻りまして、「ギリシャ人は知恵を求める」。パウロはユダヤ人であり、同時にローマ市民権を持つ人なので、「ユダヤ人」も「ギリシャ人」も自らのことを第一においての発言だと思います。
ローマ帝国がほぼ地中海沿岸諸国を制し、その中で「ギリシャ人」はその最上層にいた人々でもあります。「哲学」が盛んで、ここでの「知恵」、ソフィストは、「ソフィア」、つまり「叡智、博識」ということです。
ギリシャにおける神への考え方、思弁のひとつをバークレーから紹介するなら、ギリシャ人は神はなにも感ずることができない、と哲学したのです。もし、神が喜びや悲しみ、怒りや嘆きを感じることができるとすれば、だれか人間が、そのとき、神を動かしたことになる。とすれば、その人間は、そのとき、神に影響を与えた。つまり人間は神より偉大な存在となる、と議論を進め、神はいかなる人間も影響を受けない、絶対的なものであり、神は何も感じえないものでなければならない、と考えたようです。
結局は、それは人間の考えに神を帰属させるように思われますが。そのような考え、あるいは、再三述べているように、「神が苦しむ」それは有り得ないものでした。その考え方が進んだ中で、グノーシス主義と呼ばれる人々は、主イエスが十字架で苦しんだとあるが、実は魂はそこから抜け出ていて、肉体は苦しんだかもしれないが、魂はまったく無事であった、という議論を展開していきます。そしてグノーシスの人々は「肉体」と「魂」を分離させ、肉体がいかに悪いことをしても、魂が清浄であり続けたら良いと、考えていくのです。
また、ながながとした説明になりましたが、パウロが伝道をするにあたっては、当時の人間の世界観や思想、政治等と対話をしているということが大事です。「今」という時代、環境、思想を学びつつ、そこで福音が伝えているメッセージと対話しつつ、そこで、福音の持つ力を改めて知ることでしょうし、そのことを伝えていくのです。「宗教」はこの世界そして、今を歩む人間の生きざまと無縁ではありません。いや、この世界の現実、苦しみや悲しみ、嘆きが支配する世界の中でこそ、福音はその輝きを増していくのだと思いますし、私もまた、対話を通して、福音はさらに豊かに、深く覚えられていくと感じております。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 浜松バプテスト教会。静岡県浜松市中区布橋2-1-9にあります。浜松は、国産ピアノやオルガンの生まれた場所であり、今もヤマハやカワイ、その他電子楽器も含めた楽器の会社が集積されている地域です。以前、「ブラタモリ」で浜松を取材しており、天竜川をへて良質の木材が集まった、木材の乾燥等にも最適な気候であった、というようなことが紹介されていました。「浜名湖」も車窓から見たことはありますが、一度も行っていない場所の一つで、いつか訪れたいものです。それゆえ、浜松教会もほとんど知らないのです。浜松教会の祈りの課題を紹介します。①主の証人になろう!(20年度教会主題」②「五つの約束」を守る生活から!③「キリストの福音」があなたから隣人へ!牧師:伊藤勝彦
5/8「愛に証拠はいるでしょうか」 Ⅰコリント1章18-25節③
ユダヤ人は「しるし」を求める。私はですね、連盟の「讃美歌検討委員会議」のメンバーですが、この検討委員会議メンバーを中心として、「新生讃美歌ブックレット」という小冊子(たったの500円です!日本バプテスト連盟ホームページで検索してください。まだ在庫が少しあるかも)を出したのですが、その中に「用語解説」というのがあります。讃美歌の詞で、意味を理解するのが難しいと思われる言葉をピックアップして解説したものです。
「あした」と言えば、今の人は「夕ご飯食べて、寝て、起きたら明日になる」と思います。しかし、語源でも「朝」のことです。私が日大時代に通っていた常盤台バプテスト教会では、日曜礼拝で、中田協力牧師のお父様の中田昌男牧師(故人)がお祈りをされていました。その祈りは常に深く、言葉としても大変優れ、そのために心砕いて祈って紡がれた言葉と思われるものでした。ただいつも「このあした、教会に集えて…」と祈るのです。若い私は「あした?」と思いながら、そのうち段々わかってきました。「朝」のことを「あした」ということを。
日本でも昔は「太陰暦(陰暦)」でした。イエス様が歩まれた時代のユダヤもそうです。日が暮れると、翌日になります。だから一日は夕方から始まる。この点は聖書を読むときに大切です(金曜の日没で土曜、つまり安息日に入る)。日本でも古い伝統を守っているところでは、12月31日、いわゆる「おおみそか」ですが、日が暮れたら、「あけましておめでとう」ということで、「紅白歌合戦」の前に新年になります。
何が言いたいのか。言わんとすることは「私も日本語がわからないことが多い」ということです。讃美歌詞の中に、「いなとよ」とか、ありまして、まるで「博多弁」みたいで、「博多やけん、いなとよっちいうたい」と言いたくなりますし、好きな言葉です。博多弁では「すいとう(好きです)」ですね。それから「君はしもいれたまわん」等の詞は、調べないとわからないのです。答えは「ブックレット」を購入してください。手元に1冊余分がありますので、これはよかったら400円で分けて差し上げます。もし、希望される方には、サインやドラえもんの絵を書いてあげます。
何が言いたいのか。「しるし」とは、辞書的な意味では、1、他と紛れないための心覚えや、他人に合図するために、形や色などで表したもの。目じるし。2、抽象的なものを表すための具体的な形。㋐ある概念を象徴するもの。㋑ある事実を証明するもの。証拠になるもの。㋒気持ちを形に表したもの。3、所属・家柄などを表すもの。4、㋐官印。印綬。押し手。㋑三種の神器の一である、八尺瓊勾玉 (やさかにのまがたま) 。5、結納 (ゆいのう) 。とあります。私はもう人生半世紀近く生きてきましたが(?)、聖書でも、日本語でも調べたらいつも新たな発見がありますね。
もう一回戻して、ユダヤ人は「しるし」を求める。もちろん、これはユダヤ人だけではありません。もちろんこの文脈では「結納」とは普通考えないで、「証拠」の意味ですが、「証拠」が必要な時は、どんな時でしょか。
それは「不信、疑い」があるからです。不安があるから、信じられないから「証拠」を根拠にしたいのです。愛の証拠を求める夫婦はすでに難しい関係と言わざるを得ません。「愛」に「証拠」を求めるならば、そこに「愛」は成立していないのです。愚かのように見えながら「愛する」ことに証拠は必要ありません。信頼、は関係性の中で育つもの。その「信頼」を育てることが、愛の関係となっていくのです。そして、「信仰」も英語では「信頼」と同じ言葉。見えないでも、信頼していく心なのです。
たとえ、主イエス・キリストが、このあした、この世界に来られても、きっと多くの人は信じないでしょう。「空をとんだり」「病気をいやしたり」しても、そんなことはマジシャンでも引田天功でもやっていること、神さまならば、何か証拠を見せよと皆、言うでしょう。
信じる心は証拠を求めません。もちろん、私どもクリスチャンは様々な経験を通して、「信じる心、信じていこうとする思い」が与えられているのです。でも、それを誰も証明できません。ゆえにヨハネが何度も主イエスの言葉として伝えているように、「見る」ことは直接「信じること」とつながらないのです。むしろ、「見ないで信じること」の幸いがあるのではないでしょうか。ではまた明日。ごきげんよう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 金沢キリスト教会。石川県金沢市笠舞2-6-28にあります。この教会は学校法人「金沢めぐみ幼稚園」の母体です。敷地内にとてもすばらしい園舎があり、2年くらい前に教会堂も新しく建てられました。私が神戸教会牧師であり、同付属幼稚園の園長をしておりました時、付属幼稚園の学校法人化、その後の園舎建築に際して、当時、金沢教会牧師であった田口先生には多くの教えを乞い、神戸でもお話をしてくださいました。園舎についても多く学ぶことでした。そのようなことで何度となく訪れた教会です。田口牧師はこの春で牧師職は引退されましたが、引き続き、「金沢めぐみ幼稚園」の園長をされています。田口先生は石川県の私立幼稚園連盟の理事長や日本バプテスト連盟の理事長もされた方です。実は私も涙もろいのですが、田口先生が宣教をしながら泣いている姿を何度も見ております。そして、この4月から、杉山望牧師が、この金沢教会の牧師に招聘され、就任しております。杉山望牧師は、当教会の前牧師、杉山修一牧師の息子さんで、長い期間、当教会で育った方です。北関東の教会の交流で出会った方と結婚され、所沢教会からも結婚式の行われた前橋教会にお祝いにかけつけました。私も行きました!当教会の古い方は「望さんがしゃべったの見たこと(聞いたこと)がない」、と仰いますが、実は私も小学生の頃など、人前でしゃべることはありませんでした。そういう人はね、幼い頃、心に言葉をたくさんためているのです。その意味では杉山望牧師も大変素晴らしい牧師さんです。金沢教会のホームページを見れば、杉山望牧師の宣教が掲載されています。伴侶の方もすばらしい方で、ある時、「聖書教育」誌の執筆をしており、「黙示」の意味をとっても理解しやすい形で提示されているのには感心しました。さて、祈りの課題は、①主を選び、祈り賛美する教会に。②協力伝道を喜び仕え献げる教会に。③新牧師を迎え、伝道の大前進を! 牧師:杉山
望
5/7「愚かな愛」 Ⅰコリント1章18-25②
イエス・キリストという方は、スーパースターではなく、実に愚かに、でも賢く、愚直に、でも鋭く、人間と関わりあった方ですし、今もそうあろうとしております。パウロは声を上げて語りかけます。「知恵ある者よ、学者よ、論客よ、あなたたちは何を知っているというのかい、あの十字架にかけられた主イエス、その方こそ、命をかけて、人を救おうとされたし、救ったのだ。この世の常識や知恵を超えて!でも仕方ない、あなたがたの量る計りでは、キリストの語る救いを受け取ることはできないのだから。」。
「宣教という愚かな手段」、とは、たぶん、普通に読んでも意味がわからないでしょう。「聖書」が遠くなるのも仕方ありませぬ。「宣教」とは辞書的には「キリスト教を広く伝える働き」とされますが、ギリシャ語は「ケリュグマ」です。これは意味が広い言葉であり、かつ重要な言葉なのです。キリストによって示された福音、というのがまとまる言葉になるでしょうか。なので、イエス・キリストの生きざま、死にざま、福音内容、神の国の約束と到来について、また、私どもの信ずるべき内容、と言いますか。
でも、イエス・キリストが示された「宣教」は、世の中では「愚かな、馬鹿らしい」と思われることでした。実際、パウロが語っていると「馬鹿らしいどうしようもない話」と言われたこと多々あったでしょう。イエス・キリストもまた、十字架上で、人々から馬鹿にされ、「ほら、人を救ったけど、自分を救うことができない情けない神、神なら、そこから降りてきて、みんなをやっつければいいじゃないか」と言われたのでした。愚かです。主イエスは何度も逃げるチャンスもあったし、全く異なる方法、つまり、武力をもって、自分を信じない輩を倒すこともできたでしょう。
主イエス・キリストは、十字架にかかり給う。人間に裁かれ、十字架で死ぬ神。なぜ、そのようなことを…。
あるお母さまのお子さんがひどい病にかかりました。つらく苦しむ我が子を見ながら、お母さまは思い、願い、祈りました。「自分はどうなってもよい、我が子と自分を替えてほしい、身代わりになれるなら、わたしは、そうなりたい、主よ、この子の替わりに私を病にしてください」と。
神さまの愛とは、まさにそのような愛でした。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 富山小泉町キリスト教会。富山市堀川小泉町681にあります。今日は富山小泉町教会のことで大変うれしいですね。私が日大時代に通っていた「常盤台バプテスト教会」ではこの富山小泉町教会(そのころは伝道所)を覚えて支える「祷援会」の活動が」行われており、私ら、当時の青年数名でこの「富山小泉町教会」での奉仕をいたしました。みんなで車一台に乗って、運転は当時の祷援会の代表であったKさん、そして常盤台教会の音楽牧師であった岩阪さん。
富山は初めてでした、牧師館から見える立山連峰の美しかったこと!。いろいろな刺激を受けましたが、今でもしっかり覚えているのは、富山小泉町教会の牧師で当時、まだ若い牧師であった酒井牧師夫妻のこと。お二人はたぶん、結婚前から「交換ノート」を始めて、そのノートにはさまざまな事柄が記されており、その交換ノートを結婚してからも(?)続けていたのです。すごくあこがれたし、本当に心を知り合い、心寄せあっている夫妻だと感銘を受けました。
それから、もうひとつ。神戸教会でバプテスマを受けられた女性。留学先のベトナムで知り合った人と結婚するということで、ベトナムなどは同じ宗教の人でないと結婚できないのだそです。そして、結婚式は彼女の故郷である、富山、この富山小泉町教会で行われ、私が僭越ながら結婚式の司式をいたしました。富山小泉町教会には、他にも知っている方がおりましたよ。愛媛県温泉郡というなんかすばらしそうな町出身の人もいました!元気かい?さて、それで、ベトナムの人と結婚されたかた、教会に通っている時期が短かったので、教会につながってくれるかな、と案じておりました。でも教会でよい働きもされ、今はご夫妻はベトナムにおられます。富山小泉町教会は結構国際的な教会ですよ!
さて、祈りの課題ね。①宣教開始60周年の準備のために。②バプテスマ決心者の準備のために。③子ども礼拝が祝されるように。牧師:閔 丙俊
5/6「十字架の言葉」 Ⅰコリント1章18-25節①
みなさま、こんにちは。お元気でしょうか。私、教会が所在する泉町の町内会の会計役員もやっており、今日が19年度分の監査でした。決算資料は大体できていたのですが、不明な点がでてきて、一晩悩んでそれが解決、すると今度は決算資料と予算資料の書き換えも行わなければならず、時間を失ってしまいました。なので、今、書いております。と、まず言い訳を並べました。はい。
18節の言葉は、とても有名で、覚えていらっしゃる方も多いと思います。「十字架の言葉」とは、まず何なのでしょうか。翻訳としては「十字架(キリストの死)を通して告げられる宣教(メッセージ)は」と言葉を足すのは英語訳等に見受けられます。なので滅びゆくもの(滅びの道をえらぶなら)にとっては、キリストが十字架上で殺されるなんて、愚かなことにしか見えないでしょう。でも、滅びではなく救いを、生きることを目指す我らにとっては、その『愚か』な姿に真実の救いの力を見ることができるのです」と意訳してみました。
そして根拠としてパウロは旧約聖書イザヤ書29章14節、同33章18節を引用します。新共同訳でイザヤ書29章13~14節を見ます。「主は言われた。『この民は、口でわたしに近づき/唇でわたしを敬うが/心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを畏れ敬うとしても/それは人間の戒めを覚え込んだからだ。14
それゆえ、見よ、わたしは再び/驚くべき業を重ねて、この民を驚かす。賢者の知恵は滅び/聡明な者の分別は隠される。』」。つまり、主なる神と出会うときに、自らを知恵あるもの、聡明だと思う者は、主の真実を見失ってしまう、ということです。
もう一か所の、33章18~19節を引用します。「あなたの心はかつての恐怖を思って言う。あのとき、数を調べた者はどこにいるのか/量った者はどこにいるのか/やぐらを数えた者はどこにいるのか、と。あの傲慢な民をあなたはもはや見ない。その民の唇は重くて聞き分けることができず/舌は語ることができなくなるので理解しえなかった。」。「数を調べたり、量ることのできる者」=知者や学者や世の指導者たちのことです。
聖書の中でカッコに入る文があるときは、誰かの言葉、あるいは旧約聖書の引用は大変多いものです。
そして、パウロは、へブル語で主に書かれた旧約聖書をギリシャ語に翻訳した「七十人訳」を用い、それはさらに日本語や英語に翻訳されるので、少し違うな、という感じもありますが、その状況をご理解ください。それではまた明日。今日はM・Sさん、M・Kさん(双子)のお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 福井キリスト教会。福井市町屋3-20-1にあります。以前、この教会を訪れたことがあります。雪深い地であるにも関わらず、教会の窓は木枠で薄いガラス。建物の設計は関西の「浜甲子園教会」と同じつくりでした。会堂はぼろぼろに近い状況でした。この教会を長く牧会されたS先生は美大でも学ばれた方でした。しかし、最終的には教会のメンバーは牧師夫妻ともう一人になりました。私はかつて連盟の「教役者会」の事務長をしており、このS先生からの言葉、厳しい地方教会に支援を、あるいは、牧師への謝儀を全国一律に近い形にしてほしい、そのことを話し合ってほしい、という言葉(これはS先生だけの主張ではありません、他にも賛同者がいます)に対応しようと、現地に向かったり、アンケート集計等も行いました。しかしながら、そのことを実際にやることまでには至りませんでした。日本バプテスト連盟が会社組織なら、可能でしょうか。でもそうしたら伝道が難しい地域は次々に閉鎖しなければならないでしょう。私も兼職していた時代もありますし、牧師・伝道者の生活は厳しいのですが、もちろんそれをわかったうえでしか、牧師・伝道者になってはいけません。同時にそのような状況が牧師・伝道者になる方を減らしていくこともありましょう。
話を戻して、福井教会ではS牧師が昨年春に引退され、この春から平良憲誠牧師が就任いたしました。年金受給できるようになり、福岡市の平尾教会から福井に移りました。金沢教会の田口元牧師や中部地方連合、また全国の教会からの支援を受けて、新しい動きが始まっております。祈りの課題は以下です。①信仰は命です。主の御心にかなった教会になるよう、日々に、お祈りください。牧師:平良憲誠
5/5「十字架を無にしない」 Ⅰコリント1章10-17節⑩
「キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬよう」。「むなしい」は口語訳では「無力なものに」とありましたが、本来は「無」になる。100パーセント無駄になるという意味です。むなしくしているのは「言葉の知恵」。これはキリスト教に対比される「世の知恵」ではありません。「十字架」という言葉の持つ「恥」「呪い」「痛みの極み」「極刑」「苦悩」というものを抜かした「救いの実現」を語る伝道者達を批判する言葉なのです。つまりここに「逆説でしか語れないキリストの救い」を語るパウロの思いがすでにあふれております。
つまりは、「麻薬的宗教」への批判です。これはパウロの、キリスト信仰の中心なので、今後も何度もでてきます。
人間が「救い」という時に、「苦しむ神」や「死ぬ神」、「人間に殺される神」など、通常は(順接では)有り得ないのです。「神」なら全知全能で何でもできる、そして、この神さまに頼っておけば、苦しみも痛みも悲しみもない、という宗教がありましょうし、時にキリスト教もそのように伝えられたことがあるのです。ゆえに、クリスチャンになれば、苦しまない、痛まない、いつもハッピー、悩みがあるなどキリスト者にはない、とか、キリスト者は疲れない、など。そのような一時しのぎ、テレビを見て笑って苦悩も吹き飛んだような宗教は真実に人生に伴わないのです。
クリスチャンだって、悩み、病にかかり、苦しみ、呻くのです。そこで「苦しむのは信仰がないからだ」とか「本物のクリスチャンは祈れば大丈夫だ」などと簡単に言えるものではありません。主イエスは苦しみ、叫び、「わが神、わが神、何故私を見捨てるのか」と叫ぶことを通して、人間の苦しみや悲惨に伴うことをしてくださる、苦しみの連帯、悲しみの連帯、共に苦しむことを通して、人と伴い給う、その姿こそ、ヒーローではなく、スーパーマンとしてではない、「共に生きるキリスト」によって「救い」が有り得るし、そのような連帯こそが、真実に世界を変えていくことになるのです。
でも誰かはこう語るでしょう。「でもキリストは復活されたからいいじゃないか、復活するんだよ、だからハレルヤだよ」と。そう、確かに「復活」「よみがえり」は希望として私も待ち望み生きております。でも「苦しみ」「十字架」なしの「よみがえり」のみを語ることが、人間の苦しみの現実を見ない、麻薬的な信仰となるのです。
主イエス・キリストが示した「救い」、それは、苦難から逃げることではなく、苦難を見ようとしないことではなく、「苦難の中での共生」、「共に苦しむ関係性」。そのことが、真実の「救い」、そして「希望」に向かうのです。だからパウロは語るのです。さっさとキリストを十字架から降ろして、お祝いをするのではなく、「キリストは、今もなお、あなたのために、十字架にかけられたままの姿で、あなたと共に生き、あなたと共に死ぬ」、しかし、ここにおいてこそ「救いの道」があるのです。
今、私どもを襲う「コロナ」の中で、私どもは「苦難の中で共に生きるありかた」を学ぶべきなのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 豊田バプテスト伝道所。昨日お祈りし各務原教会の伝道所として誕生しました。同じくブラジルの方々が中心でしたが、今、多くのブラジルの方々が帰国し(させられた)ことで、伝道所は休止中です。祈りの課題は①豊田伝道所の再開。②長浜集会の月一回の開催。(現在、活動休止中です)牧師:後藤
寿
5/4「キリスト者の使命」 Ⅰコリント1章10-17節⑨
「なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり…」。この言葉は大変重い言葉です。ここに現在まで至る宗教批判を見てとれます。宗教では時折、「どれだけの信者を獲得しているのか」、そしてその数が多いことがまるでその「宗教の正当性を保証」するように思われます。またキリスト教においても、「私はこれだけの数のバプテスマを行った」と誇るような方に出会うことがあります。まず、押さえておくのが、宗教は経済行為ではなく、商売でどれだけの数が売れたというようなことが評価の基準にしてはならないのです。
歴史的にみても、宗教が政治と結びつくときに、人数は増えましょうが、同時に宗教性が腐敗したことは多々あります。中世のキリスト教が代表ですが、もちろん、すべての宗教者や信者の信仰が腐敗していたわけでもありません。心からの祈りと献身をしていた方も多いことも指摘しておかなかればなりません。また「国教」なったときは宗教がその精神から離れ、利用されながら、利用しつつ、中心がぶれていくのです。ゆえに私どもは「政教分離」を強く意識いたします。また、バプテスト教会の先達は、英国で大変な差別を受けた歴史を背負うものであるゆえに。
さきほど、バプテスマの人数を誇るという話をしましたが、そこに、牧師や伝道者は努力したことは確かでしょう。しかし、伝道は、一人で行えるものではありません。宣教師や、教会のメンバーの祈りや働き、さらに、その教会の立地条件もあります。駅前の教会と山の中の教会で単純に比較できませんし、地方の教会で、心こめて、教会学校で子どもを育てても、成人すれば都会に出ていくこともあります。それをまるで、牧師や伝道者の一人の手柄と思えばなんという傲慢でしょう。何より、信仰を与えてくださるのは神さまであり、信仰へと至らせるのは、「聖霊(神さまの働きかけ)」がなくては成立しません。
牧師や伝道者は種をまき続けます。その種が発芽するか否かは、牧師・伝道者の手にはないのです。
パウロは「獲得した人数を誇る伝道者」の存在を知りつつ、「伝道」は自己宣伝や教会の勢力拡大を目指せば、誤りを犯してしまいます。パウロは言う「福音を告げ知らせる」ことが使命である。「福音」は人生に意味を与え、神さまから大事に創られ、愛されるすべての命を肯定し、希望と喜びを与えていく力です。その福音は困難な中において、人生を支え、忍耐を教え、隣人と共に生きること、祈りあうこと、共に心合わせ「共に喜び、共に悲しむ」ことへと人生を導きます。その「福音」を告げ知らせること、それを受け入れるか否かは、先ほども申しましたように牧師・伝道者の手にはありませんし、その働きは教会の業なのです。個人の名前ではなく、主なる神さまの働きに協力すること、そこに謙遜に立ち続けることが牧師・伝道者、また信徒の働きなのです。
さて、さきほど「政教分離」の話をしましたが、昨日は「憲法記念日」でした。「憲法」において、思想信教の自由、人間の尊厳等が訴えられ、日本国憲法は第二次世界大戦の教訓を生かした素晴らしい憲法であります。そして、時々、誤解している方がありますが、「憲法」は国民主権に立ち、国民が政府に対して「してよいこと、いけないこと、目指すべきこと」を規定しているものです。「これはしてはいけない、これをすべき」と政府という大変な力を持つものに対して制限を加えておりますし、そうしなければ「政治」が暴走してしまいます。そのことも覚えておきたいものです。
今日はS・Mさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 各務原バプテスト教会。岐阜県各務原市前渡東町4-161にあります。「トヨタ自動車」関連の企業で多く働いていたブラジル人の人々を中心として生まれた教会です。ただ、社会の変化の中で、日本で働く外国人の方々の立場は弱く、安定した基盤がもてないことは課題です。祈りの課題は以下です。①多言語教会の礼拝の充実。②多言語での聖書の学び。③地域への伝道と共生。牧師:後藤 寿
5/3「失われた原稿」Ⅰコリント1章10-17節欠
みなさん、こんにちは。今日は日曜ですね。教会に来てみなさんと会い、共に学び、祈り、讃美歌を歌い、聖書のメッセージを聞き、心新たに一週間を始めていくという日々が奪われた悲しみと寂しさを思いますし、そのような声をいただいております。この時、この経験を通して、世界に与えられている課題を覚え、感染集束後に、命を喜び、共生する社会へと進むことを祈ります。
さて、金曜に本日の箇所の原稿を書いたのですが、昨日、どこを探してもありません。データが消えても、残骸が残っているのが普通ですが、見つからず、本日はお休みにします。パソコンの入れ替えをして、長年使ってきたキーボード(鍵盤ではない、pc入力用)も変わったら、まだ慣れないので、スピードが遅くなっています。そのうち慣れるでしょう。
本日、朝から、ぱらぱらと3名ほどの方がおいでになり(内一人は浅見牧師)、献金をお届けくださいました。距離をとって、少しお話し、お祈りをさせていただきました。感謝です。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所を覚えての祈り> 岐阜バプテスト教会。岐阜市西駒爪町21にあります。この教会の牧師は面白い経歴をお持ちの方で、歯科医師の大学に通い、将来は歯科医になるところでしたが、東京でキリスト教に出会い、牧師への道を進む決意をされ、西南学院大学神学部で学び、それ以来、牧師として歩んでおられます。教会の祈りの課題。①地域に開かれた教会の具体像。②高齢者に優しい体制づくり。③現役世代・若者を招くための方策。牧師:宇都宮 毅
5/2「主の導き」 Ⅰコリント1章10-17節⑧
バプテスマを誰から授かったのか、ということが対立の背景にあると考えられました。そのように考えられるなら、そのことが対立の原因になるなら、皆さんにバプテスマを授けなかったことをむしろ感謝しなくてはならないと。ただし、実際にはパウロがバプテスマを授けた人もいるわけで、クリスポとガイオについて言及しています。
クリスポという人は使徒言行録18章に登場します。コリントで「ディアスポラ」(離散のユダヤ人)と言われる異邦の地に住むユダヤ人のためにつくられた「ユダヤ教会堂」(シナゴーグ)の「会堂長」で、会堂の責任者であった人です。隣りの家にパウロが滞在したことをきっかけにクリスチャンとなったのです。
ガイオはラテン系の名前ですが、ギリシャ語でもよく出てきます。使徒言行録19章で、マケドニアでパウロと出会い、パウロと共にコリントに居た人物です。使徒言行録20章4節の「デルベのガイオ」と同一人物だと思われます。ローマ書16章に出てくるガイオは同一かどうか不明です。さらに「ステファナの家の者」にもバプテスマを授けたことを思い出します。結果として、すべての者にバプテスマを授けなくてよかった、このことで神に感謝をささげるのでした。
ここで色々な人の名前が出てくると、とても生き生きした当時の教会の様子が見えてきます。クリスチャンになるきっかけ、出会い、はいつも不思議だと思います。キリスト信仰というものは、無理やりに一生懸命に伝えてみても、それでクリスチャンになるということではないのです。
実際にいろんな人を紹介できるのですが、宮崎県高鍋町の教会時代、大久保さんという農家の方がおられました。幼いころ、父親が聖書の頁を一枚はいでは、そこに煙草をつめて、火をつけて吸っていたのを見ておりました。しかし、その出会いは煙と消えませんでした。のちに聖書に関心を持ち、賀川豊彦との出会いによって「三愛」(神と、土と、人を愛す)精神の農業をはじめ、宮崎にやってきました。大久保さんの妻が急逝した後、ある人と出会います。その女性、スマ子さんは、あるアパートに住んでおり、隣の家に、教会の集会の案内をする人が来たそうです。しかし、隣の人は都合が有って行けないということで、では、「私が代わりに行きます」と言って、初めて教会や聖書に出会い、クリスチャンになり、そして、大久保さんの後妻となったのです。本当に面白いものです。出会いは、家族や友人、本、学校、いろいろな道があるものです。
もし、今日、あなたがこのホームページを見てくれたとしたら、それもきっと不思議なこと。私は思うのです。神さまはいろんな方法を通して、あなたと出会いたいと思っている。それに気づくか否か、でしょう。
飛行機や電車に乗るときに、多くのアナウンスがあります。スカイマーク3便、○○に行く方は〇番ゲートまでお越しください、と。アナウンスは流れていても自分には関係ないことと聞き流していきます。しかし、自分が乗るべき便が呼ばれたら、「そうだ」と気づき、立ち上がって向かっていくのです。たくさんの声があなたの周りにも日々、なっているでしょう。その中で「あっ、これは自分に関係あることだ」と思う瞬間があるのです。その時、その声は主イエス・キリストの招きの声であるかもしれません。今日はM・Yさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟豊橋キリスト教会。愛知県豊橋市向山東町4-1にあります。豊橋といえば、「ナザレうどん」ですね。このうどん屋さんは豊橋教会のメンバーです。本当のナザレうどんは食べたことはないのですが、息子さんのひとりが、連盟加盟教会で牧師をされていて、その味を少し味わったことがあります。この教会の牧師さんは割りと若く、同じ教会の出身であることを聞いて嬉しく思っています。祈りの課題は以下です。①東三河地区での福音宣教のために。②み言葉と幻の共有。主にあある一致。③教会員と求道者の平安と祝福。牧師:小林大記
5/1「キリストは分けられたのか」 Ⅰコリント1章10-17節⑦
うん、どうも先に進めないし、余計なことばかり書いているのでご迷惑でしょうが、もっと短くしましょ。説教は短い方が喜ばれることが多いみたいですね??。私が牧師一年生で宮崎県の高鍋町で生活を始めた時、同じ町内の日本キリスト教団の安藤牧師(故人)から「インスタントラーメンのような説教をするな」と言われて、以来、その言葉をいつも大事にしてきました。
説教(宣教)は、まず聖書を読み、疑問があればそれを調べ、その伝えていることと、現在、伝えるべき内容を考え、いろいろな解釈を学び、教会のメンバーの顔や今の時代性を思いながら、祈りながら1~2日寝かせて(発酵するのです)、それから一気に言葉化するのですが、最後の「言葉化」で3~4時間ほどかかります。その前の段階から考えれば10~15時間はかかるのです(どの牧師もほぼ同じだと思います)。しかし、時間をかけたから必ず御言葉にふさわしい宣教になるかどうかは別ものですが。また、書きすぎた。
昨日、コリント教会の対立は「律法のとらえ方」と記しました。その内容はこのコリント書に今後も展開されていきますので、折に触れて扱います。そして、パウロは「派閥」が生まれる土壌として「バプテスマ」を誰から授かったのか、が一つの背景としてあることを示します。
信仰者の入学式といってよい「洗礼・浸礼」である「バプテスマ」を受けようと決意したら、学びの時間をつくります。そして多くの人はどの牧師からバプテスマを受けたのかと覚えております(日にちは忘れる人が多い)。また特に信仰の歩みだしですから、その時に学ぶ内容はとても基礎的な大事な内容です。でも牧師は神さまではありません。教会から働きを委託されて牧師としての働きをするのです。どの牧師からバプテスマを受けた、ということは参考にはなりますが、あまり意味がありません。むしろ対立の中に下手に入ったり、対立を招くようなことはすべきではありません。
恵み、恩恵であるキリスト信仰を巡って対立が生まれる、それを「キリストは分けられたのか、分裂したのか」とパウロは問います。パウロが十字架にかけられたのではありません。パウロからバプテスマを受けたら、それは本物のバプテスマなのか、等という議論は成り立たないのです。私どもは、十字架にかけられている主イエスによって、赦され、主から与えられた命の道を歩むことになった、その「十字架の影」に立ち続ける他はないのです。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト名古屋キリスト教会。名古屋市千種区今池1-6-25にあります。戦後、早い時期に名古屋のセンター教会を目指して生まれた教会です。教会堂は神戸や旧常盤台とおなじようなコロニアルスタイルの会堂になります。大昔、常盤台教会の聖歌隊の伝道旅行の時に訪れました。「今池」という場所は名古屋の中心地ですよね?名古屋で「台湾ラーメン」を食べるというのが、私の夢の一つですが、いつか実現したいものです。ひつまぶしは食べた、なべ焼きうどんも食べた(麺が堅いの!)、あんかけスパゲティも食べた。あとは「台湾ラーメン」。すみません、緊急事態にこんな話で。祈りの課題は、①「使命と働き」に添った教会形成。②教会建築をビジョンとすることの共有。③礼拝に出席できない方との連帯。牧師:白石久幸、協力牧師:池田巍義、伝道師:西久保健二
4/30「争いがうまれる」 Ⅰコリント1章10-17節⑤
昨日の「クロエ」の話でクロエは裕福な家の夫人、その「家の者」は住み込みの家政婦でしょう。クロエもその家政婦もクリスチャンであったと思われます。では、どこに住んでいたのか。まず、コリントではなかった。パウロがこの手紙を書いているのはエフェソ。クロエはエフェソ近くにいて、何かのことで、コリント教会を訪問し、そこで聞いたこと、感じたこと、つまり良くない話ですが、その報告を家政婦を通してパウロは聞いたのでしょう。すでにキリスト教会のネットワークができていたことは以前も記した通りです。
パウロが取り上げた第一の問題は教会の中に「争い」があった。それは「パウロ派」「アポロ派」「ケファ(=ペトロ)派」「キリスト派?」に分かれての争い。アポロについては使徒言行録18章等で紹介されていますので、お読みください。ペトロはよくご存じでしょうが、やはり使徒言行録で異邦人にユダヤ教の律法を守ることをさせようとしたり、それでパウロと対立することもあるし、パウロの考えに同調していけば、エルサレム教会の指導者からは叱られるという立場ですね。ペトロは何かにつけて、人間のもろさ、弱さを示してくれて、それはとっても私どもの在り方に近く「ペトロ先生、そういうこともあるよねー」と言いたくなる人です。
「争い」の要因は「律法」に対する考え方でしょう。旧約聖書の律法の中で育った人はキリストと出会って、キリストにより「律法は廃棄(=成就)」したものであるのに、なお、律法を守るべきだと考え、自分ひとりでやっていればよいのですが、「律法を守れ」と異邦人クリスチャンに命令するのです。もちろん異邦人クリスチャンは「律法」のことはほとんど知りませんから、イエスの弟子であった人に「律法を守らなければ救われない」と言われると、「それは大変だ」ということになるのです。
クリスチャンになったら「あれをしないといけない」「これはしてはダメだ」といろいろ制約をつけたがる人がいるものです。聖書を読み、祈りをし、礼拝を喜びつくっていく、ことがクリスチャンでありますが、すべてに自由であるのもクリスチャンです。その自由はキリストに従う道における自由です。そして「愛」をもってしか自由を行使してはいけません。あれ、私も「あれをするな」と言っているのかしら。
「争い」はただ聖書解釈の問題ではなかったと思います。「争う心」は「違い」を「対立」に結び付けます。寛容さを失わせます。立ち返るのは主イエスの言葉と業になりますが、この当時、福音を伝えるのは口伝であり、語る人間の解釈が大きく入っていたことは問題でした。その時代に比較すれば、今、私どもは四つの福音書を通してイエスの言葉を聞くことができるのは、幸いだと思います。一人に一冊聖書があるなんて初期キリスト教会ではあり得ないことですから。すごい宝をいただいているのです。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟引退教役者の方々を覚えて。友納徳治氏(福岡県にある「伊都キリスト教会」をアパートの小さな部屋から起こしていった方です。現在の「常盤台バプテスト教会」の牧師のお父様)。
鍋倉勲氏(品川教会、福岡市の鳥飼教会等で長らく牧師をされていました。神学者としての一面もお持ちです。私が神学生の時、鳥飼教会で1年研修をしました。その時の牧師が鍋倉先生。鳥飼教会というのは、教会の横に川があり、冬になると渡り鳥がたくさんやってきて、パンを投げると鳥が大変上手にキャッチするのが楽しかったです。それで「鳥飼」という名前になったのかしら。鳥飼教会の隣は西南学院の舞鶴幼稚園とさみどり保育園があります)。
4/29「再びつながるために」 Ⅰコリント1章10-17節④
「心を一つにし、思いを一つにし」の「思い」はギリシャ語「グノーシス」という言葉なので田川訳のように「知識」「認識」が良いでしょう。「グノーシス」は哲学等が盛んであった当時のローマ社会で高度なグノーシスを求めることが流行でもあり、特別な「グノーシス」を得ることが人間の目標をされたのです。「思い」という訳は少し弱いでしょう。
「堅く結び合いなさい」の「堅く」の付加はルター以来の伝統で、「結び合う」は直訳では「修繕する」「回復する」という言葉です。当時の医学用語で「骨折」や「脱臼」を治す言葉にも使われています。いずれにせよ、今は壊れている状態ですが、それが再びつながるということになります。「回復する」ということが大事ですね。人間の関係でも「切れる」ことが生じます。あるいは災害や事故によって「切れる」ことがあります。「死」というものも「決して再び戻ることがない」ゆえに忌み嫌われてきました。しかし、主イエスのよみがえりによって、切れた関係性、切れた命が再びつながる希望を私どもは持つことができるのです。英語で「宗教」はreligion で「再びつながる」という意味だと昔、聞いたことがあります。
11節でパウロは「兄弟たちよ」と語りかけます。ここに実は大きな意味があります。こう呼びかけることによって非難の調子をやわらげています。バークレーが語るように「それはムチをもった教師の言葉ではなく、愛以外の感情を知らない人の非難である」。さらに、「兄弟たちよ」と呼びかけることによって、コリント教会で分裂している人々も本当は、主にある兄弟姉妹であることを認識させようとしています。
「クロエの家の人たち」。岩波訳は「クロエの(家の)人々」と青野太潮先生は訳します。「クロエー」は女性名詞で女性の名前。当時では裕福な商業階級の夫をもつ人だったと考えられます。クロエーの者とは、クロエーに仕える雇われ人、伝統的には「奴隷」とも考えられてきました。田川健三先生はここで岩波訳を批判し、岩波訳で「クロエス」としたことで、「この訳者は杜撰」と言っております。青野太潮先生は、私が西南学院神学部で学んだ新約神学の先生で私も随分影響を受けましたし、信仰者としても見習いたいと思う先生であり続けています。
田川健三先生は荒井献に代表される「東京大学大学院西洋古典学教室」に学んだ人を鋭く批判しております。今は荒井の次の世代(大貫、さらに次の先生)になっておりますが、荒井献の門下であった青野先生に対してもいろいろ批判をしております。田川先生はここで「ともかくこの訳者(青野先生のこと)、水準が低すぎる」と記しております。何を仰る田川先生、青野先生の真摯な研究姿勢を知っている者からすれば「言い過ぎ」と思います。一方で、青野先生が田川先生の批判を論文等で記しても、「田川先生は対話しないんだ」と嘆いておりました。青野先生も言っておりますが、田川先生は自分の門下生には大変甘いところがあり、世界的な新約聖書学の権威である田川先生(フランス、ストラスブール大学で学んだ)も所詮、人間なんだなぁと思います。
元に戻しますと、私の手元にある岩波訳(2004年版)で青野先生は田川先生が指摘している「クロエの(家の)人々」としておりますので、青野先生がこの指摘を受けて修正したのかしらと思って1996年の初版本を見たら確かに「クロエス…」とあったので、青野先生が指摘を受けて「クロエ」に修正したのですね。「聖書研究」というのは大変広い世界で、ある面から見たら二千年前の古文書の解釈になります。そして「聖書」ほど世界で研究されている書物は他にないでしょう。
ここまで書いたのでついでに。私の名前は「献」と言いまして、父が「献」と名前をつけると聞いた母は「変な名前、やめてー」と。父は「いや、荒井献という優れた学者がいる」とのことで母も了解したようです。私はドラ牧師ですみません。
荒井献先生のライフワークの一つである「使徒行伝」の講義を西南学院大学神学部時代に受けました。荒井先生も青野先生も、聖書の一行を解釈し、翻訳するのに、世界中、そして歴史の中にある文献をいくつも参照し、調べて、聖書のメッセージを捉えようとする姿に感銘を受けたものです。福音書とか、ローマ書、コリント書等は文献が大変多いので、調べるだけで時間がかかるのです。東大西洋古典で学ぶ人はギリシャ語、ヘブライ語、英語、ドイツ語などぺらぺらでなければ入学できないのですね。まぁ、私は今更東大で学びたいとは思いませんが。
さらに、私が22~25歳の頃、岩波新書で買った荒井献の「イエスとその時代」、そして田川健三の「イエスという男」、私の人生に大きな影響を与えた本です。もちろんいずれも基礎は「聖書」です。それはさておき、今日はY・Sさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟派遣宣教師を覚えて。野口日宇満・野口佳奈宣教師(インドネシア派遣)。①諸教会の宣教の前進。②自然災害やテロリズムからの守り。③使命にふさわしいビザの取得。④家族の健康。
嶋田和幸・嶋田 薫宣教師(カンボジア派遣)。①教会の日曜学校が祝され、「子どもから子どもへの伝道」が導かれるように。②新型コロナウイルスの感染が収束に向かうように。
4/28「心を一つに」 Ⅰコリント1章10-17節③
「心を一つにし思いを一つにして、堅く結び合いなさい」。「心を一つにする」とはある宗教で見られるような「洗脳」やどこを切っても「金太郎」のような「一つ」ではありません。「御言葉」つまり、聖書が語っていることを土台とすることにおいて「一つ」、そして、同じ御言葉でも、解釈や、考え方、その言葉に応答し実現しようとする内容は、個人によって異なることを良しとすることにおいて「一つ」なのです。
たとえば「人を愛する」ということでもその方法は様々であり決して一つではありません。「一つ」とは、主イエスがそうされたように、それぞれの「違い」を神さまから与えられた「豊かさ」と考え、それぞれの異なる思いを否定するのではなく、大事にすることにおいて「一つ」であり、互いを喜ぶことにおいて「一つ」であり、共に共通する課題を祈ることにおいて「一つ」であります。決して少数意見をないがしろにすることなく、皆が話し合い、妥当性があり、協力できる点を見出し、そこで方向や方策が決定されていきます。
そして一度決まったことも、実際の運営でうまくいかない時は、また話し合って修正をします。人間の考えには絶対的なものはありません。そして合意され、決まったことにはそれぞれの立場で協力し、参与する態度が求められています。自分はこの意見は反対だったので、そう決まっても私は協力しません、参与しません、勝手にやってください、等を言う人がいれば、時間をかけた議論も無駄になってしまいます。そのような人がいたら、すぐに教会は壊れてしまいます。
「包括的」という言葉がありますが、賛成意見にしろ、反対意見にしろ、何かが決まるときは、賛成者も反対者もいずれも完全に納得する形ではないでしょう。それを受け入れる必要が両者ともにあります。そして、何が目標なのか、がはっきりとしていなければなりません。この計画が承認された、ではそれがどのようなゴールを目指しているのかが、共有されることが必要です。そして先ほども言いましたように一つの方策が完全ではありませんので、やっていく中でより良い道があればそこで再び話し合っていくことは当然です。
「決まったことだから変えられない」ことはありません。そして、「変える」ためには、誰かが勝手に行うのではなく、話し合いをきちんとして変えるのです。ルールを無視してはいけません。ただし、時間がかかります。緊急な時は執事会(役員会)で早い決定が必要でしょうが、通常の活動においては、時間をかけます。教会にみんなが集うのは週に一回なので、世の中の七分の一のスピードで良いと思っております(世の流れに取り残されるということもありますが、むしろ、世の中が早すぎる。ついていけない人が多いことも考えねばなりません)。
今日はO・Kさんのお誕生日です。おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟理事会。理事会のメンバーは連盟総会で選出された13名です。毎月行われる「常任理事会」、また全国から理事が集う「理事会」は年に3~5回行われています。特に今は諸教会の伝道が大変厳しい状況であり、これからの連盟組織の在り方について諸教会に提案していく大きな働きをになってくださいます。祈りの課題は以下です。①これからの協力伝道のあり方を共に考え、共に担う祈りが深められていく宣教会議(予定の日程が延期されました)、総会(通常は11月ですが、変更される可能性があります)となるように。理事長:加藤
誠(大井バプテスト教会牧師)
4/27「民主的な教会のゆえ」Ⅰコリント1章10-17節②
コリント教会では信徒の考え方、思いの表現、そして違う考え方が複数ある中でどのような方向性をもって歩んでいくのかということでいくつかのグループに分けられ、それぞれが正当性を示し、妥協しない、というか、互いに裁き合っていたのです。教会であれ、どんな組織であれ、そのような違いや対立はよく生まれることです。思いが強く、熱心に関わろうとすればするほど、その溝が深くなるのです。今のコロナ感染に対する対応でも様々な溝が生まれていることを覚えます。
そのような人間の在り様を知った上でパウロは「心を一つにし、思いを一つにしなさい」と勧めます。また、この言葉は教会形成におけるキーワードです。コリント教会に対立が生じていた、でもこのことはある面から見ればすばらしいことなのです。別の個所でパウロは「分派」も必要であると語っております。
なぜ「すばらしい」と言うのか。つまり、二千年前の教会において「民主主義的な教会生成」で運営されていたからです。多くの部族や国というもの、それは部族長や王や皇帝等が命じたことに反対や違う意見を述べることは大変なことでした。時には死刑すら与えられます。また部族長がある宗教に改宗した場合、その配下にある人々も皆、その宗教を持たねばなりませんでした。
「思想・信仰の自由」等は今でこそ当たり前のように考えられますが、そのような「自由」がない社会は現代でも大変多いということができます。コリント教会でも一人の権威者が「こうする」と言ったら、違う考えをもっていても従わなければならなかったし、そうしないと破門されることでしょう。でも、そうではなかったのです。それぞれ社会的な立場や経済的な違いはあっても、主の前には等しく、ゆえに、皆で語り合い、教会の運営がなされていた。そのことは今の教会でも同じですね。時々、牧師を権力者と考える方があります。牧師は教会員から働きを委託され、招聘されます。すべての活動は執事会や総会で報告され、承認されてできるのです。しかし、一方で、委託する側には責任が伴います。「自由」であることと、「責任」、それぞれの自覚が、民主主義国家でも、民主的な教会運営でも強く求められます。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東北バプテスト連合。東北連合は福島、宮城、秋田、岩手、青森、山形各県にあり、日本バプテスト連盟に加盟する15教会の連合です。祈りの課題は以下です。①相互訪問礼拝が用いられるように。②無牧師の教会の守りのために。③協力伝道のビジョン共有のために。会長:小田
衛(大富キリスト教会牧師)
4/26「口に尊い言葉を」Ⅰコリント1章10-17節①
挨拶が終わり、パウロは内容に入っていきます。「勧告」とあります。あれっ、と思うかもしれません。「勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにして、結び合いなさい」。
最初の挨拶を見る限りでは、コリントの人々がイエスへの信仰が与えられ、言葉も知識も豊かにされましたねー、と喜んでいるのに、ここでは反対のようなことが記されるのです。
でもね、ここらあたりの順序というか、語り方はとても大事なのです。まず、感謝を語ること。人間関係でも、祈りでもそうです。祈りをするときにも、まず、神さまから与えられていることを感謝し、表明することが、人間の心を整えていくのです。
人間に対しても、たぶん、多くの方はそうされると思いますが、まず「この前ありがとう」とか「とってもよくなったね」など、感謝や喜びを語ることです。
人間っていうのは、あんまり人のことを誉めるのは楽しくないようです。どちらかと言うと、悪口のような方が楽しいのです。
「噂」という漢字があります。この漢字は「口」に「尊」と書きますので、すぐれたこと、よいことを口にするべきなのでしょうが、だいたい「噂」というのは、人の良くない点や、過ちや、失敗などが多いし、「悪い噂」はとてもよく広がるのです。
それはさておき、まず、良い点をほめ、感謝することが大事。ただ、注意すべきは、せっかく「良い点」を語っても、そのあと、「でもね、それはいいんだけど」と言って「悪い点」を挙げると、それまでの「良い点」を否定します。言い方としては「それら良い点があるし、あと一つここを変えたら本当にすばらしい」というような言い方が望まれるでしょう。
おっと、今日はもう時間がなくなりました。所沢キリスト教会から「所沢通信」がファイルや郵送等で送られている方は、その聖書箇所を読み、メッセージを読んでお祈りください。ゴールデンウィークに入ります。人との接触はなるべく避け、コロナ感染の収束、医療関係者の方々や、ご苦労されている方々、苦しむ方々の上に主の幸いと導きがあるようにと、心こめてお祈りいたします。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 北海道バプテスト連合。北海道にあり、日本バプテスト連盟加盟の16教会で構成されています。祈りの課題は以下です。①北海道で暮らすすべての人の生活が護られるように。②主任牧師不在の教会の歩みのために。③先住民族を覚えて。会長:田森茂基(旭川教会牧師)
4/25「神の真実」Ⅰコリント1章4-9節③
「神は真実です。」真実とは、「嘘、偽りのない真」、仏教語では「絶対の真理、真如」です。ギリシャ語では「アレセイヤ(アレテイア)」。ただ、「偽物」ではない、ということが主眼ではなく、「誠実」であるという、より内面を表現する言葉です。神が真実であること、その根拠をあなたはどこに求めましょうか。神ご自身が、自ら「真の神」であることを示すこと。
みなさんは「神さま」はどんなことをしたら「神さま」だと認めるのでしょうか。今、「神!」とは「ゴッドハンド」とかの言葉をよく見ます。多くは、一般人では到達しえないようなすぐれた業や技を使う場合に言います。また、奇跡的なことをする。例えば、一晩で嵐がおさまる、とか、死んでいた者が生き返った、とか、杖を立てたら温泉が出た、とか、ですね。もちろんそのような「神」とか「イエス・キリスト」の姿は聖書にも登場いたします。
但し、注目すべきは、そのような不思議に接した人が、皆、イエスさまを信じ、感謝と喜びの人生を送った、ということでもありません。神が神であるゆえの「誠実」な人間との関わり。神はあなた方を(本来はそうではないにも関わらず)、救い主、導き主、愛の主であるイエス・キリストとの交わりの中に招いてくださったことです。ここで注意しておくことは「交わり」の意味。辞書では「付き合い」とか、「性交」とかでてきます。あるいは「朱に交われば赤くなる」とか。聖書でいう「交わり」。一番良いたとえはイエスさまが語ったように「ぶどうの枝と幹の関係性であり、つながり」です。「つながり」はとても大事ですし、「つながり」がない姿を「孤独」と言います。イエスさまとつながる関係の中で、植物が栄養や水など、必須のものを受けるように、イエスさまとつながり、命や祝福、励まし、恵み、力、希望、慰め、助けを受けていく、その「つながり」が「交わり」です。
礼拝の終わりに牧師が(多くの場合)「祝祷」、つまり、祝福の祈りをいたします。そこで「聖霊の交わり」がありますようにとお祈りいたします。これはすなわち、神さまとの関係が、決して切れることなく、豊かになされますようにということなのです。神さまが神さまであること、その確かさ、誠実さは、罪深い人間をなお愛し、導こうとして、共にあろうとされ、神さま、イエスさまとつながる命へと導いてくださったことなのです。私どもは、日々、食事や睡眠などで命を維持いたします。そして人間の「心(または魂」を満たすのは最終的には「心または魂」しかありません。あなたの心に神さまが触れてくださって、あなたの心を、今日、満たしてくださいますように。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東山キリスト教会。名古屋市千種区穂波町2-50にあります。地下鉄の駅から上がって徒歩ですぐ、住宅街の中にあります。私は、現在の鈴木牧師就任式の折、僭越ながら連盟理事だったので、連盟代表として挨拶させていただきました。それより以前、同じ福岡市で多くの交流のあった先生なので、とても嬉しく挨拶をさせていただきました。鈴木牧師はイケメン(昔?)で礼儀正しく、背筋を伸ばして、すごく真面目な先生です。早良教会の牧師だったころ、福岡有田教会で行っていたドラム教室にも通ってくださいました。他にも腹話術などにもチャレンジしておられました。ただ、あまり、完成したという話は聞かないけど、いや、何でもそう簡単ではありませんからね。いつのころか、すてきな伴侶ができ、東山の地で活躍されています。就任式のあと、ご家族と「うなぎ」、を出前で用意してくださいました。名古屋のうなぎの食べ方は面白いですね。祈りの課題は以下です。①み言葉に忠実に従う教会となる。②主日礼拝・祈祷会の充実。③全年齢層への伝道。新会堂建築。牧師:鈴木直哉
4/24「キリストの守りの中で」Ⅰコリント1章4-9節②
6節の「キリストについての証し」。「証し」という言葉は世の中で一般的に使わない言葉のように感じます。「証拠」や「証明」、「ある事柄が確かであるよりどころを明らかにする」ことです。教会では「証しします」「証してください」という言葉が頻繁に用いられますが、それは「神さまが自分に与えてくださった恵みを語ること」です。キリストが自分にどのように関わり、導いてくださったことですから、自分を誉めたり、自分のしたことを自慢するのでなく、「神さま」がなしてくださったことを語るのです。戻って、ここは「キリストの福音を学び、分ち合って、確かになってきました」ということです。7節は「そして、キリストを知ることによって神の恵みを一つ残らず知りました」と訳します。新共同訳などの「賜物」はわかりにくくなります。そして8節を田川健三はこう訳します。「主は、我らの主キリスト・イエスの日においてあなた方が責められることのない者となれるように、あなた方を最後まで堅く支えて下さるであろう」。神さまの「恵み」を知る、それは、多くの間違いを犯しやすい私どもを確かに導く。「キリストの日」とは「キリストの出現」、いわゆる「最後の審判の日」ですが、いついかなる時にも、あなたを堅く支えてくださるのです。もちろん第一義には「信仰が守られる」ということですが、同時に、日々、様々な困難や危険の中に生きる私どもを守ってくださるのです。主なる神があなたに目を注ぎ、守ろうとしてくださっています。「守られる」なら、はずれたことをしてもよいか、と思ったり、「守られかどうか確かめてみよう」等と考えることは、イエスさまにサタンが語ったことと同じです。「守られている」なら、「守られている者」として今日の行動を決めていきたいのです。あなたを生かし、喜びと希望の中に導く神のまなざしを思いつつ、今日の日を過ごしましょう。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 平針キリスト教会。名古屋市天白区向が丘1-617にあります。10年程前に新会堂になりとても入りやすくなりました。平針は「ひらばり」と読みます。この教会の谷綛牧師は、以前、神戸市の国際的な教会、名前がでてこないけど、その教会を経て、バプテストに加わり、尼崎教会、そしてこの平針教会に招聘されました。日本バプテスト連盟のいろいろな研修会などに積極的に出られている方です。祈りの課題は①新会堂10周年記念行事のために。②伝道50周年記念行事のために。③祈りとみ言葉の教会となるように。牧師:谷綛安雄
4/23「あなたの姿は」Ⅰコリント1章4-9節①
自分のことは自分が一番良く知っている、と思いがちですが、決してそうでないことがあります。自分の「良い点・悪い点」は人から言われて「そうなんだ、この人にはこう見えているんだ」と気づくことがあるのです。もちろん、その言葉が嬉しいこともありますが、時には嬉しくないこともあります。そりゃ、欠点を指摘されて嬉しい人はあまりいないけど、でもその言葉が、きちんと受け取られた時には成長することもあります。人の心は難しく、どう言ってよいのか、どうすればふさわしい言葉として響くのか、いつも悩んでおります。
ここでパウロはパウロから見たコリント教会の人々の感謝や優れた点をまず語ります。「あなたがたは神の恵みを受けてキリスト者とされたこと、なんて嬉しい、なんて感謝すること!」と言い、あなたがたがキリストに結ばれ、キリストにつながり、キリストによって生かされていることで、あらゆる(キリストの)言葉や知識が豊かにされていることに感謝しています、と喜ぶ内容を語るのです。主イエス・キリストの言葉や知識を心に満たすことは、その人自身をキリストに近くさせていきます。キリストがいつもどのような願いを持ち、人と関わっていたのか、そのことを学ぶと、私どもがどのように人に関わるべきかの道が示されるのです。「学ぶ」という言葉は「真似する、真似ぶ」が語源だといわれます。師匠の姿を見て、自分も同じようにしたいと思うことから学びが始まります。主イエスの言葉や行動を知り、自分もそうしたいと思います。それは簡単ではありませんが。そう願うのです。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 瑞穂キリスト教会。名古屋市瑞穂区大富町1-13-3にあります。私が大学生時代、常盤台バプテスト教会のメンバーで、常盤台教会の聖歌隊が二年に一度、伝道旅行をしていました。私も岩坂先生の車に同乗してこの伝道旅行に参加しました。名古屋地区の2~3教会で、賛美歌の演奏や神さまから受けた恵みを語る、ということをしたのです。その一つが「瑞穂教会」でした。当時は常盤台教会出身の牧瀬牧師でした。近くに商店街があり、そこで本場の「きしめん」を食べたのを思い出します。現在は新しい教会堂になり、秋山義也牧師です。秋山義也牧師と秋山献一牧師(三鷹教会)は兄弟で、私は「小羊会キャンプ」や「全国少年少女大会」でお二人のことは割りと幼いころから知っておりますが、いまだにどっちがどっちだか見分けがつかないのです。ごめんなさい。神戸教会に研修で来て「お疲れさん」と一緒にジャズ喫茶に行ったのはどっちだっけ?お二人とも北関東地方連合出身の頼もしい方です!瑞穂教会の祈りの課題は以下です。①み言葉を味わい、生き生きと伝道する新年度。②地域・外国の方々から学び、出会いを大切に。牧師:秋山義也
4/22「恵みと平和を祈る」Ⅰコリント1章1-3節④
パウロは挨拶のあと、祈りをはさみます。父なる神、それは旧約の時代から引き継がれる神の尊称。ただ、「父」という言葉とその言葉の持つ「概念」は変わってきています。「父」は「厳しさ」を表現するものでしたが、今は「優しい」「あんまり頼りにならない」というようなイメージがあったり、「父」は「自分を愛してくれる存在」ではなく、「自分を痛みつけ、苦しめる存在」として考える方もあります。本来は自分を守り支えてくれる存在ということです。ゆえに「父なる神」よりも「誠の神」等の言い方が現代では良いと思います。旧約聖書には神のことを「万軍の主」と言うことがありますが、「万軍」は軍事的な力のイメージがあるので、気を付けていくこと、「神」のイメージをより正しく理解していくための「翻訳」は必要です。「恵み」、それは神を表現するよい言葉。「恵み」は自分の力では得ることができないものです。自分の努力ではなく、神さまから与えられるギフト(賜物)です。「信仰」は自分の努力で「わかる」ことではなく、神から与えられる「恵み」を感謝して受け取ることからしか始まりません。神さまはあなたに「良き力」を必ず与えてくださいます。「平和」、自分を助け導いてくださる方があるとき、その心に「平和」が与えられます。「平和」を崩すのは、満ち足りず、人を羨み、何かを独占したい思いです。主イエスとの対話の中で平和が与えられ、そして、平和を学んだ者は、平和をつくりだすことへと導かれていくのです。パウロもまたここで他者のために祈ります。それは「平和」の心がなくしてはできないことなのです。今日はH・Sさんのお誕生日おめでとうございます。主の恵みが注がれますように。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 南名古屋キリスト教会。名古屋市南区戸部町4-5-1にあります。伝統的に多くの牧師を輩出した教会、元気で伝道熱心な教会、いつも新たなチャレンジをしている教会というイメージがあります。牧師の山川明美さんと山川高平さんは親子です。明美さんのお子さん、山川哲平さんはキリスト教音楽の世界で活躍しておられます。祈りの課題にある「福音経済」という言葉ははじめて聞くような言葉ですが、福音宣教をしていくための経費がささげられるという意味だと思います。祈りの課題は以下です。①南名古屋派遣宣教師の働きのために。②地域伝道の前進。③福音経済の満たし。牧師:山川明美、山川高平
4/21「つながる教会」Ⅰコリント1章1-3③
「至るところで主の御名を呼び求めている…」、50年代のキリスト教会。ローマ諸国への伝道はパウロの働きが特筆されますが、同時に、様々なルートを通じて各地でイエス・キリストを「主」(救い主)と呼ぶ人、そこに集う人によって教会が生まれています。主イエスの言葉、そこで示される「福音」が、人づてに確かに伝わっているのです。もちろん、それらキリスト教会は、社会の中ではとても小さな数にも入らないようなグループです。しかし、新たな福音は、人の心を動かし、この世にあって「光」として輝こうとしております。距離は離れていても、それら教会は祈りで結ばれ、人が移動する中でつながっていく教会でした。そして教会のつながりは大事です。教会の開かれたつながりが、互いの信仰を深めていくのです。
「わたしたちの主」、主イエスは、パウロにとって、そして教会に招かれたひとりひとりの主であります。「主」というのは、「主人」とか「主体」ということですが、多少言葉を足した方がわかりやすいです。「救い主」は「私を救いへと導く主体」、「助け主」「導き主」「癒し主」等。また「救い主」という時、「救い」の内容は大変広がりのあるものです。何よりその「救い」は主イエスがそれぞれの方に語ってくださる内容なのです。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 愛知新生キリスト教会。愛知県西春日井郡豊山町青山東栄204にあります。割りと女性牧師がたてられてきた教会です。この3月まで牧師であった大島世津子先生は3月末で辞任されたようです。祈りの課題は以下です。①牧師が与えられるように。②無牧師での教会活動のために。③み言葉と祈りの生活が守られるように。
4/20「聖なる者」Ⅰコリント1章1-3節②
「聖なる者」、「聖」とは「神さまの目的のために専ら使われる存在」であり、神さまだけがそれを「聖」としてくださる事柄です。つまり、人間がいくら「これは聖なるもの」と言っても、「聖」とされるのは神さまなのです。私どもは「これを聖なるものとして、あなたの御業のために用いてください」と祈る、そしてそれを受け取り、「聖」とされるのは神さまであることに、いつも謙虚でなければいけません。2節の「キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々」、パウロはその言葉に加え「召されて聖なる者とされた人々」、と言います。「キリスト・イエスによって」だけでは足りないと思ったのでしょう。「主イエスが呼びかけ、招いてくださった」、この事実をもう一度語るのです。改めて言います。「これは上等なものなので、すばらしいものなので、神さまの働きに用いてください」、と人は祈って献げることが大事、しかし、真実に神が受け取ってくださるか否かは、人間は決めることができないのです。そこにギャップが生まれます。それは私たちが「良い」と思うものと、神さまが「良い」とする基準が異なるからです。コリント教会の信者たち、人間的な目線でいえば決して完全な存在でなく、しみもしわもない存在ではありません。パウロから見れば多くの誤りや不足がある存在です(パウロ自身も自らを罪深い、神の目には叶わないような姿と言っています)。でも、主なる神はそのような不足が多い、間違いの多い、罪にまみれた者を「聖」、つまり、神さまの愛する存在として用いてくださるのです。人は言います。「お前なんて本当にクリスチャン?」「クリスチャンなのに…」と。クリスチャンは人間として完成され、神さまのような存在ではありません。自分の罪深さを知り、そのような自分をも愛し、ゆるし、主のものとしてくださることに感謝する者、それがキリスト者なのです。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト四日市教会。三重県四日市市野田1-1-27にあります。三重県にある日本バプテスト連盟加盟教会としては唯一です。この教会の加藤牧師は某有名大学の法学部出身のとても頭の良い方。いつも汗をかきかき、熱心に語る牧師です。いつも一生懸命な感じですばらしいです。伴侶は教会音楽の学びを続けられておられ、ご夫妻ともに、「しょうがい者」の方々やその周囲におられる方々と心合わせて歩んでいらっしゃいます。祈りの課題は①中長期的な教会の使命と目標を。②多様な人々に向けて開かれる。③連合・連盟との協力を喜び献げる。牧師:加藤英治
4/19「自己紹介」Ⅰコリント1章1-3節➀
この聖書日課は、3月まで「聖書教育」の箇所で行ってきました(大体)。4月からコロナウィルス感染拡大防止のために週報等を作成しておりませんので、時期に合わせた箇所を選んでおりました。いろんな箇所に飛ぶのもなんでしょうから、しばらくはパウロが記した「コリントの信徒への手紙Ⅰ」より学んでいこうと思います。
まず知ってほしいのこと。コリント教会はパウロが中心的に働きをして設立された教会ということ、そして、今、パウロは別の地域(エフェソ)で伝道生活をしており、コリント教会からの質問や問い合わせに応じる形で記されたものです。
今日の箇所はパウロの自己紹介です。最初の言葉を原語では「パウロ、神の御心によって・・・」。「召された」とは、私が小さい頃「召された」=「死んだ」というイメージがあったのですが、「召された」のは神が呼び招いた、ということで、それは地上の働きにせよ、天国に行く時(それは神さまだけが決められることであるが、主イエスの思いは「すべて」の人が救われるためであるので、それに期待するしかないのです)にせよ、神さまが働きかけ招いてくださるのです。「使徒」とは原語で「アポストロス」、「使命を帯びて派遣された者、メッセンジャー」という意味です。つまり、神さまからその名を呼ばれ、そして神ささまから使命を与えられて派遣されるのです。兄弟「ソステネ」についてはまた後日。そしてコリントにある「神の教会」。教会は原語では「エクレシア」、神から呼び出された者の集まりという意味です。なので、教会とは建物ではなく、神が呼び、招いた人々の集まりを「教会」と言うのです。なので「教会」という、「教える」という言葉になってしまうと、学びが中心のような気がしますが、もっと豊かなイメージがあります。私が西南学院大学神学部に入学して「教会教義学」というクラスがありました。ほとんどの学生が受講しており、教師は寺園喜基先生(当時九州大学教授)でバルト神学を専門にしている方です。最初の授業で学生に「神学的自己紹介」をしなさい、と言われて「神学的自己紹介とは?はて?」と考えました。つまり、パウロのような紹介をしろ、ということだったのかと今も思い起こします。みなさんが自己紹介する時、なんと言うでしょう。「私は、主イエスと出会わせていただき、この小さなつまらぬ者を神の働きへと招いてくださる主を信じ、今、生かされているのです」と心から言うことができたら幸いですね。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> びわこシャロームチャペル。滋賀県守山市ふけ町300-15-5-131にあります。「ふけ町」は漢字では「浮気町」で、かなり面白い地名として知られているようです。教会案内に「浮気町」はマズイと思ったのでしょうか。そういえば、長崎県に「女の都」という地名があり、天国か地獄だなぁ、と感じたことがあります。ここは「めのと」と呼ぶのです。さて、この教会の桶田牧師は神学校で同期入学です。私はまだ20代、桶田さんは40~50歳だったと思います。関西弁で「ハレルヤ」といつも元気な方でした。今もあまり変わりないですね。率先して「早朝祈り会」を行ったりしていました。「祈りが足らない!」と言われると私ら、あんまり反論できないの。朝は苦手やけん(急に博多弁)。シャロームチャペルの祈りの課題は、➀Ⅱテモテ4章2節に導かれ、滋賀県全域を担当地域とし、2年前からイエスさまの福音を伝えています。現在、三か所で礼拝し、6月にもう一か所でも始めます。あと10年で10箇所のチャペルを開く予定です。牧師:桶田紀夫
4/18「もう較べなくていいよ」ヨハネ福音書21章20-25節
復活された主イエスがペトロに対して「わたしの羊を飼いなさい」という使命を与えた箇所は昨日扱いました。その後、振り向くと、「イエスの愛しておられた弟子」(多分、ヨハネのこと)が近づいて来るのが見え、ペトロは「この人はどうなるのでしょうか」と主に尋ねます。ペトロも私共も、他人の未来、他の人をイエスはどう扱うのかと気になることがあります。主イエスは「他の人がどうであろうとも、私に従え」と語ります。人間の「ものさし」では他の人より優れている、他の人より軽率に扱われている、等、他人との比較で自分を評価します。でも、そのものさしはいい加減です。自分が誇りたい時は、自分よりできていないよなーという人と較べますし、自分が慰めてほしい時、自分を「そうではない」と言ってもらいたい時は、自分より優れているなーという人と較べたらいいので、「比較」の発言は信用してはなりませぬ、というか、その背後にある心理を考えないといけません。何より主イエスは、人間の能力や好みで比較や差別をしません。一人一人の命を心配し、それぞれに主との関わりの中でその人にふさわしい働きを与えられますし、あなたはもや、あなた自身を誰かと較べないで生きる自由が与えられているのです。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 須磨伝道所。別名で「ユース・ハーベスト・チャーチ」です。昨年12月より神戸市の「名谷」から「妙法寺」という場所に移動しました。この教会は大変ユニークな教会です。なぜなら'97年2月から5月にかけて、当時14歳だった男子中学生が児童を次々と襲い、山下彩花さん(当時10歳)、土師淳君(同11歳)の尊い命を奪って3人を負傷させた「神戸連続児童殺傷事件」を知った谷口明法牧師が、その事件に強く心を動かされ、神戸で青少年にイエスさまの福音を伝えようとしたことから始まったのです。主な対象は青少年であり、「英語教室」を行いながら、地域へ伝道をしています。もちろん、青少年が対象なので、先生の生活自体は大変苦しいと思います。未来へと生きる若者に語り続ける先生のお働きを尊敬しております。祈りの課題は、新しい場所での働きのためにお祈りください、とのことです。牧師は上記した谷口明法さんです。
4/17「新しい職務への招き」ヨハネ福音書21章15~19節
主イエスが自ら用意された食事を食べた後、よみがえった主イエスはペトロに語りかけ、これからペトロが行うべきことを示されます。ここではペトロだけとの対話が記されていますが、私は多分、その後、ひとひとりの弟子に語ったことだろうと思います。そして今日の箇所は、私が「献身」(「献身」はいろいろな意味がありますが、ここでは牧師や伝道者として、その働きを専らするという決意)する思いへと促された聖書箇所です。イエスさまが「シモン」と古い名前(「ペトロ」はイエスが「あだ名」としてつけた名前)で呼ぶ時は、とても大事な時であり、ペトロの人生すべてに関わるような出来事を語る時です。「他の弟子より自分を愛するか」、ここでは、ペトロが「私は他の弟子がつまづいても決してつまづきません」と言った言葉を念頭に語っています。そして、主イエスはそれを三度繰り返す。ここにもペトロが三度主イエスを知らないと告白したことと結びついています。ペトロの思いを確認し、そして、主イエスは「私の羊を飼いなさい」と職務を与えました。もちろん、「私の羊」とは、この世界の人間のことです。主を「愛する」ことは、主が愛される人間を愛することであり、人々の最善と幸いを祈り、ひとりひとりが主と出会うことへと導く働きなのです。神を愛することは、人を愛することで証明されるのです。その働き、愛の働きは決して楽ではなく、将来的には自分が思わない、願わない道があることを示します。「献身」とはそのことを含みます。もはや自分が喜ぶように、自分が好きなように人生を目指すのではなく、神の思いを実現することを第一にするのです。難しいことだとドラ牧師も感じます。牧師として歩んで30年余、己の弱さ、罪深さを示されるしかないような日々。でも、この箇所に立ち返って、思いを新たにしていきたいのです。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 新田辺バプテスト伝道所。京都府京田辺市東古森85-1で活動されているようです。大津バプテスト教会の伝道所です。この教会はあまり知らないので申し訳ないのです。祈りの課題は以下です。➀新しい求道者が与えられますように。②教会の伝道の働きが祝福されるように。③教会の経済的必要が満たされるように。牧師:永藤 裕幸
4/16「弟子たちが新しく生きるように」ヨハネ福音書21章1~14節
主イエスが復活後、しばらくして教会が聖霊の息吹により生まれる前、弟子たちの信仰は時に高まり、時に不信に陥る時があります。弟子たちは出身地に戻り、かつての漁師に戻ったようにも記されます。しかし、この日、イエスの弟子に招かれた朝のごとく、一晩中漁をしても、何の獲物もとれません。その時、主イエスが彼らに声をかけ、あの日と同じように舟の右に網を下すと、沢山の魚がとれました。そして、弟子たちは全てを悟ります。イエスの声を聴かなくては何の獲物もとれず、生きることができない自分の姿。弟子たちが働くのは、主イエスの救いの業を伝えるためであり、自分の腹を満たすのではなく、世界に恵みを伝える働きのためなのです。その働きのために主御自身が朝食を用意されるのです。この朝、弟子たちはなんと嬉しい、忘れられないひと時でした。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大津バプテスト教会。滋賀県大津市木下町9-5にあります。「大津教会」は長く牧会された浜崎牧師の考えもあってか、「聖霊の働き」を強く言う教会と思うのですが、一方、深く聖書を学ぶことも(当然ですが)大事にされていると思います。規模の大きな教会なので、小さなグループをつくってそれぞれのグループでの牧会や伝道をされています。この教会の上田牧師は、実は神戸の生まれ。お父様は今の「新神戸」駅に近いところで「飴やさん」をやっていました。私が神戸教会在任中は上田先生のお母様のバプテスマをさせていただきました。おねーさんも元気でしょうか。上田先生はとても地味に見える先生で、あんまり「聖霊!」っていう先生はないのよね。教会の祈りの課題は以下です。➀主の教えに従ってそれを守ることができるように。②地の塩・世の光として用いられるように。牧師:上田益之
4/15「信じられない者のために祈る」ヨハネ福音書20章24~29節
イエスの弟子たちは処刑されたイエスの関係者であることで逮捕を恐れ、家の鍵を閉め、閉じこもっています。もうひとつ、閉じこもった理由は裏切った自分たちは呪われるのではないかという思いです。その閉じられた世界、閉じられた心の中によみがえりの主イエスが、まるで普通に、いつものように入ってこられます。そして聖霊によって赦し(和解)の福音を伝えること、平和に生きることを教えるのです。しかし、トマスはその時いませんでした。その後、自分は復活など信じないと言い放ちます。それから一週間、他の弟子たちは、トマスのために祈ったでしょう。トマスが復活の主を信じることができるようにと。その祈りに応えて、主イエスがトマスに会われます。「証拠」を見なければ、と言っていたトマスはもはや証拠を必要とはしません。今の教会でも仲間に信仰が与えられることを祈っています。誰もが「自分は信じられない、もうやめたい」と思う時が起こるのです。その時、あなたのために祈る方がいます。そして主御自身が、み言葉を通して語ってくださるでしょう。「信じられない」と思う心を、私は大事にしたいのです。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 北山バプテスト教会。京都市北区上賀茂岩ヶ垣内町37にあります。でも、何より地下鉄の駅から上に上がったらすぐそこにある便利な教会です。「植物園」の真ん前になります。この教会で3月まで牧師をなされていた木原先生は、関西学院大学の働きを4月からなされているはずです。木原佳二先生は新約聖書神学を学び特に「ルカ福音書」の研究者として本も出されています。でもとっても謙虚で控えめな先生です。先生ご家族は家族ぐるみで親しくさせていただきました。ルカ福音書では「悔い改め」と訳される言葉、ギリシャ語では「メタノイア」、逆から読んだら「アイノタメ」ですが、その言葉はむしろ「方向転換」という積極的な意味なのですが、割とずれて理解されているのが残念です。木原先生は教会でも早くに「太陽光発電」を行うなど、社会や環境のことを日々、祈り、考えておられます。日本新約学会が東京で行われる時にでも、所沢教会でお話していただきたいなぁ、と思っております。4月から北山教会の牧師に就任されるのは「小櫻 信」という方で、西南学院大学神学部を出たばかりです。お父様も牧師をされていました。教会の祈りの課題は以下です。➀高齢者や病床にある方々のために。②こどもの安全・教育成長のために。③核と原子力からの脱却のために。牧師:木原佳二(3月末辞任予定)、小櫻 信(4月1日就任予定)
4/14「よみがえり、信仰の復活」ヨハネ福音書20章11~18節
イエスに七つの悪霊を出してもらい命の喜びを取り戻したマグダラのマリア。しかし、墓でイエスの遺体が消えたのを見て敵対者がイエスの遺体を侮辱するために持っていったと思い、また、彼女の目的が果たされなかったことで泣きます。その涙の中に誰かが近づいてきます。それは、かつてそうであったように。主イエスはこの時も悲しむ者の傍らに立ち、言葉をかけます。目は涙にさえぎられてイエスだと気が付きません。そしてイエスが「マリア」と呼びかける言葉を聞いて、イエスと解ったのです。ここでもヨハネのキーワードである「主の言葉を聞くこと」を通しての信仰が表明されています。そして、今日も主イエスはザアカイの名を、ペトロの名を呼びかけたように、あなたの名を呼びかけ、喜びの関係を繋げてくださるのです。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 北白川バプテスト教会。京都市左京区北白川山ノ元町76-1にあります。京都市の「日本バプテスト病院」の近くに建てられた教会で、本来的には、病院と協力して医療関係者や病院で診察や入院される方、された方などを受け入れる教会が一つの願いだったと思います。この教会で長く牧師職をされたY牧師、Y牧師が引退後、私も高鍋でご一緒に歩んだ時期がありますが、Y牧師のリーダーシップと、聖書に対する考え方、向き合い方は大変純粋であるように思えます。が、「ミッション」があったのかと問われていくでしょう。もちろん、Y牧師が悪いとか、間違っていると言っているわけではありません。牧師と信徒、という関係性の構築の中で、また、バプテストとしての生き方において、超えてはならない、いや、超えさせなかった、超えられなかった、というY牧師の課題を感じるのです。祈りの課題は以下です。➀教会員の健康のために。②礼拝の充実のために。③地域への伝道のために。牧師:軍司康博
4/13「消えたイエスの死体、これは事件か、事故か、それとも」ヨハネ福音書20章1~10節
日曜の朝早く、マグダラのマリアと多分、他の女性たちがイエスの墓に「別れ」のために行きます。そしてイエスの遺体がなくなっていることを見て、驚き戻り、他の者に伝えます。ペトロともう一人の弟子(ヨハネ福音書に5回登場し、「ヨハネ福音書」を記した弟子ヨハネとも言われる)が確認しますが、この現実は不思議であり、謎でした。「遺体が盗まれた」としか思えません。「復活」などその時は信じられなかったのです。いや、誰がそんなことを信じ得ましょうか?遺体がなくなったことはよみがえりの証明にはなりません。復活したイエスが彼らに、私に語りかけない限り「復活」は信じられません。今も生きて語られる主イエスとの出会いのみが「復活」を信じることにつながるのです。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト京都教会。京都上京区荒神口通河原町東入亀屋町122-1にあります。京都の人はこんなに長い住所を覚えて、書くことができるのでしょうか。確か、川の近く、だったかなぁ。昔一度だけ行ったことがありました。京都の町自体には、何度も行ったことがあります。街中をお坊さんがはんぱなく歩いていたのに親近感をもちました。お坊さんとも仲良くやれることが多いのですよ。祈りの課題は以下です。➀み言葉を生きる教会として。②バプテスト関連施設を覚えて。③隣人と共に歩む教会として。牧師:李 海勲(イ ヘフン)
4/12「イースター、よみがえる関係」マタイ福音書28章1~10節
復活、それは関係性の回復であり、救済であり、希望であり、愛であり、共に生き、共に歩み続ける世界の実現です。死は愛する者同士、共に生きた者の関係を引き裂きます。人間はそのような罪を犯すのです。そう、関係を引き裂く、つながりを断ち切ることにおいて。しかし復活はそのような人間の罪の力に対して新たな地平を示し、新たな絆、虹のごとく分断の橋をつなげ、復活する世界があることを教えてくれます。レンという人の書いた讃美歌を思い起こします。「互いを引き裂く痛みの中でも、よみがえる愛を信じて祈ろう」。主なる神は、命を、愛を、よみがえらせる方。断絶した世界の中で、我らは今日、喜び歌おう。我らは祈ろう。再び繋がれ、共に生きるよみがえりの賛歌をイースターの恵みと祝福が今日、我ら世界の上にありますように。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 京都洛西教会。京都市中央区西ノ京馬代町16-9にあります。この教会で長く牧師として歩み、現在、協力牧師をなされている杉野榮牧師は京都の切支丹遺跡、仏教・神道とキリスト教の関係等に大変詳しく、杉野先生の研究成果を多くの方々に知っていただけたらと常々思っております。「魔鏡」と呼ばれる、切支丹の方々が、鏡に光を当てると反射した光が十字架の形で見えるものがありますが、それを再現したもの(サイズは実際よりずいぶん小さいです)を、以前、私も先生から購入させていただきました。見たい方は、コロナが落ち着いたあと、所沢キリスト教会においでくださったらお見せいたします。祈りの課題は以下です。➀築50年の牧師館改築の実現へ。②正牧師招聘のため導きと備えを。③地域宣教の進展を求めて。協力牧師:杉野 榮、李 鎮鐵(リ ジンチョル)
4/11「イエスは死んだ」マタイ福音書27章44~56節
主イエスの死の時、地震や死者の復活があったとマタイは記しますが、多分、起こったとしても、残念ながら社会への影響は何一つ与えなかったようです。ただマルコが書いているように一人の信仰者が生まれたのは確かでしょう。神を必要とせず、神をこの世から追い出した人間はその勝利に酔いしれました。人間の「力」への信仰は多くの犠牲を出しているにも関わらず、今も平気に続いています。そして主イエスは暴力とたくらみにより殺され、墓に葬られます。夕方になり、何事もなかったかのように日が暮れていき、闇が世界を覆います。悲しみと後悔の夜はもはや戻れない時の到来を告げます。その時、我ら悲しみ、悩み、苦しみ、喜び、希望が交差する人間の世界を歩んだ主は、人々が忌み嫌う死者の世界をも住まいとされ、歩んでいるのです。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 北大阪キリスト教会。大阪府守口市大久保町2-34-14にあります。この教会の古賀牧師は「碁」がとても上手らしいです。そのせいか、パソコンも指一本で「タンタンタン」と打っているとのこと、ものすごい早起きの方で、見習いたいものです。祈りの課題は以下です。➀2カ月に一度の子ども集会が祝されますように。②高齢者や病の中にある方が守られますように。牧師:古賀昭範
4/10「虐待する人間の魔性」マタイ福音書27章27~44節
死刑判決が下されたイエスの姿。「赤い外套」は緋色であり、紫に近いもので、「罪」や「懺悔」を表現するものとして処刑される者に着せられたと考えられます(色の使い方は時代で変化する)。そして「王」の冠は「茨」であり、その堅い棘は主イエスの皮膚を刺します。そして、つばをかけられ、叩き続けられたのです。まさにその時、主は人間とみられていなかった。ここに人間の「魔性」を見ます。優しい父親が戦時下において赤ちゃんを槍でためらいもなく刺したように、狂気の人間、それが確かに人間の姿だと思う時に悲しみがあふれます。「魔性」の血の遺伝子は誰もが持っており、その犠牲が主イエスに代表されます。同時に犠牲となる主だけが人間を赦しその罪の歴史を浄める、いや、犠牲は今も続いています。主の十字架に目を向けない限りはその歴史は繰り返し続けるのです。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 南千里バプテスト教会。大阪府吹田市高野台3-10-8にあります。一度伺ったことがありますが、低い山をくるくると登り切った上にあります。さいごは行き止まりになるので、その前に見つかるはずです。祈りの課題は以下です。➀牧会者があたえられますように。②聖書から力を与えられますように。③教会の交わりが豊かになるように。代表役員:平田道也
4/9「責任はないと言いながら」マタイ福音書27章15~26節
ポンテオ・ピラトは紀26年~36年、ローマ帝国がパレスチナに駐在させた総督(行政長官)で、通常はカイザリヤに住んでいますが、祭りの期間は警備のためにエルサレムに滞在していたのです。ルカ福音書13章には「ピラトがガリラヤ人の血をいけにえに混ぜた」つまり、礼拝をしていたユダヤ人をピラトが殺した記事があります。その他、ユダヤ人の反感を買う行為をしたことで有名です。ユダヤでの合法的殺人(死刑)も恩赦権も行使できたのはピラトだけでした。今日の箇所ではピラトがユダヤ人に屈したようにも見えますが、彼には正義などあるはずがなく、ユダヤ人の暴動を恐れて、責任はユダヤ人にあると明言して、イエスの処刑を決定したのです。そのピラトの姿は今を生きる人間の中にもあるのです。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東豊中バプテスト教会。大阪府豊中市上野東2-11-48にあります。この教会の河野牧師は「新生讃美歌」に掲載されているいくつかの讃美歌詞を書いておられます。「天然」っぽい愛すべき先生です(先輩だけど)。祈りの課題は以下です。➀この時代を生きる中で栄光を主に。②礼拝が復活の命と新たな献身へ。③国民(くにたみ)・世界の民がキリストの福音へ。牧師:河野 浩
4/8「苦難による連帯と励まし」ヘブライ書12章1~3節
ローマで旧約聖書をよく知るヘブライ人に記された書。迫害はローマ政府と同郷の民であるヘブライ人から受けました。その苦しみは実に耐え難いものでした。そのような状況を生きる信仰者に、心確かに、主を見て生きるようにと励ましています。そして何度も「苦難」を受けた主イエスの姿を伝えており、ここに、「苦難」に対する人間の向き合い方のひとつが示されています。「苦難」を肯定的に受け取ろうとする時には、人に忍耐を教え、成長させるものなのです。ただそれを回りの人が言っても当該者が簡単に理解できるものではありません。大牧者である主イエスが、語りかけて下さることだけです。主(神)が苦難を担い、痛みを受けたこと。それが励ましの根拠。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 和歌山中央バプテスト伝道所。和歌山市東釘貫丁1-2-1にあります。祈りの課題は以下です。➀信者たちの信仰が堅く建てられるように。②地域に福音が拡がりますように。③3年後に建築ができますように。牧師:河 亨植(ハ ヒョンシク)
4/7「悲しむ者の幸い」マタイ福音書5章1~12節
主イエスが語った十の幸い。特に、3、4、10、11節は人間が「幸い」と思えない事柄にも関わらず、主は「幸い」だと語ります(「逆説」)。主イエスに従ってきた者は主の十字架上での死は「悲しみ」でした。しかし、復活の朝、悲しむ人々の目に希望の光、喜びが生まれるのです。主の復活は、迫害や死の悲しみに生きる人々に希望を与え続けています。「悲しむ者の幸い」、それはどんな人間も決して語ることのできない言葉です。ただ、死をもって死を滅ぼし、人間の罪を贖い、永遠の命へと招く、唯一人のお方、イエス・キリストしか言い得ない言葉であり、主を信じる我らへの大いなる励まし、喜びとなるのです。この苦しみを通して、主の幸いを待望し、祈ります。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大阪中央バプテスト教会。大阪市中央区島之内2-5-9にあります。地域柄、韓国出身の方など多い教会です。祈りの課題は以下です。➀祈り、伝え、養育、奉仕を通してすべての人を弟子とする「愛の共同体」となる。牧師:ハム・クァンオク、他。
4/6「言葉が与えられる時」エゼキエル書37章1-14節
エゼキエルはバビロンによるエルサレム陥落と捕囚を経験した預言者です。異国に連行され、イスラエルの人々は行き場と希望を失っています。その状況の中で、エゼキエルは「枯れた骨の復活」の幻を見ました。枯れた骨であっても主が霊(命の息、神の風)を注ぐ時に、骨がカタカタと音を立て近づき、肉が生じ、それらに預言する時、つまり、主の御言葉が告げられる時(創世記の創造も神の言葉によって成ったことを覚えよ)、命が生きだしたのです。かつては「黒人霊歌」と呼ばれた「アフロ・アメリカン・スピリチャル」でもこの題材が愛されて歌われました。異国で命が枯れてしまいそうな人々の状況がバビロン捕囚と重ねられ、でもそこに主による希望を見たゆえに。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大阪旭伝道所。かつての「新森小路教会」の歴史の中にあります。今は「平和の子保育園」です。「伝道所」は現在活動休止中です。牧師:中島義和、副牧師:中島久子
4/5「あなたの御心のままに」マタイ福音書26章36-46節
エルサレム周辺のオリブ山、ゲッセマネ(油絞りの意味、オリブ山はその名前の通りオリーブが植えられ、オリーブオイルを絞る場所)はエルサレム滞在中の主の祈りの場所でした。主イエスの逮捕、そして死刑が待ち受ける時、主は逃げることもできたでしょう。しかし、主は祈りの格闘の中で受け入れることを覚悟します。その祈りに共なる者、その十字架に共なる者はいません。ただ、お一人だけがその重荷を背負い、立ち上がっていくのです。この箇所は祈りの弱い私どものことを気づかせます。そして今日思い起こすのは、イエスの母マリアが、イエスを身ごもった時、大変躊躇しながらなお「あなたの御心が行われますように」と祈ったその信仰が主イエスにも引き継がれています。そして、今日、あなたのことを主は祈っておられます。そして、あなたにも、主に委ねる信仰が受け継がれていきますように。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト大阪教会。大阪市天王寺区茶臼山町1番7号にあります。最近、新しい会堂が建築されました。JRで言えば「天王寺」から歩いて6~8分と便利の良い場所です。会議で訪れて帰る時、どーしても「串カツ」の誘惑に負けておりました。この教会の下川牧師は頭がつるつるなので、お坊さんとよく間違えてしまいます。祈りの課題は以下です。➀伝道開始70年目の歩みのために。②病床、療養中の方々の守りと癒しのために。③高齢者への礼拝の送迎が叶うために。牧師:下川俊也
4/4「主イエスが再びつなげてくださる絆」ルカ福音書22章31-34節
ルカが伝える最後の晩餐の時の話です。ここで主イエスは「シモン」とイエス様が名付けた「ペトロ」という名前でなく、元の名前で呼び掛けています。このような時はペトロに対して何か注意する時の言葉のようです。イエス様に従いながら、なお、まだ古い自分の意識や思いがあるのでしょう。主はペトロが自分を裏切ることを知っていました。その信仰の弱さ、人間の弱さを知りながら、たとえ、その人に信仰がなくなったと思えるような時でも、主がその信仰を与えてくださるし、再び立ち上がることができると語っておられます。この時、ペトロはその意味がわかりません。しかし、ペトロが離したその手を、信仰の絆を、主は再び結び、愛と赦しをもってつなげてくださるのです。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 田辺キリスト教会。大阪市阿倍野区播磨町2-6-12にあります。祈りの課題は以下です。①弱さを持つ人がみ言葉に生かされるように。②高齢者地域の中で寄り添う教会のあり方を模索活動中。牧師・喜多村やよい
4/3「苦難を共に担うお方」ヨハネ福音書16章25-35節
一昨日に記した主イエスの告別説教の最後。主イエスはご自身の苦難と死はもはや「たとえ」ではなく、実際に起こるのです。主イエスの苦難を知ることは、同じように様々な苦難の中を歩む私たちに苦難を耐え、勝利の日を待ち望むことへと導きます。苦難から逃げ去る道ではなく、苦難を生きつつ歩む者を神が愛して支えます。決して神があなたを憎いと思っているわけではありません。主イエスと共に神がおられ、私どもと共に苦難を歩まれた主が我らに伴います。苦難の中で心騒ぎ、心荒れる中、主の平和が主によって与えられます。そして主は私どもを励まします。「勇気を出しなさい。わたしは既に世(苦難をもたらし、神から離そうとする世界)に勝っている」と。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 今日は日本バプテスト連結成記念日です。戦時中にキリスト教派は政府により統一され、管理・監視の対象とされました。戦後、米国南部バプテスト連盟の宣教師等によって生まれていたバプテスト教会(他も含む)、16教会で「日本バプテスト連盟」結成いたしました。1947年のことです。さて、本日祈る教会は「平野バプテスト教会」です。住所は大阪市平野区平野東4-4-13にあります。祈りの課題以下です。①広い教会堂が与えられるように。②「夜回り」「お茶の会」地域活動のため。③新来者や離れている方々のため。牧師・高田 進
4/2「非暴力に生きた主」ルカ福音書22章35-38節
イエスの逮捕を前にして主イエスが「剣」を用意しなさい、と語られます。なぜ、主が「剣」を必要としたのか。ここは解釈が難しい点です。解釈の一つは、その後、ペトロが大祭司の手下の耳を切り落としたことにより、なぜ剣を持っていたかの根拠を示したこと。でもその時、主はペトロに「やめなさい、剣を捨てよ」と暴力を中止させます。もう一つの解釈は、命の危険が迫っていること、それに対して準備をする表現であり、武装(といってもわずか剣が二本だけで、他方、神殿・政府側は武装をたくさんしている)を勧めることではない、との考え。私は、どんな武装も主の歩み(非暴力)の前には無力となることを教えるために用意させたと考えます。主イエスは決して争いを願っておりません。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 シオンの丘キリスト教会。大阪府藤井寺市藤が丘1-7-12にあります。祈りの課題は以下です。①地域の方々と出会えるような集会が備えられて、周囲の方々にあてにされるような存在となれるように。牧師・坂田 浩
4/1「悲しみは喜びへ」ヨハネ福音書16章16-24
主イエスはこの夜、深い痛みと悲しみの思いが満ちていました。別離、そして死の苦しみはイエス自身も避けたいほどのものでした。しかしこの箇所には「喜び」が「悲嘆」に深く対峙するように、確かに語られています。「悲しみが喜びに変わる日が来る」。世の与える喜びは世の有様に左右されます。そのような一時的な、あるいは一人悦に入る喜びではなく、人が奪い去ることのできない喜びなのです。この世を生きる私どもには悲嘆や絶望の時があります。その時、思い起こしてほしい。それは主イエスにも苦難の歩みがあったことを。今日、悲しみを担って歩む者、目覚め、天を見上げ、主の足跡に続き、忍耐し、祈ろう。主の御心はあなたを「喜び」へと招くことのゆえに。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 東大阪キリスト教会。大阪府大阪市花園東町1-20-19にあります。祈りの課題は以下です。①世界が平和になりますように。②すべての人が大切にされますように。③地域での福音宣教の前進のために。 牧師・柴田 良和、中村 尚子
3/31「つまずく時」マタイ福音書26章1-35節
「最後の晩餐」の席上、主イエスは弟子たちに「皆、わたしにつまずく」と語り、弟子たちは「つまずきません」と口々に言います。つまずくとは物事の中途で、思わぬ障害につき当たって失敗することです。弟子たちはイエスご自身、何度も自分は殺されると話すのを聞いていましたが、それを受け止めていませんでした。そして、実際にイエスが逮捕される時に逃げ、つまずいたのです。私どもも(信仰でも)つまずくことがあります。誰もつまずきたいとは思ってはいないのに(他方で、自分の存在の表現としてわざとつまずくこともあり)。それは自分の現実が自分の予測と異なる時に起こります。その時、信仰は自己中心的です。そうではなく、神の目から自分を見つめなおすことです。そのようなあなたを主は支え給う。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟「引退教役者の方々を覚えて」。時田光彦氏(千葉県在住)、冨田敬二氏(東京都在住)。
3/30「主イエスはキリスト(メシア)」ルカ福音書10章21~24節
突然のように主イエスが聖霊(=神)により喜びあふれています。何故今頃と思うのですが、「神の御心がわかる」ということは、一度だけではなく、その生涯で何度も御心を知り、喜ぶ時が与えられます。そして、イエスと神との関係について語っています。ヨハネ福音書では「言は肉となった」「わたしと父は一つである」という内容を語っているのです。そして「多くの預言者や王たちが待ち望んでいた者、それはこのわたしである」との表明はマタイ福音書では「預言者によって言われていたことが成就するためである」と同じ内容を語ったものです。ここにおいて主イエス・キリストがメシア(救い主)であると語られ、イエスによって人間に出会い給う神が示されたのです。今日はM・Mさんのお誕生日おめでとうございます。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連合立神学校・研修センター。連盟の各地方連合の働きとして「東京バプテスト神学校」「九州バプテスト神学校」「北海道バプテスト研修センター」が運営されています。
3-29「言葉が現実となるために」ヨハネ福音書18章14~18節
真理とは、辞書的には「確実な根拠によって本当であると認められたこと。ありのまま誤りなく認識されたことのあり方」です。聖書が語る真理は「神・イエス・聖霊」を指します。ヨハネ福音書で「真理」が使用されている箇所はホームページの「聖書日課」に記しました。真理は自由を与え、真理は人を生かし、共にあり、主の教えを思い起こさせるものです。「真理とは何か」と聞いたピラト。自分の名誉や経済のために時代を生きたピラト。人間が求めるべき「真理」を求めるべきでした。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り>
全国教役者会。①これからの教役者会のあり方についての協議が整えられていきますように。②三バプテスト牧師研修会2021年9月福岡)の準備のために。 事務長・本山
大輔(豊前教会牧師)
■女性牧師・主事の会。①それぞれの賜物が豊かに用いられるように。②待機中の方々のために。③普段からの励ましあいと学びのために。
事務局・今給黎 眞弓(豊中教会牧師)
3/27「聞くべき声は誰の声?」マルコ12章27-36節
ローマ帝国ユダヤ属州総督ポンテオ・ピラト(在位二六~三六年)はユダヤ最高法院からの上告を受け、イエスを尋問します。死刑できる権利はローマ帝国ですから。主イエスは沈黙を続けます。その沈黙は「他人が何と言おうが、あなたは私を誰と思うのか」という問いであります。様々な情報を聞き、特に悪い噂に共感して一緒に騒ぐ人間が多いのです。真実を自ら確認することが大事です。ピラトはイエスに罪を認めず、人々の「ねたみ」が根本問題だと理解します。それは優れています。そして祭り時には恩赦について人々がバラバを恩赦せよとの声に、ピラトは人々が暴動化した場合の責任を考え、イエスを処刑する決定をしたのです。すべて自己都合、自己優先の人間。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 南九州地方連合。①南九州地方連合の教会・伝道所のために。②熊本震災で被災された方たちのために。③沖縄のために。
会長・中條 信治(宮崎教会牧師)