11/15 詩編39編 「揺れる心の中で」
一風変わった詩。想像するに、この人は病気であり、死が近いのを感じています。そして、病気になったのは神の罰だと捉えています。理由がある病気等なかなかありませんから。もう誰とも話したくないのです。でも心には様々な思いが溢れてきます。自分の人生、何の意味があろうか、努力してもすべては空しい。その中でやはり神様しか自分を助ける存在はないと思いますが、心は変わります。もう自分を痛みつけるのをやめてほしい、と言いつつ、やはり求めるのは神。「祈りを聞いてほしい、涙に沈黙しないでほしい」と。14節は「私を見つめないで、死ぬ前に喜びを与えてください」。誰もがこのような祈りをする時があるかも。この祈りもまた、聖書に記されます。今日はT・Sさんのお誕生日おめでとうございます!
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 高鍋伝道所。宮崎県児湯郡高鍋町北高鍋3242にあります。10号線、右は高鍋駅、左は町という交差点のすぐ入ったところにあります。昨日もお話しましたように、私が神学校を出て最初に赴任したのが、児湯教会であり、高鍋町に住んでいました。最初は教会員の持ち家、ものすごく古い家で、広い家でそれなりに楽しかったです。庭には大きな梅の木があり、初夏になると、ポト、ポトと梅の実が落ちる音がしていました。お風呂が薪(まき)でも湧かせることがわかり、農家の方に頼んで薪を譲り受け、蒔き割りをして、お風呂を炊いていたこともあります。薪で沸かしたお風呂は水がとても柔らかくなり、とても感動しました。さすがに、蒔き割りがそれほど続きませんでした。高鍋時代は、町でやっている油絵教室にも通いました。石井秀隣先生の指導でした。一枚の花びらでも描くのが大変で、時間がかかるものでした。石井先生にある時、「抽象画はよくわかない」とお話すると「いや、人間が描こうとしているものを、人間は理解できる」ようなことを教えられたのはいつも思い起こします。人間を理解しようと努めること、その心をいつも持ちたいと思っています。高鍋や近郊にお住まいの方、ぜひ、高鍋伝道所の礼拝に行ってください。とにかく駐車場は広いです!エンジンのついた草刈り機でよく雑草を刈っていたのも良い思い出です。高鍋伝道所の祈りの課題は以下です。①次世代を担う20名の信仰者が与えられますように。②コロナ感染が一刻も早く収束しますように。牧師・児玉 一郎