4/7 詩編22編 「殺される神」
主イエスが十字架上で語った言葉の一つ「我が神、なぜ私をお見捨てになるのか」という言葉を、遠藤周作や一部の神学者も主は十字架上で詩編を語り続けており、死の時が丁度22編だったとします。それは、「苦しむ神」を認めたくない思い(なお、今はこの考えを採用する学者は少ない)。しかし、主イエスには詩編を朗読する余裕などなく、まさに「捨てられた神」であり、「弱さの極み」にあったのです。地上に足を置く場所はなく、標本のように釘打たれた体。誰がこの無力な姿に、見捨てられた姿に神を見るのでしょう。しかし我らは知る。今日、罪の満ちる世界で苦しみへと追いやられ、死に向かう人々を。自らの無力の中で、苦しむ者と共におられる主を見上げ祈るのです。主は人の弱さの極みにも伴う方なのです。神が人を呪い殺すことは世界中ある話かもしれませんが、神が殺される、ことは通常では有り得ないことです。今日、キリストの受難日を覚えつつ、今、世界で、戦争や紛争、飢餓、いじめ、差別等で苦しみの中に生きる方々を覚え、お祈りいたします。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 恵(めぐみ)キリスト教会。香川県高松市上福岡町758にあります。昔、行ったことのある教会ですが、すぐ近くに「琴平電鉄」だったでしょうか、電車が走っていました。ホームページでは次のように案内されています。「私たちの教会は、子どもからお年寄りまで様々な年齢の方々が集まる教会です。毎週日曜日に20名から30名ほどで礼拝が行われており、イエスと共にある交わりを大切にしています。一緒に聖書を学び、生きている喜びや痛みを分かち合う居場所が私たちの教会にはあります。聖書のことを学んでみたい方、教会というものを知ってみたい方、またご自身の日々の悩みを違う角度から見つめてみたい方など。私たち恵キリスト教会はどのような方でも歓迎いたします。皆様がお越しになることをいつでもお待ちしています。」とのこと。更新されていないので、早く更新したほうがいいですよ。祈りの課題は以下です。①回転資金からの借り入れ完済にあたり、協力伝道の支えに感謝し、新たな展望が与えられるように。牧師・伊藤 聰