3/6 ルカ福音書9章21-27節 「捨てることと負うこと」

 主イエスの受難予告です。主イエスが排斥され、殺される、しかし、復活する、との言葉は弟子達には理解できなかったようですが、それを前提に「私に従うのか」と語るのです。「自分を捨て」は難しい言葉です。多くの理解は自分の生き方を自分本位ではなく、主が願う道を第一としていくことです。「自分の十字架」も難しいですね。多分、自分に与えられている使命と考えられますが、積極的に言えば、主の願う世界の実現のために他者を愛し、他者と協働しながら歩む道であり、簡単ではないゆえ、労苦もありますが、そのように生きている人も知ります。あるいは、自分や家族の痛みや苦労、病、悲しみを負いつつ歩むことが十字架を負うことでしょう。自分を捨てることと十字架を負うことは同じ事柄です。今日はN・Eさんのお誕生日おめでとうございます。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 折尾キリスト教会(宗教法人名:折尾バプテスト教会)。福岡県北九州市八幡西区光明2-12-13にあります。1945年の開設で私が幼い頃育った教会です。今は無牧師になりましたが、平日にはゴスペル教室等に会場提供したり、コンサート等も行なわれているようです。「折尾」は北九州市の西で、鹿児島本線と筑豊本線が交わる駅です。ミッションの「折尾女子学院」や甲子園に最近出場した「愛真高校」、また他にも大学がいくつかあり、昔は学生の多い町でした。祈りの課題は以下です。①剣を鋤に槍を鎌に。②国は国に向かって剣を上げず。③もはや戦うことを学ばない。

2023年03月04日