6/30 ローマ書3章21-31節 「人を生かす言葉、人を生かす主」
「義とする」とは神の前にふさわしく正しい者とされることです。しかしその基準は世の基準とは異なり、本来は罪多く、神の前にふさわしくない者が、ただ、主イエスの赦しを受けとることによって義とされます。人間の力ではどんな人でも神の前に義とされません。完全完璧な人間等どこにもいないからです。まして律法を完全に守ることは誰もできなかったのです。ただ、主の愛と憐みにすがる以外に人間が神の前に立つ道はありません。「人間は完全ではない」ことが希望です。「完全」を求める人や親がいるかもしれません。しかしその期待に応えようとすればするほど人は生きることが喜びにならないのです。「完全でなくてもよい。お前は大事な私の愛する子」と招いてくださる主こそが人を喜び生かすのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟引退教役者の方々を覚えて。
井置利男氏(埼玉県在住・浦和教会員)。井置先生は若い頃、日本キリスト教団讃美歌の歌詞応募に友人と共作した歌詞を出しました。それが有名な「ああ主のひとみ」です。井置先生は生涯を牧師として歩まれ、他にも讃美歌歌詞を書いています。日本バプテスト連盟発行の「新生讃美歌」には井置先生作詞の「主よ おことばをください」(#132)、「空暗く波荒れくるうガリラヤに」(#441)です。以前、神戸教会牧師として就任していた時期、井置先生がお一人、無牧師の教会の支援で牧師をされていました。それで特別伝道礼拝にお招きしたことを思い起こします。
岩波 久一氏(埼玉県在住・飯能教会員、元当教会牧師)。記しておりますように、当教会の二代目の牧師として長年歩んでくださった先生です。地域の働きとしてPTA会長などもなされ、今でも町の人から「岩波先生お元気ですか」と尋ねられます。私は昨年夏にお会いしましたがとてもお元気そうでした。