9/2 イザヤ書45章18-25節 「救いについて考える」
「混沌」という言葉が二度使われています。18節は「何もない空間を創造したのではない」。19節は「空手形で約束しない」という意味。21節は前節を受けて、木にすぎない偶像神を担いで来た者はそこにどんな利益や効能があったのか、集って議論してみなさい、と語ります。そして地の果てまでのすべての人々が主を礼拝し救いを得よとの約束が告げられます。「救い」という言葉は大変広く、また受けとる人によって異なります。祈りは何を祈ってもよいのですが、お金を無駄使いして、それを神が補填するのは救いとはいえないでしょう。神によって嘘がばれなかったのも救いとはいえません。そこに正義や公平はありませんから。より根源的な生きる意味や力と喜びを与えられることなのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 篠崎キリスト教会。東京都江戸川区南篠崎町1-28-15にあります。この教会の川口牧師は「東京バプテスト神学校」でもいろいろな働きをされています。そして素晴らしいのがホームページで川口牧師の礼拝メッセージや「聖書の学びと祈り会」での「聖書研究」のメッセージが収録されていることです。信頼できる牧師なので、時々読ませていただきます。ありがとうございます。祈りの課題は以下です。①家族で礼拝に参加できるように。②若い人たちが定着できるように。牧師・川口 通治