5/6「十字架の言葉」 Ⅰコリント1章18-25節①

 みなさま、こんにちは。お元気でしょうか。私、教会が所在する泉町の町内会の会計役員もやっており、今日が19年度分の監査でした。決算資料は大体できていたのですが、不明な点がでてきて、一晩悩んでそれが解決、すると今度は決算資料と予算資料の書き換えも行わなければならず、時間を失ってしまいました。なので、今、書いております。と、まず言い訳を並べました。はい。
 18節の言葉は、とても有名で、覚えていらっしゃる方も多いと思います。「十字架の言葉」とは、まず何なのでしょうか。翻訳としては「十字架(キリストの死)を通して告げられる宣教(メッセージ)は」と言葉を足すのは英語訳等に見受けられます。なので滅びゆくもの(滅びの道をえらぶなら)にとっては、キリストが十字架上で殺されるなんて、愚かなことにしか見えないでしょう。でも、滅びではなく救いを、生きることを目指す我らにとっては、その『愚か』な姿に真実の救いの力を見ることができるのです」と意訳してみました。
 そして根拠としてパウロは旧約聖書イザヤ書29章14節、同33章18節を引用します。新共同訳でイザヤ書29章13~14節を見ます。「主は言われた。『この民は、口でわたしに近づき/唇でわたしを敬うが/心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを畏れ敬うとしても/それは人間の戒めを覚え込んだからだ。14 それゆえ、見よ、わたしは再び/驚くべき業を重ねて、この民を驚かす。賢者の知恵は滅び/聡明な者の分別は隠される。』」。つまり、主なる神と出会うときに、自らを知恵あるもの、聡明だと思う者は、主の真実を見失ってしまう、ということです。
 もう一か所の、33章18~19節を引用します。「あなたの心はかつての恐怖を思って言う。あのとき、数を調べた者はどこにいるのか/量った者はどこにいるのか/やぐらを数えた者はどこにいるのか、と。あの傲慢な民をあなたはもはや見ない。その民の唇は重くて聞き分けることができず/舌は語ることができなくなるので理解しえなかった。」。「数を調べたり、量ることのできる者」=知者や学者や世の指導者たちのことです。
 聖書の中でカッコに入る文があるときは、誰かの言葉、あるいは旧約聖書の引用は大変多いものです。
 そして、パウロは、へブル語で主に書かれた旧約聖書をギリシャ語に翻訳した「七十人訳」を用い、それはさらに日本語や英語に翻訳されるので、少し違うな、という感じもありますが、その状況をご理解ください。それではまた明日。今日はM・Sさん、M・Kさん(双子)のお誕生日おめでとうございます。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 福井キリスト教会。福井市町屋3-20-1にあります。以前、この教会を訪れたことがあります。雪深い地であるにも関わらず、教会の窓は木枠で薄いガラス。建物の設計は関西の「浜甲子園教会」と同じつくりでした。会堂はぼろぼろに近い状況でした。この教会を長く牧会されたS先生は美大でも学ばれた方でした。しかし、最終的には教会のメンバーは牧師夫妻ともう一人になりました。私はかつて連盟の「教役者会」の事務長をしており、このS先生からの言葉、厳しい地方教会に支援を、あるいは、牧師への謝儀を全国一律に近い形にしてほしい、そのことを話し合ってほしい、という言葉(これはS先生だけの主張ではありません、他にも賛同者がいます)に対応しようと、現地に向かったり、アンケート集計等も行いました。しかしながら、そのことを実際にやることまでには至りませんでした。日本バプテスト連盟が会社組織なら、可能でしょうか。でもそうしたら伝道が難しい地域は次々に閉鎖しなければならないでしょう。私も兼職していた時代もありますし、牧師・伝道者の生活は厳しいのですが、もちろんそれをわかったうえでしか、牧師・伝道者になってはいけません。同時にそのような状況が牧師・伝道者になる方を減らしていくこともありましょう。

 話を戻して、福井教会ではS牧師が昨年春に引退され、この春から平良憲誠牧師が就任いたしました。年金受給できるようになり、福岡市の平尾教会から福井に移りました。金沢教会の田口元牧師や中部地方連合、また全国の教会からの支援を受けて、新しい動きが始まっております。祈りの課題は以下です。①信仰は命です。主の御心にかなった教会になるよう、日々に、お祈りください。牧師:平良憲誠

2020年05月06日