4/18 マタイ福音書5章1-12節 「幸い、悲しむ者」

 主イエスの「山上の説教」は宝のような言葉が伝えられます。その冒頭で「八つの幸い」(11節を含めると9回)が告げられます。かつては岩波文庫で「山上の垂訓」との題で売られていました。時と場所を超え、今もなお多くの人々に影響を与えている言葉です。フランクという作曲家は「至福」というオラトリオを作曲しました。今週月曜の「聖書日課」もルカ版を少し扱っております。「幸い」は人々が求めて止まないもの。それは同時に「幸いでない」ことに満ちている人間の存在をあぶりだします。時に逆説で語られる「幸い」はじっくり読んでいただきたいものです。私がこの箇所を語る時に言うのは「悲しむ者は幸い」と語れるのは歴史上ただ一人、主イエスだけです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大阪旭伝道所。大阪市旭区新森7-1-5の「平和の子保育園」内で活動されています。ここはかつて「新森小路教会」がありましたが今は「保育園」が残っています。中島義和牧師、中島久子牧師が、伝道所としての礼拝を守っておられましたが、高齢になられ、今は活動中止して、メンバーの方々は「大阪教会」の礼拝に参加されているとのことです。良き先輩牧師である中島牧師の健康をお祈りいたします。

2021年04月14日