5/7「愚かな愛」 Ⅰコリント1章18-25②
イエス・キリストという方は、スーパースターではなく、実に愚かに、でも賢く、愚直に、でも鋭く、人間と関わりあった方ですし、今もそうあろうとしております。パウロは声を上げて語りかけます。「知恵ある者よ、学者よ、論客よ、あなたたちは何を知っているというのかい、あの十字架にかけられた主イエス、その方こそ、命をかけて、人を救おうとされたし、救ったのだ。この世の常識や知恵を超えて!でも仕方ない、あなたがたの量る計りでは、キリストの語る救いを受け取ることはできないのだから。」。
「宣教という愚かな手段」、とは、たぶん、普通に読んでも意味がわからないでしょう。「聖書」が遠くなるのも仕方ありませぬ。「宣教」とは辞書的には「キリスト教を広く伝える働き」とされますが、ギリシャ語は「ケリュグマ」です。これは意味が広い言葉であり、かつ重要な言葉なのです。キリストによって示された福音、というのがまとまる言葉になるでしょうか。なので、イエス・キリストの生きざま、死にざま、福音内容、神の国の約束と到来について、また、私どもの信ずるべき内容、と言いますか。
でも、イエス・キリストが示された「宣教」は、世の中では「愚かな、馬鹿らしい」と思われることでした。実際、パウロが語っていると「馬鹿らしいどうしようもない話」と言われたこと多々あったでしょう。イエス・キリストもまた、十字架上で、人々から馬鹿にされ、「ほら、人を救ったけど、自分を救うことができない情けない神、神なら、そこから降りてきて、みんなをやっつければいいじゃないか」と言われたのでした。愚かです。主イエスは何度も逃げるチャンスもあったし、全く異なる方法、つまり、武力をもって、自分を信じない輩を倒すこともできたでしょう。
主イエス・キリストは、十字架にかかり給う。人間に裁かれ、十字架で死ぬ神。なぜ、そのようなことを…。
あるお母さまのお子さんがひどい病にかかりました。つらく苦しむ我が子を見ながら、お母さまは思い、願い、祈りました。「自分はどうなってもよい、我が子と自分を替えてほしい、身代わりになれるなら、わたしは、そうなりたい、主よ、この子の替わりに私を病にしてください」と。
神さまの愛とは、まさにそのような愛でした。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 富山小泉町キリスト教会。富山市堀川小泉町681にあります。今日は富山小泉町教会のことで大変うれしいですね。私が日大時代に通っていた「常盤台バプテスト教会」ではこの富山小泉町教会(そのころは伝道所)を覚えて支える「祷援会」の活動が」行われており、私ら、当時の青年数名でこの「富山小泉町教会」での奉仕をいたしました。みんなで車一台に乗って、運転は当時の祷援会の代表であったKさん、そして常盤台教会の音楽牧師であった岩阪さん。
富山は初めてでした、牧師館から見える立山連峰の美しかったこと!。いろいろな刺激を受けましたが、今でもしっかり覚えているのは、富山小泉町教会の牧師で当時、まだ若い牧師であった酒井牧師夫妻のこと。お二人はたぶん、結婚前から「交換ノート」を始めて、そのノートにはさまざまな事柄が記されており、その交換ノートを結婚してからも(?)続けていたのです。すごくあこがれたし、本当に心を知り合い、心寄せあっている夫妻だと感銘を受けました。
それから、もうひとつ。神戸教会でバプテスマを受けられた女性。留学先のベトナムで知り合った人と結婚するということで、ベトナムなどは同じ宗教の人でないと結婚できないのだそです。そして、結婚式は彼女の故郷である、富山、この富山小泉町教会で行われ、私が僭越ながら結婚式の司式をいたしました。富山小泉町教会には、他にも知っている方がおりましたよ。愛媛県温泉郡というなんかすばらしそうな町出身の人もいました!元気かい?さて、それで、ベトナムの人と結婚されたかた、教会に通っている時期が短かったので、教会につながってくれるかな、と案じておりました。でも教会でよい働きもされ、今はご夫妻はベトナムにおられます。富山小泉町教会は結構国際的な教会ですよ!
さて、祈りの課題ね。①宣教開始60周年の準備のために。②バプテスマ決心者の準備のために。③子ども礼拝が祝されるように。牧師:閔 丙俊