4/1 マタイ福音書27章11-31節 「政治に殺される人々」
ローマ支配下にあるユダヤ最高議会は合法的殺人の権利、つまり「死刑」できません。政治的な権力だけが合法的殺人である「死刑」ができますし、その権力を政府に与えることは市民との信頼がない限りしてはなりません。死刑を求めローマ政府総督に人々は訴えます。しかし、権力者が正しいとは限らないのが悔しく、悲しい世界の実態。ピラトは正当にもイエスに罪を認めません。しかし、正義に生き切れないのがピラト。人々がイエス処刑を望む力、その力が自分に影響すること、つまり、民衆の暴動を恐れ、自己保身のために、正義を曲げ、挙句の果てに「私には責任ない」と決裁者であるにも関わらず、責任放棄するような為政者により冤罪が確定していきます。怖いのが、今も二千年前と政治が変わっていない点。権力に殺された人々の悲しみが今日も広がっています。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 神戸国際バプテスト教会。神戸の外国人の方々に向けて英語で礼拝されていました。最近は神戸から撤退した外国資本の会社も減りました。現在は活動を休止しております。