7/4 Ⅰコリント14章1-12節 「教会をつくりあげる言葉」

 第一コリント書、13章で神さまが下さる恵み、その最高の道は「愛」と語られます。その後、預言と異言に触れています。「預言」とは「人に向けて語られ、人を造り上げ。励まし、慰める」言葉なので、いわゆる説教や証しの類。「異言」は霊的な高揚を通常伴い、人にわからない言葉が次々と出てくるものです。私は聞いたことがありますが、それが聖書で言う「異言」と同じかは判断できません。「聖霊派」と呼ばれる教会では大事にされていることがあります。でもパウロが教えているように、そのような言葉が出ても、内容が不明なので、教会を導く働きにはなり得ず、おうちでするべきなのです。また異言が語れたら何か人より信仰が勝っていると思うとそれは大きな勘違いです。自分が満足をすることをや、自分が何か人と異なることができることを誇るのではなく、他者にどのように仕え、歩んでいくのか、とういことが大事な神さまからのギフト(賜物)なのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福生バプテスト・キリスト教会。東京都福生市加美平1-24-17にあります。この教会の稲見牧師は、私の記憶によると、かつては養豚に関わっておられたようですが、今は羊飼いになった方だと思います。Facebookを見ると稲見先生は木工などをよくされているようです。それも釘を使わないというのですから本格的です。最近は「献金箱」を作ったとありました。教会の礼拝では神さまに対する感謝の献金があるのですが、その時、袋や皿のようなものが回るのがよくある習慣。私等はもう慣れているのですが。感謝の気持ちを表明するのか、しないのか、その方法が献金なのか、どうなのか、はそれぞれの自由なのです。しかし、教会の礼拝に参加してみて、献金の袋とかお皿が回ってくるとびっくりする方もいらっしゃるでしょう。本当に自由なので、あまり気にしてほしくないのですが、「強制的」と感じる方もあるかもしれませんね。コロナで、当教会も礼拝堂に入った時に、献金箱に献金をささげたい人は入れるというようになりました。一考する余地はありましょう。その箱を稲見先生はつくられたということです。当教会では段ボールを利用した箱をある方が作ってくださいました。ずっとそうするなら作ってみようかな、とも思いますが、木でつくったら寺社の「お賽銭箱」みたいになるのかな。「お賽銭」で思い出すのは、あるお坊さんが「参拝に来る方が、ご縁なので、5円をささげて、たくさんのお願いごとをします。参拝が終わって、帰りに千円、二千円のランチを食べるバランスおかしい」みたいな話をしておりました。神さまと思うならもっと大事にしたほうがよいと思います。さて、福生教会の祈りの課題は以下です。ちなみに、「小羊」とは子どものことを指すことが多いです。①小羊会対象者が与えられるように。②求道者が信仰の決心ができるように。③70名礼拝の実現。
牧師・稲見 元彦

2020年07月01日