5/8「愛に証拠はいるでしょうか」 Ⅰコリント1章18-25節③
ユダヤ人は「しるし」を求める。私はですね、連盟の「讃美歌検討委員会議」のメンバーですが、この検討委員会議メンバーを中心として、「新生讃美歌ブックレット」という小冊子(たったの500円です!日本バプテスト連盟ホームページで検索してください。まだ在庫が少しあるかも)を出したのですが、その中に「用語解説」というのがあります。讃美歌の詞で、意味を理解するのが難しいと思われる言葉をピックアップして解説したものです。
「あした」と言えば、今の人は「夕ご飯食べて、寝て、起きたら明日になる」と思います。しかし、語源でも「朝」のことです。私が日大時代に通っていた常盤台バプテスト教会では、日曜礼拝で、中田協力牧師のお父様の中田昌男牧師(故人)がお祈りをされていました。その祈りは常に深く、言葉としても大変優れ、そのために心砕いて祈って紡がれた言葉と思われるものでした。ただいつも「このあした、教会に集えて…」と祈るのです。若い私は「あした?」と思いながら、そのうち段々わかってきました。「朝」のことを「あした」ということを。
日本でも昔は「太陰暦(陰暦)」でした。イエス様が歩まれた時代のユダヤもそうです。日が暮れると、翌日になります。だから一日は夕方から始まる。この点は聖書を読むときに大切です(金曜の日没で土曜、つまり安息日に入る)。日本でも古い伝統を守っているところでは、12月31日、いわゆる「おおみそか」ですが、日が暮れたら、「あけましておめでとう」ということで、「紅白歌合戦」の前に新年になります。
何が言いたいのか。言わんとすることは「私も日本語がわからないことが多い」ということです。讃美歌詞の中に、「いなとよ」とか、ありまして、まるで「博多弁」みたいで、「博多やけん、いなとよっちいうたい」と言いたくなりますし、好きな言葉です。博多弁では「すいとう(好きです)」ですね。それから「君はしもいれたまわん」等の詞は、調べないとわからないのです。答えは「ブックレット」を購入してください。手元に1冊余分がありますので、これはよかったら400円で分けて差し上げます。もし、希望される方には、サインやドラえもんの絵を書いてあげます。
何が言いたいのか。「しるし」とは、辞書的な意味では、1、他と紛れないための心覚えや、他人に合図するために、形や色などで表したもの。目じるし。2、抽象的なものを表すための具体的な形。㋐ある概念を象徴するもの。㋑ある事実を証明するもの。証拠になるもの。㋒気持ちを形に表したもの。3、所属・家柄などを表すもの。4、㋐官印。印綬。押し手。㋑三種の神器の一である、八尺瓊勾玉 (やさかにのまがたま) 。5、結納 (ゆいのう) 。とあります。私はもう人生半世紀近く生きてきましたが(?)、聖書でも、日本語でも調べたらいつも新たな発見がありますね。
もう一回戻して、ユダヤ人は「しるし」を求める。もちろん、これはユダヤ人だけではありません。もちろんこの文脈では「結納」とは普通考えないで、「証拠」の意味ですが、「証拠」が必要な時は、どんな時でしょか。
それは「不信、疑い」があるからです。不安があるから、信じられないから「証拠」を根拠にしたいのです。愛の証拠を求める夫婦はすでに難しい関係と言わざるを得ません。「愛」に「証拠」を求めるならば、そこに「愛」は成立していないのです。愚かのように見えながら「愛する」ことに証拠は必要ありません。信頼、は関係性の中で育つもの。その「信頼」を育てることが、愛の関係となっていくのです。そして、「信仰」も英語では「信頼」と同じ言葉。見えないでも、信頼していく心なのです。
たとえ、主イエス・キリストが、このあした、この世界に来られても、きっと多くの人は信じないでしょう。「空をとんだり」「病気をいやしたり」しても、そんなことはマジシャンでも引田天功でもやっていること、神さまならば、何か証拠を見せよと皆、言うでしょう。
信じる心は証拠を求めません。もちろん、私どもクリスチャンは様々な経験を通して、「信じる心、信じていこうとする思い」が与えられているのです。でも、それを誰も証明できません。ゆえにヨハネが何度も主イエスの言葉として伝えているように、「見る」ことは直接「信じること」とつながらないのです。むしろ、「見ないで信じること」の幸いがあるのではないでしょうか。ではまた明日。ごきげんよう。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 金沢キリスト教会。石川県金沢市笠舞2-6-28にあります。この教会は学校法人「金沢めぐみ幼稚園」の母体です。敷地内にとてもすばらしい園舎があり、2年くらい前に教会堂も新しく建てられました。私が神戸教会牧師であり、同付属幼稚園の園長をしておりました時、付属幼稚園の学校法人化、その後の園舎建築に際して、当時、金沢教会牧師であった田口先生には多くの教えを乞い、神戸でもお話をしてくださいました。園舎についても多く学ぶことでした。そのようなことで何度となく訪れた教会です。田口牧師はこの春で牧師職は引退されましたが、引き続き、「金沢めぐみ幼稚園」の園長をされています。田口先生は石川県の私立幼稚園連盟の理事長や日本バプテスト連盟の理事長もされた方です。実は私も涙もろいのですが、田口先生が宣教をしながら泣いている姿を何度も見ております。そして、この4月から、杉山望牧師が、この金沢教会の牧師に招聘され、就任しております。杉山望牧師は、当教会の前牧師、杉山修一牧師の息子さんで、長い期間、当教会で育った方です。北関東の教会の交流で出会った方と結婚され、所沢教会からも結婚式の行われた前橋教会にお祝いにかけつけました。私も行きました!当教会の古い方は「望さんがしゃべったの見たこと(聞いたこと)がない」、と仰いますが、実は私も小学生の頃など、人前でしゃべることはありませんでした。そういう人はね、幼い頃、心に言葉をたくさんためているのです。その意味では杉山望牧師も大変素晴らしい牧師さんです。金沢教会のホームページを見れば、杉山望牧師の宣教が掲載されています。伴侶の方もすばらしい方で、ある時、「聖書教育」誌の執筆をしており、「黙示」の意味をとっても理解しやすい形で提示されているのには感心しました。さて、祈りの課題は、①主を選び、祈り賛美する教会に。②協力伝道を喜び仕え献げる教会に。③新牧師を迎え、伝道の大前進を! 牧師:杉山
望