5/17「わたしの誇り」 Ⅰコリント1章26-31節
「兄弟たち」とパウロは視線を今、その目の前にはいませんが、心の中に生きているコリント教会のメンバーに目を注ぎ語ります。この時、私どもは「所沢教会のあなたがた」あるいは「坂本よ」という言葉として読んでいただきたいものです。
「あなたがたは」、当然その中にはパウロ自身もおります。パウロは時々、強気な、そして、威勢をはったような言葉を言うことがありますが、パウロは他者への批判をするときには必ず自己批判を含めているのは確かです。尊敬する青野太潮先生がいつも教えてくださったのは「自己批判抜きの(他者)批判はない」ということでした。そして、いつも自分自身、そうありたいと願っております。
「ほら、思いだしてごらん」とパウロは言います。「あなたがたは、学びをして、経験を積み、何か自分がすべてを理解しているような気でいるかもしれませんし、そうして、自分と意見の違う人を拒否し、排除しているかもしれません。自分に何かの力や知恵があるように思って、その思いこそが、確かなものだと過信して語っているのではないのですか」と。そして「はじめの時を思い出してください」と告げるのです。
「はじめの時」。そこにはいろいろな出会いがあったことでしょう。何も知らず、教えられて、学んでわかってくるのです。ある程度わかったから、もういい、という人もたくさんいます。教会、特にバプテスト教会でよいと思うのは、信徒(牧師含めて)は、平等の資格・身分であるということです。
実はね、教会でも、書道とか、柔道とかのように、「何段」とか「何級」という位をつけたらと思ったことがあるのです。一年に一度くらい試験があって、ペーパー試験と面接をして。そして「あなたはよく頑張った。信仰5段に昇進してよろしい」などと。人によっては「あなたは礼拝出席が少なかったので、今回は一段降格です」などと。
昔、ある教室で習っていたとき、グレードなるものがあり、9級とか、8級とかもらえるのです。1級あがると、月謝も上がるのです。より難しいことを教えてもらうのだから、費用も上がるのか、と思っておりましたが、そのグレードはその教室だけで通用するものでもありました。グレードを持っていなくても上手な人は世の中にはたくさんいるのです。
でも昇級を目指して頑張る人には励みとはなります。かつて出会った人で、茶道の勉強をしている人がいて、昇進するためには、先生にいくら払わないといけないとか、より立派な道具をそろえなければならないとか、お世話になった先生には盆暮れには挨拶に行き、その時はいくらか包んでいかなければならないとか…。「へぇ、そうなんだ、師範になるのは大変だね」と思っておりました。励みになるのは、確かにそういう面があると思いますが、時には歪も生まれてくるわけです。特に同じようなレベルで、進級するのに人数制限がある場合は、資格を与える人が「気に入った」とか「これだけのことをしてくれた」とかで、判断される場合は「忖度」や「裏のお金」等で判断されることもあるのです。
でも、教会はそのようなことはありませんし、あってはならないことです。もちろん、年月を重ねれば、多少は人よりわかったことがありましょう。こういう時にはこうする、という知恵も、聖書知識も増えていきます。でもそれで、自分は人よりも高い信仰者である、などとは言えないのです。知識や経験があるから立派とは単純に言いえません。もちろん、学んでほしいと思います。でも、聖書を学び、イエス・キリストのことを学べば学ぶほど、自分の愚かさや罪や弱さに気づくものですし、全く自分が偉い者のようには思わない、というか、そのような「比較」から「自由」にされていくと思っています。
教会では、一人ひとりに神さまから与えられている信仰、生きざま、祈り、奉仕、それらを「その時々」にかけがえのない、大事なものとして、慈しみ、大切にしていくのです。
教会には信仰初心者も、何十年も礼拝を続けてきた方々もおられます。何十年も礼拝を続けてきたからその人の意見はすばらしいとも単純に言えません。誰でも、判断をミスしたり、誤解したりすることはあります。その日、その時のあなたを大事にします。そして、共に学び合い、共に語り合い、それぞれに与えられている信仰や人生を感謝し、喜びあっていくことです。「違うとき」には何も恐れず、「違う」ということができたらよいし、たったひとつの目標である、イエス・キリストの姿を目指していきたいのです。
私も、そう、間違え、勘違いをし、対応を誤るような者でしかありません。ただ主の哀れみにすがるしかない者であります。でも、すごくこんな自分が嬉しいのも確かなのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 相模原希望伝道所。神奈川県相模原市中央区相模原2-3-16 山崎ビル3階 にあります。松本福音村バプテスト教会の伝道所として2016年度から活動が始まっています。祈りの課題は以下です。①将来と希望を与える教会になる。②信仰の成長と育てることのため。③み言葉と聖霊様が働く教会になる。牧師:李
在浩