8月4日週報巻頭言「聖書に出てくるオリンピック」

▲パリオリンピックの熱戦が毎日続き、選手の活躍にわくわくドキドキして観戦しておられる方も多いでしょう。一選手がオリンピックに出場するまでには、日々不断な努力やアクシデントの中での絶望や希望、選手の背後にある多くのチームスタッッフやご家族の思いにも馳せ、奥深さを知ります。▲紀元前776年の第1回大会から、紀元393年の第293回大会まで、1200年近くにわたって、ギリシアのオリンピアの地で行われた祭典が古代オリンピックです。▲当初の種目は、1スタディオン(約190メートル)を走る短距離走のみ、やがて他の競技が順次付け加わり、紀元前5世紀までに競技種目が完成します。▲近代オリンピックとの最大の違いは、古代オリンピックが神々の父であるゼウスに捧げられた、宗教的祭典であったことです。▲競技の優勝者に500ドラクマ(=500デナリオンであり、労働者の500日分の報酬)という巨額の報奨金がありましたが、オリンピックの優勝者に与えられる正式の賞品は、神域に生える月桂樹の若枝(後にオリーブ)を編んで作った冠ひとつでした。金品より、栄誉そのものを与えたからこそ、オリンピックの国際的な威信は保たれたと言われます。▲紀元1世紀のパウロもオリンピックを知っており、Ⅱテモテ4章7~8節はオリンピック競技を思い描きながら語っています。▲「戦いを立派に戦いぬき」の「戦い」は競技です。競技者が正当に最善を尽くしたと語る時、勝とうが負けようが、深い満足感があるし、その言葉に我らも励まされます。▲「決められた道を走り通した」。持久力が問われる競技では、最後の最後まで心を尽くし、様々な状況の変化に対応しつつ、棄権しないで「終える」ことが大事です。▲さらに「信仰を守り通した」と語ります。ここにはオリンピック等の大会での「宣誓」が背景にあります。「選手宣誓」で「ルールに従い、正々堂々と戦います」と語ります。▲「信仰を守り通す」とは「主の道」から外れず従い、与えられた人生、時には困難や障害が伴う「道」を最後まで諦めないで、主の励まし、教会の仲間の祈りに支えられていくことなのです。▲「義の冠」、オリンピックではさきほどの「オリーブの冠」ですが、主が我らに用意してくださる冠、それは数日で枯れるものではない、永遠を約束してくださる冠であり、どのような敗者であっても、主に頼る者は皆、人生を走り終えた時に与えられるのです。(献)

2024年08月02日