5/23「十字架につけられたままなる主」 Ⅰコリント2章1-5節①

 ここでパウロは自身がコリントで伝えた事柄を重ねて伝えています。「兄弟たち」という言葉については10節の箇所を参照。「神の秘められた計画」は青野先生は「神の奥義」、田川先生は「神の秘儀」と訳します。「奥義・秘儀」いずれも「ミューステリオン(ギリシャ語)」という言葉。英語のmystery ミステリーは、ギリシア語の「ミューステリオン」を語源としており、神の隠された秘密、人智では計り知れないことを指しています。
 推理小説やテレビで「ミステリー」といえば、一つの事件が起こり、その真実を探し求める姿にわくわくするものです。そのように、神によって引き起こされた「イエス」という出来事の真実は何だったのか、と探し求めるのが神学であり、私たちにとっての信仰のあり様の一つです。なお、新共同訳での「秘められた計画」の「計画」は余計とは田川先生の指摘であり、まったくそうです。
 神のミステリー、それは今までにないような形で示された、そのことは何度もここで語ってきたところです。パウロが「優れた言葉や知恵を用いなかった」というのは、今まででてきた「しるし」「知恵」等であり、イエス・キリストを理解するためには、世の知恵や経験では量ることができない内容であるがゆえです。「神を説明する」試みではなく、パウロが伝えたいのは、この世界を歩み、語り、業を示し、そして、人間によって追いやられ、十字架に張り付けたられた「愚か」(のように見える)神の姿なのです。  
 そして、パウロは提示いたします。2節「なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです」。「何も知るまい」というのは少しおかしく聞こえますね。「語るまい」なら問題ないのですが。このあと、その時のパウロの精神的・肉体的状況が語られていますが、その自身の弱さの中で、どんな余計な言葉もいらない、ただ、十字架にある主イエスの姿がパウロに力と希望を与えたのです。
 まさしく、パウロの中に示された十字架上の主イエスの姿に、まさにパウロ自身が「釘付け」になったのです。パウロがこのことこそ、知るべきこと、そして、語るべきこととつかんだのです。「十字架につけられたキリスト」、この翻訳の問題を青野先生は生涯伝えてきました。ここは「過去形」ではありません。かつて、十字架につけられたことがある、のではありません。」
 ここでのギリシャ語は「現在完了形(アオリスト)」、その時の動作が今も続いていることを示します。いや、現実としては、金曜の夕方、主イエスは十字架からおろされています。しかし、主イエスはその苦しみを続けておられる、いや、私どもが見るべき、知るべきは、(私たちと共に苦しむために)今もなお、十字架にかけられたままなるキリストの姿なのです。見るべきは、愚かにも苦しみ給う主イエス…。
 明日は一日学びはお休みにして、この続きはまた月曜でも。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト相模中央キリスト教会。神奈川県東大和市中央林間4-24-6にあります。パイプオルガンが設置されている教会です。昔、古い会堂の時、訪れたことがあります。その日も会堂はいっぱいでしたが、今も多くの方々が集っていらっしゃいます。この教会の吉田牧師は、九州は、久留米のご出身。ご兄妹のことも語りたいのですが、個人情報に触れるといけないのでやめときます。とっても真面目で常に真剣で思いやりのある素晴らしい牧師であることは間違いありません。現在は連盟の副理事長として大きな働きを担ってくださっています。音楽主事の江原先生は連盟の教会音楽室室長としても多大なお働きをなさっています。私が大学生の頃、天城山荘でずっと行われたいた「連盟音楽研修会」ではじめてお出会いして、西南の神学生の時には福岡まで遊びにきてくださいました。江原先生は東京学芸大学(音楽・声楽)で学ばれた後、米国での教会音楽の学びをしています。そして、今に至ります(ずいぶんはしょりましたが)伴侶の方は映画を作成しており「ザ・思いやり予算」という映画はぜひ、各地で上映されたらと思います。この前、このご主人が「爬虫類」を飼っていて、逃げた話もお聞きしました。ずいぶんとでかいらしい。さて、この教会の祈りの課題は。①第二次中長期計画の検討と決定のために。②50周年記念誌発行と記念コンサート実施のために。③子どもと共なる礼拝に向けた新しいチャレンジのために。牧師:吉田真司、音楽主事:江原美歌子

2020年05月23日