イースター 3月31日週報巻頭言より

「復活 ~再び起き立ち歩む道~ 」

▲「復活」に対する切望な祈りは能登半島においても、ウクライナ、パレスチナ等世界各地で、そして、この地上を歩む私どもにとってどれほどの切実な思いを持ってなされてきたでしょう。▲命のよみがえり(あるいは地域の復活、人と人の関係性の復活、そして愛する者のよみがえり)への祈り。それら死の力、奪う力に対して今、厳粛な思いを持ちつつ神によって与えられた一つひとつの命の重さを思います。▲グスタフ・マーラー(1860-1911)の交響曲2番「復活」第5楽章で合唱とアルトがこう歌います。▲「生まれ出たものは滅びなければならぬ、滅びたものはよみがえなければならぬ。おののくことをやめよ、用意せよ、生きるための用意をせよ」と。命の死は命のよみがえりと結びつき、死ぬために、生きるために用意をしていく、私たちの生が問われていると思うのです。▲また4楽章では「神様から生まれた私はまた神様のところへ行くのです…永遠の 喜びの命にまで、私を照らしてくださるに違いない」とも歌われています。▲今日、イースター(復活祭)を共にお迎えできることを感謝いたします。▲ 命の尊厳と命が喜び生きるための福音を語り続けたイエス・キリストが、主イエスを必要としない人々により、あるいは人々から邪魔者として十字架刑により処刑されました。人間は力の勝利に酔いしれます。「神をも人間は支配できるのだ」と。▲しかし、イエス・キリストは、人が閉じ込め、大きな石で蓋した墓を開き、再び、我ら人間と共に生きるためによみがえったのです。そして生きる者と死せる者の主として今も生きて我らに働いてくださるお方なのです。▲命あるものは必ず死を迎えます。それがいつか、どのような状況においてか、誰も知ることはできません。▲その限界の中で人は与えられている「今」を生きることへと招かれています。死を知りつつ、生きるために、死ぬために、私たちは畏れつつ、今日の命を受け取る日々を、永遠の命を与えてくださる主の言葉を聞きながら過ごしていきたいのです。▲加えて「復活」とはこの世を去った方々だけのことではありません。この世に命を受けながらも、生きる意味がないと思い、魂が死んだような人々にも、他者との関係性が失われた人々にも、命の喜びと希望を主が与えてくださるのも「復活」です。「永遠の命」とは神が伴う命であり、今も、そして永遠に続きます。(献)

2024年03月30日