3/31 マタイ福音書27章15-26節 「人の決断は何によるのか」
ピラト総督については28日分参照。バラバ・イエスはヨハネ書では「強盗」と記されますが、実際はローマ帝国に歯向かった政治犯です。そうでないと、人々の共感を得るはずはありません。マタイが伝える特徴はピラトの妻が主イエスの夢を見て苦しんだと語っていること。マタイは「夢(のお告げ)」に関心を持って忘れずに記録します(マタイ1章等参照)。ピラトはバラバの方が危険と思い、恩赦する気はなかったのですが、人々が熱狂的になり、「メシアと呼ばれるイエスを殺せ」と激しく訴えるのを見て、暴動を恐れて、イエスの死刑を決断します。さらに「私の責任ではない」と予防線をはります。政治家でも学者でも我らでも、自らの決断を最終的に、何によって決めるのか、それが曖昧であり、また責任逃れをすることが重大事件を生むのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟引退教役者の方々を覚えて。清水康弘氏(兵庫県在住)、菅原理之氏(長野県在住)