6/23 Ⅰコリント15章12-28節 「復活を論じるにはここでは短い」
主イエスの復活、「そんなことがあるわけがない」と笑われますし、だからどうなの?と言われることも。また、よみがえった主イエスは天に上ったので、今はハワイで暮らしているわけでもありません。世の中には明智光秀は死んでなかった説もありますが、必ず死にました。すべての人は「死ぬ」のは事実。では死後、どうなるのか、は誰も知らないし、理論的な説明は誰もできないわけです。主の「よみがえり」は体験として語られます。その感性が人間に与えられている不思議な奇跡かもしれません。魂に働く存在の力と言ってよいのでしょうか。ある言葉や文章、あるいは芸術的な事柄を通して、その人に必要な言葉が響くこと等、復活の一つの姿であろうと考えます。
そして今日は沖縄戦を覚える「命どぅ宝の日」です。太平洋戦争末期、昭和20年の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が犠牲になり、沖縄県民の4人に1人が命を落としました。「ガマ」と呼ばれる洞窟に避難していた人も多かったのですが、この「ガマ」において、米兵に捕まるならその前に自決をしよう、と半ば強制された自決があったり、別の「ガマ」では「生きよう」としたところもありました。沖縄の大地は焼き尽くされているような姿になったのです。沖縄県は、旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日を「慰霊の日」としています。最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園で開かれた沖縄県主催の戦没者追悼式が行われています。
この時、すでに日本軍の敗北は決定的でした。しかしそこで、有り得ない戦法である「特攻隊」等で数多くの若者が死んでいきました。武器と兵士を一度で失わせる戦法等どこにもありません。人間魚雷もしかり。今の「テロ」はこの方法を真似ているのです。そして、東南アジアから沖縄本土に入り、日本でほとんど唯一の地上戦が行われました。もう敗戦は濃厚だったのに、沖縄が本土防衛の捨て石とされました。その後、二か月を待たないで敗戦の日を迎えます。多くの才能ある若者達が、あと3か月でも、半年でも早い決断をしていたら死ななかったのです。さらに沖縄は米国の占領下に入り、今も多くの米軍基地があり、辺野古移設の問題では、県民を二つに割り、さらに今、辺野古基地の建設は軟弱地盤のため、期間もお金も想定以上になっておりますが、なお、政府の説明がありません。まぁ、いつも今の政権は「隠すのが得意」。真摯に説明しますなどの言葉だけは語りますが、どの問題にも真摯な説明はなく、忘れるのを待っているし、政府の人も忘れるのが得意です。沖縄には数度訪ねておりますが、あの美しい土地と愛すべき人々をもう政府は苦しめないでほしいと思います。かつての「琉球王国」は中国と日本の間に立ち、戦争をしたことがない国でした。薩摩藩の支配下にはいり、その時から沖縄は痛めつけられたし、今もそれが続いていること、そこに私も加担していることを深く思いたいと願います。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 青梅あけぼのキリスト教会。青梅市梅郷3-904-3にあります。また学校法人「青梅あけぼの幼稚園」の母体である教会です。祈りの課題にあるように幻を大きく(?)掲げている教会です。祈りの課題は、①牧師・信徒の信仰、霊性の深まり。②相互牧会のセルの充実と拡大。③150名礼拝、受浸者10名。牧師・大谷唯信、副牧師・森元國文