2/14 マタイ福音書11章2-19節 「問い、問われつつ」
一読してもすぐに解りづらい箇所。まず、洗礼者ヨハネの問いがあります。牢獄にいて、もしイエスが救い主なら、私はここに居続けないで良いのに、との思いがあるのです。ヨハネにはイザヤ書と共にイエスの言葉や活動が知らされます。「つまずかない人は幸いである」とは「わたしを信じ続けなさい、どんな状況でも」ということです。そして、主イエスが洗礼者ヨハネに対する「彼こそエリヤ(再び来ると旧約聖書で記されていた)であり、預言者である」と告げ知らせます。17節の言葉は当時の子どもの歌と言われます。主イエスの悲しみです。主イエスが人に福音を告げ、共に生きることへと招きます。でも人々は「どうでもよい」と去っていくし、その時、イエスに対しても「だめなやつ」と言い残すのです。
<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 企救(きく)バプテスト教会。福岡県北九州市小倉南区徳力6-10-6にあります。「徳力団地」という大きな団地の周辺にあります。この教会の原田牧師は私と同じ出身教会で、よく存じあげております。体形(?)や雰囲気が「ムーミン」に似ている方です。この方のCDはものすごい量で、さらに「絵本」の蔵書並びにその知識は深く、絵本から聖書の話へとつなげていく方で、素晴らしい才能をお持ちの方です。またへブル語にも堪能(へブル語が堪能な方はギリシャ語も大変詳しいことが多い)で、九州バプテスト神学校や西南学院大学神学部でも非常勤で教えておられました、あるいは教えておられます。祈りの課題は以下です。①年度主題 ~二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである ~。牧師・原田 義也