ドラ牧師坂本の聖書日課  

10/24 コヘレトの言葉7章23-29節 「まっすぐに歩めば良いけど」

 真の賢者になろうとコヘレトは探し求めたと語ります。ところが、見出したのは何と「女」(あるいは妻とも訳せる)。これはおかしい!と多くの女性は思うでしょうし、私も「おかしい」と同感。「罠」や「網」、「枷」をもって男を騙したり、悪の道へ引き込むというのですが、それは「男」が求めるゆえに成立するのです。一方だけを悪とは言えません。28節の言葉は「良い女」は見つからなかったとありますが、さきほどの「女」と併せて、「知恵」を女と擬人化し、「真の賢者ないし知恵との出会いは稀である」との意味だと、岩波訳には注釈があり、それなら理解できるでしょう。「神は人間をまっすぐ(=素直)に造られた」にも関わらず人間は「複雑な考え」(理屈)を語り、わざわざ斜めな道を歩むとのこと。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 都城キリスト教会。宮崎県都城市早鈴町2-16にあります。特にこの地域で、都城教会が母体として始まった「社会福祉法人 相愛会 総会ひめぎ保育園」は長年の伝統を持ち、とても良い保育をされています。ぜひ卒園された方々、教会もお訪ねください。祈りの課題は以下です。①牧師招聘のために。②教会から生まれた社会福祉法人「相愛会」(保育園等運営)のために。③主日礼拝・祈祷会の恵みと教会員の祝福。

2020年10月20日

10/23  コヘレトの言葉7章1-14節 「順境の時、逆境の時」

 ここも翻訳が難しい箇所があります。14節「順境の日には幸いを味わい、逆境の日にはよく考えよ。これもあれも、神のなさること。後のことを人に分からせないためである」。「順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。神は人に将来どういう事があるかを、知らせないために、彼とこれとを等しく造られたのである。」「順境の時には、できるだけ楽しみなさい。 逆境が訪れたら、神様は与えると同時に取り上げる方だと知りなさい。 こうしてすべての人が、この世ではあらゆるものが空しいと悟るのです。」なるほど。良い時、悪い時、人の未来や知り得ぬもののゆえに、それぞれ与えられている時を大事に受け取ってゆくことの勧め、私はそのようにここを読みました。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 川内キリスト教会。鹿児島県薩摩川内市平佐町2934-1にあります。「川内」は「せんだい」と読みます。「カルチャーセンター」が付設されており、放課後の学童保育も行われていたと思います。市内には「川内川」が流れ、昔聞いた話では「河童」がいるそうです。祈りの課題は以下です。①聖書理解が深められて、主の恵みを喜びながら毎日を過ごせるように。②働き人が起こされるように。協力牧師・立島 和史

2020年10月20日

10/22 コヘレトの言葉6章1-12節

 2節でコヘレトが語る不幸、ここは難しい箇所です。「ある人の望むところは何も欠けず豊かだった」のに神は「彼がそれを享受することを許さなかった」との点。ここは訳により異なります。「外国人がそれを楽しんだ(奪われた?)」「見ず知らずの人が楽しむ」「楽しむための健康が与えられなかった」等。なるほど、でも「他の人が喜んだならいいのでは」と思いますが、見ず知らずの人に奪われたら不幸なのでしょう。3節以下の長寿の人の話も、何をもって「不幸」と判断するのかと感じます。大事なのは12節で、「幸福」とは何かと問われても誰も答えを見いだせないし、人間は将来を予測できない者であり、一時の幸いや不幸で人生すべてを捉えてはならないとのこと。今日はS・Tさんのお誕生日おめでとうございます!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 枕崎バプテスト伝道所。鹿児島県枕崎市住吉町123にあります。漁業やかつお節生産で有名です。祈りの課題は以下です。①牧師、奏楽者が与えられるように。②礼拝、祈り会に多くの方が来られるように。③駐車場が与えられるように。協力牧師・麦野 賦

2020年10月20日

10/21 コヘレトの言葉 5章12-19節 「数えてみよ主の恵み」

 今日の箇所を16節までの前半とそれ以下を後半としましょう。前半で富があっても用い方で失敗する例を告げ、結局いくら富を得ても、富のためにあくせくして労苦しても、人間は裸で帰る。それが不幸だ、と語りますが、確かにそれは人生の目的を誤ったことかもしれません。一方、後半では、今、与えられているものに感謝し、喜ぶ生き方を示しています。「人が受けるべき神からの分け前」として頂いたものがきっと沢山あるからです。19節の「思い返すことはない」は16節との対比で悩みや怒り等を思い返さないということ。「あれがない、これがない」と不満で満ちる我らに、「いや、あなたに与えられている神の恵みや賜物を見つめ直しなさい」と主は語ります。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト伊集院キリスト教会。鹿児島県日置市伊集院町下谷口1520-4にあります。小さな町で、この教会と幼稚園は格別に愛されています。会堂と幼稚園も割りと最近建て替えられています。祈りの課題は以下です。①主任牧師招聘のために。②青少年育成のために。③教会学校、地区集会の充実。 協力牧師・麦野 賦、代表役員代務者・五反田 靖子

2020年10月17日

10/20 詩編14編 「主は避けどころ」

 この詩人を取り巻く状況、それは社会状況や政治において、神ならぬ者を神とし、弱者や異論者を排除し、むしろ食い物にしている中で痛みや辛さを負う人々の祈りです。主題は、神に逆らう悪人にとって賢く見えるものが、実は愚かなことであり、主に頼ることの愚かさが、真の知恵とのこと。この詩編は後にパウロがローマ書13章10~18節で引用しているゆえに重要なものです。ローマ帆を読むと印象が違うよう感じますが、パウロが使っていたのは旧約聖書のヘブライ語をギリシャ語に訳した当時の「七十人訳聖書(セプトゥアギンタ、紀元前3世紀中頃~)」を使っているためです。8節の言葉の「貧しい人々」は痛みを負わされた者。今の日本を含む世界の政治状況を鑑み、祈りを共にします。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト鹿児島基督教会。基督は「キリスト」とふりがなが必要ですね。鹿児島市鴨池2-23-17にあります。この教会の働きから生まれた認定こども園「めぐみ幼稚園」や市内中山町の「中山小羊学童クラブ」の母体でもあります。この教会の田渕牧師は年齢は私よりかなり上ですが、神学校では同期で学びました。「真面目」に「くそ」がついたような先生です。連盟総会では多くの意見を発言する方ですが、最近は、すでに報告されていることを尋ねたり、的外れな発言をしたり、少し年をとったのかな?まだまだ元気で頑張ってください。お連れ合いはプロのピアニストです。祈りの課題は以下です。①新会堂建築の守りとお導き。②こども園、中山(ちゅうざん)小羊クラブの守り。③新来者、教会員、求道者の守り。牧師・田渕 亮

2020年10月17日

10/19 箴言21章17-31節 「知恵を得る道」

 17節や19節は「ガッテン!」と感じる人もいるでしょう。20節、22節の「知恵ある者」、この「知恵」こそ箴言が伝えているものです。「知恵」とは「物事の道理を判断し処理していく心の働き。物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力」であり、学びや経験を通して培われるものです。加えて、聖書が語る「知恵」は「神を認め、知り、問う」ことがプラスされます。自分の結論の前に「神がこれを良しとするか」と尋ねることでしょう。また「知恵」は言葉の通り「恵みを知ること」。「恵」は人間の力ではなく与えられているもの。神の恵みを知ることがその心を豊かにします。30節の「知恵」は神なき「知恵」の意味。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> バプテスト国分キリスト教会。鹿児島県霧島市国分姫城3053-1にあります。マウマウタン牧師はミャンマー出身でお父様も当地の牧師であったのです。ミャンマーの教会は大きいところが多く、マウマウタン牧師の育った教会は100名以上集まっていたのではないでしょうか。この教会は薩摩ビール園の近く、京湯温泉のすぐ隣というなかなか良い立地です。教会で礼拝して心新たにして、温泉で体もほぐして帰れるなんてすばらしいですね。祈りの課題は以下です。①教会員のさらなる信仰の成長を。②青少年が教会につながるように。③地域に心を開いて証できる教会。牧師・マウマウタン、協力牧師・立山泰士、協力宣教師・テモテ・ボード

2020年10月17日

10/18 コヘレトの言葉4章1-12節 「三つよりの糸」

 虐げられている人がいます、その叫びが聞こえてきます。その涙が流れない世界の日は一日もないでしょう。どうしようもない悲しみや怒りを思います。また競争心は時には良いのですが、それが妬みや憎しみで終わることも多い現実。コヘレトはそのような現実の中で「ひとりよりもふたりが良い」と語ります。自分と共に歩み、一方が倒れたら一方が助け起こす、寒さの中でも体を寄せ温まるのは身体だけではなく心も。そのような人間関係を持てたら幸いでしょうし、結婚する一つの意味です。でもね、その関係が壊れることも多いのです。関係は常に動的であり、創り続けることが大事です。そして「ふたり」ではない「三つよりの糸」。それはあなたと誰かと、そして主イエスが共におられることです。今日はM・Hさんのお誕生日おめでとうございます!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 西原新生バプテスト教会。沖縄県中頭郡西原町字内間27-2にあります。1972年に伝道開始されました。長年寺澤征一牧師が活動されておられましたが、本年度より無牧師となっています。後任牧師が与えられますように祈ります。祈りの課題は以下です。①神と隣人を愛することの実行。②毎週の礼拝と牧師招聘の準備。③沖縄における主の平和の実現。

2020年10月17日

10/17 コヘレトの言葉9章1-6節 「いのちの意味」

 過去や将来を考えないで、現在の瞬間を充実させて生きればよい、一時的な快楽を求めようとする考え方を「刹那主義」と言います。良いことをしようが、悪いことをしようが、どうせ人は死ぬし、死人のことはもはや誰も考えないとコヘレトは言います。「天国」や「地獄」と言っても、その存在を証明した人もいないのですから。そう考えると生きている意味は、今を楽しむということになります。それらの言葉にどう向き合いましょう。コヘレトは語ります。「自分はやがて死ぬこと」は知っていると。確かに限りある命、それゆえに命は、はかなくも唯一であり、命をどのように歩むのかと言う時、「誰かのために、世のために」用いることが与えられている役割なのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 那覇新都心キリスト教会。沖縄県那覇市銘苅3-21-46にあります。沖縄県では沖縄の日本返還前から教会が多く、特にバプテスト関係では「沖縄バプテスト連盟」が主軸です。日本バプテスト連盟の多くの教会は沖縄が負わされている痛みになるべく連帯しようと祈っております。その意味での「新都心教会」です。祈りの課題は以下です。①コロナ影響下における教会の歩み。②教会学校を通してのみ言葉の深まり。③西原新生バプテスト教会を覚えて。牧師・岡田 有右、岡田 富美子

2020年10月14日

10/16 コヘレトの言葉3章18-22節 「人生、好きに生きるのさ」

 「神が人間を試される」の「試される」とは「吟味する」とも訳され、試練や死をもって人間に有限性を教えているとのこと。動物の霊と人間の霊は死んだら行く場所が異なる、との言葉は当時の思想を反映しています。人間と動物の違いで私が思っているのは、動物は罪を犯さないことです。罪があるのは、人間だけ。神に赦されなければならないのは人間だけです。コヘレトはどうせ、いつかは死ぬのだから、自分の仕事に生きがい(「自分の業」、「生きがい」は読み込み過ぎかもしれません)をもって、人生を楽しもう、と。まぁ、こういう考えは解りますが、好きな仕事をして、楽しく生きる、そこには社会や隣人や家族との関係性が見えません。「自分の楽しみ」は他者を苦しめている可能性を思うこと、あなたの「仕事」の価値とは何?と考えたいのです。今日はK・Hさんのお誕生日おめでとうございます。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 旭川バプテスト教会。旭川市8条西1丁目1-11にあります。ここも立ち寄ったことがありますが、旭川という寒い土地なのに、ガラスは薄い板ガラス1枚でびっくりしました。会堂がかなり古くなり、雪にもずいぶんやられているという印象でした。なんとか、新しい会堂ができたらいいですね。祈りの課題は以下です。①教会組織から65年を感謝して。②主日に礼拝できる幸いに感謝して。③旭川に避難移住された方々のために。牧師・田森 茂基

2020年10月14日

10/15 ヨブ記3章20-26節 「見よ、十字上の主イエスを」

 語り尽くせない苦しみ、何故!と思い、「因果応報」では説明できない現実があります。音楽の世界では「不協和音」で終わり、解決しないまま閉じられることで「不安」や「苦難」を語ることを思い起こしていました。人生はそれほど単純ではないし、そのような人生に向き合う聖書は「厚い」のです。ただ、私ができるとしたら、億万のお金を与えることではなく(できっこないが)、「共に苦しみ、共に悲しむ」ことしかありません。と言っても相手の苦しみをすべて受け取るのは不可能です。「ごめんなさい」もうこれ以上は理解できないのです、としか言えません。語り得るとしたら十字架上の主イエスしかいないのです。人々の罵声を浴び、鞭うたれ十字架上で死に給う方。イエス・キリスト。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 旭川東光キリスト教会。旭川市東光11条3丁目1-4にあります。一度、神戸にいる時、家族で伺ったことがあります。その時は旭山動物園にも行きました。大人が多くてびっくり。東光教会には松坂牧師さんたちがいたころです。保育園つながりもあったし。ゆかこ先生が朝のパンを前夜つくっているのには感激しました。現在は牧師がいません。祈りの課題は以下です。①礼拝によって主イエスが先立ち導いてくださるように。②み言葉によって一人ひとりの信仰が養われますように。③聖霊による交わりを通して主を証しできますように。代務者・藤原 直之

2020年10月14日

10/14 ヨブ記3章11-19節 「苦しみとは」

 「苦難が真に苦難としての圧力を持つのはそれが未解決としての性格を維持する時である。いわゆる『やり場のない』苦しみのみが真実の苦難である」(北森嘉蔵)。「解決しない問題」を今、持つ方がいましょう。私自身もその問いを持ちつつ、誰かの苦難を聞く時には自分の無力さしか感じ得ない時があります。故に「逃げて」しまう。当人は「逃げられない」苦しみを抱いているのに…。「神の沈黙」、遠藤周作に共感を抱き読んだ問いは四十年経た今も完全な解決を得ていません。榎本保昭牧師は語ります。「今、私たちの最も悲しいことは、苦しみをぶつけていく神をさえ持たないことである。暗闇の中で叫ぶ相手を知らないことである」と。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 釧路キリスト教会。釧路市若竹町6-16にあります。この教会の奥村牧師夫妻には昔からお世話になっており、西南学院大学神学部の神学生の時は、当時、奥村牧師がいらっしゃった福岡市の姪浜バプテスト教会で奉仕神学生として多くを学ばせていただきましたし、福岡有田教会時代には、姪浜が近かったのでいろいろ楽しい時を過ごさせていただきました。何より、奥村先生ご夫妻についていくと「美味しい物」を食べることができます。いつか釧路にも伺いたいと思っています。釧路湿原というのにも行ってみたいし。奥村牧師は釧路で四か所の礼拝をもっていらっしゃるみたいで本当にバイタリティ溢れる、尊敬する牧師です。祈りの課題は以下です。。①「四つの礼拝」が進展するように。②着任の新宣教師の働きのために。③世界中のコロナで苦しむ方々のために。牧師・奥村敏夫、宣教師・マシュー・チン・メイ・マン、ダイアナ・ウォン・サン・サン

2020年10月10日

10/13 ヨブ記3章1-10節 「生まれぬ方がよかった」

 「ヨブ記」、後世に大きな影響を与えた書物。それは人間が問う「苦しみはなぜあるのか」「神は正しい方なのか」等の重要な課題に向き合っているからです。「宗教」はまさにこのことを問うし、問われるのです。そしてこの書物は実話というより、物語として語るもの。ヨブは義人であり、成功者でした。しかし、ある日、天災や病気でほとんどを失い、自身も病の中に立ちます。1章においてヨブは「裸で母の胎から出た、裸でそこに帰ろう」と現実を受け入れます。しかし妻に「神を呪って死ぬ方がましでしょう」と言われ、その後心配した友人達との対話が始まります。そしてヨブは自らを呪い、その痛みを語りだすのです。私も実はヨブ記をまだ理解し得ないものです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 帯広バプテスト・キリスト教会。帯広市東9条南6丁目1-3にあります。帯広はまだ一度も伺ったことのない場所です。この教会の川内先生お二人は以前は九州の川内にいた川内牧師でした。裕子牧師は文学に詳しく、私は、日本語、特に「文語」等わからないことが多く、讃美歌検討委員会で裕子牧師に多くのアドバイスをいただきました。その成果は日本バプテスト連盟が出版した「新生讃美歌ブックレット」を見てください。祈りの課題は以下です。①コロナ影響下での地域に根ざした教会の働き。礼拝に出席できない方を含めた教会形成。牧師・川内 裕子、川内 活也

2020年10月10日

10/12 創世記2章6-25節 「助ける者」

 人間の創造が記されています。人は土や塵などで創られますが、「生きる」のは神様から「命の息」を吹き入れられてからです。「息」は神の霊であり、神との交わりに生きることを示します。最初に「男」を創りますが、「独りでは良くない」と感じ、「彼に合う助ける者」を創ります。それが「女」ですが、助手ではなく、「彼の前にある存在、彼に向き合うような存在」という意味であり、「全存在的な生の同伴者」です。「助ける者」は実はその人より優れていないと助けることはできませんし、「助ける者」は神様の働きです。この箇所から男が女より優れているとは言えませんし、むしろ、女を創ることによって不完全だった世界は完成したし、なお主の創造の業は続きます。今日はA・Yさんのお誕生日おめでとうございます!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 小樽バプテスト教会。小樽市奥沢1-22-22にあります。小樽は観光地として有名ですね。かつては「ニシン漁」が盛んで「ニシン御殿」もあったり日本銀行もあったのですね。私も二度ほど小樽に行ったことがあります。お寿司が美味しいと評判の場所ですのでまたいつか行きたいけど、まぁ、そんなに簡単には行けませんけど。この教会の愛先生は小学生の頃から知っております。米国で教会音楽の学びもされた方で、帰国されてすごく上手になった(もともとすばらしかったのですが)ことに感謝しました。祈りの課題は以下です。①「文書伝道」のために。②「地域とのつながり」を行えるように。③「子どもへの伝道」が祝されますように。牧師・エイカーズ愛

2020年10月10日

10/11 コヘレトの言葉3章1-17節 「私の時、神の時」

 この箇所は去る9月13日の当教会「召天者記念礼拝」で宣教しました。フェイスブックで録画公開中。「私どもは愚かにも『時』を間違えてしまうのです。あの時、一緒に笑ってあげればよかったのに、逆に怒り、黙して見守ればよいのに、自分の思いを一方的に語り続け、愛すべき時に、そうできず、憎しみの感情をきびしく相手に向けた時があるのです。それが人間の不完全さであり、未熟さです。コヘレトが本当に語りたいこと、それは私ども人間の、不完全な未熟な後悔すべきことの多い我らの歩みに対して神の時や神の歴史があるということなのです」。そう、あなたは主に目を向けよう。今日はS・KさんとN・Aさんのお誕生日おめでとうございます!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 札幌新生キリスト教会。札幌市北区拓北7条2-1-23にあります。この教会のことは私、あまり知らないのでホームページを見てみましょうかな。「受浸者」というのは、バプテスマを受ける方、つまりは洗礼を受けてクリスチャンになる方のことです。祈りの課題は以下です。①2020年度、受浸者が与えられるように。②新会堂のビジョンが実現するように。③黎明宣教会の働きの祝福。 牧師・田中 博、ユースパスター・田中 満矢、伝道師・小原 輝樹

2020年10月10日

10/10 コヘレトの言葉5章1-6節 「誓いのはかなさ」

 1節の「神の前で口数を少なくせよ」とは、神に軽はずみな約束や、あせって練られていない祈りをするなという意味。主イエスの言葉(マタイ6章5節以下を参照)で「くどくどと述べてはならない…言葉数が多ければ(祈りが)聞き入れられる…」とあり、「くどくどの祈り」は神を操作して自分たちの言いつけ通りに動くことを期待した祈りであり、言葉数が多いほど立派な祈りで天に届くという誤った考え方を批判しています。3節の「願をかけたら誓いを果たせ」は、基本的に信頼されていないので、いろいろな誓いをして信じてもらおうとする態度です。すぐに「絶対こうします!」「神に誓って必ず返しますから」と言いますからね。でも、結果、できないのが人間(もちろんきちんとされる方はありましょう)。ゆえに主は「誓ってはならない」とマタイ5章で語ります。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 札幌バプテスト教会。札幌市中央区南22条西14丁目1-26にあります。札幌には市内電車が走っていて、終点に車両基地の近くにあり、モヤイ山のふもとになります。この教会の正面、つまり講壇側のうしろはガラスでモヤイ山や季節の風景を見ることができます。この教会には何度となく行ったことがあります。また、学校法人「ひかり幼稚園」の母体です。聖歌隊もすばらしいですよ。祈りの課題は以下です。①さまざまな苦しみの中にある方々のために。②リビングホープ教会と共なる歩みのために。③連盟事務所スタッフが守られますように。牧師・石橋 大輔

2020年10月06日

10/9 コヘレトの言葉2章12-26節 「ネガティヴの先に」

 昨日の続き。コヘレトの思索は続きます。知恵があっても、結果、愚者に起こることは賢者にも起こり、同じく死ぬのだ、と。労苦して得た財産は苦労も知らない子孫に与えるしかないのだ。ああ、何のため生き、労苦し、頑張ったのか、すべて空しい。ネガティヴさに共感する人は多いでしょう。コヘレトは次に語ります。「魂を満足させること…神の手からいただくもの」。この24~26節はリビングバイブルが解りやすいので引用します。「そこで私は、食べたり飲んだり…仕事を楽しむこと以外に生きがいはない、と判断しました。…このような楽しみさえ神様の御手から来る…神様のお世話にならなければ、だれも食べたり楽しんだりはできないからです」。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> リビングホープ・バプテスト教会。札幌市東区北23条東14丁目4-1にあります。現在、専任牧師はいらっしゃいませんが、札幌バプテスト教会との連携で運営が行われているようです。祈りの課題は以下です。①札幌教会との共なる歩みが整えられ、地域に拓かれた教会となるためのビジョンが与えられますように。代表代行・定免 直未

2020年10月06日

10/8 コヘレトの言葉2章1-11節 「風を追うように」

 コヘレト(伝道者・人々の前で語る者)は「快楽を求め」たが空しく、「酒や愚行に身を任せる」ことが幸福だと思い行動した。さらにあらゆる事業に成功。「セレブ」になれたのです。この「わたし」はソロモン王であるとも伝えられますが、好むものは手にしますが、愚かではなく「知恵」があったからそれらを得ました。セレブ生活を夢見て励む人もいましょう。でもそうして積み上げてきたすべてについてある日、気づくのは「すべて空しく、風を追うようなものであった」と。「風を追う」とは追い続けても自分の手に確かなものとならないこと。主イエスが「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」と語った言葉に真実があります。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 西野バプテスト教会。札幌市西区西野3条2丁目2-26にあります。この教会には前牧師の中田昌男氏がいらっしゃる頃に伺ったことがあります。平日でした。夕刻に中田牧師のお連れ合いがおいしい天ぷらをあげてくださって、秋の夕べを楽しみました。祈りの課題は以下です。①この時代、さまざまな情報が錯綜する中にあっても、連盟の教会が、世間の潮流に流されず、イエスが伝えてくださった福音に目覚めて、福音を曲げずにしっかりと歩めますように。牧師・岩本 義博

2020年10月06日

10/7 箴言16章1-9節 「心柔らかくして」

 今日も「箴言」から。1節、リビングバイブルでは「人は計画を立てますが、その結果を決めるのは神様です」。4節での「逆らう者をも、災いの日のために造られる」は、難しい箇所。神が「逆らう者」をわざわざ造るのでしょうか。それは神の御心と思えないですよね。「逆らう者」(他訳では「悪者」「悪しき者」)は、神は人間に自由を与えていますので、当然、逆らう者や悪者もでてくるのです。ゆえにこの言葉は「神に造られたあなたはどのように生きていくのか」という人間への問いかけ(滅びのために生きるのか否か)と考えるべきでしょう。9節は口語訳と共に読めばより深く理解できます。口語訳では「人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である」。今日はN・Sさんのお誕生日おめでとうございます!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 平岡ジョイフルチャペル。札幌市清田区里塚3条1丁目7-5にあります。祈りの課題で「聖書原典」にもとづく教会、とあります。「聖書原典」は旧約聖書はへブル語、新約聖書はギリシャ語で記されています。それをそれぞれの国の言葉に翻訳するのですが、この教会では日本語訳に対して不十分、あるいは適切な翻訳がなされていないので、自分の教会で原典を忠実に翻訳しているのでしょうか。「翻訳」は実に大切で難しい作業であり、完全な翻訳は有り得ず、原典がわからなくても、日本語の最低5~6種類ある翻訳を見比べて考えることは大事です。「翻訳」には当然「解釈」が入りますので、この教会が「聖書原典」にもとづく、という意味がよくわかりません。「聖書」にもとづくなら、まだわかりますし、どの教会も「聖書にもとづく」歩みをしていると思います。何か原典研究を通して、今までにない、聖書の読み方や解釈を発見したのでしょうか。とても気になりました。祈りの課題は以下です。①イエスをもっと知る教会になる。②聖書原典にもとづく教会になる。③地域に貢献する教会になる。牧師・三上 章

2020年10月03日

10/6 箴言9章7-12節 「秋の夜長は箴言を」

 「箴言」(しんげん)とはいつも語るように、心のツボを刺す言葉です。格言集なのでどこから読んでも良いので、あなたの心にはまる言葉を探して、来年のカレンダーにここからの聖句を入れたり、自分の「箴言集」を作るのは秋の夜長に有益ですよ。今日の箇所でもいろいろ感じましょう。8節は「叱る」ことで、知恵ある人は「叱られる」意味を悟り、その人自身が成長します。「(正しく)叱る」人がいるのは幸いです。「叱られる」ことにただ反発し、その人を嫌うことでは周りの人もあなたを見放すでしょう。10節は「箴言」の主題。「畏れる」とは、神の言葉を信頼し、尊敬し、心開かれて対話する態度です。11節の「命の日々」が増すのは「日にち」よりその「命の質」と考える方が適切ですね。今日はT・Tさんのお誕生日おめでとうございます!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> オープン・ドア・チャペル。札幌市豊平区福住2条7丁目12-17にあります。祈りの課題は以下です。①より成熟した教会としての歩み。②共に礼拝と祈りを保てるように。③スモールグループ活動のために。 牧師・佐々木俊一、協力牧師・ジェームズ・E・アリソン

2020年10月03日

10/5 創世記1章24-2章3節 「神の創造の思い」

 世界の「創造物語」です。ここにある一日、二日とは、今、私共が思う一日ではなく、「順番」を示唆し、時は神の時です。ゆえに、一日は千年・万年のごとくです。ここで大事なのは世界とは何か、人間とは何か、という神のメッセージです。神の造られた世界は良いものであり、その支配(配慮し支え被造物の安寧を守る働き)を人間に託されました。二六節の「我々」は神が沢山いた、ということではなく、尊厳を示す「我々」です。「かたどり」は神の外面的な姿を人間にもあてはめた、というより、内面的な内容が強いものです。実際には「かたち」は「心・精神」を表現することがあり、神様の思いを知り、心通わせる存在であり、愛や喜びを持つ存在として造られたことです。人間はその使命を改めて感じるべきです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 平岸バプテスト教会。札幌市豊平区平岸4条2丁目1-19にあります。もう20数年、全牧師が在任されています。祈りの課題は以下です。①祈り会の参加者増加。②神学生が起こされますように。③奏楽者が与えられますように。牧師・全 皓燮

2020年10月03日

10/4 コヘレトの言葉1章1-18節 「風を追うような日々に」

 「コヘレト」とは「人を集める者」の意味から「集会で語る者」、つまり「伝道者の言葉」等と訳す可能性がありますが、新共同訳では解釈抜きで記します。「空しい、空しい、すべて空しい」と始めるこの書は印象的です。もちろん、すべて「空」が真実なら聖書の一巻に入らなかったでしょう。でもここにある無力感は我らの心にある一部屋です。考えてみれば、私共の人生というもの、何ができるというのでしょう。愛しても愛されず、努力をしても実りは一時で消え去ります。有名大学に行こうが、所詮、ただの紙切れ。そのように感じる人はぜひ教会に来てください。あなたを待っている人がいます。「日は昇り、日は沈む」。でもその「日」は驚くべき奇跡の「日」なのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 室蘭バプテスト・キリスト教会。北海道室蘭市知利別町1-8-11にあります。ここもかつては工場等が多い町でした。今はどんな感じなのでしょう。祈りの課題は以下です。①体調を崩されている方々の回復。②バプテスマを控えた方々の準備。③神からの使命に応答できるように。牧師・吉田 尚志

2020年10月03日

10/3 ヨハネ福音書3章1-17節 「神の息吹が心に抜けて」

 4章の「昼の対話」の前、「夜の対話」です。議員であるニコデモが隠れて主イエスのところにやってきます。2節の「しるし」はサイン、証拠等の意味で、主イエスが語っている内容や、神殿での騒動です。ニコデモは自分の歩みに自信を持っていた一方で満たされぬ不安や心配、救いの確信を持てなかったのです。主イエスは「新たに生まれなさい」と語ります。その意味は、自分で自分の人生はすべてコントロールできない。神の霊、神の息吹、神の心を広く受け、神に愛されている者として、神の愛に生きる者として歩みなさいということです。議員としての地位と権力を正しく用い得ない苦しみも問い直されたのです。その夜から、ニコデモの歩みは変わったのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 苫小牧バプテスト・キリスト教会。「苫小牧」という地はかつて工業が発展していましたが、今はどうなのでしょうか。教会は苫小牧市日吉町2-4-20にあります。現在、専任牧師はいらっしゃいませんが、もちろん教会は牧師があって存在するのではなく、主イエスの歩みにならおうとする方々が集められて教会は形成されていくのです。祈りの課題は以下です。①コロナ禍が早く収束し、②無牧師の中、主の礼拝が守られ、③新会堂が用いられますように。代務者・桜井 明

2020年09月29日

10/2 詩編39編 「この人への答えは?」

 この詩人は「空しさ」を感じています。「空」なのは自分の心。どうして空っぽになったの?良き、と思ってしたことが逆に自らを危険にさせ、人々からの評価を得られず、拒否される現実を感じています。反省して、人には語らないと思っても、心の中には不満や不安や痛み悲しみが巻き上がります。そして、彼は主なる神に尋ね求めます。自分はどうしたらよいのか、何が自分に喜び、平安を与えるのか、人生とは何なのか、生きている価値はあるのか、と。詩人に共感する人は多いと思います。詩人は祈りつつも、まだ答えは得ていません。14節の「目をそらせ」は自分の罪は見ないでという意味。この人はどうなるのでしょう。この詩人があなたにこのようにお話したらあなたは何と答えますか?

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 函館キリスト教会。函館市柏木町16-38にあります。確か、この教会には小さなパイプオルガンがあった気がいたします。実際には「パイプオルガン」とは言わないようですが。牧師ご夫妻ともとても音楽が上手な方と聞いております。ただ本多牧師の「エルサレム」発言はここではでは本意がわからず、多少気になる点です。エルサレムは世界三大宗教の拠点であり、多くの人々が巡礼に訪れる地です。ただこの場所をキリスト教のみの聖地とするという考え方を持っている人がおります。決してキリスト教が独占するのではなく、より開かれた用い方と考え方が「平和」の基盤であってほしいのです。もちろん、ユダヤ人撲滅をしようとしたナチス時代のこと、より古くは十字軍のこと、現代の問題等、歴史的に様々な課題がありますので単純な話ではありません。今、私は何か論じるためにはまだ勉強も必要だと思いました。函館教会の祈りの課題は以下です。①み言葉と祈り、主の愛と聖霊充満。②イスラエルの祝福と世界の平和。③連合、連盟における連帯と協力。牧師・本多 啓示

2020年09月29日

10/1 列王記5章1-33節 「キング・ソロモン」

 列王記上下は北イスラエル、南ユダの諸王について、在位年数、短評、王の死、王位の継承等記されています。列王記上はダビデ王の晩年とソロモン王、続いて王国の分裂の記録が記されます。ソロモン王は素晴らしい神殿を建て、豪華な宮殿を建てます。そしてソロモンの権力は最大になり、軍事力を強めます。またソロモンの類稀な知恵や洞察力が記されます。しかしこれほどの人間であってもそれは救いの保証となりません。神の前に大切なのは豪華な神殿等を建立することではなく、何より神の前に正しく歩むことでした。これを怠る時、その業績に人々が驚嘆しようとも、主はそれを「良し」としないのです。ソロモン王はこの点で過ちを犯し、王朝は滅ぶのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 函館美原キリスト教会。函館市美原2-41-8にあります。函館はとても素敵な町です。まだ十分堪能する機会はありませんが、ゆっくりと訪れたい町です。この教会には一度行ったことがあります。教会もまだ綺麗でしたし、何より函館市内にはたくさんの温泉があり、いわゆる「銭湯」でも温泉なのにはびっくりしました。祈りの課題は以下です。①神さまのお働きに対して、開かれた柔らかな心をもって、お互いに従っていくことができるように。牧師・福田 雅祥

2020年09月29日

9/30 出エジプト記33章18-23節 「あなたの栄光」

 「あなたの栄光をお示しください」。モーセにとって神の栄光とは、神の顔/臨在が雲などに包まれずに見えるということです。神が人々に見えたら人々はもはや不信はなくなると思ったのです。ただし、後に主イエスが語っているように、神を見たから、人間が神を完全に信じること等はないのです。神はモーセに対して自身の栄光を示すとしても「岩の裂け目に入れ、主の手で顔を覆う」ので見ることはできないと語ります。つまり、これはキリスト教の本質でもありますが、人と神の関係は「見ること」ではなく「聞くこと」であり、「聞く」ことは「語ること」とつながります。神は「御言葉」をもって語り、人は「祈り」として神に語り、自らの口で神を「わが神」として告白し、讃美する関係性なのです。今日はN・Nさんのお誕生日おめでとうございます!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 引退教役者の方々を覚えて。藤田吉信氏(大分県在住)、牧野銈伊氏(石川県在住)

2020年09月29日

9/29 出エジプト記33章12-17節 「主の選びの民とする」

「幕屋」(まくや)とは羊の皮を利用したテント。でも小さい三角のテントを想像してはいけません。移動式礼拝所にも使い、運動会用の数倍以上。モーセはその中で神と「顔と顔を合わせ」、「友と語るように」親密な時を過ごします。モーセはその親しさを祈りの格闘によって得たのです。そして今日の箇所の強調点は神がモーセを「選ぶ」ことや「好意を示す」という言葉が多用され、神がモーセを改めて民の指導者としたことの表明です。十四節の「同行」はモーセの個人的関係と感じ、改めて「あなたの民」と共に歩むことを確認します。神は民の罪にも関わらず「神の選びの民」と約束されます。今日はI・Rくんのお誕生日おめでとうございます!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト宣教団。この団体は戦後、米国南部バプテスト連盟の宣教師派遣等のために米国南部バプテスト連盟によりつくられました。多い時には2~300名の宣教師が日本に派遣されていました。その活動は大きな影響を与えました。祈りの課題は以下です。①宣教師と日本の信徒が福音のもとにひとつとされ、日本と世界の失われた魂のために遣わされていけるように。②日本人の宣教師がさらに世界に送り出されるように。代表理事・マシュー・サージェント

2020年09月26日

9/28 出エジプト記32章15-24節 「言い訳ばかりの人」

 「金の偶像事件」再び。モーセが怒り、牛の像を火で焼き、粉々に砕き、水の上にまき散らし、人々に飲ませました。金は人体に影響しませんが、怒りの凄さにびっくりします。同時に人間の気ままで畏れを知らない姿は今も変わりないと感じます。さらにアロンが問題。本来は人々の悪行を止める役割なのに。アロンは「人々がそう願うから」と言い訳します。言い訳上手な人間。アロンだって本当はモーセと主なる神を捨てたのです。さらにアロンは像がまるで勝手に火から出てきたような言い方をします。本当なら凄いけど、人間が造る以外に誰が造りましょう。自分の責任をなるべく回避することに躍起な姿。悲しい我らの現実です。今日はF・Cさんのお誕生日おめでとうございます!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟女性連合。全国の日本バプテスト連盟に加盟する教会の女性会(昔は「婦人会」と言っていました)が加盟して活動しています。世界バプテスト女性連合との連帯もあり、特に「世界バプテスト祈祷週間」の活動や「世の光」という機関紙を発行しています。祈りの課題は以下です。①全国女性会の祈りと働きを覚えて。②文書決議による女性連合総会が守られるように。③役員、実行委員、事務局の働き。会長・吉高路(市川八幡教会員)、幹事・米本裕見子(東京北教会協力牧師)

2020年09月26日

9/27 出エジプト記32章1-14節 「とりなす方によって」

 「神のみを神とし、愛に生きる人間関係」という「十戒」をモーセが与えられた時、皮肉にもふもとでは同時に、人々は不安からか金を集め、金の雄牛像を作り、神とします。真の神は怒ります。聖書の神は感情を持ち、考えを変えることができる方であり、人間の思い通りになる方ではありません。生きた熱情なる存在なのです。モーセと直接の子孫のみ助けてあとは滅ぼすと語る神に対し、モーセは民のことを思い、そしてその民はモーセを何度も困らせ、対立した人々でしたが、なお、その助けと赦しを乞い祈るのです。とりなすこと、破れた関係を繕い、その橋渡しをどうするのか。それは政治にも、私共にも求められていることです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「公害問題特別委員会」。日本バプテスト連盟では理事会のもと、特別な課題(永続的ではない課題)への宣教課題を学び、伝え、行動するための特別委員会が総会の承認を得て設置されています。この「公害問題特別委員会」は過去、森永ヒ素ミルク事件を契機に始まりました。しかし、水俣や原発課題、アジアとの関係での公害輸出のことなど、次から次に事柄が起こるのです。祈りの課題等は以下です。①福島原発事故で分断された方々に主のとりなしがありますように。②日本を含めた東アジアの脱原発の協力の働きが進められますように。委員長・野中宏樹(鳥栖教会牧師)

2020年09月26日

9/26 使徒言行録7章37-53節 「負の歴史に向き合うこと」

 ステファノの宣教はここで何度も取り上げています。ステファノはイスラエルの歴史(主にアブラハムと出エジプト記)を俯瞰し、歴史を共有します。その歴史とは神の言葉と導きに対しイスラエルの民は反抗し、預言者を殺してきた歴史です。しかし負の歴史を聞くことは愉快ではありません。できれば聞きたくな、忘れたいのです。それは私共も同じで、過ちや失敗したことを言われて良い思いはいたしません。でも、負の歴史、失敗の歴史に目を向けることが人間の進歩や成長につながるのです。そして預言者を殺した過去と、主イエスを殺した現在が重なった時、人々は罪を認識していないゆえ怒ります。負の歴史に向き合う時、怒るのか、それとも命の糧とするのか、いつも問われることです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 中部地方バプテスト連合。①コロナ禍でも諸教会が守られるように。②新しい歩みに生きる教会のために。③協力と財政について祈りと協議を。会長・加藤英治(四日市教会牧師)

2020年09月26日

9/25 詩編106編1-27節 「破れが繕われて」

 礼拝における讃美と告白。神を礼拝するとは、神を認め、主の働きを感謝し、信頼して祈ることであり、もう一つ大事なことは神の前に立つ自分を顧み、反省し、悔い改めて(=心と体の向きを変えること)いく歩みを決意し献げること。人はここで自らの歩みを振り返ります。時に「不正を行い、主に逆らい」、時に「み言葉を信じ、讃美の歌をうたった」者、時に「神の計画を待たず、欲望に燃え、神を試みた(神を道具のように試す)」者です。そして、「鋳た像」を礼拝するのです。モーセは「破れ」を担った。人には「破れ」を取り繕う存在が必要です。そしてあなたの破れを繕う方が主イエスなのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 青森バプテスト教会。青森市青柳2-2-10にあります。「王恵幼稚園」を運営しております。当教会にはこの教会と幼稚園で育った方がおいでになります。「祈りの課題」は「バプテスト」誌より「この時数でお願い」と言われて、なんとかその時数にあわせるために多くの教会は苦労していると思います。祈りの課題、たくさんありますし、少しでも詳しく記せばすぐに時数を超えてしまいます。ですが、この教会からの祈りのリクエストは時数をどう考えたのか、思いはたくさんあります。同時に、ルールは守るのは必要です。。少し気になった点です。祈りの課題は以下です。①病にある方、治療・療養中の方々の主にある癒しと回復を。②試練や困難にある方々が主にある平安と希望により守られますように。③一人ひとりが主にあって新しい信仰決心が与えられますように。牧師・角本 尚彦、協力牧師・佐々木 昭正

2020年09月22日

9/24 列王記上12章25-33節 「新しい時代のシンボル」

 100年続いたイスラエル統一王国は紀元前922年のソロモン王の死後、その子レハベアムが南部エルサレムで即位しますが、北部の人々はそれを拒否し、エフライム部族出身のヤロブアムを王として、ここで着た王国ユダと南王国イスラエルの二つに分裂しました。なお北部の方が肥えた平地や交通の要所として良き場所でした。今日の箇所ではヤロブアムが自分の支配権を守るために、人々が南部のエルサレムに行くことや、南部の影響を排除するために、新しい神を造ります。今の言葉で言えば、「内心」、つまり心を支配するのです。見えない神ではなく、「金の子牛像」は新たなシンボルとして人々の心を向かわせます。知るべきはあなたにとって「偶像」とは何か、ということです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> カルバリバプテスト教会。青森県上北郡六戸町小松ヶ丘3-77-1082にあります。「カルバリ」とは主イエスが十字架に架けられた山(丘)の名前です。もともと「がいこつ山」ですが、「カルバリ」になるとイメージが異なってきますね。この教会は三沢に米軍基地があり、その関係者でつくられた教会です。途中から日本語での礼拝も行われています。現在は「六戸町」ですが、かつての「十和田伝道所」を引き継ぐ形で私の義父である民家牧師が六戸に移転させ、その後、カルバリ教会がそこを使用するようになったようです。祈りの課題は以下です。①ウイルスの終焉が早く来ますように。②教会が強められ伝道に進むように。③信徒たちの信仰が強められるように。牧師・マシュー・ミラー

2020年09月22日

9/23 申命記9章8-22節 「とりなしの祈り」

 ホレブ山(=シナイ山)でモーセが「神の指」で記された「十戒」の板を受け取ります。その間四十日四十夜。ふもとにいた人々はモーセが帰ってこないことに疑念や心配を抱きます。待ち続けることができない人間の弱さ。そして、新しい指導者、新しい神を造ります。民は自らの宝を差し出して「金の小牛像」を鋳造し、その前で歌い、踊り、礼拝(お祭り)します。そこにモーセが戻る。人々の表情いかに。モーセは板を砕き、再び四十日四十夜主の前にひれ伏し祈るのでした。そしてモーセは「執り成しの祈り」をするのです。壊れた関係を修復するために全力を尽くすのが「とりなす」こと。背く者、反抗する者のために祈ること、その祈りに私どもは今日も生かされています。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 三沢バプテスト・キリスト教会。青森県三沢市東町2-2-2にあります。この教会の福田牧師は平日は眼科医として多くの患者を診て、日曜は牧師として魂の救いや癒しを願い宣教活動されています。ぜひ、眼が癒された方々、教会に行って主なる神様と出会うことができますように。祈りの課題は以下です。①新型コロナ時代での宣教活動のために。②牧師先生方の牧会と経済自立のために。③信徒の皆様の教会生活継続のために。牧師・福田 敦

2020年09月22日

9/22 出エジプト記3章14-21節 「富を得たけれども」

 主に21~22節です。神はファラオとの抗争の結末を期待をもって予想し、語っています。さいごにはイスラエル人はエジプト人の好意を得、出発に際して彼らから高価なものを集めるだろうと。「好意を得る」のは「これもあれもあげますからさっさと出て行ってください」という好意です。しかし、ここでの本来的な意味は、イスラエル人たちは奴隷労働の報酬を受け取る、さらに決して全てではありませんが、富むエジプト人と貧しいイスラエル人の地位が逆転するのです。犠牲者が勝利者となる瞬間です。でも「分捕りもの」であるのは同じ。ここで得た「富」がどのように使われるのが大きな問いなのです。「分捕りもの」は実は我が身を滅ぼす材料になるのです。今日はO・Kさんのお誕生日おめでとうございます!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 八戸バプテスト教会。青森県八戸市類町1-8-38にあります。青森県には「一戸」「二戸」という地名がありここは「八戸」です。松坂牧師はメッセージがとても素敵な方です。福岡におられる時、西南学院のさみどり保育園で子どもが一緒に行っていました。そのような保護者つながりで、福岡有田教会にいるとき、バーベキューをしたこともありました。懐かしい思い出です。そう考えると年をとったものです。八戸教会は1879年の創立ですから、連盟につながる教会としては大変古い方です。祈りの課題は以下です。①主題「日々御言葉と共に歩もう」。②宣教140年に向かい、時代の中で主を証しして歩む群れに。牧師・松坂 有佳子

2020年09月22日

9/21 創世記6章1-8節 「悲観する神」

 まず「ネフィリム」という言葉。一般的には「巨人(超人)」、時には異星人等と言われますが「わからない」ものです。ただ、聖書での印象は悪いです。神が造られた世界は「良かった」のに、歴史を重ねて「悪」が増します。人間の心と神の心の分断が起こりました。人間は悩みません、しかし神は悩むのです。そして、神は世界を創り直すこと、再創造を計画します。しかし、それは「神の失敗」を認めることでもあります。ここで神は怒ってなく、心を痛めています。神は憤っているのではなく、悲観にくれ、敵対者ではなく、被造物の味方として命をつなぐことを考えています。そしてこの「再創造」は人間を覚醒させ、神の心に従い生きることを今も訴えているのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 鮫バプテスト教会。青森県八戸市鮫町忍町30にあります。「鮫(さめ)」という名前にびっくりしますが、鮫がよく取れる場所なのでしょう。きっと魚が美味しいのは間違いなく一度行きたい場所でもあります。祈りの課題は以下です。①牧師招聘が一日も早く叶うように。②地域にキリストの福音を証しする。③祈りとみ言葉に親しむ教会になる。 代表役員代務者・鈴木 勉

2020年09月22日

9/20 出エジプト記20章1-17節 「主に愛されたゆえに」

 神の戒め「十戒」です。ここを読む時に注意すべきは「~してはならない」は「(主によって救われ、導かれたゆえに)~するはずがない」という言葉です。一方的な命令でないのです。四節の「像」は人間の都合で人間がつくりだす「神」のこと。「主の名をみだりに唱えてはならない」の「みだり」とは、例えば、他人の信頼を得るために「神さまに誓って~しません」とか、自分が神のように「あなたのしていることは神さまが絶対許しません」など、神の名を自分の意見主張のために用いることです。また「安息日」は一旦、仕事を止める時です。働き続けるのではなく、休息と礼拝が必要なのです。後半の人間関係における戒めは誰も「違う」とは言い得ないものです。今日はU・Rくんのお誕生日おめでとうございます。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 盛岡バプテスト教会。岩手県盛岡市天神町10-14にあります。盛岡は二度ほど訪れたことがありますが、残念ながら教会には行ったことがありません。盛岡三大麺の中で「わんこそば」「冷麺」は食べました。自然の豊かな良い地域ですね。祈りの課題は以下です。①礼拝・交わりが祝福されますように。②高齢の方々の健康と生活のために。③沿岸地域を覚え続ける。牧師・小川 紋子

2020年09月20日

9/19 出エジプト記19章10-25節 「神の言葉が与えられる」

 シナイ山で三日目に主が民の見ている前で主が降り、モーセに語ることが示されます。そして境界線を引き、民が歩む場所を限定させます。そして三日目に、雷鳴と稲妻と厚い雲が出現し、角笛の音が響き、火の中に主は降り、山全体が激しく震えるのです。そしてモーセを頂上に迎えます。神の顕現はただ「凄いなぁ」と感じる箇所です。しかし、様々な自然現象に目を留めるのは的外れになります。大事なのは「神の言葉」が人々に与えられること。このことが新約聖書では使徒言行録のいわゆる「ペンテコステ」に再現されていきます。それはエルサレムで、強い風のような音がし、人々の心が火のごとく燃え、主イエスによる救いを語りだした教会の誕生なのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 秋田バプテスト教会。秋田市泉中央3-2-1にあります。何より認定子ども園「ひかり幼稚園」の母体です。このたび、園舎の改築に伴い、礼拝堂も改築されたようです。この教会の村上牧師はかつては銀行マンでしたが、リタイアよりかなり前から東京バプテスト神学校に通われ、今は牧師として、園長として活躍されています。牧師と園長の兼任はとても大変ですが、子どもを愛するイエスさまのことを幼い頃に知っていただきたいですね。祈りの課題は以下です。①新礼拝堂、新園舎が用いられるように。②新しいつながりが拡がるように。③主イエスの光がこの地に輝くように。 牧師・村上 悦二、協力牧師・渡部 元

2020年09月15日

9/18 出エジプト記19章1-18節 「わたしの宝の民」

 シナイ半島南部には2千~3千m級の山が三つ連なり、その中の一つがシナイ山(別名・ホレブ山)と考えられています。その山のひとつにはカタリナ修道院があり、そこから19世紀に「シナイ写本」という聖書写本が発見されましたが、もちろんモーセの時代ではなくもっと新しいものです。また「シナイ山」は火山という説もあります。モーセらはいよいよシナイ山に登ろうといたします。そこで「契約」を与えられるのです。「神の声に聴き従うことと契約を守ること」は同義です。それは新しい生き方への招きであり、神の民とされていく道標であります。4節の「鷲の翼に乗せて」との言葉が印象的。新生讃美歌100番、友人の葬儀の時に記された祈りの詩です。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 大富キリスト教会。宮城県富谷市日吉台2-1-5にあります。仙台のベッドタウンとして発展している地域です。おしゃれな教会堂です。祈りの課題は以下です。①主にある新しい教会作りのために。②高齢者と共にある礼拝のために。③子どもたちが活きる教会として。牧師・小田 衛

2020年09月15日

9/17 レビ記19章1-18節 「主の御心を求める歩み」

 「聖なる者となれ」との呼び掛けがあります。「聖」とは人間が決めることはできません。ゆえに人がこの人は「聖なる人」等と判断できないのです。「聖」とは神が良しとすることであり、その基準は神の判断です。ゆえに神の御心を求める歩み方を目標としますし、その歩み方は聖書に幾千も記されています。今日の箇所で印象的なのは「穀物や果実」を刈り尽さず、経済的困窮にある方々のためにとり置いておくこと。また「障がい」を持つ方々への対応等とても今日的です。「心の中で兄弟を憎んではならない」。この「兄弟」とは「他者」との意味。人を憎む以前に、気に障ることは話し合って解決を求めるのです。「隣人を愛しなさい」は愛の薄い私どもへのチャレンジの言葉です。今日はO・Rさんのお誕生日おめでとうございます!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 仙台長命ヶ丘キリスト教会。仙台市泉区長命ヶ丘3-2-17にあります。「長命ヶ丘」とは何と素敵な名前でしょう。みなさん長生きされているのだと思います。この教会の金丸牧師は、かつてはバンドのベーシストとしてならした方であり、お話も面白いですよ。前任地が福岡有田バプテスト教会でした、そして、今度は仙台に異動となった時、東日本大震災が起こりました。大変な中でのスタートだったと思います。現在も続く日本バプテスト連盟「東日本大震災現地対策委員会」のお働きも続けておられます。確か、仙台は金丸牧師の故郷だったように記憶しています。祈りの課題は以下です。①将来のために今なすべきことを見極め、実行できるように。②被災者の歩み、原発事故の収束のために。牧師・金丸 真

2020年09月15日

9/16 申命記5章1-22節 「聞くこと、応答すること」

 「十戒」は今日の箇所と、出エジプト記20章にあります。「十戒」を一度に学ぶのは難しく、この欄で分けて学びます。一節で「イスラエルよ、聞け」とあります。旧約でも新約においても「主」(しゅ)は旧約聖書の神の固有名、元来の意味は『彼は生じさせる』で、すべての命の根源であり、救いの出来事を起こす方です。そして、「聞く」宗教です。つまり、「見る」ことではなく、「神の言葉を聞く」こと、そして「聞く」ことは「語る」ことと結びつきます。「聞く」「語る」との対話が神との関係なのです。「語る」ことは感謝や応答の讃美歌へともつながります。それを表現するのが礼拝であり、「み言葉」と応答の「讃美」、それらをつなげる「祈り」があるのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 南光台キリスト教会。仙台市泉区南光台5-5-5にあります。住宅地の中で、素敵な礼拝堂がお迎えしてくれます。東日本大震災の時には地域の避難所としても用いられました。祈りの課題は以下です。①教会員・求道者が守られますように。②コロナ危機で困難にある方を覚えて。③被災地(9年目)にある方々を覚えて。牧師・田中 伸矢

2020年09月15日

9/15 民数記4章5-14節 「掟の意味、守り、伝えること」

 「十戒」の目標がここに示されています。「法」や「掟」は必ず目的があります。日本国憲法前文では「主権在民」等の記述、さらに「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」とあります。これらが日本国籍を有する者は常に立ち返る言葉です。そして十戒においても、「諸国の民に…知恵と良識が示され…賢明な民である」ことが知らされますし、何よりイスラエルの民がこの神の掟を守り、伝えていくことが大事なのです。しかし時を経て、掟を忘れ、守らない、あるいは解釈を広げ本来の意味から逸脱することが結果的に民の滅びを招くのです。これは日本も同じです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト仙台基督教会。仙台市青葉区木町通2-1-5にあります。地下鉄駅を上がったらすぐにある教会でとても賑やかな場所です。また「仙台バプテスト教会幼稚園」を併設しています。もう10年以上前でしょうか、新しい教会堂ができました。「ルージュの教会」と呼ばれる。建築作品としてなかなか意欲的な建物になっていますが、使い辛さの点は多少あるかなと思っています。仙台教会にもお訪ねしたことがあります。仙台駅で海鮮のお弁当を買っていきました。せっかくだと思い松島にも行った私でしたが、残念ながら青葉城に行ってないのが気がかりです。また行きたいと思います。祈りの課題は以下です。①新しい牧会体制が整うように。②病気や高齢の方の健康のために。③青少年との出会い・伝道のために。牧師・小河 義伸

2020年09月13日

9/14 出エジプト記34章27-35節 「モーセの輝き」

 イスラエルの民を導くにあたり、主なる神は「十戒」という戒めを与えます。その後、モーセは主の戒めが記された板を持ち下山します。その時、モーセの顔を輝いていた(光を放っていた)とあります。ミケランジェロのモーセ像にはモーセの頭に「つの」がありますが、これは実はミケランジェロが参考にした旧約ラテン語訳が翻訳を間違えたのです。その聖書を読んだミケランジェロは「つの」をつけました。レプリカが神戸六甲山YMCAにあり、幼稚園のキャンプではいつも説明しておりました。どれだけ輝いていたのかと思います。でも神との出会いは人の顔を輝かせるのです。私もいつも輝いていたいですね。油で光るのではなく、主の希望によってですよ。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 山形キリスト教会。山形県山形市緑町2-12-34にあります。昨年末に新しい教会堂が完成いたしました。そして何より、この教会の杉山牧師は所沢キリスト教会の前任牧師です。それほど大きな教会ではないということですが、聖歌隊活動等を盛んにされています(ただし、今はコロナの影響があるかもしれません)。また、杉山牧師が「花や草のしおり」を作成されるのが上手な方で、その教室なども行われていました。ぜひ、新しい会堂に多くの方が行ってくれたらいいなぁと願っております。祈りの課題は以下です。①新会堂が福音宣教に用いられるように。②コロナ後の教会活動の再構築のために。③バプテスマ者が起こされるように。 牧師・杉山 修一

2020年09月13日

9/13 出エジプト記18章13-26節 「一人では負いきれないから」

 昨日の続き。翌朝、エトロは人々が並び、モーセに裁判してもらうのを待っているのを見てびっくり。その裁判はケガをさせられたとか、食事の分配のこととか、広範囲です。エトロはそれは良くない、信頼する人物を集団毎に配置することを提案します。その条件は、神を畏れる人。神を畏れるとは、自己中心ではなく、自分が神のように人を従わせるのではなく、神様が何を期待しているのかを考える有能、謙虚さ。単に頭が良いことではないのです。そして、不正な利得を憎み、信頼に値する人物。そう定義すると「とても私には役員は無理」と言います。それは私も同じ。一人で決断するのではなく、各人、弱さがあるゆえに祈り、心合わせて協議し、決断していくのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 福島主のあしあとキリスト教会。数年前に始まった新しい教会です。まだ固定した集会場所がないのでお問い合わせください。電話は024-563-3222です。ちなみに牧師は福島市野田町におられます。昨年オリジナルCDができました。とても歌詞も曲も素晴らしいものです。当教会でも支援をかねて販売しております。残り3枚です。一枚千円です。このお金は新しい会堂等をつくるために用いられます。若い方も多いようで、ぜひ、多くの方々がこの教会に集うことができますように!祈りの課題は以下です。①主日礼拝と祈祷会の充実。②新しい教会活動拠点の取得。③今後の教会活動のための整え。牧師・大島 博幸

2020年09月12日

9/12 出エジプト記18章1-12節 「感謝と喜びの夜」

 モーセが逃亡した先のミディアンで出会ったのが後の妻の父となる祭司レウエル。聖書では名前が「エトロ」と変更しています。名前等については史料により変化すること多々。リアルタイムで記録していませんから。イスラエルの民がエジプトを脱出したことを聞き、エトロとモーセ妻子がやってきます。話がとても盛り上がったことがわかりますし、感謝の礼拝をささげます。大事なのはこの次の話。集団が一つの組織としてまとめられていく大事さです。当教会では執事(役員)を選挙します。会員は選挙することにおいて、その結果に対して責任を持ち、選ばれた方々に協力して、共に教会をたてていくのです。そして、毎年少しづつ執事会が若返っているのは感謝です。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> あゆみの家キリスト教会。集会場所は固定された場所を持ちませんので、参加されたい方は 電話090-2993-7720にご連絡ください。福島市内で活動されているようです。渡辺牧師は聖書のほとんどの箇所を暗記しているのではないかといわれる人だと聞いたことがあります。あまりいないタイプの牧師です、ユニークであるとの意味ですよ。祈りの課題は以下です。コロナウイルスの感染リスクを見極めながら慎重にゆっくりと平常の教会活動に戻っていくことができますように。牧師・渡辺 政友

2020年09月12日

9/11 ルカ福音書18章1-8節 「祈り続けることへの招き」

 「やもめと裁判官」のたとえとして主イエスが語った箇所です。当時の裁判官には金にならないような裁判はしないという人がいたようです。あるやもめが裁判官に訴えますが、裁判官にとっては大きな事件ではなかったので相手にしません。ところがやもめが毎日毎晩のようにやって来ては「裁判してほしい」と頼むので、ついにそのうるささに耐えかねて裁判をするという話。ここで語ろうとしているのは、世の裁判官はそうかもしれないけど、神は訴える者に対してその声を聞き、速やかに裁くとのことです。祈り続けること。私どもは数度祈って諦めているのです。それで諦めがつくならそれでよし。あなたにとって真に大事なことをこそ祈り続けましょう。今日はH・Nさんのお誕生日おめでとうございます!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 郡山コスモス通りキリスト教会。福島県郡山市中野2-57にあります。とっても素敵な名前がついている教会。前牧師の金子千嘉世牧師は、東日本大震災のことで当時、副理事長として多くの支援をされ、後、コスモス通り教会牧師に就任されました。しかし、その後、癌のため、召天されました。いつも感動的なメッセージをされる方でしたし、私所任地の宮崎時代、多くのお世話になりました。郡山を一時離れて宮崎で闘病されている時にお伺いしていろんな話に花が咲いたのでしたが、それが最後となりました。コスモス通り教会の痛みや悲しみを深く思います。コロナ禍で難しい点がありますが、早期に新たな牧師が就任されることを祈ってやみません。祈りの課題は以下です。①無牧師の中での礼拝が守られるように。②長期欠席者のために。③心や身体に弱さを覚えている方のために。

2020年09月11日

9/10 士師記4章1-24節 「み言葉のみに頼ること」

「士師」(しし)とは王国樹立前のイスラエルで指導者として神が立てた人です。その働きは生涯というより、課題が生じた特定の時期です。士師としてギデオンやサムソン等が有名で、デボラは女性士師として活躍しました。イスラエルはカナン王ヤビンの支配下で苦しみ、そこで主は士師デボラを送り、デボラはバラクにヤビン軍との戦いを求めます。結果的にヤビン軍は撤退するのですが、その間の劇的な話が記されています。バラクについて榎本保郎先生は「『あなたが一緒ならば行きます』と言った言葉の中に人に寄り頼もう、見ゆるものにその確かさを求めようとするバラクの思いが明白である。信仰とは、神のお言葉以外の何ものにも頼らないこと」と記します。主の助けをどんな時にも祈ろう。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 新潟主の港キリスト教会。新潟市東区下木戸2-4-12にあります。この教会は新潟にあった2教会と1伝道所が合併してできた教会です。場所は幹線道路に面し、隣りには大きなスーバーか薬局がありました。平日のプログラムもよくやっておられますが、これもコロナ感染の関係でお問い合わせしてください。祈りの課題は以下です。①神を愛することをすべての動機とし、一人ひとりが教会生活を共に大切にしていくことができますように。 牧師・福久 織江、協力牧師・篠谷 輝俊

2020年09月05日

9/9 歴代誌下19章1-11節 「主のために裁くこと」

 歴代誌はバビロン捕囚に至るイスラエルの王の歴史が綴られていますが、八月の中田牧師の宣教にあったように、こちらは王の罪、過ちにあまり触れない、強者側の歴史観です。「先見者」は旧約聖書で22回用いられており、「預言者」とほぼ同意です。ヨシャファトは南王国ユダの四代王(紀元前873年~)。彼の功績として各町に裁判官を立て、運用において、不正も偏見も収賄もないようにしたことです。「主のために裁く」とは主の御心に沿うように裁くことであり、すべてを知り給う主への畏れなしには人は人を裁けません。同時に、「主に関する事項」は祭司長が行うことによって民事と宗教的事項を分けたことで強い宗教的な力が民事に入らないようにしたのでしょう。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 宇都宮キリスト教会。栃木県宇都宮市京町15-24にあります。大きな道、角にはロッテリアがあるところを曲がって中規模のスーパーマーケットに面して建っている教会。わかりやすいし、買い物にも便利です。駐車場ももちろんあります。栃木県唯一の日本バプテスト連盟に所属する教会です。礼拝堂は二階ですが、たしか、エレベーターもあったと思います。何せ、この教会の天野牧師は当教会の出身牧師であり、前連合会長であり、連盟でも多くのお働きをされています。料理やケーキ作りがお好きなようで、FBにはよく作られたケーキの写真等がアップされています。昨年度、「相互訪問プロジェクト」で当教会からも数名が伺いました。そして、特別なカレーライスを御馳走になり、そのあと、教会に割りと近い宇都宮餃子の店に行きました。日曜の14時頃でしたが、結構待ちました。でも、念願の宇都宮餃子を食べることができて、まんぞく、いや、宇都宮教会の皆さんとご一緒に共に礼拝と交流ができたのはとても嬉しかったです!祈りの課題は以下です。①新型ウイルス感染症が収束して安心な礼拝ができますように。②栃木県にもう一つのバプテスト教会を!牧師・天野 英二、協力牧師・高橋 つる

2020年09月05日

9/8 申命記1章9~18節 「裁判は神に属すること」

 集団の中では常に課題が生じ、課題に対し適切な対応、並びに今後同じことが起こらないように法整備することが重要。紀元前1500年頃に法治集団が形成されていたことは素晴らしく、さらにその内容は現代の課題と重なります。民族や地位によらず、正しく、偏りなく、人の顔色を見るのではない裁判。今、政治が仕切り直される時、国会や検察庁にも必要な言葉です。「裁判は神に属すること」、つまり、正悪を定め、処分決定は本来的には神の働きなのです。裁判官は人の命を預かり、真実を見極め判断する、実に重い働きです。神の働きを代理するゆえ、裁判官は深い見識が必要。しかし、「冤罪」とされる裁判、あるいは平等でない裁判があることは社会の未成熟さを示します。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 太田ビジョン伝道所。群馬県太田市下浜田町1085-50にあります。某学校の近くのビルの一部を借りて礼拝等を行っています。韓国出身の方々が多く、元気な教会です。今はコロナ影響でどうかわかりませんが、地域に向かって、韓国語講座や絵画教室(李牧師は芸術大学も出身されている)も行っています。新しいビジョンをもって歩んでおられる教会です。祈りの課題は以下です。①愛を分かち合える教会。②伝道を通じ弱者を救える教会。③太田市二万二千人への伝道。牧師・李 姫周。

2020年09月05日

9/7 民数記11章10-17節 「組織をつくること」

 イスラエルの民がカナンを目指して歩む旅には多くの困難が伴います。何より日々の糧の確保が重要です。主は「マナ」を与えます。「こくのあるクリーム風」は美味しそうですが人々は、「肉が食いたい」と言い、きゅうりやメロンがエジプトでは食べられたと不満が募ります。モーセは課題の度に祈る人でした。食料の問題ですが、まず主は組織を整えるようにいたします。次々に出てくる多くの課題を共に考え、祈り、対応する70名を立てるのです。もちろん、組織をつくることだけではなく、その組織が運用されるために誰かの「一強」でも「派閥争い」でもなく、主に祈りつつ共通の課題を民の立場にたって運用することです。それにより集団の心の向きが変わるのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト前橋教会。前橋市昭和町3-12-6にあります。群馬大学医学部のすぐ前と言う感じでとてもわかりやすいし、駐車場がたくさん、礼拝堂が二階ですが、エレベーターもありますのでご安心ください。かつては幼稚園もありましたので、その名残を見ることもできます。ハンドベルの演奏や、少し珍しい国産のオルガンが設置されています。今年度から新たに田代牧師が北海道から異動され、前橋教会の牧師に就任されました。コロナの影響でまだ就任式もできずですが、もちろん、教会内では就任式を行っております。祈りの課題は以下です。①年間テーマ:「共に祈りを合わせて」。②中長期計画の策定と借入金返済。③沼田集会所の毎週の礼拝と働きのために。 牧師・田代 仁、協力牧師・奥田 稔

2020年09月05日

9/3-9/6 特別版

9月 3日(木) 聖書:列王記上8章10-13節 「主の栄光の充満」。今日はS・Mさんのお誕生日おめでとうございます!
 今日の祈り:東海バプテスト教会。茨城県那珂郡東海村諏訪間2000-1にあります。近くに「学校法人みぎわ幼稚園」があり、この幼稚園の母体です。住宅地のわかりやすいところにあります。多くの卒園児がいますので、ぜひ卒園した方々、この教会に行ってください。①新任牧師と共に新たな教会形成に励む。②礼拝・教会学校・祈り会への積極的出席。③各委員会・各会の活性化と近隣伝道の展開。牧師:加山彰一、協力牧師:諏訪泰子

 9月 4日(金) 聖書:出エジプト記13章1-10節 「主の教えを口ずさむ」
 今日の祈り:水戸バプテスト教会。水戸市元吉田町2158-2にあります。五差路からはいっていったらすぐにあります。かつては町中にありましたが、将来を見込んで広い土地を得、駐車場もたくさんありますので安心です。会堂やクラスがたくさん準備されています。本年度から新しく若い牧師先生が就任されています!教会の祈りは以下です。①感染症から守られるように。②礼拝が祝福されるように。③教会が一致して歩めるように。牧師:服部紘司

 9月 5日(土) 聖書:出エジプト記13章11-16節 「小羊による贖い」。今日はK・Nさんのお誕生日おめでとうございます!
 今日の祈り:日本バプテスト連盟高崎キリスト教会。群馬県高崎市中居町4-31-11にあります。近くにマクドナルドもあり、多分、地元の人はよくわかると思います。この教会は木が豊かに使われ、気持ちが落ち着く礼拝堂です。森牧師は東北学院大学と西南学院大学で学ばれた俊才で、なんでも真面目に取り組むすばらしい方です。今は北関東地方連合の会長をされています。高崎というのは新幹線もとまるし、今やスパゲティーの名店がたくさんあります。さらに、古墳が昔のまま出土し、考古学ファンの方にも人気があります。私も古墳調査で高崎を訪れ、森先生ご夫妻にはおいしい夕食や温泉に連れていっていただき、教会で泊まらせていただきました。御恩は一生忘れないつもりです。祈りの課題は以下です。①今年度の標語と聖句を覚えて、標語「共に生きる~キリストにつながれて~」、聖句:Ⅰコリント12章27節。牧師:森 淳一

 9月 6日(日) 聖書:出エジプト記13章17-22節 「神の導き・荒れ野の道」
 今日の祈り:日本バプテスト太田キリスト教会。群馬県太田市薮塚町1122-1にあります。この教会は数年前、伝道所から独立して教会になりました。昔、「うなぎ屋」さんだったところを改造して教会として利用しています。なので、二階には和室の大広間があります。うなぎの臭いがかつてはありましたが、最近はそのようなにおいはしません。太田市はスバルの工場などがあるので、スバルに関係する方も多いし、外国人の方々も多い地域です。それから、教会から車で少しいけば「薮塚温泉」というホテルもあります。田園地帯なので駐車場もたくさんあります。祈りの課題は以下です。①ウイルスが終息し、教会生活が戻りますように。②地域社会に福音が語られますように。③30名礼拝が与えられますように。牧師:林 健一

2020年09月02日

8/31~9/2 特別版

牧師休暇に伴い、今週はメッセージなしの特別版でお送りいたします。

8月31日(月) 聖書:出エジプト記12章29-42節 「主は寝ずの番をされた」
 今日の祈り:連盟引退教役者の方々を覚えて。福本幾男氏(福岡県在住)、藤井健児氏(福岡県在住)。福本先生はかつて、東福岡バプテスト教会の牧師をされていた時、研修神学生としてお世話になりました。とっても腰の低い先生で、かつお話が面白い方です。藤井先生は長年「香住ヶ丘バプテスト教会」の牧師をされました。盲目というハンディをかかえておられますが、その働きは豊かでした。故中村哲医師(ペシャワール会)の洗礼(バプテスマ)を導いた方です。

9月1日(火) 聖書:創世記50章22-26節 「ヨセフの遺骨を携えて」
 今日の祈り:筑波教会(茨城県)。茨城県つくば市稲荷前23-2にあります。つくば市の研究機関等でお勤めの方が多く、来られても数年間で引っ越しされていくのだと嘆かれていました。でも礼拝出席者も多い教会です。祈りの課題は以下です。①教会員とその家族とこの地域の方々の命と健康のために。②牧会委員会の働きのために。牧師:高橋秀二郎

 9月2日(水) 聖書:ヨシュア記24章32節 「ヨセフの遺骨の埋葬」
 今日の祈り:日立教会(茨城県)。茨城県日立市中成沢町3-17-9にあります。この教会には一度お招きを受けて礼拝で奉仕させていただきました。この町って「日立」関連の研究所や工場など、なるほどこれが企業城下町か、と思いました。日立教会は専任牧師を置かないで教会員がそれぞれ働きを担っておられます。ぜひ、日立市にお住まいの皆さん、この教会に行って、教会をたてる働きをしてほしいと思います。祈りの課題は以下。信徒相互牧会による会衆教会を目指して、①神の家族としての家族伝道への祈り。②横浜JOY教会と連合の支援に感謝。教会主事:井伊 肇

2020年08月29日

8/30 出エジプト記12章21-28節 「歴史に学び続けるため」

 その夜、エジプト中が叫びます。「撃つ」(ナガフ)は「疫病」と語源を共にする言葉で、感染病のように広がったのでしょう。もちろん、血を塗っていない場合はへブル人の家も災いが及びます。そしてこの時、やっとファラオはイスラエル人の解放に同意し、その知らせが伝えられ、慌てて、エジプトから出発していくのです。「負け」を認めることは指導者が能力無しとされますが、早い決断をすれば多くの民を救う役割も果たせるのです。それは敗戦を認めた七五年前の日本と同じ。誰のための政治なのか、政治家は国民を守る代表であることを常に意識すべきです。8月は特に戦争に思い巡らせる時でした。さて私どもは歴史から学ぶことができているのでしょうか?

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 学校法人「西南女学院」。福岡県北九州市小倉にあるバプテストの精神でたてられたミッションスクールです。西南女学院大学には「保健福祉学部」(看護学科、福祉学科、栄養学科)、「人文学部」(英語学科、観光文化学科)、「助産別科」があり、短期大学部には「保育科」があります。またシオン山幼稚園、西南女学院中学校・高等学校で構成されています。北九州では女子教育の名門でしたが、北九州市の産業地盤の変化と共に苦戦しているようです。ぜひこのすてきな学校で学んでいただきたいと思います。私も昔、何度かチャペルでお話させていただきました。祈りの課題は以下です。①入信者が与えられますように。②百周年記念と募金事業のために。③地域の諸教会が祝されるように。院長・田中綜二、キリスト教センター長・東彩子

2020年08月25日

9/29 出エジプト記12章1-20節 「犠牲と救い」

 「主の過越」は主の災いの通過。この月を「正月」との言葉は新たな歴史の開始を意味し、新たな出発の準備が丁寧に記されます。一つは小羊の血をヒソプ(しそ科の雑草)で家の玄関の柱と鴨居に塗る。すぐに旅立つことができるような用意をし、第二に酵母を入れないパンと苦菜食べること。さらにこれらのことを救いの記念として今後も祭り(=礼拝)として行うことの指示がなされます。そして小羊の血が塗られた家は災いが過ぎ越すのです。これは後に神社の鳥居との関連を指摘する説もあります。新約の時代、この箇所を読む時、「過越祭」に十字架で殺された犠牲の主イエスを想起せずにはおられません。今日はO・Yさん、S・Mくんのお誕生日おめでとうございます。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟「障がい者と教会委員会」。この委員会も日本バプテスト連盟理事会のもとに設置されている特別委員会です。教会や社会のバリアフリーへの取り組みや命の尊厳の保証などを発信し、また諸教会に伝えてくださっています。①障がいの有無ではなく、命の尊厳が守られるように。②「弱さ」を排除せず、そこから出会うことができるように。③当委員会と委員一人ひとりの働きのために。委員長・水野英尚。

2020年08月25日

9/28 出エジプト記11章1-11節 「犠牲が生まれない世界を」

 イスラエルの民解放を願うモーセらに対してファラオは耳を貸しません。いわゆる「十災」を通して交渉しますが、ファラオの態度は変わらず、ついに最後の災いが始まります。この箇所は読むに堪えがたいとも感じる箇所です。まずは「どうして幼い命が奪われるのか」との問いが生まれましょう。他の方法はなかったのか、と感じます。しかし、一方ではファラオはイスラエルの民の尊厳を奪い、命を脅かし、子どもを殺したのですから「目には目」との考えもできます。また、ファラオは何度も危機を教えられながら頑なに解放しなかったことがより大きな災害を招くことでもあります。旧約の限界と主イエスの到来を願う箇所です。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟「靖国神社問題特別委員会」。連盟理事会のもとに設置されている特別委員会の一つです。靖国神社はその成立と現在に至る立場は民主主義国家として課題が多いものです。いわゆる「戦犯」が合祀されており、このことで今は天皇も参拝をやめています。一方政治家の「公式参拝」が過去の侵略行為を肯定するものとして批判を受けています。また、「公式参拝」は特定の宗教団体に対して公金を支出してはならないとの憲法を否定することになります。その他、本人や家族の意思で合肥を拒否できない、とか、合祀されているのは軍人のみであること、そこにおける課題など問題ばかりです。祈りの課題は以下です。①「信教の自由・政教分離」の確立のために。②「即位の礼・大嘗祭」違憲訴訟の支援。③憲法改悪(緊急事態条項他)阻止。委員長・ 平良 仁志(堺教会牧師) 

2020年08月25日

8/27 詩編105編 「語り伝えること」

 この詩編もイスラエルの歴史、特に族長時代からエジプト脱出の歴史を回顧し、主に感謝をささげるようにと促します。11節の「嗣業」とは神から譲り受けた恵みです。こうして何度も礼拝において、民族の歴史を回顧し、人間の罪や弱さにも関わらず導く主を讃美するのです。そして主を讃美する時には我らの心に「悔い改め」がなければ口先だけの信仰になります。私が小学生の頃、牧師だった父が特伝の看板を何枚も墨で書いておりました。わたしは尋ねたのです「なぜ特伝をするのか?」と。すると父は「新しい方が教会に来られるように、また、教会の人の信仰が豊かになる」等を話してくれました。子どもの質問を大事に聞き、大事に答えることが大人の役割です。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 西関東地方バプテスト連合。西関東は静岡・長野・山梨の3県にある日本バプテスト連盟に加盟する教会とその伝道所で構成されています。11教会・伝道所の集まりですが、小さいほどまた交わり(交流)がよく、温かになされます。祈りの課題は以下です。①西関東連合9教会2伝道所の宣教の業の豊かな結実。②コロナ禍で厳しい状況にある方々に主の守りと平安。 会長・原田攝生(静岡教会牧師)

2020年08月25日

8/26 詩編8編30-72節 「親の愛、羊飼いとしての愛」

 43節「ツォアン」はエジプトの古代都市でナイル三角洲北東部メンザレ湖南岸。51節「ハム」はエジプトのこと。この詩では引き続き、イスラエルの歴史を語りますが、イスラエルの歴史を語ることは同時に神の歴史を語ることなのです。39節の「人間は肉にすぎず…帰らない風」、そして神を侮るような者。しかし、その民を「羊飼い」として導いて下さったのです。時に神を探し求め、時に神を裏切る民は、私どもの姿です。40節「どれほど彼らは荒れ野で神に反抗し、砂漠で御心を痛めた」。ここに親の愛の姿としての神が示されています。子どもを育てるとは自らの心を痛めることも度々。親の在り様を聖書から学んでほしいのです。そして、あなたも神の子。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 上尾キリスト教会。上尾市小泉39-66にあります。「上尾」という地名はあまり知らなくて、埼玉県に来てはじめてわかりました。とても発展している町で駅前も整っているようです。実はまだ行ったことがなくて、いつかはお訪ねしたいです。この教会の秋山牧師は上尾教会で多分25年以上牧師をされています。昔は「北関三山」といって、何のことかと思ったら、杉山、加山、秋山と「山」がついており、さらにそれぞれ長い間、北関東連合で活躍されているし、されておられた牧師たちです。祈りの課題は以下です。①安心して礼拝が捧げられますように。②希望の福音を伝えられますように。社会に開かれた教会となりますように。牧師・秋山 信夫

2020年08月25日

8/25 詩編78編 「失敗を伝えてほしいの」

 昨日に続いて「語り伝える」こと。歴史認識の違い、これは日韓でもどのような歴史の中にもあります。都合の良いこと、誇りたいことは残し、まずい部分や自らの過ちを消したいのが人間です。ゆえに歴史は複数を調べなければその姿は見えません。そして歴史を語る意味は八節にあります。歴史は姿形を変えて繰り返しますので、過ちを繰り返さないために歴史から学ぶことが大事なのです。今日の詩編ではイスラエルの歴史を顧み、そこで民の罪や、欲望のままに生きた姿を描きます。同時に、そのような民を愛し導き、時には怒り給う主の姿を。今日学ぶこと、国家のみではなく、家庭でも、親が子に自分が失敗したこと、間違ったことを語ることが真の教育になります。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大宮バプテスト教会。さいたま市大宮区浅間町2-214にあります。この教会はとても場所が良いです。大宮駅を出て、すてきな参道を歩いて、大きな通りに出て、もうちょっとして、少し中に入るとあります。礼拝堂は二階ですが、ここもエレベーターがありますからご高齢の方も安心です。この教会の左右田牧師、名前を読むのが難しいようですが、こちらのほうが詐欺などに会いにくいでしょう。左右田先生ご夫妻ともむかーしから知っております。左右田先生は大きな声でしゃべり、そしてよく食べよく飲む、そして実に楽しい先生です。長年、八王子の教会の牧師でしたが、一昨年から同じ連合での仲間となりました。祈りの課題は以下です。①新型コロナ感染に際し、新たな教会形成、近隣伝道のために。②教会に集う人々とその家族の健康のために。牧師・左右田 理

2020年08月22日

8/24 申命記6章16-25節 「教えの意味を伝える」

 聖書にある主の戒めや律法が何のため、どんな意味があるのかと将来聞かれた時の想定問答。様々は規則や法規には必ず理由があり、意味を知ることが重要です。時には校則等で「意味ない」と感じるものもありましょう。できた当時には意味があったもので、必要によって変えること、定期的な見直しをすべきなのです。16節の「主を試す」とは、「自分がこうしたから、神さまこうしてください」と神を道具にすること。そして語り継ぐことについて、私どもは「何故、礼拝するのか?讃美歌を歌うのか?主の晩餐をするのか?バプテスマをするのか?クリスマスとは?」等、聞かれたら答えることができるように、そうでなくても、その意味を聖書から学び伝えていきたいですね。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 宮原キリスト教会。さいたま市北区日進町9-785にあります。ここらあたりは、ミッションスクールの「聖学院大学」等があります。学生さんにはたくさんきてほしいですね。小っちゃな会堂ですが、バンド活動なども熱心にされたり、教会をオープンにした集まり等もあります。今はコロナであまりできないかもしれませんが、感染収束後はぜひお訪ねください。埼玉県は世界の「ホンダ」の関連会社も多いのですが、この教会の牧師はかつてホンダで車の内装デザイン等をしていたとのこと。実は私は若い頃からF1を見るのが好きで、セナプロ時代やセナが事故で亡くなった時のテレビも見ていました。今もF!、特にホンダを応援しております。戻して、この教会の祈りの課題は以下です。①以前のような礼拝と教会学校の再会。②教会に集う方々の健康のみまもり。③新来者の方々の定着と信仰の成長。  牧師・足立 智幸

2020年08月22日

8/23 出エジプト記6章28-7章7節 「心合わせて主の御心を実現する」

 モーセとアロン、そして多分ミリアムは預言者、祭司として集団指導体制をつくったとも言えます。30節の「唇に割礼のない者」、割礼はユダヤ人男性が生まれた時に受ける儀式です。つまり、しゃべるのが上手くないこととヘブライ語を十分に語れないとの二重の意味があります。そのモーセをカバーするのがアロンであり、通訳として言葉を届け、仲裁しますし、同時に神の言葉を語る者としての深い洞察力と責任をもった働きです。ミリアムは音楽を通して人々の思いを神へ向けることがその働きでした。それぞれが働き、それぞれの賜物を生かして神の御心を伝える努力をするのは、私共の教会と同じです。我らが心合わせなければ主のみ旨は実現しないのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト浦和キリスト教会。京浜東北線の「北浦和」から徒歩10分もかかりません。道路沿いにビルのように建っています。住所はさいたま市浦和区常盤7-2-14です。北関東で中心的な教会で、礼拝出席者も大変多いです。礼拝堂は二階にありますが、エレベーターもあります。会場も広いので連合の集まり等にも用いられています。附属幼稚園がありますが、現在、社会福祉法人の保育施設として変更準備をされています。来年度には新しい幼児保育施設ができるかも。この教会の廣島牧師は、以前、福岡教会の廣島牧師であった時からお交わりを与えられています。同じ日大出身ですが、実力の伴う理工学部で「半導体」の研究をされておりました。あるとき、「半導体」とは何ぞ、と聞きますと、「電流を半分導く部品」とのことでした。わかったような、いまだにわかりません。米国で仕事をされている時にクリスチャンになりました。会社の合唱団体におりましたから、歌もうまいです。コロコロっとした美しい伴侶の方とはこの合唱団体で出会ったとか、どうだとか、出会いは様々ですなぁ。それから、浦和教会は合唱団や音楽サークル等にも会場を貸し出しております。祈りの課題は以下です。①宣教開始70年信仰告白証集のために。②幼稚舎の働きのために。③すべてのいのちが大切にされるように。

2020年08月22日

8/22 出エジプト記6章13節 「思い通りにいかない世界で」

 ファラオとの交渉はより重労働へと向かわせ、イスラエルの民はモーセに対して詰め寄ります。「こんなはずじゃなったでしょう」と。まぁ、戦略がなかったことは確かです。交渉においては常にいくつものシュミレーションを用意しておかねばなりません。しかし、モーセは祈ることができました。モーセが民の思いを代弁する、そして主と対話する、まさにそれが祭司の使命でもあります。そしてモーセは主から伝えられたことを民に語りますが、重労働を課せられ疲れた民は意欲が出ません。モーセにとっては「こうなるだろう」ということが次々とひっくり返されていくのです。それは私共の現実の姿。しかし、なお、その中で主の言葉を信じ続け、祈り続けるのです。今日はK・Tさんのお誕生日おめでとうございます!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> ふじみ野バプテスト教会。埼玉県富士見市ふじみ野2-14-3にあります。東武東上線「ふじみ野」から徒歩10分もかかりません。道路沿いに素敵な会堂がたっています。この教会の山下牧師は、割りと若く、かつては小学校の教員をされていたと思います。音楽やPCにも詳しい方です。若い牧師の説教をぜひ聞きにいってください。所沢教会、坂本からの紹介といえば、いいですよ。いや、どうかな。それはさておき、祈りの課題は以下です。①会堂と家庭で行われる礼拝が共なるひとつの礼拝となるように。②それぞれの日常が守られるように。牧師・山下 真実

2020年08月22日

8/21 出エジプト記5章1-6章1節 「主とは何者だ」

 エジプト王にイスラエル民の解放を目指してモーセとアロンによる交渉が始まります。まずは礼拝するために一週間程の解放を願います。しかし、そんな話は進まないどころか、ファラオは逆により厳しい政策を行います。「主とはいったい何者なのだ」とファラオは問いますが、知らないのは当然です。ファラオはエジプトでは神に等しい存在であり、それ以外の神等は関係ないのです。かつて、日曜だけは礼拝に行かせてくださいと願う妻に対して、家事もできてない、あれもできていない、礼拝に行く時間があったらもう少し家のことをしっかりやれ」と言う夫の話を聞いたことを思い出しました。知らないものは価値がないと思う人間はまだたくさんおりますね。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト川越キリスト教会。川越市石原町1-32-3にあります。道路から少し入ったところにあるのでわかりにくいのですが、「隠れ家」のように住宅地に素敵な山小屋風(なんと暖炉もある!)の建物があります。細い道に入るところの、大きな道路に「案内看板」があります。この教会の丸山牧師は長年キリスト教放送局FEBCで努められ(今も週何度か通っています、つまり二足のわらじ、というか、まさか「わらじ」は履かないので「二足の靴」)、牧師職をされています。とても声が良い方です。まとまりのある教会、ぜひ皆さんも日曜にお出かけください。祈りの課題は以下です。①近隣の方々と主の祝福に与る教会。②十年後のことを祈り共に考えていく。③高齢者のご健康と子どもたちの成長。牧師・丸山 勉

2020年08月22日

8/20 詩編6編 「平和と愛に向けての戦い」

「神よ立ち上がってください」(本来は希求文)と戦士としての神への祈りで始まります。戦士である神の勝利と支配がこの詩の根底に流れ、ファラオの軍勢から救い出された主を讃える出エジプト記15章と類似しています。ただ「戦士」以上に、この詩で歌われるのは社会的弱者への配慮であり、恵みを与え、日々、人々を担い、救われ、死から解き放つ方です。「戦う神」のモチーフは新約ではそれほど重要ではなくなっています。神をどう告白するのかは、その時代の歴史認識や世相が反映するからです。17節は口語訳が良かったです。「峰かさなるもろもろの山よ、何ゆえ神がすまいにと望まれた山をねたみ見るのか。まことに主はとこしえにそこに住まわれる」。今日はU・Rくんのお誕生日おめでとうございます!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 所沢キリスト教会。今日は当教会を全国の方々が覚えて祈ってくださることを感謝いたします。この地で57年、これからも地域の方々に愛され、神さまと共に歩む希望を語り継ぐ教会として歩んでいきます。ぜひ、教会の礼拝にご参加ください。安心・安全・愛が満つる教会です。祈りの課題は以下です。①コロナ感染と向き合い、学び、祈り、痛みに連帯。②求道者・決心者が与えられるように。③活動再構築のため。牧師・坂本 献、協力牧師・浅見勇三、中田義直

2020年08月17日

8/19 申命記34章1-12節 「顔と顔を合わせて」

 申命記はモーセの遺言ですが、5節以下は申命記の編集者が記した言葉です。モーセは激動の歴史を歩み、民を導きながらも主が約束された地、カナンを前にして召天します。この時のモーセの心情を想像しつつ、作者自らの歩みと信仰を重ねつつ記された詞が新生讃美歌430番「しずけき祈り」です。3節で「そびゆるピスガの山の高嶺より、ふるさと眺めてのぼりゆく日」とあります。故郷には帰ることができない、ある意味、その人生は自らの目標に到達できなかった、しかし天の故郷に帰るという最上の幸いを詠うのです。なお「祈りの時はいと楽し」とありますが「楽しい」のスゥイートは「甘い」「楽しい」より、ここでは「(死の恐れも超えるような)深い喜び」。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 飯能バプテスト教会。埼玉県飯能市岩沢241-1にあります。場所は住宅地の奥まった場所にあり、道も狭いのですが、看板が出ていますのでそれを参考に行ってください。おしゃれな住宅を今、教会堂として使っています。教会員の方々のご奉仕により、芝生の庭や、植木の管理、おイモまで植わっています。数年前より足立牧師が就任され、ほんわかした教会の雰囲気に感じられます。今はコロナで休止されていると思いますが、いろいろなプログラムがあり、お子様向けのプログラムもあります。親子で来て礼拝のあとは芝生の庭で遊ぶことができますよ。まだ大変小規模な教会なので、みなさん一緒に協力してください!祈りの課題は以下です。①たとえ隔週礼拝が続いても主イエスキリストの愛に生きる教会。②コロナ感染症が収束しますように。
牧師・足立 和子

2020年08月17日

8/18 出エジプト記4章18-31節 「難しい箇所です」

 今日の箇所には不可解な点が二か所。一つは「主がファラオの心をかたくなにする」こと。何故?と思いますね。「逆だろ」と感じます。この点は聖書が「神が歴史を導いている」姿勢で後日に記されており、ファラオも主が導いていたと最終的に理解して記述されたと考えられます。もう一つは24節の「主は…彼を殺そうとした」こと。この「彼」がモーセか、モーセの長子なのかはっきりしません。「長子」と考えるなら、ここで妻ツィポラ(「鳥」の意味)がイスラエルの歴史を知り、その危機を救うことをした「仲介者」としての役割を紹介していると思われます。また、「彼」をモーセとすれば、今後何度も起こる命の危機に対するテストとも考えられます。多くの神学者も悩む箇所です。今日はM・Jさんのお誕生日おめでとうございます。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 西川口教会。戸田市喜沢1-2-13にあります。「さくら並木」にたつ教会です。もう10年以上前になりますが、素敵な新会堂ができています。クローバーか何かのデザインですし、木材も多用された会堂です。連合の集まりでもよく使用させていただいています。西川口から徒歩7-8分で行くことができます。讃美歌の世界では有名な「ああ主のひとみ、まなざしを」を作詞された井置牧師が長年牧師として活躍されました。また、かつては幼稚園も運営しておりましたが、現在は廃園されています。現在は主任牧師不在ですが、朴思郁牧師(連盟宣教研究所所長)が協力牧師としてお働きをされています。祈りの課題は以下です。①すべての医療従事者を覚えて。②コロナ危機における教会員の信仰生活のために。③未来へ続く教会形成のために。協力牧師・朴 思郁(宣教研究所所長)

2020年08月17日

8/17 出エジプト記4章10-17節 「共に担う存在を与える主」

 主なる神はモーセをリーダーとして選び招きますが、モーセはなかなか引き受けません。モーセは「自分は口が重く、弁も立ちません」と。教会の奉仕でも、当方が能力ありと考え、お願いする場合がありますが、応えてくださらない時もあり、その理由は様々です。まぁ、私も少年時代は他人の前でしゃべるのは苦手でした(今も苦手ですが)。でも主は力を与えて下さるし、加えて新たな提案をします。兄アロンは雄弁なので、一緒に力を合わせてやればよいと。静かな人、おしゃべりな人、人前が苦手な人、それぞれです。でも異なった能力、不足を互いに補いあうのが教会。自分一人ではなく、主はあなたを助ける者があることを教えてくださるのです。だから恐れないで。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 朝霞キリスト教会。朝霞市根岸257-1にあります。この教会で何十年も牧師としてたてられている江川博和牧師は90歳を超えてなお、日々その働きをされています。江川牧師の長年の活動には特筆すべきものがたくさんあります。戦後、朝霞には米軍基地がありました。そして、日本人妻と結婚した米軍関係の中で、最終的に母子を残し捨てて、米国に帰られる方もあり、そのようなお子さん、多くは経済的困窮の中にありましたが、それらの子どもたちを幼稚園で引き受けていきました。また、「自閉症児・情緒障害」の子どもたちに早くから目を向け、学びをし、専門的に受け入れる施設をつくりました。これは日本でも大変先進的な取り組みであり、全国から注目されました。また「9条の会」の地域での代表者となり、平和を訴えたのです。幼稚園には当然、近所に住まわれている方々のお子さんもきます。卒園生の中には故本田美奈子さんもおられ、本田さんが闘病生活の中で"Amazing Grace"を歌ったのがCDにも入っておりますが、本田さんの中に、子どものことから親しんだ讃美歌や祈り、平和をつくる願いを強く覚えて「ミスサイゴン」等に出演されたその、通奏低音として幼児期の聖書やイエスさまとの出会いがあったと思います。そのような教育や社会貢献の功績はこれからも注目されていくでしょう。一方で教育や「しょうがい」者、困窮者に関わることはそれだけで大きな力が必要で、教会形成としては後手になってきたことは否めません。もっと共に担ってくださる人材を求めていけばよかったと思いますが、何より江川牧師のお働きを大変尊敬している私です。祈りの課題は以下です。①高齢者の方々のすこやかな生活を。②白百合保育園の用事の成長のために。③自閉症児、障害児の施設のために。 牧師・江川 博和

2020年08月17日

8/16 出エジプト記3章1-15節 「心配しないで、大丈夫!」

 「神の山ホレブ」は神との出会いの場所のひとつ。羊の群れが通常と異なり荒野の先へ向かいます。そこに「柴」(「おじいさんが柴刈りに」の柴と同じ燃料にする木の枝々)が燃えているのに火が尽きないのが不思議で、主との出会いの場が設定されます。廻り道や興味や不思議と思う事柄を通して人は神と出会うのです。そして神との対話が始まります。モーセはエジプトの窮状を知っております。でも、自分には関係ないと思っていました。いや、そうではない、モーセの二つのアイデンティティが仲介役としてふさわしいのです。でもモーセは「そのような働きに不十分、不適格」と感じ、断わります。でも神が共におられ、神があなたを必要として主の働きへ招いています。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 常盤台バプテスト教会。板橋区常盤台2-3-3にあります。東武東上線「ときわ台」下車4~5分以内で着きます。とても便利です。この教会は日本バプテスト連盟の歴史の中でも初期の教会で、この教会から多くの教会も生まれていきました。長らく故松村秀一氏が牧師をされていました。ここの欄で何度も記しますように、この教会が私の母教会です。日大時代に常盤台教会に通いだし、多くの仲間や学び、刺激を受けた教会です。丁度、松村牧師から戸上牧師に替わる時期で、この頃、音楽牧師として岩阪憲和氏がおられました。岩阪氏は、東京芸大からドイツで声楽を学びお堅い方かなと思っておりましたら、ある日曜の教会学校礼拝のようなところで軽やかなゴスペルフォーク(かつてこう言われていた)をピアノ伴奏で歌っておられる姿に全く印象が変わりました。伝統的な教会音楽ではなく、新しい独自の教会音楽を模索されていた先生です。ゆえに「メサイア」も日本語訳で歌ったり、作曲にも取り組んでおられました。多くの薫陶を頂き、同時に育ててくださった先生と常盤台教会でした。現在の友納牧師は西南学院大学神学部の同期入学で、今でも親しくさせていただいております。長崎教会から常盤台教会に招聘され、長崎から東京に行く途中、神戸にも立ち寄ってくださいました。なかなかご多忙でゆっくりお会いすることができないのが残念。常盤台教会の祈りの課題は以下です。①教会創立70年。時の課題を諸教会と共に乗り越え、主と地域に仕える信仰・知恵が注がれますように。牧師・友納 靖史、協力牧師・渡部 信

2020年08月12日

8/15 出エジプト記3章16-22節 「愛をもって導く方に」

 イスラエルの民を助け出そうとする主なる神とモーセの対話の後半部。ここで神は「仕打ちされる民を顧み、苦しみを見る」お方。苦しみをそのまま放っておかず、故郷への旅路へと導くのです。そのために「こう言いなさい、こうしなさい」と具体的な言葉をもって教える姿に神の愛の在り方がわかります。人の苦しみを顧みない時代、見てみぬふりをする時代。助ける道を考え、そのために具体的な指示をすることに真に親の愛情を感じます。一方のモーセは「なぜ私がそれをしないといけないのか(今の俺は平安なのに)。こうなったらどうするのだ」と文句と反抗の応答。それは何だか自分の姿みたい。人の道、倫理は常に「真実を見て、考え、助ける方策を行うこと」です。そのモデルは聖書にあるのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 赤塚バプテスト教会。板橋区赤塚1-18-7にあります。この教会の石堂牧師は牧師の息子さんであり(PK)西南学院大学神学部では1~2年下で入ってきました。ものしずかな方という印象です。ご健康が守られて善き働きができますようにお祈りしています。教会の祈りの課題は以下です。①地域伝道の活性化。②教会学校の充実。③次世代への伝道・育成。牧師・石堂雅彦、名誉牧師・児玉振作

2020年08月12日

8/14 使徒言行録7章30-36節 「75年」

 ステファノの宣教は「殉教しない、させない社会」と題し8月1日の聖書日課で扱っています。「死の美化」は死者に対する責任を別の方向に向けさせ、原因をつきとめさせなくし、遺族の心を騙し取ること。「殉教者」を出す教会は教会ではない!それは戦争にも言えます。軍人のみが入れる「靖国神社」を創設し、お国を守る(=国体=天皇体制)ために死んだ者、殺した者を神と崇めることを通して、死の責任を免れようとした日本があるのです。特に「特攻」は人間自ら飛行機や魚雷と共に敵に突っ込むという世界的にも有り得ない戦術です。国家は国民を味方と言えども殺したのです。世界から見れば「野蛮で気の狂った国民」なのは当然のことでした。今日はN・Yさん、N・Sさんのお誕生日おめでとうございます。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東京韓日バプテスト教会。板橋区板橋4-1-6 バプテストビルにあります。「バプテストビル」一度行ってみたいですね。祈りの課題は以下です。①宣教センターとして用いられるために。②次世代の献身者が起こされるように。③多くの方々に主の福音を伝えるために。 牧師・李 島鎮

2020年08月12日

8/13 ヨハネ福音書8章21-30節 「主を知るために」

 「アブラハムが生まれる前から『わたしはある』」と主イエスが語ります。「わたしはある」というのは、モーセが神から働きを命じられた時、主なる神は「わたしはある」と言う者である、と答えられました。この出エジプト記の記述とヨハネ福音書での主イエスの言葉を関連してとらえ訳しているのは新共同訳からです。ここでの内容は、弟子達の無理解、しかし、主イエスの語ったことは自分の考えではなく、父から伝えられたこと、十字架刑に処せられる時に(人の子を上げた時)に、その意味が理解されるのだ、と言う内容です。主イエスとはいったい何者か、それはイエスの生き様、死と復活を通して理解されるのです。今日はM・Hさん、I・Cさんのお誕生日おめでとうございます。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 志村バプテスト教会。板橋区前野町4-13-6にあります。昔、一度行ったことがあります。平日だったもので、広い会堂だなという印象でした。それは随分昔のこと。祈りの課題は以下です。①地域の人を招く開かれた教会に。②求道者が決心に導かれるように。③バリアフリーの実現のために。牧師・常廣 澄子、協力牧師・永田 邦夫

2020年08月12日

8/12 ミカ書6章1-8節 「へりくだり神と共に歩む」

ミカは紀元前8世紀、南王国でイザヤ等と同時代に活動した預言者です。ミカはペリシテに近い農村モレンテの身分の低い農民出身という点で特筆すべきです。例えばイザヤ等は高い地位にあった人ですが、一方で農民や庶民などが預言者と召されています。預言者であれ、主の弟子であれ、私どもキリスト者もその身分や学歴は問われません。ただ、神があなたを選び出し、用いようとするのです。ミカ書4章3節はイザヤと共に平和への道を示します。五章にはキリスト(=メシア)預言もあります。今日の箇所の8節は私が、牧師就任式等でプレゼントする言葉ですが、その時、自らも初心に帰り、改めて自らの働きを乞い願うのです。今日はM・Nさんのお誕生日おめでとうございます。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 蓮根バプテスト教会 東京愛のバプテスト伝道所・新宿区下落合2-6-21 下落合サンプロビル3Fにあります。祈りの課題は以下です。①聖書信仰に立つ教会になりますように。②健康な信徒の交わりが豊かになりますように。③聖霊の満たしを体験する共同体となりますように。牧師・権 赫烈

2020年08月08日

8/11 申命記26章5-15節 「神との関係性の中で」

 「信仰告白」とは自分と神との関係を語るもの。「神」はどのような方であり、自分(達)はどのような存在であり、そしてどう歩んでいきたいのかと語ります。クリスチャンになる時は「信仰告白」が必要です。神との出会い、その神は自分にとってどういう方かと語るのです。何か飾る必要はありません。素直に記せば、きっとそこに多くの恵みの導きを知るでしょう。今日の箇所で印象的なのは「寄留者」であったという自覚です。寄留者は自分の土地等を持たず、誰かのもとに歩む生活であり、不安定で弱いもの。自らの民が寄留者であったことを想起するゆえに、自分達の中にいる寄留者や社会的弱者への配慮が願われるのです。今日はC・Aさんのお誕生日を覚えてお祈りいたします。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 蓮根バプテスト教会。板橋区蓮根2-31-10にあります。板橋区坂下1-40-2にある「誠志会病院」との関係が深く、この病院ではミッション病院として、キリスト教や聖書の集まりもあります。もちろん自由参加なのは当然ですよ。クリスチャン看護師も募集しております。祈りの課題は以下です。①病床にある方々の回復のために。②連盟の諸教会が守られるように。③全国の教役者が強められるように。主任牧師・高木康俊、高齢・病床者担当牧師・金香泰誠、協力牧師・片岡順子、主事・中地芳子

2020年08月08日

8/10 出エジプト記2章11-25節 「自分は何者なのか」

 3歳から王宮での生活を始めたモーセ。成長の中で自分の中にあるヘブライ人とエジプト人という対立する二つのアイデンティティを知ります。しかし、同胞と思うヘブライ人にも敵視され、ファラオはモーセの素性を知りモーセを殺そうとし、逃げます。ミディアンはアブラハムに由来しますが、長い歴史の中ではユダヤとは平和も争いもありました。また、ホレブ山(=シナイ山)に近かったようです。ただ、この地に住んだことは生活の安定、そして、ユダヤの歴史や祭儀等を学ぶ機会になりました。そして常に問われたのは「自分は誰なのか?」ということ。それは常に人間への問いです。例えば「日本人」とは何なのでしょうか。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 東京ジグチョン教会。新宿区百人町1-9-3にあります。韓国の方々が多い教会です。祈りの課題は以下です。①神の栄光が満ちる礼拝に。②初代教会のように神の国の福音を宣べ伝える教会に。③世界宣教のために執り成しの祈りを続けられる教会に。主任牧師・許 碩真、他多数の教役者。

2020年08月08日

8/9 出エジプト記1章15-2章10節 「命を守る知恵と抵抗」

 今日は長崎での原爆投下を想起する日。75年経た今もなお苦しみが続いています。敗戦決断が半年でも早かったら救われた命の数は莫大です。国民を守らない国家に存在理由はありません。しかし、現代は選挙の責任を国民自ら問われるし、問われないといけません。今日の箇所は女性が活躍いたします。助産婦(の代表者)、ミリアム、ファラオの王女、王女に仕える者たち。権力に逆らい、命を守るために働いた女性達。聖書の中には女性の活躍が沢山みることができます。もちろん、男性だから、女性だから、ではなく、「何が大事か」と正しく判断する社会、その基準は命が守られること。今日は平和祈念礼拝です。川を命を奪う場所にするのか、命を救う場所にするのか、それは私共が真実に人間か否かという問いと同じです。長崎教会の礼拝は毎週、原爆の投下時刻に鐘がなり、開始されます。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテストキリスト教目白ヶ丘教会。新宿区下落合2-15-11にあります。新宿だけど、目白駅を出て、左に曲がり、少し行ってまた左に行って、道路の真ん中に大きな木がある横を通ってすこしいけば、左手に歴史ある会堂、その右には幼稚園舎等の建物が見えます。すでに110年の歴史がある教会です。幼稚園も併設されており、素敵な先生方が保育にあたっています。野口牧師は、以前、連盟宣教部長として連盟事務所で働かれていた方です。副牧師の内藤先生は、哲学や歴史に詳しく大学で教えられていますが、他にもピアノを弾かれたりすてきな先生。好きな芸能人のことをFBにも書かれておられますが、「へぇ」と思いつつ読んでおります。この教会の祈りの課題は以下です。①世界が病から癒されますように。②教会と付属幼稚園の働きを覚えて。③連盟と東京連合、天城山荘を覚えて。牧師:野口哲哉、副牧師:内藤幹子

2020年08月08日

8/8 ヘブライ書11章23-34節 「信仰によって生き死にした人々」

 ヘブライ書はヘブル人(=ユダヤ人)に向けて記され、旧約聖書と新約を結びつけ証しする働きがありあす。11章1節は有名な「信仰とは」から始まり、「信仰によって生きた人」の歩みを伝えます。「信仰」の定義をあなたはどうお考えになるでしょう。ここでは、救いと喜びの希望を持ち続け、神の存在の事実を味わいつつ歩むということでしょうか。何より「信仰」とは動的なものであり、生き方です。神さまが導いてくださることに心開き、状況により祈り、感謝し、対話する生活です。そして「信仰」はこの世だけで終結するものでもありませんし、苦難や死を超えていく中にも信仰は生き続けるのです。一方で敵対者の死や滅びを批判的に現代の言葉として主イエスから聞くべきです。今日はK・Hさんのお誕生日おめでとうございます。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 茗荷谷キリスト教会。東京都文京区大塚1-1-8にあります。何より地下鉄丸の内線の「茗荷谷」を降りたら2分ほどで行けるような便利な場所です。かつては「学生センター」を併設していて、私が大学受験のため、東京に行く機会が何度かあったのですが、一度はこの「学生センター」に宿泊させていただきました。我が、所沢教会の中田牧師が神学校を出てから最初の赴任地が茗荷谷教会の副牧師でした。その後、専任牧師となったのです。また、「東京バプテスト神学校」の事務局や校舎としても一部お借りしています。祈りの課題は以下です。①教会員の交わりが深くなるように。②集会以外でも地域伝道できるように。③必要が満たされますように。牧師・平尾 輝明、協力牧師・内藤 淳一郎

2020年08月08日

8/7 出エジプト記15章1-21節 「ミリアムの働き」

 民数記26章によれば、モーセの父はアムラム、母はヨケベト。長女ミリアム、長男アロン、末子がモーセです。ミリアムは「マリヤ」と同じ名前。伝統的に祭司職をするレビの家系です。ミリアムは機転がきく子ですが、時にはモーセをねたんで 病気になることもあります。今日の20節では「女預言者」とありますから宗教的リーダーでもあります。ここでは「小太鼓」の伴奏で歌ったと記されますが、伝統的には「タンバリン」です。3バプテストの合同牧師研修会でバプテスト同盟のある女性牧師がタンバリンダンスで歌を歌い、そこで歴史から消された女性としてミリアムを伝えていたのが印象的でした。21節の歌や踊り、喜びの讃美歌を心に思い描きます。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 東京北キリスト教会。東京都北区赤羽2-64-15-201にあります。この教会では「地域協働支援プログラム」で多文化・多言語での教会としての在り方を目指すパイロット教会に選ばれ、今、土地の取得を行い、多分、来年度終わりには新しい会堂ができる予定です。その折には場所も変更されます。今は貸室で礼拝を行っております。新し目標に向かって、希望もあり、同時に多くの困難もあると思いますが、教会の皆さんが心合わせ、歩みが進められますように。日本バプテスト連盟に加盟するすべての教会が応援しておりますし、新たな教会のモデルが示されることを期待しています。祈りの課題は以下です。①様々な方々が集う礼拝の実現。②地域に開かれた会堂の建築。③魯牧師の快復と復帰。 牧師・魯 孝錬、副牧師・細井留美、協力牧師・米本裕見子

2020年08月05日

8/6 出エジプト記1章15-21節 「その時、歴史は動いた」

 所沢教会の礼拝では8月と9月、「出エジプト記」から学んでいます(除く「平和祈念礼拝」)。出エジプト記は、エジプトにおける奴隷の苦しみから、神様がイスラエルの民を救い出し、エジプトを脱出させて下さったことを語っていきます。「出エジプト記」とは考えてみればおかしい言葉ですが、英語ではこれをExodus(エクソダス)と言い、ギリシャ語に遡る言葉で「外へ」と「道」という言葉の組み合わせ。「脱出」しなければいけない境遇を体験した方はあまりいないでしょうが、家族や暴力から「脱出」したい人は多いのです。今日の箇所に名が刻まれる二人の助産師。命を奪おうとする世界に命を守り通そうとする働きと知恵に感謝です。歴史を学ぶ時、小さな無力な人々の存在への注目こそが人間の未来を拓くのです。今日、広島に原爆が投下されて75年目を数えます。今、世界が目指すべき「脱出」のひとつは核兵器からの脱出です。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大泉バプテスト教会。東京都練馬区東大泉6-42-30にあります。この教会の木村牧師は出身教会であるT教会の少し先輩です。東大で学ばれた俊才ですが、牧師の道を目指して西南学院大学神学部で学ばれました。専任牧師をしていない時代のありましたが、大泉教会の前任牧師であった松村誠一牧師が異動後、大泉教会の主任牧師として活躍されています。教会主事の大野氏は仕事をしながら東京バプテスト神学校で学ばれ、そのころ、当教会の「神学校週間」で二度お話をしてくださいました。「主事」とは、教会の世界では「主(=イエス・キリスト)の宣教に関わるお仕事」の略だと思います。つまり、何でもやらないといけないの。でも悲壮感はなく、喜びをもってなされる働きです。祈りの課題は以下です。新年度の教会の歩みの上に。②求道者、決心者の信仰のために。③新型ウイルスの終息のために。牧師・木村 一充、教会主事・大野 夏希 

2020年08月05日

8/5 箴言16章1-9節 「今日の運勢よりみ言葉を」

 箴言はいつも言うように心のツボを刺し、健康にする言葉。1節は人間の計画と神の答えは異なることがあるということ。新共同訳は他の訳と違いがありますね。2節は「精神」とありますが、多くは「たましい」と訳します。リビングバイブルでは「自分が正しいと思うのは簡単です。 しかし、神様は納得なさいません」。5節は新共同訳だけが「子孫は罪なしとされない」と訳し、他の訳では「この人は罰を免れない」とあります。7節は他の訳では「和らぎ」とあり、「和解」より素敵。8節もいろいろ違いがあります。リビングバイブルが面白いです。「人をだましてぼろもうけするより、わずかずつでも正直にかせぐほうがましです」。9節は日々思い起こすべき言葉です。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東久留米バプテスト教会。東京都東久留米市1-16-4にあります。住宅街の少し奥まったところにあります。今、専任牧師はおりませんが、音楽牧師としてジョン・チャヌ牧師がおられます。少し調べたら、多くのオーケストラで時にコンサートマスター、またソリストとして活躍。多くのCDも出されている素晴らしい音楽家です。おしゃべりも上手で、ある書き込みには「ジョン・チャヌはコンサートの前にバイオリンの調子より、自分の喉の調子を整えている」とありました。ぜひ音楽を志している方、所沢教会に来てもいいのですが、東久留米キリスト教会にも行ってみてください。祈りの課題は以下です。①牧師が与えられますように。②ジョン・チャヌ音楽牧師の活動。③礼拝が継続されますように。音楽牧師・ジョン・チャヌ

2020年08月01日

8/4 コヘレト12章1-14節 「明日より若い今日」

 「コヘレト」とは「語る人」「伝道者」「(言葉等を)集める人(9~10節)」という意味ですが、以前は「伝道の書」と訳されていました。「伝道」とあるのに、どうも伝道向きではないと感じる人も多く、語源に不明な点が多いので新共同訳はそのまま「コヘレト」。1節は有名。口語訳では「あなたの若い日に」とありました。青少年を深く意識した書かもしれませんが、「若い日」の訳が良い。「若い日」とは、明日でなく今日であり、五年先ではなく今日です。主の救いを覚え、感謝する時が早くて何の問題がありましょう。生涯をかけ、人生の知恵や良き生き様を求めたコヘレトは「学びすぎれば体が疲れる」と。疲れるほど学んだ結論は「神を畏れ、その戒めを守れ」です。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 新小岩キリスト教会。葛飾区新小岩4-11-10にあります。1950年から始まった大変歴史ある教会です。かつては幼稚園も併設されていたと思いますが、今はないようです。川口牧師は音楽の才能があり、音楽を教会でも大事にしておられるようです。祈りの課題は以下です。①聖書に聴き従います。②キリストの弟子となります。③新小岩から全世界に伝道します。牧師・川口義雄、音楽主事・川口由子、宣教師・李 ヒソック

2020年08月01日

8/3 申命記6章1-26節 「熱情の神」

 「申命記」はモーセの遺言。「重ねて命じる」との意味があります。4節の「聞け」はへブル語では「シェマー」。聖書の神は「見る」神ではなく「聞く」お方です。「聞く」ことは「語る」ことと結びつきます。夫婦でも親子でも「自分が言いたいのに聞いてくれない」と感じている人が多いと聞きますが、神さまに心の耳を向けることが主を忘れないことです。15節の「熱情の神」、口語訳や新改訳等は「ねたむ神」、リビングバイブルは「嫉妬深い方」。ここは新共同訳が良いです。そして「ねたみ」は色々あります。自分にないものを人が持っている(モノや家族や能力)ゆえにねたむことがありますが、ここの「ねたみ」は神の「深い愛」の表現です。愛が深いから、裏切られるのが辛いのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 篠崎キリスト教会。江戸川区南篠崎町1-28-15にあります。この教会のホームページはすごいのです。水曜の聖書研究から、日曜宣教のすべてがアップされていて、内容的にも参考になることが多いのです。この教会の川口牧師は東京バプテスト神学校でのお働きをされています。また、この教会には行ったことがないのですが、講壇のうしろがガラスになっていて緑の木々が見えます。また、会堂も木材骨格を見せるような設計ですばらしいなぁと感じております。篠崎教会の祈りの課題は以下です。①真理はあなたを自由にする。②違いを受容し、喜び合う教会。③多言語、多文化の方との共なる礼拝。牧師・川口 通治

2020年08月01日

8/2 出エジプト記1章1-14節 「民族差別は今も続きます」

 8月の日曜は主に「出エジプト記」から学びます。飢饉を機にエジプトに住み着いたユダヤ人は隔離されたような形で暮らしました。時が経って、エジプト在住のユダヤ人が増え、社会的にも力を持ってきたことに対しエジプト政府は強制労働を与える等でユダヤ人の力と影響を失わせようとしました。不安な時代は差別や強制が蔓延します。この箇所は現代日本や米国の姿を見ているようです。悲しくも聖書の時代と現代の人間の精神性はほとんど変わらない。ゆえに聖書は今も語り続けるのです。聖書にピラミッドの話は出てきません。ピラミッド建設は国民が喜んで積極的に参加したという説がありますが私はその認識を疑問視しています。すべての時代がそうではなかっただろうという意味です。今日はS・TくんとS・Hさんのお誕生日おめでとうございます!これからも神様の守りと愛の中に成長していきますように!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 市川八幡キリスト教会。市川市八幡2-1-10にあります。この教会の宣教の働きからホームレス者支援が起こり、現在はNPO法人「市川ガンバの会」に発展し、市川八幡教会はその働きに参与しております。先日、朝のNHKニュースを見ていますとコロナ下でのホームレス者や生活困窮者の状況や対応にういて「ガンバの会」の副田会長がインタビューされていました。2回くらい別の日に違う内容で放送されておりました。当教会もささやかですが、生活支援物資をガンバの会に送らせていただいております。タオルや歯ブラシ、日用品等は教会に常時、箱を用意しております。でも現金で支援される方は一番?歓迎されると思います。これについても受け付けております。昨年から、前。日本バプテスト連盟常務理事であった吉高牧師が就任されています。吉高牧師はあらゆることに才能があり、オルガンも学び、書を書き、その発言は考え抜かれたもので多いに刺激を与えてくれるものでした。個人的にいえば、組織の中央である意味保守的に活動するより、外野からいろんな知恵や励まし、応援を送る方が向いているなと思っています。かく言う私は、わき役や裏方が好きですし、それが向いているのかなぁと思っております。さて、市川八幡教会の祈りの課題は以下です。①日本社会の歪みの中で、人の痛みを知り、寄り添う宣教ができるように。②困窮者支援のガンバの会と共に。牧師・吉高 叶 

2020年08月01日

8/1 使徒言行録7章1-29節 「殉教しない、させない社会」

 キリスト教会の誕生後、最初の殉教者になったステファノの説教です。ここでまず、ステファノを美化してはいけません。本来、主の弟子であったペトロ達が対立を生む構造に対して策を持てなかったことが問題であり、「信仰のために殺される」ことがない社会を創ることがステファノの死に対して責任を持つことであり、「殉教者」を出すことは人間と社会の敗北です。8月は国のため、国体を守るためにと殺された人々に深く思いを馳せる時です。戦争においては敵とされる人々より、自国民が多く殺されるのです。ステファノの説教は旧約の歴史を概観し、その歴史の上に主イエスが来られたことを語ります。同じ歴史の上に歩んできたことを共有したかったのです。今日はS・Lさん、D・Aさんのお誕生日おめでとうございます!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 市川大野キリスト教会。市川市南大野1-11-28にあります。この教会の前任牧師は、現在、当教会協力牧師であり、日本バプテスト連盟常務理事をつとめている中田牧師でした。近所に小学校もあり、中田牧師は小学校で「読み聞かせ」のボランティアをされておられ、とてもすごいと感謝しました。さすが玉川の教育出身です。何度か寄せてもらったり、会堂のうしろの親子室のようなところで泊めていただいたこともあります。市川って、とても遠く感じるのですが、武蔵野線では市川から連盟事務所のある南浦和をこえて、新秋津でおりて、西武線に乗り換えたら所沢なのです。市川から新秋津まで何分かかるんだろう。さて、市川大野教会はこのたび、富田愛世牧師が就任いたしました。「愛世」は聖書の登場人物の名前です。彼とは、むかし、大学生だったころ、東京バプテスト神学校の授業が板橋の常盤台教会で行われていて、私も受講しました。その時の先生は岩阪憲和先生。生徒は私と富田くんの二人だったのです。それで知り合いました。そのころ、今もそうかなー、お髭をはやし、ギターやドラムをたたくのが富田くんでした。富田牧師が北海道にいらっしゃる時、お訪ねしたことがあります。そしたら夕食のおかずに「ホッケ」という魚が出たのですが、私は「ほっけの開き」しか知らなかったのに、なんと!丸焼きで出てきたの。感動しました。ちなみに、そのとき、ほっけをだしてくれた富田牧師のお連れ合いは、私が日大時代に通っていたT教会で、青年会長をされておられた方です。東京バプテスト神学校にも通われ、教会教育のお働きをよくされています。つい最近からは日本バプテスト連盟の「教会教育室長」を非常勤でされています。お働き期待してます。だから、青年時代は、この会長のもと、今の中田牧師も私めも「会長さま、何でもいたします」とお仕えしていましたが、すみません、役立たずでした。富田ご夫妻についてはまだまだ語ることがたくさんあるのですが、またの機会に。祈りの課題は以下です。①コロナウイルス終息のため。②共に礼拝できる恵みに感謝。③主イエスを求め祈る群れとして。牧師・富田愛世

2020年07月31日

7/31 エレミヤ書23章1-8節 「共に良き羊飼いであるように」

「 災い」。ここでは国を導く政治家や宗教者のこと。彼らは「群れを散らし、追い払い、顧みなかった」。まるで今のコロナ下における政治状況を言っているように思います。ただ、政治に不満を述べて終わりではありません。この場所は。どんな集団でも、一つの方向性を決めること、決断すること、その時、哲学や、キリスト者なら神学(聖書)が土台です。時にぶれても、再び中心(それは常に固定しているわけでもないことも重要)に戻る集団であることが大事です。先日リモートで行われたのきたかん(北関東地方連合)牧師・主事会ではこの時代にどのようなメッセージを告げることができるのか、教会はどのような宣教をするのかと考えました。本当に自らの言葉が見えない状況ですが、でも同時に、そのような時は繰り返し起こってくることでもあります。ただバプテスト教会は共に考え、祈り、行動する教会として、互いに良き牧者として、牧師も、執事も、メンバーも御言葉と祈りでつながり教会をたてるのであり、そこに希望を抱く者です。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 引退教役者の方々を覚えて。日隈光男氏(東京都在住)、福島 勇氏(東京都在住)。

2020年07月25日

7/30 創世記47章27-32節 「帰天の時」

 ヨセフの父イスラエル(=ヤコブ)は故郷遠いエジプトで最期を迎えます。「手を腿の間に入れ」の「腿」は生殖器の象徴で、同じ様子が24章2節にあり、このようなことは通常では有り得ないこと。なので特別に大事な願いをする時の姿勢です。ここの内容は先祖と妻が埋葬された墓に入れてほしいとのこと。「先祖の墓に入る」ことは地上での関係性や繋がりを死後も続けるということで、世界中、割と共通に見られることです。ただ、そのことが嬉しいのか、辛いのか、個人の人生が反映します。特に「家」の墓に入ってしまうことを選ばない人が増えてきました。たとえば「嫁」として厳しい中で歩んできた方等は「墓も一緒なんてとんでもない」という例は多くあります。以前流行った歌で「私はお墓にいません」とあり、「それはおかしい、ずっと墓にいると思ってきたのに」と某新聞に投書がありました。私は「神の国」(天国)に命は招かれ、帰ると思います。当教会は墓地を運営しております。基本的には教会員とそのメンバーしか入れませんので、何か商売していることではありません。教会員とご家族は入ることができます。もちろん、お一人だけでも構いません。でも、墓に住まうのではないというのが聖書から聞く命の行き先です。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「セクシュアル・ハラスメント相談・防止委員会」。昨今、様々な形で「セクシュアル・ハラスメント」の事例が見受けられます。それはたとえクリスチャンであれ、牧師であれ、誰でもそのことを行ってしまう、あるいはハラスメントを受けてしまうことがあります。その被害や加害は第二次被害や第三次被害と広がってしまう危険が多いものです。その相談窓口を連盟理事会は総会決議により設置しております。もちろん秘密は守られます。思い悩まないで、ご相談ください。この委員会からの祈りの課題は以下です。①パワーを悪用したハラスメントに対する意識が高まり、二次被害を含む加害者を起こさない環境が整えられるように。

2020年07月25日

7/29 創世記46章28-34節 「再会」

 「イスラエル」とも呼ばれるヨセフの父「ヤコブ」との再会。当時、中近東では大飢饉があり、エジプトを飢饉から救った官房ヨセフは家族をエジプトに招きます。「ゴシェン」はエジプト、ナイル川河口付近だと推定されますが、詳細は不明。ここでの父子の再会は放蕩息子の帰還(ルカ福音書)のような深い感情の響き合いがあります。この箇所を読むと、「別離と再会」という聖書の中で何度も繰り返されてきた事柄、そして、世界に今もある「別離」した人々、させられた人々を思い起こします。「再会」という深いテーマは「死の恐れ」も付随する内容であり、人生の歩みをも左右する事柄。ヨセフの家族が「羊飼い」であることをエジプト人に隠せという話からは今も続く色々な世界の現実を考えます。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 第58回バプテスト全国青年大会。この集まりは、日本バプテスト連盟に加盟する教会(+伝道所)の青年(20歳前後から49歳くらいかな)の自主的な集まりで、毎年天城山荘で「大会」を行い、そこで次の実行委員が決まる、という形で続いてきたものです。本年も静岡県「天城山荘」で開催予定でしたが、ご存じのコロナ影響で、今年はリモートで開催されます。もし、参加してみたい、という方があれば当教会にご連絡ください。でも必ず一か月くらいは礼拝に出席するなどしてください。祈りの課題は以下です。①各教会の青年一人ひとりの信仰がそれぞれの形で守られるように。②これからの青年大会のために。実行委員長・内藤 潤(栗ヶ沢教会員)

2020年07月25日

7/28 創世記42章1-13節 「あなたならどうする?」

 「出エジプト記」を連盟「聖書教育」誌で8月と9月に学びます。「出エジプト」の前に創世記37章からの「ヨセフ物語」は是非読んで下さい。トーマス・マンの「ヨセフとその兄弟たち」はまさにこの話。ヨセフは「夢見る者」とも呼ばれます。「夢見る者」は夢により苦境に立ち、夢により人々を救うことになるのです。「夢」を見ても、それをどのように考え、用いるのか考えさせられます。「夢」は何か美しいことのように思いますが、その「夢」が本来、何を目指しているのかを考えたいですね。でも夢はたくさん持ってください。今日の箇所はかつてヨセフを追い出した兄弟との再会ですが、「嘘」や「恨み」や「赦し」や「愛」の感情が響く箇所。あなたはどう感じますか?

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟全国壮年会連合。この組織は日本バプテスト連盟に加盟する教会(+伝道所)の壮年の集まりです。主な働きはこれから牧師や伝道者になろうとする人を教育する「神学校」を支えることですが、何より「奨学金制度」を運営していることがすばらしいです。牧師になろうと思う人は10代ではあまりいません。大学生になったり、実社会に出て、その後に、牧師になる道が与えられることが多いのです。そして、たとえば日本バプテスト連盟の教派神学校である西南学院大学神学部で学ぶとなると、学費が必要ですし、それまでの仕事はできなくなります。でも、ご安心を!日本バプテスト連盟の奨学金制度は大変整っており、西南学院大学への入学金や学費は一定の条件を満たせばすべて支援されます。生活費も貸与があり、数年間、きちんと学ぶことができるのです。この制度は私も大変助かりました。神学生は基本、貧乏ですが、奨学金や教会からの援助金、あとはバイト等をして学ぶことができるのです。ただ、今の大問題は牧師になろうとする人が少ないのです。これから、高齢になり、引退される方は多くなるのに、神学校の卒業生が少ない。西南学院大学神学部の牧師コースにはこの2年度ほどほとんど入学者がいないという危機です。牧師になる道は、それは神さまの語りかけが必要ですが、何歳からでも可能です。60歳過ぎて神学部に入学する方も何名もおります。そのような方の「あるある話」は、「おれ、新入学生なのに、教授に間違えられた」というもの。西南学院で若い方々と一緒に神学を学んでみませんか!一応、牧師コースへの入学は3年以上のバプテスト教会での信仰経験が必要なことと、もちろん試験もありますが、私が優しく指導いたします。

 それから、「全国壮年会連合」は毎年、夏季に総会を行うのですが、今年はコロナ感染拡大の影響で書面議決となりました。祈りの課題は以下です。①このような中でも、神学生支援の神学校献金が祝されるよう、全壮年の信仰と働きが強められますように。会長・山田 誠一(大井教会員)

2020年07月25日

7/27 詩編105編1-26節 「歩みの回顧」

 この詩編はイスラエルのアブラハムから出エジプトまでの主の導きの歴史を想起するように促します。ただし、自らの歴史認識は自己批判的ではありません。この時になされた礼拝のテーマが違ったからです。歴史での人間の罪は別の聖書の箇所から学ぶことができます。さて、歴史は常に「勝者」の記述であり、敗者の痛みや叫び、記憶は忘れ去られます。私どもが歩んできた百年の中にも忘れてはいけない日が多くあります。「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ。これはドイツ(プロシア)の宰相ビスマルクの言葉です。賢い人は先人たちの様々な経験(=歴史)から学ぶが、愚かな者は自らの狭い体験からしか学ばない、との意味。そして私どもは日曜、主の言葉と業を想起し、主にある世界と命の意味を考え、心新たにするのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 神奈川バプテスト連合。神奈川県に所在する日本バプテスト連盟に加盟している教会・伝道所で構成される団体です。神奈川には18教会、3伝道所があります。祈りの課題は以下です。①各部、委員会等の働きが用いられ、協力伝道の業が力強く進められるように。②無牧師の教会を覚えて。会長・蛭川明男(洋光台教会協力牧師)

2020年07月25日

7/26 Ⅰテサロニケ3章1-18節 「気になる言葉がありまして」

 今日の箇所を読んで気になるのが「怠惰な生活をしている者」。「働かないで好き勝手な生活をしている」人々のようです。この言葉が悪用されないように祈ります。そして逆に「夜昼大変苦労して働いた」人が模範になれば大変です。この世界では働きたくても向く仕事がなかったり、様々な理由で働くこと、働き続けることができない状況に追い込まれる人々がいます。大変苦労して働いて健康や人間関係を崩してしまう人々がおります。その背景を考え、みんなが喜びを持って生きる社会の形成を考えていきたいし、その方策を政治に訴えていくことも大事です。一番苦しんでいるのは本人であり、ご家族であることを理解することから平和は始まるのです。今日はM・Hくんのお誕生日おめでとうございます!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト船橋教会。千葉県船橋市市場1-2-8にあります。「市場」という地名が面白いですね。この教会ではバイリンガルの教会学校や英会話教室、歌声教室、三浦綾子読書会、ペン字教室など幅広い活動がなされているようですし、ゴスペルをやっている話も聞いたことがあります。外国籍の方々にも配慮され、集うことができるように考えられています。この教会の松田牧師は、私が宮崎県の高鍋に住んでいたころ、宮崎教会の牧師をされておられ、親しくさせていただきました。松田先生のおうちには双子のお子さんがいて、大変そうでしたが、楽しくされていたようです。もう双子さんも20歳後半か30代にになるのでしょうか。びっくりします。松田牧師は宮崎のあと、北海道の小樽におられ、その後船橋です。小樽におられた時、北海道で行われたバプテスト全国教役者研修会の前後に行ったことがあり、礼拝宣教したような、してないような、記憶があります。小樽は教会の敷地が広く、雪の時は大変だと思いました。千葉って、近そうなんだけど、行く機会は少ないですね。協力牧師の先生が就任されたようですが、名前が難しい!短縮した呼び方があるのでしょうね。「アジサイ先生」とか「パトリック先生」とか。船橋教会の祈りの課題は以下です。①新型コロナウイルスの感染から守られますように。②収束に向けての新しい取り組みのために。牧師・松田 裕治、名誉牧師・三ツ木 茂、協力牧師・ンバコアジセイパトリック

2020年07月21日

7/25 ローマ書16章17-24節 「常に土台を確かに」

 警戒すべき人々をパウロが言及します。「不和」や「つまずき」をもたらす人々は「巧みな言葉」や「相手に媚びて機嫌をとる」形で存在すると。どうしてそんな人がと思いますし、そのように行って何の利益を求めるのかと思います。ローマ教会に他の教会やユダヤ教会等から人が入ってきた人がいたのでしょうか。最近、あるキリスト教会にどこからから入ってきた信仰が違う人々がいて、最初は熱心で信仰的と思われた人が、結果的にその教会をその人が信仰する団体のものにした、という例を聞きました。教会員が10人、20人というところもあり、その中に5名が意図をもって入ってきたら教会の乗っ取りは簡単かも。教会は常にその信仰の土台と諸教会の繋がりを確かめることが大事です。なお、日本バプテスト連盟に加盟している場合は規程により土地や建物の売却等は連盟理事会の承認が必要な場合が多いこと、周辺の教会との関係があることでセイフティネットがあり、実際に「乗っ取り」は難しいので、そのようなことはしないでください。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 津田沼キリスト教会。千葉県習志野市鷺沼4-3-9にあります。Facebookを見ると、広いお庭があり、植物を植えたり、鳥の巣箱をつくったり、「いいなぁ」と思いました。祈りの課題は以下です。①兄弟姉妹の信仰の一致のために。②地域伝道が祝されるように。③各家庭での救いの業のために。牧師・大塚 恭一

2020年07月21日

7/24 Ⅰテサロニケ4章1-12節 「迷惑をかけあって生きる教会」

 ここを読むと「みだらな生活」とかあり、道徳的な面が強調されていますが、それはある意味、当時の教会や常識において「あたり前」だったことに「それは違う」と言っている内容は現代と多少違うかもしれません。また、道徳的な生活をすることはキリスト教だけの特徴ではありません。他宗教でもそのような教えは生じましょう。何よりイエス・キリストの言葉に従い生きる時に、他者や自身との良い関係が構築されるのですが、そこに祈りと決断が必要です。12節の「迷惑をかけない生活」は誤解してはいけません。教会では互いに支え合いますし、弱さや困難が起きる時、迷惑と思わないで相談してください。互いに迷惑をかけあうことで共に生きる教会なのですから。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 千葉・若葉キリスト教会。千葉市若葉区千城台東2-28-8にあります。「千城台」という場所は「千葉モノレール」の終点で、東京のベッドタウン、ニュータウンとして人が多い地域のようです。この教会の田中牧師は北関東の筑波教会や水戸教会に在籍されていたこともあります。生協の職員時代に牧師になる道が示されたとのことです。平日は仕事をしながらの牧師職をされています。祈りの課題は以下です。①ビジョンと使命の明文化のために。②地域伝道の足掛かり準備のために。③家族が共に礼拝できますように。牧師・田中 宜之

2020年07月21日

7/23 Ⅰコリント9章1-18節 「パウロも大変そう」

 パウロは多くの批判を受けることがありました。まぁ、何でも人を批判するのは簡単です。そして、牧師等は基本的に信者の献金でその生活が支えられますが、本来の意味では神さまによって支えらえております。もし信者が支えてやっているのだと考えたら誰に仕えているのかが不明になります。公務員と似た点がありますが、公務員は総理はじめ、国民が選び支えていることでは明快です。パウロは肉を食べていたとか、妻と旅行したとか、謝儀で生活しているのに、とかで「あれは宗教者としてふさわしくない」といわれます。パウロは兼職伝道と考えたこともありましたが、それでは伝道に集中できない。伝道者の生活は、神様と神のたてた教会を信じる歩みなのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 千葉バプテスト教会木更津伝道所。千葉県木更津市新田1-1-33 カサデロサ101号です。この教会の井本牧師は確か記憶によると、どちらかの施設か学校でのお働きをされていながら牧師として活動されていたと思います。「祈りの課題」を見ると、菊池牧師は何か病気をされたみたいです。お祈りいたします。祈りの課題は以下です。①菊地正弘師の全快と牧会復帰。②コロナ禍が沈静化しますように。③望みの門諸施設が守られますように。牧師・井本義孝、協力牧師・菊地正弘

2020年07月21日

7/22 フィリピ書3章12-4章1節 「途上を歩む希望」

 私の大好きな箇所です。12節の「それ」は「信仰の道にある目標」です。そしてパウロは「まだ途上である」と語ります。「途上」、それはまだ「未完成」であり「工事中」なのです。しかし、そこに希望があるのです。どのようになるのか、どのように導いて下さるのかを探しながら歩むのです。更に、「途上」を歩むのは「神が捕らえているから」こその道なのです。15節の「完全な者」はパウロが威張っているように感じるかもしれませんが、パウロにとって「完全」な道は「不完全」であることであり、「自分は完成されている」と語る人々への批判です。そして「自分の腹を神とする」人々への「パウロの涙」が印象的です。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 千葉バプテスト教会。千葉県市原市五所1540にあります。この教会には二度伺ったことがあります。最初は、福岡有田教会にいたころ、神学生として出席奉仕してくださったKさんが千葉教会の牧師に就任されて、連盟少年少女大会のあとに伺い、礼拝で宣教させていただきました。Kさんのことが気がかりなこともあったので。千葉教会はコンクリートの箱型の建物で音がすごく響くのです。楽器は響きすぎるのではないかと思いました。千葉といったら都会のイメージがありますが、特に教会周辺は畑が点在するのどかな場所です。千葉教会は「五井」というところで、JRと小湊鉄道の駅があります。二度目に訪れたのは3年前位でしょうか。この時の牧師は故矢野満先生でした。矢野先生は長らく日本バプテスト連盟事務所で「バプテスト」誌の編集等をされておられ、昔からお世話になった先生でとても温厚な方でした。天に召された時はとても悲しかったことでした。伴侶の由美先生とも連盟関係の集会でご一緒に奉仕させていただいた先生です。特別伝道集会にお招きを受け、楽器等を車に積み込んで千葉までいきました。音響のことが心配でしたが、工夫されたり、礼拝の参加者は子どもを含めて多く、それほど心配なく奉仕できました。矢野満先生は闘病中でしたが。快く対応してくださいました。また、澤田ルツ子さん(今は同教会音楽主事)の方が音楽がとてもよくでき、この時は特伝といっても讃美歌を中心としたものでしたが、澤田先生のお働きもあり、皆さんと一緒に楽しく過ごすことができました。結構、知っている方も多く、旧約聖書神学者であった時田光彦先生とは久しぶり、また、長瀬さんと奥様のご家族など、以前から知っている方々でした。また、教会にはトンネル?を使って神奈川県から出席されている方もいました。「小湊鉄道」にもいつか乗りたいと思っております。千葉教会の帰りには、当時、千葉県にいらっしゃった中田先生ご夫妻と合流して千葉メシを食べました。「なめろう」というのがありますが、いちいち新鮮な魚をたたかないでお刺身で食べたほうが美味しいのに、と今だに納得できておりません。ここで千葉教会の祈りの課題を。①人々のいのちと生活が守られますように。②礼拝と交わりの回復と再構築がなされますように。牧師・元川信治、協力牧師(兼教育主事)・矢野由美、音楽主事・澤田ルツ子。

2020年07月19日

7/21 Ⅰコリント1章1-9節 「神は真実な方です」

 パウロの手紙の冒頭部分はどの手紙も面白いです。「書き出し」とか「最初の言葉」というのは思いが詰まっていますからね。ここでの自己紹介は、私どももこう言えたらよいねと思います。宛先のコリント教会の人々についても「私どもはこのような集まりなのだ」と自己の在り方を教えてくれます。さらに感謝の言葉が続き、信仰者をつなぐ信仰告白の言葉、「神は真実な方です」と語られます。「神は真実」、その一言にパウロの深いそれまでの人生の歩みが凝縮されています。危険や困難、自らの思いと違うことが生じる時、神を疑う日、喜びの日も涙の日もありました。それは私どもの日々と同じように。でも神さまは自分の思いを超えたところで確かに自分の命を導いて下さったのです。今日はK・Aさんのお誕生日おめでとうございます!治療中のなか、礼拝を共にできるようになったことを感謝です。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 茂原バプテスト教会。千葉県茂原市六ツ野3394-5にあります。「茂原」は「もばら」と読むのですね。ここも行ったことないなぁ。所沢教会の人が一度行って「ずいぶん遠かった」と言ってました。「バプテスト」誌の8月号に塩山牧師の文章が掲載されており、とても教えられました。「誰もが集まれる教会、多文化・受け入れ・地域の教会として」と題された文章の中で、「誰もが集まれる教会」はわたしたちは常にそう願っているのですが、具体的な策が少ないのも事実です。茂原教会では2014年からネットでの礼拝配信を行い、手話通訳者を通して「ろう」のご夫妻がメンバーになったこと、地域の外国人にも関わりをもっていらっしゃる姿に感銘を受けました。そのひとつひとつは実際に行うことは大変なことだからです。また塩山牧師は連盟の「障がい者と教会委員会」の中心的な委員として活動をされてきました。その委員会では「バリアフリーの会堂、聞こえない人たちへの手話通訳や筆談のためのノート、ホワイトボードなどの配慮、点字の聖書・讃美歌を用意しましょう」と訴えております。掲載されていた塩山牧師の写真は「まゆ毛」が真っ白で、かつ太いのが印象的でした。さて、茂原教会の祈りの課題は、①新型コロナウイルス感染の終息。②「誰でも一緒の礼拝」の実現。③地域とのつながりを深めること。牧師・塩山 宗満

2020年07月19日

7/20 箴言12章22-28節 「心のツボに箴言を」

 箴言は竹の針で「針治療」をした如く、心のツボを刺す言葉で、短い教訓集はダビデ時代、宮廷での若者の教科書です。毎日一章読めば、一か月分です。ざっと読んで「あれ?」と思う言葉がありました。26節の「好運」。「運」とは人間の意思や努力では得られないことを指しますので、良い道へ招かれることかと理解します。別の訳では「正しい人は悪を離れ去る、しかし悪しき者は自ら道に迷う」(口語訳)、「正しい者はその友を探り出し、悪者の道は彼らを迷わせる」(新改訳3版)。随分と違うものですね。新共同訳の「神に従う」という言葉は「正しい人」は「神に従う人」という前提のもと意訳されたのだとわかります。口語訳の「自ら」という言葉は「そうだね」と共感。今日はC・Mさんのお誕生日おめでとうございます!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 富里キリスト教会。千葉県富里市七栄171-6にあります。このたび岡田牧師は第一線を退かれ、協力牧師になられ、船井先生が牧師に就任されました。富里は行ったことがないところです。岡田牧師は約30年前、四国の八幡浜教会の牧師(初任地)をされておられ、その時に神学生として伺いました。その体験は実に大きいものでした。八幡浜は愛媛県も南の方、みかんと魚の町で、コンビニもないし、夕方6時にはすべての店が閉まってしまうというところ。過疎へと向かいつつある場所だと思います。その地ではかつて米国からの女性宣教師が伝道してその地域に教会をたてていったのです。岡田牧師は、ながーい半島(この先には原子力発電所がある)の村々を回っては子どもたちに伝道しておられたのです。子どもが少しでもいる地域に福音の種をまいている姿に伝道者魂を教えられました。そして、八幡浜の海はとても美しく、防波堤から海を見ると、石鯛が泳いでいるではありませんか。岡田牧師も車に釣竿をいつも積んでいるとのこと。魚を手でつかまえられそうですが、やはりそう簡単ではありません。教会は信徒の方も少ないのですが、ご一緒に食事した方とは今も年賀状のやり取りが続いています。岡田牧師は東京神学大学出身で西南とはあまり関わりがなかったので私ども、西南の学生との出会いをとても喜んでくれました。八幡浜、その手前にある町、いつか機会があれば行きたいと思うところです。富里の話ではなく、岡田牧師のお話で失礼いたしました。富里教会の祈りの課題は以下です。①教会の一致と北総地域への伝道拡大。②主日礼拝、祈祷会、CS、SGの充実。③新牧師を迎えての教会形成を目指して。牧師・武井誠司、協力牧師・岡田 久

2020年07月19日

7/19 Ⅱテサロニケ2章1-17節 「動揺し慌てふためく私共」

 この第二の手紙は新約聖書中最古の文書の第一の手紙と対話しつつ記されているのはポイントです。今日の箇所で言いたいのは「現人神」のような「不法の者」がまだ登場していないこと、だから主イエスはまだ来ていない(再臨していない)ことです。そして登場してもキリストの力に及ばないのでキリスト者は慌てふためくことなく地道に生きよと語ります。そして「誰が不法の者か」「何が彼を抑えているものか」という詮索も慌てふためく原因となります。むしろ、誰かの言葉、何かの情報に左右され、あおられやすい私たちの罪を自省した方が健全な道と教えています。以上は「聖書教育」誌の「聖書の学び」からほぼ引用。内容深い城倉先生の学びに感謝。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 栗ヶ沢バプテスト教会。千葉県松戸市小金原2-1-12にあります。この教会には所沢に来た一年目にお呼びがあり、礼拝宣教の奉仕をさせていただいたことがあります。はじめて伺った教会ですが、会堂は木の香り豊かで、円形のイメージをもった素敵な会堂でした。説教台のマイクスタンドが残念だなぁと思いました。でももう変わっているかな。円形の建物は音が廻りすぎてしまうきらいがあるのですが、栗ヶ沢がそんなことなかったですね。その後、牧師に就任されたのが、今の村上千代牧師です。西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト女性連合幹事のお働きされ、小羊会キャンプでも私、いろいろお働きをさせていただきました。村上牧師は昨年の連盟総会にペットの犬(ずいぶん高齢なのでしょうか)を連れてきておられました。甘城山荘の入り口に犬がいるのを見て、私は「ついに天城山荘は犬の山荘長をたてたのか、これは猫駅長にも負けない対策!、さっそく挨拶もさせていただきました」。この素晴らしいアイデアにわくわくしましたが、実は村上牧師の愛犬でした。村上牧師は女性連合幹事として、世界のバプテストとの交流もあり、すぐれて世界的な視野をお持ちの方であり、とても聡明な方です。日本バプテスト連盟におられる女性教役者の方々は素晴らしい方が多々です!教会の祈りは以下です。①地域に開かれ、共生を目指す教会に。②新型コロナが収束し、皆で集って礼拝できるように。③世代を超えて信仰が引き継がれるように。牧師・村上 千代

2020年07月16日

7/18 Ⅰペトロ書5章8-11節 「悪魔的な力は我が内にも」

 「悪魔」は人格を持つ存在として聖書では描かれていますが、私はむしろ自分の内にある「神に逆らい、御心に反する思い」の方が強いと思っています。自分で何か間違ったことは何でも「悪魔のささやき」のせいにされたら悪魔も辛いでしょうにと思います。「責任転魔」ですよ。我ら人間のうちにある「悪魔的な力」をコントロールできるように祈り、その可能性を与えられています。悪魔的な力が満ちている世界で、何が真の道なのかを願い、考え、連帯し、伝えることが大事。今、人権や尊厳を奪い、自分だけが正と考える悪魔的な力から私ども解放されることを祈るし、常に、自分は本当に正しいのかと自己批判する力が必要です。なお今日の箇所は信教の自由が許されない時代の響きがあります。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 花野井バプテスト教会。千葉県柏市花野井103-11にあります。柏市というのはまだ未踏の地。千葉県も広いですよね。偶然、かつて当教会員であった方が花野井教会におられますが、なんと、私が学生時代にいたT教会の少年少女のメンバーつながりもありました。「へぇーそうだったんだ」と思う出会いが与えられて感謝でした。花野井教会は教会建築を考えておられ、花野井教会の数名が当教会を参考にしたいと見学に来られたこともります。どうなったでしょうか?祈りの課題は以下です。①世界の協力(コロナ収束、平和、環境)。②地域社会への福音伝道。③新会堂建築。牧師・古賀 公一

2020年07月16日

7/17 エフェソ書1章3-14節 「わたしがあなたがたを選んだ」

 今日の箇所は区切りなく一息の文章。「神の選び」がテーマです。パウロは自分が伝道者になることを「自分で選んだ」とは考えませんでした。神から選ばれ、働きを委託されたと思い、そのことに生涯をかけたのです。「自分で選んだ」と思ったらパウロは違う教祖になったかもしれません。もちろんそこに主イエスの「私があなたがたを選んだ」との言葉も響いているでしょう。では非キリスト者は神に選ばれなかったのでしょうか。まず「選び」は神の自由な行為であり、それは「無きに等しい者、罪人をも選ぶ」奇跡の業。主イエスの死がすべての人のためならば、その選びは当然、すべての人に及ぶし、人間の想像を遥かに超える神の豊かな働きが必ずあると思うのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大久保バプテスト教会。新宿区新宿7-26-22にあります。この教会はかつて日本バプテスト連盟の事務所や寮がありました。昔、新大久保で降りて、まっすぐな道を進み、少し距離があるなぁと思いつつ、連盟事務所に行った記憶があります。その後、連盟事務所に行く用事はなく、連盟はこの土地を売却して今の南浦和に現在の事務所などをつくりました。数年前、大久保教会に行く用事あって行ったら、昔は閑静な場所でしたが、今や韓国やネパール等の店がいっぱいで変化に大変驚きました。また教会に小さな吹奏楽のバンドがあったりしていました。本当に多国籍の町です。河野牧師はお髭をはやしておられる先生です。この教会の祈りの課題は以下です。①標語「主の導きによって前進しよう~霊の実を結ぶ教会~」ちガラテヤ書5章22~23、25節に生きられるように。牧師・河野 信一郎、副牧師・石垣 茂夫

2020年07月16日

7/16 マルコ福音書8章31-38節 「自分を捨てるとは」

 有名だけど難しい箇所。ペトロが叱られたのは「自分のメシア(救い主)像」をイエスに要求した点。難しいと思うのは「自分を捨て」との言葉。まさしくペトロのように「自分の思い通りの神、思い通りの人生」を目標とすることを捨てるのです。多くの人は自分の願う人生、自分が願うように人が動いてくれたら」と感じます。その思いを否定する必要はありませんが、自分の願うようにならないのが人生の常。そこで主イエスが私どもに願っていることを知り、学び、主が願う自分の人生を考えつつ、できることからすること。葛藤が必ずありましょう。すぐに180度変わることはできません。主イエスとの対話・交わりの中で自分の道を発見する道への招きの言葉。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 中野バプテスト教会。中野区中野2-23-8にあります。中野教会は割りと近くなのですが、今まで行ったことがない教会です。中野サンプラザにはコンサートで行ったことがあります。「中野」はいろいろ面白い場所もあるとは聞いているので、ぷらっと行ってみたい場所。協力牧師の稲垣氏はイタリア留学のころにクリスチャンになったのでしょうか。今や声楽家として数々のオペラ等に登場しています。教会音楽についての著作もあります。中野教会の祈りの課題は以下です。①ウイルス感染の収束と罹患した方々の癒しのために。②連盟の諸教会の福音宣教の働きが主によって支えられますように。牧師・青木 竜二、協力牧師・稲垣 俊也

2020年07月16日

7/15 マタイ福音書13章24-30節 「人間の可能性に期待して」

 主イエスのたとえ話です。敵が麦畑に毒麦の種を植えました。すぐ抜こうとする僕に対し主人(神)は今抜いたら、良い麦も抜く可能性があるので収穫まで待とう、と言います。ポイントは「毒麦と良い麦は見分けがつきにくい」こと。この話は「たとえ」であり、主イエスの農業指南ではありません。人間の話。神の御心に適う人間か、そうでないのかの判断を今、行わないとのことです。誰でも良き歩みがあり、時には道を誤ることもあるでしょう。道を誤ったらすぐに裁きということではない、主は間違えてもまた悔い改めて歩むことを願っていますし、主の御心は滅びではない。その主の赦しと忍耐を知る時、新たな道が生まれます。 

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 三鷹バプテスト教会。三鷹市下連雀4-18-3にあります。この教会も60年以上の歴史を持ちます。秋山献一牧師は、若い頃から知っております。ご兄弟も牧師でいまだにどちらがどちらか見分けがつきません。すみません。北関東地方連合の交流の中で育った方です。三鷹教会のホームページのトップに次の言葉がありました。●「キリスト教を知 りたい」「キリスト教を研究したい」という方が沢山おられます。私たちはそういう方々に対して「キリスト教を知りたいなら、先ず礼拝 に参加してみてください」とお勧めしています。キリスト教は「観念」でもなく「心の持ちよう」でもありません。キリスト教は、この生身の体をもって、イエス・キリストを信じ、従うことで す。先ず体を運んで、教会に来てみてください。そして、礼拝を体験してみてくだ さい。そうすればキリスト教がわかります。わたしたちの教会では毎日曜日。雨が降ろうと、槍が降ろうと礼拝をしていま す。●「槍が降る」の表現はびっくりしましたが、「木の十字架」がシンボルの教会でもあります。祈りの課題は以下です。①今年度「伝えよう、神の愛を、伝えよう、わたしのイエスを」との言葉が標語として私たちに与えられました。この素晴らしい生き方を神が新たに示してくださったことに心より感謝します。牧師・秋山 献一

2020年07月12日

7/14 マルコ福音書13章14-23節 「滅びぬ言葉を信じて」

 主イエスが「注意せよ」と語ります。それは「憎むべき破壊者」が起こる時。その時は戦うのでなく「逃げなさい」。また「偽預言者」等が出現すると語ります。さらに「終末」と呼ばれる日が来ることが記されます。私が何度も語りますように「終末」とは「救いの完成」で喜びがあふれ、死も悲しみの涙も拭い去られる時。「選ばれた人たち」の表現に注意。それは人間が決められるものではないから。その基準を自ら確信して言う人間は、自分を神と同一視する危険人物。昔、クリスチャンになった、ということが保証ではありません。あなたと神さまの関係は確かに問われましょう。力点は、時の徴を見て、賢く行動することと、決して滅びぬ主の言葉を信頼すること。今日はS・Nさんのお誕生日おめでとうございます。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 仙川キリスト教会。東京都三鷹市中原1-24-8にあります。仙川は「せんがわ」と読みます。ホームページを見ると、ゴスペル・フラ、ゴスペル・クラス、奉仕クラブなど盛んな活動をされています。もうすぐ開始から60年を迎える教会です。祈りの課題は以下です。①放課後等ディサービス「マナ」の働きが祝され、地域に用いられますように。②求道者に信仰決心を。牧師・山岸 明

2020年07月12日

7/13 ダニエル書12章1-13節 「約束された者として生きる」

 紀元前578年バビロン軍に敗北し、イスラエルの人々はバビロンに連行され、母国を失った捕囚の時代を生きたダニエルが伝える言葉。「かつてなかったほどの悩みの時代。…苦難が続く」。それを世界的な戦争、地球的な環境の変化、人間の愛が冷える時代と考え、どの時代の中にも今が終末だと思う人がいました。苦難がくる、「しかし」、この「しかし」が信仰の世界。「しかし、その時には救われるであろう。お前の民、あの書に記された人々は」と。「あの書」というのは「いのちの書」「神の国籍がある者のリスト」です。7節は1+2+0・5=3・5、完全数の7の半分で、3年半との解釈もあります。多分、今の苦難はいつまでも続かない、という意味。でもその時は人間に理解できないのです。大事なのが「(終わりまでお前の道を)行きなさい」終わりを知りつつ約束された者として生きるのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 調布南キリスト教会。調布市国領町5-15-31にあります。京王線布田駅南側にあります。キッズクワイアやゴスペル、英語クラスなどがあります。7月から礼拝が再開されたとのこと。祈りの課題は以下です。①一日も早いコロナからの脱出を。②礼拝と教会活動の再開。③世界の人々に主の救いと平安を。牧師・前田重雄

2020年07月12日

7/12 Ⅱテサロニケ1章1~12節 「信教の自由を考える」

 ここで語られる「苦しみ」は初代キリスト教会が政治や地域から受けた迫害を示します。「政教分離」や「思想信教の自由」は今、当然の人権と思いますが、そのような自由がない時代の方が多かったし、今も家族や地域において差別されることを聞くのはびっくり。20年位前までは葬儀は家の宗教(檀家でもないし、仏教徒でもないのに)でするので(亡くなった方はクリスチャンであったにも関わらず)キリスト教での葬儀はしない、という家庭がありました。悲しかったです。結婚式は喜んでキリスト教でする方は多いのにね。今日の箇所には「信じない者は滅ぶ」と単調な救いの表現になっております。イエス・キリストの救いはもっと広く深いものであり、単純な図式は時にキリスト教が他の宗教を差別、排除する危険があることを肝に銘じ、読む必要があります。 

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 調布バプテスト教会。東京都調布市野水1-4-3にあります。大昔、訪れた記憶があります。すごくひろーい教会という印象が残っています。現在の神戸バプテスト教会の牧師もこの教会の出身です。それから先日、当教会に、他の地域から引っ越してこられた方も、かつてこの教会に通っていたそうです。どの教会もいろいろなつながりがあって日本バプテスト連盟に加盟している教会はいいなぁ!調布と言えば高級住宅街というイメージもありますね。「調布グリーンホール」も記憶があります。調布教会、ぜひ行ってください。祈りの課題は以下です。①信仰と健康が守られますように。②地域近隣への伝道と交わり。③青年と働き人が送られるように。 牧師・文 廷翼、協力宣教師・岡田 千尋

2020年07月10日

7/11 Ⅰコリント11章23~26節 「主が来られる時まで」

 「主の晩餐(式)」、主イエスが逮捕され十字架上で処刑される日(夕方から一日が始まる)の夕食で主イエスが語り、行ったことを想起し、実際に「食べ、飲む」ことを通して主の死の意味を改めて心に刻むことが教会の礼典として行われます。当教会でも毎月第一日曜の礼拝で行っておりますが、今はコロナの影響で休止しています。私は幼い頃、その様子を目にして「食べたいなぁ」と思っていました。本来は酵母を入れない固いパンで、葡萄酒も苦いもの。そして主の苦しみが救いのためであることを感謝をもって心に刻むのです。。その時、固いパン、苦い杯は恵みと救いのしるしとなるのです。この式を通し、主が再び来たり給う日まで、主の死の意味を語り伝える器となることを願うのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 府中キリスト教会。東京都府中市幸町1-9-7にあります。この教会には数年前に初めていきました。芝生があり、おしゃれな感じですが、会堂は随分古いものです。府中ジョークで「3億円あっただろ」というのがありますが、あるわけないやん。府中あたりにお住まいの方で、今、教会に行っていない方、ぜひ、府中キリスト教会に行って、今後の伝道のためにも力を貸してほしいです。この教会の牧師、なつみさんは、実は、私が学生時代に通っていたT教会で出会いました。私はその教会で中高科のリーダーや少年少女会のリーダーをしていており、なつみさんはそこでメンバーとしておられたのです。まだ中学生でした。静かで控えめで、でも芯が強い方、淡々とご自分の働きを精いっぱいされていました。文章や絵を描くのも得意でしたが、その背景にはお母さまが絵画教室をされていたことなどもあります(今日の「祈りの課題」も控えめだなぁ)。その後、日々成長され、牧師になる思いを与えられ、西南学院大学神学部に入学。丁度、そのころ、私は神学部学生寮からも近い「福岡有田バプテスト教会」の牧師をしておりましたので、福岡有田教会で神学生として多くのご奉仕を担ってくださいました。うちの娘らともよく遊んでくれました。そして神学部で出会った方と結婚。彼のラッパの音が良かったらしいですが、他にも素敵な点があったのでしょう。群馬県のM教会で行われた結婚式には、私たち夫婦は証人代表として福岡からいそいそと出かけていったのでした。それから長尾夫妻には様々な人生の歩みがあるのですが、ぞれらはぜひ府中教会に行って本人から聞いてください。なつみさんの今は、日本バプテスト連盟事務所で「聖書教育」誌の編集人の仕事(パート)と府中教会牧師の兼職をされています。個人的にはなつみさんに一度、研修会や伝道礼拝のお話でお招きしたいのですが、コロナの影響で、私の計画より1年遅れることになりそうです。府中での活躍を祈り、何かお手伝いできたらよいなぁと思っています。私は古い(いあ、歴史の重みある)会堂と牧師館にはいろいろ手をいれたほうが良いと思いますが、いや、誰でも思うでしょうね。ちなみに。「聖書教育」2020年7・8・9月号に長尾なつみさんの写真、なんと今回、他のページでは私と中田協力牧師の写真と文章も掲載されています。貴重な本だわ!在庫もあるので連盟事務所に申し込んでください。

府中教会の祈りの課題は以下です。①どんな状況であっても、教会の一人一人が礼拝につながり平安を得ることができますように。牧師・長尾 なつみ

2020年07月10日

7/10 Ⅰペトロ4章19節 「『苦しみ』について考える」

 信仰があっても試練や苦しみ、他人からの非難があることに対しての返答。たまに、自分で悪いことをやって、(泥棒とか他人への余計な干渉)それに対して「非難された」等は除くべき、また前提として「きちん」とした生き方をすることと記されます。さらにより深いメッセージは、「試練や苦しみ」に会う時、喜びなさい、なぜならキリストも多くの苦しみに会ったゆえ、キリストに従う歩みができているから、と語ります。ただ、私は深い苦難に生きる人に対して簡単にそう言えない、と感じます。「苦難」はなぜあるのか、その意味を問うのが宗教。気軽な答えはなく、主と共に、そして受難者と共に自らも十字架を負うことなしには「苦難」について語り得ないのです。それができない自分の小ささ、足りなさをまた日々感じている者でもあります。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 花小金井キリスト教会。東京都小平市花小金井1+26-33にあります。この教会の牧師夫妻とも昔からお付き合いがあります。藤井牧師はかつては自衛隊の音楽隊に所属し、トロンボーンを吹いていたというプロの音楽家でありました。音楽大学を出てもプロの楽団に専属するのは本当に一握り。藤井牧師は音楽大学は出ていないのにプロになるというのはすばらしいものです。青年時代に家族のことなど考えることが多く、数年の時間を経て、牧師になる道を選びました。もちろん、選ぶことの前に選ばれている主の導きがあったのです。牧師になってから、私の義父である民家(これは名前よ)が東北地方連合「開拓」伝道として、酒田市で集会をもっており、この酒田で伝道所の牧師をしておりました。しかし、高齢でもあり、志半ばで癌になり、リタイアして、私どもが当時いた神戸に転居しました。さて、酒田伝道所に自ら手を挙げてくださったのが、藤井牧師夫妻です。毎日のように更新されるSNSを見ながら祈っておりました。しかし、酒田で新たな教会をたてていくことはものすごくエネルギーが必要です。心込めて全身全霊をこめて酒田でお働きになったあと、今の花小金井教会牧師に就任されました。さて、花小金井教会は駅にも近く、会堂がとても素敵です。充実したホームページもありますので、ぜひ見てください。藤井牧師の証しも掲載されています。花小金井教会の祈りの課題は以下です。①集まることが困難な中、教会の交わりが守られますように。②主にある希望を証しし続けられますように。牧師・藤井 秀一

2020年07月04日

7/9 ルカ福音書18章1~8節 「祈り続けることへの招き」

 1節はルカの説明。このような説明をつけた箇所を見ると、「なぜつけたのだろう」と考えます。私の浅はかな考えでは教会が「裁く」機能を持った時に、実際毎日やってくる人がいたら困るかしら?と思ったりします。主はユーモアをもって話をしています。世の中には「裁判官」と言え、社会的弱者である寡婦等を差別し、訴えを取り上げないヒドイ裁判官がいるよね(今もいます、政治におもねる裁判官等、でも実際、ほとんど多くの裁判官の方々は心から一生懸命にそのお働きをされていることを覚えます)。でも毎日そのオバさんが来て「裁判してほしい」と言い続けると、うるさくて寝むれないので裁判する。世の裁判官はそんなこともあるが、主なる神は我らをお見捨てにならず速やかに対応してくださる。だからこそ主に解決を委ね、祈り続けることへの招きがここにあるのです。 

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト立川キリスト教会。東京都立川市柴崎町2-22-13にあります。この教会のことは時々義父(故人)から聞いたことがありました。妻が言うには、このあたりは米軍基地があったりしてとてもピザが美味しい店があった、とのこと。なるほどねー。ピザの紹介だけですみません。いつか食べに行けたらまたリポートします。祈りの課題は以下ですが、「霊性」という言葉は、聖書や祈り、礼拝等を通して、主なる神さまと向き合い、問われ、応える心、と言ってよいでしょうか(これは坂本の解釈)。①高齢者が守られて礼拝ができますように。②教会員の霊性の向上、伝道意欲向上を祈ります。牧師・大川 博之

2020年07月04日

7/8 ルカ福音書11章1-13節 「御名を崇める、とは」

 主イエスが教えて下さった祈りはシンプル。「父よ」との親しみを込めた呼びかけのあと、「御名が崇められますように」。「御名」(みな)は世界を創造し、人に命を与え、赦し、生かす神のこと。その方が崇められる、聖とされることの祈り。そこには、御名が崇められていない現実、御名が聖とされず、汚されている現実があるからです。御名が汚されるのは、神が神として、崇められず、大事にされず、人間が御名を利用する、神の名を利用することで神の名が汚されるのです。神の名が自己正当化するために用いられ、神の名による戦争が行われ、御名が汚されるのです。すべての人が主の言葉に正しく聞き従い、愛なる神の姿を実現することが「御名を崇める」ことなのです。今日はT・Sさんのお誕生日おめでとうございます。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト多摩みぎわ教会。2018年に「伝道所」から「教会」になりました。教会になるとは、独立した教会ということです。場所は東京都多摩市連光寺6-4-8です。この教会については「バプテスト」誌、今年の5月号に詳しく紹介してあります。ピアノやギター、ドラムを用いた讃美歌も歌われ、「ゴスペルを歌う会」「ゴスペルフラ教室」「手作りの会」「だれでも食堂」「英語de聖書を読む会」「バザー」「教会農園」、シェアハウスの運営等入り口の広い、豊かな活動をなされています。また、礼拝には障がい者施設やグループホームの方々が参加されているということで、実にすごいなぁと思います。この「バプテスト」誌の教会紹介記事を書いた方(いつの間にか、髪の毛、グリーンに染めたのね)が、丘を降りる途中、「耳をすませば」の映画に流れる「カントリーロード」の一節がよぎる、と素敵に書いております。うちの所沢教会の近くにもジブリ映画の舞台となったところや、「トトロ」がいる森もあります。所沢すごいね!まだ私、「トトロ」に会ったことないです。似たようなのは時々いますが。はい、話がずれました。祈りの課題は以下です。①メンバーの家族・近隣の方の救い。②新しいメンバーの加入。③子どもが来ますように。牧師・石井 規之、主事・斎藤 美津栄

2020年07月04日

7/7 マタイ福音書26章47-56節 「剣を取る者は皆、剣で滅びる」

 時は春の深夜。場所はゲツセマネという主イエスと弟子達の祈りの場所。そこにユダに率いられ、武器を持った人々がイエス逮捕にやってきます。誰もが戦になるだろう、そう簡単には主イエスを逮捕できないと思っていました。戦は接吻をスタートとし、ペトロが剣を振り回し相手の耳を落とし、騒乱になる寸前、主イエスの「剣をさやに納めなさい」との言葉が響きました。そして、やろうと思えば天使軍団を集めることができる(天使のイメージとは少し違いますが、どんな姿なのでしょう?)。しかし主イエスは暴力を用いることが解決とは思っておりませんし、何度も主イエスを捕らえる機会があったにも関わらず、闇に乗じ罪を犯す人間の不当を訴え、主はただ一人静かに人の手に渡りました。今日は「七夕」。お星さまは見えるでしょうか。そして、M・Mさんのお誕生日おめでとうございます!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 多摩ニュータウン・憩いの家教会。礼拝場所については080(7849)6406(春木さま)にお問い合わせくださいとのことです。自前、あるいは定期的に借りる会場を持っていない、「家」の教会のようです。この教会の津波牧師、読み方は「つは」です。沖縄出身の方で、以前、著書「沖縄宣教の課題」をいただいたことがあります。日本バプテスト連盟がかつて「沖縄」を「国外」と位置付けた誤りを連盟も言葉にしておりますが、その時、派遣された調宣教師のこと等が紹介されています。沖縄から見たら日本とはどのような国なのでしょうか。そのような思いで沖縄に行かれたり、琉球王国の歴史等を見る必要があると思います。もちろん、そのようなことを課題として日本バプテスト連盟では青少年に対するプログラムがつくられたりしております。「憩いの家教会」の祈りの課題は以下です。①小さな歩みが守られますように。②弱い人の隣人になれますように。③癒しの器とされますように。協力牧師・津波 真勇

2020年07月04日

7/6 Ⅰテサロニケ4章13-18節 「死、個人の終末」

 この箇所は6月末にも扱っておりますが、聖書は多様なメッセージがありますので改めて読みます。「終末」、「キリストの再臨」は神さまによる救いの完成、という希望の文脈で読むべきと何度も語ってきました。また、私共も必ず「死」を迎えます。それぞれの「終末」ですが、その先はどうなるのでしょう。特に家族や愛する者の死は、希望を失い、悲しみに立ちつくす思いになります。聖書は先に召された方と再び出会うという希望があるのが感謝です。「臨死体験」を調査した話があります。その時、臨死体験をした人が死の時に感じていた、そして多くに共通するイメージはとても穏やかなのです。草原や水があり、とても心地よい場所で、天使か神のような存在、あるいは家族や親せき等が登場し、そこで会話がなされたりするのです。それが「体験」なのか死ぬ人間に対して用意されている「脳のプログラム」なのかは明らかではありませんが、いずれにしても死の先に安息があることを祈り願うし、聖書の言葉と響くような点があると感じております(詳しk知りたい方は、キューブラー・ロスや立花隆等の著作)。でも、これは証明できないものだからね。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 八王子めじろ台バプテスト教会。東京都八王子市めじろ台2-15-2にあります。この教会は私、何十年も前、結婚して神学校に行く前に今の妻と訪れ、当時の牧師であったT牧師からいろいろなお話を聞いたり、聖書や神学の話をお聞きいたしました。年末が迫る寒い日でした。ただ、八王子めじろ台教会にもう一度行けるかどうかは自信ありません。現在、専任牧師は不在で(今の大宮教会、左右田牧師が長らくおりました)協力牧師の北島先生と信徒の方々で礼拝をされているようですが、コロナの影響いかほどでしょうか。北島牧師はかつての神戸教会の牧師であり、また、私たちの良き先輩として指導してくださった先生です。左右田牧師も面白いキャラクターで、そのうち、大宮教会のところでお話しましょう。八王子めじろ台教会の祈りの課題は以下です。①無牧師の間も教会員相互牧会による教会の前進のため。②一週も早く会堂で主日礼拝をする日が来ますように。協力牧師・北島 靖士

2020年07月04日

7/5 Ⅰテサロニケ5章1-18節 「喜ぶことができない時に」

 この箇所は今週月曜にも扱っております。月曜に「『いつもそうできない』は当たり前。これは目標。宝はころがっていません。喜び祈り感謝を探すこと」と記しました。パウロは私どもが「喜び」に生きること少なく、「祈り」や「感謝」が少ないからこそ言っているのです。「喜ぶこと」を考えると「カルピス子ども劇場」で見たパレアナ(=ポリアンヌ)の言葉を思い出します。パレアナは亡くなった父の言葉を大事にしていました。牧師だった父が、ある時、とても気分が悪いときに、聖書に「喜べ」とか「感謝しなさい」という言葉を数えてみたら何百もあったって。それで、気分が悪い時に、「喜び」を探すゲームを始めたの。それは難しければ難しいほど、探すのが面白い。その「喜びを探すゲームを私もやっているの」、というようなことです。人間って、自分の思い通りにならないとすぐに怒りが湧くのね。玄関に入ったら、靴が散らかっていて怒り、部屋が汚い、勉強してないと怒るのです。その時、心を落ち着かせ、知恵を用い、言葉を考えましょう。絶対に怒るなということではありません。また「我慢」ではありません。心荒れる時にも探せば、感謝や、喜ぶことがいっぱい、きっとありますよ!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 昭島めぐみ教会。東京都昭島市郷地町2-20-5にあります。東京都は23区の周辺にたくさんの「市」があり、私はまだどこがどこだかあまり把握できていません。私の義父が、かつて通っていたことを聞いたことがあります。祈りの課題は以下です。①互いに愛することにおいて成長。②福音を地域の方々に届ける。③礼拝賛美が豊かになる。牧師・石橋虎之助

2020年07月01日

7/4 Ⅰコリント14章1-12節 「教会をつくりあげる言葉」

 第一コリント書、13章で神さまが下さる恵み、その最高の道は「愛」と語られます。その後、預言と異言に触れています。「預言」とは「人に向けて語られ、人を造り上げ。励まし、慰める」言葉なので、いわゆる説教や証しの類。「異言」は霊的な高揚を通常伴い、人にわからない言葉が次々と出てくるものです。私は聞いたことがありますが、それが聖書で言う「異言」と同じかは判断できません。「聖霊派」と呼ばれる教会では大事にされていることがあります。でもパウロが教えているように、そのような言葉が出ても、内容が不明なので、教会を導く働きにはなり得ず、おうちでするべきなのです。また異言が語れたら何か人より信仰が勝っていると思うとそれは大きな勘違いです。自分が満足をすることをや、自分が何か人と異なることができることを誇るのではなく、他者にどのように仕え、歩んでいくのか、とういことが大事な神さまからのギフト(賜物)なのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 福生バプテスト・キリスト教会。東京都福生市加美平1-24-17にあります。この教会の稲見牧師は、私の記憶によると、かつては養豚に関わっておられたようですが、今は羊飼いになった方だと思います。Facebookを見ると稲見先生は木工などをよくされているようです。それも釘を使わないというのですから本格的です。最近は「献金箱」を作ったとありました。教会の礼拝では神さまに対する感謝の献金があるのですが、その時、袋や皿のようなものが回るのがよくある習慣。私等はもう慣れているのですが。感謝の気持ちを表明するのか、しないのか、その方法が献金なのか、どうなのか、はそれぞれの自由なのです。しかし、教会の礼拝に参加してみて、献金の袋とかお皿が回ってくるとびっくりする方もいらっしゃるでしょう。本当に自由なので、あまり気にしてほしくないのですが、「強制的」と感じる方もあるかもしれませんね。コロナで、当教会も礼拝堂に入った時に、献金箱に献金をささげたい人は入れるというようになりました。一考する余地はありましょう。その箱を稲見先生はつくられたということです。当教会では段ボールを利用した箱をある方が作ってくださいました。ずっとそうするなら作ってみようかな、とも思いますが、木でつくったら寺社の「お賽銭箱」みたいになるのかな。「お賽銭」で思い出すのは、あるお坊さんが「参拝に来る方が、ご縁なので、5円をささげて、たくさんのお願いごとをします。参拝が終わって、帰りに千円、二千円のランチを食べるバランスおかしい」みたいな話をしておりました。神さまと思うならもっと大事にしたほうがよいと思います。さて、福生教会の祈りの課題は以下です。ちなみに、「小羊」とは子どものことを指すことが多いです。①小羊会対象者が与えられるように。②求道者が信仰の決心ができるように。③70名礼拝の実現。
牧師・稲見 元彦

2020年07月01日

7/3 Ⅰコリント6章12-20節 「自由であることの目標」

 「すべてのことが許されている」。クリスチャンになると「あれをするな、これをするな」と制限を加えられると思っている方があります。キリスト教ではすべてが自由です。しかし、自由とは好きなことを何でもしてよいとは誰も思いません。選ぶ自由、選ばない自由、そこで「何を目指しているのか」が問われます。つまり、「自由であることの目標」。自分や他者を痛める自由を人は選び取りません。何を食べてもよいのですが、食べすぎは体を壊します。18節をリビングバイブルは「性的な罪とは無縁になりなさいと、私が言うのは、そのためです。 これほど体に悪影響を及ぼす罪は、ほかにありません」。主に結ばれ、主が宿ってくださる命の用い方が大事なのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 関東プレインズ・バプテスト教会。東京都羽村市双葉町2-10-7にあります。この教会は米軍基地等の関係で生まれた教会だと思います。なので、バイリンガルか、複数の言語で礼拝がなされているのではと思います。「関東プレインズ」の意味は「関東平野」、すごく広いですね。私は埼玉に住みだして北関東あたりを車で走ると「関東平野」は広いなぁ、と思います。また、ここの教会には「羽村善隣幼稚園」という素敵な名前をもった幼稚園があります。祈りの課題は以下です。①善隣幼稚園を通しての伝道のために。②伝道やアウトリーチが増えるため。③ビジョンと決意を妥協しないために。 牧師・ビショップ・ガイ 

2020年07月01日

7/2 ローマ書12章9-20節 「今日、噛みしめたい言葉」

 ここには新しい人間の生活様式が示されます。それぞれ日々噛みしめていく言葉です。16節の「身分の低い人」は誰でも気になる言葉で、身分の上下等認めることが問題と思うでしょうし、私も「嫌な言葉」。でも、実はそれぞれの心のうちには職業・生活水準・性格をもって「低い人間」と馬鹿にしている存在やその人々を定義し「付き合わない」という境界線を持っているのです。開かれた心は誰とでも愛をもって向き合おうとする豊かな心であり、すべての存在は人生の教師です。「善をもって悪に勝つ」、ここの「勝つ」は「克服する」という意味で考えたいのです。つまり「ビクトリー」ではなく「オーヴァーカム」。米国の黒人差別に対して異議を唱え、その不当性を訴えた人々が歌った「ウイ シャル オーヴァーカム」、日本語では「我らに勝利を」ですが、「勝利」という訳は良くないなぁと思っています。。「やっつける」のではなく、「敵・味方」でもない、新たな「共に生きる」関係性が築かれること。「善」とは主イエスの生き様のみ。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 板橋伝道所。板橋区仲町23-17にあります。東京西教会の伝道所です。祈りの課題は以下です。①この地から福音が消えませんように。②二十人礼拝ができますように。③隣人に関心を持てますように。牧師・新保 雅雄

2020年07月01日

7/1 使徒言行録17章1-9節 「ヤソン、その人がいたからこそ」

1節は簡単に書いてありますが、何と約160キロの距離があります。テサロニケのユダヤ会堂を訪ね、福音を伝えます。旧約聖書で示されるメシア(救い主)が主イエスと語り、現地の人々が導かれます。「ヤソン」の家がパウロ達の生活拠点でした。パウロの教えを信じた人々が多く出たことに対しユダヤ人は「ねたみ」を思い、「ならず者」を集めて騒動を起こさせます。「イエスという別の王」との言葉にローマ政府側は恐れました。「ねたみと恐れ」は人間を争うことに向かわせる。でも主にある「喜びと期待」は平和に向かわせ、そこに教会は立つのです。ローマ書16章でパウロが多くの名前をあげていますが、21節に「ヤソン」の名前もあります。伝道は多くの信徒の協力によって進むのです。今日はK・Tさんのお誕生日おめでとうございます!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東京西バプテスト教会。この教会は場所を持たず、いろいろな会場を借りて礼拝等を行っているようです。黒瀬牧師は常盤台バプテスト教会出身なので先輩の牧師になります。祈りの課題は以下です。①礼拝場所が安定的に確保できますように。②ご高齢の方々の健康。③新来者、バプテスマ受領者が与えられること。牧師・黒瀬 博 

2020年06月28日

6/30 Ⅰテサロニケ5章23-28節 「み言葉を分かち合い、広めること」

 パウロの祈りで手紙が閉じられます。「聖なる者」にできるのは神さまだけ。人間が神のごとく「この人は聖なる人、この人は俗人」と言う時は危険です。そう評価するあなたは何者かと主イエスは怒るでしょう。「聖なる者」それは、イエスご自身が愛し受け入れてくださる存在。でも主イエスはこの罪深い、愚かな者をも愛し、友としてくださいますし、その交わりによって育てて下さいます。そして、パウロ自身も完全ではないゆえに、人々の祈りによって支えて頂かなければ主の御用はできません。「重んじる」とは深く祈りに覚えていくこと。そしてパウロはこの手紙が多くの人にシェアされ、拡散されることを願います。「分かち合うこと」、み言葉の共有、それが教会に与えられた働きであり、伝道の道なのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟引退教役者の方々を覚えて。濱田 隆氏(熊本県在住)、濱中恒雄氏(福岡県在住)

2020年06月28日

6/29 Ⅰテサロニケ5章12-22節 「神さまからの宝物」

 英国のバプテストの神学者、バークレーはここを「良き勧告の宝石」と語っています。指導者に対して、仲間に対して。「怠惰な者」とは「中途で投げだした人々」のことです。また「気落ちした人」「弱い人」や「悪をもって心を表現する人」、それらの人々も含めて教会はあり続けます。「自分はそうでないが。あの人は悪人だ」と考えるのは良くありません。なぜなら、誰でもそうなる可能性があります。16~18節はよく愛される箇所であると共に、時に嫌われる箇所。「いつも」という言葉にひっかかる人が多いのです。「そんなことできるわけがない!」と聖書に歯向かう人を知っています。でも「喜び」「祈り」「感謝」に生きる道があります。「いつもそうできない」のは当たり前。これは目標。宝はころがっていません。喜び祈り感謝を探すこと。きっと嬉しくなるよ♡

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 学校法人 西南学院。西南学院は保育園・幼稚園・小学校・中高・大学・大学院などがそろい、九州では大変有名な私学です。卒業生には、先日亡くなった中村 哲さんや芸能人等も多数おります。まぁ、私も卒業生ですが。特に神学部は日本バプテスト連盟の牧師養成機関としての役割もります。祈りの課題は以下です。①学院の子どもたちの心身の健康が守られますように。②学院の教育が御心に適ったものでありますように。院長:今井尚生

西南学院大学神学部・専攻科・大学院。「神学部」は一般の学生もいますが、牧師になりたいと思う人も来ます。特に「牧師」を目指す人が今、大変少なく大きな課題です。牧師になりたいという願いを持つ人は、10代より、ある程度社会を経験した人が多いのが特徴です、30代、40代、50代、60代の人はよくいます。もしその人がどこかの大学を出ていたら、「学士入学」制度が使えますし、高校しか行っていない人でも入ることができるクラスもあります。もちろん、クリスチャンであること、入学試験があります。そのような願いを持つ方はまずはお近くの日本バプテスト連盟に加盟している教会か、ここ、所沢キリスト教会に」おいでください。神学部部長の須藤伊知郎先生は、東大の法学部を出たあと、東大の大学院(西洋古典)で学び、留学を経て西南学院大学の教授になりました。新約聖書神学、特にマタイ福音書の専門家です。さらに、この先生は歌も上手ですが、リコーダが素晴らしいです。祈りの課題は、①献身者が神学部に送られるように。②神学生の健康が守られるように。③協力伝道を進める学びのために。神学部長:須藤伊知郎。

2020年06月28日

6/28 Ⅰテサロニケ4章13-5章11節 「世の終わりのラッパ鳴り渡る時」

 主イエスが私どもの身代わりとして死の犠牲とされた、そして身代わりとしての主がよみがえったことは、私どももまた、主の復活の命にも与ることができるのです。そして、語ってきたように、当時は主が再び此の世に来る「再臨」はすぐと考えられておりました。それはまだ来ておりませんが、パウロはその様子はこんなものだろうと語るのです。

 神のラッパが響く、そして「空中で雲に包まれ引き上げられ主と会う」、英語ではクラウドの中で、とあります。誰ひとりとしてその時がいつか、は知り得ませんが、心の備えをしつつ、「私どもが目覚めていても、眠っていても、主と共に生きる」。主はあなたと共に、過去も、現在も、未来も生きて下さいます。ヘンデル作曲「メサイア」でもこの「ラッパ」の音がすばらしく表現されています。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「神学教育に関する委員会」。日本バプテスト連盟には理事会のもと、多くの委員会があります。この委員会は神学校等の教育について話し合う委員会です。神学校で学ぶのは何より「聖書」ですが、この世界に仕える教会や牧師は世界の状況や社会の課題(平和・人権・差別・国際・倫理等)多くのことを学ぶ必要がありますし、それを知らなくて今の時代に福音を知らせることはできないのです。もちろん、すべての社会状況を知ることも限界があります。祈りの課題は以下です。①神学生の学びと各神学校の教員、スタッフの働きのために。②これからの協力伝道に仕える三神学校・宣研・連盟の良き協働のために。委員長・中田義直(常務理事・所沢教会協力牧師)

2020年06月25日

6/27 Ⅱペトロの手紙3章8-13節  「対話的に聖書を読むこと」

  第二ペトロ書について他の文書で言及されるのは2世紀後半であり、Ⅰペトロ書とも内容が異なり、いくら保守的な聖書学者でもペトロの手によらない、つまり、主イエスの弟子であり、初代教会の代表の一人であった、ペトロの名前を冠した文書と断定します。バークレーの注解書読むだけで、その評判悪さについ同情する私でもありますが…ただ、ところどころ「なるほど」と思う箇所もあります。この書は短いので読んでみたらいいですよ。今日の箇所はいわゆる主が再び来たり給う終末(=完全な救い=再臨)の遅延について語りつつ、道徳的な行動をする励ましをしています。「神の一日は人間の千年のよう」とか「終末の遅れは救いのため」等の言葉は「そうだ」と思います。聖書は、すべて飲み込まないといけないという読み方ではなく、聖書の言葉と対話しつつ読むことが大事です。「そうかなぁ」とか「おかしいな」とか「本当にそうだ!」というように。Ⅱペトロ書は突っ込みドコロも満載です。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟「監事」。日本バプテスト連盟の「監事」は業務や財政の監査をしていただく方々です。総会において選挙で選出されます。日本バプテスト連盟の理事会報告や総会報告等、実に詳しく、宗教法人として、また、何より、教会のあるべき姿として公明であり、ガラス張りです。誰が権力や力のある人がいて、その人の言うことは絶対叶うとか、そんな甘い世界ではありません。理事をやっているから何か有利とかそんなこともまったくないし、むしろ、理事等をすると持ち出しが多いし、そのための時間を準備するのが大変なほどです。監事の方々も最低年1週間以上はその働きのために時間をささげなくてはなりません。理事会にも必ず監事が陪席して議決をするのにきちんと規約通りになされているのか、判断がきちんとした議論の上でなされているのか、などをチェックしています。お疲れ様です。祈りの課題は以下です。①協力伝道の業が豊かに進められるように。②理事会や各委員会、連盟事務所のスタッフの働きを覚えて。監事・小河義信(主任・仙台教会牧師)、奥村妙子、平良憲誠、松本素代美

2020年06月25日

6/26 ヘブライ書13章7-16節 「主をほめたたえる生活」

 ヘブライ書はへブル人(ヘブライ人=イスラエル人=ユダヤ人と考えてよいです。微妙な違いはあります)キリスト者に向けて書かれたので、旧約聖書との関連が多くあります。「食物規定」とは「豚を食べない」とか宗教的な規定です。「幕屋」と言われても若い人はわからないでしょうね。テントですが、旧約時代は羊の皮等を用い、移動式住居や礼拝所として使われました。それ以来「幕屋」が「神殿」を意味する場合があります。神殿で献げられているものは食べてはいけないものですが、ここでは主イエスの流された血の話と結びつけられています。教会は犠牲の動物を献げません。さらに地上を生きる生活の中で決められた場所だけではなく、どこでも礼拝できるのです。「賛美のいけにえをささげる」とは、生活が主をほめたたえるものにする事です。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東京地方バプテスト連合。日本バプテスト連盟に加盟している教会で、それぞれの地域により13の地方連合を組織しています。連盟の下部組織ではなく、それぞれ独自の連合なのですが、ほとんどの教会がそれぞれの地域の連合に加盟しておりますし、それぞれの連合は連盟と協力関係にあります。東京地方バプテスト連合や東京都と千葉県にある教会、またそれぞれ地方連合「伝道所」単位での加盟もできますので、東京都と千葉県にある教会・伝道所で構成されています。祈りの課題は以下です。①連合の財務問題解消感謝。②東京北教会の地域協働進捗感謝。③教会の危機管理プロジェクト発足感謝。連合会長・内藤 崇(目白ヶ丘教会員)

2020年06月25日

6/25 エフェソ書6章10-20節 「新しいファッション様式」

 聖書を開くとまず5節の言葉が目に留まるかも。「奴隷」は当時の常識でしたが、許されない制度であり、人間観です。気づかずに犯してしまう罪があることを知りましょう。聖書は聖霊の働きを受けて書かれますが、聞き取る人間に過ちがあることを認めなければいけません。御心を求めながらも間違いを犯してしまうのが人間なのです。「悪魔」とは神さまの御心から離す力や考えです。それは自分以外の存在と考えますが、実は私たちの中にも確かにあるものです。ここは自分で絵を書くこと。リアルでなくてよいので裸の自分の絵を書き、ここで示される武具を付け加えながら、それらは人を痛めつけたり、破壊するものではありません。「真理」や「信仰」「平和」等の働きや目標を自分の言葉で言い換えて書きましょう。危険に満ちたあなたとこの時代のゆえに。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 聖約宣教伝道所。礼拝は日曜のみ、渋谷区渋谷2-22-16、Hi-b-aセンターで行われています。祈りの課題は以下です、①皆が日々絶えず神の愛の内を歩むこと。②霊性の深まり。③日曜学校の発展。牧師・藤原 淳賀

2020年06月20日

6/24 Ⅰコリント15章50-58節 「死を考えることは今を生きること」

 昨日触れた「死後」の人間の運命・道についてパウロは語ります。42節以降では「朽ちるものは(死を体験し)朽ちないものに復活する」。そして神の国(神と共にあり、神の完全な支配の中)の民とされる。一点言えば、パウロや初代教会の人々は、もう一度主イエスが来るのは「すぐ」だと思い、それが終末(=救いの世界の到来)と考えておりましたが、本来人間に時は示されません。パウロの思い込みは外れました。でも必ず、ある時、「終末」と呼ばれる時がやって来ましょう。でもそのことを語るのは、今を生きるための励ましと慰めでもあります。終わりがある、それはまた新しい世界への入り口。生きることは、死と新しい世界への整えと準備の貴重な時なのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> ライフ・チャーチ。礼拝は日曜のみ、東京都三鷹市CCC学生会館2階で行われています。学生等を伝道する思いからでしょうか。祈りの課題は以下です。①偉大な戒め(マタイ福音書22章37~40節)、大宣教命令(マタイ福音書28章18~20)に忠実な教会であり続けることができるように。牧師・大谷信道

2020年06月20日

6/23 Ⅰコリント15章12-28節 「復活を論じるにはここでは短い」

 主イエスの復活、「そんなことがあるわけがない」と笑われますし、だからどうなの?と言われることも。また、よみがえった主イエスは天に上ったので、今はハワイで暮らしているわけでもありません。世の中には明智光秀は死んでなかった説もありますが、必ず死にました。すべての人は「死ぬ」のは事実。では死後、どうなるのか、は誰も知らないし、理論的な説明は誰もできないわけです。主の「よみがえり」は体験として語られます。その感性が人間に与えられている不思議な奇跡かもしれません。魂に働く存在の力と言ってよいのでしょうか。ある言葉や文章、あるいは芸術的な事柄を通して、その人に必要な言葉が響くこと等、復活の一つの姿であろうと考えます。

 そして今日は沖縄戦を覚える「命どぅ宝の日」です。太平洋戦争末期、昭和20年の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が犠牲になり、沖縄県民の4人に1人が命を落としました。「ガマ」と呼ばれる洞窟に避難していた人も多かったのですが、この「ガマ」において、米兵に捕まるならその前に自決をしよう、と半ば強制された自決があったり、別の「ガマ」では「生きよう」としたところもありました。沖縄の大地は焼き尽くされているような姿になったのです。沖縄県は、旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日を「慰霊の日」としています。最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園で開かれた沖縄県主催の戦没者追悼式が行われています。

 この時、すでに日本軍の敗北は決定的でした。しかしそこで、有り得ない戦法である「特攻隊」等で数多くの若者が死んでいきました。武器と兵士を一度で失わせる戦法等どこにもありません。人間魚雷もしかり。今の「テロ」はこの方法を真似ているのです。そして、東南アジアから沖縄本土に入り、日本でほとんど唯一の地上戦が行われました。もう敗戦は濃厚だったのに、沖縄が本土防衛の捨て石とされました。その後、二か月を待たないで敗戦の日を迎えます。多くの才能ある若者達が、あと3か月でも、半年でも早い決断をしていたら死ななかったのです。さらに沖縄は米国の占領下に入り、今も多くの米軍基地があり、辺野古移設の問題では、県民を二つに割り、さらに今、辺野古基地の建設は軟弱地盤のため、期間もお金も想定以上になっておりますが、なお、政府の説明がありません。まぁ、いつも今の政権は「隠すのが得意」。真摯に説明しますなどの言葉だけは語りますが、どの問題にも真摯な説明はなく、忘れるのを待っているし、政府の人も忘れるのが得意です。沖縄には数度訪ねておりますが、あの美しい土地と愛すべき人々をもう政府は苦しめないでほしいと思います。かつての「琉球王国」は中国と日本の間に立ち、戦争をしたことがない国でした。薩摩藩の支配下にはいり、その時から沖縄は痛めつけられたし、今もそれが続いていること、そこに私も加担していることを深く思いたいと願います。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 青梅あけぼのキリスト教会。青梅市梅郷3-904-3にあります。また学校法人「青梅あけぼの幼稚園」の母体である教会です。祈りの課題にあるように幻を大きく(?)掲げている教会です。祈りの課題は、①牧師・信徒の信仰、霊性の深まり。②相互牧会のセルの充実と拡大。③150名礼拝、受浸者10名。牧師・大谷唯信、副牧師・森元國文

2020年06月20日

6/22 マルコ14章32-42節 「目を覚まし、祈り続けること」

 主イエスが殺害される前の最後の祈祷会、ゲツセマネの祈りです。弟子たちは共に祈り続けることができず、寝込んでしまいます。主は「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい」と教えます。誘惑とは「心を迷わせ、よくないことにおびきだすこと」です。「よくない」ことはわかっています。「わかっているけど、それらが魅力的なのでよくないことを選ぶのです」。人間の弱さ脆さが露呈いたします。人から言われたと弁解する時がありますが、それはよほどの時で、自分がその道を選んだのです。わかっていることが見えなくなる、良いことと悪いことが見えなくなる。だから「目を覚まして」と主イエスは願うと共に主イエスはあなたのためにも祈っておられます。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 渋谷バプテスト教会。渋谷区桜丘町14-5-105号にあります。かつての東京バプテスト教会の日本語部が独立して始まったという話を聞いたことがあります。祈りの課題は以下です。①地域への福音宣教のために。②新型コロナウイルス感染の収束のために。③教会員の信仰生活と健康が守られるように。牧師・金 未仙

2020年06月20日

6/21 Ⅰテサロニケ3章1-13節 「主に結ばれていてほしい」

 テサロニケ教会が外部の伝道者等により揺れていることを心配し、パウロはテモテを派遣し、テモテから様子を聞いて書かれたのがこの手紙。「どうだった?」と聞くパウロは安心や喜びと同時に、彼らの苦難を聞き、どう励まそうかと色々考え、記したのです。まさに心が結ばれていました。8節の言葉は宝の言葉。かつてクリスチャンになった方、共に礼拝した方々。何かの折に思い出しては心配したり、気になったり。あの頃、小学生だった子はもう成人しているはずだけど、どうなっただろうか?もし東京近辺にいるなら会いたいものだと思う方がいっぱいいます。どうぞ思い出したら所沢教会に来てください。あなたが主に結ばれていることが私の命の証しなのです。

 そして、今日は「父の日」です。父の日は、母の日と同じくアメリカ発祥の祝日です。誕生したきっかけは、ソノラ・スマート・ドットという女性の嘆願によるもの。ソノラの父親は軍人で、南北戦争から復員した後に男手ひとつで6人の子どもたちを育て上げています。
6人兄弟の末っ子だったソノラは父の偉業を称えようと1909年に教会の牧師に「父親へ感謝する日も作ってほしい」と嘆願します。そして1910年6月19日に、初めて父の日の式典が開催されました。しかし、それが一般に浸透するまでには実に6年もの年月がかかったといわれています。1916年の式典で、第29代アメリカ大統領であるウッドロー・ウィルソンが演説を行ったことをきっかけにして浸透していったといわれています。そして1972年、6月の第3日曜日が父の日として正式に制定されたのでした。

 父の日、影がうすいのですが、父に感謝すること、そして、父は父とされていく自覚と家族との関係が大事です。「父」に失望した人もたくさんいるでしょう。まことの父のモデルは聖書の伝える神さまの姿でもあります。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 幡ヶ谷バプテスト教会。渋谷区本町1-60-3 味の花ビル1F にあります。「味の花ビル」って素敵。1994年に開設された割と新しい教会です。あまり情報を持ち得ていない教会です。一度、味の花ビルに行ってみなければ。祈りの課題は以下です。①信徒各自が内在されるキリストの愛を持って隣人のために祈り、仕えていけますように。牧師・山川 眞司

2020年06月20日

6/20 Ⅰテサロニケ2章17-23節 「神の家族、神の同労者

 「顔を見ないというだけで、心が離れていたわけではない」との言葉に共感いたします。私どももコロナ感染防止のために共に顔を合わせることができませんでした。しかし、先週、共に礼拝できる喜びを感謝しました。パウロはもっと長い期間でしたが、その心にはいつも教会の家族のことが満ちていたでしょう。ここでパウロが言っているように、そしてパウロは何かご機嫌をとるような人ではありませんが、テサロニケのメンバーを、神の前に立つ時にさえ「希望、喜び、誇るべき冠、誉れ」と語ります。その思いは所沢教会の牧師と召されている私も全く同じ。祈られ、支えられ、そして主が導いてくださっている教会の方々は喜び、誇り、冠、そして主の同労者です。たまに「神の労働者」と言い間違える方があります。「神の同労者」です。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 恵泉バプテスト教会。目黒区中目黒3-13-29にあります。中目黒から歩いて、少し山道?学校のある坂道を登っていくと左手にあります。教会の前には「かすうどん」の店があります。10数年前に新しい会堂になりました。長らく藤田牧師が牧会されていた教会で、この教会のメンバーの方にはユニークで素敵な方もいっぱいいらっしゃいます。そして、現在の牧師は福永保昭牧師。若い頃はエレクトーンを習われていたそうですが、今やピアノ、オルガン、ギターを演奏し、多くの作曲した讃美歌はこれまた日本中で歌われております。福永先生の存在は新生讃美歌の中でも大変光っています。福永先生とはご一緒に仕事をする機会も何度も与えられ、そのたびに、先生の言葉や活動から多くの気づきを与えられて育てられてきました。先輩、感謝。また、連盟の少年少女・ユースに対するお働き、憲法9条を守ろうとするお働き、前には連盟理事として多くの働きをされてきました。

 また、協力牧師をされている松見享子牧師は、連盟宣教研究所所員としてもお働きをされています。宣教研究所との協力で北関東連合牧師・主事会での貴重な学びをさせていただいております。すごく優秀な先生で、これからの研究が期待されます。お連れ合いの方は「献」さんです。日本五賢人、ではなく、バプ連五献人の一人です。恵泉教会には「献人」が以前は二人だったけど、今は一人かなぁ。偉大な特徴は「われささぐ、みなささぐ タイヘン♪」と歌えることです。すごいでしょ。祈りの課題は、①働きのすべてが主に用いられるために。②福音伝道の新たな教会体制のために。③偶像と対峙して平和を生きるために。牧師・福永保昭、協力牧師・松見享子

2020年06月18日

6/19Ⅰテサロニケ2章1-16節「神の言葉を語る畏れ」

 この書は「友情の書」とも呼ばれています。テサロニケ(現在のギリシャ第2都市テッサロニキ)教会はパウロ自身が開設した教会。しかし後にパウロの反対者が入ってきて揺れた教会であり、心配したパウロはこの書を記したのです。でもこの書の中にあるパウロと信徒の交わり、パウロがどれほど信徒を愛しているのかを証しする言葉が沢山あります。牧師は信徒あっての働きであり、牧師があって信徒があるのではないのです。パウロは「自分の言葉を神の言葉として受け止めてくれた」ことを感謝しています。牧師といえども神ではなく、罪、過ちや不足に満ちています。でも伝えるのは自分のことではなく神の言葉のゆえ、誠心誠意準備します。しかし、神の言葉とされるのは祈りと聖霊の働きです。 

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 泉バプテスト教会。世田谷区下馬1-20-4にあります。もしかしたら教会より「いづみ幼稚園」という幼稚園の方が知られているかもしれません。教育者であり牧師であった葛生先生の思想やお働きに影響された方も多いと聞いております。現在の城倉牧師はとっても面白いです。城倉先生の説教は格別というか、さまざまな視点で当方も新たに発見することが多いです。また野球や相撲にも詳しく博学な方でもあります。ユニークな素敵な先生ですよ!そうそう、城倉先生は旧約聖書にも詳しく、学者にもなれる(今からも可能性あり?)お方です、祈りの課題は以下です。①子どもたちのために。②主権者として育ち合えるように。③毎週の礼拝のために。牧師・城倉 啓

2020年06月18日

6/18 フィリピ3章12~4章1節 「共に天の故郷を目指して」

 信仰の歩みはイエスキリストを目標としますが、常に途上であります。しかし、途上の歩みができるのはキリストに捕らえられている、との言葉にいつも励まされます。自分自身は捕らえられていないけど、でもキリストは私どもを捕らえていてくださるのです。さらにパウロはここで涙を流します。それは十字架(ここではキリストが示した救い)に敵対している者のゆえに。この深い愛がパウロの伝道を支えました。今もなお、「どうして」という事件が繰り返されます。その度、福音を語り続ける思いが促されます。ぜひ、あなたと出会いたい。そして、共に天の故郷へ歩みましょう。共に天の故郷へと歩む人々はパウロの喜び、誇りでしたし、そのパウロの心に共感いたします。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 品川バプテスト教会。1961年に始まり、60年近い歴史を歩んでいる教会は、品川区西品川2-12-18にあります。昨年からこの教会の牧師に就任された山中牧師。彼のことは割りと昔というか、大学生の頃から話を聞いておりました。ご両親さまとはお付き合いがありましたから。「役者」をしているということで一度、NHKの何かのテレビのさいごに「山中臨在」という名前を見て、すごいなぁと思いました。なかなか実際に出会うきっかけはなかったのですが、前職の浦和教会の牧師(後に音楽牧師)をされておられるときに同じ連合での交わりをいただきました。臨在先生は東京大学の美学を卒業され、音楽、そして舞台とマルチな才能のある方です。新生讃美歌にもいくつかの曲が掲載されております。新生讃美歌176「主は豊かであったのに」、351「教会 教会」、彼の曲はとても自然な流れで歌いやすいことはすばらしい賜物と理解しております。お話も面白く、歌って、演奏して、指揮をして、アクターであり、尊敬する方です。連合の一泊牧師会では楽しく積み木あそびをしました。一昨年の夏に当教会で礼拝のお話をしてくださいました。今まで食べられなかったアナゴが、某寿司屋で食べて、今までの先入観がくずれ、大好きになったということです。そうね、良き宣教と出会うこと、食わず嫌いの人が多いですよね。また音楽主事の岸本先生とも昔から、いろいろな奉仕をしてきました。この方もピアノや聖歌隊・ゴスペルを指導できる方です。松村先生もよく存じておりますが、また今度。品川教会では平日のプログラムが盛んで、きっとこれからも良いプログラムがなされていくことでしょう。祈りの課題は以下です。①新型肺炎感染拡大の終息のために。②大崎、戸越地域への伝道のために。③平日ミニストリーの拡大のために。牧師・山中 臨在、協力牧師・松村誠一、音楽主事・岸本 恵子

2020年06月18日

6/17 Ⅰコリント16章5-14節 「信仰も力も愛するために」

 Ⅰコリント書の末尾で今後の計画を語ります。「五旬節」という言葉により初代教会からペンテコステが大事にされていたことがわかります。13節からはいくつかの願いが記されます。「目覚めていなさい」ここには主イエスの言葉が反映されています。信仰に固く立つことは、いつも主イエスの姿を見つめそこから離れないこと。男らしく、力強くあれ、は今の時代「男らしい=力強い」イメージは変化しつつあり、「男らしく」と言われても私などは力弱いのでちょっと嫌だなぁと思います。幼い頃から「女の子」のようだ、と言われてきたので、そのイメージの押し付けはいつも辛かったです。「男らしい」とか「女らしい」というステレオタイプ(固定概念)ではなく、ひとりひとりを見る視点はもっと豊かなはずです。さて、戻して、ここでパウロが意味するところは女性でも分かりましょう。それ以上に大事なのが「一切、愛をもって行う」。ここに「目覚めて、信仰に立ち、男らしく、力強い」姿は「愛」に帰結し、愛するための力なのです。 

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大井バプテスト教会。品川区大井5-10-12にあり、「あけぼの幼稚園」の母体です。この「大井教会」と「常盤台教会」が戦後日本バプテスト連盟の歴史の中でリーダーシップをとる働きをしてきたものです。大井教会は何より「大谷牧師」が長らく指導されてきました。それはどの牧師でもそうですが、「良い意味でも、悪い意味でも」になります。現在は加藤誠牧師が連盟理事長の重責も担いながら牧師・園長として活躍されています。加藤牧師は年齢は私より上ですが、北海道の教員経験を経て、西南学院大学神学部(=神学校)に入学されてきました。神学校では私より一年下になります。家族寮でも隣の部屋でした。優秀な方であり、とてもバランスのとれた方です。特技は剣道、ギターも演奏され、英文書物を翻訳されたりいたします。それから、牧師はいろいろと会議が多いのですが、加藤牧師は会議で眠っているみたいなのに、実はちゃんと聞いていて的を得た発言をするので「加藤牧師は眠っていた」「いや、そう見えただけだ」と議論が起こることもありました。個人的にも大変お世話になった先生です。あとこの教会には日本バプテスト連盟教会音楽界の巨匠(?)るみ子先生がおられます。何と、通常1人がひとつかふたつのハンドベルを使って演奏するのに、一人でハンドベルをソロ演奏するのです。この技はもっと日本のテレビ等でとりあげてもいいのではないかと思っております。大井教会の方、人が多いのですから、誰か「なんでも鑑定団」、いや、間違えた、「面白珍百景」に応募してほしいものです。ピアノ、オルガン、指揮、さらに作曲もされ、特に新生讃美歌320番「輝いて生きる」は、本来「全国少年少女大会」のテーマソングとして書かれたものですが、今や、日本中、3歳の子どもから98歳の高齢者からも愛唱されています。私が50年後の出版を目指している新生讃美歌名曲百選のひとつに入れてあげましょう(偉そうに)。るみ子先生にも顔あげられません。

 さて、大井教会の祈りの課題は…新会堂建築のプロセスが、キリストの体として大井の地に深く根ざし、建てられていく歩みとなるように。牧師・加藤 誠、牧師・広木 愛、音楽主事・菊地るみ子

2020年06月13日

6/16 フィリピ2章19-24節 「それぞれが削り合わされて」

 「平和」を創るために「二つのものを一つにする」。複数の異なる存在が、強い力に吸収されるのではなく、それぞれの良き点を認め、包括的で高い次元へと進む意思をもってそれぞれが変わること。その過程で「敵意」の壁が見出されるし、自分だけが損しないための交渉術として「敵意の壁」をつくる人がいます。

 「一つの思い」になるためには、誰もが犠牲を払い、それぞれが削り合わされ平和は生れません。大工さんが二本の木をつなぐ時、一方だけを削るのではなく、両方とも削らないと良い塩梅にならないのだそうです。

 「平和」を創るために「二つのものを一つにする」。そこにおいて、主イエスが歩まれた道を思い起こすことです。主イエスはご自分が十字架にかけられることを通して平和を示されました。お一人が徹底的に犠牲を受け、敵意を滅ぼした。そして我々に平和の道を伝えたのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト東京第一教会。世田谷区瀬田2-11-11にあり、学校法人「こひつじ幼稚園」の母体でもあります。以前、教会併設の幼稚園園長をしていたとき、日本バプテスト保育連盟」の研修会に参加しておりました。「こひつじ幼稚園」の先生方がすてきに楽しく保育されている姿、とても元気で好感を持っておりました。今年度から高見龍介牧師、岡村直子牧師が就任されました。岡村直子牧師は関西にいる時も親しくさせていただき、それ以前に神学校で1年か2年一緒に学んだ仲間です。シンガポールでの連盟派遣牧師としての経験もお持ちの方です。お二人は夫妻でもありますが、活躍を祈っております。祈りの課題は以下です。①新しい牧師夫妻との歩みのために。②バプテスマ者が与えられますように。③幼稚園の働きが祝されますように。 牧師・高見龍介、岡村直子、教会主事・山本 弘夫

2020年06月13日

6/15 ローマ書14章1-12節 「自分の確信を人に押し付けない」

 ここでの「信仰の弱い人」というのはむしろ我々から見れば「信仰が強いね」と思うような人々のこと。例えば菜食主義の人。思いが強ければ強いほど、菜食主義者はそうでない人を馬鹿にし、一方は菜食主義者を「迷信者」と裁くのです。自分が一生懸命になるほど自分は立派と思い、人に勧めたがります。

 いずれにせよ、どちらの人も主の御心に生きようとして決断しているわけで、それは個々と神との関係性です。自分がすることが正しいので皆がすべきというのはお節介な神様みたい。七節の言葉は解り難いですが、何を食べようとも命は主のもの。「私たちには、自分の生死をかってに決める権利はなく。生きるにしろ死ぬにしろ、主に従う」ことが大事なのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 経堂バプテスト教会。世田谷区桜1-64-30にあります。祈りの課題は以下です。①地域に根差した伝道のために。②高齢者の健康が守られますように。③新来者が与えられますように。 牧師・藤原 靖彦

2020年06月13日

6/14 Ⅰテサロニケ2章1-13節 「今日は"花の日”です」

 共感をもって読む今日の箇所。牧師とは「親のようであり、子のようであり、弟妹のようであり、友であり、仲間であり、教師であり、下働きする者であり…」と思います。

 パウロも7節で「幼子、母のように大事に育てる」、11節には「父親のように」と語ります。そして何か誉を求めるのではなく、一人ひとりが健康(肉体的より以上に心)であり、喜び生きることが自らの喜びなのです。そして、特にバプテスト教会では、教会をつくる者が互いにいたわり、愛し、育て合うのです。6月第2日曜、教会では「花の日」です。教会の子どもたちが自分達を支えてくれる社会の方々や病気等にある方々を覚え、花を渡し感謝する日。互いを感謝する日にしたいですね。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 多摩川キリスト教会。東京都狛江市岩戸南4-2-5にあります。狛江市はまだ行ったことのない地域です。なお、この教会は連盟国外伝道インドネシア派遣宣教師である野口日宇満・野口佳奈宣教師の支援窓口教会です。祈りの課題は以下。①教会が祈りの家となるように。②魂の救い、霊肉ともなる癒しと回復、世界宣教。③信仰継承。牧師・末盛桜子、宣教師補・久米 麗

2020年06月13日

6/13 エフェソ書1章15-23節 「心の目が開かれる時」

 「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」とは「星の王子様」でのキツネの言葉。それよりずっと前にパウロは「心の目」で見ることを教えております。表面的に見れば、自らは弱く、愚かな、限界ばかりの姿です。でも、このような者に「希望、絶大な力、受け継ぐべき財産」が与えられるし、その主の力に囲まれています。パウロはそのことを祈り、また、私も共に祈ります。

 そして「教会」にも言及いたします。教会(建物ではなく信徒の集いであり、キリストにつながる体を構成する)は、すべてにおいてすべてを満たしている、別訳では「すべてを造り、すべてを満たすキリストの霊が満ちている」。ゆえに、おじけず、恐れず、今日を歩もう。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 川崎バプテスト教会。川崎市中原区新城5-9-27にあります。ずいぶん昔になりますが、連盟教会音楽研修会の会場となり、私も講師の一人として参加させていただきました。駅にも近く、新しい礼拝堂もできました。その時、私とT先生で担当したクラスの写真が見つかりましたが、その中の数名は今、牧師さんになっております。祈りの課題は以下です。①牧師招聘のために。②新しい教会形成のために。③一人ひとりが賜物を生かす働きへ。現在は無牧師ですが、20年度内には新しい牧師が招聘されるのではないかと思っております。

2020年06月07日

6/12 Ⅱコリント12章11-158節 「真面目にやっているのに」

 「私は愚か者と言われている」と語ります。原因は何と「あなたたちに経済的負担をかけなかった」と語ります。意外ですね。でも時々こういうことがあるのです。教会というのは会費が決まっているわけでもなく、不当な取り立てもせず、会計は明朗。とても真面目なのです。ところが人は不思議なもので、高価な方(高額な献金や寄付金が要求される)がより真実だと感じるのですね。広い土地や立派な施設を持つ宗教団体は怪しいと思うのですけど。宗教団体は営利目的ではなく、あなたが幸いになることであり、お金で人を計る場所ではありません。自分で言うのもなんですが、教会は超良心的です!人を騙す教会はキリスト教会ではありません。真実を見てください。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 百合丘バプテスト教会。川崎市麻生区百合丘1-12にあります。この教会の牧師はあまり知らないのですが、教会員で知っている方が数名おられます。昨年所沢教会においでいただいた伊藤真知子先生。現在、がん治療をしながら力強い讃美歌を歌われます。その讃美歌は心に迫ります。コロナの期間も励ましの讃美歌を配信してくださいました。N・Eさんは若い時代、所沢教会でお過ごしになりました。独学ということですが、とても素敵にピアノやオルガンを弾いてくださいます。祈りの課題は以下です。①国内外の教会等との協力伝道。②新百合丘伝道と 教会員の健康。③めぐみ幼稚園のために。牧師・川井 信雄、協力牧師・宇野 雄司、牧会主事・宇野 澄江、音楽主事・宮原 淑子

2020年06月07日

6/11 Ⅱコリント11章1-11節 「異論にさらされつつ」

 コリント教会の一部の人とパウロとの関係が崩れています。扇動者がいて、人々の中の「ある心」に火をつけるのです。誰でも完全な信頼を持ち得ないし、悪い噂に引き付けられるのが人間。パウロはあなたたちのことを我慢していると反論しますが、人々はパウロを愚か、キリストの直弟子ではない、話し方が下手、金を要求しないのは偽物だからであり、タダより高いものはないと言われます。自分がどう言われようとも、一番の問題は福音が違った形で理解されているということです。その問題点はここだけではわかりませんがキリスト者も律法を守れというユダヤ主義者、キリストの神性を否定し、死を否定するグノーシス主義者。キリスト教会は様々な異論や批判ににさらされつつも今まで続いてきています。異論や批判は真実を明らかにするために必要ですし、真実のみが残ります。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 横浜ニューライフバプテスト教会。横浜市都筑区茅ケ崎南3-18-39にあります。祈りの課題は以下です。①今年度テーマ「伝道の年」家族・隣人のバプテスマを。②スタッフ招聘。③イスラエルの祝福と国々の救い。牧師・田坂元彦

2020年06月07日

6/10 Ⅱコリント2章14-17節 「キリストのフレグランス」

 キリストの香りを放つ。キリストのフレグランス。「香り」で思い出すことがありますね。それは時に「夕立ちの埃くさい臭い」、あるいは「ある人を思い出す香水」「線香の香りで思い出す葬儀」「干した布団の太陽の臭い」「汗臭い青春の臭い」など。

 「香り」は目に見えません。外目には変わらないように見えますが、その香りが教えてくれるのです。キリストの香りとはどんな臭いなのでしょうか。その人に会い、話をすればキリストの言葉を思い出すような、教会を思い出すような、大事なことに改めて触れたような、そのような香りでしょうか。偽物の香りもあったようです。香りに騙されてしまうのでしょう。私共は真のキリストの香りを放つことができたらいいですね。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 横浜JOYバプテスト教会。横浜市旭区善部町100-6にあります。多くの牧師等を送り出している教会です。英語が名前に入っていて若い人が多いのだと予測しますが、高齢の方も多いのでご安心ください。祈りの課題は以下です。①み言葉と祈りの生活が守られるように。②礼拝、祈り会の祝福。③地域への伝道のため。牧師・坂西 恵悟、派遣牧師・石田 政美

2020年06月07日

6/9 ヨハネ福音書8章31-47節 「自由に生きる難しさ」

 主イエスは「真理はあなたがたを自由にする」と語ります。真理とはまず主イエスのことです。ところが周りにいた人々は「何をいまさら、私たちは自由だ」と語る。それに対して主イエスは「み言葉」に心開かない人は実は不自由な人間であると語ります。

 自由でない人間、それはイエスを信じていると言いつつ、主イエスより自分の方が真理を得ていると思い込み、そこから離れられない人間なのです。そして、真理を見極められない者は結果的に主イエスを追い出し、殺すのです。真の自由とは主イエスの言葉を受け止めること。それは自分の過ちや考えを改めなくてはいけないのです。「信じる者」に「本当か」、と突きつけるこの箇所は厳しいですね。誰もが揺らぎます。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 青葉キリスト教会。横浜市青葉区しらとり台19-7にあります。1990年に開始された比較的新しい教会です。讃美歌などが豊かにされている教会と聞いたことがあります。祈りの課題は以下です。①教会の信仰告白を継続して学ぶ。②個々人がイエス様につながる。③次世代を育て、共に宣教を担う。牧師・三宅 真嗣、三宅 友子

2020年06月07日

6/8 イザヤ書40章6-11節「主の言葉はとこしえに」

 「主の風」という表現は単なる風ではなく、世界と歴史に吹き、動かすような風という意味であり、測りがたい力をここで言います。コロナウイルスや世界征服を企む風もそうでしょう。人間の征服者達は、人間の力と富が永続的であるという幻想の下に帝国を築きます。 一方ですべてを無に帰してしまう主の風は時に救いとして作用いたします。「肉なるものは皆、草に等しい」という告知は、地位と力の差異のすべてを取り除いてしまいます。すべての人間は「草」として等しい立脚点にいるのです。草は枯れ、花はしぼむ、永続的なものはない、しかし、その一時を用い心安らぐ世界をつくることも可能。草のような人間は神の言葉を聞くことへと招かれています。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 横浜大和町キリスト教会。現在、固定した集会場所がありません。行ってみたい方は電話090-4829-6692にお電話してください。祈りの課題は①礼拝場所が引き続き与えられるように。②近隣の方々がみ言葉を聞きに来られるように。牧師・鉄井 三千夫

2020年06月07日

6/7 Ⅰテサロニケ1章1-10節

さて、今日から礼拝が再開されます。今、ホームページビルダーを使っておりまして、やっぱり、ワードプレスにしようかなぁと考えてはいるのですが、一つのサイトを立ち上げるのはなかなか時間がかかります。ビルダーは「予約投稿」ができないのが残念。なので、数日先までアップすることになります。上記は「聖書教育」による聖書箇所ですが、礼拝では違う箇所を扱います。第一礼拝を中継する予定です。時代は進んだものですが、いまだに人種差別や暴力での威嚇が進む世界はどうして変わらないのでしょう。いや、ゆえに変えていきたいですね。コロナ後の世界は「連帯」でありたいし、そう祈っていきます。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 横浜戸塚バプテスト教会。横浜市戸塚区矢部町251にあります。この教会の堀野牧師を紹介できるのは嬉しいですね。連盟少年少女大会では彼が高3のとき、見事に司会をしておられました。関西学院大学神学部で学んでおられる時、同じく関西にいましたので、交流をいただきました。ミッションスクールで「聖書」も教えておられましたし本当にしっかりした青年であり、大人でした。すてきな伴侶にも恵まれ、これからもとても楽しみにしております!ただ祈りの課題の「終末を生きる」という言葉は気になりました。45文字なので言い尽くせないのは確かですし、確かに「終末」に向かって生きるし、今の時代に対する緊張と責任感はわかりますが、この言葉だけだと「脅す」言葉として理解される可能性がありますね。この「祈りの課題」は先も述べたように45文字という制約があるにも関わらず「あれっ」という思うことがよくあります。それで心配したりすることもあるおじさんです。祈りの課題は以下です。①終末を生きる全世界の教会のために。②戸塚駅東側での宣教が実を結ぶように。③求道者がバプテスマに導かれますように。牧師:堀野浩嗣

2020年06月03日

6/6 フィリピ3章12-21節

今日は私の誕生日♡所沢にきて8年目に入っておりますが、あれから7歳も年をとったと思うとびっくり。でも所沢教会の方々は7年前と変わらずお元気にされている方が大勢います。するべきこと、したいこと、たくさんあっての日々です。すばらしい所沢教会の方々と共に喜び楽しく仕事をさせていただけるのは何という恵みでしょう。コロナ太りで、同居のリリさんやノエルさんからは散歩につれていってあげると言われるのですが…、つい億劫で。まぁ、がんばります。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 鎌倉台伝道所。鎌倉市大船6-9-29 ミズノビル302にあります。この教会の岡坂牧師は建築か設計の仕事をしながら牧師としても働いておられると記憶しております。所沢教会の前の道は「鎌倉街道」なので、ここをずっと歩いていけば鎌倉に行けるのかなぁ、といつかチャレンジすることを夢見ております。でも、本当は前の道を「教会通り」と名付けたいとずっと画策しております。祈りの課題は以下です。①高齢者の健康が守られますように。②集う人に信仰の確信を願い。③キリストにある教会形成を求め。牧師:岡坂建史

2020年06月03日

6/5 ローマ書13章8-13節

今日はN・Mさんのお誕生日おめでとうございます。高齢で一人暮らしが難しくなり、今は北海道におられます。毎日、ディサービスに通って学んでいるのが楽しいとのことです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 洋光台キリスト教会。横浜市磯区栗木1-22-3にあります。この教会は3度行ったことがあるのです。学生時代にこの教会でコンサート集会があるのですが、マイクスタンドがない、ということで、当時のT教会牧師より「坂本くん、行ってくれないか」というので、マイクスタンドを持って行きました。2度目は特別集会にお招きを受け、天城山荘にいくついでに、立ち寄り、打ち合わせ。そして次は礼拝での宣教等のご奉仕をさせていただきました。若い方々が多い印象で、そのときも若い方々との讃美歌を多くいれた集会でした。みんな元気かな?その後、面白い話があるんだけど、あんまり誰にも言えない話なので、尋ねられたらこっそり教えて差し上げます。現在の牧師は文章が上手で感覚の鋭いすばらしい方です、でもとっても優しい方です。祈りの課題は以下です。①転換期の今、み言葉に養われながら、開かれた教会として地域に根差した歩みができるように。牧師:萩原永子、協力牧師:蛭川明男

2020年06月03日

6/4 Ⅰコリント17章1-9節

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 港南めぐみキリスト教会。横浜市南区日野南5-33-21にあります。この教会は会堂が新しくなったころ、お伺いしたことがあります。そのころは宮崎にいたので、家の多さと近くを走る1号線(だったっけ)の勢いにくらくらとしました。ご近所の方々みなさん、教会にぜひ行ってください。祈りの課題は以下です。①教会員の高齢化への将来の対応。②新住民が教会に足を運ぶように。③駐車場が整えられるように。牧師:古家良子・古家克務

2020年06月03日

6/3 使徒言行録17章1-9節

本日はM・Yさんのお誕生日おめでとうございます。いつも遠いところから通ってくださり、多くのお働きを担ってくださっています。コロナが収束して再び教会に来れますように。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 横須賀長沢キリスト教会。横須賀市長沢1-31-1にあります。この教会の真人牧師は私が学生時代に通っていたT教会のとき、まだ小学生で走り回っておりましたが、今は立派に成長され何よりです。ご夫妻は東日本大震災のとき、被災地におられて多くのご苦労をされたことと思います。祈りの課題は以下です。①教会員の信仰と健康のために。②今年度の教会活動が導かれますように。③コロナ感染が終息しますように。牧師:大須賀真人・大須賀綾子

2020年06月03日

6/2 使徒言行録13章1-3節

本日はT・Nさんのお誕生日おめでとうございます。今は高齢者施設に入所されておりますが、日々の健康が守られますように。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 藤沢バプテスト教会。藤沢市本鵠沼5-10-29にあります。この教会の元祖サカモト幸子牧師は教会教育などが専門で東京バプテスト神学校などで教えておられます。祈りの課題は以下です。①「聖書教育」を中心にCSと礼拝による教会形成。②バプテスマ者が与えられるように。③高齢者・幼子・長期欠席者のために。牧師:坂元幸子

2020年06月03日

6/1 使徒言行録11章1-18節

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 湘南台バプテスト教会。藤沢市湘南台1-11-8にあります。逗子や湘南や横須賀は私あんまり行ったことないのです。鎌倉あたりにはコロナが終わったら行きたいと願っております。連盟の一部の中では、坂元先生と私を区別するのに、元祖サカモト、本家サカモトと表現される場合があります。知っていたら役立つかもしれません。祈りの課題は以下です。①コロナウイルス収束のために。②エレベーター設置のために。③高齢者の方々のために。牧師:坂元俊郎

2020年06月03日

5/31「ペンテコステ~いのちの言葉」 使徒言行録2章1~13節

本日はペンテコステ礼拝を覚えております。ペンテコステはクリスマスやイースターと並ぶキリスト教三大祭日のひとつとしてキリスト教の中で伝統的に守られてきました。キリスト教会が世界ではじめて生まれた時です。50年前後の初代教会は5旬祭、ペンテコステ礼拝をすでに特別な日として守っていたことがわかるのです。

 ペンテコステはギリシャ語で第50日目を意味します。これは旧約聖書の中では7週の祭りと呼ばれていた祭りに起源を持ちます。 小麦の初穂を主にささげた日から数えて49日、7週が過ぎて穀物の集会を感謝する刈りいれの祭りでした。その後、旧約聖書の歴史の中では。出エジプトの出来事と関連づけけられるようになりました。出エジプトから50日目にイスラエルの民はシナイ山につき、いわゆる十戒を神から授けられたという日になります。その意味ではペンテコステは神の言葉が与えられた日、それが新約において新しく始まったキリスト教会の始まりの日、言葉が与えられてそこに集っていた人々が語りだした、言葉の記念日なのです。
 
 使徒言行録では1章3節以下を見ますと、復活後のイエスが40日にわたってかつての弟子たちにあらわれたこと、そして「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく、聖霊による洗礼を授けられるからである」、また「あなたがたの上に聖霊が降るとあなたがたは力を受ける。そしてエルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土、また地の果てに至るまでわたしの証人となる」という言葉を残して天にあげられ、イエスは人の目には見えなくなったという記述がありますそしてそのあと「彼らは皆、夫人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた」
 
 そして、そのように祈っていた民に聖霊(神の力)がくだるのです。その祈りの内容は聖霊のバプテスマ、自分達の思いや考えをこえて授けられる神の働きを待望する祈りであったと共に、彼らは主イエスの語られた言葉や業、そして十字架上で殺されてしまった、しかしその主を神が復活の命を与えたこと、それらの一連のことを、ひとつひとつ整理し、それぞれが思っていたこと、自分にとってイエス・キリストとはこのような存在であった、主はあのように、人々に関わった方、このような宣教をした方である、そのようなことを話し合いもしたことでしょう。そのような営みを通して、自分の言葉となっていくのです。

 主イエス・キリストがもたらせたもの、それに対して私たちはどのように歩んでいったらよいのか、という、まさに自分たちの信じ歩んでいくべきものの指針となる信仰告白が生まれるまでの祈りの期間であったのだと思います。言い方を変えれば、今の教会学校をしていたのです。

 ヨハネ福音書でイエスの告別説教でこういう言葉があります。「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊があなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起させてくださる。」とあるように、まさに聖霊がくだること、聖霊のバプテスマというのは、イエスの出来事が、自分の中で受け入れられ、イエスのもたらせた福音を自分の言葉で語りだしてゆくということであり、「信仰の言葉の記念日」なのです。そこに必ず聖霊の働きがあるし、見えない神の姿を、今直接には聞けない主イエスの言葉を、人が受け止めるとしたら、それはまさしく聖霊の働きによるものなのです。

 弟子たちはその朝も祈り礼拝をしていました。「一同が一つになって集まっているとき」にシナイ山で起こったことよりはるかに重大な事件が起こったのです。
 人々を神の民とする契約の更新、神ご自身に属する民を新たに召し出す出来事です。シナイ山で神の律法、十戒が与えられたとき「雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、角笛の音が鋭く鳴り響いた」「煙は炉の炎のように立ち上り、山全体が激しく震えた」と出エジプト記19章に記されていますが、新約において、新しい約束が与えられるとき「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」のです。

 それが祈りの中にあった者たちを揺さぶり、彼らの中に新しい命が生きだし、新しい使命に生きるものとされた、それが神の息吹であり、神の働きでありました。
 ここに教会が始まっていくのですが、それは何と響きに満ちていたことでしょう。そして「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
 主の霊が与えられ、彼らは「話し出す」のです。それは「神の偉大な業」であります。 この使徒言行録2章では、炎のような舌、とありますが、舌は「ことば」と同じ意味です。ですから人々の口に火があった、炎を吹いたということではなく、いきいきとした有様が伝えられているのです。そして火は神の臨在の印ですから、何より神の業を、あかしを語りだしたといえるでしょう。それも、世界中のさまざまな言葉でそのあかしが、宣教がなされたのです。

 新しい約束、新しい言葉、それは言語と民族の境界を超え、全地の民に向かって喜びの訪れをのべ伝えるものでした。この日を境に以後、将来にわたって、かつては弱く、自分の命を守るのに精一杯だった弟子たち、けれども主を裏切り、逃げていった弟子たちが「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」と聞く人の心にしみわたる言葉で語りだしたのでした。
 神のことば、救いの言葉、命のことば、イエスの言葉を語りだす群れ、全世界へと伝道していく群れ、神の言葉をあずかる教会がここに誕生したのでした。

 2節では「突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」。風は聖霊の働きをいいかえたものです。また神の息吹、神の息とも呼ばれます。その風は創世記に「主なる神は土の塵で人を形づくり、その鼻に息を吹きいれられた。人はこうして生きる者となった」とあるように、人が神の息、神の息吹によってその日新しく生まれたもの、新しい命に生きるものとなる、まさしく聖霊のバプテスマです。
聖霊は私たちを動かす風です。聖霊はわたしたちに言葉を与え、他者と語り合ってゆく力を与えてくださいます。

 思いを分かち合い、心通わせるための言葉が、人を殺す武器となることが起こっています。言葉が通い合わない時代です。言葉が相手を喜ばせ、励ますものではなく、相手を脅したり、相手をバカにしたり、差別し、憎しみのことばがあまりにもこの世界に満ちており、相手が何を言おうとしているのか真剣に聞かない、共感されるかと思えば、否定され、同じ思いにたつことができない、その戸惑いを自分自身も常に感じる者です。でも、それが良い状況でないのは確かです。
 ゆえに思いを相互に開いた心で受け止め合う言葉がほしい、イエスの語った言葉を、和解の言葉を、いのちを受け、いのちを与えることばを告げる教会に導かれることをペンテコステに願うのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟引退教役者の方々を覚えて。野村義雄氏(神奈川県在住)、浜崎英一氏(大阪府在住)

2020年05月31日

5/30 「聖霊の力③」 Ⅰコリント2章6-18節

 10節からパウロは「霊」の働きについて述べています。「霊」はいわゆる三位一体の「父・子・聖霊」の「霊」です。この「霊」というのがなかなか解りづらいことがあります。どうしても「霊」といえば、「幽霊」のようなイメージを持つからでしょう。
 聖霊である神、それ自身が「位格」(ペルソナ)の一つでありますが、その働きこそ特筆されるものです。聖霊は「神の息」、「神の風」の意味であり、例えば、笛に息が注がれる時に、その音を響かせるように、神の命の息が人間に吹きこまれるのがペンテコステであり、人間の生きる根源であり(創世記)、聖霊は「イエスは主である」という信仰告白を人間に与え、人間はその見えない風に動かされ、歩み出す力が与えられます。明日、5月31日は2020年のペンテコステですが、隠れ、閉ざされていた弟子たちが、世界に向かって、意味不明の言葉ではなく、和解の言葉、赦しの言葉を国や民族の違いを超えて語りだした日がペンテコステです。
 その日からキリスト教会はイエス・キリストの言葉を大事にし、言葉を生きる教会としての歩みが始 まりました。聖霊は、主イエスの言葉を想起させ、我らと共にうめき、伴い、万事を益となるように共に働く方であり、その命に私共も生かされ、教会をたてていくのです。
 私は常々「讃美歌」の働きの一つに「教育的側面」があることを言っております。讃美歌は告白であり、応答ですが、その言葉の中で「神はどのような方なのか」「教会とは」「クリスマスとは」、きりがありませんが、そのような教会が共有する信仰告白を歌うことによって教えるという面があるのです。
 では「新生讃美歌」(日本バプテスト連盟発行)から、聖霊に関して教えている言葉を見てみましょう。
「聖霊は、救いの業を証しして、暗きに住む人々に告げ知らせる力」「迷い、もがく我らを助ける聖霊」「聖霊はわが弱き魂を主のもとに導く」「かたくなな私の心をひらき、主の御心を告げ知らせる」「幻を与え、知恵を与える聖霊」「倒れしものには安らぎを与えて、いやす方」「わが渇きをいやす、砂漠の泉」「弱き身を強くなし、愛に歩ませてくださる」「われを砕き、われを満たす聖霊」等です。
 しかし、以上がすべてでもありません。より聖書の証言に近づくためには、まだ「新しい歌」が必要なテーマでありましょう。例えばガラテヤの信徒の手紙5章の「霊の結ぶ実(フルーツ)は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。」等の言葉をあなた自身の言葉で表現していくこと、そこに讃美歌が新しく生まれる可能性があります。また、聖霊は時に個人的な所有物のように考えられてきますが、よりダイナミックな教会をうみだし、語りだし、奉仕へと向かう力にも目を向けていきたいものです。
 今日の箇所をもう一度見直してみましょう。聖霊の働きはここで、「神の深みのきわみを教え、判断させるもの」とあります。この世にあって、私どもは「神の真の知恵」を求めていきたいものです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟医療団。京都市で「総合病院 日本バプテスト病院」「バプテスト老人保健施設」「バプテスト居宅介護支援事業所」「バプテスト訪問開度ステーション しおん」を運営しております。祈りの課題は①隣人愛も基づく医療実践のために。②地域に提供する医療・看護・介護・福祉の質の向上のため。理事長:尼川龍一、牧師・チャプレン:宮川裕美子

2020年05月30日

5/29「聖霊の力 2」 Ⅰコリント2章6-18節③

 当教会では先週から個人での礼拝や家族での礼拝に用いられたらよいと思う「礼拝ビデオ」配信を始めています。とにかく初めてのことですし、自分の姿や言葉を見聞きすることは自己嫌悪になります。「恥は我がもの、栄光は主のもの」と常に考えておりますが、イエスさまごめんなさい、という感じ。
 31日配信分は、金曜に宣教と、ピアノを弾いてくださる方がこの日は大丈夫ということで、録画を予定しております。「教会通信」も発行しております。
 昨日は泉町町内会の総会資料を印刷しました(この文書を書いているのは木曜午前中です)。560世帯、両面10枚プラス片面1枚、約6千枚を印刷。我らの泉町自治会長である藤澤氏も町会総会に向けて頑張ってくださいますが、資料の半分くらいはデータを持っていることもあり私が作成しております。と、やったことをアピールしました。泉町に立つ教会と町内会との良い関係の継続は、必ず良い地域とのつながりを生み出していくと考えております。そんな折、宮崎県西都市の信仰の仲間からスイートコーンが届きました。感謝です!
 私が「古墳好き」であることをある時、当教会で宣教をされた高崎教会の森牧師に暴露されました、プンプン!そーいえば今、品川教会の牧師をしている臨在牧師には一緒に遊んだ積み木の話も暴露されたりしました。
 「古墳好き」になったのは、宮崎にいたころ、宮崎県西都市は古墳がいたるところにあり、そこで学んだことが基礎になっております。所沢教会の方は坂本が教会境内地に「前方後円墳」をつくるのではないかと心配されている向きもありますが、まぁ、つくるなら「円墳」くらいかな。でも教会だからといって、敷地内に墓をつくるのは、いろいろな規制があり、難しいのです。お寺や教会で敷地内に墓地を持っているのは、昭和20年代にすでに墓を持っていたところだけです(あるいはよっぽど広い敷地がある)。
またつらつらと余計なことを書いてしまいました。

 昨日、パウロの人間観として三種類の人間を想定されているという田川先生の言葉をお示ししました。パウロ先生がこう言っているからと真似はしなくてよいのですが、人間は人との関わりの中で、いくつかの類型を持ち、対応を考えるのが常です。たとえば「お願いすれば、思いをくみ取ってきちんとする」「返事はよいけど、あとはあまりやらない」「考えが昭和的な発想」「だいたい聞いても忘れる人」「他の人に責任転嫁する人」、これら例はそのような傾向があるということでしょうし、そう考えることがある面で「人間関係形成力」にもなります。
 そのような中で、教会という交わりの中で、亡き父がよく言っていたのが「霊を見分けよ」ということでした。「霊を見分ける」こと、それはある人が話したり、提案したり、相談される時、その根源の思いがどこにあるのか。教会をたてる思いか、自分の立場を守るためか、誰かを非難したいためか、本当に伝えたい事柄は何なのか、その「言葉」の根底にある思いを知ろうとすること。教会という関わりの中では、その思いが「主イエスはそれに賛同されるだろうか」ということを考えつつ、キリストの栄光をたたえるために、キリストの光をいただいてる教会の働きはどのようなものがふさわしく、主を賛美することかと常に考えることが大事です。
 そして、教会、特にバプテスト教会は、ひとりひとりの意見を大事にしますし、どの働きも教会の祈りと承認があってできるものです。個人的な奉仕は感謝して受け止めること、ただし、費用の発生が伴うものや、大きな変更は執事会で考え、判断してゆくことになります。それぞれの違いや、能力や、強さ弱さ、性格、それらを否定や、拒否するのではなく、互いに慈しみ、愛して、協力して。そして、願いはキリストの教会をたてていくこと、宣教すること、互いに喜び、育ち合っていくことなのです。今日はH・Kさんのお誕生日おめでとうございます!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟派遣 国際ミッション・ボランティア(IMV)佐々木和之氏のルワンダでの活動を覚えて。祈りの課題は①主にある平和と和解の働きが絶えることなく続けられるように。②アフリカで新型コロナウイルスの被害が拡大しないように。 

連盟 アジア・ミッション・コーディネーター(AMC)伊藤世里江牧師のシンガポールでの働きのため。祈りの課題は①コロナウイルスを恐れ過ぎず、日常生活を大切にしていけるように。③多言語での礼拝の祝福。伊藤氏はバプテスト シンガポール日本語教会牧師をされています。

2020年05月28日

5/28「聖霊の力 1」Ⅰコリント2章6-18節②

 人間に真の「知恵」があったならイエス・キリストを十字架につけなかった。愚かな人間の知恵は人を殺して自分が生きようとした、自分が生きるために人(ここではキリストのことですが)を殺す、それは決して「殺人事件」に至らずとも、人間は心の中で人を殺していることがどれほどあるでしょう。でも、自分が邪魔だ、うるさい、目障り…そのようにして心の中で殺しても、その人自身がそれで幸せになるかといえば決してそうではありません。主イエスを殺すこともそうでありました。また、私どももイエス・キリストを心の中で殺しているのかもしれません。
 9節の括弧内の言葉、それはイザヤ書52章15節、64章3節、65章17節の言葉をパウロなりに表現した言葉です。何度も言うように、パウロは旧約聖書七十人訳を持ち歩いていたわけではありません。記憶を頼りに語っているのです。しかし、パウロの中には確固として、旧約の預言が現実にイエス・キリストとしてあらわされたとの思いがありますし、それは私自身も同感いたします。
 十字架上で人間に殺される神!それは人間の思いを遥かに超えたものでした。人間がつくる神ならば、決してそのような神にはしないでしょう。なお、この括弧内の引用について、青野先生は「イザヤ52章15節、64章3節などの反映があると思われるが、グノーシス主義者たちが用いていた二世紀のトマス福音書の語録17に類似の文言があるために、パウロの論敵たちが用いていた文書からの引用の可能性もあろう」としております。私としては時間の違いもあり、むしろパウロの言葉が逆い意味を違えて用いられたと感じます。ちなみに田川先生はと思って調べると、おう、私と同じような見解でした(ただし、田川先生は様々な書物を実際に調べているので、私の水準とは異なりますが)。
 先にもう一箇所出てくる16節の括弧の言葉。青野先生の訳では「だれが主の思いを知り、主を教えるというのか」。この言葉はイザヤ書40章13節(七十人訳)の引用です。人間は教えられなくても神の霊のみが伝えるという内容です。
 今日はさらにもう一点を途中まで扱いましょう。14節の「自然の人」、田川先生の説明を借りれば、「直訳は単に『生命的な人』。つまり「生まれながらの人」(口語訳)、新共同訳の『自然の人』も良い訳。パウロの人間論は、おおざっぱに言えば三種類あって、肉的な人、自然的生命の人、霊的な人である。『肉的な人』は、パウロにとっては否定的な、良くないあり方をしている人間、『肉』という原理によって支配されている人間である。その反対が『霊的な人』。それに対し『自然的生命の人』は、どちらかというと中立的であって、単に生まれてそのままの、自然的生命を生きているだけの人間。」としております。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟「回転資金委員会」。連盟の回転資金は教会の土地取得や会堂建築等の際して低利で貸し付けるものです。教会や寺社、学校等は銀行からお金を借りるのが大変難しいのです。土地等が駅近くの一等地にあっても、担保にならない。以前、理由として聞いたのは教会やお寺等が支払い出来なくなった時には土地等を取り上げると、世間から銀行が文句言われるとのことでしたが、どうなんでしょうか?そのようなこともあり、連盟内部で資金を持ち、貸付を行う制度があることは大変評価すべきことで、日本バプテスト連盟のすばらしい点のひとつです。他にも、連盟は神学生への奨学金が充実している点、みんなが心合わせて運営をになっていること、みんながとてもこのつながりを愛し、大事にしていることは、いつも嬉しく感じています。さて、この委員会の祈りの課題は、①必要を満たせる資金であるように。②老朽化の備えの一助となりますように。③教会等の祈りで歩む委員会活動に。委員長:二見眞義(浦和教会員)

2020年05月28日

5/27「真実を求めて」 Ⅰコリント2章6-18①

 2章のはじめでは「知恵」で語ることができなかった、1章では「世は自分の知恵で神を知ることはできなかった」「神の知恵であるキリスト」と、「知恵」という言葉はその時々において、文脈で判断する必要があります。
 今日の6節で「わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります」とあります。ここでの「知恵」は後の「神秘としての神の知恵」と展開されていますが、青野先生は。「信仰に成熟した人たち」を「完全な者たち」と訳し、注釈として「この言い方うぃ、パウロは何の留保もなしにではなく、むしろある種の批判をこめてしている」と言います。ところが対して田川健三先生は「(たとえば岩波訳など…パウロを護教しているのか、自分の陳腐な『信仰』をパウロの中に読みたがっているのか、どちらかわからないが)にとっては、自分たちの気に入らない『グノーシス的』な用語を聖者パウロが用いるなどあってはならないことなのだ…」と批判しております。田川先生は「完全な人」の言葉の規定をコンツェルマンの「信者の中のより高い水準の者」という説に賛同しています。キリストの真理を知っているような顔をして知らないコリント教会の人々への批判的な言葉か、あるいはちゃんと解っている人にはちゃんと語るのだ、とするのかということになります。私は田川先生に賛成するかな。
 そしてパウロは、「隠された神の知恵としてのキリスト」、それは世界創造の前から定められていた知恵である、と。このことは例えば、ヨハネ福音書の冒頭等で「ロゴスキリスト論」で見ることができますし、探せば福音書の中にあったと記憶しております。そして、特に世界が始まる前から定められた、という文章はキリストの神性を否定する人々の存在があったと思います。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> バプテスト北関東地方連合。日本バプテスト連盟に加盟している教会・伝道所で北関東(埼玉、群馬、栃木、茨城、新潟)地域でのつながりとして連合を形成しています。当教会もこの北関東地方連合に加盟しております、21教会の連携は密で、牧師・主事研修会にもほとんどの教会・伝道所から出席されて共に学んだり、情報交換をしております。先週土曜は連合役員・委員長会がウェブ会議で行われました。20年度は多くの活動ができませんが、この機会にそれぞれの教会がウェブ会議で参加できるシステムをつくることなどが決まり、諸教会に通知し、承認を得て進める方向です。祈りの課題は以下です。①新たに連合会長に選任された森淳一会長を筆頭とした連合新体制と連合諸教会の連帯及び協働を覚えて。会長:森淳一(高崎教会牧師)

2020年05月27日

5/26「貧しき言葉が主の言葉に」 Ⅰコリント2章1-5節③

 昨日、パウロの最初のコリント訪問と宣教開始にあたって、衰弱と恐れとおののきがあったことを学びました。だからと言って、コリントにやってきてその働きをしないわけにはいきません。パウロは語ります。「わたしの言葉も、わたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。
 つまり、人間的な説得しようとする努力や、巧みな話術、人を感動させようとする工夫、それらを用いる力やそのように準備する力はパウロにはまったくなかったのです。パウロはただ、自分が見て、聞いて、今、支えとなっているその福音を何の装飾も余計な言い回しもなく、語ることできなかったのです。
 それはパウロ自身にとっては「失敗」「準備不足」と思われ、きっとパウロは自己卑下にも陥ったことでしょう。そのような体験を師や伝道者は何度も重ねざるを得ません。
 このような話を思い起こします。ある牧師が病気で休職し、しばし故郷の教会に行きました。そこで彼にはもう一つの祈りがあり、彼の兄弟を誘って、キリストの福音を知ってほしいと願っていたのです。ところが、故郷の教会はちょうど、専任の牧師はなく、ある老引退牧師が宣教にあたっていました。その内容は毎週、毎週、イエス・キリストの十字架と贖いを語るものであり、「こんな話で私の兄はさっぱりわからないだろう、もっと鼓舞され、わかりやすい話をしてほしいものだ」と休職中の牧師は思ったそうです。ところが、約一か月後、その兄は深い感動をもって、強い気持ちをもって、イエス・キリストを信じていく信仰を与えられたのです。休職中の牧師は自分の傲慢を示されたと言っていました。
 別の話ですが、ある時、牧師仲間数名で「あの先生の宣教は…」という話になりました。そういう話題は牧師仲間では割と盛り上がるのです。その話をしていた中で、ある牧師がつぶやいたのです。「私は何が良い説教とか、何が悪い説教か、とか、そんな判断はもうやめたのです」と。もちろん、み言葉を語っていない説教というのではなく、みな、真剣にみ言葉を追い求める説教であるのは当然であり、その信頼は前提ですが。でも私どもはハッとしました。

 人間の限りある言葉である「宣教」を主の言葉とならしめるのは、聖霊の働きでしかありません。もちろんすべての人が「良い」と感じる説教はないかもしれません。でも聖霊が働き、その言葉が、ある人の心に深く届くこともたくさんあるのです。牧師は落語家ではありません。言葉を真実に主の言葉としてくださるのが聖霊であり、さらに、もう一つは教会の祈りであります。牧師のために、求道している方のために、また教会員のための祈りがなくてはみ言葉は実を結ばないのです。聖霊と宣教と祈りが結ばれることが大事なのです。
 パウロもそうでした。力ないと思う言葉でありましたが、そこに聖霊が働き、神の力が働き、まさに「主の言葉」としてコリントに集った人々に響いたのでした。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 逗子第一バプテスト教会。神奈川県逗子市逗子3-3-13にあります。昨年度から杉野牧師が就任しております。杉野牧師は神学生時代、私が牧師としておりました福岡有田教会の祈祷会に参加してくださいました。日曜は遠くの教会で学んでおりましたで、水曜は当教会で共に祈った方です。元々は中学校の教師をしておりましたが、50歳位で辞められて牧師になる思いが与えられて神学校に入学したのでした。もう長い信徒生活もありましたし、ある意味、面白いみはあまりないけど、それ以上に堅実でとても安心な神学生でした。前任の平塚教会でも良い働きをされたと思いますし、多くの苦労もされながら歩み、その経験を今の教会でいかされていると思います。祈りの課題は以下です。①「礼拝~集中と拡散~」②高齢者の信仰と健康に祝福を。③教会組織70周年、感謝。牧師:杉野省治

2020年05月26日

5/25「恐れとおののき」 Ⅰコリント2章1~5節②

 パウロが最初にコリントにやってきた時のことを振り返っています。「衰弱していて、恐れにとりつかれ、ひどく不安でした」と。「衰弱していた」はガラテヤの信徒の手紙4章13節にあるように、病気であったのです。その後、マケドニア経由でコリントに来たのですが、その後遺症を引きづっていたのです。

 パウロはその書簡の内容から、いくつもの病があったと推定されています。一つは「眼」の病であり、ある時から視力が大変におちてきたのです。また「偏頭痛」がありました。それが襲ってくると、もういても立ってもいられない程でした。パウロが自分に与えられた「肉体の棘」という言葉を用いておりますが、棘に刺されるような頭痛があったのです。今日の箇所にある病ははっきりはしないのですが、各地を旅行するということは、それぞれの地域での風土病や感染症、まさにコロナ感染のようなものだったのでしょう。その病を引きづってコリントにやってきた、その肉体的な病が衰弱を与えておりました。
 「恐れ」と「不安」(青野先生は「おののき」と訳す)。「恐れとおののき」はパウロは他の箇所でも用いておりますし、それは私もまったく同じですし、多くの同労者も同じだと思います。

 牧師がみ言葉を取り次ぐとき、それは、何より、自分の経験や体験を語ることではなく、「み言葉」つまり、神さまの言葉を人々に知らせる、ある意味、「翻訳」することになります。自分が聖書から聞いたこと、そして、大事なこととして語る時、まず、誤りを語ってはならないので、調べます。翻訳をみて、疑問が起こるときもたくさんありますので、その折はギリシャ語原文にさかのぼる必要もあります。それから、この箇所についてのさまざまな解釈を知る必要もあります。この時はいわゆる「註解書」をいくつか読みます。それから、文脈や当時の世界や、そこで語っている時の生活の座はどのようなものだったのか、と考えていきます。
 バルトという神学者は「右手に聖書、左手に新聞をもって語れ」というようなことを言っております。そのみ言葉が、現在の現実の中でどのように語ろうとしているのか、それを求める時は、一つは社会情勢があり、もうひとつは、教会で出会う教会員や求道者している方、それらの言葉や祈り、相談されたこと、そのようなことをつなげながら、次第に大きな塊ができてきます。それを「発酵」させる時間が必要になります。ぶくぶくと発酵が強いものがでてきます(これはまさにスピリット)。
 その発酵過程を1~2晩経て、あとは一気に書き上げるのですが、一気といえども、毎週原稿用紙でいえば10~15枚程度になります。10枚だと語る時間は25分前後、15枚になると40分前後になるので、原稿量で大体語る時間がわかります。
 ゆえに礼拝の前に司会者や奏楽者と打ち合わせするときに、「今日はちょっと長くなるので、説教の終わりは12時少し過ぎになるかなー」等と言います。礼拝の終わりが遅くなるのは、「証し」や「アピール」や「特別プログラム」が入ると長くなりますし、もちろん、それを想定して用意するのですが、どうしても延びる時は延びます。
 そうして、準備するのですが、さいごのさいごまで不安です。できるものなら逃げ出したいと、常に思っております。直前に言い足りぬところ、展開が悪かったことなど、気になることがでてきます。神さまの言葉を伝えるという重さに打ちのめされそうになります。
自分の教会(ちょっと言い方悪いね、私を招聘し信頼し、たててくださっている教会という言い方が正しいね)では、基本的な信頼関係がありますので、まだよいのです。
 ところが、はじめての教会とか、講演会、葬儀などでは、知らない人がほとんど、特に葬儀や講演等では。誰がどのような思想や信仰をもっているのかわからないのです。中には「反キリスト教」のような思いを持っている人がおり、中には他宗教の方もいるでしょうし、中にはキリスト教関係の研究者等もおります。このときはまるで「針のむしろ」に立たされるようですし、何より「言葉が通じるだろうか」とも思います。不安や恐れ、自分の足りなさ、そしてもしかしたらすごく読み間違えをしているのではと不安になるのです。
 でも、あとは主に任せるしかありません。自分の足りない、不十分な働き、薄い言葉、でもそのみ言葉の種に命を与えてくださる神さまの働きを信頼していくほかはないのです。終わったらとりあえずほっとします。比べるのには大変申し訳ないのですが、カラヤンという指揮者の弟子として学んでいた人の言葉なのですが、カラヤンはコンサートが終わり、そして、やっとゆっくり食事をするのだそうです。でもその日のコンサートの話はしたくないような雰囲気だったと言います。全力を尽くしてきて、終わった。それは個人的にはいろいろな思いがあるのでしょうが、コンサートが終わったすぐは、もうそんなことはとりあえず忘れたい、今は話題にしたくない、そうしないとゆっくりできないのですね。その本を読みながら「私も同じ」と思いましたが、もちろんカラヤン大先生とは天と地ほど違うので。
 教会の皆さんによって祈り支えられ、礼拝の務めもできるのです。ただし、教会の礼拝は牧師の講演会でもなく、説教を聞く会ではなく、礼拝に集った人々が、心合わせ、祈り、讃美歌を歌い、互いの顔や心を確かめ喜び合い、み言葉に耳を傾け、そして、精いっぱいの讃美歌をささげることであり、礼拝を礼拝とするのは、教会をつくるひとりひとりの信仰なのです。人が集うこと、準備された祈りや奏楽、宣教、司会、生花、光、椅子、掃除、受付の対応、挨拶、すべてが合わさって、かみあって、礼拝が行われるのです。

 そして、何より教会のメンバーは礼拝にきたお客さんではありません。教会員はみな、礼拝をつくり、礼拝へと人々を招くホストなのです。これは常に言い続けたいことであります。
 はい、10時頃から初めたこの作業も、もう11時半。あとはまた明日。おなかもすいたでしょう。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 平塚バプテスト教会。神奈川県平塚市豊原町4-5にあります。1947年に始まった歴史ある教会です。戦後に南部バプテスト連盟の支援でたてられたコロニアルスタイルの教会です。ここもまだ行ったことがないの。昨年から就任されている平野牧師は割りと若い先生です。「子ども食堂」等の取り組みをされています。祈りの課題は以下です。①礼拝再考:日々新しい礼拝者に。②子ども食堂:地域と共なる教会。③創立70周年:協力伝道に感謝。

2020年05月25日

5/24「福音の拡がり」 使徒言行録8章1節後半~8節 「聖書教育」と同じ個所

 来週日曜、31日は「ペンテコステ」です。キリスト教の三大祭、「クリスマス」「イースター」「ペンテコステ」です。
 「祭」を時々誤解している方がありますが、宗教的な儀式を「祭」と言うのです。「祭日」という言い方がありますが、日本の「祭日」は明治以降の国家神道の儀式に沿って、その精神を受け継ぐようにと定められたものが、戦後に残ったり、復活しております。ゆえに、「祝日」という言い方がふさわしいものです。
 それはさておき、ペンテコステは「聖霊降臨日」と言われ、主イエスが復活し、その50日目(7×7=49、の翌日)に、聖霊が注がれ、キリストの福音を弟子たちがこの世界に向けて語りだしたという「教会の誕生日」であり、また「言葉の記念日」です。
 今日の箇所は、教会がエルサレムで生まれた後の話ですが、元々、イエス・キリストは政治によって処刑された人です。その弟子たちも当然危険視されますし、そこで、教会の中には安定のために政治にすり寄る力と対抗する力(対抗文化として)があったようです。
 今日の箇所にも「迫害」という言葉がありますが、主イエスの処刑に対して、民衆の力も影響したように、政治の方向性と共に、民衆の中で不法に、また不満のはけ口として、人間が元来持つ、差別的意識により、それら迫害も生まれていきました。そこにすでにユダヤ教と、新たに主イエスによって更新させられた約束との違いや対立も鮮明になってきました。
 教会は「迫害」に会い、はじめての殉教者ステファノはまさにリンチ(私刑)されたのです。教会の一部の人々はエルサレムに居続けることができず、各地へと逃げていく、散らされていきます。教会の中でも親政府(=親神殿)に近づく者はエルサレムに残ることができました(もちろん、ただ権力にすがりついたという話でもなく、多くの厳しさもあります)。
 そして、主なる神は「散らされた」ことは、「敗北」ではなく、福音が世界に広がってゆく契機とされたのです。そこにすでにユダヤ教の枠ではない、世界に向けられた救いを主イエス・キリストがすでに語っていたゆえであり、まさしく福音の力であります。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 座間・バプテストキリスト伝道所。神奈川県座間市入谷東3-42-10にあります。1976年から開始しました。祈りの課題は以下です。①礼拝参加者が増し加えられますように。②礼拝参加者の健康が守られますように。③奏楽者が与えられますように。牧師:内藤玲緒奈

2020年05月24日

5/23「十字架につけられたままなる主」 Ⅰコリント2章1-5節①

 ここでパウロは自身がコリントで伝えた事柄を重ねて伝えています。「兄弟たち」という言葉については10節の箇所を参照。「神の秘められた計画」は青野先生は「神の奥義」、田川先生は「神の秘儀」と訳します。「奥義・秘儀」いずれも「ミューステリオン(ギリシャ語)」という言葉。英語のmystery ミステリーは、ギリシア語の「ミューステリオン」を語源としており、神の隠された秘密、人智では計り知れないことを指しています。
 推理小説やテレビで「ミステリー」といえば、一つの事件が起こり、その真実を探し求める姿にわくわくするものです。そのように、神によって引き起こされた「イエス」という出来事の真実は何だったのか、と探し求めるのが神学であり、私たちにとっての信仰のあり様の一つです。なお、新共同訳での「秘められた計画」の「計画」は余計とは田川先生の指摘であり、まったくそうです。
 神のミステリー、それは今までにないような形で示された、そのことは何度もここで語ってきたところです。パウロが「優れた言葉や知恵を用いなかった」というのは、今まででてきた「しるし」「知恵」等であり、イエス・キリストを理解するためには、世の知恵や経験では量ることができない内容であるがゆえです。「神を説明する」試みではなく、パウロが伝えたいのは、この世界を歩み、語り、業を示し、そして、人間によって追いやられ、十字架に張り付けたられた「愚か」(のように見える)神の姿なのです。  
 そして、パウロは提示いたします。2節「なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです」。「何も知るまい」というのは少しおかしく聞こえますね。「語るまい」なら問題ないのですが。このあと、その時のパウロの精神的・肉体的状況が語られていますが、その自身の弱さの中で、どんな余計な言葉もいらない、ただ、十字架にある主イエスの姿がパウロに力と希望を与えたのです。
 まさしく、パウロの中に示された十字架上の主イエスの姿に、まさにパウロ自身が「釘付け」になったのです。パウロがこのことこそ、知るべきこと、そして、語るべきこととつかんだのです。「十字架につけられたキリスト」、この翻訳の問題を青野先生は生涯伝えてきました。ここは「過去形」ではありません。かつて、十字架につけられたことがある、のではありません。」
 ここでのギリシャ語は「現在完了形(アオリスト)」、その時の動作が今も続いていることを示します。いや、現実としては、金曜の夕方、主イエスは十字架からおろされています。しかし、主イエスはその苦しみを続けておられる、いや、私どもが見るべき、知るべきは、(私たちと共に苦しむために)今もなお、十字架にかけられたままなるキリストの姿なのです。見るべきは、愚かにも苦しみ給う主イエス…。
 明日は一日学びはお休みにして、この続きはまた月曜でも。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト相模中央キリスト教会。神奈川県東大和市中央林間4-24-6にあります。パイプオルガンが設置されている教会です。昔、古い会堂の時、訪れたことがあります。その日も会堂はいっぱいでしたが、今も多くの方々が集っていらっしゃいます。この教会の吉田牧師は、九州は、久留米のご出身。ご兄妹のことも語りたいのですが、個人情報に触れるといけないのでやめときます。とっても真面目で常に真剣で思いやりのある素晴らしい牧師であることは間違いありません。現在は連盟の副理事長として大きな働きを担ってくださっています。音楽主事の江原先生は連盟の教会音楽室室長としても多大なお働きをなさっています。私が大学生の頃、天城山荘でずっと行われたいた「連盟音楽研修会」ではじめてお出会いして、西南の神学生の時には福岡まで遊びにきてくださいました。江原先生は東京学芸大学(音楽・声楽)で学ばれた後、米国での教会音楽の学びをしています。そして、今に至ります(ずいぶんはしょりましたが)伴侶の方は映画を作成しており「ザ・思いやり予算」という映画はぜひ、各地で上映されたらと思います。この前、このご主人が「爬虫類」を飼っていて、逃げた話もお聞きしました。ずいぶんとでかいらしい。さて、この教会の祈りの課題は。①第二次中長期計画の検討と決定のために。②50周年記念誌発行と記念コンサート実施のために。③子どもと共なる礼拝に向けた新しいチャレンジのために。牧師:吉田真司、音楽主事:江原美歌子

2020年05月23日

5/22「誇る者は、主を誇れ」 Ⅰコリント1章26-31⑥

 パウロはこの章の終わりの言葉「誇る者は主を誇れ」。この言葉は旧約聖書エレミヤ書9章22-23節の要約的引用とされます。2千年前、パウロと言えども、旧約聖書を持ち歩いていたわけではありません。大変高価なものですし、量も膨大です。さらに、へブル語をギリシャ語に翻訳していた「七十人訳聖書」なのです。ゆえに、パウロの記憶の中から引き出したものですが、大事な言葉をよく覚えているパウロは実にすばらしいものです。
 世界最初の金属活版印刷は15世紀のグーテンベルクによります。1445年までに活版印刷技術を考案し、その機器の実用化に成功して、自ら印刷業・印刷物出版業を創設。金属活字を使った印刷術を発明したことで印刷革命が始まり、それが一般に中世で最も重要な出来事の1つとされています。
 活版印刷はルネサンス、宗教改革、科学革命の発展に寄与しましたし、後に「グーテンベルク聖書」と呼ばれる最初の印刷聖書「四十二行聖書」は1455年に完成しました。約180部を印刷し、多くは紙ですが、一部は羊皮紙に印刷されたのです。こうして、技術の推進と共に「聖書」は段々一般の人も読めるようになります。
 また1517年にルターは宗教改革を行いますが、ラテン語でしか許されていなかった聖書をドイツ語に訳しました。自国語で聖書を読むことができるようになる、それが目標でした。そして、今は、多くの聖書が様々な翻訳で読むことができます。教会員の中には複数持っていらっしゃる方もおられるでしょうし、私も翻訳の異なる聖書は10種類ほどあります。パソコンやスマホで読む聖書も、録音聖書もあります。そのような豊かな時代であることを感謝したいし、何より、持っているだけではなく、読むことが大事。さらには、聖書を持たない時、持てない時、み言葉を思い出すことができるように、覚えることをしてほしいです。
 それはさておき、「誇る者は主を誇れ」。また「栄光は主のもの、恥は我がもの」という言葉も教会で時折聞く言葉です。「自分が何かをなしえた」、「これは自分がやったのだ」と、自分の能力を誇りたくなるようなことがあります。しかし、多くのクリスチャンにとっては、「主の働きに参与すること」がすべての行動の出発点であり、自分の働きによって、すこしでも、主をほめたたえることができたら、それが一番の幸いなのです。
 最近召された藤沼昭彦先生。声楽家として、また武蔵野音楽大学の教授もされていたと記憶しています。大宮バプテスト教会員でした。この先生のある講義を聞いたことがあります。藤沼先生は、教壇で、私が讃美歌を歌うなんて、とても恐れ多い、この教壇や講壇の中に隠れて歌いたいと思っている、と語られ、実際に教壇の中に入って少し歌ったのです。その時、とても感動しましたし、忘れ得ぬ思いでした。
 「自分が讃美歌を歌ってやっているんだ」「自分はこんなに歌えるのだ」という人がごくたまにいます。もし讃美歌を歌えることができたら、主の恵みを思い、ふさわしくない者がただ許されて歌わさせていただくことでしかないのです。バッハという余りにも偉大な作曲家は楽譜の最後に常に「SDG」と書き入れていました。それは「神にのみ栄光があるように」という意味です。どんな素晴らしい音楽も自分が褒め称えられることではなく、主なる神が褒め称えられ、指し示すことができるように。そうでなければバッハの働きは無なのです。
 私どもの小さな業、ほとんどどんなことをしても、取るに足りないものでしかありません。でも、主のための働きが今日、できますようにと祈るのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 綾瀬小園キリスト教会。神奈川県綾瀬市小園南2-18-6にあります。1988年、ある教会の方がご自宅を教会にして始めたと記憶しております。この教会の牧師の名前は「礼」ですが、時々「札」と書かれるとのこと。「岩瀬札」ですね。「礼拝」の「礼」です。では「礼拝」での「礼」はどんな意味かというと、1 社会秩序を保ち、人間関係を円滑に維持するために守るべき、社会生活上の規範。礼儀作法・制度など。「礼にかなったやり方」「礼を失する」「礼を尽くす」2 敬意を表すために頭を下げること。おじぎ。「先生に礼をする」3 謝意を表すこと。また、その言葉。また、謝礼のために贈る金品。「本を借りた礼を言う」「世話になった人に礼をする」4 儀式。「即位の礼」、と辞書にあります。なるほど。礼先生はバプテスト会館で時々、お会いします。とても親しみやすい先生です。お近くの方、ぜひ、この教会をお訪ねください。教会の祈りの課題は①新来者・求道者が与えられますように。②地域に根差す伝道。③み言葉に親しみ祈る教会に。牧師:岩瀬 礼

2020年05月22日

5/21「義と聖と贖い」 Ⅰコリント1章26-31節⑤

 30節の最初の文。直前の「あなた方が選ばれた」の言葉を受けて新共同訳では「神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり」。
 ここを岩波訳(青野訳)は、「その神によってこそ、あなたがたはキリスト・イエスのうちに在る者なのである。そのキリストは、わたしたちにとって、神からの知恵、すなわち」と訳します。
 田川健三は「あなた方がキリスト・イエスにあるのは、神のおかげである。キリストは神の側から、我々にとっての知恵となった」。田川の注釈として「つまり、我々にとっての知恵と言っても、肉的な知恵(此の世的な尺度、領域での知恵)ではなく、神の側から与えられる知恵。とし、新共同訳を批判し、「新共同訳は『神の側から知恵となった』を縮めて『神の知恵となり』にした。わからないものは縮めてしまえ?」と厳しく批判しています。
 続く「義と聖と贖いとなられた」。「義」とはたとえば「神の義」等、多用される言葉であり、私が若い頃はあまりしっくりとしなかった言葉です。
 「義」は神との正しい関係性について言う言葉です。「義」は「ただしい」とも読みます。またこの「義」は人間が決められない言葉。「神が義、つまり、神が良い」ということを人は目指しますが、それを判断するのは神だけです。一方で、神はその愛と赦しにおいて、「あなたは生きよ、おまえはおまえでオッケーだよ」と言ってくださるのも、神の義のゆえです。
 つまり、私どもが神のためになしえること以上に、神が私どものためになさってくださったゆえに、キリストを通してはじめてつながれた関係性、それを神の義というのですね。
 「聖」は以前にも記しましたが、「聖とすること」です。神がご自分のものとして大事にしてくださることが聖とされること。これも人間は決めることはできません。「これは大変優れているものなので、聖なるものです」と人間は決められないし、決めてはなりません。神にとって「聖なるもの」は黄金の立派な燭台とは限らず、子どもが献げた5つのパンと二匹の干魚を聖としてくださるし、神殿でやもめが献げたレプトン銅貨は金額としてはわずかなものですが、主イエスは「この貧しいやもめは誰よりもたくさん入れた」と喜び「聖」としてくださったのです。
 「贖い」は、元来は経済用語で「借金や借財を、他の誰かが支払ってくれる」そのことを「贖い」と言いますが、主イエスによって罪が贖われた、人の罪を贖うのは主なる神いしかできない、それを行ってくださったのです。
 なお、青野先生は「義」「聖」「贖い」のそれぞれ三つの言葉とつながりは、パウロの独自の表現としてではなく、当時、すでに一つの定型として成立していたと予想しております。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> ふじみキリスト教会。神奈川県平塚市真田4-26-8にあります。現在の牧師である犬塚契先生は、割りと若い頃から知っており、全国小羊会キャンプでは、数年一緒にスタッフをさせていただきました。ある年の小羊会キャンプの時、「おさるさん」の着ぐるみを着て登場したときは、連盟も進歩したなぁと思ったものです。そして、何より、そのぬいぐるみを着たうえでの、軽い動きに、若くてすごいなぁ、と驚嘆したものです(私も着たかったなぁ)。先日、ある印刷物で契先生が写っていたのですが、ずいぶん腹回りも増え、良い言葉では「堂々とした体格」になりまして、時の移ろいを改めて感じました。祈りの課題は以下です。①礼拝者の備えと教会の霊的雰囲気。②地域へのよきインパクトのために。③シャローム子どもの家のはたらき。牧師:犬塚 契、協力牧師:犬塚 修・草島 豊

2020年05月20日

5/20「石が叫びだす」 Ⅰコリント1章26-31節④

 「知恵ある者に恥をかかせるため…力ある者に恥をかかせるため…地位ある者を無力な者とするため」という言葉について、数日前、わざわざ比較しなくとも、と記しましたが、これらの言葉は、神がこの世界に関わるときに、その秩序が変わる、人間の順位づけや、それまでの常識と思われていた世界が、新たにされるという、希望は旧約の時代から語られてきた内容であることを合わせて語ります。
 そして、ここには「知恵ある者、力ある者、地位ある者」は、一般的なエリートという意味ではなく、王や政治家、宗教的指導者など、国や民族を良き方向にもっていくべき存在が第一です。多くの場合、力や権力を手にいれると、国民のための政治ではなく、私利私欲を求める政治になっていくということへの批判なのです。
 思い起こしたのはマリアの賛歌「マグニフィカト」です。主イエスの母となるという告知を逡巡の時を経て受け入れたマリアの告白・歌。ルカによる福音書1章46節以下にあります。その賛歌の中でマリアは「主は思い上がる者を打ち散らし、権力のある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、餓えた人を良い物で満たし、富める者と空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐みをお忘れになりません」と。若い女性のマリア、その告白と主が行うことへの信頼は、社会変革のような言葉です。
 そして、「思い上がる者、打ち散らされる者、権力ある者を引き降ろす」のは、それら政治が真剣に神の言葉と人の言葉(特に苦しむ者)の言葉を聞いていないゆえなのです。それらの言葉は預言者等でも多くあり、主なる神は、王や政治家が馬鹿にする「愚か」「無知」「無力」と言われるような人々を用いて、主の真実が行われる、という意味なのです。
  国家や政治権力が、その委託されている力を正当に用いない時、主は、国家や政治権力が、騙し、追いやり、苦境にある人々によって新たにされること、それは国家や政治への警鐘であります。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大秦野バプテスト教会。神奈川県秦野市ひばりヶ丘1-15にあります。1949年の開始なので、すでに70年の歴史を持つ教会です。本年4月より日高龍子牧師が就任されました。龍子さんは、西南学院大学神学部で2年間一緒に学んだ方です。当時の印象は「のんびり、あたたかな、人を包む」ような方と感じておりました。その後、結婚された日高氏と共に、タイに連盟派遣宣教師として派遣されました。日高嘉彦宣教師はタイの神学校で旧約聖書等を教授し、龍子宣教師も神学校の働きや教会での働きをされました。今、息子さんが同じ北関東地方連合の役員としても活躍されていますが、お母さまのかつての印象をお伝えすると「いや」と印象は違う感じでしたが、タイや教会の働きの中でいろいろご苦労もされたし、お子さんはまた親子として違った印象を持つのも当然ですね。祈りの課題は以下です。①礼拝が豊かに祝福されますように。②信徒の賜物が用いられますように。③求道者が決心に導かれますように。牧師:日高龍子

2020年05月20日

5/19「人生というもの」 Ⅰコリント1章26-31節③

 創世記の創造物語で人間が神との約束を忘れ、神のようになる知恵を求めた結果、神から逃げる者となり、そして、隠れ、自分を覆う服(葉っぱであったが)を着ました。そして責任転嫁する姿は自分を何かで隠さなくては不安を抱くようになりました。しかし、神の前に何ら人間的な保証を必要としません。素のまま、それは醜い姿であるかもしれませんが、そのあなたを主は選び、導き、愛し、祝福しようとしているのです。
 バークレーは次のように語ります。「ブルトマン(20世紀を代表する新約聖書神学者、ドイツ)も言っているように、最も根源的な罪は自己主張、あるいは人に認められたいという欲望である。われわれは何事もなしえず、ただ神のみがすべてのことをなしたもう、という認識に立ったとき、はじめてほんとうの宗教が生まれるのだ。自分の弱さ、無知、無能、無力を知っている人間が、結局は強くて賢い人間であるというのは、生のおどろくべき真実である。自分ひとりで生きて行かれると考える人が、結局は、人生に失敗してしまうのは、経験上の事実である。」と。
 うん、ちょっと考えてしまうね。根源的な罪が「自己主張、人に認められたいという欲望」?私は多分そう言わないと思う。もう少し言葉を足さないと、「自己」が失われてしまうのではないでしょうか。むしろ、「自己絶対化」という、自分と異なる意見や批判に対して聞く耳を持たず、それらを拒絶することによって、自己を絶対化してしまう、と私は言うだろうし、多分そのような意味でブルトマンは語っているのだと思います。もう一つは「人生に失敗」という言葉。人に奪われたり、失敗させられる人生はあるかもしれないし、そのようなことを起こさない世界を創り出すことを求められるが、自らの人生を失敗とすることは有り得るのか、では「成功した人生」とは何なのか、と対話しつつ考えます。「自分の人生が失敗だった」という人がいるなら、ぜひ教会に来てほしいとも思います。いっしょに考えてみたいのです。
 付け足しですが、昨日「優れた人」「威厳を感じる人」等との出会いがあったことをお話しました。その時、もうひとつ、大事なことを語り忘れていました。それは、どんな人にも、痛みや悲しみ、過ちの過去があるということです。別の言葉で言えば、悲しみや痛みが、その人の人生を深くした、と言えるかもしれません。でも誰も「痛み」「悲しみ」をいただきたいと思いません。では、何故?と思います。命、祝福、苦難ということ。このことについてはまだ自分は確かに語りえないのです。あるいは、簡単に語ってはならないようにも思います。命の深さ。何と不思議な、何と稀有な、何と重い命。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 松本蟻ケ崎キリスト教会。松本市蟻ケ崎6-4-3にあります。この教会のことはあまり知りませんが、かつてこの教会の牧師をしていたJさんが「松代大本営跡(まつしろだいほんえいあと)」がすごい(いろんなニュアンスを含む)と言っておられたのを記憶しておりました。ウィキで調べると、こうあります。「太平洋戦争以前より、海岸から近く広い関東平野の端にある東京は、陸軍により防衛機能が弱いと考えられていた。そのため本土決戦を想定し海岸から離れた場所への中枢機能移転計画を進めていた。1944年7月のサイパン陥落後、本土爆撃と本土決戦が現実の問題になった。同年同月東條内閣最後の閣議で、かねてから調査されていた長野松代への皇居、大本営、その他重要政府機関の移転のための施設工事が了承された。」そして三ケ所に大変大きな地下壕がつくられていたのです。その一部は公開されています。私も一度、行ったことがあります。あの時代、すでに敗戦は決定的であったのにも関わらず、日本は何を守ろうとし、何を捨てようとしたのか。この地で働かせられた多くの人々の怒りと悲しみ、その声を聞いた、いや、迫ってくる、でもそこから逃げたような思いが今もいたします。

祈りの課題は以下です。①新会堂が今後の宣教に役立つように。②主の言葉に聴く礼拝が祝されるように。③大胆に神賛美ができるよう指導者を。牧師:川井高雄

2020年05月16日

5/18「破れ提灯」 Ⅰコリント1章26-31節②

 本当は毎日、10行くらいにしたいのですが、通常よりしゃべる機会が少ないせいか、えらい、おしゃべりになっていますね。今日は、雨の土曜です。来週のために書き溜めておこうと思い、そして、雨の音がすてきなBGMになってタイプしています。今日は、町内会長とふたこと、みこと。あとは宅急便の人に話したのと、ある方に電話したけれど、不在でしたので、留守電にしゃべっただけです。あとは、うちの犬二匹といつものように多少の喧嘩をして。と思っていたら、来客があり、少しの時間しゃべりました。
 いつも思い起こすのは「破れちょうちん」という言葉です。「提灯(ちょうちん)」。外側が破れた提灯、でも破れたところから、中の光があふれてきます。そのように。キリスト者も、外側は破れてしょうがなし、でもそこからイエスさまの光を輝かせたらいいんだよ、って。自分が光るのではなく、イエスさまの光を少しでも照らすことができたら、それが一番ですね。
 「提灯」といえば、思い出すことがあるのです。私がまだ幼い頃、私が育った教会に、教会の名前が書いてある「提灯」がいくつかあり、クリスマスイブには、その提灯をもってキャロリングに行くのです。なんせ、イブ礼拝が終わってからなので、幼い頃は連れていってもらえなかったのです。もう行ける、と思った日には、キャロリングは、車で移動するようになりました。なんか、頭の中で、提灯をもって、歌い歩く姿に憧れをもっていたのでしょうね。
 さてと、パウロは「あなたがたが、キリストに触れ、出会い、そして教会に来始めたとき、人間的にみて知恵のある者、能力のある者、家柄のよい者が多かったわけではないよね」と。その言葉がコリント教会で読まれたとき、みんなの反応はどうだったのでしょう。パウロを嫌がっていた人もいたわけですし、「何をパウロは言うか!私は違う」と反論した人もいたでしょうね。言葉にならずとも、心の中にその声が響いた人もいたことでしょう。
 そして、パウロがこう言っているからには、教会の中には学歴や家柄や能力を誇っていた人がいたことでしょう。「私はこのような人とは育ちが違うの」という人が。コリント教会にはユダヤ教出身者、商売等で裕福な人、ローマ市民権を得ている社会的階層が高いとされる人々、奴隷と呼ばれるような人々。その格差や差別の思いはそう簡単に乗り越えることはできず、社会での常識が教会にも投影されていたのは当然でしょう。具体的には「晩餐式、あるいは礼拝の時の様子として」また先の箇所に出てきます。
 その箇所を待たないでも、同じような内容のことを語っても、ある人の意見は無視されますが、ある人の意見は採用されるとか、何等かの役職につける人とつけない人が、その人自身を見ることではなく、社会的なレッテルで判断されていました。
 私がこの箇所から感じること。そして、私が出会ってきた人たちにはいろんな人がいました。いや、本当に優れた人、威厳を感じる人、考え方がすばらしい人。でも学歴や家柄を知らなくても、肌でそのすごさを感じました。たくさんいらっしゃるのです。後で学歴や職歴や家柄を聞くこともありましたが、それほど大事ではないなぁと思ってきました。逆に東大とか、京大を出たといっても、その方の言葉や所作がよくないと思うこともあったわけです。いわゆる「ふつうのオバちゃん」の言葉や行動に教えられることもいっぱいあります。「頭が良い人」っていうのは偏差値ではなく、「賢い人」なのかなぁ、って思っています。
 パウロは比較するなっていうのに、わざわざ、知恵ある者が恥をかくように、無学な人を選び…と対照的に語りますが、なんだろう、知恵があるから神さまと出会うのではなく、家柄が良いから神さまと出会うのでもないし。神の前に立つときは、すべて人間的な装飾も、レッテルもはがされるし、でも、その時に、人は純粋に輝けるのではないかなぁと思います。
今日はあと一言だけ。破れた中にこそ、光が輝く、それが主イエスの光。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大和愛宣教伝道所。この伝道所も松本福音村キリスト教会の伝道所です。神奈川県大和市大和東1-4-7 栄光堂ビル3階にあります。祈りの課題は以下です。①思いを一つにする教会になれますように。②信仰告白文をつくりあげられますように。③教会規約をつくりあげられますように。牧師:李 東柱、主事:郭 淑、協力宣教師:権 正勲

2020年05月16日

5/17「わたしの誇り」 Ⅰコリント1章26-31節

 「兄弟たち」とパウロは視線を今、その目の前にはいませんが、心の中に生きているコリント教会のメンバーに目を注ぎ語ります。この時、私どもは「所沢教会のあなたがた」あるいは「坂本よ」という言葉として読んでいただきたいものです。
 「あなたがたは」、当然その中にはパウロ自身もおります。パウロは時々、強気な、そして、威勢をはったような言葉を言うことがありますが、パウロは他者への批判をするときには必ず自己批判を含めているのは確かです。尊敬する青野太潮先生がいつも教えてくださったのは「自己批判抜きの(他者)批判はない」ということでした。そして、いつも自分自身、そうありたいと願っております。
 「ほら、思いだしてごらん」とパウロは言います。「あなたがたは、学びをして、経験を積み、何か自分がすべてを理解しているような気でいるかもしれませんし、そうして、自分と意見の違う人を拒否し、排除しているかもしれません。自分に何かの力や知恵があるように思って、その思いこそが、確かなものだと過信して語っているのではないのですか」と。そして「はじめの時を思い出してください」と告げるのです。
 「はじめの時」。そこにはいろいろな出会いがあったことでしょう。何も知らず、教えられて、学んでわかってくるのです。ある程度わかったから、もういい、という人もたくさんいます。教会、特にバプテスト教会でよいと思うのは、信徒(牧師含めて)は、平等の資格・身分であるということです。
 実はね、教会でも、書道とか、柔道とかのように、「何段」とか「何級」という位をつけたらと思ったことがあるのです。一年に一度くらい試験があって、ペーパー試験と面接をして。そして「あなたはよく頑張った。信仰5段に昇進してよろしい」などと。人によっては「あなたは礼拝出席が少なかったので、今回は一段降格です」などと。
 昔、ある教室で習っていたとき、グレードなるものがあり、9級とか、8級とかもらえるのです。1級あがると、月謝も上がるのです。より難しいことを教えてもらうのだから、費用も上がるのか、と思っておりましたが、そのグレードはその教室だけで通用するものでもありました。グレードを持っていなくても上手な人は世の中にはたくさんいるのです。
 でも昇級を目指して頑張る人には励みとはなります。かつて出会った人で、茶道の勉強をしている人がいて、昇進するためには、先生にいくら払わないといけないとか、より立派な道具をそろえなければならないとか、お世話になった先生には盆暮れには挨拶に行き、その時はいくらか包んでいかなければならないとか…。「へぇ、そうなんだ、師範になるのは大変だね」と思っておりました。励みになるのは、確かにそういう面があると思いますが、時には歪も生まれてくるわけです。特に同じようなレベルで、進級するのに人数制限がある場合は、資格を与える人が「気に入った」とか「これだけのことをしてくれた」とかで、判断される場合は「忖度」や「裏のお金」等で判断されることもあるのです。
 でも、教会はそのようなことはありませんし、あってはならないことです。もちろん、年月を重ねれば、多少は人よりわかったことがありましょう。こういう時にはこうする、という知恵も、聖書知識も増えていきます。でもそれで、自分は人よりも高い信仰者である、などとは言えないのです。知識や経験があるから立派とは単純に言いえません。もちろん、学んでほしいと思います。でも、聖書を学び、イエス・キリストのことを学べば学ぶほど、自分の愚かさや罪や弱さに気づくものですし、全く自分が偉い者のようには思わない、というか、そのような「比較」から「自由」にされていくと思っています。
 教会では、一人ひとりに神さまから与えられている信仰、生きざま、祈り、奉仕、それらを「その時々」にかけがえのない、大事なものとして、慈しみ、大切にしていくのです。
 教会には信仰初心者も、何十年も礼拝を続けてきた方々もおられます。何十年も礼拝を続けてきたからその人の意見はすばらしいとも単純に言えません。誰でも、判断をミスしたり、誤解したりすることはあります。その日、その時のあなたを大事にします。そして、共に学び合い、共に語り合い、それぞれに与えられている信仰や人生を感謝し、喜びあっていくことです。「違うとき」には何も恐れず、「違う」ということができたらよいし、たったひとつの目標である、イエス・キリストの姿を目指していきたいのです。
 私も、そう、間違え、勘違いをし、対応を誤るような者でしかありません。ただ主の哀れみにすがるしかない者であります。でも、すごくこんな自分が嬉しいのも確かなのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 相模原希望伝道所。神奈川県相模原市中央区相模原2-3-16 山崎ビル3階 にあります。松本福音村バプテスト教会の伝道所として2016年度から活動が始まっています。祈りの課題は以下です。①将来と希望を与える教会になる。②信仰の成長と育てることのため。③み言葉と聖霊様が働く教会になる。牧師:李 在浩

2020年05月16日

5/16「力と知恵」 Ⅰコリント1章18-25節④

 キリストは「神の力」「神の知恵」。「力」の行使は、人を助けたものでもあると同時に、今までどれだけの人を苦しめ、痛めてきたことでしょう。「他」よりも強い力を持つことが必要だと考えられてきました。「パワハラ」という言葉が様々に使われます。力をもって、人より優位に立ち、自分の都合に相手を従わせる方法になります。そのために、人は勉強しましょう。良い学校、良い会社に入るためには「力」を持たなければなりません。あるいは「武器」を持つことによって力を保持、あるいは優位に立つことを求めます。「力」を得るときに必要なのは「知恵」になります。つまり、「力」を何のために、何を目指して、どのように使うのか。そこに正しい知恵がなければ空しい力になるのです。自分の持っている力を、人を助け、共に生きるために用いることもできますし、一方、自分の持っている力を自己利益や他者を服従させるために使うことも行われてきました。
 「知恵」があっても、それを遂行する力がなくては実現いたしません。今の世界である人々は飢え、ある人々は多くの食材を捨てています。食料や仕事や教育が等しく供給や分配されていない事実を見ます。しかし、それら課題に取り組む現実的な手段となる「力」は簡単ではありません。いくら「力」があっても、正当に、愛をもって使われないときに、人々を傷つけるものとなるのです。
 「知恵」と「力」がきちんと結び合うことが大事です。コロナウイルスに対してもこのことが問われております。ウイルス拡散防止のために、休業しましょうと政治は力をもった発言をいたします。では、そのことによって生じる様々な危機についてどのような方策や税金を使うのか、その「知恵」が必要なのです。いわゆる「アベノマスク」はそのバランスを欠いた判断であったのです。
 家庭でもそうです。暴力や暴言という力ではなく、愛をもって仕え、育てる心がなければ良き実りはないでしょう。
 「力」と「知恵」が確かな方向性をもって、実現することが大事です。そして、神の力は十字架にかけられた主の姿。それは一切の力を拒否し、力のむごさを示し、人をゆるしていくという、「愛」においてこそ示されたのです。主イエスこそ最後の犠牲であり、暴力の終わりを指し示すものであったのです。主イエスの姿から、そして語り続けたメッセージから人は誠の生き方を学ぶべきであったし、今もそのことを教えています。
 主イエスの歩みを、十字架で処刑される姿を人々は「愚か」だという、「無力」だという。神は報復することを通して正しさ、正義を実現されようとしませんでした。「愚かさ」と「無力さ」が人間の真実の姿であり、それゆえに、人は正しい知恵と正しい力を神に問い求めなければならないのです。そして「正しい」ことは主イエスの歩みにしかありません。
 「知恵」を求めて行き着く先は繰り返す人間の「愚かさ」を知ることであり、「力」を求めて行き着く先は、実は「無力」であることを知ることです。でも、自ら「愚かさ」と「無力さ」に人が気づくときに、人々は何のために与えられている命であるかを知ることができるのです。
 この議論はもっと深めていく必要がありましょうし、これからも考えていくことです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 松本福音村バプテスト教会。松本市大手5丁目6-3にあります。「福音村」という面白い名前がつけられています。新しい教会というイメージがありますが、2004年からのスタートですね。古い建物を購入し、連合の皆さんの協力を得て、整えていったという話を思い起こします。「松本」には立ち寄ったくらいの印象しかないのですが、「松本城」はよく覚えています。最近、ずいぶんとお城の周辺が整備されてきたようです。いつかゆっくりと行きたい場所でもあります。祈りの課題は以下です。①すべての聖徒が毎日聖書を読んで祈る時間を持つように。②毎週火曜日、路傍伝道を通じて福音が宣べ伝わるように。③回転資金の返済が毎月よくできるように(月10万円)。牧師:黄 基英

2020年05月16日

5/15 今日も連盟諸教会を覚えての祈りのみです!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 山梨バプテスト教会。山梨県甲府市旭5-13-12にあります。甲府駅からバスか、または徒歩でも行くことができます。甲府市の中では古くからの町です。この教会の佐藤牧師とは、いろいろと「くされ縁」がありまして、かつて私が少年少女リーダー研修会のスタッフをしているときに、佐藤さんが参加されて知り合いになり、その後神学校に入るという情報を聞き、私が福岡有田教会を辞することもあり、「奉仕」神学生(今は「研修教会」とか「出席神学生」という言い方みたい)として協力を依頼したのですが、「牧師になる勉強をするために来たのに、なぜ、牧師のいない教会にいかせるのだ」と、その後、ずっと言い続けております。でも仲良しかなと私は思っております。佐藤さんが福岡有田教会での最後の礼拝で、主イエスが息絶えた時、地震が起こったという箇所のメッセージをを始めた時に、「福岡地震」が本当に起こり、そのまま礼拝は中止になったという方でもあります。

 神戸伊川教会時代は家族ぐるみでお付き合いもありました。佐藤牧師は、体も大きく、その姿はサンドウィッチマンの伊達さんをもう少し怖くしたような感じで、佐藤先生と一緒に歩いていると、なんかとても安心なのです。山梨教会に就任後、一人で、また夫婦で遊びに行かせていただきました。まず、すばらしいのが、教会からあるいてすぐのところに「喜久乃湯温泉」という本当は冷泉ですが、太宰も通ったという古い、味わいのある温泉があります!今はコロナのために休んでいますが、また再開されるでしょう。それから甲府は「焼き鳥」や「もつ煮込み」が有名で一緒に行ったお店の焼き鳥はとても新鮮でおいしかったです。どの飲食店にも必ずワイン、それも一升瓶のものが置いてあり、甲府はとてもワインが根付いております。

 佐藤牧師の書斎をみておりますと、「網走刑務所」の木の看板があり、あんまり過去に触れてはいけないと思いますが、いろいろあったのでしょう(本人は網走に行った、ということはお話になります)。そして「ファンタジー」に関する本もあり、これは伴侶の方の本だと思ったら佐藤牧師曰く「ファンタジーが好きなんですよ」と。「えっ!佐藤さんファンタジー読むの?」とあまりに似つかわしくなく、30分ほど笑いがとまりませんでした。佐藤牧師が絵本の読み聞かせをするときっと子どもたちはびびってしまうのではないかと思いました。でも、幼い頃、いろんなタイプの人間を知ることはとても大事です。人間、見てくれで判断してはなりませぬ。

 佐藤牧師はちょっと怖い印象を持たれる方もありましょうが、実はすごく慎重で、小心者です。おしゃべりも楽しく、素敵な牧師なので、山梨県の皆さん、恐れず、甲府教会の礼拝にいってみてください。小さなお子さんも可愛がってくださるでしょう。もちろん、「可愛がる」のは「てめー、態度でかいから、かわいがってやる」と暴力的なことをされることではありません。ご安心ください。愛情をもって関わってくださるという意味です。甲斐犬もおりまして、色は黒いけど、心優しき犬です。時折、ご主人のために、池で鯉をつかまえてくるらしいです。ちょっと信じられない話ですが、信玄さまの町ですからね。

 おまけに、山梨県立美術館にはミレーの「種まく人」の絵があります。

祈りの課題は①教会プログラムが用いられ、近隣の方々の魂が救われ、高齢者や礼拝出席困難者の礼拝が守られるように。牧師:佐藤 浩

2020年05月15日

5/14 今日も連盟諸教会を覚えての祈りの課題のみです!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 富士吉田バプテスト教会。山梨県富士吉田市上吉田5-5-15にあります。一時期、閉鎖されていた伝道所でしたが、20年ほど前でしょうか、新たに復興した教会と覚えています。一度伺ったことがあります。富士吉田市というのは、富士山がどこでも見え、この教会は「富士山神社」(?)の目の前といっていい場所に建っています。すぐ近くに大きな鳥居があります。とても広い敷地と会堂があり、宿泊等もできるようになっています。土地が広いので雪の時のために除雪車のようなものが置いてありました。今は若い宮西両牧師が良い働きをされているようです。富士吉田市は「富士急ハイランド」があったり、観光等が盛んなので、日曜の礼拝は難しいという方もありましょう。それから紹介すべきは「吉田うどん」。麺は太く、汁の中にキャベツが入っていたと記憶します。ちょっと評価は難しいですね。改めて食べてみないと確かなことは言えません。それから、富士吉田教会の電柱広告の色使いがとっても目立つし、素敵なので、あの色使いは、当教会でも使いたいと思っております。富士吉田教会が復興してから、それぞれユニークな牧師が赴任されていきました。「祈りの課題」の言葉をみても、現在の牧師と教会の素敵な様子をみてとることができます。祈りの課題は①主イエスを基に互いに手をつなぎ、祈り合い、育ち合う関係に。②また、その輪(和)を地域に、世界に!③求道中の方々の決心。牧師:宮西宏明、宮西千晴

2020年05月11日

5/13 今日は連盟諸教会を覚えての祈りのみです!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 三島バプテスト教会。三島市徳倉4-34-9にあります。「三島」という場所は、日本バプテスト連盟に加盟している教会の方々にとってはとても馴染みがあります。宿泊研修施設として、日本バプテスト連盟が運営している「天城山荘」というのが、天城峠という、歌の舞台や小説・映画の舞台になっている峠の手前(といってもずいぶん手前」)にあり、ここで総会や研修会等開かれるので、我が人生でも平均年1、5回は訪れています。そこに行くのに、三島から電車に乗って、修善寺まで、そこからバスに乗っていくのです。「三島」駅の隣、「三島広小路」という駅の付近にはいつもおいしそうな臭いが漂っています。ある時、ついに行きました。「うなぎ」をおいしく食べました。三島は「水」がとっても良いのですね。それで、「天城山荘」にはいくのですが、三島教会はいったことがなく、ある人曰く、(前牧師に)おいしい回転寿司を紹介してもらったという話は、すぐに頭にインプットされています。所沢に来てからは、天城山荘は車で2時間~2時間30分位なので、すごく近くなった印象です。天城山荘はこのコロナ影響でほとんどお客さんがありません。ここ10年の実績を踏まえて大きな課題です。さて、三島教会の現牧師の本多先生。もう結構な年齢と思いますが、いつも若々しいですね。一昨年だっけ、西川口教会で開催された研修会でご一緒しましたが、とてもお元気で感謝いたしました。とてもにこやかな先生です。祈りの課題は以下です。①高齢者の健康が守られるように。②教会活動プログラムの充実。③伝道開始50周年行事のために。牧師:本多栄一郎

2020年05月10日

5/12 今日は連盟諸教会を覚えての祈りのみです!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト静岡キリスト教会。静岡市蕨区安東2-12-39にあります。静岡のお城の近く、文教地区にある教会です。数年前まで付属幼稚園がありました。ゆえにとても広い敷地があります。この幼稚園の存続を考えておられる時代、一度「教会幼稚園の学校法人化」にテーマでお伺いしたことがあります。当時はY牧師でした。その折、教会近くの「お菓子屋さん」のようなところで「静岡おでん」を食べさせていただきました。「いくらでも食べて良い」と太っ腹な先生でしたが、イモや黒はんぺん等「鰹節」をかけて食べるので、普通のおでんより、もっさりしておりました。

 現在の牧師、原田牧師は、神学校では入れ替わりでしたが、福岡時代も親しくさせていただきました。かつては中学校の「技術」の先生をしておられましたので、そのような考え方等を学ばせていただきました。原田牧師についてはたくさん語りたいことはあるのです。今、FaceBookで毎週の説教動画をあげています(礼拝の人数も記されています)。不遜坂本はいつも素通りしております。ごめんなさい。いつの頃からか、原田牧師は羊さんのような髭をはやしておられます。福岡時代、原田牧師は礼拝宣教では必ず「ジョークを言うのだ」とそのジョークをいつも考えておられ、その出来は先生にとって重要だったようです。今はそれを貫いているのかどうか。ぜひ、静岡教会の礼拝に出席して確認してみてほしいです。

 お嬢さんの「のんちゃん」、幼稚園位から知っていますが、一度、所沢教会の礼拝にご家族で出席されました。また来てよ。「のんちゃん」はとても讃美歌を上手に歌う方です。それから、思い出した。原田牧師の書斎は本も整理整頓されて、それだけでも坂本は尊敬いたします。でも、今、この期間に坂本の牧師室も少しきれいになって、足の踏む場所ができたねと某教会員に褒められました。感謝。ときたま、町内会からたまたま頂いたビール等を、牧師館にもっていくことができないで、牧師室に置きっぱなしにしていることがありますが、(大体なんでも置きっぱなしと、思われますが、事情があって、個人的には一時的にそこに仮置きしているつもり。使ったり、動かす予定があるのでわざわざそこに残している。)牧師室で飲むことは決してありません。余計などうしようもない、書かなくてもいいようなことを書きましたが、それほど、みんな読んでいないだろうと思って、独り言のように書いておりますね。いかん。時間がどんどん過ぎてゆく。静岡教会の祈りにいきましょう。①新年度主題に沿う教会形成、まことの礼拝を目指して。②収穫のために働き人が与えられるように。牧師:原田攝生

2020年05月10日

5/11「世界の壁をこえて」 Ⅰコリント1章18-25節③

 「ユダヤ人であろうが、ギリシャ人であろうが」。旧約聖書の時代、つまりイエス・キリスト以前はユダヤ教でした。異邦人(外国人)でもユダヤ教になる人はおりましたが、そこにおいて、何よりユダヤ人のようになる、ことが求められながら、一方では神殿での礼拝などで外国人ユダヤ教徒は差別も受けておりましたし、それも認めなければユダヤ教徒にはなれなかったのです。
 異邦人伝道(このことは、単なる言葉では済みません。紀元になっても繰り返されてきたように、「伝道」という名での戦争や占領が歴史において確かにありますので。もちろん、そのような宗教をからめた政治的経済的なことではなく、「布教」と言いましょうか、個人の信念や幻を抱いて「伝道」する人々がいたのも事実ですから。あまりそれらを十把一絡げに扱ってしまうことはできません)。
 ただし、主イエスは、南ユダから見て、敵対していた北イスラエル・サマリアや周辺諸国にも足をのばしています。「そうせざるを得なかった」と記されている場合もありますが、やはり、主イエスは時に向こう岸、ゲラサ人の土地や、フェニキアに行かれたし、そこで同じように神の国の福音を宣教し、その地でも確かに異邦人クリスチャン(ここではキリストの弟子の意味)が生まれています。その事実は、主イエスの足跡をみていったパウロにも大変印象づけられたし、それがあって、パウロも異邦人伝道の幻をいただくことになったのです。加えて、特に「捕囚」以降、イザヤ等が預言した言葉も異邦人伝道を行う根拠となっております。
 国境や「国際」の「際」(意味:1、とき。場合。機会。2、 物と物との接するところ)の多くは人間がつくりだしたもの。しかし、主イエスにとって、出会うべき相手、そこに何らの「際」は不必要なものでした。主イエスが主イエスとしてあるのは、ここに肝があります。主イエスの言葉は、どの時代、どの地域、どの民族でも同じように受け入れられ、あるいは拒否されていくのです。人間の心は、歴史や文化で多少の違いはあっても、うれしいものはうれしいし、悲しいものは悲しいのです。同じように感動する心、なんかすごいですね。

 コロナの悲しみも、コロナで生まれる差別も、コロナで生まれる共感も、同じ。時折テレビ等で「日本人は立派」という言葉が出てきますが、そのような評価はやばいと思います。一方で諸外国の対応がすばらしく、日本の対応(特に政治)が酷い点も訴えているのに、それらすべての観点で見ないといけないのに、そのような議論は実におかしいと思います。
パウロは語ります。「ユダヤ人も、ギリシャ人も」その言葉は「世界」(もちろん、当時パウロが描いていた世界と、今の「世界」は多少異なりますが)の人々を含むものと考えております。
 「召された者」、つまり主が呼び掛け、招いている人々、彼ら彼女らがどの民族に属しようが、男であろうが、女であろうが、どの社会的階層にいようが、主なる神は、そのような人間がつくりだす「差」や「際」を超えて、導こうとされています。
そして、キリストについて「愚かであるけれども」、そして「しるし」や「哲学・知恵」を凌駕する、「神の力」「神の知恵」と語り、「神の愚かさは人よりも賢く」「神の弱さは人よりも強い」と逆説でしか語りえない「真実」を語るのです。ああ、なんてすごい主の愚かさと知恵は、、、。
 「神の力」と「神の知恵」についてはまた次回お話します。「聖書日課」は都合により、12日、13日、14日、15日とお休みしますが、祈りの課題は記します。さきほど、FaceBookをみていたら、コロナウイルス感染が落ち着いている地域、そこで掲載されていたのは日本バプテスト静岡キリスト教会でしたが、礼拝再開の知らせがあり、希望をいただきました。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 清水栄光キリスト教会。静岡市清水区八坂西町1-5-6にあります。「清水」といえばすぐに漁港と魚屋さんを思い出します。この教会も行ったことがないのですが、先日召された田中仁一郎牧師の時代に教会組織をしたと記憶しております。故田中先生とは昨年の秋以来、何度か礼拝をご一緒にさせていただき、いくつもの教会に関わった先生の足跡を思い、本当にいろいろなお話を伺いたかったと、残念です。尊敬し、敬愛する諸牧師がいらっしゃること、本当に宝だと思っています。多くの牧師はその与えられた現場で、日々、悩み、喜び、地道に宣教していかれた。もちろん、弱さも抱えながら。その歴史を継承していくべきと思い、しっかり立っていきたいと思います(なかなかうまくはいきませんが)。清水栄光教会の石渡牧師のお母さまが、兵庫県にいらっしゃったとのことで、お話は聞きましたが、なかなか関わりを持てず、失礼したと思っています。祈りの課題は以下です。①伝道開始55周年・教会組織20年記念感謝礼拝(7/19予定)。②家族の救いと子どもたちと一緒の礼拝。③教会会計のために。牧師:石渡修司

2020年05月10日

5/10「母の日に寄せて」 出エジプト20章1-12節、詩編131編

 本日、5月第2日曜は「母の日」です。この由来は毎年、週報巻頭言で記しております。母の日の由来、それは米国、ヴァージニア州のある教会で、長い間、教会学校で教えておら れたジャービスという婦人がいました。
ある日曜日、教会学校の子どもたちに「あなたの父と母を敬え」という聖書の言葉を教えた後、子どもたちに「お母さんの愛に心から感謝する方法を考えてください」と勧めました。その時、ジャービスさんの娘、アンナはお母さんの話を感慨深く聞いていました。
 それからしばらくしてジャービスさんは天に召されます。娘アンナはお母さんが好きだったカーネーションをたくさん飾ってお母さんを 偲びました。このことが列席者一同に感銘を与え、この話に心を動かされたジョン・ワナメーカー(有名な百貨店王)が1908年5月の第2日曜に母に感謝する会を、カーネーションを飾って盛大に行ったのです。
 アンナ自身は商売に利用されるのを嫌い、その後、当時のウィルソン大統領に「母性をたたえる日」を提唱しました。そして1914年に「母の日」が制定されました。
 母の日、自分の母親のことを思い起こす日でもあります。その思い出の中には嬉しい記憶もあれば、嫌だった記憶もあるかもしれません。でもお母さんがなくては、今のあなたはい なかったのです。人間は神様ではないので、完璧な母親はいません。弱さや小ささ、醜さ、過ちをも抱えながら、「母」は「母」とされていきますし、神様はそういう「あなた」を慈しんでくださるでしょう。そして、あなたのお子さんに、「母」はたった一人なのです。
 讃美歌(1954年版)で愛唱された「まぼろしの影をおいて」という讃美歌があります。リフレイン 折り返し で「春は軒の雨、秋は庭の露、母はなみだ乾くまなく、祈ると知らずや」と歌われます。「母」は子ども自身が知らない中で、どれほど祈り、子どものために心と時間を尽くしたことでしょう。「随分心配をかけたものだ」と今思います。この世にいようが、いまいが、母のことを覚え、祈り、感謝をする日になったら幸いです。そして、親に対して感謝すること、まだお母さまが生きているうちに、ぜひ伝えてほしいのです。召された後で、後悔しないように。
 今日は「出エジプト」から「十戒」、そして詩編からお読みいたしました。心黙し、幼子が母の胸に抱かれ、心安らぐように、今日、主の恵みを覚える日でありますように。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 川根バプテスト教会。静岡県榛原郡川根本町徳山845にあります。「川根本町」は今は島田市に合併しており、人口は6千人に満たない、そして多くを森林が占める地域です。一方で、「吊り橋」や「奥大井湖上駅」「白沢温泉」「寸又橋温泉」「大井川鐡道」などテレビ等で紹介される観光地が沢山ありますし、「川根茶」も有名です。そのような地域にある教会は幼稚園(学校法人さゆり幼稚園)の母体ですが、教会員も園児も減少し、困難な状況です。「過疎地」に立つ教会について心痛めることです。祈りの課題にもその状況が強く反映しております。①地域に根ざした教会の働きができますように。②限界集落の中、み心なら幼稚園の働きの継続を。牧師:松下正巳

2020年05月09日

5/9「人間の求める知恵」 Ⅰコリント1章18-25節

 昨日の文章を読み直してみると、誤解を生むようなことがあったなぁと、反省しております。私、日曜の礼拝のあともいろいろ反省すること多々でございます。
 一つは、クリスチャンの神さまへの「信頼・信仰」は完全ではありません。100パーセントの信頼は決してないのです。疑うこと、不信が生まれること、よくありますし、それを「罪」や否定すべきことと考えません。これは人間関係(夫婦関係等)でも同様です。「完全ではない」、だから、大事なのは、日々、祈り、み言葉を読み、そして、教会での信仰者の交わりの中で、神さまとの関係性を常に新たにすることが必要です。疑いや不信、それをそのまま放るのではなく、育てること、それが神さまと共に生きる道ですし、人間関係でもそうです。疑い、不信が起こるとき、それはどのような理由でおこったのか、自分の思い違いや勘違いがなかったのか、言葉が分かり合えていたのか、と考え、そこでまた思いを新たにすることが大事ですね。
 Ⅰコリント書に戻りまして、「ギリシャ人は知恵を求める」。パウロはユダヤ人であり、同時にローマ市民権を持つ人なので、「ユダヤ人」も「ギリシャ人」も自らのことを第一においての発言だと思います。
ローマ帝国がほぼ地中海沿岸諸国を制し、その中で「ギリシャ人」はその最上層にいた人々でもあります。「哲学」が盛んで、ここでの「知恵」、ソフィストは、「ソフィア」、つまり「叡智、博識」ということです。
 ギリシャにおける神への考え方、思弁のひとつをバークレーから紹介するなら、ギリシャ人は神はなにも感ずることができない、と哲学したのです。もし、神が喜びや悲しみ、怒りや嘆きを感じることができるとすれば、だれか人間が、そのとき、神を動かしたことになる。とすれば、その人間は、そのとき、神に影響を与えた。つまり人間は神より偉大な存在となる、と議論を進め、神はいかなる人間も影響を受けない、絶対的なものであり、神は何も感じえないものでなければならない、と考えたようです。
 結局は、それは人間の考えに神を帰属させるように思われますが。そのような考え、あるいは、再三述べているように、「神が苦しむ」それは有り得ないものでした。その考え方が進んだ中で、グノーシス主義と呼ばれる人々は、主イエスが十字架で苦しんだとあるが、実は魂はそこから抜け出ていて、肉体は苦しんだかもしれないが、魂はまったく無事であった、という議論を展開していきます。そしてグノーシスの人々は「肉体」と「魂」を分離させ、肉体がいかに悪いことをしても、魂が清浄であり続けたら良いと、考えていくのです。
 また、ながながとした説明になりましたが、パウロが伝道をするにあたっては、当時の人間の世界観や思想、政治等と対話をしているということが大事です。「今」という時代、環境、思想を学びつつ、そこで福音が伝えているメッセージと対話しつつ、そこで、福音の持つ力を改めて知ることでしょうし、そのことを伝えていくのです。「宗教」はこの世界そして、今を歩む人間の生きざまと無縁ではありません。いや、この世界の現実、苦しみや悲しみ、嘆きが支配する世界の中でこそ、福音はその輝きを増していくのだと思いますし、私もまた、対話を通して、福音はさらに豊かに、深く覚えられていくと感じております。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 浜松バプテスト教会。静岡県浜松市中区布橋2-1-9にあります。浜松は、国産ピアノやオルガンの生まれた場所であり、今もヤマハやカワイ、その他電子楽器も含めた楽器の会社が集積されている地域です。以前、「ブラタモリ」で浜松を取材しており、天竜川をへて良質の木材が集まった、木材の乾燥等にも最適な気候であった、というようなことが紹介されていました。「浜名湖」も車窓から見たことはありますが、一度も行っていない場所の一つで、いつか訪れたいものです。それゆえ、浜松教会もほとんど知らないのです。浜松教会の祈りの課題を紹介します。①主の証人になろう!(20年度教会主題」②「五つの約束」を守る生活から!③「キリストの福音」があなたから隣人へ!牧師:伊藤勝彦

2020年05月09日

5/8「愛に証拠はいるでしょうか」 Ⅰコリント1章18-25節③

 ユダヤ人は「しるし」を求める。私はですね、連盟の「讃美歌検討委員会議」のメンバーですが、この検討委員会議メンバーを中心として、「新生讃美歌ブックレット」という小冊子(たったの500円です!日本バプテスト連盟ホームページで検索してください。まだ在庫が少しあるかも)を出したのですが、その中に「用語解説」というのがあります。讃美歌の詞で、意味を理解するのが難しいと思われる言葉をピックアップして解説したものです。
「あした」と言えば、今の人は「夕ご飯食べて、寝て、起きたら明日になる」と思います。しかし、語源でも「朝」のことです。私が日大時代に通っていた常盤台バプテスト教会では、日曜礼拝で、中田協力牧師のお父様の中田昌男牧師(故人)がお祈りをされていました。その祈りは常に深く、言葉としても大変優れ、そのために心砕いて祈って紡がれた言葉と思われるものでした。ただいつも「このあした、教会に集えて…」と祈るのです。若い私は「あした?」と思いながら、そのうち段々わかってきました。「朝」のことを「あした」ということを。
 日本でも昔は「太陰暦(陰暦)」でした。イエス様が歩まれた時代のユダヤもそうです。日が暮れると、翌日になります。だから一日は夕方から始まる。この点は聖書を読むときに大切です(金曜の日没で土曜、つまり安息日に入る)。日本でも古い伝統を守っているところでは、12月31日、いわゆる「おおみそか」ですが、日が暮れたら、「あけましておめでとう」ということで、「紅白歌合戦」の前に新年になります。
 何が言いたいのか。言わんとすることは「私も日本語がわからないことが多い」ということです。讃美歌詞の中に、「いなとよ」とか、ありまして、まるで「博多弁」みたいで、「博多やけん、いなとよっちいうたい」と言いたくなりますし、好きな言葉です。博多弁では「すいとう(好きです)」ですね。それから「君はしもいれたまわん」等の詞は、調べないとわからないのです。答えは「ブックレット」を購入してください。手元に1冊余分がありますので、これはよかったら400円で分けて差し上げます。もし、希望される方には、サインやドラえもんの絵を書いてあげます。
 何が言いたいのか。「しるし」とは、辞書的な意味では、1、他と紛れないための心覚えや、他人に合図するために、形や色などで表したもの。目じるし。2、抽象的なものを表すための具体的な形。㋐ある概念を象徴するもの。㋑ある事実を証明するもの。証拠になるもの。㋒気持ちを形に表したもの。3、所属・家柄などを表すもの。4、㋐官印。印綬。押し手。㋑三種の神器の一である、八尺瓊勾玉 (やさかにのまがたま) 。5、結納 (ゆいのう) 。とあります。私はもう人生半世紀近く生きてきましたが(?)、聖書でも、日本語でも調べたらいつも新たな発見がありますね。
 もう一回戻して、ユダヤ人は「しるし」を求める。もちろん、これはユダヤ人だけではありません。もちろんこの文脈では「結納」とは普通考えないで、「証拠」の意味ですが、「証拠」が必要な時は、どんな時でしょか。

 それは「不信、疑い」があるからです。不安があるから、信じられないから「証拠」を根拠にしたいのです。愛の証拠を求める夫婦はすでに難しい関係と言わざるを得ません。「愛」に「証拠」を求めるならば、そこに「愛」は成立していないのです。愚かのように見えながら「愛する」ことに証拠は必要ありません。信頼、は関係性の中で育つもの。その「信頼」を育てることが、愛の関係となっていくのです。そして、「信仰」も英語では「信頼」と同じ言葉。見えないでも、信頼していく心なのです。
 たとえ、主イエス・キリストが、このあした、この世界に来られても、きっと多くの人は信じないでしょう。「空をとんだり」「病気をいやしたり」しても、そんなことはマジシャンでも引田天功でもやっていること、神さまならば、何か証拠を見せよと皆、言うでしょう。
 信じる心は証拠を求めません。もちろん、私どもクリスチャンは様々な経験を通して、「信じる心、信じていこうとする思い」が与えられているのです。でも、それを誰も証明できません。ゆえにヨハネが何度も主イエスの言葉として伝えているように、「見る」ことは直接「信じること」とつながらないのです。むしろ、「見ないで信じること」の幸いがあるのではないでしょうか。ではまた明日。ごきげんよう。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 金沢キリスト教会。石川県金沢市笠舞2-6-28にあります。この教会は学校法人「金沢めぐみ幼稚園」の母体です。敷地内にとてもすばらしい園舎があり、2年くらい前に教会堂も新しく建てられました。私が神戸教会牧師であり、同付属幼稚園の園長をしておりました時、付属幼稚園の学校法人化、その後の園舎建築に際して、当時、金沢教会牧師であった田口先生には多くの教えを乞い、神戸でもお話をしてくださいました。園舎についても多く学ぶことでした。そのようなことで何度となく訪れた教会です。田口牧師はこの春で牧師職は引退されましたが、引き続き、「金沢めぐみ幼稚園」の園長をされています。田口先生は石川県の私立幼稚園連盟の理事長や日本バプテスト連盟の理事長もされた方です。実は私も涙もろいのですが、田口先生が宣教をしながら泣いている姿を何度も見ております。そして、この4月から、杉山望牧師が、この金沢教会の牧師に招聘され、就任しております。杉山望牧師は、当教会の前牧師、杉山修一牧師の息子さんで、長い期間、当教会で育った方です。北関東の教会の交流で出会った方と結婚され、所沢教会からも結婚式の行われた前橋教会にお祝いにかけつけました。私も行きました!当教会の古い方は「望さんがしゃべったの見たこと(聞いたこと)がない」、と仰いますが、実は私も小学生の頃など、人前でしゃべることはありませんでした。そういう人はね、幼い頃、心に言葉をたくさんためているのです。その意味では杉山望牧師も大変素晴らしい牧師さんです。金沢教会のホームページを見れば、杉山望牧師の宣教が掲載されています。伴侶の方もすばらしい方で、ある時、「聖書教育」誌の執筆をしており、「黙示」の意味をとっても理解しやすい形で提示されているのには感心しました。さて、祈りの課題は、①主を選び、祈り賛美する教会に。②協力伝道を喜び仕え献げる教会に。③新牧師を迎え、伝道の大前進を! 牧師:杉山 望

2020年05月07日

5/7「愚かな愛」 Ⅰコリント1章18-25②

 イエス・キリストという方は、スーパースターではなく、実に愚かに、でも賢く、愚直に、でも鋭く、人間と関わりあった方ですし、今もそうあろうとしております。パウロは声を上げて語りかけます。「知恵ある者よ、学者よ、論客よ、あなたたちは何を知っているというのかい、あの十字架にかけられた主イエス、その方こそ、命をかけて、人を救おうとされたし、救ったのだ。この世の常識や知恵を超えて!でも仕方ない、あなたがたの量る計りでは、キリストの語る救いを受け取ることはできないのだから。」。
 「宣教という愚かな手段」、とは、たぶん、普通に読んでも意味がわからないでしょう。「聖書」が遠くなるのも仕方ありませぬ。「宣教」とは辞書的には「キリスト教を広く伝える働き」とされますが、ギリシャ語は「ケリュグマ」です。これは意味が広い言葉であり、かつ重要な言葉なのです。キリストによって示された福音、というのがまとまる言葉になるでしょうか。なので、イエス・キリストの生きざま、死にざま、福音内容、神の国の約束と到来について、また、私どもの信ずるべき内容、と言いますか。
 でも、イエス・キリストが示された「宣教」は、世の中では「愚かな、馬鹿らしい」と思われることでした。実際、パウロが語っていると「馬鹿らしいどうしようもない話」と言われたこと多々あったでしょう。イエス・キリストもまた、十字架上で、人々から馬鹿にされ、「ほら、人を救ったけど、自分を救うことができない情けない神、神なら、そこから降りてきて、みんなをやっつければいいじゃないか」と言われたのでした。愚かです。主イエスは何度も逃げるチャンスもあったし、全く異なる方法、つまり、武力をもって、自分を信じない輩を倒すこともできたでしょう。
 主イエス・キリストは、十字架にかかり給う。人間に裁かれ、十字架で死ぬ神。なぜ、そのようなことを…。
 あるお母さまのお子さんがひどい病にかかりました。つらく苦しむ我が子を見ながら、お母さまは思い、願い、祈りました。「自分はどうなってもよい、我が子と自分を替えてほしい、身代わりになれるなら、わたしは、そうなりたい、主よ、この子の替わりに私を病にしてください」と。
 神さまの愛とは、まさにそのような愛でした。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 富山小泉町キリスト教会。富山市堀川小泉町681にあります。今日は富山小泉町教会のことで大変うれしいですね。私が日大時代に通っていた「常盤台バプテスト教会」ではこの富山小泉町教会(そのころは伝道所)を覚えて支える「祷援会」の活動が」行われており、私ら、当時の青年数名でこの「富山小泉町教会」での奉仕をいたしました。みんなで車一台に乗って、運転は当時の祷援会の代表であったKさん、そして常盤台教会の音楽牧師であった岩阪さん。

 富山は初めてでした、牧師館から見える立山連峰の美しかったこと!。いろいろな刺激を受けましたが、今でもしっかり覚えているのは、富山小泉町教会の牧師で当時、まだ若い牧師であった酒井牧師夫妻のこと。お二人はたぶん、結婚前から「交換ノート」を始めて、そのノートにはさまざまな事柄が記されており、その交換ノートを結婚してからも(?)続けていたのです。すごくあこがれたし、本当に心を知り合い、心寄せあっている夫妻だと感銘を受けました。

それから、もうひとつ。神戸教会でバプテスマを受けられた女性。留学先のベトナムで知り合った人と結婚するということで、ベトナムなどは同じ宗教の人でないと結婚できないのだそです。そして、結婚式は彼女の故郷である、富山、この富山小泉町教会で行われ、私が僭越ながら結婚式の司式をいたしました。富山小泉町教会には、他にも知っている方がおりましたよ。愛媛県温泉郡というなんかすばらしそうな町出身の人もいました!元気かい?さて、それで、ベトナムの人と結婚されたかた、教会に通っている時期が短かったので、教会につながってくれるかな、と案じておりました。でも教会でよい働きもされ、今はご夫妻はベトナムにおられます。富山小泉町教会は結構国際的な教会ですよ!

さて、祈りの課題ね。①宣教開始60周年の準備のために。②バプテスマ決心者の準備のために。③子ども礼拝が祝されるように。牧師:閔 丙俊

2020年05月06日

5/6「十字架の言葉」 Ⅰコリント1章18-25節①

 みなさま、こんにちは。お元気でしょうか。私、教会が所在する泉町の町内会の会計役員もやっており、今日が19年度分の監査でした。決算資料は大体できていたのですが、不明な点がでてきて、一晩悩んでそれが解決、すると今度は決算資料と予算資料の書き換えも行わなければならず、時間を失ってしまいました。なので、今、書いております。と、まず言い訳を並べました。はい。
 18節の言葉は、とても有名で、覚えていらっしゃる方も多いと思います。「十字架の言葉」とは、まず何なのでしょうか。翻訳としては「十字架(キリストの死)を通して告げられる宣教(メッセージ)は」と言葉を足すのは英語訳等に見受けられます。なので滅びゆくもの(滅びの道をえらぶなら)にとっては、キリストが十字架上で殺されるなんて、愚かなことにしか見えないでしょう。でも、滅びではなく救いを、生きることを目指す我らにとっては、その『愚か』な姿に真実の救いの力を見ることができるのです」と意訳してみました。
 そして根拠としてパウロは旧約聖書イザヤ書29章14節、同33章18節を引用します。新共同訳でイザヤ書29章13~14節を見ます。「主は言われた。『この民は、口でわたしに近づき/唇でわたしを敬うが/心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを畏れ敬うとしても/それは人間の戒めを覚え込んだからだ。14 それゆえ、見よ、わたしは再び/驚くべき業を重ねて、この民を驚かす。賢者の知恵は滅び/聡明な者の分別は隠される。』」。つまり、主なる神と出会うときに、自らを知恵あるもの、聡明だと思う者は、主の真実を見失ってしまう、ということです。
 もう一か所の、33章18~19節を引用します。「あなたの心はかつての恐怖を思って言う。あのとき、数を調べた者はどこにいるのか/量った者はどこにいるのか/やぐらを数えた者はどこにいるのか、と。あの傲慢な民をあなたはもはや見ない。その民の唇は重くて聞き分けることができず/舌は語ることができなくなるので理解しえなかった。」。「数を調べたり、量ることのできる者」=知者や学者や世の指導者たちのことです。
 聖書の中でカッコに入る文があるときは、誰かの言葉、あるいは旧約聖書の引用は大変多いものです。
 そして、パウロは、へブル語で主に書かれた旧約聖書をギリシャ語に翻訳した「七十人訳」を用い、それはさらに日本語や英語に翻訳されるので、少し違うな、という感じもありますが、その状況をご理解ください。それではまた明日。今日はM・Sさん、M・Kさん(双子)のお誕生日おめでとうございます。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 福井キリスト教会。福井市町屋3-20-1にあります。以前、この教会を訪れたことがあります。雪深い地であるにも関わらず、教会の窓は木枠で薄いガラス。建物の設計は関西の「浜甲子園教会」と同じつくりでした。会堂はぼろぼろに近い状況でした。この教会を長く牧会されたS先生は美大でも学ばれた方でした。しかし、最終的には教会のメンバーは牧師夫妻ともう一人になりました。私はかつて連盟の「教役者会」の事務長をしており、このS先生からの言葉、厳しい地方教会に支援を、あるいは、牧師への謝儀を全国一律に近い形にしてほしい、そのことを話し合ってほしい、という言葉(これはS先生だけの主張ではありません、他にも賛同者がいます)に対応しようと、現地に向かったり、アンケート集計等も行いました。しかしながら、そのことを実際にやることまでには至りませんでした。日本バプテスト連盟が会社組織なら、可能でしょうか。でもそうしたら伝道が難しい地域は次々に閉鎖しなければならないでしょう。私も兼職していた時代もありますし、牧師・伝道者の生活は厳しいのですが、もちろんそれをわかったうえでしか、牧師・伝道者になってはいけません。同時にそのような状況が牧師・伝道者になる方を減らしていくこともありましょう。

 話を戻して、福井教会ではS牧師が昨年春に引退され、この春から平良憲誠牧師が就任いたしました。年金受給できるようになり、福岡市の平尾教会から福井に移りました。金沢教会の田口元牧師や中部地方連合、また全国の教会からの支援を受けて、新しい動きが始まっております。祈りの課題は以下です。①信仰は命です。主の御心にかなった教会になるよう、日々に、お祈りください。牧師:平良憲誠

2020年05月06日

5/5「十字架を無にしない」 Ⅰコリント1章10-17節⑩

 「キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬよう」。「むなしい」は口語訳では「無力なものに」とありましたが、本来は「無」になる。100パーセント無駄になるという意味です。むなしくしているのは「言葉の知恵」。これはキリスト教に対比される「世の知恵」ではありません。「十字架」という言葉の持つ「恥」「呪い」「痛みの極み」「極刑」「苦悩」というものを抜かした「救いの実現」を語る伝道者達を批判する言葉なのです。つまりここに「逆説でしか語れないキリストの救い」を語るパウロの思いがすでにあふれております。
 つまりは、「麻薬的宗教」への批判です。これはパウロの、キリスト信仰の中心なので、今後も何度もでてきます。

 人間が「救い」という時に、「苦しむ神」や「死ぬ神」、「人間に殺される神」など、通常は(順接では)有り得ないのです。「神」なら全知全能で何でもできる、そして、この神さまに頼っておけば、苦しみも痛みも悲しみもない、という宗教がありましょうし、時にキリスト教もそのように伝えられたことがあるのです。ゆえに、クリスチャンになれば、苦しまない、痛まない、いつもハッピー、悩みがあるなどキリスト者にはない、とか、キリスト者は疲れない、など。そのような一時しのぎ、テレビを見て笑って苦悩も吹き飛んだような宗教は真実に人生に伴わないのです。
 クリスチャンだって、悩み、病にかかり、苦しみ、呻くのです。そこで「苦しむのは信仰がないからだ」とか「本物のクリスチャンは祈れば大丈夫だ」などと簡単に言えるものではありません。主イエスは苦しみ、叫び、「わが神、わが神、何故私を見捨てるのか」と叫ぶことを通して、人間の苦しみや悲惨に伴うことをしてくださる、苦しみの連帯、悲しみの連帯、共に苦しむことを通して、人と伴い給う、その姿こそ、ヒーローではなく、スーパーマンとしてではない、「共に生きるキリスト」によって「救い」が有り得るし、そのような連帯こそが、真実に世界を変えていくことになるのです。
 でも誰かはこう語るでしょう。「でもキリストは復活されたからいいじゃないか、復活するんだよ、だからハレルヤだよ」と。そう、確かに「復活」「よみがえり」は希望として私も待ち望み生きております。でも「苦しみ」「十字架」なしの「よみがえり」のみを語ることが、人間の苦しみの現実を見ない、麻薬的な信仰となるのです。
 主イエス・キリストが示した「救い」、それは、苦難から逃げることではなく、苦難を見ようとしないことではなく、「苦難の中での共生」、「共に苦しむ関係性」。そのことが、真実の「救い」、そして「希望」に向かうのです。だからパウロは語るのです。さっさとキリストを十字架から降ろして、お祝いをするのではなく、「キリストは、今もなお、あなたのために、十字架にかけられたままの姿で、あなたと共に生き、あなたと共に死ぬ」、しかし、ここにおいてこそ「救いの道」があるのです。
 今、私どもを襲う「コロナ」の中で、私どもは「苦難の中で共に生きるありかた」を学ぶべきなのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 豊田バプテスト伝道所。昨日お祈りし各務原教会の伝道所として誕生しました。同じくブラジルの方々が中心でしたが、今、多くのブラジルの方々が帰国し(させられた)ことで、伝道所は休止中です。祈りの課題は①豊田伝道所の再開。②長浜集会の月一回の開催。(現在、活動休止中です)牧師:後藤 寿

2020年05月04日

5/4「キリスト者の使命」 Ⅰコリント1章10-17節⑨

 「なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり…」。この言葉は大変重い言葉です。ここに現在まで至る宗教批判を見てとれます。宗教では時折、「どれだけの信者を獲得しているのか」、そしてその数が多いことがまるでその「宗教の正当性を保証」するように思われます。またキリスト教においても、「私はこれだけの数のバプテスマを行った」と誇るような方に出会うことがあります。まず、押さえておくのが、宗教は経済行為ではなく、商売でどれだけの数が売れたというようなことが評価の基準にしてはならないのです。
 歴史的にみても、宗教が政治と結びつくときに、人数は増えましょうが、同時に宗教性が腐敗したことは多々あります。中世のキリスト教が代表ですが、もちろん、すべての宗教者や信者の信仰が腐敗していたわけでもありません。心からの祈りと献身をしていた方も多いことも指摘しておかなかればなりません。また「国教」なったときは宗教がその精神から離れ、利用されながら、利用しつつ、中心がぶれていくのです。ゆえに私どもは「政教分離」を強く意識いたします。また、バプテスト教会の先達は、英国で大変な差別を受けた歴史を背負うものであるゆえに。
 さきほど、バプテスマの人数を誇るという話をしましたが、そこに、牧師や伝道者は努力したことは確かでしょう。しかし、伝道は、一人で行えるものではありません。宣教師や、教会のメンバーの祈りや働き、さらに、その教会の立地条件もあります。駅前の教会と山の中の教会で単純に比較できませんし、地方の教会で、心こめて、教会学校で子どもを育てても、成人すれば都会に出ていくこともあります。それをまるで、牧師や伝道者の一人の手柄と思えばなんという傲慢でしょう。何より、信仰を与えてくださるのは神さまであり、信仰へと至らせるのは、「聖霊(神さまの働きかけ)」がなくては成立しません。
牧師や伝道者は種をまき続けます。その種が発芽するか否かは、牧師・伝道者の手にはないのです。
 パウロは「獲得した人数を誇る伝道者」の存在を知りつつ、「伝道」は自己宣伝や教会の勢力拡大を目指せば、誤りを犯してしまいます。パウロは言う「福音を告げ知らせる」ことが使命である。「福音」は人生に意味を与え、神さまから大事に創られ、愛されるすべての命を肯定し、希望と喜びを与えていく力です。その福音は困難な中において、人生を支え、忍耐を教え、隣人と共に生きること、祈りあうこと、共に心合わせ「共に喜び、共に悲しむ」ことへと人生を導きます。その「福音」を告げ知らせること、それを受け入れるか否かは、先ほども申しましたように牧師・伝道者の手にはありませんし、その働きは教会の業なのです。個人の名前ではなく、主なる神さまの働きに協力すること、そこに謙遜に立ち続けることが牧師・伝道者、また信徒の働きなのです。
 さて、さきほど「政教分離」の話をしましたが、昨日は「憲法記念日」でした。「憲法」において、思想信教の自由、人間の尊厳等が訴えられ、日本国憲法は第二次世界大戦の教訓を生かした素晴らしい憲法であります。そして、時々、誤解している方がありますが、「憲法」は国民主権に立ち、国民が政府に対して「してよいこと、いけないこと、目指すべきこと」を規定しているものです。「これはしてはいけない、これをすべき」と政府という大変な力を持つものに対して制限を加えておりますし、そうしなければ「政治」が暴走してしまいます。そのことも覚えておきたいものです。
 今日はS・Mさんのお誕生日おめでとうございます。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 各務原バプテスト教会。岐阜県各務原市前渡東町4-161にあります。「トヨタ自動車」関連の企業で多く働いていたブラジル人の人々を中心として生まれた教会です。ただ、社会の変化の中で、日本で働く外国人の方々の立場は弱く、安定した基盤がもてないことは課題です。祈りの課題は以下です。①多言語教会の礼拝の充実。②多言語での聖書の学び。③地域への伝道と共生。牧師:後藤 寿


2020年05月04日

5/3「失われた原稿」Ⅰコリント1章10-17節欠

みなさん、こんにちは。今日は日曜ですね。教会に来てみなさんと会い、共に学び、祈り、讃美歌を歌い、聖書のメッセージを聞き、心新たに一週間を始めていくという日々が奪われた悲しみと寂しさを思いますし、そのような声をいただいております。この時、この経験を通して、世界に与えられている課題を覚え、感染集束後に、命を喜び、共生する社会へと進むことを祈ります。

 さて、金曜に本日の箇所の原稿を書いたのですが、昨日、どこを探してもありません。データが消えても、残骸が残っているのが普通ですが、見つからず、本日はお休みにします。パソコンの入れ替えをして、長年使ってきたキーボード(鍵盤ではない、pc入力用)も変わったら、まだ慣れないので、スピードが遅くなっています。そのうち慣れるでしょう。

 本日、朝から、ぱらぱらと3名ほどの方がおいでになり(内一人は浅見牧師)、献金をお届けくださいました。距離をとって、少しお話し、お祈りをさせていただきました。感謝です。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所を覚えての祈り> 岐阜バプテスト教会。岐阜市西駒爪町21にあります。この教会の牧師は面白い経歴をお持ちの方で、歯科医師の大学に通い、将来は歯科医になるところでしたが、東京でキリスト教に出会い、牧師への道を進む決意をされ、西南学院大学神学部で学び、それ以来、牧師として歩んでおられます。教会の祈りの課題。①地域に開かれた教会の具体像。②高齢者に優しい体制づくり。③現役世代・若者を招くための方策。牧師:宇都宮 毅

2020年05月03日

5/2「主の導き」 Ⅰコリント1章10-17節⑧

 バプテスマを誰から授かったのか、ということが対立の背景にあると考えられました。そのように考えられるなら、そのことが対立の原因になるなら、皆さんにバプテスマを授けなかったことをむしろ感謝しなくてはならないと。ただし、実際にはパウロがバプテスマを授けた人もいるわけで、クリスポとガイオについて言及しています。
クリスポという人は使徒言行録18章に登場します。コリントで「ディアスポラ」(離散のユダヤ人)と言われる異邦の地に住むユダヤ人のためにつくられた「ユダヤ教会堂」(シナゴーグ)の「会堂長」で、会堂の責任者であった人です。隣りの家にパウロが滞在したことをきっかけにクリスチャンとなったのです。
 ガイオはラテン系の名前ですが、ギリシャ語でもよく出てきます。使徒言行録19章で、マケドニアでパウロと出会い、パウロと共にコリントに居た人物です。使徒言行録20章4節の「デルベのガイオ」と同一人物だと思われます。ローマ書16章に出てくるガイオは同一かどうか不明です。さらに「ステファナの家の者」にもバプテスマを授けたことを思い出します。結果として、すべての者にバプテスマを授けなくてよかった、このことで神に感謝をささげるのでした。
 ここで色々な人の名前が出てくると、とても生き生きした当時の教会の様子が見えてきます。クリスチャンになるきっかけ、出会い、はいつも不思議だと思います。キリスト信仰というものは、無理やりに一生懸命に伝えてみても、それでクリスチャンになるということではないのです。
 実際にいろんな人を紹介できるのですが、宮崎県高鍋町の教会時代、大久保さんという農家の方がおられました。幼いころ、父親が聖書の頁を一枚はいでは、そこに煙草をつめて、火をつけて吸っていたのを見ておりました。しかし、その出会いは煙と消えませんでした。のちに聖書に関心を持ち、賀川豊彦との出会いによって「三愛」(神と、土と、人を愛す)精神の農業をはじめ、宮崎にやってきました。大久保さんの妻が急逝した後、ある人と出会います。その女性、スマ子さんは、あるアパートに住んでおり、隣の家に、教会の集会の案内をする人が来たそうです。しかし、隣の人は都合が有って行けないということで、では、「私が代わりに行きます」と言って、初めて教会や聖書に出会い、クリスチャンになり、そして、大久保さんの後妻となったのです。本当に面白いものです。出会いは、家族や友人、本、学校、いろいろな道があるものです。
 もし、今日、あなたがこのホームページを見てくれたとしたら、それもきっと不思議なこと。私は思うのです。神さまはいろんな方法を通して、あなたと出会いたいと思っている。それに気づくか否か、でしょう。
 飛行機や電車に乗るときに、多くのアナウンスがあります。スカイマーク3便、○○に行く方は〇番ゲートまでお越しください、と。アナウンスは流れていても自分には関係ないことと聞き流していきます。しかし、自分が乗るべき便が呼ばれたら、「そうだ」と気づき、立ち上がって向かっていくのです。たくさんの声があなたの周りにも日々、なっているでしょう。その中で「あっ、これは自分に関係あることだ」と思う瞬間があるのです。その時、その声は主イエス・キリストの招きの声であるかもしれません。今日はM・Yさんのお誕生日おめでとうございます!

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟豊橋キリスト教会。愛知県豊橋市向山東町4-1にあります。豊橋といえば、「ナザレうどん」ですね。このうどん屋さんは豊橋教会のメンバーです。本当のナザレうどんは食べたことはないのですが、息子さんのひとりが、連盟加盟教会で牧師をされていて、その味を少し味わったことがあります。この教会の牧師さんは割りと若く、同じ教会の出身であることを聞いて嬉しく思っています。祈りの課題は以下です。①東三河地区での福音宣教のために。②み言葉と幻の共有。主にあある一致。③教会員と求道者の平安と祝福。牧師:小林大記

2020年05月01日

5/1「キリストは分けられたのか」 Ⅰコリント1章10-17節⑦

 うん、どうも先に進めないし、余計なことばかり書いているのでご迷惑でしょうが、もっと短くしましょ。説教は短い方が喜ばれることが多いみたいですね??。私が牧師一年生で宮崎県の高鍋町で生活を始めた時、同じ町内の日本キリスト教団の安藤牧師(故人)から「インスタントラーメンのような説教をするな」と言われて、以来、その言葉をいつも大事にしてきました。
 説教(宣教)は、まず聖書を読み、疑問があればそれを調べ、その伝えていることと、現在、伝えるべき内容を考え、いろいろな解釈を学び、教会のメンバーの顔や今の時代性を思いながら、祈りながら1~2日寝かせて(発酵するのです)、それから一気に言葉化するのですが、最後の「言葉化」で3~4時間ほどかかります。その前の段階から考えれば10~15時間はかかるのです(どの牧師もほぼ同じだと思います)。しかし、時間をかけたから必ず御言葉にふさわしい宣教になるかどうかは別ものですが。また、書きすぎた。
 昨日、コリント教会の対立は「律法のとらえ方」と記しました。その内容はこのコリント書に今後も展開されていきますので、折に触れて扱います。そして、パウロは「派閥」が生まれる土壌として「バプテスマ」を誰から授かったのか、が一つの背景としてあることを示します。

 信仰者の入学式といってよい「洗礼・浸礼」である「バプテスマ」を受けようと決意したら、学びの時間をつくります。そして多くの人はどの牧師からバプテスマを受けたのかと覚えております(日にちは忘れる人が多い)。また特に信仰の歩みだしですから、その時に学ぶ内容はとても基礎的な大事な内容です。でも牧師は神さまではありません。教会から働きを委託されて牧師としての働きをするのです。どの牧師からバプテスマを受けた、ということは参考にはなりますが、あまり意味がありません。むしろ対立の中に下手に入ったり、対立を招くようなことはすべきではありません。
 恵み、恩恵であるキリスト信仰を巡って対立が生まれる、それを「キリストは分けられたのか、分裂したのか」とパウロは問います。パウロが十字架にかけられたのではありません。パウロからバプテスマを受けたら、それは本物のバプテスマなのか、等という議論は成り立たないのです。私どもは、十字架にかけられている主イエスによって、赦され、主から与えられた命の道を歩むことになった、その「十字架の影」に立ち続ける他はないのです。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト名古屋キリスト教会。名古屋市千種区今池1-6-25にあります。戦後、早い時期に名古屋のセンター教会を目指して生まれた教会です。教会堂は神戸や旧常盤台とおなじようなコロニアルスタイルの会堂になります。大昔、常盤台教会の聖歌隊の伝道旅行の時に訪れました。「今池」という場所は名古屋の中心地ですよね?名古屋で「台湾ラーメン」を食べるというのが、私の夢の一つですが、いつか実現したいものです。ひつまぶしは食べた、なべ焼きうどんも食べた(麺が堅いの!)、あんかけスパゲティも食べた。あとは「台湾ラーメン」。すみません、緊急事態にこんな話で。祈りの課題は、①「使命と働き」に添った教会形成。②教会建築をビジョンとすることの共有。③礼拝に出席できない方との連帯。牧師:白石久幸、協力牧師:池田巍義、伝道師:西久保健二

2020年04月29日

4/30「争いがうまれる」 Ⅰコリント1章10-17節⑤

 昨日の「クロエ」の話でクロエは裕福な家の夫人、その「家の者」は住み込みの家政婦でしょう。クロエもその家政婦もクリスチャンであったと思われます。では、どこに住んでいたのか。まず、コリントではなかった。パウロがこの手紙を書いているのはエフェソ。クロエはエフェソ近くにいて、何かのことで、コリント教会を訪問し、そこで聞いたこと、感じたこと、つまり良くない話ですが、その報告を家政婦を通してパウロは聞いたのでしょう。すでにキリスト教会のネットワークができていたことは以前も記した通りです。
 パウロが取り上げた第一の問題は教会の中に「争い」があった。それは「パウロ派」「アポロ派」「ケファ(=ペトロ)派」「キリスト派?」に分かれての争い。アポロについては使徒言行録18章等で紹介されていますので、お読みください。ペトロはよくご存じでしょうが、やはり使徒言行録で異邦人にユダヤ教の律法を守ることをさせようとしたり、それでパウロと対立することもあるし、パウロの考えに同調していけば、エルサレム教会の指導者からは叱られるという立場ですね。ペトロは何かにつけて、人間のもろさ、弱さを示してくれて、それはとっても私どもの在り方に近く「ペトロ先生、そういうこともあるよねー」と言いたくなる人です。
 「争い」の要因は「律法」に対する考え方でしょう。旧約聖書の律法の中で育った人はキリストと出会って、キリストにより「律法は廃棄(=成就)」したものであるのに、なお、律法を守るべきだと考え、自分ひとりでやっていればよいのですが、「律法を守れ」と異邦人クリスチャンに命令するのです。もちろん異邦人クリスチャンは「律法」のことはほとんど知りませんから、イエスの弟子であった人に「律法を守らなければ救われない」と言われると、「それは大変だ」ということになるのです。
 クリスチャンになったら「あれをしないといけない」「これはしてはダメだ」といろいろ制約をつけたがる人がいるものです。聖書を読み、祈りをし、礼拝を喜びつくっていく、ことがクリスチャンでありますが、すべてに自由であるのもクリスチャンです。その自由はキリストに従う道における自由です。そして「愛」をもってしか自由を行使してはいけません。あれ、私も「あれをするな」と言っているのかしら。
 「争い」はただ聖書解釈の問題ではなかったと思います。「争う心」は「違い」を「対立」に結び付けます。寛容さを失わせます。立ち返るのは主イエスの言葉と業になりますが、この当時、福音を伝えるのは口伝であり、語る人間の解釈が大きく入っていたことは問題でした。その時代に比較すれば、今、私どもは四つの福音書を通してイエスの言葉を聞くことができるのは、幸いだと思います。一人に一冊聖書があるなんて初期キリスト教会ではあり得ないことですから。すごい宝をいただいているのです。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟引退教役者の方々を覚えて。友納徳治氏(福岡県にある「伊都キリスト教会」をアパートの小さな部屋から起こしていった方です。現在の「常盤台バプテスト教会」の牧師のお父様)。

鍋倉勲氏(品川教会、福岡市の鳥飼教会等で長らく牧師をされていました。神学者としての一面もお持ちです。私が神学生の時、鳥飼教会で1年研修をしました。その時の牧師が鍋倉先生。鳥飼教会というのは、教会の横に川があり、冬になると渡り鳥がたくさんやってきて、パンを投げると鳥が大変上手にキャッチするのが楽しかったです。それで「鳥飼」という名前になったのかしら。鳥飼教会の隣は西南学院の舞鶴幼稚園とさみどり保育園があります)。

2020年04月29日

4/29「再びつながるために」 Ⅰコリント1章10-17節④

 「心を一つにし、思いを一つにし」の「思い」はギリシャ語「グノーシス」という言葉なので田川訳のように「知識」「認識」が良いでしょう。「グノーシス」は哲学等が盛んであった当時のローマ社会で高度なグノーシスを求めることが流行でもあり、特別な「グノーシス」を得ることが人間の目標をされたのです。「思い」という訳は少し弱いでしょう。
 「堅く結び合いなさい」の「堅く」の付加はルター以来の伝統で、「結び合う」は直訳では「修繕する」「回復する」という言葉です。当時の医学用語で「骨折」や「脱臼」を治す言葉にも使われています。いずれにせよ、今は壊れている状態ですが、それが再びつながるということになります。「回復する」ということが大事ですね。人間の関係でも「切れる」ことが生じます。あるいは災害や事故によって「切れる」ことがあります。「死」というものも「決して再び戻ることがない」ゆえに忌み嫌われてきました。しかし、主イエスのよみがえりによって、切れた関係性、切れた命が再びつながる希望を私どもは持つことができるのです。英語で「宗教」はreligion で「再びつながる」という意味だと昔、聞いたことがあります。
 11節でパウロは「兄弟たちよ」と語りかけます。ここに実は大きな意味があります。こう呼びかけることによって非難の調子をやわらげています。バークレーが語るように「それはムチをもった教師の言葉ではなく、愛以外の感情を知らない人の非難である」。さらに、「兄弟たちよ」と呼びかけることによって、コリント教会で分裂している人々も本当は、主にある兄弟姉妹であることを認識させようとしています。


 「クロエの家の人たち」。岩波訳は「クロエの(家の)人々」と青野太潮先生は訳します。「クロエー」は女性名詞で女性の名前。当時では裕福な商業階級の夫をもつ人だったと考えられます。クロエーの者とは、クロエーに仕える雇われ人、伝統的には「奴隷」とも考えられてきました。田川健三先生はここで岩波訳を批判し、岩波訳で「クロエス」としたことで、「この訳者は杜撰」と言っております。青野太潮先生は、私が西南学院神学部で学んだ新約神学の先生で私も随分影響を受けましたし、信仰者としても見習いたいと思う先生であり続けています。
 田川健三先生は荒井献に代表される「東京大学大学院西洋古典学教室」に学んだ人を鋭く批判しております。今は荒井の次の世代(大貫、さらに次の先生)になっておりますが、荒井献の門下であった青野先生に対してもいろいろ批判をしております。田川先生はここで「ともかくこの訳者(青野先生のこと)、水準が低すぎる」と記しております。何を仰る田川先生、青野先生の真摯な研究姿勢を知っている者からすれば「言い過ぎ」と思います。一方で、青野先生が田川先生の批判を論文等で記しても、「田川先生は対話しないんだ」と嘆いておりました。青野先生も言っておりますが、田川先生は自分の門下生には大変甘いところがあり、世界的な新約聖書学の権威である田川先生(フランス、ストラスブール大学で学んだ)も所詮、人間なんだなぁと思います。


 元に戻しますと、私の手元にある岩波訳(2004年版)で青野先生は田川先生が指摘している「クロエの(家の)人々」としておりますので、青野先生がこの指摘を受けて修正したのかしらと思って1996年の初版本を見たら確かに「クロエス…」とあったので、青野先生が指摘を受けて「クロエ」に修正したのですね。「聖書研究」というのは大変広い世界で、ある面から見たら二千年前の古文書の解釈になります。そして「聖書」ほど世界で研究されている書物は他にないでしょう。


 ここまで書いたのでついでに。私の名前は「献」と言いまして、父が「献」と名前をつけると聞いた母は「変な名前、やめてー」と。父は「いや、荒井献という優れた学者がいる」とのことで母も了解したようです。私はドラ牧師ですみません。

 荒井献先生のライフワークの一つである「使徒行伝」の講義を西南学院大学神学部時代に受けました。荒井先生も青野先生も、聖書の一行を解釈し、翻訳するのに、世界中、そして歴史の中にある文献をいくつも参照し、調べて、聖書のメッセージを捉えようとする姿に感銘を受けたものです。福音書とか、ローマ書、コリント書等は文献が大変多いので、調べるだけで時間がかかるのです。東大西洋古典で学ぶ人はギリシャ語、ヘブライ語、英語、ドイツ語などぺらぺらでなければ入学できないのですね。まぁ、私は今更東大で学びたいとは思いませんが。 
 さらに、私が22~25歳の頃、岩波新書で買った荒井献の「イエスとその時代」、そして田川健三の「イエスという男」、私の人生に大きな影響を与えた本です。もちろんいずれも基礎は「聖書」です。それはさておき、今日はY・Sさんのお誕生日おめでとうございます。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟派遣宣教師を覚えて。野口日宇満・野口佳奈宣教師(インドネシア派遣)。①諸教会の宣教の前進。②自然災害やテロリズムからの守り。③使命にふさわしいビザの取得。④家族の健康。 

嶋田和幸・嶋田 薫宣教師(カンボジア派遣)。①教会の日曜学校が祝され、「子どもから子どもへの伝道」が導かれるように。②新型コロナウイルスの感染が収束に向かうように。

2020年04月28日

4/28「心を一つに」 Ⅰコリント1章10-17節③

 「心を一つにし思いを一つにして、堅く結び合いなさい」。「心を一つにする」とはある宗教で見られるような「洗脳」やどこを切っても「金太郎」のような「一つ」ではありません。「御言葉」つまり、聖書が語っていることを土台とすることにおいて「一つ」、そして、同じ御言葉でも、解釈や、考え方、その言葉に応答し実現しようとする内容は、個人によって異なることを良しとすることにおいて「一つ」なのです。
 たとえば「人を愛する」ということでもその方法は様々であり決して一つではありません。「一つ」とは、主イエスがそうされたように、それぞれの「違い」を神さまから与えられた「豊かさ」と考え、それぞれの異なる思いを否定するのではなく、大事にすることにおいて「一つ」であり、互いを喜ぶことにおいて「一つ」であり、共に共通する課題を祈ることにおいて「一つ」であります。決して少数意見をないがしろにすることなく、皆が話し合い、妥当性があり、協力できる点を見出し、そこで方向や方策が決定されていきます。
 そして一度決まったことも、実際の運営でうまくいかない時は、また話し合って修正をします。人間の考えには絶対的なものはありません。そして合意され、決まったことにはそれぞれの立場で協力し、参与する態度が求められています。自分はこの意見は反対だったので、そう決まっても私は協力しません、参与しません、勝手にやってください、等を言う人がいれば、時間をかけた議論も無駄になってしまいます。そのような人がいたら、すぐに教会は壊れてしまいます。
 「包括的」という言葉がありますが、賛成意見にしろ、反対意見にしろ、何かが決まるときは、賛成者も反対者もいずれも完全に納得する形ではないでしょう。それを受け入れる必要が両者ともにあります。そして、何が目標なのか、がはっきりとしていなければなりません。この計画が承認された、ではそれがどのようなゴールを目指しているのかが、共有されることが必要です。そして先ほども言いましたように一つの方策が完全ではありませんので、やっていく中でより良い道があればそこで再び話し合っていくことは当然です。
 「決まったことだから変えられない」ことはありません。そして、「変える」ためには、誰かが勝手に行うのではなく、話し合いをきちんとして変えるのです。ルールを無視してはいけません。ただし、時間がかかります。緊急な時は執事会(役員会)で早い決定が必要でしょうが、通常の活動においては、時間をかけます。教会にみんなが集うのは週に一回なので、世の中の七分の一のスピードで良いと思っております(世の流れに取り残されるということもありますが、むしろ、世の中が早すぎる。ついていけない人が多いことも考えねばなりません)。
今日はO・Kさんのお誕生日です。おめでとうございます!

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟理事会。理事会のメンバーは連盟総会で選出された13名です。毎月行われる「常任理事会」、また全国から理事が集う「理事会」は年に3~5回行われています。特に今は諸教会の伝道が大変厳しい状況であり、これからの連盟組織の在り方について諸教会に提案していく大きな働きをになってくださいます。祈りの課題は以下です。①これからの協力伝道のあり方を共に考え、共に担う祈りが深められていく宣教会議(予定の日程が延期されました)、総会(通常は11月ですが、変更される可能性があります)となるように。理事長:加藤 誠(大井バプテスト教会牧師)

2020年04月27日

4/27「民主的な教会のゆえ」Ⅰコリント1章10-17節②

 コリント教会では信徒の考え方、思いの表現、そして違う考え方が複数ある中でどのような方向性をもって歩んでいくのかということでいくつかのグループに分けられ、それぞれが正当性を示し、妥協しない、というか、互いに裁き合っていたのです。教会であれ、どんな組織であれ、そのような違いや対立はよく生まれることです。思いが強く、熱心に関わろうとすればするほど、その溝が深くなるのです。今のコロナ感染に対する対応でも様々な溝が生まれていることを覚えます。
 そのような人間の在り様を知った上でパウロは「心を一つにし、思いを一つにしなさい」と勧めます。また、この言葉は教会形成におけるキーワードです。コリント教会に対立が生じていた、でもこのことはある面から見ればすばらしいことなのです。別の個所でパウロは「分派」も必要であると語っております。
 なぜ「すばらしい」と言うのか。つまり、二千年前の教会において「民主主義的な教会生成」で運営されていたからです。多くの部族や国というもの、それは部族長や王や皇帝等が命じたことに反対や違う意見を述べることは大変なことでした。時には死刑すら与えられます。また部族長がある宗教に改宗した場合、その配下にある人々も皆、その宗教を持たねばなりませんでした。

 「思想・信仰の自由」等は今でこそ当たり前のように考えられますが、そのような「自由」がない社会は現代でも大変多いということができます。コリント教会でも一人の権威者が「こうする」と言ったら、違う考えをもっていても従わなければならなかったし、そうしないと破門されることでしょう。でも、そうではなかったのです。それぞれ社会的な立場や経済的な違いはあっても、主の前には等しく、ゆえに、皆で語り合い、教会の運営がなされていた。そのことは今の教会でも同じですね。時々、牧師を権力者と考える方があります。牧師は教会員から働きを委託され、招聘されます。すべての活動は執事会や総会で報告され、承認されてできるのです。しかし、一方で、委託する側には責任が伴います。「自由」であることと、「責任」、それぞれの自覚が、民主主義国家でも、民主的な教会運営でも強く求められます。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東北バプテスト連合。東北連合は福島、宮城、秋田、岩手、青森、山形各県にあり、日本バプテスト連盟に加盟する15教会の連合です。祈りの課題は以下です。①相互訪問礼拝が用いられるように。②無牧師の教会の守りのために。③協力伝道のビジョン共有のために。会長:小田 衛(大富キリスト教会牧師)

2020年04月27日

4/26「口に尊い言葉を」Ⅰコリント1章10-17節①

 挨拶が終わり、パウロは内容に入っていきます。「勧告」とあります。あれっ、と思うかもしれません。「勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにして、結び合いなさい」。
 最初の挨拶を見る限りでは、コリントの人々がイエスへの信仰が与えられ、言葉も知識も豊かにされましたねー、と喜んでいるのに、ここでは反対のようなことが記されるのです。
 でもね、ここらあたりの順序というか、語り方はとても大事なのです。まず、感謝を語ること。人間関係でも、祈りでもそうです。祈りをするときにも、まず、神さまから与えられていることを感謝し、表明することが、人間の心を整えていくのです。
 人間に対しても、たぶん、多くの方はそうされると思いますが、まず「この前ありがとう」とか「とってもよくなったね」など、感謝や喜びを語ることです。
 人間っていうのは、あんまり人のことを誉めるのは楽しくないようです。どちらかと言うと、悪口のような方が楽しいのです。
 「噂」という漢字があります。この漢字は「口」に「尊」と書きますので、すぐれたこと、よいことを口にするべきなのでしょうが、だいたい「噂」というのは、人の良くない点や、過ちや、失敗などが多いし、「悪い噂」はとてもよく広がるのです。
 それはさておき、まず、良い点をほめ、感謝することが大事。ただ、注意すべきは、せっかく「良い点」を語っても、そのあと、「でもね、それはいいんだけど」と言って「悪い点」を挙げると、それまでの「良い点」を否定します。言い方としては「それら良い点があるし、あと一つここを変えたら本当にすばらしい」というような言い方が望まれるでしょう。

 おっと、今日はもう時間がなくなりました。所沢キリスト教会から「所沢通信」がファイルや郵送等で送られている方は、その聖書箇所を読み、メッセージを読んでお祈りください。ゴールデンウィークに入ります。人との接触はなるべく避け、コロナ感染の収束、医療関係者の方々や、ご苦労されている方々、苦しむ方々の上に主の幸いと導きがあるようにと、心こめてお祈りいたします。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 北海道バプテスト連合。北海道にあり、日本バプテスト連盟加盟の16教会で構成されています。祈りの課題は以下です。①北海道で暮らすすべての人の生活が護られるように。②主任牧師不在の教会の歩みのために。③先住民族を覚えて。会長:田森茂基(旭川教会牧師)

2020年04月23日

4/25「神の真実」Ⅰコリント1章4-9節③

 「神は真実です。」真実とは、「嘘、偽りのない真」、仏教語では「絶対の真理、真如」です。ギリシャ語では「アレセイヤ(アレテイア)」。ただ、「偽物」ではない、ということが主眼ではなく、「誠実」であるという、より内面を表現する言葉です。神が真実であること、その根拠をあなたはどこに求めましょうか。神ご自身が、自ら「真の神」であることを示すこと。

 みなさんは「神さま」はどんなことをしたら「神さま」だと認めるのでしょうか。今、「神!」とは「ゴッドハンド」とかの言葉をよく見ます。多くは、一般人では到達しえないようなすぐれた業や技を使う場合に言います。また、奇跡的なことをする。例えば、一晩で嵐がおさまる、とか、死んでいた者が生き返った、とか、杖を立てたら温泉が出た、とか、ですね。もちろんそのような「神」とか「イエス・キリスト」の姿は聖書にも登場いたします。

 但し、注目すべきは、そのような不思議に接した人が、皆、イエスさまを信じ、感謝と喜びの人生を送った、ということでもありません。神が神であるゆえの「誠実」な人間との関わり。神はあなた方を(本来はそうではないにも関わらず)、救い主、導き主、愛の主であるイエス・キリストとの交わりの中に招いてくださったことです。ここで注意しておくことは「交わり」の意味。辞書では「付き合い」とか、「性交」とかでてきます。あるいは「朱に交われば赤くなる」とか。聖書でいう「交わり」。一番良いたとえはイエスさまが語ったように「ぶどうの枝と幹の関係性であり、つながり」です。「つながり」はとても大事ですし、「つながり」がない姿を「孤独」と言います。イエスさまとつながる関係の中で、植物が栄養や水など、必須のものを受けるように、イエスさまとつながり、命や祝福、励まし、恵み、力、希望、慰め、助けを受けていく、その「つながり」が「交わり」です。

 礼拝の終わりに牧師が(多くの場合)「祝祷」、つまり、祝福の祈りをいたします。そこで「聖霊の交わり」がありますようにとお祈りいたします。これはすなわち、神さまとの関係が、決して切れることなく、豊かになされますようにということなのです。神さまが神さまであること、その確かさ、誠実さは、罪深い人間をなお愛し、導こうとして、共にあろうとされ、神さま、イエスさまとつながる命へと導いてくださったことなのです。私どもは、日々、食事や睡眠などで命を維持いたします。そして人間の「心(または魂」を満たすのは最終的には「心または魂」しかありません。あなたの心に神さまが触れてくださって、あなたの心を、今日、満たしてくださいますように。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東山キリスト教会。名古屋市千種区穂波町2-50にあります。地下鉄の駅から上がって徒歩ですぐ、住宅街の中にあります。私は、現在の鈴木牧師就任式の折、僭越ながら連盟理事だったので、連盟代表として挨拶させていただきました。それより以前、同じ福岡市で多くの交流のあった先生なので、とても嬉しく挨拶をさせていただきました。鈴木牧師はイケメン(昔?)で礼儀正しく、背筋を伸ばして、すごく真面目な先生です。早良教会の牧師だったころ、福岡有田教会で行っていたドラム教室にも通ってくださいました。他にも腹話術などにもチャレンジしておられました。ただ、あまり、完成したという話は聞かないけど、いや、何でもそう簡単ではありませんからね。いつのころか、すてきな伴侶ができ、東山の地で活躍されています。就任式のあと、ご家族と「うなぎ」、を出前で用意してくださいました。名古屋のうなぎの食べ方は面白いですね。祈りの課題は以下です。①み言葉に忠実に従う教会となる。②主日礼拝・祈祷会の充実。③全年齢層への伝道。新会堂建築。牧師:鈴木直哉

2020年04月22日

4/24「キリストの守りの中で」Ⅰコリント1章4-9節②

 6節の「キリストについての証し」。「証し」という言葉は世の中で一般的に使わない言葉のように感じます。「証拠」や「証明」、「ある事柄が確かであるよりどころを明らかにする」ことです。教会では「証しします」「証してください」という言葉が頻繁に用いられますが、それは「神さまが自分に与えてくださった恵みを語ること」です。キリストが自分にどのように関わり、導いてくださったことですから、自分を誉めたり、自分のしたことを自慢するのでなく、「神さま」がなしてくださったことを語るのです。戻って、ここは「キリストの福音を学び、分ち合って、確かになってきました」ということです。7節は「そして、キリストを知ることによって神の恵みを一つ残らず知りました」と訳します。新共同訳などの「賜物」はわかりにくくなります。そして8節を田川健三はこう訳します。「主は、我らの主キリスト・イエスの日においてあなた方が責められることのない者となれるように、あなた方を最後まで堅く支えて下さるであろう」。神さまの「恵み」を知る、それは、多くの間違いを犯しやすい私どもを確かに導く。「キリストの日」とは「キリストの出現」、いわゆる「最後の審判の日」ですが、いついかなる時にも、あなたを堅く支えてくださるのです。もちろん第一義には「信仰が守られる」ということですが、同時に、日々、様々な困難や危険の中に生きる私どもを守ってくださるのです。主なる神があなたに目を注ぎ、守ろうとしてくださっています。「守られる」なら、はずれたことをしてもよいか、と思ったり、「守られかどうか確かめてみよう」等と考えることは、イエスさまにサタンが語ったことと同じです。「守られている」なら、「守られている者」として今日の行動を決めていきたいのです。あなたを生かし、喜びと希望の中に導く神のまなざしを思いつつ、今日の日を過ごしましょう。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 平針キリスト教会。名古屋市天白区向が丘1-617にあります。10年程前に新会堂になりとても入りやすくなりました。平針は「ひらばり」と読みます。この教会の谷綛牧師は、以前、神戸市の国際的な教会、名前がでてこないけど、その教会を経て、バプテストに加わり、尼崎教会、そしてこの平針教会に招聘されました。日本バプテスト連盟のいろいろな研修会などに積極的に出られている方です。祈りの課題は①新会堂10周年記念行事のために。②伝道50周年記念行事のために。③祈りとみ言葉の教会となるように。牧師:谷綛安雄

2020年04月22日

4/23「あなたの姿は」Ⅰコリント1章4-9節①

 自分のことは自分が一番良く知っている、と思いがちですが、決してそうでないことがあります。自分の「良い点・悪い点」は人から言われて「そうなんだ、この人にはこう見えているんだ」と気づくことがあるのです。もちろん、その言葉が嬉しいこともありますが、時には嬉しくないこともあります。そりゃ、欠点を指摘されて嬉しい人はあまりいないけど、でもその言葉が、きちんと受け取られた時には成長することもあります。人の心は難しく、どう言ってよいのか、どうすればふさわしい言葉として響くのか、いつも悩んでおります。
 ここでパウロはパウロから見たコリント教会の人々の感謝や優れた点をまず語ります。「あなたがたは神の恵みを受けてキリスト者とされたこと、なんて嬉しい、なんて感謝すること!」と言い、あなたがたがキリストに結ばれ、キリストにつながり、キリストによって生かされていることで、あらゆる(キリストの)言葉や知識が豊かにされていることに感謝しています、と喜ぶ内容を語るのです。主イエス・キリストの言葉や知識を心に満たすことは、その人自身をキリストに近くさせていきます。キリストがいつもどのような願いを持ち、人と関わっていたのか、そのことを学ぶと、私どもがどのように人に関わるべきかの道が示されるのです。「学ぶ」という言葉は「真似する、真似ぶ」が語源だといわれます。師匠の姿を見て、自分も同じようにしたいと思うことから学びが始まります。主イエスの言葉や行動を知り、自分もそうしたいと思います。それは簡単ではありませんが。そう願うのです。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 瑞穂キリスト教会。名古屋市瑞穂区大富町1-13-3にあります。私が大学生時代、常盤台バプテスト教会のメンバーで、常盤台教会の聖歌隊が二年に一度、伝道旅行をしていました。私も岩坂先生の車に同乗してこの伝道旅行に参加しました。名古屋地区の2~3教会で、賛美歌の演奏や神さまから受けた恵みを語る、ということをしたのです。その一つが「瑞穂教会」でした。当時は常盤台教会出身の牧瀬牧師でした。近くに商店街があり、そこで本場の「きしめん」を食べたのを思い出します。現在は新しい教会堂になり、秋山義也牧師です。秋山義也牧師と秋山献一牧師(三鷹教会)は兄弟で、私は「小羊会キャンプ」や「全国少年少女大会」でお二人のことは割りと幼いころから知っておりますが、いまだにどっちがどっちだか見分けがつかないのです。ごめんなさい。神戸教会に研修で来て「お疲れさん」と一緒にジャズ喫茶に行ったのはどっちだっけ?お二人とも北関東地方連合出身の頼もしい方です!瑞穂教会の祈りの課題は以下です。①み言葉を味わい、生き生きと伝道する新年度。②地域・外国の方々から学び、出会いを大切に。牧師:秋山義也

2020年04月20日

4/22「恵みと平和を祈る」Ⅰコリント1章1-3節④

 パウロは挨拶のあと、祈りをはさみます。父なる神、それは旧約の時代から引き継がれる神の尊称。ただ、「父」という言葉とその言葉の持つ「概念」は変わってきています。「父」は「厳しさ」を表現するものでしたが、今は「優しい」「あんまり頼りにならない」というようなイメージがあったり、「父」は「自分を愛してくれる存在」ではなく、「自分を痛みつけ、苦しめる存在」として考える方もあります。本来は自分を守り支えてくれる存在ということです。ゆえに「父なる神」よりも「誠の神」等の言い方が現代では良いと思います。旧約聖書には神のことを「万軍の主」と言うことがありますが、「万軍」は軍事的な力のイメージがあるので、気を付けていくこと、「神」のイメージをより正しく理解していくための「翻訳」は必要です。「恵み」、それは神を表現するよい言葉。「恵み」は自分の力では得ることができないものです。自分の努力ではなく、神さまから与えられるギフト(賜物)です。「信仰」は自分の努力で「わかる」ことではなく、神から与えられる「恵み」を感謝して受け取ることからしか始まりません。神さまはあなたに「良き力」を必ず与えてくださいます。「平和」、自分を助け導いてくださる方があるとき、その心に「平和」が与えられます。「平和」を崩すのは、満ち足りず、人を羨み、何かを独占したい思いです。主イエスとの対話の中で平和が与えられ、そして、平和を学んだ者は、平和をつくりだすことへと導かれていくのです。パウロもまたここで他者のために祈ります。それは「平和」の心がなくしてはできないことなのです。今日はH・Sさんのお誕生日おめでとうございます。主の恵みが注がれますように。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 南名古屋キリスト教会。名古屋市南区戸部町4-5-1にあります。伝統的に多くの牧師を輩出した教会、元気で伝道熱心な教会、いつも新たなチャレンジをしている教会というイメージがあります。牧師の山川明美さんと山川高平さんは親子です。明美さんのお子さん、山川哲平さんはキリスト教音楽の世界で活躍しておられます。祈りの課題にある「福音経済」という言葉ははじめて聞くような言葉ですが、福音宣教をしていくための経費がささげられるという意味だと思います。祈りの課題は以下です。①南名古屋派遣宣教師の働きのために。②地域伝道の前進。③福音経済の満たし。牧師:山川明美、山川高平

2020年04月20日

4/21「つながる教会」Ⅰコリント1章1-3③

「至るところで主の御名を呼び求めている…」、50年代のキリスト教会。ローマ諸国への伝道はパウロの働きが特筆されますが、同時に、様々なルートを通じて各地でイエス・キリストを「主」(救い主)と呼ぶ人、そこに集う人によって教会が生まれています。主イエスの言葉、そこで示される「福音」が、人づてに確かに伝わっているのです。もちろん、それらキリスト教会は、社会の中ではとても小さな数にも入らないようなグループです。しかし、新たな福音は、人の心を動かし、この世にあって「光」として輝こうとしております。距離は離れていても、それら教会は祈りで結ばれ、人が移動する中でつながっていく教会でした。そして教会のつながりは大事です。教会の開かれたつながりが、互いの信仰を深めていくのです。
 「わたしたちの主」、主イエスは、パウロにとって、そして教会に招かれたひとりひとりの主であります。「主」というのは、「主人」とか「主体」ということですが、多少言葉を足した方がわかりやすいです。「救い主」は「私を救いへと導く主体」、「助け主」「導き主」「癒し主」等。また「救い主」という時、「救い」の内容は大変広がりのあるものです。何よりその「救い」は主イエスがそれぞれの方に語ってくださる内容なのです。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 愛知新生キリスト教会。愛知県西春日井郡豊山町青山東栄204にあります。割りと女性牧師がたてられてきた教会です。この3月まで牧師であった大島世津子先生は3月末で辞任されたようです。祈りの課題は以下です。①牧師が与えられるように。②無牧師での教会活動のために。③み言葉と祈りの生活が守られるように。

2020年04月20日

4/20「聖なる者」Ⅰコリント1章1-3節②

 「聖なる者」、「聖」とは「神さまの目的のために専ら使われる存在」であり、神さまだけがそれを「聖」としてくださる事柄です。つまり、人間がいくら「これは聖なるもの」と言っても、「聖」とされるのは神さまなのです。私どもは「これを聖なるものとして、あなたの御業のために用いてください」と祈る、そしてそれを受け取り、「聖」とされるのは神さまであることに、いつも謙虚でなければいけません。2節の「キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々」、パウロはその言葉に加え「召されて聖なる者とされた人々」、と言います。「キリスト・イエスによって」だけでは足りないと思ったのでしょう。「主イエスが呼びかけ、招いてくださった」、この事実をもう一度語るのです。改めて言います。「これは上等なものなので、すばらしいものなので、神さまの働きに用いてください」、と人は祈って献げることが大事、しかし、真実に神が受け取ってくださるか否かは、人間は決めることができないのです。そこにギャップが生まれます。それは私たちが「良い」と思うものと、神さまが「良い」とする基準が異なるからです。コリント教会の信者たち、人間的な目線でいえば決して完全な存在でなく、しみもしわもない存在ではありません。パウロから見れば多くの誤りや不足がある存在です(パウロ自身も自らを罪深い、神の目には叶わないような姿と言っています)。でも、主なる神はそのような不足が多い、間違いの多い、罪にまみれた者を「聖」、つまり、神さまの愛する存在として用いてくださるのです。人は言います。「お前なんて本当にクリスチャン?」「クリスチャンなのに…」と。クリスチャンは人間として完成され、神さまのような存在ではありません。自分の罪深さを知り、そのような自分をも愛し、ゆるし、主のものとしてくださることに感謝する者、それがキリスト者なのです。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト四日市教会。三重県四日市市野田1-1-27にあります。三重県にある日本バプテスト連盟加盟教会としては唯一です。この教会の加藤牧師は某有名大学の法学部出身のとても頭の良い方。いつも汗をかきかき、熱心に語る牧師です。いつも一生懸命な感じですばらしいです。伴侶は教会音楽の学びを続けられておられ、ご夫妻ともに、「しょうがい者」の方々やその周囲におられる方々と心合わせて歩んでいらっしゃいます。祈りの課題は①中長期的な教会の使命と目標を。②多様な人々に向けて開かれる。③連合・連盟との協力を喜び献げる。牧師:加藤英治

2020年04月20日

4/19「自己紹介」Ⅰコリント1章1-3節➀

 この聖書日課は、3月まで「聖書教育」の箇所で行ってきました(大体)。4月からコロナウィルス感染拡大防止のために週報等を作成しておりませんので、時期に合わせた箇所を選んでおりました。いろんな箇所に飛ぶのもなんでしょうから、しばらくはパウロが記した「コリントの信徒への手紙Ⅰ」より学んでいこうと思います。
 まず知ってほしいのこと。コリント教会はパウロが中心的に働きをして設立された教会ということ、そして、今、パウロは別の地域(エフェソ)で伝道生活をしており、コリント教会からの質問や問い合わせに応じる形で記されたものです。
 今日の箇所はパウロの自己紹介です。最初の言葉を原語では「パウロ、神の御心によって・・・」。「召された」とは、私が小さい頃「召された」=「死んだ」というイメージがあったのですが、「召された」のは神が呼び招いた、ということで、それは地上の働きにせよ、天国に行く時(それは神さまだけが決められることであるが、主イエスの思いは「すべて」の人が救われるためであるので、それに期待するしかないのです)にせよ、神さまが働きかけ招いてくださるのです。「使徒」とは原語で「アポストロス」、「使命を帯びて派遣された者、メッセンジャー」という意味です。つまり、神さまからその名を呼ばれ、そして神ささまから使命を与えられて派遣されるのです。兄弟「ソステネ」についてはまた後日。そしてコリントにある「神の教会」。教会は原語では「エクレシア」、神から呼び出された者の集まりという意味です。なので、教会とは建物ではなく、神が呼び、招いた人々の集まりを「教会」と言うのです。なので「教会」という、「教える」という言葉になってしまうと、学びが中心のような気がしますが、もっと豊かなイメージがあります。私が西南学院大学神学部に入学して「教会教義学」というクラスがありました。ほとんどの学生が受講しており、教師は寺園喜基先生(当時九州大学教授)でバルト神学を専門にしている方です。最初の授業で学生に「神学的自己紹介」をしなさい、と言われて「神学的自己紹介とは?はて?」と考えました。つまり、パウロのような紹介をしろ、ということだったのかと今も思い起こします。みなさんが自己紹介する時、なんと言うでしょう。「私は、主イエスと出会わせていただき、この小さなつまらぬ者を神の働きへと招いてくださる主を信じ、今、生かされているのです」と心から言うことができたら幸いですね。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> びわこシャロームチャペル。滋賀県守山市ふけ町300-15-5-131にあります。「ふけ町」は漢字では「浮気町」で、かなり面白い地名として知られているようです。教会案内に「浮気町」はマズイと思ったのでしょうか。そういえば、長崎県に「女の都」という地名があり、天国か地獄だなぁ、と感じたことがあります。ここは「めのと」と呼ぶのです。さて、この教会の桶田牧師は神学校で同期入学です。私はまだ20代、桶田さんは40~50歳だったと思います。関西弁で「ハレルヤ」といつも元気な方でした。今もあまり変わりないですね。率先して「早朝祈り会」を行ったりしていました。「祈りが足らない!」と言われると私ら、あんまり反論できないの。朝は苦手やけん(急に博多弁)。シャロームチャペルの祈りの課題は、➀Ⅱテモテ4章2節に導かれ、滋賀県全域を担当地域とし、2年前からイエスさまの福音を伝えています。現在、三か所で礼拝し、6月にもう一か所でも始めます。あと10年で10箇所のチャペルを開く予定です。牧師:桶田紀夫

2020年04月18日

4/18「もう較べなくていいよ」ヨハネ福音書21章20-25節

 復活された主イエスがペトロに対して「わたしの羊を飼いなさい」という使命を与えた箇所は昨日扱いました。その後、振り向くと、「イエスの愛しておられた弟子」(多分、ヨハネのこと)が近づいて来るのが見え、ペトロは「この人はどうなるのでしょうか」と主に尋ねます。ペトロも私共も、他人の未来、他の人をイエスはどう扱うのかと気になることがあります。主イエスは「他の人がどうであろうとも、私に従え」と語ります。人間の「ものさし」では他の人より優れている、他の人より軽率に扱われている、等、他人との比較で自分を評価します。でも、そのものさしはいい加減です。自分が誇りたい時は、自分よりできていないよなーという人と較べますし、自分が慰めてほしい時、自分を「そうではない」と言ってもらいたい時は、自分より優れているなーという人と較べたらいいので、「比較」の発言は信用してはなりませぬ、というか、その背後にある心理を考えないといけません。何より主イエスは、人間の能力や好みで比較や差別をしません。一人一人の命を心配し、それぞれに主との関わりの中でその人にふさわしい働きを与えられますし、あなたはもや、あなた自身を誰かと較べないで生きる自由が与えられているのです。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 須磨伝道所。別名で「ユース・ハーベスト・チャーチ」です。昨年12月より神戸市の「名谷」から「妙法寺」という場所に移動しました。この教会は大変ユニークな教会です。なぜなら'97年2月から5月にかけて、当時14歳だった男子中学生が児童を次々と襲い、山下彩花さん(当時10歳)、土師淳君(同11歳)の尊い命を奪って3人を負傷させた「神戸連続児童殺傷事件」を知った谷口明法牧師が、その事件に強く心を動かされ、神戸で青少年にイエスさまの福音を伝えようとしたことから始まったのです。主な対象は青少年であり、「英語教室」を行いながら、地域へ伝道をしています。もちろん、青少年が対象なので、先生の生活自体は大変苦しいと思います。未来へと生きる若者に語り続ける先生のお働きを尊敬しております。祈りの課題は、新しい場所での働きのためにお祈りください、とのことです。牧師は上記した谷口明法さんです。

2020年04月16日

4/17「新しい職務への招き」ヨハネ福音書21章15~19節

 主イエスが自ら用意された食事を食べた後、よみがえった主イエスはペトロに語りかけ、これからペトロが行うべきことを示されます。ここではペトロだけとの対話が記されていますが、私は多分、その後、ひとひとりの弟子に語ったことだろうと思います。そして今日の箇所は、私が「献身」(「献身」はいろいろな意味がありますが、ここでは牧師や伝道者として、その働きを専らするという決意)する思いへと促された聖書箇所です。イエスさまが「シモン」と古い名前(「ペトロ」はイエスが「あだ名」としてつけた名前)で呼ぶ時は、とても大事な時であり、ペトロの人生すべてに関わるような出来事を語る時です。「他の弟子より自分を愛するか」、ここでは、ペトロが「私は他の弟子がつまづいても決してつまづきません」と言った言葉を念頭に語っています。そして、主イエスはそれを三度繰り返す。ここにもペトロが三度主イエスを知らないと告白したことと結びついています。ペトロの思いを確認し、そして、主イエスは「私の羊を飼いなさい」と職務を与えました。もちろん、「私の羊」とは、この世界の人間のことです。主を「愛する」ことは、主が愛される人間を愛することであり、人々の最善と幸いを祈り、ひとりひとりが主と出会うことへと導く働きなのです。神を愛することは、人を愛することで証明されるのです。その働き、愛の働きは決して楽ではなく、将来的には自分が思わない、願わない道があることを示します。「献身」とはそのことを含みます。もはや自分が喜ぶように、自分が好きなように人生を目指すのではなく、神の思いを実現することを第一にするのです。難しいことだとドラ牧師も感じます。牧師として歩んで30年余、己の弱さ、罪深さを示されるしかないような日々。でも、この箇所に立ち返って、思いを新たにしていきたいのです。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 新田辺バプテスト伝道所。京都府京田辺市東古森85-1で活動されているようです。大津バプテスト教会の伝道所です。この教会はあまり知らないので申し訳ないのです。祈りの課題は以下です。➀新しい求道者が与えられますように。②教会の伝道の働きが祝福されるように。③教会の経済的必要が満たされるように。牧師:永藤 裕幸

2020年04月16日

4/16「弟子たちが新しく生きるように」ヨハネ福音書21章1~14節

 主イエスが復活後、しばらくして教会が聖霊の息吹により生まれる前、弟子たちの信仰は時に高まり、時に不信に陥る時があります。弟子たちは出身地に戻り、かつての漁師に戻ったようにも記されます。しかし、この日、イエスの弟子に招かれた朝のごとく、一晩中漁をしても、何の獲物もとれません。その時、主イエスが彼らに声をかけ、あの日と同じように舟の右に網を下すと、沢山の魚がとれました。そして、弟子たちは全てを悟ります。イエスの声を聴かなくては何の獲物もとれず、生きることができない自分の姿。弟子たちが働くのは、主イエスの救いの業を伝えるためであり、自分の腹を満たすのではなく、世界に恵みを伝える働きのためなのです。その働きのために主御自身が朝食を用意されるのです。この朝、弟子たちはなんと嬉しい、忘れられないひと時でした。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大津バプテスト教会。滋賀県大津市木下町9-5にあります。「大津教会」は長く牧会された浜崎牧師の考えもあってか、「聖霊の働き」を強く言う教会と思うのですが、一方、深く聖書を学ぶことも(当然ですが)大事にされていると思います。規模の大きな教会なので、小さなグループをつくってそれぞれのグループでの牧会や伝道をされています。この教会の上田牧師は、実は神戸の生まれ。お父様は今の「新神戸」駅に近いところで「飴やさん」をやっていました。私が神戸教会在任中は上田先生のお母様のバプテスマをさせていただきました。おねーさんも元気でしょうか。上田先生はとても地味に見える先生で、あんまり「聖霊!」っていう先生はないのよね。教会の祈りの課題は以下です。➀主の教えに従ってそれを守ることができるように。②地の塩・世の光として用いられるように。牧師:上田益之

2020年04月14日

4/15「信じられない者のために祈る」ヨハネ福音書20章24~29節

 イエスの弟子たちは処刑されたイエスの関係者であることで逮捕を恐れ、家の鍵を閉め、閉じこもっています。もうひとつ、閉じこもった理由は裏切った自分たちは呪われるのではないかという思いです。その閉じられた世界、閉じられた心の中によみがえりの主イエスが、まるで普通に、いつものように入ってこられます。そして聖霊によって赦し(和解)の福音を伝えること、平和に生きることを教えるのです。しかし、トマスはその時いませんでした。その後、自分は復活など信じないと言い放ちます。それから一週間、他の弟子たちは、トマスのために祈ったでしょう。トマスが復活の主を信じることができるようにと。その祈りに応えて、主イエスがトマスに会われます。「証拠」を見なければ、と言っていたトマスはもはや証拠を必要とはしません。今の教会でも仲間に信仰が与えられることを祈っています。誰もが「自分は信じられない、もうやめたい」と思う時が起こるのです。その時、あなたのために祈る方がいます。そして主御自身が、み言葉を通して語ってくださるでしょう。「信じられない」と思う心を、私は大事にしたいのです。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 北山バプテスト教会。京都市北区上賀茂岩ヶ垣内町37にあります。でも、何より地下鉄の駅から上に上がったらすぐそこにある便利な教会です。「植物園」の真ん前になります。この教会で3月まで牧師をなされていた木原先生は、関西学院大学の働きを4月からなされているはずです。木原佳二先生は新約聖書神学を学び特に「ルカ福音書」の研究者として本も出されています。でもとっても謙虚で控えめな先生です。先生ご家族は家族ぐるみで親しくさせていただきました。ルカ福音書では「悔い改め」と訳される言葉、ギリシャ語では「メタノイア」、逆から読んだら「アイノタメ」ですが、その言葉はむしろ「方向転換」という積極的な意味なのですが、割とずれて理解されているのが残念です。木原先生は教会でも早くに「太陽光発電」を行うなど、社会や環境のことを日々、祈り、考えておられます。日本新約学会が東京で行われる時にでも、所沢教会でお話していただきたいなぁ、と思っております。4月から北山教会の牧師に就任されるのは「小櫻 信」という方で、西南学院大学神学部を出たばかりです。お父様も牧師をされていました。教会の祈りの課題は以下です。➀高齢者や病床にある方々のために。②こどもの安全・教育成長のために。③核と原子力からの脱却のために。牧師:木原佳二(3月末辞任予定)、小櫻 信(4月1日就任予定)

2020年04月14日

4/14「よみがえり、信仰の復活」ヨハネ福音書20章11~18節

 イエスに七つの悪霊を出してもらい命の喜びを取り戻したマグダラのマリア。しかし、墓でイエスの遺体が消えたのを見て敵対者がイエスの遺体を侮辱するために持っていったと思い、また、彼女の目的が果たされなかったことで泣きます。その涙の中に誰かが近づいてきます。それは、かつてそうであったように。主イエスはこの時も悲しむ者の傍らに立ち、言葉をかけます。目は涙にさえぎられてイエスだと気が付きません。そしてイエスが「マリア」と呼びかける言葉を聞いて、イエスと解ったのです。ここでもヨハネのキーワードである「主の言葉を聞くこと」を通しての信仰が表明されています。そして、今日も主イエスはザアカイの名を、ペトロの名を呼びかけたように、あなたの名を呼びかけ、喜びの関係を繋げてくださるのです。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 北白川バプテスト教会。京都市左京区北白川山ノ元町76-1にあります。京都市の「日本バプテスト病院」の近くに建てられた教会で、本来的には、病院と協力して医療関係者や病院で診察や入院される方、された方などを受け入れる教会が一つの願いだったと思います。この教会で長く牧師職をされたY牧師、Y牧師が引退後、私も高鍋でご一緒に歩んだ時期がありますが、Y牧師のリーダーシップと、聖書に対する考え方、向き合い方は大変純粋であるように思えます。が、「ミッション」があったのかと問われていくでしょう。もちろん、Y牧師が悪いとか、間違っていると言っているわけではありません。牧師と信徒、という関係性の構築の中で、また、バプテストとしての生き方において、超えてはならない、いや、超えさせなかった、超えられなかった、というY牧師の課題を感じるのです。祈りの課題は以下です。➀教会員の健康のために。②礼拝の充実のために。③地域への伝道のために。牧師:軍司康博

2020年04月12日

4/13「消えたイエスの死体、これは事件か、事故か、それとも」ヨハネ福音書20章1~10節

 日曜の朝早く、マグダラのマリアと多分、他の女性たちがイエスの墓に「別れ」のために行きます。そしてイエスの遺体がなくなっていることを見て、驚き戻り、他の者に伝えます。ペトロともう一人の弟子(ヨハネ福音書に5回登場し、「ヨハネ福音書」を記した弟子ヨハネとも言われる)が確認しますが、この現実は不思議であり、謎でした。「遺体が盗まれた」としか思えません。「復活」などその時は信じられなかったのです。いや、誰がそんなことを信じ得ましょうか?遺体がなくなったことはよみがえりの証明にはなりません。復活したイエスが彼らに、私に語りかけない限り「復活」は信じられません。今も生きて語られる主イエスとの出会いのみが「復活」を信じることにつながるのです。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト京都教会。京都上京区荒神口通河原町東入亀屋町122-1にあります。京都の人はこんなに長い住所を覚えて、書くことができるのでしょうか。確か、川の近く、だったかなぁ。昔一度だけ行ったことがありました。京都の町自体には、何度も行ったことがあります。街中をお坊さんがはんぱなく歩いていたのに親近感をもちました。お坊さんとも仲良くやれることが多いのですよ。祈りの課題は以下です。➀み言葉を生きる教会として。②バプテスト関連施設を覚えて。③隣人と共に歩む教会として。牧師:李 海勲(イ ヘフン)

2020年04月12日

4/12「イースター、よみがえる関係」マタイ福音書28章1~10節

 復活、それは関係性の回復であり、救済であり、希望であり、愛であり、共に生き、共に歩み続ける世界の実現です。死は愛する者同士、共に生きた者の関係を引き裂きます。人間はそのような罪を犯すのです。そう、関係を引き裂く、つながりを断ち切ることにおいて。しかし復活はそのような人間の罪の力に対して新たな地平を示し、新たな絆、虹のごとく分断の橋をつなげ、復活する世界があることを教えてくれます。レンという人の書いた讃美歌を思い起こします。「互いを引き裂く痛みの中でも、よみがえる愛を信じて祈ろう」。主なる神は、命を、愛を、よみがえらせる方。断絶した世界の中で、我らは今日、喜び歌おう。我らは祈ろう。再び繋がれ、共に生きるよみがえりの賛歌をイースターの恵みと祝福が今日、我ら世界の上にありますように。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 京都洛西教会。京都市中央区西ノ京馬代町16-9にあります。この教会で長く牧師として歩み、現在、協力牧師をなされている杉野榮牧師は京都の切支丹遺跡、仏教・神道とキリスト教の関係等に大変詳しく、杉野先生の研究成果を多くの方々に知っていただけたらと常々思っております。「魔鏡」と呼ばれる、切支丹の方々が、鏡に光を当てると反射した光が十字架の形で見えるものがありますが、それを再現したもの(サイズは実際よりずいぶん小さいです)を、以前、私も先生から購入させていただきました。見たい方は、コロナが落ち着いたあと、所沢キリスト教会においでくださったらお見せいたします。祈りの課題は以下です。➀築50年の牧師館改築の実現へ。②正牧師招聘のため導きと備えを。③地域宣教の進展を求めて。協力牧師:杉野 榮、李 鎮鐵(リ ジンチョル)

2020年04月07日

4/11「イエスは死んだ」マタイ福音書27章44~56節

 主イエスの死の時、地震や死者の復活があったとマタイは記しますが、多分、起こったとしても、残念ながら社会への影響は何一つ与えなかったようです。ただマルコが書いているように一人の信仰者が生まれたのは確かでしょう。神を必要とせず、神をこの世から追い出した人間はその勝利に酔いしれました。人間の「力」への信仰は多くの犠牲を出しているにも関わらず、今も平気に続いています。そして主イエスは暴力とたくらみにより殺され、墓に葬られます。夕方になり、何事もなかったかのように日が暮れていき、闇が世界を覆います。悲しみと後悔の夜はもはや戻れない時の到来を告げます。その時、我ら悲しみ、悩み、苦しみ、喜び、希望が交差する人間の世界を歩んだ主は、人々が忌み嫌う死者の世界をも住まいとされ、歩んでいるのです。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 北大阪キリスト教会。大阪府守口市大久保町2-34-14にあります。この教会の古賀牧師は「碁」がとても上手らしいです。そのせいか、パソコンも指一本で「タンタンタン」と打っているとのこと、ものすごい早起きの方で、見習いたいものです。祈りの課題は以下です。➀2カ月に一度の子ども集会が祝されますように。②高齢者や病の中にある方が守られますように。牧師:古賀昭範

2020年04月07日

4/10「虐待する人間の魔性」マタイ福音書27章27~44節

 死刑判決が下されたイエスの姿。「赤い外套」は緋色であり、紫に近いもので、「罪」や「懺悔」を表現するものとして処刑される者に着せられたと考えられます(色の使い方は時代で変化する)。そして「王」の冠は「茨」であり、その堅い棘は主イエスの皮膚を刺します。そして、つばをかけられ、叩き続けられたのです。まさにその時、主は人間とみられていなかった。ここに人間の「魔性」を見ます。優しい父親が戦時下において赤ちゃんを槍でためらいもなく刺したように、狂気の人間、それが確かに人間の姿だと思う時に悲しみがあふれます。「魔性」の血の遺伝子は誰もが持っており、その犠牲が主イエスに代表されます。同時に犠牲となる主だけが人間を赦しその罪の歴史を浄める、いや、犠牲は今も続いています。主の十字架に目を向けない限りはその歴史は繰り返し続けるのです。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 南千里バプテスト教会。大阪府吹田市高野台3-10-8にあります。一度伺ったことがありますが、低い山をくるくると登り切った上にあります。さいごは行き止まりになるので、その前に見つかるはずです。祈りの課題は以下です。➀牧会者があたえられますように。②聖書から力を与えられますように。③教会の交わりが豊かになるように。代表役員:平田道也

2020年04月07日

4/9「責任はないと言いながら」マタイ福音書27章15~26節

 ポンテオ・ピラトは紀26年~36年、ローマ帝国がパレスチナに駐在させた総督(行政長官)で、通常はカイザリヤに住んでいますが、祭りの期間は警備のためにエルサレムに滞在していたのです。ルカ福音書13章には「ピラトがガリラヤ人の血をいけにえに混ぜた」つまり、礼拝をしていたユダヤ人をピラトが殺した記事があります。その他、ユダヤ人の反感を買う行為をしたことで有名です。ユダヤでの合法的殺人(死刑)も恩赦権も行使できたのはピラトだけでした。今日の箇所ではピラトがユダヤ人に屈したようにも見えますが、彼には正義などあるはずがなく、ユダヤ人の暴動を恐れて、責任はユダヤ人にあると明言して、イエスの処刑を決定したのです。そのピラトの姿は今を生きる人間の中にもあるのです。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 東豊中バプテスト教会。大阪府豊中市上野東2-11-48にあります。この教会の河野牧師は「新生讃美歌」に掲載されているいくつかの讃美歌詞を書いておられます。「天然」っぽい愛すべき先生です(先輩だけど)。祈りの課題は以下です。➀この時代を生きる中で栄光を主に。②礼拝が復活の命と新たな献身へ。③国民(くにたみ)・世界の民がキリストの福音へ。牧師:河野 浩

2020年04月07日

4/8「苦難による連帯と励まし」ヘブライ書12章1~3節

 ローマで旧約聖書をよく知るヘブライ人に記された書。迫害はローマ政府と同郷の民であるヘブライ人から受けました。その苦しみは実に耐え難いものでした。そのような状況を生きる信仰者に、心確かに、主を見て生きるようにと励ましています。そして何度も「苦難」を受けた主イエスの姿を伝えており、ここに、「苦難」に対する人間の向き合い方のひとつが示されています。「苦難」を肯定的に受け取ろうとする時には、人に忍耐を教え、成長させるものなのです。ただそれを回りの人が言っても当該者が簡単に理解できるものではありません。大牧者である主イエスが、語りかけて下さることだけです。主(神)が苦難を担い、痛みを受けたこと。それが励ましの根拠。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 和歌山中央バプテスト伝道所。和歌山市東釘貫丁1-2-1にあります。祈りの課題は以下です。➀信者たちの信仰が堅く建てられるように。②地域に福音が拡がりますように。③3年後に建築ができますように。牧師:河 亨植(ハ ヒョンシク)

2020年04月07日

4/7「悲しむ者の幸い」マタイ福音書5章1~12節

 主イエスが語った十の幸い。特に、3、4、10、11節は人間が「幸い」と思えない事柄にも関わらず、主は「幸い」だと語ります(「逆説」)。主イエスに従ってきた者は主の十字架上での死は「悲しみ」でした。しかし、復活の朝、悲しむ人々の目に希望の光、喜びが生まれるのです。主の復活は、迫害や死の悲しみに生きる人々に希望を与え続けています。「悲しむ者の幸い」、それはどんな人間も決して語ることのできない言葉です。ただ、死をもって死を滅ぼし、人間の罪を贖い、永遠の命へと招く、唯一人のお方、イエス・キリストしか言い得ない言葉であり、主を信じる我らへの大いなる励まし、喜びとなるのです。この苦しみを通して、主の幸いを待望し、祈ります。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大阪中央バプテスト教会。大阪市中央区島之内2-5-9にあります。地域柄、韓国出身の方など多い教会です。祈りの課題は以下です。➀祈り、伝え、養育、奉仕を通してすべての人を弟子とする「愛の共同体」となる。牧師:ハム・クァンオク、他。

2020年04月07日

4/6「言葉が与えられる時」エゼキエル書37章1-14節

 エゼキエルはバビロンによるエルサレム陥落と捕囚を経験した預言者です。異国に連行され、イスラエルの人々は行き場と希望を失っています。その状況の中で、エゼキエルは「枯れた骨の復活」の幻を見ました。枯れた骨であっても主が霊(命の息、神の風)を注ぐ時に、骨がカタカタと音を立て近づき、肉が生じ、それらに預言する時、つまり、主の御言葉が告げられる時(創世記の創造も神の言葉によって成ったことを覚えよ)、命が生きだしたのです。かつては「黒人霊歌」と呼ばれた「アフロ・アメリカン・スピリチャル」でもこの題材が愛されて歌われました。異国で命が枯れてしまいそうな人々の状況がバビロン捕囚と重ねられ、でもそこに主による希望を見たゆえに。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大阪旭伝道所。かつての「新森小路教会」の歴史の中にあります。今は「平和の子保育園」です。「伝道所」は現在活動休止中です。牧師:中島義和、副牧師:中島久子

2020年04月07日

4/5「あなたの御心のままに」マタイ福音書26章36-46節

 エルサレム周辺のオリブ山、ゲッセマネ(油絞りの意味、オリブ山はその名前の通りオリーブが植えられ、オリーブオイルを絞る場所)はエルサレム滞在中の主の祈りの場所でした。主イエスの逮捕、そして死刑が待ち受ける時、主は逃げることもできたでしょう。しかし、主は祈りの格闘の中で受け入れることを覚悟します。その祈りに共なる者、その十字架に共なる者はいません。ただ、お一人だけがその重荷を背負い、立ち上がっていくのです。この箇所は祈りの弱い私どものことを気づかせます。そして今日思い起こすのは、イエスの母マリアが、イエスを身ごもった時、大変躊躇しながらなお「あなたの御心が行われますように」と祈ったその信仰が主イエスにも引き継がれています。そして、今日、あなたのことを主は祈っておられます。そして、あなたにも、主に委ねる信仰が受け継がれていきますように。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト大阪教会。大阪市天王寺区茶臼山町1番7号にあります。最近、新しい会堂が建築されました。JRで言えば「天王寺」から歩いて6~8分と便利の良い場所です。会議で訪れて帰る時、どーしても「串カツ」の誘惑に負けておりました。この教会の下川牧師は頭がつるつるなので、お坊さんとよく間違えてしまいます。祈りの課題は以下です。➀伝道開始70年目の歩みのために。②病床、療養中の方々の守りと癒しのために。③高齢者への礼拝の送迎が叶うために。牧師:下川俊也

2020年04月03日

4/4「主イエスが再びつなげてくださる絆」ルカ福音書22章31-34節

 ルカが伝える最後の晩餐の時の話です。ここで主イエスは「シモン」とイエス様が名付けた「ペトロ」という名前でなく、元の名前で呼び掛けています。このような時はペトロに対して何か注意する時の言葉のようです。イエス様に従いながら、なお、まだ古い自分の意識や思いがあるのでしょう。主はペトロが自分を裏切ることを知っていました。その信仰の弱さ、人間の弱さを知りながら、たとえ、その人に信仰がなくなったと思えるような時でも、主がその信仰を与えてくださるし、再び立ち上がることができると語っておられます。この時、ペトロはその意味がわかりません。しかし、ペトロが離したその手を、信仰の絆を、主は再び結び、愛と赦しをもってつなげてくださるのです。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 田辺キリスト教会。大阪市阿倍野区播磨町2-6-12にあります。祈りの課題は以下です。①弱さを持つ人がみ言葉に生かされるように。②高齢者地域の中で寄り添う教会のあり方を模索活動中。牧師・喜多村やよい

2020年04月03日

4/3「苦難を共に担うお方」ヨハネ福音書16章25-35節

 一昨日に記した主イエスの告別説教の最後。主イエスはご自身の苦難と死はもはや「たとえ」ではなく、実際に起こるのです。主イエスの苦難を知ることは、同じように様々な苦難の中を歩む私たちに苦難を耐え、勝利の日を待ち望むことへと導きます。苦難から逃げ去る道ではなく、苦難を生きつつ歩む者を神が愛して支えます。決して神があなたを憎いと思っているわけではありません。主イエスと共に神がおられ、私どもと共に苦難を歩まれた主が我らに伴います。苦難の中で心騒ぎ、心荒れる中、主の平和が主によって与えられます。そして主は私どもを励まします。「勇気を出しなさい。わたしは既に世(苦難をもたらし、神から離そうとする世界)に勝っている」と。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 今日は日本バプテスト連結成記念日です。戦時中にキリスト教派は政府により統一され、管理・監視の対象とされました。戦後、米国南部バプテスト連盟の宣教師等によって生まれていたバプテスト教会(他も含む)、16教会で「日本バプテスト連盟」結成いたしました。1947年のことです。さて、本日祈る教会は「平野バプテスト教会」です。住所は大阪市平野区平野東4-4-13にあります。祈りの課題以下です。①広い教会堂が与えられるように。②「夜回り」「お茶の会」地域活動のため。③新来者や離れている方々のため。牧師・高田 進

2020年04月03日

4/2「非暴力に生きた主」ルカ福音書22章35-38節

 イエスの逮捕を前にして主イエスが「剣」を用意しなさい、と語られます。なぜ、主が「剣」を必要としたのか。ここは解釈が難しい点です。解釈の一つは、その後、ペトロが大祭司の手下の耳を切り落としたことにより、なぜ剣を持っていたかの根拠を示したこと。でもその時、主はペトロに「やめなさい、剣を捨てよ」と暴力を中止させます。もう一つの解釈は、命の危険が迫っていること、それに対して準備をする表現であり、武装(といってもわずか剣が二本だけで、他方、神殿・政府側は武装をたくさんしている)を勧めることではない、との考え。私は、どんな武装も主の歩み(非暴力)の前には無力となることを教えるために用意させたと考えます。主イエスは決して争いを願っておりません。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 シオンの丘キリスト教会。大阪府藤井寺市藤が丘1-7-12にあります。祈りの課題は以下です。①地域の方々と出会えるような集会が備えられて、周囲の方々にあてにされるような存在となれるように。牧師・坂田 浩

2020年04月01日

4/1「悲しみは喜びへ」ヨハネ福音書16章16-24

 主イエスはこの夜、深い痛みと悲しみの思いが満ちていました。別離、そして死の苦しみはイエス自身も避けたいほどのものでした。しかしこの箇所には「喜び」が「悲嘆」に深く対峙するように、確かに語られています。「悲しみが喜びに変わる日が来る」。世の与える喜びは世の有様に左右されます。そのような一時的な、あるいは一人悦に入る喜びではなく、人が奪い去ることのできない喜びなのです。この世を生きる私どもには悲嘆や絶望の時があります。その時、思い起こしてほしい。それは主イエスにも苦難の歩みがあったことを。今日、悲しみを担って歩む者、目覚め、天を見上げ、主の足跡に続き、忍耐し、祈ろう。主の御心はあなたを「喜び」へと招くことのゆえに。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 東大阪キリスト教会。大阪府大阪市花園東町1-20-19にあります。祈りの課題は以下です。①世界が平和になりますように。②すべての人が大切にされますように。③地域での福音宣教の前進のために。   牧師・柴田 良和、中村 尚子

2020年04月01日

3/31「つまずく時」マタイ福音書26章1-35節

 「最後の晩餐」の席上、主イエスは弟子たちに「皆、わたしにつまずく」と語り、弟子たちは「つまずきません」と口々に言います。つまずくとは物事の中途で、思わぬ障害につき当たって失敗することです。弟子たちはイエスご自身、何度も自分は殺されると話すのを聞いていましたが、それを受け止めていませんでした。そして、実際にイエスが逮捕される時に逃げ、つまずいたのです。私どもも(信仰でも)つまずくことがあります。誰もつまずきたいとは思ってはいないのに(他方で、自分の存在の表現としてわざとつまずくこともあり)。それは自分の現実が自分の予測と異なる時に起こります。その時、信仰は自己中心的です。そうではなく、神の目から自分を見つめなおすことです。そのようなあなたを主は支え給う。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟「引退教役者の方々を覚えて」。時田光彦氏(千葉県在住)、冨田敬二氏(東京都在住)。

2020年04月01日

3/30「主イエスはキリスト(メシア)」ルカ福音書10章21~24節

突然のように主イエスが聖霊(=神)により喜びあふれています。何故今頃と思うのですが、「神の御心がわかる」ということは、一度だけではなく、その生涯で何度も御心を知り、喜ぶ時が与えられます。そして、イエスと神との関係について語っています。ヨハネ福音書では「言は肉となった」「わたしと父は一つである」という内容を語っているのです。そして「多くの預言者や王たちが待ち望んでいた者、それはこのわたしである」との表明はマタイ福音書では「預言者によって言われていたことが成就するためである」と同じ内容を語ったものです。ここにおいて主イエス・キリストがメシア(救い主)であると語られ、イエスによって人間に出会い給う神が示されたのです。今日はM・Mさんのお誕生日おめでとうございます。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連合立神学校・研修センター。連盟の各地方連合の働きとして「東京バプテスト神学校」「九州バプテスト神学校」「北海道バプテスト研修センター」が運営されています。

2020年03月30日

3-29「言葉が現実となるために」ヨハネ福音書18章14~18節

真理とは、辞書的には「確実な根拠によって本当であると認められたこと。ありのまま誤りなく認識されたことのあり方」です。聖書が語る真理は「神・イエス・聖霊」を指します。ヨハネ福音書で「真理」が使用されている箇所はホームページの「聖書日課」に記しました。真理は自由を与え、真理は人を生かし、共にあり、主の教えを思い起こさせるものです。「真理とは何か」と聞いたピラト。自分の名誉や経済のために時代を生きたピラト。人間が求めるべき「真理」を求めるべきでした。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り>

全国教役者会。①これからの教役者会のあり方についての協議が整えられていきますように。②三バプテスト牧師研修会2021年9月福岡)の準備のために。 事務長・本山 大輔(豊前教会牧師)
■女性牧師・主事の会。①それぞれの賜物が豊かに用いられるように。②待機中の方々のために。③普段からの励ましあいと学びのために。
事務局・今給黎 眞弓(豊中教会牧師) 

2020年03月29日

3/28「言葉が現実となるために」ヨハネ福音書1章14~18節

 今日、「聖書教育」誌はヨハネ一章を示します。「言」(ことば)は肉(人間の姿となって)となって、わたしたちの間に宿られた(共にいる姿)。そしてどのようにして、共に歩んだのかがこの第四福音書で示されました。「恵みと真理」。それは人間の力では得ることができないもの。人間の命は神の恵みであり、唯一の真理なのです。その命をふさわしく生きるように、喜んで生きるように、互いに愛し、助けあい生きることが神の願いであり、そのために主イエスは来られたのです。「愛する」との言葉を発するのは時に簡単。しかしその言葉を完全に生きることは人間にはできません。神の愛が言葉で終わらず、主イエスの言葉と生き様、そして十字架において示されたのです。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り>

日本バプテスト連盟「財務委員会」。①協力伝道献金体制に向けての連盟財政の課題検討作業を遺漏(いろう)なく行えるよう委員長・中條 智子(長住教会牧師)

2020年03月28日

3/27「聞くべき声は誰の声?」マルコ12章27-36節

ローマ帝国ユダヤ属州総督ポンテオ・ピラト(在位二六~三六年)はユダヤ最高法院からの上告を受け、イエスを尋問します。死刑できる権利はローマ帝国ですから。主イエスは沈黙を続けます。その沈黙は「他人が何と言おうが、あなたは私を誰と思うのか」という問いであります。様々な情報を聞き、特に悪い噂に共感して一緒に騒ぐ人間が多いのです。真実を自ら確認することが大事です。ピラトはイエスに罪を認めず、人々の「ねたみ」が根本問題だと理解します。それは優れています。そして祭り時には恩赦について人々がバラバを恩赦せよとの声に、ピラトは人々が暴動化した場合の責任を考え、イエスを処刑する決定をしたのです。すべて自己都合、自己優先の人間。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 南九州地方連合。①南九州地方連合の教会・伝道所のために。②熊本震災で被災された方たちのために。③沖縄のために。
会長・中條 信治(宮崎教会牧師)

2020年03月27日