5/20「石が叫びだす」 Ⅰコリント1章26-31節④

 「知恵ある者に恥をかかせるため…力ある者に恥をかかせるため…地位ある者を無力な者とするため」という言葉について、数日前、わざわざ比較しなくとも、と記しましたが、これらの言葉は、神がこの世界に関わるときに、その秩序が変わる、人間の順位づけや、それまでの常識と思われていた世界が、新たにされるという、希望は旧約の時代から語られてきた内容であることを合わせて語ります。
 そして、ここには「知恵ある者、力ある者、地位ある者」は、一般的なエリートという意味ではなく、王や政治家、宗教的指導者など、国や民族を良き方向にもっていくべき存在が第一です。多くの場合、力や権力を手にいれると、国民のための政治ではなく、私利私欲を求める政治になっていくということへの批判なのです。
 思い起こしたのはマリアの賛歌「マグニフィカト」です。主イエスの母となるという告知を逡巡の時を経て受け入れたマリアの告白・歌。ルカによる福音書1章46節以下にあります。その賛歌の中でマリアは「主は思い上がる者を打ち散らし、権力のある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、餓えた人を良い物で満たし、富める者と空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐みをお忘れになりません」と。若い女性のマリア、その告白と主が行うことへの信頼は、社会変革のような言葉です。
 そして、「思い上がる者、打ち散らされる者、権力ある者を引き降ろす」のは、それら政治が真剣に神の言葉と人の言葉(特に苦しむ者)の言葉を聞いていないゆえなのです。それらの言葉は預言者等でも多くあり、主なる神は、王や政治家が馬鹿にする「愚か」「無知」「無力」と言われるような人々を用いて、主の真実が行われる、という意味なのです。
  国家や政治権力が、その委託されている力を正当に用いない時、主は、国家や政治権力が、騙し、追いやり、苦境にある人々によって新たにされること、それは国家や政治への警鐘であります。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大秦野バプテスト教会。神奈川県秦野市ひばりヶ丘1-15にあります。1949年の開始なので、すでに70年の歴史を持つ教会です。本年4月より日高龍子牧師が就任されました。龍子さんは、西南学院大学神学部で2年間一緒に学んだ方です。当時の印象は「のんびり、あたたかな、人を包む」ような方と感じておりました。その後、結婚された日高氏と共に、タイに連盟派遣宣教師として派遣されました。日高嘉彦宣教師はタイの神学校で旧約聖書等を教授し、龍子宣教師も神学校の働きや教会での働きをされました。今、息子さんが同じ北関東地方連合の役員としても活躍されていますが、お母さまのかつての印象をお伝えすると「いや」と印象は違う感じでしたが、タイや教会の働きの中でいろいろご苦労もされたし、お子さんはまた親子として違った印象を持つのも当然ですね。祈りの課題は以下です。①礼拝が豊かに祝福されますように。②信徒の賜物が用いられますように。③求道者が決心に導かれますように。牧師:日高龍子

2020年05月20日