4/6「言葉が与えられる時」エゼキエル書37章1-14節

 エゼキエルはバビロンによるエルサレム陥落と捕囚を経験した預言者です。異国に連行され、イスラエルの人々は行き場と希望を失っています。その状況の中で、エゼキエルは「枯れた骨の復活」の幻を見ました。枯れた骨であっても主が霊(命の息、神の風)を注ぐ時に、骨がカタカタと音を立て近づき、肉が生じ、それらに預言する時、つまり、主の御言葉が告げられる時(創世記の創造も神の言葉によって成ったことを覚えよ)、命が生きだしたのです。かつては「黒人霊歌」と呼ばれた「アフロ・アメリカン・スピリチャル」でもこの題材が愛されて歌われました。異国で命が枯れてしまいそうな人々の状況がバビロン捕囚と重ねられ、でもそこに主による希望を見たゆえに。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 大阪旭伝道所。かつての「新森小路教会」の歴史の中にあります。今は「平和の子保育園」です。「伝道所」は現在活動休止中です。牧師:中島義和、副牧師:中島久子

2020年04月07日