5/29「聖霊の力 2」 Ⅰコリント2章6-18節③

 当教会では先週から個人での礼拝や家族での礼拝に用いられたらよいと思う「礼拝ビデオ」配信を始めています。とにかく初めてのことですし、自分の姿や言葉を見聞きすることは自己嫌悪になります。「恥は我がもの、栄光は主のもの」と常に考えておりますが、イエスさまごめんなさい、という感じ。
 31日配信分は、金曜に宣教と、ピアノを弾いてくださる方がこの日は大丈夫ということで、録画を予定しております。「教会通信」も発行しております。
 昨日は泉町町内会の総会資料を印刷しました(この文書を書いているのは木曜午前中です)。560世帯、両面10枚プラス片面1枚、約6千枚を印刷。我らの泉町自治会長である藤澤氏も町会総会に向けて頑張ってくださいますが、資料の半分くらいはデータを持っていることもあり私が作成しております。と、やったことをアピールしました。泉町に立つ教会と町内会との良い関係の継続は、必ず良い地域とのつながりを生み出していくと考えております。そんな折、宮崎県西都市の信仰の仲間からスイートコーンが届きました。感謝です!
 私が「古墳好き」であることをある時、当教会で宣教をされた高崎教会の森牧師に暴露されました、プンプン!そーいえば今、品川教会の牧師をしている臨在牧師には一緒に遊んだ積み木の話も暴露されたりしました。
 「古墳好き」になったのは、宮崎にいたころ、宮崎県西都市は古墳がいたるところにあり、そこで学んだことが基礎になっております。所沢教会の方は坂本が教会境内地に「前方後円墳」をつくるのではないかと心配されている向きもありますが、まぁ、つくるなら「円墳」くらいかな。でも教会だからといって、敷地内に墓をつくるのは、いろいろな規制があり、難しいのです。お寺や教会で敷地内に墓地を持っているのは、昭和20年代にすでに墓を持っていたところだけです(あるいはよっぽど広い敷地がある)。
またつらつらと余計なことを書いてしまいました。

 昨日、パウロの人間観として三種類の人間を想定されているという田川先生の言葉をお示ししました。パウロ先生がこう言っているからと真似はしなくてよいのですが、人間は人との関わりの中で、いくつかの類型を持ち、対応を考えるのが常です。たとえば「お願いすれば、思いをくみ取ってきちんとする」「返事はよいけど、あとはあまりやらない」「考えが昭和的な発想」「だいたい聞いても忘れる人」「他の人に責任転嫁する人」、これら例はそのような傾向があるということでしょうし、そう考えることがある面で「人間関係形成力」にもなります。
 そのような中で、教会という交わりの中で、亡き父がよく言っていたのが「霊を見分けよ」ということでした。「霊を見分ける」こと、それはある人が話したり、提案したり、相談される時、その根源の思いがどこにあるのか。教会をたてる思いか、自分の立場を守るためか、誰かを非難したいためか、本当に伝えたい事柄は何なのか、その「言葉」の根底にある思いを知ろうとすること。教会という関わりの中では、その思いが「主イエスはそれに賛同されるだろうか」ということを考えつつ、キリストの栄光をたたえるために、キリストの光をいただいてる教会の働きはどのようなものがふさわしく、主を賛美することかと常に考えることが大事です。
 そして、教会、特にバプテスト教会は、ひとりひとりの意見を大事にしますし、どの働きも教会の祈りと承認があってできるものです。個人的な奉仕は感謝して受け止めること、ただし、費用の発生が伴うものや、大きな変更は執事会で考え、判断してゆくことになります。それぞれの違いや、能力や、強さ弱さ、性格、それらを否定や、拒否するのではなく、互いに慈しみ、愛して、協力して。そして、願いはキリストの教会をたてていくこと、宣教すること、互いに喜び、育ち合っていくことなのです。今日はH・Kさんのお誕生日おめでとうございます!

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 連盟派遣 国際ミッション・ボランティア(IMV)佐々木和之氏のルワンダでの活動を覚えて。祈りの課題は①主にある平和と和解の働きが絶えることなく続けられるように。②アフリカで新型コロナウイルスの被害が拡大しないように。 

連盟 アジア・ミッション・コーディネーター(AMC)伊藤世里江牧師のシンガポールでの働きのため。祈りの課題は①コロナウイルスを恐れ過ぎず、日常生活を大切にしていけるように。③多言語での礼拝の祝福。伊藤氏はバプテスト シンガポール日本語教会牧師をされています。

2020年05月28日