5/22「誇る者は、主を誇れ」 Ⅰコリント1章26-31⑥

 パウロはこの章の終わりの言葉「誇る者は主を誇れ」。この言葉は旧約聖書エレミヤ書9章22-23節の要約的引用とされます。2千年前、パウロと言えども、旧約聖書を持ち歩いていたわけではありません。大変高価なものですし、量も膨大です。さらに、へブル語をギリシャ語に翻訳していた「七十人訳聖書」なのです。ゆえに、パウロの記憶の中から引き出したものですが、大事な言葉をよく覚えているパウロは実にすばらしいものです。
 世界最初の金属活版印刷は15世紀のグーテンベルクによります。1445年までに活版印刷技術を考案し、その機器の実用化に成功して、自ら印刷業・印刷物出版業を創設。金属活字を使った印刷術を発明したことで印刷革命が始まり、それが一般に中世で最も重要な出来事の1つとされています。
 活版印刷はルネサンス、宗教改革、科学革命の発展に寄与しましたし、後に「グーテンベルク聖書」と呼ばれる最初の印刷聖書「四十二行聖書」は1455年に完成しました。約180部を印刷し、多くは紙ですが、一部は羊皮紙に印刷されたのです。こうして、技術の推進と共に「聖書」は段々一般の人も読めるようになります。
 また1517年にルターは宗教改革を行いますが、ラテン語でしか許されていなかった聖書をドイツ語に訳しました。自国語で聖書を読むことができるようになる、それが目標でした。そして、今は、多くの聖書が様々な翻訳で読むことができます。教会員の中には複数持っていらっしゃる方もおられるでしょうし、私も翻訳の異なる聖書は10種類ほどあります。パソコンやスマホで読む聖書も、録音聖書もあります。そのような豊かな時代であることを感謝したいし、何より、持っているだけではなく、読むことが大事。さらには、聖書を持たない時、持てない時、み言葉を思い出すことができるように、覚えることをしてほしいです。
 それはさておき、「誇る者は主を誇れ」。また「栄光は主のもの、恥は我がもの」という言葉も教会で時折聞く言葉です。「自分が何かをなしえた」、「これは自分がやったのだ」と、自分の能力を誇りたくなるようなことがあります。しかし、多くのクリスチャンにとっては、「主の働きに参与すること」がすべての行動の出発点であり、自分の働きによって、すこしでも、主をほめたたえることができたら、それが一番の幸いなのです。
 最近召された藤沼昭彦先生。声楽家として、また武蔵野音楽大学の教授もされていたと記憶しています。大宮バプテスト教会員でした。この先生のある講義を聞いたことがあります。藤沼先生は、教壇で、私が讃美歌を歌うなんて、とても恐れ多い、この教壇や講壇の中に隠れて歌いたいと思っている、と語られ、実際に教壇の中に入って少し歌ったのです。その時、とても感動しましたし、忘れ得ぬ思いでした。
 「自分が讃美歌を歌ってやっているんだ」「自分はこんなに歌えるのだ」という人がごくたまにいます。もし讃美歌を歌えることができたら、主の恵みを思い、ふさわしくない者がただ許されて歌わさせていただくことでしかないのです。バッハという余りにも偉大な作曲家は楽譜の最後に常に「SDG」と書き入れていました。それは「神にのみ栄光があるように」という意味です。どんな素晴らしい音楽も自分が褒め称えられることではなく、主なる神が褒め称えられ、指し示すことができるように。そうでなければバッハの働きは無なのです。
 私どもの小さな業、ほとんどどんなことをしても、取るに足りないものでしかありません。でも、主のための働きが今日、できますようにと祈るのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 綾瀬小園キリスト教会。神奈川県綾瀬市小園南2-18-6にあります。1988年、ある教会の方がご自宅を教会にして始めたと記憶しております。この教会の牧師の名前は「礼」ですが、時々「札」と書かれるとのこと。「岩瀬札」ですね。「礼拝」の「礼」です。では「礼拝」での「礼」はどんな意味かというと、1 社会秩序を保ち、人間関係を円滑に維持するために守るべき、社会生活上の規範。礼儀作法・制度など。「礼にかなったやり方」「礼を失する」「礼を尽くす」2 敬意を表すために頭を下げること。おじぎ。「先生に礼をする」3 謝意を表すこと。また、その言葉。また、謝礼のために贈る金品。「本を借りた礼を言う」「世話になった人に礼をする」4 儀式。「即位の礼」、と辞書にあります。なるほど。礼先生はバプテスト会館で時々、お会いします。とても親しみやすい先生です。お近くの方、ぜひ、この教会をお訪ねください。教会の祈りの課題は①新来者・求道者が与えられますように。②地域に根差す伝道。③み言葉に親しみ祈る教会に。牧師:岩瀬 礼

2020年05月22日