11/30 創世記22章6-18節 「主の山に備えあり」

 父祖アブラハムに対し、神が一人子のイサクをささげよ、との物語です。21章12節で神は「アブラハムの子孫はイサクによって伝えられる」という神の約束にも関わらずイサクを殺せと命じる、神の自己矛盾と言われますが、1節にあるように「神は試された」のです。「試み」とは「心・見る」という意味。私もまた、死や病の中にある人やその家族を前にして、その意味を言葉では説明できなく、理解し難い苦しみの現実の中に立つ方の前に言葉を失います。強いられた現実に立ち尽くす人間の痛み苦しみを、アブラハムは代表します。神は私たちを不可解な現実に招く神、試みる神。しかし、試みる神はさいごには備える神なのです。神の約束と命令、試みと備えの「はざま」に我らの生があるのです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 引退教役者の方々を覚えて。宮地慶信氏(岡山県在住)、村中範光氏(神奈川県在住)。

2020年11月29日