11/11 フィリピ書4章4-9節 「喜んでばかりいられるか」

 フィリピ書は「喜びの手紙」と言われます。たまに誤解する人がいて、「いつも喜んでばかりいられるか」と反発する方がいます。私共に喜びが少なく、嘆きや苦しみがあるからこそ、この勧めがあるのです。「喜び」という宝は隠れています。表面にある石ころばかりに目をとられ、時につまずきます。でも「宝」は石を除いた土の中に埋まっており、それを見つけること。5節の「広い心」は良い訳。従来は「寛容」と訳されていました。「寛容」とは「自己絶対化」の反対です。「寛容な宗教、思想」は自分達だけが絶対と思わず、他の宗教や思想にも開かれ、共に生きようとする態度。また「寛容」は究極的には敵をも愛すること。反対者を追い出す政治家等は資格なしです。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 山鹿新生キリスト教会。熊本県山鹿市中222-1にあります。「山鹿」は頭に提灯をのせて踊る「山鹿祭り」という珍しい踊りをしていました。頭に光を載せるのはいいですね!祈りの課題は以下です。①コロナの害祈り合わせて勝利せん。②教会の核となるべく家族の救い。③将来を信じて子どもたちの救いを祈る。 牧師・船越 哲義

2020年11月07日