4/13「消えたイエスの死体、これは事件か、事故か、それとも」ヨハネ福音書20章1~10節

 日曜の朝早く、マグダラのマリアと多分、他の女性たちがイエスの墓に「別れ」のために行きます。そしてイエスの遺体がなくなっていることを見て、驚き戻り、他の者に伝えます。ペトロともう一人の弟子(ヨハネ福音書に5回登場し、「ヨハネ福音書」を記した弟子ヨハネとも言われる)が確認しますが、この現実は不思議であり、謎でした。「遺体が盗まれた」としか思えません。「復活」などその時は信じられなかったのです。いや、誰がそんなことを信じ得ましょうか?遺体がなくなったことはよみがえりの証明にはなりません。復活したイエスが彼らに、私に語りかけない限り「復活」は信じられません。今も生きて語られる主イエスとの出会いのみが「復活」を信じることにつながるのです。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト京都教会。京都上京区荒神口通河原町東入亀屋町122-1にあります。京都の人はこんなに長い住所を覚えて、書くことができるのでしょうか。確か、川の近く、だったかなぁ。昔一度だけ行ったことがありました。京都の町自体には、何度も行ったことがあります。街中をお坊さんがはんぱなく歩いていたのに親近感をもちました。お坊さんとも仲良くやれることが多いのですよ。祈りの課題は以下です。➀み言葉を生きる教会として。②バプテスト関連施設を覚えて。③隣人と共に歩む教会として。牧師:李 海勲(イ ヘフン)

2020年04月12日