4/20「聖なる者」Ⅰコリント1章1-3節②

 「聖なる者」、「聖」とは「神さまの目的のために専ら使われる存在」であり、神さまだけがそれを「聖」としてくださる事柄です。つまり、人間がいくら「これは聖なるもの」と言っても、「聖」とされるのは神さまなのです。私どもは「これを聖なるものとして、あなたの御業のために用いてください」と祈る、そしてそれを受け取り、「聖」とされるのは神さまであることに、いつも謙虚でなければいけません。2節の「キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々」、パウロはその言葉に加え「召されて聖なる者とされた人々」、と言います。「キリスト・イエスによって」だけでは足りないと思ったのでしょう。「主イエスが呼びかけ、招いてくださった」、この事実をもう一度語るのです。改めて言います。「これは上等なものなので、すばらしいものなので、神さまの働きに用いてください」、と人は祈って献げることが大事、しかし、真実に神が受け取ってくださるか否かは、人間は決めることができないのです。そこにギャップが生まれます。それは私たちが「良い」と思うものと、神さまが「良い」とする基準が異なるからです。コリント教会の信者たち、人間的な目線でいえば決して完全な存在でなく、しみもしわもない存在ではありません。パウロから見れば多くの誤りや不足がある存在です(パウロ自身も自らを罪深い、神の目には叶わないような姿と言っています)。でも、主なる神はそのような不足が多い、間違いの多い、罪にまみれた者を「聖」、つまり、神さまの愛する存在として用いてくださるのです。人は言います。「お前なんて本当にクリスチャン?」「クリスチャンなのに…」と。クリスチャンは人間として完成され、神さまのような存在ではありません。自分の罪深さを知り、そのような自分をも愛し、ゆるし、主のものとしてくださることに感謝する者、それがキリスト者なのです。

<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト四日市教会。三重県四日市市野田1-1-27にあります。三重県にある日本バプテスト連盟加盟教会としては唯一です。この教会の加藤牧師は某有名大学の法学部出身のとても頭の良い方。いつも汗をかきかき、熱心に語る牧師です。いつも一生懸命な感じですばらしいです。伴侶は教会音楽の学びを続けられておられ、ご夫妻ともに、「しょうがい者」の方々やその周囲におられる方々と心合わせて歩んでいらっしゃいます。祈りの課題は①中長期的な教会の使命と目標を。②多様な人々に向けて開かれる。③連合・連盟との協力を喜び献げる。牧師:加藤英治

2020年04月20日