5/3 マルコ福音書5章1-20節 「命の価値を訴える主イエス」

 ガリラヤ湖での突風に恐れおののき、そこで自力ではなく、主イエスへの信仰(信頼)を弟子達は学びました。なぜなら、「自力」では必ず限界にぶつかるし、「人との出会い」においても自力で何とかなるものではなく、主なる神さまの力と働きに頼らなければ良き道は生まれないのです。彼らが向かう「向こう岸」は異邦人「ゲラサ人」の地域。そこで出会ったのは墓場で暮らしていた人です。「レギオン」はローマ軍部隊の意であり、戦争で自分自身か家族か恋人を傷つけられ失った人かも。精神が痛み、地域と人々から追い出された人。今も世界のあちらこちらにそのようにされた方々がどれほどいるでしょうか。さて、主はその人を癒し、解放しますが、同時に村人の豚が犠牲になります。豚が可哀そうと感じる人もいましょうが、感染症にかかった豚や鶏が何千何万と今も犠牲になっていることを覚える必要があります。その犠牲は人を守るためです。さて、地域の人々にとっては墓場の一人より豚が大事なゆえに主イエスを追い出すのでう。その姿に住民が持つ人命の価値感が問われます。時に人の価値は低いのです。とんでもない、解放された人こそ、命の恵み、命の価値の大きさを語る人になりました。

<日本バプテスト連盟加盟教会・伝道所等を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 伊丹キリスト教会。兵庫県伊丹市柏木町3-47にあります。阪急塚口駅から北へ徒歩8分で着きます。ホームページにはこう記してあります。阪急塚口駅の北出口をでて、阪急伊丹線の線路沿いを歩くと、右手に教会が見えます。「市兵衛踏切」がありますので踏切を渡ると教会に到着します。そして、電車でも右手によく教会が見えます。この教会の内田牧師は、昔も今もそうですが、腰にタオルをいつもつけていて、福岡県の「久留米弁」でしゃべりますので、ちょっとびっくりする人がいるかもしれません。絶対「久留米弁で自分はしゃべり続けるのだ、それが自分の誰にも変えられないアイデンティティだ」という表現です。まぁ、そこにこだわるのも何かの理由があるのでしょう。しかし、見た目と違って(?)(見た目でしゃべってはいけないのですが)、すごく繊細な面を持ち、共感する心、コーヒーを挽いて丁寧にいれる姿もまた内田牧師であります。祈りの課題は以下です。①高齢者の皆さまの健康と平安。②新たなビジョンに向けて。③「新たな戦前」の超克(ちょうこく・困難をのりこえ、うちかつこと)。牧師・内田 裕二

2023年05月02日