4/19「自己紹介」Ⅰコリント1章1-3節➀
この聖書日課は、3月まで「聖書教育」の箇所で行ってきました(大体)。4月からコロナウィルス感染拡大防止のために週報等を作成しておりませんので、時期に合わせた箇所を選んでおりました。いろんな箇所に飛ぶのもなんでしょうから、しばらくはパウロが記した「コリントの信徒への手紙Ⅰ」より学んでいこうと思います。
まず知ってほしいのこと。コリント教会はパウロが中心的に働きをして設立された教会ということ、そして、今、パウロは別の地域(エフェソ)で伝道生活をしており、コリント教会からの質問や問い合わせに応じる形で記されたものです。
今日の箇所はパウロの自己紹介です。最初の言葉を原語では「パウロ、神の御心によって・・・」。「召された」とは、私が小さい頃「召された」=「死んだ」というイメージがあったのですが、「召された」のは神が呼び招いた、ということで、それは地上の働きにせよ、天国に行く時(それは神さまだけが決められることであるが、主イエスの思いは「すべて」の人が救われるためであるので、それに期待するしかないのです)にせよ、神さまが働きかけ招いてくださるのです。「使徒」とは原語で「アポストロス」、「使命を帯びて派遣された者、メッセンジャー」という意味です。つまり、神さまからその名を呼ばれ、そして神ささまから使命を与えられて派遣されるのです。兄弟「ソステネ」についてはまた後日。そしてコリントにある「神の教会」。教会は原語では「エクレシア」、神から呼び出された者の集まりという意味です。なので、教会とは建物ではなく、神が呼び、招いた人々の集まりを「教会」と言うのです。なので「教会」という、「教える」という言葉になってしまうと、学びが中心のような気がしますが、もっと豊かなイメージがあります。私が西南学院大学神学部に入学して「教会教義学」というクラスがありました。ほとんどの学生が受講しており、教師は寺園喜基先生(当時九州大学教授)でバルト神学を専門にしている方です。最初の授業で学生に「神学的自己紹介」をしなさい、と言われて「神学的自己紹介とは?はて?」と考えました。つまり、パウロのような紹介をしろ、ということだったのかと今も思い起こします。みなさんが自己紹介する時、なんと言うでしょう。「私は、主イエスと出会わせていただき、この小さなつまらぬ者を神の働きへと招いてくださる主を信じ、今、生かされているのです」と心から言うことができたら幸いですね。
<日本バプテスト連盟教会・伝道所等を覚えての祈り> びわこシャロームチャペル。滋賀県守山市ふけ町300-15-5-131にあります。「ふけ町」は漢字では「浮気町」で、かなり面白い地名として知られているようです。教会案内に「浮気町」はマズイと思ったのでしょうか。そういえば、長崎県に「女の都」という地名があり、天国か地獄だなぁ、と感じたことがあります。ここは「めのと」と呼ぶのです。さて、この教会の桶田牧師は神学校で同期入学です。私はまだ20代、桶田さんは40~50歳だったと思います。関西弁で「ハレルヤ」といつも元気な方でした。今もあまり変わりないですね。率先して「早朝祈り会」を行ったりしていました。「祈りが足らない!」と言われると私ら、あんまり反論できないの。朝は苦手やけん(急に博多弁)。シャロームチャペルの祈りの課題は、➀Ⅱテモテ4章2節に導かれ、滋賀県全域を担当地域とし、2年前からイエスさまの福音を伝えています。現在、三か所で礼拝し、6月にもう一か所でも始めます。あと10年で10箇所のチャペルを開く予定です。牧師:桶田紀夫